はてなキーワード: パーカーとは
この記事の主旨は「ウクライナのゼレンスキー大統領のパーカーは略式軍服である」ということではない。
あくまで「略式軍服という日本語はなかった」「一年ほど前から急に現れた言葉だ」という誤認を訂正したいだけである。
「略式軍服」という言葉の使用例は、国立国会図書館デジタルコレクションの全文検索では33件 - 法華狼の日記
どう見ても定着した言葉や概念ではない。ほとんどが翻訳で採用された言葉だったり、あくまで「略式の軍服」という意味の表現にすぎない。同一作品の重複も多い。
法華狼氏のエントリでは近年の用例はないとされているが、実際にはそうした用例は存在する。
枯野瑛『終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?』
あえて翻訳は除外したが、日本人作家の商業作品に限定してもこうしていくつかの使用例がある。
池波正太郎以外は、2000年ごろから2020年までに刊行された新しい書籍である。
もちろん10件足らずでは「定着していた」とまでは言えない。
しかし「用例がまったく無いわけではない」ということはわかるはずだ。
「用例」の存在を確認したところで、次は「用法」の確認をしたい。
国立国会図書館デジタルコレクションで「略式軍服」を検索すると、1940年発行の岡倉由三郎編『新英和大辞典』がヒットし、以下のような項目を見つけることができる。
tu'-nic [tjúːnɪk] n. 1) 〘古代ギリシャ・ローマ〙襦袢, 肌着, シャチ; 2) 一種の陣羽織; 3)(現代婦人の用ひる)腰部緊着上衣; 4) 〘俗〙密着短上衣, 略式軍服(又は, 警官服); 5)〘解・動〙被膜, 膜(=integument); 7)〘植〙膜質外皮, 種皮(=husuk). [OF tunique, < L tunica]
つまり辞書レベルで「略式軍服」は「(軍服の)チュニック」の訳語だったのである。
これは法華狼氏が「ほとんどが翻訳で採用された言葉だった」と書いているのにもつながる。
実際に、国立国会図書館デジタルコレクションで読めるいくつかの翻訳書籍の原文を確認してみると、
エリック・アンブラー著・宇野利泰訳『真昼の翳』(1963年)
He stood up, as if to end the discussion, and smoothed down the front of his tunic.
when he came back he looked lovely in his uniform, with all those pretty ribbons on his tunic,
コーネリアス・ライアン著・木村忠雄訳『ヒトラー最後の戦闘』(1966年)
Golbov took out of his tunic pocket a folded copy of the newspaper Red Star
用例が少ないために「それが定訳だった」とまでは言えないかもしれないが、「チュニックを略式軍服と訳していた」ということの証左にはなっていると思う。
自分のブログも持っているけれど知人にあれこれ言われたくないので匿名にて失礼します。
■ 健康な人へ
心当たりが一切なくても健康診断は毎年受けるべきだし、付けられるオプションはなるべく全部付けるべき。時間とかお金とか恥ずかしさとか痛みとか、いろいろハードルはあるんだが、健康には代えられない。あ、今はとても元気です。大丈夫。
他の人の体験記を参考に入院準備を進めたので、これも後続の助けになれば幸いです。後続なんていないのが一番なんだけどね。
身バレを防ぐために若干ぼかしたり時期をズラしたりしています。
■ 概要
・開腹して左の卵巣と卵管を摘出した
・入院期間は7日間(月曜入院→日曜退院)。手術は入院2日目(火曜日)の午前中
・パジャマとタオルはレンタルサービスを使ったので持って行かなかった
■ 大まかな流れ
・月曜日:入院。昼食と夕食は普通に食べる。シャワーも浴びる。夕食後は食事禁止。
・火曜日:朝6時以降は水も禁止。午前中に手術を受ける。気付いたら終わってたしベッドから起き上がることも禁止されていた。微熱があったため隔離されてPCR検査を受ける。正直傷口よりPCRの綿棒の方が数倍痛い。あいつは一体なんなんだ。
・水曜日:朝、上半身を起こしてみる。立ってないけど立ちくらみみたいな状態。時間と共に和らぐ。昼から食事再開(重湯)。コロナでもインフルでもないと分かったので昼過ぎには隔離が解除され、自分で歩いて病室へ戻った。その後尿カテーテルを抜いてもらい、蒸しタオルで身体を拭いてパジャマに着替える。
・木曜日:メモによると1日中ハイラルに籠もっていた(ブレワイをプレイしていた)らしい。痛み止めが背中のカテーテルから飲み薬(ロキソニン)に切り替わる。
・金曜日:この日の朝食から普通のメニューに戻る。午前中の回診で諸々の管やテープを取ってもらい、シャワーが解禁される。
・土曜日:またハイラルにいる。こいつハイラルに居座りすぎではないか? 傷口(というより上に貼られたテープ)がかゆくて看護師に訴えるが「カサブタなので我慢するしかない」と言われて絶望する。それでも諦めず主治医の先生に訴えたらかゆみ止めの塗り薬を処方してもらえた。効き目が薄くてさらに絶望した。かゆみとの戦いは退院後も1週間ほど続いた。
看護師さんからも主治医の先生からも「珍しいくらい順調に回復している」と言われたので、普通はもう少しゆっくり良くなっていくのかもしれない。
■ 持って行ってよかった
今回のMVP。Switchとスマホの命をつないでくれた。ベッドの頭の方の壁にコンセントはあったものの、スマホの充電ケーブルが短くてギリギリ枕元までしか届かない。ベッドを起こしたらもう無理。延長コードがなかったら電源の取り回しに苦労したと思う。退院したら自宅の古いものと交換するつもりで買ったので、入院生活だけを考えるなら1.5~2mで大丈夫そう。
・小さめの紙袋
ベッドサイドに置いて細々したものをまとめる用。高さ15cm×横15cm×奥行き5cmくらい。化粧品買うともらえるような、しっかりした作りのものがおすすめ。折り畳めるから入退院時にじゃまにならない。ある程度高さがあるとペンを挟んでおけるので便利。
入院した後も書類は増える。一度目を通せばいいもの(処方薬や麻酔の説明書きなど)と、繰り返し取り出す必要があるもの(食事や飲水量の記録表など)を分けるために最低でも2つほしい。
・メモ帳
気になるから後で看護師さん来た時に聞いてみよう→忘れる、のループから脱却したい時に使う。気になることは際限なく増えるから覚えておくのは無理。別にスマホでも構わないがフリーハンドで好きに書ける紙の方が便利だった。
髪が長い人向け。手術後しばらくはお風呂に入れず髪も洗えないため、次第にベタベタテカテカして気になってくる。そういう時にさっと留めてとりあえず遠ざけておくと気持ちが楽になる。ヘアゴムでもいいんだけど、バナナクリップの方が圧倒的に手軽。
石鹸やシャンプーや歯ブラシなど濡れたものを雑に突っ込んで、サイドチェストの手すりにくくりつけて干した。ベッドサイドが広く使えるしすぐ乾くし、地味に便利だった。メッシュ生地に限らず巾着は「くくりつける」という選択肢が生まれるからポーチよりおすすめできる。
説明不要。これを書いている今もまだプレイしている。ティアキンに移るタイミングを見失っている。手術直後はただ草原を走り回って採集活動に勤しめばいいし、回復してきたら弱そうな敵や簡単そうな祠に向かえばいいし、病状に合わせてプレイスタイルを変えられるのも良かった。
■ あればよかったなぁと思う
・充電ケーブルの先を保持できる仕組み
延長コードを使うと発生するデメリット。ちょくちょく充電ケーブルの先が床に落ちるし行方不明になりやすい。クリップ的なもので留めておきたかった。
入院して初めて、自分は白米が単体で食べられないらしいと知った。おかずも山程あるんだけどそれ以上に白米が多くて苦労した。残すのも忍びないから毎食フードファイト状態。ふりかけでもごま塩でも、とにかく白米に味がつけられるアイテムがほしかった。
・マスク置き場
感染症予防の観点から、ベッドにいる時もなるべくマスクをつけておくよう求められていた。そうは言っても寝る時はさすがに外したいし、食事時はもちろん外す。そういう時にちょっと置いておける場所がほしかった。
出歩く時、スマホはパジャマのポケットに入れていたが、ふとした拍子に落ちるんじゃないかと不安になった。背中の痛み止めが繋がっている時は痛み止めを入れる巾着(紐が長く斜めがけにできるもの)にスマホも押し込んでいた。看護師さんにはちょっと笑われた。でもあのスタイル超便利だったな……ロッカーの鍵も入れてたし……。痛み止め取れた後も巾着は残してほしかった。
・クリップボード
入院中は毎日「ごはんをどのくらい食べたか」「水はどのくらい飲んだか」「お手洗いに何度行ったか」を記録する必要があった。用紙はクリアファイルに入れておいたんだけど、書く度に出してしまってを繰り返すのはちょっと面倒だった。
シャワー解禁があと半日遅れていたら、なんとしてでも髪を洗おうとしたと思う。髪、想像以上にベタつくし重くなる。
■ なくても別に困らなかった
・ハンガー
備え付けのハンガーで十分事足りた。
巾着のところで書いた通り、洗ったものは巾着に入れてくくりつけて干したので「何かを引っ掛けたい」と思う場面がなかった。
・ウェットティッシュ・汗拭きシート
病室には手洗い場が備え付けられていたし、看護師さんが毎日蒸しタオルを持ってきてくれたので使う機会がほとんど訪れなかった。
起き上がらずに水を飲めるから便利という体験記を読んで買っていったが開封もしなかった。起き上がれない時は水も禁止されてたし、飲めるようになる頃には問題なく起き上がれた。これが一番の想定外かなぁ。
・スーツケース用の鍵
事前の説明では「鍵をかけられる小さな引き出しがある」としか言われなかったので、引き出しに入り切らないが盗まれたら困るものを管理する目的で持っていった。しかし引き出しは十分に大きかった(Switchをケースに入れた状態でしまっておけた)し、引き出しの他にも高さ1m×横20cm×奥行き50cmほどの鍵付きの棚があったため使う必要がなかった。
こんな感じです。参考になるといいなぁ。ともかくみんな健診には行こうね。
ファッションは理論だ、みたいな理系男子が飛びつきそうなフレーズ。
完全に誇張でしょ。
パーカーにデニムとかだとダル着に思われやすいし、スーツですかみたいなキメすぎも良くない。
ただ、万能でも最強でもない。
上下セットアップにエアマックス合わせてみ、どう見ても足だけ浮くでしょ。
逆に、ワイドパンツにとんがった革靴あわせてたらチグハグすぎるし。
そもそもファッションのトレンドは論理なく動くものだから、理論でどうにかなるのは定番コーデまで。
オシャレに思われたいなら
・トレンドを取り入れる
・コーデ全体の統一感
・自分の印象と強みを活かす
が上手くいかないといけなくて、やっぱり努力とセンスは必要だよ。
今年なら色で言うと淡いグリーン(ブルベっぽいやつ)、パキッとした青。
素材で言うとデニムとか、シアー素材か編地で透け感があるもの。
とにかく色んなブランドの新作を見てトレンド感をなんとなく把握するのが重要。
あと、未だに黒スキニーをオススメしてるの見るけど、もう流行は5年くらい前に終わってるよ。
「それでさあ、三蔵がさあ」
良子は三蔵というキャラクターのフィギュアを買うためにバイトを始めたという。
「そうなんだ。すごいね」私は話を合わせる。
「三蔵のためなら女子高生だって田植えくらいするわ。麻里は今もお店の手伝いやってるの?」
「今はやってないよ」
「そうなんだ。私好きだったけどな、あれ」
「やめてよ」私は苦笑して目をそらした。
良子と別れて電車に乗ると出口近くの二人席に座って学生鞄を隣に置いた。季節の変わり目でブレザーを着ていると少し暑い。生徒の多くは部活動の最中だから乗ってくる高校生はあまり見えず他の乗客もまばらだった。三十分ほどで自宅近くの駅名を告げるアナウンスが入り、ほどなくして電車は止まった。
出口のボタンを押しこむとぷしゅっと音を立てて扉が開いた。はてな駅のホームに出るとけばけばしい黄色の看板が目に入る。
脚が短く頭部が大きい、金髪の巻き毛の安っぽいかつらをかぶったゴスロリ衣装のちんちくりんな女の子の写真の下には「麻里・うどんとわねっと」とあった。どんぶりを持った右手を手前に突き出し、看板を見た者に恍惚の表情で迫る。最初はそんなに嫌な気はしなかった。お店のために自分も何かしたかったから。「麻里・うどんとわねっと」は地元のおじいさんおばあさんに大ウケして近藤うどん店の売り上げは倍増した。そこまでは良かった。「麻里・うどんとわねっと」ははてな郡はてな町のローカルアイドル的なものにとどまっていたから。地元の情報誌の取材など来たとき、確かに恥ずかしい気持ちもあったけど同じくらい誇らしかった。でもそのあと事情が変わっていく。
お父ちゃんはネット戦略だとかいってSNSに「麻里・うどんとわねっと」を使ったショート動画を投稿した。これが海外のユーザーの間でなぜかバズってしまう。海外のネットコミュニティで様々な消費のされ方をした後、日本に逆輸入という形で「麻里・うどんとわねっと」は全国に広まっていった。「絶妙なチープさがいい」とか「女の子が絶妙にかわいくないのがいい」とか「ブス」とか「デブ」とか「性的消費で女性差別だ」とか「ちくわ大明神」とかネットでいろいろ書かれた。いつの間にか近藤うどん店ははてな町の観光スポットになり、私は有名人になっていた。金髪のかつらをかぶってお店の手伝いに出るとお客さんたちから写真を頼まれるので、私は笑顔で応じてどんぶりを持って決めポーズを取った。「麻里・うどんとわねっと」を演じることが望まれていたから頑張っていたし、ずっと頑張り続けられると思った。お母ちゃんが死んだあと一人で頑張っているお父ちゃんのために何かしたかったから。でも今はもう店に出ていない。「麻里・うどんとわねっと」は死んだのだ。
電車を降りて駅のロータリーを迂回していく。順番待ちのタクシー運転手が車内で暇そうにたばこを吸っていた。はてな町は私立大学がつぶれて以降若い人の姿がすっかり少なくなってしまった。唯一の娯楽施設が駅前のパチンコ店だ。その駐車場にへたり込んで泣き叫んでいる男に見覚えがあった。水色のパーカーと黄色のハーフパンツ、足はぶかぶかのビーチサンダルというお決まりの格好だ。油っぽい髪はぼうぼうに伸びていて、髭には白いものが混じっている。
増田くんはこの町の住人の間ではちょっとした有名人だ。生活保護受給者だけど、どこに住んでいるのかは誰も知らない。いつも外をふらふらしていて夜も野外で寝ているらしい。ふわっと異臭が漂ってくる。
「うどんちゃーん」増田くんが泣きべそで足元に飛びついてきた。
「増田くん、落ち着いて」
「聞いてよ、うどんちゃん。お金入ったからパチンコで増やそうとしたんだ。そしたらほとんどなくなっちゃったよー。二日前から何も食べてないのに、どうしよう」
増田くんはいつもこんな調子だ。はいはいと手懐けて私は学生鞄からうどんを出した。
「えー。うどんじゃん。ネギしか入ってないし。ケーキがいいよ、うどんちゃん。ぼく、ケーキが食べたいよ」
増田くんはケーキが食べたいと駄々をこねている。私は自分の足元にすがりついている増田くんを見下ろしてどうしたものかと思案する。
「あらまあどうされたのですか」
困っていると後ろから若い女性の声が聞こえた。寒い冬の夜空に明滅する一番星の奏でる音楽のような高く澄み渡って心地のいい音だった。実際に顔を合わせて会話するのは初めてだった。白いシャツとリボン、紺色のプリーツスカートという高校生としてありふれたスタイルにも崇高さが感じられるし、長い脚の白さが黒いサイハイソックスとの対比でより白く見えた。小さくて立体感のある顔は日本人離れしていて妖精かと思うほど。艶やかな黒髪は自分の癖っ毛と比べて気品ある大人の女性のものだ。
「一番星さん」
「あらまあ、わたくしのことをご存知なのですか」
寂れていくだけのはてな町に数ヶ月前事件が起きた。一番星家が引っ越してきたのだ。上級国民の中の上級国民と噂され、その辺の国会議員よりもずっと発言力があるとか。だけど、町の老人たちにとっては莫大な財産だの政治的権力だののことよりも一番星家のご令嬢はてのさんの存在が大きかった。「本物のお嬢様」としてはてのさんは一瞬で町の人気者になった。「麻里・うどんとわねっと」は偽物でしかなかった、私はそう思わざるをえなかった。そして「麻里・うどんとわねっと」は死んだのだ。
一番星さんは顔を赤くしてあらまああらまあ言うと、さらにこちらに近づいてきた。風が巻き上がったとき一番星さんの黒い髪がふんわり揺れて、きらきら反射して見えた。
一番星さんは私の言っている意味がよくわからないようだった。二週間以上体を洗っていないであろう増田くんに一番星さんは笑顔で近づきしゃがんで向き合った。
「増田さん、麻里さんのうどんは世界一ですわ。幸せの味がしますの」
「幸せの味?」
増田くんはどんぶりを手に取った。割り箸を渡してあげると、増田くんは涙を袖で拭ってからうどんをかきこんでいった。
「味がする。味がするよ、はてのちゃん」
「そうですわ。幸せの味ですわ」
汚い捨て犬のような増田くんを一番星さんは笑顔で見守っている。うどんを食べ終わると増田くんは両手を飛行機の翼のように広げて「きーん」と言いながら走り去った。
「自己紹介が遅れました。わたくし、一番星はてのと申します。よろしくお願いしますわ、近藤麻里さん」一番星さんはそういって笑った。
「私のこと知ってるの?」
「麻里さんはわたくしの憧れですわ」
テレワークでほぼ外出することがすくなくなって、外出するときはめちゃくちゃ楽に着られる服装で出ている。
コロナ禍で服で着飾るという習慣がなくなってしまったが、ウィズコロナになってきたので最低限マシな恰好で外に出たい
ただめちゃくちゃ楽な恰好がいい。それなりに値段してもいいのでいい感じのは無いだろうか?
ちなみに男ね。
この最近着てたのは、ユニクロのイージーアンクルパンツとかそのたぐいのね
https://www.uniqlo.com/jp/ja/news/topics/2017082901/
ただ、着やすいけど素材が遠目でもわかりやすいのでダサいんだよね。
これよりかはグレード上げたいところ。