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2023-11-29

進撃(完結編)リンホラ主題歌に不満あるやついないの?

最終回主題歌文句がある。

自分だけかもしれないが。

マイナスワードで調べてもほとんど出てこない。

自分感性おかしいのか??

トッポキャッチフレーズみたいなことを口揃えて言ってるんですが。

ほんとに1ミリも合わないとかダサいとか感じないの?

『○○と言えば、これだよね(脳死)症候群

罹患でもしてらっしゃるんすか??

いや、自分だってそういう『原点回帰概念』は大好きだよ。

久しぶりにやった某アニメ映画の『原点回帰純粋に嬉しかったし。

1番の問題はその展開、雰囲気に合ってるかなわけだけど、自分は合ってるとは思えなかった。

しかに、作中の要素は分かりやすいくらいに拾ってるし、『物語に即してるか?』と言えば同意するけど。

ただあの雰囲気の展開に対して『流れる主題歌』としては浮いてると思うし、ダサかった。

気になりすぎて余韻どころじゃねぇ

リンホラが全て地雷って訳じゃない

あのストレートアニソン感(微妙なダサさ)も、season1,2なら、まだスルッと馴染んでいたと思う。

自由の翼紅蓮の弓矢より好きだった

ただし『憧憬と屍の道』あれはアカン。

ツギハギタイプ、それだけは勘弁してくれと。

せめて一から構成してくれと……

はい残念!!

どっちもツギハギタイプでした……

絶対原点回帰』やりたくてポニキャン側は

分割決定した時点で依頼したんだろうけどさ……

製作委員会場合

アーティスト決定権は音楽会社が持ってるらしいし

じゃあ、Final入ってから、それまでたくさん使ってたリンホラを使ってなかったのはなんでですか。

雰囲気に合わんからでしょ。

対立構図が元に戻ったからいいって??

雰囲気が合わねぇんだよ!!!

しろ終盤しんみりしてるだろうがい。

制作陣にアーティスト決定権あったら

どうなったんだろうな

その世界線見てみたいよ……

ポジティブに考えよう。

殺害予告担当アーティスト批判』するような信者が暴れてる姿を目にしなくてすんだ。ってさ

はァ…こちとら『リンホラが帰ってきたからそれだけで満足』にはなれねぇんだ。

これはたとえなんだけど

10年前に食ったラーメン屋が復活した

『けど不味かった』らどうよ?

おれは上手いのが食いたいよ。

終盤流れた『The Dogs』はめちゃくちゃ良かったのになぁ

総集編映画は(絶対やりそう)改めて主題歌付けられる可能性も高いし、自分はそれに賭けてる。

2023-09-26

文字入力専用の機械を買った

今日、Pomeara DM250という機械が届いたので、それを使って試し打ちのためにこの文章を書いている。知っている人もいるかと思うが、Pomearaというのは、キングジムという会社が作っている文字入力専用の機械だ。いってみれば昔のワープロだ(昔とはどれぐらいのことかというと、昭和の末ぐらいか平成の初期ぐらいのことをぼんやりと考えている)。

じつはこのPomeraシリーズを買うのは4台目だ。たしか、一番最初モデルが出たときに頑張って買ったのを覚えている。あの機械はどうなったのだろうか。まだ処分していないはずだからどこかにあるはずだ。本体のその軽さにときめいたものだが、なんか使いにくくて結局使うのをやめてしまった。あと本体の一部が加水分解してベトベトになっていたような気がする。

2台目はこのDM 250と同じ形式の、キーボード折りたたみ式じゃない、クラムシェル型の最初モデルだったと思う。書き心地は軽快でかなり気に入っていたが、当時は文章を書くといえば論文がメインだったので、Pomeraがどんなに使いやすくてもcitationを入れる役に立たないという問題があった。で結局iPadWordを使ってドラフトを書いていたことを覚えている。この機種もまだ捨てていないはずだがどこかにいってしまった。

3台目は、はじめて画面にEインク採用したモデルだ。はじめて、というかこれ以降Eインクモデルはなくなってしまったので、最後モデルでもある。これは夜中に液晶画面を見たくないが、文章は書きたいというニーズがあって買ったものだ。Eインクの画面で文字入力ができることに購入当初は感動したものだが、このモデルには複数問題があった。まず文字入力の遅延。キーボードを打って画面に文字が表示されるまでに少しの遅延があるのだ。これは我慢しているとある程度慣れてくるが、まったく気にならないレベルには至らなかった。

次にEインクの画面の汚さ。これはEインクに固有の問題だが、画面を定期的にリフレッシュしないと、先に入力した文字残像が表示されたままになるというか、画面上に変な縞縞がずっと表示されているのだ。これも文字入力に集中していると気にならないが、あるときハッと我に返ると、汚い画面だなあと思ってしまった。

最後文字コードの問題。このモデル文字コードがShift JISしか使えない。最近PomeraにはPomera Linkというアプリ本体からスマートフォンQRコード経由でテキストデータ転送する機能がある。これを使えば、Pomera入力したテキストスマートフォンPCで利用できるのだが、文字コードがShift JISだと使い勝手が悪かった。そのままでファイルを開くと文字化けしてしまうケースがけっこうあり、文字コードを変換してから流用するのが大変な手間だった。これが最大の理由で使うのをやめてしまった。

このモデルはまだ手元にある。売ってしまおうと思っていたが、Eインク文字入力機械を作るという発想自体は好きなので、取っておこうと思い直している。

4台目のDM 250を思い切って買ったのは、上記問題がこのモデルでは解決されていると思ったからだ。まず、文字コードはデフォルトUTF-8なので、今度はストレスなくPomeraから他のデバイステキストデータを流用できるようになった。Pomera Linkアプリも気づけばかなり改善されており、データの読み取りがとてもスムーズになったと感じる。

あとはなんといっても画面がきれいで、文字が読みやすい。初期のモデルに比べるとまったくの別物だと感じる。

それから日本語入力Atok)がとても改善されたと感じる。思うように変換ができなくて変換候補を探し続ける、ということがほぼなくなった。これは大きな改善ポイントだと思う。

ただしこのモデルにも問題がないわけではない。まず、キーボードPCキーボードに比べるとどうしてもひとつひとつキーが小さいので、タイプミスをしやすい。これは指がこのキーボードの大きさに慣れるまでの問題なのかもしれない。だがキーボードの質感じたいがどこか玩具っぽいという感じには慣れそうにない。この値段にしてみればキーボードの質感はもうちょっとなんとかならなかったのだろうかと思う。あとは打鍵感。音が静かなのはたいへんよいが、このキーボードで何時間文字を打ち続けると、指の関節が痛くなりそうだ。そこまで長時間この機械文章を書き続けられればだが。

あとは本体がやっぱり重い。知ったうえで買ったが、このサイズで620gという重さは、手に持つとかなりずっしりくる。手元にあるPanasonicのLet's note本体重量が800g台だったと思うが、これより小さく軽いPomeara DM250を手に持った時の方がずっしり感があるのは不思議だ。PCを持ち運ぶよりはましだといえばそうなのかもしれないが、あまり気軽に持ち運ぶことに適した機種ではない。少なくともPCと一緒に持ち運ぶのはつらいので、外出するときにはPCPomeraか選ぶことになるのだろう。

意気込んで買ったわりにはすぐに使わなくなるものナンバーワンPomeraだ。なのだが気がつけば4台も買い続けているのは、集中して長い文章を書き続けることに自分憧憬を持ち続けているせいだと思う。シンプルに、集中したいという願いをPomeraに込めてしまうのだ。で、気づけばPCに戻ったり、スマートフォンBluetoothキーボード接続して文章を書いたりしている。直感的に、道具としての納得感があれば自分Pomeraを使い続けるだろう。今回のモデルはそうなるだろうか。気づけば約2400文字を30分程度で打ち込んでいるので、まずまずの生産性なのかもしれない。それが続くかどうか、試してみたいと思う。

2023-09-02

筋トレの副次効果

最近暇になったからまた筋トレを始めた。

ダニングクルーガー効果の高いとこだから楽しい

テストステロンが出てるからなのか、高み(イデー?)的なものへの憧憬(エロス)が凄い。

めちゃくちゃ金稼げるようになりたいしモデルみたいな美人でそれでいて責任感があって芯がある女と付き合いたいし全てを学びたい。

腕・胸はなんとなくメニュー定まってきてるけど肩背中脚がまだ追い込みきれてない。明日オフだけど日曜は脚パンパンになるまで追い込みたいネェ‼️

172cm 62kg(21)

スクワット

20kg 20rep×1set

40kg 10rep×2set

50kg 10rep×2set

60kg 7rep×2set

70kg 3rep×2,3set

レッグエクステンション

60kg 12rep×3set

レッグカール

39kg 15rep×3set

レッグプレス

105kg 20rep×3set

改善点あったら教えてくれい

2023-08-25

死は衝動的で、突発的

俺は未だに思うことがある。

ニルヴァーナカート・コバーン拳銃自殺したのは、そこに銃があったからだ。

酒に、薬に、酔った勢いで頭を打ち抜いたのは、手の届く範囲死ねる道具があったからだ。

もしアメリカが銃の所持を禁止していたら、おそらく彼は長生きしたはずだ。

そして、俺も同じだと思う。

いや、俺だけじゃない。

多くの日本人が、だ。

もし手の届く範囲に、手軽に死ねる道具があったら俺はもうとっくに死んでいるだろう。

これを書いている俺は鬱なのかもしれないし、死にたがっているのかもしれない。

だが痛みを感じる暇もないような死に方を選べない。

臆病者だ。

それでも誰しもが心の中に拳銃を所持している。

頭を打ち抜ける、拳銃を。

その引き金を引いた際の景色憧憬を覚えるのは、きっと何も知らないからだ。

俺は無知のまま死にたい

2023-08-19

作者が透ける比喩表現にモヤつく

BL小説を読んでて思ったかBLの話なんだけど、受けがエロいということを表現するために「娼婦のように」って書かれてるとモヤつくことがある。

その話の世界観とか、視点である攻めの置かれてきた環境によっては適切な表現なんだけど、読んでたのは現代20代同士のBLなんだよ。

①「娼婦のよう」って具体的にどんなふうにエロいのか。

②攻めの「娼婦」って語彙への解像度ってどれくらいなのか。

などが気になってしまう。この攻めが西洋美術に造詣が深かったらまだなんとなく、エッチさとかミューズ的な憧憬とか麗しさを感じてんのかなと連想できるんだけど、「娼婦」って潔癖なキャラから見ると、同時に蔑視意味ニュアンスとして出てくるからイマイチ捉えづらい。

具体的に身体描写とかでエロさを書いてくれたほうがわかりやすいのにな〜とまで思うけど、そこまでいくと単純に好みの問題だな。

2023-07-27

よねぽオタが非オタ彼女米澤穂信作品を軽く紹介するための10

まあ、どのくらいの数のよねぽオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、

「オタではまったくないんだが、しか自分のオタ趣味肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らないミステリ世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」

ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、よねぽのことを紹介するために読ませるべき10作を選んでみたいのだけれど。

(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女ミステリ布教するのではなく相互コミュニケーション入口として)

あくまで「入口」なので、情緒に過大な負担を伴う短編集は避けたい。

できれば長編シリーズものでも最初の方にとどめたい。

あと、いくらよねぽ的に基礎といっても雑誌しか読めないものは避けたい。

よねぽの歴史小説好きが「安寿と厨子王ファーストツアー」は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。

そういう感じ。

彼女の設定は

ミステリ知識はいわゆる『名探偵コナン』的なものを除けば、古畑任三郎程度は見ている

サブカル度も低いが、頭はけっこう良い

という条件で。

まずは俺的に。出した順番は実質的には意味がない。

氷菓角川文庫)【2001年、〈古典部シリーズ第1作】

まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「よねぽ以前」を濃縮しきっていて、「よねぽ以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。長さも200ページちょいだし。

ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。

この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」試験としてはいタスクだろうと思う。

インシテミル文春文庫)【2007年、非シリーズ】、王とサーカス創元推理文庫)【2015年、〈ベルーフシリーズ第1作】

アレって典型的な「オタクが考える映像化がうまくいきそうな推理小説(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際はインシテミルは一度も映像化されてない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。

「よねぽオタとしてはこの二つは“謎解き”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。

折れた竜骨創元推理文庫)【2010年、非シリーズ

ある種のSFミステリオタが持ってるファンタジィとミステリの両立への憧憬と、中世ヨーロッパについてみっちり調べたオタ的な考証へのこだわりを彼女に紹介するという意味はいいなと思うのと、それに加えていかにも漫画映えしそうな

の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラ世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由

犬はどこだ(創元推理文庫)【2005年、〈S&R〉シリーズ第1作】

たぶんこれを読んだ彼女は「フィリップ・マーロウだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。

このシリーズ作品がその後続いていないこと、これがミステリ読みのあいだでは大人気になったこと、アメリカなら実写映画になって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。

栞と噓の季節(集英社)【2022年、〈図書委員シリーズ第2作】

「やっぱり学園ミステリ少年少女のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは『秋期限定栗きんとん事件』でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるよねぽの思いが好きだから

断腸の思いで削りに削ってそれでも368ページ、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから

図書委員シリーズの長さを俺自身冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが相沢沙呼似鳥鶏だったらきっちり300ページにしてしまうだろうとも思う。

なのに、各所に頭下げて迷惑かけて368ページを作ってしまう、というあたり、どうしても「自分物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえよねぽがそういうキャラでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。

さよなら妖精創元推理文庫)【2004年、〈ベルーフシリーズの前日譚】

今の若年層でユーゴスラヴィアたことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。

折れた竜骨よりも前の段階で、よねぽの哲学とかヨーロッパ描写とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、こういうクオリティ作品ソフトカバー単行本でこの時代に出ていたんだよ、というのは、別に自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくミステリ好きとしては不思議に誇らしいし、いわゆるジブリ劇場アニメしかユーゴスラヴィアを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。

クドリャフカの順番角川文庫)【2005年、〈古典部シリーズ第3作】

よねぽの「目」あるいは「伏線張り」をオタとして教えたい、というお節介焼きから読ませる、ということではなくて。

「終わらない学校祭を毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、だからこそアニメ版『涼宮ハルヒの憂鬱』で一番印象的なシーンはハルヒ学園祭で歌う「God knows...」以外ではあり得なかったとも思う。

「祝祭化した日常を生きる」というオタの感覚今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の源は学園祭での謎解きにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。

ボトルネック新潮文庫)【2006年、非シリーズ

これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。

こういうジュベナイル小説風味の青春をこういうかたちでオススメして、それが非オタに受け入れられるか「二度と勧めてこなくて構いません」という反応を誘発するか、というのを見てみたい。

黒牢城(KADOKAWA)【2021年、非シリーズ

9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に直木賞受賞作を選んだ。

角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞から始まって直木三十五賞で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、日本の歴史をガッツリ舞台にする作風の先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。

というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。

「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。

こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。

蛇足

大元anond:20080721222220

今回の話題元:anond:20230725231257

インスパイア元:anond:20230726161801

id:lady_jokerさんの書いた増田を見て急によねぽ語りをしたくなったので書いた。今は反省していない。

おもしろミステリ」を読みたい増田はこれを参考に米澤穂信を読むか有栖川有栖の江神シリーズを読んでくれ。

追記

小市民シリーズがないのはツッコまれるかな、と思ってたけど(どれ入れるかは迷うところだけど、やっぱ仮に入れるとしたら『秋期限定栗きんとん事件』かな? でも『夏期限定トロピカルパフェ事件』もいいんだよなぁ〜〜〜……)、予想以上に『儚い羊たちの祝宴』がブコメ言及されててビックリした。いや、たしかに良い短編集ではあるけど、そんな高評価するか? 短編から1冊選ぶならどう考えても『儚い羊たちの祝宴』じゃなくて『満願』だろJK……

2023-07-16

君たちはどう生きるか感想(後半ちょいネタバレ

公開数ヶ月前になってタイ人に関するなんやかやの報道でどうでもいい悪印象を与えてくれた鈴木Pでしたが、「宣伝を全くしない」という前代未聞のプロモーション戦略のおかげで、「宮崎駿の新作を全く前情報のない状態で見る」という稀有経験を与えてくれたことに感謝します。

これは実に小学生の頃「両親に連れられて『火垂るの墓』を見に行ったら突然なんか知らないアニメ始まった」以来の驚愕経験であり、その後のジブリアニメ国民アニメとなっていき毎回公開前に怒涛のプロモーションが行われていった経緯と、その時に見た「となりのトトロ」が私の生涯において不動のベストアニメであることを考えると、奇跡のような経験であるといえます

 

ただ、正直あまり期待はしていませんでした。というより期待しないように努めていました。私のジブリへの信頼感のピークは「もののけ姫」とコミック版「ナウシカ」であり、今ではアカデミー賞に相応しい最高のアニメである評価している「千と千尋」も終わった直後は頭の中「???」でしたし、ハウルでは「??????」、ポニョでは「????????????」となっていきました。

ゲド戦記アリエッティは私の生涯のワーストアニメベスト1&2です。

風立ちぬ」「かぐや姫の物語」も、「?」は浮かばなかったものの「ピークを過ぎた老境の作家の遺作としては十分以上の出来だろう」というような妥協した評価に落ち着きました。

 

この作品制作発表された時にまず思ったことは「本当に完成するのか?」という心配でしたが、鈴木Pの斬新なプロモーション戦略により完成するまでその心配を思い出すこともありませんでした。ポスターが発表されてからもほぼ忘れていたのですが、「プロモーションをしない」という鈴木Pの方針話題になってから俄に気になり始め、上記トトロ以来の経験をする決意をしたというわけです。

 

私と同じ体験をしたい人は絶対にこの連休中に観に行くでしょう。連休中に観に行く予定の人はこの先を読まないでください。

 

行かなかった人はその後普通にどのような作品だったか情報を目にすることになるでしょうし、少々のネタバレを食らったところで気にもしないでしょうから、ここから私の感想を書いていきますストーリーの核心をネタバレするつもりはありませんが前提となる設定などは普通にバラしていきます

 

 

 

 

 

面白い

 

カリオストロ」「ラピュタ」のような痛快冒険活劇ではありません。「ナウシカ」のような設定をしっかり作り込んだ異世界ファンタジーでもありません。しかし、見ている最中最高傑作」という言葉が何度も浮かんだのは確かです。「トトロ」や「千と千尋」を上回るか?と言われると、難解で観念的すぎる部分はありますが、明らかに上回っている部分もあるので、評価を決めるにはまだ何度も見る必要があります。というかすぐにでももう一度見たいです。

 

◆この作品を見るべきか否か?

 

文字通り宮崎駿集大成なので、ジブリ映画で育った人間なら見に行かないという選択肢はありえないでしょう。ハウル以降は見なくてもいいと思いますがこの作品を見ずに日本アニメのことを語ることは不可能です。というか、確実に「トトロ」や「魔女宅」などと同じように日本人のDNAに深く刻まれ作品になるでしょう。

 

◆良かった点

 

文字通り集大成なので過去宮崎アニメの要素が全て入っている

 

風立ちぬトトロ千と千尋ハウルポニョコナンカリオストロラピュタ

と怒涛のようにどこかで見たような風景、展開が続きます二番煎じではありません。

本人にしかできないセルフオマージュであり、過去作を踏まえた上で、それが国民記憶として共有されているからこそできる唯一無二の表現です。

そして、あらゆる影響を生み出してきたオリジネイターにしかできない圧倒的イマジネーションがあります

 

宮崎駿自身実存が感じられる

 

主人公モデル少年時代宮崎駿自身であり、半分自伝的な物語になっているが故に、少女主人公とした「千と千尋」などより真に迫ってくる情感があります

何より宮崎駿インタビューで度々口にしていた母親に関する憧憬が、作品として昇華されているところが素晴らしいです。

 

ストーリーが練り込まれている

 

コンテを描きながら公開日を決め、締切に追われながら作られた過去作品は、若い頃は力技で最後まで渾身の力で作りきっていましたが、近年の作品においては終盤明らかに息切れが感じられました。今回は明らかに時間をかけてストーリーが練り込まれており、「ハウル」や「ポニョ」で顕著だった「えっこれで終わり????」という感覚は一切ありません。

既存ストーリー構成の枠にはまらない」という手法は「千と千尋」の方法論を踏襲しているので唐突な展開の連続に難解さを感じる人もいると思いますが、終わってみれば一本筋の通ったストーリーになっており、深く考察する価値がありそうです。

千と千尋」で確立した「ゆきて帰りし物語」のフォーマットを発展させ、導入はよりゆっくり自然に、異世界に入ってからはよりぶっ飛んだ展開の連続で飽きさせません。結末も「これしかない」という納得感のあるものになっています

 

・泣ける

火垂るの墓」以外のジブリ映画で泣いたことはあまりないですが、様々な要因からくる深い感動で終盤は涙が止まりませんでした。米津玄師主題歌がその感動に拍車をかけてきます。ズルいと思うぐらい良いです。

 

◆悪かった点

・なんか説教くさそう

 

説教くさそうなのはタイトルだけです。少年時代宮崎駿が「君たちはどう生きるか」を読んで感銘を受けた、という以上のことは原作との関連は読み取れませんでした。原作を読み返し、何度も見て考察したい点です。

2023-06-29

久石譲音楽ガチ恋しているVtuberへの恋

なんなんだろうなこの想い

久石ノスタルジックを描いているだけなのに旋律Vtuberオタクの恋心を歌う

この気持ち多分星川サラにガチ恋している人なら正確にわかると思う

正反対なはずなのに、憧憬星川と重なって、心に突き刺さる

2023-06-09

取り返しのつかないことをさせてる

数年前くらいかゆっくりと一人の人間を甘やかしまくってて、ふと「取り返しのつかないことをさせてるな」という気持ちになった。

ひとつ下の大学の後輩で男子校出身、今まで女の子と付き合ったことがない正真正銘チェリーボーイ(23歳)の子を甘やかしまくってる。

本当にやりたいことがあるから女の子がいらないわけではなく、中途半端女の子への憧憬があるようで、「幸せになりたい」が口癖。しかし、中高生の頃に女の子とまともな交流をしなかったために、女の子との関わり方を知らないタイプ。酒に弱くて体も細い感じのオタク

大学時代サークルに入ってきた後輩で可愛がってたヤツなんだけど、モテないことを自分アイデンティティとして話すヤツだった。

最初の頃は笑ってたが、いよいよそれが自分だと認識してしまって、男女関係をあえて避けるようにもなってきてしまっているらしい(twitterで交わされる男女関係の話に勝手ダメージを受けたりしてる、感受性豊かなヤツです)

自分は怒るのもガラじゃないので、色々言ってる後輩に対し「幸せになりたいなら女の子と仲良くなれ」などと言わず「お前のペースでいいんや」とか「お前の事を分かってくれる女の子がいつか出てくるよ」と優しいこと言葉をかけまくってた。

今になってみると、この言葉は後輩に対してその場しのぎの言葉にすぎず、モテないことを正当化してしまってるんじゃないかと思うようになってきた。

素直で優しいなやつなので、twitterで交わされる議論を真に受けて、「女の子行為を伝えるのは暴力と等しい」と言ったりするようになってきてしまっている。

俺は化け物を作ってしまたかもしれない。

2023-06-04

アンチマンがぶつかりおじさんしてたのは妄想

っていう感想があちこちで氾濫してるの見てびっくりしてる

レイプ妄想なのは読めばわかる

ラスト母親の登場は確かにどちらとも読めるように作ってると思う

でもその他のぶつかりおじさんとレスバは明らかに現実だろ


介護士田山さんへのレイプは、最中に目覚ましやチャイムが鳴って目覚めるっていう些かベタなくらいの演出で「これは夢ですよ〜」ってなってる


それに対してぶつかりおじさん行為は、作中で

1度目:ベンチに座ってターゲットを決める→尾行する→ぶつかる

2度目:ターゲット決めの描写は省略、尾行する→ぶつかる

3度目:ベンチに座ってターゲットを決める→尾行する→途中で田山さんを見かけて尾行不倫の目撃

って流れになってて、レイプ描写みたいな「夢ですよ〜」の記号が一切ない

てか、仮に主人公のぶつかりおじさん行為妄想なら、その流れで判明する田山さんたちの不倫妄想じゃなきゃおかしいんじゃないの?

でもそう判断してるブコメツイートは見たことがない


最後レスバ、これは確かに壊れたスマホと話してる描写ではあるけど、単に文字を打ち込んでる描写だと漫画的に苦しいからなのでは

レスバも妄想だとすれば、あの会話を主人公は一人でやってることになるけど

その割には時々言い返せなくなってるし

何よりジャスティスブレード古参ガチ勢にニワカ扱いされた会話の説明がつかない

主人公に、特撮ヒーローの全シリーズを追いかけて傾向を把握する、なんて余裕やオタク的執念があるような描写はない(部屋に趣味らしいものは一切ない)

あれは主人公がまったく知らない情報による一撃なのでは?

(だからこそあれは物悲しい。

 全シリーズいかけられる余裕を持ったガチ勢との情報量の差で、

 子供の頃のかすかな憧憬までないものとされ 「なんにも知らないくせにアンフェミしたいあまりケチつけてきた」とレッテルを貼られてしまう悲しみ。

 主人公ケチの付け方が悪いんだけど)



上記の通り、ラスト以外はどこまでが現実でどこから妄想かは作中で普通にわかるように描写されてると思うんだが、

ラストの一点だけをとりあげて

妄想現実の境目がわからない」から

主人公鬱屈を抱えながらも何も悪いことはしていなかった」まで飛躍する感想がやたらに多い

これは偏見だが

主人公の女に対する憎しみ自体には共感するけど

ぶつかり加害や無様なレスバに共感する〜って言っちゃうとかっこ悪いか

主人公をやたらに「耐える男」として美化しているんじゃないか??

と見える

ついでに「この作品を道具に弱者男性批判するな!」みたいなこと言ってる人も見るけど

会社でそこそこ地位があるらしいこの人って弱者男性なの?そこからよくわからん

2023-05-17

俺が「推しの子」を第一話で見るのをやめた理由と、「アイドル」で露呈したikuraの限界、あるいは「アイドル」という誰にも歌えない歌について

昨日投稿した記事がとてもありがたいことに伸びたので、調子に乗って別の話をしようと思う。軽い気持ちで書いてたらクソ長くなった。

これを読む前に注意してほしいのは

・これはアニメ推しの子」を見た感想だということ(漫画ではない)
ネタバレが含まれること
・全部俺の主観的意見にすぎないこと

だ。

え、「アイドル神曲やん

YOASOBIの「アイドル」を聞いて、これはすごいと思って推しの子を見た。

そして第一話でアイが殺されて「??????」となった。あまりにも納得がいかなかった。それは以下のような理由による。

第一話、そして主題歌アイドル」で提示されたこ作品テーマ性について

偶像としてのIdolを死守する(「嘘が愛」とかアイっていう名前からも推察できるように)というのが最序盤のテーマだったわけで、そこに子供がいるっていう嘘を死守するっていう物語があって、さらにIdolとしてファンを愛してるっていう嘘(本当は誰のことも愛したことがないから)もあるから、その嘘が本当のこと(ファンとほかの人々を心の底から愛することができるようになる)になる、っていうのが大筋のストーリーになるべきだったわけだ。

その重要過程(アイが少しずつ成長していく)が完全にすっ飛ばされたので肩透かしを食らったという感、殺されるところでいきなり愛してるって言っていて、正直第一話だけだとアイに対して人間としての共感が全くできない。

この物語評価されている大きな要因としては、まず推しの子自分がなるっていう第一話のインパクトコメディ性、次にアイが死んでしまうっていうさらに劇的な展開。

これ自体別に悪くないと思うが、やはりアイが本当の愛を知る過程スキップしているので作品としての完成度が低下している。

たぶんその理由として乳幼児だと行動の幅が狭すぎるっていうのがあるのかなーと。簡単に動かせないから話を作りづらいっていうのがあったんだと思う。それをどうにかするのが脚本家仕事ではあるんだけど。でも子役ルートがあるならそういう問題もなくないか

また、アクアルビー父親に関する伏線第一話だけっていうのもつらいポイントではある。

どうしてもそこからストーリー展開が難しくなる。第二話以降の話は割と自由に進めることができるはず(ルビーアイドルを目指すとか、主人公父親を捜すとか)で、その辺の先の読めない感じは面白い

クール目の最後でアイが殺されたりしてたらもっとよかったんじゃないかなーとか思った。

何よりOPが完全にアイの歌なので納得のいかなさがすごかった。

「え!? この感じなのにこの1クールを全部このOPでやるの!?!?!?!?

となってショックのあまりここで見るのをやめてしまった。

次に、YOASOBI「アイドル」について(こっちのほうが喋りたい)

初めてこの曲を聞いた時とんでもない衝撃を受けた。

それは初めてYOASOBIの「夜に駆ける」を聞いた時に感じた衝撃と同じものだった。

まず、「夜に駆ける」が空前絶後のヒットを叩き出した最大の理由について述べようと思う。

もちろんこれは俺の意見であって、完全に正しいということを主張したいわけじゃない。別の意見があればコメント等に書いてほしい。

”この曲が大ヒットしたのは既存音楽流行りを踏襲しつつ、独自の要素を絶妙塩梅ミックスし、絶妙な斬新さを表現することに成功たからだ”と俺は思う。

これがどういう意味もっと分かりやすく言うと

今までの曲と同じようでちょっと違う、なんか斬新な感じがする曲がヒットする

ということだ。「白日」とかがわかりやすいかな?

音楽というのはほぼすべてが感覚で成り立っているので、それを正確に記述することは本当に難しい。

「夜に駆ける」が大ヒットした要素

「夜に駆ける」を語るにはまずコンポーザーのAyaseについて紹介する必要がある。

Ayaseはもともとボーカルとしてバンド活動を行った後、解散したのちいわゆるボカロPになったミュージシャンだ。

ボカロP:Ayaseを象徴する代表曲は「幽霊東京」や「ラストリゾート」が挙げられる。

初めてこの曲を聞いた時の俺の感想は、”よくあるボカロ曲だなあ”というものだった。

正直これらの曲はボカロ曲としては古典的な印象を与えるものだと思う。DTM感が強い、打ち込みで構成されたボカロ曲……という感じだ。

しかしここで重要なのは、実はこれらの曲でAyaseのパーカッションリズムに関する凄まじいセンスが光っており、それが当時のネット音楽トレンドにぴったりとマッチしてある程度の人気を博していたということだ。

Ayaseのリズム感に関する才能には目を見張るものがある、というのは上記の二曲を聞けばたぶんわかってもらえると思う。もちろんこの曲が発表されてから時間が経っているので、当時は真新しくとも今では多少風化しているように感じるかもしれないけど。

「夜に駆ける」においてもそのリズム感が遺憾なく発揮されている。ただ、この曲がそれまでのAyaseの曲と大きく違うのは

・繰り返される転調

ボーカリストikuraの存在

だ。

この二つの要素が、「夜に駆ける」が大ヒットした要因だ。


一つ目の繰り返される転調に関しては「夜に駆ける」を聞けばわかる。最後Cメロのところとか二回くらい転調してる。で、たぶんなんか普通の転調とは違う感じがする。音楽知識がないのでその辺はわからないけど。まずそこの斬新さがある。異論は認める

ボーカリストikuraについて

「夜に駆ける」がヒットした最大の要因だと思う。


個人的に、歌手ikuraの卓越した点は二つ。

ikuraが持つ優れたリズム
自我の顕れない説得力のある歌声


まずikuraが持つリズム感についてはもうとりあえず「夜に駆ける」聞いてみてほしい。歌詞の子音がバスドラとクラップ気持ちよくハマっている。

この文章を書くにあたって今一度「夜に駆ける」を聞いていたら、そのikuraのリズム感の素晴らしさについてちゃんと語りたくなったので細かく述べる。興味ない人は飛ばしてください。

イントロの”沈むように「溶けて」いくように”の「溶けて」のリズム感が良い

・”二人だけの空が広がる夜に”ここのリズム感は全部いい

・その次の打ち込み感のあるピアノめっちゃいい

・”さよなら「だけだった」”の「だけだった」のリズム感が良い

・”その一言で「すべ『て』がわかった」”の『て』が良い

・”日が沈みだした空と君のすが「た」”の「た」のリズムの取り方がマジですごい

Bメロの”いつだってチックタックと「鳴る世界で」”の「鳴る世界で」のリズムの取り方がすごい。

Bメロの”触れることな言葉うるさい声に涙が”ここのリズムは全部すごい

・サビの”騒がしい「日々に」笑えない「きみに」”の「日々に」と「きみに」のリズムの取り方がすごい。

・二番のBメロは正直全部リズムの取り方すごい。”信じてたいのに信じれないことそんなのどうしたってきっと これからだっていくつもあってそのたんび怒って泣いてくの”ここがすごくいい

・その後のピアノソロめっちゃいい。

Cメロの”もういや「だって疲れただって」”の「だって疲れただって」のリズムがすごい。

ここにリズムの優れた曲を作るAyaseとのシナジーがある。偶然にしては出来すぎたユニットである

これが「夜に駆ける」がハマった一つの理由

次の”ikuraが持つ自我の顕れない説得力のある歌声”について

これは説明がとても難しい。

歌手には二種類のタイプがいると俺は思う。それは、

自分のことを歌う歌手

・なんでも歌える歌手

の二種類だ。一見後者の方がなんでも歌えて優れているように思えるかもしれないけど、事態はそんなに単純じゃない。

まず前者について具体例をいくつか挙げようと思う。

自分のことを歌う歌手について

とりあえず例を列挙する。

りりあ「浮気されたけどまだ好きって曲」

米津玄師「アイネクライネ」というか米津玄師はほぼ全部自分の話をしている感じがする。

back number高値花子さん

実はほとんどのバンドマンは自分の話しかしていない。ヨルシカが「八月、某、月明かり」の歌詞で叫んでいるように「心を売り出し」ているのだ。

ちなみにヨルシカは「詩書きとコーヒー」でも「寿命を売るなら残り二年」とか歌っていたりして、そういう自分のことしか歌えないナブナ自身をどこか皮肉めいて表現していたりする。

りりあの「浮気されたけどまだ好きって曲」を聞いてほしい。これ絶対自分の話だろと思って調べてみたけど明言してないっぽい。なら自分の話と考えていいのかな?

この曲は浮気された女の子の心情を歌うにしてはリアリティが高すぎる。

汚れた君は嫌いだ

君を汚したあいつも嫌いだ

この歌詞の下のほう、「君を汚したあいつも嫌いだ」ってそっちにヘイトが向く心情を表現できるのすごくないか? 普通浮気された曲って恋人に対する恨みつらみで話が終わると思っていただけにびっくりした。

こんな風に自分のことを歌う曲は”その人の人生の重み”が自然と声に乗っかるので、ものすごい破壊力がある。

でも、こういう歌手がほかの人の作った歌を歌うと、どことなくちぐはぐな感じになる。なんか違うな~とか、ぐっとこないな~みたいな気持ちになる。

あとこのタイプ歌手一発屋で終わる傾向が多い。劇的な経験がないと歌えないならそうなるのも必然、という感じはする。

なんでも歌える歌手について

ikuraやAdoはこのカテゴリーに分類される。

こういう歌手ボカロ文化の発展で増えたと思われる。

歌い手文化はいろんな人の曲を歌うっていう前提があるわけで、そこでさっき挙げたような自分の歌を歌うタイプ歌手歌い手文化にそぐわない。

自分共感できる曲だけを歌うことでその問題解決してる人もいるっぽいけれど。

なんでも歌える歌手の例を挙げる。

・ikura

Ado

Aimer

・yama

・suis

とかなんか今流行りのアーティストばっかりになった。

ヨルシカはナブナ個人的な、本来だったら本人にしか歌えないような歌をsuisが上手く歌っている感がある。

これらの歌手限界まで自分の色を出さない。でも無個性とは違う。ただひたすらに歌詞にひたむきに向き合って、そこから読み取れる感情をまっすぐに表現している。だから聞く人の心にダイレクトに届いているように思う。

「夜に駆ける」とikuraの関係

YOAOBIのコンセプトは”小説音楽にする”だ。このコンセプトとikuraのどんな曲も歌うことができるという特性は実に親和性が高い。

「夜に駆ける」の元となった小説は「タナトスの誘惑」というものだ。

あらすじをめっちゃざっくりと言うと、死にたがりの彼女を助けた主人公だったが実は彼女死神で、最終的に一緒による闇に飛び降りるという、中二病要素をこれでもかと言うほど詰め合わせたような物語だ。大学生が書いたらしい、笑った。

さて、どれほどこの物語がチープであろうとしても、この歌を実体験として生々しく歌うことができる人はなかなかいない。テーマが重すぎるし、全体的に闇が深いものからだ。

ただ、ikuraは「夜に駆ける」を独自解釈することに成功している。

この作品自体をどことな俯瞰的に見下ろして歌うことによってそれはかなった。過度に主人公ヒロイン感情移入するのではなく、どこか客観的視点から物語淡々と紡ぐように歌う感じ。無機質な――機械的な、ある種ボカロっぽい歌声と、どことな人間の闇を感じさせるPV(このPVもあの原作小説から作ったとは思えないほどクオリティが高い)が悪魔的に融合した。

これが「夜に駆ける」がヒットした二つ目の要因だと思う。

もう一回PV見てるけどやっぱりいいな。

本題のYOASOBI「アイドル」のすごさについて

制限が新たな芸術を生む”的な言論があったりする。「アイドル」が素晴らしい曲であるのにはここに要因がある。

今回の場合

・Ayaseが持つ独自リズム感とベースライン

・最新の曲調(Adoが歌う「踊」に似てるとか指摘されてるね)

・”推しの子”のOP要求される、アイドルソングライクな(コール差しまれるなどの)要素

この三つが程よくミックスされた結果、既存の物にはない斬新さを持った曲としての大ヒット……だと思う。

YOASOBI「アイドル」とボーカルikuraの限界

この話をするにあたって、YOASOBI「アイドル」の歌詞について軽く説明する必要がある。

アイドル」の歌詞原作推しの子」とそのスピンオフ小説の「45510」をもとにしたものだ。

まず「推しの子」のあらすじを一瞬で説明すると

医者主人公のところに推しアイドル(アイ)が妊娠出産のために入院してくる→出産日に主人公が殺される→気づいたらアイの子供に生まれ変わってた→アイドルなので子持ちはまずい→なので必死に嘘で隠す

というものだ。

そしてスピンオフ小説「45510」の主人公は、アイとかつて同じアイドルグループ所属していた女性だ。

アイドル」の歌詞の中での主人公は歌の途中で変わっている。二回目のサビまではスピンオフ小説の「45510」の主人公がこの歌の主人公で、その後はアイ自身の歌に変わる。

1サビまでの歌詞は「45510」の主人公の、アイに対する憧憬を描いたものと思われる。同じグループの中でも抜きんでて人気のあるアイに対する羨望を表現している。

ここの歌詞をikuraは上手く歌えている。

問題はその後だ。

アイドル」の二番の歌詞についての見解

この話をするためには歌詞掲載しないといけない。

はいはいの子特別です

我々はハナからおまけです

お星様の引き立て役Bです

全てがあの子のお陰なわけない

洒落臭い

妬み嫉妬なんてないわけがない

これはネタじゃない

からこそ許せない

完璧じゃない君じゃ許せない

自分を許せない

誰よりも強い君以外は認めない

これはアイが所属するアイドルグループ「B小町」の別のメンバー:「45510」の主人公の心情を描写したものだ。正直、この歌詞を書いたAyaseは天才だと思う。

一見最初はアイに対する強烈な嫉妬心を表現しているように見えて、最後には

完璧じゃない君じゃ許せない

自分を許せない

誰よりも強い君以外は認めない

とアイに対する信仰とでも言うべき強い感情の発露を描いている。この一見相反するようでいて、しかし同一の感情を詳細に表現したセンスマジですごい。

ikuraはこの二番を歌いこなせていない

Vtuber歌ってみたとかを聞いた時に「お、この曲はこの子マッチしてるからいい感じだな」とか思ったことがないだろうか? 俺はその現象を”人格一致ボーナス”と呼んでいる。

ikuraの人格と「アイドル」の二番はあまりにも相性が悪いと言える


たぶんikuraはまっすぐに、幸せに育ってきたタイプ女の子なんだと思う。だから、こうした嫉妬などのどす黒い感情にそれほど縁がないのではないだろうか? なので、それを歌おうとしても、どうしてもうわべだけのものになってしまう。

先ほどの話に戻る。世の中には

自分の歌を歌う歌手

・どんな歌も歌うことができる歌手

の二種類が存在する、と言った。

しかしそれを逆に考えてみてほしい。つまり世の中には

とある人間しか歌えない曲

・ある程度どんな人間にも歌いやすい曲

の二つがあるのだ。

そして「アイドル」という曲は”とある人間しか歌えない曲”に属する。それはこの曲が極めて個人的体験(この場合だと、45510の主人公とアイ自身体験)をベースに紡がれているからだ。

ikuraのスター性と「アイドル」の明るい部分は極めて親和性が高い。特に一番のサビなんかは完璧に歌えている。しかし、45510の主人公のアイに対する嫉妬などのダークな部分は歌えない。聞けばわかると思うが、なんだか上っ面で歌っているような印象を受ける。

かに愛されたことも

かのこと愛したこともない

そんな私の嘘がいつか本当になること

信じてる

まれないアイの家庭環境を背景とした暗いCメロ歌詞だ。やっぱりここでも、ikuraの歌はどことな空虚な感じがする。ikura自身にこんな経験がなく、想像することさえも難しいからだ……と思う。

あるいは、

【ikura】今回は、レコーディングする前にたくさん話し合って…。どういうイメージで、どういう声色で、ニュアンスでやっていこうかっていうのを考えながらレコーディングしました。

【Ayase】そしてたどり着いたのが…「最強のかわいい!」です。僕はikuraがレコーディングブースに入って一生懸命歌っている中、勇気づけるようにディレクションブースからもっと自分のことかわいいと思って!」って伝えていました。https://news.yahoo.co.jp/articles/32691ffa10659b427d43550c4eda76ad09a1ea74から引用

とあるように、レコーディング環境が足を引っ張ってしまった可能性もある。

アイドル」の歌ってみたをいくつか聞いてみると、この二番を上手に表現する歌い手を何人か発見した。やはり、こうした現代的な嫉妬経験がある歌い手のほうが歌声説得力が増す。

しかしこうした歌い手は同時に、サビの部分で顕著に表れるアイが持つ底抜けの明るさ、可愛さを表現することが難しい。

アイドル」を完璧に歌える人間存在しないかもしれない、とか思った

あと原作読んでる人に聞きたいねんけどこの「45510」の主人公って作中で出てくるん?

というかここまで細かく考察してると逆に「推しの子」の続きが気になってしまった

2023-04-13

タレントの「番組に出させていただく」というフレーズが嫌い

テレビバラエティ番組を見ていると、比較的若手のタレントがこのフレーズをよく使っているのを見る。

おそらく自分を起用してくれたスタッフへの感謝として述べているのだろう。

うまく言い表せないが、このフレーズを聞くたびに芸能界芸能人に対する憧憬が無くなっていくことも事実だ。

日本芸能界タレントの数が多すぎて、テレビに出られるのは少なく、需要供給が合っていないという話だったら知っている。

そのようなテレビの「裏側」を暴露されても、視聴者の一人としてどのようなリアクションを取ればいいのかわからない。

「だったらタレントの総数を減らせば?」とツッコミを入れるのも野暮な話だし。

今後もこのフレーズを聞いたら、どのようにスルーすればいいのだろうか。

2023-03-16

ジャンプ+の読み切り鹿野くんって美味しそうだね」が良すぎたので

最&高作品感想を書く。ジャンプ+は莎々野先生に「マリトッツォだっつてんだろ」でアナログ部門賞をあげた責任を取ってさっさと短編集を出して欲しい。

本作があまりにも性癖クリティカルヒットしたので思わず筆を取ってしまった。

何が最高かって、キャラも可愛くて純愛で、そして適度に闇があっても作品根本には人が人を想う思いやりにあふれているところ。空気感がエモくて二人の関係恋愛ゴッコから運命恋人に変わっていく流れも最高だし、何より溢れ出す感情言葉にできず涙としてしか吐露できないシチュフェチの筆者にとって終盤の展開が死ぬほど刺さる。

ただ、作品ステレオタイプに「ヤンデレメンヘラもの」とラベリングしてちゃん物語を読み解いていない人が散見される。それはとてももったいないので、後ろで自分なりに補足を書きたいと思う。

かわいい

とにかく鹿野くんも狩谷さんも可愛すぎる。狩谷さんにうでギュッってされる度に「アッ」とビクンビクンするのは、女、いや人慣れしなさすぎてまさに野生のシカみたいだし、自分から振ったくせに泣きながら揚げ物かじる姿は滑稽可愛いし、初デートで初めてばかりの経験に目をキラキラさせて精一杯楽しもうとしている姿も素直でかわいい

「語尾にハートがつくような甘々口調でしか恋人献身的で可愛くておっぱい大きな女の子」だけど「実は傷を抱えていてバイブル少女漫画)に書いてない自分本音晒すときうつむいてつっかえてながらでしか喋ることができない」ギャップヒロイン(狩谷さん)みんな大好きでしょ? 少なくとも筆者は大好き! あと作中に出てくる二通の狩谷さんの手紙便箋デコっているシール女児みたいでめっちゃ可愛い。髪の毛が細いから毛が浮いて輪郭がホワホワしているところも好き(懺悔すると、筆者は別れ話を告げられた時の狩谷さんのどんどんと感情が抜けてゆく目と回らない呂律という可哀想てんこ盛りのシーンにちょっぴり興奮してしまった。)

でもやっぱり一番好きなのは、二人の最後のページ顔だよ。狩谷さんの笑顔キスで照れて赤面している可愛い鹿野くんに向けられて、鹿野くんは狩谷さんの真っ直ぐな笑顔ますます照れてしまう。無限機関はここに実在した。

ヤンデレメンヘラ描写について

本作の感想ホラーだとか鹿野可哀想だとか漫画の(しかも絵だけの)表層しか理解していない意見散見されたが、狩谷さんをメンヘラと呼ぶのは(一応)正しいけどヤンデレは間違いであって、本作のストーリーライン理解していない発言である。狩谷+鹿野を指してヤンデレメンヘラに捕われた彼くんと考えるのを止めるのは、作者のミスリードに見事に引っかかっていると言えるだろう。主人公の狩谷は一見愛が重くて行き過ぎた愛情表現をする少女に見えるが、実際はかつて元カレの心ない言葉で酷く傷付けられ心に呪いを受けて苦しんでいる怪我人であり、本作はその彼女鹿野の若く真っ直ぐな愛で呪いから解き放たれる物語である

作中の時系列に従うと、狩谷の心境の変化は次のように説明できる。

  • しかし、元カレにかけられたその呪い鹿野の「自分は狩谷さんが好きだから一緒に居たい」という言葉、そしてその後の「恋している人はみんな馬鹿だ」「あなたおかしいなら一緒におかしくなるから」という頭がおかしくたってそれが普通なんだという告白で解呪されました。目の前の鹿野くんは真っ直ぐに私のことを好きだと言ってくれていて、私は頭がおかしくないしそれが普通なだって。(余談だけどp61の「狩谷さんに一回ぐらい殺されそうになろうと 狩谷さんを受け入れる選択をする」と告げる鹿野を無言でじっと見つめる狩谷さんの涙の跡が残る顔が、強く睨んでいるようにも惚けているようにも見えてめっちゃ好き)

元カレに傷付けられた心も癒えて、お互いの想い合う気持ちも伝えて、あとはもう二人が人生の終わりを迎えるまで何度も生きてきた中で最高のキス更新していくだけだよ!!!!!! ラブあんハッピー!!!!!!!!! お幸せ!!!!!!!!!!!!

鹿野くんは光の彼くんなのか

軽く流し読みしただけだと鹿野くんは病んでる狩谷さんを都合よく支える彼くんに見えるかもしれない。しかし、ちゃんと彼の発言分析するとそうではないことが分かる。前述したレストランの一幕、ラブラブカップル専用ジュースを頼む奴らなんて頭がおかしいという近くの席から聞こえる陰口に、彼はそんなこと言う奴らの方がモテないしブサイクだとこちらも大概な偏見丸出しの発言をする。自分自身が陰口を打つ彼らと同じ側の人間であることを証明しているのである(「アッ(気付き)」とか漏れ出る情報から分かるように腐れオタクだしね…)。そして傷ついたからと独善的に狩谷さんに別れを切り出すところもそう。自分彼女と付き合う自信が無くなったくせに「彼女元カレを忘れられないから」と欺瞞を重ねて一方的彼女に別れを告げるのは、頭でっかち自分のことしか考えていない独りよがり非モテの発想他ならない。

これらの事例から分かるように、鹿野くんも年相応に青くて不器用少年なのである。これまで彼女が居たことがなく、作者曰く「中学生の頃は教室の隅でニヤつきながら、如何にリア充が害のある生き物であるかを友達と話し、そんな会話がなんだかんだ肌に馴染んでいた」少年だ。だからレストランの時に彼女に言った「恋愛していると皆バカになる」という発言実体験を伴わない聞きかじっただけの知識披露しただけだろうし、相手が狩谷さんではなければ上から目線ウザみたいに思われていたかもしれない。しかしその時彼の前に座っていたのが狩谷さんで、しかもその言葉元カレに淡い恋愛観をへし折られ傷ついている狩谷さんにとって最も必要ものだった。彼がこの発言をしたのは自己肯定感が低いオタクからというのもあるのだろうが、ただの偶然だとしても、その偶然の積み重ねが運命なのである

そして彼の最も偉大な功績は、狩谷さんに対して真摯に向かい合い続けて、自分の素直な気持ち楽しい、嬉しい、一緒にいたい)を伝え続けたことだ。元カレの心ない言葉に傷ついて自分恋愛観が信じられなくなっていた狩谷さんにとって、真正から彼女気持ちを受け止めて感情を伝えてくれる彼の存在特効薬だった。二度目の「恋している人はみんな馬鹿だ」は彼女デートして浮かれてしまった自分体験に根ざした、心から気持ちだし、真剣に、本当に正面から彼女気持ちを受け止めて打ち返したのは本当にすごいことだ。

まだ青いけどいい奴なんだよな鹿野くんは。狩谷さんを一方的に振った後も泣きながら一人で反省していたのだろうし、「俺は狩谷さんのことが好きだからです」以降は覚醒して包容力化身と化しているし。正直告白以降の鹿野くんは光の彼くんと言ってもいいと思う。もう鹿野くんがいる限り狩谷さんは大丈夫だろうけど、へんにスカしたりせずに素直なままでいるんだぞ。

2023-03-08

[]のび太と空の理想郷

のび太と空の理想郷』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向けですぞ

総評

85点ヤッター! 点数の基準は「上映時間映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。有り体に言えば凡作+程度であって満足ではないんだけど、個人的な加点要素として「映画館のサービスディを利用して1,200円でみた」「やっぱVガンはいいよね」があるので実は加点で100点。余は満足じゃ。

のび太エンジェルハイロウ

崩れ落ちる空の理想郷の上で、友情憧憬がぶつかり合います

平和祈りユートピアの輪を飛翔させるのでしょうか。

さらわれた幼子の魂が心を操る光を落とさせるのでしょうか。映画ドラえもん、『のび太と空の理想郷

見てください!!

感想

全体的の凡作と評したとおり、いつものドラ映画構成で退屈感はあり、ひねりもテーマ性もドラ映画の傑作と比べて足りてないのだけど、「未来世界犯罪者が空に浮かぶ巨大要塞都市さらってきた人々を満載して、『人の心を操る光』で心の優しい優れた人間に改造して世界平和にする計画を立てている」という、おい、おま、Vガンダムだろ。という立て付けなので歪んだおたくであるワイは楽しめました。

クライマックスにはコロニー落としもあるよ。

パーフェクト小学生のび太の「わるいね、またホームラン撃っちゃって」っていうセリフには一聴の価値があるとおもいます。一方でしずかちゃんシャワーシーンには「裸のお姉さん!?」という台詞はありませんでした。

最近の新作ドラ映画の悪いところである「なんかクライマックスっぽいシーンで友情とか友達とか大切とか、そういう盛り上げワードを散りばめただけの、実は説得の理屈的にはあん意味合いのないセリフをぶっこんで、とりあえずいい話風にしときゃいいだろ」っていうのは、この映画でも健在で、そういう意味ではすごくダメ映画なんだけど、ドラ映画に対する期待値宝島マイナス方向二次元突破してたから無傷ですんだ。

しろふうてんの寅さんと同じで、あんまり面白かったらむしろ良くないのかもなぁ、とも思いますし。

2023-02-13

不倫が始まりそう

元気で活発で、よく気遣いができてよく動く。

お酒も楽しくよく飲む。

趣味の集まりの中では先輩である年下の彼女に、俺は懐いていた。慕っていた。憧れていた。

ある飲み会で、いつもどおりひとり喫煙所に向かう彼女を視界にとらえ、気づいたら追いかけていた。

もっと話したかった。

彼女は「やっときたんだ」と笑った。

俺はタバコを吸わない。でも彼女がひとりで喫煙所に向かうと、いつも俺は、つい追いかけてしまう。

純粋憧憬だと思ってた。なにかと周りの目が気になる俺と違って、天真爛漫でだれにでも分け隔てなく自然体で接する彼女を、俺は尊敬していた。

彼女だけに打ち明けられる俺の弱い部分の話をしていた。

彼女は優しく聞いてくれた。

誰もに必要とされる彼女を、今だけは俺が独占していた。

気持ちが良かった。

不意に彼女に手を握られた。

増田さんはわたしとこういうことがしたいんですか?」

俺は心臓が口から飛び出したかと思った。

俺は慌てて手を振り払った。うろたえるばかりだった。

「いつもわたしのこと視線で追ってるじゃないですか。増田さん、遊んだりしなさそうに見えるのに、よくわからいから直接たしかめようと思ったんです」

彼女はまるでいつもどおりだった。

増田さんって、よく独身女ひっかけて遊んだりしているんですか?」

彼女はまるでいつもどおりだった。

いつもどおりの、元気で、活発で、天真爛漫そうな可愛らしいかんばせなのに、その瞬間から明確に、色っぽくてしどけないようなそんなふうに見えるようになった。

心臓が痛かった。

「あれ、思い違いでしたかね。わたしちょっとくらいなら遊んであげてもいいかと思ったのに。」

彼女がこんなこと、言うはずがない。

俺もなにか言わなくてはと思うのに、言葉が出なかった。

わたしのこと、なんとも思ってないんですか?」

そう問いかける彼女黒い瞳に吸い込まれそうだった。

口が勝手言葉を発した。

「人として好きだった。それだけ。でも今は、わからない」

満足そうに微笑む彼女を見ていると、長いこと忘れて過ごした劣情が足元から這い上がってくるようだった。

その後、俺は飲み会中座した。妻のことを思い出すと怖くなったから。

彼女笑顔で見送ってくれた。

終電には少し早い電車に揺られながらスマホ確認すると、彼女からラインが。

びっくりさせてごめんなさい、と。

妻とは1年以上ご無沙汰だった。俺はしたかったけど、妻は俺を拒絶する。

たまにお願いを受け入れてくれてもマグロだった。

ここ最近は外でしてきてほしいと言われているし、情けなさ、惨めさを感じるのが嫌になって俺からも誘っていない。

彼女は魅力的だ。遊んでいいと言っていた。

俺は彼女の誘惑に身を任せていいんだろうか。

でも彼女の意外な一面を見てしまたから、なんだか事が終わればポイ捨てされそうな不安がすでにある。

まだなにも起こっていないのに、ワクワクしてドキドキして不安になって、俺は変だ。

俺はどうすればいいんだろう。彼女のことばかり考える。

2023-01-22

月の女王地球お嬢様と入れ替わり、新しい生命を生み死んでいくひとのいとなみに戻る

あたらしき月の女王は若々しさに溢れ人々をあたらしき時代へと導く

そうしてやがて金星では人は死との距離を甚だしく空けて地球に施しをおこなう

それはかぎりなくうすくなった地球圏(故郷)への憧憬の念のように

2023-01-05

暴走族車両デザインの源流を説明する(1/2)

初日の出暴走通称グラチャンの季節だ。

そこで暴走族の車バイク通称族車のトンチキなデザインがどっから来てるかを説明しようと思う。

増田暴走族ヤンキーじゃないがはてなー平均よりはヤンキー文化に近いってくらいだ。

それじゃあ行くぜそこんとこ夜露死苦

 

族車デザイン過去の「スピードへの憧れ」の形の寄せ集め

まずは「google:image:族車」で画像検索してくれ。

さて全然速く走る事に頓着が無いというか速く走れない族車デザインだが、元はレースカー街道レーサーの特徴をコピーしていた。

だがそれらの文脈を考えずに合体され、更に右翼ファッション流入によってスピード文脈が無くなって形だけが意味を持つようになった。

でもファッションというのはみんなそうであってWWI塹壕戦防寒軍服ビジネスシーンでの正装になったり、ゴールドラッシュ作業着が反抗の象徴になってカジュアルで定着したり、警官の防護服がハードゲイシーンで流行してからカジュアルになったり、と元の文脈が無くなるのはヤンキー文化だけじゃない。

 

そんな族車のオリジンの中で一番大きな比重を占めるのが、

 

プレスライダー

新聞社使役されていたプレスライダーであるプレス報道意味事件現場報道陣がしてる腕章に書いてあったり新聞輸送トラックに書いてあるあの「PRESS」だ。

元々、速報性が重視される新聞社取材記事の迅速な伝達を支えていたのは伝書鳩だった。新聞社では屋上に鳩舎を設置して多数飼育しており、記者取材の時に鳩を連れて行った。現場記事を書いてそれを鳩の脚に括りつけて放すのである。鳩は帰巣本能でかなりの高確率で社屋屋上帰着する。

伝書鳩1960年代昭和40年頃には廃れるのだが、代わって登場したのがプレスバイクだった。

ところで何で電話じゃないの?というと、電話も使われていた。だが「市外局番」が出来たのが1965年昭和40年なのだ

これがどういう事かというと、市内を超える通話では交換手を通していた。だが事件が起きると記者が押し寄せ、役所会社でも市外通話が急増するので交換手がパンクして延々と交換待ちになってしまう。つまり通話が困難になるのだ。この為に警察は早くから警察電話という専用線を整備していた。

プレスバイク原稿写真フィルムを受け取って現場から新聞社若しくは駅でリレーして列車経由で社へと迅速、というか猛烈な速度で運んでいた。

そもそも当時のバイク乗りっていうのは不良である。そんな不良が、新聞記者、これも当時はブンヤで柄が悪く反体制的な気骨がないと務まらない職だった、そのブンヤに使役されて街道レーサーのような危険運転でぶっ飛ばしていた訳だ。勿論公道最速である

こういう公共性と不良的な特性の硬派な組み合わせというのは今でも映画モチーフになるし、憧れを産む。

という訳で、以下のようなプレスライダーの特徴が族車に取り入れられ、やがてスピード象徴から遊離していく。

 

絞りハンドル

族車バイクパイプハンドルを思い切り絞って手前側に持ってきたデザインが特徴だが、これはプレスライダーが上向きハンドルにしていたのに由来する。自転車と同じく、パイプハンドルでは固定ネジを緩めるだけでハンドルの角度を変えられる。

プレスライダー渋滞では足をついて右に左へとすり抜けをするので、上体が起こせて視界が良く、車体を傾けてもハンドルが遠くならないアップハンドルにしていた。

段付きシート

プレスライダー上記の通り足をついて渋滞すり抜けをするので、足つきが良くなるようにシートの「あんこ抜き」をしていた。着座部分のシートのスポンジを削って取ってしまう加工である。今でも背が低いバイク乗りはこの加工をする。

すると前後方向にも段が出来てニーグリップ(両足でタンクを強く挟むこと)しなくても前後に安定するという効果も出る。

族車はこれを大げさにして後ろに更に段を増やしたシートに交換したり、更にハーレーなどのシシーバーと合体した長い背もたれに繋がるデザインの三段シートになっていった。というか、ヤンキー相手の商材扱う会社が段々過激化していったのが原因だな。

下側が渋い緑布の風防

プレスライダー仕事なので冬でも走る。そこで後付けの風防を付けていた。元々実用品なのでカッコいいもんじゃない。

だがそれが「硬派」の記号となって族車に取り入れられた。

旗(旭日旗

今やってる会社は無いが、昭和後期まで社用車というのは鉄製前部バンパー角に小さな掲揚ポールを付けて社旗を掲げて走るのが多かった。今は歩行者安全の為に前方に突起物を付けるのは車両法で禁止であり、宮内庁御料車総理大臣車以外はやっていない。

プレスバイク新聞社の庸車なので前輪に垂直ポールを立てて「PRESS」のペナント三角旗)を、更に四角い社旗も併掲するケースもあった。とんでもないスピード違反してても(プレスライダーは常に速度違反警察はPRESS旗社旗を認めると取締りしなかった。

暴走族前身カミナリ族じゃなくて街道レーサーのチーム(イニD赤城レッドサンズみたいなの)なのだが、このスタイルが真似されてチームの旗をつけるという形になる。

これが1980年から「硬派」の文脈右翼ファッションに転じた。この右翼とは1960年代全共闘運動に対抗した新右翼で、80年頃には軍服着て国防色街宣車軍歌を流し、軍旗である旭日旗を掲揚するという軍国主義憧憬路線確立されていた。

ところでこの旭日旗は「プレスライダーのまね」路線ですでに族ファッションの中にあった。それは朝日新聞の社章でお馴染みだったのである

故に既存プレスバイク社旗模倣の上に右翼ファッションの軍国標榜自然な流れで合わさる形となった。

前輪の掲揚竿は大きさが制限されるので、大きい旗を後部に付けたり、二人乗りの後部乗員が手持ちするようになったのである

この名残で、旗が付いていない棒を前輪から斜め前に突き出している族車もある。

 

旭日模様

同様の理由タンクへの塗装や服のプリントへと波及していく形になった。

 

プレスライダーのその後

こんな風に族車デザインに過大な影響を与えたプレスバイクだが、盛者必衰1980年代になると衰退して報道現場から消えて行ってしまう。

置き換わったのは出先で使えないFAXじゃなくて無線自動車電話だった。どっちも大きくて自動車必須で、汽車バイクから自動車に置き換わったのだ。両方とも無線兵みたいな箱を担いで運用する。

それで職にあぶれたプレスライダーが流れた先は2つあって、一つは競馬/競艇新聞の運搬。予想欄の関係レース当日に入稿されるので印刷所の前に多数のバイクを並べて待つ。刷り上がった新聞バイクの後ろに括りつけて馬券売り場や競馬場の売店に急いで持って行くのである

ただこれはレースが日曜しかやってないか臨時バイトの面が強い。

もう一つがバイク便で、オフィスを回って営業する。NY自転車メッセンジャー便のバイク版だ。

こういう経緯なので初期のバイク便はプレスライダーと呼ばれていた。FAXが普及してもサンプル品の急送とか木型(鋳造で使う型)とか需要は多くあったが、白ナンバー違法操業のところが多かった。

中にはちゃん法人成りして営業免許を取り緑ナンバーにして特殊分野でのニッチを獲得したり、後に医薬検体輸送検査会社進化して自治体出資を受けて三セク化したところなどもある。街道レーサー崩れからの地道なステップアップ人生であるな。

 

シルエットフォーミュラ

これは画像を見てもらった方が早い。こういうの暴走族で走ってるやろ? https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/26/Nissan_Silvia_Silhouette_Formula_001.JPG

量産車のガワだけを使って、中はエンジンも足回りもフレームも全部変えていいよという規定レース区分だ。シルエットだけ市販車で中は純粋レースカーなので「シルエットフォーミュラ」という。

これは日本では御殿場富士スピードウェイ筑波サーキットレースが開催されていた。

特に富士スピードウェイでは「富士グランチャンピオンレース」というシリーズレース(全戦富士SWでの開催)が人気を博していた。走っていたのはルマン24時間みたいな形のレースカーだった。

このレース前座としてシルエットフォーミュラが開催されていて、こっちは街で見かける市販車ベースで無茶な改造がされているのでこっちも大人気、更に自分の車を同じように改造するのが流行したのだ。

族車で出っ歯にするのはこのシルエットフォーミュラの真似を大げさにしたものなんである

更に初日の出暴走を「グラチャン」という理由も判ったかと思う。シルエットフォーミュラ風の改造をして富士山の方、即ち富士スピードウェイがある御殿場方面東名高速を走っていくからグラチャンなんであるな。

 

因みにあの出っ歯貧乏暴走族などではベニヤ等で手作りしてあり、強度が低いのでボンネット辺りから針金で吊ってある。

そんなヤワな造りのもの走行風に耐えられる訳もなく、ほぼ必ず途中ではがれて取れてしまう。または出発地近所の踏切でぶつけて引っかかってしまい、電車が来たら危ないので周りのおじさんや善男善女に助けてもらって出っ歯踏切から撤去してもらい、「危ないよ~」とか言われてるのである出っ歯手作りで温かみがある上に重ねて温かみのあるエピソードであるハリボテエレジーの如き侘び寂びの趣きだ。

で、出っ歯が無い普通の車として他の族車と一緒に東名を走っていくと、途中で交通機動隊が集中取締りをやっていてFRPの高級出っ歯車は皆とっ捕まってしまうが、手作りシルエットの方はなにしろ普通車に戻ってるからそのままスルー

これは他の出走馬が前部倒れた後にハリボテエレジーが壊れた馬体というかダンボールを引き摺り走ってきて完走するのを彷彿とさせる。大穴である

続く→https://anond.hatelabo.jp/20230105180833

2022-10-31

女性!!!

わたしたち男性はこの言葉に飽くなき憧憬を禁じ得ませんッッッ

そしてわたしたち今日、その女性の美しさを目にすることもできます

しかしッ しかしですッ

その女性が重い荷物を持つ姿を見た者がいるのでしょうか

その力が危険現場で発揮されるのを見た者がいるのでしょうかッッ

女性の苦労はいつも安全な家の中ですッッ

世間女性を気遣うあまり実戦の場へ立たせようとはしなかったのですッッッ

男性はもうそろそろハッキリと言うべきなのですッッ

女性保護されているッッ

2022-10-18

失恋をしたのかもしれない

恋愛関係というにはあまりに複雑だったし、長く一緒に居すぎたか恋愛感情以外の気持ちも大きすぎて、適切な関係を表す言葉がなかった。夫婦くらいお互いのことを知っていて、友達くらい遠い関係だった。あれだけ激しく求めった肉体関係を断った後でも、二人の関係性はお互いのことが好きっていう前提に成り立っていたから、多分これが終わったのは失恋でいいんだと思う。

長い間一緒に居たから嫌いなところもいっぱい見つけた。俺は人の良いところを見つけるのが上手いとか、そんな立派な人間じゃないか彼女の嫌いなところが気になっていつも一人でイラついていた。彼女もそれに気づいていたけれど、俺はどんなにイラついても彼女のことが好きだったし彼女のことが大切だったから、彼女もそれを受け入れていた。たまに長く付き合った恋人夫婦恋愛感情は冷めたけど友達として好きだからと言っているパターンがあるけど、俺たちの場合はそういう冷めた関係性と恋愛感情が何故か別々に交じり合わず共存していたと思う。

手も触れ合わずに過ごす関係が心地よかったとも思えない。恋愛を超えた人間的な尊敬による関係を装っていても、俺たちの間には人間的な、あまり人間的な感情が渦巻いていた。疑念不安、執着、愛情、恐怖、嫌悪憧憬、恐怖、嫉妬、性欲、支配欲、全部がそこにはあった。理性では制御できない感情の渦の中で俺たちはぐるぐるとずっと回っていた。俺たちは一緒に居るだけでずっと傷つけあっていた。彼女は優しいか最後まで言わなかったけれど、多分俺のことを好きな気持ちと同じくらい嫌いだったと思う。俺も彼女のことが好きな気持ちと同じくらい嫌いだったことを言ったことはないけど、彼女もそれは知っていたと思う。言葉にしなくても声を聞くだけで気持ちがわかるような関係というのは、とても残酷にお互いを傷つけあうことになる。

から多分俺がフラれたのは、俺にとっても良いことだったんだと思う。ここまではフラれた直後にもう理解していた。彼女と話している間に俺が泣かなかったのは、彼女のためにも俺のためにもこれが最善の結論である理解していたからだ。でも話を聞いてから俺の中に生まれ感情が何なのかずっとわからなかった。ここまで書いてようやく気付いた。俺は恋を失ったのではなくて、彼女と一緒に自分の何かを失ったのだ。彼女ミラーリングしていた、彼女の中のもう一人の自分を失くした。多分これはもうどうやっても見つけられないものだ。俺は昨日までの自分から何かを欠いたまま、欠いたことに折り合いをつけて生きていかなきゃいけない。

人間は誰もしも人として大事な何かをこぼれ落としながら生きていくのだと思う。思えば、俺だって人生の中で大切な何かを失くしたのは何も今回が初めてじゃない。でも失くしたものを数えるのはいつの間にか止めてしまっていて、もう何を失くしたのかもきっと全部覚えていない。だから数日か数か月か数年かわからないけれど、この喪失感もいつか思い出になり、記憶になり、いつかは忘れてしまうのだと思う。今はただその時が待ち遠しい。

2022-09-16

地方オタクコミュニティプレイス雑感

地元オタクコミュニティ世代交代を感じる。

関東に出る前、地元だった地方工業都市の旧来オタクコミュニティはズタズタだった。


狭くて薄暗いラジコン屋。店内で話すだけに睨んでくるエアガン屋。電気がいつも半分しか点いていないTRPGコーナー(文具屋のプラモコーナーのさらに奥)。PC屋の隅っこの暖簾の奥のエロゲコーナー。レジのねーちゃん初恋だった個人

経営ゲーム屋。地元オタク臭のする場所のどれもこれもが、なんだか近寄りがたく、なにか卓越した技能を持つか、誰かの紹介無しには入り難い。そんな場所ばかりだった。

例外アニメイトくらいか。あの誰でもウェルカムな明るさはいろんな意味で眩かった。

そしてアニメイトに一歩遅れてやってきたインターネット普及。当時は衛星放送が無ければレンタルが来るまで見れなかったアニメP2Pという今思えばろくでもないアレのおかげでリアルタイム気味に楽しめるようになったし(後のネット

信はまさに福音であった)、定価販売ではないエアガン存在はすごい衝撃だった。

あと同人誌存在エロゲ雑誌なんかで知ってはいたが、実際に手に取れるようになったあの感動!通販だとメロンブックスの無地の箱はうれしい!

入手した同人誌からはるか遠き聖地コミケへの憧憬を募らせた。何が欲しいという訳では無かったけれど。

こういった物質情報的なアクセス活性化は俺のような消費するだけのオタクには福音であったが、同時に旧来のコミュニティはそれらに追いやられる、あるいは経営悪化によって存在感を失っていた。


それから結構歳月が経ち、俺は色々あって地元に戻った。長男だし。

改めて見てみると、そこには新たなコミュニティが芽生えていた。インターネットの強力な直射光に焙られて存在感を失ったように見えたコミュニティは、その環境変化に適応し新たな形を築いたり、新たな芽生えが発生していた。

これは盆正月の里帰りにも感じていたが、ネット配信の普及はライトP2P層をほぼ駆逐した。面倒な時間もかけず、ちょっとした月額でどうにかなるなら多くは月額を選んだ。アニメ以外も視聴できるので家族からお金も出やすい。

映画館が減り、レンタルビデオも消えつつある現在地元でもお手軽に映画を見ることができる手段でもある。

アニメイト移転こそしたが元気だ。店舗面積こそ減ったが女性向け同人で賑わっていた。

ラジコン屋はインターネット通販によって焦土と化したように思われたが、生き残った店舗郊外へ小さいながらレース場付きの新店舗を作り、大きく明るくなった店舗周辺地域需要を総取りしている。残存者利益という感じ。

ちゃん運営のいるサバイバルゲームフィールドも出来ていた。昔はグループ地主交渉して管理していたなぁ。

土建屋の中の行動力ある趣味人が余った土地(元農地や資材置き場)を転用して開いている感じ。関東フィールドを参考にして整備した、見劣りしないと豪語するだけのことはある出来だ。

フィールドありがちな常連問題はありそうだが、まあ関東でもそれは一緒だしそういうものである

個人ゲーム店はほとんどが消え去ったが、行きつけだった店はカードゲームTRPGプレイスペースを売りにあれこれイベントを開き、地域イベント中心の一つとなった。初恋だったレジのねーちゃんまだレジのねーちゃん、いや、もう奥さんだった。左手の薬指の指輪がまぶしい。ゲオときには潰されませんよ、と語る逞しさは歳月を経た今でも魅了を失っていない。幸せであってほしい。

その他、俺にはよくわからないがボードゲーム店なんてものもできていた。コロナも耐え抜きしっかりと地域に根を張っているようだ。

他方、PC屋は周辺企業サポート業務がメインとなってしまい、店としての機能ほとんど失われてしまった。マウスみたいなちょっとした周辺機器くらいは今でも細々と売っているが。

TVゲームコミュニティネット対戦の普及で細切れと化した。ゲーセンはかなり最近まで粘っていたがコロナでついに倒れた。今はファミレスなんかで集まってゲーム、はあっても専門の場所みたいなものはもう見当たらない。これも時代か。



ある程度の濃淡は有れど、地方都市にもオタク的な趣味根付き、生きている。自分中学生くらいだったころを思い出すと隔世の思い。

東京人間から見れば稚拙都市部模倣であろうが、それでも有るのだ。我が故郷にはなんでもある(何にもない)。東京には何もない(なんでもある)。

2022-08-26

文化的多様性』が理解できていないブクマカだらけ

町山氏の鳥葬発言に対するブクマカ発言レベルが酷い、とても酷い。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/TomoMachi/status/1562794180383911937

gryphon リプライ引用リツで、安倍氏に対してではなく「鳥葬という異民族異文化への偏見差別ではないか」という指摘があり、ハッとした。

chakatan 彼らリベラルの言う多様性って欧米内の少数派にしか適用されないんだな。アジアアフリカ文化は未だに遅れた野蛮な文化と思ってそう。

mcnurphy これ、鳥葬というマイノリティ文化に対するヘイトでしょ。小田嶋隆氏もそうだったが、宝島文化圏にあった人達ポリコレリベラル纏っても地金が出てしまうんだよな(従軍いやん婦とか)



町山氏の発言下品なのは言うまでもないけれど、こうしたブクマカ発言も『文化多様性』を誤った形で認識しているとしか思えない。

まず前提として、鳥葬に対して日本じゃ「怖い」「無惨」「打ち棄てられた死体」といったネガティブイメージの方がベーシックだろう。

人によっては異文化への憧憬や厨二的なカッコ良さを感じることはあるかもしれないが(正直俺もロマンは感じる)、だからといって自分家族の葬り方に鳥葬提案されたら99%以上の人は「はぁ?」となるのは間違いない。

異文化として肯定的に捉えることはできても、日本では生前から特別本人が望んでいたという場合でもない限り、鳥葬は明らかに真っ当ではない葬り方だ。

そもそも法律上できないとかは置いておく)

そして、だからこそ、そうした文化的背景を踏まえれば、その文化圏内にいる人に対して鳥葬という言葉を使うことは、チベットなどの鳥葬文化の人々に対しての侮辱にはならないハズなのだ

考えてもみてほしい。

例えば日本人の貴方は、誰かが厳格なキリスト教徒に対して「お前が死んだら来るべき日に復活できないように火葬にしてやるぜェ!!」と罵倒している場面に出くわしたとして「テメェは今、火葬文化のオレ達日本人を侮辱したァ!!」とキレるだろうか?

貴方がどうかは知らないが、普通に考えたら大多数の日本人はそんな風にキレたりしない。

それがなぜかと言えば、厳格なキリスト教文化圏では火葬禁忌とされていることを、自分達とは異なる文化圏として認識し、そして尊重しているからだ。

これこそが本当の『文化多様性』なのではないか

その文化が何を尊ぶかだけでなく、何を"忌み"とするかも尊重するのが、本当の多様性だと俺は思う。

今回の町山氏の鳥葬発言に対してマイノリティ差別などと的外れ批判をしている人たちはそこを勘違いしているとしか思えない。

さあ分かったら、薄っぺらポリコレポイント稼ぎとしか思えない発言にハッとするのではなく、俺の書いたこ増田にハッとしてくれ。

2022-08-22

テレビワンピースを観た。

今日、久々にテレビワンピースを観た。

公開中の映画の関連エピソードをやっていて、本編ではなかったけど。

しかし長らくワンピースを観ていなかったので、逆に助かった。

内容としては幼少期のルフィとウタのエピソードで、所謂ボーイミーツガールな話。

テンプレ的な話ではあったけれど、特に印象の残った場面があった。

それは、ウタがルフィに「海賊になって何がしたいの?」と尋ねる場面だ。

そこでルフィは答える。

「俺は世界中冒険したい。いろんな場所に行って、いろんな奴らに会って、いろんな食いものを食べたいんだ!」

そう目を輝かせて語るその姿に、思わず泣きそうになった。

俺が好きだったワンピースの魅力が、この場面に凝縮されているように感じられたから。

見知らぬ世界への憧憬、新たな出会いへの期待、未知なる体験に寄せる希望

そういった思いや気持ちを、少年ルフィは表情で雄弁にこれでもかと語る。

実に楽しそうに。

実に生き生きと。

俺が昔、子供の頃に感じたワンピース面白さっていうのはここにあったんじゃないかと思うんだ。

未知なるものに対して恐怖を示すんじゃなくて、未知なるものからこそ楽しもうぜ!とするその姿勢に。

生きることへのワクワク。

なんだか長らく忘れていた感覚を、今日たまたま観たワンピースで思い出した。

この作品は、やっぱり凄いのかもしれない。

2022-08-03

こどものころすげー難しそうこれよんでる大人ってすごいって思ってたものって

意外と大したことないんだよな

それどころか子供向けと本質かわんなくてまじ拍子抜け

無駄にこどもをおどして余計な憧憬をもたせてがっかりさせる現象

おとなのふりかけ現象と名付けよう

2022-07-22

セックス様って言い方いいよね

童貞セックスに対する敬意と憧憬を感じるわ

2022-07-13

文章書いたかアドバイスをくれ。

人間が夜空を最も美しく感じるのは10歳のときで、それより歳を重ねると霞んでいく一方だという言説をどこかで読んだことがある。ふと思い出していくつかの言葉配列を用いて検索してみたが、原文は見つからない。私の願望なのかもしれなかった。

高校入学して初めての夏休み。昼下がりの会食を済ませたあと、中学時代の友人と共に町を歩いていた。田舎道路は全ての人にとって旅路の通過点に過ぎない。当然私たちにとってもそれは同じだったが、朧げにしか意識しなかったし、その必要さえもなかった。畑に埋め尽くされた景色の中で、過剰に舗装されたアスファルトの黒さが不釣り合いに見えた。

会話の間隙にそれとなく見上げた夕焼けの赤に瞼の裏がぬるく解けて、いやに清々しくなって、言葉を失った。そんな気持ちになるのは生まれて初めてのことだったから、これが青春かいうやつなのかなとか、半ば冷笑的に黙考した。その場には笑い声だけが響いていた。気づけば私も笑っていた。

ある状況の渦中にあることを認識するためには、そうではない状態を知覚する経験が不可欠だ。だから、ある幸せ存在することに気づくのは、消失へと向かうスペクトラムの萌芽に足を踏み出すのと同義なのである

歳を重ねると空や海に涙が零れるようになることだけは知っていたけれど、あの冷えた幸せ終点があることを想像するには私たちは若過ぎた。

17歳の秋に、初めて翡翠水平線を見た。修学旅行の2日目、沖縄の海だった。バナナボートに乗る同級生を尻目に、アトピー性皮膚炎のある私は象牙色の大粒な砂浜をひとり散策していた。平坦な床を歩くことに慣れた私には、踏み込むたびに不規則に崩れる足場が新鮮でたまらなかった。仄かな潮風が体を包むと、澄んだ笑いが漏れる。聞こえる笑い声はあの日よりもずっと多かったけれど遠く離れていて、波音が容易くそれをかき消した。自由になれたような気がした。今だけは隣で笑う人なんていなくてもいいと思えた。

太陽の眩しさすら爽やかだった。あの頃はそれほど偏頭痛が酷くなかったから、眼窩を抉る痛みを知らずに心を真白に染められた。

ずっと、海を見ていたいと思った。交じり合う碧色のゆらめきと地球の呼吸に身を委ねている時間は、何よりも心地よかったから。その日から私は、沖縄の海を憧憬している。

物体永遠の美しさを持ち得ることがないように、我々の審美眼も恒久ではない。その瞬間の網膜を最も鮮明に彩るものは何なのか、私たちの瞳には何が残されているのか、詮索せねばならないと思う。瞬きを注視しなければ、一縷の光はすぐさま通り去ってしまうのだから

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