はてなキーワード: 儚いとは
彼氏は、同級生婚をした両親が23歳のときにうまれた子で、彼氏の弟は両親が31歳のときに生まれた。この間、彼氏の弟入れて3人で飲んだ。
両親はなんかデキ婚みたいな感じだったらしく、彼氏が小さい頃は離婚寸前みたいな喧嘩の仕方をしていたそうだ。
母が専業で、父が2回転職して、経済的にもゴタついて、両親二人ともメンタルが安定しておらず空気が荒廃していたと。
弟が生まれて弟の物心がつく頃には、父親の仕事が安定していて、母親もパートをしていて、経済的に安定し始めたし喧嘩もしなくなっていたと。
しかし弟から見ると、自分は保育園で兄は幼稚園だったと。そして兄の頃には家にカネが無かったにもかかわらず習い事をピアノと空手と公文といくつかやらされていると。
そして兄の時は父が若かったから運動会に父が出るコーナーで無双したのが伝説になっていると。しかもまだ父が瘦せていたと。
兄弟の父は今は太っている(会ったことある)。でも彼氏が小学生で運動会に参加したころには瘦せていて、
顔がかっこよくて背も高いしほかの父親たちと比べて若いのでものすごく目立ったし、活躍して英雄だったと。それを聞かされて羨ましかったと。
あと兄のお下がりが多かった、兄の写真のほうが残ってる、などなど弟から怒涛の不満が出てきた。
なんか彼氏のほうの不満(親が若くてメンタルが不安定で余裕がなかった)についても、弟のほうの不満(手を抜かれた感じがする)についても、
言ってることはわかるし、つまり完璧な時期って無いんじゃねえかな…?って気がしてくる。
私としてはまあ…着床した彼氏を堕ろして別れるってことになってたら彼氏が存在してなかったから、まあデキ婚してくれてよかったし、
彼氏が小さい頃の大喧嘩が激化して離婚してたら彼氏の弟も存在してなかったから、まあ関係が改善されるまで保ってくれてよかったなというか…。
人間の存在って儚いなあ。いわゆる痴話喧嘩とか、そういうあれこれで存在したかしなかったかが決まっているわけで。私自身の存在もそんなもんなんだろう。
青年向け漫画の編集者をしていた。といっても若い頃の話だ。都内にある編集プロダクションを辞めて田舎に帰ったのが36の時だから、おじさんの入り口に立った頃か。今では完全なるおじさんである。
働いていた会社というのは、講談社とか小学館とか秋田書店とか、そういう大手出版社ではない。あくまで編集プロダクションである。出版社と編プロがどう違うのかって……ざっくり言うと元請けと下請けだ。出版社が出版事業(今回だと青少年向けの漫画作りや商業展開)の企画をして、漫画家が作品そのものを作って、編プロは雑誌本体を作って、その制作過程で印刷所やデザイン事務所といった専門集団と関係することになる。
イマイチな説明になってしまった。一般社会の例で説明する。民法でいうところの委託(準委任契約)に当たる。公共建築の分野でいうと、公共機関の建築技師が新しい建築物のマンガ絵を作り、建築事務所が基本設計~詳細(実施)設計をして、出てきた成果物を元に大手建設会社が施工監理し、地元にある中小事業者が実際の土木建築作業をする。
自分が勤めていたのは、この例でいうところの建築事務所だ。受益者(国民=漫画読者)の希望に応えたい組織があって、そこから依頼を受けて動いている関係会社のひとつ。そういうアナロジーだ。
出版社との役割分担は、そこまで分離しているわけでもない。漫画編集者といえば、昔の手塚治虫ほかの自伝みたいに、漫画家とアツいやり取りをしているイメージがある。ああいう、企画経営と制作現場の間にあるような仕事は、出版社の社員が直接することもあれば、編プロが出版社(編集部)のオフィスを間借りして行うこともある。
前者の例だと、マガジン、サンデー、チャンピオンなどだ。コンビニや書店にほぼ必ず置いてあるレベルの漫画誌。大手出版社に総合職コースで入社した人が、(編集、取材、制作、資材、宣伝、マーケティング、総務経理人事その他事務)といった多くの部門のひとつである漫画編集部に割り振られて其処に居る。
後者の例だと、大手出版社が出している漫画誌でも、あなたが聞いたことのないやつもけっこうあると思う。そういうのは、編プロが出版社(編集部)の仕事を丸ごと請けて実施していることが多い。自分は、そういう会社で働いていた。職場自体は大手出版社の中にあるが、いわゆる委託先の社員だった。別の言い方をすると、親雑誌に対する子雑誌の関係。
ほかの長文増田の記事を見るに、あまりたくさん書けない仕様のようである。何文字までかは知らないが、文字数制限があると思う。本当は何万字でも書きたいのだが、あくまで自分が書きたいだけであって、あなたが読みたいとは限らない。一万字以内になるよう心掛ける。以下に、自分が関わった漫画家を2人だけ紹介しよう。最後に所感を述べて終わりにする。
その2人(A先生とB先生。どちらも若手)と私は、分水嶺のような関係(追記;わかりにくい表現ですいません。ブクマカのBuchicatさんのコメントのとおりです)だった。ある日、私が担当していた漫画家のA先生が新作の企画提案に来ていて、同じタイミングで別の編集者のところに持ち込みをしたのがB先生だった。その別の編集者が不得手なジャンルだったこともあり、A先生との話が終わった後で、私も一緒にB先生の作品を読んだ。
その後、編集部の責任者を交えた会議で、私が引き続きA先生の新作の担当者に決まった。新人であるB先生の担当になる可能性もあったが、そうならなかったのは、今の漫画界の一界隈にとって幸運なことだった。
A先生は、雰囲気が暗めだった。人間性まで暗いというわけではなく、心を開くと明け透けになるタイプだった。モードに入ると饒舌になる。
弊誌では、読み切りを何度か掲載したことがあった。アシスタント経験あり。小さい賞を取ったことがある。ヒット作はないが、若き漫画家としてはキャリアがあった。
画力が抜群だった。小学校や中学校で、学習ノートにフシギダネの絵とかをソラでゲームパッケージそのまんまに描く子がいただろう。とにかく天賦の才を持っていた。最小限の画量で、それでいて迫力と感情に溢れた1枚1枚を描く。そういう人だった。
難点は、マジメすぎるところか。少し前にやっていたアニメだと、チェンソーマンに登場するアキくんか(少し前……?)。とにかくマジメだった。いや、やはり『直向き』に訂正する。
A先生は、少年誌に見合わない重たいテーマに挑むことがあった。今でもそうだ。彼のマンガには『緩さ』がない。それもいいところなのだが。私は好きだった。はっきりいって。が、読者の傾向に合っているかは微妙だった。
子どもの頃から漫画が好きだったらしい。中学生の頃のイラストを見せてもらうと、俄然キャラクターへの愛に溢れる作画を見ることができた。中学生らしい、プロには程遠いクオリティなのだが、しかし見ていて違和感がないというか、自然にくっきり入ってくる。
私という人間は、具体例で物事を説明する癖がある。上の「中学生らしいイラスト」を別の事例で表現すると……「うるせ~!!知らね~!!FINALFANT ASY」(短縮URL:https://x.gd/L5cc4)だろうか。以前、いつぞやかのid=pptppc2さんのブックマークコメントがきっかけで元ネタを知ることになった。
あの時のA先生のイラストは、ベルセルクのセルピコだったと思うが、力強い表現だったのを覚えている。セルピコがファルネーゼを抱きかかえて、
「申し訳ありません 道案内を頼まれまして 少し席を外していましたもので」
と言うシーンの模写だった。
さて、そんなA先生だったが、ある時これまた重量級のテーマで描きたいものがあるという。先ほどの、編集部での新企画提案の話だ。
その際、A先生からプロットをもらい、私のデスクで拝見させてもらったところ……うちの雑誌では持て余しそうだった。作品の質が低ければ普通に打ち切りになりそうで、作品の質が高くても――弊誌の売上規模だと会社グループ全体の機会損失になりそうだった。私の前でパイプ椅子にかけているA先生は、不安げな面持ちだった。
内部の話で悪いが、例えば「甲」という雑誌の亜流の「乙」という雑誌があるとする。ビッグコミック(オリジナル、スピリッツ、スペリオール)みたいな感じだ。この時、甲と乙に明確な上下関係があった場合、乙誌に掲載された漫画が甲誌に引き抜かれることがある。その際、甲誌の編集部から言われるのが、
「なぜうちの編集部に見せなかった?」
という意見だ。これは、ストレートに言われる場合もあれば、暗に言われる場合もある。だが、事前に上流の雑誌に見せていたとして、多くの場合は玉虫色の返事があるだけだったりする。
話を戻そう。この時の自分は、編集部の自分のデスクのあたりでA先生の次回作を見せてもらっている。確か缶コーヒーを飲んでいた。
自分としては、A先生のマンガを弊誌に載せたいと思っていたが、先ほど述べたとおり、後ろ髪を引かれる思いもあった。社会派の少年漫画というのは扱いが難しい。その作品が「あしたのジョー」の影響を受けているのは明白だった。「A先生であれば、きっと面白い作品にしてくれるのだろうな」という期待はあった。
うーん、大いに悩むところだ。どうしよう。思いあぐねていたところで、別の編集者から声がかかった。要約するとこんなところか。
「持ち込みに来た人がいる。私の専門じゃないので判断が難しい。門前払いにするレベルではないので、あなたの判断を仰ぎたい。上の人間は今出かけている」
要するに、自分の専門外なので判断できないよ、と言っている。ここも会社なので、編集者の上には当然上司がいる。その人達がいなければ同輩に相談するのが基本だ(余談だが私は後輩だった)。こういう原則は一般の会社と変わらない。
その『別の編集者』というのは、儚い感じの純文系が得意なタイプだった。一番わかりやすい喩えは……『はちみつとクローバー』みたいなやつだ。ああいうのが得意な人だった。
その時は、A先生との話が終わったら行くと告げた。それで、しばらくそのまま話を続けた。
「この作品はいい意味で重たいね。ちょっと考える時間がほしい」
と言って、その日は解散した。A先生は、「お願いします!」と言ってパイプ椅子を立ち、そのまま帰っていった。いつもだったら喫茶店でご飯をおごっている。
A先生は、『いい子』だった。あまり感情は出さないけれど、人間に対する愛を持っている。そういう子だった。私が当時、A先生にご飯を奢って、彼がおいしそうな表情で食べている時、私は幸せだった。A先生が幸福だと、自分も幸福だと思えた。A先生が漫画という手段で自らを表現している時、まるで自分もそれに劣らぬような喜びを得ていた。
ヘンな表現かもしれないが、例えば読者がA先生を褒めている時、自分とA先生との区別がなくなっているというか。彼のことが、自分のことみたいに嬉しかった。これは愛なのだろうか。
持ち込み部屋に行くと、別の編集者と、持ち込みに来た子が対面で座っていた(ちょこんと挨拶をしてくれた)。自分が座る席には作品が置いてあった。綴じられていない原稿用紙がある。ページ数にして30枚ほどだった。もっと多かったかもしれない。記憶があやしい。
実際、B先生の作品は面白かった。コテコテの学園ものかと思いきや、登場人物それぞれに適度な制約があって、キャラクターも立っていた。これまでのキャリアを聞き取ったところ、作品が雑誌に掲載されたことがあるようだ。アシスタント経験もある。
絵の方は、自分がこういうのも大変失礼だが、上手な方ではなかった。どちらかというと、脚本や設定、キャラ作りが得手のように映った。当人が情熱を注いでいる箇所はすぐにわかる。キャラ絵が有名漫画家の影響を受けているとか、キャラクターの台詞回しがハリウッド映画風とか、背景や小物を手を抜くことなく全部描いているとか、そんな具合に。
光るものがある作家だった。これを見抜けないようなのはモグリ――そんなレベルで輝いていた。
私は作品を読み終えた後で、「ちょっと待ってね」と自席に戻り、少し残っていた缶コーヒーを飲み干して、思案を重ねつつ持ち込み部屋に戻った(どうするのが最良かわからないケースだった……)。
それで、テーブルではこういうやりとりをした。
私「イイ作品だと思います。特に、セリフ回しにセンスを感じます。掲載ができるとかここでは言えないけど、話は通してみますね」
B「ありがとうございます」
私「それで、担当はね……縁なので。あなたがするのがいいのでは?」
編「私よりもほかの人がいいと思います。もっと才能を引き出せる人が……」※小さい声で
私「いや、でも恋愛描いてるよ。エンタメだけどいいんじゃない」(こいつ、作家の前でアホなこと抜かしよって)
編「難しいです」
私「でもこれ、縁だよ」(意識が低すぎる……)
編「ほかの作家さんも抱えてるので。いっぱいいっぱいです」
私「わかりました」(トラブル回避のため後で編集長に説明しとこう)
B「すいません。僕の作品はどうなるんですか?」
私「後日連絡しますね。必ずしますから、それまでは他誌への持ち込みは待っていただけますか」
B「あの、はい。できればですが、早めでお願いします。一週間くらいでなんとかなりますか」
私「なんとかしてみます」
作品そのものと、作家プロフィールと、付属資料のコピーを取らせてもらって、彼には外で缶コーヒーを奢った。ビルの入り口まで送ったところまではいい気分だったが、正直、身に余る事態だった。
持ち込み作家の才能がありすぎるのも考えものだ。嬉しい悲鳴というやつ。誰が担当に付くかで今後の雑誌の売り上げに影響がある。重大な意思決定ということになる。
最悪、『進撃の巨人』の時みたいに優れた作家を逃してしまう可能性がある。あれも、実際は諌山先生は門前払いではなく、週刊少年ジャンプの担当が付くか付かないかの微妙なラインだったらしい。それで、誰が担当になるかを押し付けあっている間に諌山先生が他雑誌に持ち込んでしまった、という話が業界団体の公的な飲み会で囁かれていた。
B先生についてだが、一週間後に担当編集が決まった。「別の編集者」でもなく私でもない。当時、若手のひとりだった20代の子が任されることになった。編集部のトップを交えてB先生の原稿のコピーを読んだのだが、「若い感性が光る。年齢が同じくらいの人と組ませる方がいいのでは?」という結論になった。
その20代の子は、上の組織からこっちに出向してきている子で、いわば武者修行の身だった。一流大学出で、本社のプロパー社員。いわゆる総合職である。
最初は、私に選択権があった。B先生の担当になる道もあった。だが当時の私は多忙であり、月に何度も会社に寝泊まりするレベルだった。新人は抱えるべきではない。しかし、才能のある子だから迷いがある。
A先生のこともあった。彼のあの作品を世に出してやりたい。もっと有名にしてあげたい。そんな想いがあった。
私が悩んでいるうちに、例の20代の子が手を挙げたのだ。私としても、彼のやる気と知性と直向きさは買っている。諸手を上げて賛成した。
今思えば、正しい選択だった。もし私がB先生の担当になっていたら、面白い恋愛エンタメを楽しめる読者の数は減っていただろう。これでよかったのだ。
以後のB先生は、例の持込漫画のブラッシュアップを続けた。翌年には、晴れて弊誌に第一話が掲載されることになった。さらに以後は、担当編集とともに二人三脚で躍進を続け、イケイケドンドンの勢いを保ったまま、一度も息切れすることなくスターダムに上り詰めた。今では漫画家として世に知られている。
上で挙げたA先生の意欲作は、読者層に合っていなかった。それでも、高い画力とシナリオ構成の上手さがあったのだろう。その意欲作は、連載期間を積み重ねる度にファンの数が増えていった(業界的には、Amazonの第一巻のレビュー数が人気の代替変数になることが知られている)。
今では、A先生は親雑誌で連載を勝ち取るまでになった。去年だったか。彼の作品をコンビニで立ち読みする機会があったのだが、やはり突き抜けた画力だった。週刊連載であそこまでの画力というのはまずない。
2024年現在、私は東京を離れて田舎で暮らしている。地元の町役場にUターン就職して、実家の農業を手伝いながらスローライフに近い生活を送っている。
実は、編集者だった当時、働きすぎて病気になった。ある日、下腹部の辺りに違和感を覚えて、血の塊のようなものが血管を這っている感覚があった。病院に行くと、「遅くても明日中に入院しなさい」という医者からの指導があった。
それなりに重い病気にかかってしまった。一応は死亡リスクもある。数か月ほど入院した後、どうしようかと考えて、考えて、考えて……編集部に復帰後は、労働を最小限にしつつ転職活動をスタートした。
A先生については、幸いだった。彼の意欲作とは最終回まで付き合うことができた。私が退院した後、無事完結を迎えることができた。あしたのジョーに比べればハッピーエンドだった。
入院中に、A先生とB先生がお見舞いに来てくれたのを覚えている。ほかの編集仲間も来てくれた。A先生は、テンションが低めで、何を考えているのかわからないこともあるのだが、人間への基本的な愛というか、思いやりがある人だった。
もう40才を過ぎている。はてなユーザーの中では平均的な年齢か。思えば齢を重ねたものだが、当時の日々は今でも夢の中に出てくる。
若い頃から編集者をやってきた。身体を壊さなければ続けていたのかというと、多分そうだろう。でも、今の生活も悪くないと感じている。自分語りはここまでにして、締めにしよう。
もしあなたが、Webでも紙媒体でもいい。気になる漫画作品を見つけたとする。面白いものを見つけたと感じたら、ひとまず買ってみるのがいい。Webだと1話単位で売っている。
ひとかどの漫画家というのは、自らが産み出すモノを本気で高めにいっている。あなたのフィーリングが合ったのなら、ひとまず1巻だけでも読んでみる方がQOLが高まると思う。ハズレを引くことはあるだろうが、アタリだってちゃんとある。人生は運試しである。
あのさ
最近ファミレスでぱちぱち打ち込む入力する機会が多くて何か物思いに更けながらドリンクバーの前を行き来する猫の配膳ロボットをみつつ、
キーボードの上の方の列、
ノートパソコンやらのそういうのは最低限動いていいんだけど、
これもしかしてノートパソコンにもキーボードの良し悪しがあるのかしら?って
表だけのメモリとかシーピーユーとかのスペックも大事かもしれなけど、
ノートパソコンとかのそのキーボードの打ちやすさ入力のしやすさも今までノールックだったの。
でもわざわざ外付けのキーボードを持ち込んでファミレスでカチカチやっていたら一向に五月蝿いと思われるのもあれだしね。
いまだかつてそんな外付けのキーボードをファミレスに持ち込んで打ち込んでいる熱心な人になれなかったら私がなればいいじゃない山脈に向かってヤッホー!って叫びたいところよ。
そこで小さいキーを打ちにくいからそこがボトルネックになってしまっては
そこでもたついてしまうとリズムがリズミカルにリズめないのよ。
そこは理詰めでいくわ。
なるほどねーって
そういう所にもこだわっているポイントなのかしら?って思ったわ。
それでね、
ここのファミレスの猫の配膳ロボットが歩く時というか動く時というか
いつもカタカタと音が鳴ってて
どこか調子が悪いのかしら?って誰にもずーっと診てもらえなくて気の毒だなぁって思っていたら、
どうりでリズミカルな三三七拍子のリズムだと思ったらそいういうことだったのね。
でもたまに違う人の注文が着たときはどう対処したらいいのかしら?って思うわ。
しばらくすると店員さんが着てくれるケースもありつつ、
ずっと「お料理取ってくれにゃー」って言い続けているのを聞くのも切なくなるわよね。
お風呂でバブを持ちながら握りしめて入る湯船の中で儚く消えていく、
なんか早く正しいテーブルに料理が到着して向かわないとパフェが溶けちゃう!みたいな感じで
でも意外と最近ファミレスでなにかをするのは捗ることがあって、
特に朝早いとそんなに人も多くなくて私はいいかも最近のお気に入りね。
そんで
お昼とかに行くとファミリー層がやっぱり多くて賑やかなのよね。
でもその耳に入ってくる言葉とかも拾うと面白いものもあったりして
なかなか侮れないわよ。
こないだなんか親子連れ3人のテーブルで後ろから聞こえてくる子どもちゃんの声、
「わーい!ハンバーグにお絵かきして食べると美味しいね!」って
そんな超絶可愛い烈伝を全8巻読破しそうな勢いの可愛いこと言う?
そんでその後にその声で
「この旨味が最高やー!」って
二度見したけれど間違いないけれど間違っていたらそれは子どもだったかも知れないし海原雄山さんだったかも知れないし
まあハンバーグが美味しそうに召し上がれて良かったわねって。
今となっては本当にどうでもいいことよね。
私も気の効いたことを言ってみたいものよねファミレスでってそう思ったわ!
うふふ。
お腹なんか空いてなかったので、
お昼にはきっとお腹が空いてくるはずよ。
お湯飲み放題大量のいつでも飲める幸せは信じ合える喜びのそれなんてエブリリトルシィング!って思うわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
その中でも未来永劫、宇宙の果てまで語り継いでいきたい、ハチャメチャに良い曲を教えてほしい。
10年以上前に活動していたTomato n' Pineというアイドルがいる。
おれはそのアイドルのことを何も知らないのだが、解散するという話だけアイドルオタクづてに聞いて知った。
試しに聞いてみた楽曲はとてもノスタルジックで、ちょうど今日みたいな冬の日に聴くにはもってこいの曲だった。
曲名は「ジングルガール上位時代」。
シャンシャン鳴る鈴の音や、ミドルテンポのドラムが心地よい、けれど間奏の台詞パートは要らねえなあ、
なんて思いながら聴いてると、どうしても「ライブで聴きたかったなあ」と思うわけだ。
AKBが編み出したマネタイズ手法により、アイドルグループが雨後の筍のように結成された。
中には「こういう音楽をやりたいんだけど、普通にやっても売れないから、アイドルに託す」という形で実を結んだ音楽がたくさんある。
そうして数多く生み出された珠玉のアイドル楽曲は、10年ちょっとの間にレッドオーシャンとコロナの渦に飲まれて消えた。
おれは今でも聴きたい。
Maison book girlの「karma」を。
Dorothy Little Happyの「恋をしてるの きっと」を。
MELLOW MELLOWの「WANING MOON」を。
高層マンションの一室を買わなくても、都会の夜景ライブカメラをテレビに映しながら晩御飯を食べればいい
新幹線に乗って旅にでなくても、東京博多間の車窓動画を見ながら酒を飲めばいい
一晩100万円のスイートルームに宿泊しなくても、HIKAKINのスイートルーム宿泊動画を見ればいい
遊覧ヘリもプライベートジェットもエベレスト登頂も宇宙遊泳も全部動画でいい
既に誰かがやってくれている
一体、人々は、「空想」という文字を、「現実」に対立させて考えるのが間違いの元である。
私達人間は、人生五十年として、そのうちの五年分くらいは空想に費しているものだ。
人間自身の存在が「現実」であるならば、現に其の人間によって生み出される空想が、単に、形が無いからと言って、なんで「現実」でないことがある。
実物を掴まなければ承知出来ないと言うのか。
掴むことが出来ないから空想が空想として、これほども現実的であるというのだ。
大体人間というものは、空想と実際との食い違いの中に気息奄々として(拙者なぞは白熱的に熱狂して――)暮すところの儚い生物にすぎないものだ。
この大いなる矛盾のおかげで、この箆棒な儚なさのおかげで、兎も角も豚でなく、蟻でなく、幸いにして人である、と言うようなものである、人間というものは。
FARCE に就て 坂口安吾
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/61138_77615.html
空に舞う白いハチマキ。
そこにおれの白いハチマキは無かった。
...
「増田団長に着いてきて良かったです! T地区最強! 来年は任せてください!」
「最優秀賞おめでとう! 悔しいけど今年はお前らだったよ、受験頑張ろうな!」
「仕送り机の上においておいたから、明日から勉強頑張りなさい。今日はかっこよかったヨ」
などの、その日を締めくくる素敵なメッセージがたくさん届いていた。
それぞれが立場を違えても、今日という日はそれぞれの人生に違った意味を持って刻まれたのだろう。
おれにはどう刻まれたのだろうか。
深夜練という名の集まりが明日からなくなること。そしてその週末にはもう統一模試があること。
今日までの日々が青春だったと、日が経つほどに強く感じるのだろうなと思った。
しかしそれを認めたく無かった。それを認めると大人になってしまう気がした。
この儚い気持ちを仲間と共有したいが、身体は睡眠を欲している。
そんな中で気力を振り絞り、学寮の友人と語らった。そんな夜だった。
今日を噛み締めたものから、1人、また1人と自分の部屋に戻っていく。
学寮の大広間は静かになっていく。大広間から出ると、その瞬間大人になってしまう気がした。
そんな気持ちのせいで、結局おれは最後まで大広間にいたのだが、遂にあいつは来なかった。
同じクラスで、同じ部活に励み、同じ寮で過ごす、おれが最も今日の感情を共有したかったY田のことだ。
おれはY田に伝えたかった。「優勝はおれたちじゃない。」と。
...
卒業生が資金を拠出する組織があり、その組織が確か設立100年は超えていたと思う。
生徒たちは自身の出身地域別に「地区」と呼ばれる組織に配属される。
中学校の統廃合を勘案せずに、創立当時の区分けを守り続けてきたため、同じ中学校でも、違う地区に配属されることがよくある。
体育祭では、この地区間で「競技」と「演舞」で競うことになる。
競技はみんなが想像する一般的なものだ。100メートル走や綱引きとか。
(なぜかムカデ競争以外の種目は練習することが許されていなかったため、「競技」を中心に活躍する生徒は、青春の多くをムカデ競争に費やしていたのを覚えている)
午前に1回、午後に1回、各チームの応援団が学ランと扇子、太鼓のみを用いた演舞を披露するのだが、その演舞は「創立当時から守り継がれる」ものだった。
日陰のおじいちゃんやおばあちゃんが、高校生の演舞に合わせて手を動かしていることがよくある。それくらいその地域では知られ愛され親しまれたものだった。
また、各地区の団長にのみ、先代の団長から「歌言」が描かれた扇子が受け継がれ、演舞の終わりにその「歌言」を空に向かって読み上げ、その言葉に自身の青春を重ね涙が溢れる大人もいる。
おれはT地区の団長として、そしてY田はR地区の団長として夏が始まった。(イニシャルを用いているが、実際は地区名となる。)
部活でも、クラスでも、学寮でも同じだったおれたちは、夏からより深く話すようになった。
Y田の所属するR地区の演舞は流線的で、とても弱々しく見えること。
おれの所属するT地区のOBがよく菓子折りを持って見にくること。
Y田の所属するR地区のOBは「また最下位だろ?」と嘲笑しにくること。
おれの所属するT地区の深夜練では、演舞がシンプルなので、練習が早く終わりすぎて、喋ったりお菓子を食べたりしていること。
Y田の所属するR地区の深夜練では、「この演舞だしどうせ負けるっしょ」という空気が蔓延していて、1人で頑張っている気持ちになっていること。
「伝統のある演舞のせいで、おれの青春が頭打ちになるのはおかしい。」
そう決断したY田は、100年続くR地区の演舞を変えられないか動き始めた。
まずR地区内でとても揉めたらしい。女子の団長がとても真面目で、伝統を崩すことに猛反発したと。
次にOBと揉めたらしい。先代の団長から、長々しく生々しいメールを受け取っていたところを見せてもらった。
流線的ではありつつも、それがどう美しく見えるか、どう迫力を出すか。
実はR地区のRとは、「龍」のRなのだ。だから流線的であることが求められた。
「Y田のせいで〜」
そんな話をよく聞くようになった頃、体育祭が近くなり、おれは自分の率いるT地区のメンバーと過ごす時間が多くなり、Y田とは話さなくなった。
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そして体育祭当日。Y田率いるR地区の演舞は、例年のアオダイショウのような弱々しい流線的な演舞から、その名に違わぬ龍のような演舞になっていた。
流線的に、爆発的に、人の身体と扇子だけで、ここまで美しくなるとは思わなかった。
おれだけでなくみんなそう思ったのだろう。演舞が終わった時、会場からは、R地区に向けて聞いたことのないような拍手が、意味のある長い時間続いた。
そして結果発表のあのとき、みながR地区の優勝を望み、優勝を分かり切っているとき、校長は読み上げた。
R地区の苦労を知らないものほど、白いハチマキを高く放り投げていた。
そしておれは、あのとき、おれは、自分の白いハチマキに手をかけることすらしなかった。
Y田を思い、どうしても投げられなかった。
今思えば、教員達が、R地区のOBに対する忖度をしたのだと思う。そして、変えていくという文化を肯定しまうことを恐れたのだと思う。
ただしその年、R地区は創立以来の優秀賞を獲得した。
遠目に見るY田は泣いていた。悔しさか嬉しさかわからないが、ただ泣いていた。
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おれも何者かにならないと会うのが恥ずかしい。そんな恥ずかしさのせいで、あれから会えていないよな。
こんなかたちで伝えてすまない。
現在、複数の学者が今後10~20年で不老不死が実現すると予測している。
そうなるとフィクションでこれまで言われてきた「限りある命の人間こそが美しい」というタイプの言動は差別的な発言としてバッシングを受けるようになる。
これは「本来の性別のままの人間こそが美しい」という発言がLGBTQ差別になることと同様である。
ほんの数十年前まではLGBTQは差別するのが当たり前で「本来の性別のままの人間こそが美しい」という考えは良い考えだというのが世界のスタンダードだった。
しかしポリコレの普及、性転換技術の発展、LGBTQの勢力拡大によって「本来の性別のままでいることが美しい」という考えは悪い考えだという世の中の流れになってきた。
よって恐らく不老不死が実現し普及が進み、不老不死の勢力が拡大すれば「限りある命の人間こそが美しい」という考えは悪い考えだという世の中の流れになってくるだろう。
アニメ大国日本において、日本映画史上最大の売り上げを記録した鬼滅の刃無限列車編は恰好のターゲットである。
銀河鉄道999、ゲド戦記なども取り上げられることになると思うがやはり最大の売り上げというのはインパクトも大きく叩くターゲットとしてうってつけである。
煉獄杏寿郎の「老いることも死ぬことも人間という儚い生き物の美しさだ老いるからこそ死ぬからこそたまらなく愛おしく尊いのだ」という台詞はテレビ等で連日取り上げられバッシングの対象になることだろう。
この書き込みは数十年後掘り起こされて予言の書き込みとしてバズることになると思うのでその日を楽しみにして待つことにする。
追記:ブクマカに10〜20年後に不老不死が実現すると言っているのは誰かというコメントがあるので以下に記す。
Ray Kurzweil
https://news.nifty.com/amp/item/neta/12184-2263112/
Aubrey de grey
https://gendai.media/articles/-/33570?page=1&imp=0
渡辺正峰
José Luis Cordeiro、David Wood
切なくて儚い作品なんて他にもいくらでもあるはずなのだが、どうしても何か急に夜寝るために横になっているとあの作品群の世界観がばっと頭に広がりなんとも言えない気持ちで胸が締め付けられる感じになる。
漫画やアニメなんて知れば知るほど蓄積されていくというよりは単に最近見ている作品が一番印象に残るようになっていて前に見ていた作品は古い方から順次忘れ去っていくものだと思っていた。
だがあの作品群のきらめきは今なお私の中で色あせておらずふとしたときにフラッシュバックとして鮮やかにその世界に浸っているときの感情が蘇ってくる。
恋愛というのが一生のパートナーを見つけるための品定め的な側面がある一方で、漫画アニメというのは死ぬまで手当り次第いろんなものに口をつけていくのが当たり前だと思っていたが、もうこの作品群と「結婚」してもいいんじゃないかと思った。
今までいろんな作品を漁ってきたのは恋愛がそうであるのと同様この人生のパートナーを見つけるためのものでしかなかったんじゃないかなと思わされるぐらいにこの作品群は自分の心の中で特別な位置づけを保っているように思われる。
そういう人は他にも一定数いるのだと思うが、私含めそのような人はなぜ他にも一見すると多数の類似作品があるなかで藤原ここあの作品群に惹かれるのかうまく言語化できずもやもやする。
彼女の描くストーリーは切なくて儚くて、幻想的できらきらしている。人間模様の描き方が特殊である気もする。
しかしこうやって書いてみても私が言葉で表す限りは通り一遍で、明らかに他の類似作品との唯一性が抽出出来ていない。特殊であるとはどう特殊であるのか具体的には言えない。
犬僕は時間の重層性がキーだろうがそんなことよりも自分はdearの小桃と男との掛け合いがなんとも愛おしく思う。それはなぜなのか。
dorawiiより
YouTuberとか配信者が所属する事務所で働いてた時に、見た目の伴わない「かわいい」には賞味期限があって、しかも男のそれはとても短いことに気づいた。
この場合の男は、元々の整ったビジュアルと、それを維持するサポートを周囲がしてくれる環境を持つアイドルとか俳優は含まれない。
ゲームとか一芸に秀でているものの、見た目が並から並以下くらいの男のことで、YouTuber事務所はそういう人間も価値があるように見せて売るのだ。
「かわいい」を男に使うかどうかはよく議題に上がるし、嫌がる人間に無理に使わない方がいいのはそうだろうというのは前提にしたいが、あまり華やかじゃない方の人気商売を内側から見た時に、「かわいい」は見た目に秀でてない男が手にできるボーナスポイントみたいなものだと思った。
ビジュアルではまったく売れないが、ゲームと喋りが上手い実況者がいたとして、常に面白い動画を作れるなら「かわいい」の評価は不要だ。
ただ、うちの事務所にそういうタイプは存在していなかった。そもそも登録者数300万人とかのYouTuberもそうだろうが、その人の1番面白い動画が100点で、視聴者の合格ラインが80点だとすると、出始めは80点をガンガン出すが、ネタ切れになってくると良くて60点や50点の動画が続く人がほとんどだった。
そうなると登録者数も再生数も伸び悩むが、ここで視聴者の合格点、面白さのハードルに届くように評価を底上げし、ビジュアルに関係なく並の男が手にできるのが「かわいい」の評価だ。
これはコメントの「かわいい」を指すわけではなく、視聴者からの「面白い」とか「参考になる」に並ぶ評価の1つが「かわいい」という認識だ。愛嬌であり、許容範囲の広がる評価と言い換えるとわかりやすいかもしれない。
例えばゲームでのちょっとしたミスで焦る姿も、視聴者に「おっ、かわいいじゃん」と思ってもらえれば、それは編集でカットすべきミスではなく、1つの見どころになる。そうした瞬間以外にも、実は配信中に牛乳ばかり飲んでいるとか、実家暮らしでお母さんに頭が上がらないとか、仲間同士のダラ配信での楽しそうな笑い声とか、こういうのも「かわいい」に含まれるのだ。
視聴者の好感度がある程度上がった状態なら「かわいい」は他の評価よりはるかに簡単にもらうことができる。
逆に言えば、狙わなくても得てしまう評価ゆえに嫌う人もいるのかもしれない。
女の方は事務所に入った時点である程度ビジュアル面が保証されてるせいか、あまり「かわいい」で評価ハードルの高さが変わるイメージはなかった。
どちらかと言うと+α(声、経歴の個性、SNSの面白さ)のキャラクター性が評価の底上げに繋がっていた気がする。
最初に書いた通り、この男への「かわいい」の評価は劣化も速い。ビジュアルでの評価の底上げがコンクリブロックなら、「かわいい」は盛り土みたいなもので、ファンの定着度が全く違うのだ。
ビジュアルで惹かれたファンはとにかく離れにくい。顔や見た目の造形が好ましいだけで、全ての動画に価値が生まれるからだ。
でもそうしたビジュアルの伴わない「かわいい」はとにかく儚い。実力で掴んだ評価ではないので継続して刺激を提供することが難しく、飽きられるのも速いのだ。見た目がそもそも良くはないので、残念ながらファンが夢から覚めるのも早い。
事務所で数年に渡って関わってきたが、得意ジャンルを問わずに「かわいい」を綺麗に踏み固めて自分のものにし、面白さや個性の土台にできる人だけが生き残っていったなと思う。