はてなキーワード: 終戦とは
いっぱいあるとわかんなくなるよね
でもわかるようにかんたんにするとまちがっちゃうからがんばろうね
実物的要因
戦争や産業構造破壊により、供給が需要を大幅に下回ることによって発生するインフレーション。第二次大戦終戦後の日本では、1945年の水準からみて1949年までに約70倍(約6900 %)というハイパーインフレーション[注釈 1] となった[13]。
また、ジンバブエでは、政策により白人農家が国外に追い出され農業構造が破壊されたところに旱魃が追い討ちをかけたことにより極度の物不足が発生、最終的に2億3000万%という超ハイパーインフレーションとなった[14]。
需要側に原因があるインフレーションで、需要超過インフレーション(需要牽引型インフレーション、ディマンドプル・インフレーション、demand-pull inflation)とも呼ばれる。需要の増大(需要曲線の上方シフト)により、価格が高くても購買意欲が衰えないので物価は上昇する。この場合、供給曲線が垂直である(すなわち価格の変動によって供給量が変化しない)場合を除いて景気はよくなる。
1973年から1975年にかけての日本のインフレ要因は、オイルショックに注目が集まるが、変動相場制移行直前の短資流入による過剰流動性、「列島改造ブーム」による過剰な建設需要も大きな要因である[要出典]。
供給曲線の上方シフトに原因があるインフレで、原価上昇インフレーション(コストプッシュ・インフレーション、cost-push inflation)とも呼ばれる。多くの場合、景気が悪化しスタグフレーションか、それに近い状態になる。通常為替レートが下落すると、輸入物価が上昇してインフレを引き起こすと同時に、企業が抱える外貨建ての債務の返済負担が膨らむ[15]。
原価上昇は総供給が上方にシフトするので、実質GDPは減少する[16]。一方で、需要超過は総需要が上にシフトするので、実質GDPは増加する[16]。つまり、実質GDPの動きで原価上昇か需要超過かは判別できる[16]。景気の過熱によって物価が上昇しているのかどうかを判断するには、消費者物価指数ではなくGDPデフレーターを見なければならない[17]。
賃金・材料等の高騰によって発生する。原油価格の高騰によるインフレーションや消費増税によるスタグフレーションが典型的な例である。
産業によって成長に格差がある場合、生産性の低い産業の物価が高くなり発生する。例えば効率の良い製造業で生産性が上がり賃金が上昇したとする。これに影響を受けてサービス業で生産性向上以上に賃金が上昇するとサービス料を上げざるを得なくなるため、インフレーションを招く。
輸出インフレーション
輸出の増大により発生する。企業が製品を輸出に振り向けたことにより、国内市場向けの供給量が結果的に減って発生する。幕末期に生糸などの輸出が急増し、インフレーションが発生している。このパターンは乗数効果で総需要が増大しているため、需要インフレの側面もある。
他国の輸入を通じて国外のインフレーションが国内に影響し発生する。例えば穀物を輸入していた国が、輸出元の国の内需が増加したり輸出元が他の需要国へ輸出を振り分けた場合などに穀物の輸入が減少し、穀物価格が上昇するといった具合である。実際に中国が穀物純輸入国に転じた際、トウモロコシ市場で価格急騰が起きたことがある。
賃金や物価統制を行っている体制が、市場経済に移行する際に発生することが多い。米国および日本で1970年代にかけて発生した。欧州では冷戦の終結および欧州中央銀行(ECB)拡大による東欧諸国の自由主義諸国への経済統合により、低賃金諸国での賃金・サービス価格の上昇によるキャッチアップインフレが発生している[18]。
貨幣の供給量が増えることによって発生する。貨幣の供給増加は、他のあらゆる財・サービスに対する貨幣の相対価値を低下させるが、これはインフレーションそのものである。さらに、貨幣の供給増加は貨幣に対する債券の相対価値を高めることになり名目金利を低下させる。このため通常は投資が増大し、需要増大をもたらす。そのプロセスが最終的に、需要インフレに帰結することでもインフレーションに結びつく。公開市場操作などの中央銀行による通常の貨幣供給調節以外に、貨幣の供給が増える特段の理由がある場合には、「財政インフレ」「信用インフレ」「為替インフレ」などと呼んで区分けることもある。
政府の発行した公債を中央銀行が引き受けること(財政ファイナンス、マネタイゼーション)により、貨幣の供給が増加して発生するインフレーション[19]。金融政策を経由した効果に加えて、財政政策による有効需要創出効果によって需要インフレも発生する。
信用インフレーション
市中銀行が貸付や信用保証を増加させることによって信用貨幣の供給量が増大することから発生するインフレーション。
外国為替市場を経由して通貨が大量に供給されることで発生するインフレーション。戦前の金解禁における「為替インフレーション論争」を特に指す場合もある[20][21][22][23]。なお、当時は固定相場制であり、現在の変動相場制とは、外国為替市場の動きが貨幣供給量に与える影響が異なることに留意が必要である。
私の祖父は内閣調査室の職員だったので、その仕事について書いてみたい。といってもまだきちんと 調べたわけではなく、どのくらい記録が残っているかも分からない。
聞かされた話などではハワイ移民してサトウキビ畑労働者になり、カリフォルニア州立大を卒業し、ハワイで移民コミュニティがストライキを起こした頃にハワイ移動し、ハワイ大学の研究室のアシスタントになり学生の集団日本旅行の添乗員をしていたということ。
また万宝山事件のころ帰国して翻訳業、開戦で米軍捕虜付き通訳、熊本に疎開して郵便検閲係、その後郵政省(かんぽ関係かも。私は知らないうちに生命保険かけられてた)と聞かされていたが、内閣調査室の任官記録があった。吉田茂の見張り役か。ハワイで突然できたらしい彼の親戚は米軍関係者だし、終戦後数年は占領政府がいた。
「異世界転生もの」が近年の日本で流行している背景には、社会の厭世的・現実逃避的な傾向が反映されていると言えます。これは文学史や社会史、物語構造、心理学の視点から説明できます。
異世界転生ものの人気は、現代日本社会が抱える厭世観やストレス、特に若年層の現実逃避的な心理と密接に結びついています。経済停滞、少子高齢化、終身雇用制度の崩壊、過酷な労働環境といった現代社会の問題が、若者を中心に将来への不安や不満を募らせています。これらの社会的背景が、「現実世界での自分の状況から解放され、異世界で新しい人生を再スタートさせたい」という願望を反映した異世界転生ものの流行を支えているのです。
文学的には、現実からの逃避をテーマにした物語は、古くから見られます。たとえば、トーマス・モアの『ユートピア』やルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』は、理想郷や異世界に行くことで現実の問題から離れることを描いています。これらは現実逃避の一形態として捉えられ、異世界転生ものはこの流れを現代的にアップデートした形だと考えられます。
異世界転生ものの物語構造は、現実から異世界へと主人公が転生し、そこで新しい力や知識を手にして活躍するというパターンが一般的です。この「現実→異世界→成長」という構造は、古典的な英雄譚に見られる「出発→試練→帰還」というプロット構造に似ています。ジョーゼフ・キャンベルが提唱した「英雄の旅」や、フロイト的な成長過程に基づくこの物語の枠組みは、現代でも依然として多くのフィクションに取り入れられています。
異世界での成功は、現実世界での無力感の補償として機能し、異世界は理想郷として提示されます。この「理想的な異世界」では、現実での苦しみや失敗から逃れることができ、自己実現が容易になります。多くの異世界転生ものでは、主人公が現実では平凡または不遇な人物として描かれますが、異世界では特別な存在になり、圧倒的な力や知識を持って成功を収めます。この設定は、現実の閉塞感を感じている読者に対して、大きな魅力を持つのです。
異世界転生ものは、現実逃避的なファンタジーの一種であり、これは「欲求充足」の視点からも説明できます。現実での挫折や失敗、社会的プレッシャーに対する対抗手段として、空想的な異世界での成功や満足感が提供されます。心理学的には、これは日常生活でのストレスや不満を一時的に解消する手段として機能し、快感を得るプロセスです。
加えて、現代のテクノロジーやデジタルメディアの普及も、個人が簡単に現実から切り離され、異世界に没入する機会を提供しています。特にライトノベルやアニメ、マンガといったメディアは、デジタルプラットフォームを通じて広くアクセスでき、読者や視聴者は手軽に異世界への没入感を楽しむことができます。
異世界転生ものを、過去の日本文学や世界文学と比較すると、たとえば村上春樹の作品に見られる「現実世界と異なる世界」への移行の要素や、戦後日本文学における「現実逃避」をテーマにした作品と共通点が見られます。特に、戦後日本の厭世的な感覚は、終戦後の荒廃した社会の中で理想郷や他の現実を求める心理を反映していました。このような流れが、異世界転生という形で現代において復活し、新たな形で表現されていると考えられます。
異世界転生ものの流行は、現代日本社会の厭世的な感覚や、若者を中心とした現実逃避の欲求を強く反映しています。経済や社会の不安定さ、将来への不透明感が強まる中で、人々は理想化された異世界での成功や自己実現を夢見ます。物語構造としても、古典的な英雄譚のプロットを踏襲しつつ、現代的なテーマである「現実からの逃避」を盛り込んでいるため、多くの読者や視聴者に共感を呼んでいると言えます。
以下の文章はウクライナによるロシア領クルスクへの攻撃に対する反応です
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https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241006/k10014602191000.html
>ウクライナ軍がロシア西部への越境攻撃を始めて6日で2か月となります。
>ウクライナ軍は引き続きロシア領の一部を掌握していますが、ウクライナ東部ではロシア軍の攻勢にさらされ後退を強いられています。
>ウクライナ側には越境攻撃によってロシア軍の部隊を分散させ、ウクライナ東部での進軍を止める狙いもあったとみられますが、東部ドネツク州ではロシア軍の攻勢にさらされ、後退を強いられています。
ウクライナ軍による越境攻撃 占領地の約半分をロシア軍が奪還か
https://news.ntv.co.jp/category/international/effdd2ea4a31465584e3206a5e2263e5
>アメリカのシンクタンク戦争研究所は14日、ウクライナ軍の占領地のおよそ46%をロシア軍が奪還したとの分析を伝えました。
クルスク州の戦い、ウクライナ軍の占領地喪失に歯止めがかからない
>DEEP STATEはクルスク州コレネフレスキー地区について20日夜「ウクライナ軍が押し戻されて占領地を失った」と報告し、この方向の前線位置はRYBARの報告にどんどん近づいており、迅速に獲得した広大な占領地が急速に失われている格好だ。
光速で高強度レーザーバンバン撃ち合う時代になったら核兵器みたいなトロい速度のものは使ってられなくない?
レーザー砲台が広範囲に点在してブラウン運動よろしく空間内を複雑にうごいてお互いを射程に入れながら牽制しあっている状態が相互確証破壊が成立してるという状態になりそう。
あと都市とか首都そのものが宇宙船というのが実現したらもはや攻撃目標自体が動く時代になる。
基本的にはいざ戦争になったら互いの首都船は発射圏から逃げようとお互い全速力で反対方向に動き続ける。
長期化したらその途中途中で資源の取れる星を接収してレーザー砲台を延々と生産し続けてお互いの首都船の間の空間を砲台で満たしていく。
逃げ合い根競べが何年も続いてある日どちらかの首都船が相互確証破壊エリアを抜けた瞬間にすべての砲台がレーザーを発射して0.1秒くらいですべての砲台&敵の首都船が破壊されて開戦&終戦になる。
ただしそれを数百か国間でやるのでそう単純ではなくある国は地政学的に逃げられずに大帝国の傘下に降ったりやっぱ裏切ったりみたいな政治パートもあり。
でもそれらはそれぞれの国の政策判断AIが秒単位でやるので基本的にそれぞれの国に暮らす人民は一生わけのわからない機械を作らされて瞬きしたら次の瞬間死んでたみたいなのばっかり。
https://anond.hatelabo.jp/20240908082812から続く
おしんがドラマとして優れている点は、登場人物が自然体、未来を知らずただひたすら前を向いて行動していることである。
現代の価値観を登場人物に投影せず、今の人が言いそうなことはまったく口にしない。
憎まれ姑になるおしんの描写にしても、素で無神経な女性になっているのであり、それを客観的におしんはすっかり変わってしまったなどと、神の目線でナレーションが入ることもない。
さて、最後に初子についてのメモを残しておく。その2で触れたおしんが生きた「植民地支配の時代」の考察はひとまず置いて、おしんの人間的成長のきっかけとなった初子の存在について触れておきたい。
初子は9歳で山形から奉公に来た後、田倉家で実の娘のように育てられ、戦後はおしんを常に支えてきた人物である。物語においても、竜三と並んで重要な役割を果たしている。終戦後、竜三の自決をきっかけに、おしんの人生に一区切りがついたと多くの視聴者が感じた。しかし、20代の初子役として田中好子が登場したことで物語は新たな展開を迎えることになる。
田中好子は、持ち前の包容力のある演技で、初子の内面を見事に表現した。中年期以降の初子は佐々木愛が演じ、その深みのある演技は、初子の内に秘めた感情を的確に伝えた。特に田倉家での初子の居場所探しの苦悩は、彼女の表情や視線に表れている。おしんにとっては実の娘のように思っていた初子であるが、初子自身は戦死した雄への思いを抱えながらも、自分の居場所に悩み続けていたのである。
ところで一視聴者として、初子が養女であるかどうかについて疑問があった。公式には養女として扱われているものの、養子縁組が明確に描かれていないため、その法的地位が不安定だといつも感じてきた。それはさておいても、初子の存在は田倉家の中でも微妙で、特に仁の妻・道子からは「初子とかいうわけのわからないひと」と陰口をたたかれることもあった。この表現は、初子が抱えていたアイデンティティの危機を象徴している。
初子にとっての転機は、八代希望(のぞみ)の妻の交通事故死だった。彼女は希望の息子、圭の世話をしながら、希望の家で新たな居場所を模索していたのである。しかし、おしんが初子と希望の結婚を仲介しようとしたことで、結果的に両者を傷つけてしまう。この出来事を通じて、おしんの人の気持ちを理解する力が衰えていたことが露呈したが、同時に初子の独立が真剣に考えられるきっかけとなった。
おしんは年齢を重ねるにつれ、いまでいう老害のような昔の感覚を若い世代に押し付けるだけの年寄りになっていたのである。
それをいつも優しくたしなめてきたのが初子であった。しかし、初子の心情そのものは決して台詞には表されず、表情のみによって表現されてきたのが、今回、視聴しての発見だった。初子には常に表のセリフと裏の表情がセットになっていたのである。
戦後の田倉家で、初子の存在は常に微妙なものであり、彼女は嫁としても小姑としても、お手伝いとしても、内心では本当の居場所を見つけることができずにいたのが初子のほんとうの心情である。おしんはしばしば自分の肩をもんでくれる初子の言葉を背中越しに聞いていることが多かった。しかしおしんには気づけなった。初子の表情はおしんの目に入っていなかったのである。
最終的に、田倉家が初子の独立を支援するに至ったのは、これまで初子と二人で暮らしてきたおしんが次男の家族に同居することを決めたことがきっかけである。おしんの決断で、初子の居場所問題はついに崖っぷちに来てしまった。初子の居場所がないこと、そしてこれまでも初子は悩み続けてきたことににようやく気が付いたおしんは、あたらめて初子の長年の苦悩に思いをいたし、独立に向けて尽力することになる。老害化して久しいおしんがようやく初子の気持ちに気が付いたよと。視聴者は、この初子の救済の瞬間に感涙せざるを得ない。
この一件以降、おしんは悟りを開いたかのように、人間の心情をくみ取れるようになってゆく。自分を痛めつけた佐賀の姑の思いも、故郷の父親の思いも、そして兄と兄嫁・とらの思いも、そこには自分の立場からはみえなかった思いがあることに気が付いてゆく。私もこんな年の取り方をしてみたいとおもうけれど、老害のままで終わってしまうんだろうな。
1983年夏放送に放送されたおしんと同時代を生きた女性たちへの当時の貴重なインタビュー。
主演の田中裕子が撮影中、過労のため失神し、一ヵ月近く撮影が中断したのは有名な話。インタビュー番組はその穴を埋めるために制作された。
池澤 その場合、ツンがあってもデレでないですね。
角田 ああ、本当だ。ツンですね。
https://web.archive.org/web/20200505013732/http://cakes.mu/posts/19714
戦前から戦中にかけて日本の上層部に共産主義者が多かったし、日本も共産主義国家になっていたほうがよかったかも。
最近流行りの脱成長コミュニズムも、十分に実現できたかもしれませんね。
山本五十六が実は平和主義者で、開戦と平和の間で葛藤していたという話もありますが、それはどうなのでしょうか?
アメリカのスパイだったという話は、ちょっと信じがたいですね。
戦略を見通せないとされる山本五十六をコントロールする人物がいなかったことが問題だったとも言えます。
永野修身や米内光政のような人物がより怪しいとされています。彼らは真剣にスパイ活動をしていたとも見られています。海軍関係者の中には、本当に手に負えない人物が上層部に多かったようです。
山本五十六は、米内光政が率いる親ソ連派の一員だったとも言われています。
彼らにとっては、すべて計画通りだったのかもしれません。
日中戦争を泥沼化させたのも、南進を主張し対米戦を急がせたのも彼らの仕業です。
彼らは近衛文麿が率いる共産主義者と結託し、日米戦争へと導いたのです。
近衛文麿はNHKの総裁でもありましたから、風見章や尾崎秀美を利用してマスコミを通じて国民を煽ることも彼らの手によるものでした。
彼らの目的は、日本を日米開戦へと導き、疲弊した日本で共産革命を起こすことにありました。
終戦間際のソ連侵攻も計画に含まれており、最初からソ連に利益をもたらすことを意図していたのです。
そう考えると、真珠湾の奇襲も、米国が一刻も早く武力行使できるように、また米国世論を日本批判で結束させるための絶好の機会だったのかもしれません。
最近ビッグコミックオリジナルで始まったすっげえ気持ち悪い漫画のことかとおもったらどうやら違うようだ。あと同じくビッグコミックオリジナルでやってる登場人物が主人公以外全員水野晴郎の漫画、主人公の美化・正当化が酷過ぎてゲロ出そう。でも少なくとも終戦まではやるんだろうねえ…
兵庫県知事が炎上してるのは港湾利権に手を付けたからだ、という棘が話題になっているが、それ自体は他愛もない陰謀論だ。
更に「大企業グッドウィルが潰れたのも港湾利権の闇」とかいう陰謀論の重ね掛けにもなっている。
このグッドウィルが潰れた理由と経緯はちゃんと認識されて居ないしWikipediaなどにもちゃんとまとめられていない。どこかで書きたかったので説明するよ。
表面的には東和リース社への二重派遣がトドメとなって派遣業免許を取り消されたと世間に認識されている。
でも結論から言うと戦後労働行政の2本の柱であった建築と港湾への違法派遣を行っていたのが大問題だったのだ。
でも事件の背景とGW社(グッドウィル)の成り立ちと労働行政の来歴を説明しないと意味が判らないはずなので、どうしても長くなるが説明する。
>「売上8000億円のグッドウィルが一発廃業」港湾利権は地面師が可愛く思えるレベルでやばかった
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2433890
戦後労働行政で建築(土木)と港湾は特別な扱いになっていて特に手厚く労働者が保護されている。これはこの二つが前近代的な雇用形態になっているという事と、ヤクザの問題だ。
終戦後~90年代まで、行政は縦割りのセクショナリズムが強く、職分を超えて協調的に仕事をするという事が少なかった。だがヤクザが絡むと別で、ヤクザ対策は国策と言っていい。
ヤクザなんか追い出せばいい、そう思うかもしれないが、それは今だからそう見えるのであって、昔はヤクザとカタギの線引きが難しい職業というのが沢山あった。線引きをしたのは警察で、今は警察の長年の活動後であるからヤクザとカタギの職業がきっちり分かれているのが当然に見えるのである。
そして建築と港湾はそもそもその職分からヤクザが生まれたりしていた業界なので特に不可分だった。
建築土木は請負構造になっていて、仕事の元請けが熊谷組や大成建設のようなゼネコン、その下に○○組のような中小の建築会社、設備会社があって、職工はその中小土建に直接雇用される。つまり実作業をするゼネコン社員は居ない。現場にいるゼネコン社員は監督か設計である(事務所で躯体完成後の図面を書く)。
因みに〇〇組などの会社社員は自社の事を「組」と言ったりする。
これからも判る通りに、ヤクザと出発点は同じだった。片方は裏社会、片方は資本主義に順応して分化してきたものだ。
そして戦後の時点では元請けゼネコン以外の土建はヤクザと未分化の所が多かった。
これらの中小土建の職人も社員という訳ではなかった。仕事を請け負った土建会社は親方に仕事を投げる。親方の下には親方に喰わせてもらっている弟子の職人が居るので彼等が仕事をする。
また土工(所謂ドカタ)など単純労働系の職分だと日雇いの人夫を使う(人夫は差別用語らしく変換候補に出ない)。朝6時頃に手配師のトラックかハイエースが来る場所というのがあり、そこで待っている人間をピックアップして各現場に送る。山谷が有名だが東京だと高田馬場と新大久保間の今は西戸山タワーホームズがある場所も有名で、早朝の山手線から見えた。
仕事が終わる時間に迎えに来て賃金を払って終わり。雇用期間は当日だけ、その日払い。
この手配師は親方だったり親方に雇われてる人間だったりするのだが、この親方は一人頭いくらで請け負って、そこからピンハネして日雇いに渡す訳だ。
そしてこの手配師にしろその上の土建にしろヤクザの舎弟というのが多かった。
そうなると日雇い労働者としては普通の会社の福利厚生というのが受けられない。特に怪我をしたり障碍者になったりした場合ヤバいことになる。
コンテナ船が一般化するまで、内航(国内航路)にしろ、外航にしろ船で貨物を持ってきたら沖仲仕の世話になった。主に手作業、時にクレーンや台車を用いて貨物の荷卸しをする荷役人夫が沖仲仕である。
昔の貨物線は船底から船倉で、そこからクレーンを用いて手作業で岸壁に貨物を下ろし、それを次に載せる船や貨物列車に載せる為の集積所に運搬する。船に載せるのも同じだ。
ただ、付けられる岸壁には限りがあるし、岸壁使用料を港湾長(都府県)に支払わなきゃならない。この金額は結構高い。
そこで艀(はしけ)を使う荷役が一般化した。艀はただの四角く平たい台船で、動力船に引っ張られて移動する。沖仲仕が船から艀に貨物を下ろし、一杯になったら次の艀を付け、とやって列車みたいに幾つも繋げて次に載せる船に付け、貨物を載せ替える。因みにF1カーなどのサイドポンツーンのポンツーンとは艀の事だ。
この場合、艀が資本であり、艀を持っている人間が親方となって沖仲仕を使役するという形になる。
で、この沖仲仕だがやはりヤクザと不分明であった。特に戦前から戦後すぐまでは土建と同じようにドヤ街近くでピックして人を集め艀や岸壁に分配していた。
この沖仲仕の親方から巨大暴力団になったのが山口組だ。これ以外にも港湾近くにはヤクザの組や右翼団体が多く、その事務所は陸の上だけでなく係留されたボートハウスにある事も多かった。
港湾近くには「〇〇水上警察署」という警察署があるが、これはその名の通り、こんな訳で事件やトラブルが頻発する港湾の水の上を管轄する警察である。現場が艀や船の上なのでパトカーはおまけで、主な移動手段はパトボードであった。
この事情は海外でも同じで、ギャングというのは沖仲仕の班を指していたが、そこから犯罪者集団化したものが現れたので、犯罪/虞犯集団の事を指すようになった。
沖仲仕も土建と似た構造と利害関係にありヤクザとの関係も似ている。
そこで労働行政の重点項目になった。目的は日雇いが多い労働者の保護、特に労災時の保護と、ヤクザからの切り離しである。
その為に日雇いは原則禁止となった。しかし船会社や倉庫会社が艀の親方に仕事を発注し、その親方が人夫を連れてきていてそれが日雇いという体なのであまり効果はない。
だが沖仲仕のこの構造は一気に無くなって殆ど解消してしまったのだった。それが
コンテナ化へのシフトで、人力での積み下ろしからコンテナ輸送に切り替わってしまった。荷主が倉庫でコンテナに入れて埠頭に輸送し、岸壁ではそのコンテナをガントリークレーンでコンテナ船に積む。
すると必要な人手はクレーンオペと場内の車両誘導整理、フォークリフトでのコンテナ移動がメインとなった。これらは日雇い人夫に出来る仕事ではない。故に手配師も必要が無い。
という事で、沖仲仕の保護の為の労働行政特別扱いの根拠というのはかなり解消してしまったのだ。
だが、行政としては別にそれによって困ったことが発生しているでもないのに前例主義を止めるつもりはない。
だからこの労働者保護、使用者から見たら規制はまだ生きていて現用である。これが大事なポイントだ。
また解消されたとは言っても、港湾内倉庫でコンテナ移し替え(海コンから鉄道コンテナなど)のような仕事はまだあり、そこでは沖仲仕時代と同じ作業が行われている。
更に、今では一般的な港湾労働者が居るのは、港湾長が管理する埠頭近辺だけだが、元の規制趣旨から言って規制対象域はもっと広範囲に及び、明白な区切りはない。これも大事なポイントだ。コンテナ化で港湾長管理域だけに労働が集約されたにすぎないからだ。
トランプがロシア人、ウクライナ人、ヨーロッパ人と会い、こう言う。
「おまえらは平和的な解決策がどうあるべきかを話し合う必要がある」と。
そして、それはおそらく現在のロシアとウクライナの境界線に近い形になるだろう。
それは非武装地帯のようになるだろう。
ウクライナは独立した主権を維持し、ロシアはウクライナから中立の保証を受ける。
Trump sits down, says to the Russians, to the Ukrainians, to the Europeans, you guys need to figure out what a peaceful settlement looks like.
And it will probably look roughly the same as the current dividing line between Russia and Ukraine.
It will become like a demilitarized zone.
It will be strongly fortified so that the Russians do not invade again.
Ukraine retains its independent sovereignty.
Russia receives a guarantee of neutrality from Ukraine, it does not join NATO, it does not join any allied institutions.
https://anond.hatelabo.jp/20240906234755から続く
この出来事は、1983年から1984年にかけての現代編に関連している。。おしん83歳の頃、たのくらスーパーの拡大事業は、大手スーパーの進出によって経営難に陥り、倒産寸前まで追い込まれていた。過去におしんが初恋した相手、並木浩太の息子が経営する並木商店が、大手スーパーの土地買収における重要な場所にあり、その売却次第でたのくらは助かる状況であった。私は以前、おしんが浩太を説得し、並木がその情に応じて救済が成功したと思い込んでいたが、実際にはそうではなかった。
なぜそのように思い込んでいたのか。もしかすると、失踪から戻ったおしんに、並木を説得してくれと仁が土下座して頼み込んだシーンがあったからかもしれない。
「おしん」は全297話もあるドラマだが、その第1話は、たのくらスーパーの新店舗開店祝いにおしんが出席せず、家出する場面から始まる。おしんの失踪理由が明らかになるのは、終盤の第290話。ドラマの伏線回収が時代を経て行われることが多く、おしんの家出の理由も最終週で回収される最大級の伏線のひとつであった。この巧みな構成は、橋田壽賀子や演出家のすごさを感じさせるもので、まさに名作と呼ぶにふさわしいものである。
特に佐賀編では、あまりの過酷さに倍速で視聴したこともあったが、終盤に近づくにつれ、ポーズしてでもじっくりと次の展開を予想しながら見入っていた。
第1話から第3話にかけては、おしんが並木商店の大旦那に恩義を感じていたため、新規スーパーの出店に反対していたことが示唆されていた。そのため、多くの視聴者はおしんが息子の恩知らずな商売拡大に恥じて家出したと理解していたはずである。ぢかし終盤になってその真の理由が明かされるという展開が待っていたのは正直、超絶長い伏線回収である。
実際には、おしんは失踪直前に浩太を訪れ、仁の事業拡大による不義理を詫びていた。その際、聞かされたのが大手スーパーの進出についての話である。並木商店の大手への売却は、並木商店の生き残り策であり、たのくらへの防衛策でもあった。おしんはすべてを理解したうえで、浩太に対して大手スーパーへの土地売却を進めるように頼んでいたのである。
その後、おしんが戻ってきた際も、並木はまだ売却を逡巡していた。仁はおしんに土下座して、まだ間に合う、並木を説得してくれと頼んだが、おしんは改めて浩太に売却を進めるよう頼むのである。おしん厳しすぎるだろ。
おしんは大手の進出によってたのくらの事業が立ち行かなくなることはわかっていたが、ひととしての恩義を忘れ、家族を顧みず金儲けに走ってきた田倉家の再生のために、そして恩人の浩太の一家のためにも並木の土地の大手売却への契約を進めてくれと願い出る。相変わらずおしんさんは厳しいお人だと微笑む浩太は、ついに売却を決意する。
仁は、母のおしんが交渉に失敗したと思い込み、失望して母を責める。妻の道子も、夫に失望し、ついには離婚を宣言する始末。家族の崩壊が進む中で、おしんはその様子を静かに見守ってゆく。
おしんは仁に、離婚を再考するよう促し、仁はようやく家族の大切さを思い出す。この姿は、かつて佐賀で竜三を立ち直らせるために試みたおしんの姿と重なる。仁と竜三は、いずれも実家の甘えを捨てきれずにいた共通点があった。おしんは仁の田倉商店を倒産させてでもその甘さを排除しようとしていたのである。
事業整理のため自宅売却を進め、引っ越しの準備のさなか、家族は徐々に絆を取り戻してゆく姿は橋田壽賀子の夢の世界なのかもしれない(正直、ここはちょっとうーんと思うところはあるが)。しかしこれが橋田ドラマ流の大団円なのだろう。
前述したように、田倉商店は浩太によって救済される。というより人の縁によって救われる。それはまさにおしんが商売において大切にしてきた価値観なのである。しかしそれは、全297話、一年近く放送してきたおしんのドラマの終盤最終話、終了わずか10分前の出来事である。すごい。
橋田壽賀子がこの物語を書き始めた理由は、バブル経済前夜にあった80年代の人々が、お金儲けに走り、大切なものを見失っているのではないか、という思いからであった。物語のラストにはそのメッセージが強く反映されている。
竜三と息子の仁は、おしんから見て「甘い」性格であり、竜三は何かと佐賀の実家に頼るところがあった。しかし、竜三が「俺についてこい、命を懸けて大きな仕事をするんだ」と前に進もうとする時の屈託のない笑顔を、おしんはたまらなく愛していたのだろう。
竜三が敗戦時に自決した際、おしんはその死を「立派だ」と称した。今回全篇通してみる前は、残された家族を顧みない自殺は自分勝手で情けないものだと思っていたものの、物語全体を通じて竜三の死に対するおしんの思いが腑に落ちる瞬間があった。
私は後悔しているんじゃないよ。私は私なりに信じて戦争にも協力してきた。軍のおかげで初めて仕事らしい仕事もさせてもらった。男として存分のことしてきたんだ。むしろ精一杯生きられたことをありがたいと感謝しているよ。ただ、ひとは私の生き方を間違っていたというだろう。私は軍と手を結んで仕事をしてきた。隣組の組長として戦争への協力も押し付けてきた。私の勧めで志願兵として少年航空隊に入った少年もいる。その中にはもう帰ってこない少年もいた。国債だって随分買わせてしまった。それも今となっては反故だ。私が無視する事だってできたんだ。だが私はそれをしなかった。もちろん私には私の信念があってやった事だ。それを悔いる気持ちは全くない。しかし戦争に協力して罪もない人たちを不幸に陥れてしまった責任は消えやしないんだ!
これが自殺直前の竜三のつぶやきである。竜三の言葉のなかに隣組という言葉が出てくる。
明治から終戦にかけての日本は、天皇を頂点とした「家制度」を仮構し、その枠組みの中で国民国家が成り立っていた。この「家」の概念は、戦時中には配給制や隣組といった組織を通じて等しく苦労するフィクションを生み出し、社会の不平等を覆い隠していた。田倉家もその影響を受け、軍部からの委託で工場を経営していたが、周囲からは「軍と結びついて甘い汁を吸っている」と陰口を叩かれていた。仁がある日突然、少年航空隊に志願した背景には、そうした噂への嫌悪感があったのかもしれない。
その後、仁は終戦の日も戻っては来なかった。田倉家では仁は戦死したものと想像していたのである。
日本が「ひとつの家」として観念された時代において、家族を守ることと国を守ることは同義であった。竜三にとって、隣組の子供たちの死や戦争の責任を負うことは、家制度の枠組みの中で重要な役割であっただろう。彼が自決した理由も、家制度に基づく責任感から来ていたのである。おしんが竜三の死を「立派だ」と称したのは、竜三が自らの信念に従い、天皇を頂点とした「家」への責任を全うしたと理解したからかもしれない。
語弊を承知でいえば、竜三の自決は、個人としての責任を取る行為であり、家制度における「切腹」にも通じる感覚だったと言える。
おしんが育った山形の貧困農家では、口減らしが普通だったし、姉のはるが死んでも母が死んでもまともに葬式もできない窮状だった。女性を犠牲にして平気な顔してきた作造も長男の庄司があまりにもひどかったことを思い出すと、隣組の責任を感じて自殺するなんて、むしろ立派なことに思えてくる。
しかし、どうだろうか。
竜三のこれまでの数々の挫折経験のように、ふるさとの太い実家に戻るというような、逃げ道はなかったのだろうか。しかし思えば伊勢にきて魚屋になった頃からの20年間、竜三は佐賀の実家へ依存する思いがほとんど消え去っていたように思う。竜三の佐賀依存が消えていったことはおしんにとってはうれしいことでもあった。
禎の疎開のときですら、佐賀疎開という選択肢は排除された。疎開先で虐待され逃げ帰ってきた禎をみたときには、さすがに佐賀という選択肢はあってもよかったと思うが。竜三はそれもしかなった。
太い実家をあてにしない、それはおしんが望んでいた竜三の自立の証でもあったはず。竜三は魚屋からの次のステップとして伊勢で軍の納入業者になることに挑戦した。そしてようやく家族を養う自信が付き始めた頃のこと、おしんは竜三が佐賀の実家を頼らず、雄、仁、禎、希望、初子の5人の子供のために大きな仕事に夢を託していると思うとたまらなくいとおしくなった、とナレーションが述懐している。
しかし、竜三が太い実家という表象の代替として知らず知らずのうちに依存していたのは、天皇を頂点とする日本国という「巨大な家」だったのである。
おしん自身は、国家という家のフィクションを完全には信じてはいなかったが、なんとなく空気には流されていた。しかし竜三は深く信じていた。信じていた以上、潔くその家の責任を取ったということだ、おしんはそう理解したのだろう。そうであれば、軽々しく天皇制などというフィクションを捨て戦前の考え方などなかったかのように、これからは自由な社会だ、などとふるまうことはズルいことだと思ったかもしれない。しかし、国が家族であるという考え方を捨てさえできれば、なんだったら太い実家に戻ってもいいのだ。しかし竜三はそれを逃げ場にはしなかった。だから立派だといったのではないだろうか。
敗戦直後の225話では、父と兄を失った仁の感慨として、潔く死を選ぶか女々しく図太くたくましく生き残るかの二者択一として人生観が総括されてゆく。その後の長い戦後の物語では、昭和58年、物語の終盤に至るまで、たびたび竜三と雄の仏壇に手を合わせるシーンが出てくる。これも地味だけど見逃せない。おしんが田倉竜三への思いを忘れずにいるという、竜三への愛と敬意がここに見て取れる。かつて伊勢の海岸で、逃げようとする竜三をタックルをしてでも捕まえたおしんの心情がオーバーラップしてくる。
ちなみに、この竜三の自決は、80年代90年代、翻訳、放送された海外ではどう受け止められたのだろうか。それはとても気になっている。
おしんのドラマは橋田寿賀子の反戦思想が色濃く反映しているといえるが、そのなかに侵略や植民地支配の反省という視点は希薄である。それは竜三の自決動機のなかでも軍部に寄り添い、同胞を死に追いやった責任は感じても、侵略に手を貸した自画像はみえてこない。しかし、植民地支配への反省についてはそれ自体は動機にはなっていないものの、それにつながりうるイエ観念を読み取れるように感じた。隣組を他人ごととしてとらえていたのであれば、竜三の自決はなかったはずである。そうであれば拡大されたイエ観念により実効支配された地域に考えが及んでもおかしくはない。実際にはそこまで思いは至らずに死んでしまうのだが。
同じ昭和時代の作品である五木寛之の「青春の門」では、筑豊炭田で差別的な扱いを受ける朝鮮人労働者が大きなテーマとして描かれている。石炭鉱業会社の経営者が、朝鮮人労働者たちから待遇改善を求められた際、「他の山は知らんが、生きるも死ぬも一緒に炭を掘ってきた家族同然だ。私が親でお前たちは子供だ」と言い返すシーンがある。
この台詞は、日本を親、植民地を子と見立てる当時の日本人の感覚を象徴している。家族になることで遠慮がなくなり、苦労を強いても平気になるという現象は、まさに家族観の持つ影の部分を示している。(ちなみに映画「青春の門」筑豊編1980年で経営者と交渉した朝鮮人労働者リーダー役を演じた渡瀬恒彦は、おしんでは浩太役を演じている。)
この真理を見事に表現しているのが、初子の存在である。八紘一宇における植民地と田倉家における養子初子は入れ子構造なのである。初子の境遇は、創氏改名を強いられ皇民化の果てに敗戦を迎えた朝鮮民族の運命と二重写しに見える。植民地をいかにわが子供のように見立てようともいざ状況が変わればあっさりと切り捨てられてしまう。
初子の抱えていた不安というのはまさにそういうものだった。おしんの長男・雄の戦死を契機に山形へ帰郷するよう初子に伝えたおしんの行動は田倉家以外に居場所のなかった初子にとって残酷なものであったといえよう。自殺を思いとどまり、米軍相手の娼婦となった初子は誰にも消息を知らせないまま、3年もの間、田倉家に送金を続けていた。おしんの言動は初子を養女とみていたとはいえない一方、初子は養女としての行動をとっていたのがいじらしく泣ける場面である。
「このシリーズは4勝2敗で我々が勝つ!」
この年の巨人はシーズン最終戦の「10・8決戦」で中日を破り4年ぶりのリーグ制覇を達成。その勢いを駆ってシリーズに乗りこんだ。
初戦前日のミーティングで、選手を見回して語った長嶋監督の訓示だった。
「10・8決戦」の試合に出発する前のホテルで「我々が勝つ! 勝つ! 勝つ!」と連呼した伝説のミーティングを彷彿させる話だが、これは全て長嶋監督の頭の中では計算ずくの発言なのである。
第1期の監督を退いた後の浪人時代に、野球だけではなく欧米、特にアメリカの先端スポーツを勉強し、見聞を広めてきた。その中で監督就任と同時に導入したのがスポーツ心理学だった。