はてなキーワード: 心理学とは
音楽もミリオン連発、ゲームはPSブームで世界制覇、少年ジャンプは絶頂期、日本のGDPが対米7割近くあったし、90年代半ばは大衆文化に限ればずっとお祭り騒ぎだったようなイメージがあるわ。
現代の生きづらい心の〇〇自認公認ブームは90年代のアダルトチルドレンブームが基盤にある
精神科が雨後の筍のように新設されメンヘラというカテゴリができたのもこの頃
クリントンや東ちずるが自認していた
月20ドル払ってサブスクしてるChatGPT(GPT-4)に行動経済学の観点からアドバイスしてもらったよ!
増田さんが書き込んだ内容を読みました。増田さんは自身をHSP(Highly Sensitive Person:高感受性の人)と認識し、その特性が婚活に影響を与えていると感じているようです。また、自分の行動について反省の念を示していますが、同時に自分の感受性が高いことを理由に、自分の行動を正当化しようとしているように見受けられます。
行動経済学の観点からアドバイスをすると、まずは自己認識と自己制御について考えてみてください。行動経済学は、人間が完全に合理的な選択をするという経済学の前提を問い直し、心理学的な要素を取り入れて人間の行動を解析します。その観点から、自分の感情や感受性が高いことを理解し、それが自分の行動にどのように影響を与えているのかを理解することが重要です。
次に、自分の行動が他人にどのような影響を与えるかを考えてみてください。自分の感受性が高いことを理由に、他人を傷つける行動をとることは許されません。他人の感情や立場を尊重し、自分の行動が他人に与える影響を考慮することが大切です。
また、自分の感受性が高いことを理由に自己制御を放棄するのではなく、自分の感情や感受性をコントロールする方法を学ぶことも重要です。心理療法やカウンセリングなどを通じて、自分の感情を適切に管理するスキルを身につけることができます。
最後に、自分の感受性が高いことを理解し、それを受け入れることも大切です。HSPは一部の人々が持つ特性であり、それ自体が問題ではありません。しかし、それが自分の行動にどのように影響を与え、他人にどのような影響を与えるかを理解し、それに対処する方法を学ぶことが重要です。
https://togetter.com/li/2139063
「文学部」の言う「文学」というのは「人文科学」のことであって、哲学も史学も言語学も心理学も文学部でしょ。文芸のことを俗に「文学」と呼ぶこともあるけど、それは大学で学ぶ「文学」の部分集合であって全体集合ではない。
理学部の数学の授業でもね、「ところで最近の研究では……」と「無駄話」ばかりして授業がさっぱり進まない人がたまにいる。そういう授業を求めてる人もいるかもしれないけど、私の場合、その人の授業はさっぱり身につかなかった。
そういう話が聞きたいなら研究集会に行った方がいい。授業をわざわざ聞きに来ているのは、基礎固めがしたいからであって、研究の種を探しに来ているわけではない。少なくとも私はそう思った。
neogratche 皆さん、これが所謂「projection」というものですよ。増田本人が性欲ひけらかす無恥者、という事です。しっかり覚えていってくださいね
なのに何の根拠も述べずにレッテルだけ貼ってる時点で、ただの個人への嫌がらせでしかありませんよ。
だったら、あなたたち自身が指摘が図星だったので回避したくて projection してるんじゃないんですか——とも言えてしまう。
具体的には、人を見下してしまったり嫌味を言ってしまったり小さなプライドで自慢してしまったり自己中で他人の気持ちを考えなかったり。
大きな原因は父親が人の悪口ばかりいうタイプだったからかも。いわゆるモラハラ父親だった。育ちが悪いので家庭環境が起因の1つな気がする。
(こうやって人のせいにするのも性格が悪いですね)
社会人になり、わりとまともな会社に入ることができ、よい家庭(金持ちとかではなくモラルがちゃんとしている家庭)で育った人々と友達になり
自分の行動を振り返り、あ私攻撃的でやばいやつだったんだなと気づいた。
普通の家庭はテレビ見ながら出演者の悪口を言わないことを初めて知った。
大学生までは「ドSキャラだね〜w」で通用したけど大人では通用しないな普通に嫌われるわと気づいた。
そこで、一般的に言われる良い性格になる訓練をすることにした。
具体的にはTwitterで思ったことをツイートして、それを定期的に見返して誰かを傷つけたりするような言動じゃないか振り返ってた。
数日後見返すと、これ見下しグセ出てるな〜っていうのがわかる。
お恥ずかしいのですが、10年前は自分の行動がモラルに反してないか判断ができなかった。
なので、自分の判断や言動に迷ったとき「この人素敵だなーと思う人はどう行動するかな?」を想像して動くようにしてみた。
具体的には、誰かにムカついた時とか。
昔は舌打ちしたり、裏でめちゃくちゃ悪口を言ったりしてた(今思い返すとほんとに関わりたくない女)
でも、会社同期の明るくて尊敬できる○○ちゃんはそんなことするか?どう動くか?を考えて行動するようにしてみた。
その結果、相手の事情や都合をちゃんと考えて冷静になれるようになった気がする。当たり前よな。。
自己中なのでゴミ捨て場の入り口にゴミ袋をポイっと捨てたり、ペットボトルや缶も分別せず適当に捨てたりしてた。
これはいい家庭で育って人の気持ちを考えられる尊敬できる夫から、ゴミに関わる人々がどう思うかという想像力を学んだ。(付き合いたての時に)
ゴミ袋を入り口に捨てると他の住民が邪魔に感じたり、ゴミ捨て場の奥に余裕があるのに捨てられなくなってマンションの管理人が困る。
これは細かすぎる例だけど、こういった事例から「夫だったらどう行動するかな?」「関わる人はどう思うかな?」を考える癖をつけた。
ここまで書いて、小学生の道徳の教科書レベルの話で自分でドン引きしている。
10年ぐらいこのプロセスを踏んでるけど、ムカついた時に瞬間的に心の中で「このブスが!」などと思ってしまい根本は直ってないと感じる。
もう一生直らない気がする。
が、一呼吸おいて上記の思考プロセスを経るクセはついて、人当たりはだいぶ良くなったのかなと思う。思いたい。
ことだけど、それはテロを起こした「理由」であって「原因」ではない。
カルトに人生を破壊された被害者がテロリストになる、というのは全然自明ではない。
カルト被害者がテロリストになりやすい、という傾向も別にない。
実際、小川さゆりさんはじめ、山上以外の統一教会被害者でテロを起こした人間は一人もいない。
山上個人の精神医学的な問題とか政治的暴力を肯定する何らかの言論状況にあると考えた方が良い。
というか山上が狂った原因の中で大きいのは明らかに統一教会だが、
そこに焦点を当てるとテロを防ぐという目標を達成するにはあまりにも回りくどい話になってしまう。
テロの「原因」をなくすことと、統一教会を解散させて同教会と政治の癒着を批判するのは話がズレていると思う。
心理学とか犯罪社会学とか、欧米のテロリズム研究も参考にして、もっと真剣にテロの真の「原因」について考える必要がある。
「テロをなくすためにカルトをつぶします」だと、カルト被害者をテロリスト予備軍扱いしているみたいで失礼でもある。
とはいえ、個々のテロが起きた「原因」と「理由」を完全に分離するのは難しいし、
「テロの「理由」を一切報道するな」とかいう一部の人間の主張は完全にバカげている。
テロリストが何を考えてテロを起こしたかについて理解できずに、どうやって次のテロを防げるというのか。
あと、テロをなくすかどうかと関係なく、統一教会が糞なカルト集団には変わりないし、カルト問題は解決すべきだ。
んーとだから、法律は道徳ではなくて、道徳を使った普遍的なルールなので、借りたものは返せとか、なんか、そういう誰でも分かるような、道徳を発見してそこに書いてあるだけなように思いますが、
モチーフの理論っていうのは、そういう細かい道徳をまとめあげて、条文化して統一するような哲学的指導原理で、まあ、そういうものを作ってみようというわけです。
それでですね、民法22条と、民事訴訟法のなんとかという条文が、普通裁判籍とか住所という概念でつながっているというのが、明治時代にいた、我妻栄先生の理論なんですね
こういう理論は、法律の間のいたるところにあって、全然関係ない条文同士が最高裁の解釈によってつながったり統一化されたり、最高裁判例として定式化されたりするわけですよね
あで、私がしたい話は、そういう近現代法律というかそういう世界にも色々なことがあったんですけども、じゃあそこにある、ルールを発見するとかっていうことが何から出ているかの方が本質的な
わけですね。真理というのは深いところに収まっているのでけっこう真面目に注意して引っ張り出さないといけないところがあるから難しいわけですが、法律全体を説明する技術の方になると哲学者の
誰が見ても美しいものがあると言われますが、道徳の真理を引っ張り出す作業に関しては、数学者のハーディが驚愕の一要素からくると言ってますがよく分からないところがあってまあ色々あるわけですが
法令を作る作業は結局そういった美への統合心理学とかそういうのが流行った時代が60年くらい前にあったんですね、で、裁判所が流行していた時代もあったんですけど
裁判所と数学は何も関係がありませんが、裁判所というのは何かというとただ大きいだけでやってることは法令の解釈だけで、どっちも生成の宇宙みたいにはなってますが、いまどきはそんなものはないと
昭和30年代頃は裁判官が新しい法解釈を編み出したとかいっていましたが、裁判官は戦後憲法の神のようなもので裁判官がする決定や命令といった概念は、数学にも、決定や命令といった概念
が大量に出てくるので司法と数学はつながってるんじゃないかと思われますが、まあそういうあこがれみたいなところがあるわけですね。
政治家や有名人のやらかしツイートに、あの画像を張っただけの批判的なリプライをする人たちも、まぁいつぞやに見た気がする。
ところで、そのリプライをした人は、「ダニングクルーガー効果」をどの程度知っているのだろうか。
そもそも心理学や心理統計学を学んだことは?心理学実験法について学んだことは?
おそらくほとんどの人がNoだろう。
それにもかかわらず、「ダニングクルーガー効果」を使って他者を公然と批判する。
これこそまさに、「ダニングクルーガー効果」をほんの僅か見て分かった気になり、まさにその「分かった気」という自信過剰の罠、自分自身がそれに囚われていることに気づかない。
その視点を、自己に向けることが、その話題の時でさえできていない。
かくいう私も、ダニングクルーガー効果の論文を詳しく読んだことはない。
いくらかの実験上の問題点や、表現上の誇張が批判されていることを小耳に挟んだ程度だ。
おそらく、彼らのほどんとはもっと不勉強で、その不勉強さに気づいてすらいない。
私自身も似たような過ちをどこかで犯しているに違いない。
自戒を込めて。
でも言いたいことは横増田がいってたな。
だけど、「社会的ロール」の理解がお前は雑だな。社会的であることを、人工物であるとか、自然ではないとか、変更可能であるとか、強制力の産物であって不要であるとか、考えてるだろ。
アリの巣が社会的であるように、社会的であることと、生与であること・生物として必要であることは、両立する。
わかるけど、昔の理論のなにが批判されてきてるかは勉強してないようだな。
例えば、「ジェンダー」という概念は、20世紀のアメリカ教育学の悪影響下にあって、実際より広く理解されてきたことがよく知られている。男の子が武器を好きなのは社会的に影響のせいだってことにして、取り上げておままごと強制したりね? 実際には、多くの男の子は武器が生まれつき好きだ。
お前の話からは、社会と教育次第で、性別なぞ如何様にも変えうるみたいな、過去の間違った理論の影響が見て取れるな。
あと、唯心論の話もしてるな。心は実際には脳に存在しない、だとか。それも心理学の古い立場の一つで、脳科学の発展によって淘汰されつつある考え方だね。心は脳にある。少なくとも、脳の物理的病変で心の形態は変わってしまう。
唯心論は、デカルトの心身二元論がベースなのでなんか論理っぽいし、、魂みたいなもんを想像させて受け入れてやすい、今でもたまに信じてるやついるけど、基本的にはもつ使えない考え方だ。ぶっちゃけ宗教だよ。
ジェンダー界隈の人文学の理論ってさ、明らかに生物がらみなのに、理系科学から切り離されちゃってるせいで、古典で学ぶと、そういう間違いが結構残ってるのよ、
現代はそういうとこ是正しようとしてるはずだけど、まあ俺やお前みたいな年寄りが、大学時代に教科書で読んでたような理屈は、結構ヤバいと思っていいぞ。
社会活動団体のパンフレットもやばい。俺ら世代が作ってるから。
別にお前の、全ての人が幸福と自由を得ればいよね的な、結論部分とかに間違いって言う気はないんだが、途中の理屈が明らかに間違ってるんだわ。
つまり、アマゾンのレビューを、「ご入学おめでとうございます」をアタマに付けてあたかも入学式でのスピーチかのように演出して、誰が気付くかな〜?ってやってたということ?
心理学では統計が重要だというのは知ってたから、疑問を抱かずによみとばしてたよ…。読みにくいのは講演書き起こしだからだと勝手に納得していたよ…。
そしてアマゾンレビュー見てきたけどのどの部分かあんまりよくわからなかった。元増田の一部をコピーして検索しても、うーん。いつも思うけどアマゾンのサイトもわかりにくいしな〜。
レビューみんなツイッターがどうのこうの書いてあるけど元増田でツイッターって単語出てきたっけ?かなり改変してる?いや、そもそもまだ元増田をキチンと読んでないから…でも読みにくいんだよ…
攻撃されている人(仮にA)をかばうとしよう。最近分かったが、想像力の低いサイコは「お前がAをかばうということは、お前もAと同じ何かを持っているからだ」などといい始めるようなのだ。
普通の人は、弱い立場の人が強い立場の人や集団から攻撃されていることを「いじめ」などと呼ぶ。そして、いじめは悪いものと考え「攻撃ではなく、 話し合いなど、もっと穏健なやり方はあるだろう」と考えるが、サイコはこの発想を理解せず、何らかの派閥間の対立でしかないと考える傾向にある。あいつらの発想の根本は「敵の敵は味方」である。
私はとある自称インテリが「自称GAFA」を批判しているのを目にした。確かに、インテリを自称するのと同じく、肩書詐称をするような連中はロクでもない連中が多い。
しかし立ち止まって考えてみると、奴が悪いと思うものを攻撃する過程で、弱者が巻き添えになっていることに私はすぐに気がついた。その弱者とは倉庫作業員である。中には、冗談のトーンで「GAFAで働いている」と言う人もいたが、嘘は言っていない。
奴は頭脳労働系という自分の肩書を誇るあまり、倉庫作業員という弱者を「GAFAを自称するどうしようもないダメな奴ら」のように扱っていた。それは傲慢としかいいようがない。
自分より強い人間に立ち向かうことは自己の権利を守るという観点において許容されることはあっても、弱者を攻撃するのは権利を奪う行為に繋がり、それを堂々とやるのはサイコの特徴と言える。
しかも自称インテリみたいな傲慢な連中は「サイコ」と認定すると喜び始めることもあるから厄介だ。あいつらは「マキャベリ」がダークトライアドという悪の性質の一つであるということを無視して、マキャベリの名言を引用し始めたりする。そして都合が悪くなれば「心理学に再現性がない」だの言い逃れをする。常識的に考えて他者を操作しようとするのは非倫理的とわかるが、わかっていないような奴ほどインテリを自称しているわけだ。
弱者が自信満々になって、傲慢な強者を批判すると、サイコは「あいつらは何も持っていないのに、なんであんなに自信があるのか」などと言うらしい。こういう発想が、まさに権利を守るという当然の行為への共感性がない証拠である。