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はてなキーワード: クィアとは

2019-06-04

百合SFブームは「ウィトゲンシュタイン梯子」なのか?

ここ数日、ハヤカワ文庫百合SFフェアに関連して、書評家の杉江松恋がフェアに違和感を表明し、杉江を含む百合SFフェア懸念派の発言Togetterにまとめられ、さらにハヤカワの編集者がそのまとめの削除を申請する……といった一連の出来事が、ツイッターのごく一部を騒がせていた。

(ハヤカワ編集者の削除申請を、百合SFフェア批判封殺解釈しているらしい発言をいくつか見かけたが、あれはむしろ杉江松恋らフェア批判者への反発をこそ抑え込むための措置だったのではないか

そんな状況の中で、百合SFフェアに含まれ作品の著者が投稿したのが、以下のツイートだ。

<script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>

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ウィトゲンシュタイン梯子、という言葉はよく分からないが、ググってみたところ、「おもちゃと同じだよね。“やがていらなくなる為に”、それは必要なんだ。」といったような意味らしい。なるほど。

果たして草野の言うように百合SFブームは「ウィトゲンシュタイン梯子なのだろうか。

しかに、今回の百合SFフェアに対して、なぜ「百合」などという狭いカテゴリだけを殊更に取り上げるのか、もっと広く「ジェンダーSFフェア」でいいのでは、といった声はいくつかあった。そういう人々にとっては草野言葉はまさに、我が意を得たりという内容だろう。

だが、それは大多数の「百合好き」の考えとはどこまで一致しているのだろうか。

自分自身は、胸を張って堂々と百合が好きだと言えるほどの百合好きではない。そのためこれはあくまで推測でしかないが、多くの場合百合というジャンルを好きな理由はそれが「百合から」、男と女でも男と男でもなく「女と女の関係性だから」としか説明できないのではないか。逆に言えば、「女と女」であることにだけは、唯一絶対意味がある(「女」の範囲をどこまでとするかは人によるだろうが)

あくまで性の多様性肯定するフィクションの一つとして完全にフラット百合評価している、という人も中にはいるだろうが、多数派とは思えない。たとえ百合と同時にBLなど他のジャンルも好きだったとしても、「百合ならではの良さ」が少しでも存在すると信じるのであれば、それは「女と女」に帰着するほかないだろう。

なんで「女と女」なの?と更に問うこと自体は一応可能だ。現に、主に非当事者によって「男性排除した世界処女性を安全に味わうため」とか「自身男性性への罪悪感から来る女性化願望」とかいった“分析”がなされることは多い(下衆の勘ぐり的な“分析”の代表例として挙げただけで、別に百合の愛好者に男性しかいないと思っているわけではない)

そういった詮索好きな人たちには、その勢いで現実性的志向にも同じように“分析”を行ってみてもらいたい。やれるものなら(実際にやってしまう人も時々現れるが)

閑話休題

草野ツイートは、物語ジャンルとしての百合百合であることの意味、つまりは「女と女」が最終的には他の関係性・性志向の中で相対化されて、良くも悪くも無意味になることを目指す、という姿勢の表明と読める。

もちろん、この件はただの百合ではなく「百合SF」についての話であるセンス・オブ・ワンダー(って結局なに?)が重視され、既存常識を乗り越えることを良しとするSFというジャンルであれば、百合と結びついた時に、百合好きが百合に抱く(不合理で保守的な)幻想解体するような方向に傾くのも自然なのかもしれない。

だが、もしも最終目標が「特にカテゴライズなく同性愛テーマ作品普通に幾多もある環境」ならば、敢えて「百合SF」という看板を掲げるのは、不必要である以上にかえって逆効果なのではないか性別に関する固定観念を直接揺さぶ手段SFには現にいくらでもあり、わざわざ「百合SF)」という限定された概念を経由するのは、目指すゴールから遠ざかるだけの回り道に思える。

百合に限らず様々な関係性がSFで描かれるようになること自体は、良いことに決まっている。だが、フェア対象作家の中の一人に過ぎないとはいえその内部からウィトゲンシュタイン梯子」という言葉が出てきたとなると、「百合SFフェア」は素直に乗っていい波なのか、受け手に迷いが生じてもおかしくない。SF好きはともかく、百合好きにとっては大きな問題になりうるだろう。あくまで上にのぼるための道具として梯子必要とする人間と、梯子のものを愛している人間の間にある溝は、当たり前のように深い。



そこまでの意図は無い発言だったのかもしれないが、どうにも気になってしまったので書いた。上でも書いたように自分自身はそこまで強く百合が好きというわけでもないので、ガチ百合好きの人の大半が、ハァ?オレ/ワタシは全然気にならないんだけど???と言うのであれば、別にいいです。

2019-06-03

anond:20190603031909

例えば「おまえバカか?」という言葉に対して「バカ差別だ!」と返すのは馬鹿馬鹿しい。「バカ」という品性下劣言葉相手を蔑む行為自体批判されるべきだとしても。

まり「バカ」という属性存在していてそれを侮辱した、という話ではないのだ。この場合、目の前の相手侮辱する目的のために使われた言葉「バカ」であるに過ぎない。

一方で、通常「バカ」という言葉が"概ね"指す範囲特定属性と広い共通部分を持つ、という話もわかる。例えば、低学歴差別とか、仮に「知的貧困差別」とでも呼ぶべきものとか。

オタク」なる総体属性として扱うには輪郭がぼやけ過ぎていると思う。「趣味に没入していればオタク」なのか?「趣味オタクっぽいかオタク」なのか?「見た目がオタクっぽいかオタク」なのか?「性格オタクっぽいかオタク」なのか?どれをとってもそれ一つでは実態に即さないが、逆に言えば「オタクは○○である」という雑な言い切りはそれ自体差別である

最近は「クィア(=変態)」という言葉をもってセクシャルマイノリティーを包括的に語ろうという動きがある。しかし「クィア差別」という言葉は聞いたことがない。やはり「セクシャルマイノリティ差別」と言った方が誤解がなくていいだろう。「オタク差別」という言葉もそういうポジションにあると思う。

趣味に没入する人差別」「趣味オタクっぽい人差別」「容姿差別」「性格差別」などなど、それぞれ問題はあるが、「問題はどこにあるのか」「どうすれば解決できるのか」などは全く異なる。それらは切り分けて考える必要があると思う。一方で、それらの異なる属性の人々が「オタク」という言葉の元に連帯する価値はあるとも思う。そのためにはまず共通部分を模索して、「我々は一致団結できる」「我々は互いに差別するべきでない」という宣言から始めなければならない。

現状として私が一番問題が大きいと思うのは、「オタク」を自認するある種の被差別者が、別の「オタク」を切り捨て見下すという内部差別問題。例えばTwitterには瀬川深という過激差別主義者がいるが、彼もまたオタクを自認している。「オタク」という自認がアイデンティティ確立させることには大切な意義があるが、それと同じくらい「オタク」という自認が頑固なイデオロギー形成するという弊害にも目を向けたい。

2019-05-20

anond:20190520090308

LGBTPZN」がポーランドで唱えられた時

これを唱えた人々が最初に「PZN」をゴキブリ扱いした人々じゃん。まず「LGBT排除したい」という目的と、「PZNはゴキブリ並みのゲテモノだ」という前提があって、「LGBTもPZNと同レベルゲテモノだ」って意味で使い始めた人々だよね。

まあ「クィア=変態」も元は蔑称だったしそれはいいんだけど、「LGBT以外のセクシャリティにも権利を」と言うなら、なぜ「PZN」だけを特権化する必要があるんですか?あなた方は「PZN」に「先陣切ってくれる特攻隊」に仕立て上げたいだけでしょ?

すべての人間はどこかしらマイノリティであり、「完全マジョリティ」なんて一人もいるわけねーだろ。それ自体マイノリティだわ。

あっ、これは完全に同意です。あなたに合わせてレベルを低く設定してたけど、まともなことも言えたんだ。「LGBTPZN」とかいうクソみたいな言葉を使う人、今まで「LGBTがムカつくからPZNと同じくらい排除したい。自分はPでもZでもNでもないけど」ってクズしかたことなかったからさ。


ちょっと書き直し

anond:20190520085644

特定民族ゴキブリと呼ぶするのは差別だ」と言われたら「ゴキブリに対する差別だ」とか言い出す人みたいだな。

正気で言ってるのか?

PZNをゴキブリいか?俺はLGBTもPZNも性的マイノリティとして同じ土俵だと思ってるんでな。

どっちもゴキブリじゃねーよ。LGBT様は違うようだけどな。

ちなみにQ(queer:クィア=変態)はPもZもNも内包するし、

性的指向」と「性自認」だけでセクシャリティを語る風潮に疑問を呈す同性愛者の方もたくさんいらっしゃるね。

しかし訴えるのは同性婚だけ

性的指向」という概念のものマイノリティからマイノリティを切り離すためのものじゃん?

Qなんてのも後付けの概念だし。

最初に「LGBT」と名乗った時点でその理念は終わった。根本に他のマイノリティへの差別がある。

正直な話、(これ自体差別的ではあるから言いたくはないが)まともなアライ(セクシャルマイノリティ親和的であるストレート)自認の人は見たことがない。まともな人は大抵はなんらかの意味マイノリティだな。俺の狭い観測範囲では。

すべての人間はどこかしらマイノリティであり、「完全マジョリティ」なんて一人もいるわけねーだろ。それ自体マイノリティだわ。

お前さんの言ってることはこじつけにすぎない

anond:20190519233105

特定民族ゴキブリと呼ぶするのは差別だ」と言われたら「ゴキブリに対する差別だ」とか言い出す人みたいだな。

ちなみにQ(queer:クィア=変態)はPもZもNも内包するし、「性的指向」と「性自認」だけでセクシャリティを語る風潮に疑問を呈す同性愛者の方もたくさんいらっしゃるね。

正直な話、(これ自体差別的ではあるから言いたくはないが)まともなアライ(セクシャルマイノリティ親和的であるストレート)自認の人は見たことがない。まともな人は大抵はなんらかの意味マイノリティだな。俺の狭い観測範囲では。

2019-05-13

増田ジェンダー系の話にイッチョカミカミしたがる奴らへ

増田ジェンダー系の話にイッチョカミカミしたがる奴らへ

とりあえず、

LGBTを読みとく: クィアスタディーズ入門』森山 至貴

くらい読んでみろ

完璧な本ではないが良くまとまっているし、ちょっとは話の流れが分かるようになるはずだ

2019-05-10

anond:20190510085853

PNZを含めるかどうかは一悶着ありそうだが(ちなみに俺は認める)、アライやクィアは確かに場違い言葉だな。

しか無駄に長い。これは流行らない。

LGBTTQQIAAP

セクシャルマイノリティはLGBTだけじゃない!あなたは"LGBTTQQIAAP"という言葉を知っていますか?

この記事読んだ。

LGBTはご存知の通り以下の4つ。

Lesbian(レズビアン女性同性愛者)

Gayゲイ男性同性愛者)

Bisexual(バイセクシュアル両性愛者)

Transgender(トランスジェンダー性別越境者)

そこにさらに以下を足したのがLGBTTQQIAAPらしい。

Transsexual(トランスセクシュアル性別違和)

Queer(クイア、当事者セクシュアルマイノリティ全てを包括する言葉総称)として抵抗運動クィアムーブメント)や連帯合言葉

Questioning(クエスチョニング、性自認社会的な性、性的指向確立できず、自問している人)

Intersex(インターセックス身体的な性別(体の性)を男性女性どちらにも分類できず、性染色体に異常がみられる。両性具有など)

Asexual(アセクシャル恋愛感情を抱くことがなく、性的に興奮することもない)

Ally(アライ、人権平等化やLGBT社会運動支援する)

Pansexual(パンセクシャル性的指向性別という概念を持たず、どんな性に対しても同じように性的指向を持つ)



え、おかしくない?

なんで「アライ」とかが平然と入ってるの?「クィア」?連帯合言葉ってなんだよ。

これ、性的少数者の分類じゃねーじゃん。ただ自分の味方とか認めてるやつを並べてるだけじゃん。

しかもしれっと「PZN」(ペド、ズー、ネクロ)とかを省いてる。

PZNも性的少数者なんだけど?「アライ」なんかより優先順位が下だってのか?

おかしいでしょ。そこまでして性的少数者内で差別を続けたいの?

はっきり言わしてもらうけど、こういう不誠実なダブスタ差別を続けてる限り、LGBTには何の正義もないよ。

蜘蛛の糸の犍陀多。救われようとしてるくせに、他の性的少数者を蹴落とそうとしてる。


記事のまとめ文を引用しよう。

セクシャルマイノリティ理解は我々日本人にはまだまだ足りていない部分が多いと思います

現状では、セクシャルマイノリティの方々が安心して普通に暮らせる環境がまだ整っていません。

誰もが自分らしく生きていける世の中にするために、一人一人がセクシャルマイノリティ理解を深めていく必要があると思います

そうだな。まずお前が理解足りてないよ。

この国で、いや世界で一番差別を受けてる性的少数者の分類は何か。

Pだよ。paedophilia。

性的少数者であるというだけで「犯罪」「加害」として石を投げられ続け、同じ性的少数者から差別される。

安心して普通に暮らせる環境」どころの話じゃねーよ。

2019-03-20

anond:20190320075036

よくわからないけど

http://kotomonashi.isapon.net/?eid=899

Enigmatic / エニグマティック(「自分ではどんな感じかわかっているがうまく説明できない」自認)

Genderqueer / ジェンダークィア既存性別の枠組みにあてはまらない自認。ノンバイナリー、ノンコンフォーミング、ヴァリアントなど呼びかたは様々)

Implasexual / インプセクシャル規則的に続く自己疑問やアイデンティティ問題が原因で、自身の性指向に満足していない)

Novosexual / ノヴォセクシャル自分セクシャリティ確信することが出来ない)

Objunctumsexual / オブジャンクタムセクシャル恋愛感情や性欲求が無生物に向く)

Pomosexual / ポモセクシャル(「そもそもセクシュアリティの分類は意味をなさない」という考えかた。ポストモダニズムセクシャルの略)

Queer / クィア既存の枠組みにあてはまらないセクシャリティ。また、セクシャルマイノリティを表す言葉。元は侮蔑語

Questioning / クエスチョニング(自分セクシャリティについて悩んだり迷ったりしている)

Quoiromantic / クォイロマンティック(恋愛感情とは何か、友情とどう違うか、がわからない。WTFロマンティックと同義

Quoisexual / クォイセクシャル性的魅力を他のタイプの魅力と区別できない)

Xgender / エックスジェンダー(男女の枠に囚われない自認)

Zoosexual / ズーセクシャル恋愛感情や性欲求人間以外の動物に向く)

のどれかには当てはまるんじゃないですか?

私自身はクォイ・ロマンティックのオブジャンクタム・セクシャルが一番近いかなぁ。二次専なので。

でもア・ロマンティック、オート・セクシャルっぽさもあるかなぁ。まあセクシャリティは流動的なものなので。考え方はポストモダンセクシャルが一番近い。

"ロリコン"の傾向もある("ロリコン"の定義はともかく)けど、成人男性なのでロリータではないです。でもロリータ服には興味があるので、ロリータさんデビューはいずれあるかもしれない。

2019-02-10

anond:20190210065903

フェミニズムイデオロギー一種なのは間違いない。無論日本人のよく勘違いする「イデオロギー=悪」という話にはならない。どんな政治思想イデオロギーから。(議会制民主主義イデオロギーだし「地球環境を守ろう!」もイデオロギー保守主義イデオロギー

英語だとGender Studiesと言った場合女性学クィア理論等を含む研究でnormativeな性質を保つ場合が多いが、Gender Analysisと言った場合ジェンダー観点を使っての純粋な現状の分析を指す場合が多い、と思う。

2019-02-09

現在フェミニズムのあり方を解説してみる

フェミニズムの人の言っていることが違和感ありすぎたので、そもそも私は何か誤解しているのでは?と思って色々調べてみたものをまとめる。

あくま主観であり、私のお気持ちの発露と思っていただいて構わない。

調べてみると結構誤解があった。

ちなみに私がしていた誤解は、「フェミニズムは、女性差別実態の解明や、それの解決のための実証的な研究をする」である

フェミニズムってなんで実証研究しないの?

実証研究既存研究のあり方が男性的なので、これまでとは異なるやり方を模索するためだから。

・そのやり方は模索であるが、柱となっているルールが「とにかく誰の主観否定せずに受け止めること」である

・「これ頭のおかしい人の意見だろ」みたいなのを、フェミニズムの本流の人たちが否定できないのもこれが理由

ブコメだと、フェミニスト仲間意識でどんなフェミニスト否定したり非難したりしないと思われているみたいだけれども、それは誤解。

否定できないのは、ただのフェミニズム仕様

・ただし、量的な実証研究をやっている人も少なからずいる。本流ではないけど。

フェミニズムってなんで実証研究しないの?2

そもそも文系しか哲学文学から派生した学問から

・あとは社会学心理学。学際領域ながら文系ばかり。

しかも、最近実証中心の社会学心理学ではなく、「数学をやりたいのならば数学科に行け」と言われていた時代の名残。90年代ぐらいまで。

・ただし、これらの理論研究が全く意味がないと思ってはいけない。

研究は大きく分けると理論実証工学活用)に分けることができる。

理論研究最近軽視されがちであるが決して役に立たないなんてことはない。そもそも実証のための大事な基礎であり、ここを丁寧にやらないとそもそも実証すべき問題ぶれる

・例えば、そもそも純粋数学なんて理論の中の理論だし。

・でも、フェミニズムはここしかやってない。しかアプローチ哲学から派生。他はせいぜいユングとかそういうのの名残。

社会学経済学心理学コンピュータの発展ですごく進歩したのに、女性学だけずっと変わってない。

・あと、ブログtwitterフェミニズムの話している人が内容のわりに、言ってることわかりにくいのも哲学文学が源流のせいかも。

実証エビデンス)でない意思決定なんてどうやるの?

・これはフェミニズムの人の言っていることでなくて、私の主観

・「保育園落ちた。日本死ね。」みたいに共感で動くことだろう。

・実は、これも必ずしも悪いことでない。

・例えば、保育園の倍率が100倍の場合と落ちた家庭が1組だった場合、前者の方が統計的には大きい問題だろう。

しかし、これは統計の間違った使い方で「数が大きくなければ問題でない」となってしま危険性が有る。

統計を扱う者ならば必ず訓練されるが、ほぼ必ず数の問題矮小化され苦しむ人が出てくる。

・この見捨てられそうな1組を大事にすることはやりやすいだろう。

マイノリティーを救うためには相性はいいのかもしれない。

フェミニズムって学問なの?イデオロギーなの?

・これはどちらもある。

・「女性の権利拡大」ってイデオロギーを実現するための、工学的な学問という人もいる。

・これに拒絶反応を持つ人もいるだろうけど、私はいいことだと思っている。

・「学問目的を持つことはいことなのか?」って問いには、例えば「教育をよくしよう」って目的教育学が存在するような者だと思っている。

・「学問イデオロギーと組み合わせていいのか?」に関しては、そもそもイデオロギー学問ぐらいしっかり体系付けて、理屈をしっかりさせてほしい。

フェミニズム目的は?

女性の権利拡大だけど、そのゴールが「女性の権利の拡大」か「男女の権利平等化」かは個人による。

・例えば、男性のみの徴兵制がある国では男女平等ではないと、自ら志願し軍隊に入る女性もいる。

・反対に、女性徴兵フェミニズム団体が猛反対する場合もある。

ちょっと興味深かった話

メガリア、ウォーマドって存在

日本過激派はまだおとなしいね

女性学トランスジェンダーへの差別を許容しているの?

・むしろトランス女性への差別に一番キレたいの主流のフェミニズムやっている人たちじゃない?

クィア理論という、男女の枠組みにない属性の性から改めて性を見つめ直し理論作りましょうってのが最近の主流。

・暴れている人たちは、フェミニズムのあり方である否定しない」をやり、かつ最近イデオロギーの主流である多様性の見つめ直し」を真っ向から否定している。

・でも、フェミニズムを学べば学ぶほどそれを否定することができない。かわいそう。

ここからは私のお気持ち

・新しいあり方の模索って無理だろ。

しかも、主流になっているのが哲学文学なせいで実際に起こっている問題に対する対応力が全くない。

・なのに女性の権利拡張運動のど真ん中にいるせいで、本当に苦しんでいる女性たちの邪魔

・先ほども書いたように、理論を丁寧に作っていくことに対しては全く反対しない。

・でも、それが何かを解決するとしたら何千年後だ。

・例えば「夫婦別姓」は、私は賛成してる。「改正による手続の煩わしさの軽減」って実利があるからだ。

・でも、フェミニズムがそれを推奨する理由が「旧来の男性主権的象徴であるから」だ。個人の苦しみなんて全く捉えられていない。

・先日のグッチのように、「これは差別象徴している」と「解釈」で糾弾することだけを延々繰り返す未来しか見えない。

男性の作り出した旧来の学問のあり方を否定し、模索するのは自由にどうぞ。でも、それに今生きて苦しんでいる女性を付き合わせるな!

2019-01-12

anond:20190112212128

こだわってるのはLGBTっていうよりリベラルだと思う

少なくとも2000年頃までは男女の結婚に捕らわれない生き方みたいのを持ち上げる傾向があったし

クィアとかが出てきたのもそういう文脈だった

2019-01-09

anond:20190109201751

LGBTLGBT以外だったらPZNにも理解ある人の割合って(少なくとも後者に比べたら)前者の方が明らかに多いと思うけど。

LGBTXとかLGBTQって言葉もあるし、あらゆるマイノリティ統一的に語ろうって空気はとっくの昔からあるんだからいつまで不貞腐れてるつもりなんだろう。

ついでに、ペドフィリアもズーフィリアネクロフィリアももちろん(他人権利侵害しない範囲で)認められるべきだけど、PZNという無理な括りには彼ら自身に対する侮辱すら感じる。

無限にあるセクシャリティの中からこの3つを選んだ理由なんて明らかで、「世間で最も吐き気を催す邪悪」として扱われているからでしょ?ただそれを追認しているだけ。

いい加減自分自身がPZN差別片棒を担いでいることに気付いたら?

しかクィア変態という言葉のように、侮辱意味を持つ言葉当事者たちから肯定的に語られるようになった言葉も沢山あるけど。

PZNという括りからはそんな前向きな姿勢微塵も感じない。

大多数の健常者?バカじゃないの。

結局おまえは自分を「健常者」だと自認していて、PでもZでもNでもないわけだ。

LGBT侮辱するための都合のいい棍棒としてPZNを利用しているわけだ。

まあインターネットを見回ってるとそういうの多いよね。

しかセクシャリティ境界はないし、「真のペドフィリア」とか、「真のズーフィリア」とか、そういう下らないトカゲの尻尾切りをするべきではないとは思うけど。

それ以上に目について不快なのは、「初潮過ぎた女子に興奮するのは正常だろ!」がどうやらインターネッツ自称ロリコンマン常套句らしいということ。

いや言うだけ自由だけどね?表現の自由人権からね。ヤクザでも犯罪者でも表現の自由はあるからね。

まあLGBTもね。自称バイとか自称トランスとかも割と怪しい人もいるけど、そういう「にわか」を受け入れることこそ重要だっていうのもわかるけど。

感情に任せて書き散らしてしまった。終わろ。

2018-06-16

増田ディベート部】俺は不良っぽい子が好きなんだが、共感してくれる人があまりいない

以下、ディベート便宜上、具体例とかを二次元限定するけど、

俺はもちろん現実の不良っぽい方も大好きだということを覚えておいてほしい。

俺は不良っぽい子が好きだ。

ラブプラス小早川凛子とか、まどマギ佐倉杏子とか、それ町の紺先輩とか。

もう少し幅を広げると、

ミルホ譲崎ネロとか、

Aチャンネルトオルとか、

デレマスの小梅とか、

わたモテのもこっちとか、

わたモテゆりちゃんなど

が好きだ。

「不良というよりそれ、ボーイッシュな子が好きなんじゃね?」

と思った人、それはいい線をついているんだが少しずれる。

送り手「ほれ、ボーイッシュですよ・・・

みたいなのにはイマイチハマりきれない。

それはそれでいいもんだけどな。

なんというのかな、いわゆる女の子からズレていく、

そのズレる運動みたいなものが好きって感じだ。

そんな毎日を送る俺だが、同じような趣味を持つ人に出会たことがない。

単体では、凛子も杏子以下略……人気が全く無いわけではないんだが、

「不良っぽい子」がまるっと好きな人を見かけない。

俺の中では一貫性しかないんだが。

ツンデレ死語)好きです、みたいな感じで。

これはいったい何故なんだろうか?

多分、無意識では好きなんだけど、

それを表現する言葉が上手く与えられてないがために意識に上らない、

そういう人も多いんじゃないかと思うわ。

名付けのプロみたいな人が「◯◯萌え

とくくってくれれば、同志も増えるのかな。

あと、そんなに不良っぽいのが好きなんだったら男でもいいんじゃね?

と思った人がいたら、それはかなりいい線をついている。

不良っぽい「女の」子、の女のを省いたのにはそこらへんの事情がある。

ワードだけ放り込むと、

クィアとしてのオタク」とは本当はこういうものだ、と強く主張したい。

この点は別の機会に譲ろう。

2018-04-01

女装男子じゃない僕が“ブラックプリマ”に思うこと(4/4追記)

エイプリルフールでしたね。

正確にはこれを書いている時点ではまだ22時も回っていないのですが、いかんせん打ち込むのが遅いので先に言っておきますエイプリルフールでしたね。

様々な企業コンテンツが悪ふざけをして、いろんなネタが生まれる日でした。余談ですが、僕の好きなゲームでもウソの日にちなんでカワウソからアイテムをもらえたりとかありました。

そんな中、化粧品会社花王からプリマヴィスタの新シリーズとして「女装男子専用下地 ブラックプリマ」が発表されました。

詳しくは見てみてください。僕の筆が早ければギリギリ間に合うと思います

https://t.co/9nqo0ywx5U

僕は女装男子ではありません。多少ジェンダー論とかクィア理論とか考えたことのあるだけのその辺のイモのフレンズです。ファッションメイクも興味あるけど見てるだけで満足。

だけどこのニュースはすごく喜びました。やるじゃん花王!!って謎の上から目線SNSでも褒め称えました。

そして「あれ?待てよ?今日は4/1だ、これはエイプリルフール企画では?」とも一応思いました。そして目に入る『2018年初夏発売予定』の字。ここまでしっかりしてるならきっと本当だ!なんて思ってSNS花王がすごいと書きました。

まぁでもみなさんお気付きでしょう。最上部にきちんと前提された『エイプリルフール企画』の一文。どうやら美少年タレントさんとの共同企画だった模様で、僕は盛大にずっこけ、「これって本当だよね!?すごい!」とはしゃいだSNS投稿をそっと消しました。ああ恥ずかしい。

恥ずかしさの次に湧いてきたのは、「これ本当に出ないのかな」という淡い期待と、「出ないだろうな」のじんわりとした悲しみ。

女装をしている、望んでいるわけでもない僕が何故じんわり悲しくなってきたのか、この記事はそこを自分で整理するためのものです。前提が長いですね。

四月馬鹿、と言うように、現在エイプリルフールは全力で馬鹿をやるお祭りの日となっていますお金のある企業はかなり凝ったものも打ち出して宣伝効果も狙っているのかもしれません。

そしてどこも必ず一夜の夢とばかりに『あり得ない企画』をやるわけです。余談ですが、僕の好きなゲームではキャラ総選挙直前にマスコットキャラ総選挙をやり、まだ声の付いていないキャラクターより先にマスコットに声がつきました。なんでよ。

まりプリマヴィスタが『ブラックプリマ』を出すことは『あり得ない』とほぼ明言されてしまったようなものでした。

現在化粧品業界消費者の9割以上はもちろん女性でしょう(データはとってないです)。女装男子専用化粧品を出しても採算が取れないであろうことは百も承知です。何より、一番最初に見やすく『エイプリルフール』と書かれているのです。完全に見落としてはしゃいだ僕が悪い

だけど、イモの僕でも知っているような化粧品メーカーが女装男子向けというニッチ商品に前向きになったということがとても嬉しかった。

この国はどんどん寛容になってきている。女装男子の受け入れはその一端、これからどんな人間でも生きやす世界になっていくんだ、大企業が目を向けてくれたっていうのはきっとそうなんだ……

ぬか喜びだったんですけど。

化粧品会社に妙に期待していたせいもあるのかもしれません。綺麗になりたい男の子存在を『あり得ない』と笑い飛ばし四月馬鹿にしてしまうなんてあるはずがないと思い込んでしまっていたのでしょう。

あくまでも化粧品とは綺麗になりたい女性が使うもの男性が綺麗になりたいと思うことはそもそもあり得ない。まるでそう言われたかのようなショックでした。

被害妄想が過ぎるなと自分でも思いますが。変にリアリティのある嘘をつくと、その分期待してしまって痛い目を見る人がいるというだけの話です。そしてそれがたまたま見落としの多い僕だったというだけの話です。

小説で「ドッキリなんて下手に人を驚かせたり過度に喜ばせたりするだけで悪趣味だ」みたいな台詞があったんですが、なんとなくそれがわかった気がする2018年エイプリルフールでした。そういう話。

……エイプリルフールについた嘘って一年間本当にならないそうですね。

本当に出ないのかなぁ、ブラックプリマ

4/4 追記

https://t.co/3kerOSHGa2

とか言ってたら本当に出たよ。どうしてくれるんだよこの記事。本当だと思ってぬか喜びしたらやっぱ嘘で肩透かし食らったと思ったらやっぱり本当でした。まぁ何はともあれありがとう花王

これ自体は嬉しいです。ただ、僕の言いたいことは「僕が女装男子向けの化粧品が欲しい」ということではないんです。もうちょっとだけ続くんじゃよ。

まず僕が悲しかったのは、「女装男子向け商品というものが『あり得ない嘘』として成立してしまうこと」なんです。

男が女装をする、メイクをする、綺麗になろうとする。性自認は男だけど女の子の格好をしてみたい、お化粧をしてみたい。そういう存在は『あり得ないもの』として見過ごされている。何故か。普通じゃないから。少数派だから

この記事にもいくつか言及されてますね。「女装って文化盗用なんじゃないの?(んなわけあるかあの記事鵜呑みにするんじゃない、というか何故この記事にそう言及しようと思った)」「女として生きるわけでない女装キモいから(人が好きな格好するのを真っ向から否定するんじゃない、何故性自認にそぐう服だけ着なければならないのか)」、まぁいろいろ。

ちょっと私情を挟んでしまったので結論が見にくくなってしまいましたが、要するにどこかにいるかもしれない人たちが、存在しないものと扱われているわけです。

女装男子じゃない、とわざわざタイトルに入れたのもその辺が大きかったです。僕は僕が女装するから、好きなもの否定されたから怒っているわけじゃないんです。いや女装も好きなんですが。

女装云々を置いといても、こうやって当たり前のように少数派が踏み潰されていい世界だったら、僕たちだっていつ「お前は存在しない」と言われるかわからない。それが怖い。

ていうか、男が綺麗になりたいことの何がそんなに変なんだろうね?

2018-02-23

家でもうひと頑張りしたいときのコツがわかった

仕事遅く終わってクタクタになって家に帰った。

「よーし!家事とかはやんないぞ!!明日土曜日だし明日やることにしてビール呑みながらクィア・アイみるぞ!」と、洗濯機の前に行き着替えをした。

ふとみると洗濯物が溜まっている。

面倒だけど目の前の洗濯機にぶち込むだけだしやるかな、とそれを始めたのをキッカケに

洗濯物干してあるのを片付け、畳んでしまって、ついでにベッドルームが散らかっているので片付け、洗い物を洗い、部屋の掃除をし始めたあたりでなんかおかしいと思った。

疲れててもう家事なんかしたくないのにいつまでも家事をやっている自分いるからだ。

ハァハァ言いながら疑問におもいつつも止まらない家事

ゴミをまとめながらハッと気づいた。

ブラを外すのをわすれていたのだ!

さっき着替えもおろそかに洗濯機を見てしまったのでブラを外し忘れたのだった。

同時にとても疲れているのに無限仕事をしてしまっている理由が分かった。

仕事をしているときはブラをしている。その仕事ともいえるブラを家庭に持ち込んでしまたからなんだ!

ある程度家事をキリのいいところまで終わらせたところでブラをバッと外した。

その瞬間、いつものダラダラとしている自分シュウゥゥゥ…と変身解除される感覚を味わった。

そうかー、いつも「家に帰ったら溜まっている家事を全部やるぞ!」と意気込んでも結局部屋着に着替えるとどうでもよくなるシステムはここかと理解した。

そうやって、ブラを外したがまだほんのちょっとだけ残っている力を使って、

家に帰るまではとても花瓶に水を入れる気力も残ってないぞと今日飾るのを諦めていたお花を部屋にかざり、

とても気持ちがよい状態ビールを開けるのであった。

みんなも仕事に行く時はブラをして、家でもうひと頑張りしたいときはブラを外さないとがんばれるかもよ!!

2017-08-29

Call Me By Your Name@miffレビュー

8月29日、思ったより拡散したため追記。自分ではネタバレなしのつもりで書いて、ツイートにもそう明記してしまったが、ネタバレという言葉には個人差があることをすっかり忘れていた。ネタバレ見たら死ぬタイプの風上にも置けない。地雷を踏んでしまったら申し訳ない。配慮したつもりですが、どうぞご注意ください。太ももの話以外もします。

なにせ太ももがすごいらしいのである

俳優アーミー・ハマーの太ももである

サンダンス映画祭直後、賞賛と祝福の声とともに、あまりの刺激のために悩殺されてしまったという感想ツイート散見されて、映画祭参加の幸運に預かれなかったファンはもどかしさに身悶えしたのであった。

Call Me By Your Name1983年北イタリアとある町のひと夏を舞台にした、二人の青年あいだの恋を描いた映画である。くわしくはimdbを参考にされたい。

http://m.imdb.com/title/tt5726616/

この映画2016年5月世界中の一部界隈にて話題になった。言わずもがなアーミー・ハマーファン界隈である。そのあまりに蠱惑的なあらすじにつられて手に取ったのが原作小説である

そんなごく軽くかつ不純な動機で読み始めたAndré AcimanによるCall Me By Your Nameだが、回顧体で描かれた物語に一瞬で虜になった。

冒頭のシーンからして心憎いのである

まりにも印象的な出会い、一生を変えてしまうたった一言から語り始められるその物語は、意識の流れを実に巧みに取り込んだ、プルースト研究者でもある著者ならではの文体で読者を陶酔させる。やがて語り手であるエリオと一体化した読者はオリバーの冷淡さに苦しみ、意外な素顔を見せられはっと息を呑み、ただ呆然と結末を迎えることになる。

ツルゲーネフの「はつ恋」やらナボコフの「ロリータ」やらをこよなく愛するわたしにとっては好み直撃ど直球であり、そのうえアーミー・ハマーの太ももやばいとあってはなにがなんでも映画を見なくてはという気持ちになった。

しかネタバレ見ると死ぬタイプオタクにつき、どうしても世界公開より先に見たいという気持ちを抑えられない。はたしてMIFF(メルボルン国際映画祭8月3〜20日、CMBYNは4日と6日上映)に飛んだのである

笑ってほしい。

かなり早い段階でチケットも売り切れ(一度キャンセルが出たが、最終的に上映日までには両日完売!)ていたため、予想はしていたが、当日は冬のメルボルンにて1時間から長蛇の列である

席は早い者勝ちなのでみんな普通に必死だ。特に二度目の上映での、劇場をぐるり半周する列は写真に撮らなかったのが悔やまれる。みんなが手の端末にQRコードを表示させ、南半球ならではの冷たい南風に身を縮めながら待機している。

2度のCMBYN上映の他は同じくアーミー・ハマー出演のFinal Portraitに参加したばかりだが、それに比べるとやや平均年齢が下がるかなという感じ。

それでも、老若男女ということばがふさわしい、実に幅広い客層。

そんなことより映画だ。ここからネタバレはなるべく避けて進める。なにせネタバレ見ると死ぬタイプなので安心してほしい。後日一部シーンバレ感想もあげるつもりでいる。万全の態勢です。

さて、本編はピアノ音楽によって始まる。

劇中曲について、MIFFのQ&Aにてルカ・グァダニーノ監督が語っていたことだが、基本的には登場人物が耳にした音楽……エリオの弾くピアノ曲ギターオリバーが身を委ねて踊るダンスミュージック家族が耳を傾けるラジオレコード……に限った、とのことである。それを知らされるまでもなく、最初楽曲から没入感があり、一息に世界に引き込まれる。

そしてオリバーが現れる。イタリア太陽である。明るい陽光主人公エリオのいる部屋の暗がりを際立たせる。

エリオを演じる当時弱冠20歳ティモシー・シャラメは終始少年健全さと病的な魅力をひとしくたずさえて美しいが、とりわけ夜、ベッドでのシーンでの肌は内部から光を放つようだった。

アーミー・ハマーが、その見せ場においてはつねにイタリア太陽に照らされて灼けたなめらかな肌とあかるい金色に見える髪を輝かせているのと好対照で、一場一場面が絵画を見るようだった。あるいは、冒頭でわれわれを一息に映画世界に引き込む、連続的な彫刻群のショットのようだ。

この対照関係意識されたものだと思う。

エリオオリバーに魅了されるのはかならず真昼の屋外だし、エリオオリバーを室内に引き込むと、オリバーは初めて(ようやく、と言ってもいい)エリオに見とれるのだ。

野外と屋内、昼のシーンと夜のシーンが交互にさしはさまれて、われわれ観客はふたりうつくしい青年に2時間超の間目まぐるしくも目移りしてしまうのだった。

そしてくだんの、アーミー・ハマーの太ももである

ももに殺されたひとびとのツイートがいまならよくわかる。

しかしいざ太もも談議をするとなると血で血を洗う戦争になるにちがいない。

短いショーツか、あるいは水着でのシーンが大半で、太ももは終始晒されているので各人のフェイバリットももがあることだろう。

マイフェイバリットももとある場面にてエリオとともに床にぺったりと座るオリバーの太ももである。だが自分多数派である自信はない。これについてはまたあとで。

オリバー原作よりもなお複雑で謎めいたキャラクターになっていると感じる。

原作では物語がすすむにつれ、読者はエリオとともにオリバーの知らなかった一面に驚かされるのだが、映画ではむしろ序盤からオリバー大人の男としての魅力と奔放な子どものような無垢さが入れ替わり立ち替わり現れてエリオないし観客を翻弄するのである

(シーンバレありの記事にでも書くつもりだが)序盤からオリバーエリオよりも幼い子どものようないとけない振る舞いを見せ、グァダニーノ監督言葉を借りるなら、エリオより「なおイノセント」だった。

アーミーハマーファンの同志は心してかかってほしい。奇声を発するか原作エリオ言葉を借りるならswoonに至らないよう上映中握りしめるなり揉みしだくなりできる柔らかい布など持っていくことをおすすめする手ぬぐいとか)

そのような差異こそあれ、アーミー・ハマーオリバー原作を読みながら夢想していたオリバーほとんど完璧に一致していた。

この結論にはアーミーハマーのじつに感情たかな目の表現が大いに寄与しているのだと思う。たとえば「J・エドガー」でのクライドトルソン役において彼が見せたような目つきだ。沈黙の場面で熱っぽく目が話す。このものを言う目がとくに生きるのは、逆説的だが目の映らない場面で、たとえば映画の中でもひとつクライマックスにあたる戦争慰霊碑のシーンがその一例だ(トレーラーにも引用されていた)。

もうひとつ、結末に近い重要な場面でピントを外したカメラオリバーをとらえる。オリバーの顔が長く映されるのだけれど、けして鮮明な像を結ばない。観客は食い入るようにスクリーンを見つめてはじめて、自分エリオと同じようにオリバーの目に浮かぶ表情を読み取りたいと熱望していることに気づかされる。

目について語るならばティモシー・シャラメにも言及しなくてはならない。

ティモシー・シャラメは今後少なからず目にする機会が増える役者だとつくづく思いしった。身体の使い方が素晴らしく、手足の隅々まで神経を張り詰め、あるいは意図的脱力し、髪の先まで演技していると感じさせる。(この先エリオ面影を振り払うのが難しいのではとも感じるが、むしろその印象を己に利するものとして使ってほしいしこの期待は報われるにちがいない)

だがなによりも、その目つきである! トレーラーにも含まれていた、踊るオリバーをじっとりと見つめるあの目が全てではない。映画から小説通底する一人称の語りが省かれているものの(あれば安っぽくなり得たと個人的には思う)それを補って余りあるティモシー・シャラメの目つき。

まさに小説が羨む技法で、文字で書かれたフィクションを贔屓しがちな身としては、こういった映画化を見せられるとただひたすらに喜びを感じてしまう。

さてトレーラーといえば、あの実に夢見心地で幻惑的で、緊張感とせつない予感に満ちた映像を、わたしだってリリース直後には再生する手が止まらなかったほど熱愛しているが、 本編とは少しトーンが違っているとも思える。

トレーラーから、そして原作から想像していたものにくらべると、より明るく、ユーモアがあり、笑いだしてしまう瞬間がある。

かなりの頻度で笑いが起こっていたが、これは映画祭だったのと、おそらく英語圏中心とおもわれる観客層も関係してくるのかもしれない。

ただ、エリオ食卓でのとあるシーンについては国内映画館でも笑いが起きると予想できる。そしてその直後におとずれるエリオオリバー官能的な接触に息をのむことになることも。(さてくだんのマイフェイバリット太腿はこの場面で登場する。すくなくとも個人的にはこの場面はお祭りだった。細いのに肉感的な大腿部に釘付けになるあまり台詞をごっそり聞き逃したのだ……)

こういった感覚の急激な転換は映画全体を通して言えることで、一瞬たりとも気を抜けないと感じた。ほほえましく口元を緩めた直後に、心臓が指でひっつかまれるように締め付けられる。

ところどころに埋め込まれた、笑える箇所について、今ふと思ったが、これは原作にて重要役割果たしているが本来映画だと表現しにくい「時間性」をどうにか持ち込もうとした結果なのかもしれない。

10代のころの恋愛とか、恋愛でなくてもエモーショナルなやりとりは当時は必死真剣なんだけれど、そのときの行動を大人になって振り返ってみると、わがことながらおかしくて笑ってしまう、あの感じがよみがえるみたいだ。

そのようなノスタルジーを引き起こす展開に身を委ねるうち、二度の上映は割れんばかりの拍手でしめくくられた。自分も同じように手を叩きながらLater、と軽やかな別れの言葉脳内で繰り返していた。原作で読んで想像していたよりもなおあっさりと、冷淡で、なのに奇妙に耳に残るオリバーの声。

一夏の客人のその挨拶を、エリオが、母が、父が真似たように、自分もつい口にしたくなるはずだ。

じつは原作を読んだ時から自分は最適な読者じゃないと思っていた。

小説として心から好んではいものの、「この物語自分物語だ」「この物語によって救われた」「こういう物語が描かれるのをずっと待っていた」と感じる人がいることを、一行読むごとに、確信し続けたからだ。

この映画現代を生きるごく若いセクシュアルマイノリティに届くことを願っている。

キャロル』がそうであったように、相手性別特別なのではなく、ただその相手特別だっただけ、ということを描いた映画。だが一方で、両親という存在の描かれ方において、この作品はこれまでのクィア作品と一線を画している。

そして、『ムーンライト』があまりにも普通恋愛映画であるという事実特別だったのと同様に、Call Me By Your Nameエリオの一夏の恋愛は美しいと同時に「ごく普通青少年悶々とする」という部分が色濃くて、その事実をとにかく祝福したい。

自分はこの映画クィア映画だとは思っていないのだとグァダニーノ監督がQ&Aで語っていたが、この言葉がすべてだと思う。

10代の頃に出会ってたら人生が変わっていたなと確信を持つ映画はいくつかあるけれどCMBYNはそのトップに躍り出た。

現在のところレーティングはR18のようだけれど、そこまで直接的なショットはなかったように思う。

何かが起こったこと、そして何が起こったかから目をそらすという悪い意味での曖昧さは無いが、物語破綻させないように、そして必要以上にセンセーショナルに煽らないと努めての結果なのかもしれない。

からこそ、PG12かR15バージョンが作られるといいなと思っている。エリオと同年代の、この映画肯定感を本当に必要としているひとたちに見てもらいたい。

キャストきっかけに興味を持ったCMBYNだが、自分の中にそびえる金字塔を打ち立てた。日本に来た時にも従来の俳優物語ファンに愛されるのはもちろん、新しい映画として多くの観客に愛してほしい。そして本当に必要としているひとにぜひとも届いてほしいと思う。

ちょうどこのレビューを書いている最中8月23日)にMIFFの観客賞が発表され、Call Me By Your Nameが晴れて1位を獲得した。http://miff.com.au/about/film-awards/audience#

もちろん自分も最高点の星5つで投票したし、あの盛り上がりを考えると納得の結果だ。

アジア内では台湾映画祭での上映が決まっているCMBYN。東京国際映画祭に来ないはずがない、と信じている。

お願いします。

邦訳本もどうぞよしなに。

2017-02-22

ゲイオープンで恵まれてるけど生きづらい

カミングアウトなんて言葉自分には合ってないくらい、そもそもクローゼットもなくて、親、友達職場自分ゲイだって知ってて、彼氏も紹介しまくってて、

幸いにも、強い差別劣等感ゲイであることに関して与えられないで、アラサーまで生きてきたけど、

生きづらくない、なんてこともなく、結局生きづらい。

オープンなだけであって、クィア的でない、積極的権利獲得家なわけじゃない。というかオープンってなんだ。隠す意識ほとんどなく来ちゃったよ。

からLGBT」界隈で浮く。自分マイノリティとしての思いみたいのはあるんだけど、「LGBT」のテーマあんまり重なっていなかった。

ホント批判とかじゃなくて、もう、なんか自分ぬるま湯甘ったれて恵まれててすんません、ってなる。話せなくなる。

権利とかもちろん保証されたいし(彼氏同棲してから将来の不安とか考えるようになった)、遺族年金裁判も気になるし、

でもこういうのってマジョリティ政治参加な気がして、葛藤する。んなのどっちでも正しいのに、オープンで恵まれてる自分葛藤してるのとかクローゼットの中だ。クローゼットあったわ。

いや、彼氏に話すけど。いや、でも夫に妻に政治の話をするのか? いや政治の話ではないし。なにこれ。社会通念との軋轢? いやマイノリティ社会に溶け込めないマイノリティ

というか恵まれてるのか?

……恵まれているのかって考えると、恵まれてるんだよな。生きてるし。自殺する人、多いからつらい。

まれてたら、恵まれない状況になるまで健康に生きるしかないのか。

法律が変わるのはいつも悪いことが起きてからから、本当に真面目に政治のいい国の国籍を取る方が現実的なんじゃないか、とか考えちゃうのいやだ。

この前、フェイスブック結婚ラッシュ見てて、けっ!って思って、自分結婚指輪買ってプロポーズしたぜって投稿したら(実際去年同棲中の彼氏にした)、

いやそんなにユーザーいたの? 普段いいねって2、3件じゃん!って突っ込みたくなるくらい桁が二つ違ういいねとかがついて、俺そんな友達いた?ってなった。

なんか、こういういいねが1万集まったら、内縁関係認めまーすとか、保険は無理だけど年金は認めるよとか、遺産関係以外のお金簡単に認めらんなくてねぇ、戸籍上の表記くらいはさせましょとかしてくれればいいのに

あー、政治的

逆に、じゃあノンケ友達女子友達に、話せるかって、いや話した所で……ってなる。話すけど。

そういえば昔、高校同窓会公務員になった同級生に、みんな(性的少数者)がまとまれ法律はすぐ動かせるでしょ?とか言ってきたけど、

いや、もうホント誰かまとめてよ、ってなる。

クローズオープンも正しいのに、両立できないの疲れる。

いや確かにクローズ社会的障壁だと思う。でもなんかそうかな? 別に言いたくないことを言わされる必要ないし。

なんで秘密にするのかって話になると、体裁とか学校とか思春期とか教育とか価値観とか親とか、色々言われるし、全部しっくり来るし。

それ聞いちゃうと、よくもまぁ自分は全部かいくぐってきたなって思うし。

ずっとクローズでもいいじゃん。って本当に思うから本当に会う人に言ってるんだけど、

オープンのお前に言われたくねぇ、みたいになるから、結局そもそもオープンのお前に言われたくねぇって面と言ってくれる関係の人としか話してないな。

そう考えると、別にオープンなわけじゃなくて、生きやす人間関係の方へ流れていってるのか。

嫌なやつからは逃げてる。ということは、やっぱり自分マイノリティ性ある?

いや、嫌なやつとか普通に他の人と変わらない率でいるよ。戦う時もあれば、逃げる時もあった。

贅沢なのかな。贅沢なんだろうな。

とっととゲイとか普通になんないかな。

オープンだと、ゲイとか初めて会ったとか言われんの。バカなの?

たかもしれないけど、って添える人、ありがとう精神的波風立てないの大事

でも、オープンとしては、そもそもオープンに話したいわけで、別に取り立てて自分ゲイであることが重要でないわけで、

もっとね、さらっと流そう。

と上からで言ってみても、そもそも、さらっと流せる人だと思えた時点でしか言ってないわ。ちんちくりんだわ。

中学ん時はめっちゃ喧嘩したな。喧嘩しといてよかったな。キモいかいうやつにブチギレてたな。

なんでゲイであることに自信あるんだろうと考えても、別にないし、自尊心も大してないし、鬱になったことだって普通にあるし、鬱治ってんのかって言われたら治るとかってもんじゃねぇしって言い返すし、

あーでも一つは親はあるんだろうな。

12歳の時に言った時、ダメだったら家を出てどうにでも生きてやろうって思ってたな。そういう意味では自分普通じゃないって自覚してたな。

拍子抜けした。

今になって母と話すと、当時は母はそういう相談ダイヤルとかも使ってみたり、LGBT家族的なのも調べたりしてたらしくて

(当時、親に衝撃を与えていたのを気づかなかった。気付かなかったもんだからそれから親の前でもイケメン筋肉芸人とかに普通にハマったりしてた。ポスターとか貼ってた)

そういうとこでの色々な違和感とかも感じたり、もちろん違和感だけじゃなかったけど。違和感があったからこそ(多分俺がゲイであることに悩んでなかったから)、

最終的に、俺は俺だしいっか、ってなったらしい。

うん、恵まれてる。

生きづらいだなんて、口が裂けても言っちゃいけない。

でも政治的オープンゲイによる強制オープンはよくないって常々思うから自分はそういうオープンにはなりたくないなってクローズ友達の前で少し気をつけてるかも。

なんで俺がゲイ同士に挟まれにゃならんのだ。

もう、極端、やめよう!

オープンクローズも同じように保証しましょ。現状通りか。

えーでも、金持ちになって子育てとかしたいわ。悪影響とか言われても知らんわ。国内に敵がいるなら海外で育てる。

そんなに金ないや。

まれるの早すぎたのかなぁ。同性で子供つくって育てる未来の方が生きやすかったかなぁ。

ゲイで、オープンで、同棲してて、

それ以上を望むなってプレッシャーは嫌だし、じゃあ権利獲得に尽力しろっていうのも。

グラデーションの性のように、政治的グラデーションゲイでいいじゃん。ってか政治的グラデーションノンケばっかりだよ世の中。

いや、何が言いたいんだろう。

わりと、普段からこの微妙オープン性のせいで極端な意見ばかり聞かされてるのかもしれない。

ノンケからしかり、女子からしかり、クローズからしかり、クィアからしかり、

アメリカみたいな劇的変化もいいけど、まぁ、なんか取り立てて、とっとと普通になればいい。

2016-03-07

キモオタによるフェミニズム概論

フェミニストからキモオタ死ねと言われ、私はもちろんキモオタであるから激昂してクソフェミ死ねと言い返しかけて、そこでふと気がついて困惑した。

フェミニズムとは何だろうか。

私はフェミニズム名前ぐらいしか知らない。しかし知らないものを知らないままにしておくことは、少なくとも私にとってキモオタしからぬ行為である。私は自分に自信をもってキモオタでありたい。クソフェミ死ねと罵られるキモオタであることに誇りを持ちたい。ならばフェミニズムについて知らなければならない。

しかフェミニズムについて知りたかったら何を読めばいいのか。これが意外と分からない。ロールズやセンを読めというのを見つけたので読んでみたが、やはりフェミニズムが分かった気になれない。

そこで手当たり次第に適当にフェミニズム書籍を読んでまとめみることにした結果が本稿である。決して十全ではないが、私同様、フェミニズムをよく知らないオタク諸姉諸兄にとって、フェミニズム理解の取っ掛かりになれば幸いである。

フェミニズムとは

フェミニズムは大きく三種類ある。ラディカル・フェミニズム(以下ラディフェミ)、リベラルフェミニズム(以下リベフェミ)、そしてマルクス主義フェミニズム(以下マルフェミ)であり、それぞれ理論の組み立ては全く異なる。以下順に見ていこう。

ラディカル・フェミニズム

現在のラディフェミ理論的支柱はキャサリン・マッキノンと言っていいだろう。「性の不平等の源はミソジニー(女嫌い)」であり、「ミソジニーの源は性的サディズムにある」(C.マッキノン,"フェミニズム表現の自由",1987,*1)。そして社会に溢れるポルノグラフィ(以下ポルノ)こそが「性差別主義者社会秩序の精髄であり、その本質をなす社会的行為」(*1)に他ならないと喝破する。この諸悪の根源ポルノであるという揺るぎない確信からポルノ法規制を推進する。

ポルノ性犯罪を誘発するという統計的証拠はあるのか。この批判に、しかしマッキノンは自覚的である。誘発するという調査もあり、無いという調査もあると率直に認める。従って彼女が起草した反ポルノ法は「被害をもたらすことが証明されうる物だけが告発できる」(C.マッキノン&A.ドウォーキン,"ポルノグラフィ性差別",1997,*2)。「証明されるべき被害は、強制行為、暴行脅迫、名誉毀損、性にもとづいて従属させる物の取引といった被害でなければなら」(*2)ず、不快に感じた、宗教上の信念を侵しているといった被害は認められない。被害者ではない第三者告発することも認められない。

ポルノには、ホモレズ二次元も、古典文学から芸術作品まで被害をもたらすことが証明される限り全て含まれる。自分が叩きやすゲームマンガだけを槍玉にあげて、自分が叩かれやすい文学や芸術から目を背けるチキンではない。殴るからには全て殴る。それがマッキノである

なお、田嶋陽子はラディフェミを名乗りドウォーキンへの共感を示しているが、ポルノ諸悪の根源とはせず、現実的政策としてはリベフェミに近い内容を述べているため注意されたい("愛という名の支配",1992)。

リベラルフェミニズム

J.ロールズの「公正としての正義」やA.センの「不平等の再検討」をその理論的土台とし、リベフェミは次の点を問題視する。「ジェンダーシステムは、その根を家族における性別役割にもち、事実上わたしたちの生活の隅々まで枝葉をはびこらせた、社会の基礎的構造のひとつ」(S.オーキン,"正義ジェンダー家族",1989,*3)であり、「女性男性重要差異が、家族内で現在おこなわれている性別分業によって作られる」(*3)。

夫婦がともに働いている姿を子供に見せることが教育上望ましいと考え、そして共働きにおいて妻にだけ家事育児押し付けられることは不平等であり、二人で平等に分担するべきであるとする。もし専業主婦なら、夫の稼ぎは夫婦二人で稼いだものとして両者で均等に等分すべきだとオーキンは言う。

このように家庭内賃金労働の不平等の解消によって性差別の無い社会が構築されるとする考えから、リベフェミ女性社会進出を推奨し、出産休暇や託児所の拡充、男性育児休暇取得を推進する。また「子どもたちがなりたい人間になる機会」(*3)を拡大するため――その機会を無知ゆえに狭めないために、性教育重要性を訴える。

なお、「男性を敵視し憎む分派は消滅するだろう」(B.フリーダン,"新しい女性創造",1965)が示すように、フェミニズム男性女性権力闘争化することに否定的立場をとる。

マルクス主義フェミニズム

出産を含む女性の家事育児は明白な労働行為である。にも関わらず男性社会はそれに一切の支払いをしてこなかった。ゆえに女性とは搾取されるプロレタリアートであり、その意味で男性とはブルジョワジーである女性の抑圧は、資本制と家父長制の構造上必然的に生じたものであると喝破し、資本制・家父長制の打倒を訴え、そしてこれが日本の伝統フェミニズムである

女性社会進出に関してはリベフェミの主張とほぼ同一だが、フェミニズムの主要な敵は男性であると断じ、マルフェミでは家事育児という労働に対する賃金の支払いを請求する(上野千鶴子,"家父長制と資本マルクス主義フェミニズムの地平",1990,*4)点で異なる。ただし誰に請求しているのか、また家父長制を崩壊させるために「資本制との新しい調停」を、というが、それが共産制かというとそれも曖昧で判然としない。

日本ではさらにそこに独自思想が入り交ざる。例えば男女混合名簿の推進は「日の丸君が代シンボルとする儀式を撃ちくずす」(河合真由美,"「男が先」を否定することでみえてくるもの――学校の中での性差別男女混合名簿",1991)から良いのだ等、目的が何なのか、いささか混沌としている向きも見受けられる。

その他のフェミニズムと補足

レズビアンフェミニズムブラックフェミニズムエコロジカルフェミニズムポストモダンフェミニズムなど多岐にわたる。マルクス主義フェミニズムの派生であるサイボーグフェミニズム(D.ハラウェイ,"サイボーグ宣言",1985)は読むとつまらないがネタとしては面白い。あとキワモノで言えばスピリチュアルフェミニズムとか。

補足1:クィア理論

同性愛者とフェミニスト関係は、従来男性権力社会に対する「敵の敵は味方」関係に過ぎなかった。そこで登場したのが「フェミニズムと、ジェンダーに関するゲイレズビアンの視点と、ポスト構造主義理論を、政治的ひとつに纏め」(J.バトラー,"ジェンダートラブル",1990)たクィア理論である。これにより統一戦線理論的に張ることが出来るようになった。

補足2:男性差別

リベフェミは広範な男性差別否定するが、アファーマティブ・アクションでの男性差別肯定する。ラディフェミ男性敵視の姿勢を持つが、しかしマッキノンは男性けが徴兵されることは男性差別だとして否定する。「平等とは、ジェンダーの違いではなく、ジェンダーヒエラルキーを問題にし、その根絶をめざすものである」(*1)からである。マルフェミはよくわからなかった。女性兵士に反対しているので、男性差別肯定されるのかもしれない。

フェミニズムが扱う問題

セクハラ家庭内暴力中絶女性兵士等色々あるが、本稿ではオタク、わけてもアニメオタク関係の深い「性の商品化」について取り上げる。

「性の商品化」の法規制

マッキノンは、猥褻として過去に規制された、まさに「性の商品化であるユリシーズ(J.ジョイス,1922)について「ポルノではない」と述べる(*2)。現実の被害が証明されていないからである。「性の商品化」は法規制の理由にならない。

リベフェミであるN.ストロッセンは「子供や妻への虐待強姦日常的な女性への屈辱行為などを正当化する内容が詳細に述べられている」書籍として聖書をあげ、「禁止されない安全思想などほとんど存在しない」("ポルノグラフィ防衛論",2000)とする。そして性教育がかつて猥褻として政府に規制された例を上げ、ポルノ禁止法は政府検閲に利用されると強く批判する。

一方、上野は「性の商品化」だとしてミスコン廃止を訴えるフェミニストについて、彼女らは「法的取り締まりを要求したわけではなく、受け手として「不愉快」だという意思表示権利行使であると言う。そして「性の商品化」は「メディアのなかでも、なんらかの基準がつくられる必要がある("「セクシュアリティ」の近代を超えて",新編日本フェミニズム6,2009)」とする。

ここから見えてくる点として、女性が「不愉快であることが問題なのだということが分かる。「性の商品化」とは何か、それに実害があるかは、おそらく最終的にはどうでもいいのである。さらに求めているのは自主規制であって法規制ではない。自主規制によって発言者は自ら口をつぐむのだから表現の自由は全く関係のない話である

不愉快」による法規制正統性

リベフェミであるマーサヌスバウム嫌悪感を根拠とした法規制を徹底して批判し、ゾーニング妥当性を論じるが("感情と法",2004)、マルフェミである永田えり子は「ポルノ市場が成立すれば、必然的ポルノ市場の外部に流出する。そして流出すると不快に感じる人がいる」("道徳フェミニスト宣言",1997)としてゾーニング効果がないと批判する。

ポルノは「人々に広く不快を甘受させているかもしれない。そして事実不快だという人がいる。ならば、それは公害である」。「性の商品化は多くの人々に対して、確実に何らかの不快や怒りを与えるはず」であるがゆえに規制されるべきだと主張する。

そのような不快感を根拠とした規制は恣意的運用がなされるという批判は当たらない。曖昧な法は他にもあるが、現に警察と司法は正しく運用しているかである。性道徳に根拠が無いという批判も当たらない。「根拠がないということがすなわち不当であるわけではな」く、それは「正しいから正しい」のである

なお、福島瑞穂非実在児童ポルノ規制は法的安定性が保証されないとして反対しており、この永田見解がマルフェミ共通見解でないことは述べておく。が、例えば児童ポルノ法規制に対して日本ユニセフ協会広報室長の中井裕真から司法は正しく運用してくれる旨の見解が述べられており(永山薫昼間たかし,"マンガ論争勃発2",2009)、これがフェミニストの通説でないことは明らかだが、一定存在する見解であるように思われる。

日本草の根フェミニズム

初期の日本フェミニズムには「反主知性主義」があり、「女性であれば(女性としての経験をもってさえいれば)誰でも女性学担い手になれること、専門的なジャーゴンや注の使用を避け」、「プロアマ距離をできるだけ近づけること」が目指されたと上野は述べている("女性学の制度化をめぐって",2001)。

こうした取り組みで女性が声をあげられる空気を作り出すことに成功したが、結果としてフェミニズムは「一人一派」と化した。筆者の私見に過ぎないが、これは同時にフェミニズムと「私」の区別を曖昧なままにしたのではないか。

「私」とフェミニズムが一体化しているとすれば、「私」が不愉快ならフェミニズム上も不公正に決まっている。それが従来のフェミニズム理論と矛盾していたり整合性が取れなくとも関係ない。「「オンナ対オトコ!」なんて言ってるフェミなんて、いないのになぁ」(北原みのり,"フェミの嫌われ方",2000)が示す通り、従来の理論について知識も興味もないフェミニストは珍しくない。知らなければ(当人の中で)矛盾はしない。

理論を欠いた思想は、しばしば信念や信仰へと還元されてしまいがちである」(*4)と上野は言う。そのような啓蒙主義者にとって「真理はつねに単純である。(中略)真理を受け容れることのできない人々は(中略)真理の力で救済することができなければ、力の論理で封じるほかはない」。そうして治安警察国家を招き寄せる人々は「反主知主義の闇の中に閉ざされる」。

これは実は上野によるリベフェミへの批判なのだが、筆者にはリベフェミではないところに突き刺さっているように思えてならない。

おわりに

このようにフェミニズム一言で言い表せるような概念ではもはやない。日本の初期フェミニズムはマルフェミが中心であったが、現代日本フェミニストは必ずしもそうではないだろう(例えば堀田碧は"「男女共同参画」と「日の丸フェミニズムの危うい関係"で一部の若いフェミニスト愛国心に苦言を呈している)。

最後になるが、フェミニズムはクソだという見解に私は全く同意しない。職場上司女性社員の尻を撫でることは強制わいせつ以外の何物でもないし、家庭内暴力夫婦喧嘩ではなく傷害である。どれだけ成果を上げようが性別を理由に賃金を低く抑え、出世コースから排除するといった制度の是正フェミニズムが尽力したことを、私は決してクソだとは思わない。

私がクソだと思うのは、……まぁ、書かなくても察してもらえるかと思う。

いささか長い増田になった。この程度の調査力でキモオタとかw という批判は甘んじて受けるしか無いが、とはいえもし誰かの理解の役に立ったのならそれに勝るものはない。

2016-01-08

今日の気になったコメント

http://b.hatena.ne.jp/entry.touch/275770388/comment/

クィアとかはこれも含めた議論をしているけど、それ以前に当事者運動すらないのに、「被抑圧下で権利主張を行うマイノリティ」に対して自分たち以外の権利獲得・保護まで一方的に背負わせるのは無理筋だと思います

inumashinumashのコメント 2016/01/07 15:13




気になったのは「当事者運動すらないのに」という点。

たとえば子ども人権なんかは子ども人権運動をしていなくても保護されるべきものだよね。

ということは「当事者運動がない」からといってそれは無視されるべき対象にはならないはず。

LGBT活動LGBT人権獲得のみを対象にするというのはいいんだけど、「当事者運動がある」ということが人権獲得運動の仲間に加わる条件にだというなら、例えば人権獲得運動に加わってないLGBTの人たちには人権は認められないことにならない?

(実際にはオタクの人たちで社会的権利を得ようと活動をしている人たちはいるとは思うけど)

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