はてなキーワード: 信仰心とは
一つ言っておくと、現状を変えたくない、新しいことは怖い、「外」は外「内」は内で暮らしたい、どちらかと言えばお気持ちが重要……そういう心性に基づく思想を保守主義と言います。
一方で、現状を変えることも厭わない、新しいことは楽しい、「外」も「内」もなくなればよくない?、どちらかと言えば理屈が重要……そういう心性に基づく思想が革新主義です。
誰もが、幾分か保守で幾分か革新です。割合は人それぞれ。どちらがいい、悪い、上か下か、そういうのはありません。これ大事です。どちらが絶対に良くてどちらが絶対に悪いということはないんです。あなたは多分、真っ当に教育を受けてきた人なんでしょう。ひょっとしたら、理屈で正しいことが正しくて、感情に振り回されるのは間違ったことで、従ってより理屈が通った新しいことは受け入れるのが正しい、受け入れられないのは狭量で間違ったことだ……みたいな考え方を内面化しているかもしれません。それはちょっとした呪縛です。あんまり気にしない方がいいです。誰でも、必要以上に努力を強いられることなく、社会の片隅で暮らし、その範囲で感じ考えたことに基づいて振る舞えばよいのです。それで社会がうまく回るような仕組みを作るべきなのであって、そうやって民主主義というのは回っていくものなのです。誰かの判断だけが正しいから、その人に従おうというのは民主主義ではありません。誰もが主人であるから、誰もが思うように振る舞ってよい、それが民主主義です。
さて、こう前置きした上で言いますが、あなたの考え方はかなり保守寄りです。憲法改正反対も「なんとなく不安だから」、金権政治に憤るのも「むかつくから」……と考えれば、それらも極めて保守的な反応と言えるでしょう。悪い意味じゃ無いですよ。ですから、あなたの自認がどうあれ、あなたはとても保守的な人間だということをまずご理解いただければと思います。そして、それは別に悪いことではないということも。別に、「なんとなく不安だから憲法改正には反対」で構いませんし、「むしろ外国が不安だからなんとなく改正したい」でも別に構やしないのです。みんなのそういう総意で創意すればそれなりにうまいこと形に落とし込むのが官僚という頭のいい人たちの仕事なので、せっかく税金払ってるんだから、投票という義務を果たしたらあとは成り行きを見守っていたらよいと思います。
じゃあなんで、長々レスを付けるのか。実は、少しだけあなたが「不安」に思った方がいいのでは……ということについて、「どちらかと言えば革新寄り」な私の見解を少しだけお伝えしたいと思ったからです。少しだけお時間いいでしょうか。まあ「革新寄り」な人間の言うことですから、話半分に聞いていただいていいのです。お茶でものみながら聞いて(読んで)ください。別にあなたを革新主義にしようとか思っちゃいません。(そもそも、そんなこと不可能です! 会ったことも無いあなたの「不安」をぱーっと解消して、新しいモノ好きの人間にするとか、そんな怪しい洗脳みたいな真似が言葉だけでできるなら、増田に書くよりよほどほかにすることがあるでしょう。)
私の思うその「不安」というのは、あなたも薄々感じているとおり、あなたの「不安」を外に出せないということと関係があります。あなたはあなたの「不安」を人と共有できない、と感じている。それはおおむね正しいです。それは、その「不安」が間違っているからではない(これは何度でも注意しておきます)。その「不安」が人を傷つける可能性があるからです。賢明なあなたは、どこかでうっすらとそのことに気付いている……あるいは、そうどこかで教わったことを内面化できている、そのおかげで、今のところはその不安を口に出さずにいる=誰かを傷つけることから免れている、というわけです。では、その不安を外に出したらどうなるでしょう。
あなたはすでに中年とのことですが、ひょっとしたら自分か親戚に子どもや甥や姪がいるかもしれませんね。親しい人、大切な人の一人や二人はいるのではないでしょうか。自分以外の誰か、目の中に入れても痛くない、あるいはその人が苦痛を負っているなら、その一部を分け持ってもいい、そう思える人の一人がいないでしょうか。あるいは、この先、そういう人が現れる可能性はないでしょうか。保護しなければいけない子、親戚でも近所でも、そんな縁がつながることがあるかもしれません。では、そのとき、その人がトランスジェンダーであったら? イスラム教徒であったら? その人が将来連れてきた伴侶がそれらの属性の人であったら?……そのとき、あなたがそんな発言を残していたら、それは確実にその「あなたの大事な人」を傷つけることになります。それはあなたにとって「不安」ではないでしょうか。
心というのは、表に出していないつもりで、結構端から洩れているものです。テレビを見ているときにちょっと眉を曇らせる、普段のちょっとした言葉や態度の端々に、あなたが考えていることは現れてくるものです。よほど厳しく自分をルールで律してでもいない限り(そういうのは革新主義の人の得意分野ですが)、あなたはおそらくあなたの内心を隠し偽ることができないでしょう。それだけに、軽々にああいった書き込みをしてしまうことには、少し慎重になられた方がよいのではないかと思うのです。ただしそれは、あなたの今感じている「不安」を押し隠すという方向である必要はなく、「不安」をそのまま剥き出しにしない……それが無闇に人を傷つけるものに成りにくいように配慮できたら、あなたの「不安」は幾分か少なくなるのではないでしょうか。
たとえば、
・トランスジェンダーを女性用スペースから排除してほしい→トランスジェンダーの生きにくさと女性の不安を共存できるようなやり方を検討してほしい
・移民を排斥したい→移民の人との間の文化的摩擦が最小となるよう十分な配慮を望む
・イスラム教徒とは共存できない→イスラム教の教義に基づき(これは実際にそう)日本社会との相互不干渉の維持に勉め日本社会への理解を促進してほしい
ね。
そもそも「異教徒ブッコロOK」というのは、愛の宗教を歌い「汝の敵を愛せ」とイエスが言った聖書を奉じるキリスト教ですら延々とやってきたことです。ユダヤ教が現にやっていることでもあります。逆に、人種、民族、身分格差は認めない、異教徒(一神教の)の信仰も認める、という教義のイスラム教が彼らより危険だというのは、少し公平性を欠いた議論であると思います。世界的に見れば、神を信仰しない日本人は相当「気持ち悪い」人々と思われていますが、それはそれで心外ですよね。うっすらとした信仰心みたいなものはあるし、それで社会がおさまってるからいいじゃん、と私たちは思っています。日本の一部で起きた過激な事件に紐付けて(たとえばオウム事件などに寄せて)キリスト教国じゃない国はこれだからダメだ、日本人とは共存できない、とか言われたら、少なくとも「それはちょっと誤解があるよ、大多数の日本人はそんなんじゃないよ」と言いたくなりますよね。それと同じです。
トランスジェンダーの多くの人は、不安がってる女性の中に飛び込んで「うぇーい」したい人ではありません。ただ、男性の中にいて感じている「居心地の悪さ」を、可能ならなんとかしたい、それだけのことです。解消する方法はなんでもよいのです。私はたとえば、もう真っ裸で入る公衆浴場というのはあきらめて、みんな水着で入るようにすれば全部解決だと思ってますが、たとえばそういうことです。みんなでちょっとずつ不自由を分担すれば、誰の「不安」も解消できるので、ナイスアイデアだと思うのですが。
それから、あなたの感じる「左派」への不安、ちょっと分かるのです。なぜなら、どうも「左派」の目立つ人々の中には、自分は「正しい」、自分は「弱者の味方だ」、自分たちは「正義の守護者だ」、自分たちに反対する人間は「悪だ」……そういう雰囲気を漂わせ、そういう言行をする人が散見されるからです。これはあまり感心できないことです。敵を「排除する」とか自分たちは正義でありこれは「変わらない」……それらは極めて「保守主義」的な言動であり、彼らが口にする革新的な主張と相容れないからです。保守主義がダメというのではなく、言行不一致で人を不安にさせるのがダメなのです。もちろん、ゴリゴリに保守主義的な左派にもそれなりの存在意義はあります(岩盤層の維持といった意味で)。ただ、彼らが主流となることはないでしょう。それに比べて、保守と名乗りつつ十分柔軟な発想ができる革新主義者、というのは、なかなか信頼がおけそうで、多数の支持を得るのも当然かもしれません。保守的な主張により保守派から、柔軟な態度や言動により革新派から、それぞれ支持を受けられるからです。後者が支持者を不安にさせないのは不思議ですが、彼らがその柔軟さによって巧みに顔を使い分けると考えれば、必ずしも不思議では無いでしょう(その点、革新の旗を掲げる保守主義者は、顔の使い分けが下手なように思います。素直な人々と言えばそうなのですが。)。左派の方々が現状で支持を得られないことには、それなりの根源的な理由があり、それはあなたが心配したり後ろめたく感じたりしなくてもよいことです。彼ら自身が考えるべきことです。あなたは先のエントリで、自分がなぜ左派に投票「できないのか」について、延々と述べているように感じました。それは、まるで「左派に投票するのが『正しいのかもしれないが』、こういう理由でできないのだ」と誰かに説明しているように見えました。でも、大丈夫です。最初に述べたとおり、たとえば投票といった場において、あなたがあなたの考えた通りに振る舞うことに、何の問題もありません。あなたは、自分が左派寄りだと思っているかもしれませんが、私から見れば十分保守寄りですし、だからといってそれがいけないということは全然無いからです。はっきり言いますが、革新主義者しかいない島があったとして、私はそんな島に住みたくはないです。もちろん、保守主義者しかいない島があったとしても同じ。これはおそらく7割から8割の人が、実際そうなんじゃないでしょうか。両方がいて、あれこれ意見を交わしながら、都度都度方針を決めて、あるときは保守的に、あるときは革新的に物事が進んでいるというのが、一番平和で適切ではないかと思います。だから、それでいいのです。
まあ、長々となりましたけど、要するに「あなたは別に今のままでOK」、ただ、「将来も後悔しないような言動ができるよう、少しだけ配慮した方がHappyじゃね?」って話なのです。軽々しく排除的な言動を、たとえ匿名でもしてしまったら、最後は自分自身だって傷つくのでは無いかなあという、ただそれだけの老婆心でした。なんだか偉そうになってごめんなさい。最後までご静聴ありがとうございました。
ブコメまで読んでないけど私も信仰心まっっったくない宗教3世だよ。
元増田と違うのは両親も信仰心がないこと、宗教のコミュニティがないこと。
でも家には宗教の会報(お金を払っている)(信者である祖母が)が届く。たまにコミュニティの人が何かの集まりのお知らせをポストに投函していく。
辞めるのが難しいのはとてもわかる。宗教関連のコミュニティがなく、その宗教にひとつもアイデンティティを感じていない私でも難しい。
難しい理由は、その会報をやめると地域の取りまとめ?からむちゃくちゃ詰問されたりするらしいという噂を耳にしたから。寝た子を起こすな理論というか、今まで凪いでいた環境に波風を立てて今更団体のヤバさに巻き込まれるのが怖すぎる。
もうひとつは辞め方がわからない。関わりがないからききようもない。調べても辞め方は確立されておらず、宣言と自分の強い気持ち、みたいなことが書いてあった。もともと献金、勧誘活動、集まり?にも参加していない我々にとって、辞めて態度でしめすってなに?ってかんじなのだ。
それと何よりもその宗教を心の拠り所にしている祖母にショックを与えたくない。祖母は10年以内に死ぬだろうし、それからでも遅くはないって思ってる。
自分語りが長くなった。
元増田に対して信仰心を感じるという件の一つに宗教にアイデンティティを感じているという点。アイデンティティではないが、祖母がずっと信じ、他害などせず、心の拠り所にしているものを、深く宗教のことを知らずにネットの情報だけを見た人から否定されるのは残念というか腹立たしく感じる。
でも実際この宗教に吸い尽くされたり被害に遭ったりした人がいるのも事実で、難しいなと思う。
私は思い入れがないし、実家のあった土地を離れて周囲に知り合いのいない場所で一人暮らしをしているので、祖母が亡くなったらたぶん脱会すると思う。
ここで言うガチとは、お守りをハサミで切るのにも特に抵抗はなく、悪い事したやつに不幸が降りかかってもバチが当たったとか思わず、事故物件であっても清掃が行き届いているかくらいしか気にしない人間のことだ。
でも、正月には初詣に行っておみくじを買うし、家人が「やっぱ悪い事は出来ないね、お天道様が見てるから」と言えば相づちを打つし、海外出張の前にお守りをもらえばちゃんと持っていく。それはまあ一種の社会性フィルタってやつだ。
そもそも、信仰は大半の人間にとって有用であるし、宗教というシステムも一部の例外を除いてはとても良く出来ていると思っている。有史以来宗教によって殺された人間は数多くあれど、宗教によって救われた人間だってそれ以上に多いはずなんだ。
だから彼らの信じるものを否定する理由などないし、気分を害するようなことをしても誰も得しないと思ってる。「無神論者たるもの信仰心を持った人を論破すべし」みたいになったら、それこそ宗教めいていて気持ちわりぃや。好きの反対は無関心ってな。
ウジウジしててキモい。本質的には宗教か恋人かどちらかを選択するだけの話。
恋人のために宗教やめれるか、宗教のために恋人をやめれるかの2択しかない。どっちも取ろうとしてるところに信仰心の深さを感じる。だから絶えず受け身。
自分が悲劇のヒロインであることに快感を感じている。恋人のことなど大切には思っていない。「泣かせてしまって申し訳ないがそれが悪いとは思ってないしやめるつもりはない」は通らない。
鬱はその宗教のせいだ。親を捨てろ。親からの抑圧に怒りはないのか。その罪悪感は植え付けられたものだ。どっちも取ろうとするから鬱になる。他人を不幸にする。
とっとと決めろ。
自身の信仰心(または宗教への依存)が大きくて無自覚に他宗教を攻撃する人がいる
節操なく依存してるのに、自分は賢く節度をもって宗教と関わっている(距離をおいている)と自認してるから、裏返って攻撃的になる
「脱会すればいいとのご意見も頂きましたが、本当になかなか厳しいのです。どうしても当事者にしかわからない事情で歯がゆいのですが、簡単にできることではないということだけ知って頂けたら幸いです。」
多分この感覚って無宗教(とアイデンティティをもっている人(本当の無宗教とは別))の人には分からないと思う。
三世ってことは祖父母も信仰してるだろうし叔父(伯父)さんとかも従兄弟だって宗教関係者かも。
自分が脱会しない理由はつらつら述べるのにパートナーの価値観は否定できるのすごいよ
宗教になんらかかわりのない人生を送ってきた人間が「宗教を脱会するのは難しくて~」ってどれだけ懇切丁寧に説明されても「じゃああなたにとって私はその苦難を乗り越えるに値しない程度の人間だったんだな」って思うよ
ネットやメディアでいろんな情報が錯綜するように、宗教って基本閉鎖的で表から見たらなにやってるか全然わかんないじゃん。秘密主義のとこ多いし
ただでさえ信仰心なんて目に見えないのに、宗教そのものも全然見えるところになくて、そこから一歩も動かず「信じてくれ」なんて、それこそ余程あなたに価値がないと頷けないよ
恋人はあなたの父親と同じように何かのきっかけ(例えば父親が死去するとか)で信仰心がより強まって名ばかり信者から普通の信者にステップアップする可能性を危惧してるんだと思う。
※追記あり
吐き出せる場所がなかったので、ここに書き記させてほしい。何かの肯定も否定もするつもりはない。ただの愚痴だと思って、暇つぶしにでも読んで頂けたら幸いである。
付き合っておおよそ2ヶ月程度だが、長々隠し続けるのもよろしくないと思い、酒の力を借りて(これに関しては良くなかったと思っている)震えも怯えも誤魔化し、宗教3世であることをカミングアウトした。恋人は、その場では多少驚いて見せたが、変わらない様子でその後も過ごしてくれた。そんな恋人を見て、受け入れてくれたのだなと脳天気に考えていた。
しかしその翌日、自分の宗教観、信仰心の程度、両親とも信仰をしているのか、何か金のかかることをしているのか、等を仔細に尋ねられた。
全てに素直に答えた。自分に信仰心はないし、両親に信仰心はあるが、より強かった母は既に逝去しており、父は母に言われて入信したにすぎず、母の死をきっかけに多少強まったとはいえやはりそこまでではない。金が出ていった形跡もない(母の医療費でそれどころではなかった)。これらのことを丁寧に伝えた。そして、自分は布教をする気はないし、宗教的な儀礼にも参加していないし、あなたに危害を加えるつもりは一切ないということを何度も何度も必死に伝えた。
それでも恋人の不安は止まらず、信頼(どころか崇拝の域だとは本人談である)している友達に相談したらしい。同じ宗教を信仰している知り合いがいたそうで、大金を叩いて大変なことになっていたらしいというエピソードや、信仰心がないと自称しているがそれは周りに信心深い人が多いからそう思っているにすぎないのでは?といった意見を聞いたそうだ。
そして自分で調べてみたら、拝金主義のヤバい宗教である、カルトそのものだ、2世や3世は人生を壊されている、などといった記事が次々と目に飛び込んできたらしい。
言わせてもらえば、インターネットなんてそんなものだろう。センセーショナルなものほど目立つ。たとえばある人について、懸命なボランティア活動を行っていたという報道よりも、その裏でセクハラをしていたという報道の方がよっぽど目を引くだろう。ましてやテーマは宗教だ。大きな事件もあったことだし(自分の属している宗教のものではないが)、大衆の関心は高い。面白おかしく取り上げるにはうってつけの題材だろう。
大金を叩いて大変なことになるかもしれないというのも、先述の通り我が家ではそんなことはなかったし、自分自身だって宗教的なものに金を使うつもりはない。使えと言われても断れる自信がある。信仰心がないからだ。
恋人は「安定した生活を共に送れるパートナー」を求めていたらしい。宗教3世なんて肩書きのある者はそれに値しないとのことだった。やはりお金を宗教に使うリスクや、世間からどう見られるかといったことが気に掛かって仕方がないらしい。早く辞めてほしいと涙ながらに懇願された。
そもそも同性カップルである時点で世間から一切後ろ指をさされないとはいえないのではないか(もちろんそうならない世界に一刻も早くなってほしいが)。残酷なようだが、100%安定したパートナーを求めるのはハナから厳しい話なのではないか。
仮に同性カップルであることの誹りならば耐えうるというのなら、パートナーが自分の意思とは関係なく宗教に入信させられた(自分は出生した時点で入信させられたらしい)特に信仰心のない3世だという誹りも耐えられないのだろうか。同性愛よりも宗教への風当たりが強いという現実は否めないが、そこに差異を感じる理由が自分にはあまり理解できない。そもそも隠し通すことだってできるはずだ。自分だって今までそうしてきた。
ましてや自分はそれなりに安定した身分だ(身バレを防ぎたいのでぼかさせてもらう)。恋人が何もできなくなったとしても支えることはできる。これはまごうことなき安定した生活の保証ではないのか。こんな生まれついたもので、打ち消されてしまう程度のものなのだろうか。
生まれついて選択権のなかったものという点では性指向も宗教3世も同じなのではないかと思う。恋人は「宗教に関しては自分の意思で辞められるだろう」と言い返していたが、それなら、これはあまりにも暴力的な理屈だが、同性愛者であっても異性と性交渉をすることは精神的にはともかく物理的には可能じゃないか。自分だって本当にこんなことを言いたくはないが。世間の目線を気にし、自分の意思で無理矢理異性と結婚した同性愛者だって少なくないはずだ。恋人はこのような人達の存在も当然の行いをしたまでだと判断するのだろうか。
実際さっさと脱会したらいいのでは?という意見はよく目にするが、これもなかなか難しい話なのである。信仰心がないからといって即座に脱会!というわけにはいかない。宗教の人達からどういう目で見られるのかと考えるとやはり恐ろしい。宗教のみを理由にして優しくしてくれていたのだとしたら、その事実を目の当たりにするのがどうしても怖い。それこそ信仰心がないからだ(信仰心があれば、宗教の人たちとの繋がりが切れることへのシンプルな寂しさしか抱かなかったであろう。信仰心のない自分が抱いているのはただただ恐怖のそれだ)。それまでの縁であったと割り切ることはきっとできると思う。しかしそれには大きな傷が伴うし、時間もかかるだろう。私は母が病死した際に、宗教に基づく儀礼等に従った方式でなくただただお線香を上げに来て下さった宗教のひとびとが、信仰心に基づいてそれを行ったとは思えなかったのだ。
ましてや父に勘当だってされるかもしれない。そこまでいかずとも、大きく傷つけてしまうかもしれない。今の父は、さきほど述べた通り、母の大事にしていたものを大事にしたいという心境から、信仰心が少しだけ強くなっている。そんな風に抱きしめているものを、突然唯一の子供から強く否定(に近い行動を)されたら、父はどう思うのであろうか。
そして、これはもしかしたら当事者にしかわからない感覚の話かもしれないが、信仰心とはパラレルに、やはりそこにアイデンティティが存在する。同じ括りにしていいのかはわからないが、出身地のようなものだ。地元愛があるかどうかは別として(自分はない側である)、その地の出身であることは人生の一部に他ならない。もしくはタグか何かだろうか。生まれついたものであり、見せびらかす人もいれば、隠したがる人もいて、いずれも外せはしない。
それでも恋人は、今後の自分の発言や行動を「宗教の人」のものとして認識してしまうと泣いていた。散々長々書いたが、結局この人のためにいつか脱会しないといけないなと思っている。この辺りの時期かな、となんとなく目処も立てている。まだ踏み切る覚悟はできていないが。
そしてここからは宗教3世とは話題が離れるが、この話の流れでついでに吐露されたことがある。
まず、自分は鬱病を患っている。原因は母の病死と父の精神状態の悪化だ。通院をしており、現在闘病中である。今でも「お前らがストレスを与えるせいで私の病気は悪化して死ぬんだ」との母の昔の発言を引きずり、自分はどれだけ母の寿命を削ってのうのうと生きているんだろうという罪悪感を抱きしめ、病床の母や咽び泣く父の姿がフラッシュバックし、毎晩母を想って「〇〇ちゃん(母の愛称)、どこ行っちゃったんだよ」と泣く父の声を聞き、それにしんどさを覚える自分にまた罪悪感を抱き、それら全てをないまぜにした希死念慮と喧嘩している。それでもやっぱり死にたくはない。どうにか寛解を前向きに目指している。
このことについて、恋人は「鬱病だっていつ治るかわかったもんじゃない、精神疾患を抱えてるパートナーがいるってことも世間からどんな目で見られると思ってるんだ、ずっとずっと不安で仕方がない」と涙ながらに吐き出した。
「絶対にいつか治るよ、少しずつ良くなってるから、安心して」としか返せなかった。自分だって自分の鬱がどうなるかなんてわからないが、絶対に治す意思はある。一生鬱をやっていくつもりはない。そして、これだってなりたくてなったわけではない。
自分の意思でない肩書きのせいで泣く恋人に、世間の目が怖いと震える同性の恋人に、これ以上何ができたのだろうか。自分が「こう」でなければよかったという自責の念が止まらない。やはり生きていることへの罪悪感が、止まらない。生まれてくるべきではなかったのかもしれない。大好きな恋人をこんなにも悩ませ、泣かせてしまった。末永く付き合って、幸せにさせてほしいと思っていたのに。それも生まれのせいで叶わないのかもしれない。自分だって可能なら無宗教として生まれたかった。消えてしまいたい。
拙文で申し訳がない。繰り返すようだが、この世の何かの肯定も否定もするつもりはない。ただの愚痴に顔も名前も知らないあなたを付き合わせてしまい、申し訳がない。
追記:
ただのチラ裏愚痴のつもりだったため、想像以上の反響にただただ驚いております。どのような感想を抱いたにしろ、読んで頂いた方々にあらためて感謝させて頂きたいです。
気になる(負の感情ではありません)コメントがいくつかあったため、自身の見解を述べさせて頂きます。
信仰心があるようにしか見えないというご意見をいくつか拝読いたしました。あくまで自分視点での話にはなってしまいますが、本当にないつもりです。宗教3世であるというアイデンティティはあれど、何も信じていないし、教祖的な存在への批判もすんなりと受け入れます。母がいよいよという時にも、宗教には決して縋りませんでした。信じていないからです。
宗教コミュニティに依存していること自体が信仰と関係なく怖いのでは?というご意見も頂きました。脱会してその人達からの扱いが露骨に変わってしまったら傷つくなあという不安イコール依存ではないのではないかなと感じます。ありがたいことに、コミュニティ外の友人も沢山いるので(依存してるとしたらこっちの方かと思います)そこまで依存はしていないつもりです。一度経験しなければならないであろう傷つきが怖い、それだけのことです。縁が切れたらそれまでとも思っております。
脱会すればいいとのご意見も頂きましたが、本当になかなか厳しいのです。どうしても当事者にしかわからない事情で歯がゆいのですが、簡単にできることではないということだけ知って頂けたら幸いです。
なかなか知り得ない世界のことですし、そう思われて当然だと思っているため、どんな意見も(たとえ対面であれば言わないであろうものであれど)ありがたく受け止めさせて頂いております。3世当事者である以上、視野には限界があると思っているため、なるほどこういう考え方もあるのかと勉強させて頂いております。
自分への心配や慰めの言葉をかけて下さった方、親身になって怒って下さった方も、大変にありがとうございます。泣いてしまいました。どこの誰とも知れぬ自分にこんなにも優しくして頂けて、感謝の思いでいっぱいです。
自分は恋人のことが本当に大好きです。これからどうにか妥協点を見つけていけたらいいなと模索中です。いくらなかなか簡単にはいかないこととはいえ、先述の通り脱会も前向きに考えております。鬱もせめて心配をかけない程度には寛解を目指すつもりです。
創価学会を信じている人を見ると内心侮蔑してしまう。 信じる事によって彼等は心が救われているのだと理解しても、蔑む気持ちが心の中に常に存在している。
何故仏などという居ないものを崇め信じるのか。昔に『いた』と言われている、記録されているだけの何かを信じる事は、わたしには難しい。その神様か仏様が、定期的に15年に1度などのペースで現れて、何か大層な有難い言葉を紡ぎ、人間では有り得ぬ力で大勢を救う様子が見られ、記録されているのであれば信じるが、残念ながらそんな事は起こらない。
神様や仏というものは、神話や聖書等のコンテンツとして読む分には充分面白い。ゼウスは唯一神で宇宙や天候を司り、万能であるとか、ハデスは冥府の神であるとか、キリストが磔にされて3日後に復活したとか、様々な逸話は物語のキャラクターとして魅力的だ。才にあふれた個性豊かな神や人々が織り成す神話は、展開がぶっ飛んでいて読んでいて飽きるものでは無い。信仰心が皆無のわたしでも、素晴らしい、偉大だねと褒め称えることは出来る。鬼滅の刃で、煉獄杏寿郎が活躍する見て「煉獄さん素晴らし過ぎる…!」と言うくらいのテンションくらいで。
そんなわたしが何故、ここまで創価学会を毛嫌いするのかと言うと、まあシンプルにわたしの願いを叶えてくれなかったからだ。
わたしが小学生の頃、母は創価学会の熱心な信徒で、毎朝題目を唱えていた。わたしは題目のよくわからない言葉が気持ち悪くて堪らなくて、唱える事を毎日嫌だ嫌だと抵抗していた。何故仏壇に向かってよくわからん言葉を唱えねばならんのだ。気持ち悪い、嫌だ。と嫌悪の気持ちが非常に強かったのをよく覚えている。しかし平穏に過ごすことを目的とした姉と弟や母にちゃんとやれと叱られ、ぐずぐず泣きながら、母の膝上で題目を唱えるフリをしていた。
娘が毎日抵抗してるのにも関わらず、懲りずに毎日題目を唱えているので、ふとある日、「これをしたら願いが叶うのか」と聞くと「そうだよ」と母は返した。願いが叶うのならば、と単純でひねくれた小学生のわたしは期待を込めて、創価学会とやらを小さく信じることにした。どうしても抵抗感があったので題目を唱える事こそしなかったが、毎日母の膝の上で「パパとママが仲良くなりますように。喧嘩がなくなりますように」と願った。そしてその願いは、当たり前だが叶わなかった。
両親の喧嘩が絶えなかったのは、母がのめり込むこの創価学会に原因があった。創価学会に限らず、宗教というものは金がかかる。創価学会はそれが顕著で、聖教新聞や、創価学会の教祖が書いた人間革命とか無駄に分厚い本の購入やらで色々金が入用なのは有名な話だ。実際、ここ数年なんかのニュースで、婆さんが聖教新聞の大量購入などで貧困に陥り、栄養失調かなんかで亡くなっているなんていう話もある。ここまで来たらもうわかる話で、喧嘩の原因は主に創価学会に掛かる無駄金だった。
父の信仰心の有無は詳しく聞いてないのでわからないが、たぶんわたしと同じように、父の信仰心はゼロに近いものだと思う。実際、願いが叶うという保証なんてどこにも無い、不確実な何かに掛ける金ほと勿体ないものは無い。こんなものに金をかけるくらいだったら、まだリターンが存在するパチンコや競馬といった賭博の方がマシだろう。しかも育ち盛りの子供3人を養わねばならぬのに、妻が宗教などにうつつを抜かしているなどとなれば尚更だ。
金が入り用なのにこんな事に使うなと、父は母に怒り、そこから喧嘩に発展していく様子を何度も何度も何度も見た。父の怒り方は神経質でうるさく、不快なものだったが、今思えばそれが正常だったのだと思う。わたしが同じ立場だったら、やり方こそ違うかもしれないが同じように苦言を催しているだろう。
というわけで、わたしのささややかで純粋な願いは叶わなかった。
正直、これが創価学会だろうと他の宗教だろうと、おそらくわたしは同じような過程を経るのだろうとは思うが、どちらにせよ、少なくとも創価学会に関しては信じても救われないというのがわたしの持論になった。
ちなみに最終的に、この願いが叶ったかと言われればNoだ。
何年かして母はフェードアウトするように創価学会を辞めたが、喧嘩は15年以上経過した今でも定期的に頻発している。今は何も信仰などはしていないが、15年以上の時を重ねても、幼い少女の『両親が仲良くなりますように』というささやかな願いさえも叶える事ができない、それどころか少女がそんな願い事をする原因になり得るあたり、創価学会には力が無い事を証明されたとわたしは思う。
めたまん(めたん・まんじゅう)
@1CaAKHQnM4ksDU
私の名前、住所、電話番号をツイートされた方でいわゆる情報共有グループの一員です。訴額は40万になります。(30万かも)それじゃあよろしくお願いします。
すでにアカウントは消去されたみたいですねえ…
https://pbs.twimg.com/media/GRNrOawaIAIiMZL.jpg
https://x.com/1CaAKHQnM4ksDU/status/1806905779661987957
めたまんは暇空茜がcolabo追求していた頃に暇アノンとなり、colabo叩きの動画などつくっていた
colaboは目立っている暇アノン4人をピックアップして開示し、その中にめたまんがいた
暇空が堀口英利叩きをするようになったあたりで「暇空はヤバイ人なのでは」と察し始めていためたまんは
colabo弁護団とのやり取りの中で完全に暇空への信仰心を失い陳謝し和解
結局4人全員が和解
中には後になって和解条項を破ってまたcolabo中傷するようになった者もいるが、めたまんは完全に反転して暇空に批判的になった
めたまんはネカマではないが、アイコンが可愛く言動も抜けていて可愛げがあったため、暇アノン界隈では「めたんちゃん」と呼ばれ
別に男でもいいとか本当は女児認定とかして愛玩してシコる対象にされていた
めたまんが暇アノンをやめたのは、いやらしいDMが多く届くせいもあった
暇アノン抜けした者は多くいるが、かつてオカズにしていためたまんが敵に寝返ったのは多くのめたまんシコ勢に衝撃を与えた
和解した4人の中でもめたまんは特に苛烈な叩きの対象になり、暇アノン時代に親しいアノン仲間と遊ぶ際に教えていた氏名住所電話番号勤務先などが全て流出
めたまんのリプ欄にそれらを執拗に書き込む者が何人も発生した
また、元暇アノンに統失の女性Mさんがおり、彼女は吹き込まれたことをなんでも信じてリアル凸してしまうためラジコンにされて遊ばれている
めたまんアンチはMさんをめたまん家に送り込もうと画策したが、めたまんが地方住みのため頓挫
Mさんは堀口へのラジコンにされてストーカー規制法で逮捕される
仕方がないのでアンチ本人がめたまん家に凸するなど、めたまんは生活を脅かされアンチらの開示請求を開始
Mさんは統失さが露わになる前は、めたまん・堀口と3人で会ったりしていた
その際に堀口がおごってくれたり、かなり年の差があるMさんを女性扱いしてレディーファーストに振る舞うため堀口に惚れて
暇アノンに「彼を救えるのはお前だけだから会いに行け」と吹き込まれるなどして暴走していった
今回開示が通ってめたまんに訴えられたkenはかつてめたまんガチ恋シコ勢だった
開示されたアカウントは削除したが、今でも複垢でめたまん叩きをしている
kenに限らず、10件開示したら別人のふりした同一人物ばかりで、出てくる実名は重複しているとめたまんは語っている