「拍手」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 拍手とは

2018-02-17

神社での二礼二拍手一礼って明治に生まれ風習だと聞いてびっくりした

もっと古くから作法だと思ってたわ

2018-02-13

最近葬式ゆとり化が酷い

 今日会社の同僚の親戚の葬儀に出席した。血縁関係交流もまったくない赤の他人葬儀であったがやはり人の死というのは悲しい、喪主の別れの言葉に思わず大粒の涙を流してしまった。

私は赤の他人であろうが葬儀ときは毎回必ず泣く…。

しかし周りを見ると若い連中は涙を流さず早く葬儀終わってくんねーかなぁという表情。これがゆとりかと感じた。

 人を殺すゲームアニメ漫画が溢れ人の死というものに抵抗を感じなくなってるのか?それでも人の死に涙を流さな若者に異常を感じた。

 この葬儀神式で行われたが二礼二拍手一礼をしなさいという立て札が堂々とあった。

ご丁寧に玉串奉奠のやり方まで司会がアナウンスする始末。これもゆとりか…。

 普通物心がついたこからそういう冠婚葬祭礼儀作法は親から習うもの、立て札などいらぬ。

礼儀作法を間違えたら後で家でこっぴどく叱られたものだ。

中学生までに最低仏式神式キリスト形式は覚えるもの

 だが今のゆとり若者にはそれがない。立て札やアナウンスがなければ何もできないお猿さん。

2018-02-03

二次創作おたく感想

ROM専腐女子増田を見たので思い出し語り。

おたくっていうのは厄介な生き物で、気に入らないことがあるとすぐ某掲示板だの、インタビューズ(今はなに?ask?)に凸ったりする。見なきゃいいのにね。

んでまあ、そういうのとか、公式との解釈違いとかで、もう全部嫌になっちゃって、TwitterとかSNS系全部消して、「このジャンルといえば!」みたいなランキングサイトとかも登録せずに(とはいえそれだと本当に誰も見れなくて寂しいから入口に鍵がついたサーチにだけポツンと置いといた)、入口のパスも長々とメールを送ってもらう承認制、みたいなかたちで細々サイト運営してたわけよ。

北極にある一見お断りのひねくれ親父のラーメン屋とでも、言おうか。俺の趣味ラーメン作ってるんだからどんなに性癖がぶっ飛んでても冷やかすんじゃねえ!みたいな。

そんな殿様商売でも、更新するたびに拍手メッセージを送ってくれる人が居たのね。

たまたまかなー、と思いきや、マジで更新するたびにどんなに短くても、どんなに下手な文でも6時間以内に拍手で「ここが好きだった!」「ここが良かった!!」って褒めてくれる。

嬉しいじゃん。めちゃくちゃ嬉しいじゃん。

オヤジラーメン作るのヘッタクソだけど、そのお客さんのためにラーメン作る。どんなに不味くても喜んでくれるから拍手返信する為に頑張って小説書くし、美味しいって思ってもらいたくて頑張る。

気持ち悪いおたくからアクセス解析してると明らかに彼女の端末だなっていう接続元が日参の勢いで来てくれてるので更新ペースも速くなる。

そうしてサイトにはずいぶんとまあ創作物の数が増えた。全部一冊にまとめたら随分と分厚い本が出来るだろう。

そんなこんなで3年半。時々ふらっとイベントに出て文字通り薄い本を売ったりしてる。

年末イベントで隣のサークルの人がやけにそわそわしながら、開店閉業状態のhtrラーメン屋ことわたしのスペに来る。

なんだなんだ、と話を聞いてみると、拍手の人だった。

増田さんのサイトが本当に大好きで、憧れで、私もこのジャンルで本を書きたいと思ったんです!書いてくれてありがとうございます!」

ってさあ、ハタチそこそこの可愛らしい女の子に言われたらもう頑張るしかないよね。オヤジ、嬉しくてチャーシュー大盛りにしちゃうぜ。

ありがとう、なんてこっちのセリフだ。伝えても伝えきれないぐらい私は彼女感謝をしている。

もちろん作品が好きだから二次創作を続けてるのもあるけど、彼女が居なかったらわたしは売れもしない本を作って同人即売会に参加するほど、熱量を保ててはいなかったと思う。

エサにつられるようでなんかどうなんだって感じするし、承認欲求ありきで二次創作するのは本末転倒な気もするけど、それでも「感想」が1つのサークルを、1人のおたく今日も生かしてくれてる。彼女は間違いなく私の恩人だ。

大前提として「コメント感想を送ったからと言って他人ジャンル移動しない」なんて言説は(趣味なんだからいくらその人にジャンルに残ってて欲しかろうとひき止めようなんざお門違いだ)早く廃れて欲しいんだけど、まあそのバカみたいな言説通り「感想」がおたくを救うこともあるんだぜっていう一例だ。

というわけでオヤジ今日北極の端っこ、誰も来ないようなラーメン屋ラーメン作ってる。あの子今日も来てくれるだろうか。

2018-02-02

同人作家から隠れたい同人作家気持ち

とある記事を見て、共感する気持ちがあった。

引用していいかからないことと、内容全てに同意できなかったこと、今から話す内容がそれとはズレていることがあり、引用はしないが、端的にいうと「同人作家から隠れたい同人作家気持ち」だ。


同人作家から隠れたい理由はいくつかある。


憧れの同人作家神格化しすぎているパターン

自分のようなくだらない人間交流をする時間もったいない

そもそも自分のような人間を目に入れてほしくない。

しかし、逆の立場なら好意は嬉しいということも理解できるし、届かない感想はないも同じということも分かっている。

なので、私は感想をおくるだけのアカウントを作っているし、拍手のような匿名感想をおくれるシステムはありがたい。

から、ここまではいい。

私が変わればいい。


ただ、次の周囲の人間関係がめんどくさいパターン

これが厄介だ。

勇気を出して、憧れの同人作家に声をかけるとする。

私が神だとおもう同人作家様だから、他にも神だと思う人が多いだろう。

その人達差し置いて、話かけるとなると、抜け駆けだと思われないだろうか。

ご厚意で私の作品を読んでもらえて、紹介までしてもらえた日には、擦り寄りだと思われるかもしれない。

そして、偶然題材が被ったら、パクリだと言われかねない。

同人にかぎらず人間関係は難しいけれど、明確な実力と自分アイデンティティの表れる作品の絡む人間関係もっと難しい。

人間関係に疲れてSNSをやめた人を何人も知っている。

しかし、最初パターンと一緒で、感想匿名で送ることで、問題解決する。

実際、私もそうしている。


ただ、そうしているうちに、感想は送れても交流はできない同人作家が出来上がった。

みんなが楽しんでいる輪に入れないのが、ちょっとだけ寂しい。

けれど、私は私なりの楽なやり方でこうなっただけだから、これで誰かを責めたいわけじゃない。

私は考え過ぎで、気にせず感想を送って、気にせず交流をしたらいいと言ってくれるひとも多い。

けれど、匿名が楽すぎて、今更戻れない。

そして、私が匿名アカウントを作ればいいだけだから同人作家拍手をつけろというつもりもない。

じゃあ何故こんなものを書いたのかと言われたら、同人作家から隠れたい同人作家の一例をどこかに書いておきたかっただけだと答える。

私の周りだけかもしれないが、交流をうまくやることが推奨される空気があるから、そうじゃなくても比較的楽しく生きてるよといいたかった。

もしこれを読んで、こんな生き方もあるんだなと思ってくれる人がいたら、それはそれで嬉しいと思ってる。


ここまで下手な文章を読んでくれたひとがいたら、ありがとう

Mマス3rd liveに向けて

今週末からMマスの3rd live tourが始まります

それに当たって色々なブログを見ながらも共感した部分や、自分のなかのモヤモヤなどを形にしたいと思い匿名という形ではありますブログに書くことにしました。

アニメ化もあり盛り上がりをみせるMマス。アニメからの人もアニメに出ていない組に少しでも興味を持った貰えればなと思います

私は蛇事務所、そして某ジャンルが好きです。某ジャンルでは複数作品の合同イベントが開催されることが多くその際によく見るのは興味のない作品の際に座る、ペンライトを振らない、拍手おざなりというような行為です。

見ていて気持ちのいいものではありません。座るのは仕方ないことだと思いますが表面上だけでもいいので周りに合わせてペンライトを振ったりすることは難しいのでしょうか。

私は基本、知らない作品があった時でもペンライトを振りますし、聴いていてあ、この曲いいと新たな発見をしたりと楽しんで参加しています

座らないで!ペンライト振って!とかではなく、知らないからといって興味のない体で歌を聴いていると、きちんと聴けるものも聴けないのかなと。勿体無いのではないかと思うわけです。

強制する気は無いですし、私はこうい風に思っているよと。

好きな曲だけ聴き、知らないものを興味なさげに聴き時間を過ごすのと、少しでも楽しもうという努力をして時間を過ごすのは同じ時間の使い方ではないと思うからです。

Mマスはアニメに出ていないユニットの曲も315ですし、アニメで歌われてない曲がほとんどです。

アニメ入り口にして他のユニットソロなどを聴いてほしいな〜〜と思います

そしてライブで一番好きではないのは

促されていないコールです。

キャストがここでこうして!とか間奏、曲終わりとかで言う分にはいいんです。

ですがキャストが歌ってるのを遮るような「ウーハイ!」みたいなコールがどうしても好きになれません。

自分が蛇事務所コンサートばかりいっていたからでしょうか。

事務所コンサートでは基本他の観客に迷惑にならないようにということが原則としてあります

盛った髪、高いヒールうちわの使い方、大きさ、ペンライトを高く上げすぎる、アイドルが歌ってるときに叫ぶ行為など。

公式ルールにないものもあります。ですがファンの中での暗黙のルールとなっているものです。

それも、皆が楽しんで参加できるようにすることができるようにという配慮かもしれません。

ですがこういったアイマスコールどうでしょう

隣の人はあなたの声を聞きに来たのですか?

ペンライトを上にあげすぎたらどうなりますか?

後ろの人が見えなくなってしまうかもしれません。

キャストの、頑張ってアイドルを演じてくれている声優さんの歌を聴きに来ている、見に来ている人の気持ちはどうなるのでしょう。

コールだけやりたいのならBlu-rayが出た時に存分にやってほしいです。

もちろんアイマスコール文化があることは分かっています

からコールしないでとは私もいいません。

しかしもし隣や後ろの人からコールで声が聞こえません、見えないのでペンライトもっと下げてもらってもいいですか…と言われたら

アイマス文化から

とつっぱねないで

少しペンライトを下げる、コールの声を小さく、コール箇所を少なくするなどしては貰えないでしょうか。

そして苦手な人も多少のコール、見えにくさなどは目を瞑るとは出来ないでしょうか。

苦手なものを苦手と言える現場

そして互いが互いに配慮し合えるようになるといいなと思います

皆がよりよく楽しめるようになればなと。

だーっと勢い任せに書いたので支離滅裂文章になっています

推敲もしてませんので、修正したりするかもしれません。

ともかく、ライブ楽しみです。


そしてアニメ公式から何かしら返答が出るように祈っております。未だに最終回観れてません。

2018-01-31

漫画感想サイト運営しているだけで偉そうに人生訓語ってるお前

あんたのご意見番気取りの青臭いコメントスクロール邪魔なんじゃ、漫画感想だけ書いてろ

あんな奴に「死にたい」だの「仕事辞めたい」だの拍手コメント通じて相談してる奴らも同罪だ。もっとマシなとこで質問しろよ。

2018-01-30

舞台とは「空間である

anond:20180124190357

しかに私も2.5次元舞台はいろいろ思うところがあるけれど、「舞台」というもの特性を考えればこの変化も当たり前だと思う。

映画ドラマ舞台の違いって、ステージ上の世界と客席の世界が融合することでしょう?

従来は拍手や笑い声、歓声などでしか物語世界に参加出来なかった観客が、違う形で物語に参加できる2.5次元舞台スタイルは受け入れられて然るべきだと感じる。

元増田も例に挙げてるけど、「あんさんぶるスターズ!」の舞台とか、アイドル物語サイリウムを振るファン存在するのは当たり前のことで何も違和感なんて無い。むしろステージ上でアイドルが踊っているのに黙って席に座っているだけの存在物語上に存在しないでしょう?

そんなにうちわサイリウムが苦手ならおうちでDVDだけ見ていたほうが良いと思う。物語に参加する気が無いなら舞台まで足を運ぶ必要は無いでしょう?

プロレスの勝ち負けなんて最初から決まってるんでしょ だからすごくないじゃん←アホ

中邑真輔ロイヤルランブル制覇しレッスルマニアWWE王座戦へ…とんでもない快挙。一般世間ももっと注目と拍手を! - Togetter

https://togetter.com/li/1194547

klaps ファンの人には申し訳ないけど、一般人は、プロレスの勝ち負けなんて最初から決まってるんでしょくらいの認識からイチローくらいすごいって言われてもうーんという感じ。

2018/01/30 リンク Add Star

頭が悪すぎてうんざりする。


プロレスの勝ち負けなんて最初から決まってるんでしょ

その通り


>じゃあロイヤルランブル制覇したって何もすごくないじゃん

意味わからん

じゃあ例えば日本人がロイヤル・バレエ団のプリンシパルになってもすごくないのか?

なわけないだろ

世界最高峰バレエ団で実力やスター性を認められて興行の主役にすえられたってことだからめっちゃすごい

プロレスも同じ

主演に選ばれるというのはそれだけファン会社からの支持があると言うこと



今回中邑という日本人が達成したのは

WWEという世界最大のプロレス団体で、

当代のトップレスラー30人が一堂に会する大会の最終勝者に選ばれて、

来るWWEの最高祭典(つまり業界最高峰舞台)の主役を勤めることが決定したの

プロレス界の世界に一つしかない頂点の演者に選ばれたと言うこと


「でも、勝ち負け決まってるんでしょ?」ってなんやねん

アホか

2018-01-27

千秋楽の幕が上がった。

きっと今頃、帝国劇場では色とりどりの衣装を纏ったジャニーズJr.たちが歌い踊っている。

これがJr.として立つ彼の最後ステージになるであろう。

しかし、今まで彼を必死で追ってきた私の手に、チケットはない。

終演後の出待ち列に並ぶ準備すらしていない。

パジャマソファに寝そべりながら、この文章を書きなぐっている。




CDデビューおめでとう。

正直、今までしんどかった。

だけど、これからは、「もう明日から普通男の子になってしまうのかもしれない」という不安と戦いながら必死チケットを探し、身の丈に合わない金額を注ぎ、カードの支払いに追われるということもなくなる(はずだ)。

メディアにもたくさん出してもらえる。

友人の誘いを断ったり、仮病で仕事を休んだり、そんな無理をして現場に通い詰め生の声を聞かずとも、彼の声はたくさん届いてくるだろう。

から、もう分相応にできる範囲応援すれば良いのだ。

来てくれるのかも分からない彼を待って、大量の女の子の無言の列に混ざることは、もうやめる。

秋に最後に目の前で見た、彼のしあわせそうな笑顔

あれだけで充分だ。

「今、幸せですか?」というファンの問いに、間髪入れず「もちろん!」と答えてくれたときのあの微笑み。

その瞬間を思い出せば、いつだって幸せ気持ちになれるし、これからもずっとついていこうと思える。

これからは誌面やテレビ画面で、あのすてきな瞬間をたくさん見られるのだから

その保証がある。

嬉しい。

私もようやく茶の間デビューだ。





今日も彼が最高のパフォーマンスでたくさんの人を幸せにして、大きな拍手に包まれますように。

2018-01-26

積み重ねていない人生に負い目を感じる

もう何年かタカラヅカオタクをしている。

ご贔屓(他ジャンルで言うところの推し)の私設ファンクラブに入り、入り待ちに行き、公演を観て、出待ちに行く。

お疲れ様です、と言いながら、並んでお手紙を渡す。

もはや一つの公演を10回以上観るのが当たり前になっている。

でも、特定の贔屓を持つヅカオタは、だいたい同じくらい観ていると思う。

宝塚はいい。

夢だ。煌びやかなイルミネーションや、ディズニーパレードを見ている時と同じ気持ちだと思ってほしい。現実を忘れて、ただうっとりする時間

なのに終演後、幸せ気持ちで1人帰路につくとき無性に虚しくなる瞬間がある。

彼女たちは美しい。

美しいだけでめちゃめちゃ偉いのに、加えて努力している。

これは応援する側のスタンスの話でもあるが、宝塚というのはアイドル的要素もあって、舞台自体完璧じゃないことも多い。

入団1、2年目のド新人が抜擢されて、大きな役を演じることも多々ある。なんだこいつは!?ズッコケることもある。

それも含めて宝塚。我々は完璧舞台を求めているわけではなく、成長していく彼女たちを観に行っている。私たち応援して支えるんだ!というファン心理を上手くついたビジネスである。実際、入り出待ちに数人しかいないような日は、私が支えているんだという気持ちになってくる。

ただ、ときどき、私には彼女達が眩しすぎる。

夢を追って、もしくは夢を叶えてキラキラしている。常に上を目指して努力している。大勢のお客に作り上げたもの披露し、大きな拍手を貰っている。

勿論、表に見せない様々な悩みや困難はあるだろう。でもその困難に向かって頑張っていること自体が、私にはひどく眩しい。彼女はいろんな経験をして、ひとつひとつ積み上げて、成長していく。

私には何もない。

私のような虫けらがフェアリーと肩を並べようなどと考えたことはないが、ときどき無性にそう思う。

結婚もしていなければ恋人もいない。

毎日会社に行き、趣味に費やす為のお金を稼ぐ。それだけ。

宝塚が私にくれるのはひとときの夢であって、私の人生ではない。

普通社会人なら、いや仕事を頑張れよと思うだろう。

でもそこまでの情熱が、どうしても持てない。なぜか。1番やりたいことではないからだ。

私にもかつて夢があったが、20歳そこそこで無理だと気がついた。このまま続けても、恐らくバイト暮らしの夢追い人になる。夢を叶えるには才能が必要で、どう足掻こうと無いものは無い。それを得るだけの果てしない努力も、人生を投げ打ってまでやり切れる自信がなかった。

私は全てを諦めた。

そして就職した。

そして、今、タカラジェンヌ応援しながら生きている。

ここで宝塚とは縁もゆかりもない、むしろ一番かけ離れた漫画の話をぶっ込みたい。

最強伝説黒沢」という漫画をご存知だろうか。かの有名なギャンブル漫画カイジ」の作者、福本先生漫画である

中年の冴えない土木作業員日常を、独特の台詞回しで哀愁たっぷりに描いた名作だ。

だいぶ前に読んだきりだったが、第1話の冒頭に忘れられない台詞があったので、調べ直した。

主人公黒沢が、仲間たちとテレビサッカーW杯の中継を見ている場面。黒沢日本勝利歓喜し涙するが、一方で彼のモノローグは以下である

「感動などないっ…!

あんものに……

オレが求めているのは……

オレの鼓動… オレの歓喜 オレの咆哮

オレのオレによるオレだけの……感動だったはずだ…!

他人事じゃないか…!

どんなに大がかりでも、あれは他人事だ…!

他人祭りだ…!

いつまで続けるつもりなんだ…?こんな事を…!」

今になって、あぁこれだなぁ、と思った。

タカラジェンヌは私に人生の楽しみを与えてくれる。

でも、確かに他人祭りだ。

私の感動ではない。

証拠に、近い将来贔屓が退団した時に、私の手元には何が残るだろうか。

しかった思い出。それだけだ。貯金は恐らくゼロだ。

ところで、宝塚歌劇団に入るには、宝塚音楽学校卒業しなければならない。

入学倍率は毎年20倍以上。

そこで振るい落とされた女の子は、今何をしているんだろう?

新しい夢を見つけられただろうか。

黒沢はどうしたんだったっけ?

みんなのお弁当アジフライを詰めて、モコッとさせていたことは覚えている。

私も、私だけの感動があればいいのに。

ドチクショウ。

ヅカオタは続けるだろうが、とりあえず黒沢続きを読む

2018-01-23

anond:20180123164304

感想を送っていいのか悩む人がいるか感想募集中って書いておいたり、感想もらった時にツイッターで嬉しいと紹介したりすると(感想嬉しいと思うタイプの人なんだ)って印象になる

感想をどうしても書くのが苦手な人がいるか拍手ボタン読了ボタンを設置したり(ボタン押した先に他の人が書いた様におまけをつけるとか)

ボタンでなくチェックリスト風にするとか

□最高

□続きちょうだい

□その他「記入欄」

みたいな

増田の一生

初めて増田を訪れて書くのは、当たり障りのない日記か、世間匿名で投げかけたいことがあるからここに来た長文投稿者か、テスト投稿ニキが多いかな。



いくつか増田を書いてみて、トラバブコメ存在やここの雰囲気に慣れて来たくらいの頃、増田初心者を抜け出したくてトラバで突っかかったり、レスバトルに手を出してみたりする。

「クソ雑魚ナメクジ」なんていうワードを覚え、喜んで使ってみたりもする。

自分が火をつけた論争が伸びたり、炎上増田ホッテントリに入ったり、ブコメがたくさん付いて当たり増田になったりして、気持ちよくなってどんどん日記を書く。

日記が100〜200を超えてくる。

最近で言えば二番煎じパンティ増田ホッテントリ流行に乗って漫画オススメを聞いたりするのもこの頃だと思われる。




増田に入り浸って1ヶ月〜半年くらい経つと(ここは人による)、語気の強い増田を書くのにだんだん飽きて虚しくなったりする。

天気の話で軽くワイワイしたり自分オリジナル日記継続するのに楽しみを覚えたりする。

よくブコメしてくれる固定の人を覚えたりしてほんわかするのもいい。

たまに「増田を初めて1年記念日」みたいなことも書いたりしてみたくなる。

今まではただの匿名日記を書き散らしていたのが、はてなIDを利用してブクマカ側に回り、良増田拍手を送る保護者ポジションに移るパターンもある。




書いた増田が4桁を超えたり2年目を過ぎたりすると、増田に対する姿勢も達観してくるので、無題で1〜2行のあっさりした日記が増えたり、微妙下ネタをこぼしたり、完全なるROM専になったりする。

そのまま増田ゆっくり、誰にも気付かれずに死んでいく。

花は咲き、枯れ、また新しい種が芽吹く。

2018-01-14

anond:20180113233522

だね。

ちょっと違うかもしれないけど、友達に本を貸した時感想を聞きたいって欲求自分にはある。

買ったばかりだからまだ読みたいし貸したくないなって時でも感想聞きたさに貸しちゃう

で、なんの感想もないとガッカリしてる自分が居ることに気がついた。

結局押し付けなんだろうなあって思って感想はあきらめたけど、たまに貸した本の関係聞いた時やっぱり喜んでる自分がいる。

ようは自分が支払った労力に見合う対価が欲しいのかもしれない。

ちなみに私もオタク創作をしてるので、拍手お礼イラストの件は参考になったよ。

2018-01-12

自民暴言ノミクス 札幌市議がヤジ「精神鑑定を…」 日刊スポーツ [2016年4月2日9時44分 紙面から]

自民暴言ノミクス 札幌市議がヤジ「精神鑑定を…」 日刊スポーツ [2016年4月2日9時44分 紙面から]

自民党のおごりと緩みが止まらない。1強多弱の国会だけでなく、地方でも問題発言が続発し始めた。3月31日、高校球児に対する発言で弁明した滋賀県議に続いて、今度は札幌市議会自民党市議が「精神鑑定を受けた方がいいんじゃないのか」とやじを飛ばしいたことが1日、分かった。同議員個人的発言と釈明したが、やじを飛ばされた共産党市議団は4日、自民党正式に抗議する。

 3月29日の札幌市議会で、安全保障関連法廃止を求める意見書案の賛成討論した共産党市議に対して「精神鑑定を受けた方がいいんじゃないのか」とやじを飛ばしたのは勝木勇人市議(56)。

 3月29日は安保法施行日で、定例市議会では国への意見書案を討論していた。共産党の小形香織市議(51)が討論を終え、拍手が起きた直後にやじが飛び出した。共産党市議団は30日、抗議文作成し、市議会自民党議員会の会長宛に謝罪発言撤回を求めた。

 勝木市議は同日、「(やじを飛ばした)覚えはない」としていたが、31日、共産党控室を訪れ、共産党市議団の村上仁幹事長に「不適当発言があったということでおわびにきた。一個人、一議員として誠意を示した方がいいと思った」と謝罪したが、個人的発言会派関係ないと釈明したという。

 共産党市議団は「個人的発言謝罪して済まされる内容ではない」として1日、「議員個人への攻撃だけでなく、安保法の廃止を求めるすべての市民国民への冒涜(ぼうとく)。基本的人権を踏みにじるようなやじを飛ばす行為はあってはならない」と市議会議長宛に厳正な対処を申し入れた。市議団には「精神障害者に対する差別のもの」「精神障害者への偏見助長する発言」などの声が寄せられているという。

 勝木市議は、高校球児に対する暴言で弁明した滋賀県議と同じく当選6回のベテラン過去自民党議員会の会長も務めている。

2018-01-11

平昌オリンピック日本選手団が受ける嫌がらせ

ごはん食べながら思いついたので書いてみる。

想像力が乏しい、妄想し過ぎはご容赦くださいです。

足りない分は皆さんで追加してください。

・まず入国できない。飛行機が着陸できない。

・運良く入国できても、パスポートが偽造だと疑われ、空港の別室で何時間も非常に厳しい取り調べを受ける

・宿舎までのバスが来ない

タクシーも載せてくれない。乗ってもぼったくられる。道を間違われる。誰も来ないような場所に降ろされる。

・宿舎についても宿泊を受け付けてくれない。部屋の鍵を渡してくれない。そもそも部屋が用意されていない。部屋ではなく物置に案内される

・水が出ない。電気が来ていない。風呂トイレも使えない。暖房がない。ベッドはあってもマットや布団がない

・部屋に鍵がかけられないか荷物が盗まれ

食事が出ない。オーダーしたものと違う料理が出てくる。1杯の熱いコーヒーを頼んだだけでも、出てくるまで2時間以上かかる。当然冷たい。

飲み物食事の中には禁止薬物を混入されている

・何を頼んでもキムチ味の料理しかさな

競技会場に着いて、パスがあっても入場できない。一般入り口へ案内される

ロッカーがない。廊下で着替えさせられる。当然カメラに映る

日本から運んだ競技用の靴、スキー板などが会場に届いていない。

自分の番の演技になっても、名前アナウンスしてもらえない。それどころか全然関係ない人の名前国名を呼ばれる。

そもそも演技を映してもらえない。画面がニュースに切り替わる。当然のように選手モザイクがかかる

・演技前、演技後に拍手ではなく満場のブーイングが起きる

スキージャンプの際、急に逆風が吹く。スケート会場では急遽停電になり、リンクの真ん中に大穴が開く。会場の外では雪が溶ける。

表彰台に上がれても、国旗があがらない。違う国の国旗が上がる。もちろん君が代なんて流れない。放送機材の故障ですと言い張り、かわりに2位の国歌を流す

日本選手絶対に移さないという抜群のカメラワークが発揮される

・当日、翌日のニュースにも一切紹介されない

・国別メダルの数から日本けが消えている

書いてて、あー、全部起きるよな〜と思ったら、なんかアホらしくなってきた

日本選手団のみなさまには、何事もなく、五体満足で、笑顔帰国されることを望みます

2018-01-09

ライブで体を動かしたくない

とあるアーティストライブを観に行ってきた。クラシックコンサートはそれなりに行くことがあるのだけど、ライブ過去に2, 3回行ったことがあるくらい。この度は10年ぶりくらいのライブ参加であった。

というのも、そのアーティスト生の声演奏を聴きたいから会場に赴くのであって、自分が手を振りかざしたり体を動かしたり声を出したりするのにかなりの抵抗があるからライブは苦手意識があった。できればずっと座って音に耳を研ぎ澄ませ、演者の姿を目に焼き付けることに集中したい。

今回は、その苦手意識を超える程にそのアーティストが好きだったので、一念発起してチケットを取ったのだった。

そしてライブ開演。演奏が始まった瞬間に周りの皆が立った。そういうものなのかと釣られて立つも、曲の盛り上がりに応じて行われる手の振りや体を動かす気にはなれない。結局立っただけで(あとは曲の後の拍手くらい)、観客としてのパフォーマンス特に何もしないで終わった。

こういうライブ会場で観客としての統率された動きをしない人は、他のライブ参加者からすると内心迷惑だろうか、ノリが悪いと思われるだろうか。空気を壊すことに加担したくもないが、自分にとっては黙ってじっと聴いていることがライブを最大限に楽しむ方法なのだが…。

余談だが、ふと皆の手の振り方にもクセがあることに気付いた。忘れないうちに気付きをこちらにまとめる。

※なお、ここでいう「手の振り」とは、肘を曲げて手を頭の側面ないし上方に構えてから肘を伸ばして手を前に突き出す動きのことをいう。

■上段突きタイプ

拳をまっすぐ突き出す、オーソドックスな形。

砲丸投げタイプ

上段突きにやや振りかぶりが加わったタイプ

じゃんけんタイプ

最初は拳を握っているが、肘を伸ばしきったタイミングで指を開く動き。開く指もそれぞれで、人差し指のみ(鼻くそ飛ばし方式)が多数だが、親指・人差し指中指の三本(フレミング方式)、全部の指(水飛ばし方式三重の極み方式)など色々あった。

心配無用タイプ

厳密にはアレの動きの「心」に相当する部分を繰り返す「心心心心心」の動き。拳の状態から空気を鷲掴みにする素振りで、力強さを感じる。

パネリストに話を振る司会進行タイプ

手のひらを上に向け拳を緩めて突き出す要領。

阿波踊りタイプ

突き出すというより曲線的なしなやかな動きをする。見ていて拍が非常に取りづらかった。

砲丸投げの砲丸タイプ

突き出した拳あるいは手のひらが放物線を描いて下降していくタイプいまいちノリきれないのか、疲れてきているのか。

2018-01-07

それでも、なんだかんだ成人式って行ったほうがよくない?という話

副題:イケてない人間成人式をどう迎えたらよいのか?

大学の同期が成人式をむかえる前に書こうと思っていたが、結局こんな時間になってしまった。

この時間になって成人式ねーうん・・・みたいに思ってネット見てる人間が見ればそれでいいや。

成人式に行かない人って、いったいどんな理由があるんでしょうかね」というのは、改めて考えてみるとこれがいまいちよく分からない。

あるいは自分がなんだかんだ言って結局行った方の人だからなのかもしれないが、行くのを結局決めたのは前日の夜になって「ああやっぱ行こうかな、一応準備だけしておいて寝坊したらあきらめるか」といった具合でいたら当日きっちり目が覚めたので、ええホントに行くの俺?みたいな思いを抱きながら行ったという有様だったので、その辺のところ行くまではかなり割れていたのだが、実際行った後になってああやっぱ行ってよかったなとなるような強い価値観の変化があったので、そのあたりのことがいまいちよく思い出せないし、結局行かない側の人ではなくなったので、行かない側の人としての物言いをしなくなったからだと思う。

というのも、その成人式人生三回目のセンター試験の一週間前だったし。

その頃の自分に何があったかというと、まあなんだかよくわからないことになっていた。少し本題とずれるので、結論だけ見たい人は読み飛ばして構わない。

単にシンプル物言いで表したり表されたりしたくないだけなのかもしれないが、一年目も二年目も、センター利用で受かった大学にそれぞれ親に入学金と半期の学費それから半期の休学費用をハタかせておきながら大学受験をおかわりしていたかである

結局一度目はもっと高いランク大学に行きてえと抜かす自己肯定感の欠如と、それでいて自分の有様をよくわかっていないが生きる上では大切な若者特有の貴重な熱意を、18,9年生きててそれだけしか身に付けなかったんかとばかりの崇高な偏差値という単線指標に振り向けて、それさえ達成できればこれまでも中高大と一度たりと第一志望というものに受かったことのない過去自分の救済になると信じて突っ走ったものの、大元問題が何一つ解決されてないがゆえに何一つ解決するはずもなく、終盤完全に行動の伴わない支離滅裂メンヘラという訳の分からない人になりながら本試は全て落とし、所属するが故の苦い部分から解放されもはや生きてるだけで自己肯定感補填できる依存先と化していた元の大学と、唯一受かった1ランク上の、しか受験が終わった後になってどうやら自分本来大学でやりたいと思っていたものと違うらしいということが分かった大学のどちらにすればいいか迷っていると口にし親父を激怒させて終わった。

二度目のほうはもはや凄惨と言う他はなく、元の問題、つまり自己肯定感の欠如であるとか偏差値以外の指標を実のところ持ち合わせておらず、大学受験というそういうことの最後の振り分けが終わった後でじゃあ自分が何をすればいいのかがわからない、自分に好きなことややりたいことがあるんだかないんだかわからない、ましてそいつを新しく見つけ出すこともできちゃいないし、前の大学の専門や多分野性は楽しかったし、自分のやりたいことのような気もしていたがそいつ自分でかなぐり捨ててしまった。そうこうしているうちに時間は過ぎ、周囲にいる一つ年下の人間はめいめいにそれを見出したり、あるいはそうでなくても仲間を見出していく。新しい人間を迎えるムードチャネルは閉じていき、ただ一人、コミュニケーションに長けているわけでもなく、まして19になって未だ携帯電話さえ持ったことのない現代人にあるまじき自分人間関係からも完全に弾かれたまま過ぎゆくただ時間に溺れ流されていた。前期の単位は夏前に再受験が決まって期末を受ける必要もなくなっていた前の大学のさえ下回り、初めてのバイトもクビになり、夏が終わるころには高校のころ深刻であった鬱状態が完全に再発状態となり、対人恐怖に加えて社会恐怖に陥り、狭いキャンパスの狭い学科で知っている人間と会うのも、知らない人間がそれぞれ彼らなりの為すべきことや適応見出しているさまを目にするのも耐えられず、大学は来てもまともに講義に出ることもなく普段人の来ない大学非常階段で横になりながら、人の話し声や足音におびえ、ただ一日中耐えぬ眠気と抗うつ薬副作用からくる体調不良でくたばっていた。

そのような状況を見かねてか、というより、自身家族学生相談室もお手上げ状態と化しており、少時に発達障害でかかっていた大学病院心理士やら全落ちした中学受験時代予備校先生にまで話に乗ってもらい、しまいに温情で元の大学に戻るなり、また別のところに入りなおすなり、リセットの機会を与えてもらったというのが11月、という有様であった。

というような具合だったので、高校を出てから二年間の間で、自分人生高校を出るまでは同期で同い年の(自分の周囲にいた)人間が辿っていたそれからは大いに逸脱していた。

二度目の大学の同い年の同期とも、ましてや歳の違う同期からも逸れていた。少なくとも、当時の自身にとってはそうだった。

もとは転勤族で住んでいる地元にそれほど愛着があるわけでもなく、昔から付き合いのある人間もいない。親類ですら、精神物理的に最も長い付き合いがあり、肉親としての付き合いらしさを覚えはじめていた爺さんは最初大学受験の途中で突然死した。ましてや住んでいるところの人間など、地理的なり関係性的になり分断が続いたので、初めて親しいらしき人間関係が三年を超えたのは、電車で一時間高校を出てからのことである

↑以上読み飛ばし

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

↓読み飛ばし

そんなわけで当時の自分は、血縁地縁または精神的な人間関係という側面において、また学年や同期など社会的地位としての側面において、そして以前より自分が持っていたイメージ(と現状との乖離)という三つの面において、一般的な「20歳」という存在から離れていた。(すくなくとも、当時はそう自覚していた)

はい成人式ハガキというものは、本人のそうした事情自意識とは全く関係なく、ただいつ生まれてどこに住んでいたかということ以外何一つ問わず、だれの元にも届くものである

ハガキが届いた時点で、すでに自分人生が同年代の多くの人間が歩んでいるのと同じような人生など望むべくもないと思ってはいても(事実そうだとしても)、である

これは生まれ20年の1月を迎えるまでの経緯がどんなに平凡であろうが特殊であろうがおそらく同じことだが、成人式というものは、義務教育を終えた人間に来る、「ただ同じ年(度)に生まれたというだけで世間から全く同じ扱いを受ける」最後の機会だろう。ひょっとしたら最後ではないかもしれないが、少なくとも当分同い年というくくりではこれほどの等しさと無差別性を持った体験をする機会はないだろう。たとえ義務教育をどっかでドロップアウトしようが、義務教育後に社会に出ようが、小中高のどっから私立なり特殊学び舎に通っていようが、あるいはそういうことのなかろうがである

分かりやすいので義務教育を例にとってはいるが、それ以外であっても人間この国で20年も生きていれば意識しようがしまいがなんがしか本人なりの本人しか持たない(あるいは似たような人しか持たない)部分というものが出てくるものだし、そんなことはないと思っていてもそう思えること自体がそうである

これは多分行く前はあんまり分かりにくいことだと思うが、ともかく成人式というのはそういうもの可視化してくれるこの上ない機会だと思うんすよね。

自分が変わっていようが、あるいは変わっていなかろうが、それがどう変わっていて、どう変わっていないのか。会場に集まった普段どこに住んでたんだみたいな70年代珍走団の生き残りみたいな連中やら、無数にいるスーツトレンチコート羽織った黒い大群やら、量産型みたいな晴れ着の女やら、(ときキンキラキンの)紋付袴決めた男達やら、そこにいる連中すべてがまぎれもなく自分と同い年という光景は、少なくとも成人式以外にあるまいと。自分が前日にやっぱ行ってみようかなってなったのは、そういう風な光景って実際どんななんでしょってのを見てみたかったのが一つある。これ考えても実際に見てみないと絶対からないぞと。少なくとも、行ったことは何かの話のタネになるが、行かなかったら何にもならない。あとでやっぱ行けばよかった、がシミのように残ると思った。

成人式ハガキをなくしたのならなくしたと言えば現地で何とかなるし、着ていくものがないならまぁ少しでもちゃんとしてそうな格好をしていけばよいだろうし、そういう成人式だってあってもよいだろう。別に地元友達がいなかろうが、それはそれで自分にとっての成人式はそういうもので、そっから見える光景というものがあるだろう。ひょっとしたら、意外な出会いというものがあるかもしれない。俺の場合は誰一人知り合いとすれ違うこともなかったが、それはそれで面白かった。久しぶりにでも会いたくないやつがいたとしても、そいつと会うのはその日が最後だ。遅刻したって別に会場に入れてくれないということはないし、まあ既に終わってても贈答品くらいは貰えるだろう。

いずれにしても、成人式に行くことによっぽどの、それこそ生命危機が伴いでもしない限り、積極的に行かない理由をひりだすことはないんじゃないか

仮に生命危機があっても相手少年法適用外だ。別に贈答品目当てだってよかろう。地方によっては金券まであるらしいし。ぶっちゃけ、ほかの自治体のでも潜ってる人はいるし、そういう手もあるだろう。

成人式という上に述べたような場で何が起こるか、あるいは自分にとっての成人式がどういう場で、どういう体験をしたかってのは、これまでの自分を同じ年齢の違う人間という物差しで照らし合わせて改めて見直すことができるいい機会になりうると思うし、あるいはこれから自分がどうするかを決める上で一つの観点を得られる機会となることもあるだろう。

俺の成人式の話をすると、その日の朝は普段より早く起きて、普段予備校に行く格好のまま家を出て、最寄り駅のトイレカバンに忍ばせたスーツと革靴(最初大学入学祝い)に着替えて行った。

贈答品は会場に一番近いマクドナルドクーポンなのは事前情報で知っていたので、特に期待はない(要らねえけどなんかムカついたから二枚使った)。

日本で最も規模のでかい成人式ひとつなので、夥しい人間がいた。その中で明らかに事前の期待を裏切ってよかったこと・面白かったことが3つと、クソだったことについて書いて終わろう。

まず前座で良かった点、開式の国歌市歌斉唱。これは完全に盲点だった。いや、人生であれだけの人数で国歌市歌斉唱するという機会は以前もなく、おそらく今後もそうないだろう。規模は地元によって変わるところなので一般化はできないが、大勢国歌だとか市歌だとかをまともに歌ってみるというのは、歌というもの(または斉唱)が持つ効果について体感することができたし、本人の政治的スタンスによって様々に見方があるものだと思う。

クソだったのは、少しは面白い話するかとほんのちょっぴり期待していた林文子(市長)が死ぬほどつまらない話しかしなかったこと。マジで役に立たねえ話しねえ。1行で要約すると

携帯電話が普及して直接コミュニケーションをとれる機会が私たち世代より減ったと思うので密接な人間関係を築けるよう頑張りしょう。」

いやもっと役に立つ話しろとは期待が高すぎたかもしれんがせめてなんかそれについて掘り下げた話はできないのかよなんだそのお手本みたいなお年寄りのお手本トーク・・・というもの。これはこれで、ある種の貴重な機会かもしれない。毎年使いまわしてる可能性があるから横浜市民は要チェックだ。

輪をかけてクソだったのがその次の新成人スピーチ。まあ新成人代表なんぞに選ばれてスピーチを打つやつはまず間違いなく模範的成人みたいなやつかそれに類するものだと思っていたのだが(それ以前のスポーツ選手みたいなのの紹介とかもそうで)、そいつの語り口が聞いていて気に食わなかった。正直後のインパクトで話してた内容をあまり詳しく覚えてないのだが、まあ今はボランティアかいろいろやってます系の大学生自分人生を語るというものだったんだが、その途中で(当人人生実態としてどうであれ)妙に「こいつスピーチの話術として落としをやっているな?」というところがなんか聞いていてイラついてくるのである。「いじめられもしました」の言い方が湿っぽいんだよなんか。でもお前いい人に囲まれててよかったねいい人生だねと市長スピーチに続いて半ば来たことを後悔し始めたのだが、ここからがとてもよかった。

乱入である

これは行く前と行った後で最も価値観が変わったこである。かねてから成人式乱入というものはまぁおよそまともなものではないと思っていたが、しかしその場ばかり、その場の自分にとっては違った。

むかし怪獣特撮怪獣が町を破壊するシーンで喝采があがったとかいう話が少し分かった気がした。

成人式というのは、その主役は新成人である。そこにいる、会場に座っている全ての人間が主役である。彼らの社会的日向日陰此方彼方近郊遠方、全てを問わずしかし彼らのものであり、選ばれた新成人と、一世一代の晴れ舞台乱入を試み壇上へ駆け上がった名も知らぬ煌びやかな和装姿の彼と、私と、あるいはすれ違うこともないがしかしそこにいるはずの知人どもとの間に、いったい何の違いがあるというのか。誰が彼と彼らと分かちうる権利を持ちうるのかと。成人式とは、生きてきたこと、為してきたことの如何を問わず万人がそこにいる場ではないのかと。

ひとり私は拍手し、心の中で喝采をした。壱萬の大群と自ら選んだわけでもない代表者という構図の中に包まれていた会場を破戒し、否、そうではない、と示した彼の姿に。

そのように見出した彼の姿に心打たれ、ある種の感謝と、自らの肯定を覚えたからだ。彼の行動によって、万人の場としての当市成人式は成立をなしえたのだから

最後に。これは来ていちばんよかったと思えた光景なのだが、式が終わって駅に行くまでが死ぬほど混んでいたので見物感覚で大回りして駅の空いてるほうに向かっている途中、まあいかにもあまり中学休み時間窓際で話してそうな感じのイケていなさそうな感じの風貌のダウンジャケットの男二人が、しかし久しぶりに会ったと思わしき感じで、いかにも久しぶりにやるその頃の二人のやり取りという感じで楽しげに歩いている、その光景を後ろから見ているときだった。

こういう成人式も、あるのだと思った。

アイドルマスターsideMコールについて

これは一人のsideMプレイヤー個人的見解かつ厄介クソオタの妄言である。あと長い。

ライブ会場でのコール文化についての議論を見たことのある人は多いのではないだろうか。

アイドルマスターsideMライブには、現在「コール」という現象存在している。アイドルライブで掛け声をしている人間を見たことがあるだろうか?光る棒を一心不乱に振るオタクの発する「ハーイハーイハイハイハイハイ!」などの掛け声。これが「コール」と呼ばれる行為である

これはsideMに限ったことではないのかもしれないが、sideMプロデューサーによる非公式コール結構声優さん歌声に被る。そのためCDでは聴けない生の声を聴きに来たオタクコールするオタクが衝突したのが、昨年の「コール文化事件」だ。

私はコールをする派の人間だ。

だが、この行為に関する議論や訴えを通じて、コールが起こすデメリットによって苦しんでいる人がいることを知ることができた。確かに、生の担当歌声を聴きに来てるのにコール邪魔というのは分かる。CDには乗らない生だからこそ伝わるなんか熱いモンってあるもんな。あの体内が滾るような鳥肌が立って泣きそうになる高揚感、もう尊い315に輝いてるよお前がナンバーワンだしか言えなくなって拝むしかないカンジ、とても分かるよ。それを静かに聴いて拍手を送りたい気持ちもある。

でもな、コールしてるマンである私も、なにも盛り上げようってそれだけを考えてるわけでも、目立ちたいって自己顕示欲でやってるわけでもないんよ。

ただ担当に、アイドルに、

「めちゃめちゃ楽しいよ〜!!!

ありがとう大好き〜!!!!!」

ライブやべえ〜〜!!!!!!

って気持ちを伝えたいだけなんや

まかり間違っても「いつもより声が少ない」「もしかして楽しくないのかな」とかって不安にさせたくないんや。こんなこと考えるなんてアイドル声優さんも信用してないんかって思われるかもしれない。そんなん手紙なりなんなりで伝えろよって思う人もいるだろう。

私の担当ユニットが人気がある方ではないからなのかもしれないが、どうしても「君たちは315に輝いてるよーー!!!!!!!!!」ってことを全力で伝えたくなってしまうのだ。

もちろん公式でのコール禁止や、声優さんから「やめてほしい」って発言が出たらやめるし、やめなければいけないだろう。

しかしそれまでは、自分コールを続ける。できるだけ、歌声に被らないように。

あと家虎は発言した理由を50字以内で述べよ

ここまで長らく読んでくださった方、ご静聴ありがとうございました。

PS

新規曲は歌に被らないところにコールを入れれば世界平和になると思うんですがプロデューサーの皆様いかがでしょうか。

2017-12-31

十年前の同人界に戻りたい

検索避けを駆使した個人サイトを作って、そこに漫画小説を連載し、メールで読者さんと文通し、拍手とかもらってた頃はよかった

今は個人サイトを作る人は少なく、pixivにおしながきがのり、漫画小説がupされる

twitterを使うことで、いろんな人に話しかけられたりすることが増え、逆に話しかけられない人は全く話しかけられず、サークル間の人気が可視化される

昔は、サークルの実力が比較されるのは、イベント会場での列や、配置くらいだった

どのサークル自分の城があり、読みたい人がそのお城に出かけていくだけだった

今は、同じ場所にお城がいっぱい並んでいて、お城の上にはそのお城の強さを表す数値がついている

隣のお城の数字が嫌でも見えてしま

自分本が好きです、と言ってくれてた読者さんが、壁サークルさんにはその五倍くらいの熱量ツイッターで話しかけているのが見えてしま

それだけじゃなく、pixivにアップすると、コメントが見える

褒めてくれるだけじゃなく、平気で「下手」とか「つまらん」と叩かれる

検索避けをした自分サイトの頃は、こんな声はなかった。

わざわざ探してきてくれる読者さんは、酷い言葉をかけず、やる気がでるような言葉を投げてくれていた

同人誌を作ったら、「どうしてpixivにのせないの。金が欲しいの」「売り切れてるんだけど、再版しろ」とお客様気分で叩かれる

あげくの果てには同人誌スキャンして、ネットで公開するサイトが出る始末

 

ネット世間に普及しすぎた

多分スマフォのせいだ

若者は、家のPC自在に使えなかった。だからPCを使うのはある程度年齢が高くなった人に限られた。

今はどう見ても中学生のような子が話しかけてきて、平気でお金がないから、ただで本を読ませろ、という

同人誌を作ることを、金の亡者と言われるなんて事は、昔は絶対なかった。

十年前に戻りたい

今は、本を出していても心が折れることが多すぎる

2017-12-28

暗がりにポツンと光る電灯の下で集まってニヤニヤしていただけなのさ

まらねえ、大人になりました。びっくりします、なんで何も面白いことしてないのに借金があるのか。高校卒業したての頃なら「死んだ方がマシ…フヒヒwwww」とか言ってたタイプになってんじゃん。

あっという間におっさんで。俺より年下も年上もあの頃からアイドルなあの人も恋愛し、結婚し、それにも増して人生充実し。

気付いたらどこぞで見たような事件今日もどこかしらで起こっている。若手の芽を摘む元若手の噂話を聞いて相変わらず人の世の営みの気色悪さに嫌気が刺す。

だけどその逆にそういうのを恐れて外野外野人生を過ごしていたらいつのまにか回る独楽の端に来て「吹き飛ばされてもいいんじゃねえかな〜」とか思っている。思い出すのは、カートバーンは俺の年には死んでいたって話だ。

つまんねえ男、つまんねえ生き様、つまんねえ失望絶望。良い生き方してるぜ。クソみてえだわ。

でも、何よりそんな俺でもネット社会はいつもいつまでも変わらずに受け入れてしまっている。

ヘローヘローとお互いの元ネタの違う掛け声でお互いを呼び合っている。そっちは世界に呼びかけて、こっちはYouTubeに呼びかけてる。先輩がまずいタイプと姉さんがまずいタイプ。姉さんの方は事件でした。

いろんなネタを持ち寄って、どうにもならない感情の吹き溜まりの中で、海外ではどうだとか国内カスだとか近所の犬が猫が海外に行った恋人旦那が。空が、星が、海が、雲が。嘘が、ホントが、幻覚が、疾患が。全て相まって俺は癒されていた。

今年、自分を許してくれていた世界が狭まった。責任だとか、重圧だとか、背負っているふりをしながら今はダラダラのジャージみたいにずって歩いている。

から警戒心だけは高い俺はそういうことをツイッターやらフェースブックやら匿名掲示板やらでは書かないのだけど、増田場合は「あ〜ん!ムリ!」とか言ったらすぐに消せるから残るのはウェブ魚拓くらいになる。やっぱ増田サイキョだわ〜神。

お前らが好きそうなネタは何も持ってない。俺は結局傍観者が楽しかったし、多分これから傍観し続けるんだろう。

から、余りにも眩しく輝いている人達を見ると目が潰れる。

まらない恋愛でつまらない失恋をした君に目が潰れる。

結婚しましたとフェイスブック花嫁姿を晒してる君に目が潰れる。

歌い手時代を知っている歌手の曲がラジオでかかれば耳が潰れる。

そいつがまだ20歳超えてなくて心が潰れる。

同い年くらいの女性声優が日に日に美しくなっていって目が潰れる。

いずれは「大切な皆様に重大発表」し出すんだろうな、と思えば頭が潰れる。

ネットの片隅で大暴れしていた同い年のコテハン自殺をして心が救われる。

背景を知り、毒吐きながら心が死んでいく。

年下のボカロPもっと前に成功したボカロPに喰われてるとかいう話を聞いて噂話レベルでも吐き気がする

みんなみんな、ネットをやっていて、そして俺が知覚できる範囲なんてそれでも狭いけれど。それでも彼らは生きている。

まらない恋愛から醒めればまた君も毒吐き出すんだろう。

いずれはツイッター旦那愚痴も吐き出すのだろうが、それでも愛しているのだろう。

そこまで有名でもないけれど、彼が歌手として成功している話を聞いて心が救われている俺がいる。

年齢が同じなだけで生き方が違う人で、偶々同じような年代を生きてきた彼女が眩しく見えただけなんだろう。

去年の九月に自殺したあいつのことなんて死ぬまで俺も知らなかったのだからあいつに掛けられるものなんて最初からなかった。

今年一番輝いていても、くだらねえ流れみたいなものに巻き込まれてめんどくせえ気持ちになることもあるんだろう、ただ彼がもっと高みに上がれば良いなぁとは思うのだが。

こんなところでも言葉を濁している。性格が出てしまう。

そういえば、最近流行りはバーチャルユーチューバーって奴である

暗がりにポツンと光る電灯はそんな黎明の輝きをも簡易に映し出すのだ。

狐耳は「簡単そうだなって思ったらやってみればいいと思う!」と言った。

だが私にはちっとも簡単なようには思えなかった。

多分、それを簡単だと思える耳だから、進めるんだと思う。

そういう奴らなんだ。成功するような、なんか生きている奴らって。

簡単じゃん、出来るじゃん、と言いながらいろんな簡単に手を出していくから、奴等は眩しかったんだって

VIPPER共が集っていた面白い人達もそう、ケツに野菜入れるのも入るから入れただけ。女装しながら踊ったり、アニメの曲にラップ入れたり。

それが面白かったから集まった。そんな簡単なことが爆発的に面白かったから。

結局、本質はいつまで経っても変わらねえ。

簡単で、楽しくて、でもその背景はクソッタレで重苦しくて。

それを拭うために電灯の下でニヤニヤしている。お気に入りパーカー羽織りながら、今日も変わらないと巡回している。

画面の前のあなた疲れた顔で、意味が分からねえと呟いている。

私はこんな場所今日もつまらねえと呟いている。

面白仮面流星のように現れて祭りが始まる。

クソッタレ、俺は変わらねえつまんねえ大人だ。今日もどこぞの何者かに拍手を送るだけおじさんのエントリーだ。

俺の手拍子なんて聞かなくていい。お前はまっすぐ進めよ。俺は後から行くさ。私のことなんて、忘れてあげてくださいねぇ。

あぁ、夏。

2017-12-27

ラジオを聞く

NHK-FMをうっかり朝に聞くと数時間ぶち抜きのクラシック番組やってたりするので時間間隔が狂って危険

出勤とかがある人には向かない

というか、そういう時間に追われたくない環境の人向けでもあるのだろうな

人の声ほとんどなしでぱぺらぱぺらワー(拍手)とか聞いてたら9時になったみたいな番組だし

2017-12-23

蓮實重彦氏の指摘

東大駒場騒動とき、ある学生蓮實重彦氏に質問した。

「なんで大学先生言葉遣いというのは、こんなに難しいのですか」と言った。

彼の質問が終わると蓮實氏は直ちにマイクに向かってこう言った。

「なぜ難しいのか、それはあなた馬鹿からです」

会場には笑いと拍手がわき起こった。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん