はてなキーワード: グラデーションとは
文章が読めないようだから教えとくが、分化疾患の患者がいることは、性がグラデーションであることを全く意味しない
4色型色覚の人は三色型には見えない色が見えているということについて疑問があります。たとえば黄色い花を見ても、三色型には一面黄色い花びらしか見えないのが、4色型だと花の中央側と外側で色が違って見えるみたいなことが起こるといいます。
また4色型の人は三色型からみればサイケデリックと感じられる色遣いで絵を描くことがあると言います。それは彼らの見えてる世界の反映だと言います。
しかしこれらを総合すると色々引っかかることがあると思いました。
色覚の違いによって花びらがよりカラフルに見えることがあったとしても、おそらく絵の具の色は色覚に左右されず単一の色で構成されているように見えるのではないのでしょうか。
たとえば三色型が黄色い花と黄色い絵の具を見たとき、同じものを4色型に見せれば花の方は確かによりカラフルに映るのでしょうが、絵の具の方は違った色に見えるということはあっても、複数の色がそのペーストのなかに見えるということはないと思います。
それはそもそも4色型色覚というのは紫外線を感じる細胞をも余分に一つ持った状態なのであり、絵の具は花びらと違って紫外線を発さないのだから、三色型と4色型で見え方が違うということはないと思うからです。またわずかに紫外線を反射するのだとしても、絵の具の各部分で紫外線を反射する割合に差はないはずだからです。もしその割合が異なるなら、その他の波長を反射する割合も異なっているべきであり、黄色とか青色とか単一の色を持った絵の具というのがそもそもありえなくなってしまうと思います。
そうすると4色型はサイケデリックな絵を描くというのも矛盾点があり、仮に花びら一枚でも紫外線が見える影響で4色型には2色以上のグラデーションに見えるのだとしても、そのうち三色型とは異なる色に見える部分に対応する絵の具は4色型でも見出せないはずです。なぜなら絵の具は紫外線を反射しないからです。
そうするとサイケデリックな絵を描くのはその人が自身の見え方を同じ色には同じ色の絵の具をという使い分けによって忠実に反映した結果というよりも、ただの趣味、画風という感じがします。
これらのことを総合すると、4色型の人も見える色の種類は3色型と同じで、光として受け取る波長域が広い分、三色型と種類数自体は同じ色の、受け取った波長に対する割り当て方が三色型と異なっているだけなのではないかと思いました。
これはたとえるなら、カメラとモニターをつなげたとき、カメラ自体はrgbで光を受け取っていても、モニター自体が白黒表示しか対応していないならモノクロ映像しか映らないようなものです。
光の受容体(カメラ)が4色型の人も、視覚野(モニター)まで三色型に対して突然変異を起こしているとは考えづらいですから、4色型の人の視界に映りうる色の種類数自体は三色型と同じなのではないかと思うのです。ただ波長に対しての割り当て方が違うだけで。
これはたとえば2色型の人でも夢を見ている時は起きているときには見たことがない色を見ることがあるみたいなことを確認するとかいった方法で裏も取れると思います。つまり人間が潜在的に見ることが可能な色の種類数自体は受容体側ではなく視覚野すなわち情報を処理する側に依存しているのであって、何色型でも同一なのではないかと思いました。どうなのでしょうか?
非モテって言ったって「そのへんにいる普通のオタクっぽい童貞大学生」から「高齢無職、ASD特性強め、同性の友達すらいない限界独身男性」までグラデーションあるからなあ
世間で流通してる非モテ脱出術はそのグラデーションのどこかでターゲットを勝手に想定したものでしかないから、その人の考える一般的非モテ像が「風呂に入らず臭いデブ」だと「風呂入れ、ダイエットしろ」になるし、「風呂ぐらいは入ってるし人から避けられない程度の容姿だけど非コミュ」だったら「とにかく数打て」になるんだろう
「自分が悪くないのに謝らない」という主義が原因で周囲とトラブルになる人って、謝ると謝らないがイチゼロなんだよ。実際にはその中間になるグラデーションがあって、そういうのが下手なんだと思う。
自分はクレーム対応の仕事してたことがあって、変に謝ると、「そちらも非を認めているのだからこの要求を飲め」jみたいなことを言い出すやつが出てきてややこしくなるから、「明らかにこちらに非がある場合以外は謝るな」ってルールになってた。
でも、その一方で怒ってる相手に対して尊大に見えるような表現をするとトラブルが拡大するから「謝ってはいないが相手に寄り添う表現」って結構あるわけよ。
「お困りのことと存じます」「恐縮ではございますがご容赦ください」みたいなやつね。ぶっちゃけ何も言ってないんだけど、こういう一文があるだけで相手の態度は軟化したりする。
増田も、怒ってる相手の感情に寄り添うってやつをやって、自分なりに落とし所となる「あんたが嫌な思いしたようでなんとも残念ッス」って表現を研究したほうがいいと思うわ。
あと、身内だったら、怒りの原因になるものを見つけて一緒に怒るってのがわりといい。
ていうか、たいていのトラブルは、どっちかに非があるというよりそうなる仕組みに問題があると思うので、カイゼンにつなげるのが一番建設的とも思う。
あの大チョンボをこれからの糧として活かしていく、とかコメントしているみたいだけど。
いや1年目2年目ならともかく3年やってあれをやってしまうのであればそれはもう結果だよ。
幸い彼には来年もあるので、ミスを反省してこれからに活かしたいとか言えるんだけど、
なんで来年があるかと言えばそれは彼がホンダのペイドライバーだからという理由だけなものだし。
本来であればリアム・ローソンと交代だよ、トロロッソ/アルファタウリの伝統からすれば。
最後の年のクビアトみたいにいい走りをしていても4年目がないのがあのチームなんだから。
どこまで本気で言っていたのかわからないけれどブラジルでも競争力があるはずだから、とコメントしていたようだけどあるわけないじゃん。
あんなメキシコのサーキットみたいな超特殊な環境だけで速さを発揮した車が、その他の場所で速いわきゃない。
あれは我慢して我慢して我慢して我慢の仕事をずーっと忍耐強く続けた末に訪れるボーナスタイム、千載一遇のチャンスなんだ。
それを不意にしたらもうしばらくは何も来ないよ。
とにかく何事もそうだけど出来ないことをやろうとしてはいけないんだ。
にしてももったいなかったよな。
でもまあスプリントではバンバン抜かれまくって終わるんじゃない?
他がタイヤ温存したのに対して新品使ったから、ってのが6位獲得の理由なんじゃないの?
フェラーリのルクレール、メルセデスのハミルトンと戦いながらの6位に入賞は結果として素晴らしものだ。
スピードがあるし、何よりタイヤのデグラデーションが少ない点が優秀だ。
他がすべてタイヤに苦しんでいる中、アルファタウリの角田とリカルドだけは比較的良好にタイヤマネジメントが出来ていた。
・まず運にも恵まれていた。
SQ3でオコンがアロンソとの接触でクラッシュしたことで赤旗セッション中止となった。
それによって角田はギリギリ15位でSQ2に進むことが出来た。
おそらく、赤旗がなければ角田のSQ3のタイムであれば他に抜かれて15位以下でレースをスタートすることになりポイント獲得は望めなかっただろう。
2つのDRS区間でのオーバーテイクが定石であるブラジルでストレートスピードを捨ててコーナーマシンに仕上げてしまっている。
それが要因なのかは定かではないがタイヤのデグラデーションが酷い。
結果としてハミルトンはスプリントレース終盤大きくペースダウン、ルクレールと角田にオーバーテイクを許した。
もしも、角田がペースダウンしたハミルトンを一発で抜くことが出来ていればルクレールに勝負を仕掛けてオーバーテイクするチャンスがあっただろう。
それが出来ていれば松のレースだったと言える(結果としてフェラーリを抜けなかったとしても)。
無理なこと、出来ないことをしてはいけないがギャップがあるなら一発で仕留めなければいけないのがレーシングドライバーだ。
ハミルトンはルクレールはともかく格下の角田には譲るようなアクションはしてくれない。
それでも、あっと言わせるようなオーバーテイクをしてみせる。
そしてミスをしない。
つうか6万って600円の投げ銭を100人から集めるだけで達成できるわけで、多くのAI絵師がドンドン達成してる程度のレベルじゃん。
俺はおかしいと思う。
有名ってのは「興味がなくても勝手に名前が耳に入る」のレベルだと思うよ。
→LV3「新人賞を勝ち上がって実力でレビューした期待の新人」
ぐらいの感じやろ?
まあ人口分布考えるとそこまで間違ったピラミッドだとは思わんけど、それにしたってLV2~LV4ぐらいの間にある個性あふれるグラデーションがガン無視されている感じ。
「有名ではないし食えてもいないけど紛れもなく作家と呼ぶべき人物」っていう立ち位置の複雑さから皆が意識をそらし過ぎてるんだと思うわけよ。
"要件" として「主体的にその服装を選択している」かどうか、はもちろんそのこと自体に何ら問題があるわけないけど、
「現実に存在する女性は主体的にその服装を選択している」という言い切りの "前提" を書いてる、
要するに「現実世界でその要件が100%実現されている」という言い方になってしまってるから、
「いや100%そうだなんてことありえねーだろ」って返してるだけなんですよ。
で、そのあり得ない前提をベースにフィクション側を批判する構造を取ってるから、なおさら。
> 女性の服装も、ある程度は「社会的要請」や「第三者からの視線」を想定して選ばれているのでは?
と、グラデーションあるよね?と(最初から)申しておるわけで、現実的にありえない前提を置いて話を進められても困惑しまっせ、というだけの話。
有名な作品の企画展があると美術館に行ってみたくなるタイプだけど、有名な画家の有名な絵が観れるらしいし行ってみる程度だからぜーんぜん作品の良さとか時代背景とか作家の名前とかもわからんし、最近はパンダ見に行くようなもんだなと割り切ってる
なんとなくふんわりパステルの点描とかグラデーションみたいな描き方の風景の絵が好きだな〜って思ってるけどそれもなんとなく好きなだけで作家の名前とかは正直わからない
上野に何件もあるし、あとは六本木と竹橋に行ったことある気がするけどどこが何なのかはいまだにわからない
最寄駅で判別してるから上野まで辿りついてから途方に暮れることもあるし、なんなら駅間違えて慌てることもある
せっかくだから勉強したいなと思って美術史についてのYouTube動画とか見るけど〇〇派とか〇〇主義とか〇〇運動とかたくさん出てくるけど全然わからん…と毎回挫折してしまう(動画が合わないだけかもしれないが)
先日見に行った企画展で、ドストエフスキーの小説の挿絵になってるという絵画があって、初めて芸術と現実って地続きなんだな〜と思ったくらい、身近じゃないものだと思ってる
子供の頃、出身地の田舎の美術館にも巡回展でミュシャが来たことがあって、上京した後でミュシャのスラブ叙事詩の企画展を見に行ってみようかな!と思い立ったのがきっかけだったから、あんな田舎までわざわざ有名な絵を持ってきて見せてくれた人たちのおかげでこの娯楽に辿り着いたのだと思うと企画してる人たちに感謝の念を送りたい
増田自身が書いてるとおり、糖を加熱してアミノ酸と結びついて茶色になると香ばしく美味しくなるメイラード反応が起こる。
ただ、糖もアミノ酸も炭素主体なので火をずっと入れてたら炭化して苦くなって不味くなる。増田自身が「真っ黒にならない限り」と断っているように真っ黒になって炭化したら不味いよね。
焦げを作る過程でメイラード反応と炭化がグラデーションになってる範囲があって人によって個人差はあれどそのエリアのどこかで美味しいからマズいに変わる。さらにその黒寄りには食べられる食べられないの境界線がある。境界線の幅は広い料理と狭い料理があって狭い料理のほうが難しい。狭い料理の典型的な例はプリンに使うカラメルシロップで、高温で熱するのでグラデーションの幅が狭く、色が変わってからあたふたしてるとすぐ焦げて不味くなる。逆に広い例は飴色玉ねぎで濃いのから薄いのまでいろんな味が生まれる。
増田が挙げたポトフや水炊きや親子丼は加熱中に触らない料理なので鍋底で加熱されて底で焦げるんだけど水の壁に阻まれて匂いが外に出にくい。その結果、気づくのが遅れて嗅覚で気づいたときには焦げの濃い黒に近いグレーで発見されがち。不味い領域に入っちゃう。これが一番目の理由。なお、鍋で炊いててもお米の場合水がなくなってから焦げるのですぐに気づけて匂いを感じてから火を止めても間に合うことが多い。
さらに、ポトフや水炊きはメイラード反応による香ばしさの付加をそもそも狙ってないよね。親子丼も鶏肉にはつけても卵は半熟で焼いた香ばしさを期待していない。期待しない味は少量でも邪魔になってくるのでグラデーションの白に近いグレーのところに不味いとの境界線がある料理と言える。同様に食べられる食べられないの境界線も焼き肉なんかよりもずっと白寄りにある料理だと思う。それなのに黒に近いグレーで発見されるとその境界すら超えてしまう。これが第二の理由。
先に書いた通り境界線には個人差があるし、料理によっても違うから炭でも気にならない人はいる。ただ、増田の場合、うまい焦げと違ってさして違わないってことなのでその境界線は黒寄りではなさそう。つまり第二の理由が優勢っぽい。標準もしくはそれ以上に繊細ないい舌と鼻をもっているのもあると思う。
キャベツなんかは焼き肉でもポトフでも使うから食材ではないし、フロンではないホーローやステンレスの鍋でも同じことは起こるのでフッ素樹脂が溶ける影響も主因ではない。
凹んでるってことなんだけど、原因を真剣に考えてるなら失敗は成功の素なので、むしろレベルアップするために通るべき道を通ってるだけと思う。ポトフやおでんの場合、沸騰直前に炊飯器にぶち込んで保温調理するか弱火キープやろね。水炊きで焦がすのは強火の時間が長すぎるか強火が強すぎるかだろね。
あと焦がした鍋はスチールウールで磨くと思うので、磨いていい素材なら鍋の外側もついでにピカピカにするとモチベーション上がるよ。
追記:
ごめん、嘘書いた。カラメルシロップは原料砂糖(ショ糖)と水なのでメイラード反応しないわ。反応の種類が違ってカラメル反応だけど言いたいことは同じなのでそこ読み替えて読んで欲しい。