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はてなキーワード: 苦痛とは

2024-07-26

anond:20240726124832

自称弱者男性って女は男程異性の所有やセックスを求めてないという事実すら受け入れるのがストレス苦痛で早死するんだろ

救いようがない

2024-07-25

都心まれ都心で働いてる人って結婚した後の住居どうしてんの?

世帯年収1000万でも… 東京住宅価格高騰に悩む子育て世代 

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20240723/k10014518961000.html

この記事読んでふと思った

都心実家だと広くてもせいぜい4LDKくらいだから2世帯で住むのはキツいじゃん?

じゃあ家探そうってなっても、ほとんどの労働者は今の都心不動産価格では親世代よりもアクセス悪かったり、狭かったり、古かったりする家に住まざるを得ないわけで

子供の時よりも大人になってからの方が不便な住居に住まなきゃいけないってすげー苦痛じゃないのかなと思う

俺が土地余りまくってるクソ田舎育ちだからこういう感覚なのかもしれんが

歳を重ねるほど生活に余裕が出来るはずっていう昭和社会通念を引きずったまま未だに世の中回ってる気がしてて、

インフレ都心一極集中によってもたらされた現実理想乖離しまくってる現状で、都心まれがどういう感覚自分住まいを考えているのか知りたい

俺が勝手心配してるだけで、実際都心で働くエリートたちはインフレに見合った賃上げがなされていて、肌感覚では住まいに困ってないのかもしれんが

でも、4人家族で60平米の2LDKペアローンフルで買って、車もなしで子育てするとか狂気の沙汰だと思うんだよな...あまりに家庭を持つのつらすぎないか都心

anond:20240725080507

死の間際のANMCの思念が聞こえた…。

毎日自動的快感物質を投与される苦痛の無い平和で穏やかな日々…。幸せなのに…。尊い命なのに…。ボクのせいじゃないのに…。ボクはみんなのためにがんばって…。消えたくない…。死にたくない…。」

幸福を味わうための生物…。死を避けるための機械…。どちらでもあり、どちらでもない曖昧存在…。 いくら自分偽善で塗り固めても、一皮むけば際限のない欲望の塊。自ら何もせず、自ら何も失わない、とても楽で卑怯生き方…。でも、私はそれが生きてることとは思えない。

歩き煙草してるジジイ日傘をぶつけるライフハック

まじ苦痛非常識には非常識をぶつけるしかない

夫婦で毎朝7時から散歩してて、開始時にジジイの方が絶対煙草吸ってんだけど、ババアも何か言えよ

さっさと寿命来てしねよ

2024-07-24

ハッカ油ちんこに塗ると激痛でのたうち回ることになると聞いて、ちんこよりもっと敏感なクリトリスハッカ油塗ったらどれくらい苦しんでくれるのかぁとか考えてた。

苦痛の割に体に後遺症も傷も残さないし、身分証資格もなく安価で買えるし、そこら辺においておいてもなんの不思議もないものだし、日常系ソフトリョナ界隈はハッカ油プレイのシコリティ有用性をもっと深く研究すべきだと思う。非現実的空想的な暴力けがリョナでないのだよ。

ちょっと愚痴

ちょっとだけ愚痴です。

SNSでやたら懐かれて、リプやらずっとしてくる人がいて、かなり辟易しています

私はSNSなどは好きなのですが、リプ返がめんどくさいタイプで、2週間くらいまとめてリプ返とかをします。

この人は1日平均3リプくらいしてきて、多い時は1回で6リプくらいしてきます上記記載した通り、私はリプ返してません。私はよくSNS独り言を言ってるので、それらに対して返事がないのに連続でリプしてくるのです。

3年くらい続いていて、過去2回、リプが多いから減らしてくれと依頼しました。

1回目はこちらに気を使わせないためか、1日1リプくらいまで減りました。が、2〜3ヶ月で戻りました。

(そもそもこういうトラブルがあれば、1日1リプでも控えるのが普通では?とも思いますが…。まぁ気を使ったのでしょう。)

2回目は3日ほどリプが0になり、その後はリプ数は半減しました。

(しかし半減です。1日平均3リプが1.5リプになっただけです。)

最初は耐えられていました。

しか最近耐えるのも苦痛になってきました。

人は簡単選択肢で迷うのにも脳が疲労するといいます。内容のないリプを読む時間、返事するか迷う時間、これらが最初は耐えられたのに、もう今ではかなりの苦痛です。

リプもしょーもない内容なのです。

例えば、政治に対する独自観点やらがあるならまだ楽しくリプもできるかもしれませんが、「今日は○○を食べたんですね。」とか世間話のような深みのないものばかりです。

無視すれば簡単だったのかもしれません。

来たリプの10%くらいしか返事しなかったら、数も落ち着いたかもしれません。余裕のある時にそう言う対応をとっていればよかったです。

しかし、その人にだけ返事をしない、という無作法を取れず、律儀に(2週間ほど遅れてですが)リプしていました。

リプだけで30分とかかかってました。

今は多少は気を遣っているのが分かります

1日0〜2リプほどで、多い時だと3〜4リプほどです。

しかし、なぜか前は耐えられていたのに、今はもう耐え難いのです。

1日1リプ来てても辟易します。

普通なら仲良くても、2〜3日に1リプが普通ですもんね。そりゃあ多いですよ。

1日3リプも来てた時は正気を疑います。でも本人は頑張ってるつもりなのです。抑制しなければ6リプ送るところを3リプに抑えてるわけですから

今日は3リプきてました。

夏バテもあるのでしょう。もう疲れました。

言っても分からないでしょうし、わざわざ気力を使って喧嘩別れをするほどでもない。

そのSNSから距離を置こうと思います

anond:20240724133243

橋本総理(当時)発コック首相書簡要旨

1998年7月15日

我が国政府は、いわゆる従軍慰安婦問題に関して、道義的責任を痛感しており、国民的な償いの気持ちを表すための事業を行っている「女性のためのアジア平和国民基金」と協力しつつ、この問題に対し誠実に対応してきております

私は、いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に多数の女性名誉尊厳を深く傷つけた問題認識しており、数多の苦痛経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての元慰安婦の方々に対し心からのおわびと反省気持ちを抱いていることを貴首相にお伝えしたいと思います

そのような気持ちを具体化するため、貴国の関係者と話し合った結果、貴国においては、貴国に設立された事業実施委員会が、いわゆる従軍慰安婦問題に関し、先の大戦において困難を経験された方々に医療福祉分野の財・サービス提供する事業に対し、「女性のためのアジア平和国民基金」が支援を行っていくこととなりました。

日本国民真摯気持ちを表れである女性のためのアジア平和国民基金」のこのような事業に対し、貴政府の御理解と御協力を頂ければ幸甚です。

我が国政府は、1995年内閣総理大臣談話によって、我が国過去の一時期に、貴国を含む多くの国々の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたことに対し、あらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたしました。現内閣においてもこの立場に変更はなく、私自身、昨年6月に貴国を訪問した際に、このような気持ちを込めて旧蘭領東インド記念碑に献花を行いました。

 

そして貴国との相互理解を一層増進することにより、ともに未来に向けた関係を構築していくことを目的とした「平和友好交流計画」の下で、歴史研究支援事業交流事業を二本柱とした取り組みを進めてきております

我々は、過去の重みから未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。我が国としては、過去歴史直視し、正しくこれを後世に伝えながら、2000年には交流400周年を迎える貴国との友好関係を更に増進することに全力を傾けてまいりたいと思います

anond:20240724130610

いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。

 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。

 なお、戦地移送された慰安婦出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島我が国統治下にあり、その募集移送管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。

 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性名誉尊厳を深く傷つけた問題である政府は、この機会に、改めて、その出身地いかんを問わずいわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省気持ちを申し上げる。また、そのような気持ち我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣検討すべきものと考える。

 われわれはこのような歴史真実回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。

 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間研究を含め、十分に関心を払って参りたい。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html



日本政府公式見解を認めないとか反日か?

anond:20240724122231

死の間際のANMCの思念が聞こえた…。

毎日自動的快感物質を投与される苦痛の無い平和で穏やかな日々…。幸せなのに…。尊い命なのに…。ボクのせいじゃないのに…。ボクはみんなのためにがんばって…。消えたくない…。死にたくない…。」

幸福を味わうための生物…。死を避けるための機械…。どちらでもあり、どちらでもない曖昧存在…。 いくら自分偽善で塗り固めても、一皮むけば際限のない欲望の塊。自ら何もせず、自ら何も失わない、とても楽で卑怯生き方…。でも、私はそれが生きてることとは思えない。

2024-07-23

大人になってラジオが苦手になった理由を考えてみた

中学生の頃は結構ラジオっ子でよくラジオを聴いていたのは覚えている

大人になってめったにラジオを聴かなくなったんだが自分なりに理由を考えたことをつらつらと残す

・圧倒的に広告が苦手というか嫌い

テレビでもCMが苦手でレコーダーに録画後CMをすっ飛ばしてみていた

ラジオもどうしても聴きたい番組は録音して飛ばし聴くがその手間を考えると気軽に聞くことができない

商品かに全く興味がないので特に広告を聞いたり見たりする必要性を感じない

特にネット検索ができるようになってから広告というものに触れていないが何の支障もない

逆に新しもの好きの人なら必要情報なのだとは思うので存在否定しているわけではない

自分の聞きたい音楽以外を聴くのが苦痛

これはもう老化としか言えないと思うのだが昔からかもしれない

ラジオ音楽はつきものなんだが当然自分の好みでない音楽流れる

真の音楽好きならば新しい音楽に触れるチャンスと喜ぶのだろうが

自分好きな音楽がある程度揃ってしまっているのでそれを聴くだけで満足する

これには自分の人との付き合い方も重なっていると思う

自分個人スマホアドレス帳の友人の登録は0人

そもそも人に興味が薄いのかもしれない

人当たりはよい方らしくすぐに人からしかけられ対応もできるが自分からは話しかけることはない

なんせ興味がない人に話しかけるという意味がわからない

この年にしてまだ人を好きになった経験がないのも関係しているのかもしれないが別段困ることもない

まぁラジオを聴かなくても生活に困ることはないので特に問題はないがふと思ったので書いておく

ちなみに災害用にはラジオを何台か電池とともに用意はしてある

生きてても苦痛しかいから、早く死なせてほしい

弥助問題ネトウヨが「外務省通報だー!」とか吠えてるけど

何で慰安婦問題では外務省公式見解尊重しないの?

 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。

 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。

 なお、戦地移送された慰安婦出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島我が国統治下にあり、その募集移送管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。

 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性名誉尊厳を深く傷つけた問題である政府は、この機会に、改めて、その出身地いかんを問わずいわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省気持ちを申し上げる。また、そのような気持ち我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣検討すべきものと考える。

 われわれはこのような歴史真実回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。

 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間研究を含め、十分に関心を払って参りたい。


これが日本政府公式見解だよ?

2024-07-22

郭文貴氏はついに詐欺罪有罪判決を受け、正義が果たされた

#郭文貴#ワシントンファーム

2024 年 7 月 16 日は、国際刑事司法に注目する人々にとって非常に重要な日です。長年米国から逃亡してきたインターポールの「レッド・ノーティス」郭文貴氏が、ニューヨークマンハッタン裁判所で、数千人から10ドル以上をだまし取った罪で有罪判決を受けた。この判決は間違いなく正義の力強い実証であり、郭文貴に騙された被害者への説明となる。

かつてビジネス界を旅した人物である郭文貴氏は、その知恵と努力を駆使して正当な富を築き、社会積極的に貢献するべきだった。しかし、彼は道徳法律違反する暗い道を選び、贅沢な生活を満たすために不正手段を使って何千人もの人々から巨額の金を騙し取りました。

ダミアン・ウィリアムズ検察官声明によると、郭氏は詐欺マネーロンダリング12件のうち9件で有罪判決を受けた。この結果は、彼の犯罪行為単独偶発的なものではなく、長期間にわたって慎重に計画され実行された組織的犯罪であることを十分に示しています。彼の犯罪被害者に多大な経済的損失をもたらしただけでなく、彼らに消えない精神トラウマを残した。かつて彼を信頼し従った者たちは、騙されたという結果を後悔と苦痛で耐えることしかできない。

Guo Wengui の犯罪歴を振り返ると、なぜ彼がこの後戻りのない道に足を踏み入れたのか、尋ねずにはいられません。それは富への貪欲欲求でしょうか?それとも法律に対する無知と恐れ知らずなのでしょうか?多分両方。彼は富を追求するあまり自分を見失い、道徳の最低ラインと法の威厳を忘れた。彼は、巧みな言葉と偽りの約束で無数の人を騙し、それによって金持ちになるという夢を実現できると考えました。しかし結局のところ正義存在しないわけではなく、やがて法の剣が彼に向けられることになる。

この事件私たちにも警鐘を鳴らしました。現代社会では、さまざまな詐欺の手口が後を絶たず、常に警戒し、自己予防の意識を高める必要があります一見魅力的な投資収益率の約束簡単に信じたり、いわゆる「成功者」のオーラに騙されたりしないでください。重大な経済的決定を下す前に、自分権利利益侵害されていないことを確認するために、十分な調査理解を行う必要があります

同時に、この訴訟は法の公平性権威を改めて証明した。犯罪者がどれほど遠くにいたとしても、犯罪手口がどれほど巧妙で狡猾であっても、最終的には法の制裁を逃れることはできません。法律社会秩序を維持し、国民権利利益を守るための最後防衛線であり、いかなる違法行為犯罪行為容認しません。

郭文貴氏を待っているのは法による厳しい罰だ。裁判官は今年11月19日対応する判決を下す予定で、同氏は数十年の懲役刑に処される可能性がある。これは彼にふさわしい運命であり、他の潜在的犯罪者に対する強力な抑止力になります。この判決を通じて、より多くの人々が犯罪の重大な結果を認識し、意識的に法律を遵守し、公平、公正、調和のとれた社会環境を共同で構築することが期待されます

郭文貴氏の詐欺罪での有罪判決は、正義社会進歩勝利である。それは、法の保護のもとでは、いかなる違法行為犯罪行為も逃れることはできず、すべての国民の正当な権利利益保護されると信じさせます。このことを教訓として、今の法治社会を大切にし、合法的かつ誠実に夢を追い求め、より良い未来創造していきましょう。

anond:20240719234825

ドラクエIもIIも仲間との会話ってほぼ無いです。

RPGゲーム元祖と言えるウィザードリィなどは仲間の姿も見えない。

でもプレイヤー想像する余地があるんだよね。FFも初期のドッド画なら想像余地がある。

逆に言うと今のゲーム声優かに金を流すために余計な事をし過ぎなんだよね。

キャラクター個性」が決めつけられすぎてて、作者と感性が違うと苦痛

カスタマイズできればいいけど。

2024-07-21

認知行動療法無尽蔵に金があったら何をするか考えるというのがあるが、同様に無尽蔵に女性モテたら何をするか考えてみたい

まず、無尽蔵に女体があるのだから貨幣と同じで数が多いほど価値は下がる

よって、紙皿の代わりに使って、女体盛りというのはどうだろうか

無尽蔵にあるのだから食洗機ならぬ女体洗い乾燥機必要さえないであろう

それから、女体でドミノ倒しというのはどうだろうか

ドミノ倒しの何がイライラするかといえば、当たり前だが並べてひたすらドミノを立てるという苦痛作業である

しかし、ドミノが人であれば、自分から整列して、前ならえすれば均等に並ぶことが可能である

苦痛な前段階の作業はなくなり、あとはただ倒すだけである

他にも、家具を購入せずとも、女性椅子や机になってもらうということも可能になるだろう

家具を移動する手間暇も、家具が自ら移動することが可能であるため、なくなるであろう

他にも、自分で買い物にいく手間暇を代行してもらうのは当然として、もう労働自体を代行してもらうことが可能になるだろう

というか、無尽蔵に労働力があるのだから、私が経営者になって、人材派遣業とか人夫出し、人貸し業が可能になる

無尽蔵の人材がいれば、無尽蔵に儲かるというもの

結局、人生はカネなのだろうか

モテたいだけの人生だった…😟

2024-07-20

リベラルさん、まともなことを言ってしま

https://x.com/J_J_Kant/status/1811050024937345198

性同一性障害を持つ人の苦痛に対して、社会はその軽減のための努力をするべきであって、差別という苦痛の上に苦痛を架するようなことがあってはならない。一方で、外見を変えることはできても、トランス女性女性ではなく、トランス男性男性ではないという現実まで変えることはできない。

リベラルさんがまともなことを言ってしまい、トランスカルトの盛大な釣り針になってるな。

身体性別否定するトランスカルトに勝ち目はないから、早いとこ切り捨てる必要がある。

うっかり美少女ニート居候することになったときのために部屋キレイにしてるけど

料理だけ苦痛すぎる

まな板包丁鶏肉切って塩コショウ揉み込んで手洗ってフライパン出して油、鶏肉焼肉のたれ入れて焼いて……あ、キャベツ入れ忘れた

めんどくせえええ メシなんて米とレトルトカレーで十分なんだよくそおおお

でも料理出しておいしいって言われる妄想してええええ

2024-07-19

anond:20240719180727

毎日自動的快感物質を投与される苦痛の無い平和で穏やかな日々…。幸せなのに…。尊い命なのに…。ボクのせいじゃないのに…。ボクはみんなのためにがんばって…。消えたくない…。死にたくない…。」

幸福を味わうための生物…。死を避けるための機械…。どちらでもあり、どちらでもない曖昧存在…。 いくら自分偽善で塗り固めても、一皮むけば際限のない欲望の塊。自ら何もせず、自ら何も失わない、とても楽で卑怯生き方…。でも、私はそれが生きてることとは思えない。

2024-07-18

仕事を奪われた絵師note勇気づけられたので俺も書く

noteを見て俺も最後区切りをつけようと思ったのでここに書く。

イラストレーターとしての俺のキャリアは、ここで終わりにしようと思う。

  

幼い頃から絵を描くことが好きで、気づけばそれが職業になっていた。

描いたイラストが人々の目に触れ、喜んでくれるのが俺の生きがいだった。

始めは俺も生成AIには反対だったが、次第に周りのAIに反対する声がヒートアップしていくに連れて

冷静になり、絵を描く事自体の喜びも次第に薄れていくのを感じるようになった。

  

最初に生成AI存在を知った時は、ただの技術進歩だと軽く見ていた。

でも、その能力に直面するたびに、自分の力が無力に思えてきた。

AIは驚くほどのスピードで、しかも精度の高いイラストを描き上げる。

俺が数日かけて描く絵が、AIの手にかかると数分で完成するなんて、まるで悪い夢のようだった。

  

ある日、長年のクライアントからはっきりと言われた。

俺が描くイラストは、どこかで見たようなものばかりで独自性が無いと。

自分スタイル時代遅れになっていることに気づかされた瞬間だった。

  

しかった。自分が長年積み上げてきた技術感性が、時代の波に飲み込まれていくのを感じた。

でも、それ以上に痛感したのは、俺たち絵描き自身限界だった。

技術進歩抗うことはできないし、それに感情的になって素早く適応できなかったのは俺たち自身問題だ。

  

生成AIの登場が、俺たちイラストレーターにとっての終わりを意味するわけではないと思う。

でも、今の絵描き惨状は俺たち自身が撒いた種だ。新しい技術に対して柔軟に対応できなかった、

進化を恐れていた俺たちの責任だ。AI他責するのは簡単だが、結局は自分力不足だった。

  

俺はこの二年しばらくの間は仕事を続けたが、次第にその意味を見失っていった。

描くこと自体が楽しくなくなり、絵を描く手が重く感じるようになった。これでは本末転倒だ。

自分が楽しむために始めたはずの絵描きが、今や苦痛の種になってしまった。

  

から、ここで決断した。イラストレーターとしてのキャリアを終えることにした。

悔しいし、寂しいけれど、これも一つの時代の流れなんだろう。技術進歩を前に抗うのは愚かだし、無意味だ。

俺たちは新しい時代適応する必要がある。

  

これからは別の道を模索しながら、自惚れていた自分と向き合って堅実に働いて行こうと思う。

仕事を選べる年齢ではないか3Kだろうがやるしかない。

捨て鉢にならず、前を向いて心を切り替えるのが俺のこれから課題だ。

  

最後に、これまで支えてくれたすべての人々に感謝したい。

あなたたちのおかげで、俺はイラストレーターとしての人生を楽しむことができた。

  

  

ありがとう。そして、さようなら

進行した認知症患者誤嚥肺炎とは延期可能老衰である

誤嚥肺炎という病気がある。

ガイドラインでは、誤嚥リスクのある宿主に生じる肺炎、と定義される。

そのうち最も多くを占めるのは高齢かつ進行した認知症患者発症する誤嚥肺炎である

内科救急で最も多く経験する疾患で、入院で受け持つ頻度もかなり高い。

特異なことに、最も多く接する疾患の一つでありながら、専門家存在しない。

肺炎から呼吸器なのかといえば、呼吸器内科医は認知症への対応は専門ではない。

精神科認知症診療業務範囲に含まれるが、身体疾患が不得手である

神経内科医は嚥下認知症を専門領域の一つとするが、絶対数が少なく、専門領域が細分化されている。

そんなわけで多くの場合内科医が手分けして診療することになる。

そういうわけだから誤嚥肺炎に対する統一的な見解はない。ガイドライン2013年から更新されていない。また誤嚥肺炎に関する文献や書籍はあるし、質の良いもの出版されているが、多くは診断、治療、予防に重きを置く。価値観に深く踏み込んだもの殆どみない。患者自身が何を体験しているか推定している文章殆ど読んだことがない。

病状説明も僕が研修医でほかの様々な医師説明を聞いても、肺炎です、誤嚥が原因です、抗菌薬で治療します。改善しないこともありますし、急変することもあります、といった通り一遍説明以上のことを聞いたことは殆どなかった。

当然ながら国家試験の出題範囲にも入っていなかった。

もっともよく経験する疾患でありながら、どうするべきかの具体的な方針大学教育でも研修医教育でも提供されないのだ。

にもかかわらず、認知症患者誤嚥肺炎は最も多い入院かつ、その患者入院期間が長い傾向にある。入手可能データだとおおよそ一か月の入院となる。死亡退院率はおよそ15-20%で、肺炎としては非常に高い。疫学については良いデータがないが、専門病院などに勤務していなければ、受け持ち患者のうち5人から10人に1人くらいは誤嚥肺炎が関連している印象がある。

誤嚥肺炎は、進行した認知症患者ほど起こしやすい。そして、誤嚥肺炎を起こすことでさら認知機能が低下する。しばしば経口摂取が難しくなる。そして自宅や施設退院することが難しくなり、転院を試みることになる。

転院待ちのためにさら入院期間が延びる。

典型的には進行した認知症を背景に発症するので、意思決定を本人が行うことができない。患者施設入居者であることも多く、施設職員がまず来院する。その後家族が来院して、話をする。肺炎であるから治療可能な疾患の前提で話が進む。進行した認知症治療不可能な疾患があることは意識されない。

ここでは、進行した認知症、つまり意思決定能力があるとは考えられない患者、今自分がどこにいて、周りの人がだれであって、自分の状況がどうであるかを理解できないほどに進行した認知症患者、と前提する。

退院してもらうための手段、という意味では治療は洗練されてきている。口腔ケアを行い、抗菌薬を点滴する。嚥下訓練を含めたリハビリテーションを行い、食事を早期から開始し、食形態誤嚥しづらいものに変える。点滴を早期に切り上げて、せん妄リスクを減らす、適切な栄養療法を併用して低栄養を防ぐ…。

そういったことを組み合わせると、退院できる可能性は高まる身体機能食事を再開できないレベルまで低下することはあまりない。

しかしそこまでして退院した患者は、以前の身体機能認知機能を取り戻すわけではなく、少し誤嚥肺炎を起こしやすくなり、活動制限がかかり、介護をより多く要するようになり、認知機能さらに低下して退院していく。

から人によっては一か月とか半年後に誤嚥肺炎を再び発症する。

家族医師は以前と似たようなものだと考えている。同じような治療が行われる。

そこに本人の意思はない。本人の体験がどうなのかを、知ることはできない。

というか、進行した認知症で、ぼくらと同じような時間感覚があるのだろうか。

本人にとって長生きすることの体験価値があるのか、ないのかも知ることは難しい。

 というのは逃げなんじゃないか

状況認識ができなければ、そこにあるのは時間感覚のない快・不快感覚だけではないか。だとすればその時間を引き延ばし、多くの場合苦痛のほうが多い時間を過ごすことにどれほどの意味があるんだろうか。

なぜ苦痛のほうが多いかといえば、状況を理解できない中で食形態がとろみ食になり(これは美味とは言えない)薬を定期的に内服させられ(薬はにがい上、内服薬をへらすという配慮がとられることはめったにない)、点滴を刺され、リハビリをさせられ(見当識障害されている場合、知らない人に体を触られ、勝手に動かされる)、褥瘡予防のための体位変換をさせられ、せん妄を起こせば身体拘束をされ、悪くすると経鼻胃管を挿入される(鼻に管を入れられるのは、快適な経験ではない)

どちらかといえば不快であるこれらの医療行為は、治療という名目で行われる。

この治療は、肺炎治療するという名目の元に正当化される。

多くの医師は疑問を抱かずに治療する。治療される側も、特にそれに異をとなえることはしない。異を唱えるだけの語彙は失われている。

仮に唱えたとしても、それはせん妄認知症悪化としてとらえられてしまう。

老衰過程が長引く苦しみがあり、その大半が医療によって提供されているとは考えない。

 ここで認知症というのは単なる物忘れではないことを説明しておく。それはゆっくりと進行する神経変性疾患で、当初は認知機能、つまり物忘れが問題になることが多いが、長期的には歩く能力、座る能力食事する能力が失われ、昏睡状態となり最終的には死に至る疾患である

 多くの内科医はこの最後の段階を理解していない。肺炎入院したとき認知機能について評価されることは稀だ。

実際には、その人の生活にどれだけの介護必要で、どのくらいの言葉を喋るか、笑顔を見せることがあるか、そうしたことを聞けばよいだけなのだけど。

進行した認知症入院するのがどのような体験か、考慮されることはめったにない。

 訴えられるかもしれないという恐れの中で、誤嚥リスクを減らし、肺炎治療するべく、様々な医療行為が行われる。身体が衰弱していくプロセスが、治療によって延長される。

 医療において、患者権利尊重されるようになってきた。僕らは癌の治療を中断することができる。良い外科医を探すべく紹介状を書いてもらうこともできる。いくつかの治療法を考慮し、最も良いであろうと考える治療選択することもできる。

 しか患者自身認知機能を高度に障害されてしまった場合はそうではない。医師が何を希望するかを聞いても、答えてくれることはないし、答えてくれたとしても、状況を理解できないほどに認知機能が損なわれている場合は、状況を踏まえた回答はできない。

 そこで「もし患者さん本人が元気だった時に、このような状況をどうだったと考えると思いますか」と聞くこともある。(これは滅多に行われることはない。単に、どんな治療希望しますか、と聞くだけだ。悪くすると、人工呼吸器を希望しますか、心臓マッサージ希望しますか、と聞かれるだけだ。それが何を引き起こすかは説明されずに)

しか問題があって、認知症が進行するほどに高齢患者家族もまた、高齢であって、状況を適切に理解できないことも多い。また、記憶力に問題があることもしばしばあって、その場合は話し合いのたびに最初から話をしなければならない。このような状況は、人生会議の条件を満たしていない。もしタイムマシンがあれば、5年前に遡れば人生会議ができたかもしれない。

 親類がいればよいが、これからの世の中では親類が見つかりづらかったり、その親類も疎遠であったり、高齢であったりすることも多いだろう。

 そうした中では、理解が難しい場合も、状況を理解して改善しようという熱意に乏しい場合も、(本人の姉の息子がどのように熱意を持てるだろうか)、そして何より、医師が状況を正確に理解し彼の体験想像しながら話す場合も、めったにない。

 意思決定において、話し合いは重要視されるが、その話し合いの条件が少子高齢化によって崩されつつあるのだ。

 無益治療、という概念がある。

「同じ治療をしても100回に1回も成功しないであると推定されること」

「その治療を行っても、急性期病院から退院できないこと」

この二つを満たすことが無益治療定義である。この概念提唱した、ローレンス・J・シュナイダーマンと、ナンシー・S・ジェッカーは、脳が不可逆的に障害された患者対象としている。

彼らはいかなる経験をすることもないから、治療による利益を得ることもない、だから無益治療倫理的に行うべきではなく、施設ごとにその基準を明示するべきだ、というのが彼らの主張である

高度に進行した認知症患者誤嚥肺炎治療は、厳密な意味での無益治療ではない。彼らは何かを体験する能力があるし、半分以上は自宅や施設に帰るだろう。自宅や施設では何らかの体験ができる。体験を感じる能力も恐らく完全には損なわれていないだろう。

この完全ではない点が、倫理的な空白を作り出す。

痴呆から認知症/物忘れと名前が変化したことは一因だろう。

そこで死に至る疾患である印象が失われた。

専門家の不在は、価値の普及を妨げた。病状説明の型がある程度固まっていれば、それがどのような形であれ、専門家集団によって修正され得ただろう。ガイドラインは不十分である医療ガイドラインエビデンスのまとめと指針である。つまり誤嚥肺炎の診断・治療・予防であり、その価値に関する判断はしばしば言及されない。ガイドラインはないにしても、診断・治療・予防に関して役立つ本はある。ただ、価値踏み込む場合も、基本的にはできる限り治療するにはどうすればよいか、という観点である

人生の最終段階における医療ケアの決定プロセスに関するガイドライン人生の最終段階における医療ケアに関するガイドライン存在するが、そもそも高度な認知症合併した誤嚥肺炎が、人生の最終段階と解釈されることはめったにない。だからこのガイドラインを用いた話し合いができることは少ない。また、多くの医師は、押し付けられた仕事認識していることから、じっくりと時間をとって家族と話をすることはなかなか期待できそうにない。多忙であればなおさらである

さらに状況が不利なのは、個々の病院Key performance indexは、病床利用率であることだ。

認知症患者誤嚥肺炎は、しばしば酸素必要とし、時に昇圧剤やモニター管理を要するなど重症であることが多く、入院期間が長くなる。そのため、看護必要度を取りやすい。多くの病院は、その地域病院が不可欠であることを示す必要がある。不可欠であることの証明に病床利用率と、看護必要度使用される。そのため、誤嚥肺炎患者を引き受けない理由はない。救急車の使用率も高く、数値上は確かに重症であるので、病院経営上は受け入れておきたい。

 介護施設に入所した場合は、誤嚥肺炎の死亡で敗訴し、2-3000万円の支払いを命じられる訴訟複数あることもあって、搬送しないという選択肢は難しいだろう。

 介護施設から搬送された患者誤嚥肺炎であることは多い。その一方で、こういった場合家族が十分な話し合いの時間を割けないことが多い。片手間でやっている医師も、長い時間をかけて説明したくはないので、お互いの利益が一致して肺炎治療が行われる。

 一方、最近増えている訪問診療は、誤嚥肺炎治療を内服で行うとか、そもそも治療を行わないという選択肢を提案できる場である。そこには期待が持てる部分もある。定期的な訪問診療でそうした話がしっかりできるかといえば難しいが、可能性はある。ただ、訪問診療医になるまでに、誤嚥肺炎に関する専門的なトレーニングを受けるわけではない点が問題になる。しかし家での看取り、という手段を持てるのは大きいだろう。

 

訪問診療を除けば、医療の側からこの状況を改善することは殆ど不可能なように思える。

 病院経営構造施設訴訟回避医師不勉強説明不足、そしてEBM患者中心の医療を上っ面で理解したが故の価値という基準の不在、めんどうごとを避けたい気持ち多忙さ、患者自身自己権利利益を主張できないこと、家族意思決定能力の乏しさや意欲の乏しさ、こうした問題が重なりあって、解決は難しいように思える。

現在誤嚥肺炎入院担当する主な職種である内科医は、糖尿病外来診療を主たる業務とする内分泌代謝内科という例外を除いて、減少しつつある。

専門医制度煩雑になったからというのもあるが、ぼくは少なから認知症高齢者の誤嚥肺炎診療したくないから、希望者が減っているのだと思っている。確かに診療をしていると、俺は何をやっているのだろうか。この治療に何か意味があるのだろうか、と考えることがあった。同じようなことを考えている医師は少なからずいる。露悪的なツイートをしている。しか構造上の問題点について踏み込むことはそこまでない。

僕は構造的な問題だと思っていて、だからこういう文章を書いているわけだ。

進行した認知症患者誤嚥肺炎とは延期可能老衰である、という共通認識が広がれば、状況は変化してくるかもしれない。事実認知機能が低下していない高齢者で、延命希望しない方は多い。その延命意味は具体的に聞けば、かなりしっかりと教えて頂ける。

誤嚥肺炎診療は、所謂延命解釈することが可能範疇に入ると僕は考えている。

後期高齢者医療自己負担額一割と、高額療養費の高齢優遇の組み合わせを廃止することや、診療報酬改定によって、誤嚥肺炎入院加療の色々なインセンティブを調整することで、否応なしに価値が変化するかもしれない。そういうやり方をした場合、かなりの亀裂が生まれる気もするけど。

2024-07-17

anond:20240716233144

一つ言っておくと、現状を変えたくない、新しいことは怖い、「外」は外「内」は内で暮らしたい、どちらかと言えばお気持ち重要……そういう心性に基づく思想保守主義と言います

一方で、現状を変えることも厭わない、新しいことは楽しい、「外」も「内」もなくなればよくない?、どちらかと言えば理屈重要……そういう心性に基づく思想革新主義です。

誰もが、幾分か保守で幾分か革新です。割合は人それぞれ。どちらがいい、悪い、上か下か、そういうのはありません。これ大事です。どちらが絶対に良くてどちらが絶対に悪いということはないんです。あなたは多分、真っ当に教育を受けてきた人なんでしょう。ひょっとしたら、理屈で正しいことが正しくて、感情に振り回されるのは間違ったことで、従ってより理屈が通った新しいことは受け入れるのが正しい、受け入れられないのは狭量で間違ったことだ……みたいな考え方を内面化しているかもしれません。それはちょっとした呪縛です。あんまり気にしない方がいいです。誰でも、必要以上に努力を強いられることなく、社会の片隅で暮らし、その範囲で感じ考えたことに基づいて振る舞えばよいのです。それで社会がうまく回るような仕組みを作るべきなのであって、そうやって民主主義というのは回っていくものなのです。誰かの判断けが正しいから、その人に従おうというのは民主主義ではありません。誰もが主人であるから、誰もが思うように振る舞ってよい、それが民主主義です。

さて、こう前置きした上で言いますが、あなたの考え方はかなり保守寄りです。憲法改正反対も「なんとなく不安から」、金権政治に憤るのも「むかつくから」……と考えれば、それらも極めて保守的な反応と言えるでしょう。悪い意味じゃ無いですよ。ですからあなたの自認がどうあれ、あなたはとても保守的な人間だということをまずご理解いただければと思います。そして、それは別に悪いことではないということも。別に、「なんとなく不安から憲法改正には反対」で構いませんし、「むしろ外国不安からなんとなく改正したい」でも別に構やしないのです。みんなのそういう総意で創意すればそれなりにうまいこと形に落とし込むのが官僚という頭のいい人たちの仕事なので、せっかく税金払ってるんだから投票という義務を果たしたらあとは成り行きを見守っていたらよいと思います

じゃあなんで、長々レスを付けるのか。実は、少しだけあなたが「不安」に思った方がいいのでは……ということについて、「どちらかと言えば革新寄り」な私の見解を少しだけお伝えしたいと思ったからです。少しだけお時間いいでしょうか。まあ「革新寄り」な人間の言うことですから、話半分に聞いていただいていいのです。お茶ものみながら聞いて(読んで)ください。別にあなた革新主義にしようとか思っちゃいません。(そもそも、そんなこと不可能です! 会ったことも無いあなたの「不安」をぱーっと解消して、新しいモノ好きの人間にするとか、そんな怪しい洗脳みたいな真似が言葉だけでできるなら、増田に書くよりよほどほかにすることがあるでしょう。)

私の思うその「不安」というのは、あなたも薄々感じているとおり、あなたの「不安」を外に出せないということと関係がありますあなたあなたの「不安」を人と共有できない、と感じている。それはおおむね正しいです。それは、その「不安」が間違っているからではない(これは何度でも注意しておきます)。その「不安」が人を傷つける可能性があるからです。賢明あなたは、どこかでうっすらとそのことに気付いている……あるいは、そうどこかで教わったことを内面化できている、そのおかげで、今のところはその不安を口に出さずにいる=誰かを傷つけることから免れている、というわけです。では、その不安を外に出したらどうなるでしょう。

あなたはすでに中年とのことですが、ひょっとしたら自分か親戚に子どもや甥や姪がいるかもしれませんね。親しい人、大切な人の一人や二人はいるのではないでしょうか。自分以外の誰か、目の中に入れても痛くない、あるいはその人が苦痛を負っているなら、その一部を分け持ってもいい、そう思える人の一人がいないでしょうか。あるいは、この先、そういう人が現れる可能性はないでしょうか。保護しなければいけない子、親戚でも近所でも、そんな縁がつながることがあるかもしれません。では、そのとき、その人がトランスジェンダーであったら? イスラム教徒であったら? その人が将来連れてきた伴侶がそれらの属性の人であったら?……そのときあなたがそんな発言を残していたら、それは確実にその「あなた大事な人」を傷つけることになります。それはあなたにとって「不安」ではないでしょうか。

心というのは、表に出していないつもりで、結構から洩れているものです。テレビを見ているときちょっと眉を曇らせる、普段ちょっとした言葉や態度の端々に、あなたが考えていることは現れてくるものです。よほど厳しく自分ルールで律してでもいない限り(そういうのは革新主義の人の得意分野ですが)、あなたはおそらくあなたの内心を隠し偽ることができないでしょう。それだけに、軽々にああいった書き込みをしてしまうことには、少し慎重になられた方がよいのではないかと思うのです。ただしそれは、あなたの今感じている「不安」を押し隠すという方向である必要はなく、「不安」をそのまま剥き出しにしない……それが無闇に人を傷つけるものに成りにくいように配慮できたら、あなたの「不安」は幾分か少なくなるのではないでしょうか。

たとえば、

 ・トランスジェンダー女性用スペースから排除してほしい→トランスジェンダーの生きにくさと女性不安共存できるようなやり方を検討してほしい

 ・移民排斥したい→移民の人との間の文化的摩擦が最小となるよう十分な配慮を望む

 ・イスラム教徒とは共存できない→イスラム教教義に基づき(これは実際にそう)日本社会との相互不干渉の維持に勉め日本社会への理解を促進してほしい

ね。

そもそも「異教徒ブッコロOK」というのは、愛の宗教を歌い「汝の敵を愛せ」とイエスが言った聖書を奉じるキリスト教ですら延々とやってきたことです。ユダヤ教が現にやっていることでもあります。逆に、人種民族身分格差は認めない、異教徒一神教の)の信仰も認める、という教義イスラム教が彼らより危険だというのは、少し公平性を欠いた議論であると思います世界的に見れば、神を信仰しない日本人は相当「気持ち悪い」人々と思われていますが、それはそれで心外ですよね。うっすらとした信仰心みたいなものはあるし、それで社会がおさまってるからいいじゃん、と私たちは思っています日本の一部で起きた過激事件に紐付けて(たとえばオウム事件などに寄せて)キリスト教国じゃない国はこれだからダメだ、日本人とは共存できない、とか言われたら、少なくとも「それはちょっと誤解があるよ、大多数の日本人はそんなんじゃないよ」と言いたくなりますよね。それと同じです。

トランスジェンダーの多くの人は、不安がってる女性の中に飛び込んで「うぇーい」したい人ではありません。ただ、男性の中にいて感じている「居心地の悪さ」を、可能ならなんとかしたい、それだけのことです。解消する方法はなんでもよいのです。私はたとえば、もう真っ裸で入る公衆浴場というのはあきらめて、みんな水着で入るようにすれば全部解決だと思ってますが、たとえばそういうことです。みんなでちょっとずつ不自由を分担すれば、誰の「不安」も解消できるので、ナイスアイデアだと思うのですが。

それからあなたの感じる「左派」への不安ちょっと分かるのです。なぜなら、どうも「左派」の目立つ人々の中には、自分は「正しい」、自分は「弱者の味方だ」、自分たちは「正義守護者だ」、自分たちに反対する人間は「悪だ」……そういう雰囲気を漂わせ、そういう言行をする人が散見されるからです。これはあまり感心できないことです。敵を「排除する」とか自分たちは正義でありこれは「変わらない」……それらは極めて「保守主義」的な言動であり、彼らが口にする革新的な主張と相容れないからです。保守主義ダメというのではなく、言行不一致で人を不安にさせるのがダメなのです。もちろん、ゴリゴリ保守主義的な左派にもそれなりの存在意義はあります岩盤層の維持といった意味で)。ただ、彼らが主流となることはないでしょう。それに比べて、保守と名乗りつつ十分柔軟な発想ができる革新主義者、というのは、なかなか信頼がおけそうで、多数の支持を得るのも当然かもしれません。保守的な主張により保守から、柔軟な態度や言動により革新から、それぞれ支持を受けられるからです。後者が支持者を不安にさせないのは不思議ですが、彼らがその柔軟さによって巧みに顔を使い分けると考えれば、必ずしも不思議では無いでしょう(その点、革新の旗を掲げる保守主義者は、顔の使い分けが下手なように思います。素直な人々と言えばそうなのですが。)。左派の方々が現状で支持を得られないことには、それなりの根源的な理由があり、それはあなた心配したり後ろめたく感じたりしなくてもよいことです。彼ら自身が考えるべきことです。あなたは先のエントリで、自分がなぜ左派投票「できないのか」について、延々と述べているように感じました。それは、まるで「左派投票するのが『正しいのかもしれないが』、こういう理由でできないのだ」と誰かに説明しているように見えました。でも、大丈夫です。最初に述べたとおり、たとえば投票といった場において、あなたあなたの考えた通りに振る舞うことに、何の問題もありません。あなたは、自分左派寄りだと思っているかもしれませんが、私から見れば十分保守寄りですし、だからといってそれがいけないということは全然いからです。はっきり言いますが、革新主義しかいない島があったとして、私はそんな島に住みたくはないです。もちろん、保守主義しかいない島があったとしても同じ。これはおそらく7割から8割の人が、実際そうなんじゃないでしょうか。両方がいて、あれこれ意見を交わしながら、都度都度方針を決めて、あるとき保守的に、あるとき革新的に物事が進んでいるというのが、一番平和で適切ではないかと思います。だから、それでいいのです。

まあ、長々となりましたけど、要するに「あなた別に今のままでOK」、ただ、「将来も後悔しないような言動ができるよう、少しだけ配慮した方がHappyじゃね?」って話なのです。軽々しく排除的な言動を、たとえ匿名でもしてしまったら、最後自分自身だって傷つくのでは無いかなあという、ただそれだけの老婆心でした。なんだか偉そうになってごめんなさい。最後までご静聴ありがとうございました。

月に2、3回友達と会ってたけど、苦痛だった。俺だけ専門卒だから仕事してんだけど、友達はまだ学生で、遊べる日が多い。

せっかくの休みに人に会って金使うのが苦痛だった。申し訳ないけど今はそっとしてほしい。今は仕事が忙しいって言って断ってる。楽だ。誘ってくれて嬉しいけど、ほんとうに自分を優先したい。申し訳ない。

anond:20240717145517

じゃあお前5000兆円積まれたら生きたまま脳を取り出して水槽の中で永劫の苦痛を味わうことに同意するんか?

それで断るのはラインが5000兆円より高いところにあるだけ、値段を上げればどこかで同意するってことでええんか?

2024-07-16

anond:20240716234410

自分の体調が悪い時に相手の損とか考えられないな。相手が損してて不公平だとか考えられるのは、自分が元気になって余裕ができてからだな。

しかも損得で考えたら、出産してる女側はスタート地点で損してるからな、心身のダメージは何よりも損だよ

妊娠10ヶ月+産後苦痛+二度と戻らないスタイル個人的には一億もらっても割に合わない

2024-07-15

ジェンダーレス水着騒動で思う水着の男女あれこれ

 ジェンダーレス水着、もとい男女共用セパレート水着という商品が物議を醸していた。小さい頃に水泳習い事にしていた筆者はこの水着トレンドの変化が気になっていた。

 まずは「男女共用水着を着たことがあるか?」ということに興味を持った。

 男女共用水着採用する学校が多いことは報道アピールされる一方、プライバシーを考えれば妥当であるが、その着用姿が公開されることはない。そこでよく調べると、あの水着サイズ展開はとても幅広い。小さいものから大人サイズである。たとえば大人コスプレイヤーだって今着れば炎上商法でバズれること間違いないのに、動画を探しても出てこない。

 あの水着を賛成している人も反対している人も、まずは着てみようと思わないのだろうか? 恥ずかしさのために水着としての機能が損なわれていたとしたら批判もあるかもしれないが、メーカーも老舗ゆえきちんと対策しているだろうし、水着として機能性も問題ないとしたら不満もなくなるのではないか

 筆者はこの水着を着用してみることに興味がある。しかし興味があってもオフィスと家を行き来する生活。そこに泳ぐというシーンがないためこの輪に入れずやきもきしているのだ。そこで、いつか着る機会があった時に注目したいことを書いていこうと思う。

 まず、「露出を減らす」という水着のコンセプトに対する筆者の個人的な思いは複雑だ。

学校教育の現場ではそうしたほうがいい」という感想だ。競泳やビーチでは好きなようにすれば良い。しか学校水泳客船沈没事故きっかけとした命を守る授業として始まった以上、見た目の恥ずかしさによって授業への意欲が妨げられてはならない。

 と、肯定的に言いながらも、筆者の本心は揺れている。なぜならば筆者自身、異性に目覚めるきっかけが競泳水着だったかである

 思い出を話せば、スイミングスクールにはだいたい指定水着とよばれるものがある。筆者が幼い頃は男児ビキニパンツ女児ワンピースタイプであった。そもそも二次性徴前の男女に大きな体格差はない。しかし着る水着は違う。女子は全身を覆うような変わった形の水着、かたや男子パンイチである

 なぜ男女で着用する水着が違うのか、というある種社会的視点が、筆者の中で男女の体格差を明確にした。ほどなくして精通を迎えるのでお年頃的に興味を持つ頃だったのかもしれないが、同年代に対する興味の目も、10年経てば自分けが老ける。そうやって行き場を失うからこそ2次元が充実しているジャンルなのだろう、とも思う。

 一方で、ワンピース水着が好奇の対象とされていることも事実であることを知っているからこそ、露出の少ない水着必要というのことは、頭ではわかっている。だが次世代男児の性の目覚めはどこから始まるのだろう、という不安もある。せめて性教育スタートラインになるよう、両輪のケアがあってほしいと願うばかりだ。

 つぎに水着機能として。身体ラインを見せない、ゆとりのある水着というは脱げやすく、すこし運動するとすぐ半ケツになってしまうというイメージを持っている。その点、従来のスパッツ水着の方に安心感を抱いてしまうで、その効果が如何程のものなのか興味がある。もし着用する機会があれば半ケツなりにくさを5段階評価したい。筆者の独断偏見ランクをつけるとすれば、スパッツが4でサーフパンツは1である

 ここまでは「泳ぐ機能が十分発揮されていれば、身体ラインが出ない水着を着用することで、異性からの好奇の目に晒される機会は減る。」とまとめた。しかしセパレート水着セーラー服のようにいずれは性癖対象になってしまうことも否定はできない。人の価値観は変わってゆく。たとえば筆者はブルマを生で見たことのない世代で、ブルマには欲情しない。少なくとも世代が一回りするまでは安泰であろう。

 などと様々な妄想をしつつ、次に設計思想確認しようとカタログを読んでみる。するとサーフパンツラッシュガードという男性向けの組み合わせを女性向けにカスタマイズしたという設計思想のせいなのか、公式セールスポイントが主に女性向けという点が気になる。よく読んでいくと男性から見て機能的に優れた、嬉しい点が明文化されていないのである男性側のメリットってなんだろうというのがカタログスペックから利用者レビューからも読み取れないのだ。

 たとえば男性部のサポートに関して。これは思春期に気になる機能だと思う。思春期の始まりは、女性場合乳房が膨らみ始める時と言われているが、男性場合は精巣が4mlより大きくなった時というよくわからない定義となっている。その成長に本人が気づくことはほぼ無いと思うが、上下級生と同じ更衣室を使うと、この上級生との違いはとてもはっきりしている。同級生間だとこの成長にムラがあって、早い方も遅い方も苦しむことになる。そしてこのコンプレックスを異性に見られることも強く意識してしまうのだ。大人になって冷静に考えれば女子がそんなこと気にしているわけはないだろうと思うのだが、思春期男子とはそういうものなのである

 そういう事情もあって、男子スパッツ水着は一枚下にサポーターというブーメランパンツのようなものを履くことがある。これが股間ガッチリ押さえているために身体ラインが出にくくなるのだ。サーフパンツには裏地が既にあるので、通常ではサポーター不要なようだが、しかし男女共用となると、利用者の半分は股間意識しないとなる。いったいどこまでカバーしてくれるだろうなどと興味を持ったりした。

 さて、ここで「男女共用」というネーミングにした背景が見えてきた気がする。水着ハラスメントというのは、プールサイドで起こるものと、更衣室で起こるものに大別されると思っている。今回は前者のケアとして女性水着テコ入れを図ったのではないか、とカタログを読み取った。いっぽう「ジェンダーレス」と銘打ってしまうと、おそらく後者ケアまで考えた設計をしなくてはならないのではないか?という気がしたのだ。

 たとえば、この水着は一枚で着れるものだが、女子にはオプションとしてトップスインナーと呼ばれる胸当てがラインナップされている。水着機能としては学校で習う通りプライベートゾーンを隠せれば良いというところでだが、気にする人だけつければいいという裁量を本人に委ねてしまうと、胸当ての有無によって、なにかしら事情を抱えた人を炙り出してしまうのではないかと思う。

 もう少し踏み込めば、男子が胸当てを欲しがる時代までは予測できないだろうか。筆者が見たものでは、同級生の太った男子が体育で胸を揺すりながらランニングしていた時「もうおっぱいじゃんw」と嗤った女子を見たことがある。自身プライベートゾーンに守られておいて随分と軽く見るものだと呆れた記憶がある。心身ともに男性でもそんな扱いなのだから、内に女性らしさを秘めているとしたら相当の苦痛だろうと思う。ここが男女共用とジェンダーレスの分かれ目ではないか、というのが今の所の筆者の持論である

 とまぁ、あれこれ妄想を続けてきたが、着用したことのない水着についてあれこれ批判しても限界があるのでこの辺りにする。そして筆者の思想は、そもそも今回槍玉に上がっていた従来の女性スクール水着を着用した経験がないから、ワンピース水着デメリットを完全に理解しているとも言い難いというところに辿り着く。まずはそこを着用していか既存スクール水着が恥ずかしいのかを検証するところからではないか。そうすれば、いろいろな言い分について解像度が上がるのではないか、という気もする。ただ、いざ実際にやろうとすると、課題がいくつか挙げられる。

 ひとつ水着調達方法である。まずスクール水着身長170cm越えの男性にあうサイズなど存在するのだろうか。仮にあったとしてもサイズを考えるのは難しい。メンズ水着ウエストだけの数字ではなく、レディースヒップバストといった数値も必要になる。当然試着などできないのだから測るしかないのだが、そんな聞いたことのない数値を測ることが難しい。とはいえ布面積のせいか値段もメンズより高いので、当てずっぽうで購入することは避けなくてはならない。

 次に、仮に着用できたとして、泳げるプールをどう調達するか、という困難が立ちはだかる。下半身だけ女装したおっさんが泳げるプールなど手軽に調達できるであろうか。試しに貸切プール簡単に調べたが、時間3万円に加え監視員を配置せよとある。値段はともかく監視員も筆者も狂ってしまう。別の手段として、プライベートプール付きホテルというのもあるが、車を運転できない筆者には高嶺の花である。同じ理由で海や川で自由にというわけにもいかない。悩ましい限りだ。

 とりあえず、あらゆる体型の人が満足する水着の形を考えるだけでも大変な苦労があることは想像がつく。その着心地とはいかがなものなのだろう。そんなことを考えているうちに、連休が終わりを迎えるのだった。

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