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はてなキーワード: 心臓とは

2023-06-05

anond:20230604120419

HIKAKINYouTubeの大物で、そのエネルギッシュな人柄とユーモラスなコンテンツで有名ですが、彼のスタイルは全ての人にとって受け入れられるものではありません。彼の過剰なパフォーマンスは一部の視聴者にとっては騒々しいと感じられるかもしれません。また、彼の影響力を懸念する人もいますHIKAKIN子供たちに影響を与え、商品紹介を通じて消費文化を推進しているという意見もあるのです。

ラーメンはその味や多様性で有名ですが、健康的な食事を推奨する人々からは、ラーメンは高カロリーで高塩分食事と見なされ、その消費を避けるべきだと言われます。また、化学物質保存料が含まれているインスタントラーメンに対する反対の声もあります

チョコレートは甘くておいしいと思う人が多いですが、一部の人々はそれが高カロリーであり、過度な摂取肥満糖尿病を引き起こす可能性があると主張します。また、環境労働者権利擁護する人々は、カカオ生産における公正な労働権の問題森林破壊を指摘することもあります

おにぎりシンプルで便利な食事選択肢ですが、その保存料添加物の多さに関して疑問を持つ人々もいます。また、一部の人々は、おにぎりが白米を主成分としているために、栄養バランスに欠けると指摘します。

水: 水は生命の源であり、当然ながら嫌う人はほとんどいません。しかし、一部の人々は特定ブランドボトルウォーターに対して疑問を持っていますプラスチック製品使用環境への影響、または価格が高いことを理由に不満を持つことがあります

地球: 地球自体を嫌う人はまずいませんが、人間地球に与えている影響については多くの意見があります環境破壊資源の乱用、気候変動など、地球への人間の影響に対する懸念がある人々は多いです。

月について反対の意見を持つ人はあまりいませんが、月探査や宇宙旅行には多くの賛否があります一部の人々はこれらのプロジェクト費用がかかりすぎると主張し、それらの資金地球上の問題解決に使うべきだと主張します。

"ちいかわ"は日本流行語で、小さくてかわいいものを指します。しかし、この流行に反対する人々は、ちいかわのブーム物質主義を奨励し、一時的な魅力に価値を見出す浅はかさを示していると考えています

猫は愛らしく、多くの人々に愛されていますが、一部の人々は猫アレルギー野良猫問題により、猫に否定的意見を持っていることがあります

100均店は安価で便利な商品提供しますが、一部の人々はそれが廉価労働や低品質商品奨励し、過度の消費を助長していると主張します。

麦茶日本の夏の定番ですが、一部の人々はその特有の風味が好きではないと感じています。また、カフェインを含まないため、眠気を覚まさないという理由で飲まない人もいます

塩は料理の風味を引き立てますが、一部の人々はその摂取が高血圧心臓病のリスクを高めると考えています

空気のものを嫌う人はいませんが、空気質については多くの意見があります一部の人々は大気汚染二酸化炭素排出量の増加による気候変動に懸念を表明しています

2023-06-04

anond:20230604121344

身近な人にそういった体験があったからこそ変わったんでしょうが、良い会社ですね。

本来はどの会社もそうあるべきで、個人レベルでもそうあるべきでしょうね。

  

私の親は猛烈なテレビ信者ワクチン信者でした。

そのため自分でも4回打って、親戚にも猛烈に布教して4回打たせてました。

  

そしたら、親は白血球の量が半減して、今でも毎週病院通い。

親戚は心臓血栓ができて、それが脳に刺さって脳梗塞で一生入院の身となりました。

  

それ以来、親は大人しくなりましたが、ワクチン機序理解できてない人が、安直ワクチン接種を他人に薦めてしまうのは本当に危険なことですね。

2023-06-03

犬が亡くなった日の日記

家族として暮らしていた柴犬が死んだ。

17歳と8ヶ月の犬生は大往生と言えると思う。

一昨日に体調を崩して、昨日は少し持ち直した。

今朝、母に抱かれて外の空気を吸い、多分そのまま旅立ったのだと思う。

家に戻ってきて様子を見たらもう呼吸も心臓も止まっていたらしい。

私は実家から1時間弱の場所暮らしていて、弟から死んじゃったみたい、と連絡を受けた。

本当は昨晩実家に帰るつもりだった。大雨で帰るのは今日に延期した。

犬と最後にふれあったのはゴールデンウィークが明ける前の土曜日だった。

犬は1年前くらいから歩くのが下手になり、半年はひとりで立ち上がることもできない状態だった。

でも噛む力だけは衰えず、老衰で力加減を忘れた分、若いときよりずっと危険だと家族と笑いあった。

いつだかシルバーバングルに不意に噛み付いて、傷を付けていた。

外につれていくと歩こうと前脚を動かすので、四足歩行体制になるように支えて歩かせた。

人間の方がよほど疲れると母と笑いあった。

犬は数年前に腫瘍が見つかっていて、視覚嗅覚は衰えていた。

それでも老犬なりに動けないなりに、それなりに元気な老後だったと思う。

とにかく牛乳が好きな犬だった。

犬に牛乳はあまりよくないというのを知った頃には牛乳が大好きな犬になっていた。

老いからは犬用の粉ミルクに切り替えていたけれど、それまで我が家冷蔵庫牛乳を消費しているのはほぼ犬だった。

煮干しの頭が嫌いだった。

頭だけ器用に残して食べていたので、一時期我が家リビングには煮干しの頭が転がっていた。

鮎を貰って大喜びしていた。

近所のおじさんに冷凍した小さな鮎をよく貰って、人間より良いものを食べているなと笑った。

さつま芋が好きだった。

人間食べ物にあまり興味を示さなかったが、焼き芋干し芋だけは盛んにアピールをして食べていた。

抱っこが嫌いだった。

抱き上げると器用に身をよじり、脱出する様子はうなぎのようだった。

個人主義者だった、と思う。

我が家人間はそれぞれ好きなことを自分のスペースでやるタイプで、犬もそんな感じだった。

好きにしていて、人間が集まったタイミングで犬も参加してきた。

甘噛が直らなかった。

さなかった。塩対応の犬だったが、人間帰宅した時は甘噛で出迎えた。それがうれしかった。

お手とおかわりと両手タッチと待てはできた。伏せはおぼえなかった。

テレビの前の机の下が定位置だった。

老いからはよく母の後をついてまわっていた。

目がよく見えなくなったとき家中の隙間や椅子に挟まって助けを呼んでいた。

風呂場や台所玄関で寝こけていた。

夏の暑い日は、縁側の下に潜り込んで寝ていた。

雷や花火の音に怯えて家中をウロウロしていた。

シャンプー大嫌いで普段はあまり鳴かないのに大鳴きしていた。

よく額の毛に指を突っ込まれて穴模様を作られていた。

ブラッシングも嫌いで特に後ろ脚はよく怒っていた。

換毛期に顔に謎の模様が浮き上がることがあった。

はっきり模様が出たときは、近所の住民にこどものイタズラでペンで書いたものだと思われていたらしい。

キツネみたいな顔だった。

たまに顔がまんまるになっていた。

濃茶色の毛並みなのに、背中は焦げたみたいに毛の先端が黒かった。

しっぽの先端も黒かった。

額と耳の、濃茶色の短い毛がいちばんやわらかくてふわふわの毛並みだった。

から腹は白い長めの毛で、綿花みたいだった。

散歩に行くとたまに雑草をかじっていた。

犬に会うと尻の匂いを嗅ぎに行くのに嗅がれるのは嫌がって飛び退いていた。

犬よりも人間のほうが好きみたいだった。

亀に恐る恐るちょっかいを出し、猫には負けていたがよく猫を探していた。

そういえば散歩中、我が家の犬と同名の犬に会ったのを思い出した。

黒と茶色マーブルの同じくらいの体格の犬。まだ元気かな。

歩くのが下手になってからはよく側溝に落ちかけていた。

散歩で遠くまで歩けなくなっても、家の周りのパトロールは入念に行っていた。

近所の仲の良かった犬たちの中では最も長生きをした。

しばらく前に亡くなったボクサー犬の飼い主が、お供えと言っておやつを持ってきてくれた。

祖父祖母も顔を見に来てくれていた。

今日は犬の思い出を探して、家族みんな写真グループラインで共有していた。

古いカメラ携帯を引っ張り出してデータサルベージしては、思い出を語り合った。

家族は、午前のうちに気持ちを整理したようだった。さっぱりと涙を流して、

写真を見て笑い合って、腐敗を遅らせるために保冷剤を添えた犬に声を掛け、やっぱりたまに泣いた。

今、リビングに安置されている犬のそばにいるのではなく、日記を書いているのは、

犬がまだこの家にいるうちに自分記憶を書き出さないと駄目な気がしたからだ。

犬は明日には灰なって、もうこの家には帰ってこない。

冷たい犬の額を撫でるたび、その事実が脳に布を掛けるような涙になる。

私は犬のいる家が好きだった。

母と父がリビングで寛いでいて、二人の弟はそれぞれの部屋で遊んでいて、たまに降りてきて会話を交わす。

そして犬は定位置か母の近くで寝ていて、起きたときには、チャカチャカとフローリングを爪ではじく軽快な音を響かせる。

この光景永遠になれと願った。この家族の揃った家が私の永遠だった。

もう犬の魂はこの家を離れて、明日には身体も無くなってしまう。

今朝、犬は母に連れられて雨上がりの空気を吸い、少し地面に触れて、再び母に抱えられた。

そうして自分の足が動くことに気が付いて、母の腕を離れ、軽快に力いっぱい走って、虹の橋を渡っていったのだと夢想する。

自由に走ることができて大喜びだっただろう。遊びに誘うような笑顔で振り向いてくれただろうか。

犬の友達は向こうにいるし、もとよりひとりでいても困らない性格から心配はいらない。

不自由な肉体から解放された犬を明るい顔で見送る家族

私も、この別れは限りなく良いかたちだと思っている。

それでも私は、もっとこの家にいてほしかった。ずっといてほしかった。

家族はもう気持ちを整理できたようだった。水をさしたくないので、

この日記を書きながらひとり部屋で泣いている。私の永遠が終わってしまった。

ずっといてほしかった。ずっと5人と1匹の家族でいたかった。

別れたくないのに引き留められる場所にはもういない。いたって私には手段がない。

納得しているのに受け入れがたい。

去らないでほしい。ずっとリビングにいて、家族みんなに呼びかけられていてほしい。

犬が夜鳴きして、私ひとりが起きてきた夜のことを思い出す。

ずっと記憶にある思い出。

玄関腰掛けふたりで月を見た夜。

あの月を見たときは、犬と会話ができていたような気がしている。

意思の疎通ではなくて、おもいをひとつにするとか、そういう感じの。

もういない。

大嫌いな八月に恋をする


昔のことに整理がついた。いつもお世話になっているはてなで語りたい。

ちょっと長くなるけどごめん。ピュア気持ちが赤裸々に表現されているなんてことはないので安心してほしい。若かりし頃の日記を見ながら書いている。

かつては花の高校生だった。今はすっかりアラサーが身に付いている。

地元の小中学校卒業してからは、家からキロほど離れた高校に通っていた。進学理由は、そう、友達三人がその高校を志望していたから。制服もかわいかった。だから私も志望した。今思えばその程度の理由だけど、自分には大事なことだった。

偏差値が高い学校ではなくて、みんな専門学校かに行く感じの、ごく平凡な高校だった。同じクラス大学に進んだ子は5人もいない。そんな中で、晴れて高校生になった私は、コンビニアルバイトに挑戦することにした。同じクラス女子アルバイトをしている子は少なかった。早く大人になりたかったのもある。

七月の始めだった。近所のセブンイレブンに応募した。夏は暑くて元気が出ないから嫌いで、新しいことを始めたくはなかった。けど、上の友達の一人がどうしても同じお店がいい!! というので、一緒に挑んでみることにした。

60才ほどのお爺さんがオーナーで、二人一緒に面接を受けたのを憶えている。パイプ椅子に座って面接を受けた。それで、志望動機を聞かれて、私は「社会勉強したいです」と言った。お小遣いが欲しかったのが本当だけど、別に嘘はついていない。

友達のMちゃんは、「タウンページを見て応募しました!!」と言っていた。「タウンワークのこと?」とオーナーに問い返されて、隣の部屋の大学生達が大笑いしていた。ほかにも同じくらいの時期にアルバイトで入った子達がいた。



八月頃だった。働いていて、ある男性に気が付いたのは。

その人は、がっしりした体形で、作業服を着ていた。あまり汚れはない。夏頃は薄い緑の作業服で、冬になると白い作業服の下からワイシャツネクタイが覗いていた(作業服の下にワイシャツを着ている人がいるよね。わかるかな…? 建設コンサルタントみたいな)。黒いカバンを持っていて、手のひら大のキイロイトリストラップひとつ付いていた。

ある時だった。その人のレジを受けたのが何度目かの時だ。私がいるレジの前に来た時、「こんにちは」と声をかけてきた。その時、私はどうすればいいかからなかった。ひとまず「こんにちは」と返して、何点かの食料品バーコードを読み取っていった。

レジ袋を渡す際、少しだけ手が触れた。変な感じがして手を引っ込めた。

その後も、その人は週に1,2回は私のいるレジに来た。その度に、「こんにちは」や「こんばんは」と挨拶をする。私は黙ってることにしていた。挨拶は返さない。マニュアルにないのもあるけど、なんだか変な感じがした。

ほかのアルバイトの子は、みんな「落ち着いてる」とか「男らしい」とか言っていて、でも私にはわからなかった。嫌な人じゃないとは思っていた。

その人のことをMちゃんに話してみた。すると、Mちゃんも同じように挨拶されているとのこと。そういう人みたいだった。彼女は、ちゃんと男の人に挨拶を返していた。何度か見たことがある。Mちゃんと一緒のシフトになることは珍しかったけど、作業服男性(当時の苗字を取ってKさんにする)に「こんにちは」と挨拶されると、「こんにちはー!!」と元気に返していた。

Mちゃんは人気があった。はつらつとしたキャラクターの子だった。30才になった今でもかわいい。異性にモテる子で、小柄で明るくて元気だった。不細工ではない。本当にいい子だった。



八月の終わり頃だった。生まれて初めて美容院に行った。当時実家には、両親と私と弟がいたんだけど、毎回千円カットだった。弟はスポーツ刈りで、私は簡単なボブカットだった。Mちゃん小学校の時から美容院に連れて行ってもらっていて、うらやましいと思っていた。

で、私も晴れて、初めてもらったお給料美容院に行ってみた。当時の私は物を知らない子だった。美容院にかかる料金も知らなかった。恥ずかしくて友達に聞くこともできなかった……。

入口では綺麗な人がこっちに来て、「初めてですか?」と聞かれた。緊張しながら「カットお願いします。ブローなしで」と言った。Mちゃん受け売りだった。「シャンプーしますか?」と問い返されたので、「お願いします」と伝えた。

こうして私は、まるで違う人になったみたいなショートヘアを手に入れた。料金はシャンプー込みで五千円だった。

それで、次の土曜の昼にコンビニレジをしているとKさんがやってきた。彼の順番がくると、「ん!?」という声が店内に響いた(はずだ。さすがに記憶あいまい)。ちょっとびっくりした。

増田さん、髪切った?」

どうしようかと思った。まだ、親以外の誰からコメントをもらっていない。なんだか怖くなって、「はい……切りました」って小さい声で答えた。そうしたら、

「似合ってるね!!」

と、Kさんは言うのだ。自信満々の目つきで。

あの頃は、Kさん特殊な人だと思っていた。まだ16年しか生きてなかったけど、彼のような人を見たことはなかった。でもその時、理由がわかった気がした。彼を特殊だと感じた理由が。

瞳だ。力強かった。当時、私と同じクラス男子はもちろん、周りの大人や、教師でさえあんな瞳の人はいなかった。Kさん目力ダントツだった。

ありがとうございます…」

途切れ途切れだったと思う。恥ずかしいけど、嬉しかった。レジの中で私は小さくなっていた。心臓の音が大きくなってきて、震える手でKさんが選んだ商品を読み込んでいた。お釣りを返す時に、緊張のあまり10円玉を床に落としてしまった。急いで拾って、拭くのも忘れて返した。



土日のどちらかで、Kさん接客をすることが多かった。

別に、その人に会うためでは全くない。そんなことは全然ない。ただ、雇用契約書を交わす時のオーナーとの約束で、「平日は2日と、土日のどちらかにシフトに入る。お盆正月シフトに入る。試験間中休み」という約束を守っていただけ。

月に何度か、Kさんは話しかけてきた。他愛のない話で、10秒くらいで終わる。ほかの話しかけてくる男の人と違って、こちらが返しやすい問いかけや、共感を呼びかける言葉が多かった(雨が多いね、名札が曲がってる、ゴキブリ死体が落ちてる、会計金額が2000円ぴったりとか)。

和やかな日々が続いていた。学校勉強は難しくなかった。偏差値が高くないところだった。風紀が乱れているとか、そういうことはなかったけど。制服を着崩す人は少ないし、部活動をやってる人もたくさんいた。女の子可愛い、ということで有名な広島県東部公立高校だった。思い出話が多くなってごめん。こんな時しか話せる機会がないので許してほしい。

その年の冬だった。放課後にMちゃんから相談を受けた。夕日が教室を照らしている時間帯で、ほんのりとまぶしかった。Mちゃんと一緒にやっている文化部活動が終わった後だった。彼女自分の机に座っていて、私は自分椅子をそこに移動させていた。

Mちゃんカバンの中から取り出したのは、手紙だった。薄い青色封筒だったと記憶している。小さい便せん2枚に渡って手紙が添えられていた。

「これ、あの人からもらった」

とMちゃんが言った。Kさんのことだ。話を聞くと、一昨日の夜にKさんコンビニに買い物に来て、帰り際にMちゃんに渡したという。それで、Mちゃんは受け取った。

もやもやとしていた。何かが燃える感じが、ぶすぶすと胸の奥から込み上げてくる。あの時、私の表情は歪んでいたかもしれない。へんな感情だった。心臓から血管へと、血液が流れ出ている感じがわかって、心臓から流れ出たその血が体の中を巡っていった。そういう感覚があった。

増田さん。これどうすればいい?」

「あー、はいはい。うん。すごいね。知らんよ。好きにすれば」

気持ち言葉で表すとこうなった。

そのまま席を立って、教室を出て、靴箱まで下りるところの階段で涙が込み上げてきた。別にKさんのことが好きなわけじゃなかった。当時、私に「付き合ってよ」と告白してくる男子もいた。Kさんはただのお客さんだった。何の感情もない。本当だ。

今思うと、わかる。女として負けたのだ。Mちゃんに。だから気分がもやもやした。当時は「女としての負け」という考え方はなかった。でも、心の中で感じていたのは、まさにそれだった。

コンビニを休むようになった。それまでは試験間中しか休んでなかったけど、行く気がしなくなっていた。休んでいる間は、別に普通だった。学校は楽しかったし、部活は週に二回しかなかったし、それ以外の日はまっすぐ家に帰っていたし、稼いで貯めたお金好きな音楽漫画雑誌に使っていた。

美容院には通い続けていた。三ヶ月に一度。何度もお風呂で髪を洗っていると、セットしてもらった髪がシワシワになる。そうなったら行くことにしていた。周りのおしゃれな子に合わせて、大人の女性が読むような本も買った。



高二の梅雨時だった。Mちゃんコンビニを辞めると聞いたのは。マクドで、同じ中学出身のみんなで騒いでいる時にMちゃんがそんなことを言った。別に理由はないらしい。

そんなことはないはずだ。だって、冬頃からMちゃんは太りだしていた。以前はスラっとしてこぢんまりしていたのに、今ではすっかり丸くなっていた。お腹が出ていて、制服を着ていても目立つ。以前はハムスターだったのに、今はチンチラだった。

Mちゃんが「オーナーが困ってるよ」と私に言った。ほかにも欠員が出て苦しいらしい。もう何ヶ月も休んだし、そろそろ出てみることにした。

Kさんは、やっぱり週に何度か来店していた。冷凍食品ホットスナック炭酸水ビールを買っていく。最初は「久しぶりだね」と聞いてきたので、「はいお久しぶりです!」と作り笑いを返した。

昨年入った高校生は、みんな辞めていた。先輩の大学生やパートさんに聞いてみたけど、そんなものらしい。オーナーは「働くという行為に耐性がつく子が少ない」「もっと楽なアルバイトを探す子も多い」と愚痴をこぼしていた。

それからKさんと話す頻度が増えていった。前よりも話すのが楽しくなっていた。Mちゃんが辞めて気分が楽になったのも正直ある。

その夏だった。一度、ファッションカラーというのをしてみたかった。夏休み限定で。完全に金髪にするんじゃなくて、線状にスッと部分的に染めるのをしてみたかった。

馴染みになった美容院に行って、当時流行っていたロングヘアの横髪の方に金色ラインを入れるのをやってもらった。後ろの毛先もちょっと染めた。

次の日、コンビニレジを受けているとKさんが入ってきた。土曜日で、ジーンズTシャツラフな格好だった気がする。

増田さん、今日どうしたの。金色じゃん」

はい。変えました」

「うん、うん。変わってるね」

「どーですか?」

「似合ってるね!」

この時、息がしにくくなって、左手を前に出して2,3回すばやく振った。小さい声で会計金額を告げて、お札を受け取って釣銭を取ろうとしたところで、また落としてしまった。お釣りを拾う時、休日だったので当たり前だけど、Kさんカバンを持ってないことに気が付いた。キイロイトリ(リラックマ…)のストラップを思い浮かべて彼の前に立った。

Mちゃん気持ちがわかったかもしれなかった。何も言わずにお釣りを返した。Kさんはほんのり笑っていた。2023年の今と違ってマスクをしていない。朗らかな笑顔だった。懐かしい。

でも、怖い時もあった。同じ年のことだったけど、私は中年のお客さんに怒られていた。声が聞き取りにくくて、タバコ選びに二度も失敗したからだ。Kさんレジの三番目に並ぼうとしていた。

ずっと怒られ続けていて、ようやく終わるかと思ったけど、やっぱりまだ続いていた。すると、Kさんが割って入ってきた。「すいません。あと二名ほど並んでるんですが」とフォローしてくれた。

でも、その中年のお客さんはキレてしまった。「兄さんは関係なかろうが。おい!!」とヒートアップしてた。「関係あるでしょ」とKさんが返していた。

かに店員もいなくて、話のやり合い(ほとんど平行線)が続いている中、いきなりだった。Kさんが「あぁ!!?」と怒鳴ったのだ。彼はおじさんにこんなことを言っていた。

「さっきからお前、つまらんことをグチグチグチグチと……俺はのう、お前に手を出そうとするんを、ずっと我慢しとるんやぞ!!」

「……兄さん警察呼ぶよ」

「呼べ!!」

「……」

おじさんが退散すると、Kさんバツが悪そうにしていた。ほかの子応援に来たので、私は向こうのレジに行った。



もうすぐ高3になる頃だった。変化があったのは。

Kさん手紙をもらった。夜9時くらいで、お客さんもほかの店員も誰もいなかった。会計を終えた後で、「増田さん、増田さん」と声をかけてきて、カバンの中から手紙を取り出した。

何も言わずに受け取って、家に帰って読んでみた。以下内容。

増田さんはよく動いていてすごいと思う

・どんな人なのか知りたい、食事に行きたい

・今年中に引っ越すのでその前に

・興味があるならメールがほしい

・興味がない場合は返信はいらない

当時は彼氏がいた。初めての彼氏だった。同じ学校で、お調子タイプ男子だった。

そこまで好きではなかったけど、告白されて悪い気はしなかったし、嫌な人でもないから付き合っていた。クラスの中でも悪い立ち位置の子じゃなかったのもある。

ある夜、その彼氏Kさんとを心の中で比べてみた。別に、どちらがいいとか結論は出なかった。いや、見た目も中味もKさん圧勝なんだけど、今の彼を嫌いにはなれなかった。それで、交際中の人がいる以上は、Kさんに何も答えない方がいいなって思った。

もし仮にKさんと会ってみて、一緒にご飯を食べて、もし仮に告白とかされて、付き合いはじめたとしても・・・・・・すぐにフラれるだろうなって、ベッドの中で思った。

Kさん雰囲気が優しそうで、見た目も悪くない人だった。ほかのアルバイトの子も皆格好いいって言ってた。自分相手にされない、付き合ってもすぐに幻滅されると思った。



高3に上がってからも、これまでどおりKさんとの関係が続いた。私のいるレジに並んで、たまに会話をする。天気の話が多かった。あとは、私のメイクとか、髪型とかが変わった時は気づいてくれた。ほかのお客さんがいない時に限って会話をしていた(迷惑になるから?)。

当時、高校を出た後の進路は美容専門学校を考えていた。そこまで大した志じゃない。高校入学した頃は、見た目が『じゃが芋』だった私も、メイクファッションを覚えてだいぶましになっていた。『メインクーン』になっていた。

自分でいうのはどうかと思うけど、本当に私は変わったのだ。高1の時の写真と高3の時の写真を比べると、じゃが芋から進化した存在になっていた。別人みたいだった。

その年の秋になると、第一志望の専門学校に入るために、コンビニの隣にある地域集会所で毎日勉強していた。いつも親が仕事帰りに迎えにきてくれる。当然Kさんと会うことはできず、悶々とした気分になった。

入学試験ちょっと前だった。集会所を出て、お腹がすいていてコンビニに何かを買いに行こうとしていた。すると、ちょうどKさんがお店から出てきたところだった。自転車に乗ろうとしていて、コンビニ駐車場に入った私を呼び止めた。

お疲れ様です」と声をかけてきて、私も「お疲れ様です」と返した。「今日寒いね」には、「本当寒いですね」と返した。「元気そうでよかった」には、「はいめっちゃ元気です!」と返した。泣きそうだった。嬉しかった。

その時、Kさんが「増田さん。俺、今日最後なんだ」と手短かに言った。「今週末に引っ越す。今日コンビニ最後から。じゃあ、元気で」と、Kさん自転車に乗った。

私が「こちらこそ、ありがとうございました」って言うと、「増田さんはい社会人になると思う。もし、大人になってどこかで会うことがあったら何か奢る。約束な」って、自転車に乗って私の家とは反対方向に駆けていった。



あれから十年以上が経った。今は結婚二年目で、生活に慣れてきた頃だ。子どもはまだいない。そろそろ社会人として復帰しようかと考えている。コンビニで働こうか、それとも昔いた会社契約社員ポジションを探そうか思案している。

実は、あの別れの日から数年後にKさんに会うことがあった。当時の私は、美容専門学校卒業した後、都会の方で美容とは関係のない仕事に就いていた。求人情報誌への掲載営業で、とある喫茶店に出入りしてたんだけど、ある日そこでKさんサンドイッチを食べているのを見た。その時は、作業服じゃなくてスーツだった。後日聞いたところだと、会社からの出向で政令指定都市に赴任しているとのこと。

お久しぶりです。元気でした?」と声をかけてみたけど、Kさんちょっと悩んだ様子だった。かくいう私もメイクが濃すぎたし、髪も長くなっていたから、気づくのに時間がかかったみたいだ。向こうも驚いてたっけ。やっぱり優しそうな雰囲気で、笑顔がまぶしかった。あの日約束どおり、後日ご飯をおごってもらった。

この日記を書こうと思ったきっかけは、早朝に旦那を送り出した後で、昔の自分を思い出したからだ。玄関で、旦那カバンに付いているぬいぐるみストラップを眺めていて、思うところがあった。

とりとめのない内容だったけど、以上になる。最後まで読んでくれた方がいたらうれしいな。

2023-06-02

子供は産まなくてもよかったを読んで、匿名の逃げ場に駆け込んだ

子供は産まなくてもよかった、というブログを見て、自分気持ちも書いてみよーと思ってアカウント作って書いている。あの記事原動力があったんだなーと思う。だいたいのことに共感した。あの記事を書いた人はけっこうすてきな保護者なんじゃないかとおもってる。とても疲れている人。ゆっくり休めるところで良いサービスを受けてほしいなとおもう。

自分には答えが出せない。産まない世界線自分のすきなことに時間を使えて楽しかったろうな。一方で子供がいる状態の今、いなくなった状態のことを考えると、悲しくて苦しくなる。不可逆ってゾッとする。

妊娠する前は子供欲しいかどうか決められなかった。積極的に産みたい気持ちはないけど、絶対産まない、とは言い切れない、みたいな。中間地点にいて、年齢を重ねるとともに、女の役割って、みたいな呪いにかかって、苦しんでいるうちに妊娠した。社会的にけっこう非常識タイミングだった。社会からはじき出される…とか思って冷や汗でた。でもそんな非常識さを受け止めてくれる環境であったことは救いだった。

コンドーム避妊率低いことを知らなかった。コンビニに低用量ピルとか置いて避妊率○%!とかシールつけて刷り込んだほうがいい。自分で調べる知識もなかった。性について話す友達もいなくて雰囲気全然わかんなかった、妊娠が及ぼす自分への影響をまったく知らなかった。)

で、おろす勇気がなかった。豆みたいな影から心臓の音聞こえて、おろす=ころすだと思ってしまった。たぶんこれにはいろんな解釈があって、どんな解釈もその人なりの選択だとおもうけど。自分場合はそう感じた。

それから先は、眼の前のことだけしか見えてなくて、産むしか選択肢が考えられなかった。とにかく子育てって何かわかんないまま産むって決めた。産むって決めたっていうより、ころせない、が近いかも。自己犠牲に憧れているところもあった。無痛にしたりとか、立会出産にしたりとか、何かを選ぶたびに親とか、おばあちゃんとか、道を歩く人達とかの言葉ネガティブに拾ってしまう。すっごいストレス。急にみんなマウント取ってくるし、見られ方が変わる。(男でよかったね、女なら次は男産まなきゃね、無痛なんてありがたみがわからいからやめなさい、私が産んだときはうんぬんかんぬん…妊婦ってエロいよねって、大学生くらいの男がコソコソ言ってる、妊婦って気使わなきゃいけないかダルい、って会社で思われてるかもなどなどなど)大好きな嗜好品制限したり、ご飯食べれなかったり、常にお腹はち切れそうだったり、不安で上手く寝れなかったり。それでもころせないか我慢した。この精神状態が、ホルモンバランスのせいなのか性格環境のせいなのかはわからないけど、とにかくあの気持ちで暮らす10ヶ月をもう一回やるのは結構度胸いる。産休もっと早く始まっていいと思ったよ。安定期とかに限らず、早めに休めたら気持ち楽だったかも。無痛にしてよかったけど、麻酔するまで特大の生理痛ある。知らんかった。痛いって言うしかできない。産んだあと入院中どう過ごしたいですか?的なヒアリングがあったけど(どう過ごしたい・・?え?あ、、わからん)ってなって、気づいたら母子同室になってた。貧血でふらふらのなか泣き声にどうにか対処して、自分しんどいとき看護師さんが赤ちゃんケアをしてくれる病院システムをよく知らないで、入院1週間の母乳だのミルクだの、え?寝不足で頭まわらないんだが…

誰かスーパーサポートしてくれる人来て、全部聞いといて、、、って思った。全然わかんない、、って弱音吐いたら産休中なにしてたの?え、産休ってやっぱりたまひよとか読み込んでおく期間だったの?普通に社会から放り出された気分だったから将来が心配FP勉強とかしてた…(これはしてよかった)

電車バスでしんどかったときに、当たり前のように席を譲ってくれた学生たちや、さりげなく体調を気遣ってカバーしてくれる大人たちのあったかさも知っているし、今はその時よりいろいろと理解が進んで、周りが見えてきている。しかしそれでも、またやれって、頼まれても、できないって言いたいと思うのは、やっぱ環境が不健全なんだろうな…

自分が苦しむのわかりきってるので、絶対に阻止したい。

話は戻るけど、子供と関わるとき、めんどくさいな〜、つかれるな〜って感情が先立つ、っていうのにも共感した。

幼児だけど、ルールが3つ以上ある遊びはできないから、大人にとってはすごく単純な遊びを2時間繰り返してる。それを床でやってる。こっちとしては10遊んだら飽きるし、腰痛いし、床に座ってる状態から立ち上がると立ちくらみする。それをおくびにも出さずに子供笑顔を向けたり、いちいちリアクションする。幼児が本当に飽きるまで付き合ったら過労死するんじゃないだろうか。イライラする原因で思い当たるのは、「単純な作業を同じルールで何度も繰り返す」「同じ言葉を繰り返し大きな声で言う、ずっと」「ぐずってみたものの、終わらせ方がわからなくて眠くなってきて更に機嫌が悪くなってギャン泣き」みたいなところ。意思の疎通ができると思って接すると、このあたりに「は?何言ってる?」となる。意思の疎通はできないものとおもってとにかく耐え忍ぶ。自分のための時間が削られていく。ああ〜

こうやって保護者っていうのは耐久値のレベルばっかり上がっていって、狂気的な育児を誰に助けを借りなくてもできるようになっていく…これ親からは、何甘えてんのよ〜って言われてます。甘えてはだめなのか。

これから先成人までの残り期間を疲れながら、麻痺しながら、なんとか続けていくんだと思う。カレンダーに、「母の気持ち優先する日」「父の気持ち優先する日」「子供気持ち優先する日」とか割り当ててバランス保っていけばいいだろうか…決めたら逆に守れなかったとき更にストレスになるだろうか…やっぱアマゾンエコーのでっかいやつほしいかもな…試行錯誤なんだな考え続けるんだな、答えは出ない、正解はない

2023-05-31

Twitterで見かけるたびに心臓まりそうになる人がいて、もうほんとにTwitterやめる潮時だな

心臓がギューってなった

ナステのツナガロッタのJP玉一つも入らなくてイライラしてスマホなげたら電源ボタン押しちゃって

改めてつけたら通常ゲーム一回目でトロッコのやつあと1個でゴールドラッシュ行けたのにベッドしてないか無効になって次賭けたら入らなくて失効した

マジでイラついて頭殴ったあと心臓がギュってなった

初めて

死ぬかもしれん

2023-05-30

anond:20230530210858

https://www.philips.co.jp/a-w/about/news/archive/standard/about/blogs/healthcare/20210602-aed-usage-rate.html

日本には、約62万台のAEDが設置してあると推定されており、日本世界でも有数のAED保有国と言われていますしかし、実際にAED使用されているのは2019年1年間では1,311

5年で5千件くらいですかね

ちなみに、音声指示とか通常の心臓圧迫で助かってるのはのぞく

AED電気ショックだけのカウントですよ

救命法講習にいきましょう。

カリスマ医のアリエッティ

泥棒なんかじゃありません!カリスマ医です!」

カリスマ医は人間に見つかっちゃいけないの」

「お前の初めての獲物(親知らず)をお母さんに見せてあげなさい」

アリエッティ、君は僕の心臓の一部を治してくれた。忘れないよ、ずっと」

2023-05-29

レズなんだけど、祖母病気らしい

 私はレズだ。自分レズだということは小学生の時から薄々気がついていて、何年もかけて咀嚼して受け入れてきた。今更そのことを常時悲観して過ごしているなんてことはない。

 冒頭にこのような文を置いたのはこの話に欠かせないことだからで、決してマイノリティであるということを見せびらかしたい(?)訳ではないということをご理解いただきたい。

 年齢は伏せるが、私は今実家を出て一人暮らしをしている。家族との関係は悪くはないが、とても仲がいいという程でもなく、実家の猫の様子を見せてもらうために定期的に通話をするくらいの関係で落ち着いている。先日その通話で、祖母心臓病らしいということを告げられた。手術をすればまだ生きていられるとか、祖母はそういう状態になっていたらしい。私は自分から祖母と連絡を取ろうとしていなかったため、そのことを全く知らなかった。親が祖母病気を知らせてきたのは、きっと私から祖母に連絡をし、元気付けて欲しいという意図が込められていたのだと思う。しかし、私はまだ祖母に連絡を取ることができていない。

 私が幼い時、私と祖母との関係は良好だった。祖母は私のことを可愛がってくれ、遊びに来るたびに色々なところへ連れてってくれたし、小学校運動会も毎年見にきてくれていた。私ももちろん祖母のことが好きであり、祖母が帰ろうとするたびに駄々をこねたりもしていた。

 しかし、自分レズであるということに気がつき、1番そのことに悩んでいた中学生の時だった。その日も数ヶ月に一度祖母が遊びに来る日だった。祖母テレビをつけると、NHKだったか、当時はそれほど取り上げられることのなかった性的マイノリティ特集がやっていた。そこではレズビアンのカップルインタビューが放映されていた。私はその番組が見たかった。自分が将来なるかもしれない姿だったからだ。だが、それを見て、祖母は「気持ち悪い」と言った。衝撃だった。自分を愛してくれていると思っていた祖母が、自分の持つ属性全否定したのだから当然だと思う。当時の私はその出来事にひどく傷つき、そこから私は段々祖母のことを避けるようになった。勉強で忙しいから、とか理由をつけて祖母が来ても部屋に篭ったり、一人暮らしを始めてからバイト理由祖母の家への帰省を断ったりしていた。そうして祖母との関わりが薄くなった今、病気のことを知ったのだ。

 祖母は古い時代人間からそういう価値観が染みついているということは理解できる。私のような性的マイノリティ気持ち悪いという感情を持つ方は他にもいると思うし、そのこと自体否定はしない。祖母まさか目の前にいる孫がレズだとは思いもせずその言葉を言ったはずだ。理解もしているし、仕方のないことだとは思う。

 ただ、思うのだ。もし私がレズだと祖母に言っていたら、祖母は私を同じように扱っていただろうか。祖母自身気持ち悪いと言った属性を持つ私を前に、祖母はどう振る舞うのだろうか。祖母のことは好きだ。ただ結局私はあの言葉からずっと、祖母にとって自分は受け入れられない人間だということに傷ついているのだと思う。

 祖母には明日電話をかけるつもりで、この文章はその気力を絞るためのものだ。祖母の手術が成功することを祈っている。

anond:20230529185920

めちゃくちゃ話題になってますけどw

日本ダービースキルヴィング、レース中に心不全で急死に衝撃を受ける人多数「競馬動物虐待」の声も

https://news.yahoo.co.jp/articles/845aeac2235c840d9bcf4906f61c850460991aa1

非難が集まる「競馬」...ギャンブルのためなら虐待は許されるのか?

https://shuchi.php.co.jp/article/9350

心不全も珍しくないってさ

 競走馬レース中に心不全発症することは、それほど珍しいことではないという。

心不全とは、心臓機能不全に陥り、心臓の動きが弱まるか停止してしまうこと。競走馬心不全を起こすケースは、レース中では年間平均4.9頭というJRA調査があります。近年では2021年ユニコーンSレース中にピンクカメハメハ発症し死亡。投げ出された騎手は、足を骨折しています。心房細動はさらに多く、年間平均34.2頭が発症4月30日に行われた天皇賞・春でも、アフリカゴールドが心房細動を発症し、競走を中止しています心不全は、サラブレッドが“究極のアスリート化”していることも一因ではないかという説があります

https://news.yahoo.co.jp/articles/845aeac2235c840d9bcf4906f61c850460991aa1

anond:20230529002450

生き馬の目を抜くような芸能界で生き残ってきて

むちゃ仕事も散々こなしてキャリア積み重ねてきた

パンピからしたら心臓に毛が生えてるとしか思えない連中がHSP自称してるのなんなんとか思うよなあ


多くの人に当てはまることを言われているにもかかわらず「これは自分のことを指しているのだ」と感じてしまバーナム効果なんじゃないのそれって

2023-05-28

anond:20230527154126

医師です。

その場に居合わせ一般人のできる行動で、患者予後を大きく変えるものは二つあります

AED使用

継続的な胸骨圧迫

原則この二つで患者予後規定され、人工呼吸はやらなくてもそこまで悪くなりません(データによってはやらない方がいい、ということもあるようです)

AEDは持ってきてやるだけです。確かにブラジャーなど金属ワイヤーを含むものがある場合火傷のリスクがありますが、心停止時間が長い方がよっぽどリスクなので深いことは考えず最速でやるようにしましょう。(心停止に勝るリスク治療者の二次被害第三者巻き込み事故以外ありません。)

胸骨圧迫は知らないとコツがいりますリズムよく、胸骨なんとなく下部を適切な深さで押さなければなりません。厳密なことを言うと、BPM100〜120、胸骨下部1/3(これは自信ない)、深さ5〜6cm(小児はこの限りではありません)ですが、こんなんどうでもいいんで自分のできることを最大限やってください。みなさん心臓位置ぐらいは知ってると思うんで、その上をいい感じの深さでいい感じのリズムで押すだけです。アドバイスとしては、思ったより力は必要曲名は忘れましたが「ダイヤモンドだね〜」の曲が異常に耳に残っていい感じのリズムから口ずさむといい(異常者?)、です。

最後に、人工呼吸は最近上記データが集まったことやコロナ感染リスクにより院外では通常あまり行われません。感染しないようなバルブを用いた人工呼吸が行われますが、どこにでもあるものではないので使い方は本当に気になる人だけ調べてください。

適当なこと言ってる増田が目立つので書きましたが、まあこれも話半分に聞いて、気になる人は消防署免許センターの講習を受けましょう。調べてもいいですが、実際に人形相手にやるのが一番です。元増田は気の毒ですが、自分の行動に責任を持つためには、みながこれらの知識アクセスできるようにすべきだと考えます

2023-05-27

anond:20230524192008

AED使う際にブラ取らないと感電して急患人が焦げる。相手が毛深い男の場合、胸毛が全部焦げてチリチリになる。AED電流ってそれくらい強力。そんなのも知らないで救護活動あざ笑う奴の一番大事人間がどうか、そいつらの目の前で心臓発作起こしてもんどり打って苦しみながら死にますように☆

苛ついたら虚空を殴ればいい っぽい

中学ぐらいまでは苛ついたら叫んでたんだよね。

家で叫ぶと怒られるから海とかで叫んでた。

でもこの奇行が噂になって親に泣かれたから辞めた。

社会人になっていきなりど田舎勤務に飛ばされたときにこの癖が再発した。

上司左遷されたダメ人間オールスターみたいな状態で本当に辛かったのもあると思う。

田舎で人の居ない場所は選び放題だったから周囲に人がいないのを確認して定期的に叫んでた。

でもある日、山の中で叫んでいるのを「最近あの辺って山犬?鹿?熊?の声が聞こえるよね」って噂になった。

それ多分、私です。

山の上で叫んだら麓に結構届くんだね。

流石にこれで自分が原因だって分かったら現代妖怪としてウォッチされてしまうと思って我慢するようになった。

代わりに枕を殴ることが増えた。

ネネちゃんママみたいな感じで毎日布団を殴ってた。

でもこれやると2ヶ月ぐらいで枕が壊れるんだよね。

ボコボコに粉砕した枕を社宅のゴミ捨て場に2ヶ月おきに捨ててたら、それが噂になった。

どうせ捨てるんだしと最後ビリビリに破いてたんだけど、それが「ナイフで滅多刺しにしてる。多分誰かの子供がストレスで不良になったんだ」って話になってた。

これは不味いな。

団地のフォークロアとして独身のままBランク怪人人妻みたいな扱いになっちゃうな。

仕方ないかカラオケを始めた。

でもね、出てくる時に職場の人に合っちゃったの。

田舎カラオケ屋だから壁が薄いし、アニソン歌ってたの聞かれてんなって。

自分趣味職場に知られたくなかったのでもう二度と行かないことにした。

せっかく言ったのに流行りのJ-POPで縛るとか辛いだけだし。

接待練習みたいになっちゃったらストレスしかないし。

ムカつく連中の悪事を書いた閻魔帳を用意するというのは結構しかった。

いつかコイツらまとめて告発してやるぜ―と盛り上がった。

でも纏めてくとしょーもない奴らしかいないなって気づいた。

お局もセクハラデブもただ性格が悪いだけの範疇を出てない。

何百万もふんだくれるようなハラスメントをしてるのも見たことないし。

たとえばこれをライバル会社に送っても相手にされないだろうな。

警察弁護士もそうだ。

自宅に送り付けた所で子供スルーだと思う。

つうかあいつら家だともっと性格悪そうだしなあ……。

そんなこんなでたどり着いたのがシャドーボクシング

ただし回避はせず一方的に殴り続けるだけ。

相手椅子に縛り付けている状態イメージして顔面をひたすら殴る。

デブは柔らかそうな腹を殴る。

ただただ殴る殴る殴るたまに蹴る。

殴りまくってると肩がドンドン痛くなるんだよね。

人間って人間を殴るのに向いてないんじゃねっていざ殴りまくって初めてわかった。

スポーツショップ自由に殴れるサンドバッグを数発ベシベシしたことはあったけど、何十発もワンツーしたわけじゃないから知らなかった。

漫画じゃ皆ボコスカ殴ってるけどこれは訓練が必要ですね。

ボクシングK-1って30分ぐらい殴り合うんだっけ?

あいつら体力スゲーなって今わかった。

ダンス真似してみてアイドルの体力おかしいだろって気づいた時以上にヤバさを感じる。

虚空殴りは本当にいいね

枕殴りのときは流石に床に響かないぐらいを意識するけど、虚空殴りは足運びに気を遣えば床もきしまない。

カーテンちゃんと閉めてるの確認したらあとはひたすら全力で拳を振り回す。

非力な拳だろうけど流石に50発も打ち込めば歯の一本ぐらいはへし折れんだろとひたすらに叩き込む。

ボコボコに腫れ上がった相手顔面想像するとスッキリする。

ほとんど開かなくなった目の奥から許しを請うような光が覗き込んでいるのを思うと、人間なんざ最後暴力ボコれば終わる程度の奴らだってよく分かるね。

よく言う「筋肉を鍛えまくれば、いざとなったら殴れば良いと自信がつく」って話はこういうことなんだろう。

別に筋肉は要らないよ。

ただひたすらに架空相手ボコボコにするだけでいい。

殴り合って勝とうとシミュレートする必要なんてない。

しびれ薬でも盛った想定でただただ殴り続けてやればいいだけなんだ。

終わった後は心臓バクバクで全身から変な汗が出る。

から足首まで全身が筋肉痛でバキバキする。

凄い疲労感。

スポーツしてない身体はい運動になると思う。

たっぷり体を動かして風呂入ってすぐ眠る

健全理想的生活が送れてる。

運動にもなるしストレスは解消できるしよく眠れる。

これが正解だったんだなあ。

でも実家にいた頃に虚空をボコボコ殴ってるの親に見つかったらキマづさがヤバかっただろうな。

一人暮らしサイキョー

長野の立てこもりが他人事ではなく離婚を考えてる

義兄が統合失調症かつ自閉症

結婚前に配偶者から話は聞いていたが認識が甘かった。

義兄は義実家飛行機でないと通えない距離)に住んでいて普段会うことはない。

数回だけ会ったことはあるが会話はしたことはない。挨拶しても無言でスルーされる

会話できないくらいで害はなく、関わらなければまあ大丈夫かと思ったのが甘かった。

自分の親に結婚の反対はされなかったが今となっては全力で止めて欲しかったと他力本願な後悔をしている)

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先日はじめて警察沙汰を起こされた。

簡単に言うと自宅を襲撃されかけて、警察指示でホテルで数日避難生活を送った(なお子持ち)

経緯を話すと

・義兄が突如実家から抜け出して行方不明になった→義両親が警察相談

・義兄は被害妄想持ちで私の配偶者含む自分の親兄弟を恨んでいる(会話が成り立たず年々関係悪化罵倒の連絡がくるためブロック、着拒などしていたらしい)

警察からは、我々が住む街・自宅まで義兄が襲撃に来る可能性が高くすぐに避難してほしいとの指示

(住所は義両親のメモなどから見つけた?)

・事前に警察我が家に来て、襲撃があった場合避難ルート確保などもして物々しい雰囲気

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そもそもフル共働き幼児アリで精神的余裕も時間的余裕も全くない状態

避難中のホテル代も自己負担

一番のストレスは子の巻き添えリスク

子も私も一緒に襲われる(殺される)可能性はないとは言えない。これまでの人生で命を狙われた経験ないので心臓バクバク不安な日々。

結果、ホテル代の負担も重く仕事もあるので数日で自宅へ戻った。その後義兄は他県(なぜかは不明)でうろついていたのを発見・確保され、いま強制的施設にいる。一時的措置なのでいずれ出てくる。

義両親に謝られたが正直許せていない自分に凹む。義両親はいい人たちではあるのだ。

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モヤってること1

その状況に対して配偶者安全意識がかなり低いこと。最低オートロックなどの安全性がある環境引っ越した方がよくないか?と話したが特に何も行動しない。お金をかけたくないのが理由だそう。

モヤってること2

義兄が施設から出てきたらどうなる?またいつか襲われるリスクに怯えながら過ごすのがかなりストレス。正直子と一緒に逃げたい。ただ残された後の配偶者可哀想でもある。でも巻き込まれたくないと考えてる自分がいる。

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平凡に平和に生きてきたし警察沙汰になる人生があると思わなかった。

今でも物影から義兄が突然現れたらどうしようと不安になる。命の心配をする日常があるとは思わなかった。

2023-05-26

anond:20230526211117

心臓稼働率80%を切りました!

制御するための脳内物質がもうありません!

血管内の疲労物質濃度さらに上昇中!このままではっ!

チー牛は女性を助けるな(n=1)

女性声優が街で男の人に助けられてから結婚まで行ってたケースを見て、街の女性積極的に助けようとするチー牛が息巻いているが、俺個人経験から言うとチー牛が女性を助けてはいけない。

なおこれはもちろんn=1のケースであるため、お前の場合だけだろう、俺は人を助けるって気概があるやつを止めはしない。

数年前の話になるが、俺は夜の街で酔って倒れてる女性を見かけて、そのまま路上で寝てると危なそうだから声をかけて介抱したわけ。介抱つっても触ったりはしてない。横から大丈夫ですか〜って声かけただけ。

意識なさそうなら救急車だし、ある程度意識あるならタクシー呼んで乗せればあとはいいだろって思ってたわけ。幸い意識自体はあって生返事を返すくらいだった。

そしたら警官が寄ってきたんだよな。驚いたんだけど、どうやら俺が声をかけてる様を見て、誰かが警官呼んできたらしい。俺に対してめちゃくちゃ横柄に当たり強く尋問してきた。

面識がないって言っても、助けようとしてるだけって言ってもあんま信じてもらえなかったんだけど、争ってるうちに女性意識もそれなりにはっきりしてきて、何もされてないです、面識もないですって証言してくれたから、ギリギリ謂れない逮捕を逃れることができた。

正直助けたことよりもめっちゃ心臓バクバクして、どうなることかとビビりまくってた。女性たまたまいい人だったからよかったけど、触られたかも……みたいなこと言い出されたらどうしようかって思ってた。マジで死ぬ前の走馬灯みたいに、これからどうすればいいんだろうって会社のこととか人生のこととかウワーって頭の中駆け巡るわけ。

それから俺は女性を助けるのはやめるようになった。少なくとも、俺みたいなチー牛が女性を介抱するのは罪になりうるんだって学んだ。チキンすぎるって言われるかもしれんけど、こればっかりは疑われた人間しか分からんと思う。

2023-05-23

僕の心のヤバイやつがもうだめ

読者の気持ちを離れさせないようにドキドキする展開にしなくちゃいけないのはわかってる。

でも、それが強すぎるとそもそも開く気持ちがなくなってしまうという人もいることをわかって欲しい。

そういう気持ちが積み重なって、個人的にはもう読む気になれなくなってしまった。

どうしよう、、、みたいなハラハラは、じじいの心臓に悪すぎる。

もっとこう、なんというか、ずっと光属性に焼かれ続ける話がいいんだよ俺は。

2023-05-22

魔法のiらんどとかフォレストページとか携帯イラストサイトの思い出

時折、ふと思い立ってPC画像を見返してると大きさ240x320の画像群がずらりと並んだフォルダを見つけて開いてみたら自作アナログ絵をブツ撮りした画像が並んでて羞恥に塗れたリア厨時代の痛々しいネト活の記憶が光の速度でAMSから逆流するように蘇り心臓バクバクさせながらフクロテナガザルのケイジくんみたいな奇声を上げてイキュラスキュオライキュラスキュオラキュラスキュオラ!することってあるじゃないですか。ありますよね。あるんですよ。

私も昨日、昔撮ったきゃわいいきゃわいい飼い猫の写真を久々に見ようかと古い順に画像ソートしたら見ちゃいましてね……中学生の時に愛していた絵師様に向けて描いたキモすぎるラブレター的なアレとかアレとかアレとかをさ。

もうサムネ見た瞬間ビクッとなったんですけど、じゃあはよ消せよって話なんですけど、そんなんでも色々思い出が詰まってるんですよね。キモさの中にも美しさがある、痛さの中にも気持ちよさがある、親しき中にもレズがあり、みたいな。

そんな中学時代の汚らしくも輝かしい青春記憶を今、絶妙嘘松を交えながら赤裸々にここに綴る。

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私が絵を描き始めたのはそれこそ物心ついたときからで、母に聞かされた話によると同じ保育園に通ってたお隣の子が上手なおジャ魔女どれみの絵を描いて私に自慢しに来たのが始まりらしく、対抗心を燃やした私は連日おジャ魔女どれみを描きまくっていたらしい。その傾向は小学生になっても変わらず学校休み時間はひたすら自由帳に絵を描き、帰宅しても夜まで絵を描き、休日は画用紙と絵の具を使ってカラー絵を描くという毎日を送っていた。

そして小学3~4年頃に美術館で観たアンドリュー・ワイエス展に衝撃を受け西洋美術に関心を持つようになり、本格的に勉強したいと思うようになるのだけど…

5年生になった頃には私の身長は170cmを超え、親にも親戚にも「アンタそんな立派な体してるんだから何か運動したら」と事あるごとに言われるようになり、当人らは特に他意無く適当にそう言ってたんだろうけど、言い返せない、断れない性格の私にはその一言が重くのしかかり、渋々陸上部に入部する。

さすがに身長の高さゆえか男子女子わずほとんどの部員より足が速かったためそれなりに記録を残すことができ充実感もあったのだけど、やっぱり勉強以外の時間は絵を描きたいし、特に休日大会があるときなんかは切実に辞めたいと思った。でも親は陸上頑張ってて偉いね、なんて言うもんだから別に親は悪くないんですけど。

そんな調子で2年間を過ごし、卒業まであと3ヶ月という頃にはすっかり絵を描くこともなくなってこの世で一番アンドリュー・ワイエスから縁遠そうな、カリカリ日焼けした野暮ったい私がそこにいた。そして中学進学に向けて色々と準備をするなか親に渡された携帯電話、これが私の人生を良くも悪くも大きく変えてくれたのだった。

当時インターネットなんて全くわからなかった私は、漫画誌に載ってたフォレストページの小さな特集を頼りに、検索でたどり着いたイラストサイトリンクランキングサイト経由でその手のサイトを読み漁っていた。そういえば私絵描くの好きだったなとか思いながら。そして、ある絵描きさんの作品一目惚れし、その方のサイト掲示板初カキコ…ども…してしまう。そのHPは0zeroというドメインで、一番画像を綺麗に貼れるとかで絵描きに好まれていたとかなんとか。

コピックエアブラシで描かれた色鮮やかな夕焼け少女油絵の具の力強いマチエールの上に描かれた少女鉛筆で描かれた量感溢れる少女の裸体、どれも本当に素晴らしかった。何で全部少女の絵なんだろ?と思ったけど。

もう一生懸命考えて思いつく限りの称賛を書いた長文を投稿した瞬間からキドキですよ。もう興奮で夕飯も喉を通らない有様でF5アタックみたいに更新しまくってひたすら返信を待ち続けたのだけど、最初に貰ったのは社交辞令的な一行返信だった。がっかり…。が、後日めげずにこの絵はどんな方法で描いたんですか?それってどんな画材ですかなんて引き続き書いてみると丁寧にコメント返してくれて、油絵の具ってそんなに高いんですか!?私のお小遣い月1000円だからとてもじゃないけど手が出ませんね、なんて言ってみると「あなた何歳?」って。んで11歳です、と。すると、「じゃあ私の持ってる絵の具あげるよ、今度会お?」と言われて。

しばらく固まった。どう返信していいかからなかった。それで母親にそのことを相談したら最初は「馬鹿な子だねそんな知らない人とやり取りして」そう怒られたけどどうしても油絵の具が欲しくて、最終的に私書箱経由で絵師さんが電話番号を教えてくれて、絵師さんと母が直接電話をし、母同伴で絵師さんと会うことが決まった。そんときリアルジャンプしてガッツーズしましたよ。

そして絵師さんは隣府県に住むとても礼儀正しい芸大1年のお姉さんで、母としては好印象だったらしい。実際、母も当日たくさんお土産渡されて即堕ちしてたし。

春休みを迎える頃には私はすっかりお姉さんのサイトに入り浸り、連日絵を投稿しては色々アドバイスしてもらったりキャピキャピ雑談して大学生世界を教えてもらったりと楽しい日々を送っており、さらにはお姉さんの通う芸大の卒展に連れて行ってもらったりして私はすっかり美術世界に舞い戻り、既にお姉さんのことが好きになっていた。本当にお姉ちゃんが出来たみたいだった。そして両親に東京美大に行きたいと言ったらすげえイヤな顔された。そりゃ確かに費用がね…。

そして中学最初夏休み、一緒に宿題を片付けて合間に絵を教えてもらうという名目でお姉さん宅に長期のお泊りをすることになるのだが、これがあかんかった。まああかんかったよ。

隣府県の郊外にある2Kのアパート、そこがお姉さんの住処であり創作現場だった。部屋中に飾られた素描水彩画、見たこともない大きなカルトンイーゼルに立てられた描きかけのよくわからないけどかっこいいのはわかる油絵、全部を束ねればお姉さんの腰くらいになりそうな大量の絵筆と少しだけ錆びついたナイフが並んだテーブルに乱雑に置かれた混沌色に染まったパレット。そして棚に並べられた大量の本とCD

やべ、カッコよすぎて漏らしそう。でも同時にいつもどおりの田舎臭いガキ臭い格好をしてこの部屋に足を踏み入れた自分が凄く恥ずかしくなった。

ただ、テーブルの上に飾られた「スーパードルフィー」なる人形だけは正直キモイと思ってしまった。学生服を着た二体の少女人形がお互い腰に手を回して座りポースを取っているのだが、その光景に何か変態的なものを感じたというかのちに私の勘は完全に正しかったのだと判明する。

うん、確かに宿題はすごい勢いで片付くし、特に苦手な数学は私が完全に理解するまで根気強く教えてくれて本当にありがたいし、絵は美大予備校でやるレベルのことを丁寧に惜しみなく教えてくれる。家事も一緒にやって料理もそのときちょっとだけ覚えたし、お姉さんが影響されたっていうオノ・ナツメ漫画とかミギーイラストとか、他にもボナールとかセザンヌかいろんな画家画集を見せてくれてカッケー洋楽を教えてくれたり一緒にビデオを借りに行って映画もたくさん見せてくれるという、いたれりつくせりの家庭教師っぷり。おお、私の田舎臭が浄化されていく…。

ただね、この人近いんすよ、距離が…。

ちゃぶ台に座って宿題やってるときはお互いの肩が密着するくらいくっついて耳に息がかかるくらいの距離で喋り、計算間違いしたり誤字ったりすると足裏をくすぐってきたり、考え込んでると腰に手を回して太ももを撫でてきたり、絵を描いてるときはまたも背中にピッタリ身体押し付けて色々助言しつつも肩から肘までねっとり撫で下ろしたりしてきて、上手に描き終わったときは思い切り後ろから抱きしめて私を褒めながら脇腹をくすぐってきたりして、とにかくボディタッチが激しい。

で、私がくすぐったがるとお姉さんもケラケラ笑って冗談っぽい雰囲気になるので正直イヤなんだけど拒否しずらいというか私もちょっとくすぐり返したりしてるうちにお互い距離感も縮まり、遠慮がなくなってきてタメ口で喋れるようになったのもあっていつの間にかすっかりお姉さんのボディタッチを受け入れてたんですよね…。

そうこうしてるうちに2週間が過ぎ、翌日は待ちに待ったコミケに連れてってくれるというのでもう我は有頂天である。私はね、去年から流行ってたボカロが気になって気になってどうしてもCDが欲しかったのだよ。しかも事前に宿を取ってくれていて二日目も参戦できるという。そんなん友達に自慢しまくるしかないやん!!!

その日の昼には車で東京に向けて出発し夜にはホテルチェックインしました。

そして念願の初コミケ1日目はお姉さんのサイトに常駐している何人もの絵師さんと会場で初対面し手描きイラストを沢山プレゼントしてもらい号泣しちゃったり、(特にSAINTさんという鳥居紅葉、月夜と和服女性モチーフに厚塗りリアルタッチ作品を描いてる絵師さんが好きで、その人に貰った絵はその日一日中眺めてました。しかもクソイケメンだった)35度の炎天下で水分補給を怠った結果熱中症ゲロ吐いてぶっ倒れたりと惨憺たる有様でしたが、二日目には「ねんがんのSupercellCDをてにいれたぞ!」したり恥ずかしながら寄せ書きコーナーでミクを描かせてもらったりと最高の一日になった…はずでした。その夜の出来事を除けば。

結果的に言うとその日の夜お姉さんに犯された。ホテルシャワー浴びてるときにお姉さんが風呂突撃してきて、私の身体を洗いながら今までにない冗談抜きのマジ顔で全身くすぐりまくってきて、特に脇腹と胸を執拗愛撫されてイかされた。抑えきれない全身の痙攣に襲われ貧血でぶっ倒れたときみたいな状態になって何の抵抗も出来なくなったらベッドに連れてかれて体感的には一晩中乳首いじられながらクンニされて涙流しながら喉が枯れるほど叫んで何度も何度もイかされ続けた。ちなみにそのときの私は性的欲求なんて皆無だったしオナニーすらしたこともない。そりゃ12歳だしね。

そして帰りの車で初めて会ったときから私を性的対象として見ていた、卒展で再開したときには実行するかはともかくこの計画を立てていた、そしてこの夏に私の日焼けした肌を見て、直接触ってみて欲求を抑えきれなくなったとの供述をし始めた。曰く私はくすぐりに対しての反応が非常によく、沢山くすぐって何度も乳首タッチした日は洗濯物に出した私のパンツにしっかりヌルヌルしたものが付着していたので、着実に性感開発されててこれはいけると確信したと。

俺は限界だと思った。お前首絞めて殺すぞこの悪霊め。

帰路はずっと涙が止まらなくて、でもお姉さんは自分は今で言うとこの性的マイノリティだとか言いつつ潜在的に君はレズからこの経験は後に良いものになる、私のこともホントは嫌いじゃないはずとかぬかしやがってさ…。確かにまだ嫌いではないよバカ野郎。お前にされたことが予想外かつショックすぎて泣いてるだけだよ。んで家に帰ったらもっかい同じことするから嫌なら蹴るなり殴るなり親や警察通報すればいいとか言い出しやがって。

で、その日の夜またお姉さんに風呂で全身くすぐられて乳首いじられながら玩具使いつつクンニされまくってイきまくった。俺は今度こそ限界だと思った。その頃にはマジで気持ちよくて、ていうか他人に逆らうのが苦手な気質のせいかお姉さんに反抗する気持ちが湧かなくなってたので。

その日以来、私はしばらくネットを止めてお姉さんとの連絡も断っていたのだけど疲れからか不幸にもお姉さんのサイトアクセス私書箱から久々の連絡をしてしまう。私もうすぐ冬休みです、と。

そしてサイト掲示板ではクリスマスに皆でパーティーしようかという話にいつの間にかなってて、新しくサイトの一員になった秋間(かずひさんだっけ?もう名前忘れたごめん)さんというパステル画の達人も加わり互いの絵を持ち寄って見せ合おうという話になる。

大阪カラオケボックスに集結したお姉さんに一生さんとかSAINTさんとか秋間さんとか特定されないよう他1名と記すけど5人の美大芸大ガチうま絵師さんたちの生イラストを観て立ち直らねば、あの日覚えた行為の名をググって知って自慰行為も知っちゃったけどやっぱ真剣に絵を描かねばという気持ちになるわけですけど、解散後にまたお姉さんに誘われていつものアレをされて、もう全部が台無しよ。

そして図々しくも来年夏休みもまた一緒に過ごそ?とか言われて。まあ結局そうなるわけですけど。

でも翌年の夏休みは他の絵師さんにも事前に連絡を取り付けてお姉さんの住所を教えてたおかげで日中セクハラされず夜限定になったわけですけど。そして夜にはお姉さんの所有する大人玩具がつよつよすぎてまた屈してしまうというかそれ耐えるの絶対無理ってなって中2のときは毎週のように逢って電マの威力に屈服させられたりしてたわけですけどさすがにお姉さんも4年になると私を相手してる余裕が無くなったらしく卒業就職の準備に時間を割き始めて私はお姉さんより3歳年上のSAINTさんと蜜月になって、彼は愛知住みだけど何度かデートしてたらお姉さんの耳にその情報が入ってしまい、また自宅に呼び出される。

SAINTさんは紳士すぎて何もしてくれないので久しぶりのお姉さんの責めに期待してたら駅前で対面即泣かれて、よくよくそ理由を聞いてみたら「あなたホントは私のこと好きなのに男と付き合ってどうすんの思春期の一時の感情に惑わされないで絶対後悔するよそれはそうとしてまたあのとき快感を思い出させてあげる」とか言われてお姉さん宅連れて行かれたわけですけど、連れ込まれた先はいものあの部屋とは思えない綺麗に片付いた状態で「私は来年東京就職に行くけど貴方は来れないよね」なんて言われてまた泣きつかれて。親には聞いてないけど多分無理でしょと答えたら今までにない本当にあたたか感触ギュッと抱きしめられて「好きだよ…」と言われた。今だから言えるけど私もお姉さんのことが部分的には嫌だったけどやっぱり大好きだった。そしてもう今までのように会えないんだなって、その時悟って泣いた。

でもお姉さんに教わったことはずっと忘れないし、私は必ず絵の道に進むしそのとき必ずまた会えるよって言ったらお姉さんはコミケ帰りの私みたいにぎゃあぎゃあ泣き喚いてて、その姿が可愛くてギュッ彼女を抱きしめた。これが私達には一番心強くて、私達の絆を感じる行為だってわかってたから。そして携帯を取り出してお姉さんのサイトを開いて「私はいつもここにいるから、寂しくないよ、みんな一緒だよ」って。

その日はお姉さん家に泊まってずっと抱き合って一緒のベッドの上で寝てた。SAINTさんとの浮気をチクチク糾弾されながら。

その後、私が3度目の夏を迎えた頃にはお姉さんのサイトはすっかり過疎っていて、連絡しても一月に一回程度、たまに返してくれるくらいの頻度になり、絵を描きつつもバンド活動にハマってお姉さんにそのことを報告しようとしたら去年東京結婚したとの書き込みを期に更新が途絶えていて。私もこのサイトのことは忘れよう、あの頃のことは忘れようとなってtwitterpixiv活動の場を移すうち、いつの間にかお姉さんのHPは(0zeroからecacoへとドメインを変えて必死延命していたらしいけど)サービスもろとも綺麗サッパリ無くなっていました。

2023-05-20

ピュア大人は怖い

大学生の頃、講義が18時くらいまであったから夜に電車乗ることが増えたんだけど、わんわん泣く30代くらいの男の人見てめちゃくちゃ怖かった。

理由わからんけど、声上げて泣いてんの。自分では、公衆面前で声上げて泣くなんてあり得ないと思ってて、不気味で怖かった。トイレの中で声上げて泣いてるなら「何かあったんだな。可哀想に」なんだけど、公衆面前で泣かれると「あ、やばい人だ」ってなる。

なんか、脇目も振らず暴れ出しそうな気がするんよね。急に立ち上がって暴れ回さないかとか、トラブル起こさないかとか、そういうこと考えてしまう。

スマホいじってるフリしてたけど、心臓バックバクで、電車から降りた時に安心して泣きそうになった。

2023-05-19

推しが転生したショックから立ち直れない

そこそこ時間が経ったが全然立ち直れないでいつまでもウジウジしてるので思いつくままに吐き出させてくれ。

YouTubeオススメにでてきた切り抜きを見て初めて推しと声を大にして言えるVtuberができた。

ビジュアルも、声も、おしゃべりも大好きになった。

熱心に毎配信追っかけるのは無理だったけど、記念日には小額ながらもスパチャをなげたり、グッズを買ったり。

インターネット上の推しに対してここまで推したのは初めてだった。

そんな推しが数ヶ月前に引退した。

引退後はアカウントを削除するためアーカイブも見れなくなるという。

役者アイドル引退なら過去の出演作やライブ映像は残る。

でもインターネット上の推しは全てを消してしまうつもりのようだった。

引退が発表された時はショックで結構落ち込んだ。

それでも、発表後の残されたわずかな時間で少しでも応援していた気持ちを伝えたくて、グッズを買ったり、配信を見たりしていた。

最後配信では「辞めないで」って言いたい気持ちを押し殺しながらコメントで精一杯「今までありがとう。大好き」の気持ちを書いて送った。

配信が終わったあとは少し泣いた。

そんなことがあってから数ヶ月後、まだ少し寂しい気持ちが残りつつも話題にするようなことも減っていき、「時間が経てばこの寂しさも薄れていくだろうから」と思っていた矢先だった。

ある日、Twitterフォローしていた同じVtuberファンアカウントがざわついていた。

その人たちはとある事務所からデビューした新人Vtuberの話でもちきりだった。

の子チャンネルに行ったら、知らない子が知ってる声で、喋り方で、配信をしていた。

頭を鈍器で殴られたような衝撃ってこういう時に使うんだと実感したのを覚えている。

私が大好きだったあの子の記録が全て消えたあとに現れたその子は、知ってる雰囲気をまといつつも別人だった。

私のTwitterのTLはすぐさまあの子ファンだった人たちが描いたその子ファンアートに埋め尽くされた。

Twitter最近仕様変更で「おすすめ欄」ができてしまったばっかりに、その子アカウント毎日のように目に入る。

できれば見たくないのに、あの子雰囲気が似てるその子アカウントのことをミュートやブロックするのはどうにも気が進まない。

でもその子を見る度に心臓がズキズキするようだ。

どうしたらいいのだろう、ずっとモヤモヤしてる気がする。

このタイミング引退直前に発売されて購入したグッズが配送されてきた。

棚に飾ろうと思って購入した最後のアクスタは、未開封のままだ。

試験最中心臓を盗んだ泥ママ、実は兄弟に念能力を使って洗脳されていて…→衝撃の結末に

キルアゴンママみたいなもんだろ

anond:20230519075223

子供川崎病にかかってから半年ごとに心臓のチェックに行ってたけど

今回のチェックでもう今後は心配しなくて良いって言われた

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