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はてなキーワード: ヴァイオリンとは

2018-10-09

高い楽器イコライザーなんかを使って再現するとかできないんかねぇ

例えばストラディバリウス周波数研究して、安物のヴァイオリンでもイコライザーストラディバリウス再現するとかさ

2018-10-01

飛行機列車も数時間の旅でしかないのにビジネスファーストクラスでも滅茶苦茶高いんだが

サービスを見ていたらビジネス50万、ファースト120万といった値段に見合ってるか正直微妙気持ちになる。

まあ確かにANAファーストクラスの食事ステーキが300グラムはありそうなものだったし、ビジネスでもその半分位の大きさなので食事面は満足できるとは思う。

でも飛行機にせよ列車にせよ数時間しか乗らないのにホテルとか高級レストランの一食分の値段から考えるとコスパが低すぎて何とも。

仕事で行く訳じゃなくてプライベート旅行するにしても。

安全性とか心地良さとかもそこまで重要かなという印象があるのは、昨今ビジネスクラスがファーストクラスに肉薄したサービスの影響も大きい。

もはやスターバックス食事をとるのがステータスだみたいな、そういうチャチなプライドを維持したいがためにファーストクラスに乗ってるのかなという印象が大きい。

そりゃエコノミークラスと比べれば雲泥の差だけど、ビジネスファーストだったらビジネスで十分な気がするんだよね。

列車最近相乗りか個室かといった格差を作ったものが減ってる一方で個室オンリーで個室のランク上下させるサービスが定評だったりする、瑞風みたいな高級列車など。

それでもスイートロイヤルで凄い高かった。あの差は一体なんだろうと誰彼のヴァイオリン演奏を聞くサービスが付いてるとかいうのを聞く。

桁が一つ間違えてるよなと思いつつそういう旅も悪くないと思ったり。

日本特に飛行機列車サービスの割には一桁誤ってるのではと思えるほど高く感じる。

ある個人ブログに載ってたインド旅行で一等車に乗るには日本円で2000円程度でそこそこのサービスを受けられるというのに

日本は同じように飛行機列車で一等車(ビジネスファースト含む)に乗ろうと思えば破格のお金要求されるのは何とも不便ではある。

他国を見渡しても日本の様に破格の運航費を必要とする航空会社、はあるかもしれないけど、安くて高いサービス安心でと言われた日本は一体どこへ行ったのか。

何かもう格差社会は乗り物から既に広がっていたんだなと。

2018-08-07

婚約者不倫しすぎる

先日、聞いて仰天した話。

私:40少し前♂、仕事結構きつめ、年収そこそこ、都内国立大学卒、容姿は人並みだが肥満気味。

が、そろそろ子供を作るにはタイムリミットかなと思ったのでネットde婚活

つり合いの取れる女性を見つけて婚約中、お互いの両親も面談済み、披露宴会場も予約済み。披露宴招待客も決めて、お返事待ち中。

彼女:30前半♀、仕事は忙しそう、大学の少し離れた後輩、容姿好き嫌いはあれど間違いなく美人スレンダー

が、本人いわく忙しすぎて出会いがないのでネットde婚活

つり合いの取れる男性を見つけて婚約中、以下同文。


とにかく頭がいいのでこちらが疲れない。仕事もしてるので、生活安全保障も期待できる。お互い経済的社会的要因を重んじて選んでいるのは分かっている。

社会的なつり合いを重視して選んだお互いであるわりには、夜の相性はかなりいい。敏感なのに恥じらいが奥ゆかしい。ごちそうさま。


さて、ここから問題

その婚約であるが、どうも過去恋愛の全てが不倫らしい。

大学出て最初に付き合ったのは、会社40代の既婚上司で、それがどうも初めて付き合った男性らしい。

むろん、最初恋愛不倫というのは恋愛観とか男性観が歪んでいる可能性もあって、そもそも上司と付き合うとかその月並みさに耐えられない。

本当かどうか問いただすことも考えたが、さすがに処女を誰にあげたかなんて聞いたらこちらの常識を疑われる。

よりによって最初恋愛から、それなりに思うところあっての選択のはずなんだから、きっと治らない病気みたいなものなのだろう。

もう一つは、実は次の不倫相手は私の上司らしい。夜、上司と腹心4人くらいで飲んだ時に気を許したのか今の彼女自慢を始め、しか水商売じゃないと言う。

聞かされて興味津々に、彼のスマホを見せてもらったら、出ましたよ、壁紙リストに入っている私の婚約者の満面の笑顔

もう3年くらいの付き合いらしく、聞くも不愉快交際の経緯。某メディア企業幹部からの紹介で取材を通じて仲良くなったんだそうな。

よくよく聞いたらそのメディア企業幹部が付き合っていたのが彼女だったということで、要はその私の婚約者の処女を奪った男が、私の上司彼女を譲り渡したと、そういうことだ。

上司のアホは、ペラペラペラペラ彼女との逢瀬について話す。しかも私とするときとまるで変わらない様子をしゃべりまくる。こいつ出世を諦めたのか。

さすがにこれは衝撃で、彼女に「つきあった男性、何人くらいいるの?」「その中で私に決めた理由はなあに?」と聞いてみた。

過去についてはあっさりと「2人だよ」と言って、だけどもう過去の話だから気にしないでほしいってこちらの顔色を窺って言うばかり。

かに上司と逢う頻度が私と知り合って激減しているようだし、それに上司が不満たらたらだったので、あながちウソでもないのかもと思ったり。

正直、こういう人と結婚するのは生理的嫌悪が走りました。ビッチでしょ、どう見ても。過去恋愛のすべてが不倫とかありえないよね。

怒りとともに婚約破棄しようとその瞬間は思ったのですが、よくよく考えれば、才色兼備で、もうこれより婚期を遅らせると、子供大学入学たころにもう定年を迎える時期にこれだけの条件を備えた相手なんてそうそういるわけでもなく。むしろかつてアナウンサーを目指していたという美貌を考えると、ほぼレア中のレア

不倫のことさえ目をつぶれば、条件的には申し分もなく、彼女一族は、都内某区で大規模な土地を持つ地主一族で、しか財産に胡坐をかくことなく、一族そろってみな早慶以上の学歴、手堅い職歴。もちろん本人も、これまでの経歴も申し分なく、料理プロ級、お茶着付けの心得があり、聞くところによると、ピアノヴァイオリンも上手、らしい。もちろん彼女家の資産は1億超えてます

さて、どうすればよいのかしら。結婚すべきなのか、婚約破棄すべきなのか。


ちなみに、ここに書いた彼女に関する情報は、私の上司から聞いた話です。役員にもなったのに、婚外恋愛のことを酒に酔ってペラペラ話す彼は、軽率まりないと思います

私も女性経験は人後に落ちませんが、そんなことは口にすべき話ではありません。これまで心と体を開いてくれた女性に失礼です。

男は黙ってハメ撮り写真クラウドに入れてニヤニヤすればよいのです。

こんな上司でも、私を引っ張ってくれたのは確かなので、苦言できませんが。

なお、私の女性経験は、20人超えてます

2018-02-12

好みのアニメサントラCDが見つからない

"アニメ サントラ おすすめ" とかでググってみるがなかなか好みの曲に出会えない。

しかしたら、もう僕の好みの曲はこの世に存在しないのかもしれない。

最後に僕のおすすめを書いておく。同じ価値観を持っている人よ、私に次の1枚を教えてくれ。

2018-01-17

チェロがえろい

タイトルの通りのことが言いたかっただけなんですけど、いや、チェロってすっごくエッチじゃないですか〜〜????見てくださいよ奥さん〜〜〜〜!!!!!(ここテレビショッピング)

あの流線型の素晴らしいフォルムも、焦がしたメイプルシロップのような素敵な色も、立ち上る松脂のかおりも、そっと触れた時の木のぬくもりと弦の冷たさと、奏でた時の音域の広さも、素晴らしいと思うんですよ。とっても。

突然転校して来た謎の美少女だったり、近所の優等生な幼馴染だったり、蠱惑的なのに包容力のある先輩だったり、なんでも受け止めてくれる義理の姉みたいだったり、もうたったひとつチェロに一体何人もの攻略対象エッセンスが詰まってるんだよって話なワケ。エロゲだよエロゲ

ヴァイオリンヴィオラコントラバスはいけないのかって話なんですが、私はチェロしか触れたことがないし、チェロしか関係を持ったことないし、そんな他の楽器えっちさについて語ってたら自分チェロに愛想つかされちゃうじゃないですか……でもコンバスの低音には抱かれたいかもしれないし子イヌのような可愛らしいヴァイオリン音色も素敵だし、わかる人にわかればいいのと隙間を縫うように旋律を支える影の功労者ヴィオラも魅力的だとは、思いますけどね!!ええ!!あっまって今のなし

楽器ってやっぱり触れるときってドキドしますよね。きちんと曲が奏でられた時なんてもうめちゃくちゃ気持ちいい。自分努力楽器が応えてくれたことが嬉しい。自分努力の合わせ鏡だし、私の努力は私の楽器が全部見ていてくれる。天使じゃん?

逆に手を抜いた時とか、はいはいこの曲何回もやった〜〜って流して弾いちゃうと、もうすっごいがっつり曲に現れちゃうんですよね。すごい。私やる気アリマセーンって感じで弾くとすっごいダサい音が出る。こんなダサい音を私の楽器から生み出しちゃいけない!!と思うくらい私が弾くにあたっての心構えとか気持ちとかって、全部曲に現れちゃう。そんなダッサイ演奏した日には、チェロにも周りにも合わせる顔がない。怠惰でごめんなさい。ってなる。

色々書いたんですけど、私はチェロが大好きです。オススメの曲はヴィヴァルディチェロソナタ5番ホ短調です。

ます

2018-01-13

この記事は半保護されています。(半保護の方針による半保護) ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 曖昧さ回避ベートーヴェンベートーベン、ヴァン・ベートーヴェン」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ベートーヴェン (曖昧さ回避)」をご覧ください。 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン Ludwig van Beethoven Beethoven.jpg 基本情報 別名 楽聖 生誕 1770年12月16日頃 出身地 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、ボン 死没 1827年3月26日(56歳没) オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ウィーン ジャンル 古典派音楽 活動期間 1792 - 1827 ベートーヴェンのサイン ウィキポータル クラシック音楽 ポータル クラシック音楽 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンに近い[1]、1770年12月16日頃[2] - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。J.S.バッハ等と並んで音楽史上極めて重要な作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。 目次 [非表示] 1 生涯 2 作風 2.1 初期 2.2 中期 2.3 後期 3 後世の音楽家への影響と評価 4 芸術観 5 思想 6 人物 6.1 名前 6.2 ベートーヴェンフリーメイソンリー 7 死因また健康について 7.1 聴覚障害について 8 親族 9 弟子 10 代表作 10.1 交響曲(全9曲) 10.2 管弦楽曲 10.3 協奏曲、協奏的作品 10.4 室内楽曲 10.5 ピアノ曲 10.6 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品 10.7 宗教曲 10.8 歌曲 11 著作 12 伝記 13 脚注 14 参考文献 15 関連項目 16 外部リンク 16.1 録音ファイル 16.2 伝記 生涯 ベートーヴェン(1803年) 1770年12月16日頃、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボンにおいて、父ヨハンと、宮廷料理人の娘である母マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)の長男[3]として生まれる。ベートーヴェン一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であり、幼少のベートーヴェンも慕っていた、祖父ルートヴィヒの援助により生計を立てていた。ベートーヴェンの父も宮廷歌手(テノール)[4]であったが、元来無類の酒好きであったために収入は途絶えがちで、1773年に祖父が亡くなると生活は困窮した。1774年頃よりベートーヴェンは父からその才能を当てにされ、虐待とも言えるほどの苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受けたことから、一時は音楽そのものに対して強い嫌悪感すら抱くようにまでなってしまった。1778年にはケルンでの演奏会に出演し、1782年11歳の時よりクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事した。 1787年、16歳のベートーヴェンウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトを訪問したが、最愛の母マリアの危篤の報を受けてボンに戻った。母はまもなく死没し(肺結核)[5]、母の死後は、アルコール依存症となり失職した父に代わり、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごした。 1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中ボンに立ち寄ったハイドンにその才能を認められて弟子入りを許され、11月にはウィーンに移住し(12月に父死去)、まもなく、ピアノ即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ)として広く名声を博した。 20歳代後半ごろより持病の難聴(原因については諸説あり、鉛中毒説が通説)が徐々に悪化、28歳の頃には最高度難聴者となる。音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたため自殺も考えたが、彼自身の芸術(音楽)への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、再び生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいくことになる。 1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森(ロマン・ロランによる表現)と呼ばれる時期となる。その後、ピアニスト兼作曲家から、完全に作曲専業へと移った。 40歳頃(晩年の約15年)には全聾となっり、更に神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられた。加えて、度々非行に走ったり自殺未遂を起こすなどした甥カールの後見人として苦悩するなどして一時作曲が停滞したが、そうした苦悩の中で書き上げた交響曲第9番や『ミサ・ソレムニス』といった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は彼の未曾有の境地の高さを示すものであった。 1826年12月に肺炎を患ったことに加え、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化し、以後病臥に伏す。病床の中で10番目の交響曲に着手するも未完成のまま翌1827年3月26日、肝硬変のため56年の生涯を終えた。その葬儀には2万人もの人々が参列するという異例のものとなった。この葬儀には、翌年亡くなるシューベルトも参列している。 作風 初期 作曲家としてデビューしたての頃は耳疾に悩まされることもなく、古典派様式に忠実な明るく活気に満ちた作品を書いていた。この作風は、ハイドンモーツァルトの強い影響下にあるためとの指摘もある[6]。 中期 1802年の一度目の危機とは、遺書を書いた精神的な危機である。ベートーヴェンはこの危機を、ウィーン古典派の形式を再発見する事により脱出した。つまりウィーン古典派の2人の先達よりも、素材としての動機の発展や展開・変容を徹底して重視し、形式的・構成的なものを追求した。この後は中期と呼ばれ、コーダの拡張など古典派形式の拡大に成功した。 中期の交響曲はメヌエットではなくスケルツォの導入(第2番以降)、従来のソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番)、旋律のもととなる動機やリズムの徹底操作(第5、7番)、標題的要素(第6番)、楽章の連結(第5、6番)、5楽章形式(6番)など、革新的な技法を編み出している。その作品は、古典派の様式美とロマン主義とをきわめて高い次元で両立させており、音楽の理想的存在として、以後の作曲家に影響を与えた。第5交響曲に典型的に示されている「暗→明」、「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」という図式は劇性構成の規範となり、後のロマン派の多くの作品がこれに追随した。 これらのベートーヴェンの要求は必然的に「演奏人数の増加」と結びつき、その人数で生み出される人生を鼓舞するかのような強音やすすり泣くような弱音は多くの音楽家を刺激した。 後期 1818年の二度目の危機の時には後期の序曲集に代表される様にスランプに陥っていたが、ホモフォニー全盛であった当時においてバッハの遺産、対位法つまりポリフォニーを研究した。対位法は中期においても部分的には用いられたが、大々的に取り入れる事に成功し危機を乗り越えた。変奏曲やフーガはここに究められた。これにより晩年の弦楽四重奏曲ピアノソナタ、『ミサ・ソレムニス』、『ディアベリ変奏曲』、交響曲第9番などの後期の代表作が作られた。 後世の音楽家への影響と評価 ベートーヴェンの音楽界への寄与は甚だ大きく、彼以降の音楽家は大なり小なり彼の影響を受けている。 ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、作品は公式・私的行事における機会音楽として作曲されたものがほとんどであった。ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係(および、そのための音楽)を拒否し、大衆に向けた作品を発表する音楽家の嚆矢となった。音楽家=芸術家であると公言した彼の態度表明、また一作一作が芸術作品として意味を持つ創作であったことは、音楽の歴史において重要な分岐点であり革命的とも言える出来事であった。 中でもワーグナーは、ベートーヴェン交響曲第9番における「詩と音楽の融合」という理念に触発され、ロマン派音楽の急先鋒として、その理念をより押し進め、楽劇を生み出した。また、その表現のため、豊かな管弦楽法により音響効果を増大させ、ベートーヴェンの用いた古典的な和声法を解体し、トリスタン和音に代表される革新的和声で調性を拡大した。 一方のブラームスは、ロマン派の時代に生きながらもワーグナー派とは一線を画し、あくまでもベートーヴェンの堅固な構成と劇的な展開による古典的音楽形式の構築という面を受け継ぎ、ロマン派の時代の中で音楽形式的には古典派的な作風を保った。しかし、旋律や和声などの音楽自体に溢れる叙情性はロマン派以外の何者でもなかった。また、この古典的形式における劇的な展開と構成という側面はブラームスのみならず、ドヴォルザークチャイコフスキー、20世紀においてはシェーンベルクバルトークプロコフィエフショスタコーヴィチラッヘンマンにまで影響を与えている。 芸術観 同時代のロマン派を代表する芸術家E.T.A.ホフマンは、ベートーヴェンの芸術を褒め称え、自分たちロマン派の陣営に引き入れようとしたが、ベートーヴェンは当時のロマン派の、形式的な統一感を無視した、感傷性と感情表現に代表される芸術からは距離を置いた。ベートーヴェンが注目したものは、同時代の文芸ではゲーテやシラー、また古くはウィリアム・シェイクスピアらのものであり、本業の音楽ではバッハ、ヘンデルモーツァルトなどから影響を受けた[7]。 ベートーヴェンが「前衛」であったのかどうかは、多くの音楽学者で見解が分かれる。原博は「ベートーヴェンは前衛ではない」と言い切り[8]、彼は当時の「交響曲」「協奏曲」「ソナタ」「変奏曲」などの構造モデルに準拠し、発案した新ジャンルというものは存在しない。ただし、「メトロノームの活用」「母語での速度表示」「ピアノの構造強化と音域の拡張」「楽曲の大規模化」「大胆な管弦楽法」「演奏不可能への挑戦」「騒音の導入(戦争交響曲)」など、後世の作曲家に与えた影響は計り知れないものがある。 思想 ベートーヴェンカトリックであったが敬虔なキリスト教徒とはいえなかった。『ミサ・ソレムニス』の作曲においてさえも「キリストなどただの磔(はりつけ)にされたユダヤ人に過ぎない」と発言した。ホメロスプラトンなどの古代ギリシア思想に共感し、バガヴァッド・ギーターを読み込むなどしてインド哲学に近づき、ゲーテやシラーなどの教養人にも見られる異端とされる汎神論的な考えを持つに至った。彼の未完に終わった交響曲第10番においては、キリスト教的世界と、ギリシア的世界との融合を目標にしていたとされる。これはゲーテが『ファウスト』第2部で試みたことであったが、ベートーヴェンの生存中は第1部のみが発表され、第2部はベートーヴェンの死後に発表された。権威にとらわれない宗教観が、『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番につながった。 また哲学者カントの思想にも触れ、カントの講義に出席する事も企画していたといわれる[7]。 政治思想的には自由主義者であり、リベラル進歩的政治思想を持っていた。このことを隠さなかったためメッテルニヒウィーン体制では反体制分子と見られた。 その他にも、天文学についての書物を深く読み込んでおり、彼はボン大学での聴講生としての受講やヴェーゲナー家での教育を受けた以外正規な教育は受けていないにも関わらず、当時において相当の教養人であったと見られている。 人物 身長は165cm前後と当時の西洋人としては中背ながら、筋肉質のがっしりとした体格をしていた。肌は浅黒く、天然痘の瘢痕があったとされるが、肖像画や銅像、ライフマスクや近年明らかとなった多彩な女性関係などから容貌は美男とは言えないものの、さほど悪くなかったのではないかと思われる。表情豊かで生き生きした眼差しが人々に強い印象を与え多くの崇拝者がいた。 基本的に服装には無頓着であり、若い頃には着飾っていたものの、歳を取ってからは一向に構わなくなった。弟子のツェルニーは初めてベートーヴェンに会った時、「ロビンソン・クルーソーのよう」、「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いたと言われる。また作曲に夢中になって無帽で歩いていたため、浮浪者誤認逮捕されてウィーン市長が謝罪する珍事も起こった。部屋の中は乱雑であった一方、入浴と洗濯を好むなど綺麗好きであったと言われる。また生涯で少なくとも60回以上引越しを繰り返したことも知られている。 当時のウィーンではベートーヴェンが変わり者であることを知らない者はいなかったが、それでも他のどんな作曲家よりも敬愛されており、それは盛大な葬儀と多数の参列者を描いた書画からも伺える。しかし、「ベートーヴェン変人説」も、メッテルニヒ政権によるデマであるとする見解もある。 潔癖症で手を執拗に洗うところがあった。 性格は矛盾と言っても差し支えのない正反対な側面があった。人づきあいにおいて、ことのほか親切で無邪気かと思えば、厳しく冷酷で非道な行動に出るなどと気分の揺れが激しかった。親しくなると度が過ぎた冗談を口にしたり無遠慮な振る舞いを見せたりすることが多かったため、自分本位で野蛮で非社交的という評判であったとされている。これもどこまで真実なのかは定かではないが、ピアノソナタ・ワルトシュタインや弦楽四重奏曲・大フーガつきの出版に際して、出版社の「カット」命令には律儀に応じている。癇癪持ちであったとされ、女中(女性)に物を投げつけるなどしばしば暴力的な行動に出ることもあったという。 師ハイドンに、楽譜に「ハイドンの教え子」と書くよう命じられた時は、「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」と突っぱねた。 パトロンカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵には、「侯爵よ、あなたが今あるのはたまたま生まれがそうだったからに過ぎない。私が今あるのは私自身の努力によってである。これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンは私一人だけだ!」と書き送っている。(1812年)この「場を全くわきまえない」発言の数々はメッテルニヒ政権成立後に仇となり、大編成の委嘱が遠ざかる。 テプリツェでゲーテと共に散歩をしていて、オーストリア皇后・大公の一行と遭遇した際も、ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然(こうぜん)として頭を上げ行列を横切り、大公らの挨拶を受けたという。後にゲーテは「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈(ふき)奔放な人柄だ」とベートーヴェンを評している。 交響曲第5番の冒頭について「運命はこのように戸を叩く」と語ったことや、ピアノソナタ第17番が“テンペスト”と呼ばれるようになったいきさつなど、伝記で語られるベートーヴェンの逸話は、自称「ベートーヴェンの無給の秘書」のアントンシンドラーの著作によるものが多い。しかし、この人物はベートーヴェンの死後、ベートヴェンの資料を破棄したり改竄(かいざん)を加えたりしたため、現在ではそれらの逸話にはあまり信憑性が認められていない。 聴覚を喪失しながらも音楽家として最高の成果をあげたことから、ロマン・ロランをはじめ、彼を英雄視・神格化する人々が多く生まれた。 死後、「不滅の恋人」宛に書かれた1812年の手紙が3通発見されており、この「不滅の恋人」が誰であるかについては諸説ある。テレーゼ・フォン・ブルンスヴィック(独語版)やその妹ヨゼフィーネ(独語版)等とする説があったが、現在ではメイナード・ソロモン(en:Maynard Solomon)らが提唱するアントニエ・ブレンターノ(独語版)(クレメンス・ブレンターノらの義姉、当時すでに結婚し4児の母であった)説が最も有力である。しかし、「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]のような、これらの定説を覆す新たな研究も生まれている。 これらは氷山の一角に過ぎず、20-30代でピアニストとして一世を風靡していたころは大変なプレイボーイであり、多くの女性との交際経験があった。この行動を模倣した人物に、後年のフランツ・リストがいる。 メトロノームの価値を認め、初めて活用した音楽家だといわれている。積極的に数字を書き込んだために、後世の演奏家にとって交響曲第9番ハンマークラフィーアソナタのメトロノーム記号については、多くの混乱が生まれている。 彼はイタリア語ではなく、母語ドイツ語で速度表示を行った最初の人物である。この慣習の打破はあまり歓迎されず、多くの当時の作曲家も速度表示にはイタリア語を用い、本人も短期間でイタリア語に戻している。 パンと生卵を入れて煮込んだスープや、魚料理に肉料理、茹でたてのマカロニにチーズを和えたものが大好物であった。またワインを嗜み、銘柄は安物のトカイワインを好んでいた。父親に似て大の酒好きであり、寿命を縮めることになったのは疑いがない。 コーヒーは必ず自ら豆を60粒数えて淹れたという[10]。 名前 原語であるドイツ語ではルートゥヴィヒ・ファン・ベートホーフェン ドイツ語発音: [ˈluːtvɪç fan ˈbeːthoːfən] ( 音声ファイル)と発音される。 日本では明治時代の書物の中には「ベートーフェン」と記したものが若干あったが、ほどなく「ベートーヴェン」という記述が浸透していき、リヒャルト・ワーグナーのように複数の表記が残る(ワーグナーヴァーグナー、ワグネル)こともなかった。唯一の例外は、NHKおよび教科書における表記の「ベートーベン」である。 姓に“van”がついているのは、ベートーヴェン家がネーデルラントフランドル)にルーツがあるためである(祖父の代にボンに移住)。vanがつく著名人といえば、画家のヴァン・ダイク(van Dyck)、ファン・エイク(van Eyck)、ファン・ゴッホ(van Gogh)などがいる。 vanはドイツ語オランダ語では「ファン」と発音されるが、貴族を表す「von(フォン)」と間違われることが多い。「van」は単に出自を表し、庶民の姓にも使われ、「van Beethoven」という姓は「ビート(Beet)農場(Hoven)主の」という意味に過ぎない。しかしながら、当時のウィーンではベートーヴェンが貴族であると勘違いする者も多かった。 偉大な音楽家を意味する「楽聖」という呼称は古くから存在するが、近代以降はベートーヴェンをもって代表させることも多い。例えば3月26日の楽聖忌とはベートーヴェンの命日のことである。 ベートーヴェンフリーメイソンリー 詳細は「フリーメイソン#ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」を参照 死因また健康について 慢性的な腹痛や下痢は終生悩みの種であった。死後に行われた解剖では肝臓、腎臓、脾臓、他、多くの内臓に損傷が見られた。これらの病の原因については諸説あり、定説はない。近年、ベートーヴェンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出されて注目を集めた。鉛は聴覚や精神状態に悪影響を与える重金属であるが、ベートーヴェンがどのような経緯で鉛に汚染されたかについても諸説あり、以下のごとくである。 ワインの甘味料として用いられた酢酸鉛とする説。 1826年の1月から、肝障害による腹水治療を行ったアンドレアス・ヴァヴルフ医師が、腹部に針で穿刺して腹水を排水した際、毛髪の分析結果では腹部に穿孔するたびに鉛濃度が高くなっていることから、傷口の消毒のために使用された鉛ではないかとする説。 聴覚障害について 難聴(40歳頃には全聾となった)の原因については諸説[11]ある。 耳硬化症説 伝音性の難聴であり、中耳の耳小骨の「つち・きぬた・あぶみ」の内のあぶみ骨が硬化して、振動を伝達できず、音が聞こえなくなる難病。ベートーヴェンの難聴が耳硬化症である論拠として、ベートーヴェンが人の声は全く聞こえていなかったにも関わらず、後ろでピアノを弾いている弟子に、「そこはおかしい!」と注意したエピソードが挙げられる。これは耳硬化症に特有の、人の声は全く聞こえなくなるが、ピアノの高音部の振動は僅かに感じ取ることが出来る性質にあると考えられる。 又、ベートーヴェンは歯とピアノの鍵盤をスティックで繋ぐことで、ピアノの音を聞いていたという逸話もこの説を裏付ける論拠として挙げられる。 先天性梅毒説 「蒸発性の軟膏を体に塗り込んだ(水銀の可能性。当時梅毒の治療法の一つ)」という記述がある為に、論拠とされている。しかし、後にベートーヴェンの毛髪を分析した結果、水銀は検出されず、又、梅毒は眩暈(めまい)の症状を併発するにも関わらず、そうした話が無い為に、先天性梅毒説は説得力の乏しいものとなっている。 鉛中毒説 上載の死因また健康についてを参照。 メッテルニヒ政権説 ベートーヴェンが難聴であっても完全に失聴していたかどうかは、21世紀の現代では疑問視する声が大きい。ベートーヴェンは1820年代のメッテルニヒ政権ではブラックリストに入れられたため、盗聴を防ぐために「筆談帳」を使った可能性は大きい。その延長として「ベートーヴェンは暗号を用いていた」という仮説に基づく「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]という書籍が出版された。 有名な逸話に「女中に卵を投げつけた」という類の物が残されているが、これは「女中に変装したスパイ」への正当防衛であるという見解がある。 デビューほやほやのリストの演奏に臨み、彼を高く評価したのは、もし失聴していれば出来ない行為である。 完全失聴や聴覚障害を患った作曲家に、ボイスやフォーレがいるが、彼らの作曲活動はその後伸び悩んでいるのに対し、失聴したベートーヴェンはその間に多くの重要作を書いている。 親族 祖父:ルートヴィヒ同姓同名) (英語版) フランドル地方メヘレン出身。ケルン大司教(選帝侯)クレメンスアウグストに見出され、21歳でボンの宮廷バス歌手、後に宮廷楽長となった。 祖母:マリア・ヨゼファ 父:ヨハン 母:マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)  ヨハンとは再婚(初婚は死別)。肺結核により死去。 弟:カスパール・アントンカール 甥:カールドイツ語版)  カスパールの息子。1806年生まれ~1858年没。1826年にピストル自殺未遂事件を起こす。 弟:ニコラウス・ヨーハン 同姓同名の兄や妹2人がいるがすぐになくなっている。 弟カールの血筋が現在も残ってはいるが、ベートーヴェン姓は名乗っていない。カールの直系子孫の一人であるカール・ユリウス・マリア・ヴァン・ベートーヴェン(1870年5月8日生まれ)が1917年12月10日に他界したのを最後に、ベートーヴェン姓を名乗る子孫は途絶えている。 弟子 カール・ツェルニー - クラヴィア奏者・作曲家。 フェルディナント・リース - ボンのクラヴィア奏者・作曲家。 ルドルフ大公 - ベートーヴェンの最大のパトロン。のちにオルミュッツ大司教。弟子としては唯一、ベートーヴェンが彼のために曲を書いている。 ドロテア・エルトマン男爵夫人 - メンデルスゾーンと交流。 アントンシンドラー - 秘書だが、弟子とされることがある。 代表作 詳細は「ベートーヴェンの楽曲一覧」を参照 交響曲(全9曲) 第1番 ハ長調 op.21 第2番 ニ長調 op.36 第3番 変ホ長調エロイカ(英雄)』 op.55[12][13] 第4番 変ロ長調 op.60 第5番 ハ短調 (運命) op.67 [12][13] 第6番 ヘ長調 『田園』 op.68 [12] 第7番 イ長調 op.92 第8番 ヘ長調 op.93 第9番 ニ短調 (合唱付き) op.125 [12][13] 管弦楽曲 『レオノーレ』序曲第1番 op.138 『レオノーレ』序曲第3番 op.72b 序曲『コリオラン』ハ短調 op.62 交響曲『ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い』 op.91 『命名祝日』序曲 op.115 『アテネの廃墟』序曲 ハ長調op.113 『献堂式』序曲 ハ長調op.124 協奏曲、協奏的作品 ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 『皇帝』 op.73 [12] ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61 ロマンス第1番 ト長調 op.40 ロマンス第2番 ヘ長調 op.50 三重協奏曲(ピアノヴァイオリン・チェロのための)ハ長調 op.56 合唱幻想曲 ハ短調 op.80 室内楽曲 弦楽四重奏曲(全16曲) 第7番 ヘ長調(ラズモフスキー第1番) op.59-1 第8番 ホ短調(ラズモフスキー第2番) op.59-2 第9番 ハ長調(ラズモフスキー第3番) op.59-3 第10番 変ホ長調(ハープ) op.74 第11番 ヘ短調『セリオーソ』 op.95 第12番 変ホ長調 op.127 第13番 変ロ長調 op.130 大フーガ 変ロ長調 op.133 第14番 嬰ハ短調 op.131 第15番 イ短調 op.132 第16番 ヘ長調 op.135 弦楽五重奏曲 (全3曲) ヴァイオリンソナタ(全10曲) 第5番 ヘ長調 『春』 op.24 第9番 イ長調 『クロイツェル』 op.47 チェロソナタ(全5曲) ピアノ三重奏曲(全7曲) 第5番 ニ長調『幽霊』 op.70-1 第7番 変ロ長調『大公』 op.97 その他の室内楽曲 ホルン・ソナタ ヘ長調 op.17 六重奏曲 op.81b 七重奏曲 変ホ長調 op.20 管楽八重奏曲 op.103 ピアノ曲 ピアノソナタ(全32曲)   第8番 ハ短調『悲愴』 op.13 第14番 嬰ハ短調 『月光』 op.27-2 [13] 第15番 ニ長調 『田園』 第17番 ニ短調『テンペスト』 op.31-2 第21番 ハ長調 『ヴァルトシュタイン』op.53 第23番 ヘ短調 『熱情』 op.57 [12][13] 第26番 変ホ長調『告別』 op.81a 第29番 変ロ長調ハンマークラヴィーア』 op.106 第30番 ホ長調 op.109 第31番 変イ長調 op.110 第32番 ハ短調 op.111 その他のピアノ曲(変奏曲、バガテル等) 創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 op.34 創作主題による15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)変ホ長調 op.35 『ゴッド・セイヴ・ザ・キング』の主題による7つの変奏曲 ハ長調 WoO.78 『ルール・ブリタニア』の主題による5つの変奏曲 ニ長調 WoO.79 創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80 創作主題による6つの変奏曲 ニ長調 op.76 ディアベリのワルツによる33の変容(ディアベリ変奏曲) ハ長調 op.120 アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO.57 幻想曲 op.77 ポロネーズ ハ長調 op.89 7つのバガテル op.33 11の新しいバガテル op.119 6つのバガテル op.126 バガテル『エリーゼのために』 WoO.59 本来の曲名は『テレーゼのために』であった、という説が有力視されている。 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品 歌劇『フィデリオ』 op.72c 劇付随音楽『エグモント』op.84 劇付随音楽『アテネの廃墟』 op.113 バレエ音楽プロメテウスの創造物』 op.43 オラトリオ『オリーヴ山上のキリスト』 op.85 カンタータ『静かな海と楽しい航海』 op.112 別れの歌 皇帝ヨーゼフ2世の為の葬送カンタータ WoO.87 宗教曲 ミサ曲 ハ長調 op.86 ミサ・ソレムニス ニ長調 [12]  修道僧の歌 歌曲 アデライーデ op.46 汝を愛す 鶉の鳴き声 新しい愛、新しい生 口づけ 追憶 懺悔の歌 モルモット(旅芸人) 連作歌曲集『遥かなる恋人に寄す』 op.98 曇りのち、快晴 著作 『ベートホーヴェンの手紙』 外山楢夫訳、新しき村出版部、1926年。 『ベートーヷンの手紙』 中西武夫訳、啓明社、1928年。 『ベートーヷン書翰集』 中西武夫訳、啓明社、1930年。 『ベートーヴェンの手紙』第1編、鈴木賢之進訳、音楽世界社〈楽聖書簡叢書〉、1936年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎訳、岩波書店岩波文庫 2579-2581〉、1940年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎選訳、岩波書店岩波文庫〉、1950年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎訳、岩波書店岩波文庫〉、1957年、改訂増補版。 - 附:

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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

曖昧さ回避ベートーヴェンベートーベン、ヴァン・ベートーヴェン」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ベートーヴェン (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

Ludwig van Beethoven

Beethoven.jpg

基本情報

別名 楽聖

生誕 1770年12月16日

出身地 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、ボン

死没 1827年3月26日(56歳没)

オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ウィーン

ジャンル 古典派音楽

活動期間 1792 - 1827

ベートーヴェンのサイン

ウィキポータル クラシック音楽 ポータル クラシック音楽

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンに近い[1]、1770年12月16日頃[2] - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。J.S.バッハ等と並んで音楽史上極めて重要な作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。

目次 [非表示]

1 生涯

2 作風

2.1 初期

2.2 中期

2.3 後期

3 後世の音楽家への影響と評価

4 芸術観

5 思想

6 人物

6.1 名前

6.2 ベートーヴェンフリーメイソンリー

7 死因また健康について

7.1 聴覚障害について

8 親族

9 弟子

10 代表作

10.1 交響曲(全9曲)

10.2 管弦楽曲

10.3 協奏曲、協奏的作品

10.4 室内楽曲

10.5 ピアノ曲

10.6 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品

10.7 宗教曲

10.8 歌曲

11 著作

12 伝記

13 脚注

14 参考文献

15 関連項目

16 外部リンク

16.1 録音ファイル

16.2 伝記

生涯

ベートーヴェン(1803年)

1770年12月16日頃、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボンにおいて、父ヨハンと、宮廷料理人の娘である母マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)の長男[3]として生まれる。ベートーヴェン一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であり、幼少のベートーヴェンも慕っていた、祖父ルートヴィヒの援助により生計を立てていた。ベートーヴェンの父も宮廷歌手(テノール)[4]であったが、元来無類の酒好きであったために収入は途絶えがちで、1773年に祖父が亡くなると生活は困窮した。1774年頃よりベートーヴェンは父からその才能を当てにされ、虐待とも言えるほどの苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受けたことから、一時は音楽そのものに対して強い嫌悪感すら抱くようにまでなってしまった。1778年にはケルンでの演奏会に出演し、1782年11歳の時よりクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事した。

1787年、16歳のベートーヴェンウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトを訪問したが、最愛の母マリアの危篤の報を受けてボンに戻った。母はまもなく死没し(肺結核)[5]、母の死後は、アルコール依存症となり失職した父に代わり、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごした。

1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中ボンに立ち寄ったハイドンにその才能を認められて弟子入りを許され、11月にはウィーンに移住し(12月に父死去)、まもなく、ピアノ即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ)として広く名声を博した。

20歳代後半ごろより持病の難聴(原因については諸説あり、鉛中毒説が通説)が徐々に悪化、28歳の頃には最高度難聴者となる。音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたため自殺も考えたが、彼自身の芸術(音楽)への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、再び生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいくことになる。

1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森(ロマン・ロランによる表現)と呼ばれる時期となる。その後、ピアニスト兼作曲家から、完全に作曲専業へと移った。

40歳頃(晩年の約15年)には全聾となっり、更に神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられた。加えて、度々非行に走ったり自殺未遂を起こすなどした甥カールの後見人として苦悩するなどして一時作曲が停滞したが、そうした苦悩の中で書き上げた交響曲第9番や『ミサ・ソレムニス』といった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は彼の未曾有の境地の高さを示すものであった。

1826年12月に肺炎を患ったことに加え、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化し、以後病臥に伏す。病床の中で10番目の交響曲に着手するも未完成のまま翌1827年3月26日、肝硬変のため56年の生涯を終えた。その葬儀には2万人もの人々が参列するという異例のものとなった。この葬儀には、翌年亡くなるシューベルトも参列している。

作風

初期

作曲家としてデビューしたての頃は耳疾に悩まされることもなく、古典派様式に忠実な明るく活気に満ちた作品を書いていた。この作風は、ハイドンモーツァルトの強い影響下にあるためとの指摘もある[6]。

中期

1802年の一度目の危機とは、遺書を書いた精神的な危機である。ベートーヴェンはこの危機を、ウィーン古典派の形式を再発見する事により脱出した。つまりウィーン古典派の2人の先達よりも、素材としての動機の発展や展開・変容を徹底して重視し、形式的・構成的なものを追求した。この後は中期と呼ばれ、コーダの拡張など古典派形式の拡大に成功した。

中期の交響曲はメヌエットではなくスケルツォの導入(第2番以降)、従来のソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番)、旋律のもととなる動機やリズムの徹底操作(第5、7番)、標題的要素(第6番)、楽章の連結(第5、6番)、5楽章形式(6番)など、革新的な技法を編み出している。その作品は、古典派の様式美とロマン主義とをきわめて高い次元で両立させており、音楽の理想的存在として、以後の作曲家に影響を与えた。第5交響曲に典型的に示されている「暗→明」、「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」という図式は劇性構成の規範となり、後のロマン派の多くの作品がこれに追随した。

これらのベートーヴェンの要求は必然的に「演奏人数の増加」と結びつき、その人数で生み出される人生を鼓舞するかのような強音やすすり泣くような弱音は多くの音楽家を刺激した。

後期

1818年の二度目の危機の時には後期の序曲集に代表される様にスランプに陥っていたが、ホモフォニー全盛であった当時においてバッハの遺産、対位法つまりポリフォニーを研究した。対位法は中期においても部分的には用いられたが、大々的に取り入れる事に成功し危機を乗り越えた。変奏曲やフーガはここに究められた。これにより晩年の弦楽四重奏曲ピアノソナタ、『ミサ・ソレムニス』、『ディアベリ変奏曲』、交響曲第9番などの後期の代表作が作られた。

後世の音楽家への影響と評価

ベートーヴェンの音楽界への寄与は甚だ大きく、彼以降の音楽家は大なり小なり彼の影響を受けている。

ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、作品は公式・私的行事における機会音楽として作曲されたものがほとんどであった。ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係(および、そのための音楽)を拒否し、大衆に向けた作品を発表する音楽家の嚆矢となった。音楽家=芸術家であると公言した彼の態度表明、また一作一作が芸術作品として意味を持つ創作であったことは、音楽の歴史において重要な分岐点であり革命的とも言える出来事であった。

中でもワーグナーは、ベートーヴェン交響曲第9番における「詩と音楽の融合」という理念に触発され、ロマン派音楽の急先鋒として、その理念をより押し進め、楽劇を生み出した。また、その表現のため、豊かな管弦楽法により音響効果を増大させ、ベートーヴェンの用いた古典的な和声法を解体し、トリスタン和音に代表される革新的和声で調性を拡大した。

一方のブラームスは、ロマン派の時代に生きながらもワーグナー派とは一線を画し、あくまでもベートーヴェンの堅固な構成と劇的な展開による古典的音楽形式の構築という面を受け継ぎ、ロマン派の時代の中で音楽形式的には古典派的な作風を保った。しかし、旋律や和声などの音楽自体に溢れる叙情性はロマン派以外の何者でもなかった。また、この古典的形式における劇的な展開と構成という側面はブラームスのみならず、ドヴォルザークチャイコフスキー、20世紀においてはシェーンベルクバルトークプロコフィエフショスタコーヴィチラッヘンマンにまで影響を与えている。

芸術観

同時代のロマン派を代表する芸術家E.T.A.ホフマンは、ベートーヴェンの芸術を褒め称え、自分たちロマン派の陣営に引き入れようとしたが、ベートーヴェンは当時のロマン派の、形式的な統一感を無視した、感傷性と感情表現に代表される芸術からは距離を置いた。ベートーヴェンが注目したものは、同時代の文芸ではゲーテやシラー、また古くはウィリアム・シェイクスピアらのものであり、本業の音楽ではバッハ、ヘンデルモーツァルトなどから影響を受けた[7]。

ベートーヴェンが「前衛」であったのかどうかは、多くの音楽学者で見解が分かれる。原博は「ベートーヴェンは前衛ではない」と言い切り[8]、彼は当時の「交響曲」「協奏曲」「ソナタ」「変奏曲」などの構造モデルに準拠し、発案した新ジャンルというものは存在しない。ただし、「メトロノームの活用」「母語での速度表示」「ピアノの構造強化と音域の拡張」「楽曲の大規模化」「大胆な管弦楽法」「演奏不可能への挑戦」「騒音の導入(戦争交響曲)」など、後世の作曲家に与えた影響は計り知れないものがある。

思想

ベートーヴェンカトリックであったが敬虔なキリスト教徒とはいえなかった。『ミサ・ソレムニス』の作曲においてさえも「キリストなどただの磔(はりつけ)にされたユダヤ人に過ぎない」と発言した。ホメロスプラトンなどの古代ギリシア思想に共感し、バガヴァッド・ギーターを読み込むなどしてインド哲学に近づき、ゲーテやシラーなどの教養人にも見られる異端とされる汎神論的な考えを持つに至った。彼の未完に終わった交響曲第10番においては、キリスト教的世界と、ギリシア的世界との融合を目標にしていたとされる。これはゲーテが『ファウスト』第2部で試みたことであったが、ベートーヴェンの生存中は第1部のみが発表され、第2部はベートーヴェンの死後に発表された。権威にとらわれない宗教観が、『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番につながった。

また哲学者カントの思想にも触れ、カントの講義に出席する事も企画していたといわれる[7]。

政治思想的には自由主義者であり、リベラルで進歩的な政治思想を持っていた。このことを隠さなかったためメッテルニヒウィーン体制では反体制分子と見られた。

その他にも、天文学についての書物を深く読み込んでおり、彼はボン大学での聴講生としての受講やヴェーゲナー家での教育を受けた以外正規な教育は受けていないにも関わらず、当時において相当の教養人であったと見られている。

人物

身長は165cm前後と当時の西洋人としては中背ながら、筋肉質のがっしりとした体格をしていた。肌は浅黒く、天然痘の瘢痕があったとされるが、肖像画や銅像、ライフマスクや近年明らかとなった多彩な女性関係などから容貌は美男とは言えないものの、さほど悪くなかったのではないかと思われる。表情豊かで生き生きした眼差しが人々に強い印象を与え多くの崇拝者がいた。

基本的に服装には無頓着であり、若い頃には着飾っていたものの、歳を取ってからは一向に構わなくなった。弟子のツェルニーは初めてベートーヴェンに会った時、「ロビンソン・クルーソーのよう」、「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いたと言われる。また作曲に夢中になって無帽で歩いていたため、浮浪者誤認逮捕されてウィーン市長が謝罪する珍事も起こった。部屋の中は乱雑であった一方、入浴と洗濯を好むなど綺麗好きであったと言われる。また生涯で少なくとも60回以上引越しを繰り返したことも知られている。

当時のウィーンではベートーヴェンが変わり者であることを知らない者はいなかったが、それでも他のどんな作曲家よりも敬愛されており、それは盛大な葬儀と多数の参列者を描いた書画からも伺える。しかし、「ベートーヴェン変人説」も、メッテルニヒ政権によるデマであるとする見解もある。

潔癖症で手を執拗に洗うところがあった。

性格は矛盾と言っても差し支えのない正反対な側面があった。人づきあいにおいて、ことのほか親切で無邪気かと思えば、厳しく冷酷で非道な行動に出るなどと気分の揺れが激しかった。親しくなると度が過ぎた冗談を口にしたり無遠慮な振る舞いを見せたりすることが多かったため、自分本位で野蛮で非社交的という評判であったとされている。これもどこまで真実なのかは定かではないが、ピアノソナタ・ワルトシュタインや弦楽四重奏曲・大フーガつきの出版に際して、出版社の「カット」命令には律儀に応じている。癇癪持ちであったとされ、女中(女性)に物を投げつけるなどしばしば暴力的な行動に出ることもあったという。

ハイドンに、楽譜に「ハイドンの教え子」と書くよう命じられた時は、「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」と突っぱねた。

パトロンカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵には、「侯爵よ、あなたが今あるのはたまたま生まれがそうだったからに過ぎない。私が今あるのは私自身の努力によってである。これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンは私一人だけだ!」と書き送っている。(1812年)この「場を全くわきまえない」発言の数々はメッテルニヒ政権成立後に仇となり、大編成の委嘱が遠ざかる。

テプリツェでゲーテと共に散歩をしていて、オーストリア皇后・大公の一行と遭遇した際も、ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然(こうぜん)として頭を上げ行列を横切り、大公らの挨拶を受けたという。後にゲーテは「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈(ふき)奔放な人柄だ」とベートーヴェンを評している。

交響曲第5番の冒頭について「運命はこのように戸を叩く」と語ったことや、ピアノソナタ第17番が“テンペスト”と呼ばれるようになったいきさつなど、伝記で語られるベートーヴェンの逸話は、自称「ベートーヴェンの無給の秘書」のアントンシンドラーの著作によるものが多い。しかし、この人物はベートーヴェンの死後、ベートヴェンの資料を破棄したり改竄(かいざん)を加えたりしたため、現在ではそれらの逸話にはあまり信憑性が認められていない。

聴覚を喪失しながらも音楽家として最高の成果をあげたことから、ロマン・ロランをはじめ、彼を英雄視・神格化する人々が多く生まれた。

死後、「不滅の恋人」宛に書かれた1812年の手紙が3通発見されており、この「不滅の恋人」が誰であるかについては諸説ある。テレーゼ・フォン・ブルンスヴィック(独語版)やその妹ヨゼフィーネ(独語版)等とする説があったが、現在ではメイナード・ソロモン(en:Maynard Solomon)らが提唱するアントニエ・ブレンターノ(独語版)(クレメンス・ブレンターノらの義姉、当時すでに結婚し4児の母であった)説が最も有力である。しかし、「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]のような、これらの定説を覆す新たな研究も生まれている。

これらは氷山の一角に過ぎず、20-30代でピアニストとして一世を風靡していたころは大変なプレイボーイであり、多くの女性との交際経験があった。この行動を模倣した人物に、後年のフランツ・リストがいる。

メトロノームの価値を認め、初めて活用した音楽家だといわれている。積極的に数字を書き込んだために、後世の演奏家にとって交響曲第9番ハンマークラフィーアソナタのメトロノーム記号については、多くの混乱が生まれている。

彼はイタリア語ではなく、母語ドイツ語で速度表示を行った最初の人物である。この慣習の打破はあまり歓迎されず、多くの当時の作曲家も速度表示にはイタリア語を用い、本人も短期間でイタリア語に戻している。

パンと生卵を入れて煮込んだスープや、魚料理に肉料理、茹でたてのマカロニにチーズを和えたものが大好物であった。またワインを嗜み、銘柄は安物のトカイワインを好んでいた。父親に似て大の酒好きであり、寿命を縮めることになったのは疑いがない。

コーヒーは必ず自ら豆を60粒数えて淹れたという[10]。

名前

原語であるドイツ語ではルートゥヴィヒ・ファン・ベートホーフェン ドイツ語発音: [ˈluːtvɪç fan ˈbeːthoːfən] ( 音声ファイル)と発音される。

日本では明治時代の書物の中には「ベートーフェン」と記したものが若干あったが、ほどなく「ベートーヴェン」という記述が浸透していき、リヒャルト・ワーグナーのように複数の表記が残る(ワーグナーヴァーグナー、ワグネル)こともなかった。唯一の例外は、NHKおよび教科書における表記の「ベートーベン」である。

姓に“van”がついているのは、ベートーヴェン家がネーデルラントフランドル)にルーツがあるためである(祖父の代にボンに移住)。vanがつく著名人といえば、画家のヴァン・ダイク(van Dyck)、ファン・エイク(van Eyck)、ファン・ゴッホ(van Gogh)などがいる。

vanはドイツ語オランダ語では「ファン」と発音されるが、貴族を表す「von(フォン)」と間違われることが多い。「van」は単に出自を表し、庶民の姓にも使われ、「van Beethoven」という姓は「ビート(Beet)農場(Hoven)主の」という意味に過ぎない。しかしながら、当時のウィーンではベートーヴェンが貴族であると勘違いする者も多かった。

偉大な音楽家を意味する「楽聖」という呼称は古くから存在するが、近代以降はベートーヴェンをもって代表させることも多い。例えば3月26日の楽聖忌とはベートーヴェンの命日のことである。

ベートーヴェンフリーメイソンリー

詳細は「フリーメイソン#ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」を参照

死因また健康について

慢性的な腹痛や下痢は終生悩みの種であった。死後に行われた解剖では肝臓、腎臓、脾臓、他、多くの内臓に損傷が見られた。これらの病の原因については諸説あり、定説はない。近年、ベートーヴェンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出されて注目を集めた。鉛は聴覚や精神状態に悪影響を与える重金属であるが、ベートーヴェンがどのような経緯で鉛に汚染されたかについても諸説あり、以下のごとくである。

ワインの甘味料として用いられた酢酸鉛とする説。

1826年の1月から、肝障害による腹水治療を行ったアンドレアス・ヴァヴルフ医師が、腹部に針で穿刺して腹水を排水した際、毛髪の分析結果では腹部に穿孔するたびに鉛濃度が高くなっていることから、傷口の消毒のために使用された鉛ではないかとする説。

聴覚障害について

難聴(40歳頃には全聾となった)の原因については諸説[11]ある。

耳硬化症説

伝音性の難聴であり、中耳の耳小骨の「つち・きぬた・あぶみ」の内のあぶみ骨が硬化して、振動を伝達できず、音が聞こえなくなる難病。ベートーヴェンの難聴が耳硬化症である論拠として、ベートーヴェンが人の声は全く聞こえていなかったにも関わらず、後ろでピアノを弾いている弟子に、「そこはおかしい!」と注意したエピソードが挙げられる。これは耳硬化症に特有の、人の声は全く聞こえなくなるが、ピアノの高音部の振動は僅かに感じ取ることが出来る性質にあると考えられる。

又、ベートーヴェンは歯とピアノの鍵盤をスティックで繋ぐことで、ピアノの音を聞いていたという逸話もこの説を裏付ける論拠として挙げられる。

先天性梅毒説

「蒸発性の軟膏を体に塗り込んだ(水銀の可能性。当時梅毒の治療法の一つ)」という記述がある為に、論拠とされている。しかし、後にベートーヴェンの毛髪を分析した結果、水銀は検出されず、又、梅毒は眩暈(めまい)の症状を併発するにも関わらず、そうした話が無い為に、先天性梅毒説は説得力の乏しいものとなっている。

鉛中毒説

上載の死因また健康についてを参照。

メッテルニヒ政権説

ベートーヴェンが難聴であっても完全に失聴していたかどうかは、21世紀の現代では疑問視する声が大きい。ベートーヴェンは1820年代のメッテルニヒ政権ではブラックリストに入れられたため、盗聴を防ぐために「筆談帳」を使った可能性は大きい。その延長として「ベートーヴェンは暗号を用いていた」という仮説に基づく「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]という書籍が出版された。

有名な逸話に「女中に卵を投げつけた」という類の物が残されているが、これは「女中に変装したスパイ」への正当防衛であるという見解がある。

デビューほやほやのリストの演奏に臨み、彼を高く評価したのは、もし失聴していれば出来ない行為である。

完全失聴や聴覚障害を患った作曲家に、ボイスやフォーレがいるが、彼らの作曲活動はその後伸び悩んでいるのに対し、失聴したベートーヴェンはその間に多くの重要作を書いている。

親族

祖父:ルートヴィヒ同姓同名) (英語版)

フランドル地方メヘレン出身。ケルン大司教(選帝侯)クレメンスアウグストに見出され、21歳でボンの宮廷バス歌手、後に宮廷楽長となった。

祖母:マリア・ヨゼファ

父:ヨハン

母:マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)  ヨハンとは再婚(初婚は死別)。肺結核により死去。

弟:カスパール・アントンカール

甥:カールドイツ語版)  カスパールの息子。1806年生まれ~1858年没。1826年にピストル自殺未遂事件を起こす。

弟:ニコラウス・ヨーハン

同姓同名の兄や妹2人がいるがすぐになくなっている。

カールの血筋が現在も残ってはいるが、ベートーヴェン姓は名乗っていない。カールの直系子孫の一人であるカール・ユリウス・マリア・ヴァン・ベートーヴェン(1870年5月8日生まれ)が1917年12月10日に他界したのを最後に、ベートーヴェン姓を名乗る子孫は途絶えている。

弟子

カール・ツェルニー - クラヴィア奏者・作曲家。

フェルディナント・リース - ボンのクラヴィア奏者・作曲家。

ルドルフ大公 - ベートーヴェンの最大のパトロン。のちにオルミュッツ大司教。弟子としては唯一、ベートーヴェンが彼のために曲を書いている。

ドロテア・エルトマン男爵夫人 - メンデルスゾーンと交流。

アントンシンドラー - 秘書だが、弟子とされることがある。

代表作

詳細は「ベートーヴェンの楽曲一覧」を参照

交響曲(全9曲)

第1番 ハ長調 op.21

第2番 ニ長調 op.36

第3番 変ホ長調エロイカ(英雄)』 op.55[12][13]

第4番 変ロ長調 op.60

第5番 ハ短調 (運命) op.67 [12][13]

第6番 ヘ長調 『田園』 op.68 [12]

第7番 イ長調 op.92

第8番 ヘ長調 op.93

第9番 ニ短調 (合唱付き) op.125 [12][13]

管弦楽曲

『レオノーレ』序曲第1番 op.138

『レオノーレ』序曲第3番 op.72b

序曲『コリオラン』ハ短調 op.62

交響曲『ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い』 op.91

『命名祝日』序曲 op.115

『アテネの廃墟』序曲 ハ長調op.113

『献堂式』序曲 ハ長調op.124

協奏曲、協奏的作品

ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 『皇帝』 op.73 [12]

ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61

ロマンス第1番 ト長調 op.40

ロマンス第2番 ヘ長調 op.50

三重協奏曲(ピアノヴァイオリン・チェロのための)ハ長調 op.56

合唱幻想曲 ハ短調 op.80

室内楽曲

弦楽四重奏曲(全16曲)

第7番 ヘ長調(ラズモフスキー第1番) op.59-1

第8番 ホ短調(ラズモフスキー第2番) op.59-2

第9番 ハ長調(ラズモフスキー第3番) op.59-3

第10番 変ホ長調(ハープ) op.74

第11番 ヘ短調『セリオーソ』 op.95

第12番 変ホ長調 op.127

第13番 変ロ長調 op.130

大フーガ 変ロ長調 op.133

第14番 嬰ハ短調 op.131

第15番 イ短調 op.132

第16番 ヘ長調 op.135

弦楽五重奏曲 (全3曲)

ヴァイオリンソナタ(全10曲)

第5番 ヘ長調 『春』 op.24

第9番 イ長調 『クロイツェル』 op.47

チェロソナタ(全5曲)

ピアノ三重奏曲(全7曲)

第5番 ニ長調『幽霊』 op.70-1

第7番 変ロ長調『大公』 op.97

その他の室内楽曲

ホルン・ソナタ ヘ長調 op.17

六重奏曲 op.81b

七重奏曲 変ホ長調 op.20

管楽八重奏曲 op.103

ピアノ曲

ピアノソナタ(全32曲)  

第8番 ハ短調『悲愴』 op.13

第14番 嬰ハ短調 『月光』 op.27-2 [13]

第15番 ニ長調 『田園』

第17番 ニ短調『テンペスト』 op.31-2

第21番 ハ長調 『ヴァルトシュタイン』op.53

第23番 ヘ短調 『熱情』 op.57 [12][13]

第26番 変ホ長調『告別』 op.81a

第29番 変ロ長調ハンマークラヴィーア』 op.106

第30番 ホ長調 op.109

第31番 変イ長調 op.110

第32番 ハ短調 op.111

その他のピアノ曲(変奏曲、バガテル等)

創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 op.34

創作主題による15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)変ホ長調 op.35

『ゴッド・セイヴ・ザ・キング』の主題による7つの変奏曲 ハ長調 WoO.78

ルール・ブリタニア』の主題による5つの変奏曲 ニ長調 WoO.79

創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80

創作主題による6つの変奏曲 ニ長調 op.76

ディアベリのワルツによる33の変容(ディアベリ変奏曲) ハ長調 op.120

アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO.57

幻想曲 op.77

ポロネーズ ハ長調 op.89

7つのバガテル op.33

11の新しいバガテル op.119

6つのバガテル op.126

バガテル『エリーゼのために』 WoO.59

本来の曲名は『テレーゼのために』であった、という説が有力視されている。

オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品

歌劇『フィデリオ』 op.72c

劇付随音楽『エグモント』op.84

劇付随音楽『アテネの廃墟』 op.113

バレエ音楽プロメテウスの創造物』 op.43

オラトリオ『オリーヴ山上のキリスト』 op.85

カンタータ『静かな海と楽しい航海』 op.112

別れの歌

皇帝ヨーゼフ2世の為の葬送カンタータ WoO.87

宗教曲

ミサ曲 ハ長調 op.86

ミサ・ソレムニス ニ長調 [12] 

修道僧の歌

歌曲

アデライーデ op.46

汝を愛す

鶉の鳴き声

新しい愛、新しい生

口づけ

追憶

懺悔の歌

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2017-12-27

未熟者、クリスマスに振られる。

28歳にして、初めてのちゃんとした彼女だった。



相手はかなり高嶺の花だった。同い年だが、かなり格上だった。


今年の5月ごろにアプリ出会い8月から付き合い、落語バレエミュージカルと楽しく過ごした。

クリスマスイブも楽しくデートして(正確に言うと、したつもりだった)、翌日のクリスマスの夜に振られた。

年末にかけてあまり会えずにいて、予感はあった。

付き合う前に、相手Amazon Primeおすすめ映画として「(500)日のサマー」をあげてしまった。まぁ、その辺りからそんな結末の予感はあったのかもしれない。

絶対にうまくいかないなぁ、などと考えてしまっていた部分はあり、自分自分で嘘をついてしまっていたのかとも思う。

とまぁ、強がってはみたが「振られた」と言うショックは自分の生きてきた28年間の中で初な訳で、尋常ではないダメージを受け、かなりボロボロな感じである。(仕事には支障をきたさぬようにせねば)


しかし、そのショックを受けたことで、改めて自分自身を気付かされた。

中途半端で幼稚であまちゃん」な自分を。


改めて生まれてこのかた、なんとなくで大体であったんだなぁと思う。


幼少期にヴァイオリンを仕込まれ、好きでもなくなんとなく続け、ヴィオラになんとなくたどり着く。なんとなくなので、結局のところさほど上達もしていない。速いパッセージ日和るし、音程も外すし、そもそも読譜尋常じゃなく苦手だ。幼少期の指番号で弾く感覚のままなので、弾いててすぐにお手上げになる。

どこかで、歩みを止めて変えなければいけなかった。ただ、してこなかった。


中学受験に塾に通わされ、ドリルなどさほどやらなかっったが、なんとなく慶應入学した。しかも補欠合格だった。それから、何か究めんとすることもなくただなんとなく過ごした。

中学自由研究では賞をもらったし、高校の時には論文が全校生徒から選ばれ冊子に載った。すごく頑張ったと言うか、なんとなくやって、グータラして乗り切れてしまっていた。

そのままエスカレータで、大学に入った。経済学部だった理由は多分明確にはなかった。なんとなくカッコ良いかである。そのまま、普通に進級した。3年になった時、就活を目の前にして自分の中に迷いが生じた。このままで良いのかと。そして、留年した。


留年したら、何か変わるか。

そんなことはなかった。


元来の自分の人付き合いの苦手さが増し、ゼミもなんとなく抜け、授業にも一切いかなくなった。

2回目の3年は、多分一切単位を取らなかったと思う。当然また留年した。

そして、3回目の3年は卒業しなくちゃと言う気持ちで通った。なんとか4年になった。

ただ完全に人とは話してなかったと思う。コミュニケーションがとにかく苦手なのだ


心配した母親セミナーに連れ出し、そこでの恩師との出会いから多少元気になり4年の後半社会復帰し、人との交流もする様になった。

ただ、就活をしていなかったため、独学で公務員を目指すと言う名のもと空白期間をし、試験の落ち着いた夏就活をしてみた。公務員試験勉強の数的処理がIT親和性が高そう、なんかITかっこいい。そんな感じで、面接を受け、今の会社へ入った。小さい会社だが、社長が魅力的な人だった。


そして、社会人生活が25歳の秋から始まった。


ITと言うと聞こえは良いが、SIer下請け孫請けと言う様な会社だった。クラウドシステム構築を行った。1ヶ月目にはテスターとして駆り出され、4ヶ月目には大手SIerに常駐した。

駐中コミュニケーションが苦手で、人に聞いたりするのは苦労した。

1年がたった頃、常駐を終了し、自社での持ち帰りの開発案件に参画した。

とにかくがむしゃらに働いた。

10から24時、土曜・日曜日も出たし、徹夜作業もした。


開発は楽しかった。

ただ、その中でもやはりコミュニケーションは苦手だった。人に聞く、相談するのは苦手だった。

開発の他に、テスターマネジメントを頼まれたが十分に期待に応えられたとは言えなかったと思う。


結局自分自身マネジメントできていない。なんとなく辿り着いて居るやつには、人を管理すると言うのは荷が重かった。遅延させ、徹夜&増員で事態は乗り越えた。


その後、去年27歳の秋、とある大企業に常駐する様になった。

常駐先の男性のチームリーダーがとにかく魅力的だった。パワフルで、カッコよかった。

緊張しながらも、意見をしていき、そのリーダーに認められ、案件としても拡大していき、自社の仲間も一緒に常駐するまでになった。


そのリーダーは色々教えるのが好きで、本当に色々教わった。

自分も成長した気でいた。


そして、今年の5月彼女出会った。

ちょうど自分に自信がついてきていたし、付き合うとこまで行ったのだろう。


そんな5月、憧れのリーダー転職を決めて去って行ってしまった。

ショックだったが、仕事はそう言うものなのだろうと思い、自分がそのリーダー役割をと思ったが、所詮は成長した気だけであり全然ダメだった。

要件定義マネジメント能力・育成・ロジカルどれもこれも未熟者半端者だった。元来のコミュニケーションの苦手さが原因かもしれない。

プロジェクトがポシャったり、遅延したりした。


とまぁ今まで大体が、なんとなく流されてたどり着き、失敗してもそれで良しとしていた。

中途半端でちゃんと継続して地肉になっていない、変わっていないそんなまま、今になっていた。


プロフェッショナルとしてとことんやっていたのか。

ちゃんと成長してきたのか。身につけてきたか

ダメだったのだろう。不十分だったんだろう。


自分ダメさが、彼女に振られることへ繋がったのだと思う。


職場が元リーダーがいなくなり刺激的でないとかは言い訳だろう。

自分が至らない部分が多いのだろう。

自分自身に甘えて居るのだろう


しっかりと目標を立てて、考えて計画して行動する。成長する。


来年クリスマス、その時もおそらく彼女はいないと思う。ただ、ちゃんと成長した大人になった自分になっているはずだ。そして、振ってくれた彼女にも感謝できるくらいの器量はありたい。

20代もあと2年弱。もう時間はない。

2017-12-22

ヴィオラヴァイオリン

どっちか弾ければ反対も弾ける?

2017-11-24

気持ちよくて増田寝てしまう増し手ね出す魔テク余地も貴(回文

かなーしくーてかなしくてー

とてーもやーりきれーなぁいー

この曲が流れたとたんグッと涙が出そうになる。

冒頭の開始3秒ぐらいの隕石が落ちてくるシーンの場面で

もう超号泣してしまいそうよ!

そのぐらいあの映画の早泣き選手権

もしくは、

ちびっこ泣き相撲選手権でもいい線行けそうな気がするの。

でも、全然そんなことはないわ。

それはさておき、

先日コトリンゴさんのピアノを聞いてきたわ。

なんか会場で気持ちよくてうとうとしちゃいそうよ。

ヴァイオリンの音とか、

ピアノの音とかつい気持ちよくなっちゃって

寝ちゃいそうになっちゃうのよ。

ご機嫌さんだったから、

帰り街の中華屋さんに寄ったの。

軒先の赤いテントの赤いのれん

床がつるつるで滑りそう、

古き良きってる感じの街の中華屋さん。

いつも行って注文するものももう決まってるから

席に着くなり、

お冷やじゃなく

ビールが出てくるのが笑っちゃうわ。

しかも瓶ビールの栓を抜きながら持ってくるの。

私また何も注文してないのよ。

今日は酒屋さん休みで樽生配達いか

ビールでやってねって。

笑っちゃうわ。

私のご機嫌さんに拍車が掛かっちゃうわ。

うふふ。


今日朝ご飯

タマゴミックスサンド

もう温かいヒーコーが恋しいわね。

デトックスウォーター

街中ではもうダウンジャケット羽織ってる人を見かけるわ、

そのぐらい

寒さ本格的になってきて、

今日梅干し白湯ホッツウォーラーしました。

身体スタートする感じがするわ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2017-10-18

音楽以前に人の問題という話

anond:20171016161644

↑の元増田です。

ブコメを読んでいて色々思うことがあったので、補足説明を兼ねて追加エントリ

その前に、まず明るめの話から

果たして打楽器問題ないのか眼中にないのか気になる

自分が長く世話になったオケ打楽器は、今思えば神セクションだった。

「一発が拓く、まさしく一音入魂の素晴らしい瞬間」と「一発を外したときの怖さ」の両方を熟知していて、ストイックな音の追求に余念のない、セミプロ級の職人集団だった。

実際、彼らの奏でるティンパニはきちんと「旋律楽器」をやっていた。

勿論弦からも管からも信頼は厚かったし、思えば彼らの一発に何度も救われていたのだと、今頃になって思い至った。

態度も大人で、合奏中にチューナーで音取りし、それを根拠アンサンブルピッチを指摘されても「私の音は合ってます」と強弁して憚らない管楽器のことも悪く言わなかったし。

気づくのおせーのとプロ管楽器奏者も大概吹奏楽上がりだから主語がでけーのとで御愁傷様としか。なお吹奏楽やってる人ですらちゃんとやってればこの問題意識は持ってる。

であれば、極めつけのプロ管楽器奏者が吹奏楽をやったらどうなるん?ということで見つけたのがこの演奏

リード()」と思って軽い気持ちで聴き始めたけど、あっという間に引き込まれ最後まで一気に聴いてしまった。

こんなに味のある吹奏楽曲演奏は初めてというか、ここまで繊細に表現できるなら、何も言うことない最高の演奏だと思う。

というか、この演奏を聴いて「楽器の鳴り」だの「縦の線」だの、ましてや「コンクール」とかつまんねー事言い出す奴とは、多分楽しく合奏できないと思う(笑)

アルメニアトルコ隣国だけど、その上でトルコ軍楽隊してないのが良い。

勿論、N響管打コンバス+須川展也+外囿祥一郎というドリームチームなのはさておき。

そうなると、やはり問題学校吹奏楽文化か…ちなみに当該曲のWikipedia解説は、件のサイトが以前から玉石混交であることを前提としても頭が悪すぎ(というかボキャブラリに乏しい水槽厨が書いた感が半端ない、「かわいらしく演奏」「元気よく入る」「ドスを入れるように吹き」とか失笑ものだし、まさかと思うけど顧問の指摘の受け売り?)なので、吹奏楽の格が落ちると感じた人は修正すべきだと思う。


さて、前置きが長くなったけど、ここからが本題。

もっともな意見だけど、そのオケコンマス音楽監督はどういう心境でその音を聴き逃してたんだという疑問しかない

まず、そのオケには常任指揮者がいない

運営が人づてに、毎回色んな指揮者を呼ぶんだけど、理由が「変な人に居座られたら面倒だから」。

そして運営だが、実はこのオケ運営もほぼ全員管の人間なのだ

から、呼ばれる指揮者だって当然管楽器奏者目線での人選の結果となる(選曲も然り)。

これは別に弦の人間他力本願からではなく、運営が弦の人間を入れたがらないというのが実情だったり。

曰く

「弦は本番全乗りで運営仕事なんてまともに出来ないだろうから

「管は必ず降り番があるし、学校部活でなにがしかの係を経験していて慣れてるから

ということらしい。

随分と舐められたものである


次にコンマスの件。

自分がそのオケに入る前だから、もうかなり昔の話になるが、当時のコンマス指揮者対立してしまたことがあったそうな。

そして、あろうことか管楽器コントラバス人間指揮者の肩を持ち、コンマスを追い出してしまという結果になった。

それ以後の歴代コンマスは、弦セクションやヴァイオリンパート指導だけを黙々とこなす人ばかりが就くようになってしまったと。

ちなみにコントラバスってメンタル的な観点で、彼らは管楽器奏者だよねというのが個人的な持論。

そもそも他の弦パートの人に「お前そこ弾くな」とか言い放つような奴は仲間じゃねーから

てか吹奏楽部って「そこ吹くな」は勿論、指揮者からバカとか死ねとか普通に言われるんでしょ?

なんかもう、同じ音楽人なのに生きてる世界が違いすぎて引くわー。


結局、仕事でも趣味でも、起きる問題は詰まるところ人の問題なのだと心底痛感する。

そんでもって10年以上もいて、その問題解決どころか、多少なりともマシな状態にすら持っていけなかった自分は、社会性という視点で言ったら間違いなく無能だろう。

一連のエントリは、そんな自分のことを棚に上げて書いたものであることを白状しておく。

から罪滅ぼしというわけではないが、今後関わるオケでは、もっと人間重視で活動できればと思っている。

まあ、トラで行ってるオケはどこも弦と管の仲が良いし、そしてその親密さから来る協調感というのだろうか、温かみのあるサウンドに結構感動しながら弾いていたり(今までが異常に冷たかったんだろうけど)。

いずれ、それらのオケのどこかに落ち着くつもりである

2017-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20170608193540

こないだそれで楽器店に行ってみたら、

サイレントのは置いてなかったんだけど、

ショーケースの中、

普通に軽自動車

買えるくらいのヴァイオリンが並んでてビックリしたw

探してみてみるよーありがとう

YAMAHAサイレントヴァイオリンって

本当のヴァイオリン代わりな

練習とかって出来るもんなんでしょうか?

普通ヴァイオリンは高すぎて、

でもそういう電子楽器のなら買えるかなぁ、と安直な考え。

2017-05-02

ある音楽家の娘の話って価値が分かったというより

「これ、捨て値で売っても二千万はするんだぞ」と言ったら「あ、じゃ燃やさない」と一瞬で理解してくれた。

理解したというか、父の愛用ヴァイオリン札束になっただけで

墓に入れてあげる話のほうが愛があったね。

まあ父も娘もヴァイオリンを売りたいようだから問題ないんだろうけど

2017-04-01

2017-01-26

ヴァイオリン増田聴いてきたよ滝定期打素まをんリオいぁう゛(回文

私の好きなヴァイオリニストの方の、

新しいCDが出てライブがあったの行ってきたの。

すごく優雅で感動よ!美しかったわ!

でさ、必殺物販コーナーで

その新しいCDをかって中の本にサインしてもらっちゃったわ!

めちゃ嬉しい~!

大事にするわ。

それでさ、

サインしてもらうとき

一言何か言いたいんだけど

頑張って下さい系のありふれた言葉なんてつまらないし、

なにか気の利いたことを言いたいわよね。

そんなことを考えてたらあっという間に終わっちゃって、

結局ありがとうってしか言えなかったわ。

緊張するしね。

胸がいっぱいだしね。

ドキがムネムネよ!

ただ一つ言えることは、

その人、

母国語英語なので日本語じゃないのよね。

でも、きっとありがとうは分かってくれたはずよ!

うふふ。

またヴァイオリン聴きに行きたいわ!


今日朝ご飯

もう我慢できない系でお馴染みのケロッグコーンフロスト。

牛乳をかけていただくわ。

食べたあとの牛乳が甘くて美味しいのよねっ!

私の祖父が生きてた頃は、

牛乳かけご飯とか、

荒技してたけどあれって美味しいのかしらね

少し興味津々よ。

デトックスウォーター

ホッツ緑茶ウォーラー

二番煎じよりやっぱり一番煎じが美味しいわよね~。

最近ちょっと贅沢で。

二番煎じまでにしてるわ。

それ以降は限りなく透明に近い緑よ。

うふふ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2016-10-27

ドラムの下に敷いて移動できる車輪付き板を作ったら馬鹿売れだな!

ドラムはカッコイイ超カッコイイ超絶カッコイ

音楽の要だしドラムが無かったら俺達はどうやってリズムを刻んでいいか道に迷っちゃうよね?

それなのにボーカルギターベースショルダーキーボードサクソフォントランペットクラリネットフルートピッコロタンバリンヴァイオリンヴィオラチェロコントラバストライアングルカスタネットハンドベルなどなどなどが

曲の盛り上がるときに観客を挑発するためにステージ前面に出張してくるときドラはいだってステージ奥でお留守番

いやいやいやいやこんな理不尽なことってあるかい

ドラマーだって俺達の近くに行きたいだろうし、当然俺達もドラマーが近くに来てほしいんだ


そう、そんな願いを叶えることができるのがドラムを移動できるようにした車輪付き板だ

当然電動だし、USBで充電できるからもしものとき安心

操作も足でアクセルやバックを踏むだけでOK

さあ全国のドラマー達ぃぃぃ!さっさと俺達のところに来いよ!

2016-10-11

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

ボツネタの詰め合わせ。

Q.年間、平均収入を稼げる仕事があるとして、それが世界一長い芝を刈り続ける場合、その仕事をやりますか?

答えはYESだ。

もちろん、思考する権利幻想を見る権利くらいは欲しいがね。

Q.ヴァイオリンは泣きますか。

個人差はあるが、まあ多少は。

直に泣かなくなるさ。

Q.オリンピックなどの競技では、男女別に分かれているのが主です。これを差別としないのは何故ですか。

性差には、大まかに分けて「身体」と「心理」がある。で、オリンピックで男女別なのは身体性差考慮しているからだ。

……それを差別というんじゃないかって?

君は世間提唱している「平等」をちょっと誤解している。男女の差別問題解消において、女性スポットライトが当たることが多いのは、女性のほうが社会で不当に扱われてきた歴史がある、とされているからだ。

学ぶべき教訓は、「偏った天秤に同じ重りをそれぞれ乗せても偏ったまま」ということだ。現状を踏まえない平等論は平等ではない。これは身体性差においてもいえる。私たちは同じ人間だが、どうしても性差による身体の違いや個人差はあるわけだ。これを一切考慮しないで作られたルールは、ある意味では平等かもしれないけれど、人間の作り出した“平等”という概念とは違うわけだ。

別に皮肉ではない。人間は多様で、かつそれらが社会で混在することが基本的に“認められている”(妥当表現がパッと思いつかない)。その時点で、真の意味での平等物理的に不可能なのさ。だから、彼ら人間の作り出す平等には「機会の平等」などといったように、社会に伴った限定条件がつけられる。広義的には「ジェンダー」といわれているやつで、平等にすべきはそこだとされているようだな。そんな平等でいいのかだとか、現在そういう理想的平等に近づいていっているのかなんてこと私は知らんよ。

英語には“The balance distinguishes not between gold and lead”という諺がある。日本語で「天びんは金も鉛も区別しない」といったところかな。つまり人間は天秤ではないので、物事を公平に判断することはできない」という意味さ。

……真に受けるなよ。本当は「人間平等である」という意味の諺だ。人間は天秤ではないが、天秤を作ったのは人間からな。

Q.ドラえもん孫悟空なら、どちらが勝ちますか。

答えは「成立しない」だ。

前提が甘い状態で作られた論は、私からいわせればナンセンスだ。

せめて「不自然にトラブった場合に、出るとこ出れば勝てるのか、過剰防衛にはなってしまわないか」くらいのレベルにしてくれないと、答えようがない。

Q.MMORPGなどのインフレはなぜ起こるのですか。

ザックリいえば「足し算は簡単なのに、引き算は簡単にできない」からだ。

解決方法は、割り切るか、開き直るか、いっそ全部なかったことにするか、あたりかな。

2016-09-09

評論オーケストラプロジェクト2016年9月7日

http://www.orch-proj.net/

http://tokyosymphony.jp/pc/concerts/detail?p_id=6%2BvbOAadueg%3D

どうせ皆FBTwitterはいいことしか書かないだろうから、ここに本音を書く。

はいいつつも自分も招待券を貰った身分な上、表面的には良いことしか言えない。ならば匿名ならなんでも言いたい放題(しか中傷はしない)と思い、ここに書き連ねてみるわけだ・・・・・・

願わくば検索等でこれが当日来ていた聴衆及び、作曲者なんかが目にしてくれると嬉しいなぁ、しかし期待薄だけどもね・・・・・・

南聡 <<昼Ⅴ>>op.53(2006/09)初演

3楽章形式

本人曰く「今の傾向とは違うから~」とは言っていたが、それを免罪符としたかったのだろうか・・・・・・

正直、とても退屈な曲だった。1楽章リズムのセクションもよくわからないまま終わってしまったし、2楽章はもれなく睡眠タイムであった。3楽章の本人曰く「崩壊~」というのも、正直適当にちらばったものを「崩壊」と後付けしているようで、あまり良いとは思わなかった。

山内雅弘 主題の無いパッサカリアオーケストラの為の

意欲作であった。主題にはなにやら面白いものが隠れているようで、それを聴こう聴こうとする聴衆を引き込んでいたと思う。器楽的な技巧にも富んでいたし、総合するとこの曲は成功に限りなく近いと評価する。

彼の過去作でもある、なにやら西村朗っぽいPf+Orchの曲や、冒頭でマラカスで鍵盤打楽器を叩いたり、途中強烈なTuttiが入る管弦楽協奏曲考察すると、残念ながら、この曲に革新的ものは1つもなかった。そういう意味では少し退屈な印象もあったし、この音楽感のまま山内氏は一生を終えるだろうなという先が見えてしまい、少し寂しさも感じたのは事実であった。

まぁ、打楽器のアイタさんは凄く評価してるようだからいいんじゃないの?w

森垣桂一 ヴァイオリン協奏曲2番(2016)

2世代3世代も古いスタイルであることに本人が自覚がなさそう。ドラえもんを呼んで、タイムマシン1970年代とかに戻ったらいいんじゃないのかな?

木下牧子 <<ルクス・エテルナ 永遠の光>> 〜オーケストラのための

面白かった。なおかつ、オーケストラに対する問題意識が凄く高いと感じられた楽曲でもあった。

全ての楽器に機智が富んでいたが特に金管の使い方が上手く、さらにその処理の仕方(繋げ方)も非常に上手く、オーケストラという生き物をよく理解していると思った。

彼女自称オーケストラ作曲家というのがよくわかった気がする)ただ木下氏が今からすると古い世代であることは間違いないとも感じた。それは彼女楽器の纏め方や帳尻合わせの書法は、一昔前以前のものに感じ、もっと言えば、サトシンやノダテルあたりが威張っていた上野のあの学校ではとっても大きく評価されるだろうなという、それであった。もちろん良く響くけれど、どこか凄くお固いこだわる側面があり、それは曲想に対してすこし音符(というよりも縦の響き)を少し書き過ぎなのでは?ということが感じられた。

解説を見る限り、とても現代におけるオーケストラ課題というもの意識しているし、決して悪い印象は持たなかった。しかしこの曲も数多くのオケプロ演奏された曲と同じく、まずよほどのことが無い限り残念ながら作曲者が生きている間は再演されることはまずないだろう・・・・・・・とも感じたのも事実である

まとめ

もっと新しいものを書く人間招致したらいいのではないのだろうか。

もちろんお金問題はあるだろうけれども、それでもオケプロの意義を考えると近年は古い作曲家が多すぎないだろうか。ここでいう”古い”というのは、年齢ではなく、しっかり現代の流れを見れていない人のことで、少なくとも今回の4人の中では山内氏と木下氏しか見れていなかったように思う。

そういう作品オケプロでは聴きたいのであって、古くさい人間の古くさい曲なんて他でやれば良いのだ。

お客がオペラシティに1000人程も入っていたのは正直びっくりであったが、これのどのくらいが招待客なのだろうか・・・・・・・・?

入り口で余った招待券を配っているおじさんを目撃した、それでいいのかそれで・・・・・・・・

あとは同種の他の演奏会に比べて年配客が非常に多かった。毎年の固定客なのだろうか?

オケプロ80年代から続いており、近年出品する世代作曲家はおそらく長い歴史を身をもって知っている世代である。だから、これから次世代に繋ぐには、出品する年代が中心となり、意識改善必要ではないだろうか・・・・・・?、と私は感じた。

2016-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20160612121937

元増田です。

ブコメに大変興味深い質問があったので、再度筆を執りました。

面白い。そうするってぇと、ヴィオラの人が比較的穏和な気がするのはどういう事か、増田がご存知なら、それも教えて欲しい。いや、私の観測範囲が狭いだけかもしれないけど。

その感覚、非常に正しいです。どこに行ってもヴィオラの人は、少なくともヴァイオリン組よりは穏やかでおとなしめの人が多いですね。

それには明確な理由があると自分も思っています


ヴィオラ、遠目には、或いはケースに入っていると、まずヴァイオリンと見分けがつかない楽器と言っていいが、その中身は完全に似て非なるものである

その中でも最大の違いは、「初めて楽器を手にした年齢が決定的に違う」ことだろう。

プロでもアマでも、生まれて初めてヴィオラを弾くのは、早くても小学校高学年以降、即ち、ハッキリと自分意志楽器出会える年齢なのだ

これこそが、「子供がよくわからないうちに親が与えてしまう」アーリー型のヴァイオリンと大きく異なる点だ。

そこに、ヴィオラアンサンブルにおいて内声部、例えるなら常に出汁役割を担うという、これまたヴァイオリンとは全く違う特性が合わさった結果、「比較的穏和」な性格形成される、或いは「比較的穏和」な性格の人がヴィオラを選ぶのだと思われる。

なお、「生まれて初めてヴィオラを弾くのは、早くても小学校高学年以降」という謎めいた事情理解し難いと思われるので、以下に説明


まず、最初からヴィオラプロを目指してレッスンを開始するという人は殆どいない。

ヴァイオリンプロを目指していた人が、音大の在学中辺りで「転向」するパターンが大多数なのだ

その理由は様々だが、ヴィオラ弾きの名誉のために言っておくと、「ヴァイオリンで食えそうにない」などという撤退戦の一環としての転向は皆無である

そうではなく、

「元々チェロを習いたかったけど近所に先生がおらず渋々ヴァイオリンを習い始め、やがてそんなことすっかり忘れてプロ目指してる途中でたまたまヴィオラを触ってみたらしっくり来た」

プロ目指してヴァイオリンを習い始めたはいいが、ヴァイオリンの命である輝かしい高音にどうしても馴染めず、そんな中たまたま(ry

といった話が、自分の聞いたケースである

そもそも「似て非なるもの」と書いた通り、ヴァイオリン弾きというだけでまともにヴィオラを弾けるような話ではないし、それにヴァイオリンで食えないなら、それでも教室で生徒が取れるヴァイオリンに留まっていたほうが得策なわけで。

また上述の転向は、大学オケに入ったタイミングヴィオラを始めるアマのアーリーヴァイオリン弾きにも当てはまったりする。その中には元増田で書いたモーツァルトまで行かなかったけど、それでもなんとなくヴァイオリンを続けてきた、というか辞めなかったみたいな人もいたり。


次に、最初からヴィオラプロを目指して、もしくはヴィオラやりたい!と言い出した子供が将来の趣味として(要するにアマチュアとして)レッスンを開始するという、いわゆる激レア物件ではどうかというと、それでも最初からヴィオラを弾く事は絶対にない。

なぜなら、ヴィオラ子供サイズ存在しないので、大人用フルサイズヴィオラが弾ける体格になるまで、ヴァイオリンで基礎を学ばざるを得ないかなのだ

というわけで、いわゆるレイトは勿論、アーリーに分類されうる人達であっても、生まれて初めてヴィオラで音を出すのは、フルサイズ楽器演奏できる体格になる目安である小学校高学年以降と。

ちなみにヴィオラ子供サイズがないのは、フルサイズ楽器からしてヴァイオリンチェロのような、音響的に合理的サイズではないため(合理的サイズで作ったら大きすぎて演奏出来なくなる)、そこに来て子供向けに単純にサイズを小さくすると、大人用と音が変わってしまうという理由らしい。

2016-06-12

女王の周辺

いわゆる2ちゃんねるネタであり「あそこに書かれていることなんて気にしなくていいと思うぞ」で終わってしまう話を、あえて書いてみる。


就学前の幼少時から始められる楽器代表例は、なんといってもピアノヴァイオリンだろう。

大人になってから始める人がいるくらいには人気もある。

そんなだから、当然2ちゃんねるにもヴァイオリンスレはあるのだが、ピアノと違ってこのスレはほぼ十年来、ギスギスした空気現在に至っているのだ。

理由は、幼少時から始めた人=アーリー組と、高校大学社会人くらいから始めた人=レイト組の対立にある。

結果、本スレから分家した、レイト向けスレの1に貼られるテンプレからして、その上から目線ぶりが尋常ではない

以下の論争はすでに終結しています

1.プロ演奏者に関する鑑賞系の話題

 ●耳の腐ったレイトに良し悪しは解らんだろう。

2.音律ビブラートのしつこい論争

 ●ヴァイオリンピタゴラス音律で弾く。レイト基本的ヴィブラートを掛けてはならない。

3.スズキメソッドの是非のしつこい論争

 ●スズキであろうが、サンマであろが、使い方次第。

4.アーリーレイトのどちらが上達するかのしつこい論争

 ●幼少期から習っている人に大人から始めて追いつけるワケがない。言語と同じ。

5.チューナーの是非のしつこい論争

 ●チューナーは、調弦では仕方がない、運弓で使える、音階練習には使えない。

(中略)

★なぜ、アーリーは、いい加減に弾くレイトを忌み嫌うのか★

汚い音、狂った音程に対する嫌悪感が、上達のインセンティブで、

自分の汚い音を忌み嫌ったから、上手になったのが、上手いアーリーだ。

から、汚い音、狂った音程を何とも思わないレイトを忌み嫌ってしまう。

これはもう、明らかに「にわかを見下す熟練者」「アーリー自身が囚われている生存者バイアス」が合わさった結果であり、こういう対立がないピアノ組が正直羨ましい。

自分も一応はアーリー組の末席という立ち位置だが、どう見てもアーリー組のスタンス問題だと思うのだ。

以下、そんなアーリーの特徴を、ヴァイオリン特性も絡めて書いてみる。


主にピアノ比較したヴァイオリン特性シニカルに書くと、こんな感じである

ヴァイオリンをとても良く弾ける人間がひとたび音を出せば、それはもう堂々の主役として、当たり前のようにステージ支配する点において「楽器女王であることは間違いない。

しか楽器ポテンシャルや柔軟性から言えば、「楽器王様」はピアノだろう。


そんなヴァイオリンは、親の時間的金銭負担が大きい時点で幼少時から学習者がピアノほど多くないところに、演奏技法習得の難しさ(≒誰もが知っている名曲を弾けるまでに至るための要求水準の高さ)から、恐らく多くの脱落者を生んでいることが容易に想像できるシロモノである

それこそ面倒どころか、個人的には世界一難しい楽器としてギネス認定すべきだと思うくらいで、ヴァイオリン弾きの生存者バイアスが強いと思う理由である

例えば、モーツァルト協奏曲というのがある。

全5曲のうち、重要なのは3番以降の3曲で、これはプロオケ入団試験にも頻出する曲であり、つまりヴァイオリンクラシックをやるなら、3曲のうちのいずれかをプロアマわず習得していることが望ましい曲である

というかメンデルスゾーン協奏曲バッハシャコンヌチゴイネルワイゼンみたいな名曲を弾こうと思ったら、モーツァルトをまともに弾けるのは大前提だし。

そんなこともあり、実際プロ目指す人は小学生モーツァルトをやってしまう。

しかアマチュアになると、幼少時から習っていてもここまで来る人は1割程度だと言われている。

そして、そんなごく一部の人=アーリー組が、大人になってもヴァイオリンを続けていると、こういうわけだ。

しかし、アーリーにそんな自覚は多分ないはずで、それどころか超頑張って俺はここまで来た的な自負があり、これがレイトとの軋轢根本原因だろう。

まり、幼少時から始めた人が超上手くなって続けるか、そうならずにヴァイオリンを習っていたことそのものを無かったことにするかという両極端な事情をどうにかしないと、今後もこの憂慮すべき事態は続くと思われる。


ヴァイオリン、ちゃんと弾けたら本当に虜になる楽器なんだけど、色々大変なのが残念。

女王様は甘くないという感じである

2016-04-09

*[増田お嬢島部]

私の父は政令指定市で、オフィス用品販売リース業を営んでいる。曾祖父の代から文房具店、雑貨店音楽楽器店など時代の変遷に応じて事業を展開していた。

現在は、市役所企業の、例えばパソコンとかプリンターとか、そういうもの販売リースしたり、物品の委託購入を受注したりしている(市役所県庁取引できる企業が限られている)。

私は幼いころから社長令嬢としていわゆる「お嬢様」として周囲に振る舞ってきたし、周囲もそう扱ってきた。

それが自他ともに一番楽だった。だから私はピアノヴァイオリンもやったし勉強も体育もがんばった。やればできるわけだ。

取り巻き女子と、男子。が、たくさんいた。これが一番楽だった。

研修旅行で行った「島」で遭難した際も、何故か当然のごとくリーダーシップを求められた。普段私を陰でなんやかんや言うような人々でさえだ。

私はガールスカウトアウトドア素養があったし、大抵のことは自衛隊の人に教えてもらったからできた。キャンプは好きだった。

こういうのは私のような「深窓の令嬢」に任せるんじゃあなくて、あなたたち「庶民」的キャラの方が、あるいは「不良」系キャラの方が得意なんじゃないの?

思いきり相手批判したくなる感情はおくびにも出さず、「島」での27日間の遭難から救出まで振る舞っていた。明るく気丈に。

私の取り巻きの、一番のお気に入りは園池という女子だった。彼女は私の如上の「お嬢様」としての振る舞いと、裏の心性とを、物ごころついたあとかなり早い時点で看破していた。

から彼女には、年に数回程度だけれど「素」で接することが出来たし、彼女彼女でそれを他者に対しどうすることもなかった。名前五位鷺という驚くべき名前だった。

東京から越してきた彼女の方が、実は真にお嬢様で、世が世なれば和歌を読んだり牛車で移動するような、そんな身分の女だった。

彼女が「島」で破傷風になったとき、私はペニシリンを精製して投与した。他の人はこういうことに対しては役に立たなかった。

二人きりになった時、死を覚悟した彼女は、彼女の家に伝わる呪文のようなものを私に伝えてくれた。

文体学校で習った『梁塵秘抄』に似ていたから、その頃から彼女の家に伝わったのだろう。20分に及ぶ、苦しみながらの口述ノートに記した。

「島」の別の場所から救助が来て、重症五位鷺は「島」の病院搬送された。それ以来、誰も五位鷺の姿を見る者はない。

から、父の仕事聴くことがある。「島」の施設オフィス用品提供することもある。独立行政法人らしい。「島」に商用で出向くこともあるという。「島」ではなにか医療施設があるようだ。

彼女のあれは、本当に破傷風だったのだろうか。私は見ないようにしていた。大抵のことは知っているつもりだった。だから目を瞑った。

あの時、彼女の顔に黥面が現れたように見えた。黥面なんてみたことないんだけれど、黥面という言葉が、あの学校で習った古い中国文章に出てくる言葉が、唐国の人が東夷異文化表現した時の言葉が、ぴったりだった。そして目や髪や爪なんかも、この世のものとは思えない彩色になっていた。おそらく彩色されたものではない。紋様なんだろう。紋様だ。意味のある紋様のように思えた。おそらく全身に。が、なにも考えたくなかった。とにかく私の出来ることは現実的に知っていることだけで、ペニシリンを精製して投与することくらいだった。声すらかけられなかった。いつも一緒にいてくれたのに。うわごとで紡がれた呪文必死に書き写した。そうして彼女と別れた。

最近生体ネットを経由してデータ違法ダウンロードし、肉体を強化する人が増えている。麻薬のようなもので歯止めが効かなくなり、やがて身体をコントロールできなくなる。そんな時、不思議なことに体に黥面のようにコードが浮き出る。Java

子どもの頃、私は五位鷺の抱えた秘密を何一つ知ることもなく、また尋ねることもなかった。

大人になって、数社を経たのち父の業務を手伝うようになった。仕事を作って10年ぶりに「島」に赴く。

2016-03-02

[]月刊増田1月号

増田読者の増田の皆さん、読み逃した増田はありませんか?

おおむね10ブクマ以下を目安に、もう少し評価されてもいいのになーという増田を集めてみました。

http://anond.hatelabo.jp/20160101213351 童貞だいすき。

これがいつまで続くのだろうか、と思ってしまうが、幸せそうだからあいいか。うまくやってください。


http://anond.hatelabo.jp/20160102143038 ミニマリストの思い出

「夫の鉄道模型を妻が勝手処分ちゃう話」の初期のバリアント(夫がどんどん自分のもの捨てちゃう奴)を思い出した。背筋に同じ種類の寒気を感じるというか。


http://anond.hatelabo.jp/20160102191839 あれから3年

幼少から弾いていたヴァイオリンを本格的に再開した話。勇気づけられるが、読んでるだけじゃだめなのは明らかでもある。


http://anond.hatelabo.jp/20160103024325 ノスタルジーセックスコミュニケーション

だいたいタイトル通りだけど、普通に文章うまい。気が向いたらでいいので続きを書いてほしい。


http://anond.hatelabo.jp/20160104024330 ダメな奴の話

あなたはこの増田に石を投げられるだろうか。


http://anond.hatelabo.jp/20160110142936 男性教員女子学生から好かれる確率

これは面白い体験談。ある種の業界内幕話ではあるかな

http://anond.hatelabo.jp/20160131185333 教員女子学生交際する話

上の続編。実際につきあっちゃう人は……という話。


http://anond.hatelabo.jp/20160111034644 秋葉原のお触り系の店でバイトしてた話。

この手の風俗未満みたいなアルバイト体験談って一定の頻度で書き込まれる印象。増田向きの話題だとは思うけど。


http://anond.hatelabo.jp/20160111172921 (無題)ど田舎の村にふるさと納税たくさんしたら返礼品届けに来た女の子

こんだけ楽しそうなのほんとすばらしいと思う。自分で書いたらいいと思う。


http://anond.hatelabo.jp/20160111222228 過労死しそうだったホテル責任者が怒り心頭・・ていうかさ。

増田常連、というほどではないけど時々現れるホテルのひと。いろいろぶっちゃけて書いてくれるのでけっこう好き。


http://anond.hatelabo.jp/20160111223730 僕は心に童貞を飼っている。

後半の自己分析が少し腑に落ちない。


http://anond.hatelabo.jp/20160112011532 死にたい波がやってくる

増田は意外とおせっかいで、こういうエントリにはだいたい励ましや共感トラバがつくんだけど、これはブクマも0でトラバがご覧のとおりなのでちょっと気になっている。今更だけどだいじょうぶ?


http://anond.hatelabo.jp/20160112060330 増田に書けばフィクションって事で済まされるよね!25

正月明けの神社の寸描。普通に面白いんだけどトラバが(元増田のも含めて)びっくりするほどクソ。


http://anond.hatelabo.jp/20160112091927 元デブから言わせてもらいたいこと。

リアクションほとんどなかったけど、これはわりと大事なことで、なぜか太ってるのって自己責任だと思われがちなんだよね。必ずしもそうではない、ということ。


http://anond.hatelabo.jp/20160112183533 スーパーマーケットレジ待ち時間理論

増田名物馬鹿馬鹿しいことを真面目に考察するねた。でもレジ待ちは題材としてちょっと有用すぎるし考察ももう少し執拗さがほしい。


http://anond.hatelabo.jp/20160112183433 (無題)私は一人でアメリカ東海岸とある空港に降り立った

ねたとしてはそこまで珍しくなく、一歩間違えばあざとくなりそうなところを踏みとどまっていて、何故だろうと思ったら実は……という話。

http://anond.hatelabo.jp/20160113151106 Re:

上の話の続きを別の人が書いた続編。文体が少し軽いのが惜しい。もう少し淡々と書いていた方が味があったと思う。


http://anond.hatelabo.jp/20160113192011 好きな人セックスをした。

短いけどなにか切なくなるような文章。ずっと続くといいね


http://anond.hatelabo.jp/20160114015909 ある夕方、駅のホーム

どうってことな日常の寸描だけどほのかなノスタルジアが漂う文章


http://anond.hatelabo.jp/20160119235245 21歳、デートを考える

なんだかかわいい増田都内にお住まいのようなので散歩をすすめる。適当に歩いてもそれはいろいろなものがあるしやがてはどこかの駅に着くから


http://anond.hatelabo.jp/20160121073207 人生賞味期限

人生に遅すぎることなんてない。


http://anond.hatelabo.jp/20160125055451 新年会の後で

続きが気になる。


http://anond.hatelabo.jp/20160127020314 失恋した

そういえば失恋ねたも増田には多い。まあ元気出してね。自己申告がほんとならいい男いくらでも見つかるよ。でもハイヒールでは走らない方がいいよ。


http://anond.hatelabo.jp/20160131160415 TKC会計事務所

会計事務所業務の話。タイトルには TKC って入ってるんだけど、わりと一般的な話も多い気がする。この人たぶん以前個別の事例の話をフェイクを入れつつ書いてた人じゃないかな。そうだったらまたああいうの書いてほしい。
 →消えてた。ざんねん。


http://anond.hatelabo.jp/20160131130635 3速で登った峠は3速で下る

例のバス事故関係の話。碓氷峠の図がかわいいバスでも同じ挙動なんだろうか。


http://anond.hatelabo.jp/20160131091646 Copy__writingと中の人Fall(TM)の動きと女子高生に関する考察(minne事件以降)

最近の動向って意外と見なかった気がする。まあ知ってどうなるものでもないのだが。


http://anond.hatelabo.jp/20160131034108 妹のことを思い出した

持つものと持たざるものの話。一般論としてありそうなのだけど互いの趣味に具体性が欠けていて没入感が低い。



1月分は以上です。たぶんもうやりません大変すぎる。月刊増田でした!

2016-01-02

あれから3年

http://anond.hatelabo.jp/20130102142639

↑の日記を書いた元増田です。

丁度3年経ち、近況を書いてみる。


元の日記を書いてから程なく、ヴァイオリンソロレッスンを再開した。

そして、今年からモーツァルト協奏曲(某有名教本のラスト2巻に載ってるアレ)を習うことになった。

あれから更に色々調べたのだが、普通モーツァルト協奏曲の3・4・5番のいずれかを弾き、メンコンという流れらしい。

なので全てが順調に行けば、年内にも念願のメンコンに取り掛かれる可能性が出てきた。

はいえ、先生とは

メンコンで学ぶことはメンコンしか学べないことだけにしましょう。つまり、それ以外に必要技術はより簡単な曲で身に付けておいて、メンコンに取り掛かったら一気にクリアする方向で」

約束しているので、自分の実力次第ではメンコンの前に「寄り道」する可能性はゼロではない

結局、ここまで来るだけで3年かかったわけだが、これが早いのか遅いのかは良くわからない。


正直レッスンは厳しかったけど、付き合ってくれた先生には感謝している。

当時はわからなかったが、レッスンを通じて自分の実力を正確に把握できるようになって、自分目的がいかに身の程知らずだったか痛感させられたからだ。

狩りに例えるなら

「弓矢の基本的な使い方は分かっていて、小動物くらいは狩ったことあったかな」

くらいのレベル

「トラを狩りたい!」

と吹いたようなものだ。

普通だったら

あなたさー、もういい歳なんだから寝言は寝てから言いましょう?」

門前払いされかねない話なのに

「なるほど、つまり増田さんは本当に上手くなりたいんですね?」

と前向きに解釈してくれたのは幸運だった。


ちなみにこの3年間でやったことは以下の通り。

これらを体得するためのレッスンは、上述の通り厳しかった。

もう毎回

「ああ、今日も弾けなかったな」

と半泣きで帰ってくるのが当たり前だった。

え?レッスンでそんなの普通だろって?うん、そうだね、変なこと言って悪かった。


そんな厳しい修行っぽいことをここまで続けられたのは、レッスン以外でアウトプットの向上が確認できたからかも。

主にオケカルテットで。

オケは毎週練習があるので、レッスンで教わった時はたとえ半信半疑指導内容であってもオケでは即実践、それも非常に難しい曲を弾く中で実践

「おお、確かにこれはいい!」

と必ず納得する結果になった。

そして最近

増田さん上手いから」「増田さんと同じプルトだったので本番は安心して弾けました」

と言われるようになり、更に今まで全く相手にされていなかった「主にコンマスと2ndトップ+αで構成される、よく弾ける経験者の互助会的仲良しグループからトップサイド(トップの隣の席)へ頻繁にお呼ばれするようになった。

これは別に偉くなったわけではなく、狩りに例えるなら「この人なら確実にこの獲物を狩ってくれる」という信頼を得たことを意味する。ってモンハンかよ!モンハンやったことないけど。

逆に言うなら、以前の自分の腕前は「幼少からやっていてその程度」だったわけだ。それどころか、率先してノイズを出しまくっていた自分は、パート内でも腫れ物ないしアンタッチャブル存在になってしまっていた。

その頃と比べたら、今の周囲の扱い方の変わりようは驚異である

一方、カルテットオケと違って本番という期日がないので、同じ曲を数カ月ぶりに弾いてみる機会が結構あるのだが、弾くたびにより弾きやすく、かつ綺麗な音が出るようになっていて、メンバーから評価も上々だったり。また、弾ける曲も徐々に増えてきた。

こうした実践の場があったことが、レッスンを続ける原動力になったのは間違いない。


以前、先生から

「弾けないと楽しくないんですよね」

と言われたことがあって、その時は全くピンとこなかったけど、今だいぶ弾けるようになって、確かにその通りだった。

しろ、今が一番弾いていて楽しいのだ。もっと上手くなればもっと楽しくなるだろう。

勿論、弾けないなりに楽しみを見つけるやり方も全然アリだと思うけど、自分はそこまで器用じゃなかった。

だって物心ついた頃からやってることはもう体の一部であり、心の一部であり、人生の一部なのだ

それが誰から評価されず、自分でも納得できないとか、ケツの座りが悪くて仕方がない。

そんなことに今頃気付かされた。


とにかく、こうなったらもっともっと上手くなって、プロにはなれないにしても、セミプロ級くらいには高めたいと思っている。

その為に、メンコンの更に先、最終的に目標とする曲も既に決めつつある。

今はまだ夢のまた夢だけど、夢に若い若くないは関係ないし、希望はいだって大切だと思う。

そんな決意を新たにした新年だった。

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