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はてなキーワード: マクガフィンとは

2019-08-01

anond:20190731201424

ヒッチコック労働者たちがマクガフィンなるもの正体不明)について話しているのを聞いて生まれ言葉だが、

実際マフィンの聞き間違えかなんかだったのかもな

2019-07-24

中学3年生の姪っ子が今週末泊まりに来る

どうしよう

もう最後に会ってから3年経つ

東京大学生幻想を抱いてるっぽい

ポスターとかグッズは隠すとして

このマクガフィンをどこに隠そうか

2019-07-12

anond:20190712064426

マクガフィン (MacGuffin, McGuffin) とは、小説映画などのフィクション作品におけるプロットデバイス英語版)の一つであり、登場人物への動機付けや話を進めるために用いられる。特にスリラー映画で多用され、泥棒が狙う宝石スパイが狙う重要書類などがマクガフィン典型であるしかし物に限定されず、出来事人物などもマクガフィンに含まれる[1]。

なぜそれらを登場人物は追い求めるのか、作品内では殆どあるいは全く説明がなされないことが多い。マクガフィンあくま登場人物動機付けに用いられるため、内容そのもの重要ではないことから、他のものに置き換えてもストーリーが成立する。またマクガフィンは通常、物語の序盤で言及され、物語クライマックスで再登場するものの、その重要性が徐々に低下して最後にはその存在が忘れられることも多い。

2019-06-23

クリエーターにとって同性愛は都合のいいマクガフィンしかない

さらざんまい、ずいぶんと話題になっていますね。

原作品特有同性愛描写がいっぱい使われていますね。

でもね、これらの作品における同性愛って作り手にとって都合のいい関係しかないんですよね。

社会から迫害され理解されることそのものを拒絶された感情』の象徴として都合よく利用されているだけです。

同性愛理解して同性愛者たちの物語を描いてはいません。

あるのは『自分欲望社会バランスゼロサムゲーム様相なす状態での葛藤を描く』という目的だけです。

最初から同性愛者なんてどうでもいいんです。

都合よくそれっぽいものがあったから利用しているだけ。

引っ越しの時にドアを開けっ放しにするために、ドアの横に重しとして置かれた家電製品と何も変わりません。

それを見て同性愛者が「私達が理解されようとしている?」と期待感を持ってしまう姿はとても辛いです

見ていられないんです。

でもね、それを騙しているとは思いません。

勝手勘違いして勝手に裏切られた気になってる同性愛者が悪いだけです。

からって何も知らずに不意打ちされるのは可愛そうじゃないですか。

から私がこうして教えてあげているんです。

勘違いしたら、傷つくだけですよ。

2019-06-02

ゴジラKoM※見てきたか感想書く

KoM(キングオブモンスターズ


まとめ

人間ドラマいる?

これだけ騒いでこれで終わり?

メッセージは何なの?


ここから先はネタバレあり


まー最初に言いたいのは、怪獣ブンドドしたいのか、何か意味深な話がしたいのか、人間ドラマを描きたいのか、どれかに絞れよってことです。

包み隠さずに言えばマクガフィンメアリー・スー悪魔合体させた環境テロババアを暴れさせたのがただの舞台装置しかいかもっと手短にやれ。違うというなら単なる仲直りじゃなくてしっかり描けってことです。

もっと言えば、あのババアいる?

主人公気取りのオルカ一家が丸ごと不要だったとすら言えますね。ガメラシリーズゴジラシリーズにはちょくちょくああい家族が出てくることは確かにあるんですけど、それは怪獣映画子供向けであるが故になんか道徳的なシーン入れないと見せに来た親御さんがモニョるよねって要素の解消としての装置なわけでして、単におっさんオタクがうおおおおするだけのモンスタープロレスしかないならいらんのですよ。

ドラえもんでもなきゃクレヨンしんちゃんでもないんだから、ただただ怪獣が暴れてりゃいいんですよ。

AVに細やかなストーリーが求められてないのと同じですよ。

あの一家テロリスト活動を通じて何かを取り戻す過程なんてのは、映すにしても映像感をつなぐための接着剤として割り切って10分ぐらいでいいんですよ。

マジでね。

ババアいらね。

娘もいらね。

親父もいらね。

芹沢博士だけでいい。



んでまあ次に言いたいのはね、オチショボくねってことです。

ギガデストロイヤーと戦ってるわけでもないのにバーニングしだしたのはビックリしましたけどね。

でもそれやるならもうギガデストロイヤーやスペースゴジラと戦えよって話ですよ。

キングギドラが怪獣として最高なのは確かでしょうけども、この令和の時代世界中怪獣キングコングまで含めて叩き起こしてまで倒す相手としてはちょっとまだ足りないです。

結局はオーバーキルであっさり終わってましたし。

せめてメカキングギドラですよね。

最後にチラっとそんなシーンがありましたけど、あそこまでを開始1時間15分でやって、そんで最後バーニングしてたら最高だったんすよ。

ゴジラとギドラ死んだ→メカキングギドラ登場人類終わった→実はメカゴジラ作ってた→やっぱ勝てねえ→芹沢キングコングが犠牲になりゴジラ復活→メカキングギドラ+ファイヤーラドンvsバーニングゴジラ+モスラ+ガメラ

ぐらいのやりすぎ座組でやってこそのKoMでしょう。

怪獣大決戦にスタースクリームと化したラドンおまけしただけの話で終わられちゃ消化不良なんですよ。



そんでまあなんでこの映画が尺とスケールの割にオチがショボかったのかというと、ひたすら人間ドラマやってたからです。

それもまあ怪獣との共存とか未知との遭遇とか科学兵器開発とかよりもメインは、どっかの被災者家族が、頭おかしくなって暴れまわって娘がそれに振り回されてるうちになんかスッキリして和解、っていうただそれだけの話に尺を使いまくったからです。

なんですかコレ?

我々が映画館に払った2800円(3Dメガネ込み)は超弩級怪獣プロレスを見るための値段なんですよ。

突然リングに上がり込んできた裏方スタッフによる家族への手紙朗読会をブックと言い張って見せられても困るんすよ。

その時間があるなら話をもう一回り回転させろよってことです。

この映画の不満点はそこに付きます

最高クラス映像も、重量感も4DXとの完璧な相性も、原爆ゴジラ関係性へのリスペクトも、最高すぎるメインテーマアレンジや、しみったれ自衛隊なんてテーマソングすら関わらせてやらねえという割り切り方も、中学生教室でするような妄想幼稚園児がクレヨンでコンテにしたためたようなジャンクさも、全部、全部、この勿体なさが台無しにするんですよ。

なんで?なんでこんな素晴らしい映像を作れるのに安っぽい環境テロリストとヒスババアによるくだらん終末論物語の柱として居座ってるの?となってしまうんですよ!!

テロババアによる凶行なんてのは最初の1時間でかたをつけて残りは全部怪獣科学者による殺戮パーティーであるべきだったんですよ。

必要ないんです。

世界を滅ぼしたいテロリストはまだしも、愛を叫びながら地球を滅ぼしたがる頭お花畑のおばちゃんも、後悔することが仕事みたいな面した陰気なおっちゃんもいらないんですよ!


結論

映像 最高!

座組 おしい!

重量感 最高!

4DX 超最高!

リスペクト 最高!

ストーリー 💩💩💩

キャラ まあまあの💩

2019-05-24

『鳴鳳荘殺人事件』が許せない話。

やあやあどうもお前らこんばんは。

FGO最近全然やってないけどTLに冬木クリア条件のイベントがあるって流れてきたかシナリオ読んで来てその勢いで書籍版も買ってきたマンだよ。

*この先、FGOイベント及び書籍『惑う鳴鳳荘の考察 鳴鳳荘殺人事件』のネタバレ満載ですご注意ください。



さて。

俺はこの『惑う鳴鳳荘の考察 鳴鳳荘殺人事件』という小説が許せない。

ゲームシナリオの方はどうでもいい……って言ったら失礼か。とにかく。小説独自要素?小説の落とし?が許せん。


この小説は。消費者にとって、そして二次創作者にとっては福音かもしれないけど、一次創作者にとっては、間違いなく、呪いだ。

タチの悪い呪いだ。

物語る者の矜持を打ち砕いて、迷わせてしまうような、そんな呪いが込められている本だ。


どういうことだとお思いの方も多いだろうから説明をする。

この『惑う鳴鳳荘の考察 鳴鳳荘殺人事件』は、「脚本家が倒れたミステリ映画の続きを登場人物達が考える」という、メタミステリものだ。

個人的には『愚者のエンドロール』あたりを連想するところだけど、まあそれは置いといて。

作中では5つの「あり得たかもしれない未来」(ルート)が提示された。

ゲーム版では、プレイヤー達の「投票」によって、一番得票の多かったジャンヌ・ダルクオルタルートエリスルート)が選ばれ、"撮影"されたのだが、小説版では提示された5ルートの全てが一旦は"撮影"されたことになっている。


大まかなストーリー説明はこれくらいにして、俺の気に障った箇所についての説明をしていこう。

『鳴鳳荘』の冒頭には、ラストにも繋がる、とあるシーンがある。

おじさんが幼女大事な本を壊してしまい、図書館司書作中作の「映画」では脚本を務める)に修復を依頼する、そんなシーンだ。

ゲームではこのシーンは「映画」にうまく組み込まれるだけだったが(伏線回収は見事であった)、書籍版では、なんと、このシーンに対応するシーンがエピローグとなっている。

紆余曲折の末、壊してしまった「ペパーミントグリーン色の本」(ゲーム版の方で亡くなってしまったキャラのことを暗示してるらしいですね)を復元したおじさんが、幼女に本を返却する。

速読み始めた幼女は、ややあって、突然本を閉じてしまう。

「これはわたしの読んでいたご本とは違うような気がするわ。出てくる子たちや舞台は同じなのに、なんだか違う話を読んでいるよう……」

そう。

「不幸な事故」によりバラバラに壊れてしまった物語を、おじさんたちがなんとか修復し、意味の通じるようにページを繋ぎ合わせたが、もともとの物語とは全く違うものになってしまったのである

更に幼女は続ける。

「このままページを捲れば、本当の結末とは違うものが待っているんでしょう? それは……とても怖いわ」

これに対して、おじさんはこう答え、

「もし君にとって不本意な結末なら、忘れてしまえばいい。いや……」

「良かったところまで巻き戻して、そこから想像しなおせばいいんだよ」

最後に、こう読者に語りかけて、『惑う鳴鳳荘の考察 鳴鳳荘殺人事件』という「物語」は幕を閉じる。

登場人物感情物語上のマクガフィンを受け)「何より結果をもって、その選択肯定しようなんて……おこがましいとは思わんかね?

ちなみにこのおじさん自身は、世界史実在した人物テーマにすることが多いFateには珍しく、創作バックボーンもつキャラクターである。余談ではあるが。


俺には、おじさんのこの言葉が、呪いしか受け取れなかった。

創作者の、「物語る者」の役目は、責務は、自分の頭の中にぼんやりとある、つかみ所のない"話の種"みたいなものを、しっかり捕まえ、「物語」という形にして消費者に届けることである

もちろん、その過程で、いくつもの"語られなかった"可能性は摘み取られる。

でも、そうして、物語というのは"物語"になるのである


あり得たかもしれない未来ひとつを捨て、もうひとつ未来を掴み取るための主人公決断

見えかけていた可能性のひとつを捨て、別の可能性を選び取るためのヒロイン葛藤


世界にとってか、主人公にとってか、主人公の愛する者にとってか、はたまた悪役にとってか。

誰にとってかは不定しろ、とにかく、より良い「結果」を目指す登場人物たちの苦悩、死闘葛藤、そして決断

それこそが「物語」の本質だろうと、俺は思う。


から――

よりにもよって、そんな一次創作登場人物達に、「良かったところまで巻き戻して、そこから想像しなおせばいい」だなんて言わせるなんて、許せない。


「『本当の結末』なんてない」と主張するのは、「全ての結末は等しく同じ価値がある」のと同じことで。

それは、「本当の結末」のルートに辿り着くために主人公たち登場人物が払った犠牲を、抱えた葛藤を、定めた決断を、無価値である貶めることにはならないだろうか。

物語る者は、物語を創り出すと同時に、物語中の人物の"感情"も創り出す。

全部が嘘でも、主人公が、ヒロインが、登場人物が抱えた"感情"だけは本物で、そんな"感情"に人は共感するから人類有史以来物語を求め続けてきた。

そう、俺は思っている。


この『鳴鳳荘』は、ひょっとすればそんな「登場人物感情」は交換可能であり、等しく価値がある(≒等しく無価値である)。そう主張していることになりはしないだろうか。

だとしたら、俺は、この作品のことを許せない。一生根に持ってやる。



翻って、二次創作をする人たち(同人誌漫画を書いたり、pixiv小説を書いたりする人を想定している)からすれば、この「呪い」は間違いなく「福音」であろう。

というか、彼らが日頃からやっていることだろう。

あり得たかもしれない未来、語られなかった可能性を追い求め、掬い取り、自分の力で結晶にする。

だって二次創作したこともあるからわかる。

「こうだったらいいな」「あれがああだったらどうなってたのかな」

"if"を追い求めるのは、ロマンがあるし、楽しい。それはわかる。


でも、その楽しさは、「原作絶対」という前提あってこそのものではなかったのか。

公式で語られたことは全て「正しい」。その前提の上で、ちょっとだけ世界を歪めてみて、結末がどう変わるのか。

それを楽しむための、ただの思考実験ではなかったのか。

"全ての結末は等しく同じ価値がある"だなんて、俺にはとても思えない。



現実的なことを言えば、Fateがもともとマルチエンディングな"ノベルゲーム"という媒体から派生したものであることと、俺が抱えているもやもやは繋がっているのだろう。

ゲームセーブロードシステムが使えるから何回だってやり直しができるし、消費者プレイヤーはいくつも用意された結末を全て体験することができる。

それは素敵な体験かもしれないが、ある種「逃げ」である、かもしれない。

「選ばなくても結末に辿り着ける」あるいは「複数選択から複数を選べる」ことなんて、人生ではあり得ないのだから

2019-04-08

anond:20190408182217

まあなんていうか

まさに君みたいな感じで相手煽り続けるわけよ。それが女性専用車両増田の1番の目的で楽しみなの

から結局この人って何か特定政治思想が有るわけじゃないって思うの

女性専用車両」とかはマクガフィン

そんな人だから「こいつ煽りがしたいだけで思想はないな」と気づかせたら楽しみ終了でしょ?

そこはあいつも気を使うわけ

特定の一人にへばり付いて延々と「それは違うんじゃないかな」とか言い続ける感じ

それを繰り返せば今みたいに自動的にツリー伸びていくから

政治意見特にない

女性専用車両増田がよくやるツリーの伸ばし方。まさにこれ

2019-04-02

宝島観てるけど

宝島におけるマクガフィンは宝の地図

だがマクガフィンというのはいつでもさして重要でないもの

2019-02-01

anond:20190131003354

読んだけど意味がわからなかった

なんでロボトミー廃人になるのかわからんし、魂が月に到着云々は妹の妄想しかない

灰色のものマクガフィン?正体は明かされないし

なにより同性でのレズ関係のところはテーマ合致させるために無理やりぶっこんだ部分だよね・・・

2019-01-20

anond:20190120013003

マクガフィン」を、物語を進める上で重要なのにあまり目立たないモノ、とすると、

その反対から

物語上どうでもいいのに目立つモノ…かな?「ミスリード」?

2018-12-29

anond:20181227002831

ただのマクガフィンだったらいいんだけれど、

満を持して物語に登場して、謎が謎のまま終わるとすると、

ずっと気になって物語に集中できないし、

終わってからも、モヤモヤが残るので、

できれば、どこかで謎を明かして欲しい。

例えるなら、マジシャンミスディレクションされたのだけれど、

マジシャンマジックを見せてくれないまま舞台が終わったみたいな。

そんな感じ。

2018-12-28

[]マクガフィン

マクガフィン (MacGuffin, McGuffin) とは、何かしらの物語構成する上で、登場人物への動機付けや話を進めるために用いられる、仕掛けのひとつである

登場人物たちの視点あるいは読者・観客などから重要ものだが、作品構造から言えば他のものに置き換えが可能な物であり、泥棒が狙う宝石や、スパイが狙う重要書類など、そのジャンルでは陳腐ものである

2018-09-06

宇宙よりも遠い場所でだいたい批判が集まるところは大人南極隊員の行動原理希薄さみたいなところなんだけど

あれは全て舞台装置しかないっていうその仕組みにイラつくかどうかだと思う

これを雑と片付けてしまうかマクガフィンなんだと考えるかは人それぞれである

2018-05-02

プリチャンやべぇキャラだけで話作ってる

キャラ前提どころかシナリオが本当におまけ、キャラが何かするための触媒しかないしマクガフィンどころか本当にどんなどうでもいい事でもキャラさえ絡めば話が成立する状態

本当にもう全部キャラによるキャラのためのキャラクター消費なわけ。

プリパラもなんのかんのいって皆友だち皆アイドルというメインストリーがあってその上にキャラが乗っていたんだなあ。

プリチャンはエモくてバズって人気者になりてえがメインストリーからひたすらキャラキャラ押し出してればいいもんなあ。

いやまさかキャラクター消費の方向をとことん加速させてくるとは。

プリパラが全体の8割キャラ消費ならプリチャンは98%キャラ消費だわ。

キャラが動く所にストーリーがあり、ストーリーなんてものは雪の上に出来た足跡程度の結果論しかない世界

2017-10-30

恋愛シミュレーションゲームに「恋愛」じゃなくて「物語」を求めるなよ

恋愛シミュレーションしているんであって物語を読ませてるわけじゃねーんだよ。恋愛というアドベンチャー提供しているんであって物語がメインじゃねーんだよ。

伏線バリバリ整合性レトレのストーリーがお望みなら最初からそういうジャンルに行けよ。音楽や綺麗なイラストが目当てならサントライラスト集でいいんだよ。恋愛シミュレーション恋愛シミュレーションなの。そこを分かって。

パッケージ見て「このキャラ恋愛したいな」と感じた人が買うものなの。レビューランキングを見て「重厚ストーリーと評判だったので読ませて頂きたく馳せ参じました」って層は他のジャンル行けよ。これそういうのじゃないからね。

恋愛シミュレートする過程において発生した物語たまたま重苦しかったり人生観が変わりそうになるような話になったというだけなの。本質的には恋愛を楽しむのが目的であって、そのためのマクガフィンしかないわけ。そこをどうも勘違いしている人が多いね。年に100本やってレビュワー気取ってる層にもそういう人達が多いんだから困っちゃうなあもう。

2017-10-29

マリオオデッセイ失望した

発売早々あちこちで絶賛の声が聞こえるマリオの新作だけど、率直に言って私は大いに失望させられた。

操作感が気持ちいいとかヴィジュアルが素晴らしいとか褒める人はそういうところばっかり見てるけど、私が問題にしたいのは多分みんなが話題にするのを避けているストーリーに関してだ。

ストーリーというかピーチ姫の扱いについてなんだけど。

今時お話の始まりさらわれて、ずっと助けてーって言ってるだけのヒロインとかある?????

自立した人格が与えられていないってレベルじゃない。単なるマクガフィンと化している。強大な力を持つマジックアイテムに置き換えても何ら問題ない。

露骨女性をモノとしか扱わない物語展開で、ストーリーが進むたびに不快しかなかった。

そもそも任天堂という企業はそういう現代的な感覚希薄すぎない?

ゼルダの伝説もずっと主役は男性で、一応タイトルになってるゼルダ姫は添え物でしかない。

ポケモンは一応主人公性別は選べるものの、アニメ主人公はずっと少年だ。

カービーだって男の子

唯一期待のできるメトロイドサムスシリーズ自体キモオタにそっぽ向かれて最近出番がない。(メトロイドキモオタに人気がないのも、任天堂蔓延する男女差別意識とは無縁ではないだろう)

欧米の開発会社が作ったプレステや罰箱でプレイできるゲーム現代的な価値観アジャストしてむしろ男女や人種による差別戦闘を切って戦っている。

それに対して、任天堂の作るゲームの売りは操作感とかヴィジュアルとか、動物的な感覚に訴える「快感」ばかりで、新たな価値観を打ち出すことができていない。

気持ち良ければそれでいいのか?って感じ。

外側の皮が一枚違うだけで、肉体的な快感に訴えるという意味では国内で量産されている糞みたいなソシャゲーと大差はない。

はっきり言って幼稚だと思う。

こんなゲームが大傑作扱いされている時点で、日本人権意識欧米に追い付くのは相当先になるんだろうなと暗澹たる気分になる。

まあ没落国家だし、追いつくことは永久にないかもしれないけどね。

あーあ、そりゃ自民党が勝つはずだよ。

2017-04-30

飲み会敬語スーツサービス残業

ジャップランドには信仰がある。

この国は無宗教と語る人もいるがそれは違う。

この国には伝承がある。

沢山酒が飲めて、接待ゴルフが上手くて、スーツぴしっと決めて、敬語完璧に使えて、サービス残業バリバリやって、何を言われてもイエスと答える人間こそが、理想社会人であるという教えがある。

これは立派な宗教だ。

この宗教の中で、階層を生み出すためのマクガフィンの集まりによって、この国のビジネス構成されている。

そしてこの国の日常もまた、ビジネスマナー教の戒律により侵食されきっているのだ。

民明書房中世におけるジャップランド宗教観」より

2017-01-25

anond:20170125021323

あなたは、メインテーマとサブテーマ区別もつかないんですね。


えんとつ町のプペル』は夢の話ではない。

作者があとがきで、わざわざ太字にして懇切丁寧に説明してくれている部分をよく読んでみましょう。

えんとつ町は、夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる、現代社会風刺

この物語のメインテーマは、夢を叶えるために行動することです。

太字したり、同じ言葉を繰り返して強調していることが、作者がもっとも伝えたいことからです。


ちなみに、例の無料公開のページには、最後にこの言葉が繰り返されています

http://spotlight-media.jp/article/370505056378315909

他の誰も見ていなくてもいい。

黒い煙のその先に、お前が光を見たのなら、

行動しろ。思いしれ。そして、常識に屈するな。

お前がその目で見たもの真実だ。

あの日、あの時、あの光を見た自分信じろ

信じぬくんだ。たとえ一人になっても。


それから「信じぬくんだ。たとえ一人になっても。」言葉も2回繰り返されてますからね。

まり作者は、自分孤軍奮闘で夢を叶えるために常識破りの行動してる、とでも思ってるんじゃないでしょうかね。



友情(あるいは親子愛)の物語

友情物語である側面はありますが、それはサブテーマです。

なぜなら、プペルは作者があとがき

「夢を見る」「夢を語る」「行動する」といった、大人になる過程で皆が折り合いをつけて捨てたモノをまだ持ち続けているという意味で、主人公を《ゴミ人間》にしてみました。

と書いてある通り、「大人になる過程で皆が折り合いをつけて捨てたモノ」の擬人化であるからです。


プペルとルビッチ友達になるというのは、ストーリーの「表層」でしかありません。

「そこに込められた意味がある」ということを、作者はわざわざあとがきで 懇 切 丁 寧 に 説明してくれているのに、あなたには理解できなかったのですね。


西野氏が無料公開した理由は、2000円が出せない子どもいるから、と説明していました。

こんなに野暮ったく物語テーマを易しく丁寧に説明するあとがきを書くのも、子どもに対して向けたものなら仕方ないかな、とも思ったのですが、あなたにはもっともっと丁寧な説明必要だったようですね。


親子愛についても、これもサブテーマです。

父親ペンダントを見つけるために物語は進んでいきますが、これを「マクガフィン」と言います


そして、父親について語られる描写は、次の部分のみです。

「……ぼくの父ちゃんが、その『ホシ』をみたんだ。

とおくの海にでたときにね、ある場所で、頭のうえの煙がなくなって、

そこには光りかがやく『ホシ』がたくさん浮かんでいたんだって

町のひとはだれも信じなくて、父ちゃんうそつき呼ばわりされたまま死んじゃったんだ。

でも、父ちゃんは『煙のうえにはホシがある』っていってね、

ホシをみる方法をぼくにおしえてくれたんだよ」

まり父親は煙で覆われた閉じられた狭い世界のえんとつ町(言うまでもなく現代社会メタファーですが)を飛び出して、外の世界で「ホシ」を見た(夢を叶えることのメタファー)という存在として描かれています

あとがき言葉を使うと「常識に屈せず」、夢を叶えるために行動した「モデル」として描かれているだけで、愛してくれた父親としての思い出が語られるような描写はありません。


これを親子愛の物語だというのは、「天空の城ラピュタ」が親子愛の物語だと言っているようなものですよ。


私にもお話しする相手には「下限」がありますので、あなたへのお返事はこのへんで終わりにしておきます

無視された時には、自分に落ち度がないか、少しは考えてみてくださいね

もう少しまともな反論ができるようになったら、またお相手してあげますよ。

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