はてなキーワード: 肩甲骨とは
数年ぶりに風俗に寄ろうと考えた。エロ動画で抜いてばかりだとつまらない。
歓楽街に乗り換えられる駅で途中下車して、前々から気になっていた抜きありマッサージ店のサイトを開いた。ここの系列は優良店が多いので、はずれはないだろうと思ったのだ。それにデスクワークだと首を上に向けるだけでぽきぽきと音がして、肩甲骨を合わせるだけでぱきぱき鳴る。普通にマッサージしてもらいたいという側面もあった。
しかし、いざサイトを開いてみると、どの女の子も閉店まで予約が埋まってしまっていた。さすがは優良店だ。職場は終業時間が遅いし、午前中に予約しておくべきだったのだろう。とはいえ、仕事中にムラムラしていても終業後は憑き物が落ちたようになってしまうのもしばしばだ。職場での不意の性欲は、本当に性欲を感じているのではなく、現実逃避をしたがっているだけだ。
それはさておき、どうしたものだろう。個室ビデオ屋のVRで抜いて帰るか、乗り換えてストリップショーに初挑戦するか、いっそのことバニーガールバーを新規開拓するか。半時間以上迷いながら駅前をうろうろしているうちに空腹になったので、外食にした。
ちょうどテラス席のあるイタリアンが空いていた。シーフードサラダとアラビアータ風のパスタを注文した。少し時間がかかったが、のんびりできてかえってよかった。ここで夜風を感じながら十分待つのと、家でスマホを見ながら十分だらだらするのとでは、前者のほうが有意義に感じる。何もしてないのに、何かをしているよりも、何かをした感じだ。
シーフードサラダは自分の嫌いな小さな魚卵が入っていたが、あまり気にならなかった。それにしても、人の流れを眺めながら食べるのはいいものだ。家にいるときは家事をするか何も考えずにぼーっとしているかだ。家でぼんやりして無になっていると疲れが取れるのだが、そのうちぼんやりするのに飽きて虚無感を覚える。だが、こうしていつもと違った場所で何も考えずにいるのは久しぶりで新鮮だった。同じ無になるにしても、たまには場所を変えたほうがいいらしい。
そこで前の席を眺めているとカップルが座った。しかし注文する様子はなく、男はパソコンを広げ女はバッグから取り出したオレオを食べている。席を不正に占拠しているのではないかと不審に思って店員にメモを渡して尋ねると、別の店員だとのこと。休憩時間だったんだろうか。こんなところで休むとは、店の奥は狭くて休めないのに違いない。
で、夕飯を平らげてぼんやりしているともうラストオーダーだ。水のおかわりだけ頼んだ後、やはり紅茶を追加しようと思って店員を呼び留めようと思ったのだが、聞こえなかったらしい。なので、紅茶をあきらめて水一杯で行きかう人々をもう少し眺めることにした。見上げると高速道路が道路をまたいでいる。目の前にキャバクラの宣伝をする大きな画面がある。ここはそんな雑然とした場所だ。静かなところで仕事がするのが好きな割に、こういう騒々しいところも案外気に入ってしまう。最近は家と職場の往復ばかりだった。週に一度くらい外食して帰ってもいいのかもしれない。
ぼんやりするのに飽きると、また風俗店の情報をスマホで調べだした。このイタリアンの裏手にはソープランドがある。最近リニューアルして嬢がバニーガール姿で迎えてくれるようになったらしい。ちょっと開拓してみようかと思ったが、ゴムなしも可能な店らしい。いわゆるNN、NSだがそれはちょっと怖い。数年前性病検査をしたのに、またわざわざリスクの高いことをしたいとも思えない。じゃあバニーガールバーかと思ったが初対面の女の子と話すのはちょっとだるい。
ところで、なぜバニーガールバーに行こうと思っているのかというと、とあるバニーガールバーによく行くのだが、そこのレオタードがハイレグ過ぎて、そこまでハイレグじゃないバニーガールの店を探しているからだ。しかし、急ぐ話でもない。
本当は別に会話がしたいわけじゃなくて、バニーガールをただ眺めていたいのだが、エスカイヤクラブに入るほどの地位があるわけではない。横浜駅のホテルの12階にバニーガールが接客するレストランがあったのだが、行く前にコロナ禍で閉まってしまった。行っておくべきだった。惜しいことをした。
さておき、女の子と話すのもだるいとしたらストリップショーはどうかと思ったが、こんな時間に電車にまた乗り換えてストリップ劇場にまで行くのも面倒だ。ああだこうだ考えているうちにそろそろ店を出る時間になった。面倒になので、そのまま帰宅することにした。
今度の有給こそはマッサージかストリップに行こうかと思う。いや、あのシチュエーションが良かったM性感はどうだろう。そう思いつつ、面倒くさくて結局何もしない気がしている。
この日記の書き始めは、2022年の3月23日。私の増田歴は2年ほどになる。基本はROM専だ。
週末にはてなブログランキングを見る派なのだが、その一番下に増田部門があるだろう。
『弱者男性』というのは要するに、男としての権利や義務や果たすとか、オスとしての欲求を満たせずに苦しんでいる男性のことらしい。特に、お金とモテの問題が多いようだ。
どれだけお金がある人でも、どれだけモテる人でも悩みはある。自分の思いを果たせずに苦しむことには変わりない。自由は、苦しいのだ。
私は、30代後半になる男だ。これまでずっと、道路や、公園や、箸などの大型建築物を創る仕事に打ち込んできた。あなたが都内暮らしであれば、私が設計した橋梁を使ったことがあるかもしれない。
年に数えるほどしか増田には投稿しないが、退屈にならないように綴ってみる。
以下、当時の日記を加筆修正したものになる。逆時系列にしている。
2022/3/18
職場の窓口にお客さんが来た。女の人だ。見た目は25,6才ほどか。
カウンターに座るように案内をして、その子の説明を聞いていた。
五分も経つと、向こうの説明が粗方終わった。話の最後で、こちらの資料をサービスで何点か手渡した。
別れ際、その子が割と遠方から来ているのを知った。職務経験が浅い印象があったので、「質問はありますか?また来ることがあっても困るでしょう」と話を振った。
その子が顔を上げた。すると、次の瞬間だった。コロナウイルス対策のプラ製の衝立越しに、その子と目が合った。瞼の上の、ふわりとした茶色いパーマが特徴的だった。
「しまった」と感じた。
話の最中、その子の姿を見ないようにしていた。私はずっと、カウンターにある資料に目線をやっていたのだ。
・・・私と目が合った途端に、その子の瞳が大きくなった。茶色い瞳孔をふわっと見開いて、両手の掌をテーブルの端にちょこんと乗せて、こちらに身を乗り出してくる。目を逸らすのも失礼なので、ちょっとの間だけその子の瞳を見ていた。
その後、私は少しばかり視線を落としたはずだ。
「確認ですが、このフェンスのところには町内会の倉庫が置かれるんでしたっけ」
「はい、そうです!」
マスク越しでもわかる、その子の綻んだ顔に目を背けるようにして私は、カウンターの端にあるスタンプ台に視線を移した。
帰り際、その子が名刺を置いていった。会社名と、その子の氏名と、会社の電話番号と、メールアドレスと、上から鉛筆書きで携帯電話の番号が書いてあった。「会社にいない時はこちらに」とのことだ。
接客が終わって私は、名刺ホルダーの一番目立たないところにそれを突っ込んだ。
2021/12/21
給湯室までコーヒーのお湯を汲みに行こうと席を立ち、廊下に出たところで、細身で背が高い子が正面から歩いてきた。いつも髪をお団子みたいにまとめている。
今年入ってきた新人の子で、私と同じ高専の出だった。片手に厚生地のハンカチのようなもの(あれはなんて言うんだろう。ハンカチとタオルの中間みたいなやつだ)を持っていた。
その子は、私とすれ違おうとする時に、「ばぁっ!」と言いながら両手を広げ、私の方に躍り出てきた。私がのけ反るのと同じタイミングで、小走りで後ろ壁まで下がって、にやにやしながらその子の職場の方へと早歩きしていった。
「しまった、対応を間違えた」と思ったのは、その年の6月頃だ。
その子は私の部署で余った事務用品をもらいに来ていた。あの時私は、縦横5000×5000ほどの段ボール(中に大量の事務用品あり)を抱えて、その子に渡そうとしていた。
「○○さん。開いてるよ」
小さい声で、その子のスカートのファスナーが開いて、横から灰色の下着が見えているのを指摘した。
その子は、「あ……」とだけ呟いて、カチンコチンコチンに固まった。私がそそくさと自席の方に戻って座りかけたところで、その子が段ボールを床にガタンと落としたのを聞いた。
どうやら、片方の手だけでファスナーを元に戻すことには成功していた。その子のところまで行って、段ボールを持ち上げて、「ゆっくり運ぼうね」と声をかけた。
今思えば失敗だった。その子は、あれから廊下で私とすれ違う時、たまに凄く嫌そうな表情になる。廊下の端の方に寄って、小走りで駆け抜けるのだ。その度に、申し訳ない、ごめんなさいという気持ちになる。
2021/9/30
よく行く近所のコンビニに、高校生~大学生ほどの女子店員がいる。ハキハキした明るい接客をするし、どんなお客にも物怖じしないし、チャッチャとした勢いで在庫ケースを開けてアイスや冷凍食品を突っ込んでいく。将来有望な子だと感じていた。
ある夜だった。コンビニによっては、お客さんがレジの画面で決済手段を選んだり、現金をキャッシャーに入れたりするだろう。
私の目の前に並んでいたお爺さんだったが、どうやら初めてのようで画面操作に苦戦していた。その子はカウンター越しに指で指示をするのだが、なかなか難しい様子だった。その子の身長は低い。レジから身を乗り出すも、うまくお爺さんに指示ができていない。
でもなんとか、最後の画面までは行っている。私は近づいて、「ここを押すんですよ」とお爺さんにジェスチャーで示した。無事に決済処理が終わった。
私の番がくると、「ありがとうございました」とその子が言った。「○△さんは優しいんだね」と声をかけた。「そんなことないです!」と全力で謙遜をする。
その際、彼女の変化に気が付いたのと、心の中で「やめておけ!」という声がしたのは同時だった。喉の方が早かった。
「今日は、なにか顔が違う?」
家に帰って、ようやくコトバが浮かんできた。あれはチークだ。女性の瞳の下がうっすらと赤くなっているやつだ。
いつだったか、直属の上司が女性社員に対して、「その赤いのは何だ?」と声をかけると、その人が、「これチークです」と返して、さらに上司が「チンコ?」と問い返し、微妙な雰囲気になったのを思い出した。
その子は、私の問いかけにレジの前で飛び上がって、「えー、どこが違いますかっ?」と元気いっぱいに質問を返してきた。物凄い勢いで身を乗り出している。「わからないけど、なにか違う気がする」と答えたはずだ。
以後、その子にレジを受けてもらう時、話しかけてくるようになった。二週間に一度くらいか。
「昨日の朝、自転車で走ってましたね」
「すっかり寒くなりましたね」
「私、来月から薬学部の研修に行くんです。しばらく会えません」
去年のクリスマスを過ぎた頃だったか。その子と話をしなくなったのは。
急に暗い表情になって、私と世間話をすることはなくなった。
できるだけそのレジを避けるようにしたのだが、たまにどうしようもない時があって、その度にまた暗い面持ちを見ることになる。
こういうことがある度に、「間違えた」と感じる。
上に述べた内容は、人によっては嫌味に聞こえると思う。もし、あなたが異性にモテたい人間で、かつモテないのだとしたら、イライラとする内容であるに違いない。
私と目が合った異性愛者の女性は、私に異性としてのアプローチを求めるようになる。目が合わない場合ですらそうだ。
昨年の6月。他組織から依頼があって、コロナワクチンの接種協力の仕事をした時だった。文化ホールの2階席が待機場所だったのだが、覇権会社から来ている女の人は、周りが空いている状態でも私の隣付近に座ろうとした。
○ 私
△ それ以外の主に男性
△ ●●● △
● ○●△
△ ● ● △
オセロだったらと思うと恐ろしくなる。黒が集まっているし、左右には正体不明の駒がある。△がみんなルークで、かつ私の味方であることを祈りたい。
派遣会社の女の人は、昼食を食べている時、チラチラと私の胸板を見ていた。上着を着替える時は特にそうだ。
「お前、さっき俺が着替えてる時チラチラ見てただろ」と言いたくなった。
それで、相手の方に視線を向けると、メジロのようにサッと首を回して向こうを見る。これに限らず、何もしておらずとも人からの視線を感じることが頻繁にある。
2017/9/上旬(〃)
この時までは、「できれば女性の目を見ない方がいい」が方針だった。この体験の後は、「絶対に見ない」と自らに誓った。
あれはまだ、前の会社にいた時だ。地元密着型の企業で、年に一度、会社敷地でお祭りをやるところだった。一般の人を100人ほど招いてワイワイと楽しんでもらうのだが、私は輪投げゲームの担当になった。
昼下がり、1階の広い室内のひと区画で長机に座って店番をしていると、6才くらいの女の子が前を通った。同じ部署の女上司の子どもだった。
その子は輪投げスペースを通り抜けて、私のいる机の前まで来た。それで、微笑みながらその子の顔を見たところ、きょとんとした顔になって、トコトコと母親のところに歩いて行った……数分後、その子は母親の手を引いて、またこっちに来た。輪投げゲームをやりたいという。
その時は普通にプレイしてもらった。帰り際に何かの景品、水鉄砲だったかを渡してあげた記憶がある。
その一ヵ月後だった。私と同僚が、女上司(母親)の会社の忘れ物を家に届けた時のことだ。
呼び鈴を鳴らして玄関口に入ると、女上司が出てきた。忘れ物を渡して、「ありがとうね」と言われたところで、例のあの子が奥の方から玄関に出てきて、私の方を見た。
すると、口をちょっと開けて、後ずさったかと思うと、一目散に後ろに駆けて行った。柱の後ろに隠れると、「いやだ、わたし、あの人に会いたくない!」と叫んだ。
一言一句、誤ってはいない。確かにその子は、慌てた声で、亀のような姿勢になって、そう叫んだのだ。「あんた!この子になにしたの!」と言われた私は、何もできなかった。
次の日から職場に居ることが苦痛になった。とにかく仕事がやりづらい。女上司との仲が悪循環的に悪くなっていった。
この日から半年後、私は転職を決意した。それから約三ヶ月間、耐えに耐え、今の会社に入ってからは、ずっと今の職場で技術関係の仕事をしている。
上のような諸々の現象に出会うことは正直よくある。年に十回以上は固いだろう。
その度に、過去にあった嫌なことを思い出して、「馬鹿なことをしてはいけない」「自分も他人も傷つけてはいけない」と自らを律する。
過去にあった嫌だったこと。思い出したくはないが、この機会だから思い出してみよう。
・地元の高専にいた時、アルバイト先のマクドナルドで、ある女の子と彼氏彼女的な雰囲気になったことがあった。が、今の私も、当時の私も奥手で、仲が進展することはなかった。雪が降る中、飲み会の帰りにその子を家まで送って行って、アパートのドアが開いたところで「今日はありがとう。じゃあね」と言うと、その子は私の顔を見上げて、多分十秒くらい経ったろうか。視線を部屋の中へと送ってその子は、またしばらく黙っていた。すると、突然早歩きで部屋に入って、ガチャンと扉と鍵を閉めた。しばらく立ち竦んでいると、その子の部屋の中で、また何か音がした気がした。私は振り返って、自宅に帰った。申し訳ないことをした、と今では思う。
・電車で移動する時。愛車(自転車)の修理が必要な時や、会社に遅れるリスクがある時は山手線で通勤する。席を確保してゆっくりしていると、いわゆるトナラーというのか、見知らぬ女の人が隣席に腰をかけることがある。40もつれの女性であることが多い。やがて、その女性がウトウトしたかと思うと、私の肩に顔を傾けてくる。逃げるのも申し訳ないので、大抵は我慢している。
・電車通勤時に会社近くの駅で降りるとき、「すいません……」と斜め後ろからオドオドとした、だが妙に勇気を振り絞った声がすることが稀にある。そこには大抵、中学生や高校生がいて、顔を伏せがちにして私の方に歩いてくる。それで、カバンから可愛らしい封筒を取り出して、「読んでください」と手紙を差し出す。『ごめんね。申し訳ない』。そう思いながら、「勇気がいったよね。ありがとう。読ませてもらう」と返す。手紙を受け取ると、手提げかばんに仕舞って、会社が終わって家に帰ると衣装ケースの奥に入れる。時間がある時に恐る恐る読んでいる。
私は幸せではない。普通の人が望む恋愛で幸せを感じられないからだ。
先日の、ある洋風居酒屋を貸し切っての飲み会の席だった。何十人もの社員が参加する、それなりの規模の酒席だ。幹事集団が、開催前の挨拶で「ソーシャルディスタンス」を連呼していたのを覚えている。
若い子が多かった。30代は私と男の後輩の2人だけだった。飲み会の開始直後を除いては、ずっと1人でメシを食べていた。二十分が経ったところで、後輩の男が、「増田さん。今いいですか」と満面の笑みで声をかけてきた。かつては同じ部署で、手取り足取り何年も仕事を教えてきた後輩だ。
要約すると、「あっちに先輩の席用意してますよ」とのこと。
彼の身長は170あるかないかで、体格は太い。着古した作業着で居酒屋に来ていたが、ちょっと汚れのある様がパリピ向けの店の雰囲気にそぐうと感じた。
笑顔はきれいだった。店内の薄暗いLEDに照らされて。少年的な感じのするスマイル。顔は色黒いのだけど、爽やかな感じが伝わってくる。
彼はいいやつだ。数年後には、いいお嫁さんをもらっているのだろう。
「女の子が2人待ってますよ。増田さんのために揃えたんです、褒めてください! △△さん(4階の職場で一番綺麗とされる女性社員)が来てますよ」
後輩はそんなことを言った。私は特別席へと案内を受けるようだ。
後輩は、うす暗い居酒屋のとある一区画の前まで来ると、「俺は男同士で飲みますわ。先輩は楽しんでください」と向こうのスペースに行った。目の前には後輩が説明したとおり、女性が2人、灰色調のソファに並んで座っていた。それともう1人(「ばぁっ!」の子)が2つ隣のソファでまごまごしている。私は対面に座せばいいようだ。
それで、女の子達(同じ階の後輩3人だった)を見た。一人はショートカットで、一人はセミロング?をポニーテールみたいにしていた。もう1人は、肩甲骨の下までの長い髪だった気がする。
雑談を小一時間した。私目線だとそれなりに盛り上がった。みんな大体同じだけ会話ができていたはずだ。退屈そうな素振りをしたこともあったが、気付かれていないと信じる。
この時も、やはり後悔がある。トイレで席を立った時、あの男の後輩を見つけた。少し酔っていたのもあり、声をかけみてた。
「女の子はいいや。後輩君と2人で話したいんだけど。どうかな」
と彼に告げたのだが、鎧袖一触とばかり、「ふざけないでくださいよ~!」と、私の背中を押して、あの子たちのいる席へと連れて行かれた……。
それからずっと、あの子達とお喋りをしていた。やがて、飲み会の締めの挨拶が始まったのに合わせて、私は特別席を立って遠くのスペースに移動した。挨拶が終わる頃、幹事達に1万円を渡して、誰にも声をかけずに帰った。
色々と勉強になる飲み会だった。またいつか、機会があれば行ってみたい、かもしれない。
自分という存在が嫌になる。私にも心があり、胸にときめきを感じる瞬間があり、その存在がほしい、手にしたい、一緒になりたいと願うことがある。
でも、手に入ることはない。手に入れようとする行為自体が罪になる。挑むこと、それ自体が罪なのだ。私にできるはずがない。できない。できないよ。私には。
増田につらつらと想いを書き綴ってはみたけれど、どうやら少しだけ気分が楽になった。つまらない日記になっていたら申し訳ないけど、できればそうでないことを祈っている。
昨日よく通ってる整体に行ってきたんだけど、施術の担当がはじめて見る女性の方だったのね。
歳は50歳か60歳くらいのおとなしそうな人。
顔色が悪くて病人?と思った。
俺は施術台に横になってお願いしまーすって言ったんだけど、そのまま1分くらい向こうが動かない。
俺が「すいませんマッサージお願いします」って言うとようやく施術が始まった。
マッサージしながら話しかけてくるんだけどボソボソしてるので聞き取れない。
適当に相槌を打ちながらマッサージを受けるんだけど、マッサージというか、さわさわと触ってるだけ。
もう少し強めで大丈夫ですって言ったんだけどんだけど、伝わっていないのか全然変わらず。
そしてずーっと背中の肩甲骨を触るからだんだんヒリヒリしてきた。
「すいませんが腰もお願いします」って言ったんだけど「腰…?はぁ…」という反応。
なんでこの人はず(なんでら私がマッサージさせられてるんだろう)という態度なんだろうと不思議だった。
結局そのまま同じ箇所を触り続けるだけで30分。
施術は50分あるんだけどもう嫌になったから、用事があるんで帰りますと嘘ついて会計して帰っきてた。
そんで寝て起きたんだけど無茶苦茶体調が良い。
昨日よく通ってる整体に行ってきたんだけど、施術の担当がはじめて見る女性の方だったのね。
歳は50歳か60歳くらいのおとなしそうな人。
顔色が悪くて病人?と思った。
俺は施術台に横になってお願いしまーすって言ったんだけど、そのまま1分くらい向こうが動かない。
俺が「すいませんマッサージお願いします」って言うとようやく施術が始まった。
マッサージしながら話しかけてくるんだけどボソボソしてるので聞き取れない。
適当に相槌を打ちながらマッサージを受けるんだけど、マッサージというか、さわさわと触ってるだけ。
もう少し強めで大丈夫ですって言ったんだけどんだけど、伝わっていないのか全然変わらず。
そしてずーっと背中の肩甲骨を触るからだんだんヒリヒリしてきた。
「すいませんが腰もお願いします」って言ったんだけど「腰…?はぁ…」という反応。
なんでこの人はず(なんでら私がマッサージさせられてるんだろう)という態度
どういうタイミングで加入するんだろう。
ある日ポストに謎の招待状が入ってて
ジメジメした階段を降りた先にドアがあるんだけど
ドアにある小窓に招待状を差し込むと
ギィってドアが開くのよね。
中は明るくて色んな人がグラスを片手に話をしてるんだけど
男の人は黒い皮のメガネみたいなやつ、女の人は羽根がフワフワしたメガネみたいなのをしてるわけ。
自分も渡されたやつをして所在なさげにお酒飲んだり愛想笑いしてるんだけど
燕尾服をきた太っちょのおじさんが、バニーガールとステージにあらわれて
筋肉お化けみたいな二人組に無理やり引きずり出された僕のシャツを剥ぎ取って
右の肩甲骨に焼き印を押してきて激痛と
肉の焼ける匂いに頭がくらくらしてる僕の目の前に
銀のお盆の上にのった何かを渡してくれたんだけど、あまりの痛さにそこで意識がなくなっちゃたのよね。
次に気がついた時は自分のベットで普通にパジャマを着て寝ていたんだけど
財布を開けてふと見ると、そこにゴールドカードが入っていて
あぁ昨日のことは現実だったのか
って僕は思ったのでした。
私は肩甲骨。
背中にある骨で、羽のような形をしている。割と大切な骨だと思っている。
最近その私を剥がそうとする輩がいる。肩甲骨剥がしと称して、私を剥がそうとするのだ。
今も整体師だか何だかしらない男が、私を思いっきり剥がそうとする。
「これが効くんですよ~」
などと言いながら引っ張ってくる。私は必死で剥がされまいと頑張る。
そうだ。全国の肩甲骨はこうやっていつも剥がされまいと必死の努力をしているのだ。
ただ時々気を抜いた瞬間にもっていかれる時がある。
「あっ!」
やってしまった。少し気が緩んだ瞬間、私はその整体師にもっていかれてしまった。
私の母体である男性は痛い痛いと叫ぶ。右手がブランブランと揺れている。そりゃそうだ、肩甲骨を剥がしたんだから。
だが私の方は問題ない。私は骨なので、折れない限り痛みなどは感じない。
大丈夫ですか、ではない。お前がやったんだろう?お前が私を剥がしたんだろう?犯人が被害者を心配してどうする。
まあしかし、このままでは私も危ないかもしれない。だから私はギュッと母体の体へ戻ることにした。
「あ、手が動く!」
「そ、そうでしょう?これが効くんですよ~」
なんだこいつは。私がもとに戻らなければ一大事だったぞ。これだから整骨院とやらは信用ならない。
肩甲骨は無線ネットワークで繋がれており、別な母体の肩甲骨と通信ができるのだ。
「さっき、剥がされてしまった。うかつだった」
「まじで?俺もだよ。最近新しい肩甲骨剥がしがあるらしくてさ。You Tubeでも拡散されてるし、困ったもんだよ。
俺も危険だってYou Tubeに通報はしてるんだけど、なかなか削除されなくてさ」
「あいつらは、『肩甲骨を剥がすというのは比喩だ。本当に剥がすわけではない』と主張しているが、比喩であるなら剥がすという言葉は使うべきではない。
それに実際私は剥がされたのだ。これは肩甲骨に対する虐待、いじめ、犯罪ではないのか。私は徹底抗戦するつもりだ」
「いやいや、やめとけ。整体師は筋力あるからな。肩甲骨だけじゃ戦えないよ」
「ではどうしろと?」
「尾骨と組む」
「できるのか?」
「あいつら、尻尾じゃないのに『尾』なんて名前を付けられて不満を持ってるからな」
「なるほど」
「あと、恥骨。恥ずかしいなんて名前を付けられて、かなり怒っている」
「同情を禁じ得ないな」
「あとは脊髄あたりが味方になってくれたら勝てる見込みはあるんだがな」
「だよな、あいつは脳とも手を組んでるから。仕方ない、肩甲骨、尾骨、恥骨で整体師と戦うぞ」
「勝てるのかな。不安だ」
決戦の日。
さあ、尾骨、頼んだ。
尾骨のやつ、やりやがった。尾骨尾骨を呼ばれているから、そんなに言うなら自ら尻尾になってやるよ、ということか。
そうだ、これは全国で同時展開している。一斉にやってこそ効果がある。
さあ次は恥骨だ。
「あれ、なんだか、腰回りが……尖ってきてる!」
いつも恥ずかしいと言われていた恥骨は、鋭利な骨となり外界へ飛び出した。
なんてスタイリッシュな恥骨。もう恥ずかしいなんて呼ばせない。
よし、最後は私だ。
肥大化して、外へ飛び出してやる。
「せ、背中からなんか出てきた!?は、羽!?羽が生えてきてる!」
「そうだ、羽だよ」
「えっ羽から声が聞こえる!」
「おい、聞こえるか、私は肩甲骨だ。いつも私を剥がそうとしてきただろう。その報いだ。
私は肥大化し、羽に変化した。もうお前らの剥がす肩甲骨はない。私を剥がしてはならない」
「な、なんということだ…」
「尻尾が生え、恥骨が尖り、羽が生えた。見ろ、世界中の人間が変化しているのだ。
報いだ。勝手に尾骨という名前を付け、恥ずかしい呼ばわりし、剥がそうとした罰だ!
もう取り返しはつかない!一生、尻尾と羽を持った生物として生きるんだな!!」
骨肉を争う地獄が今始まろうとしている。
女性が男性に並ぶには、爪を切るのがとりあえず一番早い。ぜひ爪を切ってほしい。お願いだ。
そもそも爪を伸ばしてマニキュアを塗るという行為は、「私は下働きをしない高貴な身分である」ということのアピールだ。
実際、中国やアジアでは貴族男性も爪を伸ばしていた。家事をしなくてもいいことの証明、ひいては富裕層であることのアピールだったからだ。これは肥満にも言えることだが。楊貴妃がその典型例だ。纏足、長い爪、豊満な体。それは全て富裕層の証だった。
とある儒者などは、生涯一度も爪を切らなかったことを自慢していたほどだ。儒者特有の「親からもらった身体を傷つけない」という価値観のせいでもあるが(この価値観はタトゥー問題として現代にも生きている)。
今はもうそのような時代ではない。どんな身分の人も、働く時代なのだ。
だからぜひ、爪を切ってほしい。
爪が長いままスマホを使ったりキーボードを操作したり家事をすると、バネ指(指の腱鞘炎)に非常になりやすいのだ。「女性はバネ指になりやすい」という話があるが、これは爪が長いままいろんな作業をやるからだ。
爪が長いと指先の力が使えない。だから指の腹を使って力を入れることになってしまう。これはとても不自然なことなので、「女性は力が弱い」ということになるのだ。
女性の方、瓶のふたを開けるのに苦労したことはないだろうか?男性の方は、女性に瓶のふたを開けてくれと頼まれたことはないだろうか?
これも爪による。指先の力をしっかり使えていれば、瓶の蓋は簡単に開く。
女性は力が弱いわけではないのだ。もちろん上限値は男に劣るかもしれない。しかし、日常生活で「男に劣る」場面ははっきり言って、ないのだ。
女性はいろいろな面で枷をはめられている。ハイヒールやスカートを履くから「活動的ではない」し、爪が長いから「力が弱い」のだ。
だからぜひ、まずは爪を切ることから始めてみてほしい。長い爪が必要な場面では、付け爪を。そして男性には、爪の長さを女性に求めないでほしい。
もう楊貴妃の時代ではないのだ。電動工具があるから大工だってできる。We can do it.の時代からもう半世紀以上たってる。
そして、何よりも、今はスマホとキーボードの時代だ。スマホとキーボードを使うためにも、ぜひ爪を切ってほしい。指の腹で打ちにくそうに操作している姿を見ると、とても心配になる。バネ指まっしぐらだからだ。
バネ指というのがわからない人は、「指のぎっくり腰」と思ってもらえばいいと思う。朝起きると指が折りたたまれて、動かない。恐怖の体験だ。身の回りの中年女性に聞いてみるといい。経験者は多いはずだ。
指先の力というのは本当に大事なものだ。指先の力を使えるかどうかで、力の出し方は全く変わってくる。これは武術をやっている人には大いに同意してもらえると思う。指先の力は本当に本当に大事だ。
爪が長いことが女性の上限値を大幅に下げている。纏足と同じだと個人的に思う。纏足の人に100m走で勝って「こいつは脚が遅いな」って言っているようなものだ。
この「指先が大事論」を実証するため、在宅ワークを利用して2か月ほど爪を切らないで生活してみた。爪の長い女性と同じ体験をしてみたのだ。爪を整え、割れないように気を使って生活をした。
すると、全く力が入らない。とんでもないハンデだ。袋を開けるにも苦労する。料理だって大変だ。キーボードで文字を打つと、肩甲骨のあたりが異様に凝る。なんというハンデだろう。これはもはや現代においては障害クラスなのではないか。
筋肉には多少の覚えがあった自分だが、爪が長いことによりパワーは半分以下に落ちた。筋トレをするにも、指先に十全な力が入らないので効率が悪すぎる。
爪を伸ばす前までは40kgのダンベルカールを2回ギリギリ行けるくらいだったが、爪を伸ばすと34kgで2回が限界だ。
指先ではなく指の腹に力を入れるので、利かせることが難しい。これは無理だ。
タイトルではハイヒールやスカートより、と書いたが、これらも同様な枷だ。
爪の影響は非常に大きい。本当に大きいのだ。
とにかく爪を切ってほしい。爪を切って(爪を気にせず)指先の力を使う世界は別世界だよ、と、全ての女性に伝えたいのだ。
そして男性にも。生爪よりも付け爪。付け爪のほうがネイルを盛りまくれるので楽しいしかわいいよね、くらいの価値観になってほしい。
爪が長いのは、貴族だけだということを覚えてほしい。
(これを書き始めた7月8日はこう書いていたのですが結果的にこの3週間後亡くなります)(ネタバレ)
トイレ掃除してる際、そういえばここ2、3日💩ないな、いかんのでは!?
と同居人に心配しすぎじゃないのみたいな空気だされつつ病院につれていく。
早い段階で連れてきてくれてよかった、と先生にいわれ飼い主として自信をつける。
その間に点滴の練習も受け自宅で皮下点滴ができるようになる。これでひとまずプロに打ってもらう技術料が浮いた。
1週間の短期間で先生から合格を貰ったのは私が初めてだそうだ。やったぜ。
ちなみに同居人は点滴の準備と輸液の注入(結構力がいる)、私はねこをなだめ動かないようにし注射針を挿すという役割分担をしている。
家では1日おきの点滴。
最初は経過をみる為、5日おきくらい通院したかな。その度に血液検査をする。
翌月からは月1通院。
血液検査 5,000円
ひと月分の輸液セット 5,000~6,000円
慢性腎不全用の療養食が3,000円(元々少食なのもあって1袋4kg = 1.5ヶ月分くらい)
約15,000~18,000円、が毎月かかる。
ちょっと検査項目を増やすと2~3,000円くらい上乗せになる。
我が家では月1万ずつ出し合い猫財布を作ってそこから出すようにした。
2人じゃなかったら詰んでたと常々思う。
飼い始めた時に入ったペット保険は2011年1月~毎年1回約2万円
2020年12月で契約更新不可になって、まあそれはそうだね預けた分は使い切ったしねという感じで2021年からは保険なし。
そんな感じで約2年、合間にクシャミが止まらなくなり風邪のような症状がでたり目やにが酷くなって点鼻が増えたりとたまに2万こえてうちのお嬢はお金がかかるわね……などと言い合う。
ねこの皮下点滴について。
うちのねこは50ccのシリンジで3本を1日おきにしてました。
初めのうちは、ギチギチのところに液体注入するので肩がムキムキになって強そうになりますが
中期後期になると腹水になりやすいので4本を2日おきに。
普段たるたるに2日くらいは輸液溜まってるのに、減り早くない?となったのが始まり。
食べてすぐに吐くことが増え、食べ直しては水を飲みすぎ(これは腎不全による多飲)を繰り返していくうちにご飯を食べなくなってしまう。
カリカリをふやかしたり大好きなおやつを目の前に持っていったり手を尽くすが、ちゅ~るもそっぽを向かれた時はもうだめだと思った。
調べたら「猫は36時間絶食すると肝臓への影響が急激に出る」とあり、これはやばいと定期検診の予定日前に病院へ。
病院に行くと凶暴になるねこ、抵抗する力もないのか唸るだけでされるがまま。
結果は卵巣のコネコチャンが入る管の部分に膿が溜まっていた。
犬猫の子宮図で解説してもらったんだけど人間とまるで違う形状なのでへー!となった。
で、その膿を除くための手術という手段があるのだけど、この子には麻酔に耐えられる体力がないからお勧めできないと言われテレビでよく見るやつだ……!!などと思っていた。
今この診察のイライラでお家帰ったらごはん食べ始めるかもしれないので見ててね、と言われアハハなどと言っていたらマジで帰った途端ごはん食べに行ったのでめちゃくちゃ笑った。ご飯食べたやったーーー!!!
錠剤を粉砕し、ちゅ~るに混ぜて食べさせようとしたら察しがいいのでちゅ~るまで警戒するようになる。直接口に突っ込む「投薬器」を買った。
結果、数値は戻りこちらの件はなんとか乗り越えました。
そう、腎臓です。
腎臓が悪化すると、腎臓から脊髄に「血つくって!」の信号が送られずひどい貧血に。
造血を促す注射を受ける。元は人用らしい。
赤血球の数値が上がるかを一週間くらいで見るとのことで翌週も通院。
の予定が何を察したのか隠れてまっったく出てこなくなったので薬だけもらいに行く。
「逃げる元気があるなら効果は出てるとおもうので、ねこも人間もお互いストレスないよう診れる時に診ましょう」と言ってもらえて泣きそうになってしまった。だいぶ焦りがあった。
月末、改めて病院。赤血球の数値はちょっと上がったけど、今までの残りが働いてこの後減るかもしれない、とこの日も注射する。注射をしても食事が出来ていないと血の素材が足りないのでご飯食べさせるのに必死。
以前はカリカリしか食べずウェットごはんに見向きもしなかったのにウェットじゃないと食べなくなる。
更に翌週、赤血球の数値が19→21でほぼ変わらず、効いていれば30台まではあがるとのことで、造血注射は諦めて食事を頑張る方向に。
カリカリを食べなくなってからはウェットごはんを小皿に入れて与えていたのだけど、ニンゲンが口元までごはん小皿持っていかないと口にしなくなる。
この頃まだ吐くし、寝ててもえづく音で起きてしまう。元々そばでひと鳴きするだけで起きて「ネコチャンどうした」するタイプではあったけど。
貧血で棚の上を歩いて足を踏み外すことも多くなり、フラフラしてるので心配で目が離せなくなる。
我が家は1階・2階のメゾネットタイプなのだけど、途中で動けなくなったら困るのでできるだけエアコンの効く1階にいてもらうようにする。ねこの拠点が棚の上だったので、床にダンボールを横にして置いたらすんなり寝転んでくれたのは助かった。まだ2階に逃げる元気がある。
食事量も減るのでトイレに💩あるとやったーーー!!!💩あるぞーーー!!と宝を見つけたかのようになるニンゲン、ねこに引かれてたと思う。
相変わらずごはんの摂取量が少ないので、リン数値を気にするよりもなんとか食べてもらおうと好きな味のちゅ~るとウェットのごはん混ぜては、昨日は食べたのに今日は嫌なんですか!?こっちに変えますね!!!!など試行錯誤。気まぐれが凄い。
空腹になると胃酸で吐いてしまうので、家にいる時は2~3時間おきにちゅ~る半分やウェットごはんを与える。2ペロで終わるときもある。食え。
🐱7月17日
2階で寝ていたのを1階の座椅子で寝るようになる。どこでも寝られるのが特技なのが役立つ。
これ以降、急激に痩せていくのがわかるようになる。
軽い。
骨と皮だけじゃんやだーーー!!!もっと食え!!4キロくらいに肥えてくれ!!
実際は2.5kg
しっぽの付け根あたり、骨盤部分が骨の形がわかるほどで、褥瘡が怖くて私の枕をあげた。
顔は元々ほっそりしてたので殆ど変わらないのが救いだった。
🐱7月22~25日
4連休の間、久々にネコチャンが「窓の外を見る」ことを思い出したようす。
が、この時にはいつも通り道にしていた30cm程度のテレビ台にも上がれなくなっている。
窓の前にある棚が定位置だけど、いつも前脚を肘置きのようにしてた窓辺の段差7cmが、ガリガリすぎて高くなってしまっていた。
厚めのクッションを置いたり、窓のサッシをタオルで埋める。窓辺に行くために棚を渡っていたので、窓まで緩やかな階段を作る。
窓辺に行きたそうな時は直接連れて行ったので、1回しか使ってもらう機会がなかった。
寝返りや体勢を変えるのもしんどそうにしているので褥瘡怖いしひっくり返すんだけど、一定の方向が落ち着くのかすぐに戻ってしまう。なんでや。
あまりに食べないので、1日1回注射のシリンジで強制給餌を始める。
とうとうこの時が来たかという感じ。
連休中、ちっちゃい💩1回みただけ。
強制給餌で食べてるのに出てないのまずいな、と思う。
🐱7月26日
🐱7月27日
ネコチャンの首輪に「Catlog」を利用しているのだが、昼から「データなし」になっている。受信機が1階で、2階にいると記録しないのは常なのだけど今回ばかりは話が違ってくる。気が気でない。最短時間で帰宅する。
こんなに緊張しながら家帰ったこと無い。
1階の引き戸が開いていた。最悪のパターン、1階にいながらデータなしは回避した。
2階、少し前までよく引きこもっていた押入れの奥で横になっているのを発見する。
生きてた。安心して泣いたけど、ねこはキョトン顔だった。おまえのせいだよ!!
気が気でない。
帰ったらねこはダンボール寝床で寝ていた。ちょっとくったりしている。
というかよくそんな状態で昨日、重めの引き戸開けて脱走したな!?!??
すっかりトイレには行けなくなってしまい、シートが濡れてないかを確認する回数が増える。
横になるのが嫌なのか、近くの隙間にはまって香箱座りになりきれてない体勢でじっとしている。
連休中、横になっていると前脚の先だけ曲げて上半身起こしてて、変な体勢するようになったと思っていたのだけど、あれは香箱座りしたくても内側に前脚をひっこめる筋力も無くなってたんだな、と前脚を伸ばしたままのねこを見て思い至る。
🐱7月29日
少し仮眠、と朝4時~5時半まで寝る。
ちゃんと息してるのを確認して安心するも、完全に横たわり、呼吸が浅い。
内蔵に負担がかからないよう抱いて、しばらく撫でていると急にむせ始める。
慌てて横に寝かせ、顔と体を撫でながら声をかけていると、一度大きくむせて、そのままねこは止まってしまった。
この間30秒もなかったと思う。
こんな急に動かなくなるんだ。ねこの目と口を閉じる。
直後に同居人が起きてきた。
あと1分早く降りてきてたら……と言っていたが見なくて良かったんじゃないかな。
私も抱かなければよかったのかなと思ったけど、この後どのみち強制給餌だったので抱いて撫でてる時で良かったのかもな、と思うようにしている。
ねこを抱き上げると、首がすわってない赤ん坊よりすわってないので完全脱力したねこは液体だった。
まだ6時にもなっていない早朝、ねこは亡くなりました。
こういう時ってどうるすん?市役所?という同居人に「こんなこともあろうかと、私は事前に頼むところを決めていました」とペット葬儀社のURLを送る。
勝手に決めるのも気が引けたんだけど、卵巣炎症の時点でもう夏保つかどうかの覚悟を決めていたし、それくらいのことを考えてて欲しかったのもあったので。あと夏だし。
春先に実家のねこが無くなった時は、母がお寺でお坊さんにお願いしてたけど、
午前中にいけるかと思っていたら、19:30の予約になったのでびっくり。
直前に同居人がもうひとりの人が休みだから休めない……などと言い出し
「なる……」
と半休だけでももぎ取るという話をした後だったので、全然余裕で仕事して帰ってこられる時間じゃん、と出勤していく同居人。そりゃ電車でカメラロール眺めてたら急に泣き出す不審者にもなろうよ。
その頃私は家で思う存分泣きたくねーー!!と叫びながらひとり号泣していた。
ネコチャンが拠点にしていたダンボールに10時間保つアイスノンを敷き、この時のために事前にストックを増やしていた保冷剤をペットシーツに包み、ねこのそばに入れていく。
片付けるか、と猫砂や爪とぎをゴミ袋に入れ、ねこのごはん皿や水皿、それを置く台を洗う。
いきなり全部片付けるのはネコチャンも「急になんで!?」ってなるかもしれないなと思って、袋に少し余ってた猫砂をトイレに入れ、水皿に水をいれて台に置いた。
ねこにも適応されるかは知らんが四十九日くらいまでは置いときたいな。
冷たくなっていくねこ撫でながらゲームしてた気がする。冷たくなっても毛艶が良い。さすがうちのねこ。
鼻や口から体液が漏れ出てくるのでキッチンペーパーをあてがい、汚れに気づいたら変えてあげた。
動物病院に電話したな。話してるうちに先生も涙声になってて、そりゃ動物好きじゃなかったら獣医なんてならないか~って
考えてるうちに話せなくなったので、また挨拶に伺いますと切ってしまった。
予約時間、葬儀社のスタッフが棺替わりの籐かごを持ってやってくる。ちゃんと絹みたいなきれいな布で、薄手の布団みたいな敷物もセットされてた。
小型犬くらい入りそうな大きさだったのででかい。ねこ横たわらせても半分くらい余る。お花もっと買っておけばよかったな、と笑ってしまう。
お清めや小さい数珠も用意されてて、スタッフが作業するのかと思ったらこちらがやるらしくて、あ、やっていいんだと思いながら体を拭いたり、前脚に数珠を通した。
抱けるのは最期なので、と言われ固くなったねこを抱く。冷たい。
カゴに戻し、お花やカリカリを入れていく。一番好きなおもちゃが「レシート丸めたボール」という超絶安上がりねこだったけどさすがに入れるのはやめた。
ワゴン車に備え付けられた火葬炉にカゴを置き、扉が閉じられる。
ねこの写真をAirDropでスタッフさんに渡したのでこの間に事務所戻ってメモリアルカード作ってくれてた。
生まれ日、没日、四十九日の日付入りのラミネートされたカード。
四十九日あとで調べようと思っていたので助かる。
小さい骨壷で帰ってきたねこ。
遺骨カプセルのキーホルダーもプランに入ってたようで用意してくれていた。
一層ちっちゃくなっちゃったねえ。
🐱8月6日
今受け持ってる中でも一番コントロールが難しい子だったので、本当によく頑張ってたと思います。って言われてそっか、頑張ってたのか。
朝6時半には出勤するので朝の投薬のために毎日5時台に起きたり、は意外と苦じゃなかったなあ。ごはん食べてくれない方がしんどかったしな。
写真を見せたり色々話してるうちに、今こんなこというのも何なんですけど……
といつかまたねこを迎えたくなったら保護猫検討してくださいね、うちも「子猫リレー」っていって預かってる場合があるので、と教えてもらった。
いつか機会があれば今度は多頭飼いしたいな。
🐈💨💨 💨 🐾 🐾 🐾 💸 💸 💸
6/10 ¥6,820 隠れて病院行けなかった日(2週間分の輸液セット)
6/30 ¥19,360 血液検査、造血促進の注射、輸液セット
7/7 ¥14,960 血液検査、造血促進の注射、輸液セット
7/23 ¥18,400 血液検査、造血促進の注射、輸液セット
検査内容が増減したり、輸液セットが1週間分だったり2週間分だったりで幅がでてる。
2ヶ月で¥74,698か……頑張ったな…
6/10はセミントラもあったんだけど、病院の先生が「1回うちのねこに使ったやつだけどあげますねー」ってくれたのでめちゃくちゃ助かった。30ml・6,000円するので(輸入品なので病院によって値段違うと思う)
病院に最後の挨拶行った時に余ってた輸液セット持っていったら返金してくれたんだけど1万5千円返ってきて笑った。多すぎ。
普段から失敗した時用に注射針の予備ももらうんだけど、私失敗しないので予備が減らなかったり、最後頻繁に行ってた時の差分が管理出来てなくてわちゃわちゃですよ。
ねこ財布に入れたままにして、今後は月5,000円づつ入れてってそろそろヤバそうな洗濯機や冷蔵庫やコンロがいつ壊れてもいいようにするんだ……。
まあこれだけかかるので、話題になった東大の「腎臓病の治療法を開発」は全てのねこ飼いにとって大きいんですよ。
この記事読んだからこれだけお金絡ませた日記書こうと思ったくらいなので。
「ネコの宿命」腎臓病の治療法を開発 寿命が2倍、最長30年にも 東大大学院・宮崎徹教授インタビュー
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021070800906&g=soc
ねこの腎不全は高齢猫は高確率で発病すると言われているので、飼おうとしてる人は
きちんと保険に入るなり金銭面を盤石にしてから挑んでくれよな。
7月25日の13時から行われた東京オリンピック 女子ロードレースで起こった奇跡について書いた前回の記事(https://anond.hatelabo.jp/20210727115101)が思いがけず多くの人に読んでいただけたようなので、その時に2位となったオランダ選手についても解説してみました。
そう、前にいたキーゼンホファー選手を見落として自分が1位だと思ったまま、2位でゴールしてしまった彼女の物語です。
名前はアネミーク・ファンフルーテン、1982年生まれの38歳です。
38歳という年齢は選手として決して若いとは言えませんが、現在でもスペインのプロチーム「モビスター」に所属し、エースを務めています。
「エース」というのはそのチームで1番の実力者であり、チーム全員が力を合わせて1位を取らせる人です。
他の選手は「アシスト」となりエースの前を走って風よけとなったりしながら、エースの脚を温存させてゴール前まで送り届けるのです。
そんな彼女が自転車競技を始めたきっかけは、2007年にオランダのワーゲニンゲン大学で疫学の修士号を取得した頃に、同時に楽しんでいたサッカーを膝のケガのために止めることになり、自転車競技に参加するようになったそうです。
スタートは遅かったですが、その後順調に自転車選手としてのキャリアを積み上げ、2009年にはプロチームと契約し、2012年のロンドン五輪では4人のオランダ チームの一員として女子ロードレースに参加して、オランダの選手が金メダルを獲得するのに貢献しました。
そして、2016年のリオ五輪にもオランダ チームの一員として参加しました。
しかし、ここで今回の東京オリンピックで何としても金メダルを獲得したい理由が生まれてしまったのです。
リオ五輪の女子ロードレースは全長137kmのコースで行われ、彼女はゴールまで残り約10㎞という地点で2位に差をつけて単独1位となっており、金メダルをほぼ手中にしていました。
しかし、そこは前日の男子ロードレースで複数の選手が転倒して鎖骨や骨盤や肩甲骨を骨折するという事故が発生していた魔の下り坂だったのです。
そして、ファンフルーテン選手も右カーブを曲がる際に一瞬後輪がスリップしてコントロールを失い、かなりの速度で落車して頭から地面に叩きつけられてしまいました。
その結果、重度の脳震盪と腰椎の3か所を骨折し、直ちに集中治療室に搬送されるという大ケガを負ってしまったのです。
レースは当然、リタイアでDNF(Did Not Finish:ゴール出来ず)扱いとなり、同じオランダの選手が金メダルを獲得しましたが、彼女自身はメダルを手にすることは出来ませんでした。
そんな経験をしている彼女が今回の東京オリンピックでの金メダル獲得に並々ならぬ意欲を抱いていたことは想像に難くありません。
リオ五輪で大ケガをした彼女はその後、事故から10日目には自転車に乗り始め、その年のベルギー ツアーというステージレースで総合優勝を果たすというとんでもなく順調な回復を示しました。
ステージレースというのはオリンピックのロードレースのように1日で終わるワンデーレースではなく、様々なステージ(コース)を舞台として何回もレースを行い、その総合成績で勝者を決めるという形式のレースです。
2016年のベルギー ツアーは全4ステージ、4日間というものでしたが、有名なツール・ド・フランスというような大きな大会になると、今年は全21ステージ、2度の休憩日をはさんで全23日間で3,383kmを走破するという過酷なものになります。
彼女はその後の4年間も様々なレースで勝利を重ねており、万全な体制で東京オリンピックに乗り込んできたものと思われます。
またチームとしても、パレード スタート後あまりの暑さに冷たいボトルを無理やり背中に突っ込んでいる選手もいる中、オランダ チームの4人はオレンジのジャージの上に揃いの白いアイスベストを着ていたことから準備万端整えてきたことが伺い知れました。
ちなみにパレード スタートというのは、今回のコース全長147kmのうち最初の10㎞は観客への顔見せのため、選手全員が先導車の後についてゆっくりパレード走行するというものです。
TVのニュースやネットで自転車の集団が神社の境内に突入していく映像を見た人もいるかもしれませんが、あれはパレード走行中の映像です。
さすがに多くがプロの選手とはいえ、本気で走っている時にあそこを集団で走り抜けるのは無理があるでしょう。
また、パレード走行中も選手同士は集団の中でどの位置を確保するか戦略を巡らせています。
オランダ チームは4人並んで集団の先頭を堂々と走り、キーゼンホファー選手はスタート直後から最後尾を単独でずっと走っているのが確認できます。
そして、10㎞を走ってアクチュアル スタート地点の是政橋を過ぎたところから、本当の戦いに雪崩れ込んでいったのです。
レースは前回の記事で説明したように、スタート直後にキーゼンホファー選手を含む5人が飛び出して逃げ集団を形成し、しばらくは何事もなく進んでいきました。
ところで、逃げ集団は最後にはほとんどの場合、メイン集団に追いつかれてしまうのになぜ良くつくられるのでしょうか。
理由の一つは、万が一にでも勝てる確率があるからです。逆にメイン集団に残った場合、ゴール前までついていけたとしても「ゴール スプリント」と言われるゴール前数十メートルから数百メートルで行われる最後のラストスパート争いに「スプリンター」でないと勝てないからです。
スプリンターというのは長距離は苦手だが、短距離を爆発的な加速力で速く走るのが得意という選手のことです。
特に今回のオリンピックの場合、国毎に参加人数が違うので単独で参加している選手はスプリンターであっても、他の国がスプリンターにアシストを付けている場合、ほとんど勝てる可能性は無かったでしょう。
メイン集団にいると先頭付近にいないとカメラに映ってもほぼ分かりませんが、逃げ集団であれば必ずカメラに映れます。
目立ちたい理由は選手によって「家族に見てほしい」や「より良いチームにスカウトされたい」というものがあるようです。
さらに、有力チームが逃げ集団に選手を送り込んでおくというのもあります。
万が一、逃げ集団が逃げ切ってしまった場合でも勝利の可能性を残しておくという目的もありますが、逆に逃げ集団のペースをわざと遅くさせて、確実にメイン集団が追いつけるようにするという目的の場合もあります。
そしてレースに戻ると、ゴールまで残り約80km弱の地点に近づいた時にそれは起こりました。
ファンフルーテン選手の前を走っていた選手が突然、転倒したのです。
実は前日の男子ロードレースでもまったく同じ場所で5人が落車するという事故が起こっていました。
道路に横たわった選手と自転車を前に彼女もブレーキを掛けますが止まり切れず、相手の自転車に突っ込んで前に投げ出される形となりました。
映像を見ると分かるのですが、2車線道路の中央部分に細い溝のような部分があるのが見て取れます。
どうやら、この部分でタイヤを取られて転倒してしまったようです。
バイクや乗用車のタイヤの太さなら問題ないのでしょうが、ロードバイクの細いタイヤにとっては危険な構造になっていると思われます。
今後もし、同じコースでロードレースが開催されることがあれば何らかの対策が欲しい所です。
幸い速度が落ちていたため大きなダメージは無かったようで、彼女は直ぐに起き上がりました。
しかし、2台の自転車は知恵の輪のように絡み合ってしまってはずれません。
すると、サポートカーから降りてきた男性が2台を引き離してくれ、転倒した選手の自転車は交換となりましたが、ファンフルーテン選手はそのまま自転車に乗り、再び走り始めました。
しかし、落車した瞬間はリオ五輪の悪夢が脳裏をよぎったことでしょう。
ロードレースでは暗黙の了解として、落車した選手がいた場合などは集団のスピードを上げずに、その選手が集団に復帰してくるのを待つという慣習があります。
また、サポートカーを風よけにして後ろを走るのは普段は許されませんが、こういう時は暗黙の了解で許されたりします。
そうして、メイン集団に復帰してしばらくすると、ゴールまで約60kmの山伏トンネルの手前でアタックを掛けて先行し、一時はメイン集団から1分以上先行しました。
しかし、それでも逃げ集団との差は5分以下には縮められず、ゴールまで約30㎞ぐらいの地点でメイン集団に戻ってきてしまいました。
さすがに5分以上先行している逃げ集団に一人で追いつこうというのは無茶だったようです。
レース後のインタビューで3位になったイタリアの選手が「逃げ集団を追う責任はオランダにあった」と言っていますが、これもロードレースの暗黙の了解のひとつで、そのレースで一番強いと思われているチームはメイン集団をコントロールし、レース終盤に確実に逃げ集団に追いつくよう集団のペースを調整する責任があるという考え方が下敷きにあります。
今回オランダ チームはその責任を果たすことが出来なかったわけです。
ファンフルーテン選手が山伏トンネルの手前で逃げ集団を追うべく先行したのはタイミングとしては正しかったと思いますが、さすがに一人で追いつくのは無理なので他のオランダ チームの選手も同調して動くべきだったと思います。
これは単に無線が使えなかったからというよりは、誰がエースで誰がアシストをするかというチームとしての戦略が徹底されていなかったか、あるいは最初からそんな戦略が無かったように見えました。
オランダ チームの4人はそれぞれがすごい人ばかりなので、調整がつかなかったのかもしれません。
終盤はメイン集団の先頭をオランダ チームの4人が並んで引っ張るシーンもありましたが、時すでに遅しで富士スピードウェイに入ってから2位と3位のイスラエル、ポーランドの選手には追いつくことが出来ましたが、キーゼンホファー選手の背中を見ることは最後までありませんでした。
そうして前にキーゼンホファー選手がいることに気がつくことなく、彼女は自分が1位と信じてガッツポーズをしながら2位でゴールラインを越えたのです。
ゴール時のガッツポーズは暗黙の了解として1位の選手のみがするものとなっているため、彼女が自身を1位だと思っていたのは明らかでした。
ゴール後に自分が2位だったことを知らされ、レース後のインタビューで「銀メダルでも美しい」と答えたファンフルーテン選手の胸中はどのようなものだったのでしょうか。
仮に現国の試験で「この時の選手の心境を説明しなさい」という問題があったら、いくらでも書けそうな気がします。
女子ロードレースが行われた3日後の7月28日、彼女は富士スピードウェイのスターティング グリッドに自転車に乗って立っていました。
個人タイムトライアルというのは、ロードレースと違い数分間隔で選手が一人ずつスタートし、単独走行でゴールするまでのタイムを競うという競技です。
今回は富士スピードウェイとその周辺道路に全長22.1kmのコースが設定され男子は2周、女子は1周します。
それも22.1kmを30分13.49秒というタイムで走り切り、2位に約56秒差という圧倒的大差をつけての1位でした。
この差がどれだけ圧倒的かというと、2位と3位は4秒差、3位と4位は7秒差、4位と5位は4秒差でしたので、どれだけ彼女が頭抜けた選手なのかが良く分かります。
最後の走者がゴールして金メダルが確定してから表彰式が終わるまで、ずうっと嬉しさ爆発という感じで喜びの表情だったのが印象的でした。
歓喜の様子はNHKの見逃し配信(https://sports.nhk.or.jp/olympic/highlights/list/sport/cycling/)で「女子個人タイムトライアル」とタイトルに入っている動画の1:12ぐらいから見られます。
しいて言えば、タイムトライアル競技のコースというのは普通、平地が主体のコースとなるのが通例なのですが、今回は富士の裾野にある富士スピードウェイとその周辺道路がコースとなったため、タイムトライアル競技としては珍しく上り下りの多いコースとなっていました。
そのため、タイムトライアル競技に特化した選手は記録があまり伸びなかったものと思われます。
それでも彼女と同じオールラウンダー型の選手も大勢参加していたので、彼女のすごさは変わらないでしょう。
しかもレース後のインタビューによると、タイムトライアル用の自転車にはDHバーという肘を載せるパッドがついた前に2本の棒が突き出した形の部品がハンドルの上に付けられているのですが、棒の先っぽにギヤの変速(シフト操作と言います)を行うためのレバーやスイッチが付いています。
このスイッチが本番で機能しなくなり、ハンドルのブレーキバーについている本来のシフトレバーを使うしかなくなってしまっていたそうです。
シフト操作自体は出来るとはいえ、タイムへの影響は避けられなかったでしょう。
それでもこの圧倒的大差です。
また、件のスイッチはレース後は正常に動作して、レース前の確認でも正常だったため、これは仕方がないということで整備したメカニックが怒られることは無かったそうです。
ちなみに、キーゼンホファー選手は個人タイムトライアル競技には出場していませんでした。
もし、この競技を得意とするキーゼンホファー選手も出場していたら、ものすごく興味深い対決となっていたことでしょう。
こうして彼女の東京オリンピックは今度こそ本当に終わったのです。
その後、彼女はオランダには帰国せず直接スペインに飛び、7月31日に行われた「クラシカ・サンセバスティアン」という全長約140kmのワンデーレースに出場して、最後は独走で優勝したそうです。
東京オリンピックのロードレースで金メダルを逃した影響の心配はいらないようです。
ロードレースの基礎知識を盛り込んだら随分と長文になってしまいました。
今後も機会があったらロードレース観戦を楽しんでいただければと思います。
それでは、またいつの日か。
1年ちょっと前のある日、朝起きると背部にズンと重い痛みがあった。
背中と腰の筋肉が張っていて、振り向こうとしたり体を反らせようとするとさらに痛みが強くなった。
その日の前日は、まあまあ酒を飲んでいたので「酔っ払って変な体勢で寝て、盛大に寝違えたかなぁ」ぐらいに思っていた。
しかし、1日経っても、2日経っても一向に良くなる気配がない。
それどころか痛みが増している。
ちょっと後ろを向こうとしただけで痛い。肩甲骨周りを動かそうとしただけで痛い。痛くて仰向けで寝られない。
行く先々で「物凄く張ってますね」とか「鉄板背負ってるみたいですね」等と言われ、施術を受ける。
施術を受けた直後は一瞬良くなるのだが、次の日になると元通りの痛みに襲われた。
病院にも行った。
まず、整形外科に行ってみた。
レントゲンを撮ってもらったが、骨にも筋肉にも異常はなかった。
結局、湿布と痛み止め(ロキソニン的なやつ)をもらって帰った。痛み止めは飲んでる間は効いたが、効き目が切れるとまた背部が痛んだ。痛み止めは常飲すると内臓がやられるらしく、根本的な解決にはならなかった。
また、消化器系に問題があると背中の痛みが出るらしいので、内科にも行ってみた。
重大な疾患があったらどうしようと思っていたが、血液検査でもエコーでも胃カメラでも大きな問題はなく、尿酸値がやや高いことと軽い脂肪肝であるのが発覚しただけだった。
「この先の人生、ひどい腰痛とずっと付き合っていかなければいけないのか」、だんだんとそう思い始め、背中と腰の痛みから開放されることは半ば諦めていた。
そんな折、今度は右下奥の歯茎が痛くなった。
5月(先々月)の話だ。
踏んだり蹴ったりであるが、放置はできないので、今度は歯医者に出向いた。
レントゲンを撮ってもらうと、右下奥の親知らずが横向きの状態で埋没していた。
そいつが、別の歯と歯茎を圧迫して炎症を起こしているので痛いらしい。
しかも、その親知らずは右側の顎の骨と癒着しており、全身麻酔で切開手術するしかないとのことだった。
仕方がないので、1泊2日で手術を受けることにした。
そしていざ手術の日。
無事成功。
麻酔から目覚めた後、病室のベッドに移り、止血剤と鎮痛剤を点滴してもらった。
手術後数時間は安静にしなければならない。本当は寝れればいいのだろうが、右側口内の違和感が強すぎて、寝れもせずにボーッとしていた。
すると、あることに気づいた。
背中も腰も痛くない。
「あれ?」と思ったが、すぐに鎮痛剤を点滴されていることを思い出した。
整形外科でもらった飲み薬で聞いたんだから、点滴が効くのは当然だ。
結局その後も大して寝れず、次の日になった。
次の日は退院日だ。
退院の準備をする前に点滴を抜かれた。
家に着き、改めて「あれ?」と思った。
まだ背中と腰が痛くない。
点滴を抜かれてからだいぶ時間が経っているし、痛み止めも飲んでいない。
ただその時は、「点滴ってめちゃめちゃ効くんだな〜」としか思っていなかった。
それから数日、先生の腕が良かったのか、私の回復が早かったのか、親知らずを抜いた部分は殆ど痛まなかった。
なので、抗生物質とうがい薬は使い切ったが、痛み止めは1錠も飲まなかった。
いつ再発するんだろうとビクビクしていたが、抜歯から一ヶ月近くたった今も痛みはない。
これはもう、治ったと言っていいような気がする。
かくして、1年以上悩んだ私の背部痛は、親知らずの抜歯により幕を下ろした(っぽい)。
この件はまだ医者に詳しく聞いた訳ではないので、本当に因果関係があるかは不明だが、ネットで調べた限りは私と同じような症例はあるらしい。
高頻度でボルダリングやってたとき、泣くほどつらかった肩こりが消えた(ボルダリング行かなくなったら肩こりも復活した)。
肩甲骨あたりに負荷がかかるような動きが効くようなので筋トレも兼ねて自宅でいろいろ試した。
先にまとめておくと肩・背中というか肩甲骨側の筋肉を動かせられればなんでもよく、もちろん負荷が高いほどよく効いた。
でもその負荷がかかる運動ができるようになるまで時間がかかるので、即効性を求めるなら素直にマッサージや整体に行ったほうが良い。
・片手腕立て伏せ
ちょっと効く。肩こりひどくて寝れない時に10回くらいすると和らぐ。
・ディップス
・懸垂
効く。肩甲骨を寄せるように意識する。連続10回すると肩の重みが取れてスッキリする。
・片手懸垂
かなり効く。1回でも十分。でも出来るようになるまで大変。
・マッスルアップ
かなり効く。1回でも十分。懸垂とディップスを組み合わせたような動き。出来るようになるまで大変。
・倒立腕立て伏せ
ちょっと効く。補助なしで出来ないので壁に足つけてやる。
・片手倒立腕立て伏せ
あまり肩こりがない女性の肩の柔らかさを、ふわふわのマシュマロとすると、俺の肩は硬質ゴムってくらい堅いので、
「あくまでお願いなんですが・・・出来れば閉店間際の10時(その店は24時閉店)あたりに予約を入れていただけないでしょうか。
増田さんのマッサージをする前は1時間あけて最後の最後にやらないと、腕が疲れ果ててしまって、その後の仕事に響きますので・・・出来ればでいいんです。
その代わりと言っては失礼ですが、出し切る勢いでやらせて貰います!」
とお願いされてしまうほどww(いつもごめんね
そんな全く柔軟性がない俺が日常的に愛用してるグッズをお勧めしたい。
堅さ的には、さほど堅くもない中レベルといったところですが、力を入れて押すと潰れる位の堅さの突起が、押して欲しい所にグイっと入ってくるので
寝っ転がっていると、溶けるような気持ちよさがある。腕を大きく動かして、肩甲骨を動かすと、丁度いい所に入るポイントがみつかって更に気持ちよくなれます。
痛みは殆どなく背筋を伸ばすストレッチ効果+突起による弱い指圧効果で、背筋すっきりな感じが味わえるので、目覚めの一発に丁度いい!
この気持ちよさ、朝から肩こり万歳な感じですよ。肩こりとは無縁のマシュマロ肩の女性は、寝たし十分スッキリしてるといいますが、そんなのは勿体ない。
木製なので堅さが抜群。幅を自分で決めることが出来るので、丁度肩甲骨あたりに来るようにして寝っ転がると、よだれが出るほど気持ちいい。
木製で堅いので流石の俺でも20分も寝っ転がってると痛みを感じるくらいですが、疲れ切ってる時には最高に気持ちいいですね。
マッサージ師さんに肘を入れてもらって肩甲骨周りを押してもらってる時くらいの刺激があります。ツボに入った時は脳汁ドバドバでてますね。
肩がマシュマロの様にふわふわの女性には、この良さがわからないという。
生きててこんなに気持ちいい事はそんなにないですから、肩こりがないのは、もはや弱者といっていいレベル。
目下のところ超愛用品、毎晩使ってます。こいつのいい所は、肩甲骨と背筋のちょうど刺激したいところにジャストで突起部分が当たるって事で
この上に10分くらい寝転がっていると口から涎が垂れるレベルで気持ちいい。堅さはかなりある方なので痛い人には痛いかもしれないけど
超肩こりの俺にとってはご褒美レベルの刺激が入るので、肩こりない奴はこの気持ちよさが分かんねーのかーかわいそー
これは指圧効果的なものはなくて、寝っ転がって手を平泳ぎ要領で動かしていると、肩周りと背筋が延ばされてチョー気持ちいい。
肩甲骨をグリっと押して欲しいって時には、全然なのでストレッチポールで体をほぐした後に指圧コンボでセルフマッサージするために使っています。
脇腹とか、指圧器具では伸ばせない様な筋肉を伸ばして筋膜リリースが出来るのがいい感じです。運動にもなるのでいいですね。
肩がマシュマロの様にふわふわの女性には、このくらいが丁度いいらしいですが、こんな程度の刺激で満足とか哀れですね。
夜、疲れて帰ってきてちょっと走って風呂に入った後の寝る前の30分ほどを、音楽でも聴きながら寝っ転がって「あー」とか「ウー」とか言いながらセルフマッサージしてると
今日も一日がんばったなぁなんて満足感と共にリラックスしつつ眠れるってもんです。マシュマロ肩の女性は、変な声出して気持ち悪いとかいう訳ですが
肩こり弱者じゃ、永久にたどり着けない境地なんですよ。毎日毎日怠さと付き合って来ている選ばれしものだけが味わえる最高のリラックスタイム、これがない人生とか最高なんでしょうね!
・キリがないので重賞馬に絞ってある。
・【】内はおもな勝ち鞍
・調教師から「重賞を勝てる馬」と太鼓判を押され、素質はおおいに期待されていた。
・デビュー前から喘鳴症を患って初出走が大幅に遅れる(3歳時の6月)。
・条件戦では走りさえすれば勝てるような馬だったものの、4歳春に屈腱炎で一年半以上レース不可能になるなど脆弱な体質に悩まされ、6歳になるまでの出走回数は6回のみ。うち4勝。連対から外れたことは一回だけ(そのときも3着)だった。
・6歳のシーズンにようやくまともにローテが組めるようになり、プロキオンSで初の重賞制覇……が、またも故障で予定していたGIレース出走を取りやめに。
・7歳の6月に復帰したもののそのレース後にまたまた故障。さすがにもう高齢ということで引退。
・2005年のデビュー二戦目で重賞である新潟2歳Sを勝ち取り、アグネスタキオン産駒初の重賞馬となる。ちなみに産駒中でGI初制覇はNHKマイルを2006年に制したロジック。
・同年の朝日FS(GI)でも四位入着を果たし、アドマイヤムーンやメイショウサムソンといった2005年組のクラシック有力馬の一頭と目される。
・が、皐月賞で18頭中17着のブーピーに沈むと、放牧に出されて長期休養。復帰したのは皐月賞からちょうど一年後の4月だった。
・復帰後はファンも驚くほど精彩を欠き、15戦でわずか1勝。5歳以降は入着ラインにも達せなかった。
・それでも2歳時に輝きを信じて走りつづけたが、8歳時のレース後に脱臼が発覚。予後不良。
【エリザベス女王杯(GI)、有馬記念(GI)、桜花賞(GI)、秋華賞(GI)、大阪杯(GII)、ローズステークス(GII)】
・感冒でオークスを回避、調教中にウッドチップが目に入り角膜炎に罹ってドバイ遠征中止、骨瘤でヴィクトリアマイルと宝塚記念に出走不可となるなどつまづきが絶えず、最終的には屈腱炎で5歳のシーズンを見ることはなかった。
・それでも牝馬クラシック2冠や有馬記念を含むGI4勝をあげたのだから凄まじい。同世代のウオッカととも牝馬の枠に収まらない名馬として讃えられた。
【シンザン記念(GIII)、弥生賞(GII)、京都記念(GII)、】
・当初は順調にクラシック路線の前哨戦を勝ち上がり、皐月賞トライアルの弥生賞を勝つも、本番では4着に終わった。
・それでもダービーでは3着と意地を見せ、玉座も伺える実力を証明。そして三冠ラストチャンスである菊花賞へ……と進む前にダービーのレース中に骨折を負っていたことが判明。半年間の療養へ。
・復帰後は京都記念に勝ったり海外GIに挑戦したりと健在をアピール。人気投票で宝塚にも出走……だが、ドベに終わり、レースから数日後にまたも骨折が発覚。5歳時の年初に復帰したものの、この年は早々に故障して一走だけ。6歳の夏に引退。
・骨折を重ねた割に無事(?)に競走馬生を終えたものの、種牡馬となって以後の11歳のときに肩甲骨の粉砕骨折で予後不良。人間でいえば40歳ほどでの死だった。
【NHKマイルC(GI)、東京優駿(GI)、神戸新聞杯(GII)、毎日杯(GIII)】
・デビューから初勝利まで6レースかかった。だが、4歳時に鞍上に四位洋文を迎えて毎日杯を制すると、その後はNHKマイル、日本ダービー、神戸新聞杯と重賞四連勝。その後もGI戦線で上位争いを繰り広げ、一時は凱旋門賞出走プランまで持ち上がったものの、4歳時の8月に屈腱炎を発症して引退。引退後は種牡馬としてGI馬も輩出している。
【皐月賞(GI)、デイリー杯2歳S(GII)、朝日チャレンジカップ(GIII、二回)】
・父アグネスタキオンとおなじ皐月賞馬となったものの、やはりその後に父同様故障でクラシック戦線から外れてしまう。
・ただ父とは違って6歳のシーズンまで戦った。故障からの復帰後はGIレースでこそ目立たなかったものの、朝日チャレンジカップを二連覇するなどGII以下では存在感を示した。
・やはり体質の弱さからややデビューが遅れ、皐月賞には間に合わず。それでも青葉賞を勝ってダービーに出た。
・ダービーでは七着に終わったものの、菊花賞には出よう……としてやはり故障。クラシック路線はここで打ち切り。どころかその後は一年半もレースに出られなかった。
・復帰後はオープン戦で微妙な順位に入線する微妙な感じの馬になり、全く勝てなくなる。ラストランではなぜか障害の未勝利戦に挑戦して五年ぶりの一着になるも、そのまま引退。タキオン産駒が障害なんて死んじゃうよ!とドギマギしたファンもほっと胸をなでおろした。
・かねてから素質の良さは評価されていたものの、デビュー後はややもたついた。それでも3歳2月にきさらぎ賞を獲ると皐月賞、ダービーでは入着馬(4着、5着)となり、菊花賞こそは陣営は意気込んでいた。
・……ものの当然のように骨折(調教中)。そのまま3歳シーズンが終了。
・復帰するとやはり勝てない馬と化してしまい、重ねて屈腱炎を発症。5歳シーズンはろくろく走りもしなかった。
・それでも6歳シーズンには関屋記念(GIII)を勝ち、重賞コースに返り咲く。が、翌年にまたも骨折。復帰したときは9歳の11月で、一回だけ走ってドベで引退。