はてなキーワード: ネットで話題とは
いきなり何いってんだコイツって思うかもしれないがまあ聞いてほしい。
FGOの最新ストーリー、バスってるスクショをいくつか見ると分かると思うんだが、明らかにAIの話をしている。それもChatGPT以降一般的になった「ハルシネーション」などの語彙や、創作(特にイラスト界隈)における論争といった2022年後半以降のAI論を明らかにぶっ込んでる。
しかもこの最新ストーリーである奏章III、元々3部作だった奏章を4部作にしてまで突っ込んだ話であり、俺はきのこがAIの話ししたくてウズウズしてたんじゃないかと思ってる。(まあ追加した理由はそれ以外にもあるかもしれないけど)
そういうネットで話題になったセンシティブな論争をぶっ込む感じが、俺らみたいな同人魂、まあちょっと悪く言えば青臭さを感じるなあって思った。もちろんきのこみたいな文才は無いけど。
多分今の若い子の最先鋭のエンタメ、例えばブルアカとかにじさんじみたいのって、こういう面倒くさい論争に首突っ込まないってルールが社内とかでできてるんじゃねえかなと思う。
「夜ふかしの読み明かし」というPodcastで哲学対話の永井玲衣が「なぜ挨拶をするのか」というテーマで挨拶に対して否定的な立場で話していたのが気になったので書いてみる。
アメリカで黒人同士が目と目で挨拶(存在承認)し合う、という話が少し前にネットで話題になっていたように、挨拶はそもそも相手の存在承認だ。
「挨拶しないでけしからん」という意見は「無視しやがってけしからん」と同義だ。
それぐらいで大人げないという意見もあるが、無視はいじめの基本だ。無視だけで人は病むしヘタすれば死ぬ。
お辞儀の確度とか挨拶の仕方に文句をつける人達はクソだが、挨拶されて返さない人は、相手の存在を否定していい、ひいては相手が死んでも構わないと考えているわけだ。
こう考えると、挨拶がないと怒る側が権力者で怒られるのが若者であっても、挨拶1回しなかっただけで大人げないという意見はあっても、怒ること自体は仕方ないといえるのではないか。
挨拶不要と考える人は、人間にとって異常な状態である都会での生活を標準だと勘違いしているのではないか。
満員電車や、街ですれ違う人に挨拶をしないのは、他人が多すぎて互いを路傍の石のように無視しないとコミュニケーション負荷が高いので、お互いの存在を無視しあいましょうというコンセンサスが成立しているだけの話である。
X上など自分と相容れない意見を叩く呟きばかりで見られたものではない。
しかしよくここまで右も左も新自由主義も、男女も老いも若きも先鋭化して対立したもんだ。
はっきりいって真っ当なほとんどのひとはわざわざX上で政治主張したりしないので、事実はそこにあるのだとおもうが、ちょっとずつその真っ当な人が減っている印象がある。
何が原因だろうか考えてみたが、やっぱりマスゴミにあるとおもう。
ここ数年、いわゆるオールドメディアのマスゴミ(新聞テレビ)の信用度はがた落ちの状況だ。
悪質な切り取りをして印象操作する、高圧的で決めつけが過ぎる態度でコメントする、データのねつ造や印象操作をする、メディアスクラム、低レベルな質問、印象操作丸出しのタイトルや効果音にテロップ、スポンサーや広告代理店に逆らえないことを隠しもしない…枚挙にいとまがない
このそれぞれが酷いのは間違いない。結果として、信頼できる情報ソースを失った人達が、身の回りの情報しか信じられなくなって先鋭化する。
とりわけ孤独な状況の人ほどその傾向は強い。なにせSNSが「身の回りの情報」の代表だからだ。
そして、SNSではエコーチェンバー効果でより先鋭化がおきる。
そして、マスゴミの印象操作報道(低視聴率)→SNS拡散→マスゴミの印象操作報道(ネットで話題)→SNS拡散…
あぁひどい。
これから社会が良くなるためにはメディア変革、マスゴミ改革が必須だとおもう。例えば選挙改革しようとおもっても報道が印象操作連発でそれを許さないだろう。
しかし政治家がマスゴミ改革しようものならそれこそ酷い報道が続いて阻止されるだろう。
ようするに詰んでるのだ。
特に5・6・7間の差が大きい。
値段が大きく変わる。
昔は単行本割引は古本屋の値付けしたいだったけど、今は出版社主導のもと50%オフや10円セールなんかがしょっちゅう行われている。
そういうのに関わることなく定価で売り続けている漫画とそれ以外の差はあまりにも大きい。
時間はかかるがチケットで全話無料なんかも貧乏人、とりわけ時間だけはあり余っている無気力オタク学生や引きこもりニートなんかは毎日張り付いて広告視聴やボーナスコインなんかも合わせて1年で500話ぐらいアッサリ読んでしまうだろう。
恐ろしいものだ。
貸本屋から単行本商売、そして雑誌全盛期が来たことを思えば、変化なんてのはいつの時代もあるって話だが、それにしたって久しぶりの大きな変化だ。
次にくるマンガ大賞にWEBマンガ部門なんてあるのはもう完全に時代の切り替わりだ。
今や連載部分は無料で読ませて、気に入ったら単行本をどうぞの世界だ。
アプリ連載でちょっとしたオマケ部分を課金コインで売ってそれで儲けてる所だってあるらしい。
まっ、昔からテレビはNHKがショバ代召し上げてただけで地上波は無料だったし、ラジオなんてプロパイダ料金だっていらないんだからさ。
でもそういうにはCMってのが挟まっていたわけで、昔は雑誌の漫画だってページの真ん中にドーンと広告があったわけじゃないかよ。
それがいまやターゲット広告で最初と最後にチョビっとつけて終わりだが、それで基本無料で読ませてございだ。
これぞまさに意識の変化、感覚の変化、時代の変化、常識の変化だ。
いやはや、ジジイにはついてけねえよ全く。
そんでネットで話題になるのはどれもこれも基本無料の漫画だってんだから。
訳知り顔で考察なんぞしてるやつのうち何割が金払わなきゃ読めなかったらそもそも興味も持たなかったやら。
昔から断絶ばかりだったとは思うけどさ、「りぼんとゴラク両方買ってます」なんてのは相当気合の入ったオタクぐらいだったもんだからねえ。
nanaminoさん
まずあの文を書いた動機はコメント欄など「子持ち女性と子無し女性の対決」とか「女児の母親が主に男児の女性トイレ使用を嫌ったコメントを書いている。」と誤解した人がいたからです。
多目的トイレが空いてて男児が使えれば使ったほうがいいというのが前提ではあるのですが、
娘の話をすると今は全然嫌がっていません。
男児と連れ立って園の共用トイレ行こうとするし、女性トイレに妹を呼びに男の子が入ってきた時嫌だったか聞いても否定していたので。
女子トイレは個室なので将来嫌がる可能性が高いとは思っていませんが、もし将来嫌がったらネットで話題の時にでも今回「男児が入っても構わない」と書いたように「今は娘は嫌がっている」と書きます。
そもそも、それぞれの親が自分の娘は気にしてないとか嫌がっているとか、自分は男児を許容できるとか出来ないとか自由にSNSなりに書いて全体の状況がわかるのは悪いことではないと思っています。
ただ一番に思うのは性犯罪者は再犯が多い特徴から一人でも減らせば多くが被害に遭わずに済むので、一度でも性犯罪をしたら(痴漢や盗撮でも)GPS装着義務付けをして欲しいとは思っていますが。過去に宮城県が条例制定を検討したことがあったり、新潟県がGPS監視の検討を国に対して求めたりしたことはあったようですし。
語源に対して頓着がなさすぎるだろ。
俺としては淫夢由来の言葉を使うこと自体が人としての恥だと思うんだけど、平気で使うよね。
同性愛者差別と著作権違反が混ざりあった文化圏の表現なんて俺は口に出したくないんだけどなあ。
今使われている「ガバ」に当たる表現が他にないならともかく「荒い」「雑」「杜撰」「適当」「緩い」「拙い」「嘘(無自覚の)」といった表現がいくらでもあるなかであえて「ガバガバ」という意味があるのかと。
こういう話をすると「じゃあキリスト教徒は「利益」も「挨拶」も「旦那」も使えなくなりますねw」みたいに揚げ足取ってくるような奴がおるんやけど、そういうレベルの話ではないじゃん淫夢は。
たとえば歴史や文化の教科書に淫夢が載ることが今後あると思う?
25世紀の教科書に「インターネット初期の文化紹介」として「当時、ニコニコ動画では真夏の夜の淫夢シリーズを違法視聴してコメントを書き込むのが流行っていた」みたいに画像付きで紹介される可能性が0.0001%でもあると思うか?
ないだろ流石に?
だからやめろって。
誤読が多く見受けられるのでまずそこについて改めて整理させてもらう。
私は「物理的な緩さに対して使われる「ガバガバ」は淫夢発祥である」と言った覚えは全くない。
タイトルにも「(計画や見積もりの精度が極めて低いという意味で)」と書いているので、タイトルだけでもちゃんと読んでいればそうやって捉えることは全く無いと思うのだが・・・。
改めて言うが私が言及しいるのは「計算や計画における緩さ・杜撰さ」という意味での「ガバガバ」であって、物理的なものに対して「ガバガバ」というオノマトペがどのように使われているのという話はここでは一切していない。
本当に残念なことに、はてなーはついに「タイトルさえまともに読めない集団」に成り下がったと言わざるを得ないだろう。
はてなーのことだからシレっと消して知らんぷりしかねないので、一つだけ魚拓を取っておく。
当選おめでとう
ignio 青空文庫はこういうときに便利。大倉燁子の「恐怖の幻兵団員」(昭和25年)に「孔のまわりの羽目板はがばがばにゆるんでいる」という文がある。
「昔から使ってたぜ~~~ホラホラ~~~」とソースを撒き散らせばいいものを何一つソースを持ってこないで「昔から使ってたけど!」と言い張るだけ。
子どもの「皆持ってるもん!皆RTX4090使って生成AIで画像作りまくってバズってるもん!僕にも買って~~~皆持ってるんだからいいでしょ~~~」と何も変わらねーじゃん。
一人一つずつ他の人と被ってないものを持ってきて欲しいぐらいだけど、我こそはという数人が10個ぐらい持ってきてくれたら俺もアッサリ折れるよ。
ただし、もう一度言うけど「淫夢以前からあったもの」だからね。
たとえば最近出たオタク擁護辞典なんかが「元がホモネタだろうと流行ってるんだから入れちまうぜ!」と突っ込んできたのを「どうだ!辞書にも載ってるぞ!まいったか!」とかは辞めろよな。
それは「一部の恥知らずな辞書が語源関係なく新規用法を載せる乱暴なスタイルを取っている」というだけの話でしかないから。
はぁ・・・昔のインターネットにあったソース至上主義はどこにいったんだろうなあ・・・ノーソースのままで「俺の記憶では確かなんだ!」で主張するやつばっか・・・
色んなパターンがあるとは思う
知ってる人で目立つのは
あえて色々見ないようにしてる
金と時間を与えると驚くぐらいに復帰が早い
興味あることがそもそもないか薄い、あるいは己のマウントのためにやってる
幼少期には好きなものを好きだったんだろうけど、どこかで結局自分が認められたいから流行りとかそういうのに
ガンダムで例えたいがそこまでガンダム詳しくないのと明日早いので後日
一部でしかないとはおもうが、A好きだからCも好きってなれるところの間のBをなんらかの理由で省略して興味幅が狭くなってる気がしてる
1stすぎてΖすら見ないとか、UC限定とか(好きな声優が……とかネットで話題に……とかで急に他作品見だす現象もよくある。ちょうどこないだSEED初視聴みたいな)
逆にガンプラ好きすぎてガンプラのために一応作品見とくかってやつもおるし。基本的に1stの買って、というかジムとザクばっかり買ってる印象なんだけど
そいつはこないだも目当てのガンダム売ってなくて別のガンダム買ってお店梯子して目当て見つけて買って、みたいに複数ガンダム持ってるみたいなことが多い
>勉強はきっとウチらに平等だ! https://ynjn.jp/title/14812
>生活保護世帯から東大で博士号を取るまで① https://note.com/rshimada/n/n058fbbff18c9
教育格差の物語について、ちょっとだけ思うところがあるので書かせてほしい。
1つは「やる気も意思もあるのに、手段がない。リソースにアクセスできない」というもの。
環境が不遇で、優秀で志もあるのに時代や環境の逆風があって夢を叶えられない、というような、物語になりやすいタイプ。
昨今ネットで話題になるような教育格差の物語は、このタイプが多いんじゃないかなと思う。
ただ、私の考えでは教育格差の物語にはもう1つタイプがあって、それは
「そもそもやる気も意思もないし勉強なんて好きじゃない」という人の物語。
「意思のない個人」として、流れ流れて現代社会で生きづらくなっている人の教育格差の物語。
さっきの立志伝を潜在的上位層の物語とするなら、こっちは『C層の子の物語』と言えると思う。
こちらは当人が別にこうなりたいと思っていないからそもそも物語にならない。語られないから苦しみの構造が知られない。
まれに世に出ても「意思を持つかどうか」は社会構造の問題だと見なされがたい。
ただ、このタイプも、よく見ていくと家庭環境や生まれが要因で「意思を持つ機会がなかった」側面があることに気づく。
私は「意思が持てる」って運に左右される側面があると思う。
「意思が持てる」という幸運に見放された人というのは存在する。そういう格差も十分苦しい。
後者は本人が問題に無自覚で、問題の構造に気づけてないこともままある。勉強や教育によって状況を改善しようという発想自体がない。
なんだったら勉強を苦手なもの・押し付けがましいものとして疎んでいることも少なくない。むしろ教育的なものから距離を置こうとする。
(このあたりは教育社会学の大家苅谷剛彦氏が「"勉強しないこと"がアイデンティティになる環境」」みたいな話で書いてる)
実際の公教育の現場で見られる教育格差は「意思があるが武器がない」タイプは少数で、多くはこの「意思も武器もない」タイプだと思う。物語性も希少性も薄いから話題にならない。
そんなに「こっちのことお姫様扱いしてくれないと」って女性たくさんいるんだ?ということはさておいて、
言いたいこと98%くらいは理解できる、ワイも婚活しない女性だけどね
"むしろ得意な女性の方が選んで男性を連れて行く方が合理的だと思うんだよな"
これ本当にそうだと思った
ただ
"これ男女逆に言うと、男が「女性にラーメン屋を選ばせたら幸楽苑とか選んだんだぜ、ありえないよな~」とか言ってるのと同じだよな。こんな文句言ってるの見たこと無ぇ~。"
これは多分こういうシチュエーションが現実にはそう頻発しないし観測もあんまりしないからこんな文句言ってるの見たこと無ぇ~んだと思う…
(追記 ないこと自体が非均衡で今だに世間のジェンダーロールが根強いという話だったかな、そうだったら誤読してたかもごめんね…)
でも実際起こったら「やっぱり女にはラーメンがわからねえよなw」って文句って言うかほらねって感じで揶揄する人はまあそれなりに出現すると思うな
一昔前というほどでもないラーメン評論家とか女性ファンも来てる自身の作品のイベントで「特撮は男の趣味」みたいなこと言っちゃう監督とか女の趣味は全部彼氏の影響とか言う人結構いるから…そういう人ね
そんでこういう男性が多分「女性は姫扱いをするべきって思ってる男性」の方に親和性が高いというか出発点が一緒というか、このまとめhttps://togetter.com/li/2344575で引用されてる方としてる方みたいな人なのかなって思った
(ZaikabouさんのXじゃなくてこのまとめ見たあとこの増田見て感じたことだなこれは)
こういう考え方の男女って増田の書くとおり本当にその旧いジェンダー感とかメンタリティを同根にしているよなあ…って感じるけど、
ネットで話題になるとき実際は男も女も色んな人がいるのにひとまとめに男と女に雑に分けられたり自分からわかれたりして雑な前提のまま反目しあっていがみ合う感じになるのちょっとしんどくなってしまうよね
はたから見たらこういう考え方の人同士はお似合いなんだと思うけど…
婚活の場合はワイもよく知らないから言えないけど、個人的にはチェーン店や安い気楽なお店を本当にいいと思ってて素朴に相手を連れて行こうとする男性は(女性でも)べつに感じいいなーと思う
(はてブでは「世間知がない」「センスがない」とかさんざん言われたりこれで色々推し測れるとか言われたりしてるけど実際そういう部分もあるかもしれないけど、ワイはこれには結構反対したい気持ちがある…全部が型通りじゃないだろって)
でも「試しの場」として自分の物差しで100パー自分側が選ぶ側だとして無意識に相手をはじめから見下してることに気づかないままそれをやる上に、そういうの持論としてポストしちゃう人って男でも女でもほんとに嫌だよなあ……
結果は同じでも相手をはかる目的としてそういうお店を扱う人と好きでそのお店を使おうという人はやっぱり別だよねって思ったけど、
一連の話題で一緒くたにされて男性も女性も反論の材料にしたりしてるのみてうへってなったのでちょっと書いた
(婚活だとまあ違う特殊な文脈が生まれてそれを外側から見ると先鋭的に感じてしまうんだろうけどね…そしてそのまま一般の男女論に適用されて語られる まあワイにも関係ないからいいんだけど)
ていうかそういう使い方普通にお店にも失礼だよな
”女性は姫扱いをするべきって思ってる男性って結構ヤバ目な男性だと自分は思うのだけど、女性はあんまり危険視しないよね”
だからこの部分はべつにそんなことはない、そういう女性ばかりではないとは書いておきたい
増田の論旨とはだいぶ話が変わってしまうけどみんながDPZのライターのようで素朴にチェーン店やヘンなお店を愛したり
フラットに普通におもしろおかしく利用できておかしな文脈が付与されない世の中であるといい…とこれ関連の話題の度にワイは思ってる
そしてワイの家の近所にロイヤルホストがふたたび出店してくれたらいいのに…
小さい頃は幼馴染とはいっしょに落書きをしていた。チラシの裏だったり、ノートだったりそれは色々なところに。その頃から幼馴染の絵は抜群に上手かった。わたしはぼんやりと、これほど絵上手くても絵で食べていくには難しいだろうと思ったものだった。そうしていつしか、わたしは絵はただの趣味であって飯の種にはならないと割り切っていった。
大人になって、幼馴染はプロになった。ネットで話題だとかそういうレベルではなく、ある有名企業の看板作家のひとりになっていた。生まれ育った田舎町から遠く離れた街を歩いていてもその作品のポップを見かけたり、海外の本屋でも幼馴染の作品が並んでいたり。
そうしてふと、あのとき絵を描くのを割り切らなければ自分はどこまで行けたのか考えて、やっぱりどうにもならなかったよなと思い、改めて割り切ってただのサラリーマンになったのが良かったな、今じゃカツ丼を好きな時に食べられるし、なんて思ったりした。
幼馴染の絵が上手くてよかった。