はてなキーワード: 無力感とは
※最後に、唐突にジャニーズ性加害についての自分の考えを述べているため、ジャニーズが好きな方や苦手な方は見ないで。全体的に暴力を受けた?ような話だから苦手な人は読まないでください。
文章力がないから上手くまとめきれないけど、ジャニーズ性加害の報道を見てから、ずっと苦しい。苦しいという感情と怒りが頭の中をぐるぐるして、どうにもコントロールできそうにない。
普段は、ツイッターの鍵アカで毎日の不満を叫んだり推し活ではしゃいだりしているけど、それもいまは無理。鍵アカのフォロワーは完全なる赤の他人ではなくて、たまに会って遊んで話をする友達だ。
友達にも言えない。会社の人に言ってもしょうがない。家族にはもっと言えない。無理。
心配されたくないし、同情されたくないし、でも、吐き出さないとやってられない。顔も声も、自分のことを、誰も知らない人に、聞いてもらいたい。
数ヶ月前にも今と同じような混乱と絶望と虚しさと生きにくさを感じたときは、匿名性のカウンセラーに助けてもらえて、3ヶ月くらいしたら落ち着いた。でもまた、いま、苦しくて、手は震え食べ物を吐き夜は眠れず何をすることもなく時間だけが過ぎていってる。
なんでこんなことになってしまったのか。
当時は気づかなかったけど、幼い頃に祖父母から虐待されていたようだった。
虐待というと、殴られたり蹴られたりタバコの火を押し付けられたり性的な加害や、酷い言葉を浴びせるなど、悲惨な状況を想像すると思うが、自分はそんなことはなかった。
夜に騒ぐと、裸足とパジャマで外に追い出された。騒がなくても、遅い時間まで起きていると怒鳴られた。だから夜9時には寝ていた。
彼らにとって不都合なことが生じたときに、兄弟が殴られた。兄弟を殴ったことに抗議した母は、暴力をくわえられていた。母は殺されそうになっていた。自分はそれを黙って見ていた。自分が泣くと、怒鳴られるから、泣くことはできなかった。
1番新しい記憶の中では、彼は私に刃物を向けて、殺してやる!と叫んでた。ふとした時にあの瞬間を思い出す。あの時、自分は、兄弟と一緒に家の1番遠い部屋に逃げて、鍵をかけて座っていた。ついに殺されるんだと思った。無力だった。
今考えると、本気で殺されると思っていたなら、家から逃げて、近所の人に助けを求めるべきだった。でもそれができなかった。今なら、周囲の人に助けを求めたり、警察に電話したりするべきだと思えるが、当時の自分には選択肢がなかった。
家族に殺されかけたなんて、家族以外の人には知られたくなかった。
そんな祖父母も、もう亡くなった。
葬儀に参列したあと、夢を見たり、突然頭の中に刃物を向けてくる人の映像が浮かぶようになった。映像に襲われると、足元がぐらつき立っていられなくなりあの時の無力感でいっぱいになる。涙が出てきて、どうしていいかわからなくなる。死にたくなる。自分は死んだ方がいいと思う。死んだ方が楽なんだと思う。
でも死に方がわからない。辛い。どうにもならない。
個人的にこの体験は、児童虐待というやつで、フラッシュバックというやつなんだと思う。
でもこの決めつけも、自分が勝手にそうだと思って、自分を慰めているだけかもしれない。
自分で自分を悲劇的に脚色するのは許されると思う。別に誰に迷惑をかけるわけでもないし。
ただ、誰かにこの体験や自分の考え、苦しみを吐露しようとしたときこの話を聞いた相手に、
この体験や感情を否定されたら辛いし、嘲笑われても引かれても辛い。同情されても困るし、そもそもこの話をしたところで自分は何も得られない、と思った。だから友達にはとても話せない。
自分の顔と名前を知っている程度の仕事上の付き合いの人に話ても意味はない。
そして家族。家族に話すのは1番辛い。父母は、自分たち兄弟を守るために抵抗してくれた。でも自分は、今現在も過去を思い出して泣いたり吐いたり絶望したり希死念慮を募らせたりしている。こんなことを父母が知ったら、きっと自責的になると思う。父母を、苦しめなくない。そして自分も、楽にはなれない。
兄弟は話し相手としてどうか。同じ経験をした身だから、話し合えるか?話したことはないが、そうは思わない。同じ経験をした身だからこそ、自分が兄弟に体験を話すことで、過去に苦しんでいない兄弟が苦しむようになったら、そう思うと、兄弟にも話はできない。
以前、会話をすることで楽になったカウンセラーにまた頼るのはどうか。
カウンセラーとて暇ではない。予約が取れない、そもそも仕事を抜け出してカウンセリングを受けることも勇気がいる。会社の人にも知られたくはない。
「自分は児童虐待にあっていた。だから今も精神的に不安定だ。」と、詳細を語らずも良いのでないか?と思った。ダメだ。
本当に、自分でも意味がわからないけど、今でも苦しめられている相手を、虐待した人だ と声に出さない。報復が恐ろしいわけではない。報復なんてされるわけない。
本当に、信じられないことに、祖父母を虐待加害者として扱うことに抵抗がある。意味がわからない。思い出が邪魔をする。優しい祖父母のことも知っている。当時は、ただ厳しいだけの人たちだと思っていた。でも、テストでいい点を取ると褒めてくれて、こっそりお菓子をくれたり、一緒に遊んでくれたときは楽しかった。幸せだった。
混乱する。事実と感情がごちゃ混ぜになって涙が止まらない。ここ数日は仕事にも集中できず、何もできない日々が続いている。
そんな自分が情けない。
悪い奴は悪い奴だから、と裁ければいいのに。感情なんて無くなればいい。事実と感情の整理ができない。烈しい記憶と優しい思い出と交互に出てきてもうどうすればいいかわからない。死にたい。それだけで頭がいっぱいになる。
でも知らなかった人や知ってて無視した人はしょうがないと思う。逆らえるわけない。
被害を受けたのにも関わらず、愛情を持っているように見える行動についても、理解できる。思考と感情は結びつかない。精神科医ではないからよくわからないけど、そうやって、自分の心を守ってしまうらしい。本当に守れているのかは疑問がある。
誰が悪いのか?加害者が100%悪い。加害行為を知っていて隠蔽した人も100%悪い。噂程度にしか知らなかった人は、しょうがないと思う。
被害者が悪いという声がある。被害者が、被害を訴えなければ良かったと。本当に被害にあったのか疑う声もある。二次加害。二次加害が1番見ていてきつい。被害者が本当のことを言っているのかわからないけど、今後補償を検討する際に在籍時期とか証言の妥当性を判断するだろうから自分にはどうでもいいし、自分にはどうすることもできない。
被害者に対して「金目当てでしょ」「デビューできなかったひがみ」「ブスが調子に乗るな」と。
広告取り下げ企業に対しては、「タレントの人権侵害だ!」と突っかかる。見てられない。
嗜めた。不満そう。納得できないらしい。
「警察に訴えないということは金目当ての揺すりに決まっている」
と。
本当にきつい。自分にも当てはまる。
いわゆる普通に生きてきた人には通じないらしい。
もう、対話する元気も勇気もなく、ツイッターのアカウントはログオフした。
死にたいとか希死念慮うんぬん言ってるのに、お前生きてるじゃんって思うひともいるんだろうなぁ。そうなんだよ、なんで自分は生きているんだろう。早く死んだ方がいいんだよ、生きる価値がない。
ここまで読んでくれた人がいたら、ありがとうございました。
東京都の23区、足立区や南千住(荒川区)がスラムとか荒れてるとか、そのくせ湯島を文京区ってだけで住みやすいとかのたまうとか、
2023年、"東京某所" がガチスラムになってて草🌱なんだ。ワイがナウなヤングの頃、この街こんなんじゃなかったぞ
『坊ちゃんバックパッカー』や『ぼくあたちは海外へ行きまちた』は、本物スラムはこんなもんじゃない(キリッ とかやってるけど、
いや・・・マジでそういうの間に合ってるから・・・・本物のスラムとやらを知る君は海外の貧困窟に閉じこもって勝手にタフガイぶっててどうぞ。一生日本に帰ってこなくていいぞ
来訪者のポイ捨て&ゲロ・生ゴミ汚しも歌舞伎町レベルだが、そんなことど〜でも良くなるレベルで、
マンションの緑地部分・アパートの共用部分・廃ビル*2にゴミが山積みになってたり、ゴミで埋め尽くされてあからさまに日本ではなくなっている建物以外も、
共同部分が清掃されていない・ヒップホップ的なGraffitiではない単なる落書き・設備の破壊損傷があったり・遺失物っぽいのが置かれまくってたり、
派手髪派手メイクのギャルならともかく、ほぼノーメイクの黒髪の地味顔(10代の可能性大)の3人娘が、朝の8時だと言うのに、上に何も羽織らず無地薄手のタンプトック1枚+パンツ見せてんのよ丈のミニスカと天使のコスプレで、なんかキメっちゃったテンションで歩いてたり、
アンモニア臭がなく日焼けも無かった為、おそらく路上生活をしていないと思われるが、髪がまったくブラッシングされずに絡まって固まっていて、ボロボロに破れたスエットをケツを出しながら着て便所サンダル履いた20代くらいのガリガリの異様な風体の若者が、駅で切符を購入していた *3、
ワイがナウなヤングの頃、この街こんなんじゃなかったぞ。スラム以外の言葉でね〜のだわ(二度目)
かつて、渋谷では脱法ドラッグの路上販売や売人同士の刺傷事件、池袋では青龍刀や発砲事件や薬物絡みだと思われる事件が頻繁に発生していた
また、東京には外国人の不審な死亡事件がやたら多い繁華街も存在する
これらの地域を考えると、"東京某所" は、せいぜい窃盗犯や酔っ払いの粗暴犯による事件が起こるくらいで、比較的安全な部類なのかも知れない
酔っ払いと、利用する飲食店・小売店に注意さえすれば、危険に巻き込まれることまず無さそう
ただ、実害が少なくても、"東京某所"みたいな景観が日本の当たり前になるのはどう考えても良く無いし、嫌よね?
つか、反社でもまずこういうとこ住まないのに、『坊ちゃんバックパッカー』や『ぼくあたちは海外へ行きまちた』の本物スラムはこんなもんじゃない(キリッってのは、
本物の貧困窟に閉じこもって一生日本に帰ってこなくていいぞ。そこで好きなだけタフガイぶってろ(二度目)
実際、地元の住民以外がわざわざここに引っ越して住みたいと思うことは少ないようで、都心で駅に近いのに家賃が妙に安い
築8〜築25年くらいの物件が、越谷の駅近1R〜1Kくらいの家賃水準
地方はシャッター商店街あるよとか基地があって栄えたとこは今はヤベーとかいうけど、
沖縄のコザとか、"東京某所"みたいに、ゴミが山積みになってたり、朝っぱらキマッってる(しかも黒髪地味顔ほぼノーメイクおそらく10代) のが歩いてるとかねーし、
シャレオツなカフェやコワーキングスペースあったりするし、金武とかが危なかったのも大昔の話だし、
貧困に話を絞っても、ここに住んでるのか・・・とかいう状態の住宅物件はあっても、お金無いなりに、可能な範囲で綺麗にしてんのよね
気分が沈んだけど、用があってせっかくお出かけしてきたことだし、ここで見たことは脳の奥にしまってフタをして、
ワイ的に超好みなデコラティブなビル群でも見に行こうかしら・・・とネットでビルを調べていたら、なぜか呪いのビルや伝説のビルなどの話題が頻繁に出てくるんですよね・・・
デコラティブなビル群がダサい・悪趣味・時代遅れだといった批評ではなく、ホスト通いの末路や親子の無理心中といったサジェストが表示されたり、
もうこれ、『オカルトやゴシップ大好き人間が自分好みにオーバーにおもしろおかしくストーリーを書いてる』のか『ガチ事実』なのか、真偽を確認しようという気失せる米
それにあわせて、行き場のない子どもたち(親が子どもがいなくなっても気にしていない)、性を売ることで楽にお金を稼げるを覚えちゃった人たち、
それに群がる人たちの話題も出てきてうっかり読んじゃってさらに気が沈んだ
エリートの正しさって、資金的に能力的に再現出来ないこと多いけど、
やっぱり、『親の在り方・子育ての正解』、『人間の生き方・愛し方の正解』ってどう考えてもあるよねって思った
『資金・能力的に足りない人を追い込むな』、『ママパパに完璧を求めるな』をした結果がこの惨状やんな?
この日、このあとに食べたご飯はまったく美味しくなかったわ・・・
自分のことだけで手一杯と言うか自分の老後もどーなるかわからなくて心配だけど、
この無限に気持ちを沈めるモヤモヤはこの惨状に『何も出来ない無力感』と『していない罪悪感』だと思うんだよな・・・
危ない人には、我が身かわいいから、正直関わり合いになりたくないし、
セーフティーネットが整えられていないが大前提にあれど、いちおう無くは無い、福祉の網から漏れちゃうのは、
おそらく発達や精神的な問題を抱えていることが原因になっていることが多いだろうから、サポートはものすごくひたすらに難しい話だとは思うけど、
なんかできることないのかなぁと改めて思いました
それはそれとして、今すぐ出来そうなことは募金くらいしか思い浮かばないので、とりあえずこの記憶は封印しておきます
(用があってその地域に出かけるたびに頭に浮かびそうではある)
*1 まぁゆうて山手線通ってる荒川区はともかく、足立区・葛飾区は交通の便が悪いし、遊ぶとこ、スーパー以外の買い物行くとこ無いしで、住むのはオススメはしない。
見栄張って住民票を東京にしようとせず、素直に千葉・埼玉・神奈川の都市部に住んだ方がいろいろあって楽しいし、家族持ちなら教育の質も高い。
そもそも年収1000万程度だと、堅実なリーマンは千葉・埼玉・神奈川の都市部に家買うので、住民の質が高いのは当たり前
*2 つか、そもそもなんでこんな廃ビル多いのよ、沖縄三越や那覇タワーみてーに解体にとんでもない費用が掛かるビルでも、立地的に売却・再利用が見込めない土地でもないでしょうよ。
地上げにあって歯抜けになった一時期の西新宿も閑散とした地方の商店街もこうじゃねーのだわ
*3 渋谷でドメスティックブランドで全身を固めた10代後半から20代前半のガリガリのホームレス見た時の衝撃、見知らぬ小学生に500円せびられたら時の衝撃に次ぐくらいの衝撃だった。
望まない場所から逃げてきた可能性もあるので放っておいたが、徘徊老人と同じくおまわりさんに連絡した方が良かったのだろうか?そもそもボロボロの衣服なのにアンモニア臭がまったくしなかったが、コスプレやイタズラだったのか?
年収1000万っていうと強い職業に就いてるか強い会社に勤めてる人じゃないと超えられないであろう、自分には遠すぎるラインだと思っていたら意外とそうでもなかった話。
私は首都圏中小企業のアラフォー平社員なので年収は500万円未満くらい。仕事はまあまあ平和。
まあそんなもんだよな…って感じなんだけど、コツコツやってる株やFX、競馬の収入が昨年度で600万円くらいあって「これを足したら年収4桁まんえん名乗っていいんじゃね!?」と気づいて興奮した勢いでこの記事を書いています。収入から競馬を除外したらもうちょい乗ると思う。やめらんねえよ競馬
そうして年収1000万人(いっぽんちゅと読むこともある)の仲間入りを果たしたことにした私は、強そうな職業の代表とされる医者や弁護士の仕事内容と勤務時間を調べた。自分には無理だと思った。
そもそもそういった職業に就く資格すらないけど、それにしたってあれだけ苦労してやっとそれくらいなんだ…って思った。自分にはやっぱり無理だと思った。
そういったある種の無力感は、雲の上と思っていた人々と(少なくとも収入面においては)肩を並べられているという事実と相性がいい。
今だいぶフワフワとしたことを言ったのだけど、要するに「え!?そんな大事なアイテムがこんな簡単に手に入っていいの!?」っていうような、確かに現実なんだけど、どこか現実味のないワクワク感のことを言っています。そういう経験ないですか?それです
そういったワクワク感を得た興奮のままにこうしてフワフワしたことを書いています。ところでワクワクとフワフワってぱっと見で区別つきますか?意外とつくね よかったね
だいたい生きているだけで税金を持っていかれがちな世界なので、株も例外ではなくアガリの2割を持っていかれるのだけど、所得税よりはオトクじゃんって思った。
そう考えるとオトクっぽくてうれしい。よかったね
株も例外ではないって言ったけどNISAあるから例外あるじゃんね。
株は好きな株をいい感じのときに買っていい感じになったら売ってる。長期値上がり目的と配当金目的で現物を持っておき、それを担保に信用取引でコツコツやってる。まあまあうまくいってる。
FXは自動売買サービスを利用したら勝手にいい感じになった。売買に自分の意志が入らないのはそれだけで強いんだなって思った。株も自分の意志をなるべく介在させないほうが儲かるんだろうなって思う。
そもそも金額を考えると会社員収入のほうが副収入ではないのかしら。そこは気持ちの問題かも。
普段用口座に100万円あれば十分すぎる!と叫びながら浮いた金でどんどん株を買ってる。株も形を変えた貯金ってことにした。
まとまったお金が必要になるときに株を現金化すればいいだけだし。そのとき目減りしてるかもしれないリスクがあるってだけだし。
こないだ貯金が1000万円ある人の話を読んで「その金があれば…!」とムズムズしたけど、貯金の数字が精神安定剤になる人もいるか…と考えて落ち着いた。
ただでさえ会社員収入で満足に暮らせていたから、副収入が完全に余剰なんですよね。
デカい家に住みたいわけでも強い車に乗りたいわけでもないし。どうしよう。そもそも1000万円程度じゃデカい家に住めない。
って考えながら生じた利益でまた株を買ってる。ゲーム内スコアを増やしてる感覚になる。
旅行は大好きなので、最近は宿泊先や移動手段のグレードを上げて金を使ってる。快適を金で買う感覚がわかった。
旅先でのメシは「1万円未満なら全部おなじ!」ってことにして好き放題やってる。ケチケチと旅行してた時期があったからその反動でそれがすごく楽しい。けど胃袋には限界があるので意外とそんなお金を使わないなと思った。
浮いた利益をどんどん転がしていくとどんどん増えていって、n年後には株での利益が1000万円に到達するなとか、m年後には総資産が億に到達するのかってExcelのオートフィルで計算するのは楽しいけど現実味がない。
現実味がないながらも「今の会社にはいつまで勤めているのだろうか?」と思う。アーリーリタイアも視野に入るだろうか?とも。
いわゆるFIREを妄想したところで「会社員収入があるから安定した気持ちで安定して利益を出せているんだろうな」っていう面は少なからずあるだろうし、今の職場に見切りつけることになってから考えればいいやってことにした。
大学に入ってから初めて経験した事務系のアルバイトで自分がBさんになっていた。
はじめに些細なことでも自分で判断せずに質問しろと言われたため、バイトを始めてから数週間後に至るまでささいなことで日々質問を繰り返しており、きちんと質問を繰り返している自分は仕事熱心だと思っていた。一度質問したことは全てメモしており、質問に臨む前に必ずメモやマニュアルを見返していたため、全く同じことを質問し直したことはなかったと思うが、行間を読む能力、マニュアルの間を読む能力が疎く、質問すべきではないことがわからなかった。その割には継続的に1日に1つはミスをして注意されていた。
バイトを始めてからしばらくしてほかのアルバイトの新人が入ってきてから、新人が自分ほど質問を繰り返すことなく、注意されることなく、順調に仕事を覚えていっているのを見て、自分が質問をしすぎて先輩に迷惑をかけているかもしれないことと、仕事能力のなさをはじめて自覚した。
だが、数週間働いた経験もあるため自分で判断できることも増えただろうと考えて行った判断は悉く怒られ、ケアレスミスも増えていく一方だった。
数ヶ月後、ふとしたタイミングで上司的な方の私に対する扱いが完全に変わり、自立と成長を応援(?)してくれる方針を諦めたようで、常にその方の隣に座らされるようになった。他の人のしている仕事の3分の1程度の仕事しか任されることがなくなり、特定のいくつかの仕事についてはやらずに他の人に任せろと言われるようになった。
私の業務については常にその方の監視下に置かれ、常にミスがないか真横で見守られるようになった。緊張と無力感でミスは増えていく一方となり、「皆が適当に済ましている暗黙の了解」のような業務についても、私がきっちり精密に行わなかったことを注意されたことで、これについてはきっちり精密に行うという新たな常識が職場にアップデートされた。
そして私がきっかけで、その上司的な方が、職場のアルバイトの全ての業務に神経質になり、私が怒られる回数が増え、他の方々もたまに怒られるようになった。その方の心労もどんどん溜まっていっているようで、自分はここにいても災厄しか引き起こさないと自覚し、アルバイトをやめた。
今大学3年だけど、社会に出て働ける気がしない。アホなので普通に就活をしているけど、面接は精密に準備をすれば初見の印象だけは良く振る舞え、面接に限って臨機応変な対応が取れるタイプで、インターンの面接も沢山落ちたことはないので、自分みたいなタイプは初見で見抜きにくいのだろうなと思う。けど、自分も生活とクソみたいなプライドがあるのでちゃんと仕事には就きたい。
陰謀論ってオカルトとかスピリチュアルとも相性がいい。宗教とも。
いくつか要因はあるが、
①自己肯定感が低いので、「自分だけが知ってる真実!」に惹かれてしまう
③世の中に対して不信感や無力感がある
みたいなところかな。
陰謀論者オカルトやスピリチュアルも、科学では分かり得ない領域があるというところから来てるから、科学的に説き伏せてもあまり意味がない。
じゃあどうやったら陰謀論から抜けられるかっていうと、難しい。
俺の場合は
・陰謀論を言ってる首謀者が信用できなくなった
・言われてた陰謀論が実現されなかった
・いつまで経っても現実が良くならない
だったかな。
俺は陰謀論だけじゃなくオカルトやスピリチュアルにもハマってて、しかも10代の頃からだったから抜けるの人大変だった。
30代半ばでやっと抜けれたよ。
いろいろ周りに迷惑かけて、人が離れてって一人になったから気付けた。
陰謀論1つだけじゃ気付きにくいんだけど、陰謀論者って複数の(多くの)陰謀論を語りがちなので、合わせ技でヤバいって気付くようになる。
反ワクチンだけなら気付きにくいけど、そこから人工地震や不正選挙や平面地球などあらゆる陰謀論を首謀者が言い出すと、流石におかしいんじゃないか?と疑い出す。
危ないのは陰謀論者が集まる集会。仲間が沢山いると落ち着くし、みんなで世の中変えていける!私はすごい!ってなりがちだから、本当はそういうところに行かない方がいい。
結局は寂しいんだよ。そして未来に不安がある。だから陰謀論にハマってしまう。
あとメンタルの病気もあると思う。俺の場合は脅迫神経症って病院で言われて、薬飲んだら治ったし、陰謀論もハマらなくなった。一つの理論に固執するのは脅迫神経症なんだよな。
ただ本人の選択ではあるのでそれは尊重し、こちらに押し付けてきたら断る、という姿勢でいいんじゃないかな。
こちらに迷惑がかかってきたら、それは嫌だとちゃんと言う。お金を浪費してこちらにまで迷惑がかかってきたら、お金は出せないと言う。
親ガチャ失敗したと愚痴っている人間に「努力しろ」と説教する人間の何が嫌いって努力の基準を勝手にそいつが決めてることだわ。ハンディキャップ背負ってる人間の努力といわゆる普通の人間の努力って全く評価基準が違うだろ。大抵の人間はやれる範囲で努力してると俺は思う。
あと簡単に他責思考とか言うのも嫌。確かに他責のみで生きてるやつはいるし、動かないのは愚かだ。でもそれ、ハンディキャップに絶望して無力感で動けなくなった奴も含まれてるだろ?俺はそんな奴を更に追い詰めるようなことしたくないわ。
俺としては共感が前提にあって初めて他人に努力しろって言えると思うんだよな。インターネットの人間に求めるものじゃないけど。
「死にたさが出てきたときの処方箋としての思想」は、死にたい気持ちに対する考え方を提案する文章です。
以下、要約します:
この文章は、死にたい気持ちが出てきたときに役立つ考え方を紹介しています。
著者は自身の経験から生まれた思想を共有したいと述べています。
主なポイント:
自分が10億円を持っていてもまだ死にたいかどうかを問い、その答えを分析する。
死にたい気持ちの背後には、弱さや無力感からくる抑圧を感じている場合があり、その抑圧を力に変えるべきだと述べています。
健康的な状態や笑顔の時に死にたい気持ちが残るかどうかを問い、その答えを考える。
自分は苦しむことでしか価値がないという考えに囚われることがあり、その自己認識を見つめ直す必要があると述べています。
他人に期待するのではなく、自分から他者に愛や利他の心を注ぐことで、幸福を見出すべきだと提案しています。
文章全体からは、死にたい気持ちに対する違った視点や考え方を提示しており、個人の心情や状況を変えるためのアプローチを提案していることが分かります。
ある人間に「死にたさ」が上がってきたときに、それを打ち払う便利な思想を自分の人生経験から編み出したので、それを紹介したいと思う。
これは自分はリアルでたくさん言っているのだがなかなか言うべき機会も少なく、普及しないので増田にも書いておく。
いってみよう!
「仮に10億円あってもまだ死にたいか?」と自らに問うてみて、直感的に出てきたその答えについて分析する手法だ。
「死にたさ」が上がっているときは「そんな夢みたいな荒唐無稽な話を聞かせてくれるな」などと言い出す人が多いが、それはすなわち「それが叶うなら生きてもいい」という証である。
ほとんどの問題はこれに帰着する。金があっても死のうとする場合は衝動的なものか、金持ちの道楽のようなものである。
「もし10億円あるなら死なない」という答えになった場合、そこから「5億あったら死なないか?」「1億あったら死なないか?」「2000万あったら死なないか?」などのように逆算する。
ここでたとえば「200万あったら死なない」のような結論が出た場合、死にたさの答えは明らかである。金がないことが問題であり、その金を稼げないこと、どのようにして稼げばいいのかを知らないことが問題である。
金があるなら仕事を辞めることもできるし、一時的に1年休むだとか、転職活動をすることもできるし、広い家にも住めて生活にゆとりとハリが出て、喧嘩も減り、やりたいことにも挑戦できる。
以上によって、死にたさの問題は金に帰着した。あとは這いずり回って稼げばよい。守銭奴のように金を求めれば救われる。
生死の問題だと思っていた人に「あなたの問題は200万円の問題ですよ」と示したとき、衝撃を受けたその人の顔を見るのはなんとも痛快である。
「死にたい」という思考が出てきたとき、通常は「望んで死にたい!!!!!!!」という朗らかポジティブるんるん思考ではないはずだ。
「自分は生きることは全然余裕綽々なんだけれども、でも、自分は絶対に死ななきゃならないんだ!!!!!自分は死ぬために生まれてきたんだから!!!!!死にたい!!!!!!!!!今すぐに死にたい!!!!!!!高らかに!!!」
のような気分ではなく、たいていは「死にたい…………(絶望)」のような気分になっているものだ。
重要なことは「本当は生きたいのだけれど、なんかうまくいかなくてめちゃくちゃ苦しくてもう無理……せや!! 生きるよりも死ぬことの方がマシなのでは????」という消極的な選択をしているという事実を認識することである。
「叶うことなら、本当はハッピーにしあわせに生きていきたいのだ」という自分の心を解放すると、周りの環境から「お前はハッピーでいてはいけない」「苦しみに耐えればいつか幸せになれるよ」などと教化されて、いつしか「苦しむことこそが自分の幸せなのだ!」という信念が強固になってゆく。
冷静に考えてみると何かおかしくないだろうか。
「なぜこの俺様がこんなに我慢を強いられているのか???俺様をお前らは殺そうとしているのではないか。鞭を打てて、かつ虐げることができる生贄として、ギリギリ生かされているだけなのではないか?」などという外に向ける凶暴で凶悪な怒りが実はあるはずなのだ。
死にたいのではなく、「周りの環境からの抑圧によって殺されつつある」という自覚がただひたすらに重要である。
ただ弱い、ただ無力、ただザコなのである。弱いから死にたいという気持ちがあがってくる。無力だから虐げられる。ザコだから一方的に攻撃される。
「仮に健康的で体力があって自分が笑顔でるんるんでもまだ死にたいか?」と自らに問うてみて、直感的に出てきたその答えについて分析する手法だ。
そのような気分にはなれないかもしれない。いや、そのような気分に、なりたくないのである。
なぜならそのような気分になっていた場合、周りから不審な目を向けられるからだ。
「お前には人の心というものが無いのか」「悲しまなければならないときになぜお前は悲しんでいないのか?」「絶望すべきときに、なぜ絶望しない?」「お前は人間ではなく、化け物だ」と扱われることの甚大なる恐怖によって、お前の感情は規定されている。
さて、通常、肉体が健康的な状態になっているならば死のうという気持ちが起こることはない。
つまり死にたさがあがったとき、そのような肉体を保持していることに原因がある。これは運動・睡眠・食事などの、肉体的なもので解決する問題である。したがって頭でこねくり回しても無意味である。
つまり外に出れば良い。
また、外見によって人は態度を大幅に変える。病的な人間には人は苛烈に対応する。とてもか弱い歯向かってこないひよわな人間に、人は優しくなどしないものだ。一見味方のフリをして、本当は支配したい人間も寄ってくる。支配したいのに「あなたの味方ですよ」という顔をするからたちが悪い。
所詮、手のひらの上で転がされているだけなのだ。飛び立とうとしてみろ。奴らは足を引っ張り出す。いつまで籠の中の鳥の気分でいるつもりだ。お前はインコか。
人生は不公平なものであり、なかなか思うようにうまくいかないものだ。どんなに言葉を取り繕ったとて、自分より明らかに楽をしていい思いをしている人々が多くいる。
自分は苦しい思いをしていて、呪縛され、どうにもならない、人生とはそんなものだという無力感を持っている。
「こんなにやったのに」「こんなに頑張ったのに」「でも自分はだめな人間だ」「もうどうしようもない」という自責の念・罪悪感を持っている。
「だから自分など、苦しんだほうがよいのだ」というふうに考えているのだ。仏教的、儒教的、アジア的、日本的な価値観である。
これは苦しんでいるようでいて、実は楽をしており、快楽を得ている。「苦しめばおっけ〜!」という甘いスイーツに酔いしれているのだ。
お前は簡単に苦しんではならない。もっと、より、高度に苦しまなければならない。お前の苦しみなど苦しみではない。せいぜい最大でも1人分の苦しみだ。
より苦しめば楽になるのである。
にもかかわらず、楽になろうとすると恐怖が湧く。見えている苦しみ、どうせ人生はトータルでいうとこれぐらいの苦しみだろうという予測以上の苦しみを得ることに恐怖を感じているから、現状の苦しみで安定する。
「自分が苦しみさえすればいいんでしょ?」「自分が全部悪いんだよね」という攻撃性をうまく覆い隠して、悲劇のヒロインを演じている。男も女も変わらない。お前はシンデレラか。
より苦しむべきである。
この世に期待などするな。それでももし諦めたくないのであれば、自分がその希望になる他ない。お前が無条件に他者に愛を注げ。
お前が他者に愛を注ぐような利他で無私の心で、その一部を証明せよ。愛はお前が与えなければこの世に存在しない。
だいたい、他人も生きていて、他人もその人の人生で手一杯である。どうしてお前を救えようか。
死にたいなどと思っているうちは、お前は利己的で自己中心的でわがままなのである。死にたい人間に生を与えろ。誰かの希死念慮を打ち払え。
人の価値を金銭で考えるべきではないといううぶな考え方を抱いている人が多いが、人命は金と交換可能である。
建前上、人命は金に変えられない高価なものだとされている。もちろん、この精神自体は素晴らしいものだ。理想として、そうあるべきだ。
しかし、現実はそうなっていない。200万円が無いことで死にたさが湧いて、そして実際死んでしまうというのは、命の値段が200万円であるということだ。
金を誰かがくれるわけではない。なぜ俺が赤の他人の、しかも俺に攻撃を仕掛けてくるような精神性の持ち主に金をやらねばならないのか?
お前の人生だろう。俺の人生ではない。なぜ俺だけがお前を一方的に助けなければならない?お前だけが生きているのではない。
誰も無償で助けてはくれないのだ。お前が助けてくれとヘルプを出さなければ誰も助けることはできないし、ヘルプを出したからといって必ず助けてもらえるとは限らない。
自分で自分を助けるしかない。他人に縋るな。絶望が足りない。だからシンデレラ思考だと言っているのだ。
世の中は不平等だ。それを改善しようとする動きもあるが、全然追いついていない。
なぜそれを待つのか。待って待って待って、待って耐えれば満足か?そんな日は来ない。だからシンデレラ思考だと言っているのだ。
優しくがんばれがんばれと言われたらそれで満足か?それがお前の人生か?そいつはお前の人生に責任など持たないぞ。
まずは自分で自分を鼓舞しろ。なぜ他人に身をまかせるのか。「どうにかしてくれ」ではない。お前がお前でどうにかしろ。
お前は死にたいのではない。生きたいのだから生きればいい。努力してもしても無理だったんだろうが、まだまだ絶対的に足りないのである。全く足りない。やってないのだ。
俺がお前のことを何もわかってないことが憎いか?殺したいか?怒りがこみあげたか?万能薬でないことに絶望したか?
逆にお前は俺の何を知ってるんだ?
クソザコに生きる術を伝えてるんだ。お前の無知の範疇で理解した気になるな。ちゃんと全部読めてんのか?眺めてるだけでは何一つとして読めんぞ。これはそういう文章だ。ありがたく精読して頂戴しろカス。
最近You Tubeの海外ドキュメンタリー動画ずっと見てる。日本語字幕だいぶ良くなってきたね。
地球上にはヤバい国や地域がこんなにあるんだと勉強になる。金持ちの汚さ、貧乏人の苦しみ、それを外から眺めてられる幸せ。何もできない無力感。現実を知るだけでも意味はあるのかな。
私自身海外旅行なんてしたことないけど、この島国の貧乏はまだマシなんだなと思わされる。
「日本ヤバいっていうけど、海外はそんなに良いのかな」と思って見始めたのが最初だけど、理想の国なんてないんだね。あったとしても他国人をあたたかく迎え入れる国なんて存在しない。移住先に歓迎されるような金や技能を持ち合わせていないヒラ移民の地位はいつも一番下。これは肝に銘じる必要があると思った。
初診、1箇所しか行っていないので何が正解かもわからないが、ただの実例として
◾️病院の探し方
・精神科、心療内科、メンタルクリニックなどの名称があるが、初診のハードルを下げる意味で「心療内科」「メンクリ」を名乗る医院が多いぐらいで多分それほど差はない
・病院のwebサイトを見て、心理士のカウンセリングも受けられると書いてある所の方が医療と心理分野の連携が取れていて「薬をやたら出して点数稼ぐ医者」を避けられる可能性が高いらしい※昔大学の心理学科の授業で習った。これは対患者のコミュニケーションもそれなりに心得ている医師に出会える可能性も高いと思う
・Googleの口コミ、epark等各種口コミサイトの個別の意見は書いてる人のメンタルも不安定なので信頼性は微妙だが、総じて良い意見が多い/少ないの偏りは医院ごとにまあまあある。
・初診は電話予約の所か多い 得てしてそういう医院の方が評判が良いようにも見える
◾️問診の備え
・初診の問診票フォーマットを書こうとすると結構まとまらないのでメモも書いていくと良い 書くことで思い出す症状も結構ある
・最初に、何を相談しにきたのかを書く。私の場合は「仕事のストレスをコントロール出来ていないと思う」と書いた※ストレス源が確定されるかが適応障害、うつ判断に関わると見たので書いた。仕事が原因だと自覚があったので、直近の労働時間も伝えた。月合計250hぐらい
・身体の自覚症状について書く。胃痛、腹痛、下痢、動悸、頭痛、眩暈などの有無や食欲、睡眠の不調は問診項目にもあると思うが、私の自覚症状には他に大きい音が怖くなる、頭に靄がかかる感じがする、人の目が見られなくなる、仕事について誰かに相談しようとして涙が止まらなくなる など
・感情面の動きなどを書く。抱えているのが悲しみなのか怒りなのか無力感なのか、自責に駆られているのか誰かへの苛立ちなのか、何も感じなくなってきたのか。その辺りにフォーカスして書いた。患者がどんな環境に置かれているのかの情報は、ここまで挙げた3項目に関わる所だけ簡潔に。医師はカウンセラーではない。必要であれば聞いてくるのでとっかかりレベルに
◾️診察
・書かなかったけど聞かれたこと
通院のきっかけ
(私の場合、友人に仕事のことを話そうとしてめちゃくちゃ泣いてしまったこと)
(はっきり「すくないです」と伝えた)
家庭環境
(片親とかでもないが、なんとなくコミュニケーションが希薄な家に育った、とは伝えた)
手を洗いたくなるか
(神経症っぽい部分があるのかの確認と思われる Noと答えた)
朝起きれるか
(寝覚めは良いというか意識の浮上と同時に動悸がしてた)
・他、思ったこと
はじめてのメンクリだったが、私の行ったところは個人名で呼ばれないようになっていたり、次回診察日時が印刷される診察券を貰えたりという工夫があって、なるほどと思った 待合室は共同
上記の診察の結果私は適応障害、出来るならすぐ休職 の診断が出た
休職したくてきた訳ではなく、鬱になった時のためのかかりつけを作りたいのと薬などで眠れる、元気になれるなら処方を願いたいだけなのだが…もうダメなのか?と聞いたら
ストレスがはっきりしているからには離れるのが最優先との答えだった
誰かの参考になるかはわからないが、一例として置いていく
今まで、いろんな批評を十数個読んでみたが、どれもこれも、やれハヤオがどうだとか、やれ鳥は鈴木Pだとか。もちろん観点としてはありだけど、そればっかりだと飽き飽きするし、映像とストーリーの力がそれほどにもない映画なのかと思ってしまう。
先ず塊から始めよということで、拙い感想を書く。文章の組み立て方とかわかんないから箇条書きだけど。
・夏子、女すぎる。まず馬車から降りるときにいい匂いした。夏子の腹を触らされた時の眞人の「ざわっ」って感じ、嫌悪感・忌避感がリアルだった。
・異界で夏子のことを「好きなの?」と聞かれ、眞人が「父の好きな人だ」って答えるの、「眞人が夏子のこと好きだからだろ」みたいな意見も見たが、違うだろう。
夏子はまだ「異性」だったのだ。母ではなく、女だった。好きとかではなく、母性よりも女性性が強く感じられていたからこそ、そういう受け答えになったのだと思う。
・だからこそ、産屋での「母さん!」という一種べたな呼びかけが、効いてくる。最初は「え、こんな“家族”の象徴としての母親呼びなんてベタで陳腐じゃね?」と思ったが、眞人が夏子の、異性性よりも母性を受け入れることにした、という意思表示なのだから、言う必要があった。「どこでそんな絆深まったん?」と思ったが、「これから家族としての絆を深める意志がある」という宣言だったのだ。
・眞人の悪意、すご!! 同級生からいじめられ、石で自分の頭から半端ねえ血を流すんだけど、あれ自分でやった傷なのに血出すぎでしょ。あそこで「うえ~ん、同級生にこんなことされたよお」っていうんじゃなくて「転んだ」というところ、テクニカルすぎる。
そういわれたら、同級生の罪が重くなるだけでなく、父親の激高もより深くなるし、夏子も「信用されていない。だから本当のことを言ってくれない」という無力感を強くするだろう。
眞人の悪意、すご!!! どろっどろの悪意だ。そりゃ夏子も「あなたなんか嫌い!」っていうよ。
・だから「自分の傷は悪意で汚れている」と眞人がいったとき、「こいつ、言いおった!!!」と思った。個人的にはこの「告解」が映画のハイライトだった。眞人がこの告白をできたこと、それがこの旅の意味だった。
・焼死した人間が火の使い手になるの、普通にえぐくない?ラストで「火は怖くないわ!」とかいって、「自分は死ぬが、それでもあなたを生むことを選ぶ」という強烈な「子の」生の肯定もグロくない? 「まあ最後は焼死してもそこそこいい人生だったもんな」って自分の人生を肯定してヒミが現世に戻るならいいんだけど、「あなたを生むんだもの」って。生むことがヒミの人生の第一義かい!ってなる
東野篤子 Atsuko Higashino
@AtsukoHigashino
私自身はクラスター弾の使用には強い抵抗感を持ちますが、結局のところ「明確にオスロ条約(クラスター弾規制条約)に違反する兵器だが、敵味方双方を含めて当事者の誰もオスロ条約に参加していないので条約違反ではなく、止められない」という点に尽きるのでは。
https://twitter.com/AtsukoHigashino/status/1677951813457412098
責任からだらだらと逃げている。使っていることを批判しない人間は人類にはいらない。条約以前の問題なんですよね。
全然苦渋じゃない。だったらまずワシントンと東京と筑波大学にまき散らしてから言え。苦渋でも何でもない。
+ さらに追加すれば、日本とロシアが戦争するときはクラスター弾は使用OKになります。自分たちが容認しておいて被害者ぶるのはないわけです。
+ 本来学者ならイーロンのほうを紹介すべきだが、東野や日本のマスコミは英語ができないので知らないようだ
+ さらにこんなめちゃくちゃな理屈に何一つ言わない日本人は戦争を知らない。実に戦争がへたくそでしかない。
Elon Musk Slams US Decision: Sending Cluster Munitions to Ukraine Deemed a 'Debasement
地面に突き刺さったクラスター弾の装☆(土ヘンに眞)容器=2022年6月、ウクライナ東部ハリコフ州郊外(ロイター=共同)
(共同通信)
ロシアのプーチン大統領は国営テレビが16日に放送したインタビューで、ウクライナが米国から供与されたクラスター(集束)弾を使用すればロシアも「同様の対応をする権利がある」と述べ、侵攻作戦でクラスター弾を使用しても正当化されるとの考えを示した。国営テレビによると、プーチン氏が米国のクラスター弾供与に言及したのは初めて。
米国による対ウクライナ供与にロシアが対抗し、非人道性が国際的に批判されるクラスター弾の前線での使用が拡大する恐れがある。
国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(HRW)は6日に発表した報告書で、ロシアは既にクラスター弾を使っていると指摘したが、ロシアのショイグ国防相は使用を控えてきたと述べていた。
プーチン氏はロシアも「各種のクラスター弾を大量に保有している」と認め「これまでは使う必要がなく、そうしなかった」と主張した。その上で、バイデン米政権が以前にクラスター弾の使用を「犯罪」と述べていたと指摘。米国の供与を批判した。
「今まで我々はこれを行っていない」:プーチン大統領は、キエフによるクラスター爆弾使用時にはロシアも対抗措置としてクラスター弾を使う権利を宣言した
ウラジーミル・プーチン大統領は、キエフ政権がクラスター爆弾を使用した場合、ロシアは行動を反映する権利を留保すると述べた。 国家元首は、RF軍がまだ使用していないさまざまな種類のクラスター爆弾の十分な在庫が存在すると指摘した。 ロシア指導者はまた、現在、米国と欧州は砲弾の不足に直面しているため、キエフにクラスター弾の使用を提案する以外に良い方法は見つからなかったとも述べた(その使用は米国政府によって犯罪とされている)。
ウラジーミル・プーチン大統領は、キエフ政権軍が使用するためにアメリカ合衆国がウクライナにクラスター弾を供給したことは犯罪だと述べた。
「クラスター弾に関しては、しばらく前に米国政府自身が職員の口を通じてこれらの弾薬についての評価を行った。 クラスター弾の使用が米国政府自身によって犯罪と呼ばれたとき。 したがって、これが私たちがこの問題をどのように扱うべきかだと思います」とプーチン大統領は番組「モスクワ」でジャーナリストのパベル・ザルビンに語った。
同氏によると、ワシントンは「豊かな生活からではなく、全体的に弾薬が不足しているため」この措置をとったという。 同国家元首は、ウクライナ軍が1日当たり最大5~6千発の155ミリ口径砲弾を戦闘に費やしているのに対し、米国は同種の砲弾を月当たりわずか1万5千発しか生産していない、と指摘した。
「彼らには十分な物がありませんし、ヨーロッパにはすでに十分な物がありません。 しかし、彼らはクラスター爆弾の使用を提案する以上に良いものを見つけられなかった」とロシア連邦大統領は強調した。
ウラジーミル・プーチン大統領はまた、ロシアにはさまざまな種類のクラスター弾の十分な在庫があると指摘した。
「これまで、私たちはこれを実行しておらず、使用しておらず、一定期間の不足がよく知られていたにもかかわらず、そのような必要性もなかったし、弾薬もあったが、これを実行しなかった」 。 しかし、もちろん、それらが私たちに対して使用された場合、私たちは行動を反映する権利を留保します」とロシアの指導者は結論づけた。
7月7日、米国は新たな援助パッケージの一環としてキエフへのクラスター弾の供給を発表した。 ホワイトハウス長官ジョー・バイデンによれば、これはウクライナ軍が使用するアメリカ榴弾砲の砲弾在庫の枯渇に伴う「強制的」だが「一時的な決定」であるという。
ロシア外務省の公式代表マリア・ザハロワ氏によれば、クラスター弾の移送は、公表されたウクライナの「反撃」の失敗を背景とした絶望の表れであり、無力感の証拠である。
「米国の攻撃的な反ロシア路線のもう一つの露骨な現れであり、ウクライナ紛争と戦争を「最後のウクライナ人」まで引き延ばすことを目的としていると彼女は説明した。
7月13日、ダグラス・シムズ統合司令部作戦部長は会見の中で、ウクライナ軍が米国だけからではなくクラスター弾を受領したことを示唆した。 同時に、同氏によれば、キエフ政権は「民間人の近くで」クラスター弾を使用することに関心はなく、「ロシア側に対する戦術的状況で」クラスター弾を使用するつもりだとされている。 同日、タブリア作戦戦略部隊司令官アレクサンダー・タルナフスキーは、そのような砲弾の受領を発表した。
ワシントンのロシア大使館は、クラスター弾を「慎重に」「適切な地域で」使用するという米当局者らの言及したキエフ政権の「約束」についてコメントし、自らの挑発行為を正当化しようとする稚拙な試みだと批判した。
ロシアの外交官らは、「ウクライナ軍が目標を選ぶ際にいかなる『制限』も守らないのは疑いの余地がない。なぜなら、ウクライナ軍は巨額の損失と前線での成功の無さに絶望しているからである」と語った。
ドイツ、スペイン、イギリス、カナダ、中国、国連がこれまでクラスター弾の供給に反対していたことに留意すべきである。
「ウクライナ民間人の恐ろしい命の損失」につながる米国の決定に愕然とした クラスター弾の禁止を求めているクラスター弾に関する連合において 。
イーロン・マスク氏は、ウクライナに弾薬を送る決定についてコメントし、結果に何の影響力もないのに米国は自らに屈辱を与えていると述べた。 彼はこの決定を偽善的だと呼んだ。
子どもを産んで育てているうちに、子どもが虐待される事件のニュースが心にくるようになった。
だからといって、ニュースを見ないように目を背けるのも悪いことのような気がしてできない。
なんでそんなことをするんだろう。
どうして助けられなかったんだろう。
加害者への怒りや被害に遭った子どもが気の毒で可哀想で、そして何もできない自分に無力感が湧く。
もしもスーパーマンみたいに子どもを助けられたらと考えてしまう。
現実的に考えて自分にできることは、まず自分の子どもには虐待を絶対しないこと、自分の小遣いの範囲で寄付をすること、もしも周りに被害に遭っている子どもがいたら通報すること。
できることは少ないかもしれない。
日本で人気になるアニメ漫画作品は超少子高齢化が進みそれが留まることを知らないこの現代でさえも学校が出現する頻度が多すぎる
本編から出てくるのは勿論の事、スピンオフや外伝で学校が出現する事も珍しくない
中には無理やり学校要素をねじ込んだ様な物まであって、これは転生なろうブームに感じるテンプレ感というか、これ入れとけば良いんだろ的な考えを感じる
日本で異常に流行ったハリーポッターもそうだが、日本人は学校という空間に対する憧れを持っているのは間違いなさそう
その一方で、学校が描かれない作品は殺伐としていたり、救いがなかったりする率が高い様に思う
既に世界が崩壊しているとか、或いは社会は物凄く厳しく自分にとって辛く当たるのが当然という雰囲気で構成されている物が多くて
日本人にとって学校は楽園の象徴であり、社会は地獄の象徴になっているのではなかろうかと思う
自分はこの傾向の背景には日本におけるモラトリアム期間である学生と、待遇が何十年も改善されず厳しい事ばかりな社会人の対比がある様に感じる
いじめや自殺、ブラック校則や部活など、学校に良い思い出のある人々ばかりではないだろうが
それでも作品の中での学校は全体的にキラキラとしている様に描かれる物が多く、一方でその外側である社会は鬱々として描かれる事が多いのは