はてなキーワード: 開拓とは
もうすぐ誕生日を迎えて33歳が終わるので、いい機会だと思って平成初期生まれである自分のロマンス観の奥底に眠る作品について、水面まで引っ張り上げて雑語りしてみた。なお性別は男。
目次
タイトル | シェーラひめのぼうけん |
作者 | 村山早紀 |
挿絵 | 佐竹美帆 |
筆者と同世代か、もう少し下ならば読んだことがあるかもしれない児童文学。たぶん、自分の記憶の最も深くにある恋愛観についての思い出は、このシリーズのとあるシーン。
当時、筆者はたぶんまだ小学生。隣町の図書館に足しげく通う図書館っ子でまだまだ児童向け書架の常連だった頃だと思う。ローワンシリーズや、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの魔法使いシリーズやハウルの動く城シリーズなどにハマっていた。佐竹美帆さんの挿絵が好きだったので、シェーラひめのぼうけんを手にとったのも、挿絵繋がりだったかもしれない(正直まったく覚えていない)。その中で、胸に響くロマンス表現に出会った。
シェーラひめのぼうけんは、主人公の少女シェーラが幼馴染でお供で子分の少年ファリードを怪力で振り回しながら、大人でも解決が難しい問題を剛腕で切り開いていくような物語。世界のあちこちへ旅をして、仲間たちとワクワクドキドキの冒険をしながら、悪い魔術師に石にされてしまった故郷の王国を復活させる方法を探し出すシェーラたちの話が紡がれる。
恋愛表現に疎かった当時の自分にとって、魔法が使えるけどひ弱なファリードがひめさまとシェーラを慕い、シェーラは幼馴染の兄貴分として彼の面倒を見るという二人の関係性は友情のものとして好ましく感じられた。もちろん男女の恋愛はちびっこが見るディズニー映画の中でも散々と描写されていたので、なんか男の子と女の子は仲良くなったらキスするんだ〜程度の認識はあった。だけどそれは「そうなるもの」であり、自分の中で情緒に紐づいて腑に落ちる描写ではなかった。だから、当時は恋愛でキャッキャするよりも、男女の友情関係の方がずっと自然に思えていた。ウブなボーイだったからね。(今から考えたら、ハイルとミリアム辺りとかは恋愛描写があった気がするけど)。
そんな中で胸がドキッとするような出会いがあったのが、最終巻近く。記憶だけを頼りに書いているので、間違っているかもしれないけど、確か、最終巻の一つ前の巻で、それまで一緒に旅をしてきたファリードが、実はシェーラの王国を崩壊に導いた邪悪な魔法使いの血筋で、彼もその強大で忌まわしき力を宿していると判明する展開がある。この時、確か、ファリードが敬愛するひめさまをその力で傷つけてしまい、自分の力に絶望して力を開放してドラゴンとなって空の彼方へ消え去ろうとするけど、当のひめさまからあなたが必要だと説得され、再び仲間になる的なエピソードがあった(はず)。
シェーラの目の前でドラゴンから人間の姿に戻った幼馴染のファリード。旅に出る前は少女の自分より身体が小さくてひょろひょろしていたのに、旅の終わりに近づいた今では、自分の方が彼を見上げるくらいに彼が成長していたことに気が付く。その時、シェーラのなかで、ファリードが頼りなくて守ってあげなければならない幼馴染ではなくなった……的な描写がある(ったはず)。
これがクリーンヒットだった。ここで以後の人生に永劫に刻まれる体格差萌えを発症してしまった。挿絵があったかは忘れたけど、自分の心の奥底には、ファリードと彼を見上げるシェーラの二人の姿が佐竹絵で深く刻まれている。
その後、図書館のティーンズコーナーで少女小説(主に小林深雪先生)にハマったり、同時進行で大人向けの棚の新宿鮫などのサスペンスやあとがきでいつも自作を傑作と書く夢枕獏の作品(闇狩り師とか陰陽師)を開拓していったりした。
実はシェーラひめのぼうけん2は途中までしか読んでいなんだよな〜。これを書いている今、サウードおじさまの便利キャラっぷりを最後まで確かめたくなってきてしまった。
確かに面白いテーマだね。トヨタと町工場の差は、いくつかの要因で説明できると思う。一つ目は規模の経済。トヨタは大量生産を行うため、一台あたりのコストを下げることができる。町工場は小規模で、同じようなコストメリットは享受できない。
二つ目は技術力と品質管理。トヨタは長年にわたり品質管理(例えば、トヨタ生産方式)に力を入れてきた。結果として、品質が高く信頼性のある車を作ることが可能になった。町工場は多くの場合、リソースやノウハウが限られているため、同じレベルの品質管理を行うのは難しい。
三つ目は資本力。トヨタは大企業として膨大な資本を持っており、新しい技術開発や市場開拓に投資する余裕がある。町工場はある程度の資本で運営されるため、同じように大規模な投資を行うのは難しい。
以上のような要因が重なって、トヨタと町工場の間には大きな差が生まれたんじゃないか。もちろん、町工場にも独自の強みや役割があるので、一概にどちらが優れているとは言えないけどね。
カラシニコフ一丁製造するところまではできたんだけど、警察の捜査だったかなんだったかで、速攻で処分しなければならなくなってた気がする
たしか図面とかもすべて廃棄しなければならなくなったとかで、そんな感じで量産化断たれちゃってるんだよね
まあ、仮に大量に製造してリコリコの話みたいなのを現実にやろうが、サリンをどれだけ大量に製造しようが、国家転覆は簡単ではないという、
そんな当たり前のことが最後の最後まで理解できてない感じが、どこか集団ヒステリー的というか、オウム真理教も所詮は表世界の会社組織とかと同じなんだよね
狭い世界にいると、間違った方向にでも集団が暴走してしまう感じが…
トランプ暗殺に成功してたら内戦になったかも、というのは、ちょっと大げさな気はするけど、アメリカという国家に反旗を翻しているアメリカ国民というか、
独立開拓精神、現代になっても頭の中が西部劇の人たちは特に南部には大勢いるわけで、
彼らを陰謀論のインフルエンサーとか政治団体、宗教団体がSNSで扇動してるわけで、彼らが一斉蜂起するとちょっと状況が分からなくなる気がしてる
いわゆるキャンセルカルチャーの怖いところは、私的制裁から社会的キャンセルまでがシームレスなことだ。
ジャニー喜多川は正規の手続きでは捕捉されなかった。「法が裁けないならおれたちが…」という仕事人の論理。ここに一つ分岐点がある。法の網のほうを繕うなり改良するなりしようとするか、人治情治の方に行くか。
ネットリンチとキャンセルカルチャーは別物ではない。暇アノンとかツイフェミみたいな全く話の通じない連中に目をつけられワーワーやられることが、社会的な地位を危うくすることに繋がっている。
東大名誉教授とかを擁する陣営の人は自分たちが暇アノンやら日本保守党みたいなアホ集団と同類だとは気づいてないだろう。
「仕事人」の跋扈がもたらしたものは「面倒な連中に目をつけられないように、何も言わないほうが身のためだ」という空気の支配だ。当のリンチ集団は自分たちの正しさのあまり誰も反論できないのだと自分で自分を騙すことになる。
言論によって正しさを求めた結果が、そんな無法の開拓村みたいな野蛮な状況であるのは随分と皮肉なものだ。
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セントクリストファーネビスでは驚くべきことにすべてのものに入口と出口があります。
なのでここの住民の性行為は相手の入口から入って出ることを意味します。我々の言う性別というものは存在しないようですが、入る側/入られる側は明確に区別されているようです。我々にはその違いは分かりませんが、彼らにとって我々は「入る側」であり、サイモン博士は実際に住民の一人をくぐり抜けました(これについては改めてレポートを送らせていただきます)。
あらゆるものに出口が備わってしまっているということは、ものを貯めることが不可能だということです。コップは底が抜けていますし、それに注ぐビール瓶にも脇腹に出口穴が空いていて小便のようにビールを噴出し続けています。ビールを飲みたいならそこに直接口を当てて飲むしかありません。
入口と出口は明確に区別されていて、例えばある家に招かれて入口から入った場合、そこから出ることは禁忌です。出たい場合はどこか別のところにあるはずの出口を探さないといけません。家の住民が客にその場所を教えることはなく、何故か自らの力で探し当てる必要があります。屋根裏や軒下、タペストリーの裏側や本棚にある一冊の本の中など、出口は巧妙に隠されています。出口を見つけられず入口から出ようとしたニハト隊員は全身を大きな力で捩じ切られるようにして死にました。冷蔵庫の中に出口を求めたムルンゼット中尉は、冷蔵庫の出口を見つけられず凍死しました。
このように入口と出口、およびその間のへだたりが重視されているのは、村の祭祀を司る者が言うには、この地を開拓した聖人が神をその背に乗せて天の川を渡ったという故事(神話でしょう)に拠るとのことです。移動こそ聖であり、あまねく一切のものは留まらず移動中という状態であるべきだと。また、元の場所に戻ることは最も神の意思に背く反逆行為であると。真偽は定かではありません。
かく言う私もこの国の出口を見つけられずにおります。
このレポートは船便でお送りしているつもりですが、受付のポストも出口があるはずで、船に乗らずにただただレポートはポストの出口から滑り出ていってしまっているだけかもしれません…
然るに近時に至りては、時弊に流されその神国なる所以(ゆえん)を忘るゝ者多きが如し。
これ吾国体に於て大害の兆(きざし)なり。
如何となれば、時流者偶々吾神典を一読するも、その意の解すべからざるを以て忽卒(そうそつ)一言の下に論じて曰く、
「吾神典に所謂(いわゆる)神国の伝は全く上古男女両人初めて吾日本の国土を発見し、その荒蕪(こうぶ)の地を開拓したる経営の事業を国生みと云ひ伝へたるに過ぎず」と論じ、
又或は「神典なるものは上古の小説にして比喩を以て作為したるものにて、彼(か)の俵藤太秀郷(たわらのとうわひでさと、藤原秀郷)の蜈蚣山(むかでやま)の昔話に類するものなりものなり」と評し、
甚だしきに至りては「神典なるものは上古の英雄が奇事を説きて神に託し、野蛮の民を治むるの具に用ひたる策略の書なり」と云ふに至る。
前三者の如きは太古の伝説を見るの具眼無き者として暫くこれを怒するも、
歴世天皇の御徳に関するものにして不倶戴天(ふぐたいてん)赦すべからざる放言なり。
かくの如き妄説行はるゝ今日なるが故に、自ずから神国の臣民たることを忘れ、
終にその心意を問へば外国人と異なること無きに至る。
今にしてこの弊を矯正せずんば、吾一系正統の皇位は日本の習慣なりとして君臣の大儀も只に習慣と法律の上に存して精神の上に存せざるに至らん。
これ、コロンブスの歴史を肯定しているって言ってる人大丈夫?真逆だよ?
ただ、どちらにしても世に出せるものではないけどね。
これはハズレです。
「新大陸を発見した英雄は、実は先住民を虐殺した侵略者だった。」というメタがあったうえで、彼らは「だから僕らは友好的な方法で先住民と仲良くなる」という手段を選んだという解釈でしょ。
さらに、「彼らと同じ悲劇は繰り返さないよ。新しい楽しみを共有したら、自分たちは占領せずに次の場所を探しに出かけるよ。」というメッセージを込めて、ミセスたちは彼らの居場所から去るという結末。
っていうかちゃんと見た?コロンブスって名前だけで脊髄反射してない?
「内容は関係ない。コロンブスという題材自体が不謹慎。その変化に気づいてないのは歴史認識のアップデートが遅れている。無知は罪。」
そうした歴史認識があった上で、コロンブスという名前をメタとして活用したうえで、新しい共存の形を模索しようということが理解できなかったあなたの無知が罪でしかない。
それともコロンブスは特級呪物か何かで、口に出すだけで呪われるようなものでしたっけ?
そうなると世の中から消えてもらわないといけないものが沢山あるのだけど。
ほぼ歌い出しで500万年前と言ってる。
そもそも、相手が人間であっても残虐行為をしたコロンブスと比較したストーリーなのだから、更に遡って相手が類人猿であっても、楽しく仲良くすごそうとするのが現代的にアップデートされた価値観であり、今現在進行形で行われている戦争に対するアンチテーゼになってる。
プーチン、お前遅れてるなということ。
類人猿の感動ポルノを指摘する話もあったけど、あれだって「そもそも違う種族であっても悲しみは共有できる。それなのに僕たちは人間同士で」っていうメッセージでしかないでしょ。
それを不快と表明するのはもちろん自由だけど、単なるお涙頂戴のワンシーンだと受け取るのは考えが浅すぎるんではないかな。
出た。お前らみたいのがミゼットプロレスを中止に追いやって彼らから自立の手段を奪うんだよ。
そういう話をしている誰一人として、類人猿から「労働は辛いですか?」とう問いに対する答えをもらったか?
それを勝手に、「辛そう」「可哀そう」ってお気持ちを押し付けてるだけなのよ。
類人猿にとってみればこの段階では体力しか提供できるものがないから知識を得た変わりに労働力を提供しているだけでギブアンドテイクがなりたってるかもしれない。
それを切り取って、「類人猿は虐待されてる」って荒ぶるの、貴方がたが大好きな環境活動家とやってること同じだからね。
結局のところここに尽きると思うのだけど、彼らは実在したコロンブスのように本当に侵略と搾取を行なったのかということ。
このMV、100回見てもそうとは思わないのは俺がおかしいのか?
それとも開拓者はもともと生活していた生物に対して一切のリターンを求めずにギブだけしなきゃならないということ?
ギブアンドテイクって知ってる?
もっというとwin-win or No dealって知ってる?
知ってたらこんな批判するわけがないから、まだまだ人類は類人猿から怪我抜けた程度ってことを証明したに過ぎないよな。
・結局世に出せない理由
今回はコカ・コーラのタイアップ曲として作られたものなのだけど、どういう意図があったか説明しろと言われたら答えられるわけがないよなというのが、世に出せない理由。
だって、「侵略者であるコロンブスの間違いを正す内容で、彼らに支配されていた類人猿・日本人がここまで価値観をアップデートして欧米諸国にはできないような開拓マインドを作り上げました」という内容だから。
アーティストだからメッセージ性とは切っても切れない存在なのは仕方ないとして、彼らが世の中の全てアンチ的存在ならまだしも他者に説明を求められたときにしっかりと説明できないようならそんな表現はすべきではないよね。というのが増田の感想です。
キャンセルカルチャーで気持ちよくなりたいだけの人間には届かないことは諦めてるけど、それくらいは自分の脳みそで考えような。
類人猿ではないのなら。