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はてなキーワード: 道徳的とは

2022-08-09

倫理観があって成功任天堂はどうよ

天才「かつ」法に縛られない人間ばかりが成功してるように見えるからそんな社会ダメじゃね?って話をしてんのよ。なんなら道徳的天才よりも法に縛られないだけの奴のほうが成功してね?俺は道徳的天才成功してほしい

ちなみにビジネスの話ね?個人成功で言うと基準曖昧になるから、みんなが聞いたことがあるような大企業グレーゾーンを通ってきてない企業なんてある?

BtoCだとぱっと思い浮かぶのが任天堂

任天堂ガチャビジネス距離をおいた珍しいゲーム大手だが成功している。

ゲーム自体虚業や賤業だよねって人以外はだいたい同意してくれる気がする。

トヨタはどうなんだろう。利益を減らしても国内雇用の維持する方針個人的には倫理観高い。

でも政治家提言とかもしてるから増田的にはNG

BtoBだと倫理観が良くて成功している会社はいっぱいあると思うけど「みんなが聞いたことがあるような」を満たすのが難しいな。

2022-08-08

anond:20220808163838

「Fake it, till you make it」の格言

自信がないときでもあるように振る舞う

絶望していても楽観的に振る舞う

というように、理想自分になるためにまずは模倣から始める、という話であって

他人を騙すような道徳的問題のある行為の話ではないってことかな

2022-08-05

清水晶子(東京大学)「学問の自由キャンセルカルチャー」Part4 〜キャンセルカルチャー批判

目次

anond:20220805225632 Part1 〜学問の自由とその濫用

anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略

anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜

anond:20220805230307 Part4 〜キャンセルカルチャー批判

anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てキャンセルカルチャー批判メカニズム

anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答

学問の自由キャンセルカルチャー」Part4 〜キャンセルカルチャー批判

https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI&t=3428s

57:08~1:05:19

抑圧側と被抑圧側との逆転の構図

抑圧側と被抑圧側とのこのような逆転の構図というのは、2010年代にはオルト・ライトと呼ばれる新興右派

あるいはそれとも重なるミソジニーに満ちたオンライン男性主義の主張などにおいて、幅広く利用されるようになっていきます

もちろんマイノリティを、かぎかっこ付きの「私たち」の外部にある敵というふうに認定する、

その敵の攻撃から身を守らなくてはいけないという形で、当該のマイノリティへの抑圧や暴力正当化していくっていう、

その形というのはもちろんその以前から

例えば排外主義において、あるいはモラルパニックにおいて広く見られてきたものではあります

9.11同時多発テロの後、対テロ戦争期の欧米各国におけるイスラムフォビア暴力っていうのはこういうものだったわけですし、

あるいは70年代80年代に、同性愛者とりわけゲイバイセクシャル男性というのを、

当時は性的捕食者、セクシャルプレデターっていうんですけれども、性的捕食者あるいはHIVウイルス拡散元として、

非常に激しくバッシングしたのが英米モラルパニックっていうのになるんですが、これなんかがすぐ念頭に浮かぶと。

じゃあそのオルト・ライト勢力オンラインミソジニーアカウント群を巻き込んだ、2010年代の特徴っていうのは何かっていうと、

これ単にマイノリティ側を、自分たちを脅かす敵なんだというふうに認定するだけではなくって、

マジョリティ側が力のある側が、自分たちを「差別されている」「抑圧されている」、あるいは「自由侵害されている」という形で、

はっきりと、私たちこそが「被害者である」「被抑圧者である」という形で、語り始める点にあると言えるかもしれません。

そういう語りのこの後もいろいろ出てくると思うんですが、

今のところ最新の形がいわゆる「キャンセルカルチャー批判」というものになります

キャンセルカルチャーとは

CAMBRIDGE DICTIONARY

社会あるいは集団、とりわけソーシャルメディアにおいて、自分を傷つけ侮辱する (offend) ようなことを言った人を完全に拒絶したり、その人の支持をやめたりする振る舞い方

MERRIAM-WEBSTER

不同意を表明したり社会的に圧力をかけたりする手段として、集団キャンセル行為(公に、とりわけソーシャルメディアにおいて、特定の人や組織への支持を撤回すること)をするような実践

ピュー・リサーチセンター(2020)

リベラル寄りの人々は「ある人に自分の行動に対する責任を取らせるためのアクション」と捉える

保守派よりの人ほど「検閲」と捉える

キャンセルカルチャーという語が急激に知られるようになってきたのは、

2010年代後半のことで、したがってだから、数年なんですよね、

キャンセルカルチャー意味とか語法も、現時点で完全に固まってるとは言い難いところがあります

実際、例えば辞書定義を見ても、Cambridge Dictionaryだと、

社会あるいは集団、とりわけソーシャルメディアにおいて、自分を傷つけ侮辱すること」、offendという言葉ですが、

自分を傷つけたり侮辱したりするようなことを言った人を完全に拒絶したりとか、

あるいはその人への支持をやめたりする振る舞い方」、いうふうに定義している。

それに対して、もう一つ別の有名な辞書でMerriam-Websterなんかを見ると、

不同意を表明したり社会的に圧力をかけたりする手段として、集団キャンセル行為」、

このキャンセル行為というのは「公に、とりわけソーシャルメディアにおいて、特定の人や組織への支持を撤回すること」なんですが、

集団キャンセル行為を行う実践」っていうふうにしていて、だから重点がちょっと異なってるんですね。

またピュー・リサーチセンターによる2020年時点の調査では、

リベラル寄りの人々は、

キャンセルカルチャーというのは、ある人に自分言動に対する責任を取らせるためのアクションと捉える傾向が強い。

それに対して保守派に寄っていく人ほど、

同じキャンセルカルチャー検閲であるというふうに捉える傾向があるということが明らかになってます

まりある人々が、差別的だったり暴力的だったりするなど社会的・文化的問題があると思われる言動を、

放置しないために取るアクションだ、ってふうに考えているものが、

より保守的な別の人々にとっては、これがつまりキャンセルカルチャー批判」の文脈になるわけですけど、

そちらの人々にとっては、それが集団での圧力とか検閲とかっていう形で理解されている。

言い換えれば、「キャンセルカルチャー批判」という形でのキャンセルカルチャーってのは、そもそも最初から

しばしば多数派である括弧付きの「私たち」の言動を、差別的とか抑圧的などと非難することで、

私たち」の言動検閲する抑圧する、あるいは「私たち」を差別する圧力というふうに定義することができる。

から先ほどからお話ししている逆転の構図を含み込んだ用語っていうのが、キャンセルカルチャーだと言えると思います

正義と開かれた議論についての書簡」(通称ハーパーズ・レター」2020)

153の署名: ノーム・チョムスキーサルマン・ラシュディマーガレット・アトウッドなど

若い左派から批判キャンセルカルチャーキャンセル

人種的社会正義を求める強力な抗議運動」や「とりわけ高等教育報道慈善事業、そして芸術活動など、社会におけるより一層の平等包摂を求める声」というような「必要過去清算(reckoning)が、同時に、開かれた討議と差異に対する寛容さという規範を弱体化させ、それよりもイデオロギーの一致を求めるような、一連の新しい道徳的態度と政治的コミットメントを強化してしまっている」

保守派による「キャンセルカルチャー批判」の事例というのは、とりわけ2020年代になってからほとんど枚挙にいとまがない。

毎月のように何か出てくるんですが、ただ時間がないので、

ここでは学問の自由に関わる、そして最も知られた例の一つを挙げておきたいと思います

何かというと、2020年に公開された「正義と開かれた議論についての書簡」というものです。

一般的にはハーパーズ・レターと呼ばれるんですが、その公開書簡なんですけども、

この公開書簡は、当時のトランプ大統領代表される右派の動きというのは民主主義の脅威であるというふうに位置付ける一方で、

同時に右派はまずいと、だけど同時に左派の間にも異なる見解に対する不寛容がまん延しつつあるというふうにして、

より開かれた議論必要性を説くんですね。

ここの何か不寛容とかそういう表現が、先ほどちょっとお示ししたブッシュ・シニアポリコレ評価と、

用語としてこう微妙に近似しているのは非常に興味深いところなんですが、

とにかくただこれだけ見ると何でもない主張に見えるんですけれども、

この公開書簡、例えばノーム・チョムスキーとか、サルマン・ラシュディマーガレット・アトウッドなど、

非常に有名な人たちを含む153名の研究者作家ジャーナリスト署名しているんですけども、

この公開書簡、何でもない、割とこう、どうでもいいというか普通のこと言ってるように見えるにもかかわらず、

公開されるとすぐに「キャンセルカルチャー自体キャンセルしようとする公開書簡である」っていう形で、

人種的性的マイノリティを中心とする若い左派から大きな批判を受けることになります

実際のところただこの公開書簡自体を見ると、

キャンセルカルチャーという用語は、それどころかキャンセルっていう用語も1回も使われてないんですね。

じゃ何で批判が来るのかっていうと、ここ(=スライド)にあるんですけども、

人種的社会正義を求める強力な抗議運動」や

「とりわけ高等教育報道慈善事業、そして芸術活動など、社会におけるより一層の平等包摂を求める声」というような

必要過去清算」、この清算というのはReckoningという言葉を使うんですが、これが同時にそれは必要だと、

だけど同時にそれが「開かれた討議と差異に対する寛容さという規範を弱体化させ、それよりもイデオロギーの一致を求めるような、

一連の新しい道徳的態度と政治的コミットメントを強化してしまっている」というふうに言うと、

この表現が、とりわけBlack Lives Matterを通じて、

Racial Reckoningって人種的過去清算の盛り上がりを迎えていた英米両国においては、

人種主義への批判のもの不寛容だと見なすキャンセルカルチャー批判」の文脈につながる書簡だというふうに受け止められた。

同時に、キャンパスにおけるポリティカル・コレクトネス批判者として知られていた、

言語学者スティーブン・ピンカーであるとか、

ハーヴェイ・ワインスタインの弁護を引き受けたことで、学生から抗議を受けてハーバードロースクール学部長職を退くことになった、

法学者のロナルド・S・サリヴァンであるとか、

この公開書簡の公開時にはトランス排除言説の支持者として知られていて、その言動批判が集まっていた、

作家J・K・ローリングとか、

そういう人たちが名前を連ねていたということももちろん、

この公開書簡が「キャンセルカルチャー批判」の一翼をなすものと受け取られた一因ではあったと思います

この書簡は、先ほどもちょっと申し上げたように、例えば左派代表知識人と見られてきたチョムスキー署名をしている。

同時に、ネオコンサバティブの論者である、例えばフランシス・フクヤマみたいな人も署名してるんですね。

まり従来の分け方で言えば、まさに右も左もなく同意できる原則を語っているように見える。

にもかかわらず先ほどから申し上げているように、

実際には、より若手のマイノリティライターとか研究者から強い批判が出る結果になった。何でか。

恐らくこれは、後者に当たるより若いマイノリティの人たちというのは、

学問の自由とか言論の自由擁護というのが、

近年では力のある地位にある人々が、自分たち差別的・抑圧的な言説の責任を問われたときに、

その批判糾弾を振り払うために使う枠組みになってしまっている、ということを感じ取っているのに対して、

フクヤマにしてもチョムスキーにしても、ある程度は地位が固まった偉い人たちっていうのは、

その事実をあまりきちんと把握できてなかった、いうことではないかと思います

anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てキャンセルカルチャー批判メカニズム

2022-08-04

あらゆる欲望の中で性欲に対しては道徳的規範が厳しい

例えば、俺が同時に二つのコース料理を店で頼むことは多少異常な部類に入る程度だが、風俗店で同時に二人の女を相手にすることはそれよりも異常なこととされるだろう。引っ越しを繰り返すのが趣味だという人間は少なからずいるが、結婚離婚を繰り返す人間というのは異常者と見做される。世界中音楽ファッションを楽しみたいというのは健全好奇心だとされるが、世界中の異性を相手にしたいという欲望を口にするときには表現にかなり気をつける必要がある。

もし俺が大金持ちだったら、ありとあらゆることは金の力で自由にしていくだろうが、性欲に関しては性的逸脱に対する社会規範が厳し過ぎてそれほどままならない。一流だとされている有名人で、例えばタイガーウッズとかビルゲイツのような人物が時折り下半身周りで失敗をするのは、そういう社会ルール非対称性によるものだと思う。

2022-07-31

私は侵略外来種を殺すことは道徳的になにも問題はないということはやっぱりできないと思っている。だから実利のために行う環境保護の中で、ある種、人間の都合に振り回され死んでいく生物たちに関しては申し訳ない、すまないと思う気持ちぐらいは持っていたい。

2022-07-27

anond:20220727192831

現状を肯定することを道徳的に正しい思想だと信じたがる連中はどの時代のどの思想からも湧いてくるよな。

キリスト教の「神が人間地球支配者になれと命じた」みたいなのを本気で必要とする心の弱い愚民がどの時代にもいるからなんだろうけど。

2022-07-22

月曜日のたわわとアベ死ねについて独り言

自分の中で、月曜日のたわわと「安倍死ね」ということ、およびそれに付随する問題について、善か悪か考えます

快か不快

月曜日のたわわ

余裕で快です。

安倍死ね

死ねっていうだけなら無です。私は安倍ではないし安倍と知り合いでもないのでなんとも思いません。

本気で殺すやつがいたら(「アベ死ね」とは無関係に)恐ろしく、不快です。いたら、というか実際に出てきてしまいました。

ここはてなにいて犯人境遇にも同情できるところが多々あるというのは知っているのですが、それでも殺人犯不快です。

その表現が発するメッセージを好んで摂取する人たちの品性、およびそのメッセージに傷つけられる人たちについて

月曜日のたわわ

完全にお気持ちになる上に1話しか見てないので全部読んだ人に怒られてもしょうがないと思うんですが1話だけ読んだ感想を述べさせていただくと、

アレは男性目線ファンタジーです。現実アイちゃんみたいなかわいい子がいないとか、アイちゃんみたいなかわいい子と普通サラリーマン

あんな無理やりに接点を持つことが皆無だから、ではありません。

主人公?のサラリーマンアイちゃんを評して曰く、「男好きする設定が服を着て歩いている」だそうです。主人公が「人としての」アイちゃんを見ようとしているとは思いません。

よしんば主人公がそうであったとしても、読者は「これは男性目線ファンタジーですよ」と作者に言われながら男性目線ファンタジー享受しているわけです。

まぁキモいですよね。

また、1話では電車主人公アイちゃんのふれあいがありました。アレを見たら、痴漢をされたこともしたこと痴漢好きでも女子高生であったこともない増田でも痴漢連想しました。

ストーリーを愚直に追えばどちらかと言えば痴漢行為をしているのはアイちゃんなのですが、痴漢する人ってそこそこ「向こうから誘ってきた」とかいイメージじゃないですか。

痴漢する人の脳内ってこういう感じなのかなーとは思いました。実際に痴漢経験のある人、特に女子高生電車通学の人が見れば、不快感を抱いてもおかしくないでしょう。

また、これは月曜日のたわわに限らず、また男→女に限らずですが、自分の求める異性の基準を恥も外聞もなくさらす人は大嫌いです。

"巨乳女子高生は素晴らしい、女子大生になると少し落ちる、Bカップ以下は論外..."みたいな身もふたもない基準聖人君子でもない限り男女問わずあると思いますが、

それを堂々と言うことで、「下」に分類された人は辛い思いをしますし、「上」に分類された人も自分評価勝手に決められている時点であまりいい気はしません。

こういった世界観は、「性的魅力の上下」で人の価値を決めることが(ある程度)正しいと堂々と言える人、その中でも「上」に分類される人以外すべてにとって

辛いものです。「男好きする設定」みたいなフレーズのやばさがわからない男の人は、もしかたらこちらのtogetterをご覧になるとよいかもしれません。

https://togetter.com/li/1917040

『「彼氏として30点だった男が100点の夫になり、彼氏として100点だった男が5点の夫になるのが結婚です」という話を聞いて首がもげる』という記事です。

私は男なのでたわわよりもこのまとめに強く不快感を覚えましたが、てめーの都合で勝手に「男好きする設定」とか「彼氏として何点」とか言っていいと思っているという意味では

どっちもカスです。

安倍死ね

私は冗談死ねということにそこまで抵抗はありませんが、それはあくまで気心の知れた関係での話です。

気心知れぬ相手に、見えるところで死ね死ね叫ぶ人たちが何を考えているかというと、自らは安倍晋三の被害者から安倍晋三に何を言ってもいいと思っているわけです。

人によっては同情できる境遇の方もいらっしゃるとは思います。例えば山上容疑者による安倍晋三殺害はさすがにありえないですが、彼くらいの境遇ならば

ネットで「安倍死ね」と書き込むくらいなら全く咎める気になれません。彼ほど酷くなくても個別には同情できる人はいるとは思いますが、

少なくとも会ったこともない人に「安倍死ね」と安倍の見えるところに書くことは私にとっては道徳的に間違っていますもっとカジュアルに言えば、キモいです。

私が安倍晋三氏であれば、毎日数百ほどの「死ね」が知らない人から飛んで来たら自殺するかもしれません。まあそんなことで死なないからこそ政治家やってるんでしょうが

しかも、安倍晋三氏はテレビによく出ていますし、支持している人もかなり多いです。

安倍晋三氏に限らず、会ったこともない政治家芸能人youtuberなどなどに親しみを感じる人は少なくありません。まして政治家自分が選んだものです。

自民党支持者、とりわけ安倍晋三支持者にとっては、自分も強く非難されている心持でしょう。

そのような人にも不快感を与える行動になります。もちろんそれは一人が「安倍死ね」ということによって発生するのではなく、何万人もの人間が一斉にいう流れによって発生するものなので、

一人一人のもたらしている悪影響はそんなに大きくないでしょう。

権力によって規制されるべきか

月曜日のたわわ

個人的には、基準をきちっと整備するならしてもいいんじゃないかな、とは思います

いうまでもなく表現自由は大切です。それが「上から」だろうが「下から」だろうが、自由言論(たわわも含め、漫画も当然言論媒体となりえます。)を一時の感情によって規制することには慎重になるべきです。「たわわを規制して何が困るんだよ!」とおっしゃる方もいらっしゃるしょうが、私は「今のところ問題点が見つからないなら問題点はない」という発想はどうかと思います

どんな表現規制であろうと、その規制基準というのは恣意的に「なりうる」し、それによって権力暴走を「招きうる」のです。「だから絶対規制するな」は詭弁ですが、どんな表現であろうと規制を「ためらう」べきであるというのが私の考えです。そのうえで、私は月曜日のたわわが規制されうるようなちゃんとした規制基準が作られてほしいと思っています出版するなとまではいいません。ちゃんとしたゾーニングを望みます。あの内容であれば個人的には18禁行きが望ましいと思いましたし、そもそも18禁のものが実際に18歳未満に見えていないかというとかなり怪しいので、ゾーニングが不十分なのは何とかしないとまずいんじゃない...?と思っています

たわわは「女子高生『だから大人の性の対象になる」という価値観を喧伝していますし、痴漢願望(これはやや言いがかり感あるかも?とは思うが)を満たしている感じもあります

エロさの度合いだけで言えば別に18禁でなくてもいいのですが、こう、子供に見せたくない価値観ではありますよね。こういう価値観が存在するということを知るなとは言いません。

こういう価値観は否定されるべきであるというメッセージがたわわにはない、あっても限定的であるというイメージです。正直に言って個人的には前述の理由で慎重になってなお、

たわわの規制、そして18禁というゾーニングの不徹底さを「議論すべき」だと思っています。(規制議論すること自体も、表現自由に対しては潜在的な脅威とはなりえますので、一般論として慎重になるべきではあります

そのうえで、議論を尽くして日本国民の大多数がまあそれなりに納得できる規制基準が出なかったら、ここまで私が述べてきたたわわによる問題解決するためにたわわを規制するというアプローチあきらめざるを得ません。問題女性差別なり犯罪示唆なりペドフィリア肯定なりなので、まぁほかにも何とかする方法はあるでしょう。

表現自由とはすべての表現大手を振って街中に出ていいということではないですが、少なくとも規制をするならば基準を明確にして、なおかつ規制悪用するものが出ることを鑑みて慎重を期すべきです。

(ちなみに、「規制派は基準を示していないか規制は駄目だ」という意見もよく見ますが、基準を示すのは立法者の仕事であり、個人基準を示す能力など普通に考えてないので詭弁です。まぁ、規制派の中に過激かつ批判を聞き入れない状態になっている人がいるとは思いますし、そういう人の態度がよくないというのはそれはそうなんですが、そこまで過激な人って一部ですからね。一部のバカな人がダメから全体がダメとか言い出すならもう大概のことはダメですよ。そしてこういう詭弁を使う人は逆側の過激派に持っていかれかねない怖さがあります。)

・アベ死ね

具体的な脅迫をしたら犯罪とすべきですが、この手の誹謗中傷について法が介入するのはどうかと思います

権力者への直接的な言及制限するというのは、「月曜日のたわわ」とは比較にならないくらい法の介入が慎重になるべき分野です。

安倍晋三氏が具体的に何をしたかというのはおいておいて、総理というのは数千、数万の人の命を左右してしまえる存在です。

要するに、彼によって間接的に「殺された」人もいるということです。総理、あるいは少しスケールが小さい話になります議員もそうです。

さらに言えば、政治家立法に重大な権限を持っています。そんな政治家自分への侮辱を好き勝手規制しだすと、軽度の侮辱やたんなる批判まで重罪にしかねません。

なので、月曜日のたわわなんぞとは比べ物にならないくら規制には慎重になるべきです。もう自由放任にすべきというレベルですね。

ただし、あくま民主主義を守るために規制できないだけであって、いいかいかで言えば絶対に悪いです。こうした法で規制できない問題に関しては民間(?)の良心に期待すべきです。

安倍氏の批判者は基本的にそんなことを言う人は相手にせず、度を越したら「その態度は良くない」とはっきりいうべき(ただし、法的に規制されるべきではないという認識、および政治家に対して憎しみを持つこと自体が悪なのではないという事とセットで)

安倍氏の支持者はそれを過度にあてこすって安倍氏の批判者のイメージを不当に落とすべきではない

と思います。偉い人を侮辱するのを禁止するっていうのを偉い人が決めるのはめちゃくちゃ怖いので、法的には絶対にセーフにすべきです。

また、そうした発言を「お前は品性が悪い!」とリンチするのもよくないです。それは安倍氏に限らず権力者に対する批判精神の萎縮を産むからです。

「あーコイツバカだなー」と思って無視して、真剣にその人の気持ち自体には共感する安倍批判者だけが「それはよくないよ」ってdmとかで教えるのがベターかなーとは思います

要するに何が言いたいか

なんかこの二つが同じところに並べられてるけど問題の質としてはかなり違うよね?ってこと

あと、そもそも朝日新聞のアレはアベ死ねとは違うという意見結構見られますので、自分としては朝日新聞のアレについて語ったというよりかは、

それぞれの党派不愉快だと思っていてたまに規制論も出る代表例をこの機会に比較してみようかなと思ったという事です。

2022-07-21

anond:20220720134218

そろそろこの手の不毛な議論はやめようよ。


エロ漫画犯罪助長するかと言われたら、まあ他の創作物犯罪助長する程度には助長するとは思うよ。でも、そんなの昔からあったことだ。ゲーム漫画などのフィクション表現を「きっかけ」にしたいじめからかい性的嫌がらせはずっと昔から起きてるし、特に暴力的だったり性的作品に限らないんだよ。


ガキの頃の話で見知ってるのだと、勧善懲悪ものの影響を受けて、変わった子を悪役にしていじめる奴はいたし、作中の登場人物名前が似てるやっぱり気の弱い子を狙っていじめた奴もいた。逆に痴漢って言葉に影響を変に受けて、鬼ごっこの途中でたまたまデリケートゾーンに触れてしまった男子を「痴漢!」と言い募ってイジメ女子もいる。ガキっていうのは本質的動物的で残酷で大体あらゆるものに変な意味で影響を受けちゃう可能性があるから、N=1ないし少数の被害理由子どもへの規制論を言うのなら、ほとんどの表現を撲滅しなくちゃいけない。


たぶん、大人が好む「道徳的な」物語なら子どもは悪影響を受けないという前提があるんだろうけど、まずそれが誤りなことに気が付かないと。その上である作品が「特に子どもに悪影響を与える根拠があって、ようやくゾーニングなりなんなりをしようという話になる。ましてや、今回増田

タイトルまでは聞けなかったが相手の親が言うにはR18指定のものではないそうなのでたわわとかToLOVEるみたいな感じなのかなと思う

なんて書いてる通り、偏見物事を語ってるから議論としては論外。そもそも、たわわなんかは印象に反して、読んでみた感じ「そういう話」じゃないしね(別の意味大人エロ目線に訴えてる部分があってキモイところはあるんだけど、スカートめくりそもそもないし、勝手性的に嫌な感じのことを言ってくる大人は「女の子にとって嫌なことを言っている」し、それが推奨されてるわけでもない)。

2022-07-17

東浩紀さんの発言コンテクストを補完する

多くの人が東さんに驚いているのは、福島さんが言ってもいないことを言ったと発言を歪曲していることもそうだけど、そもそも福島さんの発言問題があったとして(私はないと思う)それを指摘するにはあまりにも振る舞いが過剰だからだと思う。

「過剰」というと主観的な感じがするけれど、実際多くの人が「なんでこんなに騒いでるの?」と疑問を呈している。

Twitterで東さんを擁護しているゲンロン代表上田さんは福島さんの発言に「(自分も)違和感を感じた」と書いているけれど、通常の用法の「違和感」に対して、東さんの「こんなの!許される訳ねぇに!決まってんだろ!」「いや!これはとんでもない事ですよ! とんでもないなぁ!」という発言や振る舞いは釣り合いが取れない。

それが人々に不信を生んでいる。

この過剰さを説明せずに、(上田さんがしているような)福島さんの発言への批判を試みても意味がないと思う。東さんのことをよく知らない人があの動画を全編見て「統一教会と何かつながりがあるのか」と推論するのにも妥当性がある。もちろん私は東さんは統一教会関係がないと信じているし、過剰さについて別の解釈を持っている。

東さんはかねてからイベントにおけるパフォーマンスエンタメ性を重視してきた。鼻に割り箸を入れたシラス配信者に何度も言及してそのエンタメ性を褒めていたし、自身も甲高い声や怒鳴り声を上げたり目や口を大きく開けてのけぞったり机をこぶしで叩いたりしてパフォーマンスしてきた。

このことは同じイベントに登壇した西田亮介さんにたしなめられたりもしたことがあったけれども、東さんは態度を改めなかったし本人不在の配信で「大きな声を出すなとか言うからあいつはダメ」と話していた。

普段と違う視聴者に触れる外部のイベントでは一層パフォーマンス意識しており、ニコニコ生放送に出るときには想定される視聴者層にウケるような発言をして番組を盛り上げると話していた。例えばウクライナ戦争に関する番組では「核武装論を唱える」というのがそれだった。

同じくニコニコ生放送選挙特番(具体的には前回の衆院選の)ではリベラル政党議員に対して自身がいつも使っている「Jリべ」というレッテルを張り「だからダメなんだ」と叩くことでニコニコ動画視聴者を喜ばせた。これには同席した石戸さんや三浦さんもまったく同調して笑っていた。

パフォーマンス重視、ニコニコ動画リベラル叩き」というフレームで東さんの今回の福島さんへの振る舞いを解釈すればその「過剰さ」を、「統一教会とのつながり」という疑い抜きで説明することができると思う。

しかしそのような推論をするとまったく別の問題が生じてしまうことに私は困惑します。つまりリベラル叩きパフォーマンスのために東さんはごく直近の安倍さんの死を持ち出し、普段言及したこともないカルト教団信者人権をだしにし、福島さんの発言捏造し、三浦さんや石戸さんとともに「ニュースになる」と騒ぎ立てたのか。

いわゆる宗教3世の私は特に東さんが「人権」を扱う手つきにぞっとする。そしてこれは福島さんの発言の是非などと比べようのない道徳的退廃のように思われます

そして「パフォーマンス重視」や「Jリべ批判」は東さん個人に留まらゲンロンやシラス根本理念に関わると理解しているので、私個人としてはこれについての整理や釈明がなされない限りゲンロンやシラス応援することに倫理的なためらいを感じます

もっとも、冒頭の「過剰さ」について私の推論よりも強固な解釈があるのだとしたら、これは完全に私の勘違いだったということになるかもしれません。少なくとも福島さんの発言に的を絞って論を立てようという試みを続けている限りは知的にも倫理的にも見るものはないと思います

私はずっと東さんの活動に意義があるのだと信じていたし、彼がするパフォーマンス面白がり、さまざまな批判にも社会的価値があるのだと課金していたけれど、それがすべて否定されたような出来事でした。

と、同時に自分がそのような活動支援し続けてしまった罪について、思いを巡らせています

ゲンロンやシラス世界観は気が付かないうちに、統一教会のそれと変わらないくらい、人間尊厳や死に当たり前の重みを感じる私には理解の及ばない遠いものとなってしまっていました。

(追記)

東さんとゲンロンはTwitterや5chでボコボコにされているので、穏当すぎるこの文章はやはりあまり話題にならないのだな、というのがひとつ

もうひとつは、穏当すぎて私が東さんのことを擁護していると受け取る人が結構いるということ。これには驚いた。

短いリプライ飛ばしてお前はバカだとか言うのは簡単だけど、それじゃあゲンロンのスタッフもお客さんも「理不尽中傷を受けている」としか思わないんじゃないかな?

事実を列挙することで私が何をしようとしているのかもう少し理解されるかと思った。これは統一教会の人に対してどう振る舞うか、ということとも関係する。

ちなみにタイトルの「コンテクスト」は上田さんが「発言は、それがなされたコンテクストから切り離すことはできません」と書いてたことへのいじわるなんだけど、まあいいです。

2022-07-13

法や道徳を守らないのが成功のための唯一の道なのかよ 2022.8.8 22:40追記

追記する】

なんで1ヶ月前に書いた増田が今更ホッテントリに入るのか……

ひろゆきやガーシーは書いた当時に話題になってたから話の枕にしただけで別に羨ましくもなんともないよ(22:45追記: 羨ましくもなんともないは言いすぎた ちょっとうらやましい お金ほしい)

「日々を心安らかに過ごすことが成功です」みたいな人の話は別の機会に聞くから回れ右してほしいんだけど、少なくとも収入知名度の点でほとんどのはてなーよりも成功してるでしょ?そのくらいは共通認識にできませんこと?

天才は法に縛られない!お前は凡人だから成功できないだけだ!みたいなウスラトンカチなこと言ってるのがいるが、別に凡人なのは自覚してるからくだらねえ話すんなよ

天才「かつ」法に縛られない人間ばかりが成功してるように見えるからそんな社会ダメじゃね?って話をしてんのよ。なんなら道徳的天才よりも法に縛られないだけの奴のほうが成功してね?俺は道徳的天才成功してほしい

ちなみにビジネスの話ね?個人成功で言うと基準曖昧になるから、みんなが聞いたことがあるような大企業グレーゾーンを通ってきてない企業なんてある?

追記した】

ガーシーが話題になってるし、あとひろゆきとか、例が卑近すぎるなら大きいところではマーク・ザッカーバーグとかイーロン・マスクとか

詐欺的な行為とか違法、脱法的なことで金や注目を集めて事業を拡大していくのが成功のためには必要に思えてならない

企業単位でもソフトバンクなんか違法スレスレっていうかダメじゃね?みたいなこともあるし、飲食チェーンで労働基準法守ってるところなんて皆無だし

ときどき話題になるようなベンチャー貧テックみたいな知的障害ボーダーを狙うオレオレ詐欺みたいの出てくるしメルカリは盗品市だし

大きくなってからようやく色々整備したようなところは実際あるかもしれんけど、拡大時期から律儀にルールを守ってた大企業なんて存在するのかな

ルールを守りましょう、他の人を大事しましょう、って教育しておいて、そうでない人が成功してもてはやされるのはなんだかなあ

両親が統一教会を退会した話

統一教会のことについて、いろんな人が投稿しているので、これまで誰にも話したことがなかったけれど書いてみようと思う。ここ数日他のところにも似た様な事を書いているので、見かけた人は重複申し訳ない。

両親は合同結婚式で結ばれ結婚した。父は関東、母は関西に住んでいて教会の紹介で知り合い文通を経て結婚式に至った。

親共1950年代まれで、大学の頃に学内勧誘され入会している。父親はのちに世界日報記者になり、母親教会職員になり国内外教会転々と周って指導にあたるなど、ゴリゴリ活動教会内では模範的立場だった。

ところが、両親は90年代に退会している。両親が入会した頃の統一教会には家庭を大事にし、隣人に優しくする教えに共感した「世界の安寧を祈ってる人」が多かった。子供自分が言うのも何だが、両親はとても道徳的で良い人なのである。よっぽど宗教を毛嫌いしている私や社会に出てから出会った大人たちの方が俗物である

90年代ごろに教会内では、教祖の沢山いる子供たちの跡目争いや運営方針の転換があり、空気感が変わってきたらしい。そして、その頃から献金などのノルマがキツくなり「自身不安宗教で埋める人」が増えたそう。ニュースによると容疑者母親はこの頃入会した人だそう。

そう言った空気感違和感を感じて、退会した両親のような信者はこの頃多かった。

両親から話をずっと聞いてきて、宗教(カルト)に入っている人をどうしても嫌いになる事ができない。自分記憶の中にある、教会出会った人たちは皆いい人だったから。

人や立場によって良い人悪い人は変わるものなので、きっと誰かからしたら、両親も教会にいた人たちも誰かに(勧誘等で)迷惑をかけてきたのかもしれない。しかし、私はあの時にいた人たちが今幸せ暮らしているのを信じたい。

最後に、嫌な子供だと自分でも思うが、生まれた時から神様を信じれなかった。人が人に対して祈ることに抵抗があった。信仰拒否したのを受け入れてくれた両親には感謝している。

しかし、あの頃に出会った友人達(子供達)は皆家族に褒められようとお祈りしていたし、家族というチームから孤立する可能性もあるのに、信仰拒否することははたしてできるだろうか。

事件を起こして良いわけではもちろんないが、容疑者家族のことで思い悩み辛い日々を過ごしてきたのだと思うと、かわいそうだと思ってしまった。

2022-07-03

よく言われるのがさんまさん(&ひょうきん族)とダウンタウン比較

さんまさんによるとダウンタウンは「根暗」で、

松本さんによるとさんまさんは「クラスに一人はいる人気者」。

さんまさんの場合はどこいっても学校一の人気者だろうけど。

80年代はそういうお笑いで、

90年代ダウンタウンのような少しギークシニカル皮肉な笑いがウケた。

00年代以降はよく知らん。

1980年代まれ90年代後半~00年代前半に若者だった世代だけど今どきの若者からしたらキチガイ人物扱いなんだろな

この年代まれの連中が若い頃、男女問わず当然に共有されてた価値観があってそれは

「人を酷く傷つける、めちゃくちゃに恥かかせることを思いがけない角度や独特の言い回しで言える奴が強い、エラい面白い、カッコイイ」

みたいな価値観なんだけど多分今の若いからしたら理解不能唖然呆然なんだろな。

今どきの若い人は妙に道徳的な奴多いから。

でもこれってマジでから好かれたり絶対イジメられたりしないイケてる奴ほどこの価値観強く持ってたのよ。

田舎だと今もこんなもんらしいけど、90年代00年代って田舎も都会も東京若者はそういう価値観に染ってた。


そんな価値観に基づいた無邪気な害意があちこちで飛び交ってたのは、全盛期ダウンタウンロンドンブーツ(っていうか『やるキッス』とかやってた時代の初期ロンハー)の影響がめちゃくちゃ大きいと思ってる。


ダウンタウンやばかったもんなあ。

生放送特番でいきなりつぶやきシローに対してコンビ2人がかりで鬼みたいに顔で

なんやその喋り方寒いんじゃボケ!!!!」

とかサラ金の取り立てみたいに怒鳴り散らして萎縮させたり(見かねた上島竜兵道化モードで止めに入るレベル)、

野球挙っぽいゲーム企画でお色気要員として呼ばれたけど、これ以上も脱ぐの?的に困惑して進行滞らせた無名女性タレントに対しても

「お前さっさと脱げやボケ!!!!」

で容赦ない強要したり(ビビり倒したナイナイが半泣きでその女タレントに「じぶんほんま頼むわ…はよしてくれや」と八つ当たりする始末)。

老人と化した今の彼らがよくやるヤクザ風のキレ芸じゃなくて当時はガチだった。

本当にどうかしてるんじゃないかってくらい彼らはことあるごとにイライラしてた。

そういうのに当時の若者の多くはモロに影響受けてたね。

15年前の若者有吉あだ名芸や毒舌猿真似をこぞってしたがったのと同じ。

あの時代10代はとにかく精神ぶっ壊れてた(歳食った今も人間性変わってないんじゃないか?)。

例えば、悪意丸出しの婉曲表現やニヤニヤ笑いで障害者イジりするとかにかなりの割合の奴がためらいなかったもんなあ。

だって俺の同年代の奴らはふとした時にかなり際どいこと言うやつ多いもん。

ボソッと知的障害者ネタにしたり。ブスな有名アスリート皇族とヤレるかどうかみたいなバカ話したり。


こういうイヤ~な感じで陰湿価値観がよく表れた「働くおっさん劇場」っていう松本人志のバラエティ番組があるので、興味がある人は是非見て欲しい。

80年代まれ的な異様な価値観がどんなものかよく分かると思う。

anond:20220703132033

1980年代まれ90年代後半~00年代前半に若者だった世代だけど今どきの若者からしたらキチガイ人物扱いなんだろな

この年代まれの連中が若い頃、男女問わず当然に共有されてた価値観があってそれは

「人を酷く傷つける、めちゃくちゃに恥かかせることを思いがけない角度や独特の言い回しで言える奴が強い、エラい面白い、カッコイイ」

みたいな価値観なんだけど多分今の若いからしたら理解不能唖然呆然なんだろな。

今どきの若い人は妙に道徳的な奴多いから。


でもこれってマジでから好かれやすかったりする、絶対イジメられたりしないイケてる奴ほどこの価値観強く持ってたのよ。

田舎だと今もこんなもんらしいけど、90年代00年代って田舎も都会も東京若者はそういう価値観に染ってた。



そんな価値観に基づいた無邪気な害意があちこちで飛び交ってたのは、全盛期ダウンタウンロンドンブーツ(っていうか『やるキッス』とかやってた時代の初期ロンハー)の影響がめちゃくちゃ大きいと思ってる。



ダウンタウンやばかったもんなあ。

生放送特番でいきなりつぶやきシローに対してコンビ2人がかりで鬼みたいに顔で

なんやその喋り方寒いんじゃボケ!!!!」

とかサラ金の取り立てみたいに怒鳴り散らして萎縮させたり(見かねた上島竜兵道化モードで止めに入るレベル)、


野球挙っぽいゲーム企画でお色気要員として呼ばれたけど、これ以上も脱ぐの?的に困惑して進行滞らせた無名女性タレントに対しても


「お前さっさと脱げやボケ!!!!」


で容赦ない強要したり(ビビり倒したナイナイが半泣きでその女タレントに「じぶんほんま頼むわ…はよしてくれや」と八つ当たりする始末)。


老人と化した今の彼らがよくやるヤクザ風のキレ芸じゃなくて当時はガチだった。

本当にどうかしてるんじゃないかってくらい彼らはことあるごとにイライラしてた。

そういうのに当時の若者の多くはモロに影響受けてたね。

15年前の若者有吉あだ名芸や毒舌猿真似をこぞってしたがったのと同じ。


あの時代10代はとにかく精神ぶっ壊れてた(歳食った今も人間性変わってないんじゃないか?)。


例えば、悪意丸出しの婉曲表現やニヤニヤ笑いで障害者イジりするとかにかなりの割合の奴がためらいなかったもんなあ。

だって俺の同年代の奴らはふとした時にかなり際どいこと言うやつ多いもん。

ボソッと知的障害者ネタにしたり。ブスな有名アスリート皇族とヤレるかどうかみたいなバカ話したり。



こういうイヤ~な感じで陰湿価値観がよく表れた「働くおっさん劇場」っていう松本人志バラエティ番組があるので、興味がある人は是非見て欲しい。

80年代まれ的な異様な価値観がどんなものかよく分かると思う。



追記1

主語がでかいとかそんな価値観知らないとか白々しいこと言わないで。

ダウンタウンはそういう陰湿攻撃的な人を傷つけまくる芸風で若者から絶大な支持を得ていたし、

学校では人を傷つけまくる陰湿な奴が友達多くて彼女も取っかえ引っ変えでお前らより充実してたじゃないっすか。みんな自由やらせてたじゃないっすか。


追記2

でもブコメ民はどうせ「ハマタは好き」なんだろ?

大したリベラルだな。

お前らマジできしょいわ。

続・表現の自由についてのメモanond:20220702054142追記

anond:20220702054142追記。基本引用元は元記事ブコメhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220702054142)。

1. 表現の自由私人間で問題となる場合はどんなものがあるか

frothmouth 公権力でないか規制でない、ってのも今の時代実態にそぐわない気がするなあ。キャンセルカルチャー批判とか考えるとね/真面目に書いた増田に「精液で全身ドロドロ〜」みたいなブコメ付けられて気の毒

 ここで問題にしているのは一般人の抗議運動ボイコットのことで、その手のものは「規制」と考えることは不適切だということである公権力でないか規制ではないとは言っていない(私人間効力の論点はもう半世紀以上前からある)。せっかくだから書いておこう。

 2022年現在公権力以外の「規制」を論じる意味があるとすれば、デジタルプラットフォーマー問題だろう。我々の言論はあまりにも出版放送通信インフラ依存している。たとえばツイッターフェイスブック、「マンガアニメ」の類を配信しているプラットフォームpixivなんかの同人投稿サイト。こうしたプラットフォーム言論依存しているので、もはや作者の書く自由擁護するだけでは何の意味もない。その手のプラットフォーマー恣意的管理をすれば言論は生き残れない。一方で、こうしたプラットフォーマーもまた出版自由を有するから、「持ち込まれ言論絶対出版しなければならない」義務政府が課すことは許されない。そして実例として、SNS各社はプラットフォーム内でのヘイトスピーチ禁止しているし、pixivも同様である。みんなプラットフォーマーというとGAFAしかイメージしないが、もっと小規模なレベルプラットフォーマーに目を向けるのが大事だ。

ピクシブ株式会社サービス利用規約14条

23 極端な思想反社会的行為を賛美・助長する表現投稿または編集する行為

24 人種信条職業性別宗教などの差別を賛美・助長する表現投稿または編集する行為

言論流通過程全体を保護するためには―わかりやすく言えば2chの削ジェンヌみたいな滅茶苦茶な「管理」をされないようにしないとけない―プラットフォーマー私人はいっても、その行動を公権力によって規制する必要が出てくる。そしてプラットフォーマーもつ出版自由との慎重な調整が必要となる。その繊細な調整が表現の自由論の課題ますますなっていくだろう。

 なぜ繊細慎重な調整と必要となるか。DPへの介入は、プライバシー名誉毀損にあたる言論裁判所差止めるのと同じ構図だし、言論の分野ではないが、旅館業法が、ホテル旅館(これも私人だ)に宿泊者を原則として拒否できないとする義務を課すのと同じ構図がある。似たような調整はこれまでも行われてきたわけである。ただ、後者営業自由は、もともと社会権保障したり公平な自由を確保するために制限することが幅広く認められると観念されているのと違って、前者は、差止めの要件がかなり厳しく設定されている(『宴のあと事件などを見れば明らか)。それは表現の自由がそれだけ「重い」権利だという観念があることによる。プライバシー名誉毀損営業に対する介入を比較すれば分かるように、表現の自由就中送り手の自由)を重視すればするほど、プラットフォーマーもつ表現の自由」へ介入するのは困難となる。ブコメした多くの人が「表現の自由」はとにかく大事なんだという観念を持っているようだが、果たして一般論として表現の自由称揚すればするほど、プラットフォーマー地位が向上していき、利用者立場は低下していく関係にある。DPに限らず、出版社も独自ポリシーを持っていて、刑法175条の要求とは別に原稿に対していろいろな要求をして、修正しないなら出版拒否する。表現の自由称揚し、表現の自由地位を向上させればさせるほど、出版拒否に対して裁判所が介入するのは困難となっていく。皮肉な話である。「表現の自由」を称揚すればするほど、公権力以外の「規制」はつよくなりうる。私人間同士の対立場面で「表現の自由」を登場させないことには、それなりの理由がある。

 なお、私は一般人の抗議運動を「規制」と言っているような人に調整作業やらせたいと直感的に思えないところがある。その人こそが削ジェンヌになるのではないか

2. 規制とはなにか

minominofx66 まずは宇崎ちゃんしろたわわにしろ萌え絵アニメ規制されるべき「エロ」なのか、健全表現範囲内なのか、この際だから徹底的に議論して白黒はっきりさせるべきだと思う。

 第一に、さしあたって規制されるのは「わいせつ」(刑法175条)である。「エロ」ではない。そして「エロ」とか「健全」かそうでないかという問題は、表現の自由擁護する上でどうでもいいことである重要なのは「不健全」でも公権力によって規制されないということではないか。「不健全」なら規制しても良いという観念が前提にあるように見えるのは驚くほかない。アニメマンガの類の少なくない作品が不健全とか不道徳とか退廃的とか言わざるを得ないのは確かだろう(少なくともハード・コア・ポルノ的なものなら、だいたいどれかには当てはまるだろう)が、だからといって公権力刑罰をもって発売頒布禁止することは許されない。それが表現の自由論ではないの。

 第二に、「規制」がどんな規制かも考えなければならない。仮に刑法175条が廃止されたとする。そうすると性器修正処理などは全廃されるだろうが、成人向けの書籍ビデオ等は依然として年齢制限が課せられる(公権力法律条例をもって年齢制限を課すこともあれば、出版業界の内部協定として行うこともある)。販売頒布禁止されなくても、流通過程制限されることがある。それは言論の内容に着目したものではなく、付随的害悪(たとえば見たくない人の目に偶然触れるのを防ぐため)の阻止するための規制(内容中立規制というやつだ)である一般論としてそのような規制は認められなければならないだろう※。付随的害悪を阻止するための規制もいっさい認められず、街路に成人向け書籍広告を出したり、街頭モニタービデオを上演したりすることも制限なく認められなければならないというのなら、もはや見解の相違としか言えないが。

 第三に、宇崎ちゃん欠缺ポスターやたわわのポスターに対する抗議や批判は、いかなる意味でも規制ではない(国連からという声もあるが、それは「日本の」公権力ではないし、日本国に対して強制力を持ったなにものでもない)。批判や抗議は、表現の自由がもともと予定するものであろう。「不健全表現規制せよ」と主張することすら(私はそうは思わないが)、表現の自由である。それに反論するのも自由だが、そういう主張自体が「規制」と言うのは馬鹿げている。

 とはいってもこれがかなり厄介で、そのような規制によって出版社に過剰な経済的負担を課し、実質的に内容規制をしていこうという方法がないではない。しかし、付随的害悪の阻止のために合理的規制を行うことは、一般論としては認めなければならないだろう。あとは個別事例による。

3. 雑多に。

(1)

daydollarbotch 用語はそれっぽいが内容が所々おかしい。嫌がらせがあるなら不法行為たり得るし、間接適用説の下で表現の自由考慮され得る。判決引用部分では特にわいせつ表現表現の自由保護範囲外とは読み取れない(2階へ

①「わいせつ」に該当してもただちに保護範囲外にならないと最高裁認定しているという趣旨か。だったら以下は何なのだろうか。なお、これはわたしあなたが考えているところのあるべき「わいせつ概念ではなく、最高裁判例法理では「わいせつ」がどういう扱いを受けているかという問題である

ところが猥褻文書は性欲を興奮、刺戟し、人間をしてその動物存在の面を明瞭に意識させるから羞恥感情をいだかしめる。そしてそれは人間の性に関する良心麻痺させ、理性による制限度外視し、奔放、無制限に振舞い、性道徳、性秩序を無視することを誘発する危険を包蔵している。もちろん法はすべての道徳や善良の風俗を維持する任務を負わされているものではない。かような任務教育宗教の分野に属し、法は単に社会秩序の維持に関し重要な意義をもつ道徳すなわち「最少限度の道徳」だけを自己の中に取り入れ、それが実現を企図するのである刑法各本条が犯罪として掲げているところのものは要するにかような最少限度の道徳違反した行為だと認められる種類のものである。性道徳に関しても法はその最少限度を維持することを任務とする。そして刑法一七五条猥褻文書頒布販売犯罪として禁止しているのも、かような趣旨に出ているのである

チャタレイ夫人の恋人事件最大判

②間接適用説のもとで「誰の」表現の自由考慮するかが問題である。抗議者の言動裁判所差止めれば、それこそが表現の自由制限となるから裁判所差止権限行使するにあたっては、表現の自由趣旨を取り込んで適用しなければならない、というのが間接適用説だろう(ドイツリュート判決はこれとそっくりな構図だった)。表現の自由私人間効力は、抗議者に対して、一般論として相手表現を一切抑制しないように注意する義務を課すものではない。もしそうだとすれば、あらゆる抗議の類が不法行為になるはずである

嫌がらせがあるなら不法行為なのは違いない。それは個別事例による。

関連して。

type-100 175条にしても猥褻物の作成・所持を禁じているわけではない。猥褻性を持つもの表現言論自由保護を受け、他の権利との綱引き規制されている。

 確かに刑法175条はわいせつ文書・図画等の作成・所持を禁じていない。その限りであなたのいうとおり、「保護を受け」ると考えてみよう。しかし、販売頒布禁止される。警察刑法175条の取締り方針を変更して、性器露出したり、性行為描写するあらゆる作品を取り締まったとする。そこで作成・所持だけが保護されたとして、何の意味があるのか。「保護されない」という言い回しが気に入らないなら、「保護レベルが著しく低い」という風に言い換えた上で読んでいただきたい。加えて、最高裁作成・所持の禁止まですれば違憲となる、とも言っていない(アメリカなら、Stanley v. Georgia, 394 U.S. 557 (1969) 判決がそう言っているが)。

(2)

CocoA "一般に「エロ」の表現の自由を目指していきたいのであれば、少なくとも刑法175条を廃止しなければならないはずである"<-えっ、廃止に賛成している表現の自由戦士たちを知らない・・・

 「戦士」なら刑法175条を廃止する署名運動なり政治運動なりをやるべきであろう。あるいは「戦士」とはただのネット弁慶か。廃止提案されたら賛成するが、そうでなければ特に何かしないのか。

(3)

hom_functor これだけ長文書いても表現規制する合理的理由絶対説明しないんだよな。「抗議をやめる~ように請求する法的資格を有する」なんて見かけない主張を創作したり反論やすブコメチェリーピッキングするだけ

 「規制」なのかという問題か否かを読み取っていただけてないらしい。上記で書いたように、抗議運動なりボイコットなりは「規制」ではない。政治道徳的な観点からそれに理由があれば正当だし、理由がなければ不当だというだけのことである。むろん嫌がらせの類は、不法行為である。抗議運動なりボイコット理由があるかという部分はともかく、「規制」というおかし問題設定をしていることが馬鹿げているということだけはくみ取っていただきたいのだが。

(4)

sirobu 表現不自由展に対する街宣カーも自由制限する不当な圧力だと思ってるんだけど、増田はそう思わないってことかな?

 あなたが街宣カーで街宣される時点で表現の抑圧だと考えていることはよく分かった。そういうレベルから見解が異なるのなら、議論がかみ合うことはないだろう。以下は参考まで。街宣カーで道路を走りながら何か言うだけなら、それは自由である馬鹿なことを言っているなとは思うが)。問題は街宣カーそれ自体ではなく、殺害予告だったり大量電話のような嫌がらせだろう。また、名古屋市長支出拒否しかり、大阪府知事の会場施設利用許可しかり、公権力規制に乗り出していることを考えれば、表現不自由展では「不当な圧力」どころか、ズバリ規制」が問題だった。公権力嫌がらせを煽っていることも見逃せない(特に名古屋市長愛知県知事リコール運動)。

(5)

thesecret3 憲法法律ではないので専門家判決がどうでも各自独自解釈で主張してもいいと思う。自由保障すると言ったら基本は保障されなければならないのであって政府邪魔しなければいいってもんではないと私は思う。

 それは畢竟独自見解ですね。

 なんか進次郎構文っぽいトートロジーが・・・。

2022-07-02

売春合法化女性活躍社会大前提

戦後しばらくの間、日本全国の街には赤線と呼ばれている地域があった。そこは娼家がたくさん集まっている場所で、そこでは政府公認のもとに売春日常的に行われていた。

赤線廃止後に売春がなくなったかといえば、そんなことはない。売買春は地下に潜った。現在パパ活と呼ばれているものは周知の通りたんなる売春であるが、それは個人レベル取引が行われ明確な規制が困難になった。

さまざまな事情を抱えて生活保護が受けられない女性にとって性風俗店収入を得る手っ取り早い機能果たしている。いわば性風俗店セーフティネット化している。だが最近裁判性風俗店コロナ禍の補助金支給を認めない判決が下ったとおり、性風俗店道徳的でないという理由勝手差別されている。つまり女性が自らの性を商品化するという行為は、憲法違反していようがなかろうが、国は勝手不道徳だと決めつけている。性の商品化には本人の主体的な決定を阻む抑圧が働いているのである女性活躍を促進するなどというのは国のお題目であって、実際には身体レベルでの主体的選択すら認める気はないのである

本当に社会女性活躍を促進するのなら、売買春は完全に合法化し、売買春安全に行うための地域として赤線を全国に復活させるべきだろう。ほんとうに自分自身主体的選択によって生き方を決めていってよいのなら、自分身体商品化して換金する自由も本人の選択に委ねられるべきであって、それは法律禁止する理由はおろか不道徳だと司法が断定する理由もない。

性病蔓延懸念されるのなら、なおさら売買春を専門的に行う地区を設けて、定期的な性病検査無料化したほうが安全である。性行為を有料で反復的に行うことをひとつ職業として認めれば、売春従事する人の職能団体を作って健康保険厚生年金運用可能となり、現在制度化では貧困危機さらされている女性生活は安定し、国の税収も増えるだろう。

「正しさ」に窒息しそう

食中毒出した店が取り締まられるのはいいけどこんな大騒ぎするもんじゃねえだろ、生ガキだって「色々検査して安全性は確保してますが当たる時は当たります」で売ってるんだわ。鳥刺し系も「気を使ってるけど当たる時は当たります」表示を徹底させればいいだけじゃん。

子供スケボーみたいなので遊んでて怪我して死んだって、そりゃ遊んでりゃ稀にそういうこともあるんだよ。当事者は大いに悲しめばいいけど、社会全体で大騒ぎするから社会子供絶対安全安心提供すべき→親も子供絶対安全に育てるべき→責任重すぎで少子化、ってなるんだろ。一人死んだら三人産めばいい、一日1000人死ぬけど1500人産んでます、みたいな気軽な感覚に戻さないと人口増えねえよ。

京都ネタはやめろ尼崎ネタはやめろ東北ネタはやめろ東京ネタはやめろ、チー牛はやめろこどおばはやめろ、冗談でも人権ないとか地雷とか言うな、そうして誰かが傷つく言動を一個一個潰してったら、生傷は減ったけど呼吸ができなくなって生きが悪くなってる。チー牛なんて元々オタク同士の自虐ネタだぜ、「内輪以外の目にも触れる世の中だから」なんて理屈で、自虐ネタすら許されない世界幸福か? 踏んでる足をどけましょうってみんなで見張り合ってたら、ダンスする人がいなくなって文化は衰退期に入りました。

日本イノベーションが起きづらい、画期的企業が少ないし経済成長しない、それがなぜか? 色々理由はあるけど、一つには企業安全責任政治的正しさを求めすぎだからってのもあるだろ。中国並になったらヤバすぎるが、アメリカ辺りでも企業活動被害被った人間新サービス対応できず切り捨てられる弱者へのフォロー結構なおざりで、だからこそモラルには欠けるが開発や金儲けの才能はあるやつが集まってきて、活気が生まれ経済成長するんだよ。まあ最近では、先進国はどこもまずモラルありき、コーポレートガバナンスコンプライアンス重視ってなってはいるが、日本は70~80年代から割と安全安心意識が厳しかったのにさらに強まって、ろくすっぽ面白い企業活動が出来ねえ。ごくまれ成功しかけても、頭角表しだした頃に「正しい社会からコンプライアンス問題を指摘されて勢いを削がれる。最近ならアニメ漫画アイドルVTuberプロゲーマーみたいなオタク産業ちょっと活性化してきたが、なんとまあ素行を叩かれることよ。いけいけどんどん、不道徳からなんじゃガハハでやりゃいいんだよ。

だって「正しさ」と「安全」に大いに守られてきたさ。でも先進国ほど少子化になってるし、特に治安の良い日本特に少子化が深刻なのを見ると、これは続けられないんだろうなっつう危機感がある。モラルがひどかった時代よりマシだと断言する人は、モラル正しく安全人口減少していきづまるならそれでいいと思ってるのか答えてほしい。それって穏健な反出生主義に近づくけど。

目の前の苦痛をやわらげようってのは優しさだけどさ、それはミクロ目線での善行であって、マクロだとむしろ悪い結果に繋がることもあるんだよなあ。

お前らは人類史上最も賢いはずなのに、瞬間的な同情や共感に引っ張られすぎだ。目の前で飢えてる子供がかわいそうだからとなけなしの種モミを振る舞って、次の年には集落丸ごと飢えちまうみたいなことをやっている。その子の身内がそうしたがるのは仕方ないが、他人は同情と冷静な計算を両立させてくれ。

「目の前で苦しんでる人間は、四の五の言わずまず救うんだ!」というもっともらしい道徳意識が強まり、かつ「新たな苦しみを次々に定義し主張するメソッド」が広まってる現代は、短期的な安心安全を追及して、結局は清潔な集団窒息死に向かってるんじゃないですかね。

個人の話をしてるんじゃねーよ、「正しさ」という祟り神に目をつけられぬよう息を潜めながらじゃないと他者と触れあえなくなってきた、お前ら文明人の先行きの話だよ。







ブコメに対して

「今回の食中毒事件じゃ被害者はそんな覚悟なかったろ」って言ってる人たちは、ちゃん文脈理解してくれ。

今回の事件は、注意書きがなくて客が覚悟してなかったのは確かに問題だ。だから、表示するようにすべきだと俺も書いてるだろ。

しかし、生肉文化やめろとか食中毒懸念のある料理全部禁止しろとかまで騒いで、正しさと安全の名の下にどんどん締め付けようとしてる人たちはおかしいって意見だよ。

また、食の話は一例にすぎない。

俺の例示の脇が甘かったのかもしれんが、話題の一つでしかない鶏の話にだけ食いつきすぎだろ。「日本人は大抵のことは笑って我慢するが食の問題には怒る」というエスニックジョーク実例みたいになってるじゃん。

この記事主題は、社会ゼロリスク主義批判することだ。ゼロリスク主義という総論問題視するなら、各論でも、食中毒リスクの大雑把な許容という一見道徳的じゃない主張をしないと筋が通らない。

ゼロリスク主義への批判は色んな人がしているが、彼らも具体的な各論になると「正しくない」主張をするのにビビってしまいがちなんだよな。それじゃあダメだよ。感覚的に強く抵抗したくなるような各論事例でこそ総論原則に則って考えないと、どんどん議論が骨抜きになる。(匿名で書く俺もビビってるけどさ)

表現の自由」についてのメモ的なもの

 下記のエントリーanond:20220701074807)で色々と書いてある点について。目下話題になっている「表現の自由」について。自分用の整理として。

1. 表現の自由とはなにか?

 目下話題の「表現の自由」は、いかなる意味表現の自由なのだろうか。それは憲法21条1項に見られるような法的なそれだろうか。それとも、憲法21条1項のようなものとは異なった何かなのだろうか。たとえば、JAなんすんが制作した『ラブライブ! サンシャイン!!』のキャラクターを利用したポスターについて、絵の内容がが性的である※1という批判があった(なお、これや宇崎ちゃん欠缺ポスター事件の余波で、赤木氏らツイッター凍結騒動があったりした。覚えているだろうか?)。

 ここで、抗議をJAなんすんが考慮して、ポスター撤回したとする。すると、「誰の」自由が「誰によって」侵害されているのだろうか。侵害者をざっくりと抗議する者として捉え(本来ツイッター批判的な言葉を言っている者、電話をかけて意見を伝える者、付和雷同していたずら電話をする者、大量の手紙を送りつける等のいやがらせをする者等を十把一絡げに全部抗議者として捉えるのは適切ではあるまいが)、被侵害者をさしあたってJAなんすんとして、JAなんすんが抗議者に対して抗議をやめる(たとえば、ツイッターで「ポスター撤回すべし」等の意見つぶやくのをやめさせる)ように請求する法的資格を有する、というのが表現の自由主張の趣旨か。

 はっきりいえば、そのような主張は法的には認められない。私人間効力の論点を見直すべきであるしか言い様がない。ここで、抗議をやめるように要求する資格があると裁判所肯定すれば、抗議者の表現裁判所(=国家機関!)が介入することになり、それこそが表現の自由侵害である。この構図において、憲法21条1項が保障する表現の自由恩恵に浴するのは抗議者の側となるだろう。目下話題の「表現の自由」は、憲法21条1項とは異なる問題であると解するのが相当である・・・のだろう。

2. 規制概念

 元々のエントリーでは次のような言明がある。

言いたかったのは、フェミニストあくまで「女性実質的表現言論の自由を高めるための環境づくり」を目指しているのであって、「表現規制派」というレッテル貼りは間違いだということ。フェミニストリベラル派が目指すのは、あらゆる階級属性の人が等しく表現の自由行使できる社会だ。

 これに対するブコメはこう言っている。

preciar おまえ等がぶっ叩いてきた作品ほとんどが女性の手になる物である時点で、ただの妄想というか開き直りしかない/そもそも平等のために表現規制しろと言う主張が「規制派」でなくてなんだ?恥に加えて知恵も無い

 後段の「そもそも平等のために表現規制しろと言う主張が「規制派」でなくてなんだ」という部分に注目したい。再びポスターを題材とする。「規制」という言葉を使うのは公権力ではないか不適切のように思うけれども、例のポスターに対する抗議は、ポスター掲示することを抑制しようとする意図を有し、ある一つの表現を抑圧する行動である、という部分を問題として切り出すことにしよう。ここで想起するべきなのは表現すべてがまったく自由(というより、放縦のまま)とされることなどあり得ないということである。たとえば名誉毀損的な言動は認められない。名誉毀損言動をしている者を叱りつければ、それは一つの表現の抑圧には違いない。しかし、名誉毀損をされないというのも重要利益であり、自己表現利益と考量される対象となる(そうならないという人はいないだろう)。プライバシーも同様であるノンフィクション『逆転』事件を想起すれば良い。前科実名暴露されない利益を重視する見地から、『逆転』における表現抑制されている(この事件では、慰謝料請求裁判所が認めているから、公権力による「規制」ですらある!)。プライバシー保護のために表現抑制するべきであるという主張は「規制派」であろうか。

 名誉毀損プライバシーは具体的な個人利益問題となっているが、女性蔑視の問題はそうではないと思うかもしれない。しかし、番組準則のように、社会に薄く広く広がる利益保護(たとえば、放送番組政治的公平性)を保護するために、表現抑制する(番組編集準則であれば、放送局の自由)ということは、そうおかしな話ではない(なお、憲法学では、番組準則は、それへの違反総務大臣による放送免許の取消原因になり得る等の効果もつ限りで違憲であるとしている。)。たとえば、大阪府知事大阪市長橋下徹トーク番組に対して、政治的に公平ではないという批判は、無論番組作りを抑制する可能性がある。実際、激しい批判を浴びて、大阪毎日放送社内調査を行って検証したのである。これも「平等のために表現規制しろと言う主張」だから規制派」となるのだろうか?それはそれで一貫した立場ではある。それこそ「知恵も無い」と思うが。

 なお、念のためにいえば、プライバシー名誉権も日本国憲法は明文で保障していない。そのような利益であっても、憲法21条保障する表現の自由にとっての対抗利益となることができる。憲法の明文で保障されていない権利表現の自由の対抗利益になり得ないという考え方は、畢竟独自見解に過ぎない。

3. 「表現の自由」は個別的特殊的な権益なのか?

 ここからは元のエントリーとの関連性は薄くなる。

 選挙において「表現の自由」を掲げる政治家がいる。彼らの問題意識は極めて偏頗ではないか日本表現の自由をめぐる問題状況は深刻なものがある。ところが、こと選挙で「表現の自由」を旗印にする者の言動を見ていると、選挙運動の規制公務員政治的意見表明やストの広範な禁止放送資源の分配問題政府情報保全・公開等々、様々な形で存在しているはずの問題状況が捨象されて、取り上げられているのは「マンガアニメ」の自由ということになっている。また、「アニメマンガ」だけを対象にしても、取り組む分野が偏っているのではないか。たとえば、これ(https://twitter.com/KenAkamatsu/status/1542366137979400193)には『国が燃える事件が入っていないが、右翼の抗議は免罪されているのか。あるいは、最近の『「神様」のいる家で育ちました』も入っていないが、宗教団体からの抗議は免罪されているのか。上記は、批判としてはマージナルかもしれない(忘れていただけかもしれない)が、刑法175条の廃止等(ポルノ合法化;「有害図書販売規制廃止ないし合理化)を公約に入れていないのはどうしたことか。

 「表現の自由」を掲げる政治家言動を観察していると、一つ気づくことがある。彼らは、表現の自由抑制している制定法を改廃するのではなく、規制対象外となるように関係機関に働きかけを行って「免除」(制定法の外部で活動しているのだからお目こぼしに近い)するという活動に主眼を置いているようである。念のためにいえば、そういった活動政治家が行うこと自体は奇妙なことではない。問題は、「表現の自由」といった一般的普遍的権利を掲げながら、規制廃止を唱えるよりも、特定表現に限って規制免除するように(制定法の改廃ではなく)法執行機関に働きかけをしていることである※4。取締当局に働きかけをして有利な方針を引き出すという方向性は、自由にとって脅威であることに変わりはない。結局、働きかけをする人物意向によって「自由」の内実が左右されることになるからである。「免除」の仕組みを動かす人物特定出版社特定作品群を代表している場合、その他の出版社表現には「免除」を拒否するという形で脅威となる可能性が存在し続ける。政治家言動ナイーブに受け止めてはいけない。

 なお、私は実は「アニメマンガ」の中の特定作品群のみを対象とした偏頗な政治運動自体けしからんというつもりはない※5。しかし、「表現の自由」という看板は下ろしてもらいたい。

4. 「エロ」の規制をめぐって

 「表現の自由」を掲げる政治家ないしツイッターアカウントを見ていると、「エロ(・グロナンセンス)」の自由を重視しているような印象がある。こういった表現一般について、公権力の介入を排除する防御権があるのは当然だ、という前提があるような気がする。しかし、「わいせつ(obscenity)」にあたる言論憲法上の権利として保護されないはずである憲法上の権利として保護されないということは、内容規制をしても合憲であるということになる。日本最高裁の考え方もそうであろう:

なお性一般に関する社会通念が時と所とによつて同一でなく、同一の社会においても変遷があることである現代社会においては例えば以前には展覧が許されなかつたような絵画彫刻のごときものも陳列され、また出版が認められなかつたような小説も公刊されて一般に異とされないのである。また現在男女の交際男女共学について広く自由が認められるようになり、その結果両性に関する伝統観念修正要求されるにいたつた。つまり往昔存在していたタブー漸次姿を消しつつあることは事実であるしかし性に関するかような社会通念の変化が存在しま現在かような変化が行われつつあるにかかわらず、超ゆべからざる限界としていずれの社会においても認められまた一般的に守られている規範存在することも否定できない。それは前に述べた性行為非公然性の原則である。この点に関する限り、以前に猥褻とされていたもの今日ではもはや一般猥褻と認められなくなつたといえるほど著るしい社会通念の変化は認められないのである。かりに一歩譲つて相当多数の国民層の倫理的感覚麻痺しており、真に猥褻もの猥褻と認めないとしても、裁判所良識をそなえた健全人間観念である社会通念の規範に従つて、社会道徳的頽廃から守らなければならない。けだし法と裁判とは社会現実を必ずしも常に肯定するものではなく、病弊堕落に対して批判的態度を以て臨み、臨床医役割を演じなければならぬのである

最大判1957(昭和32)年3月13日 刑集11巻3号997頁:チャタレイ夫人の恋人事件

エロ」の自由擁護していくとなると、「保護されない言論」の判例法理桎梏いかに除去していくかを考えるべきであろう。スウェーデンではポルノ出版自由対象とされていることに注意する必要がある。スウェーデン憲法典の一部を構成する出版自由に関する法律は、出版自由制限できる場合限定列挙する。児童ポルノ出版自由制限できる場合に挙げられている※6が、ポルノ一般は挙げられていない。他方で日本の状況を考えてみよう。もはや何の修正もなく『チャタレイ夫人の恋人』は出版されているが、刑法175条自体は生きている。最高裁判例を変更していない。捜査機関取締り方針を変更すれば、刑法175条でもって再び刑事罰が科されるであろう。他の成人向けのアダルトビデオにしても、マンガにしてもアニメにしても同様である一般に「エロ」の表現の自由を目指していきたいのであれば、少なくとも刑法175条を廃止しなければならないはずであるしかし、この最大の桎梏存在認識していない者も少なくないように思う。もしかすると、このような規制状況はもはや動かしがたいので、所与としなければならないと考え、より低い脅威度のものを優先しているのかもしれない。あるいは、彼らが取り組んでいる「マンガアニメ」は実は「わいせつ」にあたらない物件のみで、ハード・コア・ポルノ的な「マンガアニメ」は眼中にないのかもしれない。しかし、それでは『チャタレイ夫人の恋人』や『悪徳の栄え』、あるいは『蜜室』に取り組んだ人々と比べてあまりにチャチな取り組みだと思う。

 丸山眞男を引き合いに出すまでもなく、日本人は既成事実に弱いと指摘される。いったん規制されると大変だから規制される前に対処する政治家必要であるという言い分を聞くが、既成事実に屈服して「一端規制されると大変」な状況を強化しているのは誰なのだろうか。

※1 ここで「性的」として批判されているのは、単に裸体だとか性器描写されているという意味ではなく、ほぼ女性蔑視的という意味に等しいことに注意するべきである

※2 書いているうちに思ったが、リュート判決の構図に似ている。

※3 スウェーデンなどの欧州諸国ではポルノ合法化されている。スウェーデン等で購入したヌード写真集日本に輸入して税関検閲に引っかかる、というのが税関検閲事件の流れだ。

※4 なお、児童ポルノ禁止から創作物を除去せよとの主張は、一般的規制問題として評価できよう。

※5 むしろ出版社利益を守るためと考えれば、個別出版について規制お目こぼししてもらう活動大事だろう。だが、あくま出版社権益であり、表現の自由という共通財の問題ではない。

※6 日本出版されている成人向けマンガイラスト児童ポルノにあたるかと言った事件があったのだが、スウェーデン最高裁マンガ表現形態に十分配慮した判断を行っている(NJA 2012 s. 400. 翻訳もある。外国立法255号[2013年]223頁)。このような判断日本最高裁がするかというと、全然しないだろう。

2022-06-28

anond:20220627065745

少なくとも本来的には舞妓は芸を売っても性は売らないわな

道徳的な話じゃなくて、そんなことしたら「価値が下がってしまう」から

2022-06-20

セクシャルマイノリティがその道徳的立場を利用して同性婚迎合しない者を一方的に口汚く罵る様を見ていると

ああやはり脳のどこかに異常があるからセクシャルマイノリティになるのかと思ってしまうのよな

anond:20220620210958

フェミの振る舞い見てると、

差別って単に感情由来じゃなく利害関係なんだなぁってのはよくわかる

あいつらは道徳的に劣る存在だ、っていうイメージを持たせることで話し合いの場から排除できる

女性の生きづらさは社会男性問題があり、それは女性固有のもので、

男性の生きづらさは自業自得で、男性固有のものではない、

とすることでリソースを独占できる

「男は女にケア能力押し付けいるかケアできない」

みたいなこと言ってたら、

「息子の介護

みたいな感じで注目され、

それはそれで文句を言う始末

はなから性別限定しなけりゃいいだけの話なのに

結局利害関係と力関係ジェンダー論を支配している

道徳的義務が多すぎて生きるのが苦しい

しかし、道徳的義務によって生き続けなければならない

地獄

anond:20220619232316

心臓マッサージをすれば肋骨が折れるけど、それについては

「命のほうが大切だ。もし被害者ぶる奴がいれば、そいつは大馬鹿だ。まして救護者を訴えるのはクズ野郎だ」

という社会通念がある。

  

しかし、AED問題では、そのような社会通念がない。

救命措置のために女の服を脱がせて何が悪い女性たちも、そんなことで被害者ぶるな」

というメッセージは広まってないし、それを口にするのは匿名アンチフェミぐらいだろうw

    

当たり前だけど、「世間の人々がきっと味方してくれる」という信頼がないと、人はいざというとき勇気をふりしぼって行動しづらい。

そのためには女性被害者ぶることを「悪」「恥」と規定し、限度を超えたときは叱りつけ、しっかりと道徳的非難をぶつける必要がある。

しかし、現代社会女性お気持ちを損ねることに敏感すぎて、それができない。

2022-06-18

anond:20220617152507

真面目な話、私は教会に通った。子供の時からずっと。一時は離れたこともあったけど、また戻った。本を読むだけよりも教会などで道徳的なことを本気で考えている人たちと接することが大きかったと思う。やっぱり生身の人間との接触って大きいよ。

2022-06-04

anond:20220604014430

本気出して反社日本から追い出したら一般人道徳的に優れているべき上級国民反社まがいの犯罪で捕まる社会に成り下がってしまった。

以上。

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