「フーコー」を含む日記 RSS

はてなキーワード: フーコーとは

2022-12-10

anond:20221210001547

フランス語で書かれた専門書を翻訳する際に当該分野の専門知識を有する人間英語からの重訳をさせるよりも

当該分野は素人でもフランス語翻訳家に原書を訳させる方が適切な翻訳可能だというのが人文系常識なの?

本当に疑問なんだけど、日本にはフランス経済専門家とかおらんの? 探せば日本のどっかにフランス語原典から訳せて経済学の知識がある人が絶対いるでしょ(フランス語メジャー言語だ、って強調してるのはそういう意味もあるよ)。

ピケティの本が世界的な話題であるなら尚更、フランス語経済の双方に通じた翻訳者を探してくるか、それが無理ならフランス語から翻訳を監修する経済学者を連れてくるべきで、重訳は最後の手段だろう、というのが人文系感覚。「アイスランド語推理小説」ならまあ重訳でも仕方ない(良いわけではない)けど、「フランス語経済学書」だったら、日本にはフランス語専門家大勢いるんだから彼らに直接訳させろ、翻訳にあたって経済学の知見が必要ならフランス経済専門の翻訳者 or 翻訳を監修してくれる経済学者を連れてこい、というのが相場じゃないかなぁ。すげえどうでもいい本ならその手間を惜しむのもわからなくはないけど、世界的な話題作ならそこの手間はかけるべきでしょ、と思うよ。だからピケティを重訳で良しとする感覚マジで理解できんのよな……(出版社にとっての経済メリットはわかるけど、学問的にはメリット皆無でしょ)

結局、人文系にとっては「原典にあたる」ことがまず基本であって、翻訳原典ではないわけよ。研究をするにあたって翻訳で済ませてよいのは、

場合に限られるんじゃないかしら。あとはよっぽど研究環境の貧弱な地方大学所属してて碌な研究ももらえず図書館も充実していないので原典を入手することができず、なおかつ信頼に値する翻訳があるなら、まあ翻訳で済ませるのも仕方ないかもしれないけれど、山形浩生はそんなに貧窮してるの? って話になるので。

理論もすべて原典で読むべきか、はまあ微妙なところ。たとえばフーコー思想研究するのならフランス語原典を読むのは必須だけど、フーコーの「生-権力概念ドイツ研究に応用してみました! みたいな場合は、うーん、まあ研究の基礎となる資料ちゃんドイツ語で読んでるなら理論日本語訳でもいいかなぁ、という感じ。もちろん理想を言えばフランス語読むべきなんだけどね、それ言ってるとキリがないからね)

なお、元の話題に出てる北村紗衣は、「原典を読める文学作品については研究し、そうでない作品ロシア文学とか?)については評論する」というスタンスであることをどっかで公言していたはず。研究あくま原典依拠して行うもの原典を読んでいないのは研究とはいえない、というのは、人文系研究者としては当然のスタンスだと思う。なんだろう、増田経済学のこととかよくわからんけど、英語からの重訳を出されるのは、数学統計学を踏まえずになされた経済研究を出されるようなもんなのよ。基本のキができてないですね、問題外、って感じ。

2022-12-06

anond:20221204154146

 国家にとって彼らの役割といったら、福祉対象か、危険仕事犯罪くらい

そもそも彼らは、なぜ非行に走るのか。社会はなぜ彼らを差別排除するのか。

そして福祉理想とする社会にとって、女性子供は必ずしも被差別ではなかったりする

 ケガレという観点から差別歴史について調べてもいいし、フーコー的に一般的論理をいったん崩してもいいと思うし。

男気という独特のヤクザ文化についても考えてもいい

助言もできず、余計なお世話かもしれないが「社会感覚 野村一夫

俺が読めるくらい親切な本なので、未読でしたらどうか

2022-09-18

20220918[アタック25]Next 2022年9月18日 40代大会 2022-09-18結果

BSジャパネクストで日曜昼などに放送

8月からは1時「半」から

BS1からボタン2回とか

ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか

地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報確認

 

今日の答え(放送とは表現が異なる場合があります

・01 [あるスポーツ名前]バスケットボール

・02 秋分 の日

・03 『ちはやふる

・04 窒素

・05 [ペア]2番と8番

・06 プレタポルテ

・07 [すべて]アフガニスタン ウズベキスタン カザフスタン タジキスタン トルクメニスタン パキスタン

・08 『男の子女の子

・09 ビスマルク

10 [近似値]2896171

11 琥珀(色 こはく(いろ

12ライムライト

・13 9

・14 リンドウ

・15 五木ひろし いつきひろし

・16 ウイーン 会議

17 図書館

・18 夏井いつき なついいつき

・19 マウスピース

20 香山リカ かやまり

・21 海王星

・22 きんぴら

23 [AC]学問(の自由

24 フーコー

・25 [3択]55(日

・26 ペリカン

・27 エルヴィス・プレスリー

28 第)二(種郵便物

・29 オットマン

・30e 東京(湾

・xx [ある国の名前]モロッコ

2022-08-17

anond:20220817190418

それは一面としては正しい。

けれどもフーコー権力の根源を見るのは特定人物とか役職とかというよりも、ある時代空間、ある時代の言説の構造エピステーメー)そのものの中なので、そこで権力行使しているように見える人間もまた権力支配下にあると言えるわけ。

これを敷衍すると監獄学校病院などに限らず、資本主義という主人不在のシステムにも適応可能になる。

anond:20220817185436

そう言えるってのがフーコーなんだよなあ。

 

ほんとお前は指導しがいのある反応しかしないなw

俺をいい気分にするためにわざと理想リアクションしてるの?w

anond:20220817185124

間違いじゃないよ。

ただフーコー権力概念特定の誰かつまり政治家教師に属するものではなくて構造に由来するものから先生のことではない。

anond:20220817184950

利用するもしないも自由営利企業サービスまで「いやでも実は操られていて」って当てはめようとするなら、サービス買わそうとする世の中の営利企業みんな「これもまたフーコーの生権力の1つだね、人々は自分意思で選んでいるように見えて操られているんだ」って言えるじゃねーかよ

あほ

anond:20220817184951

ワイが受験勉強の時センター倫理フーコー習った時はフーコー権力って学校も入ってたけど間違いなん?

学校病院刑務所という三大権力が!みたいな流れだった記憶

anond:20220817180310

はてなフーコー権力概念を解するだけの知的教養あるいは誠実さのある人間がいるわけないだろ。

こいつらの持ってる権力概念なんて学校先生くらいで止まってんだから

anond:20220817184538

なんでどんどん知らないのバラすのww

フーコーの生権力って概念が新しかったのは、まさに、一見自主的なようでも権力側の好きに人間を動かしているって指摘だったのねwww

 

てか増田で授業やらすなw

模範的な生徒かよお前はww

anond:20220817184126

やっぱ知らないじゃないかw

フーコーときはそれらも権力なんですよ。

なんと言うか、人に行動を強制する力のことだ。

anond:20220817180139

わかったわかった。フーコー知らんのだな。出直してきて。

TikTok性的搾取怖い

1個だけ見たい動画があったので、いまさらTikTokインストールしてみた。

フォロ―ゼロフォロワーゼロおすすめ動画けが延々見られる状態

 

そしたらまあ、でるわでるわ。

女の子オッパイアピールしてるだけのショートムービーが延々と、とっかえひっかえにえ。

 

いや、俺はオッサンから、それはついつい見ちゃうよ?

ちゃうけど、この女の子らは、何の得があって俺に無料でこんなもん見せているのか。

金取ってるわけでもなし、貰えるのは何の役にもたたないイイネ

しかイイネをもらえば貰うほど、もっと見られてしまう。

だってこうして増田やってるわけで、承認欲求からバズりたい気持ちわからんでもないが、これは無いんじゃないの。

 

なんつーか、フーコーの生権力極致って感じだね。

借金漬けで首に回らせるでも、暴力強制するでもない。

ただイイネかいう仕組みが

単なるナッジが

女の子性奴隷にする。女の子自主的性奴隷になりに来る。

 

怖い怖い。

子供ができたら、SNSはいいけど、ショートムービーだけはするなって言わないといかん。

2022-07-18

東浩紀さんが批判されてるけどさ・・・

東さんってデリダ好きだったよね、たしか

それでこれ思い出したわ。

でも,あれは本当のところ一種哲学貧民窟だね.ラッセルウィトゲンシュタインフレーゲ時代あんなゆるゆるな論理構成の本が書かれるなんて,耐えられないよ.あれでやってけるのは,相手にしてる読者が専門分野で有能な哲学者じゃないからじゃないかな.彼らは文学理論みたいな他分野の人たちに向けて話してることが多いよね.それに,哲学はいつもこんなふうに考える一派がいるんだ,「いや,ぼくらは自分たちの専門だけを狭くやるばかりじゃいけない.こういう他のアイディアにも開かれてなきゃね」って.新しいアイディアに開かれている方がいいってのは全面的に賛成だけど,まともで高度な哲学著作と,知的に許容できない著作との区別はしないとね.

このことは前にミシェル・フーコーに言ったことがある.デリダに対する彼 の敵対心ときたらぼくすら上回るくらいだけど,その彼が言うには,デリダは obscurantisme terroriste(テロリズム的蒙昧主義)って手法実践してるんだって.ぼくらはフランス語で会話してたんだ.で,ぼくはこう言った,「いったい そりゃなんのこと?」 で,フーコーが言うには,「デリダはすごくあやふやな 書き方をして,何を言ってるんだかわからなくするんだ.これが「蒙昧主義」の部分.で,人がじぶんを批判すると,『あなたは私を理解していないよ.あた まがわるいね』とくる――これがテロリズムの部分だよ.」 これが気に入ってね.脱構築について文章を書いたときに,ミシェルにその発言引用してもいいかなって訊いたら,「いいよ」って言ってくれたよ. フーコーしょっちゅうデリダと一括りにされてた.でも,それはフーコー に対してすごくアンフェアだよ.彼は思想家としてデリダとはまるで器がちがう.

https://blueeyedson.hatenablog.com/entry/20111201/1322730931

以下が背景ね。

ジャック・デリダによるサールへの最初攻撃は1971年行われた。サールはタイプ原稿9枚の感想を書いた。その後サールは発話行為自然な発展的研究主題として志向性研究に専念し、1983年『志向性』を公刊する。この書評はその直後であるデリダは、アメリカディコンストラクション派の無名雑誌ジラフ」に、サールの感想文を引用して解体たかのような長大文章掲載し、1993年サールに無視され続けたデリダは「討議倫理」に関するさらなる文章をつけて『有限責任会社』を1990年公刊する。日本ではこの版のみが知られ「サール=デリダ論争」というものがあったという神話法政大学出版局によって広められた(邦訳2003年刊、『ジョン・サールとの会話』にて詳述)。同年サールはNew York Review of Booksに”The Storm Over the University

” 1990を掲載(未邦訳 http://www.ditext.com/searle/searle1.html )。ここで『社会的現実構成』に一部含まれポストモダニスト批判を展開した。1990年代社会生物学論争と「マーガレットミードサモア」による文化相対主義批判勝利さらに1994年アラン・ソーカルによる疑似論文投稿に始まるソーカル事件が起こり、以降フランス哲学者らの理論アメリカフレンチセオリー別称されるようになる。

https://freespeechact.wordpress.com/about/analyticphilosophy/searle/%E9%80%86%E3%81%95%E3%81%BE%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E8%A8%80%E8%91%89/

2022-07-08

サイゼリヤ番号化問題について

qyosshy 誤注文がなくなって客にも店にもやさしいシステムしか思えん。聞き間違いだの頼んだ頼んでないだのが発生する仕組みを倫理的に正しいと思える感覚理解できん。/ 労働者側の視点が無いんだろうなあって思う。

yP0hKHY1zjyP0hKHY1zj 何十年も前からバーコードという形で生が番号化されているのだが、それを当たり前のように受け入れてきてファミレスの数少ないメニューの3桁の番号化で急に危機感を持つところがかわいい

akutsu-koumiakutsu-koumi 気に入らん人は騒いでおれば良いと思いますよ。でも銀行ATMを導入して倫理が損なわれましたかセルフレジの普及が人の機械化を推進しまたか自分漠然とした抵抗感を尤もらしい言葉に置き換えているだけでは?

slimebethslimebeth この手の人が下らないのは文中の老婆のような上の世代が嫌がってたことはあっさり受け入れてる点だな。文明の利便は享受したい、若い世代感覚は受け入れられない、我々世代情緒けが真っ当!てのは老人の我儘だ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/anatatachi_ohno/status/1544470962011115521



このブクマ連中の言っていることは一応は正しい。しかし、人間機械産業システム論理に組み込まれて、人間が取り替え可能部品のようになっていくことへの抵抗感や違和感は、マルクスウェーバーアーレントフーコー主題でもある。大野さんを老害断罪するのなら、これらの偉大な(とされる)哲学者老害断罪されなければならないだろう。

「新しい便利なモノ」に対して、何も考えずにさっさと適応できてしまう人と、違和感抵抗感を覚えながら少しずつ適応していく人と、どちらが人間としての主体性を持っているかと言えば、やはり後者であろう。前者の人は、今の中国のような独裁権威主義体制にも「便利だからいいじゃん」と、あっさり順応できてしまうに違いない。


ただもともとの最初エピソードサイゼリヤという、主題の大きさに比してあまり卑近な(個人的意見では不適切な)事例だったので、誤解を招きやすい面があったのは確か。また前後文脈大事なので、切り取られるのが宿命Twitterでは、論じるのに最も向かないタイプ議論でもある。GAFAのような事例で、字数を費やして活字で論じるべきだろう。

2022-04-11

キャンセルカルチャー存在しない?

キャンセルカルチャー存在しない。そのような言葉は使うべきではない」と言っている人たちがいる。明らかに間違っていると思う。キャンセルカルチャーを、「現代社会において差別的とされる言動をした人たちについて、その言動批判処罰するだけではなく、当該人物社会的地位活動の場そのもの剥奪を主張あるいは(主張はしていないものの結果としてそうなった場合に)容認する運動」と定義できるのであれば、まさに呉座氏の件はそれに完全に該当する。


呉座氏の誹謗中傷発言は全く許容できるものではないが、SNSの鍵アカウント上の発言でもあり、テニュアを奪うほどのものでは明らかにない。園子温セクハラの酷さは唖然一言だが、今後映画活動の場を全て剥奪するというのは明らかにやりすぎだと思う。小山田圭吾いじめの件も胸糞極まりないが、一切の音楽活動を禁じられるのはおかしい。これらが「キャンセルカルチャー」ではないとしたら、何なのだろうか。


キャンセルカルチャー」の特徴は、その人物が今後の反省や改悛する可能性を完全に否定し、「差別主義者」という雑なカテゴリーに括って、その檻の中に一生閉じ込めて出てこないようにとする点にある。しかし、広河隆一園子温政治的には明確にリベラル側の人間だったことを、一体どう考えているのだろうか。フーコーも「キャンセルカルチャー」の対象になりかけたことがある。

2022-01-23

anond:20220122010439

優生思想って、その思想隠れ蓑にした福祉予算削減目的だろ。

というコメントを見て。

それは確かにあるんだけど、その裏面の意味では、福祉国家ワイマールドイツでこそ優生学は発展したんですよね。

「みんなで支え合わなければならない」という前提があればこそ、優生学は受けた。

ナチス作成したポスターで、屈強なゲルマン人男性が2,3人の障害者を背負って苦しんでいる、という構図のものが、それをよく表していると思います

追記ブクマしてくれた人ありがとう

ほんと聞きかじりでね。

医療社会学?の人なのかな、(たぶんフーコー研究とかから入ってると思われる)市野川容孝先生がよく書いておられるモチーフなんですよね。

最初に知ったのは「障害学への招待」だったかな。

最近?では「優生学人間社会」の書評finalventさんも書いておられた。

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/05/post-25f4.html

福祉国家ドイツの祖はビスマルクなのかなー。

一方ではヘーゲル左派?で社会主義者のラサールなんかとも交流があったようだし。

ちょっと気になるのは、各国兵士公衆衛生問題、有り体に言えば慰安婦制度との関係

どの国にも戦時性犯罪は付き物だが、ここまで国家主導で強く介入し、コントロールしようとした国は日本ドイツで、これ福祉国家思想が背景にあるんじゃないかと。

日本慰安婦制度は周知の通りだし、ナチス占領地における慰安所政策はまだ明らかではないが、相当な規模のはずだろう。

b:id:Arturo_Ui さん

慰安婦制度は「福祉国家思想」と対極だろう

対極などころか、兵士に対する福祉政策ど真ん中の事例だよ、慰安婦制度あなたこそご冗談を笑。

伝わってないみたいだけど、そういうことが言いたいんじゃないと思うんだよね、市野川先生

いまだにオバマケアであれだけ紛糾する合衆国と、日本ドイツ比較してごらん?

俺の説明イマイチなんだろうけど、優生学の「前提」となる福祉国家意味を捉えてくれるとありがたいなと思う。

アメリカ優生学国家思想になるって考えにくいでしょう?

2021-12-30

anond:20211230023001

登場人物が突然ギリシャ哲学対話編みたいな話をするシーンが萎える、押井守の語りはキモい

学生運動やってた頃にニーチェとかフーコー引用してレスバするのが流行ったんよ。

押井守はそれに憧れつつもギリ乗れなかった世代から作品内でそういうのやりたがる。

2021-11-09

不機嫌で人を支配しようとするフェミニズム監獄(まなざし村)の誕生

なぜ全国フェミニスト議員連盟はいつまでも公開質問状に回答しないのか、

ツイフェミは次から次へと訳分からん論拠で不適切判定するのか、

理由が気になってたんだけど、以下の記事を読んでちょっと思いついたのでメモ

 

「不機嫌で人を支配しようとする人」の気持ちがわかった話 | Books&Apps

要約すると「察してもらうな、察するな」が合言葉

考えていることをちゃん言葉にしようという教育方針の家庭で

父親風邪で喋れなくなったときに不機嫌そうにしていたら娘が察してくれて楽で、

「不機嫌を他人押し付けコントロールしようとする人の気持ち」が分かりかけたけど、

「喋ってくれるパパがいる時はいいんだけど、喋れないパパがいる時って、なんか不安になるの」

と娘との距離が出来てしまって反省したという話。

 

それともう一つ、以下の記事もヒントをくれた。

【お手軽】爆速で恋人を狂わせる方法【簡単】|Gigandect|note

要するにターゲットの周囲を自分意見で固めるなどの方法

ターゲット自分の考えに疑問を持たせて操る洗脳術に注意しましょうという話。

 

これらから言えることは他人コントロールする際に

論理的説得も分かりやす暴力による脅しも必要ないということ。

というかこれってあれじゃん。「まなざし」じゃん。

「まなざし」って何? - 東大誰でも当事者研究サークル

まなざし定義3:対象を、"見る側"の価値観規範に従わせようとする支配の力。及び支配構造のもの

参考:フーコーの「パノプティコン効果

「見られる」ということは、他者によって評価されることであり、なんらかの規範評価基準押し付けられることでした。このはたらきのことを、フーコーは「支配」と表現します。例えば、「人前に立つ時は、ちゃんとした服を着ていきなさい」とか、「そんな服を着ていて恥ずかしくないの」と言うことがあります。これは、「自分がどんな服を着るか」という選択を、「相手にどう見られるか」に従って考えているということになります。すなわち、「見られる側」は、「見る側」の評価基準価値観に従って、自分の行動や選択を決めているのです。

やがて、「見られる側」は、「見る側」が傍にいなくても、相手評価基準価値観に従うようになります。このことを、フーコーパノプティコンという監獄を例に出して説明しました。パノプティコンとは、中心に看守塔があり、その周りにぐるりと囚人のいる牢がある監獄です。看守塔からは牢の中が全て見渡せますが、看守塔はマジックミラーになっており、牢からは看守塔の中を見ることができません。囚人は常に看守塔の中の監視員によって監視されていますが、囚人から監視員いるかいないのか分からない、という構造になっています囚人監視員監視されているので、規律に従わなくてはいけません。しかし、囚人から監視員いるかいないかからないので、やがて本当にマジックミラーの向こう側に監視員いるかどうかは関係なく自ら規律に従うようになります

フェミニスト説明の無さや規制基準不明確さがパノプティコン監視の見えなさに重なっていやらしい。

というか「まなざし村」って呼ばれてるフェミニストはこういうまなざしに反対してたんじゃなかったか

今はフェミニスト側が積極的まなざし使って政治闘争してない?

例えばこういうのノリが典型例。

共産党「(いきなり法規制されないように)議論しましょう」表現の自由戦士「非実在児童ポルノでも規制するっていうのかぁあぁあああああぁああああぁあああああああああああ!!!!!!!!!」

 

そろそろフェミニスト達が論理的説得を使わない戦いをしている想定で対抗しないといけないよ。

論理的説明をせず開き直って全く重要でない論点に執着したり、

規制反対派にレッテル貼ったり、多数派の目を気にするように仕向けたり、

そういうのを見かけた規制反対派がフェミニストは頭おかしいって馬鹿にしてるいと

多数派工作されて表現規制されたってなりかねない。

というか既に議会行政に潜り込んでいろいろしてる事例ちょくちょく見るし。

2021-10-19

anond:20211019101021

増田が言うように、フーコーのような規律訓練による主体化を目指しているなら、それはそれで恐ろしいが。

ただ「社会的合意」の前段には、

日本は、極端に暴力的子どもポルノを描いた漫画アニメCGビデオオンラインゲーム等の主要な制作国として国際的にも名指しされており、これらを適切に規制するためのより踏み込んだ対策国連人権理事会特別報告者などから勧告されています2016年)。

非実在児童ポルノは、現実・生身の子どもを誰も害していないとしても、子どもを性欲や暴力対象、はけ口としても良いのだとする誤った社会的観念を広め、子ども尊厳を傷つけることにつながります

表現の自由」やプライバシー権を守りながら、子どもを性虐待性的搾取対象とすることを許さな社会的合意をつくっていくために、幅広い関係者と力をあわせて取り組みます

https://www.jcp.or.jp/web_policy/2021/10/2021s-bunya-007.html

という部分があるんで、社会的合意ってのもお為ごかしかなとも思う。

2021-10-06

anond:20211006102600

ジェンダー論やメディア論学者の中でもいわゆる「萌え絵」を扱える人は限りがある。ジェンダー論とかメディア論学者普段フーコーとかバトラーとかマクルーゼとかの研究してるのであって、萌え絵研究をしている人は多くないので。

2021-08-05

書け書けと言われたので

これはid:muchonovによる、id:rag_enさんのエントリ muchonovさんの提示した「判断力が未熟だから」論法では、年齢による“パターナリズム”を肯定するのは無理があるよという話と、あとリテラシー - Click Game. への返信です。

引用されている増田テクスト位置づけについて

まず、rag_enさんがご引用くださっている、自分増田で書いた文章子供の権利は制限されているし、性行為に伴うリスクを判断できない」の位置づけなんですが、これはmuchonovが何か新しい提案をしたぞとか、今からそういう社会を作るぞ、という内容ではありません。このスレッドの親増田の「なぜ、子供が性を売ってはいけないのか」という疑問への応答として、今の社会がそういう風になっている理由として、法律的社会的にこのような背景がありますよ、と説明するものです。言い換えると、これは〈べき論〉ではなく〈である論〉のつもりで書いたものです。このことは、ここから先の話とも繋がってますので、ひとまずスタート地点としてご認識ください。

パターナリズムについて

rag_enさんは以下のように、「『社会コンセンサスがあるから』という理由でのパターナリズム肯定」や(判断力が未熟な当事者保護する)「手段としてのパターナリズム自体を強く批判されています

未成年に対しては愚行権を含む自由権一定の制約を課すべきだという社会コンセンサスがあるからです。未成年に対しては人権を制約するレベルパターナリズム保護者的統制主義当事者能力リソースの不足を社会保護者として補い、庇護する)をとってもよいし、分野・状況によっては積極的にそうしなければいけない

いやもうこれ、『社会コンセンサスがあるから』なんていう、ふにゃふにゃな理由での“パターナリズム”を肯定してしまっているの、控えめに言っても完全に思考が狂ってますよね。

そもそも『「判断力」によって峻別すべき』だと仰るならば、「ペーパーテストして免許制にでもすれば?」でほぼほぼ終了する話なわけです。『「判断力」によって峻別すべき』ならば、その「判断力」をテストする、というのはどう見ても最も正道な手段なのですから。“パターナリズム”などという手段を用いる必要は全くありません。


ここを読んでいて、最初「ん?」と混乱してしまったのですが、もしかしてrag_enさんには、「パターナリズム」という概念について重大な誤認がありませんか。rag_enさんが「“パターナリズム”などという手段を用いる必要は全くありません」という主張とともに、代案として展開されている判断力によって(ある問題についての当事者能力責任能力の有無を)峻別する」、そして、判断力がないとみなした対象自由権を(当人保護のために)何らかの形で制限する…という考え方は、まさに『パターナリズム』そのものではないですか? 

現行の日本法律が、年齢によってその人物判断能力推認し、それが十分でないとされた年齢に属する児童保護するために彼らの自由権を一部制約するのも、別の方法判断能力吟味裁定し(たとえば精神的な障害を持つ人や依存症に苦しむ人や認知症患者などを、家裁判断によって成年被後見人とすることなど)、彼らを保護するために彼らの自由権を一部制約するのも、どちらも法学の分野でいう「弱いパターナリズム」だと思います

憲法学世界で「パターナリズム」といえば、まず未成年者の人権制約の場面が思い浮かぶ。すなわち、十分な判断能力のない未成年者については、親が子に干渉するようなやり方で、国が未成年者の人権を制約することが認められると考えるアプローチである(1)。たとえば佐藤幸治は、未成年者の人権制約について、未成年者が「成熟した判断を欠く行動の結果、長期的にみて未成年自身目的達成諸能力を重大かつ永続的に弱化せしめる見込みのある場合に限って正当化される」とし、これを限定されたパターナリスティックな制約としている(2)。このようなパターナリズムは、個人判断能力の不十分さを補うために後見措置を行うことから、弱いパターナリズムと呼ばれる(3)。

https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:0RwE-rfojV4J:https://core.ac.uk/download/97063334.pdf+&cd=2&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

そして、未成年や年齢が低い児童判断能力が不十分とみなされる理由は、法学世界では、彼らの判断が、それ以上の年齢層による判断に比べ、①知識情報を得た上での判断・②適切な理解に基づく判断・③強要なき自律的判断・④実質上も自発的判断ではない可能性が高く、それによって、当事者自身が想定しない結果や不利益をもたらすリスク懸念されているからです。[^1]

[^1]性的自己決定に関しては、古い調査ですが、10代の人工妊娠中絶についてのアンケート結果(https://www.jaog.or.jp/sep2012/JAPANESE/MEMBERS/TANPA/H15/030217.htm)を読む限り、確かにそのリスク存在しているといえます10代の妊娠中絶経験者の68.1%妊娠して「困った」と回答しており、その多くが①②膣外射精安全日など誤った避妊方法を選んだり(情報理解力の不足した判断)、③相手避妊をしなかったり(強要された判断)、④経済的事情などを踏まえれば出産育児不可能なのに妊娠する可能性のある行為をしてしまう(実質的には非自発的判断)など、当人判断能力の不足によって、望まない妊娠人工妊娠中絶に到っています

この前提において、当事者自由権を法と社会が一部制約することが正当化されています。これはmuchonovが勝手に言ってることじゃなくて、法学におけるパターナリズム議論の中で整理されている話です。

ソフト(弱い)パターナリズム」が自由への介入を正当化できるのは、人の行為が以下の何れかに因って判断された場合です。

1. 実際に情報を知らされないで判断した場合(not factually informed)、

2. 適切に理解していないで判断した場合(not adequately understood)、

3. 強要されて判断した場合(coerced)、または

4. その他、実質的自主的にではなく判断した場合(oterwise not substantially voluntary)。

http://www.fps.chuo-u.ac.jp/~cyberian/personal_responsibility.html

そして、未成年者や特定年齢に満たない児童に対する「弱いパターナリズム」に基づく人権制約は、日本を含め、大半の近代国家法制度に含まれています性交同意年齢という概念もそうですし、制限行為能力者という概念もそうですし、ある面では責任無能力者という概念もそれに関わっています。そのような、未成年者や児童人権を明らかに制約する仕組みが各国の法制度に組み込まれているのは、当然、その国家議会立法などの民主主義手続きを経てその法律を定めた結果であり、『社会コンセンサス』の賜物でしょう。

から先ほどのrag_enさんの、「『社会コンセンサスがあるから』なんていう、ふにゃふにゃな理由での“パターナリズム”を肯定してしまっているの、控えめに言っても完全に思考が狂ってますよね」とか、「muchonovさんの提示した「判断力が未熟だから論法では、年齢による“パターナリズム”を肯定するのは無理がある」という指摘は、日本だけでなく、性交同意年齢や制限行為能力などの概念法制度に組み込んでいる全ての国家社会に対して「完全に思考が狂ってますよね」「論法に無理がある」と非難していることになりませんか

現在日本では、性交同意年齢(13歳)未満の男女と「性交等」をすることは法律で禁じられており、もしそうした場合、それが13歳未満の側の当事者主体的判断によるものであっても、相手強制性交等罪(非親告罪)で処罰されます。13歳未満の側の当事者には、必ずしも性交に関して正しく判断する能力が備わっておらず、その能力の不足による誤った判断不利益から彼らを保護しなければならない、とみなされているからです。これも「完全に思考が狂っている」「無理がある」論法でしょうか。

私はrag_enさんがそういうチャレンジングな主張を展開されるのは別に構わないと思っていますし、繰り返しそう申し上げてもいますが、だったらその主張はmuchonovという個人に向けて言うべきことじゃなくて、そうした法制度を運用している国家やそれを是認している国民に対して言うべきことなんじゃないかな、と思います。だから自分は、再三「rag_enさんのお考えを、広く世間に問えばいいと思います」と申し上げているんですけども。

あと、これはこちらの邪推ですけど、おそらくここでrag_enさんが問うべきだったのは、「性的自己決定権をめぐるパターナリズム的な人権制約の適用対象を決める上で、年齢という指標を用いて一律に決める(現在法制度に組み込まれている)方法と、ペーパーテストを行って免許付与するという(rag_enさんが提唱する)方法の、どちらが制度設計として筋がよいか」ということだったのではないでしょうか。そうではなく「パターナリズムという手段ではなくペーパーテスト免許制という手段を使えばいい」と主張されている姿勢から、rag_enさんのパターナリズムについての認識は、一般的用法とズレがあるように感じました。もし「そうではない」ということなら、そうおっしゃってください。

※ここでもし自分がrag_enさんを先回りして擁護するとしたら、「rag_enさんの言うペーパーテスト免許制という提案は、パターナリズム的な観点判断力が未熟な当事者保護するため)に基づくものではなく、その行為による他者危害リスクなどを鑑みて、本来無許可では行ってはいけない諸行為に対し、当事者能力知識技術総合的に認証したうえで特別アクセス権を付与するもの、つまり自動車免許医師免許に相当するものであるからパターナリズムにはあたらない」という立場は、かろうじて取りうると思います未成年児童が関わる性行為について、当事者不利益よりも他者危害リスクを先に考慮しなければいけない状況というのは自分には俄には思いつきませんが、まあそこはよしとしましょう。

しかし、そのような制度---国家国民の性行為に関わる知識判断能力ペーパーテスト弁別し、それが当局の定めた水準を満たしているかどうかによって、セックス権利を与えたり奪ったりする制度---というのは、自分国家による生-権力的介入・管理アプローチとしていささか度が過ぎていると思います。というか、「規律化による〈従順身体〉の構築」というフーコーテーゼをそのまま戯画的に具現化したような感じすらします。

また、自動車免許社会実装コストについてのrag_enさんの記述を踏まえると、rag_enさんは、その「セックス免許」の仕組みを社会実装するコストも、免許取得費用として「受験者」から徴収して賄えばいい、とお考えのように見えますセックスへのアクセス権を求める市民自身から試験料を徴収して、セックス免許センター受験者にテストを行って、合格者に免許を発行する。もしそういう制度運用イメージされて仰っているのなら、この構想が現行の法制度にある「年齢によるパターナリズム保護」の仕組みよりもメリットが多くデメリットが少ない現実的提案だと感じる方は、あんまりいないんじゃないでしょうか。もちろん、rag_enさんのような考え方の人たちが社会運動などを通してそのアイディアを人々に受け入れさせて、社会コンセンサスを変えていくことができれば、その状況も変化する可能性はあると思いますが。

https://anond.hatelabo.jp/20210805095853 に続きます

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん