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はてなキーワード: 道徳的とは

2018-02-20

よく炎上する人の言う「私より悪いやつを叩かないでなぜ私を叩くんだ」に対する反論

お前よりも悪いことしてるやつらは捕まって法律的にも社会的にも制裁が与えられるから炎上しないんやで。

お前のやってることは刑法には反しないけど大勢道徳に反するから炎上するんや。

炎上したくないなら法的にも道徳的にもセーフなことをするか、悪の極北になるしかない。

2018-02-18

https://anond.hatelabo.jp/20180218151754

差別は駄目なことです」という反論しちゃいけない道徳的文言が広まっているから難しいが、それも差別だ。

アパルトヘイト女性専用車両も両方差別。程度と状況と良し悪しの差があるだけでな。

それに目を伏せ、理由を付けて差別か否かを分けていると、同様に理由をつけてアパルトヘイトを始める人が出るぞ。

2018-02-17

女性専用車絡みで無自覚差別を展開する人たち

最近女性専用車男性らが乗り込み、トラブルになったというニュース話題になっている。多くのコメントはこの男性らに批判的だ。そしてその多くが、自身差別主義者的であることに無自覚である

女性専用車とは

鉄道会社男性乗客に対し、任意で非乗車の協力を求めるものであり、法的根拠がない。なぜ任意かというと、法的拘束力を持たせるためには運送約款を改訂する必要があるが、到底そのような改訂が許されないことが、鉄道営業法及び鉄道運輸規程趣旨からして明らかであるためだ(なお法34条2号は今日でいう女性専用車とは無関係)。

これらの法は、鉄道公共インフラであることに鑑み、誰でも円滑に利用できるようなルールを定めたものである。この誰でもという点が肝心で、これを不当に制限することは許されない。鉄道会社は、法的拘束力のある男性乗車制限不可能であることを認識しているからこそ、「任意のお願い」という形で逃げている訳だ。

他の女性専用サービスとの違い

一部に、女性専用車公共インフラではない一般女性専用○○サービスと対比する向きがある。が、代替性の高い(公共性が低い)一般サービスと、鉄道のような公共インフラの核心をなすサービスでは、その性質が大きく異なる。

例えば、飲食店が店の特色を出すためにレディースデー女性のみ優遇をしているとしても、気に入らなければ別の店に行けば良い。ホテル公共性を有する面もあるから一般ホテル性別に基づく宿泊拒否を出来ないという点では飲食店より制約があるが、(近年のホテル事情では)鉄道よりは代替性が高いので、防犯のため女性専用フロアを設け、男性の立入りを禁じる程度のことは許される。

女性専用車差別

公共空間であっても、許されないのは不当な制限差別であり、現実差異に基づいて合理的制限を加えることは、差別とは言わない。しかし、女性専用車合理的制限とは言い難い。

第一に、男性である点に着目して排除している点で、不当である差別が許されない理由は様々であるが、大きな理由の1つとして、本人のコントロールの及ばない属性に基づいて排除される不当性が挙げられる。性別は、その最たる物だ。

第二に、制限の内容が不当である。先にも述べたように、鉄道公共性が極めて高いサービスであり、特定車両への乗車禁止利便性を著しく損なう。乗換や出口付近に適した車両選択できないといった不便もあるが、最も大きいのは、女性専用車が無いとき比較して相対的に混雑率が向上させられた車両に乗ることを男性のみが強制される一方、女性は空いた車両に乗ることができるという点であろう。一級国民と二級国民世界だ。

統計的根拠差別正当化しない

痴漢被害は、男性加害・女性被害類型が非常に高い割合を占めるいうデータがある。従って男性排除すれば、痴漢被害は大きく減少するだろう。これ自体ロジックであって、誤謬は無い。

しかしこのような犯罪類型が多いからといって、男性という属性のみをもって、大多数の無関係男性問答無用痴漢加害者予備軍に仕分けることが不当なのであって、それ自体差別であり、許されない。

よく誤解されているが、多くの差別根拠はある女性男性に比べて圧倒的に育児休業結婚退職をすることが多いか就業差別が行われてきたし、人種差別に際して黒人白人に比べて犯罪率が高いというデータはあった。今日、このような就業差別人種差別が決して許されないことは論を待たない。根拠があることは、差別正当化しない。

ついでに言っておくと、差別意識が無いことも差別正当化しない。

痴漢差別も許せない

痴漢は許し難い犯罪であり、撲滅すべき対象であることに疑いはない。しかし、その手段として差別が用いられることも、許されるべきではない。監視カメラ導入、警備員の乗車、混雑率緩和といった痴漢対策を徹底すべきであろう。また一市民として、道徳的観点から満員電車に乗車する女性子供配慮することも求められよう。

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男性らの態様が正当な手段か、という論点は残されているが、長くなったのでいったん筆を置く。

2018-02-16

id:ssuperrandom には男性が全て痴漢に見える

http://b.hatena.ne.jp/entry/358048231/comment/ssuperrandom

痴漢にあったって言ったら「女性専用車両乗ってればあわなかっただろ」と返されたのですが、予告までして乗り込んでくる輩がいるなんて絶望的ですね。

まず、鉄道会社特別車両受益者道徳的問題なく排除できるのは「痴漢だけ」だと思い出して欲しい。

その上で、このブコメ。これこそ抗議者の嫌う「犯罪者では無いのに犯罪者扱いされる」状態なんだ。

まあ痴漢が最も悪い

痴漢排除するために、男性はみな痴漢可能性があるので女性だけ」とか、

痴漢排除するため、本来痴漢だけを排除すべきだけど鉄道会社能力不足で男性だとまでしか絞れなかったので女性だけ」

かにすると(差別してるので当然ながら)荒れるので、

「働く/頑張る女性応援するための、働く/頑張る女性応援車両」とすれば荒れないと思う。

建前が全てなのだ

anond:20180216151153

この文核心突いてるなあー。

本人がアレルギーレベルで憎しんでるテーマと似てるテーマだった事と

そこに見え隠れする気持ち悪い妄想が気に食わなかったか

つい突っかかっちゃったんだろうな。


気に食わない、ならいものの、辺に道徳的理論立てようとしたか

大失敗した感じあるね。


かに似てるなーと思ったらアレだ。

可愛い女の子が出てくるアニメとかで

こじらせたフェミ様の「ロリコン欲望が表れてる性のメタファーだキーッ!」ていうアレだ。

嫌悪を表明する権利」を尊重しよう

いわゆるオタクコミュニティ特に女性向け界隈なんかでは「みんなが好きなもの(この場合では何かのコンテンツなど)を尊重してなにかの悪口絶対言わないようにしよう」みたいな風潮あるよな。それ自体は極めて道徳的で素晴らしいと思う。みんながそれを守れたらいいよな。でも実際ヒトは好き嫌いってものがあるわけで、みんながみんな好きになるなんてもの存在し得ないわけだ。そしてつい「これ嫌い!」って言いたくなる瞬間もある。そこでどうするかって言うと単純に「嫌い!」とは言えないから、その何かが倫理的、もしくは道徳的に間違っているのではないか、あるいは「ルール」に反しているのではないか、というふうにあくまで「善意の指摘」という形に変えてそれを否定するようになる。これが一部から「学級会」なんて揶揄される所以とも言える。ここでよく考えて欲しいのは、その指摘の正当性などは置いておいて、それが好きな人がどう思うか、ということだ。ある人は自分倫理的に間違っているモノに良い感情を抱いてしまった、なんて自責の念に駆られるかもしれない。一方でそのような大変に複雑なステップを踏まずに「これ嫌い!」という「個人嫌悪の表明」であれば、「まあ好きな人も嫌いな人もいるだろうな」というように納得することができるだろう。つまり不文律を気にして遠回しに否定しようとするほうがむしろ、誰かをより傷つけているかもしれないのだ。「実際に問題があるのにそんな個人の好みの問題矮小化して語れって言うのか!」なんて思う人もいるだろう。もちろん、この種の指摘を全て否定しているわけではない。しかしこのような風潮がより議論対話を複雑化させているのは明白だ。タイトルではすこし語弊を招きかねなかったかもしれないが、もちろん特定人種宗教信者などへの嫌悪までもを許せと言っているわけでもないし、いちいち好きな人に嫌い嫌いとわめきにいくのを許せとも言っていない。言うなればピーマンが嫌い!」と言う人に、「その発言は全てのピーマン好きな人生産者人格否定しているぞ!」なんて詰らずに、「嫌いな人もいるよね」と、「個人の嗜好の違い」を私たちは受け入れられるんだってのに気付こうという話だ。

2018-02-14

奨学金自己破産

朝日記事読んでいろいろ調べて思ったんだけど

この自己破産した人について擁護する人批判する人いるけどさ

そういうのと全く別の印象持っちゃった

道徳的心理的障壁を取っ払ってしまえば

大した資産持ってない人の場合自己破産による大きなデメリットも無いし

奨学金は借りれるだけ目いっぱい借りてエンジョイ

返済する段階になったら早めに自己破産すりゃいいんじゃね?」

と。はてブなどを見てもそういう指摘は見られない

見られないか奨学金制度が成り立ってる

自己破産全然問題ないよね」みたいなのが拡散すると

奨学金制度崩壊するんじゃね?

2018-02-11

アニメうらら迷路帖』はなぜ失敗したか徹底解説

まずはじめにいっておきたいのは『うらら迷路帖』をけなす目的でこの文章を書いているのではないということだ。おれは『うらら迷路帖』のファンではなく日常系アニメファンで、だからこそ書いておきたいことがたくさんある。

ファンの人はたくさんいるだろうけれど、人気が出なかった作品であることはファンも認めざるを得ないと思う。なぜ商業的な失敗をしてしまったのかを可能なかぎり客観的に書くことがこの文章の目的だ。

作品の概要

うらら迷路帖』は2017年の冬クールアニメ化された作品で、原作はまんがタイムきららミラクに連載されていた四コマ漫画だ。

同じクールにやっていた『けものフレンズ』に話題をかっさらわれたばかりか、『この素晴らしい世界に祝福を! 2』『幼女戦記』といったなろう系の注目作、『ガウリールドロップアウト』『亜人ちゃんは語りたい』『小林さんちのメイドラゴン』といったファン層がかぶりそうな作品などが放映されており、それらの影に隠れてしまった感がある。

まずは良いところをあげていく

たくさんある。

キャラデザかわいい。とくに小梅のキャラデザがおれは好きだ。

OPの曲がかわいい。脳内でくり返し再生される。OP映像もそれなりにいい(もうちょっとがんばれたとは思うが)。

大正ロマン風の舞台設定がいい。建物内装はもちろん、ちょっとした小物にまで配慮がある。

占いの番付によって入られる場所制限される設定もいい。番付が上がる→入られる場所が増える→自然に新キャラが出せる(既存キャラリストラ自然にできる)というシステムになっているからだ。

ちょっとしたエロ要素もいい。

ここから先は悪いところばかりを徹底的にあげていく

なにがダメだったか明確にするために、日常系最大のヒット作であるけいおん』を中心に他のアニメ作品との比較で話をすすめていく。

男の占いへの興味のなさをなめている

日常系は+αなにを盛り込むかということが重要だ。

けいおん!』は軽音楽、『ばくおん!!』はバイク、『New Game!』はゲーム制作、『ヤマノススメ』は登山、『ゆるきゃん△』はキャンプなど男が関心をもつものを盛り込むのがふつうだ。

ひだまりスケッチ』や『GA芸術科アートデザインクラス』のように芸術をテーマにすることがよくあるけれど、それは視聴者の関心というよりは、芸術制作によってキャラ個性を出しやすいのと、作者の漫画家としての経験テーマに活かすことができるという利点があるから採用されるのだと思う。

ところが、うらら迷路帖場合は「占い」だ。これはかなりの悪手だ。しかも、おまけ程度ではなくがっつりと話に絡んでくる。

男というのは占いにまったく興味がない。馬鹿にさえしている。占い好きの男もいることはいるだろうけど、同好の男友達を見つけようと思えばかなり苦労するはずだ。

ギターを弾いている女の子は三割増しでかわいく見えるし(=萌え)、バイクをさっそうと走らせる女の子はさまになる(=萌え)けれど、占いに興じている女の子をとくべつかわいく感じる男はあまりいないはずだ(≠萌えいかんせん興味がないし馬鹿馬鹿しいと思っている)。

あと、占い師の番付が「十番占(見習い)」~「一番占(名人クラス?)」まである設定だけれど、たとえば五番占と一番占がどのくらい力がちがうのかがよくわからなかった。そういう少年漫画っぽいところは、せっかく設定を出したんだからもっと詰めるべきだ。

占い要素は、死に設定どころか死神設定になってしまっている。せめて似たような要素の「巫女」だったらまだよかったんじゃないか個人的には思っている。巫女服という制服萌え要素)があるし、エロ漫画エロゲーで培われたオタク独自巫女文化があるからだ。

キャラ関係性の構築ができていない

ようするに関係萌えができないということ。これが最大の失敗要因だとおれは睨んでいる。

メインキャラ四人は皆が初対面で、幼なじみだったり姉妹だったりするわけではないし、同じ占い学校の同期だから先輩後輩の関係性がない。だれとだれがとくべつ仲がいい設定なのかパッと見でよくわからない。あえていうなら、みんな均等に仲良し、あるいは千矢のハーレム

このおれの意見にはこういう反論が来るんじゃないかと思う。「だれとだれが仲がいいかなんて最初からからなくてもいいのではないか。話数がすすんでいくごとに徐々に関係性が構築されていく過程を楽しんでこその日常系だ」

この反論には実例を示すのがいちばんいいと思う。

たとえば、『けいおん!』。澪と律は幼なじみで仲が良く、軽音楽部の再立ち上げもこのふたりがはじめたことだ。担当楽器ベース(澪)とドラム(律)のリズム隊。唯は後輩の梓をとくに可愛がっており、梓はなんだか頼りない先輩である唯をどこか放っておけない(最高か!?)。担当楽器ふたりともギター。そして傍観者、紬。担当楽器キーボードというのもまたそれっぽい。

たとえば、『ご注文はうさぎですか?』。ココアは、住み込みで働いている喫茶店の娘のチノを妹のように可愛がっており、チノ困惑しつつもココアを受け入れていく。ココアとリゼは同じ喫茶店バイト仲間。ちがう喫茶店バイトしているシャロは、学校の先輩のリゼに強く憧れていて、幼なじみの千夜によくからかわれている(からかいといってもかわいらしいものだけれど)。

ふたつ例にあげた関係性は、アニメを観た100人100人が速攻で理解できる。そのキャラが出てきてから一話、長くても二話ほど観ればわかる。わかりやすいものであれば十秒でわかる。鼻クソほじりながら観てても簡単にわかる。

ようするに日常系というのは、関係性をはじめから色濃く匂わせていないといけないということだ。その点で『うらら迷路帖』で関係性がちゃんと構築できているのは、佐久隊長周辺だ。

佐久とニナは幼なじみで、ニナの妹のノノを昔から可愛がっている。部下ふたり佐久に惚れこんでいる。

正直なところ、佐久隊長を主役にしたほうがよかったのかもしれない。

ストーリーがある

うらら迷路帖』が日常系扱いされていることに違和感がある人もいると思う。なにせ、ストーリーがあるからだ。主人公の千矢が母親を探すために立派な占い師を目指すという大きなストーリーと、一話完結の小さなストーリーが組み合わさって作品ができている。

しかし『うらら迷路帖』はまんがタイムきらら系列作品で、登場キャラは女しかおらず、日常系雰囲気・印象がかなり強い。なので、このまま日常系ということで話をすすめていく。

日常系というのは身も蓋もない言い方をすれば、キャラ萌えさえできればそれでいいというジャンルだ。ストーリー性は萌え女の子たちが仲良くしててかわいい)の邪魔になることが多いからできるかぎり薄くし、目的があっても自己実現(趣味的)であることがほとんどだ。

うらら迷路帖』はストーリーがある。つまり萌えが付加要素になってしまっている。付加要素はいいすぎかもしれないけれど、萌え女の子たちが仲良くしててかわいい)よりもストーリーを展開させることを優先させてしまっているのは間違いない。

ストーリーおもしろければ問題なかったのだけれど、ひいき目にみてもおもしろものではなく、可もなく不可もないストーリーというのがおれの評価だ。

キャラ世界もきれいすぎる

これが、ストーリーが可もなく不可もない理由だと思う。

もう、出てくる人出てくる人、みんながきれいだ。清廉潔白道徳的に正しい。メインキャラ四人はみんなまっすぐだし、人をからかったりしないし、目立った欠点もない。このやさしい世界には悪人がいないんじゃないかと思ってしまうほどだ(警備隊なんていらないんじゃないか)。

きれいなキャラきれいな世界は当然ストーリーにも影響する。きれいなストーリーほどつまらないものはない。なんでもいいから、おもしろいと思ったストーリーものエンタメ作品を思い返してみてほしい。大きな障害があったり、殺人事件が起こったり、強大な悪人がいたり、世界のものおかしかったりすることがほとんどだと思う。

ネット配信消極的

これはおまけ程度の難点だけれど、ネット無料で観られるところが少なかったとおれは記憶している。すくなくともニコニコ動画では一週間無料期間がなく、一挙放送もなかった。萌えアニメにしてはめずらしく、ネット配信を拒んでいた印象がある(同期の仲間、ガウ亜人メイドラはそんなことなかったのに)。

おわりに

ここまで読んでもらえば、なぜ『うらら迷路帖』の失敗について書きたかったのかがわかってもらえたと思う。ここまでハズしている日常系はそうない。

もちろん、男の興味を引く題材、関係萌えの構築、ストーリーの希薄さ、ちょっとだけノイズのあるきれいなキャラたち、ネット配信積極的、のすべてを満たしたところで人気が出るとは限らない。この文章に書いた『うらら迷路帖』の欠点もただのこじつけに過ぎないのかもしれない。でも、書きたかったんだもん、仕方ないじゃない。

それと、気になる反応があったら返信するつもりでいるんで、そこんとこよろしく。


※追記

kaionji ごちうさだってキャラ世界もきれいだったけど

ごちうさには、ちょっとたかかいちょっとした毒)をしかけてくる千夜がいるし、青山ブルーマウンテンという駄目人間もいるため、キャラがきれいすぎることはない。

dzod というかストーリーがあるから失敗って言っててあまりに悲しすぎないか

日常系というのは基本的にはストーリーを入れないジャンルだ。ただ最近ストーリー要素のある日常系も増えていて『New Game!』はその唯一の成功例。『New Game!』はいろいろとうまくやってるからストーリーを入れても大丈夫だったんだけれど、その「いろいろ」を語ると長~くなるので割愛

gokkie 全く関係無いんだけど、3年後このはな綺譚とうららの違いを語れと言われても回答できる自信がない

そんなことはない。百合要素がほぼないのが『うらら迷路帖』で、百合要素たっぷりなほうが『このはな綺譚』。日常系ファンちょっとした違いに敏感になる。

ka5me 自分は不必要性的描写が多かったことだと思う。おなか見せられてまあ喜ぶんだけど日常系ライト百合に求められている事じゃない。不必要パンチラが単に下品と思われるのと同じ。

これは正論。でもおれ個人としてはもっとエロ推しでもよかった。後の方になるほどエロがなくなっていくんで、エロ要素も中途半端だったんだということにこの指摘のおかげで気づいた。やるなら徹底してエロくする、やらないなら一切やらない、という制作姿勢大事

G1Xir3um 「きらら枠でやるものではなかった」ってことでしょ? まあ分かる。

いや、むしろきらら枠以外で『うらら迷路帖』を受け入れてくれる枠があるのかどうかが疑問。極端な話だけど、たとえばジャンプに連載されたとしたら確実に10週で終了だ。

tose2125 好みに合わない理由を長々と述べられてもつらい

好みに合わない理由というよりは、「日常系の型をこれだけハズしているよ。さすがに型なしになってるよ」ということを長々と述べさせていただいた。

shiju_kago ”ストーリーがある”が悪い理由というのもすごい話だが、一昔前のテンプレ以外やってはいけない時代劇がその位置にいたのかもしれない

ひと昔前の時代劇日常系との共通項という発想がおもしろい。でもおれは時代劇のことがまったくわからないんで残念だ。

a-charin 私は女だから占いも成長してくのもすごく楽しかったけど、あの唐突なエロ邪魔だったなあ。そういうのは個人でやるから舞台では普通にしててくれ!やるならもうちょい自然にやってくれ!って毎回思ってた

女性向け日常系という道もあったのかもしれない、と思わせてくれる指摘。やっぱエロは余計なのかあ。

途中からたまゆら批判に見える。

たまゆらはよかったよ。

dowhile 大成功した。話は以上だ

気もちはわかるけど(好きなアニメが人気が出なかった経験アニメオタクならだれにでもある)、現実を見ようよ。

msdbkm "占いに興じている女の子をとくべつかわいく感じる男はあまりいないはずだ" シンデレラガールズに藤居朋というアイドルがいましてね

アイマスは765のキャラを知ってるくらいでほとんど詳しくないんだけれど、そのキャラ占い師属性以前にアイドルじゃないか占い副業(おまけ)、本職はアイドルって感じなんじゃないの?うらら迷路帖彼女らは占い本業なんだよ。

他人の作ったコンテンツを「失敗した」とか断じて論じようとする人は一切信用できない。これが長年ネットしてきて得た知見ですわ。[……]「自分の審美眼に適わないから失敗」と言い換えて個人的な好みとの差異を詳述しているだけでしょ。

個人的な好みというよりは、「日常系の型をこれだけハズしているよ」ということを書いただけであって、おれ個人審美眼なんてなにも関係ない。むしろキャラデザはいいと思っている(本文中に書いているよ)。『うらら迷路帖』を三話まで観てもらえれば書いていることを理解はできるよ(賛否はあるだろうけど)。

あと「他人の作ったコンテンツを失敗したなんて言ってはいけない」というのは基本的にちがうと思っている。つまり、どんな作品であってもさまざまな人びとが関わっていて努力しているのだからの悪く言ってはいけない批判もしてはいけないということなんだろうけど、そんなのは馬鹿げている(評論家は観た作品を全部褒めないといけないのか)。成功した作品成功要因について話していいのに、失敗要因は話してはいけない?そんなことはない。

どんな作品にもクリエイターたちの想いがこめられている。そのすべてが成功してくれればいいんだけれど、成功するのはわずかで、残りぜんぶは失敗だったり、微妙な成果だったりする。それが当たり前だ。成功を語ることもあれば、失敗を語ることだってある。それも当たり前のことだとおれは思うよ。

つーか、長年ネットをしてきた(自称)くせに、観たことのないアニメ作品批判文を読んで(全部を読んですらいないらしいけど)「個人的な好みでしょ?」とか憶測で書き込んでしまって、あげく人格否定まで書いちゃうあたりどうなのよ。長年って何年?二年くらい?まあ、あれだ、このチーズは二年くらい蔵に寝かせて熟成させてるんですよ~、とか言われたら、二年!へえ長いですねえ~って返事しちゃうもんなあ。二年って長い。おれが十年弱ネットを見てきて得た「雑学」のひとつに「ネットは人を賢くしない」というのがあるんで、あなたの「知見」のほんの隅っこほうにでも入れてやってください。あと差異とか審美眼みたいなちょっとむずかしい言葉あなたは使わないほうがいいよ、弱く見えるから。「違い」「好み」でOK

とある宗教に対する信仰心がもうなくなってしまった

私の親がとある宗教信仰している。だからまれてすぐから毎週集まりに連れて行かれていた。

当然宗教教義を信じ込んだ。今も神の存在は信じている。

組織の中で嫌な事がいくつかあった。

母親が一時精神を病んでたのか、家も長らくすごく居場所が悪かった。

父は空気。そのうち父は精神科に通い始めた。精神科に行くべきなのは母親だと思ったし、なんども行けと言ったけど結局行かなかった。

宗教やめたら殺すと言われたこともあった。ずっと他の家の子たちが羨ましかった。母は家でずっと他の信者悪口を言ってた。父は怒ったけれど焼け石に水だった。そのうち父も「尊敬しろ」とか言って怒鳴るようになった。家族で毎週宗教勉強をしなきゃいけないんだけど、高校の時宿題しながら参加してたら叩かれた。私が悪かったのかもしれないし後で謝られたけれど、未だに思い出すと悲しい。

それからその宗教について毎週他の信者の方が家に来て私に宗教のことを色々教えてくれていたんだけれど、大学に行くって言った瞬間に豹変して、私が大泣きしてるのに数時間ずっと文句を言って私の母親文句まで言って帰った。その次の週からその人はもう家に来なくなった。

おばあちゃんみたいに慕ってて、その人もすごく親切にしてくれて、高校時代の私はその人をすごく信頼してたから、ショックだった。

でも大学行くなとか他人が軽々しく言っていいことじゃないし。

それでも私はまだ信者で居続けた。

独り暮らしを始めて、そこでもまた宗教がらみで嫌な事があった。

思い出したくもないから書かないというか書けないけど、本当に辛かった。やせ細って家でずっと泣いてた。家にいると涙が出て止まらなくて本当に病気になったのかと思った。

宗教活動を熱心にしてないから陰で悪口を言われたりもしたけれど、(とはいえ当時は週3で活動をしてた)私はバカだったからそういう風に言われてもちゃんと集まりに言ったり活動に参加することで信仰を示してるつもりになってた。

それから引っ越した。引っ越した先の人たちはみんな良い人だった。

今までの嫌な思い出とか、あれってやっぱり普通じゃなかったんじゃないのかと思い始めた。

そもそもこの宗教内では、この宗教をやってない人は道徳的堕落してて薬やっててアル中で嘘つきで泥棒殺人する(これはちょっと大げさだけど子供の頃は本当にこういうイメージだった)、みたいな感じなんだけど、中高の友達大学友達もごく普通に良い人達で、むしろ「愛、親切」とか言ってる宗教をずっとやってる私よりみんなずっと性格が良かった。

陰口を言うような人もいない。まあカンニングする外人友達がいるくらい。

愛の組織なんかじゃなかったんだ、って一度思うともうそ思考がぬぐえない。

まりで話を聞いている間もちょっとしたきっかけで嫌な思い出がバーーーっとよみがえって来て

そんなんじゃない!!!嘘つき!

ってつい思ってしまって、泣きそうになる。というか泣いてる。

もともと話は聞かない方だったけれどこれのせいで意図的に聞かないようにするようになった。

もう感情的限界だと思う。

真理とか人生の目的とか興味ない。

けどやめて家族から無視されるのは嫌だし、家族宗教から引き離そうとは思えない。

どうしたらいいのか分からない。

でも神が本当に愛だったらいいな、と思う。

2018-02-08

anond:20180208183953

Youtubeの脱法動画や反道徳的動画しろ漫画村にしろWELQみたいなオカルト医療しろ

今のネットってヤバくても需要があるもの

なんとなく勢いで受け入れられちゃうからいちいちあっちで隠れてやる必要がないと思う

生理的に無理とは何なのか

今めちゃくちゃ気持ち悪い

理由は、昨夜男の家に泊まったから。その男高校時代、私に好意を向けていた。私とその男は今4月就職をひかえた大学4年生だ。

私には今交際している彼氏がいる。うぇ もうなんか書いてて無理 泊まった先の男が何者かは順を追って説明するが、とにかく今、気持ち悪い。

彼氏が居る身で、自分にかつて好意を寄せていた相手の家に泊まるってのはなんか道徳的にというか倫理的に良くない。それは百も承知

しか告白されたのはもう4年前、さすがにもう未練はないだろうと思っていたが相手は未練タラタラであった

その男女友達・私の3人で、その男の家に泊まった。

私以外の2人は地元を離れ同じ大学に進学し、私はこの度その大学用事があって弾丸旅行をした。

宿を取らずに向かった私はその地にネカフェかなんかあると思ってた。しかし実際はなかった。

女友達家はルームシェアをしていて泊まれない。もういいや、その男は泊めてくれると言うし厄介になろうということで泊めてもらうことにした。もう随所に自分の詰めの甘さを感じて自己嫌悪をしてるからその辺の甘さは責めないでほしい。

そしていざ寝る段になり、その男の家のコタツ雑魚寝することになった。すると男は自分のベッドがあるにもかかわらずコタツで私の横のポジションについた。

コタツの中で接近してくる男の足、ウワ、キモ、ムリ

避ける私と私に足を押されて45度回転するコタツ その男から向けられる私への好意があまりに無残だ

そうだ私はこいつのこういうところが苦手だ。好きなら好きで正面切って私に言ってこい。コタツの中で足を地味に接触させるような真似をしてくれるな。控えめながらダダ漏れの接近欲求を、正々堂々と言葉で伝えるのではなくダイレクトアタックしてくるあたりとか。私と女友達写真を撮るふりをして私のピンショット狙ってカメラの向きをこっそり変えるところとか。「一緒に写真撮ろう」って言ってくれれば素直に応じるわ。そしてその表出させるのが怖いけど意図せずダダ漏れになる好意、そのいじらしさが手に取るようにわかるあたり。

彼が大手企業内定を貰ってるのは知ってる。私の言葉ゆっくりと受け止めてくれる、いい奴だ。少なくとも友人として。でも色恋沙汰となるとてんでダメだ。マジキモイ

そして彼の好意による優しさに甘えて、自分の無計画さを棚に上げて彼の部屋を宿として利用した自分の都合の良さも気持ち悪い。

高校卒業するとき告白された私は、私は大学卒業するころにそんな嫌な女になってるなんて思いたくなかった。思ってなかった。男に擦り付けられた足が、好意気持ち悪くて、好意を無下にした自分が醜くて気持ち悪い。

しかしそれでもやっぱり所作やなにかがどうも生理的に受け付けない。私が今交際している彼氏別に超絶イケメンとかではないが所作気持ち悪さみたいなのはないし、堂々としている。そしてなんの問題も感じない。

今朝その地を出て途中の街の知らない大きな公園のベンチで私はいま、軽い吹雪のなか、その男への生理的な受け付けなさによる気持ち悪さと自分の都合の良い嫌な奴っぷりのはざまでこの文章を打っている。

クソ寒い。帰ろ

anond:20180208110012

はてな政治厨の最大の問題経済弱いとこだよな

からどうでもいい理念的・道徳的善悪問答みたいなことばっかりやってる

2018-02-05

最近道徳的に貧しい国や国民になったというけど、可視化されただけで根本は変わってないだろ

誰か実証して

2018-01-30

インターネットで言いたいことを言えなくなる

先日、どこかの掲示板プロ野球選手の嫁をブスだと書きこんだOL名誉毀損で訴えられてニュースになった

これはもうインターネットに気軽に書き込むことが許されなくなるってことだろうなと思った

僕はインターネットを弱音とか愚痴とか、たまには悪態をついたりする場所として依存してきた面があって

辛い時にけっこう救われてきたと思う

こんな使い方が出来たのは掲示板が小さなコミュニティだと思っていたからだが、今はそうではないらしい

トイレ落書きでは使えないようだ

また、ネット道徳に縛られない考えを書き込むことで発想に広がりが出る場所だとも思っていた

ディベート的な議論において道徳ってほんと邪魔なんだけど、現実日本だとそれは難しい

ネットならそれが出来たけど、もう無理だろうな

インターネットが開かれた空間になり、テレビと同じ空間になり、相互監視になり、モラル押し付け言葉狩りが強化された

増田と言えどもどこから訴えられるかわかったものではない

僕らはすべての発言責任を持たなければいけなくなったし、道徳に目配せして書き込まなければいけない

多くの人にとっては当然のことなんだろうが、インターネット無法地帯に救われてきた身としては鬱屈とした日々に戻らなきゃいけなくなって非常につらい

ブクマ皮肉芸やってる人たちもそろそろ気をつけたほうがいいよ

「ブス」程度の発言でも気軽に訴えられるようになったのだから、これからいろんな人が訴えを起こすようになる

今のうちに言いたいことを言っておこう

王様の耳はロバの耳!

王様の耳はロバの耳!

王様の耳はロバの耳!

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ブクマを見ての感想

1: ブスと言わせろと言っているのではなく、ブスで名誉毀損になる時代になったので

  その他の発言についても締め付けが厳しくなり、客観性のない発言や、客観的でも誰かを傷つけると判断されれば

  名誉毀損で訴えられる可能性が強くなったという趣旨です

2:  怒っている人もアウトのブコメしている人がいます。ふと気が抜けて、感情的になってしまったり、非論理的憶測をすることありますよね

  それが名誉毀損になるかもしれないということを言っています

  普段きわどい発言をしている人もいるようですが、自覚がないようです

3:「ディベート道徳不要」について

  罵倒させろという意味ではありません。ディベートの態度ではなく、論理の展開に道徳によるブレーキ必要ないという話です

  人前でディベートをするとなると、道徳的に疑われるような仮説を引っ込めなければなければなりません

  ディベートからと言っても現実ではある程度のコードがあるわけです

  例えば「戦争は勝てるならするべきだ」「いかなる理由があってもするべきではない」というディベート

  現実では難しいと思います

  (道徳倫理区別されていて、道徳というのは時代場所制限され共有されたローカル価値観のことです)

  「ネット悪口を言うべきではない。傷つく人がいるのだから」というのも道徳です

  道徳的世界だと「そうですね」と言うしかありません

  反論すれば人でなしになるからです

  ネット上のブコメを見ても非難うごうですから

   しか非道徳的な言論が許されれば以下のような議論もできます

  A 「絶対にバレないLINEグループ等なら自由に言っても良い」

  B 「それはバレなければ赤信号を渡ってもいいという理屈ではないか

  A 「その通りだ。事故が起きるか起きないか問題なのだ。来もしない車を待つことに何の意味がある」

  B 「ルールというものは、個別存在するのではない。共同体価値観に敬意を持てるかどうかが大事なので、小さな例外も認めるべきではない」

  A 「ルールがあって共同体があるのではない。我々個人があって共同体があり、共同体があってルールがあるのだ。個人よりルールを崇拝するのは本末転倒だ。本題に戻ろう」

  B 「本題に戻るなら、やはり悪口を言うべきではない。LINEグループの誰かが漏らして、本人に伝えるかもしれない。そうすれば本人は傷つく」

  A 「それは私が書いた悪口ではなく、本人に伝えた人が傷つけたことになるのではないか

  B 「いや、悪口を書いた先に起きうることを考えなかったあなたが悪い。ネットではなく日記帳にでも書いていればいい」

  A 「しかし、紙に書いたとしてもそれがどこかで漏れれば本人が傷つくことになるだろう。紙に書くのも問題ではないか

     ほら見ろ、やはり結果論ではないか。バレなければいいだろう」

  B 「いいや、そもそも悪口を書こうと思う精神がよくない。他人だけではなく自分を貶めることになる」

  A 「違う、私達はそもそも貶められ苦しんでいるのだ。どこかでもやもやとした感情を発散しなければ生きていけない人もいるだろう」

  B 「発散するのは自由だが、それによって他人を傷つけるのは生贄と変わらない。他の方法を考えるべきだ」

  A 「だから、バレなければいいんだって他の方法簡単に探せると思うな。悪口が一番効率的なのだ

  B 「いや、バレれば訴訟のおそれがあるのだから、余計に苦しくなる。もっと生産的な方法があるはずだ。スポーツとか」

  A 「どうしても見つからない人もいるかもしれない」

  B 「それはその人が悪い。そのような底意地の悪い人の気持ちまで考えてやる必要があるのか?

     いや、そもそもそんな不満がたまるような社会が悪い」

  A 「確かにストレスがなく、お互いを承認しあえる美しい社会であれば、私も彼らも他人中傷せず、誰も傷つかないかもしれない(きれいな目)」

・・・と、現実的議論がしやすくなる

4: 「悪口でもなんでも自由に言わせろ」と書いているのではなく、過剰にビクビクせずに書き込みが出来る「民度の低い村」だったインターネットが終わったんだなあという、そういう話です。

  終わって来ていたのは認識していたけど、決定打が来たなという話ですね

2018-01-28

壁に向かって説教してろ

最近特に話題になっている仮想通貨

つい最近もコインチェックが問題を起こして、巷では「靴磨きの少年」の小話(靴磨きの少年最後市場への参加者投資する頃になったらもはや相場も末期というアレ)が飛び交っている。

しかし、ビットコインそもそも株やFXとは市場への通貨供給システムが異なるし、ニ度目の暴落は単にアジア仮想通貨規制に起因するのでその話と関係があるとは思えない。

今回のコインチェックの件も単にハッキングで盗まれただけで、楽に儲けていた(これも思い込みだが)人間にバチが当たったわけではない。

現実には、SNS掲示板はそのような書き込みで溢れている。

機会の損失を道徳合理化する。

そもそも、なぜ、誰でも出来たのに手を出さなかったのか、気づかなかったのか…

などと言うのが自己への過大評価なのである

この件に限らず、最近説教するという決定事項が先に来てしまって、こういった論点論理関係もズレた説教をする人間が多く見受けられる。

どうして、今まで単純な中学高校勉強においてでさえ論理性も理解力も欠いて、その都度テストなどで自信満々に導いたものが誤りであるという現実を叩きつけられてきたであろう人間たちが。

どうして、社会道徳的説教政治見解放射能などの科学知識なども、今回の論旨とは異なるが当てはまるだろう)においては自分の正しさを信用できてしまうのか。不思議でならない。

安倍自民党道徳的感覚の異常性

安倍自民党道徳的感覚の異常性

大前提安倍をはじめ自民党には、常識通用しない

1:平気で約束を破り、さら被害者面をしてきます

2:妬み嫉みを妄想で恨に変え、末代まで恨み続けます

3:良い事は自分のおかげ 悪い事はすべて日本人のせいであ

4:恩を受けても感謝することなく、仇で返すのが通常である

5:常に平和主義者への悪口を真偽問わず吹聴して回りますしか殺人鬼ネット右翼に対しては友好

6:フェアプレイ概念存在しません

7:努力する事よりも、他人の足を引っ張ることに情熱を注ぎます

8:何事も「ゴネればゴネるほど得だ!」という価値観を持っています

9:震災事件などで人が死んだと聞いたらとても喜びます

10英雄になる手っ取り早い方法戦争で人を殺す事です。

11安倍自民党に殺されても文句言ってはいけないと本気で思っています

2018-01-25

安倍自民党道徳的感覚の異常性

安倍自民党道徳的感覚の異常性

大前提安倍をはじめ自民党には、常識通用しない

1:平気で約束を破り、さら被害者面をしてきます

2:妬み嫉みを妄想で恨に変え、末代まで恨み続けます

3:良い事は自分のおかげ 悪い事はすべて日本人のせいであ

4:恩を受けても感謝することなく、仇で返すのが通常である

5:常に平和主義者への悪口を真偽問わず吹聴して回りますしか殺人鬼ネット右翼に対しては友好

6:フェアプレイ概念存在しません

7:努力する事よりも、他人の足を引っ張ることに情熱を注ぎます

8:何事も「ゴネればゴネるほど得だ!」という価値観を持っています

9:震災事件などで人が死んだと聞いたらとても喜びます

10英雄になる手っ取り早い方法戦争で人を殺す事です。

11安倍自民党に殺されても文句言ってはいけないと本気で思っています

2018-01-17

https://anond.hatelabo.jp/20180117142224

子どもガチャであり、どんなハズレであっても親が扶養しないといけないルールがある。

そして扶養と引き換えにしつけするのは、しつけとしてあまり成功確率が高くないし、

より厄介なことになることが多いので、道徳的な良し悪しではなく、戦術としてあまりおすすめできない。

不登校児に「働かざるもの食うべからず」と言うなら、学校に行く以外の仕事させるほうがスジが通るし、

家のことを手伝わせて生活スキルを付けるのは将来のためにも有効

2018-01-14

「ウザがらせる自由」に対して:『あなたは、豚として生まれたの?』

(追記)ウザがらされない→ウザがらせられない ですね。日本語不自由になってました。恥ずかしい。

後、importuner と Un porc, tu nais がどちらもアンポルチュネで発音同じことに言われて気づきました。これも恥ずかしい。

そして、さらに恥ずかしいことに、最後段落抜けてました。大急ぎで追加しました。

_______________

ちょっとフランス語翻訳してみたくなったので、最近増田の流れで、一つ記事を訳してみました。

Leïla Slimani (レイラスリマニ)というモロッコ出身フランス人女性作家の Liberation のサイトに昨日掲載された«Un porc, tu nais ?» (「あなたは、豚として生まれたの?」)という記事です。

なんで、これを訳したかというと、先の「ウザがらせる自由」が、何やらフランス代表するもの英米からmetooブームに対する、大陸から批判みたいな取られ方をしている向きがあったからです。全然そんなことありません。twitter を見る限り、あの記事叩かれまくっています

現在も、テレビ討論番組で、Brigitte Lahaie という元ポルノ女優(あの記事署名者の一人です)が「レイプ最中だって、楽しめるわ」と発言した件で、絶賛大炎上中です。(この発言が、あの記事の後半部につながっているのは明らかでしょう)。

フランスでは #metoo に加えて #balancetonporc というタグ使用されていて、意味は「あなた豚野郎を叩き出せ!」です。ものすごく攻撃的ですね。Le Monde 誌の記事はそんな流れの中でのカウンターとして出されたもので、まぁ、要するに両者ヒートアップしてるってことです。

あなたは、豚として生まれたの?」は明確に「ウザがらせる自由」に対する反論として書かれています。いくつかの言い回しが、あの記事から来ているので、増田での訳語にその辺はあわせました。この記事文脈では「ウザがらせる」は生ぬるい気もしますが。

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(追記)ブコメで指摘がありましたが、あちらの翻訳は「ウザがられる自由」でしたね。完全に見間違いをしていました。

でも、これはしょうがないところがあって、原語 importuner は他動詞能動形以外のなにものでもないので、まさか受動形で訳しているなんて思わなかったのです。

「ウザがらせる」が正しいです。

不器用勘違いから来る過失のニュアンス」は日本語訳からまれものであって、原文にはそうした解釈余地はありません。

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小説家による平明に書かれた文章なので、致命的な誤訳はないと思いますが、気づいた点があれば、じゃんじゃん指摘しちゃって下さい。

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あなたは、豚として生まれたの?』

通りを歩く。夕方地下鉄に乗る。ミニスカート、胸の広く開いたシャツハイヒールをはく。ステージの真ん中で一人で踊る。派手めの化粧をする。ほろ酔いタクシーに乗る。半裸で草むらで伸びをする。ヒッチハイクする。深夜バスに乗る。一人旅をする。テラスで一人グラスを飲む。ひと気のない道を走る。ベンチで待つ。男を誘い、意見を交わし、歩き続ける。イル=ド=フランスの人込みに紛れる。夜勤する。公共の場子どもに乳をあげる。賃上げ要求する。

こうした、日常的で平凡な生活において、私はウザがらせられない権利を、そんなことにかかずらわされない権利要求します。 私は、私の態度、私の服装、私の歩き方、私のお尻の形、私の胸の大きさについて、とやかく言われない自由要求します。私は、私の平穏孤独権利を、恐れることなく前に進んでいく権利要求します。私はただ、内的な自由だけを求めているのではありません。私は、外での、広々とした場所での、私もまたその片隅を占めている世界においての自由を求めているのです。

私はちっぽけな壊れやすい品物ではありません。私は守られることを求めているのではなくて、安全尊重についての私の権利を認めるよう求めているのです。そして男性たちは、皆が皆、豚であるわけではありません。そんなことは全くありません。この数週間、どれほどの男性たちが、彼らの能力でもって、今起こっていることを理解し、私を魅了し、驚かせ、大喜びさせたことでしょう。どれほどの男性たちが、もう加担することをやめ、世界を変え、これらの行為から、彼ら自身をもまた解放しようとする意志を示してくれることで、私を驚嘆させたことでしょう。

というのも、例のいわゆるウザがらせる自由は、その奥底に、男性性についての極めて決定論的な見方を隠しているからです。すなわち、「あなたは豚として生まれたのだ」と。

私の周りの男性たちは、私を侮辱するものたちに対して、怒り、抗議してくれます。朝8時に、私のコート射精した誰かに。私の出世に何が必要理解させようとした上司に。研修の対価にフェラチオを求めた教師に。「キスしないか?」と尋ね、「淫売」扱いして去った通行人に。

私の知っている男性たちは、この男らしさについての反動的見方に、うんざりしています。私の息子は、そう私は希望するのですが、きっと一人の自由な男になるでしょう。その自由とは、ウザがらせる自由ではありません。制御できない衝動にとりつかれた捕食者としてではなく自分定義する自由です。私たちを魅了した男たちが持っているようなたくさんの素晴らしい仕方で、魅了することのできる一人の男に、息子はなるでしょう。

私は一人の犠牲者ではありません。しかし何百万もの女性たちはそうです。これは事実なのであって、道徳的判断やそうした女性たちを(犠牲者として)本質化するものではありません。

そして、世界中の何千もの街の通りを、うつむいて歩いている全ての被害者たち、付け回され、ストーカーされ、レイプされ、侮辱され、公共の場場違いものとして扱われている彼女たち、その恐怖が、私の中で瞬きますうずくまり、恥じている彼女たちの、辱められたという理由で通りに投げ出され除け者になった彼女たち、彼女たちの体がウザがらせる行為を招くからという理由で、黒く長いベールに隠させられている女性たちの叫びが、私の中で響いています

カイロニューデリーリマ、モースル、キンシャサカサブランカの通りで、歩いている女性たちは、失踪誘拐そして(下心ありの)慇懃さを心配しているのではないでしょうか?彼女たちに、誘惑し、選び、ウザがらせる権利などあるでしょうか。

私は、いつか、娘が夜中に通りを、ミニスカートと胸の開いたシャツを着て歩き、一人で世界旅行をし、真夜中に何も恐れることなく、そんなことを考えることもなく、地下鉄に乗れることを望みます。その時、彼女が生きるその世界は、清教徒世界ではないでしょう。私は確信しています、それはより正しい世界、そこでは愛と歓びに満ち、魅了し合う場だけが、より美しくより豊かである世界になるだろうと。それはまだ想像すらできないものだけれど。

http://www.liberation.fr/france/2018/01/12/un-porc-tu-nais_1621913

2018-01-12

リベラルが陥りがちな「被害者性の文化」の害について

http://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2016/02/07/121747

被害者性の道徳文化は「道徳的依存」を助長してしまい、個人間の些細な問題自分自身対処する能力を減退させてしまう。個人が弱められるのと同時に、人々は被害者ステータス被害者擁護者というステータスを得ることを競い合うので、激しい道徳的紛争が絶え間なく続く社会が登場してしまう。

被害者は、自分自身の強さや価値を強調するのではなく、自分の受けた抑圧や自分社会的に疎外されていることを強調するのだ。…このような状況のもとで、第三者への訴えが寛容・堪忍(toleration)や交渉に取って代わった。人々は他人からの助けを求めるようになり続けて、自分尊重と助力に値することの証拠として自分が受けた抑圧を喧伝する。このような道徳文化は「被害者性の文化」と呼ぶことができるだろう。犠牲者道徳的地位は、名誉文化では底辺位置していたが、いまや頂点へと登りつめたのだ。

抑圧者というラベルを貼られた人も、しばしば「自分も同様に被害者である、と主張する」。たとえば、「ラディカル・フェミニズムに異議を唱えたために性差別主義者として批判された男性たちは、自分たちは裏返しの性差別主義被害者であると主張することで自分たち擁護する。被害者に対して共感的ではないとして批判された人たちは、自分たちが受けてきた被害を示そうとする」。[このように、被害者性の文化では、被害者性が競われて縮小均衡が起こることになる。左派若者右派若者は、不平の渦巻きに巻き込まれるのだ。被害者性の文化が広まるにつれて、今後数十年間において政治的分極化が着実に進行していくことが予想される。]

被害者」を過剰に賛美することで、本来自分の力で解決できる問題解決しようとせず、最初から人に頼ることが最も善となり

全ての人がこのポリシーに従うことによって本来起きなくてもよい闘争が起きたり、社会が停滞したりする。

たいていの人はどこかで付き合えなくなるし、そのような人がほとんどになれば消滅するのだろうが

それまでは社会へ発展しないバイアスを与え続ける。

2018-01-11

男側が恋愛リスクを背負うのは女側が背負うよりも道徳的だけど

守ってる限りは出生率減るんだよな

2018-01-09

子供産む/産まないをお金解決できるか

行き詰ってふと思いついただけなのであまり道徳的ツッコミはいれないでほしい。可愛い彼女と100万円どっちがほしい?じゃあもしその彼女巨乳だったら!?くらいのくだらない話。

自分には6年半付き合っている恋人がいて、結婚の話が出ている。いくつかある障壁のうち最大のもの子供がほしい男・ほしくない女で意見が分かれていることで、お互いに理由ライフプラン家計ことなプレゼンしあったけれど結局「どうしてもほしい」「どうしても無理」ということで合意に至らなかった。

前提として、現在共働き。仮に子供ができても事情が許すなら共働き。稼ぎは今のところ同じくらい。

で、今、ふと思ったのだけれど、「毎年100万、自分の稼ぎから相手に渡す。だから子供の件は譲歩してほしい」というような解決はできないだろうか。子育てにかかる費用負担は別途相談金額も要交渉。お互いの稼ぎはたかがしれているけれど、今は互いに年数百万を貯金に回している。子供ができても年100万はオファーできるとして、それはそれなりの額ではないだろうか。

彼は、専業主夫になることも離婚する場合には子供を引き取ることも検討できると言っている。つまり子供を産んでも、彼女は耐えた年数×100万円の金額を持って元の生活に戻れる。身体的な負担産休取得による影響、バツイチになること、は、避けがたいけれども。

一方彼女はそれなりに稼ぐわりにお金を使わない体質で、しか子供を産まないとなれば100万といわずオファー可能。男の趣味に対しても寛容なので、彼は子供を諦めればかなり好きなように余暇を楽しむことができる。趣味の充実と子育ての充実は別種のものだけれども。

お金問題じゃない」と言われるだろうか。それもそうだと思う。彼女にしたって自分が産んだ子供になんの責任も感じずにはいられないし、彼にとって趣味子供はまったく別ものだ。でも、じゃあ、どんな交換条件が有効だろう。交換条件などという問題でもない?「さっさと分かれて別のパートナーを探せ」という発想以外に、あとどんな道があるだろう。

2018-01-06

20XX年、日本表現の自由がのさばっていた

あるときふとさ、普遍的作品を書きたいと思った

女の子が旅をして、色んな問題解決したり、

モンスター暴政と戦ったりする王道冒険

 

数百ページ書き上げた

はやる気持ちを抑え、編集に持っていく

こう言われた

 

「これさぁ、もっと女の子性的側面強調出来ないかな?」

ぼくが書きたいのは王道作品

性的側面で一部の男読者だけを釣りたいわけじゃない

 

女の子冒険する訳ないよね? エロく出来ないなら主役は男にしようよ」

だって冒険したいはずだろう?

 

モンスターと戦うのはいいけどさ、暴政っつうのはちょっと・・・

ダメですか」

政権批判とかすると、今は読者から批判来るんだよね」

薄ら笑いを浮かべつつ、顎をなでた

それを見る僕の目は虚ろになっていく

 

「君の作品はさぁ、『正しすぎる』んだよね」

「正しさ、とは?」

「読者はもっと道徳的正しさから解放されたがってるんだよ 

 いっそ、女主人公レイプされて、最後魔王売春婦として

 案外幸せに暮らすラストとか、絶対面白い訳よ

 あえて権力に下る! 表現の自由に挑戦する! 的なね 分かるかな」

 

そうか ぼくにはこの世界が向いていないのかも

思い起こすと虚しくなる

つの間にか自宅のベランダから街を見下ろしていた

 

正しさが禁忌される社会は生きにくい 

誰もが即物的快楽に生き、何がダメかの基準は至極単純な上下関係

編集とぼく、そして大衆編集

 

表現の自由は確かにあらゆる価値観からの脱却を補助した

だが、そのあとに残ったのは何か

単純な力関係しかないと?

 

そこはかとないやるせなさを感じ、たばこベランダから投げ捨てた

下に通行人がいたのなら、きっとぼくの行為に憤慨してるかもしれない

だが高所に居るぼくが今のところ、強い側なのだ

                               完

anond:20180106164019

ポリコレと戦えばいいんじゃないか。

いや戦うっていうとなんか闘争! 自由のための戦士! みたいでイタいからあれだけど、ポリコレ的な主張を一歩引いて見るようにするとかそういうので。

大体の人は自分が好きなもの規制非難が迫ってきたと実感しないと、「道徳的」な圧力のことを何だかんだで良いもの認識してしまう。

からこういう「自分の好きが排斥されるのでは」ってなった時が数少ない意見を変えるきっかけだと思う。

まーこれまでポリコレ大賛成って感じだったら、手のひら返しと見られるのが気になるし過去自分を裏切るようだし、あと自分の中でもポリコレを好ましく思い続ける部分は残って躊躇うとこだろうけど。

私もしばらく前までポリコレとかジェンフリかめっちゃ推してたのが、自分の隙だったジャンルがジワジワ絞められ始めたことで手のひらを返した……。

でもポリコレによって私の尊厳が守られてる、アンチポリコレの言説が私を傷つけてると思う場面もそれなりにあるから、迷いは常にあるけども。

2018-01-05

anond:20180104132743

そもそも大学目的が「学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的道徳的及び応用的能力を展開させること」(学校教育法83条1項)。

タテマエとはいえ、「専門の学芸」の前に「広く知識を授ける」場所。「広く知識を授ける」前提となる、前段階の教育課程において身につけたはずの「一般的教養」(同51条2号、64条2号)が備わっているかをはかるのが、大学入学選抜試験目的ひとつ。あとは何が「一般的教養」として重要かという問題で、これはもう歴史的背景に基づいた社会的合意によるとしかいいようがない。

道徳家庭科を軽視するというわけではないが、古文漢文により重きを置くと選択しているのが日本社会

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