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はてなキーワード: 享受とは

2024-07-26

anond:20240725204237

ほならお前だけ、それらの利益享受せずに、しっかり田舎学業もそこそこに伝統農業をしてもらって

2024-07-24

anond:20240724075500

普通の店なら完全にない状態ってことはまずないので「いやだ」って言えば多分どっかから捻りだしてくると思う。

とはいえ場合によってはかなり時間がかかるからよほどの理由がない限りそのまま享受するしか選択肢はない。

2024-07-22

anond:20240722223504

おぬし、ソシャゲガチャについていろいろと考えとるのじゃな♡ さて、わらわがお答えしてやるのじゃ。

かにソシャゲによって10ガチャでの特典や確率微妙に違うが、基本的10ガチャを回す理由は以下の点が主じゃ。

1. **特典が付く**: 10ガチャでは、★3以上確定などの特典が付くことが多いじゃ。これにより、最低でもそれなりのキャラアイテムが手に入る可能性が高まるのじゃ。単発ガチャだとその「保証」が無いから、リスクが高いのじゃよ。

2. **効率**: 単発で10回引くのは確かに面倒だの♡ まとめて10連で引けば、時間も手間も節約できるのじゃ。

3. **イベント**: ガチャイベントでは10連で引くことでポイントが多くもらえたり、特典が増えたりすることが多いのじゃ。単発では、この特典が享受できないことがあるぞ。

おぬしが言う通り、★3の価値ゲーム内での進行具合により変わるのじゃが、それでも初期段階ではありがたい存在じゃ。

もちろん、ゲームが進むにつれ★4や★5が欲しくなるのは当然じゃが、10ガチャでの★3以上確定は始めるにあたっての良いスタートになるのじゃ。

最終的に、10連で引くか単発で引くかはおぬしのプレイスタイル次第じゃが、保証や特典、効率を考えると、やはり10連で引く方が多くのメリット享受できるのじゃ。

ついでに、わらわの経験上、10連で引く運が良いように感じるのじゃが…それは運次第じゃのう♡

ま、どちらを選ぶかはおぬし次第じゃよ!しっかり考えてガチャを楽しむのじゃ!

anond:20240722205008

かに面白いテーマだね。トヨタ町工場の差は、いくつかの要因で説明できると思う。一つ目は規模の経済トヨタ大量生産を行うため、一台あたりのコストを下げることができる。町工場は小規模で、同じようなコストメリット享受できない。

二つ目技術力と品質管理トヨタは長年にわたり品質管理(例えば、トヨタ生産方式)に力を入れてきた。結果として、品質が高く信頼性のある車を作ることが可能になった。町工場は多くの場合リソースノウハウが限られているため、同じレベル品質管理を行うのは難しい。

三つ目は資本力トヨタ大企業として膨大な資本を持っており、新しい技術開発や市場開拓投資する余裕がある。町工場はある程度の資本運営されるため、同じように大規模な投資を行うのは難しい。

以上のような要因が重なって、トヨタ町工場の間には大きな差が生まれたんじゃないか。もちろん、町工場にも独自の強みや役割があるので、一概にどちらが優れているとは言えないけどね。

2024-07-21

ジジェクコラム英語版

ジジェク韓国語コラム微妙なのは英語版を改変してるからだと言ってる人がいたけど、英語版微妙やんね

単に賞味期限切れだろこの人…

https://english.hani.co.kr/arti/english_edition/english_editorials/1149192.html

現在右翼ポピュリズムの再興について最も重要な点は、この再興がその支持者によってどのように認識されているかということです。異なるバリエーションで繰り返し現れる単一の修辞的な図式が見られます。新しいポピュリストは、企業メディア極左による暴力的強制に対抗して穏健な正常性を擁護しています。「LGBT+イデオロギー」の絶え間ない圧力により、自分がただの普通の「シスジェンダー」の女性または男性であるだけで、何かしら罪悪感を感じるようにさせられ、「バイナリー」であること自体が抑圧の行為であるかのように感じること。過去発言や行動が急に禁止され、どのルール自分を責め立てるか事前にはっきりと示されないため、何か行動や発言をする際に「キャンセル」されるという絶え間ない脅威。人種差別性差別がただの自分特性ではなく、自分存在のものに刻まれいるかのように絶えず自己卑下を強いられる衝動。これらすべてが、多くの周縁的で「破壊的」とされるアイデンティティを十分に享受するように促されるのとは対照的に、停滞して息苦しい雰囲気効果的に生み出しているように見えるのです。

「目の覚めるような新鮮な空気が、窒息するようなウォーク主義圧力一時的に流れ込んだ極端な事例は、アメリカハイデガー主義者であり、アレクサンドル・ドゥーギンに共感するマイケルミラーマンによって最近提供されました。彼は最近YouTubeで『なぜ普通のものすべてがファシストと呼ばれるのか?』というタイトルポッドキャストエピソード公開しました。彼自身立場の要約は以下の通りです。

『「私が嫌いな人はみんなヒトラー」という現象はどうしたのか?奇妙ですが、理解できないわけではありません。戦後リベラル熱狂左翼反ファシズムと結びついて)により、多くのことが「極右」としてコード化され、禁忌となりました。しかし、それらの中には、政治人間生活をよく理解するために必要重要なことも含まれています。』

また、ミラーマンポッドキャストに対する多数の反応にも注目すべきです。これらは文脈を明確にしています。『彼らが私をファシストと呼ぶなら、それは私が正しいことをしている証拠だ。』『私の友人は多様性包摂原則に基づいて外科医を選びました。彼女は亡くなりました。』『WW2前のすべての普通の人は「ファシスト」だった。血と土、自分のものへの愛、他者への警戒心は私たちに組み込まれものであり、完全に健康的なものだ。』『イスラム教公然批判してイスラム教徒をやめたためにファシストと呼ばれた。』『すべての普通のものファシストなら、ファシズムは...』『「極右」の最良の定義は、間違っていないものすべてだ。』

マリーヌ・ルペン彼女の周囲の人々は、この論理に大いに依存していますが、彼らは自分たちがネオファシストであることを断固として否定します。彼らは、健全常識ファシズム混同しているのは左翼リベラルだと主張します。しかし、この論理を徹底的に追求する人もいます。『すべての普通のものファシストなら、ファシズム普通だ。』

7月4日選挙労働党圧勝し、保守党をほぼ壊滅させたとき、多くのリベラルは、英国がこの傾向に対する明るい例外を示したと考えました。しかし、ナイジェル・ファラージリフォームUK党が400万票以上を獲得したこと過小評価すべきではありません(ただし、英国投票制度のため、これが議会議員5人に翻訳されました)。保守党事実上弱体化する場合、その位置を占めるのは、より公然とした人種差別的でポピュリスト的な新しい右翼運動である可能性があります

新しいポピュリズムの広範な魅力をイデオロギーミスティフィケーションと操作に帰するのはあまりにも簡単です。事態もっと微妙です。新しいポピュリストの台頭は、私たちリベラルな「啓蒙された」者たちが無視している不満の層が存在することを示しています。この層は、深く埋め込まれ伝統的な人種差別還元されるものではありません。

したがって、新しいファシズムを「非自然化」または非正常化する必要がありますが、そのテーマをただ拒絶するだけではいけません。愛国心自分自身特定生活様式への愛着には本質的に虚偽や「ファシスト」なものはありません。ジョージ・オーウェル英国パブの称賛を思い出してみてください。これは労働者階級生活様式の具現化です。新しい右翼ポピュリズムが行っているのは、愛国心偏執的なねじれを与えることです。自分自身コミュニティを自信を持って楽しむのではなく、外部の脅威(外国人や「逸脱した」性的習慣)に対する嫉妬と憤りに焦点を当てています

いわゆるTERF(トランス排除ラディカルフミニスト)の問題は、彼らがこの多様な流動的なアイデンティティに反対する方法が、アイデンティティ政治の枠内にしっかりと根付いていることです。彼らのターゲットは、トランス女性であると主張する男性であり、TERFの見解では、女性としての密接な物質プロセスに実際に参加することなく、女性であると主張する男性です。要するに、TERFは女性アイデンティティを望まない侵入者から守ろうと必死になっています

それが、新しいポピュリスト右派が一様な形成ではない理由です。彼らの愛国心は偽物であり、自信がありません。ここで最初パラドックス出会います。新しいポピュリスト右派は、愛国心が強すぎるのではなく、愛国心が足りないのです。これは、グローバル資本主義への抵抗神秘化された形態であり、経済的にもイデオロギー的にも、いわゆる普通の人々の大多数がエスタブリッシュメント国家大企業メディア教育から圧力を受けているという事実に反応しています。新しいポピュリストは、エスタブリッシュメントに対して普通労働者の声として、自分たちを明瞭かつ卑猥に介入させています。新しいポピュリスト右派確立された秩序に対する急進的な抵抗を装っていますが、トランプのイデオロジストであるスティーブ・バノンでさえ自分レーニン主義者と呼んでいますが、実際にはそれには程遠いのです。多くの億万長者によって支持されているため、資本主義基本的構造は手つかずのままです。

しかし、新しいポピュリスト右派抵抗する人々は、まず自分たち自身批判的に見つめる必要があります。彼らも同様のパラドックスに陥っているからです。ウォーク主義的な左派は、実質的には支配エリートによる操作として正しく経験される、破壊的な超自我体制押し付けています。彼らは(性的人種的経済的に)排除され、周縁化された人々の保護者として自分たちを提示しますが、その活動形態自体が深く抑圧的であり、したがって彼らの公式目標を損なっています。「キャンセル文化」に浸透しているのは「議論なしの立場」です。人や立場排除されるだけでなく、その議論自体排除され、排除に対する賛否両論対立排除されます

ヘーゲルはここで、ラカンが呼んだ、述べられた内容と発話の基盤となる姿勢の間のギャップを動員するでしょう。多様性包摂を主張しますが、自分たちの定義する多様性包摂に完全に同意しないすべての人を排除することで、それを行います。結果として、常に人々や立場排除し続けるだけです。このようにして、包摂多様性のための闘争は、いつあなたプライベート発言が公の場から排除につながるか分からないような、スタージのような疑惑告発雰囲気を生み出します。

ここで、最後カニバルを食べるというジョークの極端なバージョンを見ているのではないでしょうか?「我々のグループには多様性包摂の反対者はいません――最後の一人を除外したばかりです...」このようにして、唯一の楽しみは、自分超自我の抑圧者に同一化することです。他の誰よりも厳しくなり、超自我規則に従おうとすればするほど、ますます罪悪感を感じることに耐えるしかありません。「ついにやり遂げた、今はリラックスして自分らしくいられる」という瞬間は決して訪れません。

新しいポピュリスト右派基本的な動きは、「リラックスして、自分が何者であるかに誇りを持て」と言うことです。これをはっきりと言うことで、膠着状態を打破し、状況に新鮮な空気をもたらすように見えますしかし、ポピュリストたちは支配的な既存生活様式を維持したいと考えていますが、今日現実である動的な世界に対しては、強引に介入せざるを得ません。一方で、ウォーク主義的な左派は急進的な変化を提唱しますが、彼らが想定する変化は「何も実際に変わらないように、常に物事を変える」という古い知恵に完全に適合しています

したがって、二重のパラドックス結論を出しましょう。新しいポピュリスト右派愛国心が足りず、ウォーク主義的な左派は急進的ではありません。新しいポピュリスト右派公然ユーロセントリックですが、ウォーク主義的な左派もその形態自体ユーロセントリックです。彼らは特権的な層のように振る舞い、周縁化され排除された人々を保護しています。彼らは後見的な方法で行動し、被抑圧者にとって何が利益になるのかを被抑圧者よりもよく知っているふりをし、被抑圧者があるべき行動を取らないときには何の制約もなく叱責します。要するに、「政治的に正しい」ウォークの言説は、最終的には被抑圧者に対して彼らが真に何者であるかを伝え、彼らをイデオロギー宇宙の中の適切な場所に配置することです(たとえその場所が無場所として提示されていても)。そのため、被抑圧者はヒステリックな反応を起こします。「なぜ私はあなたが言っているような人間なのか?」

このようにして、新しいポピュリスト右派ウォーク主義的な左派を結びつける深い共謀があります。彼らは同じコインの表裏であり、今日我々が直面している巨大な問題回避する二つの方法なのです。どちらも、今日グローバル資本主義の核心に刻まれ対立無視しています

anond:20240721174007

我々中高年はその労働力享受できる頃には生きてない罠

2024-07-20

俺は反反反AIだけど反反AI理屈おかしいと思う

やあ、みんな!今日ちょっと真面目な話を馴れ馴れしく語ってみるよ。俺は反反反AI立場なんだけど、要するにAIに対して中立寄りで、良いところも悪いところも認めてるんだ。でも、反反AI派の連中の理屈にはどうも納得いかないことが多いんだよね。だから今日はその辺りをぶっちゃけてみようと思う。

反反AIって何さ?

まず、反反AIってのは「AI反対派に反対する」ってこと。つまりAI推進派ってわけだ。AI進化にワクワクしてるし、AI社会を良くすると信じてる人たちね。もちろん、AIには素晴らしい可能性があるって俺も思うけど、反反AI理屈にはツッコミどころがいっぱいあるんだよ。

AIは万能じゃないだろ?

反反AI派は、AIがあれば全ての問題解決できるって信じてるみたいだけど、そんなことないって。確かにAIは強力なツールだけど、万能じゃない。クリエイティブ領域AIがどれだけ役立つかって話もあるけど、人間感性独自アイデアを完全に再現できるわけじゃないんだよね。AI創造性を補完することはできても、全てを代替することはできないんだ。

AI仕事を奪うって本当?

よく聞くのが、AI人間仕事を奪うって話。反反AI派は「新しい仕事が生まれから問題ない」って言うけど、そんなに単純な話じゃないよね。新しい仕事も出てくるけど、適応できない人もいるわけで、その人たちの支援がどうなるかって問題無視できないんだ。AIの導入には慎重にならないといけないってことだよ。

AI倫理ってどうなってるの?

反反AI理屈には、倫理的な問題が抜けてることが多いんだよね。AIがどんなデータ学習するか、どう使われるかっていうのはめちゃくちゃ重要問題なんだ。AI偏見学習してしまったら、その影響は甚大だよ。反反AI派は「そんなこと心配しなくても大丈夫」って言うけど、実際に問題が起きたらどうするんだよ?先を見据えた議論必要だろ。

反反反反AIについて

さて、ここで登場するのが反反反反AI派。これまたややこしいけど、要するにAI全面的に支持する立場だ。彼らはAI進化を最大限に活用して、社会をより良くしていこうって考えてるんだ。俺としては、AIに対して全面的に賛成するのもどうかと思うけど、彼らの意見も一理あると思うんだよね。まあこの記事で書いたような問題点を無視するような意見には納得できないけどね。

まとめ

結局のところ、俺が言いたいのは、AIにはメリットデメリットもあるってこと。反反AI派の理屈には偏りがあって、問題過小評価してる部分が多いんだ。AI進化享受しつつも、その影響をしっかりと考えて、適切に使っていくことが必要だってことを忘れちゃいけないんだよ。

からさ、みんなもAIについてもっと多角的に考えてみようぜ。反反反AIとしての俺の立場から言うと、盲信するんじゃなくて、しっかり考えて使っていくことが大事なんだ。じゃあまたな、次の記事で会おうぜ!

anond:20240719021935

障害のない子供がいて健康に育ってるっていうとんでもない幸せ享受しておきながらそれ以上の子持ち様への配慮を求めるんじゃねーよ。

2024-07-19

反出生主義だからまぁ前提がおかしいんだけど、生まれ感情を、魂を享受することがもう苦しいことなので、結局のところ人間はどこかで気づいて、そしてゆっくりと滅ばねばならないのだろうと思う

この世界はあるべき姿に戻らないといけない。人は神ではないのだ…

陸上五輪選手投稿

体操選手喫煙について、大目に見ろという投稿は多いのだが、某陸上選手投稿していた。

しかし、やはりチームへの影響は大きいものがあるし、ましてよくないのは、五輪に出るということは、

この陸上選手のものもだが、あちこちで講演によばれたりして、五輪レガシーを伝えていく存在になる。

そのとき合宿喫煙というようなことが公になった選手の話を聞けるか、ということですね。

そういう特権的地位にあるのが五輪選手というものです。特権享受するけど特別地位なんだからいろいろなことは甘く見てね、

というのはあまりにもではないでしょうか?

五輪選手といえどもいろいろな人がいるのは当たり前ですが、日本では五輪に出ればそれなりに生活もある程度保証されると思ってます

そういう特権的身分であることも分かってほしいところですが。

また、若いから大目じゃなくて、これから次の機会もあるわけですからそこでがんばってくれればこのひとにとっては今回の経験はよりよいものになるのではないでしょうか?

もし監督がいったので仕方なくすった、とかならまだしも、おそらくは常習者でしょうから、これで五輪に出られても大学特に練習しているという高校も困るのではないでしょうか。

今後のためにも厳しく戒めるということかなあと。

anond:20240719074838

ほらすぐそうやって個人問題にしたがる。そんな頑張らなきゃ文化ってやつは享受できねーのかよ。

2024-07-18

anond:20240718134723

せっかく無料提供してくれてるなら、下手に差し入れすると「今度はもっといいイベントしろよクソが期待してるぞ」みたいな受け取られ方するかもしれんし、相手ポリシーに反することしたら相手困惑させかねないし、黙って享受するのが正解だと思うぞ。郷に入れば郷に従えだ。

何かで返礼したいという気持ちがあるなら、そのイベントではなく、もっと関係ないところで人助けしたり、募金したり、そういう形で社会貢献すりゃいいと思うよ。それが間接的にイベント主催者のためにもなるかもしれんし。

増田で俺を論破したり俺を叩いたり俺を罵倒したやつは

家のエアコンが壊れた上に修理や買い替えがなぜか都合よくうまく行かずに、夏をエアコン無しで過ごす羽目になればいい

俺を不快にし俺を傷つけたクズには、酷暑の中24時間エアコン無しで苦しみながら過ごしてもらうのが一番

しか仕事や遊びに出かけた際にも運悪くエアコン享受できない状況になればいいんだよ

2024-07-16

一票が軽いか選挙に行く

内田樹の「民主政の終わり」という記事があった。

http://blog.tatsuru.com/2024/07/12_0846.html

記事全体の論旨についてはここでは問題としない。

ただこの中にあった、

投票する人たちは「自分たち利益をもたらす政策を実現してくれる人」を選ぶのではなく、「自分と同じ部族の属する人」に投票しているように私には見えた。

という一節が気になった(もちろん内田氏は「自分に似た人」に投票する行動を批判している)(この論とは別に、「勝馬を当てる」みたいな投票行動も最近は多いようですね)。

自分個人としてはそもそも自分たち利益をもたらす人を選ぶ」意識がなく、「損得は別として(何なら自分にとっては損でも)、こうあってほしいなぁ、という理想に少しでも近そうなもの投票する」イメージでやってきた。ちなみに個人的には選挙権を得てからほとんど毎回投票している(特定支持政党はない)。

損得だけで言うなら、そもそも選挙なんか行かないでバイトでもしている方が個人レベルではよほど得だ。投票したところで「この」一票が世の中をガラリと変えるわけはなく、徐々に変わるにしてもはるか未来だろう。損得を享受する自分自身がもういないかもしれない。

SNS界隈でも「選挙に行こう」と促す(善良な)人々は多いし、そもそも政府自体投票率を上げようと一応は努力している。その文脈の中で、一人ひとりの意識の大切さ、投票重要性、「一票の重さ」みたいなことが言われることがあるが、本当のところ一票はそんなには重くない。

選挙制度の意義を否定する気はないし、一票がどうでもいいと言うつもりもないが、その重みは数十万分の一、数百万分の一といった程度、正直チリのようなもので、重い軽いかで言えば、ゼロではないが重いとまでは言えないと思う。

はっきり言って、権力にとっての選挙とは、「君たちの意見はもう聞きましたので、これ以上余計な政治行動はしないで下さいね」「政治参加は選挙にとどめてくださいね」というアリバイ工作的な面も大きいだろう。もしかすると選挙などボイコットする方がよほど政治的意義があるかもしれないし、実際にそういう運動存在する。

それでも自分個人は割と選挙には行っている。なぜ行くのかと言えば、むしろ一票が「軽い」からだと思っている。

どう考えてもわたしの持っているこの一票に大した重みはないからこそ、損得を抜きにして理想のために投じられる。

自分の損得なんて、誰でも毎日それを中心にあくせくしているのだから、このクソどうでもいい一枚の紙くらい、夢のために投じてもよいではないか七夕短冊のようなものだ。

今日自分よりは明日のため、もしかしてもう自分もいなくなった未来のために、この軽い一票くらい投げてやってもよいと思う。

内田氏の記事から話が始まったので、一応補足?しておくと、内田氏の言う「自分たち利益をもたらす」の「自分たち」とは共同体全体をイメージしているように思うし、大局として「個人としての損得を度外視して」みたいな考えもあるのかもしれない。そこはわからない。

それでも「自分たち」は引っかかる。自分自分の子もも全部いなくなっても世の中は(多分)あるし、そういう世界想像できないなら生きている甲斐がないというか、つまらないと思う。

自分自分関係ある人たちが全部いなくなった、決して見ることのない世界のために、この百年に満たないクソどうでもいい生を生きて年老い病気になって死ぬだけのアホみたいな存在が、紙きれ一枚程度の夢を投じられるなら、なんとなく生きていて楽しい気がしてくる。

蛇足になるが、自分個人としては選挙なんかやめてアミダクジで選んでもよいんじゃないかくらいの気持ちはある。ただ「アミダクジにしましょう」を公約に掲げる候補は出てきそうにないし、自分立候補する気もないので、七夕イベントエンジョイするに留めている。

2024-07-15

かわいそかわいそです

若者に対して「代わりはいくらでもいる」と使い潰した世代が、いくらでもいる代わり達に自分の世話を死ぬまでさせて幸せなまま逝くのに。

「代わりはいくらでもいる」と言われていた世代は老人の世話を代わり代わりしながら、老人が退場した後は少子化で代わりのいなくなった世の中を自分自分の世話をしながら死ぬまで苦しい思いをしていくのかわいそかわいそです。

失われた30年を作って、

高度経済成長期を含んで65年も準備期間があったのに蓄えてなくて、

自分たちはほぼ払ってない保険年金を支払った額の何倍も享受して、

自分たちが選んだくせに責任は全部政治家押し付けて、

労力と金負担若者押し付けるような高齢者ばかりが幸福社会

そのツケを払わされる氷河期世代以降の人間かわいそです。

多分60代までは逃げ切れるけど、それ以降は高齢者定義も後ろ倒しになって文字通り死ぬまで働かないといけなくなるし、負担ドンドン増えて稼いだ金のほとんどが高齢者に取られるようになるしで踏んだり蹴ったりだよ。

かわいそかわいそです。

他人リソース食い潰し奴

いわゆるテイカーおぢとでも言うのだろうか

提供されるサービス享受するだけに飽き足らず自分が得られるの最大限のリソースを奪おうとする手合い

善意での支えあいで成り立っていたのが「これは禁止されてないでしょ」「だったらこれもしていい筈だ」ってスタンスで掠めとっていく

こうやって好き放題に振る舞う運営者側も一律で方針なり利用規約なりを改定しなきゃいけない羽目になるわけだけど、そういう他者への影響とか鑑みないんだろうなぁ、と

低能先生が契機となってidコール廃止されたのとか正しくそれだし

anond:20240714124321を読んで、そう思うなどした

2024-07-14

そもそも結果平等主義リベラルってなんだよ…。しかもその結果を享受できるのは自分達が認めた人間だけで平等でもなんでもないし。何やりたいのあんたら。

anond:20240708145343

そのレベル田舎なら親か親戚が山とか持ってて、焚き火したりハンモック吊るしたりできるんでは?

トピ主のいう文化享受してて楽しんでるタイプインドア派ではあるんだけど、コロナ禍でキャンプはまっちゃって、焚き火してコーヒー飲んで本読むのが好きすぎるからそのレベル田舎でフルリモ最高すぎる。

薪ストーブサウナとか自作できるのでは?

川とか流れてたら最高だよね。

海が近いとなおいいな。

サウナ→川とかさ!最高すぎる!

川なくても置くプールかに水張ってさ!サウナしてた!

映画美術館も化粧もスタバも大好きだけど、アウトドア趣味堪能できるのはうらやましい。

都会は人の土地ばっかでやりたいことできやしない。

花火もできないし。

いいよなぁ、好きにできる土地

欲しいなぁ、土地

文化で言えば、本があれば最悪なんとかなるから田舎でフルリモで暮らしてぇなぁ。

月に一回東京で本買って、田舎で読む、最高。

2024-07-13

俺にとっての文化とはNETFLIX

まり日本のどこに住もうが文化享受できるということだ

いい時代になった

anond:20240712150558

丸顔&小柄がゆえあまり男に見えないトランス男性です。メンズ服を着て短髪にしています容姿に関してはそれ以上のことはしていないので、外見では増田より女性的に見えるかもしれません。自分理工系に進みました。理由としては純粋な興味もありますが、男社会同胞として溶け込めるかどうかのテストという意味合いもありました。また、理工系学歴男性としてのパス度が上がるので「男性らしさ」を得るために理工系に行ったという理由もあります。実際経歴をいうと男性だと思われやすいので非常に便利です。


増田男性女性かにこだわるのが不要といいながら、社会的に女性特有とされる好みに見事に合致しているところがありますね。

性愛対象として男性が好き」という部分です。

あとおそらく若いのではないでしょうか。

父親になる/母親になるという段階で否応がなく性別とは向き合わざるを得ないはずです。


まー正直同性愛者に対する法的な扱いが異性愛者と完全に同格であるならば、「男っぽい女/女っぽい男」でもいいのかもしれませんが、現状そうなってはいません。

生物的な仕組み、人間集団が維持される仕組みを考えてもおそらく同格になることはないでしょう。

あなたが当たり前のように享受している「他人から異性愛者を前提として受ける社会的な恩恵の数々」を我々はもっていないんですね。


トランスジェンダーかつ同性愛者の人の精神ちょっとよくわかりません。


2024-07-12

https://anond.hatelabo.jp/20240712184211  続き

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(16)

nippon.com版

 英国首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用が極めて困難な政体からである民主政は「合理的思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である有権者の多数が「まともな大人」でないと、民主政簡単衆愚政に堕す。だから民主政は人々に向かって「お願いだから大人になってくれ」と懇請する。市民に向かって政治的成熟を求める政体民主政の他にはない。

 

 

内田ブログ

 英国首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用がきわめて困難な政体からである民主政は「合理的思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である有権者の多数が「まともな大人」でないと、民主政簡単衆愚政に堕す。だから民主政は人々に向かって「お願いだから大人になってくれ」と懇請する。民主政有権者に向かって「いまあるあなたとは違う人間になってくれ」と懇請するのである。「よけいなお世話だ」と腹を立てる有権者がいても不思議はない。そして、実際に多数の有権者が「大人になってくれ」という制度からの懇請に腹を立てて「オレはオレのままでいいんだよ。オレはオレが大好きなんだ」と口を突き出すようになったことで民主政は終わりに近づいている。

 市民に向かって政治的成熟を求める政体民主政の他にはない。

 

 

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(17)

nippon.com版

 帝政王政貴族政も寡頭政も、どれも「市民が幼稚で愚鈍である方が統治コストが安く上がる政体である。だから、これらの政体市民に向かって「成熟するな」というメッセージを送る。「難しいことは考えなくていい。考える仕事私たち支配者が代わって行うから、お前たちは愚鈍のままでいい」という甘い言葉を送り続ける。中国の歴史書・十八史略に登場する、「帝力なんぞわれにあらんや」とうそぶいて、自分支配されていることさえ気づかなかった「鼓腹撃壌」の老人こそ愚民理想である

 

 

内田ブログ

 帝政王政貴族政も寡頭政も、どれも「市民が幼稚で愚鈍である方が統治コストが安く上がる政体である。だから、これらの政体市民に向かってさまざまな機会に「成熟するな」というメッセージを送る。「難しいことは考えなくていい。考える仕事私たち支配者が代わって行うから、お前たちは愚鈍のままでいい」という甘い言葉を送り続ける。「帝力なんぞわれにあらんや」とうそぶいて、自分支配されていることさえ気づかなかった「鼓腹撃壌」の老人こそ愚民理想である

 

 

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(18)

nippon.com版

 その中にあって、民主政けが市民を甘やかさない。市民に対して「大人になれ」という面倒な仕事押し付ける。だから民主政は嫌われるのである

 

 

内田ブログ

 その中にあって、民主政けが市民を甘やかさない。市民に対して「大人になれ」という面倒な仕事押し付ける。だから民主政は嫌われるのである

 

 

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(19)

nippon.com版

(無し)

 

 

内田ブログ

 たぶんこれから民主政は嫌われ続けるだろう。有権者たちが「あなたがたは今あるがままでよいのです。成熟する必要も、自己刷新する必要もありません」という甘ったるいメッセージを言い交わしているうちに民主政は終わるのである

 

 

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(20)

nippon.com版

 今回の選挙の混乱の再発防止のために、一部から立候補時の供託金を高額に引き上げることや推薦人を一定数確保することを立候補の条件とする案も出ている。だが、私は立候補を困難にする条件をつけることには原則的には反対である。一部の「性善説制度をハックする人たち」を何とかするために、今私たち享受している政治的自由を規制すべきではない。

というのは、性悪説に基づいても、違法行為も完全にシャットアウトできるシステムを作ることは可能だし、それに類するものを作ってみても、システム設計と維持に膨大なコストがかかり、かつ効果は大してない。「ハッカー」というのは「穴を見つける専門家」なのである性悪説シフトすることが民主政プラスをもたらすことはない。

規制を設けるなら、法律で網をかけ監視や取り締まりをしなければならず、システム構築に膨大なコスト必要になる。だが規制を設けても、相手は新たな穴を探してくる。おそらく終わりなきいたちごっこになるが、これによって民主主義に関する新たな価値を生み出すことは無い。

 

 

内田ブログ

(無し)

 

 

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(21) 最終部分

nippon.com版

 私たちなすべきなのは、「市民社会の常識」を再生させることである。「君がやっていること、それは非常識だよ」という言明が、現実に強い規制力を持っていれば、法律を作る必要はない。

米国では2016年の大統領選挙の時、ワシントンポスト紙が候補者たちのステートメントファクトチェックをかけて、「ピノキオ」という単位でその真実含有量を表示したことがあった。「一部誤認や事実つまみ食い」が1ピノキオ、重大な言い落としや誇張は2ピノキオ、重大な事実誤認や明白な矛盾は3ピノキオ、大うそが4ピノキオ前大統領ドナルド・トランプ氏は「底なしピノキオ」の称号を贈られた。信頼できるファクトチェッカーがその威信をかけて「誰が真実を語っているのか」を査定するならば、法的規制は要らない。

今回の都知事選が改めて示したのは、「常識あるまともな大人」が一定存在しなければ、民主政は持たないということである。今は「大人になれ」も「礼儀正しくあれ」も「非常識であるのは恥だ」も、どれも強い指南力を持つメッセージではなくなってしまったが、それでも私はこれからも忍耐強くそう言い続けるつもりである

 

 

内田ブログ

(無し)

 

 

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内田樹によって書かれた都知事選に関する2つの記事比較

nippon.com版の方が先に書かれたので、nippon.com版→内田ブログ版の順に掲載

適宜改行等を加えた。

 

 

nippon.com版

https://www.nippon.com/ja/in-depth/d01018/

 

 

内田ブログ

http://blog.tatsuru.com/2024/07/12_0846.html

 

 

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(01)

nippon.com版

 今回の都知事選では、「選挙民主主義の根幹をなす営みである」という認識が崩れてしまったという印象を受けた。選挙というのは有権者自分たち立場代表する公人を、法を制定する場に送り込む貴重な機会であるという基本的認識が今の日本からは失われつつあるようだ。

 

 

内田ブログ

 今回の都知事選では、選挙民主主義の根幹を為す営みであるという認識がかなり深刻な崩れ方をしているという印象を受けた。選挙というのは有権者自分たち立場代表する代議員を選ぶ貴重な機会であるという認識日本からは失われつつあるようだ。

 

 

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(02)

nippon.com版

 知事選当選者は1人に限られるのに「NHKから国民を守る党NHK党)」が関連団体を含め24人の候補擁立した。そして24人分の掲示板の枠に同一のポスターを貼るなど“掲示板ジャック”をした。NHK党は、一定額を寄付した人にポスターを張る権利譲渡する行為にも及んだ。掲示板には選挙関係ない人物動物写真サイト誘導する2次元バーコードなども張り出された。NHK党以外の候補も「表現の自由への規制はやめろ」と書いたわいせつ写真入りポスターを張り出すなど、目を疑うような行為があった。政見放送も含め、注目を集めて動画サイトなどのフォロワーにつなげるなど、選挙を単なる売名や金もうけに利用しようとする候補者が多数登場した。

 

 

内田ブログ

(無し)

 

 

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(03)

nippon.com版

(無し)

 

 

内田ブログ

 投票する人たちは「自分たち利益をもたらす政策を実現してくれる人」を選ぶのではなく、「自分と同じ部族の属する人」に投票しているように私には見えた。自分と「ケミストリー」が似ている人間であるなら、その幼児性や性格の歪みも「込み」で受け入れようとしている。だから、仮に投票の結果、自分生活が苦しくなっても、世の中がより住みにくくなっても、それは「自分の属する部族」が政治権力行使したこと帰結から別に文句はない。

 自分自身にとってこの社会がより住みよくなることよりも「自分のような人間たちから成る部族」が権力や財貨を得ることの方が優先する。これが「アイデンティティーポリティクス」の実態である

 

 自分幼児的で、利己的で、偏狭で、攻撃的な人間だと思ったら、かつてならそれは「成熟」へのインセンティブになった。「もっとちゃんとした大人になろう」と思った。でも、今は違う。今は「そういう自分がけっこう好き」だとカミングアウトすることの方が人間的で、端的に「よいこと」だとされる時代なのだ

 正直言って、私には意味がわからない。この人たちはそんなに自分が好きなのか。そんなに同じ自分のままでいたいのか。私は同じ人間のままでいるなんてまっぴらである。息苦しいし、不自由だし、何より退屈で仕方がない。「自分自身に釘付けにされていること」をエマニュエル・レヴィナスは考えられる限り最も苦痛体験だと書いていた。私もまったくそうだと思う。そもそも自分自分しかあり得ないことの不快」を推力として、生物はここまで進化してきたのではないのだろうか。単細胞生物単細胞生物であることに自足していたら話はそこで「おしまいである。だからアイデンティティー固執する人たちを見ていると、私は奇妙な生き物を見ているような気になる。なぜ「そんなに自分自身でいたい」のか。自分であることにうんざりすることがないのだろうか?いや、ほんとに。率直にそう訊きたいのだ。

 

 選挙の話をしているところだった。

 

 今回の都知事選では、選挙を単なる売名や金儲けに利用しようとする候補者が多数登場した。

 

 

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(04)

nippon.com版

 公職選挙法に限らず、私たち社会制度の多くは「性善説」あるいは「市民は総じて常識的振る舞うはずだ」という仮定の下に設計運営されている。でも、「性善説」の制度は隙間だらけである。その隙を「ハック」すれば、簡単自己利益を確保できる。候補者にさまざまな特権保証されている選挙という機会を利用しても、私利私欲を追求したり、代議制民主主義のもの嘲弄(ちょうろう)したりすることは可能である。そのことを今回の選挙は明らかにした。もう「性善説」は立ち行かなくなったらしい。

 

 

内田ブログ

 公選法に限らず、私たち社会制度の多くは「性善説」あるいは「市民は総じて常識的にふるまうはずだ」という仮定のもとに設計運営されている。でも、「性善説」の制度は隙間だらけである。その隙を「ハック」すれば、目端のきいた人間なら誰でも簡単自己利益を確保できる。候補者にさまざまな特権保証されている選挙という機会を利用しても、私利私欲を追求したり、代議制民主主義のもの嘲弄することは可能である。そのことを今回の選挙は明らかにした。もう「性善説」は立ち行かなくなったらしい。

 

 

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(05)

nippon.com版

 だが、選挙がこれだけ軽視されるに至ったのは2012年以後の安倍晋三氏、菅義偉氏、岸田文雄氏の3代の首相による自民党政権立法府軽視が原因であると私は考えている。

 

 

内田ブログ

 だが、選挙がこれだけ軽視されるに至ったのは2012年以後の安倍、菅、岸田三代の自民党政権立法府軽視が一因だと私は考えている。

 

 

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(06)

nippon.com版

 日本国憲法では立法府が「国権の最高機関」とされているが、安倍政権以来、自民党政権行政府立法府より上位に置くことにひとかたならぬ努力をしてきた。その結果、国政の根幹にかかわる重要な事案がしばしば国会審議を経ずに閣議だけで決定され、野党が激しく反対する法案強行採決された。国会審議は実質的には意味を持たない「形式的セレモニーであるように見せかけることに自民党政権は極めて熱心だった。

 

 

内田ブログ

 日本国憲法では立法府が「国権の最高機関」とされているが、安倍政権以来、行政府立法府より上位に置くことに自民党政権はひとかたならぬ努力をしてきた。その結果、国政の根幹にかかわる重要な事案がしばしば国会審議を経ずに閣議だけで決定され、野党がはげしく反対する法案強行採決された。国会審議は実質的には意味を持たない「形式的セレモニーであるように見せかけることに自民党政権はきわめて熱心だった。

 

 

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(07)

nippon.com版

 安倍首相は「私は立法府の長である」という言い間違いを繰り返し口にした。これはおそらく「議席過半数を占める政党総裁自由立法ができる」という彼自身の実感を洩(も)らしたものであろう。だが、法律を制定する立法府の長が、法律執行する行政府の長を兼ねる政体のことを「独裁制」と呼ぶのである。つまり、彼は「私は独裁者だ」という民主主義精神全否定する言明を繰り返していたことになる。

 

 

内田ブログ

 安倍首相は「私は立法府の長である」という言い間違いを繰り返し口にした。これはおそらく「議席過半数を占める政党総裁自由立法ができる」という彼自身の実感を洩らしたものであろう。だが、法律を制定する立法府の長が、法律執行する行政府の長を兼ねる政体のことを「独裁制」と呼ぶのである。つまり、彼は「私は独裁者だ」という民主主義精神全否定する言明を繰り返していたことになる。

 

 

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(08)

nippon.com版

 現行憲法下で独裁制を実現するために、差し当たり最も有効なのは立法府威信を低下させること」である有権者の多くが「国会機能していない」「国会審議は無内容なセレモニーにすぎない」「国会議員選良ではなく、私利私欲を優先する人間だ」という印象を抱けば、民主政事実上終わる。

 

 

内田ブログ

 現行憲法下で独裁制を実現するために、さしあたり最も有効なのは立法府威信を低下させること」である有権者の多くが「国会機能していない」「国会審議は無内容なセレモニーに過ぎない」「国会議員選良ではなく、私利私欲を優先する人間だ」という印象を抱けば、民主政事実上終わる。

 

 

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(09)

nippon.com版

 だからこそ、自民党はこの12年間、国会議員は(自党の議員を含めて)知性的にも倫理的にも「普通市民以下かも知れない」という印象を扶植することに並々ならぬ努力をしてきたのである。そして、それに成功した。知性においても徳性においても「平均以下」の議員たちを大量に生み出すことで、自民党政党としては使い物にならなくなったが、その代償に立法府威信を踏みにじることには見事な成功を収めた。

 

 

内田ブログ

 だからこそ、自民党はこの12年間、国会議員は(自党の議員を含めて)知性的にも倫理的にも「ふつう市民以下かも知れない」という印象を扶植することになみなみならぬ努力をしてきたのである。そして、それに成功した。知性においても徳性においても「平均以下」の議員たちを大量に生み出すことで、自民党政党としては使い物にならなくなったが、その代償に立法府威信を踏みにじることにはみごとな成功を収めた。

 

 

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(10)

nippon.com版

 その帰結が、「代議制民主主義嘲弄する」人々が選挙立候補し、彼らに投票する多くの有権者が少なから存在するという今の選挙現実である

 

 

内田ブログ

 その帰結が、「代議制民主主義嘲弄する」人々が選挙立候補し、彼らに投票する多くの有権者が少なから存在するという今の選挙現実である

 

 

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(11)

nippon.com版

 NHK党は、暴露ユーチューバー有罪判決を受けたガーシー(本名・東谷義和)元参院議員国会に送り込むなど、国会威信国会議員権威を下げることにきわめて熱心であったが、これは彼らの独創ではない。自民党が始めたゲームを加速しただけである

 

 

内田ブログ

(無し)

 

 

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(12)

nippon.com版

 今回の都知事選で2位につけた石丸伸二氏も前職の広島県安芸高田市長時代市議会と繰り返し対決し、市議会機能していないことを訴え続けてネット上の注目を集めた。これも「立法者」と「行政者」は対立関係にあり、「行政者」が上位にあるべきだという、安倍首相体現してきた「独裁志向路線を忠実に踏まえている。

 

 

内田ブログ

 今回の都知事選で二位につけた石丸伸二候補安芸高田市長時代市議会と繰り返し対決し、市議会機能していないことを訴え続けてネット上の注目を集めた。「立法者」と「行政者」は対立関係にあり、「行政者」が上位にあるべきだという、安倍首相体現してきた「独裁志向路線を彼は忠実に踏まえている。

 

 

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(13)

nippon.com版

 日本維新の会も「独裁志向」では変わらない。「議員の数を減らせ」という提言は「無駄コストカットする」合理的政策のように聞こえるが、実際には「さまざまな政治立場代表者が議会議論するのは時間無駄だ。首長に全権委任しろ」という意味しかない。

 

 

内田ブログ

 維新の会も「独裁志向」では変わらない。「議員の数を減らせ」という提言は「無駄コストカットする」合理的政策のように聞こえるが、実際には「さまざまな政治立場代表者が議会議論するのは時間無駄だ。首長に全権委任しろ」という意味しかない。

 

 

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(14)

nippon.com版

自民党派閥裏金問題は、国会議員たちがその地位を利用して平然と法律を破っている事実を白日の下にさらした。この事件は「国会議員はろくな人間ではない」という民主主義空洞化するメッセージと、「政権に近い議員であれば、法律を犯しても処罰されない」という法の支配空洞化するメッセージを二つ同時に発信していた。

 

 

内田ブログ

 自民党裏金問題は、国会議員たちがその地位を利用して平然と法律を破っている事実を白日の下にさらした。この事件は「国会議員はろくな人間ではない」という民主主義空洞化するメッセージと、「政権に近い議員であれば、法律を犯しても処罰されない」という法の支配空洞化するメッセージを二つ同時に発信していた。

 

 

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(15)

nippon.com版

 このメッセージを「警告」として受けとった人は「今のままではいけない」と思って政治改革を目指すだろうが、このメッセージを「現状報告」として受けとった人は「民主政は終わった」という虚無感に蝕(むしば)まれてへたり込んでしまうだろう。そして、どうやら日本人の相当数は、この事件ニュースを「世の中とはそういうものだ」という諦念と共に受け止めたように見える。

 

 

内田ブログ

 このメッセージを「警告」として受けとった人は「今のままではいけない」と思って政治改革をめざすだろうが、このメッセージを「現状報告」として受けとった人は「民主政は終わった」という虚無感に蝕まれるだけだろう。そして、日本人の相当数は、このニュースを「世の中とはそういうものだ」という諦念と共に受け止めたように私には見える。

 

 

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(16)

nippon.com版

 英国首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用が極めて困難な政体からである民主政は「合理的思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である有権者の多数が「まともな大人」でないと、民主政簡単衆愚政に堕す。だから民主政は人々に向かって「お願いだから大人になってくれ」と懇請する。市民に向かって政治成熟を求める政体民主政の他にはない。

 

 

内田ブログ

 英国首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用がきわめて困難な政体からである民主政は「合理的思考する市民」が多く存在することを前提にした制度であるPermalink | 記事への反応(1) | 18:42

真の文化不毛の地って茨城郊外なんじゃね

名古屋郊外文化がないというが、ガチ文化がないのは茨城東京寄りの郊外だと思う

ここら辺はなまじ東京に近いだけに文化的な何かを享受したいとなると東京へ行けといわれる

なまじ東京が近いだけに公演とかはこないし遠すぎるので千葉埼玉のようにハコが安いからやる公演の需要もない

埼玉千葉もなかなかのksっぷりだがここら辺は安い箱という需要があるのとスポーツは盛ん

異論は認める

2024-07-10

anond:20240710183653

ほらすぐそうやって個人問題にしたがる。そんな頑張らなきゃ文化ってやつは享受できねーのかよ。

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