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2017-11-22

[] #42-2「ドッペルさんはマトモに見れない」

現実

近所の公園広場にて

マスダ(弟)「というわけで兄貴に聞いてもさっぱりだった」

ミミセン「マスダの兄ちゃんですら何となく判断しているのなら、僕たちじゃ見当もつかないよ」

シロクロ「アイドンノー! アイドンノー!」

タオナケ「私も見分けはつかないけど、“兄弟の絆”とかなんじゃない?」

マスダ(弟)「あったところで見分けがつくもんじゃないだろ」

タオナケ「そういうドライなところはそっくりね」

原点

ミミセン「そもそも何でドッペルはマスダの真似をよくするんだ」

マスダ(弟)「別に俺の真似ばっかりってわけでもないけどな。変装が好きだから色々なものを真似てる」

ミミセン「傾向の話だよ。それにマスダの真似なんてされても、こちらとしてはややこしいだけだし」

タオナケ「イタズラ好きとか?」

マスダ(弟)「そんなところだろうな」

シロクロ「マスダのことが好きなんじゃないか?」

マスダ(弟)「……は?」

憧憬

ミミセン「まあ好きかどうかはともかく、ドッペル自身消極的性格から、マスダのような行動力のある人物に憧れに近いものがあるのかも」

タオナケ「なるほどね、ドッペルが変装をよくするのも武装みたいなものなのよ」

マスダ(弟)「単なる趣味なだけな気もするけどなあ」

ミミセン「マスダは随分と否定的だな」

タオナケ「思いもよらなかった相手好意を寄せられていることを知ったとき人間の反応なんて、大体こんなものよ」

マスダ(弟)「別にそういうわけじゃ……」

シロクロ「或いは、ドッペルは兄のほうが好きなのかも!」

マスダ(弟)「……はあん?」

好感

マスダ(弟)「どうして俺の格好を真似することが、その発想に繋がるんだよ」

ミミセン「いや、シロクロの言う可能性もありえなくない。ドッペルは一人っ子から、身近な兄という存在に憧れがあるのかも」

タオナケ「なるほどね。弟の格好を真似て、マスダの兄ちゃんに近づく口実作りも兼ねているわけね」

マスダ(弟)「絶対、そんなややこしいマネなんてしてねえよ。だったら俺への憧れの方が、まだ有り得るだろ」

ミミセン「ドッペルがマスダの格好を真似するのは、マスダに憧れていたわけではなくて、マスダの兄さんに憧れてたからってのは一応は筋が通っているよ」

マスダ(弟)「つまりドッペルが俺の格好を真似するのは、“兄貴の弟である俺”の立場に憧れていたからだと解釈もできるぞ」

ミミセン「……あれ? そういうことにもなるのか」

シロクロ「ちょっとこんがらがってきたぞ」

袋小路

マスダ(弟)「というか、お前らが勝手にあることないこと前提で語るからだろ。それがあるかないかも分からいから、こんがらがってるだけだ」

ミミセン「うーん、確かに僕たちの考えすぎかもしれない。今の状態で考えても結論は出なさそうだね」

タオナケ「だったら確認しに行けばいいのよ、本人にね」

マスダ(弟)「(だから、それがややこしくなるんだって……)」

…………

マスダ(兄)「……で、俺に何の用だ」

マスダ(弟)「(しかも、なぜそっちのほうに聞くんだ……)」

(#42-3へ続く)

2017-10-27

声優を好きになってしまったひと

豊崎愛生結婚した。

最初そのニュースを見たとき、ふーん、おめでとう、とおもった。

でも時間がたってきて、驚くほどに動揺している。

豊崎さんといえば、何年か前に熱愛スキャンダルが発覚して、そのときはもう熱狂的なファンが多かったものから、嘆くファンコメント気持ち悪すぎるというので語り草になっている、というのは声優ファンの間では有名な話なのである

あのころとはファンの層もだいぶんかわったのだろうし、ファンの反応は概ね暖かい祝福コメントばかりである。そんななかでも、チラホラと見かける、いわゆるガチ恋勢といわれる人の嘆きのコメントに心がゆさぶられている。また、そういった人に対する他の人の反応にも。時間お金も、人生の大部分をひとりの声優に注ぎ込んでしまう人たちを馬鹿にする人はおおい。それみたことか、と、叩いて嘲笑する風潮があるように思われる。

自分自身豊崎愛生ファンというわけでもない。

ただ、熱烈に、別の声優ファンなのである

嘲笑コメントによくありがちなのが「ファンをやっていたからって結婚できると思っていたのか、そんなわけないだろう、バカじゃないのか」というような、至極まっとうといえばまっとうな指摘の主旨のものがおおい。

自分声優ガチ恋なのかはよくわからないが、ひとこと言わせてもらえば、そんなことはこちとらわかりきっているのである

ひとりのひとに猛烈にそそぎこんでいるというのは、けっこう自分とのたたかいである。

自分がいなくなったところで、その声優が困ったり悲しんだりすることなどないと、わかりきっているのだ。

から声優オタクなどというのは、自己完結なんである

自分人生真剣に向き合うのであれば、今すぐオタクなどという不毛なことはやめたほうがいいのだと、本人が一番、痛いほどにわかりきっているのである

それでも好きで、好きで、仕方ないのだ。

恋と崇拝のはざまのような不思議感覚のなかで、お金を払えば、時間をかければ、好きな人との接点がもてるという沼にずぶずぶとつかってしまう。

なんだかこうやって書くと、甘えているみたい、現実逃避しているみたいだよな。でも、そうじゃないんだよな。けっして現実逃避で好きなわけじゃないんだよなあ。それだけは自信をもって言える。

あんなに苦しいのに、それでも笑顔が一目みたくて、イベントに通いつめる、みたいな、あん他者に対する憧憬を今まで知らなかったし、今後も他の人に同じような感情を持つとは思えない。

声優ファンってのは、どこかで、自分推し結婚する瞬間にむけて、心を準備しているようなところがある。

から、わかっちゃいたけどってやつなんだよね。

自分場合。妙なプライドがあったもので、好きが高じて迷惑ファンになるのがいやだったから、逃げ出した。

しかし、地球の裏側まで逃げ出したが、それでも忘れられず、相も変わらず推しに焦がれているのである

ここまでしたのに「推しとの良い距離感」をつかめないのだとしたら、あとは本当に死ぬくらいしか思いつかない。まあ、声豚なんぞという害悪はさっさと死ねよとか言われるんだろうな。目に浮かぶ

2017-10-22

子供の頃学習雑誌付録に付いてきた鉱石はつるつる、ピカピカしていて口に含んだら甘い味がしそうな気すらした。

縞模様の美しい石。宝物のように扱っていて離さなかった。知的好奇心を誘うようなその色に胸が高鳴り、神秘的で、お守りにしていた。子供心に美しさに魅入られてしまった。その時の事を思い出した。

決して高価では無くとも、私が価値を感じた石。何年もの月日を経て醸造された飴色の糖蜜のような。

蝶の羽、どこかで拾った貝殻。あの頃は輝いている物が世界には沢山あった。

アスファルトすらもチョーク自由に彩る事が出来た。眩しいもの沢山、大人になっても忘れずにいられたらいいな。古ぼけた記憶の蔵の中に仕舞い込んでめったに表に出さない。まるであの日憧憬ごと鉱石の中に閉じ込められてしまったようだ。

鉱物はいつの時代も不変だから良い。無機質で。

2017-09-22

ルース・ベネディクト菊と刀

本屋で冒頭数ページ読んだら、「『菊と刀』とは、一見繊細で芸術を愛するように見えるのに、ふとした局面に途端に暴力的で強権主義的になる日本人の、二面性の著しさの象徴である」(要約)と書いてあって、もうそれだけで「この人はわかってるなー」と思って買わずに帰ってきたんだけど。

 この、70年前の戦争記録から日本人分析した論文と、ほぼ同じような感想を、現代日本を観察する欧米人の多くも持っていることだろう。日本に生まれ育った俺でさえ、これがまったく不思議しかたない。

 多くの日本人は、俺やこの種の欧米人にとっては当然のように「あわせて備えているもの」と感じられる性質のセットの、どちらかが平気で欠けていたりする。たとえば理系芸術分野に携わる人間の、社会的理想像の幼稚さ……なんて言うと文系はてなサヨクは小躍りしてそうだそうだと言いそうだが、逆に言えば、歴史社会を興味対象にする連中の、創造活動への関心の低さも異常なのである

 ネット大人気の「自炊は高くつく論」なんかもこの例である

「生まれて初めて料理ハンバーグ)をするために調理器具から小麦粉から買ってきたら1まんえん以上した!自炊は高い!」なんて、冗談としても発想が小学生レベル稚拙記事を、いつもは『吾輩は知的である』なんて顔をしてる連中が「そうだ自炊は高いんだ」と拡散したりする。

 まず、こんな記事を書けるような年になるまで、本当に一回も料理をしたことがない人間なんて、その時点でただの教育の失敗とは思わないのだろうか。

 良い年して現代史もまともに知らず、ネットで感化されて修正史観にハマってしまネトウヨと、低レベルさにおいて何が違うんだそれは。

 欧米の「リベラル」はこんな中庸に欠ける連中ではない。少なくとも、主流の「スタイル」はこれほど低レベルではない。

 人権意識を持ち、環境配慮をし、知的好奇心に溢れるインテリからこそ、「自分でやる」ことへの情熱を失わない。下手でもDIY自炊への憧憬を見せる。

 一方で、アーティスト職人肌のギークたちが、社会環境配慮したものづくり意識し、積極的メッセージを発信することも、ごく当然のように行われる。ギーク系のニュースサイトブログでも、人道/環境配慮科学技術政策のあり方(政治議論)に、正面から切り込んでいく。

 これらは日本ではほとんどみられないものだが、本当にその理想を追求したのなら、人を知ることはものを知ることであり、ものを知ることは人を知ることであるといずれ繋がるのは、このように論理的には必定に思える。欧米では「当然あわせて備えているべきもの」と(少なくとも至上の理想レベルでは)見なされているこの両輪に、何故日本ではこんな断絶があり続けるのだろう?

 『菊と刀』の奇妙な同居は、結局のところ、ものごとを薄っぺらな表層レベルしか装えない、日本人精神性の貧しさの現れでしかないのではないだろうか。

2017-09-04

プロパガンダZEN もしくは、金正恩・驚異のプレゼン

ミサイル発射実験や、核実験のたびにテレビに写る金正恩写真

優れたプレゼンター自然所作のうちにパワーポイントリモコンスライドを”次へ”と送るように、自然更新されていく金正恩スナップ

世界中液晶デバイスが、こないだの金正恩笑顔から今日金正恩笑顔へ切り替わる。

屈託のない若いガキ大将が「世界中やったったしー」と言わんばかりの笑顔で、周囲の将軍たちを笑わせようとしているアレ。

……ところで2016年はナショナリズム先進国を席巻したと言われるけれど、金正恩プレゼンの前ではたか民主国家国民主義にすぎない、って思える。

先進国ナショナリズムは、(得票率に関係なく)小選挙区で1位を獲り、比例代表効率を最大化するためのプレゼンだ。

国民を票田とそれ以外に分け、同じ境界線に「我ら」と「あいつら」の線を引く手法

金正恩ナショナリズムプレゼン意図も、対象も、焦点深度も違うものだよ。

スティーブ・ジョブズの初代iPhoneプレゼンハイライトをご存知だろうか?

アップルは「電話」「音楽プレイヤー」「ネットデバイス」の3つを作った、と言いながら、それは1つのiPhoneだった!ってアレ。

逆に金正恩プレゼンは、1つの手口で3つの聴衆を絡め取る。……そう、屈託のない笑顔ならね!

自国民に対して:安心、と同時に「世界中を敵に回してもかまわない」というロミオとジュリエットロマンス

先進国国民に対して:アイツまじヤベーのいう恐怖と、同時にドラマを持った一人の男の存在感

先進国指導者に対して:憧憬と親愛を獲得した指導者斬首しても、泥沼のゲリラ戦国内世論の暴発がめっちゃリスクだな、の忌避感を

このエントリは彼の国の内政、外交手法の是非を指摘するものではない。

純粋プレゼン技術についての仮説。

どんな手品であっても、タネが分かってしまえばスルスルと。

2017-08-28

https://anond.hatelabo.jp/20170828001140

マジレスしてやろうか

まずは風俗行きまくればいいと思うぞ

女体や女そのものへの過剰なコンプレックス憧憬を消すことから始めるといい

切実にセックスしたくて切実に彼女欲しいみたいなやつに絶対彼女は出来ない

いい感じでの諦めを得ることが必要

セックスなんて金払えばその日のやってみたいやつといつでもやれるし、彼女と違って年もとらないし、縛られないし、彼女とか無理して作らんでええわ、とな

そうすると、ギラツキとかガツガツ感がなくなって、女からして警戒対象でなくなる

そこ大事

結婚して30過ぎてからモテ出した、とか聞いたことあるでしょ?あの雰囲気を得るんだよ

ここまでは準備段階

次に、だ

恋愛とか、付き合うとか、彼女とか、そういう敷居みたいなものはもう意識するな

遊びたい子を遊びに誘って、話したい子を飲みに誘う

しかったらまた誘う

向こうからも誘ってくるし、自然に毎週会うのが楽しみになっている

で、そのうちセックスしているわ

そこで初めて、ああ、そういえばしばらく前から付き合ってるような関係だったな、ってなる

そういえば俺こいつのこと好きだな、ってなる

そんなもんでいいんじゃないかなと思うぞ

アニメドラマで見るようなドキドキの恋愛は、25までで一般的には終了

それはもう増田には来ないから諦めろ

でもそのかわり、付き合ってから結婚してから、妻のことを大好きになることはあるかもしれんな

恋愛なんて、結婚してからでもいいんじゃない

とりあえずもっと力抜けよ

2017-08-23

夏の思い出

夏って言うと、小中高校ぐらいの夏休み憧憬を抱きがちだ。

俺はそれが高校時代から疑問で、まず、小中高だってろくでもない夏休みの思い出しかない奴がいるって点。

同時に、大人に対しても疑問で、何か上から目線で「夏だねー」とか「夏が今年も終わりだ」とか、勝手青春みたいなのを若い人に押し付けてくる点も疑問だ。

つーことで、大人になっても夏休みの時期には何かを楽しむってのが大切だと思う。

2017-08-14

デレマスのsuperlove☆が大好きって話

タイトルそのまま。

superlove☆の話というより、それが好きな1ファンである私の話なので、興味のある方だけお付き合いください。

先に前提を話しますと、私はおそらくアセクシャルと呼ばれる人種です。平たく言うと、恋愛感情が持てない。

しかしたら、恋愛が出来ないのではなくて、運命の人出会ってないだけ。そう信じてめでたく三十路です。

試しに付き合った方とも性行為…というか、キスすら出来ずに別れ、もしや同性なら?と思うも試す度胸もなく(イメトレではやはり恋愛感情は持てなかった)他人がごく当たり前に抱く恋愛感情憧憬と畏怖を覚える日々でした。

以上、前提終わり。

さて、巷ではシンデレラ5thが終わった頃ですね。全通しました。最高でした。

しかし、話は4thまで遡ります

4thは運命的でした。ままゆに惚れ直したこと。そして、superlove☆を届けてもらったことです。

superlove☆自体CDで聴いていましたが、そのときは「かわいい~」くらいの印象でした。

しかし、4thで、イエパが終わって、そのままセンターに躍り出たのじょがsuperlove☆を歌った時、この曲が真っ直ぐに私の心に刺さりました。

「どんな愛も愛は愛じゃん」

のじょが真っ直ぐにきらきらと歌ってるのを見て、不意打ちで号泣してしまいました。

昔の恋人に別れるときに言われた、「キスもできないなんて、あなたは私のことが好きではないんだよ」という諭すような、諦めたような別れのセリフを思い出しました。

わたしは、キスなんてしなくても、一緒に食事して、笑って、たまに映画なんかみたりして、それで十分だったことを思い出して、そこにのじょの「どんな愛も愛は愛じゃん」って言葉が響きました。

恋人には否定されたけど、確かにそれは恋人になんてならくても、友達でもできることだったけど、私は元恋人とそれをしていたかった。とられたくなかった。それは確かに私の愛だったのではないか、と。

世間一般の愛の形ではないけど、相手に愛ではないと否定された愛でもです。人を愛せないと泣いた日々が救われた気がしたんです。認めてもらえた気がしました。あなたの愛はその形をして、確かに存在してるんだよって。「あとはもう気づくだけじゃん」ってのじょが手をさしのべてくれたから気がつけました。

「パパにママお姉ちゃんに」愛を歌うのじょを見て、私のまわりにはちゃんと愛が溢れていることを思い出して、また泣きました。「アタシなりにとどけたいよ」って歌うのじょを見て、私も、どんなに世間一般ではない形の愛でも伝えることを諦めちゃいけないって思えました。

そしてきっと、愛の形に「上も下もない」んだろうなって思いました。

のじょが「ドアの外も怖くはない」って歌ってくれたから、ドアを開こうと思えました。

「だれもきみを傷付けない」って言葉を信じたいって思いました。

抱えてる不安をぽい!ってして、幸せになっていいんだよって、本当に、肯定感?というんでしょうか?すごく救われたんです。

CDの時点で気がつけよって感じなんですけど、多分これはのじょの、生のパフォーマンスがあったからこそ、心に響いたんだと思います

歌詞だけ見たら「誰も君を傷付けない……わけねーだろ!」って感じですよきっと。

のじょが心から笑顔で、全力で、真っ直ぐに愛をこめて届けてくれたから、私の心にささったんだと思います

それ以来、superlove☆は大好きな歌です。

5thでますます進化したのじょのsuperlove☆を聴いて、改めてそう思いました。

そんな気持ちを吐き出したくて書きました。

すっきりしました。以上です。

あ、superlove☆はスペル大文字なんですが、変換的なあれこれがアレなんで見逃してください。

ちなみにアイマスには祖母が亡くなった時に、「ポジティブ!」という曲で救われたこともありました。ありがとうアイマス

以上です。

superlove☆だいすき!

これからも私なりの愛でアイマスを支えて行きます

2017-06-23

美人を見た時に真っ先に羨望を覚える

お話したいとかセックスしたいとか爪剥がしたいとかじゃなく、「ああなりたい」「あんなふうに生まれたかった」って憧憬が先に立つ

イケメン見たときには特にこういうことは感じない

GIDでもゲイでもオートガイフィリアでもない

俺もあんなふうに存在してみたかった

2017-04-13

おじさんをコンテンツとして消費している

個体としてのおじさんは別に興味ないけれど、群体としてのおじさんにたまらなく惹かれてしまう。おじさんコンプレックスではなく、おじさんCOMPLEXコンプレックスをひそやかに抱えている。

水曜どうでしょう』、『相棒』の5課、『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフルクルー、『シンゴジラ』の閣僚余貴美子は広義のおじさんだと思う)、・・・、挙げればきりがないが、「わぁ~、やってる。たのしそう、よくわかんないけど楽しそう」という感情が湧き上がってWhat a lovely day!ってなってる。

一方で、「ん?こういうの好きなんやろ?どや?」みたいな姿勢が透けて見えるものは嫌いなのかもしれない。テレ東の『バイプレイヤーズ』は狙いすぎてて無理だった。あと、はてな村はおじさんコミュニティだと思うけど全然興味ない。きもい

私a.k.aおじコン的には、上司部下や仕事相手など個人的紐帯によらないドライ関係性の中に、ゆらゆらと見える友情や信頼に対して萌えているのだと思う。立派な社会人であるおじさんへの尊敬と、ホモソーシャルへの憧憬同好の士がいたらおすすめのおじさんコンテンツを教えてください。

2017-03-25

堕落と上昇

 人は環境によって成長し、環境によって堕落する。

 特にコミュニティの中位以下に身を置く人間は、環境から多大な影響を受ける。己の能力に見合わないコミュニティに身を置くことは、それが上であれ下であれ苦痛を伴う。しかし下の階層に馴染むほうが上の階層に馴染むより早くまた苦痛も少ない。堕落はとは容易なのだ

 何かの間違いであるいは弾みで属することになった下位コミュニティから、脱することは並大抵のことではない。下位には下位の秩序があり、それに適応できなければ更に下位へと落ちざるを得ないという現実がある。しかしなま適応してしまえばそれなりに居心地が良く、受け入れたコミュニティ価値観念頭に置いて行動する為、成長が望めなくなる。下位コミュニティ中の下層を忌避こそすれ、上・中位にいればそれで満足し、上位コミュニティを自ら己と切り離してしまう。

 己を上位コミュニティへ押し上げるのは、上位への憧憬と下位への軽蔑である。(2012.1.23

2017-03-13

ぼくはきみの服の中のオッパイを見たかった

Mはぼくと同じ高校で一学年下の女の子だった。

まるで男の子のようなショートカットの髪、金八先生に出ていた時の上戸彩みたいにCUTEな美少女だった。

ぼくの君に対する第一印象はただひとつ「胸がでかい」それ以外のことをぼくは何一つ思いつかなかった。

小柄なきみのカラダに不似合いなほど、その胸の隆起は際だっていた。

きみは一時期、ぼくと同じ学年の男子と付き合っていたね。

から学校への道を並んで来る姿、帰る姿をぼくは覚えている。

そのときぼくは思ったよ。

あいつはあの大きな胸が目当てなのか」と。

もちろんそんなことはなく、彼は知的でCUTEなきみが好きで胸なんかはただのおまけだったのかも知れない。

しかし、どんな言い訳をしたってきみの第一印象が胸であることは疑いのない事実なのだ

それに「どうせ胸が目当て」だなんて高校生の言うセリフじゃないだろう。

自慢じゃないがぼくのいた公立高校男子童貞率96%、つまり童貞クラスに一人くらいしかいなくて、

しかも在学中に処女童貞を失った場合浪人率は100%という恐ろしい世界だったから、だから禁欲正義だったんだ。

もちろんぼくも受験勉強に精を出し、オナニーで精を出す一人の純朴な高校生だった。

受験勉強甲斐あってぼくは現役で大学合格し、その喜びもつかの間、片想い女の子にはあっさりとふられ、童貞期間更新中だったぼくは、翌年の春にきみが関西のある有名私大合格して大学生になったことを知った。

当時のぼくは手紙をよく書いたよ。在学中にちょっとした面識があったのできみにも合格のお祝いと自分大学生としての近況報告のような手紙を書いた。そうしたら一度京都を案内して欲しいという返信が来た。そしてぼくは思いがけずきみとデートできることになったんだ。

大学生になったきみの胸はさらに巨大化していた。

巨乳というのは裾野が広いんだ。

富士山裾野が広く伸びていてるみたいにね。

「えっ、こんなところから胸がはじまるのか!」と思うほどにきみの胸の隆起はクビのすぐ下からはじまっていた。

ぼくはきみの目ばかり見て話をしていたが、視線を下に落とせばそこには胸があった。

かい合ってる男が自分の顔ではなく胸を見ながら話してるなんてすごく不愉快じゃないか

からぼくはいつもきみの目を見て話をしていた。視線を伏せることなんてできなかった。

今思うとなんてもったいなかったのかと思う。サングラスでもして視線を隠して、思う存分胸を見ればよかったじゃないかと。でも、当時はそんな才覚はなかったんだよ。

京都でのデートの後で、ぼくは卑怯にもきみへの手紙の中に「好きだ」というフレーズを書いた。

しかし、そのときのぼくは本当にきみが好きだったのか、それともきみの胸が好きだったのか、正直言ってよくわからない。

ぼくは知的でCUTEなきみを本当に素敵な女の子だと思っていた。

しかし、その100倍くらいぼくはきみの胸が好きだったんだよ。そんなこと手紙に書くはずないけど。


秋になって、いろんな大学学園祭の季節になって、ぼくはMを伴ってN女子大学園祭に出かけた。

高校で同じクラスだったことがある仲間由紀恵みたいな黒髪の純日本風お嬢さんに誘われたからだ。

実はぼくはその仲間由紀恵のこともかなり好きだった。もしもその美女を射止めることができたならば、ぼくは同じ高校のあのさえない童貞軍団を見返してやることができたはずだし。そう、ぼくのあこがれの大本命は実は仲間由紀恵であり、Mの存在価値は「自分とつきあってくれる女」という点にあったわけだから

女子大学模擬店でぼくは仲間由紀恵にMを紹介した。仲間由紀恵はMをみて、Mの胸をちらりとみて、それから妙につっけんどんな態度になった。

あなたはこんな乳のでかい頭の悪そうな女が好きなのね!」と仲間由紀恵は思ったのかも知れない。

そんなことはないんだ。Mは決して頭の悪い女なんかじゃない。

とっても聡明で話していて退屈しない女なんだ。

でもそんな言い訳をするチャンスはなかった。

だって仲間由紀恵はその後ぼくに手紙をよこさなくなったし、彼女が風の噂にお医者さんと結婚したと聞いたのはその数年後のことだ。

女子大学園祭の後に控えていたのは京都大学11月祭だった。ぼくはそこでMと腕を組んだり、手をつないだりして歩くことができた。

普通カップルのように彼女学園祭デートをするなんて幸福をぼくは手に入れた。

しかし、ぼくは手をつなぐ以上のセクシャル領域に足を踏み入れることはどうしてもできなかった。

その理由簡単だ。ぼくは童貞だったから。どうやってその先に進んだらいいのか、ぼくは全くわからなかったのだ。

手を伸ばせばいつでも触れられるような距離にありながら、その胸はぼくにとって相変わらず不可視のものであり、かつ不可触のものであったのだ。

そのままお正月が過ぎ、春になった。ぼくはMと初詣住吉大社に出かけ、そこから阪堺線チンチン電車に乗って浜寺公園に出かけた。

潮の香りのするコンクリートで固められた護岸の上の散歩道をのんびり歩き、座って話をした。おだやかな一日だった。

あの頃ぼくたちはいったいどんな話をしていたのだろう。

そうして休日には手をつないで歩き、一緒に映画を見たりしたぼくたちはまぎれもなく「つきあってる」という状態だった。

しかしぼくにとってきみの胸は相変わらず不可視のものであり、かつ不可触のものであった。

どうすればぼくはその二つを可能にできたのだろうか。

まだ20歳にもならない自分はその方法を何一つ知らなかったのだ。

もしもできることなら今の自分が当時の自分に憑依して、知りうる限りの恋の手練手管を用いてその困難を可能にしてあげただろうに。

ぼくは免許を取り、中古車いすゞジェミニを買った。それでMとドライブすることになった。

Mに向かって「どこに行きたい?」と聞いたら「鞍馬」という意外な答えが返ってきた。ぼくたちは鞍馬おもちゃみたいなケーブルカーに乗った。

汗ばむような陽気の中で、同じようにデートしているカップルが居た。

ぼくたちとの違いは彼らがキスをしていたことだった。

ぼくは赤面した。

キスとは、ああキスとは、それは限りなく遠くに存在する行為じゃないか

まだぼくは胸を見たこともないのに・・・

いや、それは違う。少なくとも胸を見るという行為は、キスという行為さらに先に位置するものであるはずだ。

ということは、自分が胸を見たいとか触れたいと思っていたことは根本的な間違いであり、それを実現させたかったら

先にキスという段階をクリアしておかなければならなかったのだ。キスとは、胸を見るための必要条件である

もちろんキスをしても胸を見るところまで到達できない場合もあるだろう。しかし、キスをしないで胸を見るなんてことはどう考えても変だ。

まり自分は、「胸を見るためには先にキスをしなければならない」という恋愛の発達段階の重要法則をそのとき発見したのだ。

ストレートに胸に到達しようと思っていた自分が間違っていたのだった。

乳首を舐めたかっらたまず相手の唇を舐めろ!」

ぼくはその真理をここに理解したのだった。

しかし、破局は突然にやってきた。

Mが教会に通い始めたからだ。

学生のぼくたちがデートできるのは日曜日に限られていた。

その二人のための貴重な日曜日を、Mはこともあろうに私ではなく神に捧げてしまったのだ。

ぼくは一度Mにくっついて教会に一緒に行ったことがある。Mのスクーターの後を、ぼくは実家にあったヤマハパッソルで追走した。

当時はまだ原付ヘルメット着用の義務はなかった。そうして教会に出かけたのも一度きりだ。

ぼくにはきみの胸を見たいという願望があったが、教会聖書を見たいとは思わなかった。

僕に必要なのは聖ではなくて性であり、聖書ではなくて早くぼくを童貞から卒業させてくれる性書こそがぼくにとって必要書物であった。

「汝、姦淫するなかれ」という神の教えは、その反動でぼくの心をますます君の乳房への思いでいっぱいにした。

ぼくは教会についていくのを止め、ぼくたちの仲は自然消滅した。

ぼくがMと最後に会ったのはぼくが大学卒業した春だ。

そのとききみはブラウスボタンを二つもはずしていたから、ぼくは思わず「うっひょ~」と心の中で叫んだ。

そのとき、きみのオッパイはぼくの心の中で永遠憧憬になった。あれから34年経つけど、今でも君の胸は成長を続けているのかい

2017-02-15

ヘルシングなのは、咲、SAOアルドノア、魔法科ワンパンマンオルフェンズ…

圧倒的に強い主人公は読者の共感を拒み、読者も畏怖と憧憬と若干のネタ的な扱いをもってキャラに接していると思うが、「俺TUEEE」という抽象的な話になると途端に「読者と主人公の同一化」という単純化したモデルを語りだすのはどうしてなんだぜ?

2017-01-17

テラスハウス ハワイ編と日本人の正の走西性

外部刺激に対して生物が反応して動くことを走性といい、てんとう虫が重力に逆らって枝を登ることを「負の走地性」と言ったり、羽虫が光源に向かって飛ぶことを「正の走光性」と言ったりする。

「正の走西性」は、先ほどテレビを見ていてたまたま今シーズンテラスハウスハワイでやっていることを知り、西洋へ憧れる日本人揶揄して私が勝手に思いついた言葉である

しかし、なかなか良くできたコンテンツだと思ったのである。もちろん番組の内容が良いという意味で言っている訳じゃあない。純ジャパ(純粋日本人)が少なからず抱いている西洋への憧れを絶妙に突いてくるな〜と思ったのだ。

これまでのテラスハウス国内撮影されていたようだが、今回の舞台海外で、しか日本人にとって近くて遠い、想像ギリギリまだ及ぶ範囲で、画になりやすい南国ハワイというのが絶妙なチョイスでやるなと感じた。

国内では表現できなかった非日常ハワイにはあり、それがまた視聴者の憧れを強いものとすると思う。ファーマーズマーケットフレッシュフルーツを食うとか。

キャストも全員?ハーフ英語ペラペラ。ウェーイ系の人間が憧れる日本語の中に英語を織り交ぜて話すあの感じ。欧米かぶれの純ジャパ留学生がみんなやるやつ。

その中にも女慣れしてないけどギターが超絶うまいかいキャラもいて、モテない男も微妙自分を重ねつつ妄想ができる。「自分がああなりたい」と「あんな人を相手恋愛がしたい」のどちらの面から見ても、若い視聴者憧憬妄想をこれまで以上に強く掻き立てていることと思う。

2017-01-15

http://anond.hatelabo.jp/20170115164638

根底にあるのは新海監督への理解の違いと見た

自分は新海監督は絶対女殺さない派

あんなに未練かつ憧憬乗せまくり女性なんか殺せないだろう

2016-12-12

漬物セブンイレブンで買うか西友で買うか迷っている

三十二歳無職だが、

最近経済的事情もさることながら

生活習慣病への予防線を張るためにも

粗食、粗食への憧憬が強い

そこで絹豆腐、御飯、漬物味噌汁低脂肪牛乳などの簡素食事志向している

外を歩いているとき衝動的にコンビニ菓子パンを買ってくわえたり

喫茶店金もないのに、金がないゆえに

ショートケーキだけを注文して

生クリームと苺のハーモニーを堪能していたりはしているが

全体的には粗食志向により減量は進んでいる

漬物は以前からまりわず、そのバラエティについては疎いのだが、今日は白い漬物を買いに行こうと考えている

2016-12-04

[]

世界城を読んだ。ファンタジーなのにこの薄さ。読みやすさは抜群だったけど、案の定一巻で終わる物語じゃあなかった。残念。

最近?の小林泰三に特徴的なセリフを重視した物語だった。言い換えればラノベちっく。矢継ぎ早に展開される台詞で話が進む物語テンポは早くなるけれど、重厚さや世界観の深さをなおざりにしなければならないのが欠点だと思う。

しかしながらこの作品、ある一点だけでもって強烈なファンタジー性を輝かせている。なにかってーと、タイトルにもある世界城。文字通り城が世界になっているのです。

この辺り描写が少ないので詳しくはわからないのだけれど、城の遺構をめぐる物語や、城の外に対する憧憬など、料理できそうな素材はたくさんあるので面白そう。

土壌が貧相なので農業が上手くいっておらず村人がみんな困窮しているのも、短い地の文だけどうまく表現されていたように思う。

ただ展開が早く、題材となっているエピソードの貧相さもあって最後の盛り上がりも今一つだったのが残念だった。続編ありきなら仕方がないのかもしれない。

2016-11-08

インターネットでの女性差別表現問題を考える

インターネットで「(90年代オタクネイティブは秘していたような、女性に対して暴力的言語表現一般化してしまった」理由として、

00年代以前のインターネット社会では「女性マイノリティだった」というのが大きいのだと思う。

なお、タイトルで「女性差別表現」としたのは、

女性嫌悪的な記事や、『ま~ん()』『腹パン』『糞女』などの『女性に対する明確な差別的言論』やセクシズムに溢れた表現が、

住み分けされることなく偏在し、男女双方の性嫌悪再生産し続けている、という現状を重く捉えるためである

後半、ポルノメディアゾーニングについても触れるが、弊害が大きいのはむしろ差別言論のほうであるように感じる。

まとめサイト有害

インターネット社会は、公/私の領域区別が限りなく曖昧だ。

かつてアングラサイトだった2ちゃんねるは、まとめサイト存在によって「公」空間に引きずり出されてしまった。

ソース元となる「ニュース速報系」は、かつては「極端な思想同士が延々とプロレスをしている」一元さんお断り空間だったが、

雑談系板の分離、アフィリエイト排除のための板新設などを繰り返した結果、かつての「喪板(=モテない男性文化)」的な、

非モテミソジニー文化が幅を利かせる空間として先鋭化した。客層をターゲットした広告が配置され、結果として女性差別と、男性向けの性表現で溢れかえる

新たな住民流入し、育ち、巣立っていくサイクルの中で、一般的女性が見たら嫌悪感を持つ空間が醸成されてしまったのはほぼ必然といえる。

たまに誤解している女性がいるが、これを「日本社会差別性の象徴」と捉えるのは正確ではない。

まとめサイトによる、配慮を欠いた著作権侵害行為によって、

「もともと限られた男性たちが醸成した空間が、外部者である女性の目に触れるほどに一般化してしまった」が正しい。

なお、ここまでの推察は、既にあるまとめサイトをどうこうすべきという話ではなく、「結果としてやむを得ず現状がある」という過程の話である

解決案1:住み分けの徹底

多くのインターネットサービス提供しているのは、異文化衝突に対する、技術アプローチによる解決だ。

Google的な広告モデルは、個人需要に対して徹底的にパーソナライズされる仕様になっている。受け付けない広告は、右上などに表示された×ボタンを押せば表示を止められる。

例えばtwitter本来TLがデザインできる空間なので、攻撃的なタイプの「弱者男性(女性車両反対)」層、ツイッターレディースなどの、

IS○S的な用途は、本来サービスデザインに反する。「嫌いなものブロックして見ない」が正しい使い方となる。

また、facebookは年々ポリティカルコネクトネス的な締め付けを強めているので、猥雑なインターネット空間が受け付けない層はそちらへ行くのが妥当、という側面はある。

はいえ、情報リテラシーが高い、あるいは自制可能人間ばかりでない。

そして、往々にして人間は、自分空間デザインすることではなく、差別者批判することではなく、

『嫌いな』表現攻撃する行為に労力を割いてしまう。現状、技術手段有効活用されているとは言いがたい。

解決案2:規制する

二項目だが、人が一言目に求めがちなのがこれである

性差別を受ける体験から嫌悪を強め、あらゆるセクシズム的な表現に対するアレルギー発症する人は多い。

社会における表現の自由は「人権の総量」と同義であるといって過言でない。

表現規制基本的人権侵害に及んだ場合社会的人権確立が十分でない子供、そして次に女性権利を奪われる。

この例は、事実上男性向けポルノ規制である青少年育成条例周辺の改正案が、全て、「子供権利を奪う」方向に進んでいることに顕著だ。

焚書を及んだナチス・ドイツや、青少年健全育成法との内容的類似が指摘される、戦前国家総動員法物語る通りである

一部東南アジア国家では強硬規制政策が取られているが、独裁政権が横行し、「エロ本を買うより女を買うほうが安い」といった状況だ。

タイでは軍事政権に対するクーデターが起きたものの、短い平穏のあと、名君の死による大変な混乱が起きているのは周知の通り。

さて、「表現の自由」論について多くの行数を割くことは、ここではせず、過去他国の先例に触れるに留める。

論じたいのは、見た目のイージーさに対して重要リスクを持つ「社会法による規制」に訴えず、

女性差別表現に傷つかないネット空間を用意するにはどうしたら良いのか、という部分だ。

解決案3:女性にとって「クリーンな」サービス新規に作る

まとめサイト女性の目に触れる、ということは、扱われるトピックに、女性にも共通する需要があり、

一般メディアのセクシズムに不満が出る、というのは、逆に捉えれば「セクシズムが除外された空間需要がある」ということだ。

クリーンな」と書いたが、女性向けキュレーションメディアの多くは

女性趣味嗜好は細分化やすいので、隙間需要はおそらく多い。

女性向けで、かつ、現行のまとめサイトに近いものとして「ガールズちゃんねる」「GIRL'S TALK」などがある。

まだ十分に一般化していない印象があるが、これらは、需要を上手く捉えたサービスだと思う。

ところで、女性向けキュレーションメディアの大半が「セックス」「恋愛」を全面に出している。

セクシズムこそが人を惹きつけ、湯水のように金を出させることは否定のしようがない。セクシズムは男性のみならず、女性にも深く根付いている。

社会的な建前が排除された女性向けメディア、「ガールズちゃんねる」「大手小町」あたりを見ても、女性女性による女叩きは溢れかえっている。

それらを除外したサービスを作ったところで、収益を上げづらい(作るメリットが薄い)であろう、という推論は成り立つ。

視界内からセクシズムを排除したいならば、自らをゾーニングし、徹底的に安全場所に引きこもる他はないだろう。

解決案4:女性向けの性文化の氾濫を起こす

ここまで敢えて触れなかったが、女性向けのネット文化は、存在しなかったわけではない。

日本は性文化においても、女性への「slat shaming(ふしだら侮蔑)」的感覚が強く、また、女性のほうが趣味が細分化やす事情もあり、

女性向けの性表現は自ら「隠れている」のが実情だ。学級会文化、と揶揄されるように、同調圧力が非常に強い。

一般化する前の、かつてのオタク文化に近い傾向を持っているとも言える。

ただし、女性男性向けの性表現嫌悪感を抱くのと同様、本邦の男性女性向けの性表現嫌悪を抱く。

あらゆるネットサービス問題となる、「腐叩き」に顕著だが、「腐叩き」が問題になっても、「女叩き」が問題になることは少ない。

マイノリティ」の弱みだが、女性インターネット利用は既に一般化しており、そもそも男女の大きな人口差はないので、人数的にはマイノリティではない。

最近腐女子がやりすぎている」のではない。男性向けの性暴力表現一般性を考えれば、表に出てくるのは至極自然現象だろう。迫害するほうが不当だ。

男性性への嫌悪から女性差別表現と共に氾濫している男性向けポルノ規制を求めれば、女性向けの性表現規制を受ける。

ミラーリング」に必要なのは個別キンタマ潰しでもなく、ポルノバッシングでもなく、女性向けのポルノを、公空間に氾濫させることだと思う。

女性向けイラスト投稿SNSというのもできている。

なお、筆者は少女表象を好み、男性向け文化を主に嗜好してきた性別女性だが、

BL愛好女性の語りが好きだし、女性向けのゴア表現の行き着く先がどのようなものなのか、強い興味がある。

同性が表象によって「性的消費」されることに抵抗はないし、異性に対しても特にない。

個人イリーガル侵害しない範囲に限るが(実在者の加害行為扇動する気はない)、文化としては、更なる先鋭化に期待する。

最後

ここまで、もうひとつ、敢えて書かなかった選択肢がある。

攻撃的に、あるいは非攻撃的に、「自粛を求める」というものだ。何故書かなかったか。そもそも無理だと考えるからだ。

殴ったところで、他者加害傾向の強い人間は「反応があった」事実に溜飲を下げるだろうし、

攻撃的でない人は傷つき、嫌悪ないし憎悪を増幅させる。前向きな進展が起こるとは考えづらい。

空間のパーソナライズという形での技術解決は更に模索されるべきだが、人間はそも身勝手で、経験外の事象への想像力を欠いた生き物だ。配慮を求めるのは非常に難しい。

一般社会では許されないような表現が溢れかえるインターネットの「公空間」だが、「すでにそのように形成されてしまった空間」において、性差別欲望抗うのは難しい。

現在の本邦において、男性女性も、「男性嫌悪」「女性嫌悪」を内在させている。

女性向け」のインターネット空間では、女性は性表現への渇望を隠さないし、お行儀よく振舞っているわけでもないし、男性を「消費」しもする。

最初から女性インターネット空間マジョリティだったとして、「自粛」などできる筈がない。これはそういう問題だ。

想像不可能事象人間は「配慮」なぞしないし、想像力の欠如は、体験することによってしか補われない。

男性にも、目に見える範囲で同性の表象理想化され、客視され、消費される体験必要なのだと思う。それこそが戦うこと、ミラーリングになる。

裏返しに言えば、とき男性オタクが憧れるように、「憧憬され」「求められる」のは、「女性」の特権ではないはずだ。

相互に消費し、消費され尽くす経験を経て、住み分けやお互いの線引きを探るか。社会法による規制という形で表現の自由幸福に生きる権利が奪われることを望み、

共に滅ぶことを選ぶか。

女性の生きづらさ」を改善するためには、空気を、構造を変えなければならない。

それは、「黙らせる」のではなく、自らが声を挙げ、表現することによってしか実現されない。

追記:本稿で取り扱いたかったのは、主として「女性に対する差別言論」が全く住み分けされない(されづらい)現状だったのですが、

表現上、ポルノメディアとの区別曖昧になっていたので、一部をリライトしました。

ポルノメディアはかなりの割合でsexismを含むと認識していますが、それが単純な女性差別であるとは捉えていません(17:38)

2016-10-25

高校教師で地歴を担当している。

生徒を飽きさせないために、授業中数分程度だがサブカルチャー歴史みたいな小話をする。

1995年プレステにおける「ときメモ」。恋愛ゲーム誕生だ。

ときメモ」はゲームとして非常に出来がよく、可愛い女の子を愛好するグループと、ゲーム性を重視するグループ双方納得する出来栄えだったところに歴史的意義がある。

この均衡を破ってしまうのが、1998年の「センチメンタルグラフティ」だった。

女の子可愛いが、ゲーム性は糞。かくして萌え派とゲーム性派は永遠に離断されてしまった。

こんな話を、普段歴史を話すテンションと同じように生徒に伝える。

セングラのところで、もちろん笑いが起こる。

しかし、帰ってきてyoutubeで「セングラ」のオープニングを一人でみると、どこか言葉にし切れなかった部分があったことに気づかされる。

あのちょっと長閑で間が抜けたところがある洗練された音楽。暗黒太極拳揶揄される少女たちの舞踏は、作画自体は大変にいいものだ。

確かにあの頃、このゲームクソゲーと評されていたように思う。けれど、どこか愛らしいゲームだと、今更ながら思う。そしてそれは17歳には俄かには伝えられない要素だ。

世間のこともあまり知らず、特に何も考えずに青春を謳歌できていたあの頃。そんな時代を今私は懐かしく思う。その時に、想い出すのは「ときメモ」より「セングラ」だ。

これは私の年齢によるところが大きいのだが。

授業で馬鹿にする流れで「セングラ」を紹介したことを、ビール飲みながら少しばかり後悔した。

次の授業では、この私の憧憬感覚、伝わるかどうかはともかく、生徒に伝えてみようと思う。

2016-10-11

巨乳女子高生への違和感

巨乳という成熟した女性イメージと、女子高生という未成熟女性イメージ交錯する「巨乳女子高生」という言葉

ロリコンというわけでもなく、かといって大人の女性を求めているわけでもない。この微妙ライン取り。

ロリコンであれば巨乳への憧憬があるとは考えにくく、ロリコンでないなら女子高生性的関心を向けることはない。

結局、巨乳女子高生とは幕の内弁当のように、万人受けを狙ったあげく、だれにとっても中途半端ものしかないというわけだ。

ただし、だからとって巨乳女子学生だけはやめておけ。それは犯罪ダメ絶対

2016-10-05

アニオタが「君の名は。」を観に行った非オタ彼女教化するための10

勧めて良いのは薦められる覚悟のあるヤツだけだ。

はい。最初にエクスキューズします。

彼女がオマエに対して、次のような「紹介」をした際に、受けとめる必要がある。

こういう「非狂言好きの彼氏に勧める」「歌舞伎興味ない彼氏を」「出不精の」「オルタナ未体験の」「行きたい映画を」みたいな、

彼女がオマエに対して「自分の趣味を紹介して、できれば一緒に行ってほしいな」という願望に対して

オレは狂言にも歌舞伎にも旅行にもロックにもスイーツ邦画にも興味はねェヨって言わないヤツだけが

次のオススメ一覧を参考にできるし、その上で勧めても良いし、勧めなくても良い。

大前提

オレは元祖オタ軽10を書いた増田とは別人だ。

アレは目標が複数あってとっ散らかってる上に、全体的に「相手を試す」要素が強い。

「甘え」とまでは言わないが、「相互の入口」と言う割に、相手にだけ負荷をかけていると思う。

想像して欲しい。

ラーメン好きが、理解を求めてラーメン二郎に彼女を連れて行く姿を。

ラーメン二郎は現在のラーメンを語る上ではどうしても外せない。どう思ったか聞くのが狙い」

現実世界ときメモじゃねえから、店の前で黙って帰られたら二度と連絡は取れねぇぞ。

前提

彼女と一緒に「君の名は。」を観に行って、相手が「面白かったね!」となっていること。

目標は「自分が勧めたら、TVアニメでも一緒に見てくれる」ところに持っていくこと。

(外国行って出来た友達日本語辞書渡してから簡単な日本語で話しかけるみたいな

 「なんでこんな簡単な日本語を理解してくれないの?合わないね」とかやるなよ。

 本来は、彼女の趣味を入口にするのがコミュニケーションとしては王道)

1本目「魔法にかけられて(2008, 原題 Enchanted)」107分

いきなりディズニーかよ!とか言わない。

必要なのは相手の観たいもの」と「自分の趣味」とがクロスしている部分を探す努力だ。

新海誠作品特有清潔感のある繊細な描写を、一旦ここで落ち着かせる意味合いもある。

アニメプリンセスが、現実のニューヨーク離婚専門のシングルファーザー出会って

という、アニメーションパートベタディズニーを、実写パート進出させる異色作。

出逢えば歌でわかり合う……みたいなベタ設定を茶化しつつ、ベタベタディズニー

オタクとして観るなら「ディズニー文法をどこで回収してるか」に着目してみよう。

昨今観ることのなくなった手書きセルアニメを堪能するのも一興。大資本すげえぞ。

たまにディズニーが嫌いな女性もいるが、普通ロマコメなのでそこまでマイナスになることもない。

(ただし、相手に負荷をかける意味は全く無いので、乗り気じゃなかったら強行しないこと)

2本目「ウォーリー(2008, 原題 WALL-E)」97分

アニメから遠ざかってんじゃねえか!とか言わない。

薄いロマコメでありつつ、そこに至るまでに(彼女にとって)余計な要素を多く含む。

ウォーリーイブという、ロボットでありながらチャーミングな存在で物語を引っ張り、

ガチャガチャとした舞台設定や、いくつかの目的が絡み合った話を、スッキリ見せる。

オタクとして観るなら「『2001年宇宙の旅』のオマージュ」を一つでも多く探そう。

「実写では無く、女性向きにも見えない映画」も楽しめると伝えられれば目的達成。

吹替版でも良いと思う。草刈正雄は流石の演技力アニメ初挑戦とは思えないヨ)

3本目「インサイド・ヘッド(2015, 原題 Inside Out)」94分

オマエまたピクサーかよ!とか言わない。

ロマコメ要素を排除しつつ、一旦凹むような描写を挟んでくる映画。

親父の都合で引っ越しを余儀なくされ、アクシデントにも前向きに取り組むものの、

転校初日の自己紹介情緒不安定になってしまう少女ライリーの頭の中の物語

非コミュをエグるエピソード満載の割に、ちゃんと着地していて安心できる。

アニメロマコメですらないが、観て面白い」と相手が思えば目的達成。

なお、特撮方面に分岐するなら、インサイド・ヘッドに行かずに

ベイマックス(2014)」→「時をかける少女(2006)」→「青空エール(2015)」

 →「仮面ライダードライブ(2014~2015)」と展開すること。

ドライブを完走できれば、ほぼ教化は完了している。エグゼイドも一緒に行けるだろう)

4本目「思い出のマーニー(2014)」103分

戻ってきたのにジブリかよ!とか言わない。

実は方向性インサイド・ヘッド寄りのジブリ作品

絵が好きで内気な少女が、喘息療養のため滞在する街で、

古い屋敷に住むという華やかな少女マーニーと友だちになり、

お互いの悩みを打ち明け合い、徐々に心を通わせていく物語

チャンピオン連載のマーニーじゃないけど、若干の謎解きもある。

「綺麗ではあるが新海誠とは方向性が違う絵」を違和感なく観てもらえればOK。

この辺で多少、見終わったあとに感想が言い合えればベストだけど、どうかな。

5本目「サマーウォーズ(2009)」115分

いまさらサマーウォーズかよ!とか言わない。

うっすいロマコメ要素はあるが、基本的アニメ

偽装彼氏になるバイトを憧れの先輩から持ちかけられた少年が、

彼女の実家で親戚一同にモミクチャにされながら

ネット暴走する人工知能を食い止めようと奔走する物語

非オタに勧めるには結構なチャレンジ。この辺が分水嶺

「面白かったけど、アニメは苦手かな」と言われたらここで一旦諦めよう。

6本目「パプリカ (2006)」90分

東京ゴッドファーザーズじゃねぇのかよ!とか言わない。

千年女優東京ゴッドファーザーズも、日本映画に対する憧憬が強いと思うんだよね。

アニメ好きに黒澤映画や往年の日本映画を勧める窓口とするなら良いと思うけれども、

君の名は。」観てアニメに触れようとしてくれてる相手に紹介するには隔たりが大きい。

とは言うものの、アニメシリーズの紹介までも遠いため、ちょっと頑張ってジャンプアップ。

キツめのツンデレ千葉敦子が、他人に悪夢を見せて精神崩壊させる事件へと迫る胎教に悪そうなアニメ

オタクナーバスな所をギュッと凝縮した濃厚な一本。

コレを喜ぶ彼女なら、次は「PERFECT BLUE(1998)」を観ても良いかも。81分だし。

7本目「機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争(1989)」全6話

また古いところからもってきたな!とか言わない。

アニメ絵に対する違和感を無くして物語のものを観ることが出来るなら、

次は「連続してアニメを観る」という体験だ。OVA 全6話ならそれが出来る。

戦争のさなか、小学生がひょんなことから知り合った敵軍の兵士と交流するが、

友人たちや家族、そして大きな侵攻作戦を通じて少年の心を大きく揺らすストーリー

高山文彦監督しているので、山賀博之の脚本にも関わらず、映画のような印象を受ける一本。

ガンダムガンダムしていないガンダムなので、慣れない人に優しい。

また、絵柄が極端に古いけど、コレに慣れると大概のアニメがイケるようになる。

8本目「ばらかもん(2014)」全12話

ガンダムのあとに?とか言わない。

きちんと1クールで終わって、ちゃんと男性目線での可愛い女の子も出てきて、

それでいてエロに行かずに安心してストーリーになってる作品って思ったより少ないぞ。

サイズ的には「夏目友人帳(2008)」も「にゃんこい!(2009)」も良いんだけど、両方共難しい。

夏目友人帳少女漫画寄りだし、にゃんこい!男子中学生寄りだし、痛し痒し。

あっさりアニメ嫌悪感無く付き合ってくれるようになれば、もうひと押し。

9本目「DARKER THAN BLACK -黒の契約者-(2007)」全25話

オマエさっき女性向け狙ったって言わなかったか?とか言わない。

DTBは1期に関して言えば、全体的なトーンは暗いものの基本が2話完結式で、観るのが楽。

シナリオ的にもそれぞれきちんと独立しており、かつ、ストーリーに絡んでくるので、

あっという間にとは行かないまでも、一貫して観続けることが出来る。

ワリと抑えた演出ではあるものの、普通アニメでもある。

これについてきてもらえるのであれば、その先にいける。

10本目「ガン×ソード(2005)」全26話

最後まで来ても全体的に古いな!とか言わない。

皆様おなじみ痛快娯楽復讐劇だけど、ちゃんと完結してるのがエライ

前提知識が要らない、極端にエロいかないけどエロも入れてくる、

オタクが観てもちゃんと面白くて、ストーリーも追いかやすい。

紛れもなくアニオタ向けであり、内輪ネタもちゃんと入ってる。

これを観て糾弾されなければ、当初目標は達成できている。

あとは好きにしろ。

雑なまとめ

ロマコメから入って、心理描写、SF、変、人間ドラマ日常系ストーリー、2クールアニメ

おおよそ、半年~1年半ほどかけて、いわゆる男性アニオタの好むアニメに寄せて行こう。

線の綺麗なアニメや女性向きのアニメばっかりの構成では意図するところが達成できず

楽園追放 -Expelled from Paradise-(2014)」の描写で絶縁されかねない。

ヤマノススメとかユーフォニウムあたりですら「アニメ絵女の子ばっかり」ってだけで

いきなり見せたら、キモマジで!死ねば良いのに!って思われても仕方がない面もある。

おさるのジョージとかザ・ペンギンズとか、その手のアニメからの距離を考えよう)

みんな麻痺してると思うが、結構一発アウトになるアニメってあるんじゃないかな。

ストパンとかガルパンとか、非オタから見たら未成年着エロと同レベルだと思う。

(正直、ガン×ソードも一発目はムリ)

段階さえ踏めば作品は好きなので良いと思うんだけど、

いわゆる男性向けアニメに慣れてもらうのって大変だと思う。

東京マグニチュード8.0(2009)」とか描写も丁寧で名作だけどまだキツイし、

劇場版 天元突破グレンラガン 紅蓮篇(2008)」113分みたいなアクの強いのもアレだし、

王立宇宙軍 オネアミスの翼(1987)」119分みたいな超絶技巧だけどどーにもオタク向けだし、

書いてて思ったんだけど、「勧めたら一緒に見てもらえる」信頼を得つつ、

ガルパン観てても「ああ、なんか女の子ばっかりのアニメだけど、面白いのかな」って思ってもらえるって

すんごいハードル高いな。オレの友人はついにガルパンの映画に一緒にいくことに成功したらしいが。すげえな。

追記

やべー

元になったのリンク貼るの忘れてた

はてなブックマーク - 『君の名は。』や『聲の形』を観た一般人に勧めるアニメは? - Togetterまとめ

そもそもはココで東のエデンとかあの花が上がってることに違和感があったからなんだよね。

君の名は。」と「聲の形」を観に行った層が一致していると思えないのもあって限定にしてんだけど、

「綺麗な絵のアニメから観た」ワケじゃないと思ったのが最初。

「面白そうな恋愛映画がたまたまアニメだった」だけで、逆じゃ無いだろと。

同じ新海誠で同じ絵のテイストの「秒速5センチメートル」を薦めてはイカンと肌感覚で判るのに、

なにゆえに絵柄の綺麗なアニメならなんでも良いだろ、みたいな雑な方向になるのだと。

絵柄が綺麗で良いアニメなら観てくれるワケじゃないだろ、と。

まず彼女はどこに惹かれて観たのだろうか考え、

その部分を取っ掛かりにすべきだろうと。

あとね、元になったまとめのブコメにもあるんだけど、

「これだけ観てくれるなら薦めなくてもアニメ好き or 勝手に見る」ってのは傲慢だと思うのよ。

最初に書いといたけど、こんなに日本全国で庶民が気軽に狂言歌舞伎を見られる時代は無い。

お芝居でもそうだし、まあ海外旅行とか音楽を聞くのでもそうだよね。邦画もそう。

でも、フリクリを観たアニオタのうち、はたしてどれだけがオルタナティブロックを聞いたかな、と。

カウボーイビバップ観てジャズを聞こうとした知り合いは、ジャズ好きに正しく教化されて、今も少しづつ聞いてる)

野村萬斎さんの狂言、何のフォローもなしに観に行く?

彼女に誘われりゃ何度かは一緒に観に行くだろうし、

そこで面白さを知ってハマるかもしれないけど、

先導なしで同じ所まで行くかな?

オレは行かないと思う。

アニオタって、方向性の問題であって、我慢とか矯正とかと縁遠いわけだよ。

から、彼女ができようが親に内緒にしようが、やっぱ新作は観るわけだよ。

そうすると、観てるのを知られても「ヒかれない」のが第一歩。

そこに行くまで一苦労で、その為には遠回りに思えても理解を求めるしか無い。

から、彼女をアニメ好きにする必要は無い。

(だから半年以上かける長期戦なわけだし)

アニメは怖くないよ、(見た目はもちろん重要だけど)

絵柄だけで観てるわけじゃないよ、普通小説や音楽と同じ趣味なんだよってのを

人生時間を同じくすることを選んだ人には、伝えてみたいじゃない。

美味しい料理を食べた時に、コレ美味しいよと言う。

きれいな景色を観て、きれいな景色だったねって伝え合う。

その過程で「自分の好きなもの」を伝えながら「相手の好きなもの」を聞いて、

相手の好きそうなものを薦めてみる、相手の好きなものを試してみる。

そういうのが、コミュニケーションなワケだろうと。

から、さんざん書いといてなんだけど、原則的には以下の一文がすべてだと思うわけよ。

>>(ただし、相手に負荷をかける意味は全く無いので、乗り気じゃなかったら強行しないこと)

アニメはもはや特殊な趣味じゃないと思うが、伝わりづらいからなあ。

彼女が真田丸観てるなら一緒に観て、次はうどんの国の金色毛鞠一緒に見ようって言えるようになれると良いな。

(本エントリ趣旨上、「あにトレ!!XX」を誘うのは想定していない。それはコッソリ観ろ)

健闘を祈る。

2016-09-24

アニオタ非オタ彼女新海誠アニメ世界を軽く紹介するための10

元ネタアニオタ非オタ彼女アニメ世界を軽く紹介するための10

http://anond.hatelabo.jp/20080721222220

まあ、どのくらいの数のアニオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、

「オタではまったくないんだが、しか自分のオタ趣味肯定的に黙認してくれて、

 その上で全く知らない新海アニメ世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」

ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、新海アニメのことを紹介するために見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。

(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に新海のアニメ布教するのではなく 相互コミュニケーションの入口として)

あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う3クール、4クールアニメは避けたい(というか、ない)。できれば劇場版アニメにとどめたい。

あと、いくら新海的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。

新海好きが「遠い世界 OTHER WORLDS」は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。

そういう感じ。

彼女の設定は

アニメ知識はいわゆる「テレビまんが」的なものを除けば、ジブリ劇場アニメ程度は見ている

サブカル度も低いが、頭はけっこう良い

という条件で。

まずは俺的に。出した順番は実質的には意味がない。

ほしのこえ(2002)

まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「エヴァ以降」を濃縮しきっていて、「セカイ系ブーム」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。長さも25分だし。

ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。

この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報彼女

伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」試験としてはいタスクだろうと思う。

信濃毎日新聞(2007)、クロスロード(2014)

アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなアニメCM(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」

のものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。

アニオタとしてはこの二つは“CM”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。

雲のむこう、約束の場所(2004)

ある種のSFアニメオタが持ってる宇宙への憧憬と、オタ的な考証へのこだわりを彼女に紹介するという意味はいいなと思うのと、それに加えていかにも新海誠

童貞的なださカッコよさ」を体現する藤沢浩紀

童貞的に好みな女」を体現する沢渡佐由理

の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラ世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由

星を追う子ども(2011)

たぶんこれを見た彼女は「ジブリだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。

この系譜作品新海誠フィルモグラフィーではその後続いていないこと、酷評されて2週間寝込んだこと、

アメリカなら実写テレビドラマになって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、

日本国内でこういうのがさんざんつくられて(は失敗して)いること、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。

猫の集会(2007)

「やっぱりアニメ子供のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「笑顔」(2003)

でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける新海の思いが好きだから

断腸の思いで削りに削ってそれで1分、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、

その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから

「猫の集会」の長さを俺自身冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、

一方でこれが宮崎富野だったらきっちり1時間40分にしてしまうだろうとも思う。

なのに、各所に頭下げて迷惑かけて1分を作ってしまう、というあたり、どうしても

自分物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ新海がそういうキャラでなかったとしても、

親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。

はるのあしおと(2002)

今の若年層でminoriのオープニングムービーを見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。

君の名は。」よりも前の段階で、新海の哲学とかアニメ技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、

こういうクオリティ作品エロゲOPでこの時代に流れていたんだよ、というのは、

別に自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくアニメ好きとしては不思議に誇らしいし、

劇場アニメしか新海を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。

彼女と彼女の猫 (2000)

新海の「光」あるいは「背景」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。

「心にスキマを抱えて毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、

からこそテレビアニメ版『彼女と彼女の猫最終話はチョビが登場する以外ではあり得なかったとも思う。

「祝祭化するでもないささやか日常を生きる」というオタの感覚今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の

源は「彼女と彼女の猫」にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。

秒速5センチメートル(2007)

これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。

こういうジュベナイル小説風味の恋愛をこういうかたちでアニメ化して、それが非オタに受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。

言の葉の庭(2013)

9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に「言の葉の庭」を選んだ。

ほしのこえから始まって「言の葉の庭」で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、東宝―新海時代の先駆けと

なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。

というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら

教えてください。

「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。

こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。

2016-09-09

拗らせヤンデレが自滅したはなし

別名と言うか、長々と書いてみると。拗らせた承認欲求依存嫉妬心独占欲を爆発させたヤンデレ、その根源に巣食い続けた劣等感のはなし。

今こうして自分で並べても笑える程に、救いようのない要素だけで生成された恋の寿命は、三年に届かず終わりを告げました。大層に書き出してみましたが、結局何があったのかと言えば、好きな人を失いましたという、20文字にさえ満たない、世間一般に転がっているような、何の変哲も無い話なんですけど。

そんな、何の変哲も無い話だからこそ、タイトルを付けるにあたって、ヤンデレと言えば多少はライトに聞こえるだろうかと希望を籠めて。それでも結局は、どうしようもない程構ってちゃんな我儘メンヘラが、独りの人間を食い潰した話です。追い詰めて追い詰めて、限界がきて縁が途切れて、そして、私も自滅しましたという笑えない救えない話です。

それでも、この文章を書き切ることで、この喪失感が埋まりやしないだろうかという期待をしています。悲しいです。苦しいです。でもそれ以上に、この恋がもう駄目だったのだという事を、誰より私自身が理解しているつもりです。そう書きながら、それでもやっぱり苦しいですと続けたくなるぐらいには、依存していた心はどうしようもなく、矛盾していて。

それから、もうひとつ私自身、時間がある時は常にネットの読み物を漁っていて。匿名のまま、色々なことに真剣に長文を書いている人がいる。そういうのを読むのが、好きなんです。以前Twitterで見掛けたんですけど、文字や長文を読むことに依存していて読み物のジャンルは問わない、っていう状態。私、それも当て嵌まるなぁって想ったので…どうしようもないこの歪んだ恋のなれの果てが、とあるヤンデレの恋の顛末が、ネットを漂う読み物のひとつになればいい、と想っています。こんな想いは有り得ないと一笑に付されるのでも構わないし、この歪んだ欲求が誰かに共感して貰えるなら、それはそれで凄く嬉しいこと。勿論匿名ダイアリーなのでそれを私が知る術はおそらく無いんですけど、それでも、このメンヘラ日記が誰かに見て貰えるのなら、この恋が誰かの時間潰しになるのなら、なんて願望も抱いています

わたし最初にあの人と出逢ったのは、共通趣味世界で、その場所Twitterでした。

まずはその上手さに本当に驚いて、心底、凄いと想いました。ただ見惚れて、あの人にしか出来ないことに、心から惹かれた瞬間のことを、未だに強く覚えています。この人と関われなかったら後悔すると想って、勇気を出して声を掛けて、関わりを持てるようになって。そこから幾つかの幸運が重なって、あの人に、私の出来ることも認めてもらうことが出来て。一緒に、趣味に携わることが出来て。

毎日毎日Twitterでお互いにすごい熱量でその趣味のことを話すことが出来るようになって…本当に幸せでした。仕事が終わって、あの人がTwitterに浮上するのが本当に毎日の楽しみで、どちらともなく声をかけ、楽しい会話が始まって…眠る瞬間までそれが続くんです。本当に、睡眠さえ惜しい程、ずっと喋っていたいぐらいでした。あの時期、私の思考回路自由時間もすべてあの人の為にあったと言い切れますし、憧憬尊敬混じりの好意は、募る一方でした。たくさん時間を重ねて、私自身も、あの人の思考回路を占められていた自信があります。恋情ではなかったとしても、好かれていた、という自負も。本当に、私の一目惚れに近かったので…奇跡みたいな話だと、状況だと、ずっと想っていました。ずっと、夢中でした。まるで夢のような日々が、あっと言う間に始まって、私の日常侵食していきました。

だけど、奇跡はやっぱり奇跡で。私にとっての夢は、長くは続きませんでした。

その趣味世界で、あの人は、私より素敵な人と、出逢ったんです。それはいつか起こることだと理解していましたが、本当にあからさまなぐらい、毎日たくさん話していたTwitterでの会話はぱたりと止みました。あの人は、新しく出逢った人と毎日時間を重ね、私としていた時と同じように…いいえ、それ以上の熱量で、沢山の言葉をその新しい人に向けました。趣味は私ではなくその人とやるようになり、私が構って欲しくて、お話がしたくて近付いても、ええと、その頃はまだ星のマークでしたので、星が飛んでくるだけで。やるせなくて、悲しくて悔しくて寂しくて、どうしようもなくて。私はその時、一回目の失恋しました。

所詮Twitterでの話し相手を失っただけだ、と笑われるかも知れません。それでも、会話をする内容や頻度、趣味世界の話。文字はその人に惹かれるには充分な要素であると、私は想います。あの人に向けていたのがその時点で好意だったのか、恋情だったのか、その当時の私にも、今想い返してみても、断言は出来ません。それでも、欲しくて欲しくて堪らない人が私の方を向いてくれない、明確に"興味を失われた"その感覚に、涙が溢れて止まらなくなりました。毎日毎日、あの人がTwitterに居るのに、私とは話さずに、新しい人と、趣味に夢中になっているその姿をぼんやりと見ているその日々が、辛くて苦しくて、息を止めてしまいたいと想って。それでも、Twitterから離れることは出来ませんでした。心の何処かで、あの人が私の方を向いてくれていたのなんて最初から奇跡だったのだからと諦めを付けようとしている自分自身が居るのに、それに堪えることも割り切ることも出来ず。新しい人が私よりずっとずっと上手な人だったので…劣等感も悔しさも、仕方ないと想う心も。全部が、綯交ぜになったまま、ただ、其処に存在し続けました。

そして、私自身も、誤魔化すように、また違う誰かと出逢いました。そして、趣味の話を、あの人以外の人と、とりとめも無く喋っていました。文字は凄いと想います。笑っていなくても、笑えます。心が沈んでいても、テンションは幾らでも取り繕えます。そんな風に、Twitterでは誤魔化しながら、現実世界では泣いて吐いて、眠れなくて、ただひたすら、あの人が恋しくて、悔しくて。私は飽きられたんだ、捨てられたんだと泣いて喚いて、だけど新しい人の上手さに叶う気もしなくて、幸せそうに楽しそうに趣味に耽るあの人を見るしか出来ず、絶望するように目の前が真っ暗になって……失った喪失感で一杯の、日々でした。

それから、日を重ねましたが私とあの人の立ち位置は、共通趣味世界の仲間、のままでした。私が一方的に抱いた喪失感失恋感覚も、悔しさ寂しさ、嫉妬心も…言葉になる事は無く、消える事も無く、勿論あの人が知ることも無く…ただ、私の胸の内で、私の心に影を落とし続けていました。時折言葉を交わすことはありましたが、あの人が夢中なのは、新しい人でしたから。幸せそうだなと想いながら胸の何処かが酷く痛み、けれど私よりずっと上手な二人を見て、お似合いだなと感じて。苦しみながら、憧れながら…そんな、矛盾を孕んだ生温い日々を送っていました。

そんな日々が変わったのは、知り合って数か月経った頃。奇跡の夢から覚めて、絶望の淵に立って。

それでも、私があの人を好きなことは変わらないし、趣味だって辞めるつもりはない。そんな、一方的に私だけが居心地の悪い関係は、突然新しい道を見出します

既存趣味の…変化版?に、二人で手を出す事になったんです。匿名で、伏せに伏せて今更、なのですが…例えるなら、パン作りが趣味だったなら、二人でお菓子作りにも手を出すことにした、とか。ネットゲーム趣味だったなら、二人で新しいサーバーにも行くことにした、とか…調理ゲームなどの趣味としての大きな枠組みは変わりませんが、何にせよ"二人だけ"の、ことが出来ました。それは私にとってとんでもなく幸福なことで、近くで見るあの人の出来ることに、やっぱり改めて憧れ惹かれました。その憧憬に加えて今度は、その素晴らしいことが、私だけ、独り占めが出来るんです。新しい人ではなく、私となんです。そんな感覚に、嫉妬で喘ぎ、苦しんでいた自身が満たされ癒されるような、快楽を味わいました。好意も恋情もすべて含めて私はこの人が好きで、関わっていたくて、話がしたいんだ、という気持ちが、確固たるものに変わりました。

其処からは、また、幸せな日々が始まりました。飽きられ捨てられたと想っていた、それでも好きだった、あの人との関わり。大きな枠組みが同じとは言え、やはり今までの趣味範疇からは少々外れていたので、二人とも新しくTwitterアカウントを取りました。二人ともいずれ誰かをフォローする予定ではいましたが、その時点ではお互いにお互いだけをフォローしているアカウント。そこは私にとって堪らなく居心地が良い、幸せ増長させる秘密場所になりました。

毎日繰り返す、共通趣味世界の話は昔の熱量を想い出して堪らなく胸がときめきましたし、そのアカウントは二人だけと言う気易さからか、少しずつ世間話も入るようになって。あの新商品が美味しかったよだとか、今度どこでどんなイベントをやるみたい、だとか。他愛ない日常世間話はまるでLINEのような一対一の会話で、Twitterで新しい人は勿論誰かに向けて話されるのとは確実に違うものだと感じて、私は至上の喜びを味わいました。

あの人が私と、私とだけ喋っている、ということ。嫉妬を拗らせて鬱屈させていた私が、あの人を独占出来るその時間依存していくのに、時間はかかりませんでした。けれど、同時に。過ぎたる幸福は、抱いてはいけない欲を育てるのも、早かったのです。

私は次第に、あの人が、今まで通りのTwitterアカウントで喋ることに、恐怖と苛立ちを覚えるようになったんです。

どうかしていると、笑われるでしょうか。あの人の自由を奪う行為に、賛同はきっと得られないでしょう。解っています、解っていても、それでも、尚。脳裏にこびりついた、また捨てられるという恐怖が、私の心を蝕んだんです。

また奇跡が起こって、私はあの人と二人の場所を手に入れて。これ以上無い幸せを味わいながら、その幸せは、いずれ弾けるものなのだと心の何処かで想っていて。あの人がまた新しい誰かと出逢うのはいつだろう、私には抗えない、勝てない、私よりもっとずっと上手な人と出逢い、その人に惹かれるのは、いつだろう?また、私との会話をぱたりと辞めてしまうその時は、いつ訪れるんだろう…?

そんな恐怖が日に日に増していき、あの人が今までのアカウントで喋っていると、その恐怖と焦燥感で一杯になるようになりました。あの人に捨てられる、飽きられてしまう恐怖が、あの絶望が、どうしても忘れられないんです。奇跡が覚める瞬間のあの足場が崩れるような、あの感覚を、二度と味わいたくはなくて。新しい人と出逢ってしまったら、私が勝てないことは目に見えていて。

まりの恐怖に、私は、あの人に、二人の場所に居る時間を増やして欲しいと、今までのアカウントに行く頻度を少し減らして欲しいと、お願いしました。それは、強制力のあるものでは無かったと記憶しています。ただ、二人の場所が大好きで大事であること、たくさんの人と繋がっているTwitterアカウントで皆に囲まれている姿を見ていると、寂しいこと、嫉妬してしまうこと…。今想い返しても、少し甘えたような可愛い我が儘だった、と想います。勿論、自分可愛いと言っているのではなく――後々言うことになる言葉に比べれば、かわいいもの、と言う意味で。

結果的に、この行為は私を泥沼に落としました。

最初に私がその葛藤を、恐怖を…嫉妬独占欲に言い替えてあの人にぶつけた時。その我が儘をあの人は喜んで受け入れてくれました。そして同時に、あの人が新しい人と出逢った頃、私自身その孤独に堪え切れずに誤魔化して他者と関わっていた頃。あの人も、他者と関わる私に対して嫉妬をしてくれていただなんて、リップサービスだとしても嬉し過ぎることを教えてくれました。私は、堪らなく幸せでした。そして、憚ることなくあの人に好意を伝えることが出来て、あの人からも、好意が返って来て。二人のTwitterアカウントは、本当の意味特別で、秘密場所に、なりました。迷うことなく二人の関係を恋だと定義付け、二人で趣味世界に没頭しました。お互いが、お互いのものになったんだと、幸せで、日々が満ちていました。あの人に感じる憧憬混じりの恋情はもう私の一番根の深い場所まで侵食していて、あの人が二人のTwitterログインしてくれるのを今か今かと待って、二人の時間に躊躇いなく依存して…あの人が喋るたびに、通知が来るようにして。専用の通知音が、私の幸福を彩りました。

から、きっと忘れていたんです。夢が覚めるものだと言うこと、奇跡が長くは続かないことを。もしくは、見ない振りを、気付かない振りを、していたのかもしれません。

そもそも、私の我が儘は叶えられたとは言っても、その言葉に―二人のTwitterに居て欲しいというお願いに、強制力はありません。今までのアカウントログインしたところで、私以外の人と本来趣味に没頭したところで…それを責め咎める権利など、私には最初から無いのです。

元々他者に囲まれることも、評価されることも好きなあの人は、今までのアカウントも変わらず利用していました。二人のTwitterにも勿論来てくれてはいましたが、私自身も今までのアカウントで喋っていましたし、割合は日によって変わりました。

今、本当に、此れを書いている今、想い返せば。これで満足出来なかった時点で、この恋は、いつか終わる運命だったのだろうと、私は想います。私は、幸福の量にも、恐怖の量にも、堪えることが出来なかったんです。あの人が今までのアカウントで喋っていると、恐怖で恐怖で、堪らなくなりました。叶えて貰った筈の我が儘では物足り無くて、納得出来無くて。不安は益々色を濃くするばかりでした。だって、また新たな人に出逢ってしまってからでは遅いのです。もっと素晴らしいことの出来る人に出逢い、惹かれて、あの人が私のことをまた捨ててしまってからでは、遅いのです。私が、その新しい人に勝てる訳は無いのです。だからこそ、二人のTwitter時間は堪らなく安堵して幸せで、もっと此処に居て欲しいと願うように、なりました。

それからの私は、恐怖と絶望に憑りつかれ、唯一の希望が二人のTwitterだ、と定義付け、お願いを繰り返すようになりました。いつものアカウント趣味の話をして盛り上がっているところに水を差すように帰って来てとコールしたこともありますし、今日はあちらのアカウントに行かないで欲しいとお願いしたこともあります今日だけはのもので居て欲しいとお願いし、それが表面的に叶えられ、私は仮初の満足を得て…そして、翌日になればまた不安に駆られ…気付けば、私のお願いは、お願いと言う枠を随分と超えるようになっていました。今日は行かないで欲しいと言う回数は日に日に増え、ある時は酷く甘い言葉で、ある時は、酷く乱暴な言葉で。まるでDVの飴と鞭のように、私はあの人を、追い詰めました。

好意嫉妬独占欲を盾に、私の歪んだお願いは時として命令染みた強制力を持つようになりました。あの人が他者と関わろうとしたら、私も同じように他者と関わって、嫉妬しまたかと問うてみせて、それなら二人でTwitterに籠りましょう、嫉妬するのは痛いでしょう、と…身を以て感じさせるようなこともあって…まさに、泥沼でした。私は、あの最初に"捨てられた"感覚から、抜け出せていませんでした。あの人を、根底から信じられなかったんです。いつか誰かに惹かれ消えてしまう人なのだと想い込んで、もう、その固定観念から、抜け出せなくなっていたのです。私の行動はエスカレートし、あの人の行動を制限し、出来ることがどんどん消えていき、いつしかTwitterアカウントに割く時間は逆転して――二人で、二人の居場所だけに引き籠るようになっていきました。

それでも私の膨らんだ恐怖は拭い去ることが出来ず、私は二人の居場所に居ても尚不機嫌で、苛立ちが隠せなくなる日が、増えてきました。お互いに没頭していたはずの趣味の話も出来ないことが増えて。そんな日々が、楽しい筈がありません。あの人は楽しさを求めて今までのアカウントログインし、私は其れを見て益々苛立ちと恐怖を募らせて…まるで、鼬ごっこです。沈み始めた泥沼は底無し沼のようで、私も、きっとあの人も。正解が解らないまま、お互いの可能性を、殺し続けました。

何処かで、きっと満足出来るラインがあった筈なんです。だけど私は、それを見付け出すことは出来なかった。満足することは、出来なかった。あの人は私の歪んだ独占欲嫉妬を受けながら、他者と関わることを辞めはしませんでしたが、それでも出来る限り、私に愛を誓ってくれました。でも、それって、とてもとても中途半端で、生半可で、生殺しなんです、と書いてしまう私は、やっぱり冒頭にも書いた通り、救いようのない、ヤンデレメンヘラだと想います

でも、だって、私はこんなにもあの人が欲しいのに、私はあの人だけで構わないのに、あの人と二人きりで趣味に没頭していられるなら、それだけでも幸せなのに。どうしてあの人は、私を愛していると言いながら、他の人を見るんでしょう。そんなに、他の人と行う趣味楽しいですかと問いたくなって、そうですよね私なんかと一緒に居るより楽しいですよねと、黙ったまま、傷付くんです。勝てる訳が、無いから。あの人が他の人と関わるたび、私よりずっとずっと凄い人と出逢って、どこかに行く為じゃ、ないんですか?どうして、私を見てくれないんでしょうか、と、恐怖から来る理不尽で身勝手欲求が、抑えられないんです。劣等感が身動きを取れなくさせて、あの人に、誰より愛していると言って欲しい、認めて欲しい、何処にも行かないと言って欲しい…と、私の存在意義は、どんどんあの人から言葉に委ねられました。承認欲求を満たして欲しい、独占欲嫉妬を慰めて欲しい。そんな風に、転げ落ちていきました。

何度も何度も責めました。何度も何度も謝ってくれて、二人の場所に居ると誓ってくれました。それでも、あの人は想い出したようにいつものアカウント趣味世界を拡げては知らない誰かと出逢って、愛されそうになるんです。気が気じゃなくて、私は、いつも、あの人を監視していないと、落ち着いていられなくなりました。その頃にはもう、私の余裕なんて微塵も残っていなくて、私とあの人の趣味の話は殆ど無くなっていました。悪循環だ、と気付いた時にはもう遅く、趣味の話なんて残っていない、ただあの人の存在に執着して二人の場所に籠り切り固執する私と、息苦しそうに、私とは趣味を共有出来ないと判断して、いつものアカウントにもログインし続けるあの人が、残りました。今、想い返しても、可哀想だ、って想います妄想に憑りつかれてしまった私の心も、その我が儘に振り回された、あの人も。

そんな悪循環から抜け出す術があれば、それを私が知っていれば、この文章にも起承転結が生まれて、もしかたらこの恋はハッピーエンドを迎えられたのかも知れません。もしくは、少しでも泥沼から抜け出せたのかも知れません。けれどこれは、私の歪んだ恋心が終わるまでの顛末ですから、結局は"このあとも、あの人が限界を迎えるまで、この地獄のような鼬ごっこは繰り返されました"と、作者が放り投げたような展開しか、待っていません。

私は、趣味世界に二人で没頭したくて、あの人の存在が行動が誰に与えられることが許せなくて、何処にも行かないように安心したくて、生活のすべてを呟くように義務付けました。お願いのつもりでしたけれど、暗に脅迫いたことを含んでいる言葉など、命令しかないと、今は想えます。それでも、私は、そうしないともう自分を保っていられなかったんです。帰宅したら二人のTwitterに来て、眠る瞬間まで、居て欲しい。会話をしながら、その返事が1時間以上空くのは堪えられませんでした。誰かと連絡を取っているかもしれない、もしかしたら見えないだけで、いつものTwitterで誰かとDMしているかもしれない…。そんな妄想に憑りつかれて、居ない時にはただひたすらあの人を責め、あの人の存在に餓え続けて。言い争うことも毎日のようになっていき、互いの言葉はどんどん酷くなり……そして、決定的な終焉を、迎えました。言っていいライン、と言うのは確実に存在して、それでも餓えて麻痺して、心の何処かで被害者を気取っていた私は、その地雷を、踏んでしまいました。それはあの人にとって堪えられる言葉ではなく、けれど其れを言うに至ったまでの経緯も私にとって堪えられるものではなく。お互いに追い詰めて、お互いに限界を迎えて……当然と言えば当然の、結末でした。

あの人は私と関わりたくないと言い、私も、もうこの恋を続けてしがみついても幸せになどなれないと、想います。この先、私が癒える方法など私自身では想い付きもしませんし、それはつまりあの人の自由を許せないことです。息苦しい想いだけを、させることになるのです。私も、裏切り続けられ疲弊し、泥沼に沈んだままです。追い詰め、逃げ、それを責め……そんな悪循環しか戻れないと、お互いに解っていて、だからあの人は私との関わりを無いものします。そして私はそれを上手く出来ずに、この文章を、書いています

依存しきっていた、毎日交わしていた言葉が無くなって、私の日々は表面上、穏やかです。

ただ何もせずとも、ぼんやり時間は過ぎていきます。けれど、壊れてしまった私の箍はどうしようもなく、今でも、あの人が何をしているのかを考え、頭のおかしヤンデレから解放されてきっと幸せなのだろうと想うのに、一言でいいからまたあのTwitterで喋ってくれないだろうかと待ち、いつものアカウントはいかないで欲しいと、願ってしまうのです。

愛しています、と、愛していました。どうか私のことを忘れて幸せに、と、今すぐ私と死んでくれたら良いのに。今、あの人に向ける言葉は何を想ってもぜんぶが矛盾していて、自分の往生際の悪さに、辟易しています。この恋に未来は無かったと、泥沼だと散々書き連ねてきたのに、それでも尚、この恋さえあの人さえ居れば私は他に何も要らなかったのにと、未練がましいことばかり想ってしまって、でもその数分後には、最低だと、あの人が私にしたきたことを反芻しては心の中で罵って。私はどうしたいのか、もう解らないまま、この文章を書き終えようとしています

私はこの恋をまだ教訓には出来ていませんから、お説教染みた、愛した誰かを大事にしてくださいだとか、相手を信じてだとかをこんこんと語る気はありません。この文章は何処まで行っても私の歪んだ恋愛録でしかなく、フェイクが多分に含まれている時点でその記録としても殆ど価値は無いものです。それでも、この飽きる程に長い文章が、愛しくて愛しくて堪らなくても上手くいかなかった、拗れて病んだこの愛情存在していたことが、このネットに残れば良いなあ、と想っています

2016-09-06

仕事町田営業に行った妹が、こひつじ幼稚園バスを見かけたと云う。

バスの見た目全く変わってなかったという妹の言葉

そこまで覚えてないわっ!と突っ込みながらも、

大好きだったなーというスタンプにはうん、ってつい自分も頷いてしまった。

自分も大好きだった。

立地が二十年以上変わってないなら、高ケ坂って住所の名前の通り、

幼稚園は今も坂の途中にあるはずだ。

通学のバス亭、あるいはお昼寝の後にサッカーをするために幼稚舎の外を出て、

坂の下の駐車場まで登り降りしたのはなぜか記憶に新しい。

六歳児の自分にはきっつい坂だと思ってたけど、

高校の頃にママチャリで登ろうとしてしんどかったのでやはり急坂だったと思う。

坂を真っ直ぐ行けば幼稚園入り口、途中で左に折れて

さらに登れば町田図書館だったがそこまで行った記憶はない。

この道をもしもあっちへ進んだらその先には何があるのだろう。

あの丘の向こう、なんて憧憬を初めて覚えたのもこの道で。

反対に振り返れば、とても眺めは良かった。

なんてことない、郊外住宅街が続くだけだったけど、

自分暮らしている世界が何倍にも広く大きくいつも感じられた。

幼心に感じた開放感は今も強く覚えている。

逆に、自分はすっかり忘れてしまったのだけれど

親と飲めば、今でも時々この頃の自分にまで話が遡ってからかわれる。

覚えたてだった「地球」をどんなモノの例えにも使ったのでついたあだ名地球少年

地球は廻っている、とどこかの科学者セリフママさん先生の前で発表したら

いたく褒められたのをすごく嬉しがってのことらしい。

とても単純で、でもその後のアレコレに比べたら毒がない話だと思う。

http://m-kohitsuji.xsrv.jp/wp/archives/6128/

そうだ、この変なつぼ。まだ作ってるんだ。デザインも変わらない。

実家が引っ越すまでは少なくともあったっけ。

記憶もモノも、物持ちが良すぎるのはコトだと思う。

計算したら自分がここに通いはじめたとき、母は今の自分と同い年だった。

タラレバ女子を読んで、分かるーとゲラゲラ笑ってる場合じゃないよ!でもまだ

……先のウェブサイトで、保育時間の延長という案内があって

幼稚園でも保育園と同じくらいの時間まで追加料金で

子どもを預かってくれることを知った。

つい、そんなところまで読んでしまう。

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