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はてなキーワード: 無力感とは

2018-05-13

つらみ

将来への不安死ぬ事への恐怖、結婚できるかどうかとか、そういったものだけを普通の人は「つらいきもち」として認識しているらしいことにここ数年やっと理解が至った。自分場合はそれとはまた別の正体不明の「つらいきもち」も存在していて、これも含めて一般的な「つらいきもち」だと認識していた。みんなもそうなのかなぁと思っていたけど、違ったっぽい。これじゃ普通の人とは微妙に話が噛み合わない上に誤解されるわけだなぁと。

自分自分で、なんでそんな斜め下の解釈するんだと腹が立つ事がよくあったけど、その「斜め下」の解釈がむしろ一般的であって、自分が運悪く例外的経験をしてきた事で認識が違ってしまっていたらしい。

そしてこれまでは、自分のこの「つらい」の正体を正確に把握できた事がなかった。何故かと言うと、気持ちの原因を思い出すことが精神的に非常に苦痛だったため。

原因というのは家庭環境、養育環境のことで、学生時代にもこれについての問題意識はあった。

ふとした切っ掛けでスーザン・フォワードの「毒になる親」と出会って実際に読もうとしたけど、冒頭の数ページ読むだけで精神的に不安定になってしまい、結局その時はそのまま先には進めなかった。大学卒業後も同じことを4年くらい繰り返していた。

でも一人暮らしを始めて2年経ち、転職をしてという直後から半年間立て続けに起きた出来事対処する一環としての取り組みの結果、最近では「つらい」の比較ちゃんとした輪郭と、具体的な内容と原因が把握できつつある。「毒になる親」も最後まで目を通すことが出来たし、関連する他の書籍にも手を出せている。


自分の「つらいきもち」の正体は自分歴史的経緯から来るものだという事が確信できた。ただ、その歴史的経緯自分に対して現在無意識適用しているのは自分自身だという事も段々分かってきた。

一言で表すなら「毒親の影響」ということになるけど、もう少しちゃん表現するなら次みたいになる。(まだちょっと分析甘い)

認識できている範囲の話だけど、これらが自分の「つらい」のキモのように思っている。

毒親」ってワードを使うとすぐケチ付けてくる人間いるから面倒だし、言葉暴力的ストレートから別の表現必要だと思わなくもないけど、それでもこの単語は凄く的確な表現だと思う。

幼い頃から刷り込み自己否定などの「毒」を植え付けて、親と同じ空間におらず暴言を吐かれていない瞬間でも、自主的自己否定を繰り返すよう教育することで、大人になったり独り立ちした頃には苦しみのたうち回り…みたいな。のたうち回るような元気が残ってる人がどれだけいるのかって話だけど。

虐待によるトラウマを除くと、毒親による影響で特に大きなものは親を自分に内在化してしまうことだと思う。これにより何が起こるかというと、自己否定デフォルトとしてしまうことが挙げられる。

この自己否定ポジション的には超自我かにあたるもので、本来なら自己否定なんかじゃなくて規範としてどちらかと言うとポジティブな物として機能しなくちゃいけないんだけど、親が精神的に未成熟だったり自分人生課題に対して答えを出せていないとかで不安定な場合は、「毒」を規範として植え付けられる結果になってしまうのかなと。

それがどのようにして植え付けられるのか、憶測込みだけど文字に起こしてみると案外悲しい感じになった。

思考するだけだとそんなでもなかったけど、文字に表してみるとやっぱりこう、悲しいというか、しょうもないというか、酷くがっかりする。

休日に少しでも長く寝てたり、病欠したり、平日に休暇を取ったりすると

とか頻繁に怒鳴られてたけど、あれは完全に自己紹介だったなと思う。当時はそう思う余裕は無かったなとも改めて気が付いた。

うちの場合問題の中心は父親だったんだけど一方の母親は何をしていたかというと、俺をかばうどころか、フォローするどころか、傍観をするどころか、「あの人がおかしな事をするのはお前のせいだ」と罵ってくるタイプ人間だったので、自分の両親は味方ではないという認識だった。問題のある人間問題のある人間とくっつくんだな、という気持ち

兄弟は妹がいるけど、妹は味方というよりは共通の敵を持つ他勢力みたいな認識だったな…。

去年会って話をした時には、当時俺に対して「哀れだな…」と思っていたらしい。それは俺を庇って同様の被害を被るよりずっと利口だと思うし、去年妹と会話をして結果的問題改善が進んだし、妹が逞しく成長してくれていてむしろとても助かったと思ってる。「こっちに来るんじゃねえぞ、そのままいけ…!」みたいな。ありがとう

少し前まで、どんな些細なことであっても何か考える度に最終的に「死にたい…」という結論に結びついていた。

去年あたりから自分の親は毒親だった」と認識でき始めて、更にここ1,2ヶ月は「毒親」と濁すんじゃなくて、自分経験させられた事を「親から虐待だった」と自分に対して説明することができるようになってきた。

昔と比べてかなり進歩したと思う。昔ならそんな認識は恐ろしくて出来なかった。自分はそんな酷い目には遭っていないと思いたかったんだと思う。

そして少しずつだけど、自分のことを大事にするという概念が掴めてきているような気がする。

自分のことを大事にするといえば、最近また新たに気付いた事があって、これは個人的にはかなり収穫だと思ってる。近いうちに効いてくるはず。

初めの方で書いた「その歴史的経緯自分に対して現在無意識適用しているのは自分自身」の事なんだけど、これについての現時点での理解ちょっと整理したいと思う。

大きく2つあって、1つ目は、この記事中で何度か出てきている「自己否定」「毒」という存在の在り方と、これがそもそもどこから来ているかについて。

自己否定が起こるのは自己評価が低いためだと思う。じゃあ、自己評価が低いのはなぜ?という話になってくる。

自分欲求ちゃんと満たしていないためだというのはあるかもしれないけど、自分場合はそれよりも重大で根本的な問題として、延々とされ続けた親の否定的刷り込み存在が強いと思う。

から虐待人格否定を受けることで幼い子供自己認識は「自分は無力な人間ダメ人間」となり、それがそのまま人生脚本となり、無意識にそのように振る舞ってしまいそのような人間になる。

それを精神的に未熟な親が自己有効感を得るエサとして利用(虐待人格否定)し、それにより子供は更に自己無力感に陥り…という、子供にとって悪夢のような悪循環が発生する。このサイクルが「否定的刷り込み」の実態であり、毒親子供に植え付ける「自己否定」や「毒」の正体なのだと思う。

この強い自己否定感、自己無力感は、親が自身無力感精神的な不安定さをカバーするために押し付けられた親自身問題であり、こう認識してしまうともう親に対して「ぶっ転がすぞ」という気持ちでいっぱいになる。

以前は親に対してこんな認識を持つどころか「もう人生だめだ…死にたい…」となっていたのでこの気持ち進歩だと思う。

まり自分に対する自分認識は、無意識に親の自分へのニーズを反映したものであり、自分自分を正しく認識した上で自分に下している判断ではない。

内面化した親のニーズ自分を見ていたのだ!(強調したい部分)

毒親内面化してしまっている」という表現書籍ブログで何度か見かけていて、ただ実際どういう状況になっているのか全然理解できていなかったけど、この考えに至ってようやく合点がいった。であれば、ひたすらに自己否定をしてしまうのも納得がいく。親の抱える問題を解消できない限り自己否定は続くんだと思う。

からしたら本来自身が頑張らない限り親が死ぬまで未達だし、親が死んだ後であっても、内面化した親(のニーズから見て未達なので、子供無限自己否定し続けることになる。

自己否定の原因を正しく特定して認知を変えないと死ぬまで自分否定し続ける。

こんなの「毒」じゃなかったら何だっていうんだ。現代呪いじゃん。洗脳とも呼べるのかもしれない。まぁ「刷り込み」って「洗脳」の呼び方変えたようなもんだし同じようなもんか。

2つ目は、やり場のない感情とその矛先について。

ここひと月ちょっとは、過去に親との間にあった出来事と当時の自分感情を、出来る限り思い出して言葉として書き出すという事をやっていた。

これによって狙っていた事は、自分意思だけでは思い出し切れないトラウマ記憶に近い時系列記憶に迫り、文字に起こして認識することで「過去出来事、終わった事象」として自身に印象付けようとしたのと、あわよくばトラウマを芋づるで掘り当てて、当時の自分解釈現在自分解釈認識を上書きすることでトラウマを軽減、解消する事だった。

精神的な負荷が高いから嫌だったんだけど、EMDR以外では1人で出来るもの現実的っぽそうなのがこれしか無かったので、今の自分であれば精神的に安定している時なら回復にそれほど苦労しないと判断して挑むようにしている。

結果的にはまだ解消に至ってはいないけど、認識できていなかった事を認識することが出来た。

自分自分感情無視していた事に気が付いた。これ文字にすると厨二臭くていやだな。

無視していた感情というのは、具体的にはある期間の横暴を働く親とそれに対抗できない自分に対する強い憤りなんだけど、当時の自分ストレス発散の手段を親に奪われた挙句愛玩動物の延長みたいな扱いを受けていたので、感情を解消したり発散する機会が無い状況だった。

自分意思表現すると「立場を思い知らされる」ので、あまりの怒りと無力感から自分の机に伏してバレないように動物みたいな唸り声を上げたりしていた。趣味生き甲斐も取り上げられ仲間とも断絶されて、ストレスから肌も顔も荒れ放題、耳は切れて黄色ブドウ球菌に侵されてリンパが垂れ、首筋もあかぎれのように切れてしまい、腕の皮も荒れて剥け落ちてという有様で、生きているのがひたすら苦しかった。

病院には行っていたけど、治癒スピードよりもストレスによる身体破壊が早くて当然なかなか治らなかった。鼓動が早くなっていて体温も通常時より高く感じていたので、自律神経失調症にもなっていたなと思う。これまでで一番白髪が多かったのもこの頃。友達からは「お前、なんか覚醒するんじゃねえの」みたいな軽口を言われてちょっと救われた。高2〜3の頃だったと思う。

これを書いていると、今すぐ家を飛び出し実家に乗り込んで、徹底的に仕返しをしてやりたいという衝動自分の中に確認できる。この期間は同じく家庭環境が複雑な友達が支えてくれていたお陰で、問題を起こさず自分も生き延びる事ができた。その友達との連絡は今はもう取れなくなっている。まだ生きていてくれると嬉しい。

この記憶を思い出した事で付随する感情も引きずられて出てきて、この時に気が付いたのがここ数年ほとんど自分の怒りらしい怒りを認識していなかったという事で、なんというか新鮮な気持ちになった。感情が揺れ動くのがなんだか嬉しくて、ちょっとクワクした。

「怒りを感じていなかった」というのが実は大問題だったと思う。

この怒りの矛先は本来親に向けて抵抗するために利用すべきだったものなんだけど、利用できていなくて、そして最近ありありと思い出せたという事は当時のフラストレーションが解消されず残っているという事になると思う。解消できていないのならそれを感じなくなってしまっていたという認識おかしくて、じゃあ認識できなくなっていたそれはどこに向かっていたかというと、これはまだ検証中ではあるんだけどどうやら自分自身に向かってしまっていたっぽい。怒りの矛先が自分に向かうことで、自己否定を一層強化してしまっていたんじゃないかと思う。

しんどいのは親に向かうはずの感情の向き先が自分になってしまっていたため」と考えてみるようにした所、体が以前よりも軽くなり、洗い物が出来ない、風呂に入るのがつらいなどの恐らく精神的な問題が急に改善されだしたのは大変嬉しいんだけど、ネガティブな側面として最近色々な事にすぐイライラするようになってしまって困った……。これは多分……親に向けるべきものが溢れてコントロール出来ていない的なものかな……と思ってる。

でもこれは創作活動転用できるエネルギーだと期待しているので、自己否定改善と併せて、またしょっぱいながら活動を再開していけるんじゃないか自分には期待をしてる。

まり何が言いたいかというと、動けない、簡単な事ができない、しんどいという状態は何かしらのネガティブな強い感情無意識自分に向かうことで強いストレスを生じ、そこから起こる精神的な問題なんじゃないかと思う。と書いたところで気が付いたけど、よく見かけるような文になったし、そんなに発見ではなかったかもしれない。でもこれまでの情報との紐付けができたので、これはこれで知見かもしれない。

最近の取り組みは方向性は間違っていないと思う。例え間違っていても、死ぬまでに目的を達成するためにも引き続き認知の歪みを直す取り組みを続けたい。

「やりたい事をやらないのが苦しい」のは当然だけど、「やりたい事をやるのも同じように苦しい」というのは異常だし、このままじゃ今度こそ気が触れるかもしれないので、出来るだけ早く絶対にこの状況を脱したいです。おしまい

一人暮らしを始めて転職して、そしてまた引っ越した際には保証会社を使ったので住所を自分からは伝えていない。確認可能らしいけど。

ゴミ親父は前々から借金していた事が去年発覚して、その際に出向いて縁を切ってきた。俺のこの先10年間と俺の収入を返済に充てたかったらしい。ぶり転がすぞ。

母親は発覚直後もほとぼりが冷めてからも、問題には触れようとしない他力本願ぶり。あんたは昔から自分にとって都合の悪い事はどんな些細なことからでも逃げるよな。いや、借金父親独断からその点だけは間違っちゃいないけど自分が住んでる土地?家?が担保にされてるのにそれは無いでしょう。

みたいな状態なので、実家はもうどうにでもな~れという気持ち。妹ちゃん脱出がんば。応援してる。

早く人間になりた〜い

2018-05-11

例えばSNSの一部でゲハブログ批判がもりあがっても、ある一定の人々はゲハブログを気にせず読み進め続ける。

SNSは元々そういう断絶が起きやすメディアだけど、なんか無力感感じるよな。

どんなに議論をしても届くべき対象に届かなかったら全く意味がない。

2018-04-29

勝率50%は白熱した試合を多く経験しているのか?

http://www.4gamer.net/games/999/G999901/20180424084/

上記記事見て疑問なんだけど、勝率って別に試合経過を点数化してるわけじゃなくて結果だよな。

勝率50%って大体の場合、本人の実力が試合を左右できるレベルに無くて勝てるチームに偶々入ったか、負けたチームに偶々入ったかの違いしかないように思う。

そういう意味マッチングはすごく上手くいってるんだと思う。試合内容は別にして。

勝てば楽しい、負ければ悔しいのは当たり前。でも下手なりに負けても楽しめた試合ってのはもちろんある。

興味がなくなるのは「勝ったときは強いやつがいたからおまけで勝てた」、「負けたときは強いやつがいなかったから負けた」という試合を多く経験して

「あぁ、俺は居ても居なくても関係ないんだ」っていう、ある意味ゲームから存在否定されるような感じを受けたときだと思う。

今PUBGから始まるバトルロイヤル系のゲームが盛り上がってるのは運の要素がかなり強くて上記無力感を味わいにくいというのも

あるように思う。もちろんバトルロイヤル系のゲームでも実力によって上手い人もいる。完全に運ゲーなわけじゃない。

でも自分の知らないところで強い人同士が勝手につぶし合って上位に食い込めることはそれなりにあるように思う。

からAIを駆使しているのに「みんな勝ちたいんや」なんていう糞の役にも立たない結論じゃなくて、

プレイヤーが「自分はチームの勝利に貢献できた」と思えるポイントいかに増やすかを考えてほしい。

別に下手なプレイヤー勝利に貢献できるようにゲームの仕組みを作る必要はなくて、そういう風に見せることができればそれでいいと思う。

最近の対戦ゲームで細かな条件でボーナスがつくヤツ多いのもこの一環なんだろうけど、大体が個人の成績が良かったように見せる仕組みが多い。

そうじゃなくて、チームの勝利に少なからず貢献できた、という風に見せかける仕組みが出来ないもんだろうか?

2018-04-20

anond:20180417154847

図々しいなんて思う必要ないと思う。悪いタイミングでハッとさせられちゃったんだなあ。

この出来事を、「要求過剰な母親が、隣に居合わせたかわいそうなOL理不尽に批難してる」話として捉えてる人が多いみたいだけど、全然そんな話じゃなくないか?と個人的には思う。

たとえるなら、連日のブラック労働に心身をボロボロにされてるタイミングで、

ふとトリートメントの広告を見かけて、

ポスターのサラツヤ髪に「自分、髪とか肌とか荒れてんな…」

って気付かされて、その瞬間、抱えてたしんどさがドッと押し寄せてきて、無性に涙が止まらなくなった。

みたいな。そういう次元告白に聞こえたけど。

そりゃ、このたとえ話だって聞きようによっては

モデルさんに対する嫉妬」って話に捉えられるかもだけど、

それは要素のごく一部分であって、そこだけを拾うのが妥当だとは思われない。

隣の乗客ポスターモデルさん)を積極的に批難したいわけじゃなくて、

見たタイミング自分にとって最悪すぎたせいで悲しくなってしまったんだよ。というふうに自分には読めた。

なので、不幸な鉢合わせ事故だね…とは思うけど、あなたが悪いとか図々しいとか思わない。

もちろん隣の女性に愛想がないなんてことも全然思わない。

その女性だってそれぞれの事情があるだろうし。


ここからは完全に私の勝手な推測だから、そういうの嫌だったら読み飛ばして欲しい。

応援してる人間がいるよ、ということだけ伝わればいい。

>無、なんだ……と思って悲しくなったんだと思う。

っていう記述を見て、あなたはこのとき「お前はひとりぼっちだ」と社会に突き付けられたような気分になったんじゃないかな…と感じた。

分かったような口をきくのは申し訳ないんだけど、

「せめて、厚顔無恥で図々しい母親だとは思われたくなかった。我が子を迷惑子どもだと思われるのも嫌だった。

 だから最低でも、謝った、という姿勢を示しておきたかった。

 けれど、それが門前払いされたことで、莫大なモヤモヤや焦りが手元で行き場をなくしてしまった」……のではないのかな、と。

愛想笑いが欲しかったっていうのも、事実でありつつもド真ん中ではないんじゃないかな。

愛想笑いで「子育てが色々大変だってことぐらいは分かってるつもりですよ」というアピールひとつでもあれば、

お姉さんが内心でクッソうるせえなあと思っていようが、多分いたたまれなさに耐えられたんだろうけど、

その道が言い訳余地もなく閉じられてしまったせいで、一応こっちは謝りましたよ、という形を取ることもできない。

言うなれば感情の行き来が閉ざされたことに対する孤立感。

そっちがつらかった、ってことじゃないのかなぁ。

この考え方でいくと、謝る時間さえ取らせてもらえたなら、

そのあと舌打ちをされても(門前払いよりは)耐えられた、ってことになるけど。


「お前はひとりぼっちだ」と社会に突き付けられたような気分になったのでは…、という話に戻る。

これもまた想像なんだけど。

まず、以下のような前提があったとする。

子どもを連れ歩くって、やっぱり色々迷惑かけるよね…とあなたは十分に理解し、戦々恐々としている。

けど、あんまりくそこを意識しすぎてしまったら、マジでから一歩も出られない。

程よく目を背けないと、現実的には暮らしていけなかったりする。

からほとんど自分に対するハッタリだと自覚しつつも、

「いやいや世の中には『別に構いませんよ』って思ってくれる人もいるはずなんだ!」って自分に言い聞かせて外に出た。

(繰り返すけどこの前提は全部想像に過ぎない。)

で、そういう不安強がり葛藤を抱えて、自分鼓舞しながら外に出たタイミングで、

ハイやっぱりそんなの所詮思い込みでした~!って知らされたら、そりゃあ心だって折れると思うんだよ。

子ども迷惑がる人がいるという事実

ハイハイそりゃ知ってましたよ。って感じかもしれないけど、その当然のことにさえ耐えられない瞬間もあると思う。

それから

>無、なんだ……と思って悲しくなったんだと思う。

という部分に関して。

世の中の歌詞物語に「あなたひとりじゃない。きっと分かってくれる人がどこかにいる」みたいなメッセージってあるけど、

あの逆と言ったらいいのかな。

あなたがどれだけ葛藤してようが、申し訳ないと思っていようが、

 他人他人機微になど無関心であるし、あなたの肩身の狭さを了知する義理を持たない。」

という現実を突き付けられた(気分になった)。

それも最悪のタイミングで。

これは、そういう話なのでは…?憶測に次ぐ憶測で恐縮だけれども…。

要は耳栓を、

「本当は申し訳ないと思っている、とか、一言謝りたいだとか、そういうのは全部お前の問題だ。

 お前の困惑葛藤世間は関知しない。お前の懊悩は全てお前の中で飲み下せ」

みたいな、社会からの逆メッセージとして解釈しちゃったんじゃないのかな…。

「当てつけられた!」なんていう具体的な怒り…という部分も、ないことはないかもだけど、

なんだか、怒り未満の無力感、やるせなさで止まっているような印象を、あなた文章からは受けた。

で、これらの勝手な推測が、万が一どこかしら当たってるんだとしたら、

めちゃくちゃお疲れなんだと思う。

ぜひ自分を労ってあげてほしい。

子ども迷惑がる人がいるという事実にしても、

人間他人機微にそれほど関心がないという事実にしても、

元気なときだったら「そりゃそうだよな」ぐらいのテンションで受け止められるかも知れないが、何事にもタイミングというものがある。

20kgの荷物は元気なときなら頑張れば持てるけど、骨折しかかった腕で持っちゃいけない。

なので、色々書かれてるけど、「当然のことに傷ついてしまった自分は弱い人間だ」みたいなふうに思うのだけはやめてほしい。

図々しいなんて思う必要はない。

タイミングが悪かった。それだけのことだと思う。

2018-04-17

性的少数者が性被害にあった話 4/18追記

追記

たくさんのコメントありがとうございました。

多くの人にこの現実を知ってもらえただけで、匿名でも公表して良かったと思います

  • 恋人に慰められたかったとのことだが、どんな言葉を掛けられたら嬉しいのかも書いてほしかったな。

もし自分の身近な人間が性被害に遭ったときのために知っておきたい

恋人通報を渋ることを怒ってしまい、萎縮した私は「1人で出歩くときは十分気をつけます」と自分危機管理不足を謝りました。

実はこの件が起こる数ヶ月前に、都内ターミナル駅付近トイレにて襲われ、男性器を口に突っ込まれるを被害を受けていました。

被害を2度も受けたことに、恋人自身も怒りや無力感を味わったのだと思います

それから被害にあってしまったのは、自分のせいだと反省し続けました。

関係性にもよると思いますが、隣にそっといてくれるだけ、自分の味方である宣言してくれるだけで、何よりも心強いです。

また、「辛かったね」「言ってくれてありがとう」といった共感してくれる言葉が欲しかったのだと思います


心身共に男性の方です。

性同一性障害人間自分性自認と同じ性別を好きになることは、数年前まで

性的少数者の中でも仲間はずれにされてきたこと、一般的に混乱を招いてしまうため

今でも誰かにカミングアウトすることは中々ありません。

私は高校生の時に生活する性別女性から男性に変えました。

女子高生男子高生の制服を両方着て、電車通学をしていましたが、両方とも痴漢あいました。

合わせれば片手では足りない回数です。

また、幼少期(当時は女児)に、公衆トイレでいたずらされたこともあります

被害一種類で決められるものではない、それだけではないのが現実です。

嘘だと思う方もいらっしゃるかもしれません。でも、嘘だったら良かったです。

どうか、多くの人に知って頂けたらと思います

-------------

私は女性として生まれ性同一性障害人間である

乳房摘出手術を受け、男性ホルモンの投与をしている。

子宮・卵巣摘出手術はしていない。男性として生活している。

数週間前、夜に都内公園を歩いていたところ

いきなり見知らぬ男に腕を捕まれ男子トイレに連れ込まれた。

辺りはあまり人気がなく、何となく帰り道で歩いていた矢先だった。

そのまま個室に追いやられ、脅された。

「黙ってれば殺さない」

自分よりも背が高く、とても抵抗出来る力は持ち合わせていなかった。

男性ホルモンの投与をしていれば女性よりも体は筋肉質になると言われているが、

日頃から鍛えているわけではなかったので、圧倒的に負けた。

大声を出すということが思いつかないくらいには、パニックだった。

人間、びっくりすると力も声も出なくなる。

体を触られ、股間に手が伸びた時点で、体が女性だということがバレた。

「お前女なのか」

男は私を男だと思って、襲ったようだった。

から解放してくれるかと思った。

そんな希望的観測は、一瞬にして砕け散った。

妊娠させてやる」

「女で生まれてきたくせに」

たくさんの罵詈雑言が降っていたが、私の防衛本能のせいか途中から聞こえなくなった。

ただ、屈辱的だった。

男性器を口に無理やり入れられた。

衣服は脱がされ、女性器に男性器が侵入してきた。

殴られるような衝撃と不快感が一気に襲ってきた。

はいつのまにかいなくなっており、私は何とか家に帰ったようだった。

被害を受けた日から最近までの記憶は少しずつ欠けていた。

一応、恋人には被害を受けてしまった報告をした。

多少は受け止めて慰めてくれるかと思っていたが、恋人は怒りのあまりそれどころではなかった。

話したのは失敗したと思った。この件は自分の心にそっと閉じ込めておこうと思った。

被害を受けた日から今まで、通報を考えたことはあった。

しかし、自分性別カミングアウトすること、事の顛末を事細かく警察に話さなければならないことは、警察へ行くのを躊躇う要素になった。

先日、以前からかかっていた精神科主治医が私の様子を察してくれ、話を聞いてくれた。

警察にとっては、あなたのような被害があると知るだけでも情報になります

それがきっかけで、その後警察匿名通報をした。

電話口での性被害の訴えはそれほど優しいものではなかった。

声変わりをしているため、電話をかけた時点で男性だという認識で話が進んだが

根掘り葉掘り聞かれ、状況を喋っている途中で自分性別を話すことになり、声が震えた。

性別性別なので、刑事課の方も戸惑っていたようだった。

それは当然のことだと思うが、その説明をするのも苦しかった。

名前や住所を聞かれたが、伏せた。

捜査は出来ませんが、大丈夫ですか」

更に戸惑った声が聞こえた。

大丈夫です」

自分セクシャリティ名前とともに公表することは、簡単に譲れることではなかった。

電話を切り、一気に体の力が抜けて、震えた。

その日の夜は恋人と会って抱きしめてもらったが、何も言われなかった。

ただ寝る前に、「頑張ったな」と言われて頭を撫でられ、初めて泣いた。

何も言わずに怖い顔をしていた恋人は、加害者に対する怒りに震えながらも、それを私にぶつけることをせず

ただ冷静にじっと我慢し、現実を受け入れることに徹していたのかもしれないと、ふと思った。

もう泣くのも、この件で悲しむのも、この日で終わりにしようと思った。

女性の方も、男性の方も、私のような性別の方も、そうでない方も

被害に遭い、声を上げられない方は、たくさんいるのかもしれません。

必ずしも声を上げることが正解ではないと思います

得られるものが、失うものよりも必ず大きいとは言えないからです。

でも、声を上げれば、世界が変わるかもしれないというのも、また事実だと思います

私は、この件を乗り越え、そして受け入れるべき過去として抱えながら、前を向いて、生きていこうと思います

2018-04-16

アスペルガー人生は無理

アスペルガーという言葉は、2015年から広く本のタイトルなどに取り上げられるようになったのではないだろうか。ちょうどその頃に、幼い時分からまれていた無力感焦燥感、虚無感の根元にある直視し難い性質が何なのか判然としたことに感動したのを覚えている。家族を巻き込んで不幸をもたらす憑き物を現代医学が心の病だと看破たかのような爽快さがそこにはあった。私はこの障害のことをもっと知り、前向きに治療をしていこうという気持ちを持ち、それは今でも続いている。

しかし、障害を知覚したところで苦痛が晴れるでなし、それ以降もこの長きに渡る連れ合いは私を苛み続けた。正体見たりと凄んだところで、死角から刺されるのが堂々と名を名乗り正面から切り伏せられるのに変わったに過ぎなかった。

その日は取引銀行支社長社長宛に挨拶に来るということで連絡を受けていた日だった。いつもなら、というか"正常なら"同席の程を上司である財務担当役員に伺うところなのだろうが、今回はそれが出来なかった。

何故なのか全く分からない。先方が名前を挙げてないのに同席させるのは失礼じゃないか。それとも担当なのだから同席しない方がおかしいのか。時間を取らせるくらいなら私が同席すれば良いのでは。頭で考えるだけの道は無数に枝分かれをし続ける。"一体何が正解なのか"。

そうこうしているうちに混乱から別の業務に手をつける、というサイクルを繰り返して日付が変わり、約束の30分前に私はその役員から呼び出された。

「なぜ俺は今日声を掛けられてないんだ」

社長の予定を確認してからずっと黙って見てやっていたが、我慢ならん」

銀行との取引を締めているのは他でもない俺だろうが」

「そういう気の回らないところが頭に来るんだ」

「"普通に考えれば"わからんのか」

こってりと絞られた後、心にいつもと違う感じが差したのをうっすらと覚えている。

私は今までこの気が回らないということを必死に隠してきた。中学生かそこいらまで、親からよく気がつかないとか人の気持ちを分かれとか言われて過ごした。その頃は親から怒られること自体苦痛だったため、幸か不幸かそれを自分性質と捉えることなく、説教回避したい一心で人への接し方を注意しながら生活できるようになった。それでも学校生活で求められる他者との関わり合いなどたかが知れている。

やがて企業に勤め社会に出るようになると、その性質に大いに悩まされることとなった。上司の、同僚の、客の言うことがわからない。わからないまま、説教が始まる。しかし、正すべき箇所とその方法が見えないため、またそれに悩む。この繰り返しで自尊心をズタズタにしながら、三度目の就職東京を転がり出て辿り着いた現在地点が今の片田舎にある中小企業だ。

私にとって、人の気持ちだの上司を立てるだのということが分かる機転は、尻尾のようなものである。生まれた時から有しておらず、今後手にすることも能わない。そういう能力が無いことを自覚して、別の器官で補いながらなんとかかんとか死なずに生きてきたのだ。

しか今日、私は尻尾が無いことを隠すのを忘れ、尻尾が為すべき仕事を手や足で為さなかった。そして運悪くそんなタイミングで「尻尾のない奴は頭に来るんだ」という一言が飛んできたのだった。

こういうことで叱咤を受けることは歳を重ねて減ってきたとは言え、もちろん何度も経験している。普段なら自分なりに飲み込んで処理できる筈なのだが、全てはタイミングなのだと思う。

それはなぜか異常なほど深く私に突き刺さり、刺さった言葉は体内を刺激し、文字通り身を裂くような勢いで疎外感を噴出させていった。

「かわいそうだな」

自分客観視する自分に気がつく。解離が始まった。早く戻らないと。早く自分に戻らなければならない。しかし、昼過ぎに始まった葛藤は定時の鐘が鳴るまで続き、何もせぬままそこからさらに三十分ほど放心して、私はとぼとぼと帰路に着いた。

明日会社を休もうと思う。

明後日会社を休むかもしれない。

そうすると明々後日には会社を辞めようかどうか真剣に考えるだろう。たぶん辞めはしないけど。

anond:20180415070807

「地道に良いようになるように会社社会をまわしていく」のに必要なのはマネジメント

なぜなら、地道に良いようになるようになる社員を見いだせるのは眼力時間配分うまいマネジメント層だけだから

そういう「こういう働かないやつに石をどんどん投げろ!!!マネジメントでは、

しろ、何か一生懸命頑張ったやつのほうが被弾するので、一生懸命働くやつほど無力感を感じて機能不全になっていく。

表面的に成果を出せるやつにどんどん仕事押し付けて、潰して、代わりはいねーかーとゾンビみたいに這い回るだけ。

当然一生懸命働くほどバカを見るのは周りみんなわかっていくので、どんどん機能不全になっていく。

マネジメントに適正があるやつだけをマネジメントにつけ、良い社員にきちんと給料を出せ」ならいい。

ネオリベマネジメントはもう日本では終わりにしてほしいもんだ。

2018-04-12

AC

・周囲が期待しているように振る舞おうとする

・何もしない完璧主義である

尊大で誇大的な考え(や妄想)を抱いている

・「NO」が言えない

・しがみつき愛情混同する

被害妄想におちいりやす

・表情に乏しい

・楽しめない、遊べない

・フリをする

環境の変化を嫌う

他人承認されることを渇望し、さびしがる

自己処罰嗜癖している

抑うつ的で無力感を訴える。その一方で心身症嗜癖行動に走りやす

離人感がともないやす



・周囲が期待してようがしてまいがどうでもいい

自分が好きなことだけやって飽きたらやめる

・冷静で現実的な考えを抱いている

・偉そうな奴に「NO」を言うのが大好き

・愛するものでも容赦なく切り捨てる

他人自分の引き立て役に徹するものと思ってる

・表情豊か

・楽しむ、遊ぶ

環境の変化を好む

他人が何を考えてようが気にしない、孤独が好き

自分が悪いとは考えないし仮にそうなら誰かにせいにする

・躁的で全能感がある、メンタルが異様に強い

まりこうなればいいのでは?

2018-04-10

整形しない、できなそうな理由

今日大学の授業があった。

朝起きるて、朝日新聞を見て胸が高鳴っていた。

これはカケペーパーズだと。日報問題や森友文書などが出てきている状況において、ぶつけてきたのには感動した。

しかし、自分の状況は暗い。

夕方コンビニに行くと母と娘らしき2人がいた。母親は昔は美人だった小顔をしており、娘はそれよりも背が高くて美人だった。

高身長で172cmの自分よりも身長が高い。パンツスーツスタイル就活真っ只中なのかもしれない。

しかし、苦痛そうな表情もなく、母親の身なりからはカネを持ってそうだと感じた。

彼らが加計学園問題を気にしているだろうか。いや、気にしていない。

彼女人生を楽しむのに必死そうだ。

その一方で自分舐めるように記事やらメモやらニュースを見ている。

これで、安倍はアウトだろうと喜んでいるのだ。そんな自分は嫌われる。

ネトウヨだけでなくリベラルっぽい人も容姿が良くて染まっていないであろう彼女擁護して、自分批判する。

途端に自分が惨めになる。

自分は授業も既にほぼ単位を取り、都内実家があるという恵まれている境遇なはずなのに就職が苦戦している。

一次面接で4つも既に落とされたか容姿問題なのかもしれない。

しかし、整形というものが中々できそうにない。

1つは持病のために服用している免疫抑制剤のせいだ。

ある大手美容整形外科メールを送ったら、免疫抑制剤服用の方はお断りと返信が来た。

持病の主治医も何をすればいいかを答えたがらない。それは仕方がないことだ。

2つめに容姿が良くなるのか怪しいということだ。

持病のせいで中学高校ステロイドを飲んで肌が滅茶苦茶になった。

クレーターだらけになって、ボソボソな肌である清潔感などのかけらもない。

それでも、今はましなのだ。

ヒルドイドとベピオゲルを塗りまだマシな状況にしている。

ステロイドを飲んでた当時を思い出そうものなら息ができなくなる。

内閣人事局が出来たころに別の美容整形外科相談したことがある。

持病を伏せてオンライン相談した美容整形外科では「難儀になる」とか「こんなに深いものは初めて見た」とか言われた。

今の顔の状態はこんなのだ

ということで、自分の皮膚の写真を載せる。

https://imgur.com/a/rRlmP

また、大きな顔やら形は良くなるのか、酷いくせ毛やら、その他の見にくいパーツはどうなるのかも分からない。

3つめは断れたときのショックが恐ろしいということだ。

もう、打つ手がないと感じると途轍もない無力感に襲われそうだ。

最近投資に失敗して100万円の儲けが溶けて30万円も親から貰ったタネ銭もなくなった。

これから時代は超低金利資本主義終焉に向かうという予測を立てる人がいる。

就活でも成長分野などないと感じるし、割と正しい意見なのかもしれない。

そんななかで、素人運用で増やせるわけでもない。

そのカネで容姿が良くなれば良いのだけど。




追記

形成外科を近くに見つけたが、断れるのが怖くてなかなか行けない。

2018-04-09

ハロワに行こうと思うのですが。

行くのが怖くて仕方ありません。

過去何回か行っても手応えなく終わり、それで無力感があるのかもしれません。

それでも自分のため、家族のために走り回ってる人たちもいるんでしょう。

行くことで少し何か変わるのでしょうか?

こんなどうでもいいことを書いてしまってすいませんでした。

2018-03-21

anond:20180225064508

躁鬱御用達 個人的感情の整理

前に分類した以下のような感情は「期待」からまれるのでは?という考察

また、他人の期待を多く見、理解する過程で、自分の中で「こう期待されるだろう」という推測データが作り上げられる。

その推測データを素に自分他人からどう期待されているかを推察するようになる。

期待の推察が過剰になると被害妄想に発展する。

「疎外感」「無力感」は、「罪悪感」のうちの一種類としてカウントできる。

「不満」は、相手に「罪悪感」を抱かせる働きを取る。

その罪悪感は誰のどんな期待によって生まれたのか

そこを焦点に絞ると考えがまとまりやすいかも。

期待を叶えなかったことで相手

ガッカリさせ、失望させ、イライラさせ、不快にさせ、不満にさせたとしても

自分自身」とは関係がないと思えるようになる?

そのことに罪の意識を感じる必要自分にあるのか?を考えるのもいい。

基本的にそんな必要はありません。ないんです。

罪の意識を感じさせようとしてくるのは、コントロールしてこようとしてくることと同義です。

なぜ他人の望む自分であらねばならないのですか?

そこに際限はない。他人からかけられる期待に上限はない!

だったらそこをいちいち気にするのは徒労じゃないの?

そもそもそれが自分の望みでないなら、同一視するべきじゃないのでは?

本当に自分必要なのは自分の望みだけなんだから

罪の意識を感じさせれるような自分の姿…「こうあるべき」姿と食い違う自分

それを変えることが本当に自分の望みなの?

それをよく考えることだ。

「なぜ鬱になるか?」

自分存在に罪悪感を感じるから

「なぜ罪悪感を感じるか?」

自分行為や行動の結果に責任を持ちきれないと感じるから

「行動の結果背負う責任とはなに?」

自分引き起こした結果を受けて、それが自分の起こした行動の結果だという自覚を持った上で、次の行動につなげていくこと」

「どうすれば次の行動につなげていける?」

「罪悪感(鬱)に足を取られてそもそも対処できなくなる状態を避ける」

「どうすれば罪悪感とうまく付き合える?」

「罪悪感は"こうあるべき/こうあるべきでない"という期待、定義から生まれる。定義に即しているのが常で、反すれば異常。この期待度には大小がある。例えば、こうあるべきでないという期待のうち、規模の大きいもので言えば無差別殺人を犯すとか、強姦強盗とか。小さいもので言えばTPO無視した服を着るとか、言葉遣いの乱れ、電車内での通話とか。小さいものまで目を皿のようにして"禁止されている"ように感じるから、それが(自分には許容範囲でも)誰かにとっては許されないものなのではないか想像して、なんでもかんでも不安になり、行動をためらう……で、規模の小さい禁止行為(と思い込んでいる行動)の受け止め方が、自分の中で変わっていけば、それが罪悪感とのうまい付き合い方になる。と思う。」

「それはどんな変化?」

「それをすることで、誰かが不快に思うだろう、だからやってはいけない。やるべきではないだろう。でも、自分はやってみたい。だったらやってみよう。こんな変化。」

「実際に誰かに不快に思われて、"やめろ"と言われたらどうする?」

「それは、自分のやりたい行為と、相手のこうあるべきという行為が相反している状態一種戦争状態。強行して自分を貫いて勝ちを得るとか、降伏して相手の意を汲みすっぱり諦めるとか、色々戦略が考えられる。自分のやりたい行為を続けたいのであれば、相手と向き合う必要がある。強引で暴力的な状況ではなく、交渉状態に移行できるといいと思う。」

「どうすれば交渉状態に持ち込める?」

自分の中ではこのように納得しているので、それを実行している、という相手提示できる自己説明提示できればいいと思う。そうしたらそれを受けて相手のそれに納得できない理由を聞き出せる。それに対して自分相手の納得できない部分に交渉を返せる。どうなら納得できるかって視点に切り替えられれば、その繰り返しで妥協点が見つかると思う。」

「対個人より交渉の難しい対集団ときはどうする?」

集団は、個人構成された組織組織は、ある機能をもたせることを目的存在している。機能を大きく損なうのを防ぐためのものが"ルール"。その集団がどんな機能のために存在しているのか?損なうとしたらどう損なわれるのか?どこまでなら損なわれても問題ないのか?とかを考えて動いて、融通がきかないんだったらその組織を離れて別の方法を試すよう方向転換すればいいと思う。」

あくまでも集団の一部ではなく個人として生きているという自覚があれば

集団雰囲気不文律や古いしきたりや多数決の結果や場の空気みたいなアレに振り回されなくてすむんじゃないのか

という期待

交渉とか高度なこと求めるのこそ酷では?

どうせ机上の空論

ああ自分頭でっかちが嫌になってきた

嫌になってきたところで寝てリセット

2018-03-19

彼女出来なかったか死にたい

僕は彼女いない歴=年齢のアトピーゾンビだ。(DQNの人じゃないよ)

僕はアトピーゾンビで見た目がきもいから彼女ができない。

痒みや痛みやアトピーが原因の鬱で常に無力感にとらわれていて坂を転げまわるように低スペックな人として人生を歩んでいる何の魅力も金も地位権力もないゴミ屑だ。

せめて見た目がきもくなければ女の人に積極的アプローチしたりナンパしたりをできたかもしれない。

容姿人生のすべてを決めるんだよね。容姿が良ければ簡単に金を稼げるし彼女も選び放題だ。


最近健康体で生まれ、何不自由なく生きてきた人たちからマウントで死にたくなった。

自助努力が足りない、迷惑からずっと一人でいろ、お前みたいなキモい奴を好きになる女なんていねーよ。諦めろ。、彼女が本当に欲しいと思っていたら本気で努力し道を自らの手で切り開き掴み取れるはず。それをしないお前が全面的に悪いと言われた。

これから年を取ってキモくて金のないおっさんとして惨めに生きるのは嫌なので死のうと思う。容姿よく生まれてきたかった人生だった。(終わり方こんな感じだったよね)

2018-03-17

アホの子教えるのは楽しかった

学生時代バイト個人指導塾講師をやっていて、座ってられない&話が聞けない中2とか、アルファベットのaとdとbの区別が付いてなくてbog とかdopple とか平気で書いちゃう中3とかを担当していた。

そういうレベルの子供でも、ちょっとした一言というかきっかけが見つかれば変わるし、偏差値27から50超のだいたい普通レベルまでもってくことは、片手間の個人指導大学生バイトでも割と難しくなかった。

逆に私にとっては、普通の子を出来る子にする方が簡単じゃなかった。本人に勉強への自発的意欲があって家庭の協力があれば偏差値60超くらいまではいけたけど、そこから先は元々の素養がないとダメかなぁという感じだった。個人的な体感だと65を超えるのは元々の素養が大きく左右するなぁと思っていた。

アホの子普通の子にする役目は、他のバイト講師仲間の誰もがやりたがらなかった。私はアホだったからそっちのが性に合ってたのもあるが、アホの子普通に近づけていくことで、どんどん目に見えて変わっていくのがすごく楽しかった。こういう言い方はあまり正しさがないとは思うのだが、アホを普通にする方が、普通を出来るにするよりも賞賛されやすかったし、本人からも周囲から感謝されやすかった。労力に比して賞賛感謝が多いバイトだなーとあまり倫理的でないことを考えていたし時給の昇給も早かった笑

アホの子へは、勉強理解を促すための教え方とか理解させ方以前に、取り払ってやらなくてはダメなことがある。

彼らは、勉強=キライ、怒られる、自分が惨めになるだけ、といった思い込みがある場合が多い。どうせ分からないのだから頑張るのは無駄、と思うらしい。で、Togetterでまとめられてた子のように無意識アパシー状態なる子が多かった。

なので、まずは、間違ってくれないと先生が困る、と言うようにした。

あなたが間違ってくれないとどこが分かっていないのか先生が探せないから、間違ってくれないと困っちゃうんだよー、と言う。でなぜその間違いをしたのかを、問い詰めるのではなく一緒に探していこー!というスタンスで接していた。

なんで間違ったの?と聞くのは子供たちにとっては死刑宣告に聞こえるようだった。この人も結局私を救ってくれる人ではない、と思われ閉じられてしまう。実際に最初の頃に担当した子供の中にはそうやって閉じられてしまった子もいた。

よく考えたら、間違ったところや間違った理由自力で分かったらアホじゃないし人の手助けはいらないはずだ。アホの子だって一丁前の中学生なのだから、できることな同級生女子大生()の塾講師にアホを晒したりしないでカッコつけたいはずだし、自分で分かることができるようになりたいはずだ。

aとdとbの区別が付かなかった中3には、なぜこの3つがごっちゃになるのかを見つけてやった。まぁ簡単なことで形が似てるからなのだが、彼は自分が混在させてしまアルファベット同士の形が似てることすら気づいていなかった。

aはアタマが短いけどdはアタマが飛び出してるかごっちゃになるんだよ!だから書く時にアタマ飛び出すか飛び出さないかに注意すればいいよー、と言っただけなのだが、次の週にはbとd問題勝手クリアしていて、普通綴り間違えなくなったし音読もできるようになっていた。

さすがにこの時は、私サリバン先生かよ!と図に乗ったが、26文字中のそれも比較的頻用するアルファベット3つが見分けられないまま放置されてりゃ勉強嫌いになるよなぁとかわいそうにも思った。もっと早く誰か気づいてやれなかったのかよーオトナー。

一次方程式で硬直する別の子は、単にxとか英語が突然出てきた!ずるい!と思考停止してただけだった。便宜上記号から怖がらなくてもいいと理解できた後は数学だけじゃなくて英語の成績も人並みになったし、英語の成績が良くなったら国語社会も急に頭に入るようになったと言っていた。

びっくりするレベルで出来ない子は、こちらが想像できない些細なところで驚くほど繊細につまづいているケースが多かった。だから学校先生から見落とされ続けてたか対応しきれなかったんだろう。あと、そういう子は大抵、家の環境はあまり良くない傾向は確かにあった。貧困家庭、片親、離婚再婚で家にいづらいとか。

そういう子が、アホの子から普通になることのインパクトは大きい。劣等感と、どうせここから抜け出せないという無力感と共に生きてきた子にとって、普通になるということは、普通の将来を考えられるようになるということだ。アホ高じゃなくて普通高校行ける、普通高校行ければまともな就職もできるんじゃないか?という希望だ。

私が面倒見たアホの子たちは2年間で6人いたが、高校行けないかもしれないところから普通レベル公立普通科や商業科に進めて、それぞれ今は会社員などをやっているらしい。地元から生徒のお母さんに会ったりして近況を聞けたのだ。

adb区別の付かなかった中3は、なんとホテル系の専門学校に進んで大手ホテルチェーンでフロントをやってるらしい。立派になって先生は嬉しいよ

自分の大切なものがいつ規制されるかわからんので諸刃の剣だ論

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180316000039

元の話題とはまたちょっと筋がずれるんだけど、コメントには「ポリコレ的な規制論は、いつ自分の大切なものに向けられて、自分喪失する側になるかわからんのだから慎重にしないとダメだよ」系の意見結構たくさんついてる。諸刃の剣だとか、自分の庭を荒らされる覚悟とか、言葉は違うけれど。この記事は、そういうコメントに対する記事だ。

そういうコメント気持ちは分かるし、自分大事ものに置き換えて共感できる能力は素晴らしいと思う。だけどちょっとまってほしい。

世の中には、コメント欄のみんなが思いもしないような「大切な趣味といえるものがなんにもない人」って結構割合でいるんだよ。マジで

趣味はXXXです」って自己紹介する人の中にだって結構いる。そういう人だって仕事家事食事睡眠意外しないわけじゃない。漫画テレビ映画や行楽にいくこともあるし、なんだったらあみぐるみを作ったりソシアルダンスをやってたりする可能性もある。世間から見て多趣味に思われてたりすることさえある。

でも、「XXXが好きでやってます!」って自称しているそのXXXを、法なりなんなりで禁止されたとしても、たいしてダメージをうけない人はいるんだよ。少なくとも生きがいとかそういうレベルでは全く影響を受けない、暇つぶしを変えなきゃね程度の人間ってのは、社会結構割合存在する。

おそらく、そもそも趣味」とか「好き」言う言葉定義が違うんだと思う。

そしてそういう人は、他人が生きがいやら打ち込んでることをもってることに共感できないから、平気で禁止同意するよ。両親がそういうタイプで、親から見てマイノリティ趣味禁止される子供なんてざらにいる(「趣味なんて他にいくらでもあるでしょ」って言う残酷言葉は、実際世の中には溢れてるよ)。

から大事ものがあるはずだ」ってのを無前提に敷衍することは危険だ。

BLは好きだけど男の読むエロ漫画は嫌いなんで規制しろ」なんてダブルスタンダードは、たしか問題だし醜いけれど、割合としてはそう多くはないんじゃないかなあ。

水面下に隠れてて巨大なのは「かけがえがなくて人生の支えになるような趣味なんてものは、私には存在しないし、そんなものなくても実際こうして生きていけている(暇を潰せる娯楽も娯楽ジャンルも無数にある)。だからそもそも特定ジャンルを滅ぼしていけないとは思わない。むしろそんなもの他者不快になるなら片っ端から禁止規制しても問題はまったくない」と思う人々だと思う。

たとえば「エロ漫画性的搾取ジャンルから規制したほうがいい」って発言する人が100人いた時、そのうち何人が「エロ漫画規制しても私の生きがいのジャニーズ規制されないだろう」なんて甘い見込みでいってるのか? っていえば(もちろんこの甘さはそれはそれで問題だけど)1割もいないと思うんだよ。大多数は「趣味嗜好なんていくらでもあって代替可能ものなのだから他人不快に思うような趣味嗜好は譲っても(つまり禁止しても)構わないと考える」人々だとおもう。

そういう人々には「あなた大事ものがいつ規制されるかわからないんですよ」なんていっても、たぶんのれんの腕押しなんだよ。「そうだよ?」って言い返されるだけだもの

ここにこんなこと書いてもそういう人には届かないと思うし、過去経験から言ってもほんとうの意味理解してもらえたことがないので、この件では無力感がつよいんだけど、書かずにはいられなかった。

最後に繰り返しになるけれど、大事趣味や、打ち込めるものや、生きがいや支えがある人、熱狂できる何かがある人は素晴らしいと思うよ。自分大事もの他者大事な物に置き換えて共感できる能力尊いよ。そこは本当にそう思う。そういう人を批判する記事ではないからね。ただそういうのが通用しない人ってマジで居るんだよという話。

家庭教師の子が120%ADHD系の何か

勉強を教えていてとてもつらい。

私は関西大学3回生なのだが、バイトとして家庭教師をやっている。

本当は高校生とか中学生を教えたかったのだが、家庭教師斡旋登録したときは非常に生活が困窮していたの。

そこで登録してすぐに紹介された小学校低学年の子指導をすることになったのがだいたい半年前。

一回目からそんな感じがしていたが、毎回行くごとに確信度が上がっていく。

の子ADHDなんじゃないか??

親御さんに言いたいんだけど週に数回しか会わない糞ガキがそんなことを宣うのは憚られすぎて言えないままここまで来てしまった。

毎回行くごとに教えることに対しての虚無感と無力感を感じてかなり凹みながら帰宅することになる。

かなり辛いのでここで吐き出してみようと思ったのだ。

以下に気になる点をあげていく

普通の問に答えられない

今日朝ごはん何食べた?とか今日いつ起きた?とかの問にわからないと返してくる

「◯◯を△△しようね」って言って1秒後に「何をどうしようって言った?」って聞くと答えられない

じっと座ってられない

すごいもじもじするので「ちゃんと座って頑張ろう?」って言うと

「じっとできないの〜」って言われる。

そういったことを言わないとしても1分持たない

文字を枠に収めて書けない

かなり大きめの枠でも偏ったりはみ出てしま

行を続けて読めない

国語音読をするのだが1ページで2回位は自分が読んでいる行の次の行を間違えて読む。

この前は同じ行を4回連続で読んでいた

文字の間に集中が途切れる

漢字を書く場合3画目くらいまで書くと視線がふら〜っと飛んでいって帰ってくるのに10秒位かかる

帰ってきても自分がなんの文字を書いていたのか覚えていない

解答欄を間違える

上2つと同じような減少ですね

おもちゃ意図を持って遊んでいない

毎回時間が終わるとリビングにある仮面ライダーおもちゃに飛んで行ってガチャガチャギミックを発動させて遊んでいるのだが、何してるの?と聞いても基本的ガチャガチャやっているだけで意図を持ってやっていた例がない。

自分小学生の頃をよく覚えていないが、もう少し仮面ライダーの真似をしたり、組み合わせ次第でどう変化するのかとかを試したりしてた気がする

本人は学校勉強についていけていないという自覚があるようだ。

それのせいで最近学校が楽しくないらしい。

それ、、、中学年高学年更に先になったらもっと辛いだけだぞ…

支援学級に行くほどではないがせめて病院で診てもらってその子の心のざわざわを止めてあげてほしい。

親御さんはどちらも理系、かなりの高学歴だ。

食卓の上にもたくさん勉強用のプリントや本があるし、学校宿題だけでなくワークも低学年には多すぎるくらいにある。

いつも生活してるであろうリビングには漢字日本地図などがびっしりである

多分親御さんはそういった病気に関して完全に無知なのだと思う。

私が2〜3ヶ月経った頃からほぼ毎回それに関して匂わせているのだが「もっと頑張らなきゃね〜、ちゃん先生に教えてもらわないと」というし

どうしたらいいものか…

2018-03-14

anond:20180307150402

仮に合格できても、弱い自分を逃げたと自責の方向に向かうメンタルであるならば、入学後に圧倒的な天才を前にして無力感を感じることになりそう。

中学勉強からやりなおせ。

肉親の記憶はなかなか消えない

嫌な記憶時間の経過と知識の獲得によりだいぶ整理されてきたけれど、

肉親に深く植え付けられたことに関しては未だにどうにもならない。

家族関係を解消できなかったことに関する無力感を想起するのは、

今のままじゃどうにもならない気がする。

こういうのは自分が満たされるような新しい能動体験を増やすしかなさそうだなあ。

2018-03-12

anond:20180312124702

別に誰にも勝ってはいないけど、女を手に入れることで『勝った』ということにしてほしい」

キモ金は女じゃなくて金がほしいんだよ。

「俺たちに女をあてがえ」じゃなくて「俺たちに金を回せ」と言っているわけ。

金があれば自然女性が寄ってくるでしょ。

キモ金の根本にあるのは「稼げない自分無能だ」という無力感で、

それは機械的に女をあてがわれたところで解決できるものではない。

「そういうプライドを捨ててしまえばいい」「女をあてがえば満足なの?」というと反発するのはそのため。

誠実にふるまったところで、このご時世、男も女も無能で稼ぎの無い人には冷たいですよ。

2018-03-04

老害になってしまった自分

ライトノベルブーム記事を見た。自分認識では漫画ラノベももう売れなくなっててゆるやかに終わりつつあるジャンルという感じなんだがそうでもないのかね。年取ったせいで自分はもうああいうのは楽しめなくなったというか、小説アニメ映画も含めてフィクション全般バカバカしくて見てられなくなった。なんでこんなもんに熱中していたのか、時間無駄だったなと後悔している。

こういうことを言うとすぐ「時代についていけなくなった老害」だと非難されるわけだが、40代50代にもなって漫画ラノベアニメ小説映画かにはまってる人間は「老害」ではなくて賢い人間なんだろうか。たかフィクションを楽しんでいるだけの人間がなぜそんなに偉そうにしているのか。ある程度の年齢になればフィクションの底の浅さに気付くだろう。それでもまだ若い頃はそういう底の浅い陳腐ものをあえて楽しんでいたりもした。しかしそれも限界に達する。もはや底の浅い陳腐ものをあえて楽しむという趣味にも飽きてしまう。

真性オタクは底の浅い陳腐ものをあえて楽しむ趣味40代50代になっても依然として続けている。現代出版事情においては彼らのような真性オタク漫画ラノベ買い支えている。記事によるといまだにブームということらしいし、ますます拡大を続けているという。底の浅い陳腐ものをあえて楽しむ趣味を飽きずに続けている40代50代がこれからもどんどん増えていくんだろうか。

あえて「時代についていけなくなった老害」として言わせてもらうと、自分はそういう連中を不気味だと思うし、不憫だとも思う。しかし同時にすごいことだとも思う。その辺の底の浅いつまらない作家が書いた陳腐な作り話に熱中して子供のように感動してしまう真性オタクたちはある意味時間を超越した存在でもある。彼らは年を取らないし、永遠に子供と同じ感性のままで生きている。飽きるということがない。同じような感動ストーリーを見てもまるで初めてそういったものに接したかのように純粋に感動するし、「既視感牢獄」などといって作品批判をすることもない。彼らの漫画ラノベ体験はつねに新鮮で、生き生きしていて、色彩豊かで、刺激に満ちている。正直うらやましい。

話が飛ぶが、自分はもう人生に飽きてしまった。何をやってもつまらない。人間限界を感じるし、さらに壮大なことをいえば宇宙限界を感じる。毎日無力感との戦いだ。すべてが想定の範囲におさまってしまう。想像力の飛翔とも思えた漫画ラノベですらもう自分には何の目新しいこともない。どの作品既存の設定や筋書きの配列や条件や固有名詞ちょっと変えただけ。すべてが想定の範囲できれいに丸く収まる。想像力は飛び立つのではなく、磁力に引きつけられて大地に叩き落される。ああやっぱりそうなったか。飛ぼうとした人間はいくらでも見てきたが、結局だれも飛べなかった。

とまあこんなことを書いてみたが、こういう老害ぼやきすらすでにテンプレであって、こういう言説自体にすでに飽き飽きしている。そしてこういう文章に対してどういった批判がくるかもまた自分にはわかってしまうし、多くの人はそうなんじゃないだろうか。作品があり、老害から作品批判があり、作品批判する老害への批判がある、ここまでがセットだ。そしてこの一連のテンプレ的やりとりにすら飽き飽きしている。もしかしたらすべてのやりとりは簡単AIで十分なのかもしれない。飛べていると錯覚している真性オタクたちと飛べていないことを自覚している老害。飛べているという錯覚はいつでも想定の範囲陳腐さだが、飛べていないという自覚もまた同じくらいに陳腐ものだ。ここには弁証法的なものはない。反発しあう二つの力が化学反応を起こして何か新しいもの創造するわけでもなく、目新しくもないその場限りのテンプレ的反目が未来永劫断続的に続くだけ。端的に言ってすべてにもう飽きている。飽きていること自体に飽き飽きしている。

こうやって死を受け入れていくんだろうなどと最近は思うようになった。子供のころはなぜ人間は死ななければならないんだと苦悩していた。そんな理不尽があっていいのかと。しか自分も年をとってきて、人生に飽きてきて、だんだん死に対する態度が変わってきた。死は救いであるとまでは言わない。自分の中では死というのはそんなに肯定的で前向きなものでもない。死は眠りに例えられることが多いが、まさに穏やかな眠りといった感覚に近い。肯定でも否定でもない。ごぼごぼとあぶくの音がする。そこに自分がとけていく。

世界はとてもつまらなくなった。それは自分がつまらなくなったからだ。そういう反論は多い。たしかそうかもしれない自分はつまらなくなった。射精快感最近全然感じなくなった。ただ精液が弱々しく飛び出るだけ。初めて射精したときのあの凄まじい快感は一体何だったのか。あのころ自分が本当の意味人生を知ったのだと思った。射精のない幼少期はピントの定まっていない夢のように思えた。あの凄まじい覚醒感はなんだったのか。生きてるって感じはなんだったのか。いまはもう射精にも飽きてしまった。自分射精は想定の範囲におさまっている。天井まで飛んでいくように思えたあの青春はなんだったのか。

すべてに飽き飽きしていて、刺激に対して鈍感になってしまった。資本主義社会の虚飾にはうんざりしている。どうして馬鹿騒ぎできるのか、どうして楽しめるのか、自分にはもうわからない。つい最近オリンピックをやっていたが、当然まったく見ることはなかった。子供のころそんなものにワクワクしていたのはなぜだろう。

まあとにかく結論はない。昼食はカントリーマアムコーヒー。これだけは欠かせない。

2018-03-01

anond:20180228160150

小説における主人公絶望について。

「衣食住」「身の安全」「居場所承認」「大事もの喪失」あたりがすでに提案されているけど、個人的にはもう一段階上絶望を描いてほしい。

すなわち、「自分自分以外の誰かになれない(少なくとも、簡単には)」という絶望だ。


例えば、当面は死ぬ心配が無いニートでも、現実では少なくない割合絶望している。
自分に何ができるのか? 何もできる気がしない。そもそも何がやりたいのか? 具体的にやりたいこともない。
それでもこんな人生はクソだと思っている。理論はいくらでも可能性があるのに。どうすりゃいいんだ……。

あるいは逆に、何らかの道を進みつつ歳をとってしまった人(主観なので20代かもしれないし50代かもしれない)。
何をするにも可能性が限られてきてしまった人は、どの方向にも進んで行けるまぶしい若者を見て絶望する。もうあの頃には戻れない……。

などなど。

それでも何かのきっかけで変わろうとして奮闘する姿は読者を感動させるだろうし、「変わらなくていいんだ」と気付いて救われるパターンでも感動させられる。
なんかいろいろあって予想外の変わり方をしちゃって、それを後から振り返るのも感慨深い。(これについては、「もともとの願いは叶わなかったけど別の何かを得た」というストーリー鉄板だ、と誰かが言ってた気がする)


ちなみに『書く前に読もう 超明解文学史』という本が結構面白かったよ。小説を書くには時代背景を、その時代人間が何を渇望しているのかを考えないといけないんだなぁと思った。

例えば進撃の巨人がヒットしたとき、「長年閉塞感と無力感が続いた今の日本にピッタリだ、そりゃ受けるわ」と個人的に思った、安直ながら。
あと、なろう小説とかで主人公がまったく絶望しないパターンもあるけど、あれは今の若い読者が潜在意識化で何に絶望しているかに応えているから受けているんだと思う。

なおこれを書いている自分小説めったに読まないし書く能力も皆無な素人なのでデタラメ言っちゃってる可能性がありますしからず m(_ _)m

今日死にたいと書く

昨日も死にたいと思った

明日もそう思うのだろう

そのまた明日も思うのだろう

無限に続く思考に疲れ果てる

身体無力感に捉えられる

それを伝える言葉もない

うずくまって何もできない

許せないのは他人より自分自身なのだ

自分自分を死に追い詰めている

死んだら満足なのか

駄目になる前に逃げろということ

業務過多と上司との折り合いと諸々で鬱になり休職してた営業

会社規定上これ以上休むと復帰の手続きがややこしくなるとのことで、担当医に復職可の診断書を書いてもらい復帰することになった(幸い部署は異動させてもらうことができた)

人事をはじめとして合う人合う人に「元気になってよかった」と言われる もちろんそう言うしかないことは分かっているし、診断書も出ている以上俺は表面上は元気になっている

元気になった?笑わせるな

そりゃあの地獄みたいな、ハラスメント残業まみれで土日もPCが手放せない環境から離れれば体の不調はマシにはなる

だけどこの常に感じている無力感絶望感はどうしたらいい

この感覚が消えるまで後どれだけかかる どれだけ生きればいいんだ

苦痛がないのなら今すぐ死にたい 意識がある間中ずっと針でちくちく刺されてるみたいだし、常に溺れながら泳がされてるみたい

タイトルだけど、よく鬱になるくらいなら、死ぬくらいなら逃げろって言うの、身に染みて分かったってこと

心(正確には脳?)がぶっ壊れたらこんなに毎日辛いんだってこと

から間に合う人は早く逃げてほしいってこと

愚痴が大半だけど、それを言いたかった

2018-02-25

anond:20180225105423

念のために前置き。まず、痴漢を無くさなきゃならないのは当然の前提。

で、痴漢対策は確かに今の段階では女性専用車の設置は簡便で効果があるのかも知れない。

でも、各アクターの利得を見てみると

鉄道会社:低コスト痴漢問題解消に努力しているというアリバイ作り。

女性乗客:ノーコスト安全領域を確保。

男性乗客潜在的加害者視されて排除されるが、一人一人のコスト比較的小さい。

     不満はあっても、それに抗議するのはブコメのようなラベリングがされるリスクがあるので割に合わない。

痴漢被害男性存在無視される。

結果として、男性乗客しわ寄せをする形で状況が均衡して、これ以上の変化が起きないようになってしまっている。

差別性がある、ってこと認めれば均衡が動揺するので、この状態改善できるか、

もっとよい方法はないのかを論じることもできるようになるんだけど

例えば、ブコメにもあったが、監視カメラ増設の「痴漢対策車両」導入したりする方法鉄道会社要求するとか。

コストが掛かる以上、鉄道会社自分からはやろうとはしないわけだし。

痴漢冤罪問題も同じ構造で、いつまで経っても被疑者への駅員の雑な対応が変わらないのは、

鉄道会社に現状を改善するインセンティブが皆無だから

男性乗客がびくつきながら乗車する状態放置して、時に冤罪を作っても、

今の状態で充分に低コストノーリスク痴漢被疑者排除できるわけだから、新しい仕組みを作る気にはならないだろう。

抗議している男性も、この不平等男性乗客尊厳を傷つける「均衡状態」に無力感を感じて反発しているのであって、

女性への憎しみや女性差別的な言動はその結果なんじゃないかなあ。

道徳正義環境従属変数なんだから

anond:20180207083644

躁鬱御用達 鬱の悪化を促す要因の個人的な傾向と記録



悪化を防ぐにはとにかく、自分を観察する。

なにが自分を鬱にさせているのか理解する。

だいたい上記5つのどれかに当てはまっていることが多い。

当てはまるものがなくても、やっぱり観察を続けて、観察日記に新しい結果を書き加えるだけ。

焦って自分を変えようとしないこと。

ただ、今自分はこういう状態なんだ、こういう考え方をしているんだと眺めるだけでいい。

あれこれ努力を労するべきじゃない。

努力をすれば失敗したときにまた嘆くから

その状態や考え方が、自分にとって不快で耐え難く、どうしても変えたいものなら、無理なく自然に変わっていく。

自然な変化に身を任せる。

でも、変化の途上は痛みと苦労に充ちる。

けどそれは、失敗と成功という評価の軸から得ていたものとはずれた、一個の個人的体感として感じられる。

観察すれば、傾向がわかる。

傾向がわかれば、付き合い方も考えられる。

なにもわからなければ、振り回されて疲弊するだけ。

疲弊が鬱感情悪化させる。

自分という友人と愉快に遊びたいから、僕は彼を助ける。

2018-02-17

anond:20180215120159

えっ? 精神科医に口頭で説明すれば普通に分かってもらえるけど。

最初から自分主観的辛さを相手に伝えることを諦めているだけでは。

私は例えばこんなふうに伝えた。

「◯月ごろから徐々に落ち込むことが増えてきて、最近集中力もなく意欲もわかず、外出もできずに一日中寝たきりの状態が続いている。最近自分がなぜ生きているのか分からなくなってきた。こんなに何もできない、何も楽しめない状態で生き続ける意味が分からなくなってきてしまった感じ。もういっそのこと死ねたら楽なのに、そうすればもう何にも苦しまずにすむのにという考えが繰り返し頭をよぎる。とにかく、自分が何もできない状態なのがつらくて仕方がない」

死にたいくらいつらい気持ちでいること、そのつらさはどこから生じているのか(私の場合は何もできないという無力感)ということを相手に伝えるわけ。

私の場合はこれだけで十分すぎるほど相手が汲み取ってくれた。

自分のつらさに共感してもらおうとか、どの程度絶望しているのか目に見える形で証明しようとかする必要はないのよね。

精神科医的には「死にたいくらいつらい」→ 黄色信号、注意

「何もできないのがつらい」→抗うつ薬を増やそう

といったふうに、患者言葉でどの程度の危険水準なのかが分かるし、ではどうするべきなのかの対処法も思い浮かぶでしょ?

医師エスパーではないので、患者側が言葉では何も言わず自分の様子から全てを汲み取って欲しいというのは無理筋なんだと思う。

言葉でうまく表現できないと、リスカODなどの行動化を起こしちゃう人がいるけど、それやるよりは言葉で伝えるほうがいろいろとスムーズだと自分は思ってる。

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