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はてなキーワード: 凄惨とは

2019-10-12

最近は2chにしてもツイッターにしても国家にしても何もかも的外れだな

 やれ日本人は最悪だとか、他人は最悪だ、人間は醜い、などというぴんとこないことをつぶやいたり思っている日本人が多い

しかし、日本人は、東欧人やロシア人のように、常に戦争し合っていたり、凄惨犯罪を行うような凶悪人種ではない

 日本人が最悪なのは、主に、本質的かつ執拗に、その内面が幼稚で最悪(考えることが愚劣だし自分のことしか考えてない)

ということだが、さいわいなことに、個々人、そういう頭を持っているというだけで、凶悪なことを必ず実行するわけでもないし

頭は最悪だけど肉体は弱いし、凶悪なことを実行するだけの道具も腕力もないから、日本人は、「ひょい」っと最悪なことをする

程度で、東欧人やロシア人アメリカ人のように、銃で人を殺したとか、そういうことはできない

 要するに、日本人の中で、他人は最悪だ、などと言っているのは、自分も最悪なことを知りながら他人も最悪だから他人は最悪だ

と言ってるだけで何も本質を突いていない

 日本人は確かに最悪な側面はあるが、一貫して最悪ではないし、状況に応じて、例えば育てるのが面倒臭くなった子供母親ふいに

踏み潰して殺していなかったことにするとか、ヤクザになった奴が、時期によって俄然活躍して中国から仕入れピストルを使って事務所

打ちこんで抗争するふりをして日本女を威圧するとか、そういうクソキチガイな点において最悪というだけであって、日本人のもの

脳は最悪だが、ほとんどできないので危険性がなく、本当に最悪なのは昭和時代から国家から死刑にされていたごく100名程度の

脳も最悪で、屈強な男になったために最悪なことを実行する能力もある、凶悪さにおいてアメリカ人東欧人も超える日本の男であり

そんなことは昔から論じられていたが、誰もそういうことを論じなくなった

2019-10-08

植松被告京アニ事件を「恐ろしい事件ですね」と語ったのは月間「創」編集長である篠田氏という方が、接見に行った時の事です。

その日の植松被告との接見では、そのほか京都アニメーション悲惨事件などについて話が及んだ。

「恐ろしい事件ですよね。ああい犯人を世に出しておいてはいけない」

 植松被告はそう言った。京アニ事件直後の手紙でも彼は同じ感想を書いていた。

 相模原事件も相当凄惨事件だったと思うが、彼は他の凄惨事件、例えば外国で起こる大量殺傷事件などについても「恐ろしい事件だと思います」と感想を述べる。他の事件についてはごく常識的感想で、それと自分自身事件がどういう違いとして彼の頭の中で整理されているのか。本人に聞くと自分事件は全く違う、というのだが、世間はそう考えていないわけで、私はいつも不思議に思っている。

2019-10-04

まだ戦後にいる

父親が殴るひとなのはなんでなのかな、とずっと考えてきた。

うちの父はひとでなしではない。

ごく一般的良心正義感くらいは備えている。

やさしくされたことくらい、いくらでもある。

ただ、怒りで我を忘れたとき、自制がきかなくなるだけだ。

その不安定さと、不安定である自分を黙認できてしまう狡さはどこから来るのか。

わたしはずっと疑問だった。

父は保守的田舎で育った。

そして体罰普通に罷り通っていた時代学校生活を送った。

自身自分父親や周囲の大人に殴られて育った。

実際、なんでもない思い出話として、虐待しか言いようのないエピソードを聞いたこともある。

殴ることへの罪悪感の薄さは、きっとごく普通に殴られながら育てられたことによって生まれた。

当然のこととしてきた常識を、父は疑っていないだけなんだろう。

当然と思わなければ、きっと生きていかれなかったから。

なるほど、理屈としては理解できる。

でも感情は納得しない。

わたしは再び、なぜと繰り返した。

なんでうちの父は殴られて育ったの。

誰のことなら責めてもいいの、とその問いの意味は同じだった。

わたし知識を蓄え、考え続けた。

そして、ある推察を得るに到った。

父を殴って育てた、祖父の推察だ。

祖父は早くに父親を亡くした。

若者というだけで召集令状が来るような頃、祖父は同年代より早く正真正銘家長となっていた。

から赤紙は、祖父には遅れて届いたらしい。

家父長制的な配慮祖父には行われた。

遅れて兵隊にとられた祖父は、内地出世した。

階級的にはたかが知れているだろうけど、ともかく内地で新兵の訓練に当たった。

祖父はどんなふうに訓練をつけたのだろう。

当時の軍隊では体罰が横行していたと聞くけれど、祖父も殴っていたのか。

殴れる立場になる前に、祖父も殴られただろうか。

そうして、お国のために玉砕しろと言って、新兵を戦地へ送り出したのか。

そもそも、友人たちが次々に出征していくのを、祖父はどんな思いで送り出していたんだろう。

赤紙が来たとき果たして祖父はどんな感情に襲われたのか。

今となっては分からない。

祖父戦争のことを語らないまま死んだ。

祖父内地終戦を迎えて家に帰ったけれど、祖父と同年代の友人たちはほとんど誰も帰らなかったそうだ。

その状態で、待たせていた妻と幸せ家族を築けと求められことは、どんな気持ちになるのか。

祖父はひとでなしではない。

孫にはやさしい祖父だったし、昔のひとには珍しく体調不良祖母に代わって父の弁当を作ることもあったそうだ。

自分だけ生き残って、未来を生きていくことを、祖父はどう感じたのだろう。

耐えがたく、許されないことに感じられたとしてもおかしくはない。

祖父戦争の話をしなかったのは、できなかったから。

罪悪感が祖父の口をつぐませたからだと考えれば、筋が通る。

祖父戦地に行かなかった。

凄惨戦場経験していない。

から戦闘撤退戦過酷さが祖父沈黙を強いた訳ではない。

そのくせ、出世話で自尊心を満たし、死を免れた我が身の幸運をひけらかす道を祖父は選ばなかった。

復興していく日本、生まれる我が子。

祖父の目にはどう映ったのか。

幸せ自分からぶち壊そうとするしかできない夜。

殴って、殴った自分を許容させて、ほら俺は悪いことなんかしていないと自己正当化したくてたまらなくなった夜。

そういう夜があったとしても、理解はできる。

酒に溺れ、妻子に手を上げた理由を察することができる。

サバイバーズ・ギルトPTSD

今ならば祖父に何が起こっていたのか説明してくれる言葉がある。

当時はなかった。

PTSD最初に診断されたのはベトナム戦争帰りの兵士だ。

第二次大戦が終わったばかりの日本で、戦争精神的な後遺症は見逃された。

少なくとも、祖父は見逃された。

誰も祖父を、父を、救わなかった。

父を殴った教師なかにも、きっと救われなかったひとはいる。

かつてカミナリ親父と呼ばれた年配男性日本中にいただろう。

その情緒不安定さのどれだけが戦争の招いたものだったのか。

誰もそんなことは追求せず、もはや戦後ではないと言われ、時が流れた。

わたしは殴られて育った。

もはや戦後ではないんだろうか。

本当に、戦後ではないんだろうか。

それなら、なんでわたしは殴られたの。

この身を苛む恐怖はなんなの。

ねえ、わたし、誰のことなら責めてもいいの。

誰のことも責められないで、わたしが悪かったのかと疑いながら生きていくの。

責任を負う立場に誰もいない。

わたしはせめて戦争暴力を憎む。

戦後まれの、戦争を知らない平和ボケした日本若者であるらしいわたしは、せめて戦争暴力を憎む。

2019-08-20

連休明け直前は

むしょうにグロ見たくなる

世界で起きている凄惨現実垣間見ると妙に落ち着くというか

明日から仕事もやっていくかって気分になる

2019-08-18

ネタバレ考察】天気の子に隠されたTYPEMOON作品との共通点

ムーっぽいことを書きます。苦手な方はご注意ください


まずタイトル

天気の子は『10きのこ』つまり奈須きのこ意味している。

10は『空の境界』で活動開始した1998年、つまり平成10年だ。

この年は映画ディープインパクト』と『アルマゲドン』が公開された年でもある。

そして阪神淡路大震災の3年後という年でもある。


Fate/stay night』およびその前日譚『Fate/Zero』で舞台となる冬木氏は神戸モデルと言われている。

冬木の大災害阪神淡路大震災の衝撃を元に書かれたものだろう。


Fate/Zero』の結末はこうだ。

願いが意図せざる形となってしまい、町ひとつを巻き込む災害へとつながってしまう。

要人である衛宮切嗣は、あまり凄惨さに憔悴するが、そこで奇跡的に生存したひとりの少年を救うことになる、というものだ。

ここで衛宮切嗣重要な要素として、銃、そして島での出来事があることを付け加えておきたい。


また、作中には冬木大橋という神戸大橋モデルにした橋が重要な場面で登場する。

天気の子ではレインボーブリッジが、序盤のフェリー・中盤のお台場・終盤のフェリーと3回描かれていることも強調しておきたい。


そして最後に、天気の子に月が全然出てこないという点だ。

曇っていて見えないというのもまあそうなのだが、

月が重要ゆえにあえて見せない、そういう意図があったのではないだろうか。

2019-08-07

何故あいちトリエンナーレはここまで社会の関心を持つようになったのか?

報道や各種メディア個人が様々な媒体で伝えているこの事柄に対して、私個人のごく私的見解など、どうしようもない話の一部になるのだろうけれど、つらつら書いてみようと思う。

検閲

今回発生した問題検閲問題ではない。現在紙面やネットで騒いでいる検閲という問題は、当事者の手を離れた部外者による場外乱闘であった。扇情的な展示に対して、権力を扱う不用意な政治家が、自制せず権利侵害する発言を行ったことは大問題であるが、ここまでくるともはや展示云々ではなく、国家自治体による権利侵害(の実行又は脅迫)という、大事問題だが、別方向の問題として切り離して考えるべきで、後述する問題を覆い隠してしまうことになる。展示を取りやめたのは、大量の抗議や脅迫犯罪予告により、芸術祭にかかわる方々の安全を確保できなくなったという状況に陥り、該当展示の実行委員会(実行キュレーター)の同意なしで中止に至ったという顛末理解している。

税金使用したイベントについて

芸術市場が大きい欧米諸国に対し、日本国は元々芸術品の売買に対して諸国のような減税優遇措置をとっておらず、バブル期を除き、民間ギャラリーを経由した売買や、流通操作伝統工芸品を大型百貨店の展示場で、国内のみ通用する相場販売する程度であったが、バブル期90年代の大型公共投資連続からハード面での地域振興策資金コンプライアンスの両面で実行が不可能になった自治体における「少額で、短期間で既存インフラ活用でき負担が少なく、運が良ければ国際的知名度を上げることができる。」ツールとして、この10雨後の筍のように芸術祭が乱立する事態となった。そこでは、ノウハウのない自治体が、自称地域文化担い手である新聞社に丸投げ、そこからコネ採用された力のないキュレーターは、自身の貧弱なコネクションで囲い込んだ微妙作家しか呼べず、投下した税金の割に貧相な芸術祭になった場合自治体が運悪く山師に金を預けてしまい、多額の不適切支出泣き寝入りになった場合。など皆さんが思っている以上に税金使用したイベントにはトラブルが多い。税金が投入されるイベントは前提条件として・補助金申請等の手続煩雑・大小の自主規制や、地域ルールに縛られる・税金が原資なので、疲弊した財務状況の自治体では開催不能批判を招く場合がある。税金芸術より生活政策資金が回されるのは当然である所詮流行りの水物なのだが、皆さんが思っているより所謂コスパの良い地域振興策なのでなくならないだろう。

表現の自由

今回の問題では、アートと異なる展示がなされているという意見が多く出ているが、大きく表現の自由と括られる中でも、その自由の元に「どの媒体で」「どのような手段で」「どの程度の深度で」、成果物として表現しているかは人それぞれ、所属する社会により異なるという点。またアート政治と不可分であるが、極端な扇情アジ)を行わなくとも、その行為そもそも自由行使しなければ表現できない、自由平和な状況でなければ創作活動はできず、人の創造性を発揮できない点が大前提であり、自由の中で個々人が世界との関わりの中で何らかの美醜混じった真理を見つけ、それを昇華したのがアートとすると、今も表に出ない問題の一つ、表現の自由行使する媒体手段の衝突という背景が見えてくる。

新聞社や論壇を中心とするジャーナリズムは、文字を用い、抽象化している諸概念文章化し、権利自由を、守り、啓蒙し、扇情したりするわけだが、小説などと異なり「直感的に察する/察させる」機能は弱く、相手文字化、文脈という論理化してしまった問題に対し、「同意するか」「同意しないか」の二者択一を求めてしまう。そして問題となった展示は、実行委員会の多くが学者又はジャーナリズム出身という状況で、同じ表現の自由でも、性質が異なる表現を行ったことが原因にあり、一般市民が考える「アート」とイコールにならなかった。「これはアートではない」という声である表現はしているが、アートではないと。

ステートメント芸術、或いはキャプション芸術と呼ばれるもの

アーティストと名乗る作家にも問題がある、この「ステートメント芸術」と揶揄される表現は、業界に詳しくなれば詳しくなるほど根深く、呪いともいえる。

アートという行為物質/空間/映像/音楽意図が伝わるよう、意識特定ベクトルへ向けるよう誘導し、表現しなければならない所なのだが、その実力がない作家の中に、延々とそれらしい説明文を付けて意味づけする行為や、文脈という補助要素を主要素に持って来て、実態だけを見ても理解不能となる。そのような作家は大体退場していくのだが、言葉が主戦場ジャーナリズム界隈と親和性が高いので、変な形で融合してしまうことがある。

文脈を追うのが現代アートだ」という解釈誕生である。一面では事実だが、全てではない。

ビジネス世界でこの行為を言い換えた表現としては「ストーリー」という言葉がある、そしてこれを最大限活用した米国企業セラノスの末路は多くの人を巻き込み凄惨ものであった。

・何が問題だったのか

監督芸術キュレーター経験がなく、自身の分野であるジャーナリズム文脈解釈した表現を、芸術祭ねじ込んだ為、酷く食傷を起こしてしまった。

食傷を起こしてしまった後の対応が、構造理解している人の不足で収まっていない。

食傷を起こした理由は長々と書いた。経緯として自分たち表現の自由最前線で、他の作家は何も考えていない。ように捉えられてしまキュレーション自由世界におけるジャーナリズム優越性)をしてしまったのが原因にあると考える。結果、津田氏がFM番組発言したように「自分一人ならナイフで刺されてもいい覚悟だが、関係のない人を闘争に巻き込んでしまった」という発言につながっている。

表現自由であるから闘争を持ち込むなとは言えないが、徹底的なゾーニングと仕掛(言語化できている主張表現に容易にアクセスできる導線を作る)ことが必要であった。言語化できている(と思われる)主張表現に対して、実態が追い付いていなかったのではないだろうか。

不特定多数威圧行為は、少数で行う創作活動にとって凶悪暴力であり、過去も多々あり、これからもなくならない。すべての事柄に寛容な社会など来ないし、永遠に付き合わなければならない。

②をわざわざ書いたのが、今回の騒動で最も被害を受けている、他の参加作家に対して謝罪対策を行っているのかよくわからない状況だからである

・誰が最も被害を受けたのか

昨日声明文を出さざる得ない状況に追い込まれた、他の参加作家である。それぞれの表現を深化させて今日を迎えているが、キュレーターバランスを取らず、独自プレイヤーとして創作活動我田引水した結果。必要のない状況で、自身作品を見てもらうという重要事柄を達成されないまま原理原則論確認や主張を行わされたのは、イベント主催者として責任が重大である表現の自由大事だと言うに決まっている。また、作品撤収せざる得ない状況に追い込まれ海外から参加者に対して、展示機会を奪った結果になった事も忘れてならない。マスコミが何をキーヴィジュアルとして記事にするか理解して、扇情的人形を配置しているのは明白で、記事を見た輩が抵抗/抗議を通り越して、挑発解釈してしまった訳である撤収した2人は、必要のない場面で・積極的日本側の行為に抗議を行う・無視した場合自国内で起きている扇情的民族主義の標的になることを避ける。2者択一判断に迫られた。

昨日声明に協賛したのは参加作家全員でないだろう、検閲を受けたわけでもない、こういうキュレーターミスによる騒動に対してのスタンス作家ごとに異なるのは当然である

・なぜここまで注目が集まったのか

芸術本質的生活必需品とは言えない。生活環境が改善し、可処分所得余暇がある状況下で初めて人は関心を持つようになる。今の日本問題は起きているが、ネットで百家争鳴する位この国は文化的に成熟しており、得体の知らない世界に関わりを持ちたい気持になったのは素晴らしいと思う。物事の全ては飛び込んでこそ妙が分かる。威圧脅迫はださく醜悪である。そしてアートはこんな長文も飛び越えて一瞬であなた感性に突き刺さる力を持っている。

2019-08-05

選挙犯人のこともどうでもいい【京アニ事件のこと】

【辛い描写が出てくるので閲覧ご注意ください】

京アニ事件があった。あれから、友人に連絡が取れない。既読のつかないライン、夢に出てくる彼の顔、10分置きに被害者リスト検索をかけている。

多くの人が、今日アニのために祈っている。多くの人が、募金箱にお金を入れる。多くの人が、「生きて真相解明を、生きて罰を」と望んでいる。多くの人が失われてしまった京アニ財産を悼み、多くの人が有名な監督の安否を気遣う。それは当然のことで、現実的なことで、そしてとても尊いことだと思う。

そのうえで、僕はこの文章を綴る。

なお僕はこの事件のずっと前に、人を焼死というかたちで失くしている。最後吐息を、苦しむ様を、肌を、僕は知っている。それがどれほど凄惨ものであるかを、知りたくもないのに、僕は知っている。


僕は彼が好きだった。彼が夢を叶えるためのあの場所に、どれほど頑張ってたどり着いたか、どれほどの夢を見ていたかを僕は知っていたし、彼の仕事への姿勢を、僕はとても尊敬していた。一緒に作り上げてきたものがとても素晴らしいものであったことを、僕は誇りに思っている。

こんなことを言うと怒られるかもしれない。でも、僕は、彼が「著名な人間」ではなくても彼を愛していたし、彼が彼の仕事をしていなくても彼のことが大好きだった。

多くのアニメーターさんの命が失われた。文化消失であり、文明への許せない反逆だ。

多くの人が僕と同じように苦しんでいる。34人の方々の、怪我をされた方々の近しい人たちが、みんな苦しんでいる。直接に関わりのなかった人も、心を寄せ、その無事を祈っている。だから僕は、決して僕が僕と分かる場所で、この言葉を吐きだすことはしない。だってそれは、「35人の方々の、怪我をされた方々の」近しい人への暴言になるかもしれないからだ。

でも、ここでだけ言わせてほしい。

文化資料の損失、それに思いが至らないくらい、僕はただ、個人しかない、僕の友人のことが、ただ心配している。その無事を祈っている。

有名な監督の安否を心配する声が流れるなかで、僕はただ、「一個人」であった、まだ名前も出ていない彼の安否を願って夜をすごしている。優秀な技術者だったから、彼を、彼たちを、彼女たちを心配しているわけじゃない。名付けられないスタッフひとりひとりに、その無事を祈る人間がいる。そのことを、どうかだれかひとりにでも知ってほしい。


募金ニュースと再建のこと

多くの人が京アニのために募金をし、その再建を祈り、願い、思いをはせている。とても尊いことだと思う。多くの人が「お金では何も戻らない、でも何かせずにはいられない」と考えて、お金を入れている。僕ももちろん入れた。

だけど、多くの人が言っているように、京アニが復活しても、そこには34人の姿はない。

これは決して、「募金をするのが無駄だ」とか「偽善だ」とかじゃない。入れている人達の多くが、戻ってこないことを承知で、それでも自分にできることを探して、大切なお金を入れている。それが前を向くための力になることも知っている。

からこれはただのやるせなさとどうしようもなさと無念さで言うのだけれど、人の命はお金では買えない。戻ってこない。決して。それにどうやって折り合いをつけたらいいのだろう。

今まで何度もこの言葉を聞いた。僕はそれをわかっているつもりだった。でも、全然わかっていなかった。被災地に、犯罪被害者の方々に届けと入れてきた多くの募金は、それでも僕にとっては「他人事」だったことに気づく。本当にごめんなさい。

選挙のこともほかの芸能ニュースも、申し訳ないけれど、僕にはどうでもいい。だって彼らは生きている。選挙には行ったけれど、世の中のあらゆる動きは、僕にとってはどうでもいい。それらにもとても大切な意味があるということを、今の僕は「知って」はいても、どうしてもクリアには「感じ」られないのだ。



犯人について

犯人の話も出ている。よく見るのは

1.犯人の背景の話

2.生きて償え、生きて真相を語れ

3.これから二度とそんなことが起きないようにするために、対策必要

という3つだと思う。

1については正直、どうでもいい。犯人の背景にどのようなものがあろうと、その男が全き加害者で、京アニ人達が全き被害者であることは間違いがないからだ。精神障害があった? 苦しんでいた? それがなんだというのか。それによって差別がうんぬん、という話すらどうでもいい。

その男の背景に思いを馳せてその男を許そうとすると考える人がいたとして、そしてそれが今回の件のご家族なのだとしたら、僕はそのご家族勇気に敬意を表したいと思う。

そうでなければ黙ってろ。その男の背景を持ってその男擁護する人には、夢を希望を奪われ、苦悶と壮絶な痛みのなかでもがき苦しみ、喉がやけて息ができなくなって、「なぜ」の声も届かないまま死んでいく己の家族を見ても言えるのかと聞きたい。

こういうことを言うと、「仮定の話をしても無意味だ」と言う人もいるだろう。だが、「仮定の話」を考えることができないのであれば、その人は想像力共感力の欠けた化け物なのだ僕は思う

2はよく見る意見だし、僕にも分かる部分がある。僕と同じ立場の人でも、このように望んでいる人もいるだろう。ただ、それでも、僕はあくまで僕だけの考えで言いたい。今まで一度も言わなかった言葉で、僕ははっきりとこう言いたい。「死ねばいいのに」ではなくて、心の底から言いたい。

「どうか、死んでいてくれ」。

刑罰を受けなければならない」「神格化されてはならない」「真相を究明しなければならない」という意見は本当にその通りなのだけれど、僕はあの男がたとえ生きていたとしても、僕たちが望むような刑罰も、僕たちが望むような真相も、齎されることはないと思っている。

日本法治国家だ。だから僕は、その男拷問によって死ぬべきだとは決して言わないし、その男家族に累が及んではいけないと考える。だが、そうである以上、あの男に下されるのはたとえ死刑判決であっても安寧に満ちた「首吊り」という終わり方に過ぎないのだろうし、そしてそれが実行されるのは何十年も後のことになるだろう。

真相などない。狂人真相などない。そしてたとえ真相が語られたとしても、亡くなった方が生きて帰るわけじゃない。亡くなった方は声をあげることもできずに命を引き取ったのに、なぜあの男にだけ法廷で声を挙げる権利が許されるというのか。なぜ、自らの、けったくその悪い最低最悪の言葉を、「真相」という言葉で語ることが許されるのか。死刑廃止論とかそういう議論に使われるのもごめんだ。私怨で構わない。

死んでくれ。死んでいてくれ。死んでいてくれ。どうか、死んでいてくれ。

これから二度とそんなことが起きないようにするために、対策必要

3の意見もよく見る。たしかに正しい話だし、二度と同じことが繰り返されてはならない。再発があってはならない。

でも、この言葉を語る人に、反論ではなくて、ただ本当に純粋に聞きたいのだ。

セーフティーネット孤独を感じる人へのフォロー世界が裕福になったとして、本当に『狂人』が現れないと思いますか?」と。

孤独が人を狂わせることはたしかにある。セーフティーネットがあれば防げていた事件もあるだろうし、実際に防がれたこともあると思う。そういう意味では、これは有効だ。

だけれど、どのようなきめ細やかなネットであっても、そこから漏れる人は必ず出てくる。ネットに引っかかっていたとしても、犯罪を起こす人間はいる。

今回の事件は、「社会が悪かったから」起こったんじゃない。社会がよくなっても、事件を起こす人間はいなくならない。

それに、亡くなった人は、「次の事件が起こらない布石になるために」死んだわけじゃない。このような発言をする人も、決してこんな意味で言っているのではないと推測はできる。

歌の歌詞ではないけれど「意味のない悲しみはないと思う」と僕も願いたいし、今までずっとそう思って生きてきた。そしてそうすることが、この痛ましい事件から立ち直る方法ひとつだとしても、それでも僕は、「対策から外れる人間がいることも知っているし、このような事件がまったく起こらなくなるわけではないと知っている。

「今回の事件から学ぶ」「二度と同じ思いをしない世界へ」これはたしか意味のあることだ。

だけれど、「今」亡くなった人は、二度とかえってこない。

その言葉ネットに流す意味を、「今」亡くなった人がいた・その人を愛しく思う人達がいるネットに流す意味を、どうかお願いだから考えてほしい。


残された人のこと

未来を夢を希望一方的に奪われた犠牲者の悲しみを、僕は決して「分かる」なんて言えない。言える筈がない。僕が思いを馳せられるとしたら、「残された人のこと」だけだ。

楽しく語り合った時間、一緒にとった写真、ともに作り上げた作品。それらはすべて優しくて面白い思い出の筈なのに、一番つらい記憶と重なることの残酷さを僕は思う。思い出となるものが、一番苦しい記憶に重なって、そしてそれは決してなくなることはない。思い出が鮮やかであれば鮮やかであるほど、夢と希望と命を奪われた愛する人の胸を苦しみを思い出してしまう。

僕は人の死を何度も見てきた。だけれど、「だれかに理不尽に、奪われた命」は、また違う意味を持つ。命の尊さやご家族の苦しみに優劣や軽重はない。それはわかったうえで(僕自身も、それの経験者だ)言う。故意に、だれかの手によって、理不尽に、身勝手に、苦しみを持って愛する人を奪われたことの慟哭は、その人と紡いだ楽しい記憶さえ蹂躙してしまものだと。

もうひとつ

僕は彼と、随分「大人」になってから知り合った。子どもの頃からの付き合いとは異なり、多分彼の交友関係もまた、彼の家族はそれほど明確に把握はしていなかったと思う。

から、彼の名前公式で発表されない限り、僕は彼の安否を直接的に知る方法ほとんどない。あらゆる方法で連絡をとったけれど、ご家族がそれを目にして、そしてご返信をされない限りは(当たり前のことだけれど、それを強制するわけではないです)、僕は彼の本当の安否を状態を、知ることができないのだ。

これはとても難しい問題だと思う。「被害者名前を公開するな」という気持ちはもちろんあるだろうし、それは責められるべきではない。被害者プライバシーは守られるべきだ。だから僕は、僕のところに連絡がなくても、それを批判はしない。

ただ、心配なだけだ。ただ、安否が知りたいだけだ。そして、「それがしれない環境」をどう打破していいのか分からず、毎日夜を過ごすことしかできないでいる。


これからのこと

「本当に友人だったらこんなことを書ける精神状態じゃないはずだ」「事件にカコつけてみてもらいたいだけ」「自分に酔っている」と思う人もいるかもしれない(たとえ匿名であっても)。ただ僕は彼のプライバシーを書く気はないし、また僕も「僕」としてここに綴るつもりもない。酔っていると言うのならそうなんだろう、こんなつらい話、いつもの精神状態で、いつもの語り言葉で話せるわけがない。ただ、書いていて、吐き出して、それでいい。僕は僕自身が落ち着かないということで、これを書いているだけだ。

僕は彼からの連絡を待つ。それ以外にできることはない。ただ、そうはわかっていても、僕は何度も被害者名を調べる。身勝手なことだ。ほかのご家族やご友人だって同じ気持ちでいるのに、僕はその「被害者名」のなかに彼がいないことを願って、ずっと調べているのだから

ただ知りたい。彼がどうしているのか。彼が今何をしているのか。「覚悟を決めなさい」と言われたけれど、それでも彼の無事を祈り、僕は彼の連絡を待っている。

京アニを、なかにいた人を愛していた人たちの「心配」「何かできることを」の気持ちを、この吐露によって傷つけてしまったとしたらごめんなさい。「心配」「祈ること」「自分達ができること」をやりとげる人達に、心から敬意を表します。僕はまだ、現地にいけません。心が追い付きません。まだ安寧を祈るところにまでたどり着けていません。僕自身の未熟さゆえの話です。「安らかな旅路を」とさえ、まだ祈ることもできない。あまりにもむごい事件だったから。

僕はこの事件を、政治的解釈と結びつけたくはないし、陰謀論も知りたくありません。ほかの犯罪事故との比較もいりません。僕がこの事件に、今まで接してきた事件のどれよりも深くショックを受けているのは、社会道義主義主張などの話ではなく、ただただ身勝手に、僕個人として、僕の友人が心配からです。僕は僕の怒りを憤りをやるせなさを、社会道義社会倫理観に代えることはしません。犯人の背景や思想もどうでもいいです。ただ友人の無事を祈ります

僕は仕事します。彼は僕の仕事のやり方を好きだと言ってくれていたから。だけれど、日常に戻れない人にも僕は寄り添いたいし、寄り添われたいと思います

被害者なかに、実際の知人・友人・家族がいる人」と、「京アニという会社を、なかのスタッフを画面を通して心から愛していた人」と、「痛ましい事故に心を寄せ、自分ができる限りのことをしようとしている人」との間には、たしかにどうしても、どうしても、どうしたって越えることのない、仕切りはあると思います。あります

その仕切りがあっても、だれもが祈り、願い、心を馳せることの尊さは、決して変わりません。喜びは分け合うことができても、悲しみは分け合うことはできない。でもそれでも、僕は人が持つ人の可塑性を、人の持つ人への愛情を信じたいと思います。その可塑性が亡くなった人にはもうないのだとしても。残された人間しか感じられないものだとしても。

(また、これはあくまで「人間」を対象としているので、人間ではないあの男に対しての言葉ではありません)

読んでくれてありがとう

あなたあなた愛する人あなた愛する人に、幸いがありますように。

anond:20190805125439

事件事件として凄惨なのは間違いなく、何の非もない多数の被害者が出たことは痛ましいのだが、

涙がとまらないtweetとか現場に献花に行く人とか見るとどうしても違和感を感じるのは、

私の心が汚いからだろうか。

そうですか、その通りですか。

2019-08-02

職場テレビから京アニ放火事件で亡くなった方の名前が聞こえてきた

知ってる名前が何人も挙げられるとどうしても聞き流せず頭が真っ白になり気分が悪くなってきた

客用のテレビからいきなり消すわけにもいかないし、その瞬間もまさに客対応中だったからなんとか精神を立て直した

立て直せたことがまた悲しい気がした

不思議もので、氏名未公表だった昨日までは

ニュースを聞いてもここまで不安定気持ちにはならなかった

今まで、事件凄惨さについて、つらくなるから心が勝手想像セーブしてたんだと思う

複数の知ってる名前が出ることでそのセーブが効かなくなってきた

つらい

あの人たちが心をこめただろうものを、たしか自分は受け取った

ある種の意思疎通だったとさえ勝手に思っている

あなたはこの演出が、絵が、動きが、線が、色が、良いと思ったんだね!わかるよ!と

好きなものを共有させてくれた、価値観を確かめあった相手

一度にこんなに大勢いなくなることがあるのか

つらい

遺族や近しい人たちのほうがずっとつらいだろうけど

それなのに名前公表してくれた人たちの気持ち自分想像を超えるだろうけど

(もちろん公表意思がないなら名前は出さないでほしいし、その有無に関わらず全ての哀しみをいたわりたいけれど)

この人たちの名前ニュースキャスターに読まれとき

なにか名誉なことがあるときであってほしかったよ

2019-08-01

毎晩酒を呑むオレが二日酔いにならない秘訣を教える

昨日、オレの質問箱に半年ぶりくらいの質問がきた。

酒は人類の友! しかしついつい仲良くしすぎて(飲み過ぎて)しまい、 翌日、どんより後悔!してしまガチで悩んでいます。Lさんは酒の達人と伺っています。上手な付き合い方、秘訣を教えてください。

こいつは酒呑み連中にとってはいだって切実な問題だな、と思ったね。そしてオレが長いこと追求してきたテーマでもある。それで、頑張って回答をぱたぱた書いてたらよ、いつのまにかぎょうさん長くなっちまったんで、マシュマロでこの場をかりてお答えさせてもらおうってわけだ。

くだんのお悩みについてはよ、自他ともに認める酒好きであるオレもそりゃあ長えこと悩んできたしな、対策も練ったし、言ってみりゃトライ&エラーを繰り返してきた。それで世の多くの呑み助諸氏――ここは可愛くそう呼んでおきましょうぜ――も多かれ少なかれ、長え歴史の中でこの手の悩みと向き合い、敗れてきたにちがいねえ。 

それで酔い、もとい良い機会だからな、オレなりの「酒との付き合い方」ちゅうもんを一気呵成に記してやろうと思ってな。何せおよそ20年近く「呑み助」として歩んで来たオレの長年のノウハウを一挙に列挙するからよ、いささか長回答になっちまうかもしれねえが、最後まで付き合ってくれ。損はさせねえからニャオ。じゃあ行くぜ。

 

1 酒子に対して節度を保て!

あんたが普段、どの程度お酒をきこしめしていらっしゃるのかオレニャアさっぱり判らねえけどな、まずオレに関して言えば、ほぼ毎日呑んでる。わかるか? 毎日よ。だからな、「翌日にどんより後悔するほど」呑んじまうと、「翌日は呑めず」ちゅう由々しき事態を招いちまうわけだ。厳格な酒徒たるオレにとって、こいつはちょっとぞっとしねえ。まずあんたと酒子ちゃんの「目的」をしっかと見定めることが大切だとオレは言いたい。もし酒子ちゃんと週末だけの深い付き合いをしてえなら、恥も外聞も気にせずべったり一緒にいて、周りの連中が引くくらい仲良くしてりゃあいい。翌日ベッドから起き上がれなくなるくらいイチャイチャすりゃあいい。

かく言うオレにもそんなような時代があった。ただ、それは酒子ちゃんとウィークエンド・ラバーだった頃の話な。酒子ちゃん毎日上手に付きあうんだったら、「どんだけ愛しあっても、最後の一線はけっして崩さねえ」。そんなジェントルスタンスが求められるわけよ。似合わねえ? だよな。でも、これも酒子ちゃんをこよなく愛してやまねえからこそってもんよ。

からな、あんたにゃ、翌日も新鮮な気持ちで愛しあえるギリギリの交わりっつーか、アッチッチ!の限界自分らにストップ!かける客観性ちゅうの? 節度ちゅうの? そういうのが必要よ。あんたもご存知の通り、酒子ちゃんはいだって付き合い始めの恋人なみにアッツアツで依存性の高えやつだからな、そりゃあ、それなりの意思の力が必要だろうよ。けどな、とにかく酒子ちゃんといちゃついてる時、常にあんたが念頭に置くべきことは「明日もこいつと新鮮な気持ちで愛し合えるか?」だぜ。忘れんな。

 

2 酒量を見切れ!

てめえの酒量リミットをおおまかにでも見定めておくことはめっちゃ大事だ。オレだってそれほど酒に強いわけじゃねえが――とりま、「3杯」がひとつの目安になっちょん。

こいつぁつまりビールなら小瓶1本(350ml)。日本酒なら徳利1本(180ml)。ワインならグラス1杯(180m)。おっと、ワインバーなんかでは1杯120mlが標準的らしいがな。まったくケチケチしてやがる。焼酎なら90ml、ウィスキーウォッカならワンショット(45ml)を「1杯」ってことにしてな、「3杯」を1日に呑むリミットにしてるってことよ。や、あくまで「おおまか」だからな、実際にゃあこれより下回ることも上回ることも時々あるけどよ(や、たいてい上回っているか……)。

もちろん、「適切な酒量」ちゅうのはその日のあんたの健康状態によっても変わってくるからな――オレは専門医じゃねえんだからそこまで言わせんなよ――そのあたりはてめえの身体相談しながらきこしめしてくれ。1週間程度、てめえの呑んだ酒の量と翌朝の体調のメモなんかつけてみると判りやすいかもしれん。オレはマメじゃねえから、そんなチンケなこたぁしねえが。

 

3 呑む時に心に留めておけ!×5箇条

ただなあ、「おいおい、呑む時にいちいち酒の量を量ったり、自分を見張ってたらせっかくの酒がまずくならあ!」あんだって思うよな。実はオレもそう思ってる。だから酒の量にそこまで厳密になんなくても翌日に酔いを持ち越さずに済むテクニックさらに5つばかり教えてやるから、両耳の穴かっぽじってよく聞け。

其の1 水を傍らに置け!

酒の合間合間で水を摂ることを心がける。よく聞く話? だよな。でもな、わかっていながらなかなかできねえ。だろ? でもな、日本酒だの蒸留酒だのをたっぷり呑む際はチェイサー日本酒専門店では「和らぎ水」とか言うらしい)必須だぜ。ためし今日から1杯(1合)につき、コップ1杯(約120ml)の水を飲んでみい。

とはいえ、こいつもかっちり決める必要はねえよ。酒席で、傍らにコップ1杯、あるいはペットボトル1本の水を置いておくことを意識するだけでも翌朝の目覚めがだいぶん変わってくるって話よ。べつに水道水でもいいっちゃあいいけど、ミネラルウォーターやら浄水器通した系の水だとなお効果が高いとオレは思うが、まあ錯覚かもしれねえ。まあ、とにかく酒を呑むならちょっとでいいから水飲め。忘れんな。

 

其の2 「あて」を取れ!

「あて」を取りながら呑め。これも昔から推奨されてきた呑み方だ。だがなあ……。

かねてより、酒呑みは呑む時は召し上がらないもの相場が決まってんだ。たしかにオレも究極的には「酒のみ」で頂くのがやっぱ本来的に感じる。それがもっとも美味しく呑めるっちゅう酒呑みはけっして少なくねえだろう。

だがな、ポン酒なら冷奴か焼き味噌(旨い焼き味噌ポン酒の組み合わせはカクベツなんだよ)、ワインならオリーブチーズ(旨いチーズワインの組み合わせはカクベツなんだよ)ウィスキーナッツドライフルーツ焼酎なら梅干し所望!)くらいは率先して摂ってもらいてえ。もし家で呑んでて冷蔵庫空っぽなら、呑む前に茶碗1杯のコメ食っとくだけでも、身体に良いって聞くぜ。故・杉浦日向子女史もエッセイで「呑む前の赤だしとおむすび」を薦めてたから間違いねえ。

さて、こいつぁ余談だが――かつてのオレがすっげえ衝撃を受けたのは、早朝、まだ何も食ってねえ状態果物を「あて」にして飲むワイン。これな。無論、オレら庶民にはそうそ簡単にできることじゃねえ。が、何といってもこの呑み方はワイン果物の味を30倍くらい引き立ててくれんだよ。たぶん起き抜けの舌が1日でもっとも敏感っちゅうこともあるんだろう。ワイン通の洒落たダチに教えてもらってよ、初めて試した時――たしかニュージーランド産ピノなんとかと林檎と白葡萄だったな――、あまりの美味しさに全身の肌が粟立った。あれは忘れらんねえ。

 

其の3「ながら飲み」するな! 

これがオレが個人的もっとも強調してえ方策かもしれん。ここでいう「ながら」ってのは、飲み食い以外の行為よ。つまりテレビやらDVDやら見たり、本を開いたり、スマホいじったり、誰かとくっちゃべることも無論含むからな。

あんたのお家、それか居酒屋カウンターバーで黙って、酒(とあて)のみと対峙して呑め。そやって呑んでりゃあ、どんくらいの量の酒がどんなふうにてめえに働きかけてんのか、また、どこで許容量を超えちまったのか、バッチリ掴めっから

オレは時おり、自室で目え瞑って耳栓してな、座禅組むんよ。そんで傍らに酒を置いて呑む――そういう時ぁたいていポン酒だな。一番サマになるからよ――そういうことをやる。酒とてめえ以外のイッサイガッサイを遮断した状態で呑んでると(たいてい3合で眠くなって横になっちまうけどな)、次の日に二日酔いになることはだいぶん少なくなる。まちがいねえ。

ただ誤解すんなよ、オレだって酒を飲みながらダチと話したりよ、音楽聴くのも嫌いじゃねえっちゅうか大好きだからな、いつだってそうやってストイックに酒呑んでるわけじゃねえ。オレの場合、心を許した相手との酒で二日酔いになるのは全然かまわねえ。だがな、気の合わない相手とどうにかこうにかやりすごすために無理に酒食らった翌日はな、きまってそりゃもう粘り気あるイヤーな二日酔いになるね。こんなことだったら、1人で座禅組んで呑んでりゃよかった……って心底思うわ。酒の量とは無関係に「居心地良い状態で呑む」ってのは呑み助にとってもっとも大切なんよ。こいつはしっかり胸に刻み込んでおけ。

 

其の4 チャンポンするな!

チャンポン(判ると思うが、違う種類の酒をいちどきに呑むことなワイン飲んだ後、テキーラ食らって、チェイサーコロナ飲んでジントニック飲んで……みたいなやつ)すると二日酔いになりやすい」っつう俗説がまかり通ってるが、信憑性あると思うか?  

オレの長年の経験から言うと、めっちゃあるある思うね。科学的コンキョは寡聞にしてよく知らねえが、チャンポン呑み、これは全くお薦めできねえ。たしかに酷い二日酔いを招いてきたし、酔いが良い心地じゃねえのよ。なんでかって?

以下、オレの仮説っちゅうか思いこみなんで適当に流してくれ。

「酒」っちゅうのは「酒」っちゅう名称でひと括りにされてるが、同じ「酒」でも原材料によって、造り方によって、産地によって、「酒精の質」なるもんが異なるんよ。たとえばな、アルコール14℃シャルドネ白ワインと、同じくアルコール14℃山田錦で造った純米酒じゃあ、同じ「アルコール」で同じ度数でも、体感じゃまったく別もんに感じる。もちろんテキーラウィスキーも違えし、ラムビールも然り。それぞれの原料が、産地が、造り方(造り手)が、それぞれ全く別の酒精を生み出す。これって考えてみりゃ当たり前だよな。イヌだって同じ形してるけど、イヌそれぞれ全然まったく違うだろ。

でな、異なった酒精は体内で喧嘩する。たとえば、ビール酒精テキーラ酒精日本酒酒精ジン酒精が戦ったらどうなる? そりゃあもぉ、てんやわんや大戦場、翌日は「二日酔い」っちゅう名の凄惨たる祭りの後ですわ。

それを知ってるからか? アイルランド生粋の呑み助たちわな、週末にパブで過ごす時、最初から最後まで同じ酒を飲む方が多いんだってよ。1杯目にギネスを飲んだららその晩はひたすらギネスアイリッシュウィスキーで始めたら、水で割ったり、氷を加えることはあっても、ラムテキーラに切り替えることは決してしねえ。たぶん酒精喧嘩されたくないからだろうよ。

まあ、そこまでは極端としてもな、全然別種の酒を混ぜ合わせて作る「カクテル」ちゅう飲みもの……あれはぜってえ良くねえわ。うら若き男女が速やかに効率良く酔っぱらうためには最適かもしれんが、翌朝の安全は全く保証しねえからくれぐれも用心せい。ちなみにオレは自慢じゃねえが、バーでもジントニックとかハイボールみたいな単一酒で作ったカクテル以外は呑まねえようにしてる。だいいち、あれこれ混ぜたもんはそれほど旨くねえし、これまでさんざん痛い目に合ってきたからよ。

繰り返しになるが、お前さんが長く、二日酔いにならないようにして呑み続けたいなら、同じ種の酒をじっくり呑め。せいぜい冷たいビールを1杯飲んだら、後はポン酒ならポン酒葡萄酒なら葡萄酒、芋焼酎なら芋焼酎だけを浮気せずに呑め。飽きたらその日は杯を置け。わかったか。わかったな。

 

其の5 身体に訊け!

オレぁ葡萄酒とポン酒が大好きなんだが、スペインテンプラリーニョだったかニーリョだったか、あとカヴェルネ・ソーヴィニヨンちゅう品種がどしても身体に合わなくてな、2杯もかっ食らうとヘロヘロなっちまうカクテル同様、手っ取り早く酔うには良いだろうが)。他方(って言葉をいっぺん使ってみたかったんよ)、ボジョレーヌーボーに使われるガメイやピノなんちゃらだとな、てめえ1人でボトル1本開けてもまだ呑める感じするんよ。ポン酒だと、兵庫の「山田錦」ちゅう米で造った純米酒身体に滲み入る感じがすんだな。

これはどういうことなのか? 以下、仮説+個人的実感な。

酒にはだな、飲み手との「相性」なるもんが確実に存在する。もちろん、その相性は人それぞれ違う。じゃあどうやって相性を見極めれば良いのか? 

教えてやる。

「人」と同じよ。呑んでて、あんたの身体にすぅっと滲み渡るような、どっしり落ち着くような、きゃっきゃ喜んでいるような感じのする酒、それがあんたに合う酒だ。逆に相性が良くなきゃ、口に入れると違和感っちゅうの? ヘンな感じの後、しばらくして身体拒否反応(とまではいかなくても不快感)を示すだろうよ。相性の良い酒でありゃあ、いつまでだって呑んでいることができる、いや、実際にはできねえだろうが、できるような感じすんだよ。

まとめるとだな、この世にそりゃもぉたくさんさんさん在る酒ん中から手前の心と身体にぴたりと合う酒を見つけることができりゃあ、そいつを自宅で呑む、またはそいつを出してくれる、ありがてえ店を見つけることができりゃあ、結果、二日酔いの頻度を減らすことができるだろう。

そのためにも数多くのポン酒を、色んな品種葡萄酒を試してみようぜ。高価な酒を買う必要はまったくねえ。たしかワイン場合、値段と品質はかなり比例するらしいが、高えからと言って、あんたとの相性が良いとは限らねえからな。オレだって高級ワインでひでえ二日酔いになって、旨安ワインで翌朝すっきりちゅうことはぎょうさんある。

あと、どっかの店で飲む場合めんこい店員ちゃんだのソムリエさんだのに薦められたからって、合わねえ酒を無理に飲む必要はないからな。これも勉強と思ってだな、「すみませんちょっと口に合いませんでした」とか何とか言って思いきり残しちまえばいい。店の人だってその方が勉強になるんよ。あんたに合う酒はだな、まるで一目ぼれのように(一目惚れしたことあるよな?)「これだ!」って判んだろう。あんたの人生は、あんたの酒子と巡り合うための旅だと思って飲食店を巡って、酒屋で買って、自宅でも店でも、呑んだ酒とてめえの相性を毎回つぶさに観察してみろ。自分大五郎、じゃねえ、伸二郎、じゃねえ、信じろ

ありがとよ!

ありゃりゃ、やったら長くなっちまったな。。こりゃ誰も最後まで読まんだろうな。まあ、酒呑みのオレにとっては普遍的かつ切実なテーマだったから、しゃあねえ。

そんで、こんだけ偉そうなことをたっぷり記しときながら、オレとしたことが、今夜はいささか呑みすぎちまったらしい……明日は久しぶりの二日酔いだろうよ。これもまあ、しゃあねえ。酒呑みの定めちゅうもんよ。

さて、これからあんたが翌日の二日酔いとはなるべく無縁の快い酒徒人生を送れますように! 心からそう祈ってるぜ。じゃあオレぁ酔っ払いついでに台所でもう1杯きこしめしてくるからな。あばよっと

2019-07-30

京アニ事件アニメのことだからよくわからないと片付ける人が居る

びっくりした。

スタッフ二次元だとでも思ってるんだろうか。アニオタよりアニメ脳だ。

とりあえずアニメのことを無しで考えてもらうためにも

殺人だと判明している日本単独犯による大量殺人事件の死者数トップ3を発表する。

第三位 相模原障害者施設殺傷事件(2016)死者19人負傷26人

まだ記憶に新しい凄惨事件だ。この事件はまだ犯人が全く反省していないし生きている。

被害者、その家族、この事件社会的にどんな影響を現在進行形で与えているか

その点に置いて冷静に知見を持って考えていくべき大量殺人だった。

第二位 津山事件(1938)死者30人負傷3人

もはや都市伝説級になっているが、まだ生き証人が居るので終わってはいない。

詳細を見ると犯人の置かれた状況について考えてしまう。もちろん凶悪事件であり犯人の身勝手さは酷いものだ。

しかし『村八分』について今一度考えてみる必要現代に説くことになる。

この事件がいまだに二位だということに、戦慄も覚える。

どこかで思っていた人もいるだろう。日本でこの事件を越えることはないだろうと。

第一位 京都アニメーション放火事件(2019)死者35人負傷者33

死者がこれ以上増えないことを切に願っている。

アニメ関係なく、この事件の重大さについては吉本なんかよりも考えるべきことであるが、

しかしこの事件に関しては速報性は重要では無い。詳細については、まだ待ちたいと思う。

2019-07-27

元増田より

丁寧な返信ありがとうございます問題意識をもって働いている人がいるのを知って少し救われる思いです。

気づきかもしれませんが自分入院していたのは10年以上前の事で、その後状況は少しは変わってきているみたいですね。詳しくはわかりませんが長期入院では儲かりにくくなっていると書いている人が複数いるので少しづつかわりつつあるのでしょうか?

しかし、32.9万人から28.9万人というのはたいして減ってないですね。自分がいた病棟高齢の数十年選手がたくさんいたので死亡により自然減したのではないかとも勘ぐってしまます。)

どのような状態だったのかは分かりませんが、医師からはどのような説明があったのでしょうか。

措置入院だったのでしょうか、医療保護入院だったのでしょうか。

医療保護入院なら保護者は身近な方だったのでしょうか。

ちなみに自分入院させられたのは、医療保護入院でした。(いわゆる保護者による強制入院

帰省中に親と揉めて物に当たったのですが、110番されてそのまま入院という流れです。別に日常的に暴れていたわけでもないし、直接危害を与えたわけでもなく、その一回キリです。警察最初から6人来て、別に警察相手に大立ち回りをするわけでもなく無抵抗のまま担がれて行きました。

親と揉めて物に当たった経験なんて珍しくもなんともないと思うのですが。

まわりの数十年選手と話して医療保護入院では親と揉めた状態での退院はほぼ不可能終身刑になるという事を認識してからは、怨嗟を封じ込めて「自分おかしかったけど、治療でよくなったよ。今は反省しているよ。」という自分を演じ続け、看護師ヘルパー仕事を手伝ったり(洗濯物の仕分け掃除など)、模範囚としてポイントを稼ぐ事に努め、ようやく脱出できたというのが退院の経緯になります

あくま自分入院していた病院での当時の経験を元に話していますが、自分の居た場所では社会復帰などとは無縁の生涯隔離施設でしたね。

一例として10選手のNさんというなかなか頭がキレる人がいたのですが(この人も医療保護入院)、厳重な警備の隙をついて脱走し、着の身着のまま逃げに逃げて関西から関東まで行ってバイトをしながら自立していたそうです。

しかし、病院の連絡を受けた警察に最終的に見つかって病院まで引きずり戻されたそうです。

あれ?障碍者が自立してるのにまた閉じ込めるの??自立支援って一体何??と疑問に思わざるを得ませんでした。

自傷他害のおそれがなく、治療適応がない場合には、退院後の環境が整っていれば、退院していただきます

ここが一番疑問に思ったところなのですが、退院後の環境が整ってるかどうかとか本人の病状と関係なくないですか?刑務所だったら出所後の環境など関係なく刑期が終わったら釈放されるでしょ?

自分が「いっそ罪を犯して刑務所に入ればマシだった」と感じるのはそこなんですよ。本人の状態関係なく刑期の定めの無い不定期刑が、医者家族の胸先三寸で無限執行され続けるという。この恐怖は体感してみないと分からいかも知れません。

しか入院が長期に渡ると保護者の方が先に死亡しているケースが多く、受け入れ先消滅という終身刑が確定している人が多数いました。)

環境が整ってないまま出したら本人がどうなるかわからない?確かにどうなるかわかりませんよ。アメリカIT企業第一線で働く奴もいるかもしれないし、野垂れ死にする人もいるかもしれません。けど、どうせ死ぬなら外で挑戦してから死にたい人が大半じゃないですかね?

ところでここまで精神科病院過酷凄惨な部分ばかり書いていますが、実際の病棟ではそこに人々が生活しているわけで、笑いもあれば涙もありでした。ほとんど毎日、誰かが笑ったり笑わせたり笑わせてもらったりしていた覚えがあります

過酷戦場でも兵士友情ユーモアが必ずそこにあったように、人間がいるところにはドラマがあるのです。

究極の環境における、おかしな人総出演によるおかし日常劇が繰り広げられているんですから面白くないわけないでしょう。

ひどい看護師もいたけど、看護師と一緒に大笑いしたこともあります

次に自分が筆を取ってこの辺の事も書いていきたいなと思っています。(え?はやくブログしろ?)

anond:20190727185254

精神科強制入院のあり方について (追記あり)

ちなみに自分はこの元増田である。(閉鎖病棟からマイクロソフト本社に行った人)

https://anond.hatelabo.jp/20190329052316

凄惨京アニ放火事件が起こった。統合失調症患者犯人との報道のせいで、精神病イメージダダ下がりである。(まあイメージが良かった事は一度もないのだが・・)

人に危害を加えたり犯罪を犯すタイプの「触法精神障碍者」は精神病患者全体からみると非常に少ないというデータもあるらしいが、一般の「健康な」人達からすると、「精神障碍者はみんな怖い、避けるべき。」と考えるだろう。「こんな奴らはとっとと精神病院にぶち込んでしまえ」そう思っているに違いない。

ところであまり知られていないことだが、「触法精神障碍者」の平均入院期間は普通精神病患者より短いらしい。うるさかったりトラブルを起こしたりする患者病院もめんどくさいから早く退院させてしまっているのだろう。

ちなみに自分精神病院にぶち込まれて、両手両足をベッドに縛り付けられてオムツまではかされていたわけであるが、別に法を犯したり人様に危害を与えたわけではない。

入院中周りを見回しても、それほど攻撃的でも無く話も通じる状態なのに何年、何十年も入院させられている人がワンサカいた。

こういう扱いやすい「オイシイ患者」を一生閉じ込めて入院費を稼ぐのが手口なのだ

統合失調症は薬が上手くハマってバシッと治る人もいるが、そうでない人は長期入院させてもあまり改善が見られない場合が多い。ただいたずらに拘禁し続けている事で利益を上げているのである

以下は自分入院中に思った正直な気持ちである

「いっそ犯罪でも犯して捕まっていればよかった。そうしたら裁判自分の主張を展開する機会もあったし、トイレに蓋があって自分で流せる独房(もしくは雑居房)に入れたし、手足を拘束される事も無かったのに。」

一体いつになれば出してもらえるのかわからない状況で、「自分おかしくない!」と怒れば「症状が悪化している」と見られるのだ。環境も最悪で人権どころの騒ぎではない。

日本精神医療人権蹂躙による金儲けが行われている上に犯罪抑止装置としても機能していないのだ。

本当にヤバイ人をどうするか。

これは難しい問題だが、少なくとも今の日本精神入院医療は変わらなくてはいけない。普通の人、大勢普通患者どちらも救っていないのだから

P.S.

まり盛り上がらない予感。多くの人にとってこれは身近な問題じゃないだろうし。当事者(=俺)の思いは強いんだが。


(追記) 意外とコメントが付いたのでちょこっと返信。

暴れる精神障碍者は早く退院させて、大人しい精神障碍者は数十年入院させ続けるってやること逆じゃない・・・

正にこれが言いたかたことです。代弁ありがとうございます

警察官6人で担いで精神病院入院させる状態の人の「自分おかしくない!」は症状改善とはならないよね。社会的入院問題だが、その社会が受け入れできないのに、精神科だけ責めても問題解決しない。

アナタ警官6人に連行され、パンツを脱がされオムツを履かされてベッドに縛り付けられても怒らない自信がおありなのですか?私には無理でした。あと、あなたの様な人が社会構成しているか社会が受け入れできないんだなーというのがわかるお手本のような回答になってますね。

おい、増田君。医療保護入院説明の紙の件はなぜ触れないんですか?病院には説明義務付けられているはずですよ。

(ちょっとコメントが見当たらくなってしまったのだが、こんな事が書いてあったはず。)

入院時は無理くり拘束された上に鎮静剤を打たれたのでちゃん説明されませんでした。意識を戻したときにはベッドに縛り付けられており、病室の壁に貼り付けられた紙の文字が読めるほど視力はよくなかったです。(てかワンデーのコンタクトをしたままだったので干からびてました。)

ようやく拘束が解かれて読めるようになっても隔離室には電話もなく外部との接触手段はありませんでした。雑居房に移ったあとはピンク電話がありましたが、看護師に頼んでようやく十円玉が数枚渡されるだけというありさまでした。長蛇の列の電話の中で少ない十円玉と通話時間自分の置かれた状況を外部の人間説明するのは不可能でした。

実質、運用によって外部への訴えはすべてシャットアウトされているという状況でしたよ。

これを全くのデタラメだなんて言いたい人は「社会的入院」で検索すること。精神科のどす黒い歴史を知りたいなら立命館大生存学研究所の http://www.arsvi.com/d/m.htm を参照。未だにこの調子か…

あと、このブコメ感謝社会的入院国際的にも問題になっている。

否定したい人達気持ちはわかるが、デマはやめろとか変な事言う前にまずググれ。勝手に人を嘘つき呼ばわりしないで欲しい。

受け入れる側の家族退院に反対なら、ほぼ半永久的に入院させられる仕組みになっているのは問題だな。だが、病識がなく薬も飲もうとしない統合失調症患者には、措置入院矯正治療しか有効手段はないだろう。

まさにそれ。障碍者の最大の敵はその家族だって誰かが言ってたっけ。ただ、後半部分については同意はできない。措置入院矯正治療効果が出なかったりする場合が多いんだよね。

入院利益に関してはDPC制度知らない人の発言は全て無意味なので信用しないように。/「認知症の人をベッドに縛ってた老人ホーム」転倒して骨折や硬膜外・硬膜下血腫になったら賠償させがちな司法に言ってくれ。

恥ずかしながらDPC制度しりませんでしたが、調べたところ自分入院していた精神病院は導入していないようですね。というより、ほとんどの精神病院が導入してないようですが?

後半部分の老人ホームの話については直接話がつながってるわけではないですが、長期拘束による死亡事故を出してる病院もあるんですけどそのへんどうなんですかね??

NEW!

anond:20190727232154 に返信がてらに色々追記しました。

小卒の無敵の人より

おっすおら無敵の人。小卒だ。

引きこもり歴10年以上、今は夜間大学生

仕事できなさすぎてADHD発覚。

朝はコンサータやらストラテラやらでパキパキになって、

なんとかベッド抜け出して、夜はパキパキ過ぎて寝れないか

眠剤食ってる。社会にぶら下がってスマンな。

卒業したら頑張ってもっと納税するよ。

 

別に基地外に猫撫で声で接してくれ、という訳じゃない。

ただ世の中には、そういう形の葛藤もあることは理解してほしい。

誰もがそれぞれの地獄で、何とかやりくりしていると思うけど、

まぁ、その典型例の一つなんだと。

 

俺は大名ってとこに住んでいる。

ピンと来た人もいるかもしれないが、低能先生事件を起こしたあの小学校の近くだ。

当時、サイレンを聞きながら、彼のニュースを見ていた。

特定の誰かに殺意を抱いたことなんてないが、彼は俺でもあり得た、と思った。

 

幸いにも、今の俺には愛する人がいて、愛する音楽映画もある。

早いところ、食い扶持を稼いで、支えなきゃいけない両親もいる。

月曜日配信Spotifyの”Discover Weekly"はブルーマンデーとやらも色めき立たせてくれるし、

リアルはてしない物語ばっかのHBOドラマシリーズは、週末を待ち遠しくさせてくれる。

GOTが終わったのは寂しいが。

 

知的で穏やかだった父は少し健忘症気味で、

そんな状態祖父母を老々介護している。

俺が彼らから奪ってしまった可能性を考えるときつい。

 

一方で、俺が頑張らないといけない理由が、こんなにあって幸せだったとも思う。

ぎりぎり踏みとどまってられるからだ。

 

仕事できなさすぎて同僚から頭に生ゴミ乗っけられたり

警察に薬中扱い(”Fuck the police" by N.W.A)されてマグショット撮られたり

まれた時からハードモードならではのイベントはたまにある。

ときに打ちのめされたりして、葛藤と後悔で潰れそうにもなるが、

上記理由で、俺はどうにか、一線を越えずにいられている。

 

最近、俺のような人のクソみたいな事件が多くて、本当に辛い。

事件凄惨さ、被害者やその家族の心情を思うと辛いし、

映画ヲタの端くれとしてもクソほど辛い。

さらに、加害者に対しても同情してしまうのも辛い。

適切な医療福祉へのアクセスが、あるいは誰かの愛情が、

もっと早い段階にあれば、話は違ったのではないかと思うからだ。

 

アラサー大学にいるせいか、俺のプロファイルはある程度、

先生事務には察知されている。はなから白眼視してくる人もいたし、

稀に同情的な人もいた。最近になって、少し距離を感じた人もいた。

普段は、知的自由を尊ぶ人々が、基地外を怖がってるのが辛い。

 

自分辺境にいるStrangerだということは、もう本当に重々承知していて、

30年かけて、やっと折り合いをつけた。それでも村八分にされたり、

後ろ指さされるのは、少し訳が違って、未だに新鮮な辛さがある。

”窮鼠、猫をはむ”かどうかは、本人の資質に依る部分が大きいと思うが、

そこまで追いこむかどうかってのは、コントロールが効く部分だと思う。

 

無敵の人や、基地外を恐れるのはわかるよ。わかる。

でも、ただ恐れるんじゃなくて、リスクマネジメントする方向に向かって欲しい。

ほんの少しの優しさと理解を携えて。それで救われる基地外はきっとたくさんいる。

 


 

 ADHD。Kendrick Lamarの1stアルバム。ではなくて、病名。小5のときに、担任教師からADHDの疑いでの受診を進められていたが、両親が”うちの子障害をもっているわけない”と突っぱねた。うーん、時代仕事を始めてからやばいぐらいミスしまくって初受診

 ──────────

 Blue MondayNew Orderの曲。名曲である。だが俺は自殺しないと決めた。ボケかけの親父と癌の母親介護をして生きていく。

 ──────────

 辛いやつ。頭に生ゴミ乗っけられた時、そこまでの侮辱経験がなくて、状況が飲み込めず、ヘラヘラしていた。その後、ひどく相手を恨んだ。毎日、胃が痛んだ。だが、ある日、相手が作ったまかないのとん汁がべらぼうにうまくて、とりあえず許した。福岡の名店、中田中よりうまかった。

 ──────────

 辛いやつ2。結局、福祉手帳提示し、照会してもらい事なきを得た。しかし、家族警察署に迎えに来てもらわなければならなかったりして大分キツかった。2年ほど前だったが、”Huaweiなんてスマホ聞いたことがない。どこで入手したんだ ”というセリフはさすがに笑った。あと露骨にGood cop, Bad copやられたのも笑った。恐ろしかった。

2019-07-25

anond:20190725225933

まず、当事者団体は「無関係」という声明は出していない。文章は正確に読もう。「偏見助長するから精神疾患との関係性が明らかになるまでは報道は控えてほしい」という声明を出しただけで、事件精神疾患無関係という声明は出していない。そりゃそうだろ、裁判関係性が明らかになるかもしれないんだから。「関係が明確になってから報道してね」というだけで、別に無関係だと言っているわけではない。

https://news.nicovideo.jp/watch/nw5678696

あと、仮に無関係だったとしても、「無関係」の意味も正確にとらえる必要がある。統合失調症患者犯罪を犯す確率は、統合失調症患者でない者と比べて統計的有意な差はない。統計的には、統合失調症患者から凄惨事件を起こしやすくなるわけではない。

だが、青葉真司容疑者統合失調症患者であった可能性は高く、統合失調症でなければ事件を起きなかった可能性も非常に高い。

統合失調症患者」を「ガソリンを買った人」とかに変えればわかりやすい話。人がガソリンを買うかどうかと、人が犯罪を犯すかどうかは統計的には無関係ガソリンを買った人が、放火やすくなるわけではない。

だが、青葉真司容疑者ガソリンを買わなければ(例えばガソリンの代わりに灯油放火しようとしていれば)、事件が起きなかった可能性は非常に高い。

それと同じ話。

ガソリンを買うこと」を一律に防ごうとすると利便性との兼ね合いになるから、一律に防ごうとする努力をすること自体が難しい。

が、「統合失調症になること」を一律に防ごうとすることには何の問題もないから、本来は、そっちの努力をするべきなんだよね。

京アニ事件ニセ科学容認するメディア社会が生み出した

京アニ事件、あれ、青葉真司容疑者は明らかに統合失調症だよね。

統合失調症は、人口の約1%が生涯の間に一回はかかる、非常に患者が多い病気日本全体で100万人近くいる。遺伝環境の影響は確かにあるが、可能性のある遺伝環境要因を全部取り除いても、発症率は大きくは下がらない。つまり、予防はできない。

定期的な投薬で症状を寛解させるしかない。これも個人差が多く、投薬ですぐになおって一生再発しない人もいれば、投薬すれば症状は緩和されるものの薬止めたらすぐ再発とかいうケースもある。

だが、薬を飲めば多くの人が一時的に症状はよくなる(良くならない人もいる)。

厄介なのは個人差が大きく、原因も治療法もとにかくハッキリしない病気だってこと。理解するのに科学リテラシー要求される疾患。

遺伝環境の影響はあるが、完全に遺伝環境けが原因ではない。遺伝環境があると発症率が何倍・何十倍になるとかいう報告はあるんだけど、「これがそろったらほぼ確実に統合失調症になる」みたいな原因もない。以前、統合失調症は「遺伝にあまり影響しない」と書いたら、「あまり」って書いてて影響することはあるということをにおわせてるのに、「遺伝関係するぞ!!!嘘をつくな!!!」みたいに粘着されたことがある。

薬で多くが寛解すると書いたら、これも「多く」って書いてあるのが読めないのか、「寛解する奴の比率はそんなに多くないぞ!嘘をつくな!!!」と粘着されたこともある。症状で薬を飲まなくなってしまう人の比率が非常に多い病気なので、薬を飲んだことが確認できた場合に症状がどれだけ寛解するか、の話をしているのか、薬飲まなくなってしま場合も含めてどれだけ症状が寛解するのかという話をしているのかで、全然意味が違う。

青葉真司容疑者が定期的に投薬治療を受けていれば、あん凄惨事件は起こさなかったかどうか…は分からない。分からないし、医者は「分からない」としか答えたくないだろう。だが、その可能性は相当に高い。おそらく、適切な投薬治療管理下にさえあれば、95%ぐらいの確率で、あの事件は防げたのではないか、と個人的には思っている。だが、この国の行政システム医療システムは、統合失調症患者に投薬治療を施すサービスがとにかく弱い。彼は生活保護などの経済的サービス享受できたが、せっかく薬があるのに、投薬治療サービスを国は彼に提供できなかった。そして、事件が起きた。

今回の事件で、ちゃん統合失調症患者に投薬治療を届けるような仕組みが出来上がればいいが、これも95%ぐらいの確度で、日本真逆の方向に進むだろう。「真面目な青年が突然アニメゲーム豹変」とか「幼少期の家庭環境が悪くて豹変」「被害者被害者遺族の感情」というストーリーが大好きで、ちゃんとした科学的な原因分析をしないメディアの食い物にされ、全く有効でない対策しかとられないだろう。そして、統合失調症患者を丸ごと悪者にする自己責任論が跋扈して、「あん凄惨事件を引き起こす人間に、タダで薬をあげて甘やかすとは何事か!」みたいな意見が通り、統合失調症患者に薬は届けられなくなるのではないか…と思っている。

そして、5年後~10年後に、第二の京アニ事件がきっと起きて、またメディア非科学的なストーリーを垂れ流して、世論統合失調症患者全体に敵意を向ける…その繰り返しになるのが目に見える。

2019-07-23

劇物野郎山本太郎への反感と期待

今回の参議院選、比例はれい新選組投票した。

ただ、投票しといてなんだけど、れいわの代表である山本太郎のことはあまり好きではない。

というかはっきり反感を覚える部分がある。

彼のどこの反感を覚えるかというと、パフォーマンスだらけのその姿勢だ。

天皇手紙を渡したり、一人で牛歩をやったり、議員に向かって焼香ポーズとったり・・・

そんなパフォーマンスを見せられる度に、またやってんのかこいつはと、うんざりした気分になっていた。

から仮に選挙区の方で出馬していたとしても、彼には投票していなかっただろうし、

次の衆院選出馬するとしても、やっぱり彼自身には投票しないだろう。

じゃあなんで比例ではれいわに投票したんだって思われるだろうけど、

それは彼が今回、社会的に良い目を向けられることが少ない、マイノリティの人々を擁立たからだ。

重い病気を抱えていたり、過酷労働で苦しんでいる人々だ。

正直この擁立自体にもパフォーマンスくささを感じるし、当選した二人は議員としての職務をきちんと果たせるのか疑問に思う部分が大いにある。

けれど、こうして国会社会的に弱い立場の人を送り込むぐらいじゃないと、日本社会の目も変わらないんじゃないかと思うんだ。

ここ数年、障害者施設への襲撃もあれば、京アニ事件のように明らかに精神を病んでいるような人物凄惨事件を起こすこともある。

その度に、弱い立場人間を切って捨てたり、危険視するような論調が立ち上がってきて、ますます社会の分断が広がっていくように感じていた。

こんな状況を変えるには、劇物じみた手法であっても、なにか巨大な一石を投じるべきじゃないかと考えていた。

からこそ今回、れい新選組投票した。

当選した二人の働きぶり、周囲の支え方によって、社会全体に助け合おうとする考え方が広まっていくかもしれない。

あるいはその逆で、やっぱり議員としての職責を果たせないじゃないか能力が無い人は引っ込んでおくべきだ、なんて言説がますます広がってしまうかもしれない。

山本太郎という劇物が今回起こした行動は、日本に大きな衝撃を与えた。

俺はできればみんなが共生し合う日本になってほしいと思っているけれど、今回の選挙の結果がそうした社会への道を開けるかはわからない。

ただ一つ、山本太郎に今後期待するのは、国会へ送り込んだ二人の議員への十全なバックアップだ。

自分勝手だけど、れいわへ投票した自分の行動が間違ってたなんて後悔したくないから。

2019-07-22

anond:20190722192651

あの男が病院で目を覚ますと、火傷の治療が功を奏したのか、奇跡的に統合失調症が完治して善人になってしまった。

そして・・・自分妄想で34人も殺してしまたことを自覚する・・・

自分の身に起きたことを全て話し、真摯反省する姿が改悛の情を示してるのは誰の目にも明らかだった。

裁判では病気による心神喪失状態での犯罪行為無罪とするのか、死刑とするのか大いに荒れたが、

自身もこの罪を生きて償うことは不可能と考え、本人が死刑を望んだ結果、裁判でも死刑が確定した。

善人となった彼は、自分の死を少しでも誰かの役に立ててほしいと、

生きながらにして臓器移植を行って体の一部を病気で困っている人に新鮮な臓器を提供した。

そして死刑執行後の肉体も検体に回され、解剖されたのち焼却された。


(ここでエンドロール


凄惨事件から15年後、彼から臓器移植を受けた一人の人間統合失調症発症する。

「オレの小説がパクられた・・・」(完)

無敵だ

おっすおら無敵の人。小卒だ。

引きこもり歴10年以上、今は夜間大学生

仕事できなさすぎてADHD発覚。

朝はコンサータやらストラテラやらでパキパキになって、

なんとかベッド抜け出して、夜はパキパキ過ぎて寝れないか

眠剤食ってる。社会にぶら下がってスマンな。

卒業したら頑張ってもっと納税するよ。

別に基地外に猫撫で声で接してくれ、という訳じゃない。

ただ世の中には、そういう形の葛藤もあることは理解してほしい。

誰もがそれぞれの地獄で、何とかやりくりしていると思うけど、

まぁ、その典型例の一つなんだと。

俺は大名ってとこに住んでいる。

ピンと来た人もいるかもしれないが、低能先生事件を起こしたあの小学校の近くだ。

当時、サイレンを聞きながら、彼のニュースを見ていた。

特定の誰かに殺意を抱いたことなんてないが、彼は俺でもあり得た、と思った。

幸いにも、今の俺には愛する人がいて、愛する音楽映画もある。

早いところ、食い扶持を稼いで、支えなきゃいけない両親もいる。

月曜日配信Spotifyの”Discover Weekly"はブルーマンデーとやらも色めき立たせてくれるし、

リアルはてしない物語ばっかのHBOドラマシリーズは、週末を待ち遠しくさせてくれる。

GOTが終わったのは寂しいが。

知的で穏やかだった父は少し健忘症気味で、

そんな状態祖父母を老々介護している。

俺が彼らから奪ってしまった可能性を考えるときつい。

一方で、俺が頑張らないといけない理由が、こんなにあって幸せだったとも思う。

ぎりぎり踏みとどまってられるからだ。

仕事できなさすぎて同僚から頭に生ゴミ乗っけられたり

警察に薬中扱い(”Fuck the police" by N.W.A)されてマグショット撮られたり

まれた時からハードモードならではのイベントはたまにある。

ときに打ちのめされたりして、葛藤と後悔で潰れそうにもなるが、

上記理由で、俺はどうにか、一線を越えずにいられている。

最近、俺のような人のクソみたいな事件が多くて、本当に辛い。

事件凄惨さ、被害者やその家族の心情を思うと辛いし、

映画ヲタの端くれとしてもクソほど辛い。

さらに、加害者に対しても同情してしまうのも辛い。

適切な医療福祉へのアクセスが、あるいは誰かの愛情が、

もっと早い段階にあれば、話は違ったのではないかと思うからだ。

アラサー大学にいるせいか、俺のプロファイルはある程度、

先生事務には察知されている。はなから白眼視してくる人もいたし、

稀に同情的な人もいた。最近になって、少し距離を感じた人もいた。

普段は、知的自由を尊ぶ人々が、基地外を怖がってるのが辛い。

自分辺境にいるStrangerだということは、もう本当に重々承知していて、

30年かけて、やっと折り合いをつけた。それでも村八分にされたり、

後ろ指さされるのは、少し訳が違って、未だに新鮮な辛さがある。

”窮鼠、猫をはむ”かどうかは、本人の資質に依る部分が大きいと思うが、

そこまで追いこむかどうかってのは、コントロールが効く部分だと思う。

無敵の人や、基地外を恐れるのはわかるよ。わかる。

でも、ただ恐れるんじゃなくて、リスクマネジメントする方向に向かって欲しい。

ほんの少しの優しさと理解を携えて。それで救われる基地外はきっとたくさんいる。

2019-07-21

オタク文化」という場の異常性

凄惨事件が起きると「オタク」との関連性が指摘されるというのはお馴染みの風景だ。

すると決まって「オタクへの差別だ」と反論される。違う、そうじゃない。

オタクという個人属性について言っているんじゃない。

オタク文化」「オタク業界」「オタク産業」などのオタクに関する「場」の異常性だ。

 

オタク文化の場には、

いじめの温床ともいえる学校部活動のような「閉鎖性」がある。

学生運動全盛期のような狂気的な「熱量」そして「同調圧力」がある。

・「クリエイターは命を削って作品を生み出しているんだ」的な「宗教性」がある。

 

たとえば学校いじめが起きたとする。

いじめ問題は加害者の異常性だけで片付く話か?

加害者統合失調だったんだ」で片付く話か?

あたりまえだが「学校」という場の責任が問われるだろう?

オタクの中には「学校」という「場」で辛い思いをしたものもいるだろう。

 

同じことだ。

オタク業界という場には「作品に命かける」みたく捨て身の姿勢を賛美するような異常性がある。

命がけの長時間労働を賛美するような場の空気感がある。

そうして、それは比喩だけには収まらない。

実際に「命をかける」やつが出てくるわけだ。それも一人や二人じゃない。

個々のオタクじゃない。個人属性としてのオタクじゃない。

命を粗末にすることを美徳とする「オタク」という場の引力が事件を起こしているんだ。

なぜそのことが分からない?

 

いつまでも命の大切さを学ぶことができないというのなら、滅びてしまえ。オタク文化など。

京アニ放火殺人事件について思う

国内最高峰アニメーターが殺されたからひどい事件なのでなく、単純に人の命を一方的に奪う行為は許されざる事件だ。

それが一人で二人であろうと、交通事故放火か刺殺か関係なく、命を奪われると言うのは理不尽で許されないことだ。

しかSNSで見ていると、前述の通り「実績と未来がある若者が多数殺された、許せない」と言う声が圧倒的だ。

それは「殺されても良い生命の種類と数」を無意識に想定していることと同じだ。

それについて指摘したら袋叩きにあい発言の削除にまで追い込まれた。

専業主婦だろうが、正規社員だろうが、非正規だろうが、毎日を積み重ねて生きている。

それを謂われなく奪われる事自体が許せないと言いたいのだが、それは逆に「実績と未来がある若者」が殺されることを肯定しているように取られるらしい。

そう言う人達に返す言葉自分は持たなかった。

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もう一つ違和感があると言えば、犯人に関する情報が出されていなかった時、在日、ないし半島出身であると断定する向きも多かった。

それだけ一連の騒動で反感が溜まっているのは分かるが、その後、被害の大きさが明らかになるにつれ、犯人残酷方法で殺せと言う声も大きくなってきた。また例え心神喪失責任能力がなくても極刑に処すべきだと言う声もまたよく見かける。

事件凄惨さを理由に法を超えた処罰を望むのは、まさに情緒憲法の上に置く国民情緒法支配されている韓国のやり方なのだが、韓国に反感を持ちながら、その韓国と同じ国民情緒法犯人をさばけと言う声にも違和感を覚えた。

先進国として、法治国家として、その国民として、法に従って法に基づいて裁かれるべきだと思うのだが、やはりこの考え方も袋叩きにあった。

自分韓国反吐が出るほど嫌いだ。盧武鉉時代からの熱心なアンチだ。だからこそ正義情緒で人をさばく韓国のやり方には絶対同意できない。

粛々とにのみ従って犯人は裁かれるべきだし、心神喪失として責任能力がないと判断されれば不起訴になるべきだ。そしてセーフティーネットによって守られるべきだろう。遡及法を作ってまで厳罰に処す等もってのほかだ。

法が間違っているというのであればそれこそ選挙を通じて、凶悪犯罪に対する刑罰を変えることを掲げる議員国会に送ればいい。

ただそれもどうしても理解されないらしい。

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今回の事件を許されない殺人事件として扱い、しか特別事件として扱われるべきではない。

裁きは現行法に基づき公平に行われるべきだ。

自分が言いたいのはただそれだけだ。しかしそれを許さない「正義」が蔓延している。息苦しくて仕方がない。

2019-07-20

これから京アニ作品を見る度に今回の火災が頭をよぎるのかと思うと辛い

萌え文化象徴日常系美少女アニメパイオニアキラキラと輝く青春フィルム

それがこんな凄惨で、どうしようもない現実イメージですべて上書かれてしまった。

これまでの京アニ作品を見る度に、EDクレジットに並ぶ中に犠牲者がいると思って辛くなりそうだし、

こんな事があっては残ったスタッフがこれから作られる作品にも、この惨事の影を感じずにはいられないだろう。

どうしようもない、冷たく暗い青春時代に、辛い現実から逃れるために見ていた京アニ作品が、

もっと辛い現実を強く思い出させる地雷になってしまったということが、俺には本当に辛い。

2019-07-19

事件個人問題化する」恐ろしさについて

 京アニ放火事件容疑者の氏名が京都府警から公表された。もっと公表の何時間も前からその名前ネットで取り沙汰されており、特定班の精度にも戦いたが、今回の本題はそこではない。氏名の公表により顕著になった、「事件個人問題として容疑者を叩く」人たちへの違和感についてである

 事件報道されてからネット上には事件に関する様々な感情が溢れていた。心配する人、怖がる人、悲しむ人、憤る人、放心している人。それらを目にする中で、なんとも言えぬ違和感と共に目に留まった言葉があった。容疑者逮捕される際に発したとされる言葉に触れた上で、こう書かれたものだった。

「そんなことは人を殺す理由にならない。こいつほんとに許せない。」

よく見ると似たようなコメントは沢山あった。死刑でさえ甘すぎる、精神疾患減刑とかなったらまじふざけんな、苦しんで死ね、等のかなり強い言葉が延々と流れていく。氏名が公表されるとそれらの言葉さら個人攻撃の色を増した。凄惨事件に対する当然の反応と言えるかもしれない。だが、私にはなぜかどうにも不自然に感じられた。しばらく考えを巡らせた結果、違和感の正体はそれらのコメントの裏にある「事件個人問題化」ではないかという考えに至った。

 容疑者名前を挙げて個人としてバッシングする。容疑者悪人と見なしているからだ。常人自分にはとても理解できない凶行を犯したから。被害妄想によって勝手に逆上した幼稚なやつだから自分たちはまともだけどこいつおかしい。しかし、その「おかしさ」を容疑者問題として向き合おうともせず、単純に蔑むというのはあまり筋違いではないか。その「おかしさ」は、本当に容疑者だけのものなのだろうか。私はそうは思えなかった。蔑む側の指摘する「おかしさ」が、容疑者の中に自然発生的に芽生え、ここまで爆発するというのは、かなり無理があると感じた。 

 最近のもののみならず、衝撃的な傷害事件容疑者の年齢を見て「就職氷河期」や「ロスジェネ」という言葉がよぎる人は多いのではないか。その時代就職をしなければならなかったというだけの理由で、一生不安定生活を送る人たちは数多くいる。就職難が事件の直接的な原因であると言いたいわけではない。しかし、強い社会不安があったり精神疾患を持つ容疑者たちが、それらを始めとする社会の歪みの弊害を真っ先に受けて追い詰められていったことは容易に想像できる。

 精神疾患を持つ人は社会を生きづらい。先天的/後天的に関わらず。疾患でなくてもどこか生きづらさを抱える人たちというのは存在する。しかし、生きづらい人たちが事件を起こすということが納得されて良いわけがない。それこそおかしいのではないか。そのおかしさはその人たちだけのものだろうか。その背景を理解しようともしない「まとも」な人たちのものでもあるのではないか

 何かが起こるには必ず原因がある。論理的文脈を持つものもあれば、脳のここにあるはずのあれがない、といった物理的な理由場合もあるかもしれない。何にせよ、自分理解できないということを全て相手問題にして蔑むということが果たして無責任でないと言い切れるのか、私たちは一度考え直してみるべきだと思う。全ての犯罪個人のみの問題ではなく、社会問題なのだ

京アニ放火殺人犯が死にそうって聞いて

スクールバスを待ってる最中の子供たちと外務省だったか勤めの父親を殺した事件のことを思い出した

あれも凄惨事件だったけど、池袋事件とかと違って犯人が首を切って死んだから全然報道されなくなってしまって、記憶から風化しやすくなってる気がした

当時は自分もかなりモヤモヤしたし、被害者の身内は本当にやりきれないだろう

犯人が死んで何もわからなくなるって、色々な意味で最悪だ

薄々気づいていたけど凄惨事件があると増田活性化するね。

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