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はてなキーワード: 彷徨とは

2017-10-25

発掘前の橋本環奈のような

そういう子だね、と好きなアイドルのことを、友人から言われた。彼女は私が数年来、ゆるゆると見守っている地下アイドル女の子だ。

顔は福原遥に似ていて、声はまさに鈴が鳴るような可憐さ、歌もダンスも上手い努力家で、関西弁かわいい。年齢も若い。目立った欠点は見当たらない。

贔屓目だろうと思われそうだけれど、人に見せると一目で「こんな子が地下で燻ってるの?」と言われるほど、とにかく顔面可愛い

贔屓目を存分に発揮するなら、顔ならAKBセンター余裕なのではないかと思っている。私なら、整形するとき堀北真希写真よりこの子写真を見せる。とにかく顔が抜群にいい。けれど、彼女フォロワー数500代の地底を彷徨っている。

3、4年、地下でアイドル活動をしてきて、ついに代々所属していた4つのグループが全て解散という形に終わり、このまえ、彼女俳優志望に転向したらしい。

歌もダンスも上手だったから、悲しい。推し始めた頃は「いつか絶対ビッグになる!」とワクワクしていたが、ここまで燻っているのを見ると、本当にいつか発掘されるのだろうかと不安になる。

こういう子を居るべき場所へひっぱりあげてあげる方法はないのだろうか。カメラ練習かな……

2017-09-23

心の中のもう一人の自分がいなくなっていた

幼少の頃、よく母に怒られた。

仕事ギャンブル毎日明け暮れる父に代わり、母は自分に対して最低限のマナーを教え込むため、しつけがしかった。今でもその頃の記憶を手繰ると機嫌の悪かった母がいた思い出しか出てこないくらいだ。お陰で今助かっている所も勿論あるとは思う。でも今、それは置いておいて。

子どもの頃、母に怒られたり、母の機嫌が悪くなると、決まって自分の心の中に「もう一人の自分」が現れた。

泣きながら、母の言うことを聞いて反省する自分

でも、心の中にいるのは、テーブルの前に座り、頬杖を付きながら母の言うことに真顔で反抗するひどく冷静な自分

小学生くらいまでは、母に責められる度にこの小さいもう一人の自分が心の中で反抗を繰り広げていた。

だが、いつからだろうか。この反抗する自分が心の中にいなくなったのだ。

成長するにつれ、母が過度に腹を立てることも、自分が母を怒り心頭にさせることも無くなっていた。波風立てず、相手を怒らせることなく反抗なんてもっての他になっている自分がいた。

ただ、ごくたまに母が腹を立てた時に、私の心の中にはもういなかったのだ。あの時いた、もう一人の自分が。

今も昔も、自分は母に、反抗なんてしなかった。ただ、確かにあの時、心に棲んでいる反抗をする冷静な自分叫びを上げていた。

今、もう一人の自分はどこへ行ってしまったんだろう。

この頃、自分を責めることばかりをしている。毎日毎日漠然とした不安に怯え、その度に「こんな自分がこの事態を呼んだ、悪いのは全部自分だ」と考え、ずっと頭の中を彷徨っている。

もし今、冷静に反抗の叫びを上げる自分がいたらどうだったのだろうかと、ふと気付く。

いつからだめになってしまったのだろう。

2017-09-17

今日も女は毒親叩き

母が悪い 田舎が悪い 日本が悪い

不幸を生まれのせいにして

ここではないどこかを探し彷徨い歩くメンヘラ家事手伝い

ああ無情 ああ無情

2017-09-14

https://anond.hatelabo.jp/20170815194516

1ヶ月経ってしまったけれど、読みました。ありがとうございます

今日体外受精のための採卵をしてきました。手術室に入り静脈麻酔(軽めの全身麻酔のような感じです)をしました。途中麻酔が切れ、激痛に襲われました。痛い痛いと叫びなんとか採卵は終わりました。

不妊治療を始めた時、体外受精までするつもりはなかったんです。そもそも体外受精まで行くとも思っていませんでしたが、怖さで無理だろうなと思っていました。

でもタイミング法も人工授精も全く手応えがなく、後悔するのが嫌で体外受精に進みました。

最近、人と比べてしま自分自身に嫌気がさし、自分ばかり見つめるようにすべくライフログを取るようになりました。機械的に時刻としたことをずっとメモしていくだけなのですが、これをしていたら考えすぎたり悩みすぎることが減りました。淡々時間を過ごしていくだけの生活になりました。味気ないですが、精神衛生上、今は楽な気持ちです。

不妊治療は人を壊します。人のおめでたい話を聞けば、最悪の事態を呪うようにして願うようになりました。妊娠のためにいいもの情報を聞けば振り回されますストレスを溜めないようにしましょうなんて記事を見た時には「妊娠したらストレスなんてなくなるわよ!」と叫びたくなります電車に乗れば見知らぬ子や妊婦を呪ってしまうような黒い心に侵され、それにふと気付いた時に酷く傷つきます

不妊治療は軽い気持ちで臨みましょう」「絶対子どもが授かるとは限りません、そう心に留めておきましょう」なんて書いてあったって、不妊治療と向き合っているイコール子どもが欲しいと強く願っているわけで、軽い気持ちで思えるわけないでしょ、なんて思ったり。

取り留めのない文章になってしまいました。ごめんなさい。誰かに知ってほしいんです、きっと。不妊治療って大変です。お金も心も。ちなみに採卵だけで30万くらい今日は支払ってきました。移植にまたお金必要です。

私は不妊なんて関係ないやって思っていました。不妊治療の話を聞いてもふーんと思って聞き流していました。当事者になるとこんなに大変なんだと思うようになりました。抱えてる病気については友人にサラッと言えるのに、不妊治療だけはどうしても言えません。どうしても言えないのです。苦しいです。でも誰かに伝えたって改善されるわけでもないですし、一人で抱えていればいいのかもしれません。

出口の見えない暗い迷路でずっとずっと彷徨っている気分です。不妊治療負けない心が欲しいです。

体外受精移植6回して駄目なら諦めるつもりです。諦められるのかな。あんまり自信はないです。

とりとめのない文章になってしまってごめんなさい。

2017-08-27

増田でもわかる通信障害まとめ

先日の大規模障害について理解確認を兼ねて書いてみたいと思います。多分来週辺りに日経IT Pro特集してると思いますが。

AS(autonomous system)

インターネットは「ネットワークネットワーク」とも言われ、要はISPが沢山繋がったイメージです。

ただISPの中もそれなりに大きなネットワークですので、ある統一したポリシに従って運用される必要があります。そのポリシが適用されるネットワーク単位AS=autonomous system=自律システムです。なので必ずしも1ISP=1つのASであるとは限りませんし、最近コンテンツサービスを持つ事業者、つまりAmazonYahooGoogleもまたAS運用しています

AS自分情報を他のASに伝え、他のAS内に居る人がアクセスできるようにします。それが「経路情報」と呼ばれるものです。これを交換することで地球の裏側のネットワークにでも辿り着けるようにするわけです。

Tier1 AS

フラット関係でお互いに情報交換すれば解決しそうな話ですが、現実世界と同じようにAS間には力関係、つまり上下関係が生じます

ISPですと、下位のISPはより上位のISPから「経路情報」を購入しなければ世界へ繋がれません。その最上位に位置するのがTier1と呼ばれる事業者です。現在は約10社ほどですが、彼らが経路情報を互いに交換して作られるのがインターネット上の全ての経路情報フルルートになります

Tier1は米国事業者が多いのですが、買収したことでNTT-ComやソフトバンクはTier1となっています

道案内の仕組み

いよいよ本題です。

AS間でやり取りする経路情報はざっくり言えば「10.0.0.1/24アドレスを持つAS1に行くには、AS10AS20とAS30を通ってきてね!」という情報です。この情報を受けたAS200は、この逆順に辿るように案内すれば10.0.0.1/24に辿れるわけです。簡単ですね。

ただし、ISPであれば複数AS接続しているのが普通です。なので別のAS100からは「10.0.0.1/24アドレスを持つAS1に行くには、AS150とAS100を通ってきてね!」という情報がもたらされるかも知れません。単純に考えて、AS100の経路の方が経由するASが少ないので速そうですのでこれを優先して案内するようにします。単純ですね(実際には他要素を加味して制御します)。

これら情報を受けたAS200は繋がっている他のASに対して、同様に「10.0.0.1/24アドレスを持つAS1に行くには、AS150とAS100とAS200を通ってきてね!」と伝搬してあげたりもします(しない場合もあります)。

こんな風に経路情報を交換するプロトコルがBGPです。経路情報は定期的に交換するのではなく、変更があった際に広告(advertise)されます

道案内を間違えたら…?

ところでAS基本的自分情報を出すものですが、実は誰でも他ネットワーク情報を出すことができます。つまり自分(AS)の管理していないIPアドレス」に対しても「この順路で来てね!」という案内が出せてしまます認証なんて面倒なものはありません。IPアドレスが割り当てられたからといって、それがどのAS内に属しているかは実は別問題なのです。

もちろんある程度防ぐ仕組み、チェックする仕組み(経路フィルタ)は存在しますが、どのような経路情報を出すか、来た経路情報をどう料理するかは非常に難しいもので、また全てのASが同じポリシで運用する保証はありません。

Google先生の過ち(推測)

Google管理するAS15169はNTT-Comに関する誤った経路情報広告したとの報道があります

詳細は不明ですが、素直に読むならNTT-Comが管理しているIPアドレスについて「ここにこんなネットワークがあるよ、ここを通ってきてね!」情報を出したと言うことでしょう。

影響が広がった原因(推測)

NTT-Comに関する間違った経路情報が流れたなら迷惑するのはNTT-Comだけのはずです。

が、実際には多くのネットワークに波及しました。不思議ですね。

1.経路吸い込み

もしTier1が受け取った経路情報を何もフィルタすることなく下位のISPに伝搬すれば、当然下位ISPへどんどん誤った経路情報が伝わっていきます

最上であるTier1から到達性のない経路情報を知らされても、下位ISPはそれを信じるしかありません。

誤った経路情報で誤った経路に誘導されることを経路吸い込みといい、悪意を以て行われる場合であれば経路ハイジャックと呼ばれます

1.1.ASパスによる選択

ただし本来NTT-Comが出している正しい経路情報が無くなったわけではないのです。

上述の通りBGPでは優先度判断の一つにASパスの長さがあります

それまで「NTT-Com→AS1000→AS2000→AS3000→AS4000」だった経路情報が「NTT-Com→AS1111→AS2222」となったなら、後者がBGPレベルで優先されてしま可能性はあります

1.2.TTLによるパケット死亡

NTT-ComはTier1ですから、海底ケーブルを含む多くのバックボーンを持っています。他ネットワークへの中継点としてISPに限らず通信網として非常に重要です。

NTT-Comと全く関係のない業者Webサイトであっても、「Webサイトが属するASAS3333→AS4444→NTT-ComのASAS5555→…」という経路情報が伝搬されている可能性があります

通常は途中のNTT-Comを通ればはやーいとなるはずが、そのNTT-Comへ行くための経路情報が変わってしまえば大きく迂回してしまう経路になるかも知れません。

パケットには生存時間(TTL)と呼ばれるものがあり、あまりに多くのルータを経由すると(Windowsなら128)到達不能として破棄されます

ただそもそもが誤った経路情報なので、途中のNTT-Comに辿り着いたと思ったら全く別のネットワークのためデフォルトルートに投げられてしまい、彷徨って同様に消えたのかも知れません。

1.3.ロンゲストマッチによる選択

10.1.0.0/24とか10.1.0.0/25の意味がわかる人向けです。

そもそもルータはより細かいプレフィックスが長い)ネットワークへ優先してルーティングする(ロンゲストマッチ)ため、長いプレフィックス広告してしまうことで経路吸い込みを起こせてしまます(ロンゲストマッチルータに於ける大原則なので最優先されます)。

この事象は割りとよくあり、2008年パキスタンAS国内からYoutubeへのアクセス規制するための偽情報を誤って外部へ広告アクセスできなくさせる事象を起こしています

2.経路変更に時間を要した

現在フルルートは約65万経路と言われてますが、お高いBGPルータにとってもこの経路情報の大きさは非常に大きな負荷であり課題とされてます

経路情報ASの内部に対しても(内部ネットワーク内での経路情報として)伝搬する必要があり、どちらかといえばこの各AS内部での伝搬時にルータ負荷上昇が発生し遅延が生じたのではという説があります(この辺は自信なく怪しいです。IGP詳しい人に)。

巨大なネットワークであればあるほど内部の経路情報収束には時間を要してしまうこと、わずか8分の間に約10万経路の追加とその取消が生じたことで完全復旧まで時間を要した可能性があります


いかがでしたか?(キュレーションサイト風)

AS自体は条件(https://www.nic.ad.jp/ja/ip/asnumber.html)を満たせば事業者に限らず誰でもAS番号を取得し運用できますので、興味を持った人はBGPオペレータになって「指先一つでインターネットを壊せる」緊張感に酔いしれましょう(※BGPオペレータに対する個人の感想です)。

2017-08-09

はいじめっ子だったのだろうか

私が高校生の頃、同じ学年に佐藤さん(仮名)という子が居た。私は2年生の時同じクラスになった。

佐藤さんはなんというか、普通ちょっと地味な子だった。派手なわけではないが、ダサいわけでもない。特別に明るいわけでも暗いわけでもない。卑屈なわけでも不遜なわけでもない。

彼女学校に来るのが早い方で、私も早い方だった。他に人が居なければ喋る。その程度の仲だった。でも私はその時間が好きではなかった。

彼女と話す時間はつまらなかった。でも何があんなに楽しくなかったのかは未だに解らない。誰かの悪口を言ったりする子ではなかった。普通に好きなアーティストの話などをしていたがつまらなかった。

他の仲がいい友達が来ると、解放されたような気持ちになった。彼女は他の子が登校してくるとすっと「じゃあね」と言って去って行ったからだ。

私は最初佐藤さんは誰とでも仲良くなる社交的な子だと思っていた。行動を共にする子がいつも違ったからだ。

だが段々とそれはどうも違うらしいと気付いた。彼女は誰とでも仲良くなれるわけじゃなく、特定の仲のいい子が居なくて彷徨っている子だった。

私と私の友人達は、口にこそ出さなかったが彼女が輪に入ってくるのが嫌だった。

放課後どこかに遊びに行こうなんて話して盛り上がっていて、彼女が私も行っていい?と入ってくると0.2秒くらいの間空気が凍った。

断る理由も無いのでいいよと言って一緒に行ったが、だからと言って次から積極的に誘いたいと思う事は無かった。

私の居たグループ?は20人くらいのうすーい繋がりのグループ

(AちゃんとBちゃん、BちゃんとCちゃんは仲良しだがAちゃんとCちゃんは話はするけど個人的にやり取りをするほど仲良くはない、みたいな)

その場に居合わせた人によってその日一緒に居る人が変わる、結構流動的なグループだったが、佐藤さんに対する態度だけは何故か一貫してた。

3年生になり佐藤さんとクラスは離れ、朝に話す事も無くなった。接点は無くなったわけじゃなかったが薄くなった。私の中で彼女存在は限りなく薄くなった。

とある学校行事彼女に久々に話しかけられた。何を話したかは覚えていないが、5分程雑談をして私は当番があったのでそう伝えて別れた。

すると一緒に当番になった子から佐藤さんと仲良いの?と聞かれた。私は仲良くはないけど、去年同じクラスだったから話す事はあるよと答えた。

当番の子はよかったと笑った。そして「今年初めて一緒のクラスになったんだけどあまり得意じゃなくて…」と続けた。

私はなぜかショックだった。当番の子は決して佐藤さんと仲良くするタイプの子ではなかった。強い接点を持つわけでもない人にさえ彼女は嫌われていたのだと知ってしまった。

私が通った学校平和学校だったと思う。皆毎日を楽しむのに忙しく、特定の人をいじめたり追い詰めたりする暇は無かったと思う。

佐藤さんの事も、皆得意じゃないとは思いつつ積極的にそれを口に出す事はしなかった。遊ぶ時参加したいと言われれば受け入れた。

でも彼女との交流はなぜだかとんでもなくつまらなかった。妙に苛々して、到底楽しい時間とは思えなかった。

声のトーンやテンションも仲のいい友達と喋る時とは明らかに違ったと思う。

から自分からしかけたり、遊びに誘ったり、手紙を書いたりする事は無かった。

佐藤さんの「仲良くなろう」という気持ちに応える事はしなかった。気付かないふりをし続けた。

あれはいじめだったんだろうか。

私達は誰も示し合わせたりはしなかった。不思議と皆が彼女を得意じゃなくて、でもみんなそれを口にしなかった。

当たり前だが暴力を振るったり、物を隠したりもしなかった。

でも今日はこのメンバーだけで過ごしたいなと思ったら佐藤さんの目を避けて打ち合わせをした事はあった。

「皆」の中に佐藤さんを含もうとはしなかった。含もうとすらしなかった。

私の楽しい日々の中に佐藤さんは不要だったからだ。

2年の学級文集にちょっとした文章を書く欄があった。

そこに佐藤さんは私と過ごした朝のひと時について書いている。

私が嫌々過ごしていた毎朝の10分少々が、彼女にとっては1年の思い出だったのだろうか。

卒業からもうすぐ20年経つ。あの時の友人の多くとはもう連絡を取っていない。当然佐藤さんとも。

彼女はあの後誰かと仲良くなれたのだろうか。幸せにしているのだろうか。

どうか幸せになっていてほしい。それだけは本心だ。

2017-08-07

世の中EV

燃料電池インフラガンバローゼン日本とは別の彷徨なって思ったが

EVインフラがアレな感じだったら海外クルマ輸入が減ってしまってニコニコ

わざわざ日本のご家庭でも充電OKな改修して売る?

https://anond.hatelabo.jp/20170806231719


失敗したってどういう失敗したんだよ

まあどうせ事故じゃなくて勢いで中出ししたんだろうが

そうやって過去の間違いと向き合うことが出来ないからてめえはゴミなんだよ

水子供養?浮かばれねえだろうなあこんな馬鹿のせいで

今でもお前の周辺彷徨ってんじゃねえか

2017-08-05

[] #32-3「数奇なる英雄 リダイア」

期限当日。

俺たちの成果を、他のグループの前で発表する日ということだ。

他のグループの発表はというと、自分たちの住む町の歴史だとか……まあ何も言うことはない。

みんな課題をこなすことに必死だったし、他人成果物に目を向ける心の余裕はなかったんだ。

そして、長いような短かったような時を彷徨い、いよいよ俺たちグループの番がきたのだった。

英雄リダイアはこの町で生まれ育ったことは周知の通りです。リダイアは当時としては画期的建築技術発明し、この町の発展を大いに助けたとされます。ですが、これはあくまで彼の英雄たる理由の一つでしかありません」

まずはリダイアに関する大まかな説明から始める。

このあたりはエビデンスがとれていることもあり、滞りなく進んだ。

問題はここからだ。

「次に彼はアマゾンとある集落にて、住人たちと槍を取り、侵略者から守ったという記録が残されています

アマゾンといえば、アマゾネスしかし、そこでリダイアはこれといった人間関係トラブルがなかったことが、記述内容から判断できます。つまりリダイアは実は女性だったのではと推測できます

聞いていた他のグループがざわつきだす。

一応の辻褄は合うものの、はっきり言ってとんでもない説だからだ。

念のため言っておくが、これは俺ではなくメンバーの一人であるタイナイが提唱したものだ。

それっぽくこじつけはいものの、タイナイが最近読んでいた漫画の影響をモロに受けていることは俺からみれば明らかであった。

さて、これが一つ目の策だ。

タイナイ、カジマ、ウサクでそれぞれ持ちよった説を全て統合して、後は無理やり辻褄を合わせてやろうというものだった。

当然そんなことをすれば、いずれ綻びが生じる。

そこで俺はとある説を用意しておくのだが……まあ直に分かる。


「戦乱の世が平定。落ち着きを取り戻し始めたころ、リダイアは医者を志します。今度は人を救う存在になりたい、と考えたのかもしれません。それから彼は西の島にて、医者として多くの命を助けました。汎用性の高い薬を発明したのも、この当時であると考えられます

医学進歩しだしたころ、リダイアは芸術の分野で多彩な活躍します。我らの町では建築技術、別の地方では絵画といった具合に」

その後も俺たちは、纏めた内容を淡々説明していく。

周りのざわついた音は徐々に大きくなっていたが、意に介さなかった。

「そのように八面六臂の活躍をしていく内、またも世は戦乱の気配を漂わせていました。そこでリダイアは、再びその身を戦火の中へと投じていくのです」

説明も終盤にさしかかったとき、とうとう俺たちが予想していた言葉を一人のクラスメートが発した。

ちょっと待ってくれ、さっきから色々と語っているが滅茶苦茶じゃないか現実的じゃない」

当然の疑問だ。

そこで、俺たちは二つ目の策……いや、説を提唱することにした。

「仰るとおり。いくらリダイアが人並み外れた力の持ち主と定義したとしても、このとき既に64歳。現役を退いている上、当時の平均寿命を越えている。仮に生きていたとしても、物理的に有り得ない」

「我々はリダイアの活躍が書かれた文献をしらみつぶしに調べました。長生きの一言で済ますには、些か無理がある活躍の記録があることが分かりました」

「文献のいくつかは彼を英雄視する人々が作り上げた、偶像物語だと考えることもできます。ですが、それを踏まえてなお整合性のとれない話も多々あったのです」

「そこで、ある説が浮上します。リダイアというのは個人ではなく、各時代、あらゆる場所複数いた、名もなき英雄俗称ではないかと」

ざわついていた空間が、今度は静寂に包まれていた。

これこそが、俺の考えた方法……いや、説だ。

「あらゆる時代、あらゆる場所活躍する英雄が多くいました。リダイアが様々な方面で才能を発揮したとされるのも、そもそも別人だと考えれば自然です」

「なぜ、それらがリダイアとされたかは、彼らに関する詳しい文献が個別存在しない、つまり名もなき英雄だったことに他なりません。そこで当時の人々は、ある種の英雄理想像としてリダイアを作り上げ、そこに実在する英雄投影させました」

「時には自称し、時には伝聞によって。事実真実伝承入り混じり、『リダイア』という英雄集合体が形作られたわけです」

はっきり言って、この説はあまり自信のあるものではなかった。

一応の整合性こそ取れるものの、その実は文献の真偽を分別することを放棄した、苦肉の策だったからだ。

些か理屈に無理があることは承知の上だった。

それでも課題未完成にして出すよりは、それを完成品にするために帳尻を合わせるほうがマシだと考えたのだ。

(#32-4へ続く)

2017-07-27

30

30才になってしまった。

つくづく思う。若さがもたらすエネルギーはすごい。10代の頃を思い返すと、とても正気だったとは思えない。

誕生日の記念に自分人生ざっと振り返ってみたい。長くなるか、すぐに終るか、それは書いてみないとわからない。

2年前からイーストヴィレッジセントマークスで仲間達とバーをやっている。大抵はヒップホップがかかっている。客層は黒人日本人ヒスパニック

日本酒がメインのバーにするはずだったが、すぐにうやむやになってしまった。夏はフレンチスタイルのパナシェがよく売れる。地元の人がこれを読んだら、もう場所特定できてしまうと思う。

大儲けとはいえないが、店はそれなりに繁盛している。僕はほぼ毎日カウンターDJブースにいる。ちなみに趣味ボディビルで、アマチュア大会で2回ほど入賞したことがある。

まさか自分がこんな生活を送るようになるとは思わなかった。中学生の頃は、江戸川乱歩京極夏彦に傾倒していた。将来は図書館司書になるつもりだった。顔は青白く、ひどい猫背だった。ある女性との出会いが僕を大きく変えた。

そうだ、あの子について書こう。

最初彼女と遭遇したのは、高校に入ってまもない頃だった。校庭と校舎をつなぐ階段の途中ですれ違った。彼女ジャージ姿だった。背が高く、涼しげな目が印象的だった。かっこいい人だと思った。一瞬だけ目が合い、僕はあわてて逸らした。

当時の僕は最低だった。勉強も出来ないし、スポーツも苦手。しかクラスではパシリだった。どういう経緯でパシリになったのか、まったく思い出せない。梅雨の訪れのように自然な成り行きだった。

僕をパシリに任命したのはNというクラスメートで、彼は教室内の権力を一手に握っていた。髪を金色に染め、足首に蛇のタトゥーをいれていた。15才の僕にとって、蛇のタトゥーはかなりの脅威だった。

休みになると、僕はNを含む数人分のパンジュースを買いに行かされた。金を渡され、学校の近くのコンビニまで走らされる。帰りが遅かったり、品切れだったりすると怒鳴られる。そういう時はヘラヘラ笑いながら謝った。歯向かう勇気はなかった。そんなことをすればさらに面倒なことになるのは目に見えていた。

いじめられていないだけマシだ、パシリに甘んじてるのもひとつ戦略だ、そう自分に言い聞かせていた。

ある日、いつものようにパンジュースを買って裏門から教室に戻ろうとした時、また彼女とすれ違った。相変わらずクールな表情。今度は制服姿だ。ジャージの時より断然かっこいい。ネクタイをゆるく結び、黒いチョーカーをつけていた。目が合う。すぐに逸らす。前と同じだ。

僕はすっかり彼女に魅了されてしまった。教室に戻るのが遅れて、Nに尻を蹴られた。いつも通りヘラヘラ笑いながら謝った。

それから広場廊下で何度か彼女を見かけた。一人だったり、何人かと一緒だったりした。彼女は常にクールだった。それにどんどん美しくなっていくようだった。どうしても視線が吸い寄せられてしまう。そのくせ目が合いそうになると、僕はすぐに逸らした。

彼女のことをもっと知りたいと思った。気を抜くとすぐに彼女のことが頭に浮かんだ。できれば話してみたい。でも僕ごときにそんな資格は無い。きっと冷たくあしらわれて終わりだろう。遠くから眺めているのがちょうどいい気がした。

なんだか出来損ないの私小説みたいになってきた。こんなことが書きたかったんだっけ? まぁいいか。もう少し続けてみよう。

30才になった今、少年時代気持ちを思い返すのはとてもむずかしい。あの頃は恋と憧れの区別もついていなかった。おまけに僕は根っからの小心者だった。彼女の目を見つめ返す勇気もなかった。世界は恐怖に満ちていた。蛇のタトゥーが恐怖のシンボルだった。

1学期の最後の日に転機が訪れた。大げさじゃなく、あれが人生の転機だった。

よく晴れた日の朝。バスターミナルに夏の光が溢れていた。まぶしくて時刻表文字が見えなかった。僕はいものように通学のために市営バスに乗り、2人掛けのシートに座った。本当は電車の方が早いのだが、僕は満員電車が嫌いだった。それにバスなら座れるし、仮眠も取れる。僕は窓に頭をあずけて目を閉じた。

発車する寸前に誰かが隣に座った。僕は目を閉じたまま腰をずらしてスペースを空けた。香水匂いが鼻をくすぐった。

ふと隣を見ると、彼女が座っていた。目が合った。今度は逸らすことができなかった。彼女がにっこり微笑んだのだ。彼女は気さくに話しかけてきた。

校内でよく僕のことを見かけると彼女は言った。その時の驚きをどう表現すればいいだろう。うまく言葉にできない

さら彼女は僕の頭を指して「髪切ればいいのに」と言った。たしかに僕の髪は無造作だった。でもそんなに長いわけでもなかった。わけがからなかった。彼女が僕の髪型を気にかけるなんて。

彼女ひとつ上の2年生だった。ふだんは電車で通学しているが、初めてバスに乗ってみたという。色々なことを話した。幸福なひとときだった。なぜだろう、初めて喋るのに僕はとてもリラックスしていた。きっと彼女のおかげだと思う。人を安心させる力があるのだ。

車窓から見える景色がいつもと違った。こんなにきれいな街並みは見たことが無かった。行き先を間違えたのだろうか。ふたりであてのない旅に出るのか。落ち着け。そんなはずはない。もういちど景色確認してみる。いつもの道だ。たまに彼女の肘が僕の脇腹に触れた。スカートから伸びるすらりとした足が目の前にあった。目眩がした。

特に印象に残っているのは、彼女小学生の時に"あること"で日本一になったという話だ。でもそれが何なのか、頑なに言おうとしないのだ。絶対に笑うから教えたくないという。それでも僕が粘り続けると、ようやく白状した。それは「一輪車」だった。

一輪車駅伝全国大会というものがあり、彼女ジュニアの部で最終走者を務めた。その時に日本一になったらしい。僕はそんな競技があることすら知らなかった。

まり想定外だったので、どう反応すればいいかからなかった。でもこれだけは言える。彼女が恥ずかしそうに「一輪車」とつぶやき、はにかんだ瞬間、僕は本当に恋に落ちた。

彼女一輪車燃え尽きて、中学から一切スポーツをやらなくなった。部活に入らないのも体育を休みがちなのも、すべて「一輪車燃え尽きたから」。ずいぶん勝手理屈だ。なんだか笑えた。そんなことを真顔で語る彼女がたまらなくチャーミングに見えた。だいぶイメージが変わった。

会話が途切れると彼女はバッグからイヤホンを取り出して、片方を自分の耳に差し、もう片方を僕の耳に差した。ヒップホップが流れてきた。ジェイZだった。いちばん好きなアーティストだと教えてくれた。

僕はジェイZを知らなかった。そもそもヒップホップをあまりいたことがなかった。素晴らしいと思った。リリックなんてひとつもわからなかったが、極上のラブソングだった。本当はドラッグの売人についてラップしていたのかもしれない。でも僕にとってはラブソングだった。

あの日バスは僕を新しい世界へと導く特別な乗り物だった。バスを降りて、校門で彼女と手を振って別れた瞬間から、あらゆる景色が違って見えた。すべてが輝いていた。空は広くなり、緑は深さを増していた。

次に彼女と目が合った時は必ず微笑み返そう。蛇のタトゥーはただのファッションだ。この世界はちっとも怖い場所じゃない。

新しい世界の始まりは、夏休みの始まりでもあった。僕は16才になった。(14年前の今日だ!)人生が一気に加速した。そう、書きたかったのはここから先の話だ。ようやく佳境に入れそうだ。やっと辿り着いた。

僕は髪を切った。坊主にした。そして体を鍛え始めた。近所の区民センタートレーニングルーム筋トレに励んだ。それから英語勉強に没頭した。図書館自習室で閉館まで英語と格闘した。単語熟語文法、構文、長文読解。最初暗号のように見えていた文字の羅列が、だんだん意味を紡ぐようになっていった。

英語筋トレ。なぜこの2つに邁進したのか。理由は至ってシンプルだ。ジェイZになろうと思ったのだ。彼女いちばん好きなジェイZだ。

①僕がジェイZになる

彼女は僕に夢中になる

ふたりはつきあい始める。

完璧シナリオだ。僕はこの計画に一片の疑いも抱かなかった。

できれば夏休みの間にジェイZに変身したかったが、さすがにそれは現実的では無かった。でもとにかくやれるところまでやろうと思った。僕は筋トレ英語に励み、ジェイZの曲を聴きまくり、真似しまくった。日差しの強い日には近所の川べりで体を焼いた。

夏休みが終わった時、僕の見た目はジェイZにはほど遠かった。当然だ。そう簡単に変われるわけがない。日焼けして、少しだけ健康的になっただけだった。でも内面は違った。ヒップホップマインド根付いていた。誇りがあり、野心があった。闘争心に溢れていた。

僕はパシリを断った。特に勇気を振り絞ったという感覚もない。単純に時間がもったいなかった。昼休み英文リーディングに充てたかった。誰かのパンジュースを買いに行ってる暇はない。

パシリを断ると、彼らは一瞬どよめいた。こいつマジかよ、という顔をした。Nが笑いながら尻を蹴ってきたので、笑いながら蹴り返した。教室全体がざわついた。Nはそこで引き下がった。

それからしばらくの間、 嫌がらせが続いた。机や椅子が倒された。黒板には僕を揶揄する言葉が書かれた。でも相手にしている暇はなかった。早くジェイZにならなければ。僕は黙って机を立て直し、Nをにらみつけながら微笑んで見せた。Nの表情にわずかな怯えが走るのを僕は見逃さなかった。

筋トレ英語ラップ筋トレ英語ラップ。その繰り返しだった。僕は少しずつ、でも着実に変わっていった。あの日からいちども彼女と会っていなかった。校内でも見かけなかった。でも焦ってはいけない。どうせ会うなら完全にジェイZになってからの方が良い。

そんなある日、柔道の授業でNと乱取りをすることになった。たまたま順番が当たってしまったのだ。組み合ってすぐにわかった。こいつは全然強くない。いつも余裕ぶった笑みを浮かべてるが、体はペラペラだ。とんだハッタリ野郎だ。絶対に勝てる。

Nが薄ら笑いを浮かべながら、足でドンと床を踏んで挑発してきた。腹の底から猛烈な怒りがこみ上げてきた。なぜこんなやつのパシリをしていたのだろう。さっさとぶちのめすべきではなかったのか?

僕はNを払い腰で倒して、裸締めにした。Nはすぐにタップしたらしいが、僕はまるで気付かなかった。先生があわてて引き離した。Nは気絶しかけていた。僕は先生にこっぴどく叱られたが、その日から誰も嫌がらせをしなくなった。勝ったのだ。

でも連戦連勝というわけにはいかない。ヒップホップ神様残酷だ。僕は恋に敗れた。いや、勝負すら出来なかった。なんと彼女夏休みの間に引っ越していたのだ。僕はそれをずいぶんあとになってから知った。

彼女とは二度と会えなかった。筋肉英語ヒップホップけが残った。なんのための努力だったんだろう。せっかく坊主にして、体つきも変わってきたというのに。仮装パーティーで会場を間違えた男みたいだ。マヌケ過ぎる。しかし、そんなマヌケ彷徨の果てに今の僕がいる。

高校卒業して、さら英語を極めるために外語大に入った。それからNY留学して、今の仕事仲間と知り合い、色々あって現在に至る。仲間達はみんなヒップホップを愛している。それだけが共通点だ。すべてのスタートあの日バスの中にある。

ずいぶん長くなってしまった。まさかこんな長文になるとは思わなかった。そろそろ止めよう。

僕は今でも週に3回は筋トレをしている。当時よりずっと効果的なトレーニング方法も身に付けた。知識も格段に増えた。でも本当に必要なのは、あの頃のような闇雲な熱意だ。

30才になってしまった。

つくづく思う。若さがもたらすエネルギーはすごい。10代の頃を思い返すと、とても正気だったとは思えない。

2017-07-23

https://anond.hatelabo.jp/20170722210312

君はクズなんじゃなくて、精神エネルギーがとても強いんです。

から嫌われたくない・傷つきたくないと強く思うのも

お母様に報いたいと強く願うのも

自分を責め続けて朝まで眠れないのも

そのエネルギーの強さゆえです。

人間、落ち込むのにもエネルギーが要るんです。

エネルギーがない人は落ち込むことすらできない。

そもそも高校中退した後に猛勉強して一流大学に入るなんて

尋常じゃないエネルギーがなければ普通はできない。

高校中退した理由も、おそらくそのへんにあるのではないかな。

書いてないから分からないけれども)

んでもって(こういう記事投稿されるたびに言ってるんだけど)

ハタチ前後っていちばんエネルギー高まる時期なんです、年齢的に。

普通の人ですら不安定になる時期なのに、君はもともとエネルギーが強いか

これはもう鬱にならないほうがおかしい笑

きっと今は、出口のないトンネル彷徨っている気分でしょう。

もう自分が生きる道はないのだと感じていることでしょう。

そしてそれが間違いであると、数年後に気づくことでしょう。

とりあえず、大学はべつに辞めてもよいです。生きてさえいればどうにでもなるので。

だけどせっかく入ったから、もうちょっと頑張ってみてもいいと思います

辞めた場合、お母様は残念に思うでしょうが

子供のことで喜んだり悲しんだりするのは親の仕事なので

そこは任せてしまいましょう。

それから、何かサークルには入っているかな?

大学はいろんな人がいます

同じように苦しんでる人と悩みを分かち合えるような

そんなサークルひとつやふたつ、あると思います

もし見つけられなかったら、またここに来て相談してください。

2017-06-19

https://anond.hatelabo.jp/20170617215847

詳細希望の声があったので書きます

といっても大して面白味のある話じゃない。

まずおれは生来おなかが弱い。これまでも、もう少しのところを危うくトイレに駆け込んで事なきを得る、ということが年に数回はあった。

なのに趣味食事ストレス食いの悪癖もある。


はいえ、これまではなんだかんだと漏らさずに済んできたわけで、今回は何が違ったのか。

はっきりとしたことはおれにもわからない。きっと、要素の積み重ねなんだろう。

前の晩に日高屋ホルモン炒めを食い、ココイチで牛尽くしカレーを食い、しまいに家でよっちゃんイカを容器の半分も空けてしまった。

仕事が上手く行かないことが原因のストレスいである。

まずこの時点で屁が止まらなくなった。まったく愚かしいことだ。どうか笑ってくれ。


だというのに翌朝はよっちゃんイカの残りを空けた。それからアイスクリーム。そろそろ死ぬんじゃないのか?

そしてこの日の昼はおそとで焼肉。安い輸入肉の低質な脂とアルコールが俺の腸にダメージを加えた。

相変わらず屁は止まらない。腹の感覚もなにやらよろしくない。とはい便器に座っても大した物は出てこなかった。

経験的に言って腹を下すだろう、という予測はこの時点で立っていた。

でもまあなんとかなるだろう、とタカをくくっていたのだ……。


食事を終え、すこし煙臭い身を引きずって大都会ウィンドウショッピングを楽しんでいると、一回目の波。

さっくりと目の前の店のトイレを借りて済ませる。

これ自体は大したやつではなかった。ふつうの便意と言っていい。腹痛もあまり無い。出てきたのは消化不良気味のやつだったが、これは予想の範疇

ここで何ら問題なく対処できたことが、油断に拍車を掛けたのは事実である


(みなさんもご存知のことと思うが、下痢には波がある。

 一度トイレで済ませても、10分~20分くらいの周期を置いて二度、三度と便意の波が押し寄せるのだ。

 それは腹が空っぽになるまで続く。

 もちろんこの時のおれにもその認識はあった。だがナメてかかっていたのだ。

 腹痛があまり無かったこと、そして余裕を持ってトイレに駆け込めたことで。

 無意識に、さっきのやつでおしまいだろう、と希望的観測採用してしまっていた。)


さて、店のトイレを出てウィンドウショッピングに戻る。20分くらい移動したところで、第二波が来た。

それは慣れない街の、雑踏の真ん中でのことだった。

波ははじめ弱く。そして徐々に強く。

手近なコンビニで済ませようかと思ったが――――見当たらない。

気軽にトイレを使えそうな店がどうにも見当たらない。

冷や汗が滲み出した。


恥も外聞もなく、ここで目の前の居酒屋に駆け込んでおけばよかったのだろう。

血走った目でトイレを貸すよう懇願すれば、店員も断れまい。

だが尊大羞恥心がそれを許さなかった。おれは腹に爆弾を抱えて、孤独に街を彷徨いはじめた。


人混みがうとましい。小走りにもなれない。

相変わらず店が無い。クソッタレが。

波は徐々に強くなる。焦燥感が加速していく。


どうにか交差点に辿り着く。

正面にはデパート。知らない店だが、経験的に言って2F以上か地下に男子トイレがあるはずだ。

たとえ受付に身を乗り出してトイレ場所を尋ねても、店員は親切に場所を教えてくれることだろう。

――だがすんでのところで赤信号。ここが運命の分かれ道。

おれは右を向いた。高級ブランドブティックがあった。とりあえず横断歩道を渡る。

歩道から中を覗くと、白人イケメン店員と目が合った。

直感的に彼は貸してくれなさそうな気がした。

たぶんそんなことは無いんだろう。でもそのときはそう思ってしまった。

駆け足で通り過ぎると、隣にもビルがあった。

フロア表示で7階に男子トイレ

7階だと。

脈打つ腹を抱えてガラガラエスカレーターを駆け昇る。

全力疾走はできない。もう肛門まで来てしまっているから。

必死に括約筋を引き締め、腹の波と対話しながら昇る。

尻を庇って下肢のみを動かす、早歩きと駆け足の中間のような不自然スタイル

腹が数十秒周期でぐうぐうと鳴っているのがわかる。

超自我によって抑制された排便圧力が行き場を失い、ガスが腹の中で蠢いているのだ。

ひとたびぐう、と鳴るたび少しだけラクになる。そしてまただんだんと強まってくる。

これはクラシック演奏か何かか。

途中からエスカレーターが互い違い式になっている。フロアをぐるりと迂回しなければ上階行きに乗れないクソ仕様

万引き防止か? 誰がやるんだよ。

いらっしゃいませーと挨拶してくる店員を尻目に足を引きずる。

正直、5Fくらいでダメかな、という感じはあった。

ケツの穴を締め切れずに何かが漏れ出してしまったような。

でも希望的観測でひた走る。

7F。トイレ。太腿をぴったりと締めながら個室のドアを乱暴に施錠。

操り人形のようなぎこちなさでズボンパンツを下ろす。

はいやっぱりダメでした――――。


運良くビニール袋を持っていたので、ドロドロの汚物で汚れたパンツはそれに入れてトイレゴミ箱に捨てさせてもらった。

ビル関係者のみなさんごめんなさい。でも、自宅まで汚物を持ち歩く方が公衆衛生問題だと思ったんです。

ズボンにまでちょこっと染み出していた分はトイレットペーパー申し訳程度に拭き取り、カバンでなんとなく隠して帰宅

電車の中で特段イヤな顔をされたりすることはなかったので、たぶん臭いはしなかったんだと思う。そう信じたい。


途中、どうしても喉が乾いてしょうがなかったのでコンビニピルクルを買って飲んだら第三波が来ました。

乳酸菌が長期的におなかによくても冷たい液体が短期的に悪いに決まっておろうが。

正直アホの極みだと思うが、それくらい判断力ボロボロだったんです。

公園公衆便所で無事排便。おおむね水下痢

家に帰ってズボンを手洗いし、あとは何度かトイレで水下痢を出して一件落着でした。どこがだよ。


~おしり

2017-06-18

Switchを求めて彷徨

いつまでたってもnintendo switchが手に入らない。

売っているのは過剰なまでの周辺機器ソフト達。

いつになったら買えるの

2017-06-06

大好きな漫画が打ち切られるということ

昨日、週刊少年ジャンプで連載していた「左門くんはサモナー」という漫画が終了した。ミステリアスでひねくれ者の左門くんが主人公ハイテンションコメディだ。作者は沼駿先生という若手の作家さんで、今回の連載が初だ。

アニメ化が期待されたこともあった。

左門くんはサモナー(以下左門くん)は私にとって特別漫画だった。ジャンプで連載しているどの漫画よりも面白く、毎度笑わせてもらっていたし、連載当初から昨日までずっとアンケートを出して応援して来た漫画からだ。

そんな左門くんなのだが、決して安泰と言えるような立場漫画ではなかった。掲載順は安定せず時には下位を彷徨う時もあった。(アンケート至上主義ジャンプにおいて、アンケートの結果は漫画明暗を分ける)そんな時でも私は、藁にすがる思いで左門くんにアンケートを入れていた。

左門くんの行く末が気になるあまり、良くないとは知りながらも、某巨大掲示板の「ジャンプ打ち切りサバイバルレース」(通称:鯖スレ)というスレッドを覗くようになっていた。

そこは日々、ジャンプ漫画のどの作品が打ち切られるか予想され、発売日前のネタバレもあるというグレーゾーン場所であった。

そんなある日、私は信じがたいものを目にした。発売日前の掲載順バレがあり、「左門 最終回」の文字を見てしまったのだ。そんなの嘘だ、きっと何かのイタズラに違いないと思った私は、発売日に自分の目で確かめるまでは信じないことにした。

そしてジャンプ発売日の朝が来た。ジャンプ+のアプリを開き、定期購読しているジャンプを真っ先に開いた。

私はおそるおそる左門くんのページをめくった。扉絵には最も恐れていた「最終話」の文字があった。打ち切りパターンお決まりの◯年後に飛んでいた。全てを悟った私は、心の片隅で嘘であってほしいなどと願いながらもページをめくっていた。全てを読み終えた私の頰には涙が伝っていた。今までどんな感動ストーリーでも泣けなかった私が皮肉にも、大好きな漫画打ち切りで泣いてしまったのだった。

この先、週刊少年ジャンプで左門くんたちの日常が描かれることは永遠にない。その事実がただただ悲しかった。

左門くんという存在を失って初めてその存在の大きさに気づいた。左門くんのハイテンションギャグに大笑いして、嫌なことも吹き飛んでいたこと。月曜日になれば左門くんが読めるという希望がどれだけ私を救っていたのかということ。

この文章を読んだ方の中には、「たか漫画だろう」とか「人気の出ない漫画は打ち切られて当然」という感想を持つ方もいるだろう。もちろんそれもわかる。でも、誰かにとって取るに足らない漫画であっても、誰かにとってはかけがえのない漫画なのだ。それだけは言わせてほしい。

私の好きだった左門くんは泣いても喚いても永遠に戻って来ない。

から私はせめて、左門くんに最後アンケートと沼駿先生ファンレターを送ろうと思う。左門くんへの感謝と愛を込めて。

2017-06-01

http://anond.hatelabo.jp/20170601133256

樹海で死なれて遺体探すのに苦労したりしてる遺族としては本当に楽に死ねて周りも自殺したのね、とはっきりわかる方法を開発してほしい

自殺したいなら勝手にしてくれと思うのだが、人身事故迷惑だし死体がなかなか見つから行方不明者のまま彷徨われるのも迷惑

しかしそんな方法が表に出回るとそれを使って殺人事件が多発しそうだという問題がある。

なので、病院の中に「自殺科」を作り、医師と数回面談した後、他殺ではなく自発意思での自殺だと確認をしたあと、麻酔等で永眠させれば良いと思う。

生きたいと思ってないなら殺してあげてもいいと思うよ。これは安楽死とかの問題にも同じだが。

この方法あれば高齢化にも少しは歯止めかかるんじゃない?

2017-05-06

死という概念

ただ生きてるだけでも辛いのに、敢えてより辛い自死を選ぼうとする人の思考が全く理解できなかったんだが、そもそも死への理解が間違っていたことに最近気付いた。

可愛がっていたペットが死んだ、身内が死んだ、という出来事がなかったわけでも無いが、自分イメージしていた死とはたとえば「入院して動けない状態」のようなものに近かったのだと思う。だからきっと、死んだらあー死んだのかーって霊魂にでもなって現世を彷徨うのだろうとか。

しかし考えてみれば、死者は自分の死を自覚できない。死を認知できるとしたらそれは死の瞬間。その瞬間を越えた後はもう、死んだということすら気付けない。

死を意識できる方法があるとしたらそれはきっと身投げなんだろう。飛び降りた人は地面にぶつかる瞬間まで生きてはいるが、同時に死んでいる。

死の瞬間さえ越えてしまえば、形の無い不安に怯えることも、孤独に震えることも、誰かを妬むことも、くだらない人間関係に苛まれることも無くなるのだから、なるほどそれは大層な救いだと思う。誰かに迷惑を掛けるかも知れないが、それを知ることは無いし心痛めることも無い。

元より悼んでくれるほどの他人なんていなかった。親ぐらいは自分の死を悼んでくれるかもしれないが、いつまでも生きているわけでは無い。

誰も悼む人がいなくなったあと、生きてる自信が無い。

2017-04-08

http://anond.hatelabo.jp/20170408145609

自動販売機に生まれ変わった俺は迷宮彷徨う』はどうなの?

書店で見かけて、気になってはいるんだけど。

2017-03-27

愛はハーゲンダッツストロベリー

たとえばデパートで手に入るような高級なものではなくて。はたまた有名なパティシエが手掛けた感じのブランドものでもなくて。

きみが心から欲していた“幸せ”って、本当はハーゲンダッツみたいなものだろう。

きみの求める幸せなんて、近所のコンビニエンスストアで買える。そんなことにはもうとっくに気付いていたくせに、わざわざ遠回りをして、遠くで見つけたものほど価値があるんだって錯覚していたんだ。

遠くへ遠くへ彷徨った挙句に疲れ果て、長旅に気が済んだ人から順々にここへ帰ってくる。いらっしゃいませ。おかえりなさい。


他のアイスクリームに比べると確かにちょっと高価かもしれないけど、手が出せないような値段ではない。高価だから好きってわけじゃないし、広告イメージがカッコいいから好きってわけでもない。

ただ単純に、それを口にするだけで無条件に幸せになれたんだ。そんな体験がきみにもあっただろう。きみの頭が憶えていなくても、きっときみの味覚が憶えている。今はただ、思い出せないだけで。

手を合わせて何かを祈ることが宗教だというのなら、きみもまた何かの信者だといえるだろう。

誰かがきみのためハーゲンダッツを買ってくる。それは、きみのことを考えて選ばれたストロベリー味かもしれない。きみのためストロベリー。きみだけのストロベリー。愛の発明とはその特別さに気づけるかどうかだ。

付加価値自分自身で見いだせる。物や感情事象に、特別価値を付け加えるのは自らの想像力だ。そしたらもう誰にも騙されないよ。先生にも、広告代理店にも、教祖さまにも。

<愛はコンビニでも買えるけれどもう少し探そうよ>

あるシンガーがそんなふうに歌ってから20年が経った。

この20年で、きみは一体いくつの愛を見つけることができただろう。一体いくつの愛を見過ごしてきただろう。

きみの愛はここにある。

愛はハーゲンダッツ

愛はハーゲンダッツストロベリー

2017-03-16

http://anond.hatelabo.jp/20170316031410

大衆祭りを求めている…。

ただそれだけのことなんだと思う。

みんなで、ワッショイワッショイしたいだけで、元ネタなんて何でも良いのだ。

神社神輿を担いで盛り上がってるおっちゃんに、この祭りの由来・縁起を尋ねても答えられる人はそう多くは無いはずだ。

そして、祭りが終われば、退屈な日常に戻り、また新たな祭りを求めて彷徨い続ける。

弥生時代から続くこの習性は、日本人遺伝子に深く刻み込まれている。

2017-03-09

18歳

18歳になったか出会い系サイト使えるようになって、初めて知らない人と会ってホテルに行ってきた。

キスすらしたことないのに、知らない人とセックスの予定、簡単に決まってしまった。別になんのきっかけもなかった。バス時間まで家で一人で缶チューハイ飲んでなんとか気を紛らわせようとした。

身分証入ってるのとか持ってくの怖かったから駅のコインロッカーカバン入れて、コインロッカーの鍵だけ入った小さいカバン携帯だけ持って待ち合わせに向かった。

二重に整形するお金がほしくて、でもセックスしてみたかったのもある。

コンビニ前で合流してそのままホテル行った。

部屋入ったらいきなりベットビックリした。ほんとにベットしかなかった。一緒にシャワー浴びて、洗いっことか正直したくなかった。どうでもいいから。好きじゃないから。気持ち悪いとかはどうでもいいけど、その人の前で裸になるのも、おっぱい触られるのも、キスするのもなんとも思わなかった。

ファーストキスとか処女とか、そんな概念しょうもないと思った。

人生に負けたブスの負け惜しみなのかもしれない。

してる最中、こんな思いするなら1日中立ちっぱなしで働いて疲れて同じ値段もらう方がマシだと思った。放心状態駅前相手と別れて、地下街彷徨ってた。

カバンを入れたコインロッカー場所がわかんなくなって、とりあえずドトール入って、アイスラテ飲んで、また彷徨って、マックポテトを食べて帰った。

2017-02-19

進路が決まら大学卒業した女な訳だが[終]

※前回

http://anond.hatelabo.jp/20170122124720

最初

http://anond.hatelabo.jp/20170121150445

約1ヶ月前に更新したこの増田を誰が覚えてるんジャイ!遅筆にも程があるってもんじゃろがい!!

クリビツテンギョーじゃY!!

マジ侘助

というわけですみませんでした。

尻切れとんぼなんて、ゴメンDAZE…

ーーーーーーーーーーーーーーー

企業内定を頂いた「無い内定既卒 職歴:アルバイト(11ヶ月) のナオン」こと私。

今日明日もヒマックスダメックスな求職生活ともバイビーなのねん…。

…と少しおナミダポロリもあるよで余韻に浸りつつ、条件面談に向かう私。

人事「この度は内定おめでとうございます

ありがとうございます!」

人事「こちらが雇用契約書類となります。条件の欄に目を通して頂いて…」

はい。わかりました!」

ここに書いてあった雇用形態は

ロンモチ正社員

…じゃなかった。

オー人事オー人事!!!

wait wait wait!!!

オニサン、ココマチガテルヨ!!

人事「申し訳ないのですが、年齢と経験スキル関係で、契約社員からスタートとさせていただくことになりました…」

なんだって!?!?

正社員のつもりで面接をしてたよ!!!

契約社員なの?非正規雇用?また?

私の折れた直剣はいつになったらアルトリウスの大剣になるの???

マジ心が病み村なんですけど。

人事に汚いお団子投げつけて猛毒状態にしてやろうかと思ったね。

でも、とにかく早く働きたかったし、他の会社でもどーせ契約社員スタートなんだろうなという気がしたネ…。

内定もらえただけ、ありがたいんじゃ…と、ギギギ…となる気持ちを抑えて、手をバイブレーションさせながら契約書に判子をGOさせた。

それから約1年後。つまり現在になるのだが、伝説の木の下(会議室)に呼び出されて、正社員クラスチェンジだというお達しを受けた。

とても長かったように感じる。

『正社とか

契約とか

最初に言い出したのは

誰なのかしら

駆け抜けていく

私のメモリアル

雇用形態にそこまで固執するつもりはなかったけど、やっとここからかなーって思うのも確か。

フツーに正社員として内定もらって、フツーに卒業して、働き出して…

そんなの当たり前田クラッカーだと思っている生徒諸クンは多いと思うけど、実はそれってチョ〜すごい事なんだゾ!

現に私は24で初めての正規雇用デビュー。遅いって思うかもしれないけど、これが私の就活のすべてじゃ〜。

ストレート正社員が当然とか思ったらあかんど〜!

就活ポスターとか駅で見るたびに、自分のあの頃を思い出してそんなことを思う。

あん一年足らずで自分未来なんて決まるわけないからね。

失敗か成功かなんて考えとか、いらないなにも捨ててしまおう。思う存分MY SOUL彷徨わせればいいよ。

絶対なんとかなる。

まあこんな紆余曲折経てなんとか歩き出した人もいるよということで、

うまくいかないなって思ってる方の励みに少しでもなれば、幸いカナ…?

長い話になったけど、読んでくださった方本当にサンクスサンクスサンクスサンクス!モ〜ニカ〜

ほいじゃま、また別の増田で。アラン・ドロン〜。

2017-02-12

I am not Ueno.

オタク同性愛に対するステレオタイプイメージ漠然とした不安と恐怖を理由LGBTバッシングオタクバッシングをし続けてきた上野千鶴子の言う多文化対義語としての単一文化にきれいに収まる日本人はどれほどなのかな?という疑問

そもそも在日外国人は言うまでもなく日本人でありながら排除対象となる人がいて、排除されないように自分を隠して単一文化ボーダー地雷原を彷徨っている人が少なからずいるのが現状だと思ってた

多文化共生は無理!平和な衰退を!を皮肉だと捉えられるなら相当信者度高いと思う

 

なんだろうこの怒りは

フェミのくせに何言ってんだよ←違う

アカデミーポストもってて上流で上位数%のやつが平等貧困とか何言ってんだよ←なんか違う

差別主義者がフェミ仮面被って出世して後は消費するだけの人生になった途端本性現したな←これ…かな?

無職日記

 まず、スマホをやめることにした。仕事電話メールはもう来ないし、妻や恋人はおろか、親しい友人さえいないのだから、誰に気兼ねする必要があろう。思えば、朝は天気予報を調べ、通勤中はニュースを読み、昼はゲームに興じ、帰宅後は着信を知らせるランプを頻りに確認するのが、働いていた頃の日課となっていた。それに比べて、現在たいへん快適だ。さすがに貯金も心細くなりつつあるので、そろそろ職探しに本腰を入れるつもりだが、また働き出しても、できる限りスマホから離れた生活を送りたい。このご時世では中々難しいだろうが。

 次に、鏡を見ないことにした。現代社会には鏡に毒された人間が多い気がしてならない。なるほどメイクやらスキンケアやらで多忙女性が身だしなみに敏感になるのはある程度はやむを得ない。大体、鼻毛が飛び出ている女とのデートなんかお断りだ(無職とのデートなんかお断りよと聞こえてきそうだが)。しかし、自らの容姿を念入りに観察するような男には、どうも違和感を覚える。そんなに見惚れるほどでもないのに。そんな暇があったら中身を磨けばいいのに。と言っても、仕事中は何より外見を重んじていた私に、彼らを批判する資格があるかどうかも疑わしい。出勤前には寝癖のチェックが欠かせなかった。昼食におにぎりを食べたらお手洗いに行かねば気が済まなかった。或いはこれはビジネスマンとして当然の振る舞いなのかも知れない。ただ、私は少し疲れてしまった。誰とも会わない今なら、髪がボサボサだろうが歯にノリが付こうが一向に構わない。実に清々しい。

 そして、髭を伸ばすことにした。人生初の試みである。頭の隅に浮かんだのは、エイブラハム・リンカーンまさか彼みたいな美髯を目指すほど私も阿呆ではあるまい。単なる憧れだ。少年のころに図鑑の中で触れた、第16代アメリカ大統領の威容は、今なお私の脳裏に鮮やかに焼き付いている……と、ここまで書いて、我ながらちょっと呆気にとられてしまう。私は無職になって、悲しむどころか、むしろこの状況を楽しんでいるかのようだ。楽観主義も度が過ぎれば身を滅ぼす。けれども、信じられないかも知れぬが、私は実際、ほとんど常に悲観的であった。考えれば考えるほど思考は悪い方へ傾き、夢も希望も見出せず、自暴自棄に陥る。他人との比較が癖になり、酷い劣等感に悩む。「怠けた頭は悪魔仕事場」という外国の諺には、一つの真理が含まれるのではなかろうか。私は毎日悪魔暮らしているようなものだった。

 ある夜、都心の休憩所のベンチに腰掛けコンビニで買ったアメリカンドッグシュークリームを食べていた。妙な取り合わせだが、たった二百円でできる贅沢は他に無い。いや、正直に告白しよう。懐が寂しかったのだ。無収入生活がいつまで続くか見通せないため、財布も満足に使えなかった。林立するビルディングの明りの下を、仕事帰りのサラリーマンOLが、揃って足早に過ぎてゆく。車や電車の走る音がかまびすしい。デパートの買い物袋を提げた婦人たちの笑い声が耳を打つ。ふと、「どうしてこうなのか」、と思う。孤独を感じた。大都会の喧噪が却って私を独りにするようだった。周囲のベンチに座っているのは、単独の人が多いようだけれど、誰かとメッセージのやり取りでもするのだろう、彼らはスマホを熱心に操っている。私の存在に気付く人など何処にもいない。だが、ここで泣き出す訳にもいかない。

 その後も無為徒食の日々は変わらなかった。公園の木陰でぼーっとしたり、広場に群がるハトを眺めたり、日が暮れるまで彷徨したり、諸方の社を参詣したり。どこへ行っても充たされず、空腹は甚だしくなる一方で、足はいよいよ痛くなる。かといって、すぐに働く気も起きない。虚しかった。行き着いたショッピングモールトイレで用を足し、自らに課した戒律を破って鏡を見ると、生気に乏しく、いかにも自信のなさそうな、無精髭を生やした男が一人、救いを求めるような表情で立っている。そこにリンカーンの姿は無かった。足を休める場を求めて店内をさまよう。が、既に老人らが座を占め、熟睡しているらしい。安心しきった寝顔にみえる。帰りの難儀を憂えつつ、やむなく出入口へ引き返す。「いらっしゃいませー」「ただいま30%引きでございまーす」という若い店員のいきいきとした調子がなぜか辛い。女子学生愛嬌も、年配夫婦の微笑みも、母に抱かれた赤子の眼差しも、私には全てが辛かった。ようやく家に到着してテレビの電源を入れれば、アスリートの勇姿を目にするたび、怠惰自分を痛感し、アナウンサーの顔が映るたび、鏡の自分を想起する。私の居場所はいずこにありや。やがてテレビも見なくなった。

 さて、私はこの日記を「吾輩は無職である名前は言えない。」で始めようかと思った。己の憐れを笑い飛ばせるくらいの朗らかさが欲しかった。ところがこの通り、筆致はだんだん暗くなっていく。まあ無職から仕方ない。最後に、ついこの前、海へ行った話を綴って、明るい気持で筆を擱こう。それは、とてもよく晴れた、穏やかな日だった。太陽の光が海のおもてをきらきらと照らし、寄せてはかえす波の音がたえまなく響く。突堤で腕組みして獲物を待ち構える釣り人、のんびりとウォーキングを楽しむおばあさん、浅瀬に浮かぶカモの群れ、軽やかな足取りのミニチュア・ダックスフント、波打ち際できゃっきゃ言いながら貝殻を拾う女の子と、それを嬉しそうに見守るお父さんお母さん。おや、あそこの男の人は、どこか悟り澄ましたような目つきで大洋のかなたを遠望している。同志だろうか?(失礼)

 「明るい気持で筆を擱こう」と書いた。でも、このかぎりなく静かで、平和海岸に臨み、やわらかな潮風に身を任せていると、明るさも暗さも、楽観も悲観も、全部きれいに吹き払われて、どこかへ行ってしまう。不安や焦燥はしぜんに消え去り、自分無職であることさえ、いつしか忘れている。そこには何もない。あるのは広い海だけ――青空をのびのびと泳いでいるのは、カモメカップルだろうか。仲睦まじく羽を交わしている。幸せそうでちょっとむかつくけれど、もう人(鳥)と比べるのは止そう。カモメには、カモメカモメによるカモメのための鳥生があり、私には、私の私による私のための人生がある。お前らは、勝手にいちゃいちゃしてればいいのさ。

2017-02-11

教師との恋愛という罪の告白

 先生出会ったのは、わたし中学生の時です。彼は大学院卒業後、国語非常勤講師として赴任してきました。わたしと1周りほど年が離れていて、身長10cm程度高く、かわいい顔立ちをした、少し年齢不詳気味の人でした。

 当時のわたしは、授業中は寝ているか教科書の隅に落書きをしていて、学年下位をふらふらと彷徨っている、やる気のない生徒でした。そんなわたしに「やればできるから」と声をかけ、必死に授業に参加させようとする先生は、いかにも「教師になりたて」で。その熱い眼差しで見られる度に、わたしは居心地の悪い思いをしていました。どれだけ無視をしても「おはよう」と笑顔で手を振る先生、「わからないことがあればいつでも聞いてね」と教室を去る間際、席までわざわざ歩いてきて声をかけてくる先生わたしは、彼の笑顔がどうしても嘘くさく見えて、大嫌いでした。

 気持ちが変わったのは、制服シャツが半袖に変わり始めた頃でした。一週間遅れで課題を提出しに行った際に、とある難関大学過去問を意地悪のつもりで聞いてみたら、さらりと答えられてしまい、その際に知った彼の学歴の高さに意外性を感じたからです。先生はいま思い返してみても、とても頭の良い人でした。自分が頭の良いことを知った上で、きちんと、相手にあわせたレベルで話ができる、勉強を教えることのできる優秀な先生でした。彼の解説を聞きながら、初めて、答えを導き出す楽しさに気付き、勉強楽しいと思うことができたのです。

 いま思えば、わたしは彼のパフォーマンスの引き立て役のひとりでしかなかったのでしょう。後々、彼の鞄から発見した、クラスの成績表の書き込みを見れば分かります。伸びしろはあるがやる気がない、かつ、やる気になれば伸びるタイプわたしは「ちょうど良い生徒」に過ぎなかったのです。そして、幸か不幸か、彼の好きなタイプの顔立ちをしていました。

 先生は褒めるのが上手でした。たった10問の小テストで満点をとっただけでも「偉いなあ、嬉しいなあ」と、にこにこ頷いてくれました。自分で言うのもアレですが、わたし地頭は悪くなかったので、少し本腰をいれて勉強するだけで見る見る間に成績は上がっていきました。周りの教師が驚いた眼で答案を返してくるのが面白くて、わたしもっと良い点数が取りたいと思い始めていたのです。

 いや、違うかもしれません。分からない問題先生に聞きに行きたいがために勉強をしていたのかもしれません。先生担当教科の国語だけでなく、どの教科も教えることができ、また、教え方が上手だった。だから、分からないものがあれば、どの教科でも先生に聞きに行っていた。わざと分からない振りをしていると見抜かれてしまうので、本当に分からない問題を探し、解決していく内に、分からない問題は減っていき、どんどん難解になってしまった。わたし先生に会いたい、質問をしたい、話したい一心で、教科書に向き合っていたのです。

 たったの半年程度で、わたし順位は下の下から、上の上へと上がっていきました。先生は桁数の違う成績表を見比べて笑っていました。その彼の横顔を見ながら、わたしは少しだけ、意地の悪い考えを抱いてしまいました。言わなければ、幸せでいられた言葉を言ってしまったのです。

「1位を取ったらデートしてください」

 先生は、びっくりした顔でわたしを何秒か見つめた後、視線を宙に泳がせました。「お願い」。そう、一歩前に出たわたしから距離を開けるように後ずさり「1位は難しいよ?」と苦笑いしました。「無理だと思うなら、約束してください」。その時の彼の脳内には、きっと、学費免除をされている学年主席優等生の顔が浮かんでいたのだと思います先生は意を決したように「いいよ、ただし、全教科合計順位で」と小声で告げました。

 300人いない程度の学年でも、1位を取るのは簡単なことではありません。優等生は、わたし学校でも飛びぬけて頭の良い少女でした。しかし、わたしには彼女に負けない思いがある。恋心です。

 わたしは、先生とのデート権利をかけて彼女一方的勝負を挑みました。彼女の苦手科目であった生物攻略することで、大幅に点差をつけたわたしは、僅差で勝つことができました。学年末試験の結果が書かれたA4のペラ紙を持って、勝ち誇った笑みを湛えながら職員室に飛び込んできたわたしを見て、先生は少し罰の悪そうな顔をして「おめでとう」と返しました。

 誰かに見つかるのは避けたいと提案された場所は、あろうことか先生の自宅でした。少し驚きましたが、恋は盲目状態だったわたし先生からメールが届いた瞬間、秒速で返信しました。春休み、まだ蕾のままの桜並木を見ながら、ミスタードーナツの袋を下げて、先生の自宅への道を歩みました、人生で1番幸福な瞬間でした。私服姿の先生想像の何倍もおしゃれで、部屋も黒を基調とした、かっこいいものでした。

 わたしたちはドーナッツを食べながら「教師と生徒」という禁断の響きに似つかわしくないほど、平凡で下世話な話をして盛り上がりました。教室内のヒエラルキー職員室内のパワーバランスも変わらず馬鹿らしいと腹を抱えて笑いあいました。先生が録画をしていた、ただ絵面だけが派手な洋画を見ながら、作品とは全く関係ない話に興じました。

 映画を見終わった頃、先生が不意に真剣な表情で聞いてきたこと、その声音を、わたしは忘れることができません。「俺のこと好きなの?」。いつも飄々としていた先生が、こんなに真剣になるのを見たのは初めてでした。報われぬ片想い今日最後にするつもりだったわたしは、笑顔で「大好きです、結婚したいみたいな意味で好き」と頷きました。次に出てくる、哀れで馬鹿な生徒の恋心を突き放す言葉に怯えながら。

 しかし、先生の口から発せられた言葉は、予想の真逆をいくものでした。わたしのことがひとりの女性として好きなこと、これからもこうして会いたいこと。しかし、くれぐれも周りの人に気付かれてはいけないこと、それが守れなくなった時点で離れたいこと。彼の話していた言葉はよく覚えていませんが、約束事の多さだけは覚えています。「教師と生徒」の恋に怯える先生気持ちを手に取るようで、その真剣眼差しに促されるように、わたしは「はいはい」と頷いていました。

 先生が、なぜわたしのことを好きだったのかはわかりませんが、彼はよく「愛に飢えててかわいそう」とわたしを評しました。両親も健在ですし、人並みに可愛がってもらえていたはずですが、わたしは両親との関係性というものがどうしても希薄しか感じられなかった。そんな姿が、愛に飢えているように見えたのかもしれません。彼は小さなから過剰な愛、過干渉を受け育ったそうです。だから、その与えられすぎた愛を持たざる者(と彼が思うもの)に受け渡すことで、バランスを取っていたのかもしれません。

 先生わたしは、密かに逢瀬を重ねていきました。学校では、若いお気に入り教師に熱を上げる馬鹿な生徒を演じ続けました。その一方で、2人で会う時のわたしは、あまり騒ぎませんでした。先生に似合う、大人の女性に早くなりたかったので、静かに、黙っていました。

 高校生になり、バイトを始めると、わたしの身なりは少しずつ「ちんちくりんな子供」を脱却し始めました。大人になるにつれ、彼の熱が上がるのを感じ、気分が良くて仕方がなく、その感覚を味わう度に自分の箍が外れていく気がしました。己のアイデンテイティがうまく掴めなくなり、自分子供なのか大人なのか分からなくなる瞬間が増え、ぼーっとした日々を過ごしていました。誰にも言えないまま、大人になるストレスは存外厳しく、不安に泣いた日も多かった気がします。

 そして何よりも、わたしは頭が良くなってしまった、なりすぎてしまった。あんなにも尊敬していた彼の大学の合否判定は「A」しかでませんでした。学年1位は優等生からわたしの手に移ってしまった。彼が枕元で得意げに語る知識に、目を輝かせることは、もはやできなくなり、ただ黙って薄笑いを浮かべることで精いっぱいになりました。そういったわたしの変化を感じてか、彼はわたしの「人に言えない」ことに漬け込むようになっていきました。

共犯者だよ、君も捕まる」

 そんな言葉を言われる度に、わたしの頭の中はぐちゃぐちゃにかき回され、嗚咽をあげて泣くか、へらへら笑うことしかできなくなりました。誰かに言わなくては、と思いつつも、その先に待つ破滅を考えると声が出せない。何よりも「淫行教師」と「可哀想女生徒」として衆目に晒されるのが耐えられませんでした。

 わたしは、先生のことを本気で愛していました。彼の未来は輝かしいものであってほしかった。たとえその先に、わたしがいなくても。先生がどれだけ汚い姿を見せてきても、教室の隅で燻っていたわたしを救ってくれた人に他ならないのですから。それが例え、先生の株をあげるためのパフォーマンスであっても、救いだったのですから

 物語の幕引きは、あっけないものでした。先生は、自分の罪を周囲に告白してしまったのです。2度目の冬のことでした。放課後、その曜日先生学校に来ていない日だったので、早めに家に帰って漫画でも読もうといそいそ帰りの支度をしていたわたし学年主任が呼び止めました。主任は、まるで化け物でも見たような、恐ろしい、それでいて悲しそうな目でわたしを見ていました。すべてを察しました。

 先生は、主任校長にだけわたしたちの関係告白しました。校外で2人で会っていた事実を認め、これ以上関係が深くなる前に学校を去りたいと告げたそうでした。主任校長は、わたしに深く頭を下げました。そんなことしてほしくないのに、する必要ないのにと焦るわたしを2人は涙を堪えた目で見上げてきました。そして、痛切な表情で「肉体関係はあったのか」と問うてきました。「ありません、断じて」とだけ答えると、先生たちは泣き出し、再び謝り始めました。わたし校長室の分厚い壁が、この大きな泣き声を外部に漏らさないかだけが心配でした。

 先生からはその数日後、直接、学校を去ることを告げられました。彼は、わたしが嘘をついたことを責めました。勝手な生き物だと、少し幻滅したのを覚えています一方的に罪を告白し、逃げ出すのはルール違反だと怒りたい気分でした、しかし、解放されたがっている自分がいたのも、また、事実でした。わたしたちは主任校長に話したこと「だけ」が2人の間にあった関係であることを確認会話し、男と女関係を辞めました。

 先生わたしは、3学期中をいつも通りに過ごしました。終業式で言い渡された先生退職を聞き、泣いている生徒の多いこと。別れを告げ、さよならを惜しむ生徒たちを横目に見ながら職員室に顔を出さずに、わたしは去りました。先生の机に重なった書類の多さは、1日やそっとで持ち帰れる量ではないと判断たからです。

 春休みわたし毎日のように学校に通いました。先生の机が見える、職員室と質問コーナーの境目に陣取って赤本を進めました。毎日うつもりでしたが、たったの1日だけ大雨が降り、行かない日がありました。その翌日、いつものように職員室に向かうと、先生の机はもぬけの殻になっていました。わたしはその瞬間、初めて人前で叫び声をあげ、怒り狂いました。教師たちの静止の声も聞かず、わたしは何度も横に立ち、椅子にもたれかかり、無意味に引き出しを開け閉めして遊んだ、彼の机を蹴り上げました。そして、糸が切れたようにしゃがみ込み、永遠と、わんわんと小さな子供のように泣いていました。

 高校3年生の時、知り合いか先生都内の某大学で働いていると知らされました。わたしは当時の志望校よりも幾分か偏差値の低いその大学第一希望に変更し、無事に合格しました。学びたい学問でもなんでもありません、ただ、先生いるからでした。何も言わず、大雨の中逃げるように去っていった彼に、文句の一つでも言ってやりたかたからです。大学生としてあらわれたわたしを見た先生は、怯えきっていました。「お金ならあげるから」と言われた瞬間、わたしは、あの日職員室で暴れた時のように先生の鞄を投げ捨て、近くのベンチを蹴り上げました。

 なぜか彼は土下座をして、許しを乞うてきました。わたしがしたかったのは、してほしかったのは、そんなことではありません。ただ「さようなら」とだけ言いたかっただけなのです。先生は、季節が夏になる前に海外へと去っていきました、何か月か後に届いたエアメールには「許してほしい」と何度も綴られていました。

 先生は、わたしのことが恐ろしくて仕方がないようでした。大学でふとすれ違っただけで、化け物を見るような顔をして踵を返されるたびに、わたしの心は潰れました。きちんと別れを言いたいだけだったのに、いつしか、互いに恨みが募っていってしまったのです。彼はすでに日本に戻ってきているようですが、わたしは、まだ会いに行けていません。会うのが怖いのです。あの目が怖いのです。

 わたしの家には毎年、主任校長から年賀状が届きます。他の生徒には届いていないようですが、わたしにだけは届くのです。罪を共有し合う仲間ですからわたしはその年賀状に、便箋3枚程度の手紙で近況や1年の振り返りを送るのが常でした。母は、特別親しくもなかった教師への手紙を綴るわたしを眺めては、毎年、不思議がっていました。

 はじめて家を出ることになり、年賀状の送付先が変わることを告げる手紙を綴る最中わたしはぽろりと母に罪を告白してしまいました、勿論、関係については「公然事実」のみ伝えました。母は「でも、好きだったんでしょう?」と聞いてきました。そうです、わたしは好きだったのです、先生のことが。そして、今でも好きなのです。「さよなら」を言えないまま、わたし片想いの渦にまだ囚われているのです。「なら、良いじゃない、世間はどういうか分からないけれど」。そうです、他人など、どうでもいいのです。どうでもよかったのです。

 冬になり、主任校長一人暮らしになったわたし年賀状を出すことなく、立て続けにこの世を去りました。わたしのことをずっと気遣ってくれた2人は、成人し、就職が決まったことをとても褒めてくれました。彼らが、あの日以降、罪について話題に出した日は一度もありませんでした。わたしを気遣う優しい文面、文化祭に遊びに行ったわたしを出迎えてくれた笑顔、どこまでも優しい2人でした。

 2人の葬儀には沢山の生徒、教師が集まりました。その中の誰も、わたしの罪を知る者はもういません。しかし、幼き日の思い出話に花を咲かせれば、誰もが「あなたは、あの先生が好きだったのでしょう?」と聞いてきますわたしはその質問をされる度に「好きです、今でも」と答えるのです。そう答えながら、喪服姿の先生を横目で探してしまうのです。ヒールはいわたしと同じぐらいの身長、年の割にかわいい顔立ちをした年齢不詳の人。わたしは、彼がどんな姿をしていたのかも、もう曖昧しか思い出せません。一緒に撮った写真はたったの1枚しかありませんでしたし、それもどこかに消えてしまいました。

 

 はじめて会った日から、気付けばもう10年以上の月日が流れてしまいました。あの頃急速に大人になってしまったわたしは、ひどくアンバランスな心を抱えて生きていますわたしの心は未だに、あの新しいようで古ぼけた校舎に囚われたままなのです。職員室を入って右側の島、奥から3番目の灰色の大きな机、先生の足元にしゃがんで、顎をひんやりとした板にのせて、話すのが大好きな子供のままなのです。

 しかし、わたしがいまいる場所は、生きている場所は、あの箱庭ではないのです。過去の罪に囚われる時代はもう終わりなのです。だからこそ、口に出さなくてはいけないのです。だからこそ、会いたいのです。会って、言いたいのです。

 せんせぇ、さようなら

 はいさようなら

 いつか終わりを迎える日に、罪を抱えた半身の行方を知らずに眠ることが、わたしはできそうにないのです。

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