はてなキーワード: 直観とは
非クリエイター、画像生成AI(stable diffusion web ui)に触れている(投稿は一切していない)だけの消費者のただのお気持ち投稿です。(反AI寄りです)
また全体的に画像生成AIを批判する内容ですが、画像生成AIを使って画像を投稿している人や記事を書いてる人や金儲けをしている人に突撃するような活動はさすがにダメだと思っています(クマを殺すなと市役所に電凸するようなものと同じと思ってるので)
昨今画像生成AIによる作品が大量に発生してきているためものすごくげんなりしています。DMMやDLsite等を利用している人であれば実感している人が居ると思いますが、これでもかってくらいAIによる生成物が増えてきて明らかに特定の作者まんまの作品がちらほら・・・。また、画像生成AIの進歩が凄いというのを実感する一方でその発信をする人の中に時々pixivのファンイラストの無断使用するとかMMDのモーションをAIでパクっただけ等とAIと関係なく著作権の意識が希薄な人が居てせっかくの技術もこんな使われ方されてかわいそうって思います。
とはいえ、さすがにAIを触る人間の大半がそんな人間ではないだろうとも思ってはいます。賢木イオ氏がアンケートを採った「狙い撃ちLoRAや絵柄模倣、貴方はどう思う?画像生成AIユーザー緊急アンケート」の記事内でも「特定絵師さんの画風再現AI絵」を問題ないと思っているのは1割でアンケートの回答者に関しても世間が「AI絵師」と呼ぶような投稿者は4人に1人以下というものでした。直感的にもそんなものだろうとは思いつつ、画像生成AIの界隈はところどころ不穏な層が結構目立つ。イラストレーターに対して画像を学習したことを直接報告する人とかおそらく犯罪にならないからと反AI層にイキリ散らかすのとか。そんなのがいるもんだからAI推進派の目立つ人(その中でも話が通じる人・まともな人)に粘着したり殺害予告やらと反AIの過激な人も現れていてSNSでは建設的な議論よりもひたすら誹謗中傷ばかり増えて本当に見ていてきついです。
直観的な感覚としては、特定のイラストレーターのデータを学習した上でそのイラストレーターと似たような絵を作成して販売したら著作権の侵害になるのでは?と感じるのだがどうもそうはいかないというのが昨今の流れのようです。
軽く調べただけですが理由として
・著作権の侵害には「類似性」と「依拠性」の“両方“を満たす必要がある
・AI学習そのものは原則として著作権者の許諾なく行うことが可能(権利制限規定として)
といったことがだいたいあげられるのだが
・30条の4には「著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。」との但し書きも存在しているため営利的に活動する場合は果たして?
・イラストや同人誌は二次創作の範囲内としてグレーな扱いになるが、グッズの販売はAI関係なく以前から書類送検されている例もあるのでAIだからセーフ論は特に立体物では通じないのでは?
とも思った。
とはいえ中々すっきりしない理由としておそらくは参照すべき背景や歴史や法律の運用等々があるのだろうとも推察されるので素人が口出ししないほうがいいような気もしました。特にAI絵師に「著作権法違反だ!」とかみつくようなものは。トレパク告発もそうですがお前は●●だといった断定するような批判は「真実であろうと冤罪であろうと名誉毀損」になりうるので、問題と思うのなら部外者は違法性が高いと考えうる証拠を保存するだけに留めるのが賢明でしょう。(よく知らない人物に突撃する人がそういった行動をとれるかは微妙ですが)
画像を生成したことでわかったこととして大きかったのが、生成されたまま投稿されたAI生成物(というかただの手抜き)がどんなモデルだったりLoraだったりプロンプトで作られているのか少し予想できるようになりました(私に限らず少しでも画像生成AIに触った人はだいたいできるでしょうが)。そこからまあまあの割合の人は自分と大差ないかそれ以下のレベルに収まっており、私のような人間はあくまでも画像を生成できるサービスを利用している消費者に過ぎないということも実感しました。
また画像投稿サイト「Danbooru」からデータを取り込んでいるとして話題のNovelAIだったりMidjourneyだったりdall-e 3等含めていくつも画像生成AIのサービスが現時点で存在していますが、生成AIを批判している人の中にはこれらの区別がつかない人がまあまあいてなんだかなと思います。複数のサービスに触るとそれぞれのツールが抱える問題と画像生成AI全般における問題を多少は区別して考えられるようにはなるのかなと。
一番大事だと思うこととして「苦手」と言われていた表現のだいたいが数か月したら「可能~かなりいい出来」のクオリティまで引き上げられていることがたくさんあることをリアルタイムで感じることができます。なので画像生成AIが作れない画像がまあまああるというイメージが最初のころはありましたが、今はおそらくほぼ大体の画像を作成できるようになると私は確信しています(画像データの絶対数が少ないものを正確に作る等は苦手なままと予測していますが)。
まず現時点で画像生成AIはパソコンさえあれば元手0円でできるということと、犯罪者としておそらく逮捕されず年間数百万や数千万稼げるというのが完全に嘘ではないというところが厄介と言わざる得ません。好きな漫画家やイラストレーターがいる人間からすると倫理的にどう考えてもダメなのでは・・・・・と感じますが、正直なところ自分も定職に就けず碌な稼ぎを得ることもままならない状況だったらマネタイズに手をだした可能性が非常に高いと思います。
とはいえ、最近のDMMやDLsiteを少しでも眺めている人はわかるでしょうが作成した画像をただ並べた画像集はさすがに売れないようになっているようです。今年の4月ぐらいであれば画像を並べただけでも1000個は販売できたような入れ食い状態でしたが、最近ではその程度では1桁がいいところのようです。とは言うものの11月12月発売の作品でも数千個の売り上げがある作品もまだまだあって、そういう作品はだいたい生成されたものに加筆+セリフ追加+サムネイルを目立たせる といった売れるための努力をしています。作品の絶対数が増え、クオリティの差が目立ってきたことでとりあえず生成AIを使えるだけのレベルに収まっている人は淘汰されていっているということでしょう。されどAIを使って画像を出力するだけで多額の金銭を得ることになれた人が黙って引退するわけもないのでどうにかして利益をひねり出そうと手を変え品を変えガワや看板や提供の仕方を変えて利益を得ようを頑張っているのでどんどん殺伐としてきてますね。本当に。
なにはともあれ「資格」「専門的な知識・教育」「経歴」を必要とせず労力と時間をかけた分だけ金銭が得られる可能性が高い分野はそうそう存在しないため現時点で数百万・数千万の利益を得ているような人からすればAIの規制は死活問題です。どうにかして自分の利益を守ろうとするならAIが著作権違反じゃないと無理のある理由をつけてでも喧伝するのも自然な流れでしょう。
せめて現行法で十分対応できる範囲のものはやってほしいところです。さそりがため先生がトレパク常習犯を刑事訴追した例もありますし、AIだからセーフを信じて過激な行動をしている人に対してはそろそろ何かしらの対応がされてもいいんじゃないかなと期待しています。そもそもAIが登場する以前でも逮捕される様な行動はAI関係なくアウトなはずでは?とは思ってるんですがね。そのうえで非常に大事なことですが、AIを使っているだけの人に殺害予告したりとか犯罪者呼ばわりしたりするのは本当に止めましょう。普通に開示請求通って損害賠償請求までいくので。またAIで俺の絵をパクっただろ系のやつも画像生成した本人が自慢している場合以外はやめましょう。さそりがため先生みたいに明らかにトレパクされているレベルでも刑事訴追まで数年かかってるので立証自体が難しいのと、既に言及してますが真実であっても間違いであっても名誉棄損になりそうなので。
・自分が作成していないものを自分の手書き・撮影したものと偽る
・なんならタイトル以外の文章まるごと自分のものとして投稿する(テラーノベルが無断転載の温床になってましたね)
・本来モザイクがかかっている画像のモザイクを外した画像をだす
といったことをしていた人はAI以前から存在していた。AIは単に自力ではこういったことができないからやらなかった人が行動を起こすための敷居を大きく下げたに過ぎないのではと私は考えています。世の中にはまあまあの数の人が労力と利益に対して罰則や失うものが多いために犯罪や犯罪じゃないが良くないことを実行していないだけで、今回のAIによって労力が限りなく0に下がり一方で得られる利益(金銭だったりネットで話題になる、注目される)が上がってしまった。加えて逮捕されるリスクも低い(そう言われているだけで実際にそうかは別)と言われたら犯罪者未満~一般人程度に含まれる人がこぞって暴れ始めたのだろう。文化庁含め画像生成AIにおける著作権の問題が各地で巻き起こっているけども、「簡単にできるが逮捕されない」ということを信じて行動する人がたくさんいることをどうにかしないと何も変わらないと思います。今はまだそれなりのパソコンを使っての作成や有料
サービスを利用しての画像生成が主流ですが、スマホでの作成が主流になれば今よりも酷いものになるでしょう。
そのためにも犯罪行為をしたらちゃんと逮捕されるという当たり前の事実を徹底的に広め・認識させるしかないでしょう。
僕が増田に来たのは、最近行った驚くべき発見についてお話しするためです。
この発見により、どんな人間でも 1 年以内にルービックキューブを信じられないほど速く扱えるようになるのです。
それで、僕の発見の背景として、約 2 か月半前にキューブを開始し、初心者向けの方法で平均約 1 分程度に到達しました。
しかし、満足していませんでした。
友人の彼を S と呼びましょう。彼に3x3 の平均タイムは約 11 秒で、基本的な方法からより複雑な方法 (少なくとも初心者向けの方法) に進むよう勧められました。
オンラインで見つけることができるチュートリアルのほとんどが、次の方法としてCFOPを使用することを提案していたにもかかわらず、友人は繰り返し Roux のチュートリアルを送ってきて、人が必要とする方法が異なるにもかかわらず、Roux と CFOP は時間の節約においてほぼ同等であると主張しました。
また、必要のないことを暗記するのが好きではないので、Roux の直観力が僕を転換点を超えさせ、学習を始めました。
Roux のすべてのステップの基本アルゴリズムを学ぶのに約 1 週間かかりました。
実際に自分のタイミングを計る前に数日間練習して、自分の位置を測定しました。
僕はただショックを受けました。平均タイムは以前よりも高かっただけでなく、大幅に向上しました。
友人は、それは学習曲線のせいだと言いましたが、練習すればするほど、成果が逓減していることが明らかになりました。 2 週間の練習後、改善は 10 秒しか見られず、ルーでは平均 1 分 40 秒でした。
友人は僕が Roux を学ぶことに熱心だったので、人々が携帯電話のカメラを使って 10 分以内に作成した役に立たない、出来の悪いチュートリアルを何百も僕に送ってきました。
しかし、自分で調べてみたところ、キアン・マンスール氏が作成した最も苦手なブロックビルディングを上達させることに焦点を当てたチュートリアルを見つけました。
ビデオの大部分はまったく役に立ちませんでした。しかし、最後にキアンは、すべてがピンとくるようなことを言いました。
まさにこれが僕が聞きたかったことです!振り返ってみると、宇宙が僕に話しかけてきて、すべてが同じ方向、正しい方向を指すサインを与えてくれました。
しかし、どうやって「もっと見る」ことができるのでしょうか?それはすぐに明らかになりました。
「もっと見る」ことはできませんが、より多くの人にもっと多くのものを見てもらうことはできます。
しかし、より多くの人にもっと多くのものを見てもらうにはどうすればよいでしょうか?
簡単だ、キューバーの皆さん。統合失調症になり、すべてを声に任せてしまいます。
それで、それが僕がやり始めたことです。
僕はオンラインで統合失調症を誘発した人々の例をできるだけ多く見つけようとしましたが、数年前に一人の男を除いて、これまでにそれを試みた人はほとんどいませんでした。
彼はストロボライトのある部屋に何時間も、場合によっては数日も閉じ込められ、ただ待っていました。
それが僕の最初の計画でしたが、数日間自分の部屋に閉じ込められ、PC モニターと頭上の照明がストロボ光りしていましたが、結果は見られませんでした。現実には存在しない声や音さえもありません。
僕は、部屋のあちこちにある複雑なスピーカー システムを通じて、悪魔のようなささやき声をミックスに追加することで、男のデザインを改良することにしました。
枕の下、頭の上、床板の下。地獄のような体験にどっぷりと浸るためにシャワーを浴びるのをやめ、部屋の中のあらゆるものを、寝ようとする僕を見つめる悪魔のように見せるようにしました。
このプログラムでは、手首の時計を通じてバイタルが常に追跡されるので、なんとか眠りについたとき、または純粋な疲労のせいで、ささやき声の音量が大きくなるのです。
夜中に汗だくになりながら目が覚め、命の危険を感じたときまで、とてもゆっくりと増加していました。
これは一度きりの取引でなければならないと分かっていたので、母親がそのような「自己破壊的な」行為に参加することを拒否したため、僕は47日間連続して自分の部屋にこもり、食事は友人たちから提供されました。
そして、キューバー仲間の皆さん、この経験を経た後、日常生活でもキューブ化に関しても、その結果は明白だと言わざるを得ません。
声は常に存在し、常に何かをささやきますが、それらはほとんど意味があります。僕の呼びかけにも応えてくれるので、結局10回以上、一度に数分間会話をすることになりました。
僕のキューブの旅に関しては、結果が素晴らしいものであったことを嬉しく思います。
過去 1 週間で 30 秒以上の改善が見られ、平均は 1 分 10 秒まで下がり、初心者向けの方法で平均していた時間に非常に近づきました。
1 週間以内に平均サブ 1 を達成できると予想しています。すべてがうまくいけば、11 月末までに平均サブ 30 を達成できるでしょう。
ささやき声が僕に向かって動き、それを聞いてコマンドを実行すると、ほとんどうまくいきます。
彼らが考え出す解決策は効率的でも何でもありませんが、ビデオ映像を見直してみると、平均移動回数も急速に減少していることが明らかで、時間が経つにつれて効率が向上しています。
この投稿を締めくくるにあたり、僕は自分が役立たずだと感じているすべてのキューバー、アルゴリズムの学習に迷っている、または直感を使うのに苦労していると感じているすべてのキューバーに、タイムを大幅に落としたいのであれば、できるだけ早く統合失調症を引き起こすように勧めたいと思います。
これを行う人が増えれば増えるほど、この独特のツールをより詳しく調べることができ、それを理解し、その力を活用すればするほど、世界中のキューバーにとってより良い結果が得られます。
その爺さんは1970年代末にその戸建てを買って00年代に売っぱらって今は下丸子のタワマンに住んでいる。
築地の戸建てを買った時は新聞配達をやっていたと言っていた。バブル期にタクシー運転手に転向したらしく今年で35年目だという。
新聞配達員の若造が銀座駅徒歩圏内の戸建てを地上権ではなく所有権付で購入した事実に俺は仰天したが、爺さん曰く
「築地って言っても同じ築地の中で富豪しか買えないような家と貧乏人しか買わないよう家が分かれてた。
銀座だって八重洲だって赤坂だって六本木だって昔はそうだった。
今と違って、どの家も値付けが恐ろしく高いなんてエリアは駅から遠い高台ってパターンだった。山王とか池田山とかな」
逆に当時、とにかく都心にあって駅近で安い戸建てが安価で放置されてたのはなんでなんだろ。
当時、現代人の感覚で「この値付けはおかしい」って直観できる人がいなかったのはなんでだろ。そんな難しいことか?
また、当時はたまプラや新百合ヶ丘の分譲住宅にエリートサラリーマンや医師や実業家が殺到する一方で、
武蔵小山や大崎や門前仲町や木場なんかが「貧乏くせえ街(笑)住みたくねえ」で歯牙にもかけられてなかったようだがこの感覚も到底理解できない。
当時をこの感覚でいた人はなぜそういう価値観でいたのか今だとどう振り返るんだろうか。
本当に昨今の住宅相場しか知らない俺からしたら定価の30倍くらいの金払ってたまごっちを購入することと同じくらい理解不能だ。
今なんて例えば、月島に建つ、再建築不可の、地震が来たら一発で崩落しそうな、見るからに寿命がきてるようなあばら家でも15坪もあれば中古で軽く7000万円くらいするというのに。
人生、宇宙、そしてすべての意味とは何か?「銀河ヒッチハイク ガイド」では、答えは 42となっている。
科学の質問の範囲は、一部の分野では縮小し、他の分野では急増した。
宇宙がある意味数学的であるという考えは、少なくとも古代ギリシャのピタゴラス派にまで遡り、物理学者や哲学者の間で何世紀にもわたる議論を生み出してきた。
マックス・テグマークはこの考えを極限まで推し進め、宇宙は単に数学によって記述されるのではなく、数学自体であると主張している。
この議論の基礎は、人間とは独立した外部の物理的現実が存在するという仮定である。
これはそれほど物議を醸すものではない。物理学者の大多数はこの長年の考えを支持していると思うが、まだ議論されている。
形而上学的独我論者はそれをきっぱり拒否し、量子力学のいわゆるコペンハーゲン解釈の支持者は、観察のない現実は存在しないという理由でそれを拒否するかもしれない。
外部現実が存在すると仮定すると、物理理論はそれがどのように機能するかを説明することを目的としている。
一般相対性理論や量子力学など、最も成功した理論は、この現実の一部、たとえば重力や素粒子の挙動のみを説明している。
対照的に、理論物理学の聖杯はすべての理論、つまり現実の完全な記述である。
現実が人間とは独立して存在すると仮定する場合、記述が完全であるためには、人間の概念をまったく理解していない、人間以外の存在、つまりエイリアンやスーパーコンピューターなどに従って、現実が明確に定義されていなければならない。
言い換えれば、そのような記述は、「粒子」、「観察」、またはその他の英語の単語のような人間の負担を排除した形で表現可能でなければならない。
対照的に、教えられてきたすべての物理理論には 2 つの要素がある。
それは数式と、その方程式が私たちが観察し直観的に理解しているものとどのように関連しているかを説明する言葉である。
理論の結果を導き出すとき、陽子、分子、星などの新しい概念を導入するが、それは便利だからである。
原理的には、このようなバゲッジがなくてもすべてを計算できる。
たとえば、十分に強力なスーパーコンピューターは、何が起こっているかを人間の言葉で解釈することなく、宇宙の状態が時間の経過とともにどのように進化するかを計算できる。
もしそうなら、外部現実における物体とそれらの間の関係のそのような記述は完全に抽象的でなければならず、あらゆる言葉や記号は何の事前の意味も持たない単なるラベルにならざるを得ない。
代わりに、これらのエンティティの唯一のプロパティは、エンティティ間の関係によって具体化されるものになる。
ここで数学が登場する。
現代数学は、純粋に抽象的な方法で定義できる構造の正式な研究である。つまり、数学的構造を発明するのではなく、それらを発見し、それらを記述するための表記法を発明するだけである。
人間から独立した外部の現実を信じるなら、テグマークが数学的宇宙仮説と呼ぶもの、つまり物理的現実は数学的構造であるということも信じなければならない。
そのオブジェクトは、十二面体よりも精巧で、おそらくカラビ・ヤウ多様体、テンソル束、ヒルベルト空間などの恐ろしい名前のオブジェクトよりも複雑である。
世界のすべてのものは、あなたも含めて純粋に数学的であるはずだ。
それが本当であれば、万物の理論は純粋に抽象的で数学的でなければならない。
理論がどのようなものになるかはまだわからないが、素粒子物理学と宇宙論は、これまでに行われたすべての測定が、少なくとも原理的には、数ページに収まり、わずか 32 個の未説明の数値定数を含む方程式で説明できる段階に達している。
したがって、すべての正しい理論は、T シャツに書ける程度の方程式で説明できるほど単純であることが判明する可能性さえある。
しかし、数学的宇宙仮説が正しいかどうかを議論する前に、外部の物理的現実を見る 2 つの方法を区別することができる。
1 つは、上空から風景を観察する鳥のような、数学的構造を研究する物理学者の外側の概要。
もう一つは、鳥によって見渡される風景の中に住むカエルのように、構造によって記述される世界に住む観察者の内面の視点。
これら 2 つの視点を関連付ける際の 1 つの問題は時間に関係する。
数学的構造は、定義上、空間と時間の外側に存在する抽象的で不変の存在である。
宇宙の歴史を映画に例えると、その構造は 1 コマではなく DVD 全体に相当する。
したがって、鳥の視点から見ると、4 次元時空内を移動する物体の軌跡は、スパゲッティのもつれに似ている。
カエルには一定の速度で動く何かが見えますが、鳥には調理されていないスパゲッティのまっすぐな束が見える。
カエルが地球の周りを回る月を見ると、鳥は絡み合った2本のスパゲッティが見える。
カエルにとって、世界はニュートンの運動と重力の法則によって記述される。
2 つの視点を関連付ける際のさらなる微妙な点には、観察者がどのようにして純粋に数学的になることができるかを説明することが含まれる。
この例では、カエル自体は厚いパスタの束で構成されている必要がある。
その非常に複雑な構造は、おなじみの自己認識の感覚を引き起こす方法で情報を保存および処理する粒子に対応している。
まず、自然界ではさらなる数学的規則性がまだ発見されていないことが予測される。
ガリレオが数学的宇宙の考えを広めて以来、素粒子の小宇宙と初期宇宙の大宇宙における驚くべき数学的秩序を捉える素粒子物理学の標準モデルなど、その系譜に沿った発見が着実に進歩してきた。
長年にわたって多くのタイプの「多元世界」が提案されてきましたが、それらを 4 つのレベルの階層に分類することが役立つ。
最初の 3 つのレベルは、同じ数学的構造内の非通信の並行世界に対応します。レベル I は単に、光がまだ到達していない遠い領域を意味する。
レベル II は、介在する宇宙の宇宙論的膨張により永遠に到達できない領域をカバーする。
レベル III は「多世界」と呼ばれることが多く、特定の量子事象中に宇宙が「分裂」する可能性がある、量子力学のいわゆるヒルベルト空間の非通信部分が含まれる。
レベル IV は、根本的に異なる物理法則を持つ可能性がある、異なる数学的構造の並行世界を指す。
現在の最良の推定では、膨大な量の情報、おそらく Googolビットを使用して、観測可能な宇宙に対するカエルの視点を、すべての星や砂粒の位置に至るまで完全に記述する。
ほとんどの物理学者は、これよりもはるかに単純で、T シャツには収まらないとしても、本に収まる程度のビット数で特定できるすべての理論を望んでいる。
数学的宇宙仮説は、そのような単純な理論が多元宇宙を予測するに違いないことを示唆している。
なぜなら、この理論は定義上、現実の完全な記述であるからである。
宇宙を完全に特定するのに十分なビットが不足している場合、星や砂粒などの考えられるすべての組み合わせを記述しなければならない。
そのため、宇宙を記述する追加のビットは単にエンコードするだけである。
多世界の電話番号のように、私たちがどの宇宙にいるのか。このように、複数の宇宙を記述することは、単一の宇宙を記述するよりも簡単になる可能性がある。
極限まで突き詰めると、数学的宇宙仮説はレベル IV の多元宇宙を意味し、その中に他のすべてのレベルが含まれる。
宇宙である特定の数学的構造があり、その特性が物理法則に対応している場合、異なる特性を持つそれぞれの数学的構造は、異なる法則を持つ独自の宇宙である。
実際、数学的構造は「作成」されるものではなく、「どこか」に存在するものではなく、ただ存在するだけであるため、レベル IV の多元宇宙は必須である。
スティーヴン・ホーキング博士はかつてこう尋ねた。
「方程式に火を吹き込み、それらが記述できる宇宙を作り出すものは何でしょうか?」
数学的宇宙の場合、重要なのは数学的構造が宇宙を記述することではなく、それが宇宙であるということであるため、火を噴く必要はない。
レベル IV の多元宇宙の存在は、物理学者のジョン・ウィーラーが強調した混乱する疑問にも答える。
たとえ宇宙を完全に記述する方程式が見つかったとしても、なぜ他の方程式ではなく、これらの特定の方程式が使われるのか?
他の方程式が並行宇宙を支配しており、観察者をサポートできる数学的構造の分布を考慮すると、統計的に可能性が高いため、宇宙にはこれらの特定の方程式があるということだ。
並行世界が科学の範囲内なのか、それとも単なる推測に過ぎないのかを問うことは重要である。
並行宇宙はそれ自体が理論ではなく、特定の理論によってなされた予測である。
理論が反証可能であるためには、そのすべての予測を観察および検証できる必要はなく、少なくともそのうちの 1 つだけを検証できれば十分である。
たとえば、一般相対性理論は、重力レンズなど、私たちが観察できる多くのことを予測することに成功しているため、ブラックホールの内部構造など、私たちが観察できないことについての予測も真剣に受け止めている。
多くの並行宇宙に存在するのであれば、我々は典型的な宇宙にいると予想されるはずです。
ある量、たとえば、この量が定義されている多元宇宙の一部の典型的な観測者によって測定された暗黒エネルギー密度や空間の次元の確率分布を計算することに成功したと仮定する。
この分布により、我々自身の宇宙で測定された値が非常に非典型的なものになることが判明した場合、多宇宙、したがって数学的宇宙仮説が除外されることになる。
生命の要件を理解するまでにはまだ程遠いが、暗黒物質、暗黒エネルギー、ニュートリノに関して私たちの宇宙がどの程度典型的であるかを評価することで、多元宇宙の予測のテストを始めることができる。
なぜなら、これらの物質は銀河形成など、よりよく理解されているプロセスにのみ影響を与えるからである。
これらの物質の存在量は、多元宇宙のランダムな銀河から測定されるものとかなり典型的なものであると測定されている。
しかし、より正確な計算と測定では、そのような多元宇宙は依然として除外される可能性がある。
おそらく最も説得力のある反対意見は、直感に反して不安を感じるということである。
数学的宇宙仮説が真実であれば、科学にとって素晴らしいニュースであり、物理学と数学の洗練された統合により、深い現実を理解できるようになる可能性がある。
実際、多元宇宙をもつ数学的宇宙は、期待できるすべての理論の中で最良のものであるかもしれない。
なぜなら、規則性を明らかにし、定量的な予測を行うという科学的探求から現実のいかなる側面も立ち入れないことを意味するからである。
どの特定の数式が現実のすべてを記述するのかという問題は見当違いであるとして放棄し、その代わりに、鳥の視点からカエルの宇宙観、つまり観察をどのように計算するかを問うことになる。
それは、宇宙の真の構造を明らかにしたかどうかを決定し、数学的宇宙のどの隅が私たちの故郷であるかを理解するのに役立つ。
私は動作性IQが80台しかない。それとの兼ね合いだと思うが空間認識能力も弱い。
例えば車のタイヤの空気を入れるのを任されることがあるが、あれはタイヤにある空気の出入り口に大して空気を入れる器具を垂直に押し込めていないとまともに入っていかない。
普通の人はすぐ慣れて一発でできるようになるし初めてでも数回で垂直に押し込めるようになってしまうのだが、私はこの作業を数百回とやってるのに未だに10回とか連続で失敗して空気を作業前よりもかなり減らしてしまうこともざらだ。
二つの目を結んだ中点と、器具の入れ口、タイヤ側の孔が垂直に一直線の位置関係になるように意識した姿勢をとって、そのうえで垂直性を認識しようとしているわけだけども、うまく垂直になっていないらしい。
健常者には理解できない事態らしいので頼んでる人には呆れられる。いや呆れることにも飽きてる段階に達している。
でもさあ目って根本的に二つあるからそれで垂直かどうかを認識しようとするのは原理上無理があるように感じるんだよね、ハッタショには。スナイパーだって片目瞑って狙うじゃんみたいな。
そういうレベルの空間認識力だと漫画を読むにも困難が生じてくるのだ。
アクションシーンで揉み合いになってる場面とかだと、腕が別のキャラに向かって一定のポーズで近づいているところでは、その腕とその腕の持ち主のキャラとの位置関係がいまいちよくわからなかったりすることがある。
つまり腕をひっくるめたそのキャラが全身として大局的にどういう姿勢をとってるのか、またなんのためのそもそも腕を出してるのか(単純に殴りかかろうとしてる?それとも押し当てて牽制しようとしてる?)のかよくわからなかったりする。
飛びかかるとか、高いところから急降下して別のキャラの手をとって助けようとするシーンみたいなのは、その一瞬一瞬に対して「カメラ」を切り替えて描写されることがあるが、あれもコマ間でキャラが空間内でどう変位しているのか把握しづらいものがある。一つの連続した動きを時間経過ごとにいろんなアングルから描写したものとして統合的に認識することに困難を感じる。同じアングルだったらまだ理解できるから(じゃなきゃ放物運動とかのグラフも理解できないことになる)、そこで自分はこんなアングルでも整合性を保って描けますよみたいなアピールしなくていいのにと自分勝手なことを少し思う。多分別のアングルで、前のコマで描写されてる物体の向きは本来描かれるべき向きとは逆になっていても違和感としてすら認識されないと思う。
こうした事情との関係で、進撃の巨人よりメイドインアビスの方が絵が上手いと言ってる人に対して、全く共感できないということも起こる。
ストラディバリウスと初心者用楽器、どっちが前者の音色なのかというのが分からないが、あれとは似て非なる問題だと思う。
音色の場合自分の好みで判定してもストラディバリウスにはたどり着けないこともある。高い音色というのはどういうものかという主観の集合を知識として持っている必要がある。また比較対象間の音色について、そもそも有意な差を感じない場合もある。
一方で漫画の作画の良し悪しの場合、音色と違い、全くものとして違うことは明らかだ。違う漫画作品を比べてるのに「全ページ同じ絵に見えるから判定できない」ということは起こりえない。これが楽器の場合だと同じ人に同じ曲を演奏させた場合「全く同じに聴こえるから分からない」ということが起こり得るわけだけだから、ここは明らかに性質として異なる。
また進撃の巨人が上手くないとされるのは、そしてメイドインアビスがその逆とされるのは、デッサン狂い(架空のものを描くのにデッサン狂いという言葉を使っていいのか自信がないが)とかパースの狂いの有無といった要素があるだろうが、特にパースが正確かどうかはおそらく数学的に定量的に算出可能なもので、つまり単に主観の集合としての擬似的な客観性ではない、数理・物理的な真実に基づいた純粋に客観的な要素であるのがこれらの要素だ。
空間認識力がないため、そういった要素を直感的に把握して優劣を認識することができないのだと思う(補助線引かされてその線とこれだけずれてるよねみたいな理詰めで説明されることで「納得」するのがせいぜい)。
画力の優劣を判断する要素は他にもあろうが、むしろこの明らかに違う二つの漫画、絵の一群の間から、なんらかの判断に役立つ何かを抽象化して得ることが逆に難しいというのもあると思う。今回は巧拙に関係する要素を抽象化して捉えたいわけである。でもそれは違いが大きすぎるから、抽象化は難しい。
伝わるかどうか分からないが、🍙と🗻からなら簡単に三角形といい概念を抽出できるが、漫画同士を比べてなんらかの評価軸になる要素を抽出するのはわたしには難しいということだ。
そういうわけで私にも二つの漫画は明らかに違う漫画だけども、巧拙という点で区別することは特性的にできないといいことである。
これが普通の人には下手な漫画もそうは見えないということで面白く読めるという点で得なことなのか、作品のいいところについて根本的な次元で認識できるのが人より少ないという点で「作品を余すことなく楽しめない」不幸なことなのかは分からない。
以前には漫画の方が自分のペースで楽しめるし音とかなくて疲れないと思っていた時期もあったが、さらに一周回ってアニメの方がアクションシーンを直観的にちゃんと認識できて自分に合ってると思うようになった。カラフル(モノクロだと地と絵の解釈(輪郭の認識)に混乱が生じる例がある)かつ動きを連続した動画で表現してるアニメは私にとってもほとんど混乱の余地がない優れた媒体だ。
数学を研究するといいメリットは、到達不可能なものを提示しているので、驚愕的な手段を繰り返し、組み合わせるなどによって、お前がしたいことの邪魔に到達できる可能性の
モデルを提示するものとしてその体系や構造を研究する意義がある。
また単なる趣味としても、数学は人類が到達できないことを成し遂げているとしてゲーテも絶賛しているし、やるに越したことはない。
なるだけ完全無欠なものを手段として用意し、適切に発動することを繰り返すと、誰も寄せ付けない高みに到達することを教える点でも参考になる。
しかしこれは東京大学理学部数学科の主導することで、警察の主導になるものではない。
また、FLTは、 メイザーによる、初等幾何学的直観により、 very クラシカル、 very well-known な完全無欠な方法によってエレガントに到達されたので、
この、 very クラシック、very well-knownなものはあらゆる正解を教えるし、子供にばらしても流行る可能性がある。
アスミカケル2話の感想……の前に、いくつか注意点とか色々。(第1話の感想にも追記しました)
【私の感想における注意点】
悪い言い方をすれば、何も考えずに脳死で書いてると言っても過言ではないです。
特に何が良いとか悪いとか考えず、ただ見て感じたものを書いてるだけなので、場合によっては褒めてるように見えたり、逆に貶してるように見えるかもしれませんが、どちらでもないです。
赤い色を赤いと言うようなレベルで稚拙な見たままの直観を出しているものと考えて頂ければ幸いです。この山は大きいなぁとか、そのレベルです。
たまに「あっこの川、深いッ!」みたいな多少の感情は乗るかもですが、基本フラットな自分にとって快不快を問わず感情が乗るのは良い作品だと思っています。よろしくお願いします。
上記の通り脳死で書いてるため、連想ゲーム的に他作品(他の漫画とかアニメとか)の内容やセリフなどを引用したりする事がありますが、比較のためではありません。
つい「この人の髪型ハンバーグみてーだなぁ……」みたいな事を言うかもしれませんが、その人やハンバーグを貶めたり、逆にそれを理由に名作と引っ付けて評価を上げるような意図とかも無いです。皆無にして絶無です。
そのような比較や同一視は両方の作者や作品に対して失礼であり、あくまで自分の中では全く別のものだけど連想してしまったに過ぎないので、あくまで個人の感想である事をご留意して頂けませば幸いです。
③同様に、何かしらキャラや演出などについての評価をする事もありますが、それ自体は特に作品や作者の評価ではないです。
もし仮に私が「このキャラ不快だなぁ」と言ったからといって、それが即ちその作品や作者が不快という事でもないです。不快なキャラを出すことで、相対的に他のキャラの株が上がる事もあります。
世の中にヤベー人間がいるからといって、即ち世の中がヤバい訳ではないように。その作中世界や世界の中の"もの"と作品との評価は全く異なるものであり、なんなら邪悪な人間しか出てこない邪悪な世界の作品でも面白い場合もあるかと思います。
世界最高のコントラバスと世界最高の尺八奏者と世界最高のDJがコラボしたところで、どうひっくり返っても「世界最高のジャズ」が生まれるなんて事はないように。要素同士の相性が良くなければ作品はチグハグになります。
演出とか構成とかストーリーとか諸々の要素が全て満点でも、それらが噛み合ってなければ作品として成り立たないように、あくまで要素と作品全体の評価は別物であると認識して頂ければ助かります。
④また、自分の目線はどちらかと言えば創作者目線気味で「自分が作者だったらこうするかなぁ……」みたいな事を考えがちな傾向がありますが、だからといって作者へのリスペクトが無いわけではないです。
そもそも自分は創作者というより鑑賞者なので、岡目八目で「ああすれば良いのに」「こうすれば良いのに」と言ったところで自分自身が実際にそれを出来るかどうかと言えば答えはNoです。
あくまで読者としての視点でしかないため、実際に締め切り(納期)通りに同等以上のものを仕上げれるわけではないですし、実際その作品と同じテーマを自分が表現するとしたら、それは作者の出す作品とは全く別物になると思います。
素人や読者の視点というのは独り善がりなものであり、あらゆる創作者には個性があるし個々の事情もある。その全てを重んじ、リスペクトしていきたいと自分は考えています。
【感想本文】
という事で、とりあえず電子版 週刊少年ジャンプの125pより、アスミカケル2話(Round.2 取り柄)の感想をじっくり書いていきます。
最初の2p。例によって獏じいちゃんの稽古相手をする主人公の二兎。即落ち2コマかよってレベルでやられる主人公コマ連続。しかし、デイサービスを利用してる物忘れ気味な祖父の稽古相手というのも……当人たる獏じいちゃんが普通に強いから良いけど、骨とか筋肉を痛めるだろうからと止めるのが一般的ではあるよなという脳内ツッコミが入る。
ただまあ現実問題、脳機能的にこそ要介護認定を受けるレベルだったとしても肉体が未だ頑強な武人だった場合、言うことを下手に聞かないと逆に暴れて怪我人が出そうなので、そういう意味ではライフワークなのであろう武術を続けさせるのは悪いとは言い切れないか?問題は第一話の時点で他害が出てる事なのだが、まあ恐らく正当防衛というか私人逮捕みたいな状態だったのだろうと解釈する。次。
一転、呆けた顔でデイサービスに向かう獏じいちゃんと、介護に興味を示す二兎。そして学校シーンでの前話での不良やジムの話。主人公が基本的に情報でも感情でも何でも抱え込むタイプなのが相変わらずである。次。
ヒロインの大牙さん現る。コロコロ表情とかが変わるので、こういう格闘技系のヒロインとしては異色ながら魅力があるのも不思議だ。逆に言うと人の印象が時々で違うリアルさがあるとも言えるか?まあひとまず、こういうヒロインでも誰でも何かしら才能を見初められる系の話はスポーツ系には割りと見られる傾向なように思う。
自分の知ってる作品で言えば「どがしかでん!」とか「タカヤ -閃武学園激闘伝-」あたりも基本、主人公がヒロインなり師範的な誰かに何かしらの才覚を見初められて別の世界に飛び込んでいく……というストーリーラインが出来てるように思う。Web小説界隈で言う「転生もの」とか「追放もの」的な言い方をするなら、「見初められもの」とでも言うのだろうか?
実際問題、「劣等生だけど実は最強」みたいな作品でもヒロインが主人公を褒めちぎったりするので、ティーンエイジャー向けの作品では異性に何かしら見初められたり惚れられたりというのは、一種のモチベーションとして成立するのだろうと思わなくもない。作品の閲覧継続にも繋がるのだろう。まあ何でもよい。次。
主人公がグラップラーだからといって開幕グラップリング勝負を挑むヒロインって正直どうなん?(正直すぎる感想)
まあ総合格闘技で組技ありきな以上、組技それ自体に抵抗は無いとしても……その、羞恥心とかですね。ちょっと変な人で済ませるな。
主人公が自分のコンプレックス理由に乗らないのは良いのか悪いのか……そして今回も示唆コマで終了。これが連続で来るので意外性とか意表を突く感じが本当に無い。もうここまでくると、この良くも悪くも丁寧に次のページ展開を示唆していくのは作風として以降スルーしていこう……次。
ヒロインが野望を示唆したり無駄なカリスマ性を発揮しつつ、ようやく主人公が「ちょっと変」から「変な人」に認識をシフトする……遅いよ! でも流されてジムまで来る主人公。
こういう「主人公を引っ張っていくタイプのヒロイン」というと、先程に書いた2作品以外では他に思いつくのがライトノベルの「アリソン」(時雨沢恵一/著)とか『涼宮ハルヒシリーズ』(谷川流/著)しかパッと思いつかないが、どれも初出2000代の作品。ヒロインが主人公を引っ張っていく準主人公というか進行役になるのは2000~2010年代の主流なのだろうか?
作者の生まれが1983年と、その年代の創作物に触れる機会が多そうなのを鑑みるに、まあこの当たりの流れを引き継いだ作品を作るのは不自然ではない。だからなのか、今回の作品は火ノ丸相撲のときと違ってヒロインの描写にかなり力を入れている感じはする。
まあ、どちらにせよティーンエイジャー向けの作品は主人公も同年代かつストーリーの軸も成長譚である事が多いため、こういった準主人公的な役割の人物もセットでないと話が進めにくいというのもあるのかもしれない。この場合、主人公の二兎は自らの精神的な弱点に向き合い、克己していく必要がある。まあ流されなくなるのに期待。
次……と言いたいところだが、一旦ここで〆。
※今後の展望……
ひとまず今は無限に思った感想を書き連ねていくだけですが、今後は集英社運営のWeb漫画投稿サイト「ジャンプルーキー!」での編集部バッジに倣って、それぞれの話毎に「画力」「構成力」「ストーリー」「演出力」「キャラ」「オリジナリティー」といった要素や、それに加えて(その話数時点での)総合的な感想・評価などを書いていければ良いなと考えています。
というのも自分は創作者志望なところがあり、色々な作品を細かく評価したり分析する視点を養っていこうと考えているからです。無論、養われたからといって実際に創作物を作っていかなければ実力はつかないので、あくまで客観的に創作を見る訓練という感じですが。
また、感想を書いている作品を文字だけで評価するのも難しいところがありますし、他の創作物から台詞等を引用する際にも同様に、画像を原作なりから引っ張ってこれそうなら出していこうと思っています。その際は「作品名(作者名・話数や副題、ページ数)から引用」といった部分を明確にしていこうとも考えています。
(引用する必然性、自分の文章と引用部分の区別や主従関係の明瞭化、引用物の出所を明示し修正等を加えない事など。著作権法に従った引用をしていきたく存じます)
他にも何かアップグレードできそうなところはしていきますが、まあ無理のない範囲でやっていこうと思います。それではまた明日以降に……!
2023/10/04 追記: この日記は週刊少年ジャンプにて連載中の「アスミカケル」の感想文になりますが、以下のような特徴がありますので先に注意点をば。
【注意点】
悪い言い方をすれば、何も考えずに脳死で書いてると言っても過言ではないです。
特に何が良いとか悪いとか考えず、ただ見て感じたものを書いてるだけなので、場合によっては褒めてるように見えたり、逆に貶してるように見えるかもしれませんが、どちらでもないです。
赤い色を赤いと言うようなレベルで稚拙な見たままの直観を出しているものと考えて頂ければ幸いです。この山は大きいなぁとか、そのレベルです。
たまに「あっこの川、深いッ!」みたいな多少の感情は乗るかもですが、基本フラットな自分にとって快不快を問わず感情が乗るのは良い作品だと思っています。よろしくお願いします。
上記の通り脳死で書いてるため、連想ゲーム的に他作品(他の漫画とかアニメとか)の内容やセリフなどを引用したりする事がありますが、比較のためではありません。
つい「この人の髪型ハンバーグみてーだなぁ……」みたいな事を言うかもしれませんが、その人やハンバーグを貶めたり、逆にそれを理由に名作と引っ付けて評価を上げるような意図とかも無いです。皆無にして絶無です。
そのような比較や同一視は両方の作者や作品に対して失礼であり、あくまで自分の中では全く別のものだけど連想してしまったに過ぎないので、あくまで個人の感想である事をご留意して頂けませば幸いです。
③同様に、何かしらキャラや演出などについての評価をする事もありますが、それ自体は特に作品や作者の評価ではないです。
もし仮に私が「このキャラ不快だなぁ」と言ったからといって、それが即ちその作品や作者が不快という事でもないです。不快なキャラを出すことで、相対的に他のキャラの株が上がる事もあります。
世の中にヤベー人間がいるからといって、即ち世の中がヤバい訳ではないように。その作中世界や世界の中の"もの"と作品との評価は全く異なるものであり、なんなら邪悪な人間しか出てこない邪悪な世界の作品でも面白い場合もあるかと思います。
世界最高のコントラバスと世界最高の尺八奏者と世界最高のDJがコラボしたところで、どうひっくり返っても「世界最高のジャズ」が生まれるなんて事はないように。要素同士の相性が良くなければ作品はチグハグになります。
演出とか構成とかストーリーとか諸々の要素が全て満点でも、それらが噛み合ってなければ作品として成り立たないように、あくまで要素と作品全体の評価は別物であると認識して頂ければ助かります。
④また、自分の目線はどちらかと言えば創作者目線気味で「自分が作者だったらこうするかなぁ……」みたいな事を考えがちな傾向がありますが、だからといって作者へのリスペクトが無いわけではないです。
そもそも自分は創作者というより鑑賞者なので、岡目八目で「ああすれば良いのに」「こうすれば良いのに」と言ったところで自分自身が実際にそれを出来るかどうかと言えば答えはNoです。
あくまで読者としての視点でしかないため、実際に締め切り(納期)通りに同等以上のものを仕上げれるわけではないですし、実際その作品と同じテーマを自分が表現するとしたら、それは作者の出す作品とは全く別物になると思います。
素人や読者の視点というのは独り善がりなものであり、あらゆる創作者には個性があるし個々の事情もある。その全てを重んじ、リスペクトしていきたいと自分は考えています。
アスミカケルを電子版ジャンプのバックナンバーにて読む。概ね1p毎に気付いた事などを書いていく。
とりあえずざっくりカラーの1p目(ジャンプ本誌3p目)。最初の「痛いのは嫌いだ」「苦しいのも嫌いだ」「強いから何だってんだ何の意味がある」「怖い…なのにどうして…」「戦わずにはいられない…!!」
この部分で恐らく作品テーマを開示している。要するに、不快さやデメリットを抱えると分かっていても「人が戦う理由は何か」が主題であると思われる。そのため、最初の掴みとして「殴られたり極められる人」を描き、「それでもなお血の滴る道を進む」という事を示唆している。
どうも火ノ丸相撲の人が描いてる漫画であるらしい。火ノ丸相撲もそうだが、格闘漫画それ自体が自分にとっては基本的に相性が良くない。ただし、これはリアルに起因するものなので無視しても良い。表紙については前述のページと同じく、一部を除いた全員が前方向を向く事で戦いにポジティブな要素を示唆しているものと思われる。
次。ジャンプ本誌26pより本編開始。ここで何気なくだが、やや不自然に明日見家の全員をネームプレートに示している。これは古くは沼駿先生の「左門くんはサモナー」に於いても使われた手法だが、「左門くんはサモナー」の場合は特定の意図を持って何度も示されている事に注意したい。ここでは現状、明日見家の全員を紹介する以上の意図は汲み取れない。
家長である祖父の獏は覇気がなく、物忘れ気味な事が示唆されている。また、リフォームをした事および、その前に配偶者(祖母)を亡くしている事も先のネームプレートから汲み取れることが分かる。ただし現状、そこまで読む必要はない。次のページでは息子たる和虎をリフォーム後に亡くしている事が分かる。恐らく獏はリフォーム後に忘れ癖が出ているものとも考えられる。
ここで出ている長女と次女らしき人物は羚と三羽か?最初は二兎だと思ったが、二兎が主人公であると思しき少年であった。兄は一狼。二狼でなくてよかった(良くない)。名前の由来は原則として動物に由来するものと考えられるが、祖父が夢を食べると言われる獏なのは意図してのことか。であるとするなら、他の名前にも意図があると考えて良いだろう。次。
二兎が一般的より冴えない、やや怖がりの高校生として描かれている。ここで最初のページに示されている恐いという部分が示されているため、キャラ付けとしては重要だが、演出として主人公への広い共感を呼ぶという感じはしない。次。
そこで友人が守ってくれたり、格闘技の道について示される。友人が最初は強い(主人公を護る勇気を示す)という点では鵺の陰陽師と同じくしているが、鵺の陰陽師よりは凡庸とした見せ方ではある。逆に言えば奇を衒っていないという事でもあるので、まあ王道と言えるが、王道なりの見せ方として絵力による演出がもう少し欲しいというのは読者として欲張りだろうか。次。
そこで主人公が機転を利かせて窮地を脱するという形でキャラを示す。これも基本的には読者に共感というよりは離れていく方向の形だが、前述の「怖くても戦う」という部分を見せるためにはギャップを作る必要が出てくる。しかし昨今の読者は言うなればせっかちなので、私も例に漏れず「ここで主人公が魅せる部分だろう」という感覚がある。
引き続き、格闘技への道を示すシーンが続く。ここでも主人公はひたすらに怖さを出す。しかしキャラ付けとして一貫しているといえば一貫しているが、ややくどさも出てくる。怖さばかりをピックアップするので、恐らく意図しての事だろうと思われるが、やや強すぎるのではないかとも思う。次。
まだ主人公の弱音は続くが、ここで漸く主人公の資質を見せるシーンが出る。ただしあくまで受け身である。これもスマートに避けるとかでなく受け身なのは、やはり痛みなどを受けるという部分が思想としてあるのだろう。その上でダメージ・コントロール技術としての受け身を出すのは理には適っているが、インパクトとしては地味だ。次。
主人公が最初に示した好みのヒロインを出すページ。ここでも格闘技。これで格闘漫画じゃなかったら何なのかとなる格闘押し。もう少し展開が早くても良い。体幹の概念を出すが、ここで問題は「体幹とは何か?」というのを主人公が知っている事。逆にいうと、ここで体幹について知らない読者に「体幹とは?」と疑問を持たせる効果はあるだろうが、やや濃ゆい。
そしてヒロインの置かれている立ち位置も出しつつ、先程に書いたMMAを出す。しかし主人公が覚えていない。作中時間が経っているのは分かるが、読者としては一瞬なので「…「MMA」って何だっけ…?」は、ややくどい気もする。が、このくどさは恐らく想定する読者層によるのだろう。要は、流れで適当に読んでる読者に向けて思い出させる効果を狙うものと考えられる。そして再びの一狼。次。
物忘れ気味な「じいちゃん」によるMMAの解説と、かつ祖父のギャップ提示。これにより確実なまでに明日見家が武術一家である事を示している。わざわざ道場を別個に建ててるのだから当然そうなる。しかし、そう汲み取れない、つまり格闘系の文脈に疎い読者には「急に謎の道場が!?」となりかねないコンテクストありきの部分なので、やや不親切か?次。
再び「じいちゃん」(獏)の物忘れと、残りの家族や更に家庭環境を明示。(羚以外)。手帳が重要なものだとも示す。次。
ようやく羚の名前が出る。個々の負い目を提示するシーン。回想に入る。次。
過去回想。まあ家庭環境という感じだ。再びの不穏さを提示しながら次。
イジりからイジメに。まあ主人公の情けなさを散々に提示しているのだが、それと対象的に友人とヒロインの格が上がる。次。
ヒロインの戦闘能力に対し、再び主人公の能力を示すシーン。基本的に技を受ける事が前提で話が進んでいく。ひたすらテーマに沿わせようとする意地は分かるが、ここまでくどいと自分としては結構と気になる。
ここで舞台装置だった不良についてはスルーされ、ヒロインの家がMMAなり格闘技関係の事務である事を示唆しながら次に。
MMAジムとヒロインの目的・目標開示。一応、不良にも逃げたというフォローが入る。ヒロインが主人公を見定めている事も暗に示唆しつつ、友人が前進。次。
兎にも角にも主人公の人柄を示しまくる。リアルでなら良いが、漫画なのでくどく感じる。説明は少なすぎても多すぎても良くないが、サラッと流して欲しいのが個人的な感覚。
戦うヒロインなので眼鏡を取るのは当たり前だが主人公が割りと欲求に素直である事も同時に示される。格闘技の説明が入ったため、とりあえず一旦ここから暫くは感想を書きながらでなく流し読みで良いと判断。
どうでもよいが、遠目にヒロインを見るとシルエットだけならワールドトリガーの宇佐美栞に似ている事に気付く。閑話休題。これらの説明類は、大なり小なり格闘技に対して事前知識があるか、興味が無いと頭に入らないのではないかと思う。
主人公の体験パート。「当て勘」など格闘技のワードが続く。この場合は「距離感や位置関係の把握など、空間把握と自身の身体把握ないし操作とがズレている」と考えれば良いが、兎にも角にも主人公の魅力が地味かつ描かれないのが続く。1話も中盤に差し掛かるが、これで大丈夫なのだろうか。次。
フォローとばかり「明日見」の武術について示唆しつつ、また回想と次ページで不穏な事が起きますよというコマを使う。濫用では?次。
不良の顔も三度まで。次。
ここで漸く主人公が「強さ」を示す。
まあ一線を超えるまで強さを示さないというのも良いのだが、良くも悪くもリアルの人間という感じで創作物としては何とも。
ワンピースの1話で言うならシャンクスが酒をぶっかけられるくらいのラフさと、銃を抜いてからの豹変という所に、ここまでページをかけるのか……という感想が強い。
良く言えば丁寧ではある。そして主人公が武術を活躍するのを示唆して次に。逆にいうと、こういう「丁寧だけど驚きが無い」というのが強い特徴に感じる。火ノ丸相撲は本誌かつ序盤しか読んでいないので記憶が薄いのだが、こういう作風なのだろうか?次。
戦闘シーン。組んで、回転させて壁に衝突させ、足を抜いて相手の力を利用して投げ飛ばす。簡単に言えばこれだけなのだが、こういう限られた空間でのストリートファイトは少しコマ割りと構図に工夫をして分かりやすくしていくと有り難いか。
あと「殺れ」はガチの古武術としての教えなら分からなくもないが、MMAメインなのと主人公のキャラには合わない。ここは「躊躇うな」とか「そのための備えをしろ」だけで止めても良いとは思う。次。
ここも戦闘シーンだが、やはり武闘経験がある前提での描写が目立つ。別に理として間違った事は書いてないし描いていないのだろうが……
こういう部分が多いのは、アスミカケル自体が格闘技経験者に向けた漫画なのだとして割り切った方が良いだろう。次。
組技系の格闘家としての主人公披露。当て勘のなさや受け身など攻撃を受ける前提の描写に納得はいくが、絵的に不良のほうが目立ってしまう演出。
ここは思い切って主人公を目立つよう分かりやすく上に描いても問題は無かったと思うが、何かしらの意図があるのだろうか。よく分からない。編集者が気付かない訳がないので、まあ何かしらの演出なのだろう。次。
ヒロインによる制止と事態の収束、および疑義の投げかけと解説。ここも最後のコマは示唆。……「丁寧といえば丁寧」。次。
最終的に格闘技について前向きにはなるという所で終了。
総評……非常に申し訳ないのだが、主人公が言うなれば「極力リスクを負わずに良い所だけ取っていく」という印象が強い。50点のために、解ける問題を解かないというのが事態を悪化させているまである。そこまで考えていないといえばそこまでだが、どちらにせよお調子者という感じで自分には理解し難い。
また、話運びや演出等については丁寧で王道チックだが、それ故に意外性が低く、かつ格闘技関連の説明や描写などが読者の格闘技についての知識や想像力に依存しているため、一話で読者をもぎとるには少し弱いところがあるのではと思わなくもない。それをスルーさせるだけの演出力がもう少し欲しいように思わなくもない。
どちからといえば(古い)マガジンとかチャンピオン向けの話を、あえてジャンプでやってる……という感覚が強く、火ノ丸相撲のように「相撲について分からない人でも付いていける」力があるかと言われると、少し怪しいところがあるのではないかと感じた……個人的な感覚だが、まあ格闘技経験者なら考えずに読めば気にならないのかもしれない。
主人公以外のキャラクターについては、良くも悪くも魅力的かというと何とも言い難い。ヒロイン自体は良い感じに読者を引っ張ってこれそうなキャラをしているが、同時に少しキワモノさも併せ持つ。こういったニッチだったり少々リアルな性格的要素を持ったキャラを扱う場合、週刊少年誌というより青年誌や月刊誌向きなのかもしれない感じはある。
概ねそんなところか。次話以降については、また時間のある時に読んで感想を書くかもしれないし、書かないかもしれない。ひとまず終了。
今週の月曜日(2023年9月25日(月))の晩に、野党が首相官邸前でインボイス制度実施に反対する
インターネット署名を岸田首相に手渡すためのデモというのを開催し、それに一部の漫画家や声優が
登壇していた事で、オタク界隈の意見が割れる形になっている。
参考:#STOPインボイス の署名受け取り拒否と、自民党に署名を渡す事に成功した人が語る「自民党に署名を受け渡すことの難しさ」 - Togetter
この、オタク界隈の意見が割れる形になっているのを見て、「良くないな」と思ったので、取り急ぎ
増田を書くことにした。
先ず、インボイス制度の件について、山田太郎議員と赤松健議員が何もしていなかったと思っている人が
少なからずいるという所に、増田主は「良くないな」を感じた。
以前、当増田主はこういう記事を書いている。
[政治][選挙]「選挙の話 赤松健 と 藤末健三(ふじすえけんぞう)」
2022年夏に行われた参議院議員選挙の際、当増田主は山田太郎議員と赤松健議員に
聊(いささ)か不信感を持っている部分が有った。
それもあり、上記の増田で書いた様に、当増田主は藤末議員に投票したというのが有る。
だが、赤松健先生の選挙当選後の赤松健議員と山田太郎議員の
国会議員としての活動には100%の信用はできないが、75%の信用は出来る
ぐらいには思う様になった。
山田太郎議員と赤松健議員の国政報告会にも何度か参加している。
その中で、これまでに実は何度か「インボイス制度」に関する報告が出ていた事は有った。
だが、二人は自民党所属の議員だ。
自民党という、制度を固める立場の中から、制度を何とかオタク側に有利な物にしようと
頑張るという行為、それが外に漏れては、山田太郎議員と赤松健議員は
自民党から裏切り者として扱われてしまう事になる。
だから、「インボイス制度」に関する報告内容は国政報告会を聞きに来ていた人の間で
昨年(2022年)秋から、今年(2023年)の夏過ぎまでの間、
国政報告会の部屋の外に漏らしてはならないトップシークレットとして扱われていた。
その間に、今年(2023年)の4月頃からTwitterでは「赤松健議員と山田太郎議員は何もやっていない」
「インボイス制度について全く言及していない」という声がちらほら聞こえてくる様になった。
少し、この「赤松健議員と山田太郎議員は何もやっていない」
という声を上げる人が出てきた流れには、当増田主としては不審な物を感じている。
何だか、そういう声を少しずつ流してそういう雰囲気を醸成する事で世論を動かし、
赤松健議員と山田太郎議員に対する支持を失わせよう、自民党に対する支持を失わせよう
とする、何者かの意図が隠れている様な、根拠を聞かれたら直観としか言いようが無いが、
そんな薄気味悪い気配を感じていた。
仮にそういう事をしようとしている何者かが居るとすれば、その何者かは、
今週月曜日(2023年9月25日(月))の晩に、首相官邸前に集まってデモを行った人達の
中にいるのではないかと、当増田主は感じている。
当増田主として、言いたい事は、
「赤松健議員と、山田太郎議員がインボイス制度について何もしていなかったという事は無い。」
「国政報告会で自民党内から意見する事の難しさと、それでも立ち向かおうとしている頑張りは聞けていた。」
この増田を読んだ人へ
上記の事をSNS等で出来るだけ広めて、オタク間で起ころうとしている分断を止める一助になって欲しい。
もしも、「赤松健議員と山田太郎議員はインボイスについて何もしていなかった」
という事を何らかの意図を持って吹聴していた人が居るとすれば、その人は
今週月曜日(2023年9月25日(月))に首相官邸前で行われたインボイス反対デモに必ず
何らかの形で関わっているはずだから。
そして、インボイス反対デモに登壇していた声優や漫画家を叩かないで欲しい。
インボイス反対デモに登壇していた声優や漫画家は、その何者かに言葉巧みに誑かされた声優や漫画家だから。
6:50 2023/08/24
### エロサイトを巡回していて自分が原始的な事をしてる事に気づいた。
エロサイト漁り 見ていったエロ画像やエロ動画は保存しない貯めない辺り
果実の木 巡回 あるいは 川で漁ってる ある意味新鮮 というよりも 他の住居・家を空き巣して漁ってる
毎度自分の想像を超える味の果実で、それが永久に果実ができる樹を探してるような。あるようで無い物を探している。
傍から見れば、ネットで原始的な事をやっている自分に気付いた。
シコったらその場で寝る辺り。欲に忠実で食べたい寝たい時にその場で(不規則な時間に)欲を満たすような。
農業農耕社会のように、インドア派・家からあまり動きたくない。
自慰を約732回+α回 してようやく気付いた。
>直観が相当頓珍漢って言うのに加えて「一度持った着想を捨てられない」という性格があると思う。
これは結構よくある性格で推理とか勝負とかを大きく誤るのは大体これ。
ここの煽り方とかぽくない?お前は自分の考えに捉われてるだけなんだよ馬鹿をオブラートに包んでる感じ
というかこんな癖のあるイキりするやつ他にいる?
これ元のラブコメ増田とは別人の釣りだね。ラブコメ増田に比べて文章が達者過ぎる。
音引きの使い方と表面的な文体をざっくり真似ただけじゃラブコメ増田の味は出ないよ。
俺はこいつが出てくるたびに嫌な気持ちになる、はっきり言って。
で、なぜこうするのか?
作者的にかっこ悪く描いてるのはほぼ間違いないと思うんだけど
なんでそんな風に描くかというと
こういうギリギリ大人の日本語として成立してる文章を意図的に書くのはなかなか難しいんだよね。破綻しきってないから余計に。
やたらに句読点を連打しても電磁波攻撃の被害者の文章を模倣できないのと同じ。
ラブ増が長い話を区切るとき文頭に「で」を付ける傾向があるのを見逃してるよ。ラブ増はこそあど言葉が大好き。「あと」「なんか」「とか」を多用する。改行も大好き。読点を打った直後に改行することがある。気を抜くと関西弁が出て句読点を使わなくなり、読点は全角スペースで代用する。3点リーダーの使い方にはこだわらない。
ね。改めて比べると全然違うでしょ。誤字を入れる程度じゃ誤魔化せないよ。
とりあえず全体的に平仮名増やして語彙絞った方がいいよ。語句の理解が曖昧なのを匂わせつつ、必要に応じて誤用するとそれっぽくなると思う。いらん文節増やして語順ももうちょいグダらせた方が良い。
「根拠はない」の5文字で片付くところを“別に凄く自信がある仮説でもない”と書いてしまうラブ増から突如こんなリズム感のある文章が出るわけないのよ。
文体を変えていたという理屈も通らない。記事へのリアクションに浮かれて追記しまくってしまうラブ増がはじめから反応されやすい文章を書かない理由がないので。
ラブ増がこんな長いセンテンスを違和感なく仕上げられるわけないでしょうが。エミュるなら真面目にやりなさいよ。なんならちょっと素が出てるじゃねえか。
書くなら、
こうだろ!
こうだろ!!
こうだろ!!!
はい、やり直し。
男を騙るテキストの特徴
まず最初に言いたいんだけど
俺は何かを騙るとか逆にそういうのを見抜くとかに関してならはてなの誰よりもぶっちぎりで上手い。
勝手にそう言ってるんじゃなくて、
俺が増田にあらゆるプロフィールで書いた七色の作り話において、本気でやった時に見破られたことは全くない。
わざとヒントを残しておくとたまーにポソッと見抜いてる人がいるけど誰にも注目されてない。
そもそもネット草創期にはそういう騙りとか看破とか荒らしとかの技術が滅茶苦茶発達した後に滅びたんだけど、
俺はその道の才能があったうえにガキの頃から好き好んで努力した。掲示板を荒らすのだけでも10年くらいやったから。
ネームバリューとか専門知識とかに頼らず純粋に文字で扇動するとかに関してなら
ひろゆきや切り込み隊長(なんでこのセットなのかというとそう言うところが発祥の技術だから)よりは俺の方が技術がある。
女が男を騙る時に暴力的な表現を採用するってのはそんなに多くない。そんなにって言うかまず無い。
なんでかまでは知らんけど、沢山観察してりゃこれはわかる。
女は男を騙る時に暴力とか露悪を採用することはほぼないし、それは賢明。
ちなみに男でも暴力表現は結構その人物が分かっちゃうところで、
喧嘩とかどれぐらいしたことあるか、いま肉体的な活動をどれぐらいしてるか、結構わかる。
喧嘩も運動もしたことないモヤシくんはちゃんとそうだとわかる。
だからそこで騙ろうとするのは相当愚かだし、女はそれはほぼやらない。
あと「はっ倒す」も流行りとしては結構古い言葉遣いで、俺の親父が好きなビートたけしの語彙を俺が気に入ってわざと現代まで使ってるのよ。
その相当変な語彙を、女が男を騙る時に採用するかあ?
俺なら「まずないな」って思うね。
妙に古くて気になる。ノリが昔のテキストサイトっぽい。
つーか、君は本当に答え合わせ付きでその手法で女の騙りを見抜いたことあるか?
無いと思うんだよな。
それ以前にさして日頃からそういうことに神経向けて文を読んだりしてないと思う。
「露悪的だから女だ」っていうの、いま思いついたんじゃね?
基地外じゃねーかこのまま喋ってたら。
俺の文章は普通の男のリズムとは違うと思うけど(だって書いてる量が100倍1000倍違う)
それは女だと言える根拠には全くならないだろ。
また口語のリズムなんて年齢や社会階層やクラスタや地域で全然違うからもっと広くいろんな人間の輪に入れ。
つーか君は本当に答え合わせ付きでその手法で女の騙りを見抜(略)
いやむしろ君の並べた中ではこれが一番強い。最もマシ。
他のは正直滅茶苦茶だけど、これはちょっと傾向としてはある。
君のプロファイリング法で加点がつくのはここ。
まず文中にも書いてるように俺にいまいち確信が無いから「みんなの意見はどう?」って聞きたいからなのと、
何よりこんな内容で実例として画像挙げてるわけだから、作者2人に対して悪いじゃん?
俺は俺の感想は自由な論評だと思ってるから別に引け目も反省もねーんだけど
別に各作品を攻撃したいとか各作者に嫌な思いさせたいわけじゃねーわけよ。
「これこれこういう理由で俺にとってnot for meで、こうなってる理由は①②③かと推理するけどどう?」
っていうのをただ提唱して人の意見を聞きたかっただけだけども、
その為には実例挙げるのは不可避だから画像は引用させてもらったわけ。
俺俺使いすぎ
あの文章で俺が俺がって強調してるのは「俺のお気持ちは」「俺の感じたところでは」だからだよ。
そこをあくまで「俺が」と断らないと実例に上げた作品自体がダサキモいみたいな主張になっていくだろ。
この文章でも俺の考えだよってわざわざ何度も断る意味でオレオレって言ってる。
「それはお前の感想だろ!」っていう意味不明な”反論”すげー来るんだぜ。今でも。
想像できないと思うけど男の一人称問題は大なり小なりデリケートな問題で実際もうちょい扱いが慎重になる。使い方が雑なので違和感がある。
えー
こんな文章では毎回変えるわ。
そろそろリアルとネットの区別をつけてほしいというか、君はあまりネットに慣れていないのか?
もっと偉そうなこと言えば、俺ははてな民みんなから賛同を受ける文なんか幾らでも書けるわけよ。
彼等の観念のちょい上の洞察を提示しながら漫画を否定するだけ。出来る出来る。簡単簡単。
でもこの場合にそれをやって満場一致で「そうだな!この漫画キモい!」ってなったらそれこそ作者に対して酷いだろ。
俺のほうも別の脳による考察や反論が欲しくて書いてんだから同調されても書いた意味がなくなる。
だからもうはっきり言っちゃうと、不同意や反論を誘うような書き方をしてんの。
ねっ?ねっ?そうだよね?って。
曖昧な根拠の怪しい主張をこれぐらいのプッシュ度で書くと沢山反論がもらえるんだよ。
反論沢山きたろ?
おれにはマジでキモいとしか思えないあの男(どのエピソード見ても仕草や表情や思考の一つ一つが俺には癇に障る)が
あどけない可愛さだと言ってるブクマカが結構いて、それもどうも女ブクマカに多い。なお作者もたぶん女。
「うえー、マジかー」って思ったけどこういうコメント貰えたから書いた甲斐があるわけ。
自分に同意してるブコメより不同意のブコメと会話する方が楽しいだろ。
俺のそういう配慮の結果のこの弱弱しいふにゃふにゃした書き方を
「同意を求めている!女だー!」っていうのはまー弱くね?
君の根拠の中では一番強いけども。
ただ女はリアルでは同意を求めてくる傾向あるけど文章だと必ずしもそうでもない。
そもそもなんか君は付き合いのある男の階層というか学歴というか何かが偏っているというか
相当狭い「常識」「相場」を築き上げてしまっているように見える。
俺もインターネット戦士時代に身に着けた「相場」観は持ってるけど
それは君の何百倍も観察して努力して培っているしそんな直観だけで何か看破するってことはしない。
君のはなんらかの分析や洞察ではなく「僕の付き合いのある狭い範囲の男のリアルの振る舞いと違う」と言ってるだけ。
ぶっちゃけ俺が漫画の感想をボケ―っと書くと「女だ」って言われることすげー多い。
コンテンツを見る場面においては心が女なのかもしれん。
漫画も女作家のものの方が好きなんだよね。それははっきり自覚ある。
だってラブコメとかもさあ、男性作家が書いてるともう考えてること全部わかるのよ。
もうここまで来たら遠慮せずに具体例まで書かせてもらっちゃうけど、
山本崇一朗の漫画全て、絵は可愛いけどキャラは全く面白くないわけ。俺には。
全部わかるし意外性皆無だし、なんなら自分で描いた話を自分で読んでるレベルのつまんなさがある。
そこへ行くと女性作家が描いてる恋愛とか女キャラは、どうしても俺の発想や感性の外だなって部分が出てくる。
それが面白い。踏み込んだ言い方をすればリアルの恋愛に似てる。
異質感や他者感。
男が描いてる女キャラは俺には見え透いちゃうから面白くねーのよな。
で少女漫画は本物のマニアと比べれば全然読んでないけど、まあ読んでる。
「うるわしの宵の月」は絵の良さの方が大きいけど、男キャラも女キャラも女が描いてるものの方が俺には面白い。
(で、俺が男を騙ってる女なら、「うるわしの宵の月」の話なんかすると思う?
よほど不用心なマヌケじゃなきゃ出さないだろこんなタイトルを。つか少女漫画全般を。)
ブコメに出てきた「君に届け」は風早君がそこまで理想的じゃないダサいところのある高校生男子って趣向だったと思うけど
「直で告白してこない女はNG」とかのあいつの心の狭さが俺には嫌だった。
どうでもいいことで相手の心を否定的に深掘りして道義的な大減点ポイントとして裁いて気持ちよくなる心理。
男にもそういう奴いねーとは言わないけどやや女に多い。
どっちにしろ断る癖にそういう風に相手を責めるようなこと言い出す風早嫌なやつやなーってすげーカチンときた。
それぐらいのことは鷹揚に受け止めるのが男であって、
風早があんなコセコセしたやつなのはキツい。俺もうとにかくあいつ嫌い。
正直「君に届け」は面白いとこまで限定でもそこまで名作とは思えねーわ。
俺の得意分野だから「その見抜き方はちょっとどうかと思う」ってことを説明したくてグチャグチャ書いたけど
俺の書いたものに色んな反論してくれたり、人物像まで推理してくれてちゃんと文にして主張してくれたり、
そういうの全部歓迎だし有難いと思ってるよ。
俺むかーし特定作品を褒めたらガバガバ根拠で「これは作者だ」とか言うクソ推理を披露されたことあって
んなわけねーのがわかるような文を書いたうえでギタギタにバカにして罵った記憶があるけど
俺が男だとか女だとかは誰の迷惑にもなんねーもんな。
あと余談だけど
作者の性別を気にするとすぐ「偏見だ」「性差別だ」「そんなこと気にするな」みたいなこと言ってくる奴いるんだけど
いや女性作家の作品の方が面白い可能性高いんだから俺にとって作者の性別は重要なのよ。
実際性別が違えば見てきたものも思考も違うんだから、それは作品に影響するに決まってんじゃんな。
性別が影響しないとか言ってる方がどうかしてるというか、建前主義が行き過ぎてると思う。
増田での釣りは、よほどあからさまなものでない限り成功するので、増田での成功体験はあまり自慢にならないと思う
2023/08/19
2点あるんだけど
まず俺はそんなのとは質も量も全く違う。
もう一つとして
作り話でブクマ300~500取るのは俺には簡単でもこの人や☆つけてる人に簡単かは別の話だよ。
できらあ!って本気で思ってるなら10回ぐらいやってごらんよと思う。
俺は「出来る」とか「簡単」とか豪語することについては何度とない実践と実績があってそう言ってる。
この人もたくさんそういうことを実践した上で「自慢にならない」と豪語してるならまだいいけど、やったことなくてこんなこと言ってるなら人生に臨むうえでの悪い癖だと思う。
araikacang 匿名の書き込みと書いた人物のリアルな属性を、傾向を知るのに充分な数で確認したことあるやつなんていないだろ。本人が見破られた事ないのも、他人の手法を知ってることにはならないからなぁ…。
2023/08/19
属性がわかってる文章をたくさん集めて読む、写経する、その書き方で延々何かを書く、と言う修行をするから。
もちろん収集物の中に騙りが混ざってる可能性はゼロではないけどそれは沢山やってりゃ問題にならなくなる。
俺からすれば殆どの人について思うのはやってる量が足りないってこと。
ysksy “俺が増田にあらゆるプロフィールで書いた七色の作り話において、本気でやった時に見破られたことは全くない。” コピペにマジレス全開な増田でそれ誇られても…
2023/08/19 リンク
そんな一回や二回じゃないから。
10回やってみなって言うのはそういう話で、
何の分野でもそうだけど「それはこうやれば簡単」と豪語する未経験者は10回やってみるといい。
たぶん1回目で躓いて全然思ったように出来ない。
3回なんか全然できない。
みんな10回にトライする前に投げ出すんだけど
一握りの投げ出さずにやり切った人間はやる前とは別人になってるし考えも変わる。
これ何言ってるかわかんないとすれば何ごとも10回やったことがない人。
parrying 大きな嘘をつくと小さい方の嘘は見逃してもらえるメソッドあるよね
2023/08/19 リンク
それは小手先の技としてはあるけど、
結局作り話はディテールに始まりディテールに終わると俺は思ってる。構成や流れで押し切るのは美しくない。
narukami 主観に主観をぶつけられてもいずれも等しく読むに値しないというか……いやまあここはお前の日記帳だから好きにしたらいいんですけども…… 増田
2023/08/19
俺を女だと主張した増田は当人なりの看破のメソッドや論理を披露している。
だから俺も「ここはおかしくない?」「ここは違うと思うよ」と具体的な反論が出来るわけ。
俺の反論も主観ではわからない・書けないことを結構披露している。
別にどっちを信じてもどっちも信じなくてもいいんだけど
これが主観と主観のぶつかり合いに見える人はそもそも主観の意味を分かってないと思う。
ていうかここまで読んできても俺が女に見えてる人が居ればそれは
直観が相当頓珍漢って言うのに加えて「一度持った着想を捨てられない」という性格があると思う。
これは結構よくある性格で推理とか勝負とかを大きく誤るのは大体これ。
ニュースでも何でも自分が直観持ったこと書き留めておいて後で必ず答え合わせをする。
これを地道にやってれば自分の直観の的中率がどの程度かとかどういう偏見があるかとか自覚するようになる。
これをやってないと殆どの人は都合悪い結果を忘れて自分の直観の的中率を過大評価する。
"俺は何かを騙るとか逆にそういうのを見抜くとかに関してならはてなの誰よりもぶっちぎりで上手い" ここでこっちが恥ずかしくなってきて先を読めなかった…背中がむず痒い。こういうのは小学生の頃に卒業してくれ…
2023/08/19
いやそこは譲れないっていうか俺は十一人の筆頭だし実質的に増田の王だから。
もしも獲得ビューとかブコメ数とか出したらぶっちぎりだし、あれもこれも全部俺だぞ俺。
そもそもモノの価値がわからない殆どの人はこの騙りや看破を子供じみたアホみたいな遊びだと思ってるんだろうけど、
令和5年でも全く時代遅れになってもいないし、
表向き伝承者が途絶えてるだけで今でもこれはバリバリに有用な技術だよ。
俺は殆ど大量の作り話して遊ぶことに使ってるけど、
逆にそれを潰すとかが出来る。
気に入らないネット論客()の威信やメンツをペッタンコにするなんてことは問題なく出来る。
noteを売って盛んに感想をRTしてるようなタイプは特にそれがやりやすい。
近づきやすいし反応を確かめながら何に反応した何に喜んだ何にオヤという反応をした、って情報収集できるから。
いい加減な文を書いてnoteにして稼ぐとかはいくらでも出来る。
まあこう説明してもその価値すらピンと来ない人が99%だから俺も誰にも伝承したことがないんだけど。
スジのいい人間で教えてくれって来たら喜んで全部教えるんだけどまあ来ないだろう。
本当に重要な技術はただで教えるといっても興味持たないのが人間よな。
たぶんいろんな世界で同じことありそうな気がする。
嬉しい反応があった。
これ元のラブコメ増田とは別人の釣りだね。ラブコメ増田に比べて文章が達者過ぎる。
これぐらいわかってくれると嬉しいんだよな。
よく見ている。
そうだよなかなか難しいんだよ。でも俺だ。
反論が沢山欲しかったのがひとつ、実例として使った2作者への配慮がひとつ。
あとどういう文が「反応されやすいか」については総合的な状況で全然変わる。
それにしても君はよく見ることが出来てる。
ってニュースに
超個人的な祈りとして、私が好きな作品のクリエイターとその周辺の皆様には、作品完結までは何卒健康にお気をつけいただきたく。
2023/08/15
2023/08/15
というブコメらが人気1位2位につけてる。
こいつらどう考えても不謹慎じゃん?
どちらのやつも丸山俊平さんという人間の死に何も情緒が動かなかったんだろうけど
1位「俺の好きな作品の制作者は完結まで死なないで欲しいと思います」
どうよこれ。
「丸山俊平さんが亡くなったことを悼みます」要素は微塵もねえって言うか
むしろ「丸山俊平さんの死には何も思わないけど~」って内容だよなこれ。
わざわざ人の訃報に際して書くことかこれ。
これが1位2位。
俺も丸山俊平さんに何の思い入れも無いしガルパンは見たことないけど
まあ失礼だし不謹慎だし。
でも俺はこの2人やこれを人気1位2位にしたやつらを責める気は全くないんだ。
不謹慎なんてことはその程度じゃん?
言いたいことを言う権利の方が優先されるべきだって俺は思うから、
この2人の発言とお前等の☆がかなり失礼で不謹慎だなーって感覚は持ちつつこいつらのことを支持するわけ。
だからお前等もそうしてほしいんだよ。
不謹慎ですか。そりゃそうですね。それで?
俺はそういうスタンスで行きたいわけ。
お前等だってこの不謹慎で失礼なコメントを人気1位2位に出来るんだから、出来るんだよ。
俺はこの2人とお前等を支持する。
でも自分の好き嫌いでそういうことを判断しちゃいけないから全部支持するんだよ。
違うだろ。
自分の好みの表現だと不謹慎でも失礼でも気にせずに支持するのに
自分の感性と衝突する表現にだけ「不謹慎だ」「許されない」って言う奴等なんだよ。
口喧嘩次元であいつらを侮辱し返せばいいだけだろ。ネタは無数にあるし何でもアリなら勝てるよ。
自由を選んだんだろ。