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はてなキーワード: 道徳的とは

2017-09-12

https://anond.hatelabo.jp/20170912111741

いや、娘に対して「村の利益のためにおまえは他所に嫁げ」と命令するのは、村長あるいは父親、つまり集団内での指導者権力者じゃん。

彼らはそもそも集団利益を考える立場にいるんだから集団外との婚姻メリットがあるなら変なルールがなくても嫁がせるでしょ。

ルールを作る意味がない。

「近親婚のいずれのパターン許可するか」は氏族社会における血縁の整理の必要性から自然形成された慣習的ルールにすぎない気がするし、

またそれは「近親相姦に対する道徳的嫌悪感」とは関係がない気がするなあ。

2017-09-11

Japanese Vertibird retexture

http://fallout4.2game.info/detail.php?id=26652

Fallout4に登場するベルバードという航空機大日本帝国海軍風にリペイントするこのMOD零戦をエアレースで走らせることにも血管ブチ切れて日本死ねと言っていた何が正義かははてなーが決めるという正義化身はてなーとしてはこんなの停止に追い込まなくていいの?

案の定そのMODが置かれているサイトコメント欄でも道徳的批判されてるし、全力で行くべき事案だろ。

2017-09-09

anond:20170908230300

三親等未満は結婚してはいけないという法律はあるけど

セックスはしてはけいないという法律はないか

法律上はしていいのではないか

道徳的タブー説明は難しい。

兄弟も友人も師弟関係のような上下関係

横のつながり、一般的人間関係恋人夫婦間を除いて

性的関係がないようになっているから(セフレ特殊

昔ながらの風習で近親間もそのようになっているのだろうか。

2017-09-03

https://anond.hatelabo.jp/20170903203513

ごめんな。今は法律の話はしてない。

道徳的な話。

仮に、義務をちゃんと果たしてる(逃げずに向き合う、支援する)なら別に言うことはないですよ。

義務に対して難癖つけてるバカとそれに賛同するバカいるから、日本終わってるなと思うだけだよ

あなたに娘が出来て、何処の誰かもわからない男に孕まされて逃げられて、

それでも娘に自己責任だ、男に頼るなとか言えますか。

2017-09-01

行きたいなと思った大学があったのだが

https://anond.hatelabo.jp/20170901130508

確かにどこの大学でも一定数の出来の悪い人はいるだろう

それはまだ譲る、

出来が悪いとかではなく人間的に道徳的にどうかって人についてどうなのかという点

しかにそれもまたいるのかもしれない。

だがその一部の人間で金を支払って授業を受ける側としては、

そんな人間に授業妨害(直接的なものではなく人間関係悪化させ雰囲気を悪くする等)されるとなると、

とても損をする気がしてならないのだ。

から金をもらって授業を受動的に授業を受けている人はその感覚は感じづらいだろう。

だが何か収入を得てその中から学費に割り当ててる人、

私がそうなのだがそういう立場からするとそんなのは悪童でしかないのだ。

行きたいと思う大学なのだからとうぜんそのつもりだが、

そのような人間が居た場合今の私としては(もう義務教育のように折に閉じ込められた場ではないのだから)、

躊躇無くそ人間にたとえ講師がいようとも吠え掛かるつもりではあるが、

そんな気分になる前兆から排除したいわけだ。

となるとそのような人間がいる場所を極力避けたいもしくは興が冷めてしまうわけだが、

それもまた避けたいわけで苦悩なわけです。

一定数のなかに一定数のゲスがいるというのはそら当然なのだけどね。

わかってはいるが。

https://anond.hatelabo.jp/20170901110215

もう面倒くさいので、アメリカ合衆国は、ネイティブアメリカン返還しようぜ。

それ自体に『道徳的批判はある筈が無いだろうし。

2017-08-27

若い異性を配偶者にしたいという欲望

取引先にアラフォー女性部長さんが居る。三十代後半という若さでのスピード出世も納得の、大変仕事の出来る人だ。

彼女最近結婚した。お相手アラサー自由業のイケメンらしい。とても羨ましいと思った。

年配の男性容姿の良い若い女性結婚する事や、周囲の男性がそれを羨望の眼差しで見る事が、以前はとても気持ち悪かった。

女性を物(所謂トロフィーワイフ)と見做し、人格否定する行為だと思っていた。

でも、女性だって若いイケメン結構したい」という気持ちはある。社会的成功してお金を得ればそれを叶えられる。西又葵とか宇多田ヒカルとかもそう。

要するに、人は金を持てば「人を物として所有する権利」も得てしまうということなんだろう。道徳的良し悪しは別にして。

から、私もめげずに仕事を頑張ってお金を稼げるようになろうと思った。

2017-08-16

ていうか難しく考えすぎ

ジャンルの違う業種の連中が、商業的なバイパスも無しに媚びうるように近づいて売名行為をするのは気持ち悪い

金持ちボンボンの周りの取り巻きが、ボンボンを持ち上げているのを見るのと同感覚気持ち悪さ

法的に、道徳的問題無くても、ただただ気持ち悪い

彼らを排する理由はそれだけでいい

2017-08-13

Googleのあれ

言うてること弱者男性やんけ

はてな住民GOOGLEの先に行くとは

というのは冗談として

ダイバシティのために弱い男性犠牲になれみたいな話が実際出てきてドン引き

具体的にはこれ

http://nminm.hatenablog.com/entry/2017/08/10/001630

これってあれ?弱者男性はいないって言説から

しょうがいから男は(仮に低賃金他者から承認を得ずらい状況でも男性からという理由で)犠牲になれ

フェミニズムからダイバーシティに移行してるだけで

言ってることの利己的さは変わりませんよね?

道徳って押し付けるべきものだったんですね、へー

例えばさ、というか実際そうなんだけど俺はバイセクシャルADHDパニック障害なわけ

じゃあ俺は雇用優遇されるべきなんか?そんなわけないでしょ(いや健常者でヘテロでいわゆる“男らしい人”と同じ給料でなければ優遇されてはいるが)

マイノリティ人間にもマイノリティじゃない属性が含まれていて、

逆にマイノリティ属性一切持たずともひどい目に合ってる人はいっぱいいるんだよ

ダイバーシティってのは都合上経済的に良いからとされてるけど

特にすべての分野では結果は出てないんだよ、いや出るわけがないんだけどさ

例えば風俗

男性射精回数に限度があるから女性風俗と同じ料金では成り立たない

え?じゃあ射精しなきゃいいんじゃって?

だってそう思うけど射精を望む女性が多いんだって

え?わざわざ体の機構が違うものをあげるんじゃない?

そうだよ体の機構は違うんだよ

すっげー当然の話じゃない?

え?じゃあ機械を導入したりしっかりとしたマネージメントを行うことで性差なき仕事にすべきだ?

そうだねその通りですよ

で、それって例のGoogle社員と何が違うんですか?

道徳的からといってこれを肯定せず、

どんな人でも働ける環境を先に作る、もしくはそのような制度を作るべきだし、それについて議論すべきで

早急に道徳的からといって逆差別に発展するような状況を作り出すべきでないといったのはどこのどいつだ?

彼の言ってることは至極全うだし

弱者男性だって真面目に語られるべきだよ

少なくとも俺は弱者男性で、そしてKKOだよ

だれが救ってくれる?え?犠牲になれ?

そうですか。

グーグル思想残響室(Google’s Ideological Echo Chamber和訳) 脚注

[1] この文書はもっぱらグーグルマウンテンビューキャンパスでの視点から書かれている。私は他のオフィスや国について語ることはできない。

[2] もちろん、私にもバイアスがあるかもしれないし、自分視点を支持する証拠だけを見ているのかもしれない。政治的バイアス観点からは、私は古典的自由主義者であり、個人主義と理性に強く価値を置いていると思う。私はこの文書について喜んでさらなる議論を行いたいし、例証を挙げたい。

[3] 私は、この文書を通じて”技術職”を、ほぼソフトウェアエンジニアリングという意味で使っている。

[4] ロマンチックな男女関係において、男性はより強く地位によって値踏みされ、女性は美貌によって値踏みされるさらにこれには生物学的起源があり、文化的普遍性がある。

[5] Stretch、BOLD、CSSI、Engineering Practicum(ある程度は)、それと特定ジェンダー及び人種のためのいくつかの他のグーグル提供の内部、外部プログラム

[6] 代わりにある特定層のための潜在的なGooglegeistのOKR設定。私たちは、特定グループにとっての環境を良くすること(それはサーベイスコアによって確認できる。)によっても、保護された地位に基づく差別化(それは違法であり、すでになされていると私は見ている。)によっても、組織レベルでの登用を増進させられる。登用増進OKRは後者インセンティブとなりうるし、組織間でのゼロサム闘争を作り出しかねない。

[7] 共産主義資本主義より道徳的にも経済的にも優れていることを約束する。しかし、その試みは全て道徳的には堕落経済的には失敗している。自由民主主義社会労働者階級が”資本主義の抑圧者”を倒そうとしていないことが明らかになったときマルクス主義知識人階級闘争からジェンダー人種政治へと移行した。抑圧者-被抑圧者の中核的な力学は残り、今や抑圧者は”白人で、ストレートで、シスジェンダーの家父長制”である

[8] 皮肉にも、IQテストは当初能力主義貴族政治犠牲者を助けとなることを意味していた時代左派によって擁護された。

[9] もちろん、全国的な総計において、女性さまざな理由男性より賃金が低い。ただ同じ職業につく限り、女性男性と同じだけの賃金を得ている。女性男性よりお金を使い、給与というもの従業員がどれだけのもの犠牲にしたか(例えば、より多くの時間ストレス危険)の指標であることを思えば、権力に関わるステレオタイプを考え直す必要がある。

[10] 伝統的なジェンダーシステム支援必要男性というアイデアをうまく扱えない。男性は強く、不平を言わず、自ら問題対処することを期待される。男性問題は、ジェンダーによる行為主体性の考え方によって、しばしば犠牲者というよりは個人的な失敗とみなされる。これは泣き言、不平、弱さの現れとみなされることを恐れて、男性男性問題(それが個人的ものにせよ集団的ものにせよ)に注意を払うことを妨げている。

[11] 政治的正しさは、”社会的に恵まれない人たちや差別されている人たちの集団排除し、軽んじ、侮辱すると受け取られるような表現と行動を避けること”と定義される。それでなぜそれが左派現象であり、権威主義者の道具であるのか明らかだろう。

グーグル思想残響室(Google’s Ideological Echo Chamber和訳) 後編

提案

私は多様性が悪いとか、グーグル社会100%公正であるとか、既存バイアス修正されるべきでないとか、あるいはマイノリティマジョリティと同じ経験をしているなどと私が言っていないことは明らかであると願う。私が言いたいのは私たちには特定イデオロギーと一致しない考え方や証拠に対する不寛容があるということだ。私はまた人々を特定ジェンダーロールに縛り付けるべきだとも言っていない。私は全く反対のことを主張している:人々をグループの中の一人(部族主義)としてではなく、個人として扱うことだ。

具体的な提案としては:


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次で最後

グーグルの思想的残響室(Google’s Ideological Echo Chamber和訳) 脚注

グーグル思想残響室(Google’s Ideological Echo Chamber和訳) 中編②

グーグルバイアス有害

私はジェンダー人種多様性を強く信奉している。またそのためにもっと努力すべきとも思う。しかしながら、ジェンダー人種平等な登用を達成しようと、グーグルはいくつかの差別的慣行を作り出した:

これらの慣行私たちバイアスが作り出した誤った仮定に基づくものであり、実際に人種とジェンダーの緊張関係を増加させる私たち上級管理職私たちのやっていることは道徳的にも経済的にも正しいことだと説明されてきたが、証拠なしにはグーグルにとって取り返しのつかないほど害となりうる左派イデオロギー[7]を覆い隠すものしかない。

私たちはなぜ盲目なのか

私たちは皆バイアスを持ち、私たちの内的価値に反する考えを却下するために動機付けられた推論を利用する。右派が”神>人間自然”という階層に反する科学否定するように(例えば、進化気候変動)、左派は人々の生物学差異に関する科学を否定する傾向がある(例えば、IQ[8]と性差)。感謝すべきことに、気候学者進化生物学者は普通右派ではない。不幸なことに、圧倒的多数人文学者と社会科学者は左派寄りである(およそ95%)。このことは莫大な確証バイアスを作り出し、研究されてきたことを捻じ曲げ、社会構築主義ジェンダー賃金格差のような神話を維持する[9]。グーグル左派的傾向は私たちをこのバイアスに対して盲目にし、その結果に対して無批判にさせ、また高度に政治的プログラム正当化する。

女性弱者とみなす左派との親和性に加えて、一般人間女性保護すべき対象とみるバイアスがある。前述したように、これはおそらく、男性生物学的には使い捨てであり、女性男性に比べ一般協調性があり、同調性があることから進化したものだ。私たちには広範な政府グーグルプログラム研究領域女性保護する法的、社会的規範があるが、男性男性に影響するジェンダー問題について文句を言うと、ミソジニストで泣き言を言う人間とのレッテルを貼られる[10]。ほとんど全ての男女の違いは、女性の抑圧の一形態として解釈される。人生における多くのことと同じように、ジェンダーの違いはしばしば”隣の芝生は青い”の一ケースだ。不幸なことに、納税者グーグルお金は芝生の片方だけに水をやることに費やされている。

この弱者とみなされる者に対する同じ同情が政治的正しさ[11]を作り出す。それは議論を制約し、それらの原因を増やすために暴力と恥を利用する極端に敏感なPC権威主義者自己満足であるグーグル大学でみられるような暴力的左派の抗議行動を抱えているわけではないにしても、TGIFミーティング私たち文化における頻繁な恥辱は同様の沈黙、つまり心理的安全でない環境を作り出した。

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さらに分割。

グーグルの思想的残響室(Google’s Ideological Echo Chamber和訳) 後編

グーグル思想残響室(Google’s Ideological Echo Chamber和訳) 前編

前置き

以下は最近グーグル社員が社内でダイバーシティに反する差別的文書を開示したという理由解雇された騒動において、問題となった文書Google’s Ideological Echo Chamber」の日本語訳です。底本は米ニュースサイトMOTHERBORDが入手したPDFを利用しています。この案件はてなでも注目されたようですが、その反応をみるにほとんどの人が原文を読まずにコメントしているようなので参考のため翻訳してみました。訳者別に英語仕事にする人でも特段英語能力の高い人でもないので、この日本語訳自体引用して何か言及するのは恥をかく可能性があるので薦めません。また誤訳の指摘は歓迎です。なお、参考リンクについてはグーグルの内部ネットワークに繋がるもの以外は全て記載しましたが、ウィキペディアリンクしている部分は参照している記載が削除されてしまっていたりするので、この文書作成された7月あたりの版を読む必要があります

グーグル思想残響

バイアス多様性社会的包摂についての私たちの考えをどのように曇らせるか

公的な反応と欺瞞への返信

私は多様性社会的包摂価値を置くし、性差別存在についても否定しない。ステレオタイプを利用することも認めない。私たち集団における登用ギャップを解消しようとする時、必要なのは集団レベルにおける分布の違いに注目することだ。もし、このことについて誠実な議論ができないのであれば、私たちは真に問題解決することなどできない。

心理的安全性相互尊重と受容によってつくられるが、不幸にも私たちの恥ずべき文化欺瞞残響室の外にいる人間尊重しないし、受け入れもしない。

そのような公的反応にもかかわらず、私はこれらのとても重要問題提起に対してグーグルの同僚たちから多くの個人的賛辞をもらった。彼らはこの問題提起には同意するが私たちの恥ずべき文化解雇可能性のために声をあげることも擁護することもできない。このような状況は変革されるべきだ。

要約
背景[1]

人は一般に善良な意図を持っている。しかし、私たちは皆自覚のないバイアスを持っている。感謝すべきことに、物事鵜呑みにしない人々による開かれた誠実な議論私たちに見えていない物事を照らし出し、私たちが成長するのを助けてくれる。それが私がこの文書を書いた理由だ[2]。グーグルはいくつかのバイアスがあり、このバイアスに関する誠実な議論支配イデオロギーによって沈黙させられている。ここから記述完璧ストーリーではないが、グーグルで是が非でも語られるべき視点だ。

グーグルバイアス

グーグルにおいて、私たち人種ジェンダーに由来する無意識バイアスについてとても多くのことを語る。しか道徳的バイアスについて議論することはまれだ。政治的指向は実際には深層の道徳的選好の結果であって、すなわちバイアスなのだ社会科学メディアそれからグーグル圧倒的多数左派寄りであることを考慮して、私たちはこれらの偏見批判的に吟味すべきだ。

左派バイアス右派バイアス
弱者への共感強さ/権威尊重
平等不正のせいであ平等自然であり正しい
人間生来協力的である人間生来競争である
変革は良い(不安定変革は危険だ(安定)
開放的閉鎖的
理想主義実利的

どちらの側も100%正しくはないし、どちらの視点機能する社会、この場合会社必要ものだ。極端に右派的な会社は反応が鈍いかもしれないし、あまり階層的かもしれないし、外部を信用しないかしれない。対照的に極端に左派的な会社継続的に変化するだろうし(愛されているサービス非難する)、あまりに関心を多様化させるし(コアビジネス無視するか、恥ずべきことと思う)、あまり従業員競争相手を信用しすぎる。

事実と理性だけがこれらのバイアスに光を当てられる。しかし、多様性社会的包摂の話になると、グーグル左派バイアスは恥によって反対者を沈黙に追い込むことによって固定化される政治的正しさ単一文化を作り出す。この沈黙侵食する過激派権威主義ポリシーに対するあらゆる歯止めを除去する。この文章の残りで、私は社会的成果の違いは差別的取り扱いと平等な登用を作り出すために実際上の逆差別義務付けられる権威主義的要素によるものだという極端な立場に焦点を合わせる。

技術職におけるジェンダーギャップバイアスによるものではない可能性[3]

グーグルにおいて、私たちはいつも黙示(無意識の)、明示のバイアス女性技術職と管理職から疎外していると語られる。もちろん、男性女性バイアス技術職場を異なった形で経験するし、それを私たち認識すべきだ。しかし、それだけで全ては説明できない。

平均して、男性女性は多くの点で生物学的に異なっている。これらの違いは社会的に構築されたものだけではない。

なぜなら:

注意:私は全ての男性が全ての女性と以下のように異なっているとは言っていないし、違いが”正しい”とも言っていない。私は単に男女の選好と能力分布がある程度生物学的な理由により異なっており、これらの違いは技術職と管理職において平等女性登用が見られない理由説明するかもしれないと言っている。これらの違いの多くは小さいし、重要なことに、そこには男性女性とで重なり合う部分がある。そうであるから、これら集団レベルでの分布から男女個人について言えることは何もない。

(チャート画像)(https://video-images.vice.com/_uncategorized/1502146696203-Screen-Shot-2017-08-07-at-65310-PM.png)

上段:集団には重要な重なり合いがある

下段:人々を集団的アイデンティティ単純化し、平均が代表だと仮定することはこの重なり合いを無視する(これは悪いことであり、私はそれを認めない)

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長すぎたのか投稿できなかったので分割。

グーグルの思想的残響室(Google’s Ideological Echo Chamber和訳) 中編①

2017-07-29

僕はマタハラ野郎だったらしい。

前に自分投稿したものが2週間近く経ってからいろいろ反応をいただいたようで、ありがとうございます

https://anond.hatelabo.jp/20170715092225

別に釣りではなく、僕の素直な気持ちを書きました。

僕の会社零細企業というのは本当で、従業員100人にも満たない会社です。

僕の前任者もマタハラ野郎だったのかはわかりませんが、9割以上の社員が35歳以上の男性で、それの半数以上は独身かな。

数名いる女性はみんな50歳以上ですね。

まあお恥ずかしい話ですが、新卒採用なんてのはありえない小さな会社ですので、そもそも若い女性面接とかやったことありません。

なので、僕の犠牲になる若い女性はいないでしょう。

あと、「中立」って言葉は違いましたね。「平均」の方がよかったかな。どっちも駄目ですか?

いただいた意見の大半が被雇用者立場から意見のように感じました。

僕を非難する意見政治的道徳的には正しいと思います。それは投稿から僕にもわかっていました。

でも、蓋を開けてみればみんな妊婦を疎ましく思う気持ちを持ってるんじゃないかなって思ってたんですよね。

そういう意見ほとんどありませんでしたね。

ただ、みなさんやはり被雇用者というご自身立場からしか見てくれないので、僕の考えを変えるような意見はありませんでした。

労働者自分権利を守るために僕を非難しているようにしか感じない。

それが当たり前なんだろうけど。

僕は採用側・経営側の人間なので、会社利益で考えた時に職場妊婦がいてどんないいことあるの??って思います

多様性がどうだとか、妊娠出産経験を活かしてどうだとか、忙しいから逆に効率がよくなるだとか、根拠の薄いただの願望に見えて納得できません。

採用するのって大変ですし、教育するのもみなさん大変じゃないですか?

時間かけて育てた人が一度抜けて、1年近くたってから帰ってくるって、できれば避けたい事態ですよ。

会社にとって産休取らせるメリットってありますか?

結局それぞれの立場からメリットを主張しているだけで。

極端な言い方をすれば、

労働者としては子育て必要休みお金を手に入れたい。

会社としては休まず黙って働いてほしい。

日本国民としては将来年金払ってくれる子どもが増えてほしい。

投資家としては経済発展のために少子高齢化を解消してほしい。

って、こんな感じじゃないですか?

社会のために子どもを増やそうとか言ってる人は、社会のためってつまりどういうことか教えてほしいですよ。

最後は金の話でしょ?

人が生まれて死んでいく。それだけで尊いことなんですから子供の人数が比較的少ないとかどうでもいいじゃないですか()

だって自社にメリットあれば産休育休お構いなしで採用考えますよ。

法律で決まってるから障害者を雇うし、

裁判すれば負けるから病人も雇い続けるのが企業ってもんでしょ。

妻が妊娠すれば産休育休取ることを勧めるし、

自分が重い病気になれば傷病手当金もらいながら「まだ働けます」と言って会社にしがみつくのが僕という人間ですよ。

すみませんちょっと勢い余って外れたこと書いてますが、

企業メリットをもう少し増やさないと中小零細に産休育休は普及しないんじゃないの?子どもやすために国はもっと法人への支援を充実させろ。」

という要望と捉えていただき、僕への批判は控えていただければ幸いです。

いろいろな助成金については無知でした。教えてくれた人はありがとうございました。

2017-07-26

https://anond.hatelabo.jp/20170726231247

お前こそ自分が使った単語定義全部答えたら?

科学」の定義が分からないと言い張るのに何でほかの単語はわかるのかな~?

あと科学的根拠のないものをあるかのように装って騙すのがよくないと思ってるだけで

常に科学的態度をとるべきと思ってるわけではないからね

道徳的善悪論理的科学的根拠はないし

2017-07-24

責任」という言葉が嫌い

使われ方が曖昧すぎるんだよ

 

責任(せきにん、英: responsibility/liability)とは、元々は何かに対して応答すること、応答する状態意味しており、ある人の行為が本人が自由に選べる状態であり、これから起きるであろうことあるいはすでに起きたこと の原因が行為者にあると考えられる場合に、そのある人は、その行為自体行為の結果に関して、法的な責任がある、または道徳的責任がある、とされる。 何かが起きた時、それに対して応答、対処する義務の事。

 

上記はwikipediaから

曖昧って言ったけど、言葉のものはそこまで曖昧じゃない

 

「Aに対してBする責任がある」と言うと

「Aに何らかの不備が生じた、あるいは生じる可能性があるときに、Bしなければならない」って意味

 

プログラムで考えると分かりやす

責任という言葉には引数が2つある。責任対象(Reason)と、行為(Action)だ。

 

だけど世間の「責任」の使われ方はどうだ?

Actionが抜け落ちている。酷いときにはReasonも抜け落ちている。

何をしてほしいのかまるでわからない、何に対して責任あるかも曖昧

ただただ避難するためだけに「責任」という言葉を使い

はいだって「結局何をしてほしいんですか?」と聞く羽目になる

 

そんなシーンは世の中至る所で見かける

言葉も満足に使えないバカがやたら「責任」を使いたがる

もっと別の言葉に置き換わってもらえないだろうか

ReasonActionを述べないと使えないような語に。

2017-07-18

https://anond.hatelabo.jp/20170718003106

義務時代地域によって定められるものではない。人の心に生まれつき備わっているもので、そういう義務を感じる心を持って生まれ育った人間けが正しいのだ。

人が死んで悲しいと思う人間けが道徳的に正しい人間であるのと同じように、他人の死を喜ぶ義務を感じる心を持って生まれた育った人間けが道徳的に正しいのだ。

道徳は、時代地域を超えた理念だ。お前が、そのような疑問を投げかけた瞬間、お前は私の死体を見て喜ぶ義務が生じているし、私もお前の死体を見て喜ぶ義務が生じている。対立する者同士は、お互いの死体を見て喜ぶことが道徳的に正しいのだ。実際にどう感じるかは別として、自分がどう感じるべきかを我々は社会規定されているんだ。

実際には、俺はお前の死体を見ても喜ばないだろう。つまり、私は義務を果たせていないのだ。その代わり、義務を果たせていないことに罪悪感を感じるのが、真の人間のあるべき姿だ。

2017-07-11

オタクフェミニストは誰と戦っているのか。

 このところ永劫回帰のようにエロ表現における争いが繰り返され、オタクフェミニストラグナロク永遠につづくかのようにおもえる。


 これだけやりあっていれば普通はたしょうなりとも相互理解というものが生まれものであるけれども、それはリアルな論戦の話なのであって、不特定多数不特定多数に対してやたらめっぽうに機関銃を撃ちまくるインターネット塹壕戦ではただ人が死ぬだけであり、平和条約は結ばれず、ただ人が死ぬだけであり、憎しみは連鎖し、ただ人が死ぬだけである


 わたしたちは第一次世界大戦を生きている。

 毎日がソンムの戦いだ。



 オタクフェミニストそもそも互いに互いを認識しているのだろうか?

 フェミニストが「えっちなのは子どもによくない」と言い、オタク宮崎勤池田小のやつとエドゲインを足してニで割ったような怪物として罵る。

 オタクは「表現規制をするな」と言い、フェミニスト権力によって表現の自由を、人間尊厳を奪うヒトラーの再来として恐懼する。


 彼らにはそれぞれ「何」が見えているのだろうか。

 彼らがそれぞれ想像する「敵」とは誰なのだろうか。


 オタクにはトラウマがある。

 悪書追放運動である

 1950年代PTAが中心となって展開されたマンガに対するバッシング運動だ。

 暴力的表現子どもの情操に悪そうな表現はこどもに見せるべきでない、というスローガンのもとに当時芽吹きつつあった劇画手塚治虫などを中心として爛熟しつつあったマンガ文化に打撃を与えた。

 これによってオタクたちはDNAレベルで、「(残酷だったり過激だったりする)マンガを『わるいもの』として非難するのは保守派ファシストのおばさんたち」という了解が植え付けられたのだ。


 なぜ戦争を二十年で忘れることのできた民族が六十年前の、教科書にも載っていない出来事記憶しているのかといえば、それは語り部が優秀だったからだ。

 悪書追放やり玉にあがった漫画家たちはのちに大御所となって「漫画文化立役者」として官民両方から賞賛される身分を獲得しても、悲惨迫害を忘れなかった。

 彼らはそのとき体験エッセイ漫画にしたり、ことあるごとにマンガネタに織り込んだ。

 そういうものを読んだ後進の世代は「今は平和マンガ享受できている国なのに、過去にはこんな悲惨なできごとがあったんだ!」とショックを受け、苦難の記憶継承し、そのうち漫画家となった人々は「マンガ表現を悪と呼ぶわからずやな大人」たちを戯画化して描き続けた。先人たちを見舞った悲劇を繰り返してはならない。そう彼らは叫び続けた。

 悪書追放運動記憶継承は、歴史上のあらゆるトラウマ継承運動のなかでも最も成功した部類に入る。それはオタクが長らく被差別民だった(と少なくとも自分たちでは認識していた)せいもあるだろう。

 そういうわけで、マンガ守護者たちの末裔たちは今でも各所に見ることができる。ちょっと前にもあったよね。ほら、『マンホール』描いた人の……なんだっけ、なんとか都市ってやつ。


 さて、戦争から七十年も経てば、各国家における仮想敵も大きく変わるものだ。アメリカWWIIでは影の薄かった中東を主戦場とするようになって久しいし、そのアメリカとかつて世界を二分したソ連は国ごと崩壊してしまった。

 だがオタクたちはずっと敵は「既存道徳にしばりつけられた保守的道徳的なガミガミおばさん」のままだと思い込んでいる。自分たちの敵はヒトラーである叫び続けている。



 フェミニストたちを一言でくくるのは難しい。

 「反表現規制」の旗のもとに団結しているオタクたちに比べて、そもそも男性男性社会のもの憎悪してやまないミサンドリストからオタクとの対話を求める層までほとんど分裂状態様相を呈していて、

 そうなったときクローズアップされがちなのはラディカルな発言だ。


 しかオタク側が言い募るように彼女たちは「こどもたちを歪ませる」表現を憎んでいるのではない。

 「こどもたちを傷つける」表現をこそ問題だと言っている。

 教育ではなく、トラウマの話だ。


 フェミニストたちにもトラウマがある。

 日本にかぎった話でもないかもしれないが、マスメディアサブカルチャーにおける性的エロという意味限定されない)表現や言説は男性中心的な傾向が強い。

 ふた昔前はテレビ女性おっぱいエロティック晒すなんてのはゴールデンタイムにすらみかけられたし、

 そこまで過激ものでなくとも、女性に対するセクハラめいた言動が「ジョーク」として受容される環境があった。

 それはジャンプなどの漫画メディアにあっても同様で、男性読者からは「問題ない」描写ジョークとしてスルーされる描写であっても、そこに女性に対する男性的な欲望、ひいては暴力を読み取る多感な少女は数多い。

 そういうものがある種の社会に対する不信となって根強く彼女たちの底に残る。


 男は言う。いや、あの程度の表現で傷つくのはあまりにか弱すぎるだろう。自意識が過剰すぎるのでは? たんなる一過性メンヘラでは?


 少女たちはテレビマンガを消費するには、あまりにもセンシティブすぎるのだろうか?


 一面にはそれもあるかもしれない。しかし、傷つきやすすぎることとの何が問題なのか?

 刃のついた表現現実存在し、それで傷つけられる肌が現実にある。

 問題とはむしろそこだ。

 何も知らない無垢な肌が刃に触れたときに血が出るのだとして、たしかに近づいてきたのは肌のほうかもしれないが、刃の危険性も知らないものにあらかじめ避けておけばと非難するほうもどうかしている、根本的に事故を防ぐためには刃のほうを鈍らせておけばいいのでは? 自動車会社などはそうやって事故を軽減しようとつとめているだろう?

 私たちは次の世代を「正しく」育てようとは思わない、ただ、不慮の事故から守りたいだけだ。


 傷つきたくないこと。傷つきたくないこと。

 こうしてアイデンティティポリティクス生まれる。

 彼女たちの目的は次の世代トラウマを残さないこと。

 そういう意味では、オタク表現規制運動歴史を語りつぐことと少し似ている。


 そして、オタク同様、「敵」を認識しそこねている。


 フェミニスト場合はあまりに内部で混乱しすぎていて、個別問題の何が問題であるのか、その問題をどう解決していくべきなのかで定義統一がはかれていないことだ。

 これは攻める側の弱さでもある。

 守る方は現状を維持しさえすればよく、つまりは「表現規制反対」に各員の意志を集約させればよい。

 だが、フェミニスト側は具体的に個別問題のどこをどういった理由でどう修正していけばよいのかまでを提示しなければならず、これに関する意見を調整出来ない場合もっとも極端な意見ーーすなわちオタクたちが最も恐れる「全面的表現規制」が対立を煽る人々によってショーアップされてしまう。



 そうなってしまえば、あとは殺し合うだけだ。



 彼らはお互いに敵を「保守派」として捉えている。

 オタクの眼に映るフェミニストは「道徳を重んじて表現を認めないファシストガミガミおばさん」

 フェミニストの眼に映るオタクは「男性社会の無思慮な暴力肯定しつづけるレイピストクソ野郎


 オタクはただ表現進歩性を守りたかっただけなのに。

 フェミニストはただ表現進歩を与えたかっただけなのに。


 ここでは、もはや誰が敵か味方かもわからない。

 もしかしたら、敵も味方もいないのかもしれない。

 自分以外のすべてを虐殺しつづける戦場

 それがインターネットであり、インターネット表現規制論争だ。

2017-07-08

性教育とか性差別とか話題になってるけど

道徳教育について考えるのも大事だと思う。

表現子供への悪影響や性犯罪性差別助長になるのではと問題視されるけど

道徳的教育がなされていれば、突破できる問題だろう。

人が嫌がる事はしない、差別はいけない、とか基本的な事で。

もちろん性教育大事だと思うが、道徳教育も甘いんじゃないか

2017-07-07

安倍昭恵スピリチュアリズム

以前ブログにも書いたのですが、

もしも私が放射能だったら・・・

人間のために一生懸命働いてきたのに、いきなり寄ってたかって悪者扱い・・・

悲しいだろうなあと思ってしまます

嫌われ者はいじけて大暴れするかも・・・

原発肯定しているわけではなく、自然エネルギーに移行していくべきだという考えです。

しかし、放射能自体が悪いわけではない。

悪いのは人間です。

私は放射能感謝気持ちを送りますありがとう・・・

意識の持ち方は大切です。

https://www.facebook.com/akieabe/posts/10150571917471779

 安倍昭恵2012年フェイスブックへの投稿話題になっている。

 スピリチュアリズムの悪いところが前面に出ている酷い文章だが、論理の飛躍が大きいせいか、誤解にもとづく非難賛同も多いようだ。とりあえずスピリチュアリズムとしての解釈を示してみたい。

悪の問題について

 安倍昭恵記事の最大の問題は、「人間」を一枚岩で捉えて「放射能(ここでは原発関連の放射性物質のこと、以下同じ)」に「一億総懺悔&総感謝」的に反省することで、現実社会問題被害と加害の関係等閑視することにある。とはいえ、ここで書きたいのはまた別のことで、「放射能自体が悪いわけではない。悪いのは人間です」という箇所についてだ。

 この解釈として、安倍昭恵の弟の松崎勲はこの記事におそらくは賛同の意を込めて「全ての自然物(現象)に対し、人間勝手価値観押し付けることは今すぐにやめるべき!!」とコメントしている。これは道徳的価値において人間物質関係を「非対称的」に捉える思考だ。善や悪という道徳的概念人間領域限定されていて、「善悪無記」の物質自然物)にそれを押し付けることはカテゴリーミステイクであるという発想だ。

 松崎勲と類似コメントは数多くある。しかし、これらは安倍昭恵思想根本的に誤解している。

 そもそも記事の前半の「もしも私が放射能だったら・・・」という想定が「対称性」の思考のものである。そしてスピリチュアリズムとは、人間とそれ以外(生物自然)を霊の次元において連続的・「対称的」に捉え、それらの霊の交わりを説く思想である。百歩譲って放射能人格化し、感情を想定するのは共感能力だけで可能だとしても、その感情にもとづいて現実になんらかの力が行使される(「嫌われ者はいじけて大暴れするかも・・・」)とまで想定するのは霊のはたらきを考慮に入れないと不可能だろう。

 このような「対称性」のスピリチュアリズム記事の後半にも貫徹されている。

 「放射能自体が悪いわけではない。悪いのは人間です」という箇所は、「人間善悪無記の放射能悪用した、すなわち人間社会にとって有害に用いた」という意味ですらない。安倍昭恵の関心は、人間社会のものにはなく、あくまで「人間」が放射能にどのような心情・態度を示し、どのようにスピリチュアルな交わりを実現するか、にある。つまり安倍昭恵糾弾する悪とは、前半で想定されていた、人間放射能を「人間のために一生懸命働いてきたのに、いきなり寄ってたかって悪者扱い」することの悪に他ならない。

 問題の箇所をわかりやすく言い換えると、「放射能といういじめられる方が悪いわけではない。悪いのはいじめる方の人間です」となる。これは紛れもなく「対称性」のスピリチュアリズムである。(いじめる方といじめられる方関係非対称的だ、と思われるかもしれないが、ここでいう「対称性」とは「入れ替え可能性」のこと。)

 要するに安倍昭恵はこの記事で一貫して霊の次元における「人間」と放射能の「対称性」を主張しているのである。したがって、スピリチュアルな感度のない弟の松崎勲の「全ての自然物(現象)に対し、人間勝手価値観押し付けることは今すぐにやめるべき!!」というコメント安倍昭恵への賛同どころか、アイロニーとなってしまっているのである

槇原敬之の「Appreciation」との比較

 安倍昭恵記事を読んで、槇原敬之2011年に発表した曲「Appreciation」(http://j-lyric.net/artist/a0005ff/l025b9d.html)を思い出した人は多いと思われる。この曲にあるのは「僕ら」の原発への態度の豹変反省し、感謝の大切さを唱える内省精神である。言うまでもなく、それは外部の現実から目を閉ざすことと表裏一体であり、発表当時に物議を醸したのも当然といえる。

 一方、安倍昭恵場合は、同じように「人間」の放射能への態度の豹変をなじり、放射能感謝を捧げるわけだが、槇原と違って単なる内省ではないところがポイントだ。安倍昭恵は「意識の持ち方は大切です」と文章を結んでいるが、ここにあるのは「(無意識を含む、思考欲望などの)意識は(霊のはたらきによって)現実化する」、つまり意識の持ち方こそすべて」という自己啓発と結びついた安直スピリチュアリズムに他ならない。安倍昭恵人間放射能感謝すると、それだけで放射能の霊が喜び、人間に良いはたらきをすると考えているのだ。

スピリチュアリズムから批判

 安倍昭恵スピリチュアリズムというレッテルを貼って終わるといかにも安易でつまらないので、最後スピリチュアリズムの内部から批判してみる。さしあたりスピリチュアル知識人として影響力のある中沢新一議論を援用する。上で用いた「対称性」という言葉中沢の大好きな概念であるが、中沢ならば安倍昭恵批判するに違いないかである。『日本の大転換』の冒頭の内容を可能なかぎり簡略化して述べてみよう。

 人間地球自然生態圏のうちに社会をつくりだし、生きてきた。地球の生態圏には、太陽からの(核融合の)エネルギー植物光合成によって媒介されて持ち込まれさら動植物の死骸の分解という何重もの媒介メカニズムによって化石燃料はつくられてきた。しかし、原子力は生態圏に太陽圏の(核分裂の)エネルギーを無媒介にもたらすものであるため、生態圏そのものを壊す危険性をもっている。

 中沢議論にもさまざまなツッコミどころがあるだろうが、ここでは措く。たとえば中沢原発一神教の神に比してもいるが、要するに、「対称性」の思考は生態圏のうちでのみ働くものであって、その外部の無媒介な導入である一神教の神・原発放射能には適用できないということである

 中沢議論にどれほど説得力を感じるかは人それぞれだろうが、少なくとも安倍昭恵のような「対称性」が大好きなスピリチュアリストならば、傾聴すべきではないだろうか。

原子力発電は生態圏内部の自然ではないのだから、それをあたか自然事物のように扱うことは許されない。……生態圏の自然太陽圏の『自然』を混同することほど、危険なことはない」(『日本の大転換』39頁)。

2017-07-03

https://anond.hatelabo.jp/20170702210122

ガタガタ書いてるけど、なんでそんなに企業障碍者対策の金払わせたくないの?企業無限障碍者対策できないことぐらい、皆、分かっている。企業営利組織なので、どこかで線引きしないといけないことは確か。で、線引きをする何らかの仕組みが必要だっていうのは当然の帰結でしょう。

罰金のような義務的な形にするか、あるいは、減税や補助金のような、必ずしも遂行する必要がないかたちにするかは、考え方次第だろうけどさ。多分、ケースバイケースで、どっちも使い分けないといけないだろうけどね。

で、なんか罰金に反対みたいだけど、そもそも、お前が挙げたバリアフリー法の中で、悪質な場合罰金規定されているんだけど?つまり企業が最低限の障碍者対策サボることがないように、企業義務を課すことは正当な行為であると、国が認めてるの。障碍者企業対話して対立を解消することも大事だろうけど、企業障碍者対策義務付けて、ひどい場合罰金取る形にしなきゃ結局企業は動けないよねって国も認めていて、罰金を認める法が、もう10年以上前から成立してるの。対立解消だけを言い張るのは、結局、問題解決せずに対立がなかったことになって得をする強者側、企業側なの。対話による対立解消だけを言い張るのは、「弱者は黙ってろ」って言うのと事実上同じで、冷静に議論するフリして障碍者をぶっ叩く、差別主義の最悪の形だよ。

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H18/H18HO091.html

必ずしも全ての健常者が、障碍者理解があるわけじゃない。「障碍者死ね」ってこっそり思っている健常者もいると思う。一般人自殺しないのが道徳的義務であるのと同様、健常者が自分を脅かしそうになった時に抵抗するのも、障碍者に生まれた者の責務なんだよ。健常者が自分を脅かす思想を持っていないかどうかを監視して、自分たち存在を脅かしかねない思想喧伝する者には、ちゃんと「人殺し!」と言いまくって社会から排除されるようにしないといけない。戦うのはつらいかも知れないが、それが障碍者に生まれものの責務なんだよ。国で「障碍者も含めて皆が生きて健康文化的生活を送れるように努力することが、皆に安心感を与えて健全社会を作る」って憲法規定しちゃったんだから障碍者が声を貼り上げてそれを守らせることが、巡り巡って健常者の安全を守ることにつながるのだ。

2017-07-01

https://anond.hatelabo.jp/20170701175115

女性セックスって体だけでなく精神的な作用が大きいから、鬱っぽいって自己認識があるなら、それが原因の可能性も結構ある

性の問題ってどこで相談すればいいのか難しいよね

女性医師(変に道徳的でない)がいる産婦人科か、メンタルヘルス妥当なんだろうか?

疑問を重ねるようですまん

2017-06-28

規制緩和犠牲となる動物たち

加計学園問題を巡り、獣医学部規制が、国民のためなのか、獣医師会のためなのか?という議論が交わされています

規制が緩和され獣医師の数が増えれば、競争原理が働き、動物治療費が安くなるかもしれません。

また、腕の悪い獣医師競争過程で淘汰されてしまうのを恐れているのかもしれません。

その他にも、新設の結果、獣医学部法科大学院のように潰れてしまい、私学助成金などの我々の税金が、結果として無駄なってしまうかもしれないという問題点があります

しかし、ここには、重大な視点が欠落しています。それは、動物視点です。

「国の偉大さ、道徳的発展は、その国における動物の扱い方で判る。」とはマハトマ・ガンジーが残したとされる言葉です。

獣医師になるためには多くの動物犠牲必要であることは、言うまでもありません。

解剖、手術、動物実験等様々な用途で、動物使用されます使用される動物としては、マウス、犬、豚、馬、牛などが挙げられます

獣医学部が新設されれば、当然使用される動物も増えるでしょう。

確かに獣医師の数が増えれば犠牲になった動物の数よりも多くの動物を救うことができるかもしれません。

しかし、需要を上回る獣医師養成し、人手が余ってしまったとしたら、その時犠牲となった動物の命は無駄になってしまうのではないでしょうか?

獣医師が余るなら、獣医師としては食べていけないなら、獣医師免許不要職種活躍していけばいいじゃないかという意見もあります

しかし、本当にそれで動物たちは浮かばれるのでしょうか?市場原理に目がくらみ本当に大切なことを忘れていないでしょうか?

獣医師は、 人間ではなく動物の命を預かるという点で、医師歯科医師薬剤師とは根本的に異なります

人間なら医学および歯学の発展のため献体を行うような教育における犠牲合意形成可能ですが物言わぬ動物たちはそれができません。

獣医学部新設の認可は文部科学省利権といわれていますが、結果的にこの規制動物のためにもなっていたと思います

市場原理に任せやみくもに獣医学部獣医師を増やしてはいけません。不足している分野の獣医師待遇改善など動物の命を犠牲にしない方法検討するべきです。

今こそ「命を守る政治」が求められているのではないでしょうか?

おかしなガムボール

おかしなガムボールという海外アニメがある。あの世界観ほど、多様性ナチュラルに描いた作品は無いように思う。

どんな家族の形があったっていい。どんなに変な人間でもいい。つまらなくてもいい。ただ一人一人が存在しているだけで許されている世界

それが端的に表されているのが、The compilation という回の挿入歌、″nobody´s A nobody″である。(日本語訳版を探すなら、「おかしなガムボール みんな特別」と検索すると出てくるはずだ)

https://youtu.be/gaN-hdI8ktM

誰もが特別だということは、特別なことではない。ごく当たり前のことだ。その意味で、このアニメは非常に道徳的だと思うのだが、如何だろうか。

規制緩和犠牲となる動物たち

加計学園問題を巡り、獣医学部規制が、国民のためなのか、獣医師会のためなのか?という議論が交わされています

規制が緩和され獣医師の数が増えれば、競争原理が働き、動物治療費が安くなるかもしれません。

また、腕の悪い獣医師競争過程で淘汰されてしまうのを恐れているのかもしれません。

その他にも、新設の結果、獣医学部法科大学院のように潰れてしまい、私学助成金などの我々の税金が、結果として無駄なってしまうかもしれないという問題点があります

しかし、ここには、重大な視点が欠落しています。それは、動物視点です。

「国の偉大さ、道徳的発展は、その国における動物の扱い方で判る。」とはマハトマ・ガンジーが残したとされる言葉です。

獣医師になるためには多くの動物犠牲必要であることは、言うまでもありません。

解剖、手術、動物実験等様々な用途で、動物使用されます使用される動物としては、マウス、犬、豚、馬、牛などが挙げられます

獣医学部が新設されれば、当然使用される動物も増えるでしょう。

確かに獣医師の数が増えれば犠牲になった動物の数よりも多くの動物を救うことができるかもしれません。

しかし、需要を上回る獣医師養成し、人手が余ってしまったとしたら、その時犠牲となった動物の命は無駄になってしまうのではないでしょうか?

獣医師が余るなら、獣医師としては食べていけないなら、獣医師免許不要職種活躍していけばいいじゃないかという意見もあります

しかし、本当にそれで動物たちは浮かばれるのでしょうか?市場原理に目がくらみ本当に大切なことを忘れていないでしょうか?

獣医師は、 人間ではなく動物の命を預かるという点で、医師歯科医師薬剤師とは根本的に異なります

人間なら医学および歯学の発展のため献体を行うような教育における犠牲合意形成可能ですが物言わぬ動物たちはそれができません。

獣医学部新設の認可は文部科学省利権といわれていますが、結果的にこの規制動物のためにもなっていたと思います

市場原理に任せやみくもに獣医学部獣医師を増やしてはいけません。不足している分野の獣医師待遇改善など動物の命を犠牲にしない方法検討するべきです。

今こそ「命を守る政治」が求められているのではないでしょうか?

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