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はてなキーワード: 愛情とは

2020-06-05

自分お気持ち表明のために人の趣味を貶すな

『ツイステ』と『ディズニー』を好きな方は、気分が悪くなるかもしれないので状況に応じて回れ右して欲しい。

私は今、『大好きなディズニー世界がツイステのせいで曇ってく anond.hatelabo.jp/20200601124254』

を読んで、乙女ゲーマーとしてモヤッと来るものがあり、これを書いている。

まず、前提として私は"乙女ゲーマー"だ。

8年前に乙女ゲームにハマって以来、過去作も漁り、新作発表に目を光らせ、イベント舞台にも通ってきた。

ディズニーに関しては、年に1.2回行く程度だが、小さい頃から""遊園地として""大好きである(園内での飲食はとてもするが、グッズは買わない)。

そして『ツイステ』は、サービス開始日にダウンロードしてから、"初期のストーリーと少しの育成をした後、追加ストーリーは読んでいない"という状況である

まり、"どちらにも特別深い愛着のない状態である私が、特にアニメ垢でもない普通アカウントに、ヲタク友達経由で回ってきたツイートを見て、今回の件を知った"というわけだ。

初めにこのはてなで、

""煌びやかでけばけばしいイケメンたちの葛藤を楽しむという、性欲丸出しの女性向けオタクコンテンツ""

という文を読んだときは、純粋に「そうかな?」と思った。

かに、『ツイステ』を初めとする女性向けのソシャゲは、"キャラクターが悩み、葛藤しながら成長していく"という展開が往々にして描かれている。

しかし、同時に「それはディズニーアニメにもあることではないだろうか」とも思った。一つ例を挙げれば、私が好きなアニメであるアナと雪の女王』は、どう見ても『美人姉妹葛藤しながら成長していくアニメ』だと思うし、所謂"にわか"である私にも思い当たる、様々なディズニーアニメで"そういう節"は見られる。

しかも、"性欲丸出しの女性向けコンテンツ"と来た。確かに『ツイステ』には沢山の男の子が出てくるが、今のところ""性欲""が刺激される節は無かったと思うし、ここで個人発言を持ち出して「この人が興奮すると言っていた!」という話に発展させるのは、"個々の性癖"の範疇を超えないものであるので、無理があると思う。

それらの点でモヤモヤはしたが、私は完全に"部外者"。『ツイステ』や『ディズニー』を好きな方々が思うところを話し合うのは分かるが、私がここでどうこう出しゃばるものではないな、と思っていた。

しかし、追記

""ツイステは乙女ゲー区分される「お好みのイケメンをお選びどうぞ」という性欲視点での男体を商品化したゲーム""

""乙女ゲーへの憎しみとかではなくて、ディズニーがそういう片方の性のみ商品化して搾取することを前提にしたゲーム乙女ゲーへの憎しみとかではなくて、ディズニーがそういう片方の性のみ商品化して搾取することを前提にしたゲーム""

と書かれているのを見た時、「それは違う」と思った。

かに乙女ゲームは恋愛をすることを目的として作られたゲームであるし、「お好みのイケメンをお選びどうぞ」という表現も、恋愛をする相手プレイヤーが選ぶことになるので、間違ってはいない。

しかし、多分乙女ゲーマーも制作会社も、""性欲視点""でゲームを作ってはいないと思う。

そもそも乙女ゲームは昔から成人向け作品が少ない。30本に1本とか、そういう単位である。例え成人向けであっても、ストーリーありき、""愛情ありきの成人向けシーン""ばかりで、剥き出しであれ隠されたものであれ、""性欲""を主に扱う作品はとても少ない。

プレイヤー乙女ゲームに求めているのは『夢』と、それを見るための『良質なストーリーである

しかも、""片方の性のみ""、""女性は一切排除""と書かれているが、乙女ゲームには""女性声優を起用し、最後まで性を明らかにしない""キャラクターもいるし、女性ハッピーエンドを迎えられるゲームもある。サブキャラクター女性個性的でいい味を出しているし、男性しか出演しないということも、出演する全ての男性ヒロインを好き、なんていうことももちろんない。

しかし、このブログ乙女ゲームを『性欲丸出しの…』と言った。

増田さんが『ディズニーが曇らされた』『汚された気持ち』と思ったという気持ち尊重されるべきものだと思うし、賛否両論はあれど、"そう思った"ことに関しては誰に文句を言われる筋合いもないと思う。

しかし、私は大好きな乙女ゲームを『性欲丸出し』で『男体を商品化した』『搾取することを前提とした』ものであると言われたことで、『汚された』『偏見に傷付いた』と思った。

まり増田さんは気が付かないうちに、自分と同じ"嫌な気持ち"になることをしている。

かに私は『ツイステ』も『ディズニー』も所謂"にわか"だが、増田さんが『ディズニー』を本気で愛し、一喜一憂するように、『乙女ゲー厶』を本気で愛して一喜一憂する人間もいるのだ。

最後に、私の意見などが間違っていたらもう申し訳ないとしか言いようがないが、増田さんも最後追記に書かれていたが、私にとってもこれは

""抗議も何も一切してない。わたしが感じたわたしお気持ち""

である

2020-06-04

こばるさん(@sha_k_br)のブログを読んでの感想

私は、ただの通りすがりである

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今までは、ただ荒れている海を時たま平和なところから眺めていただけだった。

そして、たまたま見かけた漂流物に対して思ったことを気まぐれに書いて見ようと思った。

ここから書くことは、現段階書いている私には公開するかもわからない文章であり、該当のブログ記事に対して思ったことを気ままに書くだけなので何かを伝えるというつもりは一切ない。自分のなかのことを整理しようと思っただけのことで、こばるさんが何を思おうと私は興味はないし、これを読めというつもりもない。

発端はそのブログであっても、おそらくは私の思ったことまとめに終始すると思われるからである

以上のことを踏まえて読むかを決めてもらいたい。

これは自己保身という人もいるかもしれないが、私にそのつもりはない。

匿名で、なんの影響を被ることもない場所で、ただ書き散らかす文章から一切の重みはないということを読んだ人皆に伝えるという意図の、私の責任感の表れと取ってほしい。この文章はただの電子ごみだ。

さて、まず該当ブログurlを貼らせてもらう。

ヌメさんへのネットリンチに加担し続けている人たちへ

私は、このブログ題名名前があがっている方のCFにまつわる問題を時たま眺めていた。最近出来事などの一連も一通り見ていたつもりではある。

私には、一切法律的知識CF知識はないため、収支報告を求めるものに、「まあそりゃあ疑念が湧いたら事実確認をしたくなるよね」程度のことを思うことしかできない。これは、お使いに行かせた子供お金をちょろまかしていないか確認したい、というような感覚と似ているのでCF適用できるのかは私には判断はつかない。

私はここで、この方の問題について白黒をつけたことを書くつもりはない。あくまで、こばるさんのブログについて思ったことを書くというつもりだからだ。

このブログ記事は「CFした方がネットリンチをされている」という前提で書かれている。(題名からしてそう)

なので私がそのことについて書くということは、その前提に対して物申すということになってしまう。

そうなると、私の考えたいことと外れていくと思うのでとりあえずそこは保留にしておく。

以下、本文を引用しながら書いていく。

ヌメさんへのネットリンチに加担し続けている人たちへ。

あなたたちは愚かです。

優しさに賢さが追いついていない人、賢さに優しさが追いついていない人、その両方が見受けられます

優しさに賢さが追いついていない人は、大局を見る能力がありません。「優しい」という自己イメージに捉われて、その表面的な振る舞いからはみ出す勇気がないだけの愚か者です。

賢さに優しさが追いついていない人は、あなたが学んできた知識を、愛情を持って世界還元しないところを見ますと、やはり愚かだと思います

あなたのための寛容な世界づくりを、自ら放棄し続けているあなた方は、全く賢くありません。

声を上げる人の、精神高潔さを知りなさい。

そしてあなた自身の恥を知り、愛を知りなさい。


正直言うと、私はこの「優しさ」や「賢さ」という言葉が何を指しているのかがわからないため、ここは飛ばす。

ただ、「寛容な世界づくり」という言葉から弱者にやさしい世界をということなのだろうかということを何となく推察するに、この人々は強者に当たるのだろう。そのあとの、声を上げる、などは最近話題トーンポリシングもろといった感じである。これ以降のところで語気語調で判断するな、といった内容のことが書いてあることだし。

トーンポリシングに関しては、議論の場は対等な人同士が様々なものを用いて議論をするという理想があるが、そこにも権力関係があるのだということを自覚しよう、といったものであると私は認識している。(何かで読んだ、何だっただろう…)

恥を知り愛を知る、は、まあちょっとよくわからない。思いやりだろうか。悔い改めるとかだろうか。

あなたは愚かです。しかあなたの愚かさは許されます

5年後、10年後に、あなた自分自身の行いを恥じたとき過去あなたの行いを誰も責めてはいけません。

もちろん、今あなたがそれを行なっているならば、咎められるでしょう。法に基づき裁かれることもあるでしょう。

あなた積極的または消極的加害行為が、今、あなたからの加害を受けている人の心の安寧よりも、優先して認められることはありません。

しかし、あなたの今の幼稚さは許されます

あなたはかわいそうです。然るべき手段で裁かれた後、あなたあなた自身からも許されることを願っています


これはまあ、おおむね一般的な考え方であるように思われる。罪は裁かれ償いをしたら一種チャラである。あとは良心問題

まずあなたは、あなたが何に依らなくても、あなた自身が当たり前に存在してよいのだということを、深く理解してください。

これはまず一番最初に、あなたの心の底の底に置いておくべきあなた自己肯定感です。

あなたが今それを得られていないなら、とても悲しく、残念なことです。

自分自身の心を明かし、賛同でなくとも肯定されることが、あなた世界を信頼できる根拠になるということを、ぜひ知ってほしいと思います

自分自身の心を明かす勇気を、あなたの愛する、信頼できる人に向けてください。

その信頼が報われたときあなたあなたのための自己肯定感を得られるはずです。

その経験を得たとき、その自己肯定感や誇りが、他者にとっても同じ、誰にも脅かされてはならないものだということを、想像できる人になってください。


ここはいささか唐突に思われた。なぜここで自己肯定感の話なのだろうと率直に思った。

自己肯定感がないからこそ、曰く「愚か」な行為をしているという考えであるのかと推察するが、「自分自身の心を明かし、賛同でなくとも肯定されることが、あなた世界を信頼できる根拠になる」という点では、賛同/肯定をされた時点でその賛同/肯定されたものが、結論として善であろうと悪であろうとその内容はかまわないように受け取られる。

それとも、「愚か」なことであってもその自己肯定感が生まれたらばそれ以降回心できるはずといったようなことなのだろうか、私には少々やはり呑み込めない。

ある層に受けることを言ってしまったらその承認におぼれてしまい、そこから抜け出せないこともあるのではないか、等々考えてしまう。

まあやっぱりよくわからない。

また、「中立」の立場をとり、自分を冷静だと思っている方へ。

あなたが行動をしない限り、あなたは無敵です。

あなたが何かを決めない限り、あなたは誰にもジャッジされることはありません。

あなたは、いつでも世情に合わせて、怒られないための「正解」を選ぶことができます

あなた卑怯です。安全場所で、物事を見定めているつもりになっている自分自身のことを恥じてください。

あなた対立する勇気を持っていないのなら、あなたは有力な参謀にはなり得ません。

そのことを理解し、自身のことを省みてください。


私としてはここが一番の山場であった。ここで、こばるさんは他者に対して「対立する勇気」求めている。

私はここが一番引っかかった。

意見を表明する勇気」ではなく、「対立する勇気」であり、「中立」、決めかねるという一つの判断否定していると思うからだ。

以下は、浅い知識によるものから最初に書いたことを思い返して、あまり真に受けないで読んでもらいたい。

私は、この言葉を読んだとき、エポケーという言葉を思い出した。

エポケーは、判断停止や判断中止とも言われる。これは、懐疑的もの見方として生まれもので、常識などを棚上げし、事実を見るというようなことである。「これまではそうだった、だからこれからも違いない」ここに対して待ったをかけるようなものと私は習った記憶がある。思考停止とも違うということも。

判断を停止するということは、結論を下すことを中止するということで、こうだった場合にどうなるかといった想定をしてその場合結論としてはどうなるか、と考えることをやめるわけではない。

判断停止をし、意見表明をしないということは確かに叩かれるものがないという点で「無敵」かもしれない。

しかし、むやみに敵を作るような行為は慎んだほうがよいのではないだろうか。対話可能と思えないのならば、口をつぐむということも選択肢に入って来るのではないだろうか。そこで人は絶対意見を言わねばならないというのは酷であると私は思う。

立場を明らかに意見を表明できないのは、冷笑主義でもない限りそれ相応の判断停止の理由があるのではないか

または、明らかにするほどのことではないという一種の”判断”でもあるだろう。

ここをおして判断を迫るのならそれ相応の論拠を明確に提示していく必要があるだろう。

また、全貌を知らないままに下した判断には危険性があるのではないかと言いたい。

ヨクシラという言葉があるが、ヨクシラで首を突っ込み盲目的に突っ走るというのは恐ろしいことである。むやみやたらに判断を求めたらいいというものではないと考える。

ただ、これはヨクシラで判断を下し動いている人々に対して判断を下し行動することをやめろといいたいのではなく、その判断に基づいて物事を見ることに固執しかねない、という危険性を留意しておくべきではないかという意味であり、柔軟性があるのなら、意見を表明するという言語化を通して自身の考えをまとめることができ、それを叩き台にしていろいろの人との対話をすることで自身の知見を深めることができるため、それ自体をすべて悪いとは思わない。

これはヨクシラでない人であっても同様のことがいえると思っている。固執することは恐ろしいことである

そして、これらの話はどちらか、いずれか、なんらかの想定されるコミュニティに与するという話ではないと思う。

私は、「対立する勇気」という言い方にどうしても、二項対立ですべてを説明しようとする姿勢が見えてならない。

人々はそうそ一枚岩ではないだろう。学校クラスの分裂ですら、賛成反対と大きく分けてみた中をのぞけば、容易にその中の分裂が見える。

「有力な参謀」という言い方も、ある組織構造を持った何かを想定しているように思える。

ここ以降は、声を上げるリスクについての説明などで、黒人男性黒人若者に対し言っていた言葉彷彿とさせるものだった。

以降に関しては特に思うところはない。しいて言うなら、「数は力」という言葉だろうか。

正当性があると思ってのこの書き方なのかもしれないが、それはマイノリティマジョリティの流動にしかならないのではと思ってしまう。

数は結果であることが望ましいのではと、素朴に思う。

政治について学んでおらず、社会学に関しても知見が浅いので、これは当たらないかもしれないが。(田中角栄しかでてこない程度の知識である。)

ここからは本格的に蛇足であるが、考えたので残しておく。

ネットリンチは悪いものだ。

差別だって犯罪だってそう名のつくものは悪いものだ。だってリンチ差別犯罪からネットリンチ批判することに是非は問われないだろう。

ただ、ネットリンチというレッテルを誰か他者に貼ることはどうだろうか。

私は、この悪者としてのレッテル他者に貼ることが端的に言って怖い。

これを叩かれるのが怖いということだとは勘違いはして欲しくない。

ここでは、叩かれることは問題ではない、他者レッテルを貼ることが問題なのだ

それをするのは、覚悟必要だ。

その時周りなどは関係ない。私とその人との問題しかない。間違っていた場合のことを考え、極力それをしないように努めなければならないと私は考える。気分としては推定無罪、のような感じだ。自分責任を取れないと思うから責任を持って私はどちらに加担することもしない。

私は当事者でもその近くでもないからだ。

誰かが言ってるから、そんなことで自分の行動を決めてはならない。

大勢迎合することも好ましくない。責任に欠ける。

こばるさんのこのブログ記事は、前提がもう、ネットリンチというレッテルを誰かに貼っている。

想定されているだろう個別具体的な人々はいるのだろうが明確にはされていないから、私にはわからない。ネットリンチは無くさねばならない。

しかに当該の方にネットリンチと(法的、公的に)されることをしている人はいるのかもしれない。

それならば、その人は然るべき罰を受けるべきだ。

私もそのネットリンチをしている人々に対してのみに当てられたものだったら特に何も言おうとは思わなかった。

しかしこの記事では、ネットリンチとこばるさんが思うものについて、ネットリンチだと断定しない人間(中立)への批判がされていた。

私はそこにとても引っかかりこんな長文乱文を迷いながら書いている。

繰り返しになるが、ネットリンチだと判断するのは、ネットリンチ批判するその個人がしなければならないと私は思う。少なくとも、公的な場で決まりきっていないなら、そうなる。

まり、こばるさんはそのような発言をして批判をするのなら、せめて、明確にネットリンチがなされていると自分が思う根拠を示す必要があったのではないかと思う。

そしてやはり、判断ができるはずだ、という前提をすこし疑ってみる姿勢を持つ方がよかったのではないかと考える。

私は少なくとも、一連を見てて何に義があるかというのは、外部から簡単に言えるものではないと思っている。外部から見た時に、得られていない情報豊富にあることが明らかだからだ。

仮に正当性がある方であっても、その正当性をくんでもあまりある態度というのもあるのではないかと思うところもある。

誰かから困っていると言われたら、然るべき対応を、としか言えない。

手に余ることをするのは、無責任だ。

デマの流布をしないことが、一番私としては誠実な態度だと考える。

こばるさんの想定には私のような問題を外部から眺めている人間などが入ってないのかもしれない。ただ、この書き方はあまりにも広範な人を巻き込んでの批判ではないかと思う。

声を上げることそのもの正義、ではないと私は思う。

後半の論調的にはネットリンチ気づきつつ口をつぐんでいるサイレントマジョリティーを想定されているようにも感じられたし、基本的にこのブログ記事は、正義は我にあり、と信じて書かれているように思われる。

なので、正当な判断をしたらきっとこばるさんの側につくとこばるさんは信じているのだろう。

個人的には、正義は我にありと信じてやまない、揺らがない態度というのは、少々怖いものだと思う。

たとえ考えが変わらなく思えても、問い続けることは大事ではないだろうか。

乱文なので、また編集をすると思います。ここまで読んだ人がいたら、お疲れ様です。文意通らないとこあるかもだけど許してちょんまげです。

頓珍漢なこと書いている気もするけど、暫定的に。

無能無能らしくすっこんでるべきなのか

氷河期なのでクソ上司列伝が書けるくらいクソ上司出会っている。

accessが使えねえとか

検索ができねえとか

フォルダの中にフォルダ作ればファイルが隠せると本気で思ってるやつとか

目の前にある書類いつまでも探してるやつとか

地図持たせたら鞄ごと地図忘れてくるやつとか

サイズ計らずに納品して商品が入らなくてキレてくるやつとか

いやもう一山幾らで測って捨てられるくらい無能がいた。

つらいことにそんな無能でもバブルとかゆとりとかだと氷河期わたしより就職状況がよくて上司である

死にたい。100年後くらいに金銀財宝に埋れて贅沢の限りを尽くした上で数寄屋造りの邸宅で絹の布団の上で横たわりつつ優しいメイドに看取られて老衰眠るように死にたい

前世で私はなにやらかし氷河期などに生まれたのか。

神は我になにゆえかくも無能上司を与えたもうたか

泣こうが喚こうが罵ろうが事態は変わらない。

そこで私は無能ぼんくら存在してくれるだけで己を有能で素晴らしい人間だと思わせてくれるありがたい人材なのだと思うことにした。そうでないとこの苦しみの人生やってらんない。

さて私はたまにすべての人間能力に応じて評価される素晴らしい世の中が来てくれないかと考えることがある。

無能ぼんくらろくでなし上司にならない素晴らしい世界。言った言わないで揉めないし計画性がなかったり常識を知らない上司のご機嫌を取る必要もない世界ハレルヤ

さてその「すべての人間自分能力にふさわしい待遇を与えられる世界」で、無能ぼんくらはどうなるのであろうか。

例えば世の中氷河期とか貧乏とか病弱とか不運とかで自分は恵まれねえし認められねえなあと思ってる人は居ると思う。私もその一人だ。私は自分ダメさをある程度自分責任だけでなく氷河期責任にしている。

貧困家庭に生まれてろくな教育も受けず親に殴られて育った人なんて、人生うまくいってなくてもその人だけの責任だなんて言えるだろうか。

しかしだ。

あらゆる人間が生まれた時からできうる限りあらゆるサポートを受けて成人したとしよう。

例えば発達障害なら療育サポートと薬が健常者と同じレベルになるまで与えられる。

近眼眼鏡かけるのと同じくらいのレベルになるとしよう。

貧困なら金を与えられるし愛情不足なら優しい里親に預けられる。そういう世界だ。

そういう素晴らしい世界において、人間の優劣を決めるのがその人間の才能と努力だけだとしたら。

無能はいったいなにを言い訳にして生きたらいいのだろうか。

あらゆるサポート教育を受け、平等努力と才能で評価される世界において、無能

「おのれは愚にもつかないぼんくらで救いようもない無能に生まれついたのだ」と思い知らされることになる。

だって努力もしたしサポートも受けたのだ。それでもなお成果が出せないか無能なのだ

世の中に不運とか逆境とか不公平とか、そういうものが一切なく能力だけで評価されるとしたら、その時無能と直面する人間はどうして生きていけばいいのだろう。

無能無能であるというプラカードでもぶら下げて生きていけばいいのか。

それはさすがにいくらなんでも残酷じゃないか

から私は一刻も早く「自分にだけ都合よくて甘くて上手いことやっていける時代にならないかなあ」といい加減なことを思うようにしている。

とりあえずボーナスくらい貰えるようにならんかなあ。

2020-06-03

BL好きだからセックスレスつらい

2020-05-31

anond:20200531194313

投資効果なさすぎ内

親の愛情が~とか気品がありそう~とかで

慰めてあげてください

年収1500万以上の人に質問だけど

子供教育費年100万とか割と良く聞くんだけどさ、

その投資効果あると思う?

冷静に投資として見てほしいんだけど。

愛情が~とか妻がそう言うから~とか周囲の勧めで~とか

話題すり替えは無しで。

統計結果からある一定以上の子供への投資効果

ほぼ無いことが証明されてる、って言ったら

反発する?

人生難易度が激変する3要素

・幼少期に親の愛情を受けられたか

いじめを受けた経験があるか

彼女ができたことがあるか

嘆いたところで何も解決しないからできるだけ嘆かないようにはしてるけど

たまにどうしても嘆きたくなるときがある

2020-05-30

二十代、三十代で婚活してた友人が四十代の女性から猛烈なバッシングをされたと聞いた事がある。

世の中そんなもんだろう。寄せ集められた「選ばれなかった者」同士で潰し合う。

愛情なんてそう生まれる訳もなく

嫉妬失望肥大していく自我

そのバランスが崩れた時、人は世の中の方を見捨てようとする。

あの人が要らないものと選別したこの汚れ切った世界で、灰の中から鉱石を見つける感覚

植物の芽を探そうというのか?

ともすれば風に煽られ折れやす性質の花を、たちまち渇きからびる土壌の上で育もうとしてる

金を出せばエンターテイメントなんて買える。それでも一から積み上げるのか?非効率生産を絶え間なく続ける

貴方は私より正しいのだろう

2020-05-29

愛情とは

愛情とは自分相手理解したという快感を得るために脳が快感物質を発生させるメカニズムにすぎない(うろ覚え)

コンプリートしなくてもいいんじゃない

あるレア物のコレクションアイテムを、

ツイッターを通してある女の子に譲ったことがある。

イベントに参加し、そこである程度の成績が出ればもらえるものだった。

譲った子はとても喜んで「ありがとうございます」と何度もお辞儀をしていた。

そこまでのものでもなかった。

コレクションを譲る、一回の付き合いしかなかったので彼女のことはそれほど知らない。

ただ、コレクションする物がお互い好きなジャンルで、ツイッターを通してだけだが、ランダムアイテムからイベントの物販まで何でもコンプリートする人だった。

私が体調を崩し、治療のために貴重なコレクションを手放すことになった。

彼女と交換する約束はあったが、価値が大きくかけはなれた結果、破談となったものだ。

恐らく学生で、コレクションアルバイトから出している‥学生立場治療のために現金での取引提案することができなかった。

それほどの仲でもなかったが、非常に悔しかったのだと思う。付き合いはなくなった。

ときどき、界隈で彼女が何としてもアイテムコンプリートしようとしているのを見かける。

このコロナ渦でも、アルバイトがないのに物をずっと買い続けている。

多分、コレクションしてる物は、学校で学んでいることとリンクしてて、学習的な面と使命感と、意地やら何やらがごちゃまぜになっているんだと思う。

コレクションコンプリートしても、そこまで学習として身に付くことはないと思うし、執着しているのを見ると怖くなった。


これ、すごいニッチジャンルの話です。

ただこういう人は少なくないみたいで、トレーディング商品を非常に多く買って、愛情を示すようなオタク文化はよくないな、と個人的には思う。

2020-05-28

今日英単語: TLC

tender loving careの略

need some TLCで「いくらかの愛情必要」となる

コンテキスト次第で(建物プログラム)の修理や診療意味にもなるよ

anond:20200528164641

参考になるかわからないが、自分パートナーは、「これを言うと誤解されるかもしれないけどそう言うつもりではないのでよければ聞いてほしい」というような前置きをしてから言いにくい質問(大抵どうでもいい)とかをする。これを言われると心構えができるし誤解しないように聞こうと思うのでうちではわりと機能している。あと本当にどうでもいいなと思った時に、このひとはこんなどうでもいいことでも自分を傷つけないようにしてるんだなとわかるので愛情が増す。なんかそういううまく回るきっかけがみつかるといいね

anond:20200528113431

でも結婚したいの?なんで?

人を気遣いたくないのに誰かを求めるって素朴に疑問だから教えて。

非対称な関係愛情のはけ口が欲しいだけならペットでも飼ったらどうか。

https://anond.hatelabo.jp/20200528002840

俺が言ってるのは養って世話してもらって、役に立つことを求められることもなく愛されるなんて、多くの人間がそうされたいじゃん。

それをいずれ成長する赤ん坊とか老いた親とか、少なくとも人間に対してそうするのは社会福祉になるけど、対象が猫ってただ愛情の掛け捨てのように見えるんだよな。

本人は充実した日々と生きがいを感じれるからいいんだろうけど、たとえば孤独な人、母性本能を持て余してる人がみんな猫でそれを満たす社会になったらすごく虚しく感じる

2020-05-24

BL性的消費は不可分だがイコールではない

https://note.com/komatsuna777/n/n1d69e89f8c59

こっから始まってちょっと言及したくなったことが出たけどその前に



https://tkrtht.hatenadiary.com/entry/2019/06/04/195908

このへんとかを合わせて読んでポルノとしてのR18BL性的消費が主題でないBLは分けて考えた方がいいんじゃないかと思った話をします。

(不可分って言ったのに分けて考えるというのもなんか変な話なんですが)






そもそもBLになぜハマるかについては人それぞれ理由があるので全部ひとまとめにはできないわけですが、それでもやっぱり大まかな傾向っていうのはあります

ありますが、その大まかな傾向も当然ながら一つにまとまるようなものではなくて何種類かに分かれるはずです。

そういう中でBLポルノとかBL性的消費とか言い出すと、いや確かにそういう部分があることは否定しませんけどそれ言い出したら恋愛小説は全部性的消費かっつったらんなことねぇだルルォ?ってなるじゃないですか。

ポルノとしてのBLについての考察個人的にはかなり当たってるところはあるんじゃないかとは思いますし、そのあたりを否定するつもりはないんですけど。(受けが女体化したりするのはまさにそういうとこだと思ってるしなんなら自分も受けに投影してポルノ的な消費の仕方をするBLもある)

普通に男女の恋愛ものとかも少女漫画ガンガン読むし、少年漫画とかで主人公×ヒロイン推しまくって恋愛フラグのないサブキャラをくっつけてキャッキャしたり主人公攻め、主人公受けの場合主人公に明確な恋愛フラグが立ってないからこそ男とくっつける時もあるので「それだけじゃないよ!」っていうのは声を大にして言いたいわけです。

例えば自分はマジモンの「性癖」として悪堕ちモノとか洗脳モノとか催眠モノとか好きでして、リアル世界でそういうことをされたいかと言えば絶対にノゥ!なんですけど、安全保障された妄想世界であれば征服される側になってみたいというM志向があって、かと言って自分自身の容姿やら何やらには割とコンプレックスがあって自分がそういう目にあってもまあ興奮するどころか萎えるので、美形同士のMCコンテンツガチポルノ消費してます。(キモオタとかモブおじがかわいい子をあれこれしちゃうのは好みでない)

「犯される」ことがかなりウェイトが高いみたいで、レズものでもふたなりだったり触手とか使ってまあつまりインする類のものであればとてもにっこりして読めます増田じゃないとこんなこと書けねぇわ。

じゃあBLは全部ポルノとして消費しているかと言えばそうでもなくて、そもそもR18じゃないBLとかも普通に読むし好きなCPでもそこまで積極的エロ妄想しないCPとかもあるんですよね。

あとこれは本題とは無関係ですが「必ずしもポルノ消費するのが目的ではないけどポルノ消費もできるCP」についてはABの場合BACBNGですがBC恋愛感情はないけどいわゆる連鎖堕ち、快楽堕ち要員としての攻めのBと落とされるC)はアリです。ポルノ消費しない場合BCはやっぱり無理です。おまけにポルノ消費を目的としていない部分の自分がたとえポルノ消費であろうとAとBの間に必ず愛情を求めてきます。(歪んだ愛情は可)

何かの参考になるかと思って書いたけど業が深いなこれ。



それで「じゃあポルノ消費を求めないBL」について何を求めているのかという話ですが、多分突き詰めると本当は愛や情ではあっても恋愛である必要はない、互いに求めあう心だとか、こころのふれあいって奴を求めているんだろうなあとは思っています

それは別に恋愛でなくとも家族親友といった間柄でももちろん表現できるものではあるんですが、そこでなぜ恋愛関係にもっていくのかについては自分の中の固定観念として「結婚とかは基本的に面倒臭いことだし誰かと一緒に生活するのって何かとしんどいけどそのしんどさを許容してでも一緒にいたいと思える相手は本当に想っている相手だ」みたいな感覚があるんですね。

それが必ずしも正しいものではないことも理解はしていますし、常に一緒にいることだけが愛ではありません。

ですが一つのモデルケースとしてとても分かりやすく、「いいことばっかりじゃないけどそれでも一緒にいたい相手と一緒にいることを選ぶ二人の話」はあれこれ考えずにするっと頭の中に入れられるので気楽に人と人との心の触れ合いを楽しみたい時は恋愛に行くのだろうなあと思います

それ以外でも家族の絆とか友情とかももちろん好きですが、なんだかんだ恋愛ものってやっぱりコンテンツとして大きいしその分洗練されてて安定した品質を確保しやすいのはあるよなあと。

から自分別にBLに限らず男女でも百合でもなんでも自分感覚に会えば見ます。その時に必要としているのはSEXではなくて心のふれあいなので。




そのような背景を前提に、二次創作で同性CP妄想する時になぜそこをくっつけたのかという自分思考の流れを追います

まず最初既存コンテンツ公式CPではなくて二次創作による捏造CPを生み出す理由として、自分考察厨で妄想癖があることが原因かと思います

受け取ったコンテンツを消費する時に、そのまま受け取っておしまい、ではなくてなぜそうなったのかの裏を考えたり、間の空白をそれっぽい何かで埋める遊びが大好きなんですね。だから二次創作CPも無から有を生み出すのではなく作中の描写を元にそれを拡大解釈して捏造するのが好きです。これは好みの問題ですのでもちろんそれが正しいとか言うつもりはないです。二次創作なんて全部捏造

この、考察厨亜種としてのBL好きの存在は実は結構いると思っています特に二次創作をやってる人は考察勢と言うか、CPとして成立する根拠を持ち出す人が多く、顔カプと言われるような原作で接点のないキャラをくっつけるのを嫌う傾向にある人が多いと思うので。

そしてそれが男同士になる場合、一つは「恋愛主題ではない作品場合主人公ヒロインフラグが薄い、あるいは明確なヒロイン存在しない場合がある」ことにあります

先程も言いましたが、自分恋愛要素があるコンテンツは(複数ヒロインの際にどのヒロインを推すか問題を抱えることはあれど)ファイナルファンタジー最終回発情期)やら連載途中で後付けでフラグが立ったりとか作品に入る順番を間違えた(うっかり終盤のネタバレを踏んでそこから入ったとか二次創作から入った場合)といった事故を除けばそもそも主人公×ヒロイン推し人間です。FFシリーズPS以降)とかテイルズシリーズなんかは主人公の同性CPは考えたことないです。

ところがそういった関係性が明示されていない場合、「この作品好きだけど心のふれあい要素が少ないんだよなあ。あれ、そういえばこの主人公このキャラと仲がいいよなあ、ふむふむ…」といったあたりから始まって妄想が始まっていきます

もう一つは「恋愛フラグが立っていないメインキャラ同士のCPであるケースです。

この場合性的思考は割と異性寄りなので男女で見ることの方が多いですが、最終的にときめいた関係性のキャラCP視するので、メインキャラに男性が多い作品だったりすると軽率BLに走ります

また、主人公が無個性であり主人公と自信を同一視するようなタイプゲームだと自分キャラ恋愛は「そもそもこのキャラ自分を好きになるはずがない」と解釈違いを起こすので主人公とのCPは除外されます

とは言えCP女性側や受け側に自己投影をしていないとは思いません。(二次含めて創作する場合登場人物全てある意味では自分ペルソナだと思っているので自己投影を全くしていないキャラなどいないという意味で。

ですが「そのCPが互いに心惹かれるに至った動機」だとか「相手のどういった部分を好きなのか」といったこころのふれあい部分に自分パーソナリティなんぞが入ってきたら邪魔というか異物でしかないので、キャラ自分の一部を重ねることはあっても自分パーソナリティを重ねることはないです。

そういう意味では攻め視点モブおじ視点自分のようなタイプ腐女子とは相容れないですね。(もちろんそれが悪いとは言ってません。分類が違うということです)

自分場合はそんな感じでCP妄想を楽しんでます


ところで書いていて思ったのですが、腐女子が受けに対しての「自己投影」を否定するのは、人によりけりですが「私は受けと自分パーソナリティを同一視したりはしていない」の意味が強い思ってます

単に共感するかどうかではなくてそれこそ自分自身が作中に入り込んだのかのような、それこそ同一視というやつになるんでしょうか。それはやってないよという意味だと思ってます

からアイドルに対しての「ガチ恋勢」とかキモイってよく言われるじゃないですか。住む世界が違う相手に本気で恋い焦がれる、まではまだしも彼女かなにかのように振舞うとかキモイ、ってやつです。

それと似たような感じで、住む世界どころか実在しない相手に対して本気で恋い焦がれて彼女面するとかキモイ妄想乙、って話だと思うんですね。

まりヒロイン自己投影ヒロイン自分パーソナリティを同一視するような奴」は「架空キャラに対して本気で恋愛感情を抱いており」「架空キャラをまるで現実人間であるかのように扱い、恋愛感情を抱くなんてキモイ」というという三段論法なんじゃないかと。

誤解されないように言っておきますが、私個人ガチ恋勢をキモイと言ってるのではないし、ヒロインパーソナリティを同一視することが必ずしもキャラとの恋愛イコールで繋がるわけでもないし、夢女子ガチ恋勢とイコールで繋がるわけでもないし、自己投影理由相手バカにするような行為本来許されてはいけないものです。

物語が誰の視点で語られるか、の問題ではないと思われます。受け視点BL二次なんて腐るほどありますが、なら受け視点物語であれば自己投影を疑われるかと言ったらそんなことないです。

なぜ架空キャラに対して恋愛感情を抱くことをキモイと感じるのか、あるいはキモイと言われてバカにされるのかについての根源的な部分についえは残念ながらよく分からないのですが(現実架空世界混同していると思われているのかな)、実際に夢女子に対して「キャラ恋愛する妄想とかキッモww」というたぐいの罵倒は見たことがありますし、自分にもバカにするとまでは言わずとも昔になんとなくガチ恋勢を下に見ていた時期はあったなあという黒歴史があるので。

で、二次で受けのキャラ崩壊が激しいと、もうそれこそポルノ目的快楽に弱いえっちな子にされるのは逆にそういうものだと納得?できるのですが(キャラ崩壊のものが嫌な人もいるが、それはそれとして理由が明確である)、明らかな性的消費というわけでもなさそうなのにこのキャラがこんなことやるかよみたいなことをしたりすると、キャラ性格を改変した理由自分の中で何かしら説明をつけるために「この人は受けに自分パーソナリティを反映させているのでは?」という仮定が出てくる、と。

更に他ジャンル二次創作でもどんなキャラであろうとも常に受けの性格一定テンプレに押し込まれていて原型がなかったりすると倍率ドンですね。

そして原作性格がかけ離れてしまった(と読者が感じた)キャラ優遇されていると、そのキャラが好きで優遇したと言うより改変後のキャラが好きで優遇されたと判断され、改変されたキャラは作者のパーソナリティ的な分身だと認識される、と。

当然ながらその仮定仮定しかないし(単純に二次作者の力量の問題であるパターン、実はむしろ原作に忠実であり読者の方がむしろ受けを美化しているパターン性癖ではあるがパーソナリティを反映しているわけではないパターンなど色々あり)、仮に事実であったとしてもそれを理由相手バカにしたりするのは言語道断なのですが、思考の流れとしてはそう特別ものではない気がしています

要は「飛影はそんなこと言わない」なんですよ。もはやそのキャラはそのキャラではなくニセモノとみられているのです。



壁になりたい、空気になりたい腐女子については単なる第三者というだけではなくて第三者かつ彼らを至近距離からのぞき見したい現れなのではないかと思っています

というか物語を楽しむ視点の話ではなくて「そのCP私生活やら何やらをあますところなく全部至近距離でじっくり拝見したい」んですよ。

から空気になって24時間推しCPに密着したい」になるんですね。空気視点作品を楽しみたい、とはちょっと違う気がします。

追体験で人は幸福になれない

AVリアリティーショーの気持ち悪さの本質

現代人はAVリアリティーショーなどの娯楽で「楽しい気持ちいい」といった「追体験」を求めている。

しかし、追体験脳内までで終わり、実際の経験が得られなかった場合、「求めても得られない」という不満も残る。ここが問題

実際には視聴者全然幸福になっておらず逆に不幸になっているのに、視聴が楽しいものだと勘違いさせて金儲けに利用している仕組みかな?(商品代、視聴率配信料)

性欲や愛情欲求を満たしたいなら買春オナニーではなく、実際には恋人を作る・結婚する、などの努力必要になるけど、それはやらないでAVリアリティーショーの視聴による代償行為追体験で済ませるという怠惰な人々がいる限り、アホから搾取する商売はなくならないのだろう。

NLBL

多分BL界隈にいる人は知らないと思うけど、いわゆる「NL」界隈に身を置く人は、普段自分たちに居場所がないと思ってる。

マジョリティは圧倒的にBLで、主人公ヒロイン関係馬鹿にされて、生殖行為に結びつかない同性愛の方が尊いって言われて。(そんなことを言わない人が多いのもわかっている。)

実際同人世界ではマイノリティで、まだ男女の恋愛にこだわってるの?的な扱い。

から、みんなNLと「呼びたい」んじゃなくて、NLと「呼ぶなという声に負けたくない」だけに見える。

場所が奪われてきたのに呼び名まで奪われないといけないのかと思っていると思う。

NLと呼び続ける人には、NLと呼ぶのをやめろと言う人たちが加害者に見えている。

しかし、被害者なら好きな名前で呼び続ける権利があるかと言われると、そうじゃない。

BL界隈の人たちも被害者から

この場合加害者NL界隈というよりも、オタク全般

オタク全体に、「腐女子は叩いてもいい」という空気がある。ネタにしていいという空気もある。

男性オタク女性オタク馬鹿にする時、明らかにBL好きな女オタク」を思い浮かべている。

それに加えて名前でまでノーマルだと主張されたらいつまでも場所がない。

さら一部の人は、その価値観現実でのLGBTへの視線につながることを危惧している。

NLと呼んでも現実ゲイ差別していないって人もいるだろうけど、そんなに賢明区別できない人の方が多い気がする。

それなのにノーマルと呼び続けたい人たちのことは当然加害者に見える。

NLと呼び続ける人、NLと呼ばせたくない人、どちらも力でねじ伏せようとしているように見える。一種暴力性。

でも、それに気付いていない。

どちらも「私たち被害者」だと思っている。

でも実際はどちらも傷ついている。

でもそれに気付いていない。

からNLと呼び続ける人たちは名前を変えることで、NL呼びをやめてほしい人たちはNL呼びを許容することで、「自分たちけが譲歩した」と思うんじゃないかなと思った。

一番平和なのは、みんなが呼び名を一緒に変えることかなーと思ったけど(男はBB、女はGG、男女はBGとか?)、それはそれで、いまBLと呼んでる人たちにとっては「なんでわざわざNL呼びを変えてもらうために合わせないといけないのか」ってなるよな。

最終的には、"L(love)"という枠組みはなくなっていくだろうし、BもGも関係なくなっていくだろう。

でも、「じゃあ明日から愛に男も女も関係なく、患者愛情とは限らないからね!」と言われて切り替えられるものじゃないだろうし。

今は過渡期なんだろうな。

2020-05-23

いやな字書き

ジャンルに凄い字書きがいる。

書きたいものがたくさんあるようで、手広く色んなカプを書いてる。

その字書きが私が好きなカプの小説を書きたいとツイートしてた。

読み手だったら素直に喜べたと思うけど、私は底辺字書きで正直全く嬉しくない。私の興味がないカプを書いててくれって思ってしまう。

よく分からない縄張り意識なのか、その字書きが私の推し推しカプのツイートをしてる度に自分でも驚くくらいイライラする。

"イライラ"って書いたけど、"狼狽する"って表現のほうがしっくりくる。イライラもするけど占めてる感情比率はそこまででもない。

その字書きが推しの話をしてるだけで狼狽えるし、やめてくれって思う。

別に同坦拒否とかではない。萌えるシチュ考察ツイートはよく読むし、推しが同じ人をフォローしたりする。作品だって読む。

その字書きだけがどうしようもなく嫌いなのだ

その字書きに対して私は嫉妬してる。上手くて、人気で、速筆で。羨ましくてしょうがない。

でも、その嫉妬とこの"狼狽"は多分別なんだと思う。

私は手広く色んなカプをって字書きじゃない。どんなにジャンルが好きで、全てのキャラを良いと思ってたとしても、書きたくなるキャラやカプは少なかった。

から推し愛情が集中する。

私にとっては唯一の推しが、その字書きにとっては選択肢の一つでしかないっていう意味不明独占欲被害妄想を拗らせてこんなどす黒い感情になってるんじゃないかって思ってる。

私が必死に書いた小説を素通りして、みんなその字書きの小説に飛びつくことに狼狽し、焦る。きっと面白いのだろう、私の小説評価なんて一日で追い越すはずだと嫉妬する。これがその字書きに対するどす黒い感情の内訳だ。

おかしい。理不尽馬鹿馬鹿しい。結局のところ承認欲求を拗らせてるだけ。自分が一番理解してる。

なのでここに吐き出した。自分でも持て余してる、どれだけ馬鹿馬鹿しいことか分かっててもどうしようもない憎悪に似た感情を、整理したかった。

整理しきれたのかも、これから飲み込めるかも自信ない。でも言葉にできて良かったと思う。

2020-05-21

漫画とかで「あれはパクリだっ!!」と叫ばれると

その反論にあるのが「あれはオマージュだよ」という発言

結局、それを「パクリ」とみなすか「オマージュ」とみるかは、その読者がその作品に対してどれほど愛情があるか?によって決まるのだということに最近気がついた。

例で言えばゴールデンカムイ引用ネタがとても多く、それに対してゴールデンカムイファンは「オマージュ最高!!」とか「このオマージュの多さこそが魅力!」とまで言ってのけるのだけど、この作品のことをあまり好まない人たちは逆に「ゴールデンカムイってパクリばっかじゃん」と言う。

まりそういうことだ。

2020-05-20

anond:20190908021514

最初は「部数=その作品への愛情」みたいな雰囲気を感じて引目を感じていた時期もあったけど、「部数を出せない分、内容に愛情を込める!」と転化した結果、部数もそこそこ出せるようになった

2020-05-18

anond:20200518205206

両親に見捨てられてた?新幹線殺傷小島容疑者自分から自立支援施設

https://www.j-cast.com/tv/2018/06/11331011.html?p=all

司会の小倉智昭「もしも環境が違ったら、順風満帆生活を送っていたのかもしれません」

為末大(元陸上ハードル選手・「Deportare Partners」代表)「小学校中学校はもう(性格が)決まった後に近いと思う。幼少期に感情が芽生えている可能性が高いですよね。秋葉原事件加藤被告の幼少期を思い出しました」

橋口いくよ(作家)「家庭での愛情が足りなくても、社会に出て、他人からもらうもの普通に生きている人もたくさんいます大事なのは他人とのつながり(を作ること)」

anond:20200518103056

そんなことはもうにゃっきい当時から公表されていたことです。ことさらにヤバ過ぎると騒ぎ立てるほどのことでもないです。しかベネッセライセンスを受けた合弁企業事業を展開している中国では2016年までらむりん(鈴鈴)が現役でした。今もらむりんの名称意匠ベネッセコーポレーションの登録商標ですし2018年公開の映画にもらむりんはカメオ出演していますベネッセコーポレーションの直営プラネタリウムベネッセスタードームでは今でもらむりんが登場する番組を上映しています物語の上ではらむりんは消えたわけではなく公式ツイッターではおじいちゃんの住むフランス引っ越したことになっています。まったくこの5年間の経過や変化、らむりんの現状について何も調べていないことが明らかですね。一切しまじろうにたいする愛情を感じられません。出直してください。

2020-05-17

警察検察裁判所 拘置所 刑務所は 犯罪組織

  平成時代京大早稲田慶応トップとする一流大や、全国のほとんどの大学は、今の時代は、入試問題子供には解けないということで

子供が使っている参考書勉強した知識でも解けるような問題を出していたし、今でも慶応英語早稲田英語ないしは、慶応世界史早稲田世界史

 一ツ橋世界史などの、あの超絶マニアック問題子供向け以外の何物でもない

   他方で、東大は昔から最悪で、どうしてもある種の子供嫌いがとれない。それでも平成時代偏差値トップということで誤魔化していたし、さすがの東大

もう今の時代大人時代じゃないということで、違法採点なんでもありで、都合のいい日本人採用していたから人気があって多くの若者殺到した

   これに対して警察検察司法などには悪意しかなく、平成時代子供から相当に恨まれ

  何の愛情もないし人気もなく誰も近寄らないか自分から捕まえに行く

    2008年9月に板橋区にある志村警察署で、26歳巡査拳銃自殺したときからなんらかの発狂が始まったのだろう

anond:20200517213720

そうか、ガンツ先生

『ロ~ボコン、れいてん~』は、

愛情の隠された減点評価だったのかぁ

あるゲーム雑誌の思い出

今年の3月定期刊行が停止になった「電撃PlayStation」というゲーム雑誌がある。

自分は、中学生から高校生の頃にこの雑誌を愛読していたのだが、忘備録的に残しておきたくなった当時の記憶を、ただここに書こうと思う。

今とは違い、プレイステーション雑誌が他にも沢山ある中でこの雑誌を購読していたのは、他誌と比べて少しオタク度が高い記事と、かなりオタク度が高い読者投稿コーナーがあったからだった。

他のゲーム雑誌が、面白いネタ投稿がメインだとすれは、この雑誌ゲームへの愛、キャラクターへの愛を語る投稿が多かった(このコーナーに寄せられるイラストクオリティは他誌と比べて高く、後にプロデビューするような人もいた)。

そして印象深かったのは、そんな読者への、編集部から愛情が感じられることだった。

それを一番強く感じたのは、「電撃PlayStation D」という体験版セーブデータ入りのCD付きの増刊号?のようなバージョン雑誌があったのだが、そのCDメニュー画面に流れるオリジナル曲歌詞だった。

「とりあえずこんなときは ゲームでもしよう

もしも涙流れても 何も言われないか

とりあえずこんなときは ゲームでもしよう

二人ではないけれど 一人でもない気がするから

「ぎりぎりシビアお話なんて したことも見たことも無いわけで

夜中にゲームに熱中な日々に リアル明日は笑いかけない かもしれないね

だけど深夜のコンビニへ 買い物に行く時の星空は どんな事にも負けないように レベルアップしろと僕に叫ぶ 」

歌唱力がある訳でもなく、音もチープだが、当時の「ゲームばっかりやってていいのかな」という中高生自分に突き刺さる歌詞だった。

毎号のCDに入っていたのだから、数十曲はあったはずだ。

オリジナルの曲と歌詞を、毎号作る。結構な手間だろう。そしてその歌詞は、毎回、読者に寄り添おうとしている。

そのことへの感動もあったが、大人が、こんなに自分たちの気持ち想像しうること、もしくは、大人自分たちと同じ感受性を持っていることへの驚きがあった。

そう感じて、どんどんこの雑誌のことが好きになり、もう売っていないバックナンバーも読みたくなった。古本屋創刊号から探して持っていない号を50冊ほど買い集め、その時点で出ていたほぼ全ての号を揃え、何度も何度も読み返した。

ずいぶん前に社会人となった今、確かに大人でもゲームをする子ども気持ち理解しうるということは分かった。そして、その気持ちに寄り添う歌を毎号毎号つくる労力が、いかに大変なものかということも分かるようになった。

ありがとう。そしてこれから応援しています電撃PlayStation

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