はてなキーワード: グラデーションとは
ゼルダの伝説知恵のかりもので「カリモノ」をかりた回数順で並び替えると
ベッドが1位!
今作のゼルダの世界の謎は全てベッドで解決出来ると言うことを証明できそう!
つーぐらい強めなベッド万能感マジウケるってところで、
いやもはや逆で
謎解きは強引に解決で無理矢理なカリモノの置き方で進めて進行している?って言ったところかしら?
これで正解していいの?って笑うぐらい。
あと、
普通ストーリーの進み具合で行けるマップいけないマップ地方や街や村ってあるじゃない。
ある程度話が進まないと行けない場所。
あれも最初から無視してほぼ全土ハイラルのマップはストーリーの進行状況関係なく踏破できるの。
そして、
初めてきたような演出が入るので、
ちょっとの高さの崖も登れないじゃない。
でも今作は「カリモノ」の力で
山も高さや何かが減るゲージも関係なくどんな高さの山でもとりあえず登頂できるの。
だからあのスパイダーマン登りができる蜘蛛の「カリモノ」さえあればハイラル全土はもう全部ほぼ行けちゃうわけなのよね。
この土地の先には何があるんだろう?って変な楽しい冒険感もあったりして、
あと、
トゲトゲの「カリモノ」もあって、
あれ動かないけれど私にとっては万能すぎて
敵の頭上に落してもよし、
敵の周りに置いて動きを封じてもよし
ホールドしてそれで殴りに行ってもよし!
と三拍子揃っている万能さ!
変に戦いに行く「カリモノ」よりも強いって感じ。
あと敵を直に燃やすとか。
案外そういった方法の方が戦うより地味に強かったりする気がするわ。
だから
最初剣や弓で倒そうとするとなんか変に勿体ないような気がして、
まずはなんとか「カリモノ」でボス倒せないか?って変な縛りの拘りが出始めてきたらすっかりもうゼルダの伝説かりものの世界にどっぷりってところよ。
あと、
前も言ったかも知れない鴨鹿だけど、
ピクミンって私ピクミンを派遣するのが人として酷い扱いをピクミンにしている感じがして切なくなるからあのゲームできないんだけど、
この「カリモノ」に関しては
遠慮無くじゃんじゃん出して「カリモノ」の銅鑼をじゃんじゃん文字通り鳴らして景気よく号令を出せるので
敵の体力ゲージもなくって、
あとどのぐらいで倒せるのかしら?ってのが全然分からないのよね。
これも良く考えてあるのかしら?
ある「カリモノ」がめちゃ体力を削る凄い攻撃力のものだとバレると、
それに偏っちゃうので、
それを無くしいろいろなカリモノを使って倒し方を編み出して欲しいのために
ワザと敵の体力ゲージが表示されないのかしら?って推測なの。
なんとなくそう思うわ。
プレイヤーに感覚でこの「カリモノ」は強い弱いってのを分からせてってなのかしらね。
とりあえず、
だから序盤に出てくるコウモリのカリモノも数出せば攻撃回数が増えるので
とはいえ、
ベッドの「カリモノ」回数は圧倒的な1位で
ベッドも拘りがあって3種類あるのもウケるわ。
効果は同じなのに効き目が違うのよ。
ベッドの使い分けも腕の見せどころなの!
ややこしいでしょ?
今思ったら今作のゼルダって何にも困ってないのよね。
それが単純に簡単かっていうわけでもなく
謎解きは考えるのは難しいけれど、
そんな謎ももちろんあるし。
消耗品を消耗させたくないっていうなんか武器節約しようみたいなそういうところもないところも困らないところかしら。
剣を使うのを序盤ケチりまくって進めるじゃないすぐ無くなっちゃうので!
まあゼルダの伝説ブレスオブザワイルドの方のようなそんな涙ぐましい苦労がないところも爽快な感じね。
あと迷う森もあって
そこ行ってみたけどたぶん全部森探索できてないわ。
森だけは攻略何があるか見付けるのが森だけに深く隠されているものがある安直に解けない謎が、
そこだけは謎だわ。
もう剣もってるからマスターソードがあるわけではなさそうだしね。
森だけに謎だわ。
うふふ。
ヒーコーのみにしました。
でもまだ大丈夫ね。
ミルクも付け加えたいところだけど
ミルク買い忘れちゃった!
デトックスウォーターは1回ボトルを取り替えてたくさん作れるようにした水出しルイボスティーウォーラーだけど、
ホッツルイボスティーウォーラーでもいいかもしれない季節の移ろいを感じずにはいられないわよね。
まあごくごく飲んだけれど。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
10年くらい前からダラダラとハナクソみたいな絵を描いていた。ケータママのイラストがよく話題になっているが、ワイの画力も正直それと大差はない。太い線を使っているだけ「ゆるい絵」のくくりにギリ入れてもらえる、くらいのレベルである。
別にソレで良かった。ソレで良かったんだけど、二年前くらいかな。とあるキッカケでそうも言っていられなくなった。
友人に「お前もこれを見習えば?」と言われた。示されたのはあるVtuberの動画である。大量の同業者の顔を模写して上達を目指す企画が完結して大きな話題になっていた。
そのVtuberは最初上手とは言えない絵を描いていたのだが(それでもワイよりは上手いっす。ごめんなさい)、最終的には元絵とパット見の印象は変わらないくらいのクオリティになっていた。
タイトルに復讐と書いているがそのVtuberに対して恨みがあるわけではない。彼のことは本当に凄いと思う。
しかし、あそこまでの上達を制作中含めリアルタイムで見せられると「続けていれば誰でも上手くなる」という考えを持つヤツが出てくる。その友人のことである。
趣味というからには少しは上達しろ。好きこそものの上手なれと言うだろう。要約すればそのようなことを言われた。
冒頭に「ワイは向上心がまるで無い」などと書いたが、昔は違った。なんぼなんでもちょっとは上手くなろうとしたことくらいある。しかし、それは無理と悟ったから、好き勝手に描いているのである。
だからワイははっきりと言った。上達なんて適正ありきのものだって。
世間は簡単に言う。自分の改善点を見つけてそれを直していけば上手くなると。
どこから直せば良いのか分からないなら一つ一つ分解していけば良いと。
それが出来ないならまずは楽しく続けていこう。そうすれば分かるようになってくると。
ワイはその3つ目でずっと止まっている。目がいつまで経っても役立たず。一生モヤの中にいる。
だが、そんなことを言ったところで「それは努力が足りていないから」で一掃された。この主張はあまりにも強すぎる。
彼にとって努力とは成果に結びつくまでの過程であり、努力を評価することは成果を評価することと同義である。成果が出ていなければ努力不足。成果に直接結びつかないことはただの徒労。
その定義付けにある種の合理性があるのは否定しない。間違った方向に頑張ったところでそれは徒労だし、ある程度の量が必要なのも分かる。
ただ、成果を左右するファクターは努力だけではないという視点が欠如している。
だが、そんなことを言ったところで「それは努力が足りていない人の考え」と一掃された。この主張はあまりにも強すぎる。
これを読んでいる人の中には彼と同じような努力至上主義の人間も多数いることだろう。同じことを繰り返すが、適正ない奴がなにやってもダメなんだよ。
いや、分かるよ、結局自分でどうにか出来る変数は努力しかないという主張も、成功している人は皆努力していることも。
それは分かったうえで、やっぱり適正がないとダメだ。才能があってこその努力だ。個体差の有無を認めてなぜ適性の有無を認めない?
だが、そんなことを言ったところで「それは本当の努力を知らないから」と一掃されることだろう。
自分の適性の無さなんて、成果に必要な努力量のはるか手前で分かるもんだと思うんだがね。
だからワイはめちゃくちゃに努力をして多少の成果を出したところで「お前の主張を実践したが、こんな釣り合わないことさせるもんじゃねぇぞ。軽率に努力不足なんていうもんじゃない」と言ってやらなければならない。
バカが。
それで二年くらい真面目に絵の練習をしている。上達はほとんど感じない。
さいとうなおき先生の動画とか見てみたら?とか言われるけど、ありゃ画力の使い方の話が主で画力がないやつには関係ない。三ヶ月上達法もレベルが高すぎる。模写して「ここの座標がズレてるね」なら重ねたら分かるが、絵柄再現して別の絵を描いて改善点を見つけるだと…?
実際試してみたが、全然意味が分からなくて挫折した。税金に似た三重県を描いて税金との違いを述べろと言われている気分である。他の練習法だって大体そう。
ハナクソがダンゴムシになるための方法を探しているのにウサギがトラになる方法しか出てこない。
それでも一応それなりに課題を見つけて改善するというのをやってはいる。先ほど「ほとんど」上達していないと言ったが、僅かな成果はあった。
ただ知っていれば誰でも出来るようなことである。片目を瞑ると狂いにくくなるとか、下から上に線を描くのはやめたほうがいいとか、ひと晩寝かせたほうがいいとか、線画の色を変えてみようとか、その程度のもの。
個人のさじ加減が必要な項目はまるで出来ていない。線の強弱をつけてもガタガタの線になるだけだし、薄弱な根拠でグラデーションをつけてもそれはただのムラである。
実に困ったものだ。
座標のズレのような客観的な評価ではなく、各々の主観的な評価で改善していかなければならない項目が多すぎる。良いものを良いと判断できる目がワイにはない。
焼まゆる先生の目を肥やす云々の話の重要性は感じながらも、一向に目が肥えない。
いやいや、頭でっかちになってアウトプットが足りてないんじゃないの?と思ったそこのあなた!それは分からんでもない。
が、今週一ペースで絵を完成させているけど、正直これ以上はすぐには増やせない。なぜなら、修正にめちゃくちゃ時間がかかるからである。
右目が大きいかもな。左右反転で確かめてみよう。今度は(元の)左目が大きく見えるな。
こんなことをずっとやっている。
そのレベルで見る目がない。
仕上がりを気にせず量だけ重ねた時期もあったが、それだと何も発見がないので何も得られていない。反復練習は再現性を高めるためのものなんだろうなーって思った。
ずっと1人で練習していると、自分の絵に見慣れてうまくなったと錯覚することがある。そういうときはTwitterに載せたり、人に見せたりする。そして現実を知るのである。
絵は人に見せていかないと上手くならないとよく言われているが、人に見られている時点でもうそれはそこそこ上手いのである。
まず当然だがTwitterに載せてもまず見向きもされない。タグつけたりコミュニティに載せたりしてインプこそあるものの、エンゲージは非常に少ない。
そして知り合いに見せても「頑張ってるね」しか言われない(前述の友人とはもう連絡をとっていない)。感想をもらっておいて失礼かもしれないが、ワイもよく分からない愚痴の相槌に対してそのセリフを吐くので、多分その類なんだろうと思っている。要するに見ていない・聞いていないときの返事ってことだ。
こんな風に、穴の空いたバケツを使って種を植えていない植木鉢に水やりをしている。もう限界だ。
もう正直モチベがつきかけているというか、なんかどうでもよくなってきたというか、心が弱くなってきて、でも絶対絵垢で愚痴を吐きたくなくて、カッとなってここまで書いた。
俺は一体何をしているんだ。
それでも俺は努力不足なんだろうか。別にイラストレーター目指してるとかじゃなくて、ただ単に、人並のまともな絵が描けるようになりたいだけなんだが。
春に出合い、すぐに既婚者であることを知った。すでに薄っすら気になっていた。
それからは辛い日々が続いている。
自分が異性を好きになるのはグラデーションで右肩上がりのグラフみたいな感じなのだが、関係性や時間などの横軸がある程度まで増加すると気持ちの量である縦軸が急激に上がる。
そこを経ると、「完全に好き」となるのだ。
春からは、ずっとその落差に到達しないように自分を抑えている状態だ。
横軸は増えているが、縦軸が増えないように抑えている。
いや、嘘だ。
縦軸はかなり変動している。
落差に到達している最中に無理やり抑えこんだり、抑えられなくて酒を飲んだりしている。
しかし、週3〜4は顔を合わす。
合わせていない期間に下げた縦軸が、会うと上がってしまう。
やめてくれ。本当に。
お相手とも非常に仲睦まじく、入る隙間などない。
もとより相手がいなくても自分には見合わないとは思うし、人のものを盗ろうという考えは持てないが、それでも一人の人間としてその生活は眩しく、異性として苦しい。
かなり理想に近いその人。
自分にとっても世間的にも、その人より魅力的な異性はほとんどいないように思う。
ましてや自分がそういう人といい仲になれる自信がまったくない。
誰かと付き合ったとしても、その人と定期的に会う限りその人のほうが好きなのではないか。
会わなければ記憶も薄れていいのかもしれないが、なかなかそうもいかない事情もある。
ああ、困った。
とりあえず今日も酒を飲もう
昔、はてなブログが「互助会」なんて言われてた時期もそうなのですが…
というのが、コミュニティ強めのブログサイトの末路なのでしょうね…。
↓
↓
個人的な日記感覚で使う人が増えてくる(DLチャンネルの場合、新規ファンを増やすために日記的な内容が奨励されるようになる)
↓
この辺から「いいね」と「多くの人にとって有益な記事」が緩やかに分離し始める
↓
↓
アフィリエイトや文章で注目されることよりも、友達作りや承認欲求満たし合戦に勝つことが目的の人が出始める
↓
この辺りになると、明確に「有益な記事でアクセスを集める層」と「身内ネタ」の層でグラデーションが明確になり始める
↓
サイト全体のドメインパワーが落ち始め、有益なことができる人が自サイトや別ジャンルに亡命し始める
↓
うっすら感じてた「イヤーな感じ」。
どこかで見たことあると思ったら、「はてなブログ」で経験した流れですね…。
「ECサイトとしっかりつながってるから、はてなほど読まれなくなっても滅びない(むしろ、レビューとしての意義が残ってくれさえすれば、ちゃんと続く)」
という点。元からドメインパワーが上げにくい構造なので、コミュニティサイトとして弱くなってもしばらくは運営し続けられるところ。
何がおもろいって、この2つのサイトのあり方を「キャラ売り」「承認欲求モンスター向け」のサイトに変えちゃった人が…けっこう似てるんだよなぁ。
本人のプロフィール見た限りだとね。
自分たちのことを「ネットウォッチャー」だとか言ってたはてな民なら、もう気づいてる人いるんじゃないかな?
今のDLチャンネルは、かつて大昔のはてなブログ知ってる人には面白いかもよ。
xxだもんなのだ。
ソープやデリヘルはあくまで業態の名称なので、実際は内容も価格帯も千差万別なのだ。
どっちかに絞って検索するといいのだ。どっちも行けるなら両方で検索すればいいのだ。
(この業界はエリア制になってるので跨いで検索するのが結構難しいのだ)
シティーヘブンネットみたいな横断検索サイトでは「女の子検索」ができるのだ。
まずはこれで条件を絞って探すのだ。
1回目は個別ページを見ずに、検索画面からとにかくキープしていくのだ。
でも自分の年齢以下程度にしておいた方がサービス面で苦労する可能性が減るのだ。
一般的にソープの若い子はサービス精神が強めなので何とかなりがちではあるものの、デリヘルの若い子に慣れてないオッサンが入っても楽しめないことが多いのだ(n敗)
もちろんそれはあるのだけれど、1回目の探索は雰囲気で選ぶくらいでいいのだ。
実際には直近で髪色変わってたりすることもあるけど、気にしない気にしない。
吉原年齢は知ってるのだ?
基本的に記載の数値の絶対的な信頼性はなく、相対的に決まってくるのだ。
最近は正直な表記も増えてきたけど、写真の感じとかとか比べて気になるならググって対応表を見るのだ。
3サイズ表記も相対的なものなのだ(バストとカップサイズだけは正直な場合が多いのだ)
全店共通で言える(例外あり)こととして、W57以上は太目の場合が多いのだ
実際にはその店舗内でグラデーションがあるので、後々店舗内の他の嬢と比較をしていくのだ。
バストが大きくてもカップが小さいとウェストが大きい可能性があるのだ。
ここら辺の写真はガッツリ弄られてることが多いからフォースを信じるのだ…w
それでは選別していくのだ。
まず予算を見るのだ。
ソープは(60±10分)2万から10万円程度と価格帯の広い業態なのだ。
ずるずると引っ張ってもいいこと無いのだ。
基本的にサービスx顔xスタイルで価格が決まるのだ(例外あり:結局は店の基準価格があるのだ)
つまり安めのお店でこれらが両立することはないと覚悟しておくのだ。
(でもコロナの影響で顔が良い嬢はとても増えたと思うのだ)
ここで大事なのは宣材写真も日記の画像も最新のものとは限らないということなのだ。
でも雰囲気だけを信じていくのだ。
可能ならお店からの紹介メッセージも見るのだ。最近は割と正直目になってきてるので参考にするのだ。
(特にタトゥーの有無などは勃起に影響すると思うのでよく確認するのだ)
絞れたのだ?
では次に最終選別なのだ。
どれだけいい子がいても、自分がいける日に出勤してなかったら意味がないのだ。
気になる女の子のお店のページ【重要】に飛んで、行きたい日の出勤情報を見るのだ。
こういうお店はコンセプトでまとめている場合が多いから、検索で気にならなかったはずの子も気になると思うのだ。
一般的に60±10分はショートといってお試し版でサービスが限定されるのだ。
ソープの本番は90分からなのだ。ここでケチるくらいなら家でしコってた方がマシな結末を迎えるのだ。
絶対に90分以上を選ぶのだ(初回120分超はやりすぎ説があるのだ)
またできるのであればWebから予約することをお勧めするのだ。
よくわからんサイトに登録するのが嫌ならしなくてもいいのだ。電話も全然ありなのだ。
最近はLINEやX(旧Twitter)のDM予約(姫予約)も当たり前に運用されているのだけれど、初心者にはオススメしないのだ。
(これは個人的な感想なのだけれど、タレント化してるキラキラ風俗嬢にいい思い出がないのだ)
(ただし連絡するアカウントが著名の場合は除くのだ。知名度特権はガンガン使っていくのだ)
これでソープのことが少しは分かったのだ?
かつて案内所という業態が成立したほど風俗選びは難しいのだ(諸説あるのだ)
もし聞きたいことがあったら何でも聞くといいのだ。
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予約する前に店名+NSでググってみるといいのだ。
もし倫理観があってスキン着用が当然の感覚でNS店に行った場合、事故が起こる可能性があるのだ。
気を付けるのだ。
先週は平日睡眠バランスが崩れて平均3~4時間しか眠れていなかった。
土曜日は1日中家の中でゴロゴロして寝たり起きたりを繰り返して過ごした。
日曜の朝方に目が覚めて、脳も体もなにかを欲してるような感覚があった。こういう時はとにかく外に出てしまったほうがいいと経験で分かっている。
スマホだけ持って外に出ると朝焼けが建物の間から見える。夜の名残で空気はまだ少しひんやりしている。
たくさん寝たせいで体が少し軽く感じる。ジョギングに向かうおじさんや、仕事に向かうらしい人とすれ違う。
コンビニの前を通った時、店内で60代くらいのおばさんが棚の整理をしてるのが見えた。あのおばさんのシフトは夜勤なんだろうか。
珍しい時間帯の風景が好きだ。新宿で夜間働いていた頃、夜中ビルの隅っこに座りこんで一人で弁当を食べていたホストの男を思い出す。
ボサボサの髪でのり弁を食べていた彼はその後ホストとして成功したんだろうか、それともまったく違う仕事をしてるんだろうか。
早朝は働く人間の足跡が見えやすい。人の少なさが眠ってる人の多さを想像させる。どんな人間でも眠っていると想像するとなんとなく人間がかわいく思えて好きだ。
配送のトラックが走ってる。ナンバープレートを見てその道程を想像する。
空を見上げるときれいな虹が出ていた。雨なんて降っていたんだろうか?
虹を見たのは3年ぶりくらいかもしれない。3年前心のバランスを崩して仕事を辞めていった同僚と、久しぶりに会った待ち合わせの駅で見た虹以来だった。
あの時は夕方でたくさんの人が虹の写真を撮っていた。僕らは二人とも写真すら撮らなかった。
今日の虹は誰も見ていない。さっきのコンビニのおばさんに虹が出てますよと教えたくなった。それくらいきれいな虹だった。
色の境界はあるのかないのか分からないようなグラデーションで、でもハッキリとオレンジから紫まで色の帯が感じられる。
色が溶けているとしか言いようがなく、曖昧と明瞭が同時に存在してるような不思議さがある。
子供の頃、水たまりに油膜が張っているのを見てこれが虹の最初だと思ったことがある。
それは汚水かなにかだと思うけど油膜が虹色になっていたから、どこかに大きな水たまりがあって、そこから虹は伸びていくんだなと思っていた。
思い返すと、そういった事を大人に話さない子供だった。バカにされると思っていたわけではない。誰に話す必要もないと思っていたんだと思う。
でもそういう事を話してれば大人はかわいいと思ってくれたのかもしれない。そういう意味ではちょっと損したかもしれない。
自然の景色は子どもの頃見たのとまったく変わっていない。自分がどうであろうと虹は勝手に出たり消えたりし続ける。
美しいと思うならどうぞご勝手に、と言われてるような気がして、それがなおさら美しいと感じられる。おお人間は哀れなり。
お腹が空いてる気がしたので吉野家に入って朝定を食べた。店には朝帰りっぽい女の子が一人いた。
少し崩れたアイラインと牛丼の組み合わせが妙に色っぽく見えた。
その後店を出てセブンでアイスコーヒーを買って飲みながら家に帰った。
自分は生きていて、こういうなんでもない時間になにかよくわからないものが染み渡っていき、心を豊かにしてくれるという実感がある。
ブームの復刻に法則(?)があるのってわかる?誰かが言ってるわけではないと思うけど
・基本的に親世代、祖父母世代で流行ってるものは古臭くてダサいという認識がある
・それより前に流行ったものは先入観がなくなるので本質的な価値で判断される
・ブームが若い世代で復活した場合でも、親の世代はダサいと思ってるので取り入れることが出来ず、若い世代にとっては新しいものとして復活する
ただし流行は
・本質的な価値以外で流行ったもの(インフルエンサーの存在とか)
など、復活できないものもある
みたいな感じ
一巡するのは何年くらいだろう?
あるいは、子供の頃は「親がそれ着てた」「お婆ちゃんの家にあった」とかがあるか
30歳 → 35年前、今だと1990年(平成2年)より前はセーフ
40歳 → 45年前、今だと1980年(昭和55年)より前はセーフ
50歳 → 55年前、今だと1970年(昭和45年)より前はセーフ
60歳 → 65年前、今だと1960年(昭和35年)より前はセーフ
みたいな感じ
てか、そう考えると昭和30年台ネタが流行ったのって、一巡したからなんだろうか?
今は昭和40年台、50年台(1970年台、1980年台)が解禁されてるので
また、今の10代は2000年台に流行ったものを平気で「良い」って使い始めるが
おじさんおばさんはそれに耐えられないという現象も起きる
地雷系なんてまさにそうだよね、ヒラヒラは1980年代に流行った結果、1990年あたりから20年以上厳しくなった
____
食器とかは昭和40年台のものが最近流行ったというのを見た、上司の世代にはめっちゃ反対されたらしい
https://www.tokai-tv.com/tokainews/feature/article_20220718_20248
バブル世代の服とかは特殊だったのか未だに来ないね、肩幅が広いやつ
ギャルとか茶髪は今ダサ期に入ってる気がする、あとミニスカもダサ期なんかな?
ヒラヒラした服は復活期、でも地雷量産は既に食傷期に入りつつあるのかな、リズリサとか方向性変えたらしいじゃん
ハイプサイクルみたいだな
流行期 → 浸透期 → 食傷期 → ダサ期 → 忘却期 → 復活期 → 流行期 (ただし世代によってズレがある)
UIにおける3Dボタンも今ダサ期なんだよね、立体風のグラデーションがかかったボタン見ると古いって感じちゃう
あと創作物のジャンルやストーリー展開も、サイクルがあると思うんだけど
幼馴染とか復活するんだろうか?
あと復刻してももう一度前回クラスに流行るかはその時次第っていうのもあるのと
最近はこういう復刻の法則に気づいて商品展開してる人らが居るためか、常に混ざり合ってきてる感じもする、過度な流行が生まれづらい?
海外の今どきの流行りを見ると、例えば20年くらいズレてると強烈にダサく感じるんだよね、一周してると逆に斬新に感じるからおもろい
でも現地人てきにはその感覚が多分逆なんだよ
図書館司書の非正規問題について昨今取り沙汰されているのを見る。
ざっと見た感じの問題点は、優秀な専門職が安月給で酷使されているということと、技術の継承が行われないということ。
私は先日、正規の図書館司書職を退職した。理由は、専門的な業務に従事したいという当初の動機と実際の現場が異なっていたところ。つまり、現場職員の専門性の低さに絶望して辞めた。
・30代
「優秀な専門職」と言うのは、何も知らない外野か自分たちを大きく見せたい現職だけ。図書館司書なんて単位を取ったら誰でも資格を取れるので、その資格一つで医師や教員のような実務実習を伴う国家資格と並べると思っているのが恥ずかしい。(課程の図書館実習は任意なことが多いし、たかだか一週間程度で比較にならない)
そして、専門職の専門性が発揮できる分野としてレファレンスが挙げられるが、これはレファレンスの難易度による。例えば、地域の「◯◯という地名の由来が知りたい」というレファレンスを受けたとして、まず地名辞典を見る。地名辞典になければ地方が発行してる地誌を見る。どちらかにはだいたい載っている。これの何が専門性だというのか。こういう定型化されたレファレンス対応について、口を大きくして専門性だの専門職だの言っていることが多い。逆に、人名辞典に載ってない郷土の人物などを、辞典や地誌など基本的な資料以外から、記憶や所蔵資料目録などをヒントに見つけることが専門的なレファレンスだと思う。このような真の専門的なレファレンスをできる人物がどれほどいるのか。私が勤務していたところでは、非正規職員は誰もできなかった。正規職員も半分以上できてない。
能力によって給与が異なるのはどの世界でも一緒で、非正規職員が非正規の待遇であるのは相対的な能力不足から当たり前のことであると思う。正規職員でもできてないのだから、そんな大きな声で「専門職の待遇改善をー!」なんて言える状況じゃない。そして、優秀な人間、例えば某国立図書館では正当な待遇が与えられていると思うし(ちなみに某国立図書館の応募資格に司書資格は必要ない。この点から司書資格の不安定さが伺える)、地方の優秀な人間は現状に見切りをつけて出て行く。
何度も職員の意識を変えようとしたけど凝り固まった40代後半以上の頭は変わらないし、上司層が変わらなければどれだけ下から頑張っても現場は変われないし、疲れた。非正規職員も、正規職員ですらも、基本的なコミュニケーションすらできない人がいるし(聞かれたことに答えられない、処理能力が低いなど)、現状維持ばかりで新しいことはせず、ただ自分の世代が円満に終わることばかりを考えている。こんなの一般企業の事務職ですら無能扱いだろう。一般企業で使い物にならないレベルの職員でも、一度公務員になってしまったら解雇はできない。そんな人たちがただの肩書きだけで「専門職ー!」と叫んでると思うと悲しいものがある。図書館司書の知識は年々新しいことが増え司書課程の内容も更新されていくが、大昔に司書資格をとった現状維持ばかりのおじさんおばさんたちは自分の頭を更新しようとしないので、なおさら「専門資格とは?」と思う。
図書館司書の世界では、募集の少なさもしばしば取り上げられる。募集もたくさんあるし、優秀な人は普通に就職できる。(気になる人はJLAの採用情報ページを見てみてね)40歳まで受けられるところも多く、年齢制限がないところもあり、他の公務員よりだいぶ応募資格が緩くなっている。それで若手をとろうが経験豊富な人材をとろうが、それはその館の方針によるので知ったことではない。挑戦し続けて正規職員に合格する人もたくさんいる。つまり、機会は開かれているのに挑戦しないことに問題があるし、たくさんチャレンジして受からないのであれば本人の能力の問題であろう。能力が足りなくて受からないなんてことは他の業種でも同じで、何も図書館司書に限った話ではない。それを何でそんなに特別に大々的にアピールできるの?と思う。他の業種でも、能力が足りないけど続けたいなら待遇を落とすしかないし、諦めて他の業種に行くだろう。それと同じ。
思いつくまま殴り書きしたので読みにくくてすみません。私が言いたいことは、周りが言うほど図書館の専門職に価値はないこと、専門職の中でも専門性にグラデーションがあること、能力に応じて待遇が変わるのはどの世界でも当たり前で現状に違和感はないこと(非正規職員のこと)、待遇を変えたところで職員あるいは職員の意識を変えないと半永久的な技術の継承は不可能なこと、です。40代後半以上の人たちを見て、ここにいたらこうなってしまうと思って辞めた。
こんなに読んでもらえるなんて思ってなかった。たくさんの反応ありがとうございました。いろんな意見があって面白かった。
◯タイトルと内容が違う。非正規職員の雇い止め等はどうなのか。正規職員にとって非正規職員はどうでもいいように見える。
どうでもいいです。非正規待遇が嫌なら正規になればいいし辞めたらいい。いわゆる氷河期世代など新卒時の社会状況に言及する人もいるが、正規職員の多くは中途採用(非正規職員経験者)です。社会のせいじゃない。昨今の非正規図書館員の話題を見てると、現状を変える気力や能力がないくせに空っぽの「専門性」を笠に着て「かわいそうな私たち」を演出しているだけのように思う。元職場でも組合から非正規雇用の待遇改善の署名がよく回ってきてたけど、バカだなって思ってたし一回も署名してない。私が見ていた世界では、前述の通り非正規職員の専門性なんていうのはまったくなかったので、辞めても職場や社会にとって問題ないと感じた。
私の元職場の管理職や上司は、個人の能力如何ではなく「図書館司書資格があること」を重要視し、「図書館司書資格保有者の職員数を確保すること」に専心していた。無能でも資格さえあればいいみたいな。私は資格なんていらないから優秀な人間と働きたかった。今は転職して、求めていた環境に身を置けて嬉しい。
タイトルと内容は少し違っていたかもしれません。すみません。私が図書館司書の非正規問題に触れる時、その前提にある専門性の具体的な話が出てこないように見えたので、こういう話になりました。
郷土資料は必要で、各地域の図書館が郷土資料を収集することで全国的に郷土資料を収集保存できる仕組みがある。それは大事だなと思う。場所や予算は限られているのでその限られた状況でどういう資料を収集するかといった選書にも、職員の専門性が不可欠。専門性はほとんどが属人化するから、それを半永久的に継承していくべき。実際に働いてみて、この辺はロボットやAIには難しいと感じた。
郷土資料を含む図書館資料の必要性で言えば、例えば陰謀論とか根拠のない噂話が力を持った時など、正しい情報や情報の比較検討に役立つ。図書館では全ての人がその機会を得られる。ググれば簡単な情報は出てくるけど、やっぱり紙の資料の量や質とは比にならない。少しでも調査研究をしたことがある人はわかると思うけど。
図書館は国民、県民、市民がユーザーなので、ユーザーから「図書館なんて必要ない、AIやロボットでいい」と言わしめてるこの状況を、図書館司書や図書館制度が変えていかなければいけないと思う。
私は前述のような現実に辟易していたので、一部の優秀な人間のみ残して専門性を保持し、あとの無能な正規職員と全ての非正規職員は指定管理に変えたらいいと思ってる。元職場でも一部指定管理が入っていたが、図書館業務のほとんどを占める定型化された業務なんて誰がやっても同じだし、むしろ公務員的な頭のかたさがなく新しい視点で物事を考えられるところはこれからの図書館運営に必要なのではと思った。無能は切り捨てられそうだし。図書館正規職員(公務員)の働かないおじさんおばさんや無能も切り捨てられたらいいのに。そしたら現場のモチベーションも上がるし優秀な人間も集まるかもね。
◯都道府県立図書館と市町村立図書館では非正規職員の職務が違う。(=後者では正規職員と同じような仕事をしている。)
市町村立図書館ならなおのこと、誰でもできる仕事ばかりです。図書館のあり方に関われるのは多くが館長レベルで、日常的な貸出、返却、選書(都道府県立と違って保存より利用を重視した選書)、目録(市町村ではほとんどがTRC流用)など、逆にどこに専門性があるか教えてほしい。
現職の人はこんなチラ裏に青筋を立ててないで、「図書館なんかいらない」って言わせないように頑張ってください。図書館や司書の存在意義を評価するのは仲間内じゃなくてユーザーですよ。内輪でヨシヨシしあってても意味ない。
◯コメントより抜粋「図書館司書は今の情報化社会に負けないよう専門性や職域を高めないと相対的に価値は低くなる」「専門性を定量化し、カテゴライズやレベリングを行うのは、業界のスキルアップだけでなく、権威づけや地位向上に必要」
私は図書館司書の専門性のなさと図々しさに嘆いてたばかりだけど、本当にその通りだと思った。現状に即してよりよくする方向に考えられるのがすごいと思った。
※これは「グラアプデは正直微妙だった」と思っている派の人間が書いています
※グラフィックの専門知識はない人間が書いてるので用語の間違いがある可能性あり
トータルで言えば微妙だと感じました。悪いところ>良くなったところという感じで「トータルで言えば」微妙で、良いところもあります。
物の質感や装備の質感が良くなったりしたものがあり、細かい装飾もよく見えるようになったのは良い。
エーテライトも輝いていて綺麗になったと思いました(ただし眩しすぎるエーテライトは目が痛い)。
でも装備や物の質感と2色染色できるようになった以外のメリットがあまり感じない。
それも別に大掛かりなグラアプデをしなくてもテクスチャの細かさなど変えるだけで良かったのでは?
2色染色も装備によってはボタンの糸の色(目を凝らして見えるかどうか)が変わるだけだったりして、微妙なものも沢山あるのが残念。
悪いところは、キャラグラフィック(例えば目や口の形)が何故か変わっていたり、表情がおかしい、ライトの関係がおかしい。
吉田P/Dが「印象が変わらない」と言って、ベンチマークのグラアプデの項目にも「4. 今までのイメージを大切にする」と書いてあったにも関わらず、明らかに変わって劣化したところも多数ある。
フォーラムで「キャラのパーツガチャ」と表現している人が居たけどその通りだと思った。
ある種族のあるパーツは「ほぼそのままの形」でアップデートされている。
でも、他のパーツは釣り目が垂れ目になっていたり、形が変わっていたりする。
「ほぼそのままの形」の人は満足するだろうが、形が変わった人は「何故自分のキャラは以前と違うのか」となるのは仕方ない。
後頭部あたりに少し強めのライトが当たると、髪の毛全部が(ライトが当たらないはずの前髪まで)、発光します(以前は発光しなかった)。
背景も、綺麗だった空(美しいグラデーションがあるような空)などが何故か強く霞かかったように一色になったり(アバラシア雲海)
青く綺麗な空と海の境界線が、何故か緑っぽく暗くなり、ぼやけて見えないような感じになったり。(コスタ・デル・ソル。シーリゾートのような雰囲気の場所)
あと全体的なフィールドの光・ライトのコントラストが高くなって、目が痛くなったりしやすくなりました。
※どう微妙になったか言い出すとキリが無いのでこの辺までにしておきます。
満足派が満足してない派を叩くという流れを見かけるのでちょっと怖い。
自分は満足してない派で、「満足してる派」の声が大きく聞こえてくる気がするし、SNSでの少しの投稿がそう見えているだけかもしれないけど。
ニュアンスとしては「まだキャラグラに細かく言ってるのか、そろそろ慣れたら」や「嫌なら辞めたら」などそういう感じのことです。
プレイヤー間の対立=他人のプレイスタイルを受け入れられないということなのかと感じている。
FF14の世界を 「キャラやキャラの生きる世界が好き」、「世界観・一つのファンタジー世界を見ているようで好き」というような人は、キャラクターや背景などをよく見ている人が多く、グラアプデは残念という感想を抱きやすいと思います。
自分は、バトルコンテンツも好きで戦闘のエンドコンテンツも行く程好きだけど、背景やキャラを見ているのも好きだったからグラアプデは残念だった。
キャラクターや背景にこだわりを持ってグラフィックを見ているプレイヤーは「別のプレイスタイル」を持った人たちであり、その人達の遊び方を否定しないであげてほしい。
例えば全く戦闘しない人が「まだ絶(戦闘エンドコンテンツ)とか作ってるのか?ほとんどの人が行かないんだから作る必要ない。それにコスト割くなら別のコンテンツ作って」と言ったらとても叩かれると思います。
FF14はハウジング機能もあるしキャラの服も課金で買えるゲームだから、キャラ愛や世界愛の強い人が居てもおかしくない。
満足している人はそれでいいと思います。パーツごとにクオリティの違いがあったりするから「満足派」と「満足してない派」が出るのも仕方ない。
でも、他の人のプレイスタイルや物の見方や感じ方を否定しないであげてほしい。
あと「嫌なら辞めたら」と言っている人たちは、自分がこれは改悪だというバトル調整や納得できない内容があったら何も言わずFF14辞めるんだろうか。
自分は(自分が興味のないところでも)コンテンツが充実したり機能が増えたり、改善していくのは全体的なプレイヤーの満足度が上がるのでいいことだと思います。
実際ゲーム中のUIなどが改善されて遊びやすくなっていってるのも「プレイヤーの声があったから」改善されていっていると思います。
逆に運営が様々な点で微妙なポイントを放置しているなら、ゲームは遊び辛いものになって人は辞めるだろう。
「嫌なら辞めろ」という流れでプレイヤーが減り、本当に全く声を上げずに改悪され続けることがあったとして、そうして人が減っていった先には衰退しか無いと考えている。
同じく癖毛の女。これ髪は括ってしまおうってコメがあるけど括っても、捻転毛っていううねりよりツヤのなさが目立つタイプの髪だから縮毛矯正必須なんよね。癖があると乱反射で洗ってないように見えるんだ。だから縮毛矯正してやっと普通の人の見た目。
元増田の言いたいことは美容の領域と清潔感の領域がグラデーションになっていること、元が良い人は少しの手間で済むけど、素材によっては手間やお金かけてやっと元の髪質肌質に恵まれた人と同じラインに立てるということ。
さすがに直接言われたことはないけど、Xで「なんでBLにすんだよクソが」というpostをちょいちょい見かける
自分は「へっへっへwwwやらせていただいてま~~~っすwww」くらいのメンタルでやっているので平気だけど
同ジャンルでBLやってるフォロワーたちが心を痛めているらしくて気の毒に感じる
特に攻略対象×ヒロインのカップリングも兼任してる人のストレスがヤバそう
(その人は表ではヒロイン受カプで交流しているけどBLカプ用の鍵垢を持ってる)
そんな相手ブロックすればよくね?って思っちゃうけどしがらみがあってできないっぽい
以下個人としての考え ※すべての腐女子の考えを代弁するものではございません
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自分は原作の会話や描写を見てピンと来たら性別を問わずカップリングさせるタイプの腐女子
対象キャラの性別は不問 関係性に萌えさえすれば男男でも男女でも女女でも構わない
たまたま攻略対象の誰か×ヒロインよりも攻略対象A×攻略対象Bの会話とか描写に萌えたから
ヒロインが攻略対象の誰かとくっついたらその他の攻略対象はフリーじゃね?と思ってる
そもそもヒロインが誰ともくっつかないルートも存在するし、攻略対象とくっつかない=不幸とは思わない
ヒロインが同時に複数の攻から愛される総受ハーレムは個人的にあまり好きじゃないや
もともと夢女子願望があったので攻略対象×自分でプレイしたい気持ちがあって買ってた
いま買ってるのは、昔プレイしてシナリオやキャラ描写が気に入ったブランドの作品
(ただし最近は顔出しあり個性ありのヒロインが主流でなかなか自分が入り込めないので、夢的な楽しみ方はもう難しいなと半ば諦めつつある)
好きな作品で見たシーンやセリフからインスピレーションを受けて妄想するのが好き
最初から公式でカプが決まってる恋愛やエロいことしてる原作を見たいわけではない
(これは少年漫画やアニメでBLやってて「BL作品でやれよ」って言われるときも同様)
例えるならセラムンでキラキラした戦闘シーンを楽しんでるけど、恋愛パートは割とどうでもいいので、話の流れを理解するために把握はするけどサクッと読み流すくらいの気持ち
もちろん攻略対象×ヒロインが大好きになることもあるけど、ヒロインが自分に合うかどうかはプレイするまではバクチ
いまやってるジャンルのヒロインは一人のキャラとしては好きだけど「この男とくっついてほしい!オラッくっつけ!」みたいな意欲がそこまでわかなかったかな 順当にいけば幼馴染みたいな雰囲気出してる攻略対象とくっつくのが自然だと思うけど
基本的に攻略対象×ヒロインはゲームプレイすれば済むだけだから二次創作の必要性感じないしな…
まず気に食わない二次創作を発信してるアカウントがあったらブロックしとけ
性的指向は真面目に考えてない 二次創作の中だとすべての人類はグラデーションはあれど基本的にバイセクシャルという説を自分は採用している 自分自身ヘテロ寄りのバイだという認識がある
攻略対象同士をくっつける二次創作しても、ヒロインに対する特別な感情がゲーム内で描かれているのは事実なので、ヒロインのことは別途大事にするような描き方はするかな
男女でもケンカップルという関係性があるのでアレと同じノリでやってると思う ケンカしないとわからない相手の一面ってあるし
もちろんエロは鍵垢でやってる、でもそれはBLだからじゃなくてエロだから 男女カプ・公式カプだとしてもエロを隠すのはあたりまえ体操
キスくらいの接触シーンを描いた二次創作も個人的には隠さなくてもいいんじゃないかと思うけど、自分だったらワンクッション置くかな
「AとBが遊園地に行く妄想してニチャニチャしてる」とかpostするくらいで隠せと言われてもな…って感じ
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ゲームに限らないが、プレイするまでどのカプにハマるかわからないので非公式カプはダメ絶対!と言われるとそうか…?となるのが本音だ
乙女ゲのプレイヤーがすげ~~~~ガチガチに保守的なのはまあ理解できるのよ
ヒロインが男を選び放題、ストレスのない環境がほしいんだよね、だからそれ以外の要素はできる限り排除したいんだよね、それはわかるよ
腐女子にヒロインを貶められて悔しい経験がある人も少なくないんだと思う、それは自分も悲しいし批難されてしかるべきだと思うよ
でもそうした言動をしてない非公式BLカプ者を十把一絡げに攻撃するのは違うと思うよ
最初に書いたみたいに、ヒロイン受でも裏で密かにBLカプ兼任してる人がいたら割と悲劇だし
男女カプオンリーだと思ってた自分自身が将来うっかり思ってもみなかったカプにハマったときに過去の自分の言動で苦しむことになるから
だからこっち見て毒吐くよりも粛々とブロックしてくれた方が幸せになれると思うよ
非公式カプ滅殺主張するオタク 「公式カプ以外の二次創作禁止」のガイドライン出してるジャンルに行くと幸せになれるんじゃね?って思ってる
滅殺主張の人がほしいのは「安心」だから、公式からそういうのが出てるといいんだろうね
逆に自分は前述の通り「やるまでどの関係性にハマるかわからない」タイプなのでそういうやつには手を出さないようにしてるよ
自分はむしろ「少年漫画とかアニメとか洋画とかでBLやってる腐女子だけど、乙女ゲームでだけはBLやらない」というのがあまり理解できないかな
整理して紹介してくれる人がいるとうれしいが
「「人間の性はグラデーション(スペクトラム)」等という主張のために DSDsを引き合いに出している」のではなく、近年の生物学一般の研究として、生物学的性を二分するべきではない、という主張が受け入れられつつある、という話だと思います。もう少し最新の生物学の動向について勉強してはいかがでしょうか。
「くたばれGID」については、こちらの動画をご覧になれば良いかとおもいます。トランスジェンダーのコミュニティの中で分断が起きている状況に対して、問題提起を行う。そのような歴史的経緯として使われてきた言葉です。今ではあまり使われてはいない、歴史的な言葉でもあります。歴史的な言葉について論じる場合は、その歴史的経緯を踏まえることが肝要であろうかと思われます。
俺は公共の場でハッテン行為をしたことはないが、お仲間たちにハッテン場扱いされてる公共の施設を「社会見学」と称して冷やかし目的で利用すること、その利用中に実際にハッテンと覚しき行為を目撃すること、知人から公共の場でのハッテン体験談を聞くことは結構ある。
なので公共の場でハッテンするゲイの思考の一端を推測を交えながら紹介することで、元増田のブクマに寄せられてるノンケブクマカ諸兄たちの疑問に答えてみようと思う。
俺はそういう行為を実践してないし肯定もしてないしさっさと警察捕まれとも思っているが、そういうゲイのアングラな生態を大いに面白がってもいるので、こういうリテラシー低めの人間が無理な方はバック願います。あと当然ながら露骨な性描写も含む。
ゲイのハッテンにもグラデーションがある。アナルを使ってのバックプレイからただ互いの勃起を見せ合うだけのプレイまで、行為のハードソフトの濃淡もあるし、ラブな気持ちにも濃淡がある。
アプリで出会った2人が意気投合して、あるいは事前にリクエストして初ベッドからカップルのようにイチャイチャプレイすることもゼロではないが、基本ハッテンは「性処理」が目的で皆ドライなのだ。
例えば現場がトイレだと、小便器で互いの奮い立った逸物を確認したあと目と目で通じ合えば個室に籠もり、手や口を使って発射して立ち去るまでお互い一言も発しないなんてこともザラなんだそうだ。
そういう濃淡の淡のほう、サクッと抜きたいときにタイプの男の手や口を借りるだけ。その処理にわざわざ移動して金払ってラブホには行かないのだ。
あとハッテン場扱いされてる公衆トイレや一般銭湯・サウナに行くと指にキラリと光るものをお持ちの殿方が結構多い。いわゆる既婚ゲイ・既婚バイ諸氏であり、ゲイバレしたら困る人たちである。
既婚ゲイの秘匿・隠密行動度合いにも個々人でグラデーションがある。例えば後述の有料ハッテン場はゲイタウンじゃない繁華街でも雑居ビルの上階にひっそりあったりするのでバレ率はそこまで高くないから利用するが、ゲイ向けマッチングアプリは家族のスマホチェックや誤爆投稿、マッチ相手からの個人特定が怖いから利用しない、といったようなリスクの捉え方は人それぞれだ。
それでいうとラブホに男2人は現場押さえられたらもう言い訳できないのである、本人の感覚としては浮気でも本気でもなくただの性処理なのに。
だから外回り中の駅トイレや退社後の一般サウナ等、ノンケ男が出入りしても問題無い場所でそそくさとハッテンするのである。俺としてもそっちの方が通報されたときのリスクがヤベーだろどんな判断だよ!とは思っているんだが。
実際若い世代は真剣交際目的でもヤリ目でもゲイアプリやXのDMを駆使して出会っている、健全でよろしい。アプリ自体の普及もあるが、コロナ禍初期の行動調査や燃料費高騰による入場料値上げで若い子が有料ハッテン場から足が遠のいたのもアプリ全盛の一因である。
しかし同じヤリ目でも女子を落とすゲーム感覚だったり、多少タイプから外れていても女性器ついてれば興奮するからOKだったりするノンケ男子と違い、ヤリ目ゲイ男子は男の好みが細かいのである。ヤるだけなので収入や性格は無視して問題ない、要は顔とガタイとチ●ポの好みである。
マッチして顔とガタイとチ●ポの画像交換したあといざ待ち合わせしても、「おめー過去の全盛期のマッチョ画像送りやがったな!今ガチムチ通り越してピザデブじゃねーか!」ってこともしょっちゅうである。
そうすると互いに顔・ガタイ・チ●ポさらした状態で即マッチ即ハッテン出来る有料ハッテン場が楽チンすぎて恋しい……でもお金ないから頻繁には行けない……そうだ一般銭湯なら低価格で全部見放題!という思考回路に実際なるのかは、俺はもう若くないのでほぼ推測だ。ただそういう話をぼかしてジョークの体で語る20代知人はいる。
有料ハッテン場にも店ごとにいろいろ入場コードがあって、先ほど言及したプレイの濃淡の淡、ライトなプレイ専門の店も無くはないが、シャワー完備の店はアナルプレイ指向の客がほとんどで、手や口でサクッと抜きたいだけの人が公共施設なんて使わずお行儀よく出向いたとしても以外とマッチしづらい。
抱きたい・抱かれたい男たちからのバックプレイのお誘いを一回一回断るのもなかなかしんどいのである。(タチネコのポジションをロッカーキーのバンドをどこに付けるかでアピールするタイプの店だと、バック無し希望もバンドでアピールできる場合もある)
そしておそらくここが一番のポイントなんだが、全世代ウェルカムなハッテン場はそこまで多くないのである。
旅館業法の宿泊拒否にあたるからかどうかは知らないが、しっかりした個室で宿泊できるタイプのハッテンサウナは年齢制限がない一方、
クルージングスペースと呼ばれる、簡易なシャワー室と仮眠室(という名目のプレイエリア)だけあるタイプのハッテン場は、すぐヤれるノリの良い空気感を維持するため、来店頻度の高い性欲ギンギンの若い顧客のマッチ率や満足度を高めて利益をあげるため、大抵40歳以上の入場を制限する。
鍛えていて筋肉ムキムキなら多少トシいってても可のマッチョ専門ハッテン場なんかもあるがそれでも大抵40代までだ。ゲイのおっさんには若いゲイとサカる権利がないのである。
そしてゲイおじは当然全世代向けのハッテン場でもアプリでもハブられなかなかマッチしないので残る道は2つ。
1つは金で解決。ゲイ向け風俗、通称売り専のコア顧客層が50代おじになるのはこのためである。
もう1つはゲイ市場から抜け出す、すなわち公共施設でハッテンするのである。もちろん公共でヤる若いゲイにもタイプはあるしおじのモテ度もそう変わらないんだが、
ハッテン場の入場料ほどコストを払ってないし本番プレイでは無いぶん「サウナでオナニー見せ合うだけだし別にこのオッサンでもいっか」と妥協する子も稀にいるし(ヤリ目ゲイは好みが細かいという前段での話と多少矛盾してしまうが、プレイの濃淡で相手の許容範囲が変わる子はいる。痩せてるチビの巨●なら咥えてみてもいいが抱かれるのは嫌だとか)、
「トイレに籠もって何本咥えられるかチャレンジ」みたいなタイプとかオッサンとか関係ない変態趣味の子も極々稀にいるそうだ。そういう子をゲイおじはデマだらけの出没予告書き込みからモノホンを精査して日々ハントしているのである。
とはいえどんな理由があろうとも迷惑行為には違いない。ノンケ諸兄に迷惑かけない場でいちばんライトなハッテンがしやすい場所はどこだろう……脱ぎ系ゲイバーとゲイクラブイベントだろうか。自分はあまり出向かない業態なのでそれほど詳しくないが説明してみる。
脱ぎ系バーは下着一枚になった客同士が酒を飲みながら交流するゲイバーの形態で、店のコンセプトによって褌やケツワレ(ジョックストラップ、スポーツ向けの布面積少ない下着)等のドレスコード指定もあったりする。
服を脱いでゲイの心も解放する!のが主目的の健全なバーも多いが、広い店だとなぜかバーエリアの手前、ロッカーエリアの裏手に薄暗いダークルームがあり、そこに意気投合した2人が吸い込まれていったりする。
脱ぎ系クラブイベントも同様に下着一枚に着替えた客がクラブのフロアで踊りつつ、何故かフロア端の薄暗いダークエリアに消えていくスタイル。
もちろんバーでヤってもクラブでヤっても公然わいせつだし店側もはっきり「禁止」と告知してるのだが、要は「客同士が勝手にやってるだけで店は関知してないしサービスとして提供してない」のポーズのための告知で、現場はほぼお目こぼしされてる状態だし、過激を謳うクラブイベントだとフロアど真ん中、ミラーボール輝く下で尺八がおっ始まるのである。
妊娠の心配がないのと現在はおハーブも大っぴらには出回ってはないことから「風紀の乱れ」的な当局の摘発はないが、まあ本気出されたらしょっぴかれてもしょうがない乱痴気騒ぎだとは思う。
そしてここまでハッテンの舞台はすべて東京を想定して語ってきたが、地方の田舎はゲイ人口も少ないので当然有料ハッテン場も脱ぎ系バーもゲイクラブも商売として成り立たないから存在しないし、男同士でラブホに入ってるところなんか目撃されたら瞬く間に噂は広がり即死である。(繰り返しになるが公共施設でわいせつ行為を目撃通報されても即死の筈なんだがな)
そういう訳もあって公衆浴場でのわいせつ行為で逮捕というニュースは地方発のものが多い印象がある。(東京のローカルメディアが警視庁発表の同様の事件をわざわざニュースとして取り上げていないだけかも知れないが)
すごいびっくりした‼️‼️‼️
この記事が思った何倍も色んな人に読まれて、色んなコメントを貰っていることにいまさっき気が付きました。増田のことはいつも「自分の思ったことをノンストップで書きてえ〜」っていう壁打ち程度の感覚でしか使ってなかったので、どんな意見でも形として頂戴できたことが純粋に嬉しいです。皆さんどうもありがとう‼️
というわけで親記事に付いていたコメントにいくつか勝手に触れさせていただこうかと。
・「そのためのタイミー」
→これは私自身もめちゃくちゃ実感してます。隙間バイトアプリの存在って色んな意味で大きいんですよね。どうでも良いけど個人的にはシェアフルの方がUIとか検索条件の相性とか金払いが良いので気に入ってます。オススメ。
実は接客・非接客に関係なくこの類のアプリで単発シフトに何回か入っていると、雇用元の担当者から「うちで正式にシフト入らない?」っていう勧誘が発生し得るというケースがあるんですよ。私自身も今の勤務先はそういう経緯で働くようになりましたし、別の非接客単発でも同じような事があって社員になったよ〜っていう人と遭遇したので、まあまああることなのかもしれません。
隙間単発は良くも悪くも特定の雇用とか固定のシフトがあるわけじゃないので、色んな場所の色んな仕事をちょっとずつ試せると思えば、正式な仕事とかアルバイトを新しく探すまでのステップとして案外有効かもしれないですね!良い時代になったな〜
→そうですよ‼️‼️‼️金貰えないのに40,000字の感想文提出したこともあります私‼️‼️‼️
多分こういう誰にも求められてなくて金にもならない、一見すると無意味に思えることに矢鱈集中してしまうのも、言ってしまえば特性のひとつなのかもしれません。「テストが近いと部屋の片付けに身が入りがち」っていうあるあるの過剰版だとでも思ってください…
ところではてなと専属契約すると金銭が発生するのは知りませんでした。ブロガーみたいな感じですかね?ただお金のために長文書くのは、少なくとも私には無理かなあ
・「分量から本物感が否応なく伝わってくるからタイトル読んだだけでタイトルの内容を信じられるわ」
→パンチラインが絶妙なコメントでちょっと笑っちゃいました。私自身も「自分は誤魔化しの効かないホンモノだろうな」とは自覚してるのですが、それを医学的に証明してくれる人を探すのって本当に大変なんですよね…。「診断して欲しい」って言っても抗うつ薬だけ渡して突っ返しちゃうお医者さんばかり、もう何軒たらい回しにされたか分からないくらいです。
余談ですが5軒目くらいで漸くWAIS-Ⅳのテストを受けさせてもらうことが出来まして、結果的に「情報処理能力だけ他の能力よりIQが30以上低い」という事実上のホンモノ判定をちゃんと獲得してます…!それでも確定診断は出してもらえなかったんですけどね……どうしようねこれ。
そんなわけでホンモノのホンモノによるホンモノのための増田なので、元記事のことはちょっとくらいなら信じてもらってOKです!専門家じゃないし、後のコメントにもありますけど「スペクトラム」なので、過信は禁物ですけど。
・「スペクトラムなのでできる人もいればできない人もいる。なんか、千差万別なのに一律にこうみたいな印象持ってる人が多いのなんでだろう」「『スペクトラム』のことを考えると『場合によっては』というのは正確でない 増田はただできるスペクトラム位置に属する脳」
→これは読んで個人的にハッとさせられるコメントでした。いけませんね……昔からかなり気を付けないとどうしても視野が狭くなりがちなんです。しかし同時に、こういう狭量な物の見方って発達障害の人によく見られるような気もするんですよね。決めつけが早過ぎるというか…
自閉症とアスペルガーが全く別物の障害なのでなく、それぞれ他の特性と共にグラデーションで繋がっている。「場合によって」というより、「人によって」「特性次第で」という方が正確なのでしょうかね?少なくとも私個人に関しては、結構な歳になって自覚的になるまで、あまり周囲から深く疑われた試しがない程度には、仰る通り「できるスペクトラム」の者なんだと思います。
本当に、発達のバランスって千差万別だな〜って思いますね!「我々はちょっとピーキーなだけで、やれることだって沢山ありますよ!」っていうことを、出来れば多くの人に知ってもらえたらな……という思いは昔からあったりします。そういう多様且つ寛容な見方を持てるように、発達民も定型民も隔てなく皆で努めていけたら良いですよね!
・「支離滅裂なクレームつける人が店員側になったら支離滅裂なことを言ってクレームを跳ね除けるよ」
実際こういうタイプの人ってどうなるんでしょうかね?個人的に思うのは、支離滅裂なクレーマーというのは「お客様は神様だから従業員は強く返してこられないだろう」という身勝手な優劣関係への甘えから発生する人が圧倒的に多いような気がするので、店員側になると今度は己の立場の弱さを自覚して緘黙的になっちゃうんじゃないかな〜と思ったり。客の立場であっても、私ら従業員が毅然と正論と誠意を向けて「あくまでも対等な人間同士なんだぞ」ということを言外に突き付ければチキって急にしおらしくなる人、めっちゃいます。何なら今の職場はゴネ得の爺さん婆さんばかり来るので、そんなのばっかりかもね…笑
支離滅裂なクレームに対して同様に無茶苦茶な返しができる人って結構レアじゃないですか?うまく説明できないのですが、クレームっていちいち反応してたらキリがないので「自分自身に直結すること」「直結はしないが店舗側に非のあること」「駄々捏ねてるだけ」くらいの脳内選別は発生するわけですよ。まあこの辺の線引きもその人次第なので、全てのクレームに傷付いて泣きながら謝る人がいれば、逆に「はぁいすんませーん」で済ませちゃう人も勿論いる。んで多分危惧されるタイプの人種はこの場合「何言ってるかよく分からない人の喚きに勝手に傷付き勝手にキレてる」ってことになるわけですよね…?え、怖
そんな地雷原の擬人化みたいな人も、この広い世の中なら稀にでも居るんだろうなあ…と思えちゃうのが何とも…って感じですけどね。ただ間違いなく、接客という場面でこのムーブをかましたら誰がどう見てもヤバい奴でしかないのは明白なので、第三者の判断によって即刻クビになるんだろうな。それで「お前は仕事をクビになるくらい他者への応対が最悪なんだぞ」という自身に捺された烙印を自覚してくれれば良いんですけどね……ああ多分こういう人たちには無理なんだろうな…。いや全く、仰る通りです。
・「お得意様への継続的且つきめ細かいサービスはASDに期待しないこと」
→そうこれが言いたかった!コメントしてくださった方ありがとうございます。
これが必要なのってまさにアパレルの店員とか、或いはBAさんとか百貨店の外商さんなんかもそうなのかもしれないですね。この類のお仕事は物を合ってるように見えて実際は付随する体験とか、そういう実体化しない部分の価値を体現するための職業なので本当に高度というか、一般的な接客業とは別種の何かとして捉えた方が良さそうだとさえ思いますね。本当に脱帽です。
・「家電店の店員さんでASD的なぎこちなさの人いるけど、こちらからたずねると各社ごとの傾向とかスペックの違いとか聞きたいことは詳しく解説してくれるのでとても良いと思う」
→私が家電2社で働いていた感じですと、若い社員のお兄さんとか委託派遣で来てる販売員のおじ様方にこういう感じの人が多かった覚えがありますね。商品に詳しいのもそうですけど、特性的にいつも余裕がないお陰で変なものを売り込んでくるとか無理なサービス付帯を勧めてくるとか、そういうのがかなり少ないのも、家電系ASD民の良いところなんじゃないかなと私は思います。
家電業界って不思議ですよ。ギークっぽい人と体育会系っぽい人が同じフロアで勤務しているなんてザラですからね。但しその割合は扱う家電の種類によって結構変わったりもするので、広くて品揃えの良い店舗に行くと毛色の違いが見えてきたり…するかもしれません。主観ですけど前者が多いのはカメラとオーディオ、PC等のガジェット系コーナー、後者はテレビとか白物系みたいな大型家電のコーナーに多かったような。
・「『自分(ASD)ですらできるから皆できるだろう』みたいな感覚も断絶を生むっていう視点も忘れないでほしい。生理が軽い人が重い人を怠慢だって糾弾するみたいな」
→これ、先ほども似たような内容に触れましたけど、自戒としても忘れたくないですね。私は女性なので生理の例えが本当に分かりやすくて。
生理にしても発達障害にしても、症状には個人差が勿論あって、そのいずれにしても「その人だけの痛み」が必ずあるんですよね。そこに優劣は決して存在し得ないわけで。
「この程度のことどうしてできないの?」という考え方は自己肯定感の低さから生まれやすいのだとよく聞きます。そして特に発達民は生きてる中でのやりづらさから自己肯定感が低くなりがちなのだということも、自身の感覚からしてもよく分かります。だからどうしても陥りやすい罠みたいな感じなんでしょうけれども、それぞれの苦しみにたとえ寄り添えなかったとしても否定だけは絶対しないように、気をつけていこうと思います。
・「ASDの身内は商品知識が豊富になるゆえ営業や接客の成績良かったけど、社内の人間関係が崩壊して鬱になるを繰り返していたな...」
→これはちょっと実感として思い当たるところあるんですよね…。これもまた人によるのだとは思うのですが、例えば「同僚の談笑の輪に入れなくて孤立する」とかはあるあるだったりします。反対に首を突っ込み過ぎて衝突が絶えなくなるタイプの人もいると思います。
お客さん方と違って、同じ職場で働く人たちは何度も顔を合わせることになるわけですけど、そういう全くの赤の他人と言い切れなくなる微妙な間柄の人たちに、どんな話、どんな行動をどこまでして良いのかとか、そうやって距離感を推し測ることが、少なくとも私はかなり苦手ですね。
そういえば最近「学生さんは友達作りのためにバイトを始める場合がある」という話を聞いてめちゃくちゃ驚いてしまったことを思い出しました。私じゃあ絶対思い付かない動機ですって…
・「マクドみたいなマニュアルちゃんとあるところの方が向いてそうかなと」
→ごめんなさい、これはマジで仰る通りです。ただ私が元増田で「個人経営いいよ〜」と言った気持ちも嘘ではないです。でも確かに、ちゃんとマニュアル化されているか否かというところは、ASD持ちにとって働きやすさに直結する重要な事項であることは間違いないですよね。またテキトーなこと言っちゃったな…。
個人的な意見ですが、マニュアルの細かさと同じくらい重視したいのは「行動の二者確認をしてくれる人を調達しやすい」という点ですね。私の場合往々にしてメモとか忘れてしまうので、どうすれば良いか分からなくなった時、やろうとしていることが正しい手順を取れているのか確認したい時に「どうでしょうか?」と気軽に訊きに行ける人が居るか居ないかでは働きやすさが明らかに変わる気がします。規模感の小さな店は大型店舗よりも店内がのんびりしていることが多いですし、従業員の距離感が比較的近かったりもするので、仮にマニュアライズが進んでいなくても「誰かに訊く」ということがやりやすいから働きやすいよね、という感じの意味合いで書いたんだと思います。
ただこれは本当に私個人のケースって感じですよね…。私は他人に指示を仰ぐことに慣れていますし、取り敢えず誰かに声を掛けようとすることに抵抗もないからそう言えるだけであって、発達民は寧ろ質問の不得意な人の方が多いまであるかもしれないわけですから…。
・「逆に多動気味の自分に、不特定多数のマルチ接客を繰り返すホテルは向いてた。」
→こういう事例をいただけたことが今回本当に有り難かったです。私は自身の特性の感じからして「自分にホテル接客は難しいだろうな」という風に昔から思っていたのですが、こちらの方はご自身の特性とホテルのお仕事が見事にマッチしていたんですね!
特性に合った職業を見つけるのって、やはり大切なことなんですね。
・「発達障害大好きはてな民笑 発達障害ならなんでも飛びつくw」
→はてな民に限らず、ネットの人って発達障害の話が好きというか、どんな形であれ関心があるのって、一般社会の空気感の中では特異な感じがしますよね。身近に発達障害者がおらず、且つSNSとかもあまりやらないタイプの人だと「発達障害というワードすらピンとこなかったりするよ」と身内に言われた時はちょっと悲しくなりましたね。「ああ…私らの生きづらさを理解してもらうのに先ずそこから説明しなきゃならないのね…」的な。
・「ASDの人は証券会社がいいですよ。資本主義の者たる証券会社は人間性云々ではなく、金になるか金にならないかだけが価値なので、ASDでも勝てます」
→すごい、一見すると「人の心ないんか?」っていうコメントで笑っちゃいました。
しかしこれは間違いないかもしれません。ASDに人の心が存在しないのは、まあ…多分高確率でそうなのだろうという自覚はありますからね。
露悪的に振る舞うつもりはないんですけどね、元増田でも言った通り他者をある意味モノのように扱いやすいきらいがあるので…。
大体のコメントには触れられただろうか!
これを書いている時点でも41件もコメントをいただいていたらしくて相変わらずびっくりしてるんですけど、一つひとつ読ませていただくうち、あんな長ったらしくブツクサと書き殴ったような文章だったのに、それでも真剣に読んでご意見を寄せてくださった方がとても多いことに気がつきました。
いや本当、皆様お読みいただき、コメントも寄せていただき誠にありがとうございました‼️‼️
そして今回の増田もアホみたいに読みづらくてごめんなさい‼️‼️許して
本当は全く別の何かを書き込もうとしてログインした筈なのに、感極まってお返事コーナー(?)やってるうちにすっかり忘れてしまいました。