はてなキーワード: 性別とは
んじゃないかな。某DevRelの話。
採用候補の顔写真が並んでて顔貌が整っている人のほうが印象が良いという画像をネットで見たことある人も多いと思うけど、ああいうのは大前提として現実に存在することを認めないといけない。(そんなものはクソだ変えていこうと言ったところであるものはある)
実際女性(男性)のほうが受けがいいという職種・業務は存在する。「新卒説明会は女性社員が進行したほうが受けがいい」「製造部門のインタビューは(珍しい)女性社員を起用して女性が活躍できる職場の印象を狙う」「男の営業職は1ヶ月に一回は髪切れ」「先輩に仕事の相談をしたら筋トレを勧められた」みたいな明文化されてない話は、結構共感が得られるのではないだろうか。
「『人を見た目や性別で判断するのは良くない』という現代の風潮を利用して反論を封じつつ、うまく美貌資産を利用できたらもうけもん」みたいな考え方は、美貌資産を持っている当人はもちろん否定しても、その周囲のメンバーはわざわざ否定もしないし賛同もしないしいちいち声に出して反論しないけど自分に関係ないからさっさと仕事すすめるために黙認しようくらいは思っているんじゃないかな。
おれは大企業のDevRelなんて職種がなにか知らないし今回のことで初めて知った程度の中小泡沫社員だけど、企業(と言ったら言い過ぎなので、企業内のグループ・チームメンバー)は美貌資産をうまく利用しても良いと思ってる一部の人と、それを黙認する大多数の社員で構成されてるんじゃないかな。
もちろんDevRelの人が顔貌関係なく優秀というのは関係なくね。そういうの関係なく、使えるものは使っていくのが企業だし、広報だと思っている。
元増田です。
それ自体は同感です。
俺も、相手が男だろうが女だろうがちょっとでも触られたら不快すぎてすぐ帰って風呂浴びたくなるタイプなので。
また、当サークルの現状規約においても、性別を根拠にセクハラを定義してはおりません。
加害者が女性だとしても、被害を訴える声があれば、当然さばきます。
本当は「パーソナルスペースは半径1m。男女問わずこれを阻害した瞬間現行犯」という社会になってほしい。
それから気になったところ
「酒が人間の本性を暴く」
「ヤバイやつが酒で本性を現す」
同じことでは・・・?
あってもかなり少ないんじゃないのか
会社の同期同士の親睦会だの合コンの人数が足りないなどの理由で集まりに呼びつけては
呼んだ友達は悪くない!悪いのはその女だけだ!ってホモソも凄い。女性の場合はレズソーシャルでも言うの?知らんけど。
女性ってすぐ自分達の非を棚上げして女性差別だーって被害者面するよね。
ミソ男やキモオタに絡まれてある事無い事叩かれたとか言ってるけどそいつの言うことも案外当たってたんじゃね?
なんて嫌味の一つでも吐きたくなる。
普段は警戒心全開で塩対応どころか攻撃的な態度まで取るのもいる癖に
こっちが相応の態度でちょっとでも接した途端すぐに騒いで被害者面してこちらが悪い加害者にしようとするクソみたいな女多すぎ…
まあ男が酒の席で酒苦手だからって烏龍茶飲んでるだけで馬鹿にしてくる様な昭和セクハラ脳の女が未だに多い時点でお察し。
それでちょっとでも不快な顔したら後でヒソヒソ悪口して評判下げようとしてくる始末。
酒飲めないとか強くないとか、男だから女だからとか関係ないだろ。男ならアルコール中毒になって死んでも飲めとでも言うのかよ。
アファーマティブ・アクションや男女共同参画社会とか言いつつ実際は女性優遇社会政策や女性支援法みたいな
女に都合いい男女平等だけどんどん進んで、家計負担や家事・育児みたいな男の負担はそのままなクソみたいな女尊男卑大国。
そりゃ結婚願望持たない男増えるよね。
男だけ家庭と仕事の両立しろ!出来ない奴は女性差別ミソジニー!とか言われるけどな
何で男ってだけで家庭の家計支えて家事も育児も女並にやらないといけないんだってキレる有名人はいないのね。
家を支える気も無い癖に共働きとか言って低収入労働に甘んじたりパートで育児要件をしっかり握って
🐕️「ちなどこで性別わかったんかおせーてクンクン」
35歳、婚活女。
ここでいうオジサンの定義は年齢的性別でセグメントするものではない。
オジサンはありのままの自らをそのまま受け入れてもらいたがる。
オジサンのすべてを受け入れてもらうために口を開いている。
相手と意見を交換して違いを楽しんだり、楽しい時間を過ごす為に口を開かない。
オジサンは喜んでほしい。
自らの1日のできごとを伝えると相手が楽しむと信じている。
それが真実の愛。
「ボクとすると毎晩ボクに会いたくなっちゃうよ〜♡」とか平気で言う。
気持ち悪い。
そして本当にうまい。
おばさんの癖にゴブリンに無理やりされる漫画みたいな心境になる。
ありのままを受け入れてほしいオジサンが二人集まっても交わらない。
オジサンを受け入れる非オジサンがいなければオジサンは幸せにならない。
おばさんには相手がいない。オジサンだけは次から次にうじゃうじゃ湧いてくる。
その中から一人を選び、そのオジサンに強制される真実の愛を注ぐ。
枯れないはずの真実の愛が偽物だとわかり激昂するオジサンと、自分で選んだオジサンを心から軽蔑するおばさん。
一度真実の愛もどきを経験したオジサンは本当の真実の愛を探すオジサンへとレベルアップし、おばさんはまた1つ歳を重ねて群がるオジサンのランクが下がる。
ブサイク男がカッコいい雰囲気で自撮りしたり、着る物とかについて自分語りしたりすると、ラルキとかを引くまでもなくめっちゃ反感買うし、そんなにブサイクでもない男がキモいノリで自己アピールしたら「ハムスター系男子」みたいにネットのおもちゃにされるのに、「女性の格好をした人」としての容姿レベルでいうと平均を遥かに下回るような女装男が自撮りしたり、化粧とか女装エピソードとか話すと(少なくとも一部では)そこそこちやほやされるのってなんでなんだ
インターネット以外の場所では単なるブサイク男よりも迫害されるというか、悪い扱いを受ける気がするんだけど
別に、トランスジェンダーの人が自分の心の性別に一致するような格好をすることに対して自分は全く悪い印象を持っていないし、そういう人を奇異の目で見ることもできるだけしないようにしたいとは思ってるんだけど、
そういうのとは全く別に、恐らくは上記に書いたような風潮がインターネットにあるために、「自己顕示欲が強いけどそれを満たせる程の容姿を持っていない男」が女装に走っている事がどうもあるような気がする
Parents express outrage over alleged sexual assault of 5-year-old at South LA elementary school
https://abc7.com/budlong-avenue-elementary-school-parents-sexual-assault-student/13846127/
創価学会がLGBTとか言っていますが、アメリカロスでは何が起きているのか見てみましょう。
「ロサンゼルス南部小学校での5歳児への性的暴行疑惑に両親が怒りを表明」
という記事です。
‘Kids are having to use their deadname’: Students say gender policies make schools feel unsafe
「子供たちは死んだ名前を使用しなければならない」:ジェンダー政策が学校を危険に感じさせていると生徒たちは言う
多くの学生は、それらを「性的嗜好の自白の強要」政策と考えています。 そして彼らはすでに放射性降下物を生み出しています。
カリフォルニア州の保守的な地域の教育委員会で最近可決された一連の規制は、生徒が性別不適合を示すような行動をとった場合は学校に保護者に通知することを義務付けており、一部の生徒が危険で抑圧的だと表現する形でキャンパス文化に浸透している。 そして、最も影響を受ける学生は、性自認の探求についてまだ家族にオープンにしていない正当な理由がある学生たちだと彼らは述べた。
ただの性犯罪者予備軍がアウティングについてブー垂れているのですが、なんの権利もありません。こういうバカを優先させて学校がとんでもない状態になっているわけです。日本もこうなります。公明党とアメリカのせいで。
新学期: 子どもたちが健康で幸せな一年を過ごせるように準備する
https://www.cedars-sinai.org/newsroom/back-to-school-preparing-children-for-a-healthy-happy-year/
これ実は逆で、こいつ含めたキモメンに
ってことなんだと思う
そもそも俺はここで俺の主張は一切述べてないし
と書いただけ。
人間の性格への嗅覚とか判断能力ずば抜けてる女むしろいっぱいいるし、
人間の筋力以外の男女差なんてほぼないし、
筋力以外でも男女差って滅茶苦茶あるよ
(俺はどっちが優れてるとかは書いてないからな)
そこで「普通の生活」というものが何の規定もなく出てくる時点で
素朴に自分をスタンダードにしてしまうあんまり知能の高くない人間の特徴を感じる
人間生まれつきかなり違ううえに生育環境や見てきた者が異なるので
能力も発想も結構違う仕上がりになるしそれは簡単に分かり合えないぐらいの谷になる
男女差についても当然で、そもそも身体も違えば取り巻く社会も違うのに
筋肉以外の差がない仕上がりになんかなるわけない
それぞれの性別の何かしらの傾向は出て当然
君個人の印象から君は結構頭悪そうだなと感じたよつってるだけな
・文章が読めない
・反撃(そもそも攻撃されてないんだが)がオウム返しや人格攻撃のみ
あたりが理由
前回の増田の補足。
頭が冷えたら投稿しようと下書きに沈めていて、そのままタイミングを見失っていた。
注意 性虐待に関連する記述があります。フラッシュバック等がある人は注意してください。
前回の下書きが完成して真っ先にしたことは、多数派に不快感を与えそうなワードを削ることだった。話の幅を狭めてでも、固有名詞と具体的な性被害、実際の事件を想起させる表現をなくした。
できるだけ多数派の繊細な部分を刺激しないよう気を遣った。思ったままに書けば、斜め読みで脊髄反射の罵詈雑言を浴びせられて終わる確信があったからだ。
拙い筆力をしぼって敵意を抱かれなさそうな表現を選んだ。
結果的に冗長な記事(この記事もきっとそうなる)になってしまったが、
・小児性犯罪者(チャイルドマレスター)への怒りを転嫁しないでほしい
この3点は伝わる形で表せたのではないかと思う。
が、問題はそこではなかった。読み手が文意を汲もうとしてくれるかは全く別の課題だった。
ただ意見を表明しただけで石を投げられる状況を被差別階級に準えている人がいて、それが実に言い得て妙で暗澹たる思いだった。
わりとムキになる性質の私は、追記でその全てにレスしそうになった。そういうことじゃないんです、と。
しかし、実行すれば被害者面をした異常者の逆ギレだと誹りを受けるのは想像に難くない。
治療しろ・嫌い・差別されても仕方ない・元ペドの知人は大人の女と結婚した・諦めろ・いつか飽きる・矯正できないのか・薬を飲め・首を吊れ・死ね・しね・しねよ……酷いもののうち、いくつかは削除されたようだ。
小児性愛者として名乗り出るのは内心の自由から外れている、だからお前は何も語るなという呆れた話も複数出ていた。
あげく「何が辛いのかわからない」
トラックバックとブックマークに並ぶ、理性を投げ捨てた暴言の数々、これが辛さだ。小児性愛者として生きるのは苦しいと吐露しただけで苛烈な攻撃を受ける。
「生まれてくるな」
小児性愛者も人間だ。好意、交わりたい欲求、実行してしまう衝動性はそれぞれ独立している。少なくとも私は自制できているし、実在児童を襲いたいとも思わない。
もちろん小児性愛者の一部に認知の歪んだ者がいることは否定しない。
では、児童への性加害者が多数属する異性愛者は、おしなべて反社会的なのだろうか。
繰り返すが、「無害な性的指向」の範囲を決定するのは多数派の胸三寸でしかない。多数派の暴力的感情論が少数派の階級を決定している。
ただ、すべての大人は、子を持つ人の警戒と不安を甘んじて受け入れる必要がある(いわれなき中傷は勘弁願いたいが)。
そして加害する大人は外面だけで選別するのが難しい。
セクシュアリティに関係なく下心を持って子供に接触する危険な輩はいるので、みだりに近付く人には注意するに越したことはない。
個人的体験談を語りたい。私に性加害したのは13歳年上の従兄弟だ。小学生の間はたびたび親戚の家に預けられていた。そこで何度も被害に遭った。加害者の従兄弟は現在成人の女性と子をもうけたのち離婚し、別の成人の女性と再婚しているらしい。アイツのせいで私はろくな性体験もないまま性器ヘルペスの保菌者となった。早く死ねばいいと思っている。
従兄弟のような少数の犯罪者が多数の被害者を生み、とばっちりのような形で属性ごと糾弾される苦悩は、小児性愛者でなくとも男性なら多少なりとも共感していただけるのではないか。
私は自分に性加害した人物と同じ括りで異常者扱いされるのは極めて不本意だ。
社会は小児性愛者を抑圧するより先に、チャイルドマレスターの概念の周知と対策について議論すべきではないか。
あなた方は先入観に基づく嫌悪にばかり注目して、問題の根を取り違えている。
気味悪がって疎外する前に、知ろうとしてほしい。
市民権を与えろと言うのではない。奪わないでほしい。
小児性愛者に限らず例え20代にせよある一定の年齢までしか愛せないというの、人間は絶対に歳をとるのに相手が老いたら性愛の対象じゃなくなるのが、自分の欲望ありきで相手を人間扱いしてないように思えてしまう。
「成長」を別の現象に置き換えれば理解してもらえるかもしれない。たとえば「5年付き合うと恋人の性別が変わる呪い」にかかったと想像してほしい。彼女が筋肉バキバキの髭達磨になる。彼氏が小柄で声の高い女性になる。それがきっかけで別れたとして、原因は果たして相手を人間扱いしていなかったからでしょうか、という話だ。
仮に心から好きになって成長したら(学年が変わったら?)好きじゃなくなるのってどういう感情なんだろうって。「◯年生? 無理」みたいなの。
小4以下と書いたのは二次性徴の兆候がある子が少ない時期だからであって、数字そのものにこだわりはない。見た目の問題なのだ。
俺はジブリでいうと宗介やマルクルのような子に特に魅力を感じるのだが、もし宗介が実年齢15歳だったとしても別に冷めはしない。
また、同じ当事者でも、好きになる「発育度合い」にはかなり個人差がある。思春期前期にこそ惹かれる人も少なくない印象だ。
性欲はあるが、並外れて強いわけではないと思う。私はあなた方と同様に自分を律せるので、実在児童を襲うことはない。
だけど性欲をゼロにもできない。だからせめて代替手段を奪わないでくれと繰り返しているのだ。なにも大手を振って通りを歩かせろというのではない。
自分でもわからない。根っからのペドが偶然被害に遭っただけかもしれないし。
純粋に、小児性愛であるという自覚をどう持ったかが知りたい。可愛いと感じる気持ちと性欲がどこでどう結びついたのか、そこにしか性欲が湧かないと自覚したのはいつなのかが気になる
本格的に目覚めた時期は中学生ぐらいだったが、それ以前から年下が好きなことには薄々気付いていた。
きっかけはネットで小さい子のスナップ写真やイラストを見てめちゃくちゃ可愛いくて興奮したことだと思う、たぶん。それからはネットで色々なものを漁った。
当時は規制が緩く、幼児も出演しているイメージビデオのシリーズ(※1)(※2)(※3)が普通に転がっていたりして、それを観る頃にはもうはっきりと「小さい子が好きだ」と自覚していた。
奇妙な話だが、私は児童そのものに惹かれると同時に、自分が児童になりたい気持ちが常にどこかにある。子供が可愛くて、もう自分がこれになってしまいたい。
小4ぐらいになって性的なことをしたいし、されたい。
なぜかこの願望は性虐待の記憶に干渉せず、虐待者への憎しみからは独立している。
※1 コンテンツが小児性愛を助長したという話ではない。遅かれ早かれ、どのみち私はこうなっていた。
※2 当記事は児童が出演する性的コンテンツを肯定するものではない。
※3 わかる人にはすぐわかるだろうがコメントに書かないように。
特に男性は肉欲と愛欲の距離が密接だから混同しがちだけど、誰かを愛してたり愛されたいんじゃなくて、一方的な欲望の捌け口にしているようにしているように見えるんだが…。異性愛でも同性愛でもそれはだめだよね?
愛し愛される関係には憧れる。しかしどうアプローチしたって、パワーバランスが極端に偏っている限り健全な関係は築けないし、相手の将来を思うと可哀想だ。だから何も望むべきではないと考えている。
口約束のみの交際なら、成長を待つまでもなく子供の気が変わって終わるだろう(※4)。
「シコるオカズが入手できない」ことを「生きるのが辛い」とまで言うのが理解できない。少なくとも、「パートナーとの関係を社会的に認めてもらえない」というLBGTの人の苦しみと同列に語れるものではないと思う。
「パートナーとの関係を社会的に認めてもらえないどころか、パートナーを作ることすら不可能でシコるオカズまでボコられる」という悩みはLGBTとは同列に語れないよな、確かに。
ゲイかつペドフィルかつ小児性被害経験者の俺としては、「ゲイはいいけどペドはダメ」という言説のあまりの多さに、己が分裂していくような思いがしますね。あーはいはい死ねばいいんでしょ、ぐらいの自棄さえ。
共感する。このコメントを読めただけで前回の増田を書いてよかったと思えた。
欧米なら2次表現も単純所持で刑事罰だったような?そういう意味では日本は大分恵まれてる?と思うが、何が生きるのは辛いんだろうか?
“欧米なら2次表現も単純所持で刑事罰だったような?”これが怖い。いつか欧米に右倣えで日本がそうなるかもしれないという不安が拭えない。
これって吐き気を催すエイジズムだと思うんだけど、普段反差別を主張する人々が支持しているのが信じらんない…
ていうか持て囃してる人って25歳という若さを持て囃しているだけだよね
少なくとも、女性にとって若さはハンデではなく武器にしかならないのに、そこを無視して若いのに凄いと持ち上げる向きには凄い違和感
同じ事を35歳の女性が言ってたら絶対、羊水腐ったBBAの嫉妬だの何だの言われてるでしょ
若さがちやほやされるような社会、年を取ったら切り捨てられるような社会で若者にどう希望を持てというのか
https://twitter.com/emil418/status/1706921339209269337
𝐄𝐌𝐈𝐋
@emil418
「この議場の年齢や性別の構成を見ても明らかなように、これから任出産する可能性のある当事者はどれくらいいますか?」
それな
それでも幼稚園はいる頃から日本に住んでいるので外国人っぽい訛りはないし、東大の文系に普通のペーパーテストで受かったから一般的な日本人よりもなんなら日本語ができるんじゃないかと思っている。
そんな私が日本で住んでいてちょっと生き辛いなと感じたことをまとめたいと思う。
就活は辛かった。
いろんな企業のインターンに行ったけれど、特に最初の自己紹介で大学名を言わないインターンではとても心がすり減った。
「外国人」「女性」というだけで人は相手が自分よりも下だと思ってしまうらしい。
自分が何かを発言するたびに、「でもその意見はこういうところがダメ」って否定してくる人とか、何言ってんだこいつみたいな顔をされるのがとても心に沁みた。
インターン最終日あたりで大学名を明かして、その後ガラッと態度が変わるのも人間の本性を見た感じがしてとても嫌だった。
本来、大学名を言わないのも、学生間で謎の序列関係ができるのを防ぐためだと思うけれど、学歴がわからなくても、「インターンに行った企業」とか、女性か男性かとか、外国人かどうかとか、もっと分かりやすいもので序列が出来上がっていくんだなと知った。
ご存知の通り、悲しい限りではあるが、日本の中国人に対する印象は良くない。
でも、学校でいじめられてはじめて、自分は他の普通の日本人と比べてどうやらハンデを背負っているらしいと気づくことができた。
そのおかげで、じゃあそのハンデを埋めるために勉強頑張んなきゃとなって東大に合格できたわけなので、あの時いじめてくれた人にはある意味感謝している(冗談、感謝するわけねえ、一生覚えてるぞ)。
大学に進学してから、外国籍の人は「通称」と言って、学校で日本人っぽい名前を名乗ることができる制度があると知ったのだけれど、もっと前に知りたかったなあ......、教養って大切。
親子関係は悪い。
私は日本の習慣にどっぷり浸かっていて、親は中国の習慣にどっぷり浸かっているので喧嘩が絶えない。
一番怒ったのは、飲食店に入って他の店で買ったテイクアウトのご飯を食べようとし始めたときかな。
日本では当たり前にやってはいけないことだけれど、中国では許容されるらしくていくら言っても理解されず、やめなかったのが悲しかった。
あとは、「はしわたし」とか、日本でタブーとされているマナーについて教えてくれる人がいないので、ダメだよと言われながら学んできた。
自分は良かれと思って、これ食べてみなって友達に箸で渡そうとして、ダメだよってキツめに言われたときにはちょっと泣いちゃった(自分が打たれ弱いのかも)。
小さい時に怒られるならまだしも、成人してからマナーで怒られるのはちょっときついね。
それでも自分は、「郷に入れば郷に従え」を実践しているつもり。
自分は、名前だけが普通の日本人と違っているだけだけれど、見た目がいわゆる「外国人」の方はもっと苦労しているんじゃないかなと想像する。
街を歩いているだけで、「あ、外国人だ」とか言われたりするの、想像するだけできつい...(でも自分もやってしまう)
自分も他人を、学歴とか、容姿とか、性別とか、年齢とか、話し方とかで評価したくないけれど、人間のさが的に難しそうだなと思う。多様性って難しいね。