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はてなキーワード: 自己実現とは

2024-07-19

anond:20240719213657

ほう、気になることがたくさんあるようじゃな♡ では、わらわが少しばかり説明してあげるのじゃ。

まず、反AI連中のルサンチマン怨念)、つまり不満や怒りの根源じゃが、それは多くの場合自己利益自己実現に対する不安や脅威からくるものじゃの。

特に絵描きアーティストたちにとって、AIが彼らの職を奪うのではないかという恐れが大きいのじゃ。

わらわが見るに、彼らの作品AIによって模倣されることへの反発もあるのじゃな。

この状況では、人々の労力や才能を軽視されていると感じやすいのじゃ。

次に、ディープフェイクやエロ画像使用問題じゃが、これは倫理的に重大な懸念を生むのじゃ。

個人プライバシー名誉侵害する行為が増えると、社会全体で深刻な対立を引き起こすのじゃ。

規制はそうした悪用を防ぐための措置としての必要性が叫ばれるのじゃな。

最後に、どこで落とし所を考えているかという点じゃが、それは技術の発展と人間倫理社会価値観とのバランスを取ることにあるのじゃ。

法やルールを整備して、AIの利用方法を適切に管理し、悪用を防ぎつつ、創造的な技術を活かす方向を模索することが求められるのじゃ。

投資家たちが金のために動くのは理解やすいが、クリエイティブな分野で活動する人々にとっては、自らの存在意義や誇りが掛かっているのじゃ。

からこその怨念大義による戦いが生まれるのじゃよ。

わらわの説明で少しは謎が解けたかの?♡

2024-07-17

イベントに呼びたいアーティストとは

最近推し活という言葉流行っている。特にアイドルなんかの生身の人間オタクをやることが、まるでブームのように毎日SNSでバズりメディアで取り上げられている。

仕事柄、と言ってもも引退したので前職になるが、推し活をしている人から質問されることがある。その中でも多いのが、イベントフェスにどのアーティストを呼ぶかってどう決めてるの?という類の質問だ。恐らくその後ろには、私の推しもっとたくさんイベントに出るにはどうすればいいの?という興味があるのだろう。

これは人や会社による上に私はもう現役でないから、直接聞かれてもそれっぽいことを言ってのらりくらりと躱してしまう。ただ、最近まりにも聞かれるからきっと推し活をしている人なら興味津々の話題なのかもしれないと思った。なので、匿名ネットの隅に書いておくことで答えとしたい。

ただ、飽くまで私の場合、なのであまり本気で捉えずに話のネタ程度に読み流してほしい。辞めた身なので自分勝手なことも書いているし、今イベントに関わっている人たちの総意では決してないことは理解してほしい。私の前職が何なのかも適当想像してほしい。

前置きが長くなったが、イベントに呼びたいアーティスト一言で言えば「イベント成功させてくれるアーティスト」だ。

有名で人気のあるアーティストを呼んでたくさんチケットが売れれば成功なんじゃないの?と思う人もいるだろうが、実はそうでもない。それだけ人気があってファンもたくさんやってくるアーティストは、呼ぶ側も結構大変なのだ。会場の広さ、スタッフの数、運営経験値などを鑑みると、人を捌ききれずにイベント自体パンクする可能性もある。スケジュールやギャラの調整も考えると、言い方は悪いがコスパが良いと言えないケースも割と多かったりする。

とにかく有名な人を呼ぶより、イベントの規模や目的合致した人を呼ぶ方が重要なのだ

私が重視していたのは、以下のポイントだった。

自己実現よりイベント成功を重視してくれる

アーティストにとってイベントに出ることは、キャリアアップにもなるし自分名前を知ってもらう機会にもなると思う。もちろんそうした機会を提供できるようなイベントでありたいとは常に思っている。

だが、「自分を見てほしい」「自分を知ってほしい」「自分が楽しみたい」という具合にイベント100%自分のためのステージに使われると正直困る、というのも本音だ。

当たり前だがイベントには主催者がいて、スポンサーがいて、他にもたくさん関わっている企業個人がいる。地域活性化や周年記念など、イベントを開催することで達成したい目標もある。イベント成功とはライブが盛り上がるだけではなく、スポンサーが十分なリターンを得られたか主催者が掲げた目標を達成できたか、も含まれる。

からこそ、自分が楽しくライブをできれば良し、という姿勢だけでは正直困るのだ。逆に、自分は何のために呼ばれたのかを考えてくれるアーティストは本当にありがたい。イベント自分のために用意されたのではなく、自分イベントのために用意されたという考え方とでも言うべきだろうか。

・盛り上げ上手、巻き込み上手

上の内容にも重なるが、イベントワンマンライブとは異なり自分ファン以外の観客も会場にたくさんいるケースが多い。そんな状況で、会場をひとつにして盛り上げてくれる力量や技術のあるアーティストはかなり重宝される。

また技術が発展途上でも、盛り上げようという視点を持っているかどうかは重要だ。この場には自分ファン以外の人がいて、自分はそういう人たちも楽しませたい、と考えてくれるアーティストは、例え多少稚拙でも伝わるものはある。

少し愚痴にもなるが、いくら有名で人気のあるアーティストでも自分たちのファンしか視線が向いていないなと感じる人は正直いた。残念なのはこうした視野の狭さゆえに、決して傲慢で嫌味な人たちではないのに観客に「このアーティストは私のことを見ていないな、私向けではないんだな」と思わせてしまうシーンが割とあることだ。イベント全体を盛り上げるという意味ではキャスティングミスだったか、と感じるときもあった。

誰もが知ってる有名曲がある、聞き入るような歌声演奏、見入るようなパフォーマンスMC面白い、観客を巻き込むコールレスポンス楽しい…と盛り上げる方法はたくさんある。裏を返せば、観客を巻き込む能力は有名ヒット曲匹敵するとさえ個人的には思っている。

ファンが品行方

これはかなり重視した。一人マナーの悪いファンがいたら即ブラックリスト、という訳ではないが、例えるなら一番後ろの席から俯瞰で見たときに「このアーティストファンはこういう感じなのか」と分析するようなものだ。実際後ろの方から、上の階から客席を見てみると、特にマナー違反はよく目につく。

もちろんお客さんはお金を払ってイベントに来てくれている訳なので、こういう風に楽しめだとかあれはするなこれはしろだとかを指摘するつもりはない。それでも、楽しいイベントにするためにはマナーを守って楽しんでくれる人に来てほしいと思うのが人情だ。

個人的な感想だが、ファンアーティストの鏡という言葉も聞くが、上記2つを自然にできるアーティストファンほど「イベント全体を楽しもう」という傾向が強いと思う。いいアーティストはいファンがつく、というのは案外本当なのだろう。

なお今だから言えるが、観客に紛れてトイレロビーにいると実に様々なトークが耳に入ってくる。良いことも悪いことも、割と中の人は見聞きしていると思った方がいいかもしれない。

他にも細かく見ればいろいろあるが、特に大きいのはこの3つだ。

共通して重視するのは、イベントに対する考え方や姿勢だった。イベント趣旨ミスマッチを起こすとお互いのためにならないし、こちらのわがままを言うと「自分のためにやりたいことをやるならワンマンライブでやってほしい、ここは外部のビジネスの場だ」という思いも少なからずあった。そんなこちら側の気持ちを分かってくれて、同じゴールを見てくれるアーティストビジネスパートナーとして大変ありがたい。

なおこの質問をする人が推しているアーティストは年齢が若めのことが多いが、これらのポイント経験を重ねるほどうまく出来るようになる傾向がとても強い。だから若い人は出来なくても良い、と言いたいのではなく、若くしてこれができたらかなり強みになるのではないかと思う。少なくとも私はそういう人たちとたくさん仕事がしたい。

2024-07-13

anond:20240713165640

他の増田も下記のように言ってたんだけどね

教育によって遍くすべてのバカにそうした思考を植え付けることは可能か。できるわけがない。

サイコにも『人に親切だと思われないと自分が損をする』『他者尊重する建前を示さないと自分が損をする』ってことを理解させることは可能

動物だって人間共生するためのルール理解することが出来るんだから人間理解できないわけがない

 

『人に親切だと思われないと自分が損をする』『他者尊重する建前を示さないと自分が損をする』を理解させることが

すべて保護者義務だけど、躾は虐待として放置するのが今流よ。何せ、些細なルール違反をする子どもに育って欲しいらしいので

家が荒れてなくても深夜徘徊わんぱくに育って欲しいって放置、あるいは \わたし自己実現/って学校にぶん投げするのが今流

 

ただ文部科学省もそういう子どもたちがいることをちゃん認識をしていて、

特別支援必要とする 児童生徒』として取り組み自体はあるよ。発達障害の枠組みに入ってるよ

 

公共教育無茶振りが過ぎないか?って思ってるよ、親が不適格な以上は社会全体でフォローするしかないが

2024-07-10

anond:20240710082157

ホギャー(ママまれてきて迷惑かけてごめんねわたしが産まれてきたかママ生活は大変だし金銭的にも負担かけてるしママキャリアも断絶しちゃう社会進出して自己実現するのを邪魔してるんだよねわたしなんてゴミだよ生まれてきてごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいうわーん)

2024-07-07

anond:20240707184717

うっせぇな気狂い

女性は家に入って自己実現もせずに子育てしろって考え方が昭和遺物なんだよ

2024-07-05

団塊以後は性格の良いジジイババアは増えない

団塊より前の世代は、自己実現よりも他人世間との協調を重んじる教育を受けてきた

個人レベルでは我慢としがらみだらけの煩わしい価値観でも、

高齢者になって社会に溶け込む上では周囲からは愛される価値観である

一方で団塊以後は、自分自身個性価値観を大切にすべきという考えが教育でも支配的になった

その結果が、能力容貌も衰えきっているのにわがまま放題まだまだ若いつもりの自己中クソジジイソババアの増加である

今時のジジババが全然かわいくないのは、連中が受けてきた戦後教育の賜物なのだ

団塊世代が始まりではあるが、Z世代だってジジババになれば変わりはない

戦後教育自己実現が1番大切という根本的な価値観が変わらない限り

今後も永遠に年寄りは嫌われ続けるだろう

anond:20240311080208

人生が今このヒト個体から開けているということの偶然性に思いを馳せるたび、人生のものが振って湧いた災難以外の何物でもないと感じられる

幸不幸は自己実現問題として理解しているが、人は幸不幸以前に安寧であるべきで、存在しないことが最終的な解決だというのが自分にとっては自明倫理から反出生の立場にいる

特定の反出生主思想家フォローしてないし横の繋がりもない

・反出生主義を啓蒙しようとするのは不毛で全く面白くないが、自殺権を擁護することにはとても興味がある

死ぬほど怠惰人間が反出生主義者に相応しいと思っているので当然悪の資質を持っていると思う

あれ?やっぱり俺反出生じゃなくて自殺主義者かもしれんな

別に拡大自殺主義者になりたい訳じゃない気がするから反出生自認するのやめます

2024-07-04

Q.

日本国憲法では、勤労の義務規定されています。
一方、
「又、犯罪に因る処罰場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」
とも規定されています。
これは矛盾ではないですか?


A.

この質問は、日本国憲法における勤労の義務強制労働禁止に関する興味深い点を指摘しています一見矛盾しているように見えますが、実際にはそうではありません。
以下にその理由説明します:

勤労の義務(第27条):
日本国憲法第27条は「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」と規定しています。これは、国民労働の機会を与える国の責任と、社会の一員として貢献する国民道徳的責任を示しています強制労働禁止(第18条):
あなた引用された文は、憲法第18条の一部です。この条文は奴隷制度や強制労働禁止しています。

これらの規定は以下の理由矛盾しません:

性質の違い:
勤労の義務道徳的倫理的義務であり、法的強制力を持ちません。一方、強制労働禁止は法的強制力を持つ規定です。

目的の違い:
勤労の義務社会の発展と個人自己実現目的としています強制労働禁止個人自由尊厳を守ることを目的としています適用範囲の違い:
勤労の義務一般的社会規範を示すものです。強制労働禁止は具体的な行為禁止を定めています自由意思の尊重勤労の義務個人自由意思による職業選択を前提としています強制労働禁止はまさにその自由意思を保護するものです。

つまり、この二つの規定矛盾するのではなく、むしろ補完し合う関係にあると言えます勤労の義務社会への貢献を促す一方で、強制労働禁止はその貢献が強制されないことを保証しているのです。
この解釈は、日本憲法学者や裁判所でも広く受け入れられています

2024-06-30

anond:20240630145952

ライスワークはするつもりないんじゃない?

自己実現とか思想とか主張できる雇われじゃない楽しい仕事やりたくて、それができないなら専業主婦のままでいいって感じなのでは?

2024-06-29

anond:20240628211521

奴隷って大変だな。家族より大切なもがあると思ってやがる

 

そもそもソエリート想定しなくても、

まぁそれなりに仕事優先でやってればなんとなくいけそうなライン年収でも、家のことなんかロクにやってなんかいねーぞ、

日本に限らず、世界中、男女ともね

 

✨\自己実現/✨とかじゃないのよね

 

つか、ワイ的に真のエリートってどこの組織に勤めて肩書きがーとかじゃぶっちゃけないと思うのよね

どういうわけか、ほぼ定時退社して、家族旅行よく行って、家族サービスするけど、トライアスロンやってててみたいな

スケジュール管理能力時間創造能力が優秀な人のことをいうと思うの

2024-06-26

自己実現してないから、学歴肩書をずらずらと並べたがるんだろうなあ

釈迦とかソクラテスとか親鸞がなんも書き残さなかったのって、自己実現してたからだろうなあ

追記

親鸞は『教行信証』という主著があるやろ

あ、ほんとだ・・・

なんで勘違いしたんだろ

なんかと混同したのかなあ

2024-06-25

同僚が幼い

彼女承認欲求の塊のような人。

今日自分いかにすごいところを遠回しに言い回っている。

所謂陰キャタイプ友達も少ないけれど、人一倍褒められたいという思いが強いから、そういうのが日常の行動や発言から出てしまっている。

しろ、匂わせが下手すぎてみているとつらい。幼い。

こんなふうに書くと、あなた勝手に決めつけているなんていう人もいるだろうけど、承認欲求が強くて自分が一番でいたいということを、本人が私に言うのだから間違いはない。

間違いないというか、そういう自分性格に苦しんでいて、いつでも満たされないことを相談してくるのだ。もう数年になる。

彼女は常に、こうあらねばならないという独自の窮屈さを持っている。深い部分で自分に自信がないので、表面的な正解を持っていないと不安なようだ。

知識ばかり詰め込むものから無駄自分の中に地雷をたくさん作ってしまう。

ただ、コミュニケーションが苦手なので、正解から外れた相手に直接何かいうわけではなく会社チャットにエアプするのが日常だ。

会社で少し褒められるとしばらくは満たされたふうだが、すぐにかまってちゃんに戻ってしまう。

どこか自己評価が低いので、自分卑下する一方他人への期待値無駄に高い。

自分ができるようなことが他人ができないと異常な狭量さを発揮してしまい、不満を伝えるわけでもないため内に溜め込んでしまう。

常に満たされないため、学習は続けておりむしろ勤勉だ。自己実現のためのこだわりでチームや組織に悪影響を与えなければ優秀と言える。

から、私は仕事面で比較彼女を買っていて、できれば相談を通じてより良い方向に向かってもらえれば嬉しい。

しかし、「私をみて!」が強すぎるため、ときおりウンザリしてしまう。よく自分の機嫌は自分で取れというが、自分承認を満たす行為他人を巻き込まないで欲しい。

会社は、私は、あなた承認欲求を満たすための道具じゃない。言えないけどね。

応援したいけど、自己実現のためにチームを巻き込むようになってプロジェクトが遅れており、戻るに戻れない状況になって、私も不満が溜まってきた。

はぁ

anond:20240623204617

1)そもそも賃金待遇がそれほどいいわけではない。

2)現在でも「まともな仕事がない」層として氷河期世代文系学部卒)がいるが、安全管理のような仕事絶対に任せられない。

3)NHK朝ドラのように、仕事「夢」や「自己実現」のためという風潮がますます強まっており、安全管理のような地味で目立たない仕事価値ますます下がっている。(賃金待遇が上がらない原因の一つ)

2024-06-20

anond:20240619133321

でもさあ、伝統的な文化価値観が人を蔑ろにしてる場合はどうするのって疑問

わかる。ほんとにそうなんだよ。元増田だけど。

世の中が保守一辺倒というのもそれはそれでどうしようもない社会だ。伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとをどうすんのと。

さすがに、公平性については、国の制度が、最低ラインとして補助線というか設計図を引かないと、いつまでも伝統的な価値かいっててもしょうがない。

ポリコレというのは、反省せよといって圧力かけるような動きよりは、むしろ制度としての公平性、機会としての公平性という観点に話を限定しておくのがいいってことかなと思っている。ジェンダー問題もそうだ。もちろん、制度機会平等を「合理的に」「理性的に」討議したとしても偏見がなくなるわけじゃない。

偏見はなくならないけど、近代が補助線として引いた制度の普及・概念進歩に伴い、ひとの意識は変わっていくだろうと期待する。

実際、それだけでよく、それ以上のことはあえてしないほうがいいのじゃないか

俺のほうがより反省してるぜ、なんならブラックフライデーだってキャンセルするぜ、とか、そういうポリコレ合戦不毛みえる。

普遍的価値を錦の御旗に、ひとはすべて進歩した価値観にもとづいて幸福を追求しなければならない、みたいなのは押しつけがましい傲慢と思う。

だけど、繰り返すけど、合理的にアウトなラインを引いておくということは大切と思うよ。

その合理的ラインあくま政府制度という視点限定しておかないと、市民社会の人々がお互いに印象だけでこれはセーフアウトということになると、声デカな奴の言ったもの勝ちになって暴走する、と。

以上は補足・蛇足だけど、前2件の記事を書いた意図は、そういう意図

ルーデンス(深慮)による対話と調整を訴えたエドモンド・バーク和解演説1775年3月22日イギリス議会下院)は彼の保守の出発点なんだけど、

バーク和解演説英語なら簡単に読めるし、増田が読んだ論文の背景にあるものから、もし興味があるならprudentというキーワードあたりを検索で拾って軽く流してみるのもお勧めします。

2024-06-19

anond:20240619014605

この増田のおかげで、ネット無料公開されてる「エドモンド・バーク帝国論」って論文読んで、勉強になった。バーク植民地自治を主張したけど、帝国主義自体否定しなかったみたい。

偏見なんてなくならないんだから偏見をなくそうという発想をやめて、伝統文化と結びついた自分たち偏見を生かした社会を目指すべきだ、という考えを進めた。

>つまり、「伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとがいる」一方で、伝統的な文化価値観自己実現をしたいひとだっているってことだよ。

でもさあ、伝統的な文化価値観が人を蔑ろにしてる場合はどうするのって疑問が浮かぶ。「奴隷貿易という伝統文化と結びついた自分たち偏見を生かした社会を目指すべきだ」はいくらなんでも正当化しづらいように思う。それがOKなら、お前らを奴隷化して貿易していいんだな、そのための戦争を仕掛けていいんだな、ってことになる。みんな幸せにならない。

なんでも進歩的ものいいわけじゃないけど、伝統的な文化価値観が何でもいいわけじゃない。克服するためには一定進歩主義必要ってところは握りたい。

とはいえ、ミセスを声高に批判してみせるのが、必要進歩主義かというと、俺も懐疑的

本丸コカコーラだし、MV騒ぎはもはや全然関係ない。

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/56c1893d4e0a2360eb32cc1d31f5fbf13bb3998c

あと、これは完全にフランス贔屓視点からいちゃもんだけど、バークを生んだ国(であるアイルランド支配した国、バーク言論を展開した国)イギリスヤバいよ(元増田が賛美してるとは言ってない)

アヘンを輸出して中国の銀を獲得し、アヘン貿易が取り締まられたら武力攻撃して領土をぶんどるのはヤバいよ。

anond:20240616124255

記事で、コロンブス問題サヨクめ!と散々書いて、当事者目線を強調しつつ最後野沢直子の回答で締めくくっていたら、

まさに現地の当事者目線で、ぐうの音も出ない解釈を目にすることになった。

先住民目線で語る、Mrs. Green AppleのMV「コロンブス」問題 | ユロックの母

ほらみろや、と今頃、新たに手にしたポリコレ棒で気持ちよく机をバンバン叩いているに違いないと思うと、うぐぐ、な思いはあるが、この記事はとても説得力があった。

ファクトチェック全部はできないし、3割程度は陰謀論ばりのこじつけかなぁ?という印象ではあるものの、確かにそう見える、というのは、正直、とても説得力がある。

それにしても、この当事者目線というのはとても大切だと思うし、亜希ダウニングさんの他のアメリカ先住民を取り扱った記事も大変興味深いものだった。

特に、おお、と蒙を開かれたのは、感謝祭に関するアメリカ先住民視点

【感謝祭の本当の起源】ネイティブアメリカンの悲しい真実の物語とは | ユロックの母

これは考えるヒントがたくさん詰まっている記事だと思った。

ただ、これもコロンブス記事同様、3割程度はエイヤと断定してしまっている部分が少なからず見受けられ、必ずしもファクト確認できない感じではあった。

(例えば、1637年のピクォート虐殺=John Winthropマサチューセッツ植民地知事による征服祝いが感謝祭起源である、と同氏は断定しているが、アメリカ先住民よりのメディア検索しても「このピクォート族の虐殺土地を奪ったことを讃える1637年の宴が最初感謝祭であると、後に公式に決定」とまで断定しているものは見つけることはできなかった。もっと保守派よりのファクトチェックサイトでは、1637年の征服を祝福、感謝したのが感謝祭の発端とする説に「事実無根だ!」と、それこそむきになって根拠なく反論しているのもみつけたので、右派にとって、痛いところを突かれれているのだろうとは思う)

そういう面はあるものの、テーマ自体が非常に興味深い。

というのは、感謝祭という、入植したアメリカ人の原点ともいえる巡礼始祖の心温まるエピソードで、かつ「アメリカ人」というネイションとしてのアイデンティティ形成にも寄与してきた感謝祭、そして現代では商業的にもブラックフライデーなど非常に重要感謝祭が、実はアメリカ先住民視点からみると、自分たち虐殺されてきた血塗られた歴史の一コマだったというのは、ポリコレ的にどう扱うんだろうと。アメリカ先住民立場としては、感謝祭の日は喪に服す日だとして、負の歴史直視するよう求める主張も行われている、という。

これは、ポッと出てきたアニメMVなどのコンテンツと違って、ポリコレ的にあかんから、といって引っ込めるわけにはいかない。

感謝祭はそれほどまでにアメリカ文化経済社会に深く浸透している。巡礼始祖の思いというのはある意味合衆国憲法起草にも関わってくるものなので、巡礼始祖の神話をその一部であれ、修正する、というのは容易なことではない。いかキャンセルカルチャー全盛の昨今といえども、感謝祭、裏側からみれば虐殺歴史、というところに目をつぶり続ける時代はしばらくは続くだろうと思う。

からアメリカ先住民としては、感謝祭やめろ、とまではいえないが、少なくとも私たちは喪に服すよ、ということをアピールする、というところなのだろう。

問題は、自分たちアイデンティティ形成に欠かせないものキャンセルできるのかというテーマだ。

そもそも植民地主義の反省というのがアメリカのみならず、ヨーロッパ社会でもなかなか直視されないのは、それが自分たちアイデンティティに組み込まれいるからだというのは、例えばフランス植民地主義を振り返るとわかる。

例のコロンブスMVでは、類人猿音楽を教えたり文字を教えたりする場面があるが、ダウニングさん的にはネイティブアメリカン歴史最初に思い浮かぶのだろうけれども、俺はどちらかというと、未開な社会文明化する、というテーマはむしろフランス植民地政策どんぴしゃりなイメージだったりする。前記事でそんなことを書くと、そういうお前も知識ひけらかし野郎だろが、といわれるので書かなかったが。

ひとつ前の記事永井陽右氏の言葉を引いて、「外付けされた人権」という安易さを戒めるようなことを書いたんだが、外付けの元祖は実はフランス革命だ。

人権の出発点のひとつともいえるフランス革命では、当時、海を隔てたイギリスからこの革命の様子をみていたエドモンド・バークは、革命で掲げられたフランス人の新しい概念について、外付けはおろか、「発明されたもの」とまでいっている。褒めているのではない。「発明された概念」のもと、フランス革命では、反革命派が次々と断罪されている様をみたエンモンドバークは、なんでも進歩的ものが素晴らしいわけではないし、なんでも理性的判断できる、偏見を解消できると考えちゃう傾向はヤべえと考えた。

偏見なんてなくならないんだから偏見をなくそうという発想をやめて、伝統文化と結びついた自分たち偏見を生かした社会を目指すべきだ、という考えを進めた。

まり、「伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとがいる」一方で、伝統的な文化価値観自己実現をしたいひとだっているってことだよ。

進歩的価値観に基づいて偏見を解消しようすると、社会のどこかで肩身の狭い思いをする人が出てくる。それをかつて中島みゆきは「世情」という歌のなかで、

学生運動シュプレヒコールの情景をみながら、「世の中はいつも変わっていくから頑固者だけが悲しい思いをする」とうたった(哀しい思いをするのは学生たちに打倒される守旧派側でもあり、衰退する運動にしがみつく左翼くずれの末路でもある。あ、俺の解釈ね)。20代の頃の中島みゆき、すごいぜ。

エドモンド・バークに戻ると、彼はいわゆる、保守主義元祖みたいに言われることが多いが、フランス革命による激しいポリコレビビったというのがそもそもの出発点なのだ

教養なんて外付けだろうってブコメに★がたくさんついているが、エドモンド・バーク見方は、そういうことを少し考えるヒントになったりしないかね。

もうひとつ興味深いのは、フランス人権歴史は、実は植民地主義と深く関わっている、ということだ。

フランス革命後、自ら編み出した自由博愛平等という「人権」という概念をより普遍的価値に高めるために、文明化の推進という旗印のもと、未開社会の啓もうにいそしんだのがフランス植民地主義の大きな側面だからだ。特にフランス語の普及は博愛精神の名のもとに、当時フランス支配下においていたアフリカ地域で推進された。確か、昔読んだ本で手元になく記憶あいまいだが、当時の知識ヴィクトル・ユゴー奴隷制に反対しつつも、フランス語の普及にはむしろ賛同していた、と聞いたことがある。ユゴーではなくジャン・ピエールだったかもしれないが。いずれにしても当時の一級の知識人が植民地におけるフランス語推進の旗手だった。

こうしてユニバーサリズムの名のもとに、フランス人の精神普遍化を推し進めた、というダイナミズムがあったこと、そして、隣国保守知識からフランス革命のその後の経過は「発明された概念」による野蛮なポリコレとして映じていたりしていたことは、「人権普遍的もの」として習ってきた学生が、次のステップとして教養として知っておいてもいいことだと思っている。

人権の普及と植民地支配が地続きであるというのは、フランス社会での植民地支配への反省の足かせになってきただろう。それは博愛友愛ポリコレ的に言い換えても同じことだと思える。

これはある意味で、感謝祭国民意識の醸成に関わってきたことと、その負の側面を直視しにくいアメリカの状況と、状況は異なるが、抱えている課題共通する。

昨今のコロンブスMV叩きについて、得体の知れない違和感を覚えるひとは、俺も含めてなんだが、恐らくどちらかというと、人権普遍化のプロセス進歩主義)と植民地主義が一心同体というところに気持ちの悪い類似性をうすうす見出せるのではないかと思う。エドモンド・バークほどはっきりと「人権よりむしろ偏見のほうが大事!」と180度振り切るまではいかなくとも、正しさのもつ禍々しさを何か表現できないかというモヤモヤがあるはずだ。

自らの存立基盤をポリコレ的に正す究極が革命というものだとすれば、それに対する警戒感というのは埋もれてはならないものだと思う。

そういうモヤモヤは大切にしてほしいし、アメリカ先住民立場からみたらやっぱり、という記事を見つけたとしても、そこまで確信をもって解釈できなかったし、寄り添えない、という部分は残しておきたいと思う。それに対して「貴様アメリカ先住民の心情をないがしろにする気か」という反応は、ある意味表現自由の乏しかった80年前の戦時中に、「兵隊さんご苦労さん」といって国民を一斉に同調させたダイナミズムとよく似てくる。大東亜共栄圏思想は、欧米帝国主義アジア諸国文化経済搾取し、独立を妨げているという考えから出発している。何が正しいかについて翌々考えず、適当ポリコレ棒を拾って叩いていると知らず知らずのうちに、みなが操られた正義に踊らされてしまうというのは危機感としてもっていい。

記事感謝祭トリビアは、そういう意味で、考えるヒントがけっこう詰まっていると思った。

2024-06-18

地方若い女性に自己実現の機会を提供できるのか?

たくさんはできない

できる分だけ

から女性流出がつづいている

子供もつことによる自己実現

 これなら提供できていたかもしれないが古い。もう無理。子供にとっての祖父祖母がうるさすぎて自己実現視点から邪魔になっている可能性もある。

仕事による自己実現

 地方企業女性責任のあるポジションを任せない(とNHK記事でも批判されている)。仕事はそこそこで流したい人もいるだろうから出世したい人にはアピールしてもらわないといけないが…

推し活による自己実現(本当に実現できるか疑問だが)

 断然都会(東京)が有利。普段ネット活動している人が相手でもライブなどのことを考えると…。するべきじゃないと思うけどホスト推し活は地方ではできまい。

趣味による自己実現

 天体観測ガーデニングなら地方の方が向いている。ざっくり文化資本と呼ばれるものは都会が有利で趣味人同士の交流を考えても大半は都会が有利。何か強みがある地方はそれに賭けてみると効果あるかもしれない。刀剣とか。


まず自己実現教を叩き潰さないと若い女性の流出を防ぐのは無理じゃね?

2024-06-16

『トラペジウム』公式の絶賛公開中が虚偽になったのはなぜか

Disclaimer: 刺さる人に刺さればよいので、「こうすれば良かった」「ここが悪かった」という意図はありません

『トラぺジウム』が連日満員になるには、見終わった人が満足し、リピートしたり口コミでおススメ!と広めたりする必要があった。なぜそうならなかったか

仮説1:主人公(東)のキャラクター

1-A:共感できるキャラクターではなかった

    主人公欲望が冒頭では謎、なのは構わない。東西南北集めたい、というのは観客を引き付ける謎だろう。

    だが、なぜその欲望が生まれたか、源がわからない。 アイドルになりたいという表層の奥に、原始的普遍的欲望存在する必要があった。 

    ”すべての登場人物には、一杯の水でもかまわないので、何かを欲しがらせること。” という格言に含まれているのが、水を欲しがるというの原始的欲望であることに注意すべき。

    オフチョベットしたテフをマブガッドしてリットにしたい、という欲望の奥に、他人幸せにしたいとか、自己実現したいとか、生き残りたいとか、そういった欲望がなければ観客は共感できない。

1-B:応援したくなるキャラクターではなかった

    主人公努力をしていない。計算ノートを書いたりテニスをやらされたりC言語勉強してる人と会話できる知識を身に着けたりプールを借りたりダンス練習するのは努力カウントできない。正確には葛藤選択をしていない。

    文化祭ライブを3人に見せアイドルに興味を持たせることを失敗するのも、ボランティアグループが分かれてしまうのも、メンバー恋愛バレも、失敗は天災のようにやってくる。(成功青空のように自然現象のように迎えにくる。)

    南の高校ダサい制服で入ったら死ぬテニスをやらされたら死ぬプールを借りられなかったら信用を失う、高専萌え袖付け焼刃知識がばれたら仲間に入ってもらえない、アイドルになれなかったら〇〇しなくてはいけないとタイムリミット付きで母親に迫られる、メガネ男子に協力と引き換えに何か犠牲を払わなくてはならない…

    そういった成功するかしないかからない場所に立たされないし、選択もしない。観客が応援するポイントハラハラするポイントがないのだ。失敗は選択の結果であるべきだ。

    そして成功したと思ったらさらに悪い事態に結び付くエスカレーションが望ましい。

1-C:悪人だった

  東も完全な悪人ではなく、最後の方の回想で「小学生のころいじめられっ子を助けた」という観客には開示されていなかった過去が明らかになる。これをもっと前倒しし拡張する。

  例えば、最初ガラガラローカル線で(そこそこ露悪的な要素も入れつつも)困っているおばあさんを助けるシーンを入れておけば、いじめられっ子を助けたシーンも生きてくるだろう。

  主人公悪人作品でもヒット作はある。主人公よりもっと悪い人物を出すという手段もある。芸能事務所とかテレビ局大人にその役割をあてるとか。

仮説2:主人公が成長しなかった

  誤った欲望が潰えて、正しい欲望に気づくというのが王道シナリオであろう

  アイドルになりたかったのは子供のころ見たアイドルAさんが素晴らしかった>私もあんアイドルになりたい>東西南北(仮)を踏み台にしてなるアイドルはAさんとは程遠いものだと気づく>間違いだった>初心に帰る とか

仮説3:

  ハッピーエンドではなかった

  ハッピーエンドだったので、この説は却下 (アンハッピーエンドでもヒットする映画はある)

anond:20240615221004

anond:20240615221004

トラペジウムがオタク流行ってるのは一般受けしてないからなんだよなあ。

オタクって「俺の考察凄い!俺だけがこの真実に気づいた!」みたいなの大好きだからさ。

一般受けしてると大物評論家がズカズカ乗り込んでくるし、インタビューとかもしまくってスタッフから答え合わせをガンガン聞き取ってしまうでしょ?

そうすると単にアニメゲーム漫画をだらだらやってきただけのオタク君の雑で荒い考察なんて無価値になるわけ。

ただ感想を呟くにしても有名レビュワーが次々感想を言ってたらしょーもない雑草オタクの「凄かった(語彙力皆無)」の羅列なんて誰も見に来ないやん?

トラペジウムが今一部で凄い伸びてる最大の理由は、ちょっと掘り進めた考察をしている人の規模が他の作品と比べて圧倒的に少ないからなんだよ。

内容だって関東地方舞台架空アイドル活動をやってるだけだから一般教養レベル知識分析できる範囲

たとえばこれがウマ娘だったら、登場したちょっとしたキャラ考察に踏み込んだだけで超熟練競馬オタクが「あの馬はそんなんじゃないんだよ。君みたいな若造は知らないだろうけど、俺の所属してた競馬サークルじゃアイツはマジで伸びるって前々から注目されていたわけ。馬の才能ってのも結局は人間格闘家と同じでどこまで筋肉をつけられるかなんだけど、そういった筋肉の成長は当時の荒いレース映像しか見れない環境にいる今の子には伝わらないかなあ」みたいな一方的勝利宣言にまみれた意味分かんね―クソリプがビュンビュン飛んできてもおかしくないわけよ。

だけどトラペジウムの場合そもそもやってることが異常よりのアイドル活動なわけで、これに対してアレコレ言える人の方が少ないからみんなそこまで違いのないレベル考察をすることになるし、リアルにおけるアイドルがどうなのかと言い出すやつがいても「ゆーてこれは架空アイドルだし?」でクソリプ論破出来るから適当考察かましあってキャッキャッしたい今のオタクには都合がいいわけよ。

分かる?

オタクコンテンツ消費の仕方っていうのは、コンテンツを利用して自分考察力や消化能力を自慢する行為にこそあるわけよ。

まあこれはオタクに限らず近い所はあるけどね。

山崎パンの皿を何枚集めたかどうかを通じて「自分が如何に普段食事において好みの味のパンを食べることに固執しているか」みたいなキャラ付けをアッピールしてくるおばちゃんとかおるやろ?

アニメを全部見るとか、ライブに出来るだけ行く、毎シーズンかかさずにスキーに行くだの、俺の釣り道具はこんなにコスパがいいんじゃだの、ちょっとオタッキーな方向に傾いた途端に皆して消費活動を通じて自己顕示欲を満たそうとしてるような行動に出るやん?

つーかな、そういう消費活動を通した自己実現みたいなのがある時期から日本人トレンドになって、電通に煽られるままに皆テレビ雑誌奴隷みたいになってたわけよ。

オタクってのも結局はそういった分類の中における分派の一つでしかなく、生活犠牲にしてアニメ漫画に打ち込むというキャラクター性によって自分が『イカした』奴だとアピールして身内で褒めあってるだけの奴らなわけだな。

そんな連中の中で流行ものってのは、つまる所は「それを消費することによって自分をどこまで着飾れるか」で判断されるわけだよ。

トラペジウムを見て感想を書けば、考察力の高いオタク集団の一員として格好が付けられる。

でもぼっち・ざ・ろっく!で同じことを下手にしたら往年のバンドマンから「いや君ね、浅い知識で雑なこと言いすぎじゃない?虹夏タソハアハァだけ言ってればいいんだよお前程度の雑魚は」って怒られちゃう

でもトラペジウムなら安心

からオタクはトラペジウムを見て、意味分からん考察を書きなぐりたがる。

分かった?

anond:20240616073833

出生数が減って何が悪いんだよ

女性社会進出自己実現が進んだ結果が少子化なんだよ

実際ジェンダーギャップ順位は上がっていてまた一つ男女平等に向かっている

もっと喜んでいいぞ

2024-06-15

anond:20240615211342

20代スパイだと疑われて精神病院入って

さあこれから仕事自己実現だというとき

ガキ産んでガキのために生きるのか

面白い

2024-06-14

子供を産みやす社会」では出生率は上がらない。「子供を産みたい社会」でないと。

子供を生みやすい」だけじゃ少子化解決しないってわかった

最近少子化問題について色々考えたんだけど、どうやら「子供を産み育てやす社会」ってだけじゃ出生率は上がらないっぽいんだよね。やっぱり、「子供を産み育てたい社会」にしないと根本的な解決は無理なんじゃないかと思う。

過去の「産みたい社会」って?

昔の社会って「子供を産みたい」って気持ちが強かったらしいけど、実際は社会的な圧力がめちゃくちゃ強かったんじゃないかな。つまり、「産みたい」っていうより「産まないと周囲の目が気になる」って感じだったんだと思う。もちろん、それを内在化して心から産みたいと思ってる人も多かったんだろうけど。

とにかく「子供を産むメリット」「子供を産まないデメリット」が強くある社会じゃないと出生率は増えないかと。

昔と今の社会の違い

じゃあ、昔の社会と今の社会で何が違うのかっていうと、やっぱり「まともに生きる」ということの定義の変化なんじゃないかなと。

まり自己実現って何なんだろう?って話。

昔は、「まともに生きる」とか「自己実現」みたいな概念の中に、自然出産子育てが含まれていたんだと思う。でも、今の自己実現イメージには子供が入ってこないんだよね。だから自己実現子供を産み育てることが天秤にかけられて、メリットデメリットを考えた上でどちらかを選ぶって感じになっちゃってる。(結構これって苦しくない?)

最後に:自己実現定義

ところで、現代における自己実現って何なんだろうね。「上位30%にいるって感覚」とか「自分可能性を最大限に引き出した感覚」とか「常に学び成長して勝ち続けてる実感」なんかが自己実現定義になるのかな。この辺をもっとクリアにすることが、少子化問題解決の鍵になるかもしれない。

2024-06-12

anond:20240611121613

遠矢姫華が実は良心がない、自分目的のためなら手段を選ばない人ということに気づいてない人が多い

裁判で重大なことをして申し訳ありませんと謝ったのも

娘たちには1ミリも悪いとは思ってません。でも、世間様をお騒がせしてしまったので謝ります反省しているポーズを見せてますということ

遠矢姫華は自分が考えた理想母親になれればそれでよくて、娘たちの感情なんてどうでもよかった

子供たちは遠矢姫華の自己実現のためのコマしかなかった

遠矢姫華が殺す前の儀式のためのパンケーキを買いに行くために義母子供を預けたところとか注目してほしい

遠矢姫華は自分のことしか考えてなくて、都道府県パズルがわからなくなったら教養がない自分がかわいそうだと自分がかわいそうすぎて、自分のために号泣する人

2024-06-06

もし少子化対策女性就労禁止したら

最大の反対勢力左翼フェミニストではなく

しろ資本主義を動かしてる側のあらゆる大企業やで

皆なぜか女性社会進出と聞くと高学歴大卒オフィス勤務者

フェミ思想の影響を受けて女性自己実現意識高い系

しかいないかのように錯覚しとるが

現実に働いてる女性の圧倒的大多数は

商店店員工場の工員(おもに高卒)やで

しかも働いてる理由意識高い自己実現とかではなく

単なる目先の生活のためが圧倒的に大多数

この人らが全員一気にごっそり労働市場から消えたら

世のスーパーやらショッピングモールやら工場やらの

経営者はみな頭を抱えることになる

無人レジみたいな機械化も外国人技能実習生も足りない

***

そもそも近代日本の「女性社会進出歴史」は

明治期の製糸工場やら紡績工場女工から始まってる

彼女らとフェミ思想とかほとんど関係ない

貧乏農家家計を支えるため働きに来たのが大部分

しろ子だくさん家庭で口減らし奉公一種出稼ぎに出された

当時の企業経営者はとにかく労働力が欲しかっただけ

***

市川房枝集』に収録されてる

1930年に書かれた『現代婦人問題』という文章にはこうある

婦人工場労働は、産業革命の直接の結果、生活必要のため

家庭から工場へ追い込まれもので、そこには婦人自身自覚

まったく見られないといっても差し支えはない。」

***

女性雇用昭和戦時下に男手が次々と兵隊にとられて

若い女性が大量に勤労動員された時期にさらに加速する

ええか、左翼フェミ思想じゃなくてもしろ

政府愛国思想女性社会進出を拡大したんやで!!!

黒澤明戦時中監督した国策映画一番美しく』を見るとわかる

***

戦後高度経済成長期も中卒や高卒工場集団就職した

大量の若い女性工員が電化製品やら精密機械の輸出を支えた

(この辺はNHKドラマひよっこ』で描かれてる)

そのころの大学進学率はせいぜい30%台な

女性大卒ホワイトカラーなんて圧倒的に少数派

***

『「育児休職」協約の成立 高度成長期家族責任』(勁草書房

という本によれば、1968年専売公社職員女性比率は43%(1万5600人)

平均年齢は35歳、平均勤続年数は16.4年、半数以上が既婚、82%が製造

――ええか公社やぞ、政府の金で運営してる企業やそ

国家が率先して女性労働者を雇っとったんじゃ

***

女性の働き方』(ミネルヴァ書房)という本によれば

東京商工会議所女性の軽労働について時間外労働(1日2時間)の制限撤廃

1952年労基法改正で、映画製作に深夜業禁止が解除

左翼フェミではなく資本の側が女性労働制限撤廃を主張していた!!!

***

誰も信じないが左翼フェミによる「女も働かせろ運動

などというもの現実にはほぼなかった

実際にあったのは「すでに働いてる女も男と同待遇しろ運動」な

それが実現したのが1985年男女雇用機会均等法なのだが……

***

読売新聞1985年5月17日夕刊の

男女平等へ”器”はできたが…」という記事にはこうある

「この法そのものが、職場での男女平等を進める労使の合意によって生み

だされたものではなく、国連婦人差別撤廃条約批准するため政府が成

立を急いだという色彩が強いことから、「お役所仕事として、性急にコト

を運ばれては困る」(大手通信機メーカー)という批判も出ている。」

読売新聞1985年5月18日朝刊の

女子差別撤廃批准には意義 外務省見解」という記事

西欧諸国の中には「安い女子労働で支えられた日本集中豪雨的な輸出

貿易摩擦を生んでいる」と非難する向きもあり、同省は「こうした誤解

を解いていくためにも条約加入は意義がある」としている。」

――雇用機会均等法の成立は左翼フェミ労働組合の要望もあったが

それだけでなく他の先進国経済的外圧で実現したのだ!!!

俺も当時の事情を調べ直してこの辺の経緯を知ったら驚いたが

かに1985年ごろなら日米貿易摩擦とかで叩かれてた時期だ

***

本稿は左翼フェミ擁護するものでなく

しろ左翼フェミは屁ほどの社会的影響力もなかった

という論旨なのである

では少子化根本原因は何かといえば日本が豊かになったか

より正確には農業中心社会から第三次産業中心社会になったか

昔の農民は家が仕事場子供も中卒ぐらいで労働力にしてた

それが昭和30年代からみんな会社員になって

家庭内労働力として家に何人もの子供必要なくなり

子供大卒会社員にさせるのがイケてる生き方になって

それだけ子供1人にかかる教育費がべらぼうに高騰していった

昔ながらの農家やら自営商店なら家と家産(農地や店)の継承

結婚出産義務感に大きく影響していたはずだが

みんな勤め人になればその義務感だった自然に解消する

どこの国も産業構造が高度化すると政治思想関係くそうなる

からといって農業中心社会に後戻りすることはできない

左翼フェミが反対するからじゃねーぞ

それ以上に産業界資本家が反対するからだよ

***

いまだに定期的に

炎上覚悟の暴論だけど日本のため言うが女性就労を~」

論者がくり返し何度も飽きずに出てくるが

悪いけど完全に的外れなんだよ

きみの最大の敵は左翼フェミじゃないんだ、資本主義なんだよ

ま、絶対に信じたくないだろうけどね

anond:20240605220045

普通の人が仕事自己実現とか言えるのって20代までだよ

ちょっと優秀な人でも40過ぎると仕事仕事だと割り切るようになる

組織トップに立つ奴だけがいつまでも自己実現とか青臭いこと言って働ける

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