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はてなキーワード: 愛情とは

2017-09-21

anond:20170921102223

それを持ち出す時点で対等の立場放棄してるって言ってんの

大体自分で生んだのに捨てたりする女だってたくさんいるわけで

愛情の深さなんか人による

2017-09-20

(追記あり)浮気ごころを彼女に話す男性心理

誰かに聞いてほしいからここに書き捨てるのだが、普通かどうか判断してほしい元彼の話。

1人目は結婚を見据えて同棲していた最中、「会社の後輩の女の子と飲んでて終電なくなったけど、タクシーで帰れないかラブホに泊まる」という報告を深夜に電話でもらった。

都内からタクシーで帰れないわけなかった。

高額になってもタクシーで帰ってきてほしい、しかも何でラブホなんかに泊まるの、と嫌がったけど、泊まるところが他に空いてなかった、酔っ払ってる女の子放置するのは可哀想、ベッドも分けるから絶対に何もしない、ということを繰り返すだけだった。不安がすごかった。

翌日帰ってきて、何があったの、と聞いたけど、何もなかったよ、何で信じてくれないの、と話を打ち切られた。その時は、彼を信用していない自分が悪いのかな、元々我が身を呈して人助けするところがあるし彼を信じよう、と話を大事にしなかった。

結局その彼は、出会い系アプリ使用していたりクライアント女性浮気していたりしたことが分かったので、別れた。

2人目は、付き合ってもいない時から夕方に急に電話してきて、家に行っていい?もう最寄り駅に居るけど、と押し切ってくる人だった。僕は今日絶対SEXしないよ、心から愛してるから、と言って、その約束が守られたことはない人だった。

ある日また急に電話が来て、会って一通り終わった後に、「あ~良かった。今日○○ちゃんに会えなかったら風俗に行こうかと思ったよ」と言って、ネットで調べたページとかも見せてきた。

その時は(ん?)と思ったけど、「でも今日会えたか幸せだよ」という言葉で、そうか、結局行ってないんだしな、と流した。

その他、毎朝抜いてから会社に行っている、○○ちゃんと出会ってから昂ぶりが止まらない、と話してきて、当時は私もそういう愛情表現なのかと勘違いしていた。

結局その彼は、実はバツイチ子持ちだったことが判明し、「子供は好きだけど君のほうを愛しているって言ったらおかしいかな」とか言い始めたので、別れた。(そもそも彼とは付き合っていたかも怪しいな)

友達からは、男を見る目がなさすぎると心配されている。

だが今でも思う。許容できなかったのかな、と。

周りが結婚して夫婦になっていく中で、夫婦生活我慢連続だという。

ある女性は言う。些細なことでダメージ受けてたら夫婦生活は続かないよ、と。

女遊びが激しい男性結婚した知り合いの女性は、旦那浮気してるだろうなと思いつつも結婚を決意し、生活を続けている。浮気されること以上に楽しい日々を与えてくれるからそれでいい、と言っていた。

そうだ、私も楽しいことが多かった。他の人には感じない胸の高まり、一緒に居るだけで楽しい時間、ささいなことでも共有して楽しめること。

どんな人を旦那に迎えても、山あり谷あり、つらいことが多いなら、どうして楽しい日々を過ごせる人を手放してしまったのだろう。何で決意できなかったんだろう。

きっとそういうことを彼女に言わない、彼女不安がらせない男性は世の中に居るはず、と思ってはいるけど、ちゃんと好きになれる人とはまだ出会えていない。

その中でも何となく付き合っている人が今は居る。子供が欲しいとは思ってはいから、そろそろこの先について考える必要があるだろう。

そういう時、楽しい日々を過ごした昔の元彼を思い出し、何故許容できなかったのだろう、できている他の人も居るのに、と考えている。

結婚後、またああいう「今から浮気するよ」という報告をされたら、私は許容できるのだろうか。

元彼2人とも遊び人タイプじゃないのに、一途さをアピールしているのに、何でそういうことを言うのか。

というか、そもそも彼女に報告しないでほしい。

男性増田諸君に伺いたいのだが、彼女浮気話や風俗話を報告する心理は何なのだろうか。

受け入れてほしかったのかな。

何が正解だったんだろう。

9/21追記:

さらーっと流れるかと思いましたが、言及したりコメントしてくれたりする人が居て嬉しいです。有難うございます

はてな匿名ダイアリー最近見始めたので、あまり文化に慣れてなくてすみませんトラックバックに返信する時、全部に「元増田です。」とつけた後見返したら異様だったので、編集で消しました。(恥ずかしいので自分から言いました)

その男変だよ」という声があって救われました。私も変だろうなと思っていますが、「いやいや、完璧な人なんか居ないんだから、多少のことは目を瞑らないと」という声の、「多少」に含まれレベルかも知れないとも思っていました。どこから一般的に見て耐えるレベルで、怒っていいレベルなのか自分の中でちゃんと分かっていなかったんだと思います。こういう経験を通して自分許容範囲を分かっていくんですね。改めて自覚しました。

migurin様、その3つとも嫌でした。私は彼の子供の存在を許容できる自信がありませんでした。子持ちといっても養育は元妻がしているようでしたが。今思えばですが、彼はとにかく「(子供ではなく)自分を認めて!」という想いが強かった気がしていて、バツイチ発覚後は育児ノイローゼに陥っていた(ように聞こえる)元妻への不満を口にすることで、私の愛情をはかっている気がしました。最終的には、最初関係を持った時にはまだ離婚していなかったことが判明して、もう彼を信用しきれずに別れました。

そうでした。1人目のときもですが、不安で脳がガタガタ揺れたり、たまった怒りが爆発したり、そういうのを制御しきれない自分にどんどん自信がなくなって、丸ごとひっくるめて愛してくれる人に縋っていた自分だった気がします。

タイトルにある「心理」としては、浮気ごころというより、ためし行動の一つだったのかな、と、ここでやり取りしながら思いました。でも付き合ってるのに、「浮気するよ」って脅し?に使うのって、だめですよね?受け入れられなくて当たり前ですよね?

と言いつつも、まだ頭のどこかで、「自分許容範囲が狭いんじゃないか」と囁かれている気がします。何なんでしょうね、これ。

トラックバックにもあった「まともなカードを引く方法(見極める方法)」や、「こういう条件だったらまともだと思う」といった条件リスト、もし何かあればご教示いただけると幸いです。

2017-09-19

1984年のxevra

「二重思考二分間憎悪をしない者の末路は常に悲惨だ。今すぐビッグブラザーを讃えよう」

勝利ジンを試してみてはどうか。お大事に」

ゴールドスタイン大脳が壊れて人間になり損ねた人民の敵。恐ろしい恐ろしい

「心温まるエントリイースタシアはホント民度低くてどうしようもない。自分の頭と足で党に従っていない者にイングソックは理解できない」

芸能革命から穢れ。みずから党の思想を受け入れるように導かねばならない。自由は屈従である!」

「今すぐプリントアウトして愛情省に持って行こう。心から党を愛するようになれるよ」

anond:20170919150122

なぜ東京に住んでると思ったのか

いや、資格とかでなく、知識愛情戦略含めて、アニメに出てくるキャラ並みのトレーナーにならないかなと

将来、娘とポケモン交換、ポケモン対戦したいわ

2017-09-18

飼い主の声を〇年ぶりに聞いた猫の動画

数日前話題になっていた動画を見て、実家で飼っていた猫を思い出した。

私は母親と折り合いが悪く、高校を出てすぐ実家を離れ、ほとんど実家に帰らなかった。

それでも中学生の時に母親が買ってきた飼い猫たちのことは気になっていた。


ある日ふと思い立ち、母親がいないであろう時間帯を狙って、実家に寄ってみた。

最後に猫の顔を見てから、5年以上の月日が流れていた。



うちの猫家族足音判別できるらしく、どんだけ寝ていても、マンション廊下家族足音がすると

飛び起きて玄関まで迎えに行く。

他の住人や宅配便おっちゃんなど、家族以外の足音には反応しない。

私が実家に居た頃も、帰宅すると猫は決まって玄関マットの上で腹を見せてごろんごろんと転がっていた。



流石に5年以上経っているしなぁ、迎えには来ないかなぁ。

知らない人が来ると椅子の下に隠れて出てこないから、もしかしたらちゃんと顔も見れないかもなぁ。

そんな風に思いながら玄関扉を開けた。



猫はちゃんと玄関に居た。ただ、ちょっとびっくりしたような顔をしていた。

私がただいま、と声をかけると、猫はマットの上に横になって、腹を見せてごろんごろんと転がりはじめた。

お腹を撫でて家に入ると、足元に体をすりよせながらついてきて、ゴロゴログルグル言いながら抱っこをせがんだ。

私の服はあっという間に毛だらけになった。

久々に撫でる猫は少し痩せていて、毛並みも少し貧相になったようだった。もう15歳ぐらいになっていたから、無理もなかった。

抱っこして、額をめいっぱい撫でて、缶詰をあげて、家を出た。猫は私が玄関を出るまでずっと側を離れなかった。

私が猫に会ったのはそれが最後だ。

今はもう会うことができないところにいってしまった。



というわけで、猫にもよると思うけど、猫は薄情でも愛情がない訳でもないよ。

ずっと覚えてくれている猫はいるよ。

本当はそんなこと気にする暇もないくらい猫とずっと一緒にいられれば一番だけどね。

https://anond.hatelabo.jp/20170918020546

なんか長文になったけど、

そもそも自身が僕に対しても説明できないことは、他人にも説明できないから書いていないだけで、嘘をついて誰かを騙そうなんて気は全くないですよ」

という話です。

まず、ブコメからの繰り返しになるけど、

自分でも自分が男を好きになるのか、女性を好きになるのか、いまいちわかっていません。

その瞬間、その瞬間において、彼ら彼女らに対して好きだなあ、という気持ちがあったことは否定しませんが、

自身ゲイなのか、バイなのか、ヘテロなのかについては、自分でもよくわかっておらず、

なんならここ最近はどう相手性別が変わろうとも、自分男性であることは変えられないことへの、不快感みたいなものも現れてきていて、

正直、自分でもさっぱりどうしたいのか、なにがしたいのか、今後どうなっていこうとしているのか、わかりません。

なので、今は自分にとって不快ではない、そのときそのとき選択をしているだけで、

「僕はこうこうこういう人間で、こうこうこういうことを今までしていきたし、今後もこうします!」と力強く宣言できる状況にはありません。

そのため、過去の内容と相反する文章もあるかもしれませんが、その文章を書いた瞬間においては、それがその気持ちだったのだと思います

ただ、二月辺りに女性カラオケに行った時も、

先々週の金曜日(なんか説明責任を急に追求されたやつね)の女性と飲み歩いた時も、

からも、女性からも、特に好きとか嫌いの話題は出ていないし、そもとして肉体関係を結んだわけでもありません。

先々週の金曜の件に関しては、肉体関係を結びそうになったのであれば、それは好きなのでは? と言われると、あまり返す言葉がないのですが、

性欲と愛情は別のものであり、そこにあまり因果関係はないという意見を持っています

(この点については、ここ最近プレイしているゲーム担当しているアイドル発言が少なからず影響している気がしなくもないですが、責任転嫁にもほどがあるので、冗談です。

唐突ダイマでも挟もうかとも思いましたが、冗談が過ぎるのでやめておきます。)

正直なところ、書きたい話は書く、書きたくない話は書かない、というスタンスなので、

例えば2015年8月2016年4月までの間、特定男性と週に一度の頻度にあって色々したりしていたのですが、その全てを事細かに書いてはいません。

また、2016年4月にその関係が終わった時も、あのカテゴリでは終わった話を書いていません。

(単発の増田では書いたのですが、そこには経緯の説明はあまりなく、感情吐露ほとんどだったとと思います

恋愛話でない件でいうと、親ともめている話もその事実を書いているだけで、経緯については書いていませんし、

金曜日母親と会って約束お金を返した件なども、増田では書いていません。

これについては、なぜ何を問われても困ります

僕の身に起きたこと全てを書き記すのは不可能です、極端な話、呼吸した回数も書いていなければ、摂取塩分量も書いていないし、血圧も書いてないし、体温も書いていません。

僕が未来の僕に残しておきたいと思ったことを書いているだけなので、

さて、改めて元増田意見について考えたいのですが、

触れないで、とは言ってるけどこっちとしては説明を求めたいよ。

お前の言ってること、どこまで信用して言い訳

説明責任を追求されたときは一切ふれなかったわりに、

こっちにはちゃんと説明するのかよ、と別の増田の人に怒られそうですが、頑張って気持ち吐露したいと思います

あの当時においては男性が好きでした。

今はその欲求はあまりありません。

それは、その当時付き合っていた男性

特定パートナーがいるにもかかわらず、不特定多数の男とセーフではないセックスを楽しむ」

「僕にもそれを強要する」などの態度が、気に食わずかつ、連れていかれたゲイバーで、特にその態度が異常扱いされず、正常のように扱われていたこと。

そんなことがあったため、男性同性愛全般への漠然とした不快感があり、

『今は』距離を置いているからです。

これは、自分の中でそうである人もいれば、そうでない人もいる、ということが飲み込めていないため、距離を置いているだけで、

今後未来永劫、男性恋愛をしないことを誓うものではありません。


次に、女性への気持ちについてですが、これはもう繰り返しになりますが、

自分でもよくわかっていません。

漠然と感じているのは、ただただ複雑なモヤモヤした、まだ生物が陸に上がるまえの混沌とした海のような、理路整然としていない気持ちです。

これの何が複雑かって、その瞬間瞬間において、言葉が詰まるわけじゃないんですよ。

変な話「きっとこうすれば、この人ともっと仲良くなれるだろうなあ」とか「これ言うと嫌われそう」という二つの選択肢が思いついたときには、

自然と仲良くなる方を選んでいます

いやまあ、それが常に成功するわけではなくて、先々週の金曜日はもめたわけですが。

要するに

自分から仲良くなる選択肢を選んでいるくせに、自分が本当に仲良くなりたいか否かははっきり言えない」みたいな?

あーもう、こうやって文章化しても、やっぱよくわかんないっすわ。

増田がどこまでの説明を求めているのかわからないけど、

ほんともう、嘘をついてやろうとか、そういう気持ちはなくて、

ただただ、自分でもよくわかってないんですよ。

べたなことを言ってしまえば

誰かと触れ合えれば誰でもいいのかもしれないですね。

ただ、もう、これだけは言いたいんですが、

僕が書く増田しろブコメしろ

ある程度の誇張や、

全ての情報を書かないことで読み手の誤解を誘ったりとか、

そういう小手先テクニックを使ったことが一度もないか? と聞かれたら、そりゃあるかもですけど、

基本的には素のままのそのとき、そのとき気持ちを素直に書いているつもりです。

何か疑問に思って聞いてもらえたら、

こうやって問われれば答えられる内容であれば答えるし、

答えたくない内容であれば答えないです。

答えがまだ自分でもわからない内容であっても、こうして言葉を尽くそうと努力しています

それだけじゃダメですかね?

2017-09-17

未来の息子に対して愛情を持って接する少女

ああ、尊い。素晴らしい。

2017-09-16

父を愛することが出来ない

 父は貧しい個人商店長男で、奨学金を貰いながら大学に通った。やがてお見合い結婚をし、母との間に私と妹が生まれた。妹が生まれる直前に、土地付きの家を買った。家族旅行にもよく連れて行ってくれた。私も妹も、名の通った私立大学を出ている。

 専業主婦の母と娘二人を養ってくれた、世間的には平凡だが立派な父。

 理屈ではそんな風に考えられるのに、私は父を愛することが出来ない。30歳になった今でもだ。


 子供の頃、我が家には大きなピアノがあった。私がピアノ教室に通い始めてすぐ、音楽の心得のある父が付きっきりで練習を見てくれたことがある。幼稚園児だった私にとっては、トラウマと言ってもいいような記憶である

 私がうまく弾けないでいると、父は厳しく叱り付けた。正しい運指を見せて、この通りにやれ、と言う。殴られたわけではないが、涙が出る程度には恐ろしい口調だった。両手が塞がっているので、涙も鼻水も垂れるがまま、いつ間違ってしまうかと怯えながらピアノを弾いた。見せてもらったばかりのお手本の真似も出来ない自分は、きっと出来の悪い子供なのだと思った。

 その後も父にはしばしば、「同じところで何度も間違うな」と注意されたことを覚えている。間違えると叱られる。私にとってのピアノとはそういうもので、演奏を楽しんだり、褒められた記憶はない。今でも鍵盤を前にすると、誰かに監視されているような気がする。弾くことは、もう一生ないと思う。

 子供にも音楽やらせたい、最初に正しい型を叩き込むのが肝心。それは父なりの愛情表現だったのだろう。ピアノは高価な買い物だったはずだし、月々の月謝も安くはなかったはずだ。何より、わざわざ時間を割いてくれた。練習の様子も気に掛けてくれてはいた。

 そう、理解はしている。理解はしているのだが。


 家族食卓を囲んでいても、父は原則として、人の話を聞いていない。「お父さんはどう思う?」と水を向けても、大抵は無反応である

 テレビを見ながらの大人同士の雑談なら、それでもいいかと思えるが、毎日出来事を話したい盛りの子供には辛いものがあった。進路や学費といった相談事まで無視されるのには辟易した。仕方なく何度も話し掛けたり、大きめの声で注意を惹くと、ものすごく不機嫌になる。金は出してやるから好きにしろ、とだけ言って背を向けてしまうので、どのみち会話は成立しない。

 そのくせ父の方は突然ウンチクを語り出したり、つまらオヤジギャグ飛ばし、望んだような反応が得られないと機嫌を損ねるのだ。

 そんな壊滅的な父の対話能力は、酒が入ると完全に消滅する。自分語りやお説教を垂れ流すのはともかく、好意的な反応を返さないと拗ねたり怒鳴ったりするのが厄介である

 体のためにも酒量は控えて欲しいと、家族がどれだけ注意したところで、ネットショッピング無尽蔵に取り寄せられてしまう。それでも家計に響かない程度に稼いでいるのは父自身なので、経済的な切り口から禁酒を勧めることも難しい。健康診断は既に要注意項目が複数あるのだが、どれも「危険」の一歩手前であるため、「これくらいは大丈夫ってことだろ」と言い張って毎日のように飲む。

 酔った時の父について、私は子供の頃、まるで人語の通じない別の生き物みたいだと思っていた。大人になり自分自身が酒を嗜むようになった今でも、その印象は変わらない。お酒楽しい時間を過ごすためのもので、酔って記憶も正体もなくすのでは本末転倒だと思う。

 私は思春期を迎えると共に、夕食を食べ終えた後は子供部屋に引きこもるようになった。妹は部活動アルバイトで、なかなか帰って来なくなった。

 父の帰りが遅かったある日、嫌味を言われたことがある。

「俺の金で生活出来てるくせに、女同士でだけ楽しそうにしやがって」

 何も言えなかった。父がいない日は妹も早く帰ってくるし、私だって居間宿題をやった。


 父はたぶん、精神的には幼児のまま、体と職能けが立派になってしまった人だ。父方の親戚や祖父母の家を見れば、経済的にも精神的にも恵まれない育ちだろうと想像はつく。発達障害の特徴もある。それでも一家大黒柱として、アルコール依存症気味になりながらも私たちを育ててくれた。

 立派だね、頑張ったんだね、育ててくれてありがとう

 きっと、そう言えるのがいい娘であり、いい大人だ。

 分かっていても、気持ちが追い付かない。虐待を受けたわけでもないのに、愛情を注がれてきたはずなのに、肉親を愛せない自分失望する。


 食卓に出された料理を、自分が欲しい分だけ取ってしまう父。一人二つずつだからね、と食べ始める時に母が釘を刺したにもかかわらず、無視して三つも四つも食べる。それが久しぶりに帰省して来た娘の好物であってもお構いなしだ。酒が入ると、もう手が付けられない。

 だから小皿に分けてって、いつも言ってるのに。ごめん、大丈夫だと思ったんだけど。母とは目と目でそんな会話をして、肩をすくめた。

 父は視野の狭い、ただの子供だ。悪気はないんだ。ならば歩み寄れる、愛せるようになるはずだ。

 そう自分に言い聞かせようにも、欲のままに飲み食いする還暦過ぎの酔っ払い視覚インパクトがあり過ぎる。卑しい、醜悪だ、という感情を打ち消すことが出来ない。自分の血肉の半分がこの男から受け継いだものだと思うと、身の毛がよだつ。どうして母は、こんな男と一緒に暮らし正気を保っていられるのだろう。

 こんなことは誰にも言えないから、ここに書く。

 私には、父を愛することが出来ない。

2017-09-15

映画ワンダーウーマンを見た

ワンダーウーマン」を見たので感想。と言うか考えたこととかのメモネタバレ気にしてないのでそういうの嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので、見た人向けだと思いますフェミの話とかも出てくるんでそういうの苦手な人も回避でよろしくっす。

総評

まず最初に、「ワンダーウーマン」、個人的にはそんなに評価高くない。少なくとも世間で(特に欧米で)いうほど大絶賛、大感動をすることはできなかった。これは映画を見終わったあとのファーストインプレッション

しかしじゃあ評価低いのかというとそんなこともない。

「1800円という価格&2時間という投資に見合った体験できるのか?」という視点で自問したところ、その答えは「100点」なのだ。十分高評価だろう。いい加減な脳みそだなあ、オレ。とも思った。

なんでこんな評価のすれ違いが発生してしまったかというと、今年見たアメコミ映画の先行2本、すなわち「レゴバットマン ザ・ムービー」と「スパイダーマン:ホームカミング」の評価が高すぎた、というのが原因であるらしい。前出の基準で言うと、「レゴバットマン」も「スパイダーマン ホームカミング」も200点くらいの評価なので、「ワンダーウーマン」はタイミング的に損をしてしまったのかもしれない。これが「ドクター・ストレンジ」のあとだったら感激できてたのに。

「100点である理由」としては大きく2つ。

まず「予告編で期待される要素が全て入っている」。無垢主人公ダイアナの島での生活スティーブとの出会い、「外の世界」への出発、人間社会との交流、第一次世界大戦の泥臭い戦争描写、圧倒的な戦闘シーン、ど派手なCGバトル。主人公ダイアナの衣装替えもアマゾン戦闘服マント姿→1910年代のヴィクトリアンはいったロンドンファッション→鮮やかな青のナイトドレス神の子戦闘服と飽きさせない。

そして「アメコミ映画ありがちなダメダメ要素を極力入れないようにしてある」。とくに3点「主人公の不幸描写に力点をおいたヒーロー誕生秘話」「クリフハンガーの繰り返しによるピンチ感の陳腐化」「取ってつけたような絶対悪敵役」の排除には成功している。そういう意味では、既存作品の悪いところがよく研究されているのだ。これは簡単なことじゃない(アメコミ映画はこの3つの罠によくハマるのだ)。

要約すると、よくできている。期待通りの作品だ。

一方で「100点でしかない理由」としては「取ってつけたような批判回避策」、「人物描写の底の浅さ」だろうか。

主人公ダイアナスティーブ自分たちの定めた使命を果たすためにチームを結成して第一次対戦の最前線に向かうのだが、そのチームは「絶海の孤島で育った主人公の女戦士ダイアナ」「イギリス軍諜報部に協力中のアメリカ外征軍大尉スティーブ」の2名を中心としているのだが、それ以外の参加者が3名いる。

フランス領モロッコ諜報員サミーア(おそらくイスラム系)」「ネイティブ・アメリカン密輸業者で通称酋長」「スコットランド人の酔いどれ狙撃チャーリー」この三人なかなか個性豊かで好感がもてるにはもてるのだが、「イギリスvsドイツ塹壕戦」にたいしてイギリス陣営でこれを主人公チームにするのは、いかにもPC的な取ってつけた感があった。

それを言うと映画冒頭のアマゾン族が暮らす絶海の孤島にも、白人だけじゃなく黒人アマゾンが配置されてたりして「こんな風に色のバランス取っとけばいいよね」的なそれを感じる。

この種の気遣いがあるのはもちろん良いことなのだが、それが気遣いの要素を超えていない、多様性テーマに対して踏み込んでないという部分があったせいで、浮いて見えてしまっている。またそれに対応するドイツ軍が通り一辺倒な描写で(つまりは白人集団なので)片手落ちに見えてしまう(ドイツ下げをしたかったわけじゃないだろうに)のも気にかかる点だった。

総じてエンタメ作品として秀作ではあるけれど、秀作止まりというのが個人的評価である

無垢子供ダイアナ

たぶんこのPC的なディレクション――批判に対して自覚的で先手を打って内容を適正に作っていこう――は最近ハリウッド映画では多かれ少なかれあるのだと思う。ただ、そういう制約(どういってもある種の制約ではあるだろう)を逆手に取って笑いやネタにしたり(デッドプールにおける「女性も男同様にブン殴ったほうが公平じゃない?」)、むしろそこに正面から踏み込んでえぐり出す(スパーダーマン:ホームカミングの敵役ヴァルチャーはいま注目されている「見捨てられた白人労働者」)のにくらべ、ワンダーウーマンのそれは踏み込みが浅くどうしても「そういうルールなので設置しました」感が出てしまっている。

重ねていうけれど、これは減点部分だという話ではなく、加点はなかったという話だ。

おそらく「ワンダーウーマン」という作品――つまり女性戦場に出て戦うという作品を作るにあたって、制作側は、(フェミニズムを中心に)炎上の可能性を覚悟して作ったのだと思う。だから、予め潰せる問題点は潰しておいた。

それは主人公ダイアナの人物設定にも反映されていて、彼女美女で、アマゾン族の王女で、めっちゃ強い。すごい跳躍力や筋力を持ってるし、噛み殺しの特殊能力を持つスーパーゴリラだ。だが多分そのままだと脳筋批判も巻き起こすだろうから、島で英才教育を受けてた設定になっている。作中でも数百の言語を操り、古典に詳しく、第一次世界大戦当時の最先端化学式を読み取るなど知能面でも卓越している。(第一次世界大戦当時の)女性だからといって馬鹿ではないのだ!

しかし、だからこそというか、逆説的にというか、なんだかすごく残念な人物描写になってしまっている。

彼女世間から隔絶された島で育ったので無垢だ……という設定なので、物語終盤になるまで「人間は悪神アレス洗脳されているせいで地獄のような戦争をしているのだ。悪神アレスさえ倒せば人間は正義と慈悲に立ち返り戦争は即座に終わる」と信じ込んでいる。ここは物語のテーマなので、外せない重要な要素だ。

それはそうで、重要に間違いはないのだが、それってどうなのだろう。

言語というのは必ずその文化を含んでいる。外語を学んだことがある人ならわかると思うけれど、外語を学ぶというのはその言語を操る民族や地域文化を学ぶということをニアリーイコールだ。文化も歴史も言語には含まれているからで、そこに理解無くしては言語の意味を理解するなんてできない。ましてや古典まで学んだダイアナが、人間の持つ二面性や、善悪といった内面を「全く理解してない」なんてのはありうるんだろうか? いやまあそこが物語のキーなわけだから、理解していないということにしないといけないのはわかるのだが、そういう描写にしてしまったせいで作品は別のメッセージを持ってしまった。

すなわち「知識も教育も倫理や人間について理解の助けには全くならない。世界を良くするという意味では、教育は全く無意味である」というメッセージだ。多分これは随分うがった見方だろうし、制作側はそんなメッセージを発信するつもりはないだろう。けれど、物語上ここでねじれが生じているために、そう取られかねない「隙き」が生じてしまっている。批判される要素をなくそうと頑張っていた制作陣が、塞げなかった穴に見えてしまうのだ。こういうねじれが、どうも彼女をそこの浅い子供に見せてしまっている。

ワンダーウーマン」は「(邦画では珍しくもないが)戦う女性主人公」「女性が監督した初めての大手スタジオによるスーパーヒーロー映画」という点で、フェミニズム界隈から賞賛を受けた。

けれど、個人的にはダイアナ女性ではないのだと思う。すくなくとも、フェミニズムが想定するような「解放されるべき女性」ではまだなくて、子供なのだ。まだ思春期すら迎えていないような子供で、世界に対して良く言えば無垢だし、シニカルに言えば無知無責任だ。

ダイアナに強い好感を覚えられなかったのがこの映画評価に加点が少ない理由だと、整理した今なら自覚できる。

善き大人スティーブ

多分、自分にとって不幸だったのはこの部分で、それは「ワンダーウーマン」を観るまえに「ウーマンリブ的な文脈でフェミニスト絶賛」みたいな評価を知ってしまった点だ。「そういうつもり」で見てしまったせいで捻じれが目についてしまった。

しかし、見終わったあとに思い返してみると、魅力的な部分がいくつもある映画だ。その最大のものアメリカ外征軍大尉のスティーブトレバである

彼はドイツ軍スパイした結果恐るべき毒ガス計画を知り、逃亡の最中に絶海の孤島アマゾン島に漂着し、主人公ダイアナを「外の世界」に連れ出す役目をする。無垢美女ダイアナエスコート役であり物語最終局面まで彼女を支えて導き続ける。

ぶっちゃけ、序盤はただのイケメン俳優だと思っていた。

いやイケメンなのは最終盤まで変わらないけど。

ヌードシーンがあったりもするので、女性向けの眼福要素も担当させられたイケメン俳優だと思っていたのだ。二回もイケメンって言ってしまったよ。

彼は優秀な軍人でありパイロットなのだが当然人間なので、スーパーヒーロー神の子であるダイアナに比べたら喧嘩においてはまったく弱い(軍人として適正に強くはあると思う)。おまけに非文明圏であるアマゾン島では虜囚に近い扱いも受けていたし、さらにいえば彼はアメリカ軍大尉であり、物語中盤の舞台イギリス(&イギリス議会イギリス軍)では大きな権力を持っているわけでもない。上司に対しては愛想笑いを浮かべたり、自分意見をひっこめたりもする。

物語中盤、未知の世界である外界に出たダイアナは完全にお上りさん状態であり、大都会ロンドンにおいて常識を知らないことから、スティーヴに迷惑をかける。それにたいしてスティーブはなだめたり、すかしたりしてダイアナに行動を抑制しようとする(そして失敗する)。スティーブダイアナに「外の世界常識や考え」を事細かに説明して理解を得ようとはせず、断念する。命の恩人ではあるし天下無双の戦闘能力を持ってはいるけれど、「面倒くさい子供」でしかないダイアナに呆れているように見えることもある。

こうやって説明すると際立つけれど、スティーブイケメンが売りなだけのダイアナの介添に見えていた。

しかし、上映後に振り返ってみるとこの映画の中心はスティーブだと思う。

ド派手なCGバトルアクションとか、世間フェミ的な評価を全部取っ払って、個人的に「ワンダーウーマン」の感想を述べるならば、「ワンダーウーマンスティーブ映画なのだ

全般的に人物の内面描写が浅いきらいのあるこの映画だが、スティーブに関しては脚本も俳優も素晴らしい仕事をしている。

彼は心の中にロールを持っている男だ。それは「善き男」であり「善き大人」であり、おそらくだけど「善きアメリカ人」であり「善き隣人」だ。彼はそういうふうに生きたいのだ。正しさや信念というよりも、自分の中に理想像ロールモデルがあると表現したほうがしっくりくるのがスティーブである

彼が軍に身を投じたのは、混迷続く世界情勢の中で、善きアメリカ人として社会に奉仕しようとした時、そのモデルが軍人だったかである。今の価値観で言えばもちろん異論はたくさんあるだろうけれど、その当時の常識で言えばそれは愛国心であったし、善き市民の善き行動だった。

ドイツ軍に密偵した結果、彼は恐るべきマスタードガスの開発と、それが講和間近のイギリス軍へ向けられていることを知ってしまう。彼はこの情報を持ち帰るために命を捨てるような危険を犯す。それもまた、彼の中にある「それが善き男の行動」だからだ。

その過程ダイアナに命を救われ、彼女の「外の世界戦争を止めたい」という希望を叶えるためにも、一緒にイギリスまで情報を持ち帰ることにする。

しかし、イギリスにそれを報告したが、結果ははかばかしくない。講和が間近に迫ったイギリス軍は、ドイツ軍(の一部)に災厄的な行動があったとしても全面攻勢には移りたくない。スティーブ情報事実上握りつぶされる。

彼はここで彼自身の行動規範である「善き人」を曲げられる。軍の階級差という世俗の権力構造のせいで、彼がすべきだと信じる行為を行うことができない。

講和のためとは言え、前線舞台をマスタードガスの脅威の前に放り出してよいのか? 良いはずはないが、議会や政府の決定に従うのも「善き国民」の義務ではあるのだ。

でも隣には精神的に子供ダイアナがいて「ねえなんでなんで? なんで正義しないの? まさかここでやめるわけ? 処す? 処そうか?」という視線で見てくる。彼は、その結果、軍の命令を無視して、私費で(というかボランティアのつもりだった?)傭兵を雇い前線に向かう決意をする。彼は心の中にある「善き人」の指し示すところに従ったのだ。ダイアナがあんまりにも無垢なので引っ込みがつかなくなったという側面があったにせよ。

前線に向かい、血みどろの後背地を抜けて塹壕にたどり着き、取り残された村をダイアナ神話的な能力にも助けられて開放して、ダイアナスティーブの関係は接近する。男女間の性愛的な意味での愛情もあったような描写だったけれど、個人的にはスティーブ父性も強く感じた。その父性というのは、子供しかないダイアナに「善き大人」を見せるというものだ。戦争なんて醜悪なものなのだけれど、それだけではないということ、世界には「善き隣人」の「善き努力」もあるということを示したかったように見えた。孤島から世界に連れ出した人間として、世界に失望してほしくなかったのかもしれない。

終盤。マスタードガスの大量生産はすでに完了しており、その暴挙を止めるために一行は秘密基地に忍び込む。ダイアナはその中で、アレス化身だと思われるドイツ軍ルーデンドルフ総監を倒すことに成功する。ダイアナは「これで悪神アレス洗脳は溶けて戦争は終了する!」と歓喜するが、兵士たちは戦闘をやめない。殺戮の準備を辞めない兵士ダイアナパニック状態になる。ダイアナにとっては今まで信じてきた世界観が崩れ去った瞬間なのだ

そのダイアナに向かって、スティーブは今まで何度も説明しようとしてしきれなかったことを告げることになる。

それは「この戦争は人間が開始して人間が拡大させたものなんだ。神はいない。僕たちの責任だ」ということだ。その告白はとても辛い。「善き男」として生きたかったスティーブは、まったく「善き男」ではなかった。戦争をしちゃってるのだから極悪人なのだしかし、スティーブは「この戦争は僕達の罪なのだ」ということを認める。なぜなら、戦争の責任を誰かに転嫁するのは、戦争を始めるよりも更に恥ずべきことだからだ。「善き男」として彼は、世界の醜さの責任を取らなければいけないと決意する。

スティーブダイアナの間にあったものは多分とても複雑で、男女でもあったし、父と娘でもあったと思う。でもその一部には神と人間というものもあった。

彼女の戦闘能力があまりにも隔絶してたかスティーブもその視点を持たざるを得なかったのだろう。

ダイアナの考えは「神が神の邪悪を振りまいたせいで人間が迷惑をしている」から「神の使命を持つ私が人間を救う」というものなわけだけれど、スティーブはこれに「善き人間」としてノーを叩きつける。ダイアナの考えはある種のパターナリズムだが、スティーブの答えはそこからの脱却だった。

神々の戦いは神々であるアレスゼウスの娘ダイアナが決着をつけるだろうし、人間であるスティーブは戦闘能力の関係上そこには関与することができない。しかし人間の始めた戦争であり、人間の悪意であるマスタードガスは人間であるスティーブが止めなければならない。筋としてそれが正しい。

ダイアナの戦闘能力やスティーブたちの状況を考え合わせると、彼らはここで戦闘を放棄すれば逃げて安全に暮らすことは十分に可能だったように見える。その場合はもちろんマスタードガスで前線の部隊は凄惨なことになるのだけれど、倫理的に考えてスティーブが彼らを救う(その結果命を落とす)絶対的な義務があったわけではない。戦争の悲惨すべてを、個人であるスティーブが背負う必要はないからだ。

スティーブが命をかけた動機として、父(先行者)として娘(後続)に「この醜悪な外の世界にも善はあるのだ」という事を示したかったのか、人間として神に「あなただけにすべてを背負わせない。人間は弱いけれどそれでも自分たちのしでかした行為の責任は取る」ということを示したかったのか、それとも男として女に「俺も戦う」といいたかったのか、それはわからない(そこが返ってスティーブという男のテーマとしてよかったと思う。彼の愛情には名前がつけられない)。

けれど、スティーブは「自分の戦い」として今まさに離陸していこうとする毒ガス満載の爆撃機を止めるために飛び出す。そして乗り込み、爆弾を抱えて、前線を救って、結果としてダイアナを残して死ぬ。

こうやって思い直してみると、中盤、ロンドンの街で常識知らずにうろつくダイアナに手を焼いていたのも、「善き大人」として子育てに苦労してたんだなあ、と思える。

スティーブは大尉だからおそらくエリートなんだろうけれど、まだ若いし、それ以前にすべての人間がそうであるように、不完全で未熟だ。しかしそうであるからこそ、彼には「こんな存在でありたい」という理想像があった。そして常にそうであろうと、努力していた。都会ではトラブルメーカーダイアナを「善き保護者」として(オロオロしつつも新米父親のように)導こうと思ってたし、最前線では「善き戦友」として肩を並べて戦った。戦火から救い出した村でチャーリーが歌ったときは「善き男」としてダイアナを熱っぽく見つめた。彼は最終的に、「惚れた美人との安全な生活」よりも自らの役割を優先した。自分自身の信じる正しさに殉じた。それは「善き人間」として神の前に立った時、他の誰でもなく自分が、人間すべての代表として神に「人間の誠実」を見せるべきだと思ったからだ。

それは上野千鶴子あたりの言葉を借りると「男性の安っぽいヒロイズム」であり「戦争に興ずる幼児性」なのかもしれないけれど、物語としてみるとスティーブの人物描写はこの映画の中で一番複雑で深みがあった。魅力的だった。

そんなことを考えると、「ワンダーウーマン」はウーマンリブ的な価値観映画というよりも、男性的な価値観の、そして「神(あるいは超越的な力を持つスーパーヒーロー)の前に立った『善き人間』の覚悟と誠意」の映画だと思う。そして、そこがこの映画の美点だと思える。

たくさんの親切や愛情を返せなかったこと

なんであの時、もっと君に優しくできなかったんだろう。

なんで君は、僕にそんなに優しくしてくれたんだろう。

最低な僕に、「好きだよ、好きだよ」と、何度も言ってくれた。

自分は、そんなことを言ってもらえるような人間じゃないのに。

お互い、もう大人になって、見た目も変わって、今、どこで何してるかわからない。

きっと君は、もしかしたらお母さんになって、日々の生活を忙しく楽しく過ごしてるんだろう。

一人で昔を振り返って、君との楽しかった思い出に浸っている自分が辛い。

2017-09-14

anond:20170914144644

熱帯魚を飼ってる家で育ったので、なんとなくわかります

愛情の深さはコミュニケーションの親密さに比例して増すものかもしれませんね。

ただ、肌が傷ついたり転覆病にかかってしまったりした金魚を見てて心が痛むあたり、そこはやっぱり生き物なのでしょう。

あと振り返ってみると、子供の頃って生命の重みに鈍感なところがあったような気がします。

同じ生き物でも、きっと大人になってから飼うと大切にできるんじゃないかな。

男にとっての射精と女にとっての愚痴吐きは同じものだと認識しておけ。

これを理解していないヤツが多いから言っておくけどな

どちらも

脳と身体構造性差があるのは致し方ないものだ。

愛情だのなんだの言う前にパートナーのこれを排出させておけ。

これをお互いだけで上手く受け止められる男女が長続きするんだ。


パートナー排出したくなったら、

嫌がらずに多少ガマンして排出の手伝いをしておけ。

多少義務感を伴うかもしれないが、

きちんと手伝っておけば長続きするから

愛とか恋とか気持ちが~とか抽象的な話に刷り替えるな。

生物として生きていく限り排出すべきもの存在するんだ、と認識しろ


男でも愚痴言う人いるし~とか

女でも性欲あるし~とか

人によって~とか

例外揚げ足取りのやつらの言葉無視しておけ。

基本的にこれを抑えておけば異性に対して腹もたたなくなるから

墓参りへの疑問

父は無宗教である。母は葬式仏教を支持している。

夏になると墓参りに連れていかれる。父方の祖父への墓参りを強いられている。

私は祖父が好きではなかった。たばこを好むし、朝から酒を飲むし、人を非難して笑うのが癖だった。後から聞いたけど、不倫もしていたようだ。

父は「父(私の祖父)から愛情を貰った記憶がない、だから子どもの愛し方が分からない」と言っている。

墓参りとは「宗教様式を通して、亡くなった人を思うこと」だろう。

今回の場合、亡くなった人を思っても嫌な記憶しかない。そもそも顔を会わした回数も少ない。意味があるのだろうか。不愉快だ。

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これとは関係ないが、墓参りをしなくても本当に愛すべき人が亡くなったら「亡くなった人を思う」はずだ。

信仰心のない人にとって、墓参りである必要はあるのか? 思いだすなら形見でも可能ではないか? 目をつむればできるだろう。

母方では祖父母の人柄が好きなので墓参りに付き合っている。けれど知らない人だし、やる必要はないと考えている。

2017-09-13

anond:20170913130539

具体的にどの作品の事を書いているのか判らないが、それはそういう風に「○○ちゃんはバカだなぁ…」みたいにイジったりしていても、内実は本気でバカにしている訳では無く、強い愛情や信頼で結びついている関係上許されているおふざけであるという前提なのでは?

もし、額面通りに全ての言動を受け止める事が前提となるなら、フィクションの中での表現ってメチャクチャ制限されると思うけど。

2017-09-10

anond:20170910232348

ただの人間不信でしょう。

家族、とくに親から無条件に愛されるという経験を積めなかった人間

誰も信用することができなくなります。(※実際に親が愛情を持っていたかどうかは別問題)

対人関係について、もっと合理的な行動を取ろうとするために、

応援する、言葉は受け取る、相手立場に立って考える

こういう行為はごく自然にできるのですが、

自分自身相手を信用していない以上、相手から信用されているという感覚本心から持つことはできない。

たぶん、相手自分を信用していないだろうと無意識に考えてしまうわけです。

これは病気というよりも、個性ではありますが、生きる上では苦労が多いでしょうね。

25歳が初恋を経て無限ループに陥った

25歳非処女彼氏いない歴年齢。

初体験友達と済ませた。

いい年していつまでも処女というのが面倒になったというのが本音だった。

そいつは男友達の中でも一番気が合い、性格的にも相性がいいやつだった。

そいつとの初めてのセックスは中高運動部だった私でもヘトヘトになるようなものだった。

今にして思えばそうでもないんだけど、部活で使わないような筋肉を使ったのがいけなかった。

それから私の中で、セックススポーツという認識になった。それと一緒に、趣味という認識にもなった。

から友達は多かった。

2人で飲んでるうちにそういう流れになることがほとんどだった。

それでいて特定彼氏を作る気にはなれなかった。

だって面倒だし。今まで人を好きになったことがなかったし。情はあるけど、愛情という感情は無かった。

ビッチと言われても仕方ないし、今となっては反省している。

やった男から金を巻き上げよう、みたいなことを考えなかっただけ我ながらマシだと思う。

経験人数が10人上回ったくらいからか。

「結局最初の男が1番マシだな」という結論に至った。

他の男はみんな独善的自分本位セックスを繰り返そうとした。アホは1回やっただけで彼女だと思い込む。お前は部活で対戦した相手全員がライバルなのか。いや、私の感覚が異常なのは知ってるけど。

1年後。私の身体異変が起きた。

来るはずの生理が来ない。いつだ。最初ゴムがなくてそのままヤったその日か。

それとも1週間前のあの日か。

悩んでも結果が出ないと思った私は、家の裏にあるドラッグストア検査薬を買うことにした。

結果は陽性だった。

間違いなくあいつとの子だ。

なんとも言えなかった。

けど、悩むこともそんなになかった。

産むのか?って自問した時「いや産むやろ」って自答した自分がいたのにびっくりした。

その日の夜。やつをよく行く飯屋に呼び出した。

店の前で待っていると、仕事帰りらしいやつが鼻歌を歌いながらやってきた。というかお前トリセツて。来る前に寄った本屋の有線で流れてたらしい。つくづく間のいいやつだ。

席について、開口一番にこう言った。

「ヨネ(仮名)。子供が出来た。私は産みたい」

「……マジ?えっと、増田(私)が産むなら俺も産む」

ヨネは焦ってた。お前は産まないだろって突っ込んだ。ヨネと私は笑いあった。

から、ヨネが出産に賛成したことに気づいて嬉しかった。

増田は俺でいいの?」

チキン南蛮を食べる私にヨネは聞いた。

何が?って私は返した。

「その子産むってことは俺が増田旦那になるってことでしょ。それで増田はいいの?」

そうだ。そういえばそうだ。

私の母もシングルマザーで私を育ててくれた。

1人でもなんとかなる前例を私は知っていた。

子供でいっぱいになって、ヨネと結婚するってことが完全に頭から抜けていた。

「ヨネがいいなら私はいいよ。子供のためだよ」

その時の私はまだヨネのことを子供を一緒に育てる相方くらいにしか考えてなかった。

実際夫婦ってそうなんだろうし。

気づいたら私の中での認識が「私が授かった子」から「私とヨネの間の子」になっていた。

子供はもちろん愛おしかったし、それと一緒にヨネも大切なパートナーとして思えるようになっていた。

最初はヨネのことを好きになるなんて思わなかったし、そもそもその感情を恋と呼ぶことを私は知らなかった。

私はヨネが好きだ。

そのヨネとの子供も好きだ。

の子供を与えてくれたヨネも好きだ。

こんな感じに私は無限ループに陥ってしまった。

そんな今が本当に幸せだし、今ではヨネでよかったなって心の底から思っている。

私は自分感情に自信が無い。

かつての私はヨネのことを気の合う友達しか思っていなかった。

今後も出産が近づくにつれて私の精神にどんな変化があるかわからない。

その日が来た時のために今の自分感情を書き残しておこうと思う。

anond:20170910012336

こんな幼稚な表現しかできない言語能力のひ弱さ、恥ずかしく思わないのかな。

倫理モラルが凝り固まっていた世代典型だね。今時は制約のない倫理が支持されており、優しさや庇護自分立場を危うくするため敢えて厳しい態度で接する事が愛情

世界に誇れる自由度のある日本文化時代最先端であり、弱者を切り捨てる勇気決断社会貢献となる。他者は敵、隣人は犯罪者、身内は密告者、そう思いなさい。

日本で生き抜く覚悟と実力がないカスは逃げて帰れなくなり一生後悔する。敗北者は要らない。

https://anond.hatelabo.jp/20170909012949

いや、結局風俗のように課金してセックスが出来たって愛されるわけではないか中毒のように虚しいものなのかもしれない。


いやいや、風俗嬢と客という関係でも人間同士ですから一定信頼関係愛情はちゃんと生まれます

虚しくなんかないですよ。

他の社会における様々な人間関係と何ら変わりません。

2017-09-09

人に物や金を与える心理について

ネット配信というものがあり、

投げ銭(チップ)システムというものがある、

そこで高額のチップを与える人、

もしくはネット配信者が公開している欲しいものリストに対して購入してあげる

人の心理について広く意見をうかがいたい

まり人に物や金(高額)を与える人について

俺の見解ではこうみた

まず金額については資力の有無で決まる、無ければ高額は支払えない

ここまでは当然のこと

また資力はおのおのが違うわけだから例えば10万円の感覚も違うということ

まり貧乏からみるとこんな高額なお金をと思うところが資力がある人はそうとは感じないということ

ここまでも分かる、貧乏人だとこの違いに気づかないかもしれない

ここで1つ問題点、たとえ資力があったとしても周囲の状況を考えて、一般的に、常識範囲内で、

ということを考えられているかということ

もし考えられているのであって資力があるなら極端に高額なものは避けるだろう、

適度な金額チップで数多く与えることはあるかもしれないということ

その点で、そういう人は感覚がズレていると言えるのではないだろうか?

次に、物や金を与える行為のものについてだが、

好意や厚意、つまり好きとかありがたいとか良い感情として物を与えるわけなのか、どうなのかということ

ここで分岐がされる

前者では愛情としてのものなのか、感謝としてのものなのか

まり愛、相手の体や心が欲しいので対価として物や金で交換しようとする心理

(アプローチ方法が与えるしかないのか、もしくは与えることが武器まりアプローチ方法なのか)

後者相手に物や金を与えて優越感に浸したりなにか貶めることを前提としての撒き餌

むずかしいから考えてみようと思う

父親を殴り返した増田

https://anond.hatelabo.jp/20170907000932

に対する的外れブコメの多さに絶望した。

機能不全家庭に育った人間葛藤や苦しみを結局は理解できない人間のほうが多いのだな、と。

コミコの「傷だらけの悪魔」で「常に親の期待に応え続けるために努力することでしかから愛情を得られない長女」の描写が生々しすぎて吐きそうになった。

自分努力も振り返ってみるとそのような努力であった。

うちの父親は、昔会社連続無断欠勤して精神科受診させられ、なにがしかの病名がついたと聞いているが本人がそれを受け入れずなんの治療も受けていない。

数十年前で精神医療がまだまだ未発達な時代なので今とは事情が違うけれども。

会話が成立しない(何を話していても自分の思い描いているストーリーから外れると激高して暴れまわる)人で、暴力もあった。

母は父にひたすら従いご機嫌を取り、そして子ども達をそれに付き合わせる人だった。

家庭内で父の暴挙に対して「それはおかしい」と声を挙げる者がいると、みな保身のために寄ってたかってそいつを叩く。

自然と、父以外の全員が日和見主義になる。

そういう家庭で育った。

おかしいと思ったことにはおかしいと言っていい」と父自身はよくわたしたちに話して聞かせていた。

おそらくそれは世間不条理に対して(彼にとってはさぞ「不条理」の多い世の中だったことだろう)の自身経験から出たことばなのだろうが、それを家庭内で実行しても父は怒り狂い、他の家族も誰も耳を傾けようとしないのだった。

家庭内での人間関係というのはそのまま世界観につながるのだなとつくづくわかるのだが、家庭内不公平感とか理不尽さを日常的に味わっていると、外の世界でも「公平に扱われなかった」「相手の言うことの筋が通っていない」ということに敏感になる。

そういう苦しみから自分を守りたくて、他者自分コントロール下に置いて、自分に対してストレスをかけてくるような行為を事前に阻止しようとするようになる。

そうすると結局、自分も同じことを繰り返しているのだと気づく。

ここ数年は親と距離を置くことで思いだす頻度は減ったが、それでもこういうちょっとしたきっかけで思いだす。

結局今の自分の生きづらさとかただ存在しているだけで感じる罪悪感とか息苦しさとかも、もともとは親子関係に由来するものなんだろうと思うと生きるのしんどいなと思う。

こういう話に対して「まあでも親子なんだし、話せばわかるって」なんていうコメントをつけようものなら、はてなでは嘲笑されるだけだろう。

なのに、冒頭の増田についているあまり的外れブコメの数々は一体何なのだろうか。

無理解レベルとしては同じだと思う。

冒頭の増田は「暴力連鎖する」という事実のものを伝えているのであり、「暴力もケースバイケース」なんて甘っちょろいことを言っているわけではないのだ。

増田に対する「息子から同じことをされるよ」なんていう呪い言葉あんなにスターを集めているなんて、本当に泣きそうになった。

ひどい。

まりにもひどい。

お前ら、何にもわかってない。

何にも。

https://anond.hatelabo.jp/20170625210425

犬を飼えばいいんじゃないかな。

はいいよ。掛け値なしに心からの信頼と愛情をくれるし、決して浮気することも裏切ることもない。仕事を終えて疲れて帰って、犬と戯れる時間は何より充実するよ。

2017-09-08

anond:20170908182253

人が人らしくあるためには、対象は何でもよいので愛情を持ち続けることだと思う。

2017-09-07

姉妹格差の話

頼れる父と専業主婦の優しい母の元で、何不自由なく育った姉妹。私は妹の方。

私は自分で言うのもなんだが出来が良く、姉は出来が悪かった。

具体的に言えば、学年トップクラスと平均やや下くらい。

加え私は主要五科目以外も得意で、絵で賞を取ったり、やっていたスポーツ入賞したりと文武両道、何かと目立つ子供だった。

そんな能力差のある姉妹を、両親は「平等に」育てた。

姉を甘やかし常にサポート。金に糸目をつけず高度教育を与えた。

一方私は「あなたは出来るんだから大丈夫よね」と割と放置され、やりたい習い事など我慢させられた。

お姉ちゃんがうらやましいなって思ったことは何度もある。

過敏な思春期の頃は、親は私を愛していないんだ、姉ばかり可愛いだって毎日一人で泣いていたくらい。

でも、私は一人でもできるということをプライドに、努力して努力して常にそれなりの結果を残しつつ大人になった。

良い子でいたら親がこっちを見てくれるとも勘違いしてたし。

結果、女ながら企業家になった。

夫は一部上場企業に勤めていて、何より私を大事にしてくれる。

一方、常に甘やかされた姉。

ダメ男結婚非正規職のシングルマザー

それでも親がサポートしてくれるから全く困ってないみたいだけど。

姉のことは身内だから仲良くしようと思うけど、

同じ血を引きながらなんて愚図で駄目な女に成長したんだろうと思う。

親に惜しみなく愛情を注がれた彼女は、与えられて当たり前だと思っており、

それを無駄にすることに全く感情がない。

自分が受けた教育が何一つ実っておらず収入に繋がらなくても。

盛大に上げた結婚式を尻目に離婚しても。

何も考えない。

自分で稼いだものではなく、与えられたものから

「なんで妹ちゃんがそんなに頑張るのかわからない。うちは裕福なんだから頼ればいいのに」と笑う。

そんな人生を、今では全く羨ましいと思わなくなった。

私に子供はまだいないけど、どんなに愛していても無条件に与えることだけはしないと固く誓う。

2017-09-05

やっすい冷凍ピザまんのピザまんに対する愛情が無さすぎて凄い!

おまえピザまんに親でも殺されたのかよってくらいに愛情が感じられない

どうやったらこんな不味いピザまんが作れるんだよ

目隠しして乳首吸われて淫語責めされながらでももっと美味しいピザまん作れる自信があるわ

ホント淫語責めされたくてムラムラするなあ

2017-09-04

anond:20170904161310

どんだけ目移りしない良い女と結婚したって、

何年何十年と何の工夫もなく一緒に暮らしていれば愛情は萎びていくものだと思うがな

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