はてなキーワード: 中立的とは
①から続く
https://anond.hatelabo.jp/20220714042431
あずまん、震災まであんたはおれにとってののヒーローだったよ。
今でも方向性こそ違えど、当然意味のあることをやっているのだと思ってたよ。
それがまったく転向したならまだいいけど、今でも誤配とか言ってるらしいじゃん。
かっこつけて「誤配の可能性を意図的に高めていかなければならない」とかさ。
福島の郵便をあんたはそもそも受け取ろうとも思っちゃいなかったろう。
本当にがっかりだ。
「外国人のカルト宗教団体が政府やメディアなどを支配して、奴らは自分に都合の悪い情報を隠蔽している」というとても公的な言葉とは思えない言葉こそが公的に働いて、「テロリズムに屈してはならない」という言葉が私的なものとされる状態がどれだけ「例外的」であるかは、おれなんかよりあんたのほうが余程うまく説明できるはずだろう。なのにそれができてないのは、いまのあんたの目に「友か敵か」の区別しか映ってないからじゃないのか。
大塚英志との2007年の対談ですでにあんたはこんなていたらくだった。
東 (略)ちなみにぼくは南京虐殺はあったと「思い」ますが、それだって伝聞状況でしかない。そういう状況を自覚しているのが、大塚さんにとっては中立的でメタ的な逃げに映るらしいですが、それはぼくからすれば誤解としかいいようがない。
大塚 南京虐殺があると思えるんだったら、知識人であるはずの東が何故そこをスルーするわけ? 知識人としてのあなたは、そのことに対するきちんとしたテキストの解釈や、事実の配列をし得る地位や教養やバックボーンを持っているんじゃないの?
東 そんな能力はありません。南京虐殺について自分で調査したわけではないですから。
大塚 でもそれを言い出したら何も言えなくなる。(略)とにかく、東浩紀っていうのは、結局は人は何も分からないって言ってるようにしか聞こえないよ。
東 ある意味でそのとおりです。
大塚 君が批評家であり知識人であり、言論人である、という事実は客観的な事実としてある。でも、なぜそこで、君はスルーしちゃうようなものの言い方をするのか。つまり君が言ってることって言うのは、読者に向かって、君は何も考えなくていいよと言っているようにぼくにはずっと聞こえるんだよね。
東 ええ、それは、そういうふうにぼくはよく言われているので、そういう特徴を持っているんだと思います。
東 (笑)そうではなくて、大塚さんの批判は僕という人間の全体とかかわってしまっているので、その部分だけを取り出して修正することができないんですよ。そう答えるしかないでしょう。
(『リアルのゆくえ』p210-1)
2007年から2022年まで一歩も動いてないじゃん。「南京大虐殺」が「統一教会」に変わっただけで、しかも大塚と全く同じことをまた町山智浩や天原誠に怒られてんじゃん。
おれは『リアルのゆくえ』のあとにあんたが秋葉原と震災をへてどういう風に変化したのか詳しくは知らないけど何となくは生存確認的に見てたつもりだったよ。でもこのあまりに文字通りに十年一日なあんたを見ると、遠くから見ててもあんなに東浩紀という人間が慌てふためいていたのは何だったんだろうとは思う。たとえば大塚こそ数十年一日だ、という反論は可能ではあるが、大塚は自分がロートルと呼ばれようとも気にしないだろうけど、あんたはそういう人じゃないじゃん。あんたは大塚よりははるかに腰の軽さを身上とするひとでしょう。
で、しかも単なる十年一日ならともかく、どう見たって劣化してるわけじゃないですか。15年前の大塚に対しては一応はていねいに理解を求めていますが、福島に対しては言ってもいないことで批判してよしとしているわけでしょう。知的サボタージュが過ぎる。
あずまん的には震災や秋葉原以前と以降でオールド東とニュー東で別人になったつもりかもしれないけどさ、もう見たように全然変われてないんだよ。あずまんが自分でも認めるようによくやってた「Aは前半と後半で思想が断絶したとされているが、前半における問題に対して真剣に向き合うと、必然的に後半のような思想にならざるを得ない」という思想戦――露骨に言えばパイの奪い合いの論理――を仕掛けられる側にあずまんはなったんだよ。
で、あんたはそういう状態において絵図を書くことを=想像力を働かせることを得意としてきたはずなわけだ。たとえば15年前は「思う」とわざわざ私的な語にすらかぎ括弧をつけないと突っ込まれる、危ないと「思った」わけでしょう。不毛なメタゲームと言えば言えますが、でも一貫してたし、必要なことだった。
でも、もう素朴に「思う」ことが許される立場じゃないんだよあんたは。……もちろんこの論理だって十分に決断主義的で正しくない。でも、「責任を持てない」という主張は、責任を持たないのに持ってるふりするよりはずっと倫理的だと思うよ。
あずまん、あんたはおれのヒーローだったよ。きっとおれはあんたみたいになりたかったし、なりたいんだと思う。だからさ、いまのあんたを見てると「お前の人生は、お前の世界は最大限にうまくいってもこんなもんだ」と、それもヒーロー自身に言われてる気がしてすごいつらいんだ。たのむよ、俺が50過ぎになる20年後くらいに思い出す意味のあるひとでいてくれよ。すくなくとも、いま35歳に向かわなきゃ行けないおれにとって、20年前のあんたの仕事は、とても助かってるよ。だからさ、頼むよ。
仁藤夢乃氏が安倍晋三氏の事件について以下の発言を行い、それがよろず~ニュースに【活動家・仁藤夢乃氏、射殺された安倍晋三氏は”自業自得”と主張 参院選での「女性の権利」軽視にも怒り】というタイトルで取り上げられた、というのが経緯になっています。以下のリンクはkoo-sokzoeshkyさんの投稿からコピペしたものです。
発端ツイート: https://twitter.com/colabo_yumeno/status/1545410438724079618
報道への抗議ツイート: https://twitter.com/colabo_yumeno/status/1545658398632357888
上記のブクマ: https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/colabo_yumeno/status/1545658398632357888
「普通に要約すると自業自得と言っているようなもんだと思うが…」というコメントがあったりしたので、ちょっと自分の意見を整理して伝えることができればと思いここに書くことにしました。端的に言えば、言葉には内容とニュアンスの二つの要素があり、後者はどうでもいいというわけではないし、このようなやり方を正当化してしまうと、社会の分断を深めることになるだけではないか、ということを説明していこうと思います。
言葉には実質的な内容と、それをどう表現するかというニュアンスがあるわけです。例えば
という二つの発言があるとします。どちらもBさんの知性に疑問を投げかけるものですが、そのニュアンスは全く異なるわけです。前者の発言を第三者が”要約”して、後者のように書いたとしたら、それは言葉にあるニュアンスを完全に無視していると言えるでしょう。
昨日今日で見つけた例をあげて説明できればと思います。これは元警視総監が今回の事件を受けて、警察の警備体制にしてコメントしたものです。タイトルは【安倍元首相銃撃 元警視総監「警察の失態とも言える」】となっています。
記事へのリンク: https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220710/k10013710221000.html
中身を読んでいると、米村敏朗元警視総監は最初の段落で文字にすると119字になる発言で「無事に警護を終えられれば100点だが、失敗であれば0点という結果がすべての世界だけに、今回の結果は警察の失態とも言える」と述べています。記事の見出しは最後の言葉を取ったものになっているわけですね。ではここで発言を引用する代わりに”要約”してみましょうか。
などはどうでしょう?これは米村氏の発言の要約として間違っていないと思います。しかしこれは元警視総監のニュアンスとは大きく異なるものです。前者の見出しで記事にしたら、少なくとも彼は警察関係者からは顰蹙を買うでしょうね。彼は立場上、そこまで強い発言はしたくないし、記者はそういうことをくみ取って刺激的ではない言葉を選んできているわけです。このように、仮にそれが内容の要約としてはアリだとしても、それがニュアンスを正しく伝えているか、また見出しとして適切なのかは全く異なるわけです。
少なくとも僕にとっては”自業自得”という言葉のニュアンスは原文とは大きくずれたものであると思います。一般的に”自業自得”だという言葉は非常に断罪的で、攻撃的なニュアンスがあります。仁藤夢乃氏は安倍氏の事件に安倍政治が何らかの役割を果たした、ということは間違いなく主張していますが、それと”自業自得”という言葉には大きく距離があると思います。このようなニュアンスを無視した要約はアクセス数を稼ぐにはいいでしょうが、野党の議員(塩村あやか氏)に「おまえが撃たれればよかったのに。テロリストは撃つ相手を間違えた」というようなメールが届くような現状においては、次なる暴力を招きかねない釣り見出しで、限りなく不適切だと思います。
左右の立場に関わらず、私たちがニュースに求めるのは発言の内容とニュアンスを正しく残した中立的な見出しのはずです。よろず~ニュース側がすぐに記事を消したことからしても、彼らは自身がしたことをわかっていると思います。このような釣り見出しを正当化することは、どの立場においても憎悪を煽り、分断を広げることになります。発言に対して真摯な批判を行うためにも、メディアにおいてなるべく正確な見出しが出てくることを望みます。
なんかこんな機能がついたらしい
https://search.yahoo.co.jp/realtime/search?p=SP&ei=UTF-8&mtype=
https://search.yahoo.co.jp/realtime/search?p=kddi%E7%A4%BE%E9%95%B7
https://search.yahoo.co.jp/realtime/search?p=%E5%9F%B9%E9%A4%8A%E8%82%89&ei=UTF-8&ifr=tl_sc
(30日でソート)
https://anond.hatelabo.jp/20220611070753
なかなか面白い指摘。言われてみると確かにニュースで「誰誰は何々と主張し~~」とか聞くと、これは正当性のない発言なんだなと感じるとまではいかないものの、突き放したニュアンスを感じるところはある。
一方でブコメでも指摘されているように受け手側が勝手にそう感じてるだけで表現自体は中立だろと言われるとまあ確かにそうかもなとも思う。
というわけで、実際のニュースで「主張している」という表現がどう扱われているのか調べてみた。
調査方法はNHK NEWS WEBで「主張」で検索し、ヒットした46件の記事の中で「主張」という表現が用いられている主体(主語)が誰かを記録していくという原始的なもの。
ちなみにひとつの記事中で複数回「主張」という表現が使われていてもその主体が同じなら重複してカウントはしていない。また、誰かの発言内で「主張」という表現が出てきてもその表現を選んだのはNHKではないためノーカンとした。
結果、「主張」という表現の主体として複数回出てきたのは以下。
・ウクライナ…6件
・中国…3件
・北朝鮮…3件
1回だけ出てきたのは以下。
・ブラジル
・トランプ氏
ちなみに言うまでもないが特定の国の政府関係者なら大統領だろうが大臣だろうが大使だろうが全部その国としてまとめてある。
この結果を見た感想としては、やっぱり最初に書いた「突き放したニュアンスを感じるところはある」という感覚はわりと正しそうに思える。
ロシアの数が多いだけでなくウクライナもかなり多いし、裁判の際に頻繁に用いられるところから見るに、対立がある場面で距離を置いて客観的立場から記述したい場合によく用いられる表現が「主張している」なんじゃないかな。
そして「主張している」がニュートラルな表現なのかバイアスのある表現なのかだけど、自分ははっきりとバイアスのある表現だと結論付けたい。
なぜなら、上のリストの中に日本やアメリカは全く含まれていない。ニュートラルな表現ならこうなるはずがない。日本やアメリカの政府関係者の発言は日本のニュースでは数多く報道されるものであり、その数は中国や北朝鮮のそれよりも多い。仮に「主張している」がニュートラルな表現だとしたらこんな差は生まれるだろうか?
日本やアメリカの政府関係者の発言を伝えるNHKのニュースを見ると「述べる」「指摘する」「考えを強調する/示す/明らかにする」という表現が多く用いられているが、その中には「主張する」に置き換えても通じるものも多くある。でも「主張する」は全く使われていない。
というわけで、増田の「主張している」という表現は中立的なものではないという感覚は正しい。
ただ、正当性のあるなしで使い分けされているというのはちょっと違って、使い分けのベースは距離感だろうと自分は考えているけど。
最近ニュースで「○○は△△と主張している」という言い回しをよく聞く。
そのたびに、この「主張」は正当性が無い言動なんだな、と言外に込められている意味合いを感じるわけだけど、
元々の「主張」っていう言葉は、「青年の主張」的な、強いメッセージ性を持つ言動のことだと思ってたんだけど、
最近の「主張」という言葉の、正当性の無い言動を揶揄するような使い方って、いつ頃から生まれてきたんだろう。
「主張」って言葉のベースが、メッセージ性の強さじゃなく、正当性の無さになったのは、いつ頃からなんだろう。
(追記)
うーん。
hesopennです。私はある誤解をしていたので、それを説明しておきます。私は指摘されるまでBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)は指摘されて追記したのであり、最初は無かったことに気付いていませんでした。さすがに発表されてからこんな短時間で批判と修正が入っているとはちょっと想像していませんでした。申し訳ありません。この誤解をしていた旨を堂々とここに追記しておくべきでした。またそのような誤解を読者に与えていたのであれば(与えていたと思います)申し訳ないです。
とはいえ、手嶋氏に論文を読み、それを説明する資格はない、という意見に変わりません。無査読の論文を大々的に紹介し、それの結果に反するトップジャーナルに掲載された論文を提示されたにもかかわらず、あたかもそれが重要でないような(その論文が元の論文と食い違うことも述べず)扱いをすることは研究を自分の目的のために恣意的に歪めて紹介する行為だからです。修正したといっても、最後に「実際のところ、社会統計から「ポルノが性犯罪を引き起こす!」と主張する研究者は、もうほぼ絶滅しているわ。」という文章は残っています。これは明らかに間違いであり、Bhuller et. al. (2013)の結果を(経済学の研究の蓄積において明らかに重要であると判断されているにも関わらず)無視する行為です。経済学という学問の正しい理解を妨げ、学問を政治化する人間に論文を扱う資格はないという意見に変わりはありません。
手嶋海嶺氏の 「性的表現と性犯罪/性的攻撃性」の関係~最先端の科学的知見に迫る~ (https://note.com/teshima_kairei/n/nb86567d83298) を読みました。この文章では私は手嶋氏は完全に知的誠実を欠いていることを説明します。手嶋氏は自分の結論に合う論文のみを子細に説明し、それに反する論文を軽視しています。
手嶋氏の論考では二つの論文を軸に性的表現と性犯罪/性的攻撃性の関係について考察をしており、前半はKendall (2007)の解説に紙幅を割く構成になっています。Kendall (2007)は学術的にそこまで重要な論文なのでしょうか?手嶋氏も述べていますが、この論文はUnpublished Manuscriptです。いわゆる査読されていない論文で、2007年に発表されたものが最新のものです。経済学においてはまだ査読されていない論文をWorking Paperという体裁で発表することはよくありますが、2007年の論文が2022年まで査読されず残っているということは、一般的には著者の個人的な事情(アカデミアを辞めるなど)か、その論文に問題があるということを表しています。
このKendall (2007)を詳細に紹介した後、手嶋氏は手短に、その手法に問題点が指摘されていることをBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)を引用して述べています。この四人の著者からなる論文はReview of Economics Studiesという、経済学のいわゆるTop 5の雑誌に掲載された論文です。Unpublishedのまま2007年から更新されていないKendallの論文と、RESに掲載された2011年の彼らの論文、どちらがより信用に足るかと言われれば、事前情報なしでは経済学者の100人中100人が後者と述べるでしょう。では、なぜ手嶋氏はKendall (2007)の中身だけを扱って、Bhullerらの論文の内容を紹介しなかったのでしょうか?
それはBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)がポルノの消費の増加によって性犯罪が増加したことを示唆する論文だからです。この論文ではノルウェーにおいて、インターネットが普及した地域においてレイプ、およびその他の性犯罪が増加したことが述べられています。そしてAbstractの最後では、”Our findings suggest that the direct effect on sex crime propensity is positive and non-negligible, possibly as a result of increased consumption of pornography.”、つまりインターネットによって性犯罪は増加したことが示唆され、おそらくそれはポルノ消費の増加によるものだろう、とまで述べられているわけです。
追記:ここではPossiblyという表現をおそらく、と訳すのは不正確でした。もしかすると、という表現の方が適切だったと思います。ただこのこと自体は私の主張を崩すものだとは思っていません。詳しくは(https://anond.hatelabo.jp/20220607234113)を見て頂ければ幸いです。
このように、手嶋氏はなぜかKendall (2007)という査読されずに15年も経っている論文を子細に扱いつつ、Bhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)という経済学のトップジャーナルに掲載された論文を無視しています。百歩譲ってKendall (2007)が重要な論文で、説明する価値があるにしても、それと相反する結果が出たBhullerらの論文の結論を述べず、手法に問題点が…と曖昧に引用するのは全く理解できないことです。これこそ手嶋氏が誘導したい結論に合致する論文のみをとりあげる、知的誠実さを欠いた行いです。
追記:一番上の追記で述べたように、私は手嶋氏が初稿で両者の論文を把握していると誤解していました。実際には指摘を受けて追加した、ということのようです。しかし本稿の趣旨、意見に変わりはありません。その点については一番上の追記を見て頂ければ幸いです。
本来であれば、なぜこの二つの論文の結果が食い違うのかを考察し、そのうえで自分の主張を説得力がある形で述べるべきです。手嶋氏はあたかも科学的、中立的であるような風を装いながら、自分の意に沿う、決して評価が高いとは言えない論文のみを詳細に取り上げ、学術的に評価が高い論文を軽視(無視)しています。またそれにより、あたかもこのテーマについて学問的なコンセンサスがあるような、間違った印象を読者に与えています。このような行為は学問への冒涜であり、科学と対極に位置するものです。
手嶋氏には論文を読む、ましてやそれを基に文章を書く資格などありません。
Kendall (2007) : http://pirate.shu.edu/~rotthoku/Liberty/internet%20crime.pdf
Bhuller et. al. (2013) : https://doi.org/10.1093/restud/rdt013
追記:
「手嶋氏は指摘を受けて修正した。だから誠実ではないか」という意見があります。これは大きな間違いです。Kendall (2007)は未査読のまま15年経った論文であり、Bhuller et. al. (2013)は査読を受け、一流の雑誌に載った論文です。この二つの論文の信頼性には雲泥の差があります。この二つの論文を対等に扱うことすらおかしいのです。ましてや手嶋氏のようにKendall (2007)のみを子細に取り上げることなど、常識的な研究倫理を持つ人間ならまずありえないことです。
そして修正された文章を見ても、そもそもBhuller et. al. (2013)がKendall (2007)と異なる結論を導き出していることは読み取れません。私は最初、おそらく多くの読者と同じように、Bhuller et. al. (2013)はより洗練された手法でKendall (2007)と同じ結論を導いたものだと理解していました。手嶋氏は明らかにBhuller et. al. (2013)の結果を隠し、間違った印象を読者に与えることに固執しています。この追記はあくまでお茶を濁し、読者の誤解を誘うように書かれています。
繰り返しますが、手嶋氏が真に知的に誠実な行いをしたいのであれば、Bhullerらの論文を吟味したうえで、それでも自分の主張が正しい、もしくはKendal (2007)のほうが説得的な論文であることを議論すべきです。そうでないなら、経済学という学問の価値規範に沿って、未査読のKendall (2007)ではなく、Bhuller et. al. (2013)のほうを重点的に解説すべきでしょう。失礼ながら、手嶋氏は経済学の専門的な教育を受けていないようなので、これらの論文を理解し、その信ぴょう性を比較する能力があるとは思えませんが…。
ちょっと細かい論点(および追加的な説明)について追記しました。ごちゃごちゃしてすいません。
https://anond.hatelabo.jp/20220607234113
追伸:
はてなブックマークを見たところ、この問題点を指摘しているのは私だけのようです。研究者としての訓練を(修士にしろ、博士にしろ)受けたものであれば、Unpublished Manuscriptを子細に取り上げ、トップジャーナルに掲載された論文を軽視するやり方に一目で違和感を抱くはずだと思います。このような初歩的な問題点を無視することもまた、知的怠慢であり、知的誠実さの欠如でしょう。
アメリカテキサス州で、実質、人工中絶が不可能になる州法が成立したらしい。
まず、これに関するリアクションのうち、それは間違っているよ、と言う諸々を指摘する。まず、この州法が違憲、あるいは脱法的であると言う見解について。
そもそも合衆国憲法で、中絶権の規定は無い。今日の妊娠中絶合法化は連邦議会レヴェルでの立法措置も経ておらず、1972年のロー判決を根拠としている。レンクイストとホワイトは、ロー判決に関しては、「司法による立法措置」であることを理由として、ロー判決に反対している。
つまりそこにあるのは、司法解釈であって、法律や明確な憲法規定ではないわけだ。だからそもそも「違憲」になりようがないし、脱法的にもなりようがない。そして司法解釈に過ぎないから、司法解釈で変更され得る。現在の最高裁に今回のテキサス州法の案件が回れば、ほぼ確実にロー判決の司法解釈は棄却される。
「違憲だ」「違法だ」と言うけど、保守派は法廷闘争を待ち望んでいるのだ。法廷闘争になれば、負けるのはリベラル派であり、そうなれば「違憲だ」「違法だ」と指をさされるようになるのはリベラル派の人たちであり、人工中絶した女性はめでたく犯罪者だ。
ここ40年、おおむね最高裁は保守派優位で推移してきたけども、ロー判決を廃棄できる機会が何度かありながら、それが出来なかったのは、レーガンに指名されたオコナー、ケネディ、スーターの3判事が、最高裁陪席判事になってから、スタンスを保守派からリベラル派に変えてしまったせいだ。そもそも合衆国憲法自体がリベラルなので、ごりごりの保守派とみなされていたスカリアでさえ、憲法原理主義的な解釈をする人なので、判決としてはリベラルになることもあった。
それの前例も踏まえて、今の保守派判事たちは、かなり強固な保守派が選ばれているので、最高裁長官の職務にあるロバーツが職責上、敢えて中立的なスタンスをとることもあるのを除けば、リベラル寄りの判決を出すことはまずあり得ない。今は最高裁は6対3で保守派が優勢なのだ。
保守派にしてみれば、法廷闘争ばっちこい、と言う感じである。とはいえ、その6対3の保守派優勢の最高裁が、トランプが要求したオバマケア違法化にはNOを突き付けたように、100%党派的な思考をとるわけではないが、中絶は、命の問題だから、そうそう簡単に妥協する余地も無いのだ。
中絶に関する議論で、男女平等と言う観点から、もっと言えば「男も逮捕しろよ!」的な意見から立論する人もいるが、根本的にその人たちの論理が間違っているのは、これが公共の福祉の調整案件だと言うことを認識していない点にある。胎児の人権と女性の間での公共福祉の調整案件が発生しているのであって、そこには男性の権利と調整しなければならない必然性は全く無いのである。
これは言うなれば、過去の徴兵制における男女不平等が、「機能的な軍隊を必要とする政府の必要」と「徴兵されることによって著しい負荷がかかる男性の諸権利」との間に発生したものであって、それは男女不平等ではなく、「女性は関係がない」案件であったのと同じことである。ロジカルにはそうでもあるし、歴史的に言えば、徴兵制のように女性には他人の命を犠牲にして、法益を享受してきたと言う「実績」もある。
言ってみれば中絶禁止は、「女にとっての徴兵制」であって、徴兵制の名のもとに、徴兵された男性たちの「戦死」を見守って来た女性たちには、「女にとっての徴兵制」自体を批判するロジカルな資格は無いのである。
そして、中絶に関して言えば、どこからがヒトとみなすかと言う難しい問題はあるにしても、1月1日13:00に新生児が誕生するとして、13:01に新生児を殺せば殺人で、12:59に”胎児”を殺せば器物破損に過ぎないと言うのは、機能的にも倫理的にもかなり無理がある。自然着床した受精卵にヒトと同等の、あるいはそれに準じる人権を想定するのは、最も無理が無い解釈だろう。放っておけばいずれヒトに至るのだから。
そして胎児や受精卵はDNAが違うので、女性の一部ではないし、女性の付属物でもない。他人の命を女性に無条件に与えていいのかと言う問題でもある。
胎児の人権(生存権)と女性の身体自由権を比較した場合、どちらが重篤な損害を被るのかと言えばそれはもう生存権であるのは間違いないので、人権を重視すれば重視するほど、中絶は違法化する以外には考えられない。この袋小路を女性が逃れ得るとすれば、「胎児はヒトではない」とするか、より根源的な人権思想ではなく、単なる女権思想を至上としてその上に立脚して「女性に損害をもたらすから中絶禁止こそが違法である」とするしかないのである。
どちらもナチス的なファシズムに陥っている。つまり機能的には既に自立しているような胎児に対しても、ヒトではないと規定し得ると言うことは、障碍者、LGBTQ、ユダヤ人などをヒトではない、少なくとも生存が許され得るヒトではないと規定出来る権能を、政府社会に与えると言うことである。人権思想の上に女権思想を置くことは、ナチズムそのものである。
宗教保守から中絶禁止の動きが一方的に起きているわけではなく、リベラルの内部においても、人権思想の観点から中絶には批判がなされていることには留意すべきである。
とはいえ、強姦の結果としての妊娠出産まで強制するのはプロライフ派の大多数にとっても本意ではない。それは、性的被害の記憶と結果が多大な負担と共に長期化し、心身ともに女性を生存レベルで危険に追い込むことに他ならないからである。この場合は「緊急避難」が想定されるだろう。誰も他人の命を救うために、死や死に等しい損失を甘受する義務はないのだ(徴兵制はこの意味でも、最も過酷で最も非人間的な強制であった。そして女性はそれを放置していた)。しかし現実の中絶案件のほとんど、かなり緩く見積もっても95%以上は、強姦案件ではない。性行為をしなければ防げるものであるし、避妊器具を用いれば防げるものであるし、ピルを飲んでいれば防げるものであるし、アフターピルを用いれば防げるものである。数多くのルート回避の方法があるにも関わらず、それらの回避をしなかった結果の妊娠中絶である。当然、胎児の生存権を上回る法益性がそこにあるとは考えにくい。
私は、強姦案件での中絶は合法、それ以外は違法、とするのが妥当だと思うが、その妥当な落としどころが「女性の身体権の絶対性」主張派とは築くことが出来なかったがために、より人権原理的な立法措置が、アメリカやヨーロッパでも徐々に取られつつあるのが現状である、と言う認識である。
応答ありがとう。
知らないで話してる人も大勢いるよね?
まあそこに関しては否定しないけど、少なくとも私は知っててあの増田を書いたので、「表現の自由戦士は当然のようにBL18禁問題知らないんだね」って言われたら「ん? 俺に向かって言ってる?」って思っちゃったわ。自意識過剰ですまんな。
そして本文、なんか色々言ってるけど同じコーナーにしたらいいじゃん!はい解決!でだいたい済ましててそれを実際に負担する書店の現実的な問題点が見えてなくない?
コーナーを一緒にすれば不審者が減るというのも短絡的、不審者からしたら自分も気軽に入れて店員から死角になるって反論されたらどうするの?
(あんま杞憂する風潮は好きじゃないけど、こうしたらいいのにしないだけって考えはあなたの押し付けであって何も解決してないと思う)
これに関しては、まあぶっちゃけゾーニング反対派だから原理原則論を唱えて事足りると思ってるというのはある。設置に反対してるコーナーなので。R-18が別コーナーに隔離されるのはそもそも不当だけど、仮に隔離するとしたら別に一緒にまとめればいいじゃん? みたいな感じ。
それにしても、コーナーを別にするの、そんなに重要か? たとえば現在の書店では、私はエグめのBLが置かれてるコーナーまで行こうと思えば普通に行けるし、何なら商品を物色することもできるわけで。たまに少女小説系の文庫本を買いたくなったときは普通に女性向けエロ本の棚の近くも通ってるし、気が向いたら表紙を眺めてるよ。だから一緒のコーナーで何が問題なのかピンと来ないんだよね(もちろん、コーナーは一緒でも、棚まで一緒にしろとは言ってないよ。だいたい検索性が悪いし)。
加えて、既述の通り、実際に知り合いにBL読みの男がいるので。彼のような人が普通にBL売り場で商品を物色できるような仕組みが望ましいと思う。
あと私はR18化に賛成してどうやったらR18にできるかを話しててだからBLを規制しないでとは言ってないんだよね
ゾーニングをもっとしてほしいという考えとゾーニング反対派で根本的に全然違うよね?それをゾーニング反対派じゃん!認めろ!って突っかかられても困る
この点についてはあなたが立場を明示せず現状を説明しているだけなのにそれを肯定であるかのように捉えて突っかかってしまいすまない。
単純に誤読、R18コーナーに学生を入れろじゃなくて規模から考えてBLを丸ごとR18にするとR18に相当しないBLを学生に売れなくなってしまうという意味、ひとつの書店でそんなに多くのBLを扱っていないことも多い
これは確かに誤読だった、失礼。こちらも元増田では「BLのうち、R-18に該当するであろうもの」だけを指して規制について話していたつもりだったけど、確かにBL全体をR-18にしろと言っているようにも読めてしまうな。反省。
で、仮にゾーニングを肯定するとして、R-18に相当しないBLはもちろん学生向けに売り続けていいと思うけど、「仮にゾーニングを是とするなら」まず18歳未満の学生にR-18のBLを見せない方が優先度高いと思うんだよね。残りのBLをどうするか、はその次でしょ。なんでゾーニングをするのかって、それは子供たちも含む望まない人たちに不意に見せないようにするためなわけだから。
あと、東京都のガイドラインだと「高い棚に置く」とか「仕切り棚を設置する」とかもOKらしいね。
三 陳列棚の指定図書類等を陳列しようとする各棚板の前面と直交する鉛直面上に、当該棚板の前面から10センチメートル以上張り出した仕切り板(透視できない材質及び構造のものとする。)を設け、指定図書類等を、仕切り板と仕切り板との間に陳列すること。
仮にゾーニングを是とするにしても、たとえば低い位置の棚には性行為の描写がないマイルドなBLだけを陳列する、というのも有り得、それならまあそこまで大変じゃないんじゃないかな(もちろん本来はこんなゾーニングの義務なんてなくすべきだけど、あくまで現実を前提にした妥協案としてね)。
私は原則派だけど、書店が個々の裁量で子供の手に取りにくい場所にアダルト系の商品を置くのは流通が阻害されるわけでもないしその気になれば手に取れるわけだから許容する。ゾーニングの義務に反対しているだけで、個別の書店がどんなふうに商品を置くかはその店の自由だと思うので。もちろんR-18のBLをドドーンと子供の目につくところに平積みにする書店があってもよい。
これはただ恥ずかしいという意味ではなく男性と世間からの扱いが違うから困るという意味がある
からかいや視線など、嫌がらせもありえるしつきまといが発生するリスクもある
その上でコーナーを作るべきという話と男性だって同じなのにという感情論は比べ物にならない、同じではないから問題にされてるのに同じなのにと言っても意味がない
私はマッチョ思考なので問題ない!売れ!と思っているが多くの人が男性と女性で状況が違うことくらいわかっているのに男も同じだと言い切る傲慢さにもそれを男女平等という卑怯さにもげんなりする
まずもって、法律や制度は性に対してなるべく中立であるべきだと思うんだよね。もちろん、月経や出産みたいに生物学的事実によって違いが生じてる事柄に関しては片方だけに特別な手当てがあっても仕方ないけど、基本は制度は中立の方が良いでしょう(たとえば強姦罪が強制性交罪に改正されたのも、性犯罪の定義をより中立にしようとしたものとして評価されるべきだと思う)。
加えて、すでに男性向けに対してはある程度規制がかかってる状況なので、申し訳ないけど中立的な規制をしてくれないと非常に不公平感があって腹立たしいというのがある。これは規制の話、つまり我々の権利が減らされている話だから、そこで不平等は受け入れがたい。権利を増やす話ならともかく。
嫌がらせやつきまといが発生したら警察を呼びましょう。嫌がらせやつきまといをより摘発しやすくしたりするために警察の予算増やせとかストーカー規制法改正しろとか、そういう話なら賛同しますよ。
もっと簡単に考えて、今あるBL棚にR18本はタグだけ置くとかしたらどうだろうか、それなら本をレジに出す動作と同じだし
他のR18ジャンルだってあるわけだし女性向けR18コーナーも絶対あった方がいいとと思うけど、まずは普通に書店でR18BLを売れるようになったらいいんじゃないかなって思うよ
まあ、仮にゾーニングするならひとまずはそれが現状でありえそうなラインかねえ。私は別に現状のままエロいBLを本棚に置いてても構わんだろうと思ってるから、それ余計な規制じゃない? って思うけど。「普通に書店でR18BLを売れるようになったらいいんじゃないかな」ってのは同意。BLも男性向けも、たとえそれがドギツいエロであったとしても普通に書店で陳列できるようにすべきだよね。
これhttps://synodos.jp/opinion/society/27932/
とかあれhttps://anond.hatelabo.jp/20220425213225の話。
ヤンマガも日経も、一つの広告にあれだけ詳細な意識調査をかけることは滅多にないんじゃないろうか。
個人的にかなり面白かったので、ぐだぐだ語ってみたい。しかし、エグい調査やで…。
まず、最近よく無断転載されてるあのグラフ、田中氏の記事でいうと図4。
批判的な意見の者は主に40代~50代の女性に多いことが目立つ。「更年期のヒステリックしわわオバサンが巨乳たわわ美少女に嫉妬」な構図を読み取りたくなるのも分かる。
だがせっかくの調査、他の数字も味わってみよう。様々な決定要因のとこね。
例えば、既婚者。
全体だと5.2%、女性のみだと6.5%ね。男性は、女性ほど結婚の有無が意見に影響しないことが分かる。
「加齢で劣化して男にモテなくなったオバサンがけしからん肉体の美少女にムカついて叩いてる」が真実なら、未婚女性のほうが批判派は多くなりそうじゃないか?しかし逆。
まあこれは、年齢が上がると既婚者が増えるだけの事なのかもしれない。ただ、他の変数の影響は解析の際に調整されてるはずなので、年齢・性別に関わらず、配偶者のいるほうが広告に批判的だと言えると思う。
田中氏は理由を不明としてるけど、増田もわからん。誰か思いついたら教えて。未婚男性が肯定的で、既婚男性は批判的な傾向に安直すぎる理由をつけてしまいそうになるので。
中高生の娘の有無。田中先生、中高生の息子の有無も聞いてくれたらよかったのに!読んでるマンガとか違いそうだし。
統計的に有意でない(意見に対して中立的な変数)ということで薄く塗られているものの、数字は、全体だと2.0%、女性のみでは-1.3%だと分かる。娘を持つ男性は、娘を持つ女性より若干広告に批判的かもしれない。偶然かもしれないが。
何だろうな、これも。男親「俺の娘をそんな目で見るな!娘!お前もお前だ!はしたない!」女親「まあまあ、好きな格好しなさいよ。あたしだってミニスカ履いてたもの」の差か?謎。
年齢。全体だと1.3%、女性のみだと2.8%。
2.8%は小さいように思えるが、20代と50代では30歳の違いがあるので、その差2.8×3=8.4%となりかなりの大きさとなる。
全体だと、30歳差でも1.3×3=3.9%。大きくはないように思える。男性のみを考えると、年齢要因は更に低くなる。例のグラフ(図4)を見ても分かる、面白い現象だよね。
で、これ……解釈に悩むやつ。中高生の娘に限らず、子供の有無は意見に関係ない(と田中氏が書いてる)。が、女性の意見には年齢が関係する。
増田としては、「女性が歳を取ると若い女の子が可愛くてたまらなくなる現象」https://togetter.com/li/1875379 かなと考えている。男性の意見に年齢があまり影響しないのは、ぶっちゃけ、自分が何歳になっても、女子高生を性欲の対象として見てるからかなと。庇護・養育の対象ではなく。ぶっちゃけ過ぎたが。
図2と図3に戻ってみる。いくつか参考意見を挙げて、賛成か反対か聞いたやつね。
7つの意見に対する賛否の割合のグラフが図2と図3で、図2は全体(n=3154)、図3は女性のみ(n=1585)。女性は全般的に、平均より批判的なんだな、そうか。ふーむ。男性はどうなの?
って疑問出ない?増田は出た。なので、計算してみた。手で。表計算使える人はやってみてー。てか検算してくれると嬉しい。
意見 | そう思う(女) | 思わない(女) | そう思う(男) | 思わない(男) | そう思う(全体) | 思わない(全体) |
1.男性目線のいやらしさを感じる | 45.6% | 43.9% | 22.5% | 68.2% | 34.1% | 56.0% |
2.新聞広告としては不適切 | 34.8% | 50.5% | 14.7% | 71.8% | 24.8% | 61.1% |
3.女子高生を性的に扱っており問題 | 32.1% | 54.8% | 13.8% | 74.7% | 23.0% | 64.7% |
4.はっきり言って不快 | 23.5% | 64.8% | 5.8% | 83.1% | 14.7% | 73.9% |
5.性的な要素はあるとしても問題ない範囲 | 52.1% | 36.7% | 64.2% | 25.8% | 58.1% | 31.3% |
6.女の子が可愛くて素敵 | 50.4% | 38.1% | 64.7% | 24.8% | 57.5% | 31.5% |
7.全体として表現の自由の範囲 | 46.8% | 41.4% | 63.5% | 27.9% | 55.1% | 34.7% |
様々な観点から聞くことで、女子高生を性的に扱うことへの問題意識や「表現の自由」の捉え方が読み取れて楽しい。「不快」だけが不適切と考える理由ではないことや、男のエロ目線の感じ方に性差が大きいことも分かる。
広告を問題視する女性は多くとも4割未満でも、広告にエロ目線を感じる女性は45.6%と、感じない女性43.9%を少し上回ることも分かる。
田中氏の調査と記事は、興味の焦点がはっきりしてる。主に、たわわ広告への女性の反応と、批判しているのはどんな人かを焙り出すためにデータを解析・解釈してるよね。まとめの段落にある
分かりやすい。
反面、男性の反応と、問題視しない人はどんな人かということにはたぶん無関心なので、記事の文章には反映されてない。
男性の反応は上にちょこっと書いてきた。では、たわわ広告を問題視しない人はどんな人に多いのか?この調査結果から読み取れるのは、さっきの引用の逆の人、
未婚者、自分では絵や漫画を描かない人(非クリエイター)、痴漢に厳罰は求めない人、フェミニズム反対者……だよね。
この調査記事が面白くてエグいのは、男性の透明性・無徴性を明らかにしていることだと思う。男性こそが普通で、標準で、色がついてない。女性だけが反応を注目され、「気にしすぎ」「頭おかしい」とジャッジされる。女性の反応が社会の基準なら、男性は「鈍感すぎ」と言われるのに。
男性は何歳になっても自分の欲望に無自覚でいられる。エロ目線に脅かされず、自分がエロ目線を向けてることに気付かずにいる。
男性の9~14%しか問題視できず、22.5%しかエロ目線に気づかず、5.8%しか不快に感じない「萌え絵」をうっかり使ったら、女性の45%がエロ目線を感じ取り、23.5%が不快に思い、18〜38%が不適切だと考える。
ネット民は別に、若者に人気の「萌え絵」が分からない老害おばさんぷぎゃーしてウンコ投げてればいいんだよ。
ヤンマガもダメージないと思う。読者層の若い男性とカーチャン世代の女性の意見がそもそも合う訳ない。
けど新聞は?ファミレスやデパート、飛行機や電車、銀行や病院、役所や警察や赤十字は?
「わめくのはババアだけだから放置でいいよ。若い女の8割はスルーしてくれるし、男はみんな、あって当たり前のもんだと思ってる」ではやってけない業種がこの調査結果を見て、これから「萌え絵」との距離をどう測っていくのか。
どっちにかはしらんけど。
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2022/04/26 23:43 はてな記法使えなくて凹む。気力ができたら直すかも
2022/04/27 0:15 リンクミス修正した。記法は諦めた。各自脳内補完たのむ。脚注で、ツイッギーの巻き起こしたミニスカブームのこと書きたかった…
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/GenyaFukunaga/status/1516727453787426818
これを見て思った。
「海外ではLGBTは〜」とかいう言論はデータに丸められてしまっているのでN=1の(外れ値かもしれない)話
移住する旅行でいったNYCではゲイの人がかっこよく見えた。だから「良いゲイ」を見たんだと思う。
だが、結局移住先に選んだオランダでは自分は運悪くオランダで「悪いゲイルーマニアカップル」に遭遇した。
同じ家に住んでいたが、こっちはコロナで家で仕事をせざるをえないのだが、彼らは
無職でずっと電話を大声でしつづけて、共同キッチンはずっと専有し、自分たちの主張ばかり通す。
料理が好きなのでずっと使い続けているが、自分が利用しようとすると
ムッとするし、彼らが入ってくる当初家が汚かった(先代が汚していただけ)ことを俺のせいにして、
トルコ(タキシム)で浴場にいったのだがハマムという浴場はゲイのたまり場で、正直気持ちが悪かった。
正直治安が悪いと聞くには聞いていたが、どうしても疲れがたまっていかざるをえず行った。
最大限警戒してサウナにはいったら、サウナ部屋で前に座ったゲイが性器を見せつけて来た
まぁ、こういう悪いゲイを見てしまうと、意見も変わりそうなのだが、「良いゲイもいれば悪いゲイもいる」
だと思う。
「悪いゲイ」も当然いるという立場も必要だし、「良いゲイ」のは知っている。
今回の「特別軍事作戦」で死亡した兵士の家族には500万ルーブル(約690万円)が一時金として支払われることになっている。保険金、補償金としては家族に742万ルーブル(約1023万円)が支払われる。合計で1242万ルーブル(約1713万円)だ。国防省が保険をかけている。また負傷の程度に応じて保険も支払われる。
国防省に資金がないというからには会計の表なりなんなり具体的な証拠があれば納得できるんだがそれが無い状態でそう言われてもなんだがかな
そうすると行方不明とされるのも別に金を出し渋ってるとかじゃなくて単にそう判断するのが妥当な状況だったからと考えることもできる