はてなキーワード: 余計なお世話とは
トモダチは?トモダチは出来たのか?トモダチと帰るのか?トモダチは誰だ?何人だ?トモダチと遊ぶのか?トモダチと行くのか?トモダチはいるのか?トモダチは出来ないか?
トモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチ
トモダチが居なきゃいけないのか?トモダチは誰でもいいだろ?なんであんたに教えにゃあかんのじゃ。トモダチがいないといけないのか?トモダチはそんなに尊いのか?トモダチはそんなに偉いのか?トモダチをそんなに欲しいのか?余計なお世話だカスが。口を開けばトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチトモダチ。ウザイんだよ、死ね!!好きにさせろ、詮索するなカスが。
トモダチがいない私を心配してるんじゃなくて、トモダチがいない人間を心配しているのは分かっています。ごめんなさいお父さん!!私は異常らしいです!!トモダチが作れない異常者です!!トモダチがいない異常者です!!大学まで行かせてもらって申し訳ないです!!
ダウン症のバービー人形にごちゃごちゃ言う奴はバービーを買った事がない奴と決めつけている人がいたが
その決めつけは一体何処から来るんだろう…
少なくとも自分は買った事あるよ。まぁそう言ったら今度はBBAは黙れと言われそうだけど。
バービーにしろリカちゃん人形にしろ、自分が子供の頃の感覚としてはあくまで
「憧れ」なんだよね。
お人形遊びを通じて現実の自分とは違う姿になりきるのが楽しいんだよ。VTuerと同じだよ
だからダウン症バービーだの黒人アリエルの話題でよく出てくる「自分に似た姿を求める」という発想が全く理解出来ない
えっそれって現実で十分足りてない?自分の顔は現実で嫌でも突き付けられるのに、架空のキャラクターまで直視したくないんだが…
自分の子供の頃だったら、「現実の日本人少女の平均像に合わせた目が細くて胴長短足の可愛くない人形を作りました」とか言われても全く嬉しくない。
これがあなたの姿なんだよ!配慮してあげました!とか言われても余計なお世話でしかない
同様に、自分がもしもダウン症だったとしたら、普通の人とは違う「ダウン症の特徴的な外見」を強調した人形なんて出されたら
それこそ晒し者にされたとしか感じないしいじめとしか思えない。
ダウン症のバービー人形って、日本のお笑いでやって叩かれたブラックフェイスとか白人の鼻強調メイクとかと何が違うのか分からんよ…
前のエントリーが、リンク数上限に達したので、こちらで続ける。
https://anond.hatelabo.jp/20230403132255
日付は19日になっているが、0時更新なので事実上2日連続の更新である。
この記述から、相手が転職先を決めていることが確定出来る。そしてもしかしたらすでに増田とは袂を分かち、もう増田の近くにはいない可能性も考えられる。
また、だんだんと筆が乗ってきて、松岡修造風になっているところが面白い。ここから、ニコニコ動画などのミームに浸っていた、アラフォーであろうとプロファイルが可能かもしれない。
冷静にツッコミを入れておくと、夢を叶える努力をすると夢に近づくが、その夢は増田の望みではないのだから、増田の夢は永遠に叶うことはないと言える。
その夢を叶える主体はどこまで行っても増田なのだから、増田が努力するしかないのだが、相手を呪う努力をするよりは、自分を祝う努力をした方がよいのではないだろうか、と、余計なお世話だと思いつつ、観察者の考察として記録しておく。
野原燐
@noharra
·
バスカフェという形態が現状で最善であるから行っている。あなたに被支援女性に代わってそれを評価する能力はない
行き場のない少女が新宿で性被害・性搾取被害にあっている現状に対して、Colaboが有効な福祉事業を継続してきたことを東京都が評価し活動を継続してきた。
c.r.a.g
@cragtyo
歌舞伎町に集まる若者や女性の犯罪被害の防止に向けたNPO等の活動の支援
ネジ式_クランプ
@_nezi__no_kura
19時間
置いて行かれる人を減らすためにも
🏳️🌈饒速日🏳️🌈
@poverty_liberty
4時間
「自民党新宿区議団幹事長として、行き場のない少女が新宿で性被害・性搾取被害にあっている現状についてどのようにお考えですか?」
これに何も答えてないじゃん
誹謗中傷ばかりだ。
そもそも性被害とか余計なお世話。勝手に被害にするな。さっさとあの世にいけ役立たずどもが。
仁藤夢乃は何もしていない。役に立っていない。それげんじつだ。
EQテストってあるけど。社会性スイッチを入れた場合の回答と切った時のそれとで200満点中100点近く変わる。ネットのお遊び診断だからどこまでアテになるかも分からんけど。
自分の心に正直に、じゃなくて実際の生活で取る行動を選ばないと意味なくねって思う。
他人の社会性なんて、脳みそを直接覗き見るんじゃなくて行動を通じてしか予測できないんだから。
対外的な社会性としてそう振る舞うからって、それを内面化する訳ではないのだし。心の底からの行動でなければ「人の心は難しいですか?」は余計なお世話すぎひんか。理解と共感と納得は別の話なんだから。
なんて事はまず思いつく事だろうけど、それでも正直に答えろと言うのが不思議だ。
テストは指示文の時点で始まっているんだろうか。
シンエヴァを観ていて、ケンスケの優しさとは適度に距離を置くことで、トウジのそれは助けを求める声を待たずして大丈夫か、と気にかける事だ、と思った。それは「お前冷たすぎひん?」「いや今は放っといてやれよ」みたいな台詞で端的に表されていた。
二人共、そのそれぞれの優しさは14歳の頃から既に持ち合わせていたんだと思う。基本的なスタンスは変わらないけれど、昔はともすればドライ、ともすれば無神経に見える、バランスを欠いたものだったのではないかと感じる。
では大人になって何が変わったかと言えば、自分の信じる優しさとは別種の態度をも取り入れた事ではないかと、特にケンスケについてそう思った。
彼の成長は、適度な距離感を重んじる人間がともすれば押し付けがましさを嫌って躊躇してしまうような「頼ってくれよ」という言葉を言えるようになった事だと思う。
センシティブな状況で、それでも一歩踏み込んで友人を気に掛ける勇気を手に入れたという事だ。
私もケンスケと同じ類の、人間関係において誠実さとは適切な距離感を置くことに尽きると確信しているタイプだ。世間の人間からはドライと言うような態度も特段非難されるようなものだとは思わない。頼まれてもいない余計なお世話をする前に、まず他人の問題を無闇に決め打ちしない距離感を覚えてくれ、とでも言いたくなる人間を多く見てきたから。自己責任論をグイグイと他人に押し当てるのは如何なものかと思うが。
ただ、時には機を見極めて一歩踏み込むべき場面もあるんだろうと思った。
(語弊を恐れずに言えば)前時代的な密接な関わり合いと、無闇に他者に立ち入らない個人主義は、どちらが優れているというものでもない。それぞれに安心と独立、煩わしさと孤独がある。要はバランスの問題だ。
中庸は大事だ。これぐらいの立ち位置で良いだろう、という所に居座り続けて安心感を得るよりも、常にバランスを考え続けられる人間でありたい。
まあシンジくんが立ち直ったのは彼らの優しさや人との関わりもさる事ながら、決定打はキーパーソン周りの関係だった気がしなくもないが……
補完計画思想の悪役の倒し方って、何か大切な存在を失ったのをきっかけに
「人間の汚さやエゴの衝突がダメなんだ。だったらみんな平等に溶け合ってしまえば良い。それこそが幸せな世界だ」
みたいな事言い出す奴が
「いや君にも悲しい出来事があったのだろうけど、極端な思想に走って人を巻き込んじゃいけないよ。そうやって人の悪い部分ばかりに目を向けてないで、適度に人を信じようよ。あの時あなたが過ごした幸せな時間は紛れもなく本物だったんじゃないの?」
つって説き伏せられるパターンが多い気がする。
それ以前に、そもそも余計なお世話だよっつって突っぱねるパターンはあんまり見ない気がする。
人の数だけ考えはあるし、そのそれぞれが対等なのだから、人には立ち入ってはいけない領域がある。私は現状に満足なんだし、あなたの幸せ計画は過ぎたパターナリズムだ。それが個人主義ってもんとちゃいまっか?つってお説教したって良いと思う。
でも概して実感を伴わない理屈ではなく、自身の幸せを思い出す事、他人の幸せをその目で見る事で初めて納得が得られるというものだし、そういうナラティブで解決するのがフィクションの良さでもあるしな。それを余計なお世話、という説得に落とし込むのは難しいのだろうか。
そもそも個人主義を利己主義と同一視してる人間が世の中に多いから、あまりピンと来ないというのもあったりするのだろうか。多ければこそ、そういうオチにしたって良いと思うのだけれど。
ちょっとズレるけれど旧劇のオチは一度補完計画を始めてしまった上で、「これはやっぱり違う」と実感を伴って答えを決める所に好感が持てた。人と関わるのも大事だよね、という凡庸な所に着地したシン〜より。別にそんなんフィクションに語られずとも実生活で学べば良いし、学んで来るもんやろって思う気持ちがあるんで。
40歳目前なので、キラキラな名前としては元祖くらいな世代だと思う
今では自分と同じ名前のキャラクターが漫画にもでてくるくらい珍しくもない名前だけど、今でも普通かキラキラかと言えばキラキラなほう
小さい時から、変わった名前ですね、とか、親すごいね、とか言われ続けてきた
面倒だからフルネームで自己紹介したくないし、自分の名前がプラスに働いたことはない
マイナスにもなってないとは思うけど
で、必ずあるじゃん、親がどうしてその名前にしたか、由来を聞いてくる宿題
そこでうちの親は、毎回曖昧なことを言いつつ、聞くたびに言うことが変わった
ドイツ語なんだよ、とか、ドイツ語は関係ないんだよ、とか、結局どっちか今でもわからない
ありふれた名前だと、イメージよくない有名人や友人がいたりすることもあるし、妙な先入観が入る名前は嫌だった、みたいなのが本音っぽい
デスノートで月と書いてライト読ます唯一無二の名前なら、かぶる子がいなくて、漫画のせいでいじめられる子は出ないだろう、みたいな配慮の発想と似ているよね
自分の名前がすごく嫌い、とかではないけど、面倒だ、とは思っているし、自分の子供にはありふれた名前をつけたいと思っていた
上の子は小2
普通の名前で、娘は幼稚園から小学校まで、必ずクラスに同じ名前の子がいてるくらいポピュラー
今でもたまに思い出すんだけど、子供が生まれたときに、うちの親が名前の候補をいくつか出してきた
別にいいんだけどさ
親、俺の名前のこと、後悔してるのかな
息子としては、やっぱりよくないって気付いたか!って嬉しくなるわけもなく、とても微妙な気持ちになった
これは私が就労移行支援事業所で訓練を受けていた時に体験したことです。
入所して半年ほどたった頃、事業所施設の代表からご自身が大学で受け持っている福祉関係の授業の中でリカバリーストーリーを発表してほしいと頼まれました。
なんとなく流れで承諾してしまいましたが、よく考えるとリカバリーストーリーは当事者がその体験を共有して糧にするもので、支援者の卵とはいえ大学生の前で発表するのはちょっと違うのではないかと疑問に思いました。代表は実際の授業で、学生にたいしてこれから君たちが支援する人たちがどんな人たちなのか肌で知ってほしい、と言ってましたが、こういう分野で学んでいる学生さんは施設での実習が必ずあるでしょうにと内心納得がいきませんでした。
私は20才前後で初めて精神科を受診しましたが、正しい診断が出てそれに沿った処方薬が出されて症状が安定するまで16年かかっています。今は前向きに生きてはいますが、せめてあと10年早く正しい診断が出ていたらと思うことも時々あります。
若くて希望に溢れているように見える学生さんたちを目の当たりにして、発表の内容も相まって自分が学生さんたちと同じ年頃のときに自殺未遂を繰り返していたことがとてもリアルに思い出され、発表中はフラッシュバック寸前の精神状態でした。あの場でパニックを起こさなくてすんで本当によかったと思います。
もちろん学生さんたちが若くて生き生きして見えるのは表面上のことで、実際はいろんな悩みをかかえているでしょうし、もしかしたらあの場にいた学生さんたちの中にも、心療内科や精神科に通院している方がいらっしゃったかもしれません。
しかしやはり私と彼らの人生の差というものに思いを馳せずにはいられませんでした。引き受けたことをとても後悔しました。
もともと施設でプログラムの一環として取り組んでいたリカバリーストーリーですが、作成当時から苦しかった時期のことを書いていると気分が落ち込んで大変でした。何度か代表と担当の職員にリカバリーストーリーを書くつらさを訴えたのですが、あまり深刻に受け取ってもらえませんでした。この辺りをよく考慮して断ればよかったのですが、私は当時まだしっかりした自己主張ができるまでには回復していませんでした。
事前に渡された発表の原稿には代表の手で補足の文章がたくさん入れられていて、赤ペン先生に添削してもらった答案みたいになっていました。最後は私の好きなミュージシャンの曲の歌詞を紹介しろとの指示が入っていて呆れました。曲の歌詞を紹介するのは拒否して回避できましたが、利用者に対するコントロール欲求が強すぎると思いました。
授業が終わってから代表と担当の職員にカフェでケーキとコーヒーをご馳走になりました。下手に辛かったと抗議をすると感情が高ぶって泣いてしまい、公衆の面前で恥ずかしい思いをするのが分かっていたので努めて平静を装っていました。
学生さんに書いてもらった感想カードみたいな紙を見せられたのをおぼえています。否定的な感想はひとつもなく、最近の若い人はみんな大人しくて真面目だなと思いました。一人くらいは尖ったことを書く人がいそうなものですが、もしかしたらそういうカードは見せてくれなかっただけかもしれません。
担当の職員からその感想カードをコピーしたものをもらいました。これはとても光栄で喜ばしいことなのだから一生の思い出にしろと言わんばかりだなと思いました。受け取りたくないと思いましたがいらないですと拒否する力もなかったです。それから代表に謝礼として五千円の入った封筒を渡されました。働いていなかった当時の私にしてみれば大金でした。今日の辛い体験もこの五千円を手に入れるための我慢料だったのだなと考えて無理やり自分を納得させました。
あと、この時代表に言われた「君は今までの人生で社会貢献ができていなかっただろうけど、今日こうして福祉の未来を担う学生の役に立てたことは立派な社会貢献だから誇りをもってほしい」という言葉にはものすごくモヤモヤさせられました。私が自発的にそのような考えに至ったのならば問題ないですが、それは人に言われて思うことではないし、言葉の前半は完全に余計なお世話だと思いました。
感想カードのコピーは読み返したくもないし持っていたくもなかったので、悪いとは思いつつ最寄駅に設置してあるゴミ箱に捨てて帰りました。
なぜ私はよく知りもしない初対面の若い人たちの前で、困難だらけの、何一つうまく行かなかった今までの人生を語らなければならなかったのだろう。精神科に入院して大学を休学したこと、復学してなんとか卒業できたけれど就活で内定をもらえなかったこと、仕事に就いても不安と緊張ですぐに離職してしまったことなどを、支援者の卵とはいえ現役の大学生たちの前で私が話す必要はほんとうにあったのか。みんな好意的な感想ばかり書いてくれたけれど、それはあくまでそれが授業の一環だからで、心のなかでは私のことを馬鹿にしていたのではないか。
そんな考えが頭の中を駆け巡って涙が止まりませんでした。
この施設にいたのはもうかれこれ5年以上前ですが、このときのことはよく覚えていて、いまでもなんとなく心のしこりとして残っているので書いてみました。
現在でも代表の人がこうしたことをやっているのかはわかりません。
最後に、支援者の卵の学生さんに精神障害当事者のリカバリーストーリーを聞いてもらうことが全く意味がないとは思いません。
ただそれは当事者を大学に呼びつけてゲストのような形で発表させるのではなく、当事者が主催しているリカバリーストーリーの発表イベントなどに学生さんが見学という形で入るのが望ましいのではないかと思います。
なんかヤジに見えて、すごく熱烈なラブコールに見えたので整理整頓する。
オリンピックなどの競技ではなく、アイスショーであれば演技者のファンのみを想定していると予想される(イメージとしては不特定多数の視聴者がいる紅白歌合戦と、ライブ公演のアーティストのスタンスの違い)ので、多少は驚いたりするよね
前述の通りファンしかいない。そして負けず嫌いに関してはそれが笑える点ではない
勝手に心配〜という言葉で善人を装うようで、イジろうとしている(滑稽であると演出しようとしている)が、彼の生き方自身大勢のファンが肯定しているため、空振りしている
抜粋した上記の点、こう、お笑い的にいう「イジリ」的にすることで真面目で真剣なことを「オカシイ」にしようとしてるように感じた。
「真面目に自己陶酔し、そして結果を残して演技する(そしてそれを肯定してくれるファンが多く存在する)人物が羨ましい」ような印象をうけた。
もしかしたら、羽生結弦さんに対し、ある程度考え方あるいは経験において重なる点が増田氏にはあり、今回増田氏が上記に挙げたような否定を受ける、あるいは内心で抱えていたのではないだろうか。
だから攻撃的になってしまったのかもしれないが、それで増田氏は救われるのだろうか。
内容を理解しようとするんだけど……いや彼、結局はふわっふわな事しか喋ってなくない?要約すると「俺は偉業を成し遂げてきた」「ずっと自分自身の力で乗り越えてきた」「でも、ずっとずっと孤独だったんだぜ」「こんなオレを応援してきてくれたファンの皆さん、ありがとう」「今たった一人で孤独に苛まれているアナタにも、どうか心安げる瞬間がありますように」こんな感じ。演技と演技のつなぎでずっと羽生くん本人の映像や彼のアニメーションが流れるんだよ。
ポエムといいつつ言葉を受け止めて増田氏の言葉にちゃんと消化しつつ、長いショーを見切った。それはすごいことだし、私も見たくなった。人のポエムはたのしい。増田のポエムも楽しい。
トゲトゲした言葉は吐き出すのは簡単なんだけど、どうしてそう思ったか、吐き出したあとでいいから向き合わないといけないなあ…とも自戒になった。