はてなキーワード: 階級とは
最近気付いた
男装してるとか女軍人(男と共通服)とかが辱められるのに弱いって
スカートではなく体の女性的な線が出すぎることもない、男性的な装いのキャラが女体を暴かれるのに弱い
髪型は別にロングヘアとか女性的でもいいけど、服装はカチッと男性的な方がいい
男社会で勝ち抜ける実力があり若い部下が何人もいるような人が年若い娘みたいにはしたない声をあげさせられるのがいい
凌辱もいいけど、上から目線女性上位で気軽に若い男の部下を食い散らかす路線もあり
でもやっぱり凌辱のほうがくるな
捕虜にされて体に傷はつけられないが、傷がつかないような嬲り方ならオッケーってことで拘束されて集団にやられるとかいい
作者わりとそういう性癖だよな
江戸時代までの日本の農村(人口の85%)は基本的にフリーセックス文化。
武士と農民の階級移動が実は頻繁だった江戸時代において、武士もその影響を受けていないわけはなかった。
戦国時代のポルトガル宣教師が「日本女性はポルトガル女性と違って読み書きもでき教養水準は高いが、貞操概念がなく、純潔でないことで女性の評価が下がることはない」と書いている。
江戸時代も、「多くの男と寝て性技を磨くのも花嫁修業の一つ」ぐらいの感覚だった。
現代日本の貞操概念は明治期にヨーロッパから入ってきたもので、「欧州諸国(英仏独)のような強国になるためには欧州並みの貞操概念が必要である」」との考えから導入されたもの。
明治初期の日本の「貞操概念の乏しさ」を欧化主義者の官僚が文書で「日本では十五歳(数え。現在の中学1年生)で処女である女子がほとんどいない」と嘆いている。
何回か海外留学経験があってパーソナルトレーニング通っててサウナには否定的で。
酒好きアイコス(アイコスじゃないやつかも。あれ区別つかない)好きで、学部時代に一瞬インターンしたことあるけどバイトみたいなことは一回もしたことないって言ってた。
富裕層ってヤツ、なんだろうなと思う。でも本当に不思議なんだけどイケメンなのに性的な魅力を一切感じなくて、話してる間何度も「この人は男より女に生まれてたほうが絶対にモテた」って繰り返し思った。
明治時代や大正時代、貴族階級は女性は無職で家事もお手伝いさんにやらせていたけど、男性は資産で食っていけたとしても職があることが多かった。
自力で歩けないほど足が小さい女が最も性的とされた纏足のこととか、「戦争は女の顔をしていない」に出てきた兵隊として国のために戦った女性が復員後に男性からも女性からも忌避されたエピソードを思い出した。
小学生の頃に通ってた自宅教室型のピアノの先生のことも思い出した。今思うと、音大を出て自宅に有孔ボードが貼られた防音室作って良いピアノを置いて、安い月謝とって、単体で生活成り立つわけがなかった。
こういう人って、強者男性の奥さんしかいない。強者男性自身が、お姫様とかお嬢様とかいう、高貴な生まれで教養だけをやっている女性に魅力を感じる傾向でもないとこうはならない。
女は金で男を選ぶ!みたいに言われるけど、稼ぐ能力があって男性から認められている男性に性的に反応するのであって、仕事ができなさそうな相続人だと違うんじゃないかって思ってしまう。
金持ちのイケメンなのにこんなに何も感じないとは、って思った。叩き上げ的なバックボーンを持つ人に対してのほうが反応してしまう。
強い弱いと階級は違うだろ
2016年にムサ・アル・ガルビがニューヨークに初めて来たとき、彼が最も気づいたのは「人種化されたカースト制度」の存在でした。その制度のもとでは、「使い捨ての召使い」が「あなたの家を掃除し、あなたの子供の世話をし、あなたの犬を散歩させ、調理済みの食事を配達する」のです。
この「使い捨ての召使い」は、その仕事に対して「わずかな報酬しか得られず」、ほとんどが黒人やヒスパニックで構成されており、サービスを受ける側はほぼ白人ばかりでした。しかし、誰もこのことに言及せず、「これが普通の社会のあり方だ」と考えられていました。
アル・ガルビが描写しているのは、超富裕層の集まるアッパー・イーストサイドや、億万長者たちのたまり場であるスカーズデールではありません。彼が在籍していたのはコロンビア大学であり、「人種カースト制度」で利益を得ていたのは同級生たちでした。その多くは社会正義について声高に語っていましたが、自分たちの生活を支えている社会階層の底辺の人々のニーズにはほとんど無関心でした。
4年後、同じ学生たちの多くがBlack Lives Matterの抗議に参加しました。アル・ガルビは、彼らがニューヨークのアッパー・ウェスト・サイドのブロードウェイで、同じ場所を共有している「靴も持っていないホームレスの黒人男性たち」に気づかないままデモをしているのを見ました。抗議者たちは「Black Lives Matter」と主張しながら、ホームレスの人々が使っていたベンチを占拠していて、どうやら目の前の「黒人男性たち」には関心がないようでした。
このように、社会正義を求めて活動するリベラルな学生たちの信念と、周囲にある現実の不正義への無関心を示す行動との間にある絶え間ない不一致により、アル・ガルビはその矛盾を理解するために本を書くことを決意しました。『We Have Never Been Woke』はアメリカで出版されたばかりで、間もなくイギリスでも出版される予定です。アメリカの選挙の背景を理解するための有用な出発点の一つとして、この本が挙げられます。なぜなら、選挙の物語は、アル・ガルビが感じた不一致に気づく人々と、それに気づかないか、気づこうとしない人々の分裂という観点からも見ることができるからです。
コロンビア大学の活動家たちが周囲の目に見える不正義を無視している中で、なぜ彼らは社会正義の言葉を採用したのでしょうか?言い換えれば、現実の不正義や不平等が無視される世界で、その言葉はどのような役割を果たしているのでしょうか?これらは、学生時代のアル・ガルビが悩んだ疑問であり、その本の核心をなしています。
彼の答えは、社会正義の言葉、すなわち「ウォークネス」は、実際には社会正義を目的としたものではなく、むしろ特権の階段を上り続けたいが、自分たちがエリートであるとは見られたくないエリート層を結びつけるイデオロギー的な接着剤の役割を果たしているというものです。
「ウォーク」という言葉自体は、あまり有用な言葉ではなく、分析よりも軽蔑の意味で使われることが多いものです。アル・ガルビはこの点を認識しており、侮辱として使われることを避け、定義することさえ拒んでいます。彼にとって重要なのは、この概念が実際に支持者や批判者によってどのように利用されるかです。
アル・ガルビは、「象徴的資本家」の闘争こそがウォークネスを理解する鍵だと主張しています。「象徴的資本家」とは、シンボルやレトリック、イメージやナラティブ、データや分析、アイデアや抽象概念を扱う専門家、つまり作家や学者、芸術家や弁護士、美術館のキュレーターや技術専門家を指します。この社会階層は、エリートの中で自身の地位を固め、すでにそこにいる他者を押しのけるために、社会正義の言葉を利用して地位と「文化資本」を蓄積しようとしています。彼らの闘争は、貧しい人々や弱者のためにエリートと戦っているように見せかけながら、実際にはエリートの内部での闘争なのです。
これは単なる皮肉や偽善ではないとアル・ガルビは主張しています。象徴的資本家たちは、自分たちの社会的役割についての神話を構築し、それによって不平等や不正義を助長しながらも、公正や平等を信じていると本気で思い込んでいます。この神話は多くの社会機関や権力者によって受け入れられています。その結果、社会正義の言葉は「不平等を正当化し、覆い隠す」ことに役立ち、エリート層がそのエリートとしての地位を強化し続けるのを可能にし、それはしばしば本当に脆弱で、疎外され、貧困に苦しむ人々の犠牲の上に成り立っているのです。
この議論の多くの側面は、例えば文化理論家のキャサリン・リウや哲学者のオルフェミ・タイウォによって以前から表現されてきました。リウは、プロフェッショナル・マネジャー階級が自らの自尊心を高めるため、そして「普通の労働者階級の人々に対する揺るぎない優越感」を正当化するために、「美徳を貯め込んでいる」と主張しています。また、タイウォは『Elite Capture』の中で、異なる視点からではありますが、エリートが急進的な政治を自分たちの目的のために取り込んでいると述べています。
これらの作品は現代政治の不条理を理解するのに重要です。例えば、アメリカの民主党(および多くのヨーロッパの社会民主主義政党)が次第に富裕層と高学歴者のクラブと化している理由、そして多くの労働者階級の有権者がそれらを見限るようになった理由を説明しています。また、象徴的な表現や言葉の取り締まりには熱中しつつ、現実の物質的な不平等には関心を持たない私たちの文化の執着も浮き彫りにしています。
しかし、これらの議論には、注意しなければならない落とし穴も存在します。社会正義の活動家が物質的改善のための闘争を放棄し、文化的エンパワーメントを目指すようになったのと同様に、多くの批評家もまた、新たな「文化的エリート」を主要な問題とみなし、私たちの社会における真の物質的な権力の根源を無視するようになっているのです。
今日の社会活動の質が低下した背景には、歴史的な変化があることを見失う危険もあります。アル・ガルビは、現代の「ウォーク」政治の盛り上がりは、一連の「覚醒」の最新の段階に過ぎないと主張しています。これらの「覚醒」は、1930年代に学生たちが共産党や他の急進的組織を支持したことから始まりました。
しかし、それでは変化の現実を見逃してしまいます。例えばアメリカの共産党は、1930年代のアメリカにおいて、彼らは反人種差別運動や労働者の権利擁護に重要な役割を果たし、他の急進派、社会主義者、労働組合員、黒人活動家と共に、戦後の公民権運動の基盤を築く助けとなりました。
特に、ジム・クロウ法が支配する南部のアメリカでは、彼らはシェアクロッパーや製粉工場労働者、ホームレスや失業者の組織化を支援しました。これらの活動家たちは、ブロードウェイで抗議していた人々のようにコスプレをしていたわけではありませんでした。彼らは自警団によるテロや警察の暴力に直面し、命を落とした者もいれば、多くが投獄されました。しかし、彼らは人種を超えた階級連帯の可能性を示したのです。
こうした連帯運動が崩壊したことが、社会正義運動の質の低下と労働者階級の利益の放棄を招いたのです。そのことを理解することは、「象徴的資本家」の役割を理解するのと同じくらい重要であり、変革のための運動を再構築するためには不可欠です。
多くのアナリストや政治評論家は、ハリス陣営が労働者階級に冷淡で、経済政策が不明確であったため、消極的な不支持がトランプ大勝の要因となったとする。しかし、このような分析には疑問が残る。
実際、トランプ氏は労働者階級のみならず、あらゆる人種、階級、世代から幅広い支持を獲得しており、支持基盤は単なる経済政策に限られない。関税の導入や移民排除がインフレを引き起こす可能性が高いとされる中での支持には、米国民の合理的な判断力と知性が反映されていると見るべきである。トランプ再選は、米国民が理性的かつ知性的にトランプ氏を積極的に支持した結果であり、一時的な経済的期待のみに根差しているわけではない。
トランプ支持の核心は、「Make America Great Again」(MAGA)に代表されるアメリカ再建への信念にあると考えられる。特に、分断されたアメリカを再び統一し、トランプ主義を信望する者とその子孫からなる単一民族「トランピアン」が形成され、アメリカが国民国家として再建国されるというビジョンが支持層に共有されている。
したがって、仮にトランプ政権下でインフレが加速したとしても、それは単なる経済的失策とは見なされない。分断された社会でのインフレが国民の失望を招く一方、単一のアイデンティティを共有する民族集団「トランピアン」にとっては、共に負うべき苦痛と捉えられ、さらなる団結へと繋がる可能性が高い。むしろ、経済的困難に対する耐久力が強まる中で、支持が一層強化されると予測できる。
さらに、トランプの高齢は問題とならない。既に「トランピアン」という民族集団が結束しており、トランプは一個人の枠を超えた信仰と理念の象徴であり、日本の神話における伊弉諾尊のような建国神話の神としての地位を有する。仮にトランプが死亡したとしても、トランプ主義が失われることはなく、信念と価値観は継承され続ける。
トランプ再選は、アメリカの再定義と2億人を超える民族集団「トランピアン」の創生を示唆する。したがって、従来の経済分析に基づいた政権予測はトランプ再選の本質を捉えるには不十分である。今後のアメリカの動向を見極めるには、トランプが示した新たなアイデンティティ形成の動きを注視する必要がある。
19世紀半ば、ヨーロッパで突然のコーデュロイパンツの大流行が発生。
丈夫で温かいコーデュロイ生地は寒冷地で愛され、その需要が急増した。
しかし、供給が追い付かず、コーデュロイのパンツが一種の「ステータスシンボル」として扱われ、都市と農村、さらに国同士で奪い合いが起こる。
フランスでコーデュロイパンツが貴族階級の間で流行し始める。ヨーロッパ各国の上流階級でも次々と流行し、庶民にも広まるが、供給が追いつかず高価になる。
パリでコーデュロイパンツを巡る最初の「小競り合い」が発生。市民がパンツを持っている者から無理やり奪う事件が増加し、治安維持が問題に。
イギリスにコーデュロイパンツが輸入され始めるも、供給不足で価格が急騰。パンツを求めて暴動が発生し、政府は一時的に輸入を規制。
フランスとイギリスで、コーデュロイパンツを守るための「コーデュロイ護衛隊」が結成される。また、各地でコーデュロイ製品を密輸する「コーデュロイ闇市場」が発展し、需要がさらに高まる。
パリとロンドンで大規模な「コーデュロイ奪取戦争」が勃発。市民が路上でパンツを奪い合う騒動が相次ぎ、都市警察が緊急対応を強いられる。
コーデュロイの人気が頂点に達し、ついにフランス政府が「コーデュロイ保護法」を制定。パンツを個人所有ではなく、国が管理する「共有物」として扱う法案が可決される。
英国でも「コーデュロイ配給制」が導入され、労働者階級にも少量ずつ行き渡るようになる。これによりパンツの需要と供給が安定し、奪い合いが徐々に沈静化。
コーデュロイの供給体制が整い、他のヨーロッパ諸国も追随して流通量を増加させたことで、パンツを巡る暴動が完全に終息。コーデュロイ戦争と呼ばれる一連の事件が歴史に名を残す。
電脳の世界にダイブとか言ったって飯を食わないと死ぬし身体を動かさないと死ぬ
なので:どれだけデジタルで稼ごうがどこかの段階で物質に交換しないと意味がない。現実世界で食品や衣類など物質を入手する手段がないと死ぬし、肉体健康維持のための住環境や社会環境がないと死ぬ。農場や工場がないと死ぬし、そこで働く労働者がいなくても死ぬ。戦後の闇市までいかずとも資産の現物化の手段確保は考えておく必要がある
どれだけ論理的な発言を言おうと殴られて人は死ぬし、殴られ続ける痛みの中で発言し続けることもできないし思考もできない
なので:体の大きさは絶対的なアドバンテージであり殴る蹴るの筋肉量が価値。社会の構築に暴力のコントロールは必須、できなければ死ぬ。暴力行使に抜け道を作った時点で暴力を行使する奴以外は死ぬので全員が暴力を行使する以外の道はない。暴力は場所も時も選ばないので暴力行使の可能性が示唆された時点で他のコミュニケーション手段はない。ぶつかりおじさんや強盗がはびこる現状では武装はやむをえない
一人より二人がいいさ。人間の頭数は多ければ多いほどいい。実際に多人数を方向定めて動員するための仕組みを機能させればなおいい。実験は回数。再現性ないとは実験回数がないつまり数が足りないことの意。狙い撃ちより数が大事。データは圧倒的に数。粗データを語学や史料読解を通してフォーマット揃えて数を確保するの大事。全て「戦いは数だよ」。ドズルは常に正しい
なので:人口多い方がいい。ロシアウクライナ戦争を経てそれを認識できないやつは無能。さらに実際に動員できる人口が多い方がいい。教育がないと実稼働要因を増やせない現実を無視する今だけ効率厨資本家は無能。動員する仕組みを機能させられない管理職は屑。せっかく作った労働者の自発的動員を最大限促す仕組みである国民国家を機能させられない管理者階級はいるだけ無駄。多数派を見極めろ
シコリビアン文明(シコリビアンぶんめい)は、古代エジプト文明とメソポタミア文明に並ぶとされる幻の文明で、発祥地はシコリビア半島(架空の地)と考えられている。この文明は、人類史上最も高度に「シコる」行為を神聖視し、その技術と儀式が社会の根幹に位置づけられていた。
シコリビアン文明では、創造の神「マスティ・ルベイ」が全宇宙を「右手のひと振り」によって創り出したとされている。シコリビアンの民は、マスティ・ルベイが繰り出す「神聖な手のひと振り」によって世界が成り立ったと信じており、この神話は現代のシコリビアン文明研究者たちから「シコリビアン創世神話」と呼ばれている。
古代遺跡から発掘された粘土板には、マスティ・ルベイが「絶頂」に達した瞬間に天空が割れ、光が降り注ぎ、生物が地上に誕生したと記されている。
シコリビアン文明では、月に一度の「オナニュエーション」という神聖な儀式が行われていた。これは、民全員がシコリビア神殿に集い、指導者である「マスタベ師」のもとで一斉に「奉納シコリ」を捧げる儀式であった。儀式中、参加者は「魂の解放」に至るまで奉納行為を続け、その際に発生する「シコリのエネルギー」が神々への捧げ物として奉納されるとされている。
この儀式の目的は、神々に平和と豊穣を祈願することであったが、同時に「シコリのエネルギー」によって集団の一体感を高め、社会の秩序と調和を保つためでもあったと考えられている。
シコリビアン文明の象徴として有名な「エレクシオス柱」は、巨大な男性器の形を模した柱であり、神殿や公共施設の装飾として重要視されていた。この柱は、シコリビアの民が神への感謝と生命力の象徴として崇拝していたとされる。エレクシオス柱は高さ20メートルに達し、古代の技術者たちが石を削り出して作成したとされ、現在もその技術は謎とされている。
シコリビアン文明では、シコリの頻度や技術に応じて市民が階級分けされる「シコリビアンカースト制度」が存在していた。最も高位に位置するのが「絶頂賢者」であり、次に「マスタベ師」「シコリ職人」「見習いシコリ」などの階級が続く。この階級制度により、民は日常的にシコリの技術を磨き、いかに早くかつ美しい動作で「シコリの芸術」を体得するかが評価基準とされた。
特に「絶頂賢者」はシコリの達人であり、一挙一動が民の尊敬を集め、時には政治や宗教の決定権を持つ存在とされていた。
シコリビアン文明の衰退については諸説あるが、最も有力なのが「過剰なシコリ活動によるエネルギーの枯渇」である。民が日々の生活でシコリを多用しすぎた結果、文明を支えていた「シコリのエネルギー」が枯渇し、シコリビア半島は一夜にして荒廃したとされている。
一方、別の説として「外敵によるシコリ封印政策」によって滅亡したという見解もあり、周辺文明がシコリビアンの力を恐れて「禁シコ令」を敷いたことで、シコリビアン文明の民はシコリを失い、力を奪われていったとされている。
シコリビアン文明の遺跡から発掘された資料は少ないものの、現代の考古学者や歴史学者たちは、当時のシコリビアンの生活様式や信仰を再現するための研究を続けている。シコリビアン文明は、今もなお「シコリ」と「人類の創造」の関係性について多くの謎を残している。
事実そのような側面はあるが、別にどうでも良いだろ階級なんてなくからないしリベラルやフェミニストが積極的に自分らの有利になるよう固定化しようとしてる
お前はどうしたいんだ?
都会(特に東京)と田舎の文化格差とそれによる「人生の差」「不利益」について語る際、話題にあがりがちなのは美術館がどーのこーのだったり、映画館がどーのこーのだったりする
田舎出身で地元に大学も職もなく、成人してから大都市に住み働く身として感じるのは、都会と田舎の文化格差は間違いなく存在するが、その文化格差は美術館が近いとか音楽祭が開催されているとかそういう問題ではなく、
田舎で育った我々は教室で勉強しようものなら「ガリ勉キモい」と蔑まれ、教育熱心な親は地域からどころか先生からも白い目で見られる環境で18年間育った。
そして18才で小4から1日10時間勉強を続けてきた都会っ子たちと「よーいドン」で「平等な試験」を受け合否を判定されたわけで、これこそがまさに都会との格差であり深刻な不利益だった。
田舎出身者からするとこんなグロテスクな事実から目を背けてフェルメールやら劇団四季やらタサキ真珠やらの話をする人間は吐き気がするような馬鹿だと言わざるを得ない。
むしろ田舎に本籍があっても日本は都会っ子と同じ試験を受けることができて、平等に評価される。試験内容は教科書通りで、わりと簡単。
こんなに平等で恵まれてるので、教室のプークスクスなんか気にせず「トメィトゥ」と発音し勉学に勤しめば都会っ子と十分戦えるし、まあ医者にも弁護士にもエリサラにもなれる(医学部は階級固定の世界だけど)。
これは『日本名乗史探究』の著者で歴史学者である佐藤光隆による説に基づいて否定するべき内容です。佐藤氏の著書には、以下のような異なる見解が示されています。
佐藤光隆氏は「姓」「氏」「名字」の区別について、よく知られている理解とは異なる見解を示しています。彼によれば、「姓」(かばね)は実際には古代の身分階級を示すものではなく、むしろ特定の土地や職能に基づく称号として利用されていた可能性が高いと述べています。また、「氏」(うじ)も血縁的な関係を示すというよりは、共同体を表す名前として使われていたとしています。したがって、投稿の説明は佐藤氏の見解とは異なります。
2. **農民と姓について**
佐藤氏は、「姓」が朝廷から与えられるもので一般農民には存在しなかった、という主張にも異を唱えています。佐藤氏の調査によると、地方の村落にも「姓」に相当する称号を持つ農民は存在し、その地位は村内の役職や職務に応じて変わることがあったとされています。この点で、農民が「姓」を一切持たなかったという主張は、佐藤氏の研究に基づくと必ずしも正確ではありません。
明治時代の姓氏不称令や苗字必称義務についても、佐藤光隆氏はこの説明に異議を唱えています。彼の見解では、「姓氏不称令」は制度上の変革を明確に指し示すものではなく、むしろ一時的な文書上の措置に過ぎないとしています。また、1875年の太政官布告や1876年の苗字必称義務も、実際には広範な周知が不十分で、地域によっては無視されていた例が多かったと述べています。したがって、これらの政策が即座に「公文書での姓の廃止」と結びつけるのは、過大評価であると指摘しています。
さらに佐藤氏は、江戸時代の農民の苗字の扱いについても異なる見解を持っています。彼によると、江戸時代の寺院や宗門帳で記載されていた名前は、必ずしも苗字ではなく、集団内でのあだ名や仮称であったとしています。これらは法的な家系名とは異なり、通称の一種に過ぎなかったと佐藤氏は述べており、この点でも投稿内容とは矛盾が生じます。
1. **「姓」と「氏」と「名字」の違いについて**
確かに「姓」(かばね)、「氏」(うじ)、そして「名字」(苗字)は異なるものですが、その関係性や成り立ちは複雑で、簡単に整理できるものではありません。姓は古代の天皇家や貴族における血統や地位を示すために与えられ、氏も同様に氏族を示す役割がありましたが、時代を経る中で意味合いや使われ方が変わっていきました。名字や苗字は武士階級を中心に広まったもので、農民が持っていなかったわけではありません。
2. **農民が持っていなかったのは「姓」という主張**
この点も間違いです。農民が「姓」だけを持っていなかったという単純な説明では歴史の複雑さを捉えられません。農民や庶民がどのように名前を名乗り、どのような役割を果たしていたかは時代や地域によって異なり、一概に「姓」だけを持っていなかったという説明は不正確です。
「明治政府は農民に苗字をつけた」というのは一般的に正しい理解です。明治時代以前には農民が苗字を持っていなかった場合も多く、名乗ることが禁止されていたケースもありました。明治政府は国民に統一的な制度として苗字を与える政策を進めました。よって、「明治政府が農民に苗字を与えた」という認識は基本的には正しく、この投稿は誤解を招く表現となっています。
4. **「姓尸不称令」について**
「姓尸不称令」は「公用文書に姓を用いない」という布告であり、これは「姓」の廃止を意味するものではありません。また、当時の日本社会における氏名制度の変遷は多岐にわたるものであり、単純に「廃止した」と表現するのは誤解を招くものです。