「寄付」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 寄付とは

2019-05-23

はしかポリス

はしかポリスとか言うアカウントが20万の私財を投じておじさん達に麻疹についての情報拡散しようとしているみたいだけど、必死さに反してリツイート数十しかされてなくて気の毒だったので拡散の手助けにコピペ

https://twitter.com/hashikapolice/status/1131068017050210304?s=09

5月15日迄の東京の #風疹 感染報告男女年代グラフです。

去年から変わらず感染の中心は男性(おじさん)です。。

この年代に今月末から来月にかけてクーポン券が配布されます

これをチャンスと考え、いかクーポン券のことを知ってもらう/使ってもらうかが課題です。

https://t.co/uWdIddWupS https://t.co/l2DTnh69i8

TwitterにはTwitter広告というものがありまして、

性別年代などを指定して広告配信することができます

来月頭まで私のいくつかのツイートを40-49歳の男性配信していきたいと思います

本当は先生方のツイート風疹漫画など代理配信したいのですが、機能的にできないようです。 https://t.co/SaZ9RDMgEu

費用についてご心配いただいています。すいません、ありがとうございます

予算は1日5千-1万円ですので来月10日まで配信するとして最大で20万円程です。寄付だと考えていますので大丈夫です。

国がクーポンを配るという、こんなチャンスはもうないと思います

やれることをやってみたいと思います

2019-05-20

新幹線自由席子連れに席譲らんくらいで野蛮扱いするほうが野蛮じゃね

のぞみだったら2.5時間立ちっぱなし。

俺一回だけ19のときに、やむを得ずのぞみ自由席満席体験したことあるけどまあ地獄だったよ。

19で限界から三十路の体じゃしんどいってレベルじゃねえ。

からこそ、しんどいからこそ譲るって考えは理解できるし、立派だと思うけど、余裕があるときだけでいいじゃんって思う。

まるで寄付強制されてるみたいな感じ。日々食うものにも困ってるのに寄付してください、寄付しないのは~みたいな。

なんでこの手の人って譲るのが当然!譲らないのは野蛮!非常識!って言ってくるんだろ。

2.5時間耐えられる自信なかったら譲らなくていいやん。社畜精神も肉体も限界かもしれんし、腹痛かもしれんし、見えないだけで足が悪いかもしれんし。

anond:20190519110033

国庫に金を全て寄付して社会から消えて

お前みたいな人間のおかげで損している一般人大勢いるんだよ

2019-05-19

『何という行き方!』(1964)

『何という行き方!』(1964)。豪華キャスト恋愛コメディ。『映画たちよ! 』(1990年)を

読むと橋本治(1948―2019)の「偏愛映画らしい。加藤賢崇(1962―)氏のオールタイムBEST1。

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=16773

https://www.imdb.com/title/tt0058743/

https://www.amazon.co.jp/dp/B005HGCQAY/

予告A(1分45秒)と予告B(2分55秒)

https://www.youtube.com/watch?v=27LLk9Yu9a4

https://www.youtube.com/watch?v=NI55fRkOYeQ

4度結婚し4度とも「大金持ちになった夫」と死に別れた薄幸の若き未亡人(シャーリー

マクレーン)は、「国税局大金寄付しようとする」メンヘラ女と思われ強制的心理療法

受けさせられながら波乱の結婚生活を回想する…。映画の序盤はセンス的に古くてタルかった。

2番目の夫となるパリ在住の売れない前衛画家(ポール・ニューマン)との出会いあたり

から面白くなる、というか個人的にはこの「2番目の夫」のエピソードいちばん良かった。

水着姿のS・マクレーンを観て、こんなにスタイルが良かったのか、と驚く。↓予告。足が長い!

4番目の夫は「安酒場で踊って生計を立てている冴えないオッサン」で、誰かは知らなかった

けど観終わって確認したら有名な「ジーン・ケリー(52歳)」だった。初めて観ましたが、やはり

優雅ダンス披露してくれる。映画全体では「古臭い」部分はあるがモダン?で楽しい部分も

あり、後味は良好。ソローの『森の生活』(※私は未読)を理想暮らしとする女性が、自らの

「望まないアゲマ能力」に苦労するというロマンティック?コメディもう一歩で(※人によっては

充分に)「カルト映画」。「古臭さ+モダン?な楽しさ」は京マチ子の『黒蜥蜴』(1962)に通じる。>>352

2019-05-17

以前テレビで若手企業家が、東北地震ときソフトバンク孫さんが100億寄付するって言ってるのを見て、かっこいいと思って企業家になったとか言ってるのを見た。

それで昨日、Youtube違法アップロードされてるラジオ番組を聞いてたら評論家みたいな人が「あの100億は寄付されてない。あんなもん言ったもん勝ちだ」とか言ってた。

まあ、若手企業家が育ったんだからいいじゃないか

2019-05-15

anond:20190515084023

高校野球の強豪校なら普通にそのための人員用意してるよな。

資金も父母やOB地域から寄付等でたっぷり集まってるだろうし。

入部する子も朝から晩まで野球やってプロを目指したい子ばかりだろうし。

それでも一律に制限されてるんだろうか?守る高校があるとは思えんが。

2019-05-13

anond:20190513220118

俺に9900万円寄付すれば

俺も幸せ、お前も幸せでWinWinだろ

anond:20190513220118

数億の大部分を毎年少しずつ寄付すれば同じ経済観念でよろこべるよ

財団法人設立するのも節税になっていいね

ユーザ遷移がもたらした夢見りあむのシンデレラドリーム

 コンテンツファン公式に恭順すべきか否か。

これは多くの界隈で交わされてきた議論だろう。

コンテンツをより良くするために、否定的意見も述べていくべきだ」

「万人に絶賛されるコンテンツは作れない。嫌なら離れればいいだけ」

大体の陣営は両者が拮抗していて、今日SNSではお気持ち表明組と擁護組がバトルを繰り広げている。

しかし、ことアイドルマスターというコンテンツは、「我々がコンテンツを成長させている」という自負が強いファンが多かった。

自らを「プロデューサー」と称し、推しのことを「担当アイドル」と呼ぶ。

よく外部からは「うすら寒い」と言われがちだが、ロールプレイの一環としては悪くないものと思っている。

元々アイドルマスターというコンテンツは「いつもと違う日常を」というコンセプトのもとにつくられたゲームだ。

没頭するために普段呼び名を変えることには、きっと意味があるだろう。

我々は「プロデューサーである

我々は担当アイドルを輝かせなければいけない。

我々はアイドル迷惑をかけないよう、模範的人間でなければならない。

そういう「矜持」を持っている人も、意外と多いのではないだろうか。



 しかし、このアイドルマスターというコンテンツも、他の多くのコンテンツと同様に転機を迎えた。

すなわち、スマートフォン普及によるユーザー層の入れ替わりである

スターライトステージという非常に取っつきやすゲームリリースされ、これまでのファンとは性質を異にする新規ユーザーが大量に流入した。

従来のような矜持を持ち合わせない、新しいファン層が形成された。

従来のファン新規ユーザー間で最も差があるのは、キャラクターへの執念だろう。

そも、古くからモバマスプレイしていたファンにとって、「アイドルに声が付いている」というのは全く当たり前のことではなかった。

総選挙で上位に食い込むべくマーケティングを重ね、嫁プロのような形で徒党を組んで士気を高め、リアルマネーをつぎ込み、ようやく手に入れた上位であり、ボイスなのだ

彼らにとって総選挙とは、ただの人気投票ではない。

しかし、新規ファンにとってはどうだろうか。

デレステピックアップされるアイドルは、どうしても既に声がついた主役級(というとお叱りを受けそうだが)のアイドルが多い。

自分の好きになったアイドルに声がついていないという状態経験することは少ないのだ。

から、多くの新規ファンにとっては、古参ファン総選挙に傾ける並々ならぬ熱意が理解できない。

総選挙はただの人気投票である

からSNSでバズっている面白いアイドルに、ちょっと票を投じてみる。

漫画がよく流れてくるあの子に、ちょっと票を入れてみる。




そして、夢見りあむは中間発表で3位に食い込んだ。




 率直に言って、悲しかった。

中間とはいえ、夢見りあむに勝てたのは、未央と加蓮だけ。

たった二人。声無しアイドル担当する私からしてみれば、どちらもバケモノ級のトップアイドルだ。

他のすべてを一切合切抜き去って、夢見りあむは中間3位に入賞した。

どれだけ熱心にPRしても、地道に布教しても、イナゴのように湧いた新規ユーザーの数の暴力には勝てないのだとすれば、このコンテンツにどう魅力を見出せばよいのか。

今日も多くの陣営が涙ぐましい努力認知獲得合戦を繰り広げている。

冴えた陣営は、アイドルの「いじりやすい」属性ピックアップして喧伝する。

ポンコツままゆサメ映画好き奏さん、にわかロック

本当はそんな子じゃない。この子の魅力はもっと他にある。

そんな心の声をぐっと飲み込み、ネタにしやすい所を前面に押し出し知名度を稼ぐ。

絵師認知され、Twitter漫画でも描いてもらえれば御の字。

またある陣営名前が似ている商品場所と結び付けて、写真付きでアピールする。

時折公式に拾ってもらえれば大成功だ。

変わったところでは、アイドルと縁があるNPOだかNGO寄付したことアピールしている陣営もあった。

すべては総選挙の上位獲得のため。

しかし、夢見りあむの場合はそうではない。

最初から強烈な個性付与されたがゆえに、誰も宣伝しなくてもSNSで一気にバズった。

そしてイナゴのようなユーザーたちが面白半分で投票し、総選挙茶番に貶めた。

私はこれが許せない。

アイドルマスターというコンテンツは元来そんなものではなかった。

各々が確固とした担当アイドルを定め、彼女スターダムへ押し上げるために時間と金を割いた。

総選挙は、断じて面白半分でバズっているアイドルに票を投げる見世物ではない。

我々はプロデューサーであって、観客ではないのだから


 さて、冒頭の問に戻るが、今回の件で私は結論を得た。

「嫌なら離れればいいだけ」

これがきっと正解だ。

私は夢見りあむが上位に食い込んだことが悲しい。

しか公式に落ち度があったわけではない。

まして夢見りあむ自身に罪はないし、彼女を本気で応援している人がいることも勿論知っている。

Twitter文句を言っても、届いてほしい連中には届かず、そうではない人達の気分を害するだけだろう。

から最後矜持として、SNSで夢見りあむに面白半分で投票した人を貶すことはしない。

まりがつかない分は、場末匿名掲示板に吐き出して、この界隈からは離れることにした。

私の好きだったアイドルマスターは、最早ここにはない。

2019-05-10

文系学問において資料実在証明するものとは何か

久々にビッグ研究不正ニュースktkr

ということでキリスト教思想史研究やってた人が研究不正で懲戒解雇された件について、報告書に目を通した上でちょっと書きます

今回調査委員会被告発者に求めたのは、以下の項目でした。

この「写し」というのはどういうことでしょうか? 資料のもの調査委員会が求めなかったのはどういうわけでしょうか?

歴史学者にとっては常識なのですが、他の分野の人にとってはどうかわからないので、解説してみます

そもそも文系はどんな材料を使って研究してるのか

これは人というか研究分野によるので、安易なことは言えません。文学哲学社会学人類学歴史学言語学とでは使う資料がぜんぜん違います

で、この被告発者の研究手法は、近現代を扱う歴史家の多くが採用している手法だと思います近現代史を扱う人たちは、

を主に史料として使います(「史料」ってのは、歴史を記録したナマの資料のこと。「資料」と呼ぶと後世に書かれた二次文献なんかも含む)。あるいは、上に書いたようなものをまとめて出版した本とかを使います

これらの史料の特色とは何か……それは、

ことです。

公文書館というのは、「お役所の書いた書類を保管しておく施設」のことです。これはどのくらいかというと半永久的にです。普通文明国ならどんなに細かな書類でも公文書館に保管されていて、(民主国家場合は)数十年して機密解除されたり(独裁国家場合は)体制崩壊して民主化したりすることによって「申し込めば誰でも読める」状態に置かれます。これによって我々はソ連時代領収書なんかをロシア公文書館で読むことができるわけです。ソ連ですら公文書を保管して後世の我々に見せてくれているというのに……いや、これは余談でした。

当たり前ですが、それらはその国(あるいは地方)の公的な記録であって、自分のものにして持ち帰ったりすることはできません。ではどうするか。多くの歴史学者

などの手段史料を入手して研究しています(ちなみに写真撮影もカネを取る公文書館結構ありますね。日本だとどうなんでしょ)。

昔の人が書いたものも、本とかなら古本屋さんとかで流通しているのを買うことができるかもしれませんが、稀覯書でなかなか手に入らなかったり、古雑誌バックナンバーとか揃えるの無理ゲーだったりするので、図書館に所蔵されているのを使うことが多いです。近場の図書館に置いてない? 相互貸借もさせてくれない? そういう場合は当たり前ですが所蔵している図書館がある街まで行きます。その図書館がある街というのが新幹線必要距離だったりパスポート航空券がないと行けない距離だったりすることも稀によくある(歴史学者研究費は旅費と本代に消えていく運命なのです……)。そして、辿り着いた図書館カメラをパシャパシャやったりコピーを黙々と取ったりするわけです(最近スキャナーが普及してくれてマジ嬉しい)。

なので、調査委員会は「一次資料の写し」を求めたわけですね。たとえ彼が清廉潔白研究者であったとしても、一次史料原本なんてふつうは手元にないわけですから

しかし、本来、彼は「一次資料の写し」を提出する必要などありませんでした。自分論文を黙って調査委員会に提出すればよかったのです。なぜでしょうか?

ここで、もう1つの大事な話をします。

文系に「実験ノート」はない

もちろん分野によります心理学みたいに人を対象とした研究だとしっかり実験ノートつけるように言われるかもしれないし、考古学とかは発掘時の状況を克明に記録しておくことが重要だったりするかもしれない。でも、少なくとも近現代史みたいな分野では、実験ノートをつける、という習慣はありません。

私は一度も、理系で求められるような意味での実験ノートを書いたことはないし、書けと言われたこともないし、書いていないことを理由に責められたこともありません。もちろん史料ノートに筆写したりはしていますが、そのノートだって別に厳密なものではない。普通研究においてノートは使いますが、それは高校までのノートと一緒で、鉛筆で書いてもいいし、好き勝手なやり方で書いていいし、なんなら途中で破ったりしてもいいごく普通ノートです。最近ノートじゃなくてパソコンとかを使って研究上のノートを取ってる人も多いんじゃないかな(手書き疲れるもんね……)。

なぜか? と言われれば、

です。

まり、「もとになった資料」というのは、理系のように自分実験室の試験管の中にしかないものではなく、別の誰かが保管してくれているものなのです。

理系学問において標準化された改竄不可能な形で実験ノートをつけなければならないのは、自分実験室の試験管の中にしかオリジナル資料がないからですよね? しか文系場合は、少なくともここまで説明した近現代史場合は、オリジナル資料はどこかの政府管理している公文書館とかどこかの大学図書館かに保管してあるわけで、そこに辿り着くまでの情報さえ明記してあればそれで十分なのです。これはドイツ連邦共和国ベルリン連邦文書館の何々というファイルに保管してある何というタイトル史料だ、とわかれば、チェックのためにはそこに見に行けばよいし、これは19世紀に書かれたほにゃららという新聞に載っていた記事である、と書いてあれば、その新聞が所蔵されている図書館を探して読んでくればいいわけです。

なので、別にどんな方法ノートを取ろうが自由なわけですね。最終的に読者がその元になったデータを見つけられるようにしておけばいいわけから

ゆえに、歴史学論文や著書には膨大な注がつけられます引用した史料のそれぞれについて「どこに保管されている史料なのか」「なんという本の何ページに書いてあることなのか」ということを書かないといけません。

なかには、史料自分の手元にある場合もあります。多くの場合それは「昔の人が出版した商業出版物」なので(たとえば、極端な例ですが『わが闘争』)、他の誰かも持っていることが多いです。もしそういう史料捏造とかしちゃうと「俺もこの本持ってるんだけど、お前が引用してる箇所見つからなかったよ?」という怒られが発生します(なお、捏造ではないですが誤訳指摘は受けたことがあります。コワイ! でも覆面査読なのにこの文献の誤訳を指摘できるってことはあの人しかいないじゃん……ってわかっちゃう! 文系世界基本的に狭い!)。「むっちゃ少数しか発行されなかった自費出版の本」とかが典拠になっている場合もあります。こういう史料典拠にするのも仕方ない場合があるんですよ……典型的には、そこまで有力ではなかった政治家とか在野の知識人とかを研究したい場合、彼らが出してる本は全部自費出版というのがありえます(あと、言語学とかだと、たとえば与那国島方言研究したい場合に一番の参考資料になるのは与那国島のお年寄り自費出版した方言辞典だ、みたいな例がありまして……与那国町が進めてる辞書出版プロジェクトむっちゃ楽しみ)。ごくごく稀に、古本屋歴史上の人物が書いた手紙の山をまるごと購入できた、みたいな奇跡があって、モノホンの一次史料研究個人の所蔵になっている場合があります。これはねえ……もう本当に個々の研究者の良心を信じるほかないよね……若手研究者だと色んな大学を移り歩くこともあるだろうから所属してる大学図書館寄付しろとも言えないしね……原史料出せって言われたときにすぐに見せられるようにしておいてね、定年退職するときは勤務校の図書館に置いていってよ、とお願いするくらいしかできない感じはあるよな……

さて、長々と書いてきましたが、要するに、捏造を疑われた研究者がきちんと注で出典を書いていれば、彼は論文調査委員会の人たちの前に突きつけて「ここに出典書いといたから、見に行って確かめてこい」と言えばそれで済んでいたのです(それが生データにあたるものなので。実際、今回の調査委員会ドイツに問い合わせたりしていますね)。もっと言えば、彼本人から話を聞く前に、調査委員たちはまず典拠との照合作業を行って、彼が誠実に引用したこと、つまり彼が研究不正に手を染めてはいないことを確認してくれていたでしょう――もしも彼が潔白であったならば。

しかし今回の件では、注に不備があったので調査委員たちは注から出典を辿ることができませんでした。そこで被告発者に「写し」を求めた結果、元となる史料そもそも存在しない、捏造されたものであることが判明したわけです。

注をしっかりつけろよ! まことにごもっとも。特に今回のケースは注の多い学術書であり、注の不備は申し開きができません。しかし、しかしです、この背景には、日本出版事情が絡んでいるのです。

「注がない本」問題

今回の被告発者は、学術書のほかに新書も書いていました。多くの新書には、参考文献リストはありますが注はありません。そして日本には、「研究者が書いた真面目な学問に関する本だが、注がない」というのが一定数あります(一応言っておくと、ここではauthor-date方式みたいな「厳密な意味での注じゃないけど、ともかくも出典を示す機能を担っているもの」も含めて注と呼んでいます)。実はこれ、文系あいだでも問題視されていることなのです。

文系学者が書いた学問に関する著書には、明白に書誌情報として区分されているわけではないですが、いくつかの区分があります第一にいわゆる狭義の「学術書」。むっちゃ小難しい語彙で書かれてて、先行研究とか新規性かに一言及して、参考文献を何十ページも載せてたりするやつです。読者は同じ学者、あるいはその卵。これで注を省くのは論外です。第二に「教科書」。これは学生さんとか初学者向けに易しく書き、内容には特に新規性を求められておらず、包括的な参考文献はなくとも読書案内がついていればそれでよし、という感じでしょう。注は別になくたっていい。

そしてこの2つのあいだには、「一般向け」という広大なグレーゾーンが広がっています

あなた読書好きで、少々お硬い本にも興味があるのなら、中公新書とか講談社選書メチエとかそういったレーベルを聞いたことがあるでしょう。岩波書店青弓社社会評論社といった出版社の名前を聞いたことがあるでしょう。実はこの辺、色々な種類の本が入り交じるグレーゾーンなのです。

これらのレーベルで真面目な学術書出版する人もいます講談社選書メチエでも、末尾にビッチリ注がついてたり参考文献リストがあったりするやつあるでしょ? ああいうやつ。一方で、こういうレーベル一般向けの概説書・入門書を書くことに使う人もいます。よく中公新書で、包括的タイトルで薄めの本を見ることがあるでしょ? 今回の『プロテスタンティズム』もそれですね。そして、一般向けの解説を書きながら、さり気なくその中で新しい見方提唱したりする人もいます学術的な新規性のある内容を、一般受けしそうだという理由で限りなく一般向けの本の体裁で書く人もいます最近のやつだと『姦通裁判』マジお勧め)。

さて、こういう本を出す上では、内容は著者の完全な自由にはなりません。編集者は、もちろん学術的に正しい内容を求めているのでしょうが、彼らにとって重要なのは「売れること」です。そのために「一般向けにもうちょっと柔らかい言葉遣いで書いてください」とか色々と内容に介入してくるわけです。文体くらいなら別に構わないかもしれませんが、彼らの中にはこんな要求をしてくる人もいます「注なんてつけたら一般読者に嫌がられます、注は省きましょう」

こうして生まれるのが、「学術的に新規性が高く面白い内容を扱っているのだが、注がない」という一般書の群れです。

もちろんこういった本にも参考文献はあり、「注はないけど、典拠を探しながら読めば典拠がわかるような書き方になっている」本もそれなりにあります(たとえば、はてな太郎の説によれば、と本文中に書いてあれば、注がなくても参考文献リストはてな太郎が書いた『増田研究』という本を探し出せる)。ただ、やっぱりそれは注がある文献の出典表示の厳密さに比べれば一段劣るわけです。

これに関しては、研究者も出版社もそれぞれに問題があります研究者サイドは簡単に「注を省け」なんて要求妥協すべきじゃないし、そもそも「著書を出版する」ことが、博士論文を見るためにはわざわざ学位を授与した大学国会図書館に行くほかなく出版して書店流通させることが最も良い研究成果の流通のさせ方だった時代であればともかく、各大学リポジトリを持っていていくらでもディジタル研究成果を公表できる時代にあって本当に重視されるべきか考え直す必要があるでしょう(でも、欧米出版社でも学術出版は盛んなので、これは日本だけの問題じゃないんですよねぇ。今でもオックスフォードケンブリッジハーバードコーネルといった有名どころのUniversity Press学術書出版しまくってます学術書研究業績として重視されるのは人文系では割と世界標準なので……)。

一方で、出版社は注をもっと重視するべきです。というよりも、日本出版社やジャーナリストノンフィクション作家は注をつけなさすぎます。先日、ボブ・ウッドワードトランプ大統領についてのルポルタージュ出版しましたが、体裁も内容もおおよそ学術的とは呼べない一般書そのものの本なのに、きちんと出典を示す注がついていました。出版社は、学者に注を削れと言うべきではなく、ノンフィクションを書く作家記者たちに注をつけろと言うべきでしょう。

とはいえこれは一朝一夕はいきません。そもそも知の折り詰めである新書」という形態が割と日本独自のもので、そういう一般学術を橋渡しするレーベルが広く一般読者に読まれていることの重要性というもの鑑みると、簡単になくせとか言えません。私も色々お世話になってるし。人口1億人ちょいの書籍市場ではどうしたって限界があり、色々な本を出すのではなく折衷的な本を1冊出すのが経済学的には最も合理的という考え方だってあるでしょう。ただ、やっぱり一般書にも(それこそ講談社ブルーバックス岩波新書レベルにも)注を入れるようにする、というのは必要だと思うのですよね。

さてここまで「注がない本」問題について解説してきました。でも何が一番言いたいかというと、

注はあなたの身を守るためにある

これ。これに尽きます。注はちゃんとつけよう。もしもあなた捏造者でなくとも、研究不正をしていなくとも、実験ノートをつけない我々の業界において潔白を証明してくれるのは注だけなのだから。注だけが資料実在証明してくれるのだから。本の売上よりも、あなたの保身のことを考えよう。あなたが、部屋が汚いとかハードディスクがお亡くなりになったとかパソコンの買い替え時に行方不明になったとかの色々な理由で、史料の「写し」を紛失する日はきっと訪れる。そのときに、これまでのあなた研究の誠実性を証明できるのは、人文系学問においては、注だけなのだ

以上です。駄文に長々と付き合ってくださりありがとうございました。続きはanond:20190511125053で。

anond:20190509090034

多分この手の話をしだすと、行きつく先はすべての伝統儀式ムダじゃんという展開になるんだが

古代に遡ると日本に限らず王侯貴族宗教的儀式ばっかりやってて、教会だのモスクだのに寄付するのが立派な王様貴族みたいに思われてた

で、日本という国は、他国がもうやめた古い伝統元号改元も)を残していることを自慢している国で

それを言い出すと近代以前の大部分の伝統合理性などなく、合理性などない物をあえてありがたがるのが伝統大事にするという行為

皇室昔ながらの儀式を全部やめるべきというなら、同じように、五月に鯉のぼりを飾るのも合理性ゼロ馬鹿馬鹿しいし

1990年年代に入ってから関西ローカル風習をわざわざ全国区にした恵方巻きなんてもっと馬鹿馬鹿しい、ハロウィンクリスマスも、夏に浴衣を着るのもみんな然り

となってしま

(これらに宮内庁は関わってないけど、自治体税金つっこんでそういうのを盛り上げてる地方もあるし)

が、そーいう合理性ゼロ伝統風習現代でも残ってる理由ひとつは、それで商売してる人がいて、経済効果とやらがあるからなんだろう

皇室儀式に使われるお金も、使ったら消えて無くなるわけでなく

十二単をつくる業者だの、儀式の道具を作る業者だのの懐に入って、その業者がまた飲食したりして日本経済の一部になるのだろう

そう考えれば無駄儀式日本経済の何かになってるのかも知れん

まあ、俺も心情的には同じ税金なら震災復興や困窮児童に回せよ、とは思うけど

逆に言うと、普段その手の福祉目的みたいな税金使用を渋る経済国益第一優先の新自由主義連中が、宮内庁内廷費にけちを付けないのは不思議でならない

2019-05-09

交通事故みたいなのを悼むより今後の事を考えたりする事について

交通事故があってその事故被害者などを悼む話が出てきた時、自分の知り合いではない人なもんだからなのかもしれないけど、悼む気持ちよりも今後似たような事故を起きにくくするにはどうすれば良いのかを考えた方がいいんじゃないかと思ってしまう。

そう思っているからなのか、自分観測範囲問題なのかわからないけれど、報道などではそういう今後の事を考える事よりも被害者を悼んだりするような今後の事には直接はつながらない事を主軸に据えた情報の方が目につくように思う。

仮に自分が感じている事が正しいとすれば、自分のような考え方、つまり悼む気持ちよりも今後似たような事故が起きにくくするにはといったような事を考える人間が少数派なのだとすれば、それが逆転してそういう「先に今後〜略〜起きにくくするような事を考える」人間の方が多数派世界だったらどうなんだろうとか思ったので以下にショートショートを書き下す。

『先日の乗用車同士の衝突事故児童の列を巻き込んでしまった事故について、事故現場にガードレール敷設用の寄付箱と献花台が設置され、事件に関心を寄せた市民が次々と訪れ寄付祈りを捧げています

テレビニュースが先日の事故についての続報を流している。智子は2,3分前にやっと届いた焼豚定食をつつきながら先に届いたオムライスをほぼ完食してぼーっとテレビを眺めているであろう祐介に言った。

「確かにガードレールはいいと思うけどさ、事故が起こりやすい所はそこだけじゃないしその全てにガードレールを設置できるとも思えない。かといって事故を全く起こさないように人間教育するのは無理だし、自動運転もまだ事故が起きないような物は作られてない。ほんと、これは結構難しい問題だよね。どうしたらいいんだろう?」

祐介は言った。

「あ、ごめん。ヘルシェイク矢野のこと考えてた」

飽きたのでおわり。

「がんばりを自分のためだけに使うな」と言われてもどうすればいいの

東京大学入学式での上野先生祝辞話題になってだいたい一か月。自分東大生ではないんだけど、学歴環境を振り返ると恵まれた方にいる気がして少し考えてみた。でも、わかったようでわかってない。

特にこの部分。

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれ環境と恵まれ能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。」

すごく良いことを言っていると思う。だけど、「(恵まれない)ひとびとを助けるために」は具体的にどうすればいいのかわからない。

お金を渡せばいいの?「恵まれ環境と恵まれ能力」がある人ならば収入は多くなりそうだけど、累進課税が敷かれているから税率も高くなる。自分生活のために働いて得たお金が、他人のために徴収されている。これ以外に寄付などすればいいの?。自分は平均よりはもらってるけど、そんな余裕はない。もちろん頑張ったら出せるけど、そのために自分生活趣味差し出せるかというとそれはきつい。

時間を割いて何かすればいいの?これもお金と同じだし、そもそも何に時間を割けばいいのかわからない。

応援すればいいの?上辺だけの言葉だったらいくらでも言えるけど、自分の考えと違う場合意見も言うよ。言わせてよ。

災害があったり、目の前で困ってる人がいたりしたら何かはするし、したいなとも思う。でも、そうやって発信されないことにはどう動いて良いかからない。「弱者弱者のままで尊重される」方が絶対に良いって思うんだけど、そのために普段は何をしたらいいのか、わからな過ぎて何かする必要もないんじゃないかとも思えてくる。もちろん貶めるつもりは全くない。

いや、もしかしたら、こう思う時点で自分は恵まれた側の人間ではないのかもしれない。ここでいう「恵まれた」人っていうのは、見返りがなくとも無尽蔵に与えられる人のことを言ってるのかも。でも自分のことを「恵まれてないんです」って言おうもんなら各所から「甘えんな」「お前よりつらい人はいっぱいいる」みたいな言葉が飛んでくるんだろうな。

書き出したら少しはましかと思ったけど全然わかんない。もちろん答えはないんだろうけど、「困っている人がいたら助けよう」みたいな小学生でも言えるような意思表明しかできない。いや、それでいいのかもしれないな。

2019-05-08

anond:20190508172705

自分の知る実態に極めて近い。

NTT労組は、自宅に届けられる組合新聞的なもの印刷業者との癒着も疑わしい。あんなもんPDFメールしてくれればいいのに

あと、民進党議員応援する名目一口千円とかの寄付を募られるんだけど、これを断ると同額のクオカードあげるから、とか、ディズニーランドに安く行けるから、みたいな手も使ってくる。その原資は当然毎月天引きされてる組合費。つまり組合費を集めて政治献金してるようなもんじゃねえかと思ってた。そんなんありかよ。

だいたい、NTT労組なんて、トップの方は管理職に達しなかったおじさんの吹き溜まりになりがちで、コンプライアンス意識も低いしマネジメント力も無きに等しいし、世の中を良くしようなんて気持ちも持ってない。そんな連中に金と権力を預けてんのがバカバカいから、スリム化を図るべき。

組合員同士のカップリングパーティーとか、慶弔の一時金給付とか、ソフトボール大会とか、ゴルフとか旅行の補助とか、特定政党政治家のヨイショとか、そういうくだらないプレゼンス向上施策はやめて、月々の組合費を下げることが一番の改革

あとは春闘会社との交渉とか、ハラスメント相談窓口とか、オトクな保険商品企画(これも過剰な勧誘は良くないが)とか、組合員全体に等しく利益になることだけに、機能を絞る。それなら存在意義がある。

2019-05-06

クラウドファンディング成功

クラウドファンディング寄付額に応じてちょっとしたグッズが貰え、目標額に到達すればプロジェクトが実行される。商品を購入すると生産者お金還元され、新たな商品が作られる流れが非常に分かりやすい。

例えばオタクの人がゲーム課金したりアイドル等のグッズを買う事をお布施と言うことがある。払った代金が自分の好きなアニメゲームアイドル還元されるという事が分かっているのである

これは日常生活にも当てはまる。サービス業になると分かりにくくなるが、消費者お金を払う事がより良い商品サービスを生み出すことに繋がっている。

とにかくお金を払いたくない、お金は払わなくても良いサービスを受けたい人は自分に何も返ってこない事を考えているのだろうか。

anond:20190506041630

まず、フリーハンド法人税減税は確実に貯めこまれから戻すこと。

次に、使ったら減税、貯めこんだら増税にしていくこと。使ったら減税は設備投資はもちろん、給与増やした場合の追加減税や、寄付なんかもね。

貯めこんだら増税は、法人税ベースを上げることと、利益のうち使途がない部分に対する追加増税である留保課税

僕はフリーハンド法人税減税と累進所得減税こそが金回りを悪化させた現況だと思ってる。企業富裕層はほっといたら金を貯めこんで流れを悪化させる連中だ。

ほっといたら貯めこむ連中に対するフリーハンドの減税はしてはならない。あくまで何か金を使った用途に対する減税のみだ。

2019-05-05

anond:20190505014829

Wikipediaはどこからどうお金貰ったんだろ?寄付ということで袖の下握らせて、よろしくしたのか?日本Wiki個人への賄賂なのか?というか上級国民ググると、ネット炎上と捉えて批判することで論点ずらしてるようなニュースが上位にヒットするの俺だけ?プレジデントオンラインみたいな記事ばっかり出てくる。

2019-05-03

anond:20190502225321

単なる無職共産党信者なのにエゴから金持ちの振りしつつ仲間増やそうとする図はこち

貧困層の為になにかしたいなら共産党に入れるとかい意味ないことしてないで、お前がお気に入り弱者支援団体寄付しろ

2019-04-30

anond:20190429225355

まず女性用の雇用でいける値段で安全確保できるかってとこじゃないですかね

女性側にすれば金はらってリベンジポルノネタ寄付してるようなもん

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