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はてなキーワード: 夜明とは

2017-06-21

https://anond.hatelabo.jp/20170621152142

だが国会ウォッチャーのおかげで増田レベルはかなり上昇した。

その結果、安倍支持率は10%も下がった。

夜明けはきている。

2017-06-18

海外では絶対受けないと思ってたんだけど

夜明けを告げるルーのうた。これはもう発表された段階で海外視野は見えていた。

多分日本では厳しいが、きっと海外とくにヨーロッパ圏では受けるだろうなと。ただし脚本に一抹の不安はあったが杞憂だったようだ。

エイプリルフール公式利用されたうえにちょっと滑ってしまったルー大柴も喜んでいるだろう。

ただしやはり日本での評価は厳しくなると思う。どんな世界映画でも国内国外評価は分かれるものだ。その国の気質があるのだから邦画に限ったことではない。

結果的湯浅監督次回作が見られる(しか予算あがる)ということだけで嬉しいものがある。

驚いたのが「この世界の片隅に」で、エンタメ色はあるといえばあると思うが無いと言えば無いし、日本の歴史にある程度精通してないと理解できない部分も多い。

今回の公式上映中も「盛り上がるクライマックスはどこ?」という質問監督に飛んでいた。(国内外アニメファンがその質問同意したり失笑していたが、エンドロールだと監督は答えていた)

あとWW2の日本映画というのも不利だ。

例えば「火垂るの墓」なんかは国外アニメファンジブリブランドも手伝って多くの人が見ているらしいのだが

海外評価されたかというと、時代もあるが一部の無名賞でしか評価されていない。

出来が気に入らなかったのか、といえば多分違っており、昨今では見ておくべきアニメ映画の一つとして海外に広がっている。

これはなにを意味するかというと「賞を与えるべきでは無い」という心理があるからだ。

実際「この世界の片隅に」もアジアからの反応は複雑なものが時折見受けられている。どこまで理解しているのかは謎だが、のんさん効果映画祭りには呼ばれているようだ(のんさんアジア人気あるわ)

が、しかし今回のアヌシーでは発表前の予想段階からレビューサイトの点数を見ても有力候補だった。(ゴッホアニメとの競合。多分ルーは観客賞の雰囲気だったが、これはサプライズ

次点という扱いだが審査員賞というと百日紅もとっているので、国外に出ると知識を持ったちょっとインテリ向けなのは否定しないし

オープニング作品にも選ばれていたので、審査員に本作激押しの人が居たのかもしれないと睨んでいるのだが

個人的サプライズだった。日本的であり日本人が好んだストーリー極右極左は嫌ってたの笑ったが)であまりにも日本人が辛いだけの映画

外国人に届く。というのは、作品構成だったり熱意だったり出来だったりが良かったのは間違いないし

火垂るの墓以降20数年経って、「日本」の印象が少し変わっているというのも分かる。

アニメだけではなく、実写も舞台も本も漫画も、この先きっともっと自由に作って海外の人に届く日が来るのかもしれない。

この世界の片隅にはこのあとそのままLA映画祭に行くようだけど(監督スケジュールめちゃくちゃ大変だな?)

断言しよう。ギブミーチョコレート批判があるから受賞しない!

アヌシー国際映画祭

夜明けを告げるルーの歌とこの世界の片隅にが賞を取ったが、平成狸合戦ぽんぽこ以来の快挙と報道されているのを見て随分センスの悪い賞だなとテンション下がった。

2017-06-13

夜明けて

新鮮な気持ちブコメに☆をつける

数秒後に前日押していたことを思い出す

2017-06-04

夜明け告げるルーソング

見たやついないの?面白かった?

2017-05-30

メイドインアビス4巻までを読んでの感想

つくしあきひと氏の絵を初めて見たのは15、6年前のことである


当時から彼は特異な才能を持ったイラストレーターの一人として知られていた。当時は彼を含む様々なイラストレーター達が、個性的イラストホームページ上にアップロードしており、言わばその時期というのはネット上で活躍するイラストレーターの方々にとっての『黎明期』であったのではないかと今にして思われる。

まりは僕自身もそんな黎明期――『夜明け』の目撃者の一人であったということだ、何てことが言えるのかも知れない。


まあ、『ワシが育てた』とかそういうことを言いたいわけじゃないけれど。


とにかく当時は、センスに溢れるイラストレーターさん達が、その実力をアンダーグラウンド世界において遺憾なく発揮していたということである。あるいは彼らは一種の探窟者であったと言うことができるかもしれない。今となっては(つくしあきひと氏を含む)その一部だけしか生き残っていないという辺りも、あるいは彼らと強靭な探窟者達との共通点と言えるのかも知れない。


さて。

というわけで第四巻を先程読み終わった。素晴らしい巻であった。

深淵を辿って降りていく人の中の、もっとも先を行くもの、白笛の『黎明郷』のエピソードが続いている。


度し難い、とは正にこのことだろう。黎明郷の生命力秘密というのが何なのかについては敢えて口にしないが、その身体に相当な業(ごう)やらメカニズムやらが秘められているという事だけは間違いあるまい。

彼らのような人間現実にはそう存在しない。まあ一部の創作家とか、何らかの事柄に関する探求者といった人々は、ひょっとしたら白笛達のような度し難い探求者としての一面を持っているのかもしれないが、幸いながら僕はそういう人物との関わりを現実世界で持ったことが無い。大抵そういう人々というのは生活をする中で周囲の人間尊厳を食い潰していってしまものらしく、彼らの英雄譚を他人事として安全距離で聞いている内はむしろ幸せであるものの、まあ隣り合わせで生活していくとなってはこれは到底耐え難い事柄と言えるのだろう。パトロンや近親者を精神の淵にまで追いやった何人かの著作家のことを、僕としては数人思い出してみる次第である


ところで、彼ら『降りる者』の対比として容易に思いつく存在としては、『昇る者』――つまり登山家存在があると思う。作中において『黎明郷』の功績の一つに「新たなルート開拓」などが挙げられていたが、これは恐らく現実存在する登山家家業を匂わせるような表現だったのではないだろうか。


思うに、『探窟家』の存在が度し難いとするならば、『登山家』の存在もまた相当程度には度し難いと言えるのかも知れない。

例えば、世界中の八千メートル峰の全てを無酸素で登頂した伝説的な登山家ラインホルト・メスナー」は、登山中に弟を亡くし、自分自身も数本の指を喪った。挙句、そんな地獄登山から帰還した後で、実弟の死を巡ってメディアパッシングを受けている。

付け加えて言えば、登山家という職業は命を喪うに易い職業でもある。

エベレスト登頂ルートの途上には、幾つもの死体が未だ腐ることも許されず凍じ籠められている。


先日、伝説的な登山家の一人であるスイス出身のウーリー・シュテック文字通り伝説となってしまった。伝説登山もまた、探窟と同じくして度し難い……まっこと度し難いスポーツの内の一つなのだ、実際のところ。


さて、この作品はたくさんのインスピレーションを読者に与えてくれる。

何らかの深淵を追い求める中で、人は人間としての尊厳いかに保っていられるのか、あるいは、いかに失ってしまうのか。

そして、各々の探窟行の果てには何が待つのか。

『成れの果て』となってしまったたくさんの人々は、一体何を語るのか――


そういう意味でもこの作品は優れている。まるで膨大な歴史を辿り、旅をしているような感覚を味あわせてくれる――。弐瓶勉氏の『BLAME』を読んだ時の感覚と似たものがあるかもしれないが、あの作品とこの作品はまた別物である。こちらにはこちらのユニークさがあって、それが読者の好奇心を掴んで離さないのだ。


これからも彼らの数奇で危険に満ちた探窟行に期待したい。

2017-04-26

クルーザー

■下にある「クルーザー」という物語を読んでください。この話には、5人の登場人物が出てきます

読んだ後に、この5人の登場人物について、共感できる順に順位をつけてください。

 突然の嵐に見舞われたクルーザー(大型ヨット)が2艇、無人島の流れ着きました。 1艇には若くてきれいな女性とフィアンセの男性、もう1艇にはヨットマンと老人が乗っていました。 日が暮れて嵐は少しおさまってきましたが、フィアンセの男性が高熱にうなされ、意識不明になってしまいました。

 若い女性は、一生懸命看病しましたが、容態は一向によくなりません。 夜はどんどん深まっていきます。彼を助けるためには、医者のいる島まで連れて行くしかありません。 しか女性クルーザーの操縦ができませんでした。そこで彼女ヨットマンに助けを求めにいきました。するとヨットマンは「この島から医者のいる島までは2時間はかかる。それに夜の航海はとても危険で、命がけだ」としばらく考えていましたが、「そうですねえ。あなたを今、抱かせてくれたらクルーザーを出しましょう」と言ってきました。

 思いもよらない言葉に困った女性は、老人にどうしたらいいか相談しました。老人は「今のあなたにとって何が良いのか何が悪いのか、私には答えられません。自分の心に聞いて自分で決めるのがいいでしょう」と返事をしました。 彼女は悩み苦しみましたが、彼を助けるためにヨットマンの言う通りにしました。 夜明けにヨットマンの操縦するクルーザーは無事医者のいる島に着きました。

 3日3晩、男性は生死をさまよいましたが、医者の懸命な看護により、やっと目を覚ましました。若い女性はようやくほっとして彼を抱きしめました。彼女真実を話すかどうかとても迷いましたが、悩んだ末に正直に全てを打ち明けました。しかしそれを聞いたフィアンセは怒り狂い、「何てことするんだ!お前の顔なんかもう見たくない。出て行け!」と彼女を部屋から追い出しました。

 悲しみにくれた女性は、浜辺に座って波を見つめていました。そこに医者がやって来て彼女に声をかけました。 彼女事情を話すと、「僕には君の気持ちがよくわかるよ。私が彼と話してみようじゃないか。 彼も病気が治ればきっと理解してくれるはずだよ。それまでしばらくの間、私があなたの世話をしてあげよう。」と言いながら、彼女肩に手をかけました。

https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4760830251/torahouse-22/

2017-02-22

キモオタの俺が本当に好きな子

身長125cmくらいのおかっぱで赤系の和服を好む齢4桁の座敷童。名前は教えて貰えないから、お師様って呼んでる。

家事掃除ほとんどしないし、外食も大嫌いだ。もちろん、毎日俺に毎日三食作らせる。

偏食も激しくて、何か食べたくなったらそれ以外口にしてくれないなんて日常茶飯事。

昼間っからネットしてSNS匿名掲示板を見てはぶつくさ言ってるし、

かと思えば女友達の妖狐とか雪女なんかを連れ込んで豪勢に酒盛りしているのもしょっちゅうのことだ。

夜中、特に用事のないときに誘えばセックスはしてくれるけど、気が乗らないとマグロもいいところだし、

興が乗れば夜明けまであの手この手で絞り取られるからもうどうにも気が抜けない。

体中開発されたし、最近マイブームなのか女体化させられて陵辱されることも多い。

ちなみに生理はまだ来ていないんだけど、孕むこと自体自由自在らしく、

いつか立派な一人前の男になったら子も作ってやるとは言ってくれているけど、先にこちらが孕まされそうだよ。

そんなクソニートみたいなお師様だけど、千年以上他に阿らず好き勝手行きてきただけあって術の力は比肩するものを見たことがないし、

古今東西の魔や妖かしに精通していて、更に苦手だという体術も俺程度じゃ片手片足で軽くあしらえるほどに強いんだ。

かいことを考えるのが面倒臭いってんで全部うち倒してから考えようとする癖があるのが玉に瑕だけど、その辺は俺が補佐すればいい。

まあ、最近で言えば土蜘蛛チョコレート問題ときも、吸血鬼ライア侯爵婿入り騒動ときも、

自分は空回りするばかりでお師様に助けてもらうばかりだったんだけどね……。

いつかは俺もお師様につりあうような立派な男になって、彼女名前を呼んでプロポーズするんだ。

  

なんて感じの子だよ。

http://anond.hatelabo.jp/20170222125612

2017-02-06

舞台「孤島の鬼」2017版を観劇して

※私の答えが見つかったので、現在最終解答を書いています

ですが、この初見感想も非常に重要でしたので、是非お目通しいただいて推理の参考になさってください。

※表に出した最新考察と印象はこちら。初見感想の次にでもどうぞ

http://anond.hatelabo.jp/20170209222825

http://anond.hatelabo.jp/20170212024356

夜明けて昨日の話。

推しの握手会が思いの外さっくり終わり、通りすがりのご夫婦に推し布教も楽しくできて、気力と時間が余ったので当日券でレッドシアター行ってきた。

とても面白かったのだけど、なんかこうすごくもやっとする原因を掴みたくて、江戸川乱歩原作の方の感想を漁り、こちらのブログに辿り着いた。

http://edogawamy.hatenablog.com/entry/2015/12/05/160636

こちらを拝読してめっちゃスッキリしたので、スッキリしたこと前提に感想を書く。

ネタバレしまくるし、恐らく原作既読でも舞台観劇の方は先に舞台観た方が絶対面白いだろうから観劇予定のある方は読まないでくださいね

まず私がもやっとしたのが、「『私』が鬼のように見えすぎやしないか?」ということ。

こーゆー考察甲斐のあるタイトルや、善悪、美醜、世間自分の解離みたいなモチーフが出てくる作品だと、どうしても「果たして鬼とはなんだったのか?」と邪推してしまう。

そこでまず強烈に思い浮かぶのが主人公であるはずの『私』。

『私』役・佐藤永典さんのお人形のような美貌と、書いて字のごとく鬼気迫るお芝居、そして聞き慣れない失われた昔の日本言葉は、あまりにも『我々観客と同じ存在である共感し難い。

そもそも、主人公目線で語られる物語は、主人公感情移入させて物語に没入させることが狙いのひとつだろうに、全然『私』=箕浦感情移入できない。

ネタバレにならないことを祈って例を挙げると、演劇で観たことがあるミステリーだと『罠』『スリル・ミー』などが思い出される。)

これは『私』が作品の『語り部』であるため、強制的に観客が『聞き手』の役割を担ってしまうからでもあるかもしれないけど……

それにしたって、締めの内容からしても物語の本題が「『私』と諸戸道雄」の関係に集中してしまってならず、

そうすると、田中涼星さん演じる諸戸の執着心のおぞましさに沿ぐわない清廉でどこか儚げな美しさが、彼の一途な愛を健気で尊いものに感じさせてきて、その愛情を受け入れない『私』が何か恐ろしいもののように思わざるをえなかった。

でも、それっておかしくね?って思って。

ホモフォビアを受けることへの同情というか、同性愛差別への嫌悪感も逆手に取られているような気がする。「理由はどうあれ女の子は泣かせちゃいけない」みたいな、ずるい構図が仕組まれているように感じる。

自分が恋をしてフラれた時のこと・恋されてフッた時のことを参照すると、

いくら思わせ振りだったとしても応えてくれない相手の方が悪者だなんて絶対に思えないし、

どんなに周りから薦められてもどうにも受け入れられない相手はマジほんと無理。

目線だって絶対許せない地雷カップリングというもの実在する。

から「諸戸の愛を受け入れない『私』は鬼」であるとは、理性的には到底思えない。

でもじゃあどうして「『私』が鬼」だと感じるような作品に仕上げてしまったのか?

これが冒頭に書いた「『私』が鬼のように見えすぎやしないか?」というもやもやの詳細。

この感情原作に対して正当なのか? 舞台版という二次創作であるが故の解釈押し付けなのか?

という部分が気になって、ググって辿り着いたのが先ほどのブログ

http://edogawamy.hatenablog.com/entry/2015/12/05/160636

Wikipediaに書いてあった、「陰獣」みたいな新作をとリクエストされて執筆されたのが「孤島の鬼」らしいというエピソードから勝手妄想して、

江戸川乱歩=諸戸目線で「創作された箕浦」が『私』なのではと解釈し、舞台版にめちゃくちゃスッキリできた。

諸戸道雄の死で物語が終わるのもさもありなん。

観客は真の主人公である江戸川乱歩(諸戸)に感情移入させられて、「諸戸の愛を受け入れない『私』は鬼」だと錯覚してしまうのではと。

田中涼星さんの白木蓮みたいな美しく一切の嫌悪感を感じさせない諸戸は、きっと江戸川乱歩ブロマンス結晶として大正解

対する『私』がエゴイスティックに語れば語るほど、それは作者(江戸川乱歩であり諸戸)の恋の哀しみの深さ、恋情の深さを伝えてくる。

女性に執心する姿がなんか気持ち悪く見える・描かれるのも作者による悋気からだろうし、諸戸に対して残酷過ぎる描写は傷付いた作者本人が語らせてるからだろう。

『私』が歪であればあるほど、「箕浦にもどこか諸戸(作者)を愛する部分があってくれ」といった願いの叫びに聞こえる。

(観ていると「箕浦も実は諸戸を愛していたのではないか」という容疑が浮かんでならないのだけど、『白髪になってしまうほどの生理的な恐怖・嫌悪』という動かぬ証拠は、容疑を否定してならず、この辻褄の合わないミステリーももやもやの一つだった。)

メタ推理として「陰獣」を出したのも、江戸川乱歩自身による己の殺害物語カタルシスにあるように感じられたから。自身を不幸の中で殺すことで、遺された人間へ爪痕を残すという側面も含めてね。

(愛を願いフィクションを書き綴るのに成就させず永遠片想いとして殺す……って、個人的めっちゃ萌える。)

作者による「ぼくが考えた最高に美しく残酷箕浦永遠に愛してる)」ってやつ。考えたというか、「恋愛疑心暗鬼の中で見えていた箕浦」。

しかしそれが本当に『箕浦』のすべてだったのか?

舞台「孤島の鬼」(2017)では、語り部の『私』と『箕浦』を別の役者さんが演じている。

私は原作未読であるため、同一人物であるはずの二人を別々の人間が演じるということが奇策なのか妥当なのかわからない。

でも、配役を知ったとき

美少年役もまだまだできそうな童顔の佐藤永典さんが30代で老人のような白髪姿になった『私』で、

佐藤さんより身長も高く年上にだって見えかねない美青年石田隼さんが20代箕浦過去の『私』」を

演じることが疑問だった。

いくら『私』は外見が変わってしまったといえど、あまりにも二人の外見が似ていないこともあってね。

「もう一人の自分」みたいな表現が出てくる演劇はいくつか観たことがあるはずだけど、原作未読とはい観劇前に違和感を持ったことはなかったように思う。(まあ大体そういった存在物語の核心中の核心に触れるので、配役表から対の存在公表されてることは少なそうだけども。)

しかし『私』を『諸戸が想い描く箕浦』とすると配役がまあしっくりくるし、『本物の箕浦』と役者を分けたことが大発明のように感じられる。

舞台上には二人の箕浦が同時に立ち、シーンによって他者とのコミュニケーション表現担当者が変わるのだけど(どっちが台詞を言うか、みたいな)、

諸戸と出会い親交を深めた学生時代箕浦はずっと『私』(佐藤さん)が表現し、

諸戸と別離大人になり恋人の初代との出会いから箕浦石田さん)は登場する。

石田隼さん演じる箕浦は、佐藤さんの『私』と同一人物のはずなのに、鬼なんて印象もなく何故か善良な青年に感じられていたのだけど、『私』の方が諸戸(江戸川乱歩)の色眼鏡認識された箕浦なんだと思えばこの対比はすごくいい。

 

「『私』は諸戸目線で見えていた認知の歪んだ箕浦であるため、『私』の歪さから箕浦も実は諸戸を愛していたのではないか」という容疑を持ってしまうが、

事実として『箕浦』は諸戸に迫られることに身体変調するほどの生理的な恐怖・拒絶を示している。

(皆さんは自分の体が深層心理拒絶反応で意のままに動かせなくなったことがあるだろうか。私はある。手から全身が痙攣してゆき、これしきのことで動じるな止まれ意識しても震えがまったく止まらない。だから私は生理的な拒絶は動かぬ心の証拠だと考えている。)

箕浦』は諸戸の性愛を受け入れることはできなかった。

しか性的に愛されないことが、『愛されていない』ということなのだろうか?

必死に求めるあまり諸戸からは見えなくなっただけで、性愛ではないけれども某かの情が、性愛にも決して劣らない尊い愛が『箕浦』にもあったのではないか

そういった諸戸の盲点が、諸戸が『私』と会話し夢中になっている時の『本物の箕浦』(石田さん)にあったのではないかと、舞台演劇となり二人の箕浦が居ることで私は考え至った。

物語としての「孤島の鬼」の作者は諸戸(江戸川乱歩)だという解釈は私が勝手にしてるだけなので、舞台版が諸々の采配をこの解釈で行ったかはわからないけど、改めて『私』と『箕浦』の登場場面の違いを確認しながら観劇したら面白そうだなぁ!

より妥当なところの分裂理由として「箕浦二面性」はあるだろうし、じゃあそれぞれの境界線舞台版ではどこだと考えられているか読み解くのも面白い

作中に登場する双生児は境目が見えたけど、二人の役者に分けられた一人の人物のメスは何処に入ったのか。

うろ覚えだけど、諸戸の告白以降は『私』が箕浦として生きているから、舞台では箕浦と諸戸は一緒に天国に行けたのだ、な~んて解釈ハッピーだよね。

(どちらかというと、諸戸が悋気を持たなければ、欲を出さなければ、あるいは悪い男になれていたら、箕浦と一緒に天国に行けたかもしれないのに諸戸が鬼の箕浦を生み出してしまった…って自己破滅エンドの方が私は好きかな。まさに疑心暗鬼を生んだ、的なね。)

(報われず自分に追い込まれ破滅した美しい男性テーマ舞台大好物なんです。)

延々と箕浦組について語って夜が明けてしまったけれども、他の役者さんや演出表現もとても良かった。

諸戸の父親最期に対して、主人公である箕浦』の感情が語られず『諸戸道雄』の感想セリフとして発せられたのも、諸戸の父親を演じていたのがまだ30前半と『私』に近い年齢の美しい河合龍之介さんで妖しい男の色気を放っていたのも、「諸戸の主観こそが語り部の『私』」であったとするならよりしっくりくる。

父親の変貌は、絶対他人箕浦よりも諸戸の方がショックな出来事だ。

父親越えなんてテーマもよくあるほど、子供から見た方が親はより巨大さ恐ろしさを増すし、親が壊れる様というのは「自分にも起こり得る恐怖」と「自分があれほど巨大に感じていたものとは一体何だったのかという虚無」感がぱない。私も父親経験たからわかる。

河合さんの怪演は本当に感じるものが多くあった。

舞台というもの面白いもので、同じ現実を同じ密室複数の人々と同時に別々の目線位置角度(物理的な意味で)から観測するものから

書籍映像物語を鑑賞する以上に「他者が見ていない『自分視点』」が感想を述べる際にものすごく意識される。

たとえ自分複数人居たとしたって、観劇した感想は同じにならない。

演出による印象操作完璧に同一にはできない。(それをぶち超えるクソチート暗殺者が『音楽』だと私は考え重要視しているけど、それはまた別の話)

から舞台は観るだけでも楽しいし、感想を言うのも聞くのも他メディアの何倍も楽しい

そんな訳でこれらの感想はすべて《私》の主観しかなく、原作者スタッフキャストが込めた意図真相はわかんないんですけどね。

舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」、とてもよい観劇でした。

2017-01-18

春は夜明けにシコシコ

夏の夜はシコシコ

秋は夕暮れにシコシコ

冬は早朝シコシコ

2016-12-14

[]雪止みの夜明

なあ!お前ら本当にやったんだな!すげえよ!俺も鼻が高いよ!

これから泉岳寺に行くんだろ?

から家に帰って酒持って戻ってくるから殿の墓前に供えてくれよ。

から取り寄せたのがあるんだ。殿も喜んでくれるはずだよ。

家老お久しぶりです、高田です。いろいろすみませんでした。これには訳があったんです。

・・・どいつもこいつも無視するんじゃねえよ!目も合わせないのかよ!

しょうがねぇだろ!抜けなきゃバラすって言われたんだよ!

俺が抜けたおかげでバレずに済んだんだぞ!

お前らなんで返事してくれないんだよ!

こっち見てくれよ奥田!そんな目で見ないでくれよ堀部!

2016-12-01

パイパンにした。

昨夜、パイパンにした。

風呂で、眉毛用のハサミと彼の髭剃りと私のカミソリで、

洗顔フォームの泡を使ってパイパンにした。

あんなに真剣な共同作業は初めてだった。

気をつけながら気をつけながら、

ザリザリとしているところを念入りに何度も往復した。肌に悪いだろうなと思いながら。

髭剃りは痛くならないから、助かった。

私は元々剛毛で、普通にパンツを履いていても、はみ出る。

そんなもんだから、全てを剃り終えるまで2時間はかかった。

形状が上からバッチリ見える

不思議気持ちである

私は中学生から陰毛が生えた。

それまでは、いまの眺めは当たり前の光景だったんだ。

そのまま、深夜3時に行為をした。

陰毛という壁がなくなったから。

全てが見えるし、分泌液が直で肌にくる。

特に、痛くはなかった。


夜明けた今、

もう生えてこなかったらどうしようとか

家族温泉なんてイベントが出てきたらどうしようとか

そんなことばかりが頭に浮かぶ。

ただ、ひとつ言えるのは



ぺたぺたしてるけど、すごく快適です。

2016-11-30

V6長野くんが結婚した

V6長野くんが女優白石美帆さんと結婚した。

私はV6担当をしているわけでも無く、長野くんを担当しているわけでもなく。

からか、昨日はただただおめでとうという気持ちだった。


夜明けてジャニーズ結婚について真剣に考えてみた。

ジャニーズ結婚、それはジャニオタを揺るがす一つの事件とも言える。

結婚したジャニタレ自担場合、悲しむ人もいれば喜ぶ人もいる。

それは、当たり前のことでそれぞれの感情は正しいと思う。

結婚したジャニタレ自担でない場合、その時にジャニオタは何を考えるのだろうか。

少なくとも私は自担結婚したらどう思うかと考えた。

考えた結果、自担結婚を祝えるかどうかはタイミング問題だと判断した。

例に出して申し訳ないが、例えばKAT-TUN亀梨くんが今結婚したらどうなるか。

バッシングの嵐だろう。

また、最近熱愛報道された関ジャニ∞大倉くんが結婚したらどうなるか。

これもバッシングの嵐だろう。

大体のジャニオタがこう言うだろう。

「どうして今結婚したのだ」と。


もし今私の担当しているジャニーズ結婚したら私は多分その人の担当を降りる。

それは今ではないからだ。

まだ結婚タイミングではない。

ただその結婚タイミングが来たら私はきちんと祝福する。

おめでとうと。



これを読んだジャニタレはきっとこう思うだろう。

じゃあ、俺たちはい結婚したらいいんだ、と。





2016-11-23

新垣結衣さんに恋をして

不覚。

逃げ恥というドラマを友人に勧められて見た。

とにかくガッキー可愛い、それでいてエロス世界観ではないので、爽やかにドギマギヤキモキするという、よく分からない解説を何度も聞かされて、とりあえず見てみることにした。

今時の人気アイドルというのがどんなものなのか、少しは知っても良いだろうと思って。

・・・だが完全にハートを射抜かれた。

学生時代に好きな子ができて感じる胸の痛み、ドキドキ感、焦燥感、あの感覚が怒涛の如く襲ってきた。

PEAが全身を駆け巡り夜も眠れない。

テレビを見ないわたしだが、はてなまとめサイトでたまに話題になるためか、新垣結衣さんは以前から知っていて、数多いる可愛らしい芸能人の一人という認識だった。

ところが今では彼女天使しか見えない。

あのいたずらっぽい少年少女のようなした笑顔

一方で無表情の時の彼女の瞳から感じる少し寂しげな感じ。

憂いの目、少し小ぶりな乳、長い腕、指。

彼女を形作る全てのものがとても神聖もののように思えた。

まらYouTubeなどでポッキーCMから貪るように眺めた。

ウィキペディア基本情報を掴んだ上で、ゴシップ的な恋愛遍歴や過去インタビューなど調べてしまう私がいた。

この何も実を結ぶことのないことに時間思考を奪われて一日を過ごす。

どうすれば実を結ぶのだろうかと、無駄なことを考えずにいられない。

ああ、そうだ。これは恋なんだ。懐かしい気持ち自然気持ち

清濁混ざった心の目であなたを見つめる。

いや、だめだ、汚れを払いのけ、真の愛であなたを見つめよう。

いつか夜明けがきあなたのことを忘れても、わたしの幻影が作り出すひと時の幸せと安らぎを忘れない。

***

神様わたし偶像を崇拝する罪を犯しています

理性が私に何度も無為時間を過ごすな、冷静になり不毛を避けよと伝えてきます

しかし理性以上に強い感情に囚われてしま思考が言うことを聞きません。

どうか心が弱く、罪深いわたしを憐れんでください。

シラ書には、見目麗しい女から目をそらせ。とあります

この言葉をよく味わい、もう逃げ恥を見ることを止めようと思います

YouTubeも見ないようにしようと思います

どうかお力をお与えください。

この祈りを主イエスキリストの御名において。

2016-11-18

そっかー・・・これで街道沿いのロイホ夜明けまで話し込みという歌詞が伝わらなくなってしまうんだな

2016-11-10

病は気から

昨日は「マジかよ」って感じでお通夜ムードだったのに、一夜明けたら「トランプってレーガンの再来じゃねえの?」みたいな理由を付けて株が爆上げしてるのを見ると「そういうもんかもなー」と思えてくるからやっぱ景気って気分の面ってかなり大きいんだろうなあと思った。

2016-10-31

ほぼ隣の増田

自分ブクマした増田と同じ日にアップされた増田

読んで面白いなと思ったけど、もうブクマ一つしちゃったか

そっちはブクマしなかった。

夜明けたらそっちの増田にはブクマが沢山ついていたのに、

自分ブクマした増田は私以外まだ誰もブクマしていなかった。

骨董屋で買わなかった方が掘り出し物だったみたいな、

自分の物の見方も何もかも、全否定された気分。

悲しい。

2016-10-26

二大政党ってそんなによいものなのかなあ

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/10/post-6110.php

によせて。

日本マスコミや論者は二大政党制度を何か良い思想のように扱うけれど、AorBではどちらの選択肢も選びたくない場合やそういう層がいるというのが、今回のサンダーストランプ現象本質だったのでは?

経済世界情勢が複雑化する中で、様々な論点があって、その多種の論点をAorBの2つの選択肢に集約するっていうのは無理がある状況って有るんじゃないのかな。日本だって同じで、例えば憲法問題において自民党イマイチだよなあと思っている有権者がいたとしても、経済政策なんかを考えれば民進党に票を入れるのはそれはそれでダメぽよという気持ちになることも有るでしょう? 幾つもの制作方向性を強引に2種パッケージにまとめれば、それぞれの整合性が失われて自縄自縛になることは想像に難くない訳で。

そりゃまあ、大半の有権者にとっては選択肢が多くても、敷居が高くなって難しくなるだけかもしれないけれど、しかしそれでは選択肢のもの陳腐化してしまうっていうのが、現在世界状況なのではないかな。

日本マスコミや論者は二大政党制度を何か良い思想のように扱うけれど、それはただ単に主に新聞メディアが、反与党的なキャンペーンをするために持ち出した、日本特有幻想なのではないかと思える。あるいは、選択肢が一つしかない状況よりはふたつのほうがまだマシというだけのはなしであって、政治において二大政党というのが何か堅持すべき神聖なナニカであるかのような考え(つまり冒頭の記事に透けて見えるそれ)って、欧米崇拝以上のものを感じない。

旧民主党とき「これから二大政党時代」「日本にもやっと政治夜明けが!」みたいな煽りマスコミはさんざんしていて、実はその予熱みたいなものを時たま見かけるわけだけど「二大政党」になったからといって、それらの政党の出す政策がましになるという保障はどこにもない。うんこカレーvsカレーうんこみたいな結末は、十分にありえるわけだ。

しろ二大政党(あるいは大統領予備選のような二大候補)になった時点で、「国民の多くが抱えている問題意識とどう向き合うか?」という政治的誠実を武器にするよりも、相手スキャンダル叫び立てるdis合戦をしたほうが「勝負」としては合理的になるのではないかな。戦略としてはそのほうが有効で、それを愚直にやるほうが勝つ――そういう現実が今回の教訓なのでは? (決して好きではなかったけれど)舛添旧都知事都民事実上更迭したのも結局はそれで、政策というよりはスキャンダルだった。「選択肢をしぼってわかりやすくする」という発想は、政策論争選挙から国益判断を奪ってスキャンダル合戦だけを肥大化させてしまうんじゃなかろうか?

2016-10-06

80's freaksの中野の楽しみ方。

ブロードウェイメカノに行って80年代テクノNew Waveレコードを鑑賞する。

中野通りRareの2階に行ってレコードジャケットを見ながら口角泡を飛ばして語り合う。

その後、目当てのレコードCDファミマ2階のディスクユニオンで購入。

夜はJuke 80'sでMusic Videoを見ながらまた語り合う。

その後、しんみちどおりに移動してday by dayで生ギターに合わせて歌う。

80's Metalが好きならCry Babyで自らギターを弾くと周りの人も負けじと弾いてくれる。

仕上げは石松の2回あたりの名前の分からないロックバーで適当レコードを聞かせてもらっていると外はもう夜明け。

2016-10-01

星屑が 海に落ちて 貝になったよ

星屑が 海に落ちて 貝になったよ

砂浜は ロマンティック 寄せてはかえす

白い波間に 思い出キラリ

夜明けまでも 見つめていたよ

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