はてなキーワード: 新刊とは
私にとって、彼の著作は、何かを始めたいが不安が先立ち一歩を踏み出せない…といった折々に、背中を押してくれるものだったと思う
振り返ってみて懐かしくなったのでここに記してみる
(断っておくが、私は彼の熱心な読者ではないので、以下解釈が間違っていてもご容赦願いたい)
初めて読んだのは、書店でたまたま目にした「弱いつながり」(2014)だった
この本には、固定化した状況での思考から導き出されることが選択肢の全てではない、不確かな状況や偶然に身を委ねることで思いがけない新たな出会いが得られ人生が豊かになる、というようなことが書いてあったと思う
他の人には当たり前なことかもしれないが、すぐに頭でっかちになって動けなくなる私にはとても新鮮なメッセージだった
当時20代後半で(当方女)、漠然と結婚への焦りがあり悶々としていたのだが、読了後、通勤電車の広告で目にした結婚相談所にエイヤッと登録し、もうなるようになるさと婚活を始めた
そして現在の夫と出会い、トントン拍子で結婚に至ることができた
それから後の「観光客の哲学」(2017)にも背中を押してもらった
この本で最も心打たれたのは、
という箇所だった
これは、生物上の親と子を指すだけではなく広い意味で自らが何かを生み出すこと(誤解を恐れずにいえば無責任に生み出すことを恐れない)の大切さを説いているものだが、文字通り私は子どもを持つことへのエールとして受け取った
私自身が親との関係があまり良くないため、「どんな子が生まれるのか、上手く育てられるだろうか」との不安を感じていたが、たとえ自分が完全な人間でなくても、どんな子が生まれてくるかはわからなくても、とりあえず子どもをつくってみよう、そしてその子どもがつくり出すものを見てみようと勇気づけられた
そして今では2人の男の子に恵まれ、日々四苦八苦しながら賑やかに暮らしている
背中を後押ししてもらったといっても、結婚出産というごく普通のライフイベントだし、他の人ならすんなり経験できるのかもしれないが、私の場合、もしこれらを読んでいなければ全く違う人生だったかもしれない
「なぜ○○の新刊が出ないのだ!」
と飲みの席でよく息巻いている友人男性。たしかに○○の新刊は年単位で出ていない。正直、他に主力のタイトルもあるし、後回しになるのも仕方ないとは思う。
「そういうときって、出版社にファンレターを書いたり、雑誌のアンケートをちゃんと出すと優先度を上げてもらえるらしいですよ」
と言うと、彼はいつも
「そういうんじゃ、そういうんじゃなくてだな……」
と言いながらゴニョゴニョ言って黙り込んでしまう。
なんというか、正直男性はおたよりやアンケートハガキを書くことに、あまりに消極的すぎる気がする。出してもらった人はそれをモチベーションにする、出版社はそれを次の新刊を出す出さないの材料にする、メリットだらけなのにどうしてやらないのか。お手紙を書くという行為を、女々しいとでも思っているのか?
もう一つの方向として、もしかして「エンジンが動かないんだけど」から始まる共感を求めるタイプを求めているのだろうかと思って聞いてみると、またゴニョゴニョ言い出す。なんなんだ。
人生の半分以上費やしてる作品でなんならオタクとしての自我が目覚めた原因でもあるし他に推してるジャンルも同じ作品読んで作家になった方ばかりというめちゃくちゃオタク人生の基盤になってるシリーズ作品の最新刊で幼少期から唯一地雷として二次創作を読まないように避けてた展開が起きちゃった!!!!!!!!死ぬ!!!!!!!!!!どうして…どうして……そんな公式と解釈違いなんて言うめんどくさいオタクになりたくないよ……終わりだよ…………………………現実で20年経っていきなり新刊に出てくるなんて聞いてないよ、誰が予想出来たよ…………
Twitter上では界隈に住んでるからどこにも言えないよ……もうダメだよ…………他に推してるジャンルは大体コンテンツ終了したか完結した小説だけだよ…………もうオタクは生きていけないよ……………………
一回立ち止まってじっくりいろいろ考えたいときってあるじゃん。
立ち止まるのは自由だけど、自分が止まっている間も世界は目まぐるしく動くじゃん。会社員なら「あれこれ考えたいのでしばらくお休みください」なんて理由で長期間休めないし、仮に休めたとしてもその間も社会は変化し同僚は成果を出し友達は結婚するじゃん。面倒だけど真面目に考えないとなーって思っててもゲームの季節イベントはあるしニンテンドーダイレクトはやるし漫画の新刊も出ればアニメの新シーズンも始まるじゃん。
そんな時にこのボタン!
面白いことも真面目なこともとにかく全部一つずつ消化したいから、まずは一時停止。自分が心療内科なんかに通ってあれこれ人生の道に迷っていても、このボタンがあれば友達がどんどん結婚していったりしないしどんどん歳を取る自分に怯えなくてもいい。真面目な問題が解決したら、一時停止解除。さぁ、夜更かししてニンテンドーダイレクトを見てXで大騒ぎしよう!ソシャゲのスタミナ消費も忘れずにね。
HSPといえば武田友紀さんだし、HSPの新刊を出すからてっきりNHKのあさイチに出るのかと思ったら、全然しらん人がHSPセミナー講師として紹介されていた。
私の勝手な見立てだが、武田さんってやっぱりすごく上手だなと思う。
HSPは臨床心理学的には科学的根拠のない概念らしく、批判も受けている。下手にああいう番組に出ると、専門家から批判の的になる。
HSP界隈で最も成功している人の一人なので、当然出演依頼はあったと思う。理由は分からないが断ったのだろう。
HSPは信じる人?頼りにしている人がたくさんいるから、たぶん今回の番組を観てHSPに興味を持って、行きつく先は武田さんの本だ。
武田さんは出演せずして、今回の批判も受けることなく本の売り上げを伸ばすことができるのだ。
本当にウマイ。
しかし一方で、いくら科学的根拠のない話であっても、HSP関連商材がこんなに売れ、ラクになりましたという人が続出しているのなら、科学的根拠とは一体なんなのかと思う。
ジャンプ+で隔週金曜日に連載されている『スケルトンダブル』が今とても面白いということをこっそりとお伝えしたい。
ちょうど今日第3巻が発売しててしかもちょうどその終盤あたりからの展開がめちゃめちゃアツくてさらにその続きは現在無料公開されているというのに、世間の多くの人はどうやらスケルトンダブルの面白さにまだ気づいていないらしい。
今日、本屋に行ったが3巻を見つけるのにすごく苦労した。地元で一番デカい本屋だというのに新刊コーナーに平積みで置いてなくてジャンプコミックスの棚に2冊くらい突っ込まれてるのをやっと発見した。きっと夜に行ったから在庫が少なくなってたんだろうね。いやもっと入荷してくれ。
前述したように第3巻の終盤あたりからの展開が非常に盛り上がっており(19〜21話あたり)、読者からの評判が非常に良い。
3巻の帯に「Twitterトレンド入り!」と書かれているがトレンドに載ったのは第21話が更新された金曜日の深夜のことだ。
ということでちょうど今こそが激アツな展開を一気読みできる最高のタイミングなのである。
そして最新話の展開はちょうど物語の序盤の山が片付いて次の展開に移るあたりなので、一気読みするにはキリがいい。
逆に言えば、今みんなが読んでくれないと打ち切りの可能性がだんだんと出てくる。怖い。
隔週連載なので更新頻度が低いが、それでも一定の読者がついてきているのはその漫画のうまさへの信頼だと思う。
この作品は透明人間(スケルトン)化した人間が特殊能力を使って戦ういわゆる「異能バトルもの」なのだが、登場人物の思考やかけ引きの描写が非常にうまい。
それともう一つ光るのはキャラクターの奥行きがあるところ。
異能バトルものらしくクセのある登場人物が結構出てくるのだが、ただのインパクト重視のクセではなく、ちゃんとその人物なりの行動原理があるように見える。
セリフの裏の意図だったり少し挟んだコマでの心情描写などが丁寧で、考察しがいがある。
なかでも主人公のパーソナリティーについては特筆すべきものがあって、盛り上がっている19話あたりからの展開がまさにその主人公の行動原理に迫ったものだ。
このあたりの話数からコメント欄やネットでの評価がかなり良くなったと感じる。
一言で言ってしまえば、この展開で読者がみんな主人公を気に入ってしまったんだと思う。
あえて例を出すなら『ワールドトリガー』で読者が三雲修の「やばさ」に気づき始めたあたりの感じ。
この漫画ってつまる所は「将棋と青春を通して描く人生という『一所懸命』」なんだと思うんですよね。
王と玉を取り合うシンプルで言い訳のしようがない世界である盤面の上で、夢や都合や老いといったモヤモヤしたものが絡み合って純粋さが失われていく将棋パート。
それとは反対に色々な物が混ざり合いすぎた絵の具みたいに鈍色と虹色の中間みたいな現実の中で、ハッキリと光るものによって世界がシンプルにほどけていく日常パート。
その2つの相反する世界の中で、純粋と混沌をグラデーションさせながら生きていくことを強要されていく世界を浮かび上がらせ、その複雑さと残酷さに押し潰されそうになる中をどう進むか、その答としての「一所懸命」がこの作品で描かれているものなんだろうなと。
この混沌とした世界で数少ない純粋なもの、将棋の勝ち負け、好きだと想う心、その光を一直線に目指す気持ち、それを絶対に譲れないからと必死に糸をたぐるように追い求めていけばきっと道は拓けるはずだという希望の唄なんですよね。
それを今自分が使っているような陳腐な言葉じゃなくて、比喩表現を駆使して少しでも深く掘り出そうとする思いがファイターを通して今なら分かる。
昔は分からなかった。
将棋という軸に繋ぎ止められた方向性のない群像劇だとさえ思っていた。
全然違った。
皆が光に向かって突き進んでいる。
自分の中から溢れてくる光、それが指し示す道へと向けて精一杯突き進んでいる。
なんで3月のライオンのテーマソングがこんなに力強いんだろうか不思議だった。
桐山零は物凄い強くて天才だけど、その印象は優男、いや優しい男の子っていう感じだった。
でもその歩みは物凄く力強かったんだ。
まっすぐ目の前に伸びる道をノッシノッシと何もかもを押しのけていくように踏みしめていく。
この力強さを奏でていたんだな。
そして、そうやって突き進むために桐山が傷つきながらもファイティングポーズを絶対に解かないで何ラウンドもリングの真ん中で拳を突き出し続けた姿を、そんな桐山の戦いの中に、将棋の勝ち負けだけじゃなくて温かいものが無数にあるんだって教えてくれた光に対しての祝福がこんなにも輝いてるから、こんなにもヒロイックに音が跳ねていたんだ。
俺、分からなかった。
10年もかかってしまった。
凄いな、プロは。
いや本当感心するわ。
「お金がなくても作家を喜ばせる方法は図書館にリクエストすることだ」なるツイート(ポスト?)が伸びてたので https://twitter.com/jiro6663/status/1694628008366428193?t=3FxjKDajQYbjtPMwsgkrdw&s=19
現役図書館司書の視点からこの件について図書館的にどうなのか、本当に作家の為になっているのかを考えてみた
念を押しておくと田舎の小さい図書館司書視点なので一般化できるかは怪しい
①リクエストした人が必ず借りてくれるのであれば図書館は嬉しい
の2点になる
まず①から
図書館の予算は大体どこもカツカツで満足に本買えてる図書館の方が少ない
限られた予算の中で利用者が喜ぶ本を選書し、満足度の高い図書館をいかにして作るかというのは司書の腕の見せ所である
大体は児童向けや小説のシリーズ物、健康や生活の知恵に役立つ400〜500番代の本を数冊買い、余ったお金で1〜2冊ほど「これは利用されそうだな」という本をジャンル問わず選定するが、この「利用されそう」というふわっとしたものが難しい
よく動く本の傾向を見たり新聞書評や今ならYouTubeやTikTokでバズったものを選定してみたりするが、それでも買ったのに全然貸出されない本は出てくる
こういう時、誰かがリクエストをかけた本であれば確実に一回の利用は見込めるので選書会議も通りやすいし助かったりする
しかし、リクエストかけた人に借りる意思がない場合はとても困る
実際、みんなに読んでほしいと言う理由でリクエストがかかり購入したが誰も読まず書架の肥やしになっている本はある
(これはその本が悪いのではなく利用者のニーズに合致しなかった、例えば世田谷や目黒といった一等地に農業指南の本を置いて借りる人がいるのか?という話)
実際そういうことが起きたのでうちの図書館ではリクエストした本を必ず借りてもらうルールが作られた
予算もスペースも限られているので、本人が借りる意思の無い布教の為の、最低一回の利用も見込めない本はリクエストされても正直困るな…というのが本音である
作家としても、折角書いた本が誰にも読まれず本棚から動かない状況は売れたとしてもあまり嬉しくはないんじゃないかと思う
②について
図書館の本は必ずしも購入した物ばかりではない
リクエストがかかった本で、どうしても予算が足りず購入が後回しになる本はどうしても出てくる
そういう時、どこからか現れた善意の市民がちょうどリクエストかかった本を寄贈してくれることがある
それを確かめる方法は図書館には無いのて、作者の利益に貢献しているかは不明だ
また、リクエストされたからといって必ず本を購入する訳では無い
相互貸借というサービスが存在し、その図書館に所蔵が無い本にリクエストがかかった時に所蔵のある別の図書館から取り寄せて貸出することもできる
リクエストがかかった本は原則自分の図書館で購入することが勧められている
それはそれとしてどこも予算は無いので出版から時間の経っている本は相互貸借で補い合うケースは多い
よって、図書館にリクエストをかけたからと言って、必ずしも作者への貢献に繋がるとは言えない
最後に
色々書いたが予算だのスペースだの利用率だのそういう小難しい事は司書が考える仕事なのであまり深く考えず読みたい本があれば気軽にリクエストしてみて欲しい
図書館はその街に住む市民の学習や読書環境を整えるのが第一の仕事だと考えているので要望があればやれる限りは応えたい
もちろん本を書いた作家や出版社があってこその図書館なのでそちらへの感謝や還元も適切に行っていく
ただ、やっぱり市民の為にあるのが図書館なので特定の個人が推し作家の応援する為に手当たり次第リクエストかけてまわるのはなんか違うのではと思う
蔦屋と蔦屋図書館が町の本屋を駆逐して書店文化が消え去るみたいな言われかたをしてるように感じるんだけど、わが町の本屋が町の文化を担ってなんかなかったと思う。
そもそも狭くて、大した本は置いてなかった。1番売れるところにあるのは、週刊少年漫画と、子供向けの雑誌。小学6年生とか、テレビくんとか、そういうやつ。過疎の町だったけど、それでも子供の方が本屋にお金を落としてたんだと思う。逆に言えば、大人は新聞以外の活字を読まなかった。
そんなわけで新刊は少しだけ。新聞広告に載ってる本が1冊ずつ棚に平置きなんかない。文庫も小中学生向けの文庫が多かった。青い鳥文庫や岩波少年文庫みたいなの。漫画の単行本もろくになかった。ジャンプ全盛だったので、ジャンプコミックスはまあまああったけど、それだけだった。
あとなにがおいてあったろうか。小学生中学生向けの学習ドリルとか、実用書がそれぞれ棚一面。実用書ってのは、冠婚葬祭の挨拶マニュアルとか、その程度。それが、我が故郷の本屋。
自CPはニコイチコンビで、公式でも供給が多くて、二次創作も活発でオンリーも度々開かれてる最高のCP。
新刊カード集めてでのオンリー開催もあと3回は確定していてマジで最高だな〜!!!
て思ってられるならまだよかった。
6月までは。
他に人間がいないマイナーの民からしたら贅沢言うなって話だからもう読まないで欲しい。
同人なんて作りたいのなら作れば良いって話だからとやかく言うなって話なんだけど、CP要素がミリも無いような単キャラアクキーやら缶バッジやらの安価グッズを作る為にわざわざCPオンリー申込む必要ある?
バリバリの左右固定で逆マジで嫌いだから、自CPの参加サークル数が70近くあって、逆より何件か多いの最高でやったーーー!て喜んでたら、6割がグッズとか…CPオンリー申込む必要ある?
母体ジャンルのオンリーだって3ヶ月毎に開催されてるんだから、そっちいけばいいじゃん。CPオンリーに申込む必要ある?
しかもグッズ出してるやつの多くはCPの左右どっちも見るタイプだし。本当にCPオンリー申込む必要ある?
6月に自CPオンリーの島歩いて見渡せばグッズ、グッズ、とにかくグッズ。
壁サーだってイラスト集。しかもCP要素がミリ程度だし。合体だからって雑魚文字書きが壁サーなの鼻で笑ったわ。これは妬みだわ、ごめん。
壁サーの大手はグッズしか作らない奴らと毎週のようにオフ会開くわ、「CP左右固定です!」て名乗る割にはリバカスや逆の大手をフォローしてるわで、行動と言動が伴ってなさすぎる。最悪。
ミネラルウォーターだと思ってたら汚水混ぜられてたものを飲まされた気分。
自CPの本が欲しくてオンリー開催してもらいたいのに、期待したら出てくるのは要素ミリも無いグッズばっかり。コピー本じゃなくて、グッズ作る金で本を作れよ、マジで。
挨拶のついでに新刊カード渡して、それで次回のオンリーの開催決まった。渡さなきゃよかったって後悔してる。
だったら他界隈や、サブで好きなCPのオンリー開催の一助になった方が断然良かった。
グッズ作る為にオンリー参加する人らの方が新刊カードの集まりも早いでしょ。
村上春樹レベルなら新刊が常に入るし、流行小説で読みたいものがあればリクエストしてすぐに買ってもらえる。
読み聞かせ教室では、絵本はいつだって人気だし、自分で文字が読めるようになれば江戸川乱歩やルパンのシリーズものが面白い。ハリーポッターは本好きでなくてもみんな通る。
あとは児童向け文庫も侮れない。レミゼラブルとか海底二万里とか、好きな小説をたどれば、そのまま古典文学にアクセスできるだろう。
謎解きカラマーゾフみたいな本は小説じゃないけど、新聞の書評欄に載ってれば図書室は買う。新聞の書評欄は大事だ。
田舎だとちょっと気の利いた住民が、個人文庫という名目で蔵書を開放してたりもする。昭和のベストセラーから少し外れた作品なんかはここで読める。
図書室レベルじゃなくてそこそこの規模の市になれば、図書館本館と分館で相互貸出もしてるので便利だし、あとどうしても近場で在庫のない本は、国会図書館の郵送貸出で取り寄せできる。
まあ、車の免許を持たない子供でできる範囲だとこんなものだろう。
とはいえ一生のうちに触れられる情報には限りがあるのだから、身近なところで花崗岩を拾ってグスコーブドリを思い、ツツジの雄蕊雌蕊を観察するとき富太郎になりきればいい。