はてなキーワード: 理想郷とは
ほとんどの人は無関係で別の世界のお話だと思っているかもしれない。しかし風俗に行く男は直接関係している当事者だ。同じ世界の地続きの話だ。そして、風俗嬢からすれば風俗に来る男は金でしかない。しかし俺は風俗に行く男側の気持ちもわかる。「何か人肌恋しいし、寂しいし、ヌキたいな」ぐらいの気持ちだろう。その男たちもまた、愛されたいのだろう。
男側になぜか勘違いしているやつがいるのだが「風俗をやる子なんだからエロいことが好きなんでしょ」と思ってるやつが比較的多い。そういう男はマジでバカだ。そりゃあ稀に本当に好きな女もいる(ただしそういう女も結局病んでいる。セックスが好きなだけなら出会い系でいくらでも選べるからだ)。しかし全体的には「キモいジジイの臭いちんこをしゃぶって自分がただただ惨めな気持ちになる」「金を払わなければセックスもできない男どもに人生を吸い取られている」というものになる。清潔感あふれるイケメンが来ればある程度軽減されるようだ。ただし結局、風俗の客という記号にすぎない。凡俗の男なんて、ヤられながら「しあわせ……」って言って微笑んでりゃ落ちるのだ。雑魚乙チェリー乙である。(ただし中にはそのまま本当にカップルになる・結婚するパターンもある。だから余計に厄介なのかもしれないが)
担当がわかってくれないというときもある。担当がストレスで精神崩壊しているときは対応がおざなりになる。毎日毎日よくわからない男たちのちんこをしゃぶっていれば毎日狂う。なぜ1回を1本と呼ぶか。ちんこの本数だ。ネットでは「いいえ、実はプレイ時間に使う線香の本数のことなんです!」というクソみたいな由来説が出てくるが、これは求人サイトで「風俗はクリーンなお仕事!!」と見せるためのものだ。風俗はクリーンではない。線香の燃焼時間についてググったら「短寸(短い線香)よりも長いタイプは長寸と呼ばれ、燃焼時間は約40分です。 長い時間の供養に使われます」と出てきた。したがって証拠もクソも無いがおそらく違う。大体ペニス1本の方が相当しっくりくる。実際「今日は2本しゃぶったわ」というように使ったりする。1日7本しゃぶって、300日で2100本!そういう計算だ。客は、1/2100のちんこなんだ。これで病まなきゃ何で病むというのか。
風俗嬢は、男というものを汚い存在だと認識していく。そんな中、担当だけが綺麗である。担当だけが愛してくれている。"本物の愛"をくれるのだ。1/2100のちんことはわけが違う。「俺はお前とヤらなくてもいい!」と思っているのだ(疲れるから)。なのに1/2100は言う。「そんなホストなんて行かない方がいいよ。行くのやめたら」と言う。そんなことを言われるのがめんどくさいから「家庭の事情で…」などと言う。ペルソナ作りだ。「親が借金まみれで……」など。それに対する1/2100の回答は「親の借金って返さなくてもいいんだよ。何にも知らないんだなあ……」という言葉だ。風俗嬢には、ジジイは脳がお花畑で安易で安直で馬鹿で無能の無知の汚いモテないジジイでしかない。まあジジイの言葉を聞くのもプレイ料金の一部だ。「君を救ってあげたい」と言葉では言っている。本心は「あわよくば俺の性奴隷になってくれないかな」である。ちんぽ騎士団連隊! そんなことはお見通しである。第一、嫌いな男である。ただの金。ただの金を運んでくるATMの鳴き声は耳に届かない。友人の誠意ある言葉すら届かないのだから。
1/2100に何か言う資格はない。地獄作りに微力ながら貢献しているのだ。立派な悪人なのに、自分は善良な一般市民ぶっているのだ。お金を払っているのだからいいだろう。それぐらい許されるだろう。こっちもストレスたまっているんだ。お金を出さなかったら彼女たちはどうする。ちんこのために自己正当化を始める。なにゆえ悪人というレッテルを貼られる言説よりもこのオレのちんこの方が正しいのか。オレが直接手を下したわけではない。オレはただサービスを使っているだけだ。仕方ないじゃん。そんなに悪いかよ。いいですとも、いいですとも。犯罪ではない。それにこうしたシステムの存在が性犯罪の防止にも一役買っている可能性もある。引き続き風俗ライフを愉しめば良い。
煎じ詰めて考えれば、社会と経済と政治と法と道徳観や価値観の問題であろう。最近、千葉でJKが自殺配信をしたが、根本的にはすべて同じであると思う。物質的にはそこそこ問題ないのに、愛が無くなったために絶望して死ぬ。家庭で救えない。学校でも救えない。警察も救えない。行政も救えない。誰も救えないのだ。努力がなされているのは知っている。人知れず救われている人も多いだろう。俺はフェミニストは全く好きではないしむしろ嫌いだが、フェミニストがなぜキレているかはわかっているつもりだ。見えている視界が全く違う。中には救いようのないやつもいるようだがそれは知らん。
そういえばコメントに「ナンパされてブスと言われた」とあるがそれはナンパではなくキャッチである。「ブス!」というのは最後に苦し紛れに呪いをかけているのだ。現に記憶に焼き付いてしまっているだろう。真実はわからないが、呪いをかけたかったのは、そのホストの売上がまずくてストレスがたまっていて、キャッチを何度もしたけど無視され続けていたところに通りがかったのが言及者で、ストレス発散先にちょうど良かったといったところだろう。ホストだけではないが、「しゃーない。『安牌』行くか」と思って声をかけたときに、その『安牌』にすら無視されると強烈にイライラするようだ。高跳びで140cmが飛べないから110cmまで下げて飛ぼうとしたら引っかかったようなものだ。それからここでいう安牌だとか「お前なんかゴミだぞ」というのはホスト側の価値観による。マジで気にする必要はないと思う。奴らは別に誰にでも言う。通行人のことはNPCだと思っているから。
ウシジマくんに似ていると思うかもしれない。ホストもウシジマくんを読んでいるからだ。影響は受ける。
話は変わるが、フェイクニュースも統一教会も、根本的に構造は同じであろうと思っている。資本主義スキームとでも言うか。需給一致だ。「私は無限の愛をあげるのでお金がほしいです」「私はお金をあげるので無限の愛がほしいです」の双方の利害が一致している。心のスキマお埋めしますとやっているのである。トランプがホストだと思えばよい。「愛してあげます!愛してあげます!あなたたちのことをわかっているのは私だけなのです!」と言う。一人ひとりの怠惰が結合してモンスターになっている。ジョーカーという映画はそれを綺麗に描いている。キラキラワールド。俺が上、お前が下、そういうことをいつまでもやっている。世界的に江戸時代。穢多・非人と呼んでいた時代と何が違う。カースト制と何が違う。末法の世。精神的支柱や象徴や依存先を永久に欲しがっている。IKIGAIである。理想郷を求めている。そんなものはない。ちんことまんこにどうして社会がこんなに振り回されなければいけないのか。みな、対岸の火事である範囲なら「あれま、可哀想に」と言うが、ひとたび自分が関係していると知ると「いや、自分じゃないですよ」「自分に刃を向けてくるとは……コイツはクズ!」と敵対し始める。同じ穴のムジナである。ホストだけが悪いのではない。悪のシステムを構築した黒幕ゴミクソ野郎だけが悪いのでもない。俺も悪い。お前も悪い。ホストも悪い。ホストに騙される女も悪い。全員悪い。最近立ちんぼやってるんだって?なんじゃそれ。クソワールド。
書いていたらすごくムカついてきた。どうかこの世はクソワールドではないと言ってくれ。
その人は「俺はこの猿山でふんぞり返って暮らすんだ!」と夢を見て、前世代のボス猿に媚びへつらって必死に出世してきたんじゃん。
それをいきなりやってきた余所者が「は?まだこんな所でボス気取ってる奴がおるんか?は?全世界に晒して煽ったろ」とか。
やってることがひどすぎる。
「受験生がこんなお遊びに熱を上げて……よく分からんけど最近やっと成果が出たらしいじゃないか。その思い出を大事にもうやめたまえ。予算の無駄だし廃部だよ」
みたいなノリでしょ。
クソすぎないか?
誰かが頑張って頑張ってようやくたどり着いた夢なんだぞ?
今どきくだらんボス猿ごっことか言われたって、その人にとっては人生全部かけてたどり着いた理想郷なんだぞ?
そんなに田舎が嫌なら出てけばいいだろ。
来たお前が悪いとしか言えないな。
田舎は勝手に滅びれば良いんだから、それを余所者があーだこーだ言って安らかな死を妨害すんなよ。
別に田舎だって「食べたいけど痩せたい」みたいな話はしてないよ。
「デブとして死んでいいから食べたい」ってノリで昔ながらのクソ田舎ムーブ続けてんだよ。
死なないでって勝手に外野が下剤食わせたりしてるのが悪いんだろ。
勝手に殺させてくやれよ
これは日本人の方だと思うな。
戦争も起きてない経済大国の様相をしといてGDP成長率はぶっちぎりのワースト、女性をいつまでも虐げ、とんでもない円安、優秀な産業はあっという間に時代遅れになりつつあり、食糧危機は目前、アワビも地域絶滅、未だに中世みたいに量を考えずに乱獲してるからそのうち海産物はほとんど絶滅危惧種になると予想され漁獲高は減少の一途、唯一の美点の憲法は改憲寸前、唯一の利点の皆保険医療は破綻寸前。
ここまで条件のいい国をこれほど短期間で没落させるのは逆に天才と言ってもいい。普通こんなバカなことできないからね。
ここまで盲目を貫けるのは才能だよ
海外に社会見学ねえwwその前に日本人は海外の幼稚園にでも入って0から社会を勉強し直さないとw
理想郷なんて言ってないよ。問題はたくさんある。悪い人も良い人もいる。でも人間の国だ。
人権感覚と民主主義精神がない、論理的思考力もない国は、衆愚政治で上のようなことになる。メリットとデメリットが表裏であるとかいう次元ではなくて、純粋なデメリットと悪意だよ。幼稚で未熟。
いまだに兵士養成所のノリでまともな人権意識も育ってない。こんな国で子育てしたら、企業奴隷で従順で、悪口や腐敗や差別を社会から無くす力もない、無力でバカで見栄っ張りなだけの兵士を作って終わり。そんな国だから親なんか使い捨てよね。人権感覚のない国はね、もうそれだけでオワコンなんだよ。日本人の女性搾取は酷いと思うよ。紛争地域や衣食住に困る地域くらいじゃないの?移住に躊躇できるのは。アフリカもアジアも全て未来があるが、この国にはない。
なるほどそれはそうなのかもな
そこまでは言ってないんだが
結局、君が書いてるように差別にどつき返す胆力が必要だったりして全部満点のとこなんてないんだから、(ツリーでの自分のおおもとの主張は)社会見学で現地みてこいよっていう話だよ
いまどきすぐ海外なんていけるんだから行ってみて体感すればいろいろわかるものもあるだろ
いまは現状認識さえできてそうな気がしなくてそれ以前の問題っていう
ツリーのだいぶ前に書いたけど日本の育児政策がゴミというのは俺も同意するところだし、そこだけ書いてあれば同意して終わりだったけど、海外は理想郷です日本には差別上等低知能のサルしかいませんがみたいに言われると、
いやそれは違うんじゃねじゃぁ本場を見てこいよ今時すぐ海外なんて行けるやろっていう気持ちになるってだけ
何かメリットがあれば表裏一体でデメリットは出てくるものだし、理想郷の理想の話だけ切り取られてもいや全体でみればそんな理想郷ないんだがとしか思えないわ
俺が年単位で滞在したことあるのはアメリカだけで、ヨーロッパは何ヶ国かに合計数ヶ月ずつくらいしか滞在してないしホテル暮らしだったから、そもそも子育てがどうとかまでよく分からないんだよね アメリカも州によって状況違うだろうけど
欧米って書いてて主語デカい割に、どこにそんな理想郷あるのって聞いても具体例書いてくれないから俺の知ってるアメリカの状況を書いただけ
ヨーロッパも税金高かったり治安が今の日本よりもさらに悪かったりで子育て一つだけとって1番いいところを見比べるとダメなのかもだけど相応のデメリットがありそうではあったしな
どこを見て言ってるんだろっていうのが純粋な疑問
日本も田舎に行けばそこそこ面倒見てくれる家族がいたりする場合もあるわけで、それはそれとして自由を引き換えにしててメリットデメリットあるのに日本ゴミ欧米最高みたいな人たち、いまどき少し言語話せてまともな専門技能があればすぐ海外行けるんだからさっさと移住すりゃいいじゃんって気持ちに毎回なってる
絶対に資本主義が優れていると断言できます。共産主義なんて、歴史でも実証済みの失敗作で、どこででも混乱と破壊をもたらすだけの理念です。
資本主義は、個人の自由と努力が報われるシステムであり、それが経済発展とイノベーションを生み出します。一方、共産主義は、個人の自由を奪い、全ての人が平等に貧しくなるようなシステムです。どう考えても、資本主義が圧倒的に優れているでしょう。
共産主義を支持する人は、現実を見ず、空想の理想郷を追い求めているだけ。そんな非現実的な考えが現実に機能するわけがありません。過去に共産主義が失敗した国々を見ても明らかです。
だから、資本主義こそが真の幸福と発展をもたらすシステムであり、共産主義は滅び行くべき失敗作だと断言できるのです。資本主義に対する批判すらも、その素晴らしさを際立たせる要素にすぎません。みんなが資本主義を受け入れるべきだと熱く語りたいです。
最近アラサーになりソフトウェアエンジニア (SWE) として正社員として働いているが、いろいろ辛くまた転職してきたくなってきた。
openworkなどで会社を漁っているが、エンジニアの理想郷がどこになるのか悶々としている (もちろん人それぞれだが..)
今までの会社としては 外資IT → 大手メーカー の2社で、現在の年収は 800 ~ 900 万ぐらい。
今はアーキテクト/ SM / Tech Lead らへんの業務をしていて、将来的には エンジニアリングマネージャー をしたいと思っている。
転職先には以下があると思うが、どれがいいんだろうか。
やりたいことは一番できそうな気がしているが長期的な自分のキャリアを考えたときに、平均年齢が低いことや退職金がないため不安が大きい。
また勢いはあり多くのビジネスを創出しているがどれも規模として小さいものが多いかつ、
またグローバルに成功している事例がほとんどないためあまり今後も市場が成長する感じがしない。
今Web企業のマネジャー以上にいるのはインターネット黎明期を切り開いてきた人だが、こういう人が自分の世代で生まれるイメージが自分はない。
自由に働けそうであるが会社の業績次第で職がなくなるリスクがある。
創立メンバーレベルで入らないと金銭的には結局は大きな企業で働いているのと変わらない。(SO的に)
モチベがある間に働くのはいいが、モチベがなくなったと時にどうするかをまた考えないといけない。
本当に優秀な人は引く手数多なのでいきたいベンチャーを転々としているが、自分がそういった働き方ができるほど優秀だと思わない。
クライアントありきのビジネスであるためクライアントに合わせたワークバランスになることが多そう。
結局は2次委託に開発を任せてたりするのでつまらないドキュメント作成&調整業務だけをやるおじさんになる可能性が高い。
周りを見ている感じは仕事を楽しそうにやっている人が結構少ないと感じる。
ただ業界的には今後も成長する業界なので一生つまらない仕事をするのを覚悟すれば、キャリア的にはいいのかもしれない。
目先のサラリーは良さそうであるが、ハードワークに耐えられる気がしない。
ハードワークになるかどうかも案件次第なので、数年度どうなっているかもわからないので不安材料が大きい。
転職ありきの業界で、一生自分の市場価値を推し量る必要があるので大変。
またDX等は結局ITがわからないおじさんを相手にすることになるので、説明・調整が多く心理的にしんどそう。
ただ生産性をシビアに見られる環境ではあるので、自身のスキルアップを考えると一番成長できそうではある。
給料体系から変えて既存組織から切り離してIT化を推進しているケースもあり、最近の転職先のトレンドの一つな気がしている。
成功している例もちらほらあるが多くの場合には、IT化を進めたいが結局現場がついてきていない or 価値を見出せていないことがほとんど。
結局は人手不足でプロパーでやりきれずに、子会社 or 外注と一緒に仕事しているケースが多く優秀な転職者をあまり活躍させることができていないことがちらほら。
SWEとして入っても結局上司がIT知識不足であることが多く、レガシーなものとの戦いに時間を使ってしまうかつ、昇格とかは生え抜きが優先されたりしていることがある。
年功序列であり雇用が安定しているため、市場価値と待遇があっていない人と一緒に仕事をしないといけないためモチベの維持が難しい。
企業としての体力や福利厚生等の制度はしっかりしていることが多いので、生涯年収や安定性は一番魅力。
またレイオフ等がないことはないので、ずっと働き続けることができるとは思えない。
日本で外資ITに働くとなると純粋なSWEではなくプリセールス / 技術サポート / カスタマーサクセスが多く、
プロダクトを作るというよりはプロダクトを導入・普及する仕事がメインになりそうで、SWEとしての市場価値が上がっていくのかが不安。
また本社の意識決定が絶対なケースが多く、日本のような小さいオフィスは理不尽に振り回されることが多い。
自分の近くにフリーランスの人が少ないので何とも言えないが、案件をずっと取り続けることをしないといけないので面倒そう。
見た目の年収的にはいいかもしれないが、そこからいろいろ自分で年金払ったり管理するのが面倒なイメージ。
ネタバレ注意
怒りが冷めない内に書く。一度しか鑑賞していないので記憶違いがあるかもしれないが聞いてくれ。
先に断っておくが、本作は決して駄作ではない。加点要素は多くある。トマス・モアの蘊蓄を切り口に冒険が始まるあたりとてもドラえもんらしくて好きだ。魔界大冒険リスペクトの仕掛けも嬉しい。F先生亡き時代にドラえもんでディストピアSFに挑戦する意気込みやよし。ソーニャを演じたゲスト声優のジャニーズアイドルは、昔TVSPのゲストで出ていた森田剛を1とすると85点の演技だった。
褒め、以上。
疲れた体でフラフラしながら観に行ったので(今も眠気に耐えて書いている)もう何言ってたか細部は覚えていないが、要約すると「人と違っていていいんだよ」「不出来でもありのままの君がいいんだよ」「個性を尊重しよう」という主旨のセリフが熱っぽく、しつこく語られる。
本作のボスキャラは全人類の自由意志を奪い、統一思想の下に理想郷を築こうとしている。のび太らのセリフは彼の思想に対するアンチテーゼではあるのだが、一から十まで言葉で熱弁されると鼻白んでしまう。耳元でデケェ声で心のノートを朗読されるような息苦しさと、押し付けがましさに不快感がノンストップだった。
めちゃくちゃ説明的な言い回しでドラ泣き強要してくるやんけ、児童漫画が原作とはいえ観客の知能を低く見積もりすぎでは?と脚本家の過去作を調べると『ALWAYS三丁目の夕日』が出てきて察した(念のため断っておくが増田は西岸良平作品が大好きである)。監督は監督経験が浅く、ほとんど情報がなかった。
それより今まさに腹が立っているのはここである。
道徳スピーチまではまあギリギリ許せるのだが、この映画では恐ろしいことに、のび太が前述のボスキャラの思想に対して、「それは悪い考えだ」と繰り返し言うのである。「人は違っていい」と言ったその口で、だ。
「悪い考え」というワードで真っ先に思い出されたのが、ジェームズ・クラベルのディストピア小説『23分間の奇跡』のワンシーンだった。父親を拉致された植民地の少年が、全体主義を掲げる宗主国の教師に「お父さんは悪い考えなんて持たないよ」と訴え「悪い考えではなく間違った考えなのよ。だからお父さんは学校に行って勉強するの」と詭弁で丸め込まれてしまう。『23分間の奇跡』では、「間違った考えを改めろ」は市民を抑圧する体制側のセリフなのだ。
多様性を認め合う社会は、当然「多様性を認めない人」も受け入れなければならない。本作のボスキャラの罪は、思想信条ではなく武力をもって他者に理想を強いた点である。
多様性の尊重がテーマだからこそ、糾弾されるのはボスキャラの「考え」ではなく「行い」であることを強調すべきではないか。
F先生なら絶対にこんな話描かない。もっと慎重に言葉を選ぶはずだ。
映画レビューサイトで本作の感想を見ると「号泣しました」「館内に子どものすすり泣く声」などうすら寒い文言が並んでいる。
特定の思想を「悪い考え」と言い切る映画は率直に言って有害ではないだろうか。こんなもん子供に観せていいのか?
んでボスキャラがまあ外見は醜く腹も黒い。デザインの醜さで言えば歴代最悪じゃないだろうか。旧ドラのギガゾンビよりひどい。「悪い考え」を持つ敵キャラを全力で汚く描くのは、それこそ政治思想のプロパガンダのようで不気味だ。
ディストピアものとしての完成度もかなり中途半端だ。唆されて攫われてきた人々がボスキャラの作った洗脳光線を浴びて完璧ないい子になる、という絶妙〜に子供騙しな設定。それを「欠点もあるからぼくなんだよ!」と論破()してくわけ。そしてなぜか洗脳光線が効かない体質ののび太に共鳴(?)して友情パワーで仲間全員の洗脳が解け覚醒、キラキラ逆転勝利。
もうね、宝島なんかもそうだけどドラ大長編の感想が「泣いた」で溢れてるのがイヤだ。これは増田のエゴだが、ドラえもん大長編は理屈の部分を疎かにして泣きに逃げる映画ではいけない。エモーションにばかり頼るな。エモに全振りしていいのは同時上映の短編だけだ。おばあちゃんの思い出最高。
【ご報告】
2023年3月3日公開の『映画ドラえもん のび太と空の理想郷』ポスターなどを制作させていただきました!
ドラえもんは子供の頃から大ファンだったのでお手伝いできて光栄でした!
今作も素晴らしい作品になっていますので、ぜひ劇場でご覧ください。#映画ドラえもん #のび太と空の理想郷 pic.twitter.com/ThkCDhU4hO— よー清水🐧画集発売中 (@you629) March 10, 2023
僕は福島県出身で、山形県の東北芸術工科大学のグラフィックデザイン学科を卒業後、ゲーム会社に就職し、フリーランスのイラストレーター、コンセプトアーティストとして活動しています。
代表作
・映画ドラえもん のび太と空の理想郷 キービジュアル、広告イラスト
・FinalFantasy7 Remake 設定画 背景デザイン
デビット・ライス氏のブログはバランスの取れた議論と時折混ざる素直な感想が好きで、時々読んでいました。
『How to Not Die Alone』の書評とかは、あまり英語の文章を読めないものですから、とても有益で思わずメモを取ったほどです。
先日、私が好きな『責任という虚構』のブログを挙げてるなと思って読んでみて結構びっくりしました。
https://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2022/10/04/155546
まず、全体的に内容に基づいた批判というよりも、文体や語り方の批判になっています。しかもかなり口汚くののしるような文体で、かなりショックを受けました。
普段、結構素直に感想を語っていらっしゃるなと思っていましたし、今回も個人の意見の範疇かなと思ったのですが、今回のは批判が結構ズレているし、主張の部分と著者の感想を取り違えているような気がしました。
一部(アンダーソンの手紙の部分)有益な情報はあったのですが、数度読み直してみても、全体的にズレているなと感じました。
普段ほとんど人の書評にケチをつけないですし、内容理解にひどい部分があったとしても特に反応もしませんし、私はあまりネットに名前を出して文章を書きたくないので、どうしようかとも思いましたが、はてな匿名ダイアリーはネットの片隅に残るようなので、少々ずるいかと思いますが、書いてみたいと思います。
気になったのは4つの点です。
一つ目。
書評の中では、ロールズについて書かれた箇所に出てくる「理想郷」という言葉から、理想と現実の対比を引き出して『責任という虚構』は理想論を模索する哲学者を非難しているとして、それに対する再批判を展開しています。
私が本書を読む限り、理想と現実の対比は大して重要な対比ではないです。
ライス氏は「理想的な基準や規範が存在することで、ようやく、「現状の財の配分のされかたは間違っている」と批判したり問題を提起したりすることができる。」と続け、それを理解しない小坂井氏を非難する文章を連ねてますが、この論点は本書の主張に対する批判になっていません。
著者の小坂井氏が言いたいのは、人の行動や社会の動きというのは、人の手を離れて自律運動して生み出されるもので、したがって人の意識や理性でコントロールできるものではないので、そもそもべき論とは雨乞いの踊りのように無意味なものだ、という主張だと思います。
規範について言い換えれば、現実の世界における規範は、論理的だったり理性的に構築されたものではなく、権威などによって根拠づけられていることで初めて人の心理的な抵抗を起こすことなく円滑に機能するので、理性によって規範を人工的に構築しようとしても、規範の生成のメカニズムが異なるのでどこかで無理が生じる、という主張です。
ロボットを作っても出来上がるメカニズムが違うので人間にはならない、というのと同種の主張です。
この主張に反論するならわかりますが、規範を否定しているのに規範論を行う著者は倫理的相対主義のジレンマに陥っているというのは、少なくとも本筋に対する批判ではありません。
実際、哲学者の山口尚氏もライス氏と同じく、小坂井氏の哲学者批判に反論されています。しかし、批判の直接の理由は価値相対主義のジレンマではありません。
https://note.com/free_will/n/n24feea05db99
二つ目。
「哲学者やリベラルやフェミニストなどが「ただしさ」を語ることは否定しながらも、「ただしさがもたらしている悪さ」や「ただしさを語っている連中の悪さ」をあれこれあげつらって非難することで「ただしさ」を語るという自分の行為だけは特権的に許容する」
ということをしていると書いています。ほかのネット論客の方の本を拝読したことがありませんので、それに対するコメントは控えますが、『責任という虚構』を読む限りこの批判はズレていると思います。
一つ目の内容で書きました通り、小坂井氏は、規範論で物事を理解しようとすると、どうしても現実に規範が機能しているメカニズムを無視することになりがちであると主張しています。
これは、政治に利用しようと思って進化を研究すると、進化の本来の仕組みを無視することになるのと同種の主張だと思います。規範が対象なので感情的な反発が起きやすい文章で(正直言えば小坂井氏もちょっとケンカを売っているような気もしますが)、ライス氏の言うようなものではないと思います。
三つ目。
ライス氏は、規範を論じる哲学者たちに小坂井氏が、「傲慢」「偽善」「おぞましい」などの価値判断を含む言葉を使いながら非難を浴びせかけていることについて批判的です。
実際、小坂井氏のほかの著作を読んでも、哲学者に傲慢や偽善、おぞましいと言える根拠はありません。あくまで小坂井氏の主張する範囲では言えば、哲学者は「苦しい言い訳」を捻りだしているだけであり、別にだからと言って哲学者が傲慢だとか偽善だとかおぞましいとかいう主張はできません。
ではこれは何かといえば、小坂井氏のただの感想なのだと思います。
ライス氏のブログで言えば、「好ましく思った」とか「イラっとした」みたいな文章に相当します。
私は小坂井氏にかなり共感していまして、こうした言葉に少し心を揺り動かされたりしますが、でもこれは小坂井氏の感想以上のものではないと思います。
こういう言葉が出てくるのは、小坂井氏にとって学問が、ある種の実存をかけた戦いだからなのでしょう。私はそういう学問観、正直すごい好きです。強く共感します。
でもこれは本筋ではないので、ここに関して批判するのは、好み以上のものではなく、論理的な主張になりえないと思います。
もしここに論理的な批判を加えるのであれば、上述した山口さんの批判文のように、主体を虚構と言っておきながら主体を前提とする「責め」を行っているではないか、というものになるのではないでしょうか。
(とはいえ、このような「責め」が著者によって行われること自体が、主体の"虚構"性を表しているとすら私は思いますので、別にこの本の価値は減じないと思っています。この本の中において、虚構は単なる嘘ではないのですから)
ちなみに、小坂井氏の言う相対主義は認識論的な相対主義のことで、善悪は単独では決まらず、枠組みに依存するという立場のことです。この立場に立てば、「小坂井氏という枠組み内では哲学者は偽善者だ」といっているにすぎないので、特に問題はないと私は感じました。ライス氏の言う「イラっとした」と同じです。枠組みを超えた正しさは主張できないだけで、言う分には問題ないと思います。
四つ目。
正直、上記3つだけであれば、この文章も書かなかったかもしれません。ライス氏の言うことも理解できなくはないですから。
しかし、これがあったので書こうと思いました。
端的に申し上げて、他人の著作の題名を加工するというのは、少々失礼ではないですか。
『責任という虚構』であって、『<責任>という虚構』ではありませんよね。
類似の名称の書籍『〈責任〉の生成』と混同したのかもしれませんが、ブログが書かれてから随分と経たれたのに直っていませんし、別のブログで批判的な言及をされた際にも同じ書き方をしていたので、もしかしたら、意図的なものかなとも思いました。
もし、ただの間違いなのであれば、訂正した方がいいと思います。どんな著作であれ、一生懸命書いたものだと思いますし、関わったのも著者だけではないのですから。
『のび太と空の理想郷』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向けですぞ。
85点ヤッター! 点数の基準は「上映時間+映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。有り体に言えば凡作+程度であって満足ではないんだけど、個人的な加点要素として「映画館のサービスディを利用して1,200円でみた」「やっぱVガンはいいよね」があるので実は加点で100点。余は満足じゃ。
さらわれた幼子の魂が心を操る光を落とさせるのでしょうか。映画ドラえもん、『のび太と空の理想郷』
見てください!!
全体的の凡作と評したとおり、いつものドラ映画の構成で退屈感はあり、ひねりもテーマ性もドラ映画の傑作と比べて足りてないのだけど、「未来世界の犯罪者が空に浮かぶ巨大要塞都市にさらってきた人々を満載して、『人の心を操る光』で心の優しい優れた人間に改造して世界を平和にする計画を立てている」という、おい、おま、Vガンダムだろ。という立て付けなので歪んだおたくであるワイは楽しめました。
パーフェクト小学生のび太の「わるいね、またホームラン撃っちゃって」っていうセリフには一聴の価値があるとおもいます。一方でしずかちゃんのシャワーシーンには「裸のお姉さん!?」という台詞はありませんでした。
最近の新作ドラ映画の悪いところである「なんかクライマックスっぽいシーンで友情とか友達とか大切とか、そういう盛り上げワードを散りばめただけの、実は説得の理屈的にはあんま意味合いのないセリフをぶっこんで、とりあえずいい話風にしときゃいいだろ」っていうのは、この映画でも健在で、そういう意味ではすごくダメな映画なんだけど、ドラ映画に対する期待値が宝島でマイナス方向二次元突破してたから無傷ですんだ。
毎年この時期になると「ドラえもんの映画が酷い」というブログなり増田なりが流行るんだが
それにしても今回のは酷かった
個人的には南極が9点とすると、宝島が2点、月面探査機は8点、新恐竜は7点、宇宙小戦争は9点ぐらい
そして今回の理想郷は3点ぐらいだろうか
史実の織り交ぜや散りばめられた伏線などなかなか良作の期待感が抜群にあった
「これは良い感じで本編に絡んでくるのでは?」
という感じにも見えたし凄く良かった
ただ一切関係無かったわけだが
割と早々に理想郷に辿り着いてしまったので「あれ、これヤバイかも」とは思ったが
と思って期待してしまった
ただ中盤がダラダラしていたせいでめちゃくちゃ眠かった
周りの未就学児童とかもこのあたりでザワついていた
結局、宗教的批判だとかはなく、伏線は回収されたけれど史実介入的なのは無し
22世紀の科学者が小学生に説教されてぶち切れて全部ぶっ壊すとかいうどうしようもない展開
というかボスの野望はなんだったの?
日本誕生のギガゾンビは分かりやすく人類支配しようとしてたけど、のび太の街を支配してどうするつもりだったの?
そんなこんなで理想郷が崩れていくけれど、バトルシーンも脱出シーンも特に見所は無しで、もうひたすら眠い
宇宙小戦争にあったようなカタルシスも無いし、伏線回収も「まぁそうだろうね」というぐらいでしかない
おまけに最後はアルマゲドンオチでのお涙頂戴で、もうどうしようもなくダメダメだった
映画はアレだったけれど子供達はそこそこ満足してた(過去2番目ぐらいらしい。いつもは1番と言うのに。)
まぁ推しのグッズは買えるときに買っとけということでグッズ売り場行ったらメインキャラのソーニャのグッズが全く無い
どうやらソーニャ役はジャニーズのキンプリの誰かが演じていたらしく
ファンどもがグッズをイナゴのごとく買い漁って売り切れてしまってるとか
どことなくイケメン風のキャラ設定、序盤の中途半端な役回り、中盤での空気的扱いを経てからのやっつけ的なアルマゲドンはそういうことか、と
完全に想像だけど最初はソーニャはドラえもん映画にありがちな普通の役回りだったのに
それだと見せ場が全然無いってことでジャニーズの横槍が入って最後のアルマゲドンを適当にくっつけたんじゃなかろうか
いやぁ、そんなことないと思うけどね
最後に意味不明に自己犠牲で話を終わらせるのは罰金刑にすべきだと思うんだよね
まぁやるとしても、生死不明ぐらいの演出にしてほしいわけですよ
ああいうのが許されるのは
のどっちかの場合だけなのよ
分かったか、ペル?お前もな?
簡単に命が捨てられていく
違う僕らが
見ていたいのは
希望に満ちた光だ