はてなキーワード: サンタとは
自分が親で、子どもが「サンタさんにSwitchを頼みたい」と言ってきたら困る?
Xで、さすがに高価であげられないものを頼まれた時どうすればいい?という育児垢の投稿が伸びてた。
発信源のアカウントはパソコンを頼まれて、しかも子どもの友だちはもらってたとかで、まあ確かに金銭以上にちょっと困っちゃうだろうなと思う。
問題はそれについてた反応で、少なからず「うちもSwitchねだられて困っちゃって〜」と言ってる親がいるのだ。
安いものではないから買えない家庭があったり、ゲーム禁止の家が少しはあったりしても不思議ではないのだが、Switchを買わない勢が明らかに想定以上いる。多すぎる。
(本増田では、ケーキの件の炎上とかには触れません。ご安心ください)
増田は参加歴もう5年ぐらいになり、毎年の「贈られた本ランキング」や現場の写真にも目を通してる。
その中で、そろそろ参加する皆様にお願いした方がいいのでは?でも公式はきっと言えないよね?と感じることがあるので、本当に余計なお世話だけど、言います。
選書が古すぎる。
確かに絵本や児童書は、古典的名作が何百版と刷られていつまでも書店に並ぶ、特殊ジャンルではある。
ブックサンタやってみようかなー、と数十年ぶりに児童書売り場を訪れて、子供の頃大好きだった絵本を見つけて嬉しくなっちゃうサンタさんの気持ち、増田もよーくわかる。
いい本だから、今の子にも読み継いでもらいたいよね。きっと好きになってもらえるよね…
ところで、公式もさんざん言ってるように、ブックサンタではいつも、小学校中学年〜高学年向けの本が不足しているそうです。
つまり、10歳ぐらいの、ご家庭に余裕のない子供が、唯一のクリスマスプレゼントとして本を待っている。
そこに、新品とはいえ、学校の図書館でも余程の本好きしか手に取らないような、えーと例えば岩波少年文庫とかが届くわけよ。
その辺をもう少し考えてほしい。
ご家庭での読み聞かせや学習フォローが難しく、読書の力や習慣が足りないお子さん、発達の遅れのあるお子さんも多いわけよ。
ブックサンタではご家庭の希望を考慮して本を届けてくれるそうなので、恐らく、現場ではかなりのミスマッチが生じてる。
半世紀前に書かれた超有名翻訳絵本が10冊ぐらい現場の書棚に並んでる写真も見た。あれらの引き取り手は現れるのか、たぶん児童施設とかに寄付されることもあるんじゃないかな…
プロジェクトを永続的成功に導くために、サンタさんひとりひとりが、望まれる本について考える時期が来てると思う。
偉そうに語った増田はどうしてるかというと、鉄道が好きなので、少し大きい子向けの鉄道の図鑑は毎年選ぶ。
女の子向けのキラキラした生活指南書みたいなものが最近よく売られてるから、これは需要あんねんな、とそれも選んでる。
総ルビの本しか選ばない。3年以内に出版された本しか選ばない。小説を選ぶ人が多そうだからその辺は避けて、生活に役立つか、違う世界のことを知れる本。なるべく説教臭さがなく、何度読んでも楽しい本を頑張って選んでる。
今年はみくのしんが走れメロスを読むやつ入れます。オモコロチャンネル好きでしょ小学生。
そして、増田の悩みも聞いてほしい。増田はゲームがわからない。マイクラの本、攻略書から冒険小説まで幅広くあって、小学生がどれを喜ぶのかわからない。マイクラじゃない方がいいのかも。
おれはこの本が好きなんだよな〜読ませたいんたよな〜みたいなの、親に散々やられて嫌な気持ちになったので自分がそちら側に回りたくない。
ブックサンタを何度かやってれば知ってると思うけど、幼児〜低学年向けの本は余るほどあるが、高学年になるにつれて減っている。
なので私は本を自分で選ばず単純に金を贈っている。
そうすると足りない年齢の本を自動でブックサンタ側が選んでくれる。
本が足りなくてもらえない子が一人でも減る可能性がある。
また、クラファンで寄付を行うとしおりかステッカーももらえたりする。かわいい。
ここ数年、ブックサンタはこの時期になるとそれなりに話題になるので知ってる人も多いと思うけど、色んな事情でクリスマスプレゼントを貰うのが難しい子供に本をプレゼントするっていうNPO法人の活動で、協賛書店で本を買ってレジで「ブックサンタです」って言うとその本を預かってくれるというものがある。
去年やってみたんだけど、あまりにも選書に悩み、自分以外の人が何を選ぶのかも知りたすぎたので、次は友人を集めていっせーのでやってみたいと思っていて、それを今年やった。
友人と自分の計5人で本屋に集まり、ヨーイドンで本を選びに散って、決められた時間に集合して手札を晒し合うという感じにして、友人の選書を見せてもらった。
私は今回、『谷川俊太郎質問箱』にしようと思っていたけれど、書店に行って見たら取り扱いがなかった。
ので、悩んだ結果『小学館こども大百科キッズぺディア』にした。
これは、私が小さい頃父親に誕生日プレゼントとして欲しいものを聞かれて「面白い本が欲しい」と答えたところ『21世紀こども百科』を貰ったという経験があって、そしてそれを暗記するまで貪り読んだ記憶があるので、やっぱりこういうものを読むのって物凄く世界が広がるよね、という思いがあるので。
ただ、最近の百科事典や図鑑は分類分けされての発行が殆どで、「いきもの」「歴史」「音楽」とか、特定分野の百科事典はあれど、全てを網羅するタイプの百科事典は実は全然並んでおらず、『小学館こども大百科キッズぺディア』は2011年発行で結構古くて、でもこれ以外にそういう百科事典がなかった。もうそういう百科事典は出版されないのかな。『21世紀こども百科』で世界の広さを知った身としては、多少項目が少なくても全分野を網羅した百科事典こそが子供の可能性を広げてくれるんじゃないかと思ったりするけど。
友人1
2歳向けの絵本。
送り先の子供に2歳児を想定していなかったので、これは私にはない選択肢だった。
友人2
友人曰く、これを読んだ誰かから第二の柳田國男が生まれるかもしれないしとのこと。確かに本を贈るのは投資でもある。
友人3
この本って中学年向けなんだ、というのがちょっと意外だったけど、確かに内容としてはそうかもしれない。
友人4
400色近い色の名前となりたちを綺麗なデザインでまとめた小さい本。
多分読む子供を選ぶけど、好きな子には凄く刺さりそう…というか、私がちょっと欲しかった。これがプレゼントで自分だけのものになったらきっとすごく嬉しかったと思う。
これらの本はレジで書店に回収されるので手元には勿論残らないけど、友人の選書の過程を眺められたのは結構面白かったし、やっぱり皆だいぶ悩んでいた。対象年齢も性別もよくわからないというのもあるし、最近のトレンドもわからないし。
青い鳥文庫の棚を見ても、私達が子供の頃とは雰囲気が少し違って、『パスワードシリーズ』とか並んでなかった。自分の思い出の本を贈るのも楽しいけど、でも今時の子には面白くないかも、というのもある。
私が最後まで百科事典と悩んでいたのは、女児向けに「おしゃれ」「友達付き合い」「マナー」等をかわいいイラストで手引きするタイプの本で、これが結構棚の面積をしめていた。この手の本、実際すごく役に立つのでバカにもできないのだ…結構分厚いけど、パラパラ読むと私もこども時代にこの本読みたかったなと思う。
「しごと図鑑」みたいなのも迷ったんだけど、これは、世の中にはこんなに沢山の仕事があって、皆には職業選択の自由がある、何にでもなれるっていうのを子供に伝えたいという気持ちがあるためで、なんかそういう気持ちだけ贈り物の本を選ぶことに若干の躊躇いを覚えたのでやめちゃった。
役に立つとかそういうのじゃなくて、面白いかどうかで本を選びたいんだよな。
ブックサンタをやったことがある人、やる予定の人、どんな本を選んだのかな。他の人のも聞いてみたい。
ていうかこういう本の選び方で合ってるのかな。
本当にこれで子供達に喜んでもらえるんだろうか。
俺が!俺がサンタだ!!😟
使い方もよくわかっていませんが、どこか匿名の場所に吐き出したかったので失礼します。
そんな私は障害を言い訳に何もかも諦めて人に頼るのは嫌で、けれどどうしても苦手なことがある自分に自己嫌悪を抱いて生きてきました。
そんな時、どんなに私が嫌がっても常にそばにいてくれたのが母でした。
ずっと母のことは苦手だった私ですが、今日明確にその理由を自覚してしまい、心が折れそうになっている状況です。
いつからこんなに関係が歪んだのか、母は私の人生の最初から歪んでいたのかはわからない。けれど、ひとりごととして書かせて頂きたくこの場所を選びました。最初に言いますが、ものすごく長いです。それに特に目的もない文章であり、私視点のものの見方が多分に入った不公平な記録であり、ただの私の愚痴でしかない部分も大きいです。勢いだけで書き殴り、文章校正もろくに行っていない駄文ですが、お目汚し失礼いたします。
現在、私は18歳。生まれた時からアスペルガーとADHDであり、小学校の時に診断された(伝えられたのは中学の時)と聞いています。中学の途中からいじめで不登校(別室登校をする日も多かったですが)となり、通信高校に進学。今の法律だと成人と扱われる年齢で、あと1ヶ月もしないうちに19となります。本来は大学生か社会人になっている年齢なのですが、去年のいざこざが主で課題どころじゃなくなり、留年となってしまいました。現在は高校生活4年目を過ごしています。
また、普通のことなのかもしれませんが自立を目指しており、まず誰かに金銭的に頼らず、家事も全て一人でして、完全に自分だけで日常を完結させることを目指しています。不出来で未熟である故に、バイトは面接でずっと落とされているのですが……
母は50代。私が生まれてからの範囲だけで肩書は何度も変わったが、今は看護学校の生徒兼、土日勤務の老人介護施設職員として生活しています。
他、いわゆる面白い人で、いわゆる気弱という単語で想像する押しの弱い性格ではないけどどこか気力が弱いと感じる父と、高校生かつ彼氏もいて青春を謳歌している妹の4人が私の家族でした。父は今現在は単身赴任中ですが。
現在の家は端的に言って地獄。使った後のものを捨てられず、ゴミを撒き散らして片付けもしない私と。それに怒る母。料理した後の食器を洗わない私と、それに怒る母。調味料は出しっぱなしの私と、怒る母。部屋に籠る私と、怒る母。
正直片付けは明確に私が悪いです。昔から苦手なのに矯正しきれなかったし、最近は何をするのも面倒で悪化しているほどですから。
ですが、私視点の言い訳にしかならないのは重々承知ですが、料理関連は私としても文句があり、私はたとえば肉を焼いたフライパンも、それを乗せた皿も、食べるのに使った箸も一度に洗いたいのですが、母は私が食事をしている間フライパンが放置されるのが我慢ならない様で、リビング中に響き渡る小言を言いながら勝手に食器を洗ってくれます。そうしては
と怒るのです。単に私が先に洗えばいいのはわかっているのですが、後述するトラウマもあり食事はできるだけ早く済ませたいのと、そもそもどうしても母と顔を合わせて、大小さまざまなトラブルが発生するリビングに私は長く居るのが嫌ですから。母もいちいち怒っていては疲れるでしょう、というのは言い訳にしかなりませんが。
洗い物の量にも怒るため、例えば結構火に気を使う必要がある料理で2回バターを使うタイミングがある場合、2回目のバターを皿に取り分けるとまた皿が増えるのでバターのケースを10分程度出しっぱなしにしていると
「腐るでしょう」
先述しましたが、こんな状態でリビングにいては私も疲れてしまいます。我慢できれば良いのでしょうが、毎日こんな環境に晒されていては精神が壊れてしまいますから我慢もできなくなっていきます。なので部屋にこもって過ごすことにしたら、
「なんで歩み寄ろうとしてくれないのか」
と部屋の外から叫び出す始末(部屋の戸は勝手に開けるなときつく言ったためもう開けてこないようになりました)。
あと私が母を嫌いな理由に、会話を露骨に誘導してくることがあります。
たとえばラーメン屋に一緒に行った時。
「席どこにしようか、お座敷は嫌だよね?」
「でもママは嫌だよ?」
これはほとんど本来の会話そのままで、最初から嫌だと決めつけて聞いてくるのがまず少し私は不愉快で。だから今までははいはいと従ってきましたが、自立のために意見を言えることも大事であると多方面から言い聞かされているため反論すると母の意見に誘導しようとするのです。最初から母が嫌なだけだと言って欲しい。あと、もう法律上成人となったほどの私にいまだに一人称「ママ」なのが気持ち悪いと思ってしまうのは単に私の心が狭いだけなのでしょうか。
その後テイクアウトがあると知り、メニューを開いて会話した時も
「テイクアウトどれがいい?」
「餃子、妹が食べてるのみて美味しそうだった」
「あれは冷凍食品だよ」
「あっこれも美味しそうだよ」
「餃子にするって言ってるじゃん!!私は餃子って言ってるの!!もう変える気もないんだって!!!」
「なんでそんな畳み掛けるように言うの?壁を感じる」 と。私は数日前から妹と母がいる状況で「この餃子はどこで売ってる?」などと聞いたり、とにかくずっと前から餃子が食べたくて、食べれる機会があったら餃子と決めていたのです。なのに3度4度聞き返す。遠回しに餃子を却下しようとしていると思うのは私の捉え方がひねくれているのでしょうか。
こんな中でも私は定期的にリビングにいく必要があります。私の部屋にはキッチンも冷蔵庫もないため、食事の時は必ずいく必要があるからです。今日、日曜日の朝もそうでした。仕事か何かで母がいないことを祈りながらリビングに入ると、普通に母がいました。とりあえず食事だけ済まそうとすると、またしても「なんであれができない」「なんでこれができない」と説教の嵐。最初にも書いた通り、私は発達障害です。もちろんそれを言い訳にはしたくありません、最終的には自分の脚で立って生きていきたいのです。ですが、スタートラインが少し後ろにあるのも、『できない』ことが多いのも悲しいながら事実で、この『できない』ことにより私は自分のことが嫌いになっています。要は『できない』という言葉は、『できない子』であるというレッテルは、私の心の傷なのです。気遣えなんて言いません。私が少し自制すれば済む話でした。なので、今朝のきっかけは私だったと思います。
「できないなりに必死にやっているんだ、成長するまで少し待ってくれ」
内容としてはこんな感じでしたが、多少怒鳴るような声と顔で言ってしまったかもしれません。そこから言い合いになり、できないなら頼れという母の主張と、私は自立しようとしている、家を出ようとしているという主張の対立に話が進みます。少し頼るくらいいいじゃないか、と思われる方もいると思いますが、母は私が『できない子』であることを前提に助けの手を伸ばすのです。そして私が何かを成し遂げると
「できない子なのに頑張っててえらいね!」
といった要な意味合いの褒め方ばかりするのです。
なので、私は母に頼るのが絶対に嫌でした。意地を張っているだけです。ですが、本当に私は母が嫌いでした。
「なんで歩み寄ろうとしないの?なんで相手のことを理解しようとしないの?」
「ラーメン屋も会話を楽しみたかっただけで圧なんてかけてない、そう捉えるお前が悪い。こっちがどんな気持ちで誘っているかも知らないで」
「そう捉えるお前の性格が嫌われる原因だ」
「周りより成長が遅いのに大人になったつもりでいるな、成人だけどお前は子供でいいんだ、子供でいろ」
「今の話の何割が本当?本当によく考えて出した答え?もう一度よく考えて本当の気持ちを教えて」
「頑張って大人びないの」
「料理とかで誰かに助けを求めな?…他に探してるの?そっか、それは私じゃないんだね。じゃあ料理する場所も私のキッチンじゃないよね?」
「どうせこの話も言いくるめようとしてるって思われて終わりだ」
など、優しいようで私の行動を誘導してくる説教が延々と続きます。
極め付けに言われた言葉が私の母を母だと思う心にとどめをさしました。
「結論としてはママは(私)に子供でいてほしいんだよね、お世話したいんだよ。できないこと助けてあげたいんだよ」
母は、私がずっと『できない子』であることを求めている。そして、できない子の世話を続けることを望んでいる。母の理想の可愛がり方ができればそれでよく、そうじゃないなら要らない。そう認識した私は、ひとしきり部屋で泣いた後この文章を書き殴ることにしました。
思えば昔からずっと苦手でした。
比較的最近の出来事だと、私が留年するきっかけになった妹を119で搬送してもらった去年の話。毎朝毎晩家族喧嘩が勃発しており、私はその時はまだ事なかれといった感じで、とりあえず適当に流したり、会話を無理に遮ったりして根本的な解決を試みたり文句を言ったりしないまま毎日を過ごしていました。そんな毎日のとある朝、寝坊した私を妹が泣きそうな顔で起こしており、部屋に入るなと言っただろう、と言う前に妹はスマホの画面を見せてきました。
「声が出なくなった」
と。私もかなり気が動転し、できるだけれいせいになりながら妹のかかりつけの精神科やさまざまな外来を巡りました。ネットの知り合いで集まったサークルで聞いた話でしかありませんでしたが、声が出ないのは重大な病気の可能性もあるとのことで、私は救急車相談ダイヤルなどを一旦挟んだのちに、妹をこのまま失うのが怖すぎて、救急車を呼ぶと言う判断をしました。
結局妹はそこまで重大な病気ではなく、声も早ければ当日中に戻ると言われました。私は安心したのですが、その後駆けつけた両親からの説教の内容に私は耳を疑いました。
多少、怒られる覚悟はしていたのです。親になんで頼らなかった、と。ですが今回妹が怖がっている親に会わせるわけにはいかない、私がどうにかしないと、と思っての独断でした。説教の覚悟はしていました。
「なんで救急車を呼んだ、社会に迷惑をかけた、本当に助けが必要だった人がいたらどうするつもりなんだ」
なんでこういう説教なんでしょうか。妹がその、助けが必要な人だったら、妹はどうなっていたか。結果何もなかっただけなんです。妹は声が出ない、どんなに頑張っても出ない、という通常ありえない、明らかな何かしらの症状が出ていたのに。
リアルの知り合いに頼れる人なんていませんでした。結局またネットの友人(一応年単位の付き合いであり、毎日少しずつ親の話を聞いてもらって、ネット上という前提である程度信頼していた相手でした)に相談し、強硬手段として親を110通報したのです。 そこから私たち姉妹は叔母さんの家に保護され(結局妹が帰りたいと言い出したので5日程度で帰りました)、少なくとも2種類の緊急番号を実行した私と親の間には明確な溝が残りました。
この件で私は心身をかなり病んでしまい、最終的に精神科病棟に3ヶ月入院することになりました。それが高3の最終課題提出時期と被り、私の留年は確定しました。
この一件があまりに大きいのですが、それ以外も昔から『毒親』と言ってしまった時に怒鳴られた数日後
といったら、
と絶叫のように怒鳴りつけてきたり、小学校の頃まだサンタを信じていた妹がクリスマスにシルバニアの家が欲しいと言えば最初から
「さすがに子供っぽいよ」
と難色を示し、結局当日には全く関係ないラジコンヘリを枕元に置いて妹を泣かせたり、
私が学校の授業で2歳の頃の誕生日パーティの写真を使い、写っていたビール缶が誰のか友達に聞かれた時に母と答えたら
「なんで私が酒飲みだってバラしたの、おじいちゃんでもおじちゃんでもよかったじゃん」
と大泣きしたり、いろいろなことがありました。
こんな母でも若い頃はちやほやされて、某大手ソースメーカーのパッケージデザイン部門に勤務していた頃、専門知識もないのにその見栄えを買われて『味の専門家』なんて肩書きでテレビに出たりと、まあ中々に話題の中心にいる人物だったようです。
少なくとも、私は母に対等に人間として扱われていない、ということだけははっきりわかりました。
自立しようとすると途端に態度が冷たくなるんです。私が母と食卓を囲みたくなくて自分で料理をするようにした際も、
「私の料理が食べられないのか」
と露骨に機嫌を悪くし、会話の機会が減ればそれだけで怒鳴りつけてくるほどに苛立つ。会話を増やして結果喧嘩も増えれば、譲り合わない(=母の主張を飲まない)私が悪い。
おそらく、母にとって自立した私はどうでもいいどころか無駄に喧嘩を売ってくるうざったい存在なのでしょう。
いつまでもよしよしと可愛がることができる子供でいてくれないと、母は愛してくれないのでしょう。
そもそもきっと、最初から愛してなんていなかったのかもしれません。愛していたとして、それは人間を愛する感情より、小動物をケージの中に閉じ込めた上で餌をやり撫でる感覚に近いのだと思います。事実旅行などは向こうが一方的に決めて連れ回してきますし。
こんな私ですが、母のことはもちろん大嫌いです。と同時に、捨てきれない執着と苦しみを同時に抱いています。
私はあの人間が大嫌いですが、「母」という存在にいまだに夢をみているんだと思います。「母」に無条件で抱きしめられて、他より劣っていたとしても、逆に他より優れていたとしても、私が私であるだけで愛してくれるような存在をいまだに求めているんだと思います。
私にとっての「母」は、対等に愛してくれないあの人しかいないんです。どんなに嫌いでも、憎くても、私は愛情を求めるたびにあの人の顔が脳裏に浮かびます。
結局はこんなことを書かせてもらったとしても、最終的には私が踏ん張って逃げ切るしかないんです。なのにこんなことを書くのは、きっと肯定が欲しいからなんだと思います。
別にできない存在として、仕方ないなあと甘やかされたいわけじゃないんです。ただ、私が母に対してひねくれた見方をしているから苦しいだけで、母は普通に愛してくれているのか。それとも、私が苦しいと感じるのは別段おかしいことではないのか。その答えが欲しいだけで、こんな長文を書いているんだと思います。そして、ひねくれているだけだと言われたら余計に傷つくし、単にあなたは悪くないという肯定が欲しいだけであることも自覚してはいるんです。それでも自制ができなかった。
本当に、お目汚し失礼しました。もし最後まで全文読み切ってくれた方がいましたら、綺麗事も誇張も抜きで幸せを祈らせていただきたいです。
ネットの先の顔も性別も年齢も、書いてあることが真実かすらも不確かな相手の戯言を最後まで聞いてくれる人は、どこかで成功して本人が満足できる人生を送って欲しいですから。綺麗事にしか聞こえないとはわかっていますけれど、祈りたかったので祈らせてもらいました。ありがとうございました。
成田悠輔のプレゼンを初めて見たけど、こんな歩くソーカル事件みたいな人物が持て囃されてたとはさすがに思ってなくて唖然としてしまった
現状否定の材料を色々持ちだしてきて、自分が絡んでるプロダクトを褒めて見せて、それと比べた比較対象が如何に劣悪で魯鈍かを蔑んで見せて、実現できそうもなく成功する根拠もない改善策を提案したあと締めが「諦めろ」」「サンタに壁を壊してほしい」(プレゼンがクリスマス前後だったんだろう)
こんなクソの役にも立たない悲観的夢想論のパフォーマンスプレゼンをルックスのよさとレトリックの巧さだけで成立させるスキルは確かにすごい
でもこれに頭下げて金払うのはさすがに虚無すぎるだろ
そんなにこれを呼んでくると客が集まるの?
精巧な食材サンプルをあまりに美味しそうだからってそのまま食ってるようなもんだろコレ
世も末すぎる
BBCのジャニーズ性被害報道に端を発する一連の騒動を受け入れられない一部ジャニオタが
といった陰謀論に染まっている。
https://x.com/charitysanta14/status/1801464733033500992
寄付をして貧困家庭の子供にケーキを届けるシェアケーキという仕組み。
この仕組み自体は前からあったもだが、この仕組みに推し活の概念を加えた「推し寄付プロジェクト #ケーキのWA」という企画が立ち上がる。
この企画のプロジェクトリーダーにSUPER EIGHTの村上信五が就任した。
暇空に感化されてNPO法人=悪という認識になったジャニオタによる言いがかりポストが投稿される。
URL貼りすぎると投稿できないので投稿元URLは割愛するけど、↑に貼ってあるNPO法人チャリティーサンタのポストについてるリプライ・引用RPだけでも酷いので見てみてほしい。
ジャニーズ潰しをした #日本財団 #フローレンス の関わる事業なので、一応ご注意を
フローレンスの代表 #駒崎弘樹 は、#ベビーライフ事件 という赤ちゃんの人身売買と言われる事件にも関わってるし、アサヒがジャニーズのCM降ろされた時に祝ってた人です
これ、福田絡みかなー
チャリティーサンタの代表の清輔夏輝って、お隣の国系の顔だし、清輔って120人しかいない名字なんだよねー
そもそもNPO挟むとか今までのジャニーズじゃーありえないし、NPOなんて反日左翼だらけだし、ジャニオタのおサイフ狙われてる?
(補足:「「福田」とは旧ジャニーズ事務所タレントの移籍先であるSTART ENTERTAINMENTの福田社長のこと。ジャニーズ陰謀論では、新事務所の社長もジャニーズ乗っ取り犯の一員であり敵とされている)
#ケーキのWA の元締めであるNPO法人 #チャリティーサンタ は昨年既に「推し名義」での寄付を受けてましたww
怪しい、怪しすぎる🥶
リプや引用RPにつけられた陰謀論一つ一つに対してNPO法人チャリティーサンタが説明ポストを投稿する。
https://x.com/charitysanta14/status/1801802083001372870
NPO法人チャリティーサンタによる説明ポストで陰謀論ジャニオタの魂に火がつき、リプライや引用RPに言いがかりや愛国ポストが並ぶ。
こちらも投稿規制のため投稿元URLは割愛するけど、同じく↑のNPO法人チャリティーサンタによる説明ポストに酷いリプライ・引用RPがついてるから見てほしい。
ケーキを1回ポッキリ恵んだところでなんなの?
推しに1円も入らない社会貢献なのであれば、日本では流行らないですよ。あちらの国🇰🇷のやり方を持ってくるのはおやめください。
丁寧なご説明ありがとうございます🙇♀️
ただ、そちら支援してる日本財団という団体はジャニー喜多川氏が亡くなった直後に会長である笹川陽平氏自らブログにてジャニーズバッシングをしてるような方です
ご丁寧にありがとうございます。
ただ今回の件に関しては、日本財団やフローレンスに対する不信感だけではなく、センイルケーキという韓国の文化に影響されてることや寄付が推し活の一環であるかのようなテーマに疑問があって炎上しているように感じます。
てか新しい地図とかTOBEとやれば?
日本財団、とっても仲良しですよね?
(補足:陰謀論ジャニオタの中では元SMAPメンバーで構成された新しい地図とタッキーが立ち上げたTOBEもジャニーズ潰しに関わった敵ということになっている)
陰謀論を唱えるジャニオタの声は大きく、村上信五からもファンクラブ限定のラジオを通してコメントがあった。
そのコメントを受けても陰謀論を振り回して活動を否定するオタク達。
「ケーキのWA」について村声屋で村上信五本人から説明があったけど誤解なんかしてない。この取り組みを続けたいのはわかった。ただNPOと言う法人のシステムが納得できるものでないし、日本財団から援助受けてるのでなおさら関わりたくない。#村声屋 #村上信五 #ケーキのWA #日本財団
昨夜、少しだけ村に書き込み
翌日に返事くるせっかちさん
誤解ではなく相手を見極めて欲しいのですが…
村声屋、正直で村上くんらしくて少し安心した。信頼できるスタッフさんと慎重に進めて、なにを指摘されているかの詳細まで正確に知ってほしい。NPO側は他責で幼稚な印象だから、なにかあって責任だけ負わされないよう。ヒナちゃんのめざすことは、ここと組まなければできないわけじゃないでしょ。
でもそういう所に寄付するぐらいなら
直接エイトのCD買ったりグッズ買ったりそっちに使いたいと思います...
#村声屋
「村上くんの志は素晴らしいけど悪い組織に利用されてしまった」
というスタンスだけど、ここまで彼らの中で陰謀論が確かなものならば
と手の平を返してもおかしくない。恐ろしい。
今日は偏差値が50以下の女子中高生にも分かるようにコロンブスの功罪について紹介するよ。
いやー、コロンブスって名前聞くと、なんだか冒険心が湧いてくるよね。
アメリカ大陸を「発見」したってことで、学校の歴史の授業でもよく出てくる人物だ。でも、ちょっと待って。
実は、彼の行動にはかなりの「罪」もあるんだよ。今日はその辺を掘り下げていくから、面白く読んでってね。
まずは功績から。
1492年、コロンブスはスペイン女王イサベルの支援を受けて、3隻の船(サンタ・マリア号、ピンタ号、ニーニャ号)とともに大西洋を渡ったんだ。
その結果、アメリカ大陸に到達し、ヨーロッパと新大陸の間に新しい航路を開いたってわけさ。
これがいわゆる「大航海時代」の幕開けとなったんだよね。
この「発見」により、ヨーロッパの人々は新しい土地、資源、そして文化に触れることができるようになった。
トウモロコシやジャガイモ、トマトなんかの新しい作物もヨーロッパに持ち帰られたし、これは確かに大きな功績と言えるね。
ヨーロッパの食文化や農業に革命をもたらし、人々の生活を豊かにしたんだよ。
さらに、コロンブスの航海は地理的な知識の拡大にも貢献したんだ。
当時の地図には存在しなかった新しい土地が記録され、地球の形や大きさについての理解も深まった。
この探検は、その後の多くの探検家たちに刺激を与え、新しい航路や土地の探求が続けられることになったんだ。
さて、ここからが本題。
コロンブスにはかなりの「罪」もあるんだよ。
まず、彼が「発見」したと言われるアメリカ大陸には、もともと先住民が住んでいたんだ。
でも、コロンブスと彼の仲間たちはその土地を「自分たちのもの」として扱い、先住民たちを奴隷として酷使したんだ。
コロンブスが初めて上陸した島、今のバハマ諸島にいたタイノ族の人々は、彼らによって大きな被害を受けた。
彼らは金を探すために過酷な労働を強いられ、多くの人が命を落とした。
さらに、ヨーロッパから持ち込まれた病気(天然痘やインフルエンザなど)は、先住民にとっては免疫がなく、壊滅的な影響を与えたんだ。
また、コロンブスの第二次航海以降、彼は本格的に植民地化を進め、多くの先住民が土地を奪われ、文化が破壊された。
彼の統治下では、暴力や虐待が横行し、先住民たちの人口は劇的に減少したんだよ。
コロンブスはインディアス総督としての地位を利用して、先住民から金や労働力を搾取し、自身の利益を追求したんだ。
さらに、彼の行動は他のヨーロッパ諸国にも影響を与え、アメリカ大陸全体での植民地支配と先住民の迫害が広がるきっかけとなった。
スペインだけでなく、ポルトガル、イギリス、フランスなども競って新しい領土を求め、先住民の生活と文化を破壊する結果となったんだ。
彼の冒険心と探求心は確かに歴史に大きな影響を与えたけれど、その裏には多くの悲劇があったことも忘れてはいけないんだよ。
歴史は一面だけじゃなく、いろんな視点から見ることが大切なんだ。
コロンブスの行動は、現代の我々にとっても教訓となる部分が多いんだ。
彼の功罪を理解することで、未来のために何を学び、どう行動するかを考えるきっかけになるといいね。
それじゃ、またね!次回は何について話そうかな?お楽しみに!