はてなキーワード: バクとは
増田本人はそこそこ覚悟ができているのに(楽観的すぎるかもしれないけどこういう人が結局は強いのだと思う)、彼氏の方が自分はバクチみたいな人生歩んでるくせに妙に守りに入っていて結婚する気がなく、というかつまり増田の人生を引き受ける覚悟と勇気がない。研究者やるなら院生のうちに結婚したいと言ってくれる人がいることがどれだけ幸せなことかわかってない。
もう一押しして無理そうなら別れた方がいいと思うよ。
メリーガーデンに居住しているもののほとんどは既に大人になっていたりどこかで労働しているため、それが純粋な日本人ではなく、一度大きくなった大人であることは明らかであるが
脳実質に正しいところは何もなく、ほとんどは、知能犯の類と解されるので、ここの居住者に拡声器を放ってもそこに違法性はない。
またメリーガーデンにはおそらく一回も学校に行ったことがない 娘、女の子、などの弱者も含まれていると推測されるが、そのような人も、凶悪犯罪者だが、同居している大人とは
方向性が違うと解される。
ところで、一度大人になっていると、暴力性や知能犯さがあるわけだが、メリーガーデンの居住者は次の2種類に分けられる。(1) ただの悪人で知能犯的な犯罪者
(2)ただの日本人
(1)の人間の具体例としては、小俣とか晴生、井上修二などがありうるが、この種の人間の脳実質の状態で、数学の問題を見たとき、そこに上がってくるのは、東大に受かったことがない
劣等感、学生時代に試験ができなかったことのコンプレックス、 自分で解いた実経験がないことからくる嫌悪感からの、沈黙
(2)の人がみたときの感想としては、 おそらく、 くそつまんね、と思うか、勘違いをするか、 一部には、面白いと思う人も想定されるが少ない。
延岡に住んでいる人がバクサイを通じて数学の問題に関する文章をみたときの脳実質の反応として、 (1)の場合、不都合性からくる無反応 (2)の場合、そもそもみていないのではないか
7月22日以来来院されているが、福祉事務所の健康管理士と同伴して診察する。最初の診察では、日本人は大人が考えているようなものではないなどの持論を展開するが医師として
理解できなかったので、適当に話をそらして薬だけを出した。健康管理士からも、2ちゃんねるの性質や、黒羽刑務所でのことが消化できていないなどのコメントがあった。それ以後も定期的に通院
しているが、結局、診断では、自分は黒羽刑務所で作られたものであるいう主訴を曲げなかった上、科学的に高度なものに興味があるという世間話をしようとするなどした。しかし診察のたびに
医師として時間がなかったので話を切り上げて患者の話を聞かなかった。診察時における様子としては明らかに黒羽刑務所における体験が残遺しており、前の病院の診断通り、アスペルガー障害
と統合失調症が残遺している状況だった。前の病院は飯沼病院だが、最後の診断は、R4年3月7日に、立野玄一郎医師がASDとしており、厚生労働省でもASDで年金が認定されている。
医師の方が統合失調症ではないというと、冤罪で黒羽刑務所まで行ったのに回復するわけねーだろといったような怒号をあげる。健康管理士が誤魔化そうとしても効かない。とにかく、黒羽刑務所
に行ったのに助かるわけねえだろという主訴がほとんどであり、そのような点からも統合失調症と判断した。逆に夜間に運動をする習癖があり、主に自宅から荒川河川敷まで自転車で運動をしている。
荒川ゴルフ場の公有道路のところで拡声器を用いて意見を言ったり歌を歌ったりする習癖があるが対岸のマンション住人に面識はなく、ほぼ毎日のように荒川ゴルフ場に行ってそれをしているが、
逆に中央官庁や自宅周辺でやることは滅多にない。住居は生活保護世帯用の賃貸住宅で、たまに誰かが入ってきて物を盗んでいるなどといって室内で拡声器を放つことがあるが、窃盗をしている
疑いのある周辺住民に対する威嚇の趣旨で、具体的に周辺に誰が住んでいるのかは知らない。日中は明らかにほとんど寝ており、近所のスーパーに2,3日に一回買い物に行く。それ以外の時間
中学ぐらいまでは苛ついたら叫んでたんだよね。
家で叫ぶと怒られるから海とかで叫んでた。
社会人になっていきなりど田舎勤務に飛ばされたときにこの癖が再発した。
上司も左遷されたダメ人間オールスターみたいな状態で本当に辛かったのもあると思う。
田舎で人の居ない場所は選び放題だったから周囲に人がいないのを確認して定期的に叫んでた。
でもある日、山の中で叫んでいるのを「最近あの辺って山犬?鹿?熊?の声が聞こえるよね」って噂になった。
それ多分、私です。
山の上で叫んだら麓に結構届くんだね。
流石にこれで自分が原因だって分かったら現代妖怪としてウォッチされてしまうと思って我慢するようになった。
代わりに枕を殴ることが増えた。
でもこれやると2ヶ月ぐらいで枕が壊れるんだよね。
ボコボコに粉砕した枕を社宅のゴミ捨て場に2ヶ月おきに捨ててたら、それが噂になった。
どうせ捨てるんだしと最後ビリビリに破いてたんだけど、それが「ナイフで滅多刺しにしてる。多分誰かの子供がストレスで不良になったんだ」って話になってた。
これは不味いな。
団地のフォークロアとして独身のままBランク怪人人妻みたいな扱いになっちゃうな。
でもね、出てくる時に職場の人に合っちゃったの。
田舎のカラオケ屋だから壁が薄いし、アニソン歌ってたの聞かれてんなって。
自分の趣味を職場に知られたくなかったのでもう二度と行かないことにした。
せっかく言ったのに流行りのJ-POPで縛るとか辛いだけだし。
ムカつく連中の悪事を書いた閻魔帳を用意するというのは結構楽しかった。
でも纏めてくとしょーもない奴らしかいないなって気づいた。
何百万もふんだくれるようなハラスメントをしてるのも見たことないし。
たとえばこれをライバルの会社に送っても相手にされないだろうな。
そんなこんなでたどり着いたのがシャドーボクシング。
相手を椅子に縛り付けている状態をイメージして顔面をひたすら殴る。
デブは柔らかそうな腹を殴る。
ただただ殴る殴る殴るたまに蹴る。
人間って人間を殴るのに向いてないんじゃねっていざ殴りまくって初めてわかった。
スポーツショップで自由に殴れるサンドバッグを数発ベシベシしたことはあったけど、何十発もワンツーしたわけじゃないから知らなかった。
あいつら体力スゲーなって今わかった。
ダンス真似してみてアイドルの体力おかしいだろって気づいた時以上にヤバさを感じる。
虚空殴りは本当にいいね。
枕殴りのときは流石に床に響かないぐらいを意識するけど、虚空殴りは足運びに気を遣えば床もきしまない。
カーテンちゃんと閉めてるの確認したらあとはひたすら全力で拳を振り回す。
非力な拳だろうけど流石に50発も打ち込めば歯の一本ぐらいはへし折れんだろとひたすらに叩き込む。
ほとんど開かなくなった目の奥から許しを請うような光が覗き込んでいるのを思うと、人間なんざ最後は暴力でボコれば終わる程度の奴らだってよく分かるね。
よく言う「筋肉を鍛えまくれば、いざとなったら殴れば良いと自信がつく」って話はこういうことなんだろう。
しびれ薬でも盛った想定でただただ殴り続けてやればいいだけなんだ。
凄い疲労感。
これが正解だったんだなあ。
でも実家にいた頃に虚空をボコボコ殴ってるの親に見つかったらキマづさがヤバかっただろうな。
一人暮らしサイキョー
まず理解できないことが大分地裁民事第2部の石村智は何が面白くて裁判官の仕事をしているのか理解できない。安倍政権から岸田政権の15年間を通じて裁判官は裁判所に
座っているだけでいいなどとバクサイなどで言われ、会社員の法務部からは、裁判官は話を聞くことしかできないと言われながらもその仕事をしている。
それを統括している司正裁判官は佐藤だが、まず自分の仕事に何も意味がないということを理解していない。
しかも、裁判所は、さいばんしょ、と呼ばれるのではなく、 さいばんじょ、といわれている。 まるで べんじょ、 というように。
これだけ世間からバカにされてこの仕事をする時点でおかしい。また最近では、 にんかい辰哉やあまねも、東京高裁に戻っているが、しらちゃんから、さいばんじょは何もできませんとか言われたり
谷水文香から、何も意味のない仕事と言われながら、やっている時点でおかしい。しらちゃんが、仕事から帰ってきて寝ることはあるかもしれないけど、くそつまらなすぎて同調できない。
義兄は義実家(飛行機でないと通えない距離)に住んでいて普段会うことはない。
数回だけ会ったことはあるが会話はしたことはない。挨拶しても無言でスルーされる
会話できないくらいで害はなく、関わらなければまあ大丈夫かと思ったのが甘かった。
(自分の親に結婚の反対はされなかったが今となっては全力で止めて欲しかったと他力本願な後悔をしている)
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先日はじめて警察沙汰を起こされた。
簡単に言うと自宅を襲撃されかけて、警察指示でホテルで数日避難生活を送った(なお子持ち)
経緯を話すと
・義兄が突如実家から抜け出して行方不明になった→義両親が警察へ相談
・義兄は被害妄想持ちで私の配偶者含む自分の親兄弟を恨んでいる(会話が成り立たず年々関係悪化、罵倒の連絡がくるためブロック、着拒などしていたらしい)
・警察からは、我々が住む街・自宅まで義兄が襲撃に来る可能性が高くすぐに避難してほしいとの指示
・事前に警察が我が家に来て、襲撃があった場合の避難ルート確保などもして物々しい雰囲気
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そもそもフル共働き幼児アリで精神的余裕も時間的余裕も全くない状態。
子も私も一緒に襲われる(殺される)可能性はないとは言えない。これまでの人生で命を狙われた経験ないので心臓バクバクで不安な日々。
結果、ホテル代の負担も重く仕事もあるので数日で自宅へ戻った。その後義兄は他県(なぜかは不明)でうろついていたのを発見・確保され、いま強制的に施設にいる。一時的な措置なのでいずれ出てくる。
義両親に謝られたが正直許せていない自分に凹む。義両親はいい人たちではあるのだ。
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モヤってること1
その状況に対して配偶者の安全意識がかなり低いこと。最低オートロックなどの安全性がある環境に引っ越した方がよくないか?と話したが特に何も行動しない。お金をかけたくないのが理由だそう。
モヤってること2
義兄が施設から出てきたらどうなる?またいつか襲われるリスクに怯えながら過ごすのがかなりストレス。正直子と一緒に逃げたい。ただ残された後の配偶者が可哀想でもある。でも巻き込まれたくないと考えてる自分がいる。
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女性声優が街で男の人に助けられてから結婚まで行ってたケースを見て、街の女性を積極的に助けようとするチー牛が息巻いているが、俺個人の経験から言うとチー牛が女性を助けてはいけない。
なおこれはもちろんn=1のケースであるため、お前の場合だけだろう、俺は人を助けるって気概があるやつを止めはしない。
数年前の話になるが、俺は夜の街で酔って倒れてる女性を見かけて、そのまま路上で寝てると危なそうだから声をかけて介抱したわけ。介抱つっても触ったりはしてない。横から大丈夫ですか〜って声かけただけ。
意識なさそうなら救急車だし、ある程度意識あるならタクシー呼んで乗せればあとはいいだろって思ってたわけ。幸い意識自体はあって生返事を返すくらいだった。
そしたら警官が寄ってきたんだよな。驚いたんだけど、どうやら俺が声をかけてる様を見て、誰かが警官呼んできたらしい。俺に対してめちゃくちゃ横柄に当たり強く尋問してきた。
面識がないって言っても、助けようとしてるだけって言ってもあんま信じてもらえなかったんだけど、争ってるうちに女性の意識もそれなりにはっきりしてきて、何もされてないです、面識もないですって証言してくれたから、ギリギリ謂れない逮捕を逃れることができた。
正直助けたことよりもめっちゃ心臓バクバクして、どうなることかとビビりまくってた。女性がたまたまいい人だったからよかったけど、触られたかも……みたいなこと言い出されたらどうしようかって思ってた。マジで死ぬ前の走馬灯みたいに、これからどうすればいいんだろうって会社のこととか人生のこととかウワーって頭の中駆け巡るわけ。
それから俺は女性を助けるのはやめるようになった。少なくとも、俺みたいなチー牛が女性を介抱するのは罪になりうるんだって学んだ。チキンすぎるって言われるかもしれんけど、こればっかりは疑われた人間しか分からんと思う。
時折、ふと思い立ってPCの画像を見返してると大きさ240x320の画像群がずらりと並んだフォルダを見つけて開いてみたら自作のアナログ絵をブツ撮りした画像が並んでて羞恥に塗れたリア厨時代の痛々しいネト活の記憶が光の速度でAMSから逆流するように蘇り心臓バクバクさせながらフクロテナガザルのケイジくんみたいな奇声を上げてイキュラスキュオライキュラスキュオラキュラスキュオラ!することってあるじゃないですか。ありますよね。あるんですよ。
私も昨日、昔撮ったきゃわいいきゃわいい飼い猫の写真を久々に見ようかと古い順に画像をソートしたら見ちゃいましてね……中学生の時に愛していた絵師様に向けて描いたキモすぎるラブレター的なアレとかアレとかアレとかをさ。
もうサムネ見た瞬間ビクッとなったんですけど、じゃあはよ消せよって話なんですけど、そんなんでも色々思い出が詰まってるんですよね。キモさの中にも美しさがある、痛さの中にも気持ちよさがある、親しき中にもレズがあり、みたいな。
そんな中学時代の汚らしくも輝かしい青春の記憶を今、絶妙に嘘松を交えながら赤裸々にここに綴る。
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私が絵を描き始めたのはそれこそ物心ついたときからで、母に聞かされた話によると同じ保育園に通ってたお隣の子が上手なおジャ魔女どれみの絵を描いて私に自慢しに来たのが始まりらしく、対抗心を燃やした私は連日おジャ魔女どれみを描きまくっていたらしい。その傾向は小学生になっても変わらず学校の休み時間はひたすら自由帳に絵を描き、帰宅しても夜まで絵を描き、休日は画用紙と絵の具を使ってカラー絵を描くという毎日を送っていた。
そして小学3~4年頃に美術館で観たアンドリュー・ワイエス展に衝撃を受け西洋美術に関心を持つようになり、本格的に勉強したいと思うようになるのだけど…。
5年生になった頃には私の身長は170cmを超え、親にも親戚にも「アンタそんな立派な体してるんだから何か運動したら」と事あるごとに言われるようになり、当人らは特に他意無く適当にそう言ってたんだろうけど、言い返せない、断れない性格の私にはその一言が重くのしかかり、渋々陸上部に入部する。
さすがに身長の高さゆえか男子女子問わずほとんどの部員より足が速かったためそれなりに記録を残すことができ充実感もあったのだけど、やっぱり勉強以外の時間は絵を描きたいし、特に休日に大会があるときなんかは切実に辞めたいと思った。でも親は陸上頑張ってて偉いね、なんて言うもんだから。別に親は悪くないんですけど。
そんな調子で2年間を過ごし、卒業まであと3ヶ月という頃にはすっかり絵を描くこともなくなってこの世で一番アンドリュー・ワイエスから縁遠そうな、カリカリに日焼けした野暮ったい私がそこにいた。そして中学進学に向けて色々と準備をするなか親に渡された携帯電話、これが私の人生を良くも悪くも大きく変えてくれたのだった。
当時インターネットなんて全くわからなかった私は、漫画誌に載ってたフォレストページの小さな特集を頼りに、検索でたどり着いたイラストサイトのリンクやランキングサイト経由でその手のサイトを読み漁っていた。そういえば私絵描くの好きだったなとか思いながら。そして、ある絵描きさんの作品に一目惚れし、その方のサイトの掲示板に初カキコ…ども…してしまう。そのHPは0zeroというドメインで、一番画像を綺麗に貼れるとかで絵描きに好まれていたとかなんとか。
コピックエアブラシで描かれた色鮮やかな夕焼けと少女、油絵の具の力強いマチエールの上に描かれた少女、鉛筆で描かれた量感溢れる少女の裸体、どれも本当に素晴らしかった。何で全部少女の絵なんだろ?と思ったけど。
もう一生懸命考えて思いつく限りの称賛を書いた長文を投稿した瞬間からドキドキですよ。もう興奮で夕飯も喉を通らない有様でF5アタックみたいに更新しまくってひたすら返信を待ち続けたのだけど、最初に貰ったのは社交辞令的な一行返信だった。がっかり…。が、後日めげずにこの絵はどんな方法で描いたんですか?それってどんな画材ですかなんて引き続き書いてみると丁寧にコメント返してくれて、油絵の具ってそんなに高いんですか!?私のお小遣い月1000円だからとてもじゃないけど手が出ませんね、なんて言ってみると「あなた何歳?」って。んで11歳です、と。すると、「じゃあ私の持ってる絵の具あげるよ、今度会お?」と言われて。
しばらく固まった。どう返信していいかわからなかった。それで母親にそのことを相談したら最初は「馬鹿な子だねそんな知らない人とやり取りして」そう怒られたけどどうしても油絵の具が欲しくて、最終的に私書箱経由で絵師さんが電話番号を教えてくれて、絵師さんと母が直接電話をし、母同伴で絵師さんと会うことが決まった。そんときリアルにジャンプしてガッツーズしましたよ。
そして絵師さんは隣府県に住むとても礼儀正しい芸大1年のお姉さんで、母としては好印象だったらしい。実際、母も当日たくさんお土産渡されて即堕ちしてたし。
春休みを迎える頃には私はすっかりお姉さんのサイトに入り浸り、連日絵を投稿しては色々アドバイスしてもらったりキャピキャピ雑談して大学生の世界を教えてもらったりと楽しい日々を送っており、さらにはお姉さんの通う芸大の卒展に連れて行ってもらったりして私はすっかり美術の世界に舞い戻り、既にお姉さんのことが好きになっていた。本当にお姉ちゃんが出来たみたいだった。そして両親に東京の美大に行きたいと言ったらすげえイヤな顔された。そりゃ確かに、費用がね…。
そして中学最初の夏休み、一緒に宿題を片付けて合間に絵を教えてもらうという名目でお姉さん宅に長期のお泊りをすることになるのだが、これがあかんかった。まああかんかったよ。
隣府県の郊外にある2Kのアパート、そこがお姉さんの住処であり創作の現場だった。部屋中に飾られた素描や水彩画、見たこともない大きなカルトン、イーゼルに立てられた描きかけのよくわからないけどかっこいいのはわかる油絵、全部を束ねればお姉さんの腰くらいになりそうな大量の絵筆と少しだけ錆びついたナイフが並んだテーブルに乱雑に置かれた混沌色に染まったパレット。そして棚に並べられた大量の本とCD。
やべ、カッコよすぎて漏らしそう。でも同時にいつもどおりの田舎臭いガキ臭い格好をしてこの部屋に足を踏み入れた自分が凄く恥ずかしくなった。
ただ、テーブルの上に飾られた「スーパードルフィー」なる人形だけは正直キモイと思ってしまった。学生服を着た二体の少女人形がお互い腰に手を回して座りポースを取っているのだが、その光景に何か変態的なものを感じたというかのちに私の勘は完全に正しかったのだと判明する。
うん、確かに宿題はすごい勢いで片付くし、特に苦手な数学は私が完全に理解するまで根気強く教えてくれて本当にありがたいし、絵は美大予備校でやるレベルのことを丁寧に惜しみなく教えてくれる。家事も一緒にやって料理もそのときにちょっとだけ覚えたし、お姉さんが影響されたっていうオノ・ナツメの漫画とかミギーのイラストとか、他にもボナールとかセザンヌとかいろんな画家の画集を見せてくれてカッケー洋楽を教えてくれたり一緒にビデオを借りに行って映画もたくさん見せてくれるという、いたれりつくせりの家庭教師っぷり。おお、私の田舎臭が浄化されていく…。
ただね、この人近いんすよ、距離が…。
ちゃぶ台に座って宿題やってるときはお互いの肩が密着するくらいくっついて耳に息がかかるくらいの距離で喋り、計算間違いしたり誤字ったりすると足裏をくすぐってきたり、考え込んでると腰に手を回して太ももを撫でてきたり、絵を描いてるときはまたも背中にピッタリ身体を押し付けて色々助言しつつも肩から肘までねっとり撫で下ろしたりしてきて、上手に描き終わったときは思い切り後ろから抱きしめて私を褒めながら脇腹をくすぐってきたりして、とにかくボディタッチが激しい。
で、私がくすぐったがるとお姉さんもケラケラ笑って冗談っぽい雰囲気になるので正直イヤなんだけど拒否しずらいというか私もちょっとくすぐり返したりしてるうちにお互い距離感も縮まり、遠慮がなくなってきてタメ口で喋れるようになったのもあっていつの間にかすっかりお姉さんのボディタッチを受け入れてたんですよね…。
そうこうしてるうちに2週間が過ぎ、翌日は待ちに待ったコミケに連れてってくれるというのでもう我は有頂天である。私はね、去年から流行ってたボカロが気になって気になってどうしてもCDが欲しかったのだよ。しかも事前に宿を取ってくれていて二日目も参戦できるという。そんなん友達に自慢しまくるしかないやん!!!!
その日の昼には車で東京に向けて出発し夜にはホテルにチェックインしました。
そして念願の初コミケ1日目はお姉さんのサイトに常駐している何人もの神絵師さんと会場で初対面し手描きイラストを沢山プレゼントしてもらい号泣しちゃったり、(特にSAINTさんという鳥居、紅葉、月夜と和服の女性をモチーフに厚塗りリアルタッチの作品を描いてる絵師さんが好きで、その人に貰った絵はその日一日中眺めてました。しかもクソイケメンだった)35度の炎天下で水分補給を怠った結果熱中症でゲロ吐いてぶっ倒れたりと惨憺たる有様でしたが、二日目には「ねんがんのSupercellのCDをてにいれたぞ!」したり恥ずかしながら寄せ書きコーナーでミクを描かせてもらったりと最高の一日になった…はずでした。その夜の出来事を除けば。
結果的に言うとその日の夜お姉さんに犯された。ホテルでシャワー浴びてるときにお姉さんが風呂に突撃してきて、私の身体を洗いながら今までにない冗談抜きのマジ顔で全身くすぐりまくってきて、特に脇腹と胸を執拗に愛撫されてイかされた。抑えきれない全身の痙攣に襲われ貧血でぶっ倒れたときみたいな状態になって何の抵抗も出来なくなったらベッドに連れてかれて体感的には一晩中乳首いじられながらクンニされて涙流しながら喉が枯れるほど叫んで何度も何度もイかされ続けた。ちなみにそのときの私は性的欲求なんて皆無だったしオナニーすらしたこともない。そりゃ12歳だしね。
そして帰りの車で初めて会ったときから私を性的な対象として見ていた、卒展で再開したときには実行するかはともかくこの計画を立てていた、そしてこの夏に私の日焼けした肌を見て、直接触ってみて欲求を抑えきれなくなったとの供述をし始めた。曰く私はくすぐりに対しての反応が非常によく、沢山くすぐって何度も乳首にタッチした日は洗濯物に出した私のパンツにしっかりヌルヌルしたものが付着していたので、着実に性感開発されててこれはいけると確信したと。
帰路はずっと涙が止まらなくて、でもお姉さんは自分は今で言うとこの性的マイノリティだとか言いつつ潜在的に君はレズだからこの経験は後に良いものになる、私のこともホントは嫌いじゃないはずとかぬかしやがってさ…。確かにまだ嫌いではないよバカ野郎。お前にされたことが予想外かつショックすぎて泣いてるだけだよ。んで家に帰ったらもっかい同じことするから嫌なら蹴るなり殴るなり親や警察に通報すればいいとか言い出しやがって。
で、その日の夜またお姉さんに風呂で全身くすぐられて乳首いじられながら玩具使いつつクンニされまくってイきまくった。俺は今度こそ限界だと思った。その頃にはマジで気持ちよくて、ていうか他人に逆らうのが苦手な気質のせいかお姉さんに反抗する気持ちが湧かなくなってたので。
その日以来、私はしばらくネットを止めてお姉さんとの連絡も断っていたのだけど疲れからか不幸にもお姉さんのサイトにアクセスし私書箱から久々の連絡をしてしまう。私もうすぐ冬休みです、と。
そしてサイトの掲示板ではクリスマスに皆でパーティーしようかという話にいつの間にかなってて、新しくサイトの一員になった秋間(かずひさんだっけ?もう名前忘れたごめん)さんというパステル画の達人も加わり互いの絵を持ち寄って見せ合おうという話になる。
大阪のカラオケボックスに集結したお姉さんに一生さんとかSAINTさんとか秋間さんとか特定されないよう他1名と記すけど5人の美大芸大ガチうま絵師さんたちの生イラストを観て立ち直らねば、あの日覚えた行為の名をググって知って自慰行為も知っちゃったけどやっぱ真剣に絵を描かねばという気持ちになるわけですけど、解散後にまたお姉さんに誘われていつものアレをされて、もう全部が台無しよ。
そして図々しくも来年の夏休みもまた一緒に過ごそ?とか言われて。まあ結局そうなるわけですけど。
でも翌年の夏休みは他の絵師さんにも事前に連絡を取り付けてお姉さんの住所を教えてたおかげで日中はセクハラされず夜限定になったわけですけど。そして夜にはお姉さんの所有する大人の玩具がつよつよすぎてまた屈してしまうというかそれ耐えるの絶対無理ってなって中2のときは毎週のように逢って電マの威力に屈服させられたりしてたわけですけどさすがにお姉さんも4年になると私を相手してる余裕が無くなったらしく卒業と就職の準備に時間を割き始めて私はお姉さんより3歳年上のSAINTさんと蜜月になって、彼は愛知住みだけど何度かデートしてたらお姉さんの耳にその情報が入ってしまい、また自宅に呼び出される。
SAINTさんは紳士すぎて何もしてくれないので久しぶりのお姉さんの責めに期待してたら駅前で対面即泣かれて、よくよくその理由を聞いてみたら「あなたホントは私のこと好きなのに男と付き合ってどうすんの思春期の一時の感情に惑わされないで絶対後悔するよそれはそうとしてまたあのときの快感を思い出させてあげる」とか言われてお姉さん宅連れて行かれたわけですけど、連れ込まれた先はいつものあの部屋とは思えない綺麗に片付いた状態で「私は来年東京に就職に行くけど貴方は来れないよね」なんて言われてまた泣きつかれて。親には聞いてないけど多分無理でしょと答えたら今までにない本当にあたたかい感触でギュッと抱きしめられて「好きだよ…」と言われた。今だから言えるけど私もお姉さんのことが部分的には嫌だったけどやっぱり大好きだった。そしてもう今までのように会えないんだなって、その時悟って泣いた。
でもお姉さんに教わったことはずっと忘れないし、私は必ず絵の道に進むしそのとき必ずまた会えるよって言ったらお姉さんはコミケ帰りの私みたいにぎゃあぎゃあ泣き喚いてて、その姿が可愛くてギュッと彼女を抱きしめた。これが私達には一番心強くて、私達の絆を感じる行為だってわかってたから。そして携帯を取り出してお姉さんのサイトを開いて「私はいつもここにいるから、寂しくないよ、みんな一緒だよ」って。
その日はお姉さん家に泊まってずっと抱き合って一緒のベッドの上で寝てた。SAINTさんとの浮気をチクチク糾弾されながら。
その後、私が3度目の夏を迎えた頃にはお姉さんのサイトはすっかり過疎っていて、連絡しても一月に一回程度、たまに返してくれるくらいの頻度になり、絵を描きつつもバンド活動にハマってお姉さんにそのことを報告しようとしたら去年東京で結婚したとの書き込みを期に更新が途絶えていて。私もこのサイトのことは忘れよう、あの頃のことは忘れようとなってtwitterやpixivに活動の場を移すうち、いつの間にかお姉さんのHPは(0zeroからecacoへとドメインを変えて必死に延命していたらしいけど)サービスもろとも綺麗サッパリ無くなっていました。
平成の日本の世間の中には、暗黙に、その中心に、こう悪魔的といいますか、とにかく性に狂う悪い女性器が常に潜んでいて、その周辺に様々なものが発展しているという構造をとるわけ
ですがところで、現在でも存在する臭そうなマンコというのは別に、昭和40年代にもいなかったわけでなく、1970年にもいたわけですが、もしその女性がその当時に25歳だったとすると
それから53年経過しているので、そこの写真の写りこんでいる人は、78歳かその前後なわけですが、もしその女性がまだ生きているとしても出てこないわけですね
1970年当時に25歳だった女性もバリバリマンコですので、じゃあその人が78歳になったらどんな感じの人になってるかというのも分からない。
(2) 日本の実質的支配者だと思っていたイオンが、 法的にはただの総合小売業の株式会社でしかなかったことを知ったときの絶望
イオンリテールって日本の実質的支配者のようにみえますが、経済的に言えば、 総合小売業という株式会社なんですね、ただその規模が大きいだけでただのスーパーであるわけです。
確かにイオンには色々な店が入っているのでイオンを、総合小売業の株式会社の過ぎないと認識している人はいないと思いますが、それを知ったときのがっかり感ははんぱないものがあるのですね
イオンリテールがただの業者であることを知ったときというのは支配人などがただのおじさんやおばさんだったり、その支配人が警察官でも別におかしくないことを知ったときですが
警察がクソで、イオン(株)が現代を支配していると思っていたのにそうではなかったときの怒りは凄まじいものがあるとおもうます。
(3) 新発売のスマホ、 クソの役にも立たない監視カメラ、鍵ロック
イオンなどでは従来からガラケーなどを売っていたが最近はそういうものが全部スマホとかいう絵柄だけのクソ端末に移行し、 自宅を監視する監視カメラなどもイオンのフロアに売っていますが
まあなんの魅力もないですね。やる気のかけらもない。
(4) クソみたいな書籍部
インターネット通信の発展に伴い、 2ちゃんねるやバクサイが活況を呈したあげく、インターネット上に、匿名で、違法業者が様々なわいせつコンテンツを挙げたり、10年前などには
多くのものが犯罪をやって刑法がごみになった時代もあったりしたので、書店といいますが書籍部がまじでクソで、買うに値するような本がない。
平成30年11月6日前後から富澤佳代子のシェアハウスの206号にいた池田に何回か冷蔵庫の開け閉めを大きな音を立てさせる、暴行をさせるが知らんふり。
平成30年3月29日から仕方なく保護費を振り込むようになるが当初全然増加しない。
佐藤との顔合わせは平成29年3月頃。 平成29年7月に渋谷の整形をしたとき、どのような理由で晴生に22万円を出させたのが不明。その22万円の意味はその後に
しっかりアパート費用に来ている。 令和元年12月に町子の家の掃除をしていることを知っていた。
令和3年9月16日に精神障碍者通報したリバージュシティのままんと同じようなままんがメゾントキワダイにも住んでいるのを知って知らんふり。
令和5年1月20日ー4月30日までは様々な歌詞を印刷して歌っていたので近寄れなかった。 令和5年5月1日以降、バクサイに公的証明書を貼られた怒りから10日連続で
110番通報をしている。特に令和3年における犯罪は酷く、 1月下旬は、イオン板橋前野の出入り禁止、4月22日に荒川ゴルフ場で大けがするようにし、8月4日にぷちくらが出てきて
殴る、9月16日にわらび警察署に保護し、9月25日に静穏妨害で取り調べて送検。
令和5年5月1日から、自転車のチェーンが脱輪するようにして天地歯科の自転車を窃盗するようにする。 チェーン脱輪は昔からあるが、セオサイクルでは藤井に色々言わせて修理費用
令和2年10月6日に荒川ゴルフ場で後ろから村田を出す。警棒で殴る。 令和2年11月27日に大分県警で保護。 園田晃也。 引き取りに来た晴生のことも知っている。
令和2年7月にネットライドキャッシュで39万円を詐取して返金しなかった。町子の家の横の家は昔、老夫婦が住んでいたが最近はその息子が住んでおりその当時にほくそえんでいた。
■MYIY(ミイーイ):やるべき事に着手すべき時が近づいてくるときの圧迫感「もうすぐ・やりたくない・嫌な事を・やらなきゃいけない」の略。
■WYNT(ミント):やるべき事を始めるべき時間になったのに切り替えられない時に感じる後ろめたさを伴うストレス。「もう・やらなきゃいけないけど・Not・着手」の略
■TCJND(ティシジェンド):当初の予定ではバリバリやってなきゃいけない時間帯なのにスマホ等にいじっている時に感じる脳の負荷。スケジュールを組み替えればまだリカバリが可能だと思っている「とっくに・着手してるべき・時間帯なのに・なにも・できてない」の略
■MHYMD(ミハイムド):締め切り前の日曜日の夜9時など、ラストチャンスである事は分かっているのに着手できない時に感じる自分への絶望感を伴う諦念「もう・本当に・やらなきゃ・間に合わないけど・できない」の略
■NDKT(エヌディクト):徒手空拳で提出や報告タイミングが来てしまったときに感じる胸のバクバク感。「なにも・できてないのに・結果を・提出しなければならない」の略
後はこれらそれぞれへの対処法を考えるだけだな。
俺は休日出勤中に何書いてんだろ。
https://togetter.com/li/2142288
ピーマンの肉詰め作って「こんなの」呼ばわりされたら、そりゃ作った側は辛い。
これは確実に言える事だけど、食べ物の好き嫌いは少ない方が絶対に良い。
単に栄養バランスがどうのという話だけではなく、人間関係の構築にも大きく影響するからだ。
冠婚葬祭に加え、なんらかの交渉を行う立場になれば会食の機会なんて腐るほどある。
食事を共にするという行為は、例え言葉が通じない相手であっても一定の信頼関係の構築に繋がるからだ。
「時代遅れだ」「価値観のアップデートが足りない」と言ったところで、会食というコミュニケーション手段の効果はそうそう変わらない。
もてなしとして出された食事に、特別な理由も無しに一切手を付けないという事はどう繕っても相手に失礼な行いだ。
友人関係の構築でも好き嫌いが少なく食事の選択肢に困らない人と、好き嫌いが多く「あれはダメ、これも嫌」と注文の多い人とではどちらが付き合いやすいか自明だろう。
もちろん好き嫌いがあっても我慢して食べられるなら、その場その場はなんとかなる。
とはいえ好き嫌いが多い人にとっての会食は、例えるなら慣れてないのに虫やら蛇やらモルモットの丸焼きやらを食べさせられる様なものだろうから、どうしたってストレスを感じる機会が増えてしまうだろう。
好き嫌いが少なく楽しめる食事の選択肢が多い人ほど、人生楽に過ごしやすいと思う。
だから親心として子供の好き嫌いを少なくしたいってのは分かるんだよね。
ただ子供の頃の味覚と大人になってからの味覚ってかなり変わる。
おれだって昔は全然ダメだった、「ふき」や「つわ」を食べられるようになってきたもん。
ピーマンにしたって子供の頃は全然ダメだったのに、大人になったら普通に美味いって人も結構いるしね。
子供の事だからって親が全部コントロールしなきゃいけないって訳じゃないし、むしろ子供を制御下に置こうとし過ぎる事が虐待に繋がったりする。
子供の味の好みも千差万別で、一概にこれが正しいと言える訳でもない。
ピーマンの肉詰めが苦手なのに、生のピーマンに鶏つくねをねじ込んだやつはバクバク食べる子もいるくらいだ(長く加熱して食感がふにゃふにゃになったピーマンが苦手らしい)。
食育だのと言われる様になって久しいが、子供自身が栄養バランスとか考えられるくらいの年齢になるまではあんまり気にしなくてもいいんじゃないかと思う。
それからブコメで虐待だなんだって言ってる人が居るけど、この程度の愚痴で虐待認定するのは流石にどうかと思う。
元々、平成23年頃までは、社会にはイオンしかないし、市役所や官庁など存在しない、つまり、日本はイオン大国であるというのが世間のおばあちゃんなどに浸透していた
日本人の頭の中には当然、自分の幸福を実現したいとか、言う感じの悪魔が潜んでいるので、当然、岡田克也の中にも、もう、社会には何の価値もない、という悪魔がいる
そういう悪魔の考えるところの自然な流れ、 もう金にも価値がないから、一時期はかなりのスーパーが、無料でもっていってもいいということをやっていた時代もあった。
なんでそうなるかというと、日本人の性狂いっていうんですか、それプラス、悪魔的なところがあるので、いつの時代も臨機応変にやっていたから
最近では、岡田克也がバクサイや2ちゃんねるでバカにされたので、もう何も価値がないと思って、ただで持って行っていいという思考になったこともあったのですが、もうこの会社はだめですね
なんでかっていうと、店員がババアだらけでもうなんの執念もないっていうのですかね、
それから日本でいわれる、悪人、というのは、 力が強い者 のことを言うのですが、
ああ、そういえば、今の社会はあるように見せているだけでないといって、白山のサラリーマンが激怒していたんですが、要するに、バクサイもしくは2ちゃんねるに書いてることが本当で、
社会にはないっていいたいんですね
俺の社会的地位を証明するものを不特定多数が閲覧するインターネット上にアップロードするか。
https://bakusai.com/thr_res_show/acode=13/ctrid=6/ctgid=150/bid=2525/tid=11091165/rid=1147203932/1
なお、リンク先のバクサイの画像掲示板にアップロードされている卒業証明書について説明しておくとこの証明書は本人にしか交付が許可されないものであり、学部内の職員が、勝手にアップロードすることは通常考えられないので、この証明書をアップロードしたのは、本人である。
次に、証明書に記載されていることについて説明すると、 私法コースとあるのは、 東京大学法学部の3つのコース
のうち、 (1)は、主に、憲法と行政法を専門にし (2)は主に 民法、商法、民訴法 (3)は、 政治学を専門とする。
このスレッドの運営者は、そのうち、 (2)の 私法コースを卒業したことが証明されている。
最後に、この証明書の交付を受けたのは、 令和4年9月20日とあることから、最近のものである。
また、国立大学法人は、民法によって設立された法人であるから卒業証明書は私文書と理解されるが、この私文書には、学部長の私印が押されており、画像には学部長名に
山本隆司と書いているが、東大法学部のサイトから、学部長がこれであることが確認されるので、上記に掲示されている写真が、交付を許可された本人がアップロードしたものであることに
間違いは認められない。
英語圏の友達を作るために始めたんだけど、日本語でもかなりのメッセージが来る。
殆どが「会おう」とか「何カップ?」とか「パンツ見せて」とかなんだけど、その中でたまたま丁寧な挨拶と自己紹介を書いたものがあり、やり取りする様になった。
3ヶ月くらいダラダラやり取りする中で、向こうが二十代の社会人でこれまで彼女がいなかったということを知った。そのことで捻くれた発言や自己卑下をすることもあったが、基本は優しい人だった。
ある日何気ないメッセージから写真の交換をした。とても可愛いと大袈裟に褒めてくれて良い気分になった。向こうの写真を見ると、たしかにイケメンではないが、とても「ブサイクで一生彼女ができないレベル」には見えなかった。「全然ブサイクじゃないじゃん」と言ったら「じゃあ俺とキスとかできる?」と言われたので「できるよ」と答えた。
その時はそのまま話が変わったが、その後またふとした会話がきっかけでLINEを交換することになり、実際に会うことになった。
向こうはかなりおどおどしていたが、実際に優しい人で一緒に買い物したりご飯を食べるうちに打ち解けた。そしてそのあと、私の部屋に誘いそこでセックスした。私がリードしてセックスは無事終わった。
あの時、彼は「〇〇のお陰で自信が持てた。ありがとう」と言っていた。しかし、実際には私もそれが初めてのセックスだった。ネットで色々調べたり女性向けAVとか見ながら事前に予習し、内心心臓バクバクでガチガチになりながらセックスしていた。
自信をもらったのは私の方です。
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タイトルの通りであるが、私がこの世で1番憎んでいた存在が死んだ。祖父である。ただ気持ちの整理のために書き出そうと思う。乱文で申し訳ない。
気づいた時から家は異常だった(と思う)。常に怒鳴り母の悪口を言う祖父と、舅の罵声に無言で耐える母、それに無関心な父と兄弟たち。祖母は祖父をなだめるだけ。結局家の中に母の味方は誰がいたのだろうか。
祖父と母の関係が良くないことを気づいたのは小学生3年生の頃だったと思う。もっと早くに気づいていたのかもしれないか記憶にあるのは小3頃である。特に意識したわけでもなく、気がついた時には祖父の振る舞いから「おじいちゃんはお母さんの事が嫌いなんだな」という認識があった。
祖父が私たち兄弟に口うるさく言っていたことが2つある。1つは勉強をよくしろ。これは確かに。2つ目はお母さんのようになるなよ。ということだった。優しい母の何がそんなに気に入らなかったのか、本人が死んだ今もよく分からない。ただ、結婚した後に「こんな嫁だったら中国人と結婚した方がマシ」と発言したことがあるらしく結婚当初から嫌っていたのだろう。だから日頃からみんなが居る場で祖父が母の悪口を言うということは日常茶飯事だった。私はママっ子という訳でもなかったが、母の悪口を言うことが許せなかったのだ。それに無関心な兄弟たちも年老いた自分の父(祖父)に逆らえない父も許せなかった。
今更ではあるが兄弟構成は兄姉私弟の4人兄弟である。初孫の兄はもちろん、兄と歳が離れて生まれた姉もまた可愛がられていた。しかし姉と年子で生まれた私は、姉を可愛がることに忙しい祖父母ではなく、両親の手によって育てられ祖父母に可愛がられる機会も少なかったらしい。そして末っ子の弟は当たり前のように可愛がられる。
その影響かは分からないが、私以外の兄弟は祖父の事が嫌いではなく、むしろ懐いていたような気がする。自分一人だけ祖父のことを嫌っているその状況もまた自分の性格の悪さを際立たせるようで嫌だった。
祖父との嫌な思い出をいくつかあげてみる。
①祖父母が私たち孫を連れてご飯に行く時、車の中では常に暗算の練習。それに辟易した私は誘われても行かなくなった。
②習い事の強制。これが自分にとって許せないことトップ3に入る。私はピアノを自分の意思で始めた。すると祖父が「ピアノをやっても何もならない」と言い出した。お金を出しているのは両親にも関わらず急にイニシアチブを取り始めた。そして、なんということだ。気づいたら小3~中1までそろばん教室に通わされていた。もちろん楽しくなかった。
③母が祖父の見ているテレビの前を通ったというしょうもない喧嘩で母が出て行ったことがあるのだが、母の家出先のマンションに私ばかり入り浸っていたら「○○(私)ばかりずるいぞ、他の兄弟達が寂しがるから平等にしろ」と自分が追い出したのにも関わらず謎説教をかまされたこと。
そんなこんなで私は祖父のことが大嫌いになり、中学生あたりから祖父の母に対する小言や悪口に対して反抗するようになった。そして気づいたら母だけではなく私も嫌われていた。
経緯は省くが、私も高校2年生の時に祖父と喧嘩になり母方の実家に家出した。結局それから3.4年経った今、荷物を取りに帰ることはあったが祖父とは顔を合わせていない。家の敷居をまたぐなと言われ家を出たのにも関わらず家に入ってごめんなさいって感じだった。
思い出話になってしまった。時間軸を現在にもどそう。昨日、突然父から電話が来て「おじいちゃんが亡くなった」と言われた。私が祖父を好いていないので、死因もそもそも容態が悪いことすら知らされておらず、急な報告に正直心臓がバクバクした。嬉しさでは無い。あんなに憎んでいた祖父だが、不思議なことに死んだという悲しさは身内なら多少なりとも持ってしまうらしい。祖父を憎みきれないのも自分の弱さだと思う。結局全て中途半端で終わるのだと感じた。
ただ祖父のために授業を休んで帰省する慈悲もなく葬式も行かないことにした。死ぬまでどころか死んでも顔を合わせることはなく、あんなに憎んでいた祖父は明日焼かれて消える。今だからこそ言えるけど呆気なかった。20年間だけ生きる時代が被った人。ただそれだけ。
肝心の母は祖父に対して私以上の気持ちがあるだろう。詳しいことは知らないが、祖父の介護は母と祖母がやっていたらしい。あんなに罵倒されても母が祖父のことを悪く言ってるのを私は知らない。どこかでは言っていたと思うが。でも母が1人こっそり泣いてたのを私は知ってる。どうか祖父が死んで居なくなって母の気持ちが少しでも軽くなることを祈っている。
ここまで読んで、人によってはそんなことくらい過去の事だし流せと思う方もいるかもしれない。書ききれないだけで、同居していた17年間色々あってそれらをどうしても許すことの出来ない私を弱いやつだと思ってくれて構わない。またこの日記を書いていて母の強さを改めて感じた。
講義終わりにスマホを見ると、父から祖父の火葬が終わったとLINEが来ていた。私にとって死んで欲しい存在だった祖父も誰かにとっては死んで欲しくない存在だったと思う。長かった確執も今日で終わった。そんな気がする。
遠慮せずにバクバク食うてほしいけど、無理矢理胃に詰め込んで吐きそうになってると「そういう意図じゃないんだけどな」ってなる