はてなキーワード: 肩にとは
💪「肩にちっちゃい総二階のっけてんのかーい♪」
タイトルの通り、小学生時代に遭った痴漢やそれに類することについてと、書き出してみて思ったこと。
当時の私はピアノを習っていて、発表会に祖母と母が来てくれた。おろしたてのワンピース、フリルのついたソックス、少しだけかかとの高いよそゆきの靴、いつもより豪華に結ってもらった髪にはリボン。かわいい格好ができて嬉しかったのを覚えている。
発表会は市民ホールを貸しきって、昼すぎまでかかっていたと思う。早起きしたぶんお腹はペコペコで、遅めの昼食は近くて回転率がよくすぐに食べられるお蕎麦屋さんを選んだ。
昼すぎでも土日だったからか、お客さんが並んでいた。回転率のよさは知っているので、並ぶのは苦にならない。眠気も出てきていささかぼんやりしつつ、だらだらと前に並ぶ人へ続く。
すると突然、ぐいっと左手を掴まれた。反射的にそちらを見上げると、知らないおじさんが私の手をとり握手するみたいにぎゅむぎゅむ握っている。とても、とても驚いた。けれど声は出なかったし、ぴくりとも動けなかった。知らないおじさんは「可愛かったからつい」と言って、手を離して店を出て行った。
母たちは「びっくりしたねぇ」などと何だか和やかに言っていたが、私はほんとうに驚いて、つまりショックで、その後どうしたか覚えていない。もちろんかなり古い記憶なので、単純に時間経過によって忘れてしまっただけかもしれないけれど。
ほんとうに驚いたとき、人間は悲鳴も上げられないしすぐに逃げもできないのだな、と何だか絶望に近い気持ちになったことは覚えている。アニメやドラマ(刑事ドラマが好きでよく観ていた)のようにはできないのだ、と。
「かわいい」は褒め言葉のはずなのに、なにも嬉しくなかった。なんとも言えないモヤモヤが澱のように腹の底に溜まった。
プライベートゾーンを触られたわけでもなく、何なら一緒にいた親族も問題視したふうでもなく、法的に痴漢には分類されない体験。今でも一般的になんと分類するものか分からないままだ。それでも私の中でだけは、初めて遭った痴漢として記憶している。
私の地元は田舎で、徒歩通学だった。当時はとにかく読書が好きで、通学中は図書室で借りた本を読みながら歩くのがほとんどだった。二宮金次郎みたいに。
学校帰り、季節もあってまだまだ明るい中、いつも通り本を読みながら一人でひたすら歩く。毎日毎日そうしているから慣れたものだった。
車が1台ぎりぎり通れるくらいの、田んぼと畑と農家然とした少し古めの民家ばかりの道で、ふいに後ろから声をかけられた。自転車に乗った男子学生だった。中学生か高校生か、とにかく同じ小学生でないことしか分からなかった。親や学校の先生以外で年上と話す機会もそうなかったし。
喉が乾いたので飲み物を分けてもらえないか、と言われた。夏なので肩に水筒をぶら下げていたのだ。大人なのに変なの、とは思いつつ、水筒のコップ代わりの蓋になみなみ注いで渡した。
水筒のお茶を飲むところをぼんやり眺めていたら、コップを持つ男子学生の手がぶるぶる震えていた。おそるおそる口をつける。そのさまを見て、なぜだか急に、明確におかしいと感じた。一気飲みはせず、謎に丁寧にお茶を飲んでから返されたコップ。水筒に戻しながら、どうやって帰ろうか不安になった。自宅までそんなに距離がなかったからだ。なぜかついてこられるのでは、と思った。その間も、ぽつりぽつりと男子学生からの問いかけが続く。いつもこの道を通るの、とか、何年生なの、とか。
今の私は何でそこで律儀にと思うが、その時は走って逃げるとか急に話を切り上げるとかいう選択肢がなかった。失礼だと思ったからだ。誰か帰路の小学生でもいれば、知らない子でも混じって帰ったと思う。でも誰もいなかった。人っ子一人。えー…とか、うーんと…とか枕詞みたいに付けたふんわりした回答をしながら、子供なりに頭はフル回転していたはずだ。でも、打開策が思いつかなかった。
少しして、私たちがいた道沿いの民家から住人のおばさんが出てきた。知らない人だったけれど、何してるの、と声をかけてくれた。それを見て、男子学生は何も言わずに自転車を走らせて去っていった。その背中が私の帰り道と同じ方向だったのを見届けて、まだ呆然としたままの私は、なんにもないです、とだけ答えた。知らないおばさんが「さっきの子は知り合い?」と言うので、首を振る。ちょっと回り道してから帰りなさいね、と言われた。私もそのつもりだった。
この体験も、お茶をくれと言われて分けただけで何もされていない。痴漢ではない。なので何と呼べばいいか分からないけれど、自分の中ではその他の痴漢と同じカテゴリに分類して記憶していると思う。そういう系統の嫌な気持ちだった。
これも小学校中〜高学年頃。
私の両親は離婚しており、母に引き取られていた。夏休みに父のところへ泊まりに行っていたときだった。
例によって本が好きなので、県立図書館へ連れていってもらった。いっちょまえに児童書は卒業していたので、見る本棚は一般書架。父はAVコーナー(ネットカフェみたいに区切られたブースで各々映像資料が観られる。アダルト資料ではない)にいるというので、一人でゆっくりと本棚を眺めていた。作者なんかは知らないから、タイトルや表紙のデザインを中心に何となく気になった本を探す。児童書に比べてかなり数が多いので、背表紙を眺めているだけでも楽しかった。タイトルしか読んでいないのに、いくら読んでも読み終わらなくて。
ふと、足元がぬるい感じがした。見下ろすと人が床に手をついてしゃがみ込んでいた。年齢は分からなかったけれど、男の人であることだけは分かった。
図書館の本棚は上下左右ギチギチに本が詰まっている。下の段の本を見るには、学校でミクロマンとイジられていた私の体躯でもしゃがみ込まなければならなかったので、下の方が見たいんだなと思った。図書室で人気の本棚にみんなが密集するのはよくあることだ。と思ったけれど、はぁーーー、と長い息を膝に吐きかけられているのを見て、一気に過去の嫌な気持ちが呼び起こされてしまった。気付いていないふりでじりじりと距離をとり、別の本棚へ移動する。
何だったんだろう、と心臓がばくばく言うのを落ち着かせているうちに、暑いから息が上がっていただけでは?という気になってきた。そう思うと何をビビっていたんだろうと馬鹿らしくなって、また端から背表紙を読んで、読んで、時には取り出して表紙やもくじを眺めて。
じきに、また足元に違和感があった。今度は微妙にぺたぺた?ぬるぬる?する。見下ろすと先ほどの男の人がしゃがみ込んで、私の膝辺りを舐めていた。他人の舌が肌を這うことなどないし、誰か分からないし、理由も分からないし、どうすればいいか分からなくて、なのに気付いていることを勘付かれてはいけないと咄嗟に思った。心臓はまたばくばく暴れて、目の前の本を適当に抜き取り「これにしよ」なんてわざとらしく声に出して、父のところへ逃げた。
この時に借りたのは『エリコ』という本だったと思う。いま調べてみると表紙が記憶と違っているけど、女の子のモノクロっぽいイラストの表紙だったはず。父の家に戻ってから読んだけれど、分厚い上に当時の私には内容が難しくて、とても難儀した。話が全く分からなくなってからは飛ばし飛ばし読んで、なんだか図書館での嫌な気持ちがフラッシュバックするような描写を目にして、結局ギブアップした。主人公が高級娼婦らしいので、確かに当時の私には早すぎたし「猥雑と戦慄がからみあう、嗜虐と倒錯の近未来バイオサスペンス(引用元:BookLive)」はあんなことの後では取り合わせが最悪だった。今までの人生で読み始めたのにギブアップした本はこれと『ドグラ・マグラ』だけなので、すごく印象に残っている。
この体験は一般的にも痴漢に入るのではないかと私は思うけれど、そのときの私には分からなかった。知らない人に舐められて驚いたし怖かったのに、誰にも言えなかった。一緒にいたのが母だったら、もしかしたら言えたかもしれない。正直、相手と同じ性別である父には言いづらいと感じた。自宅に戻ってからは、今度は今更だと思って母にも結局は言えなかった。
4度目は小学校高学年。
さすがに生きているだけでも変な目に遭うことはあるのだと理解していた。それに、そういう場面では声も出ないしパニックになって機敏に動くのは難しいことも。
私は護身術として極真空手に通うようになっていた。ビビって声が出ないし動けないなら、度胸をつければよいと思ったからだ。流派だの何だのはよく分からないままだけれど、男子に混じって毎週通った。練習は体育館で行われていて、フローリングの上で拳で腕立て伏せをするのが大嫌いだった。骨が痛すぎるし、未だにフローリングでやることではないと思っている。
それから、通学路も勝手に変えた。2回目のときに使っていたのは車1台でいっぱいの道幅だったが、片側1車線ずつの道だ。さらに少し行くと複数車線の道もあるけれど、遠回りになるのでこちらばかりを通っていた。徒歩通学だしショートカットしたかった。車通りはやはり少ない。
この時も学校からの帰り道だった。一人で帰っていて、道路の向かい側に停まった白い車から声をかけられた。運転席の窓を開けて、男性が小学校へはどっちに行けばいいかと尋ねてくる。あっちです、と指をさすと、地図で教えてほしいと大きな紙を広げた。道路を挟んだままだと見えないので、道路を渡って運転席の窓から紙を覗きこむ。それは確かに地図だったけれど、地図と腹との隙間から陰茎が見えていた。数センチの隙間から、手で擦って見えたり隠れたりする陰部。
相変わらずショックではあったけれど、またか、という諦観もあったように思う。私はやはり気付いていないふりをした。努めて地図だけを見て、現在地も分からなくて、「地図読めないけどとにかくあっちです。ずーっとまっすぐ道なりで左側にあります。私はそこから来たんだから間違いないです」というふうな回答をした。
習い事があるからとその場を駈け出して、ないと思ったけど一応追ってきていないのを確認して、座り込んだ。心臓は毎度のようにばくばく言っていたけど、走ったから当たり前だなと思った。前よりも怖くなくなったし、毅然と振る舞えた気がするからたぶん空手の効果はあった、と思いながら自宅へ帰った。今回もこのことは誰にも言えなかった。
そういうわけで、私が小学生のときに遭った痴漢やそれに類するものは覚えている限り4回だ。多いのか少ないのかは分からない。
もちろん、中学生でも高校生でも大学でも大人になっても何かしらは遭った。それでも一番覚えているのがこの小学生時代。今やすれた30代だけれど、私も子供の頃はさすがに無垢だったのでショックが大きかったのだと思う。
どう気をつければいいのかというと、正直私は分からない。嫌な言い方だけれどもはや事故みたいなものだから。防ぎようがないという意味で。ただただ、こういうことをする人がいなくなってくれればいいのだけど。
一つだけ。もしもこんなことがあったと言われたら、ちゃんと聞いてあげてほしいとは思う。
中学にあがってから、路上で知らない人に突然キスされたことがある。グレてイキって気は強く成長した私は、黙り込んでいた小学生時代とは違ってすぐに学校に報告した。とにかく腹立たしかったからだ。分かることはすべて話した。場所とか、相手の風貌とか、原チャだったとか。それらは全校放送で流れた。
おそらく親にも連絡が入ったのだと思う。その日の夜、養父(母は再婚した)にリビングへ呼びだされた。本当なのかと聞かれたので、本当だと答えると、場所を地図で描けと言われた。不審に思いながら自宅から中学校への道順を描き、ここ、と丸をつけると、嘘だと言われた。こういう場合、被害に遭った場所から描き始めるのが心理学的に普通だそうだ。私としては通学中に起きたのだから理にかなって描きやすい順番だったのだけど、そう言われた。心理学なんて分からないので反論もできなかった。原チャの車種はなんだとかも聞かれたけれど、私が知っている中での形や大きさで最も近い名称が「原チャ」だっただけで、詳しくは知らなかった。グレ友達に2ケツで乗せてもらったやつくらいにしか認識していなかったから。養父の趣味にハーレーがあったので、バイクを中途半端に出したのもよくなかったのかもしれない。
そうして私の虚言であったとされ、おそらく学校へも連絡したのだと思う。保健室登校しても、教師がどこかよそよそしかった。あくまで私の感覚なので、実際のところは分からない。
ショックだった。折り合いの悪い養父であっても、もはや養父側の人間で信用していないと自分では思っていた母であっても、なぜだか報告すれば信じてくれると思い込んでいた。
初めて報告したらこうして狼少女にされてしまったので、前述のとおりその後も何度も変な人に遭ったけれど、誰にも話していない。
今でも覚えているので、やはり他の家庭、いわゆる子供(年齢は問わない)をもつ家庭では子供を信じてあげてほしいと思う。様々な要因で恒常的に嘘をつく子供がいたりするらしいのは知っているけれど、嘘でなかった場合に取り返しがつかないからだ。私のようになってしまう。独身の私が言うのもおかしいけど、子供は健やかに育つべきだ。大人になったら嫌でもすれてしまうのに。
この文章は、職場の男性から小学生にあがった娘の親バカノロケを聞かされてぶわっと思い出したまま書き殴った。
電車通学が珍しい地方の小学生だった私でも、4回。0回の方がいいに決まっているので、こんなことがどこでもありうるから気をつけてあげてほしい、と言おうと思ったけれど、職場の人に実体験を話すのは憚られたので。初めて表に出して少しすっきりしたかもしれない。
そもそもが婚活で知り合った相手で、結婚を前提にお付き合いすることになった時点では割と冷静だった。
「この人となら多少の苦労をしてでも一緒に暮らしていけそう」
くらいの気持ちでいた。
それが、婚姻届を提出する少し前くらいから、冷静じゃいられなくなってきた。
夫が好きすぎて怖い理由は、いくつかある。
まず、この「好き」は恋愛というよりもっと幼い、幼稚園児が親に甘えるような感覚だと思っている。
そもそも私は気を許した相手の前では子どものようになってしまう性質で、夫にもしょっちゅうスキンシップを求めている(手を握る、肩にもたれる、ハグなど)。
言葉遣いも、うまく説明できないが、子どものような語彙と発声になってしまう。
夫は私よりも5歳ほど年上なので、余計に安心して甘えてしまうというか、同世代相手に比べたら、年齢の割に幼すぎることがバレづらいのではないか?みたいな慢心もある。
自分としては、もっと対等な大人同士の関係になりたいのに、実際は夫のことを親(父と母を足して2で割ったような)のように感じることが少なくない。
夫はサラリーマン、私は扶養内パートだ。家計はほぼ夫持ちだが、そのことについて何か言われたことはない。
その上、私は家事も苦手だ(特に掃除)。夫は一人暮らし歴も長く、料理も掃除も何でもできるので、多分私がいなくても普通に生活できる。
これこそが夫が好きすぎて怖い理由の2つ目だ。
私は物心両面で夫に依存しまくっていて、その依存心を「好き」という感情にすり替えている気がする。
だからこの「好き」は純粋な愛情じゃなくて、夫に寄りかかっている自分をごまかすための錯覚ではないか?という疑念は、いつもある。
そして、夫が好きすぎることの何が怖いって、重いと思われることが怖い。
夫婦にせよ友人にせよ、お互いの気持ちの量や質が同程度≒「両思い」でなければ絶対しんどくなる、というのが私の持論だ。
昔、別の男性と付き合った時、私が勝手に盛り上がってしまい、温度差から別れたことがある。
私がもっと気持ちを抑えないと、また同じことになってしまうのではないか?ということが怖いのだ。
私は夫と結婚したことで、「『既婚者』になった」「気の合う話し相手・遊び相手ができた」「経済的に豊かになった」「実家を出られた」「苦手な家事をやってもらえる」等々たくさんのメリットを享受させてもらっている。
一方、夫が私と結婚したことで得られたメリットといえば、上に挙げたもののうち、せいぜい最初の2つくらいだろう。
夫にとって、それがどの程度の価値を持つのかは分からないが、少なくとも私は夫にほとんど何も渡せていないし、それがすごく申し訳ないし、そのうち愛想を尽かされるんじゃないかとおびえている。
私が夫を好きすぎる気持ちの内訳の何割かは、こういう罪悪感と見捨てられ不安で出来ていると思う。「別にそれでいいじゃん」と思ってもいいのかもしれないけど、そう思えないから怖い。
いい歳をした成人女性のいうことじゃないだろうが、早くもっと大人にならなきゃいけないと思う。
夫を怖くない程度に好きでいられるように。夫が私を好きでいてくれるように。
今日も娘をおやすみなさいさせた。週末だからいつもの日課にも力が入る。
我が娘は目に入れても痛くない。痛くないほどかわいいが、我の肩は痛い。かわいいが、痛い。
娘の日課はパパへの肩パンである。一家を支える我が両腕の肩は、娘のパンチを受けてもビクともしないことでその壮健さをアッピールしつづけてきた。
パパの強さを見せ付けるとともに、娘の成長を日々肩への重さ(パンチ)で実感できる大切な親子の時間である。
最初はペチペチだったパンチも、時間を経るごとに腰が入り、全身のひねりを活かし、我が肩を穿つ。
左右を使い分けたコンビネーションも覚え、我が肩に新鋭気鋭のアーティストによるリズムが刻まれる。
そんな灼熱の一時を過ごした娘は、一仕事を終えなお不動の父に感嘆し、されど岩に一滴を投じた自分と成長に充実感を覚えつつ一日を終えるのである。
父は今日も余裕綽々な顔をしているが、服の下の皮膚は悲鳴を上げ、心で泣いている。
娘の成長に。そのパウワーに。
幼子とはいえ獅子たる我の子である。その幼獣が遠慮も知らぬ全力無邪気パウワーを振り絞ると、恐ろしき力が出るのである。
正直、もうそろそろ耐えられない。
体の成長と共に心も成長してくれれば。思いやりが生まれれば彼女自らその拳を解いてくれるかもしれない。そう思っていたが、先に根をあげたのは自分だった。
思い返せば自分も昔、大人とは無限に強く賢いものだと思っていた時期がある。だから、パパが「もう肩が痛いから叩かないでくれ」と言ったら娘はひどくがっかりするだろう。恥ずかしながら持ち株比率100%のパパ主は株価を下げたくない。しかしそのロジックだと娘は永遠に我が家の無料サンドバックを使い続けるだろう。
また、親子の時間を失うのも心苦しい。父と娘ということもあり、共に過ごせる何かもそう多くは無い。どうにか肩パン日課から別の親子の時間にとてもとてもスマートに移行したいのだが…。
とりあえずはっちぽっちぱんちは電書に移行しようと思う。
これは思いついたから書いただけの嘘だけど。
アーケード商店街を昼飯買いがてら母と犬と散歩していたら、店、客、爺、犬、俺、母みたいな配置で並走する変な爺さんがいた
割と行列客の近くを歩いていたので、わざわざ犬と行列の客の狭い間を縫うように歩くので「なんだこの爺さん」と思っていたら、おもむろに某とんかつチェーンの前で足を止めた
その店は豚汁とかのレトルト商品を歩道側にはみ出す形の棚に配置してあるのだが、一部商品はカウンターからは絶妙に死角になっており、盗まれちゃいそうだなぁなんて思いながら犬と一緒にその爺さんを真横で見ていた
爺さんはいかにもといった風体で、スラックスに薄汚れた上着、しわしわのシャツと生活苦しいんだろうな、万引きでもするんかなと感じさせるには十分な見た目をしていた
そんな爺さんが棚の商品を物色し、豚汁のレトルトを一揉みし、周囲をきょろきょろ見回した後(当然真横で俺と犬はガン見している)、おぼつかない手つきでパッと上着のポケットにしまい反対方向に立ち去ってしまった
俺も咄嗟の事で「おい爺さんダメだよ!」って大声をあげてしまい、周りの人達が何事かとこちらを見てきてちょっと恥ずかしかった
爺さんは足早に去ろうとするので犬を母に預けて追いかけた
所詮爺さん、そんなまごまごしてても10mくらいしか進んでおらずすぐに追いつきそして肩に手をかけた
うわ肩ほっそ、そしてなんか生暖かくてやだなとかしょうもない事を考えてしまったが、とりあえず「取ったでしょ?出して?」とだけなんとか絞り出して、豚汁を無事取り換えした
妙に手馴れているのでこの爺さんさては常習犯だなと思ったが、その風体やがりがりの肩の触感を思い出し悲しくなったのと、昼飯さっさと食べたかったし、豚汁を取り返したのでまぁいっかと思い爺さんを解放してしまった
豚汁を棚に戻して、事態が呑み込めずアワアワしている母を回収し、相手がもうちょい若かったり反抗してきたら警察に突き出したかもなぁとか、何とも言えない気持ちになりながら帰宅した
犬はその間ずっと楽しそうに散歩していた
オチは無い
ブレスオブザワイルド、数年前からやってみては心が折れる、心が折れながら辛い周回を過ごし、リセットして最初から、を繰り返している。
リセット癖があり、なんかうまくいかないと最初からやり直したくなる性格が辛さに拍車を掛けている。
武器がポキポキ折れることで有名なゲームで、ポキポキ折れるからこそ組み合わせをいろいろ試せて新たな戦略が生まれるという話もあり、それ自体はそうかなとも思う。
ただ、自分はうまくできるまでトライアンドエラーを繰り返したいタイプなのだ。ダンジョンギミックも実際に動かしてみて仕掛けを理解したい。
それをやってると瞬く間に耐久を消費して、ダンジョンのスイッチを入れるだけのことに弓や剣が壊れるのが切ないし、場合によってはリセット祭りになったりする。
というか、そうなってくると苛々してくるので攻略サイトに手が伸びる。
気が短いのが悪いのはそうなんだろう。ちょっと詰まる度にいちいち攻略サイトを見るのはスポイルしている気がしてそれも精神の負担になる。
はじまりの台地では良かったが、それなりに良い武器が集まるほど負担になっていく。
武器が壊れたらまたこれと同等のものを取りに行かなければならないと思うとそれもストレスだ。
グラフィック的に背中に背負っている武器は近接と弓と盾1種類ずつだが、システム上は凄い数の武器を持ち歩いている。それから、料理と資源と服も。
最初は明確な拠点が存在せず基本的に全財産を持ち運ぶ仕様だとそうなる。それだったらまとめてどこかに置かせて欲しい。
あるよ、自宅買えば、武器置き場が。
しかし各種類三種類しか置けないのだ。おまけに、英傑武器という微妙に使いづらい武器の保管で場所を取られるので、自宅のインテリア以上の役割はない。
それに、余った武器を売っぱらうこともできない。いくら持ってても場所を取らない服は売っぱらえるのに、おかしいやろ。
現実的に考えれば武器も防具も人間が作ったもののはずだが、このゲームでは武器は自然から採取するもの、防具は人の手が加わるもののようだ。
Cataclysm:DDAというフリーのゾンビローグライクゲームはクラフトで武器を作るが、最初の急拵えの武器はブレワイぐらいポキポキ折れる。
それが溶接や加工技術を覚えると徐々に壊れにくい武器になっていき、愛着も湧いてくる。
それでも次第に劣化していくが、その頃にはもっと高度な武器がクラフト可能になっている。
またCDDAでは持ち物の重量だけではなく容量にも制限があり、ショッピングカートや車に乗せて運ぶことになる(それも重量や鮮度に制限がかかる)し、武器は鞘に収めたり肩に掛けるなどして厳選して持ち歩く必要がある。が、それもそうだと思うのであまり理不尽な気はしない。
武器破壊や個数制限のようなゲーム的な制約がリアリティに寄与せず、単にゲームデザインにのみ寄与しているゲームは苦手だ。
ここでこれが取れる、ここにはこんな敵がいる、ここでこの宝箱をスルーした、世界が広大すぎるので、逐一メモしておきたい。
しかし、細かい情報のメモ代わりに使うにはあまりにも制限がキツい。過去の採取メモ用スタンプを消して新たなスタンプを貼る始末。
スタンプの種類が少ないので常に☆を使うことになり、何のメモだったのか思い出せないのも辛い。
とにかく、採取したいアイテムがどこにあるのか分からないので結局攻略サイトを頼っている。攻略サイトも見やすいわけではなく、情報処理に精神リソースを食われて辛い。
攻略サイトを使わないようにすると記憶力に頼ることになりそれもメンタルをゴリっと削っていく。
と言って、出来は良いのだ、明らかに。
グラフィックやマップデザインは綺麗だし、文句が多い雨や落雷のシステムは自分はかなり好き(クライムシリーズはジャンプより雨滑り軽減が良かったな)だし、これだけ広大なワールドのゲームで、一体一体のザコ敵との戦闘アクションがしっかり設計してあるゲームは珍しいかもしれない。ザコ敵との戦闘の方が戦略性の面で戦い方が決まっているボスよりも楽しい。
ただただ、自分がそこまで3Dアクション得意ではないので満喫できているとは言い難いが。
ここまで書いてきて、アタマが柔らかい若者であればこの情報処理濃度に疲弊することなく、ついていけるのかもしれないと思ったりもしなくもない。
2DゼルダやDSゼルダを満喫した世代、悪口言われることの多いタッチペンアクションで射的の最高記録に延々挑戦していたのも今は昔。もう、ゲームが要求する情報処理能力についていけなくなっているということかもしれない。
ティアキンはビルド要素が楽しそうではある(ティアキンをやるためには予習が必要になるかと思い、今回またブレワイを最初からやってみた)が、どうやら自分の冒険はここまでのようだ。
完全に日が暮れるまでに峠を越えられるかなと思って、うねうねした山道を車で登っていたらゲリラ豪雨がやってきた
このまま走り続けて、スリップして山から真っ逆さまに落ちるなんてことは嫌だったし、路肩に車を停めてこんな山奥で待つのも嫌だった
だからロードサイドに「カプセル」と書かれた看板が目についた途端、すぐにハンドルを切って敷地内に入った
建物に入ると、中は雨の音なんて聞こえなくて、静まりかえって真っ暗だった
「おひとり様ですか」と声をかけられて振り返ったら、壁が半円形にくり抜かれてそこから光が漏れていて、カウンターらしきものになっていた
奥にいる人の顔は見えなかった
ひょっとしたらそういう所に間違えて入ってしまったのか、でも「カプセルホテル」と書いてあったような、と思いながらも、連れがいると言うわけにもいかず、「はい一人です」と答えた
「32番どうぞ、奥へ」とカウンターに差し出された手の下には32と書かれたカードキーがあった
突き当たりのドアを開けると、細い通路が伸びていて、左右にはカプセルホテルにあるような小さな個室がぎっしりと並んでいた
なんだ、やっぱりカプセルホテルじゃないかと思って32番に入ると、ほとんど音もなく上からドアがゆっくりと閉まり、中は密閉空間になった
天井は座ってぎりぎり頭がつかない程度の高さで、個室の壁に細いテーブルがついていた
iPhoneで目覚ましを設定したときのような音が小さく鳴ると、壁の一部がスライドして開き、回転寿司のベルトコンベア的なものに載った丼が滑ってきて、目の前で止まった
このときようやく、自分はカプセルホテルと間違えてカプセルラーメンに入ってしまったことに気づいた
最近流行っているのは知っていたが、こんな山奥にまであるとは思わなかった
ラーメンは熱かった
真っ黒なスープに大量の白髪葱と柔らかなチャーシューが浮かんでいた
スープはどこか甘酸っぱい気もしたが、それを上回るコクがあって不思議なバランスを保っていた
腹が減っていたので思わず麺をすすり上げた直後、耳をすましたが、周囲からは何も聞こえない
他のカプセルでも今この瞬間、自分と同じように麺をすすっている人々がいるのか、それとも自分以外に人がいないのか、見当もつかなかった
空腹が満たされると急激に眠気がやってきて、いつの間にか寝入っていた
当時俺は入社二年目で、それなりに大きいプロジェクトに参加することになった。
プロジェクトリーダーは五つ歳上の先輩で、彼女とはまだ年齢が近かったこともあり、仕事終わり飲みに行って愚痴を聞いてもらったり、随分と懇意にしてもらった。
仕事では助けてもらうことも多く、俺は彼女のことを慕っていた。彼女は若く、いつも凛としていて、何より美しかった。
プロジェクトはなんとか無事に終わり、その後は自然と打ち上げに行く流れとなった。
俺と先輩も当然参加することになり、打ち上げでの主役は先輩だった。当時は社内でも最年少のプロジェクトリーダーだったこともあり、彼女への称賛は止まらず、先輩は珍しく照れた様子を見せながら空のジョッキをいくつも作ってみせた。
次第に夜も更け始め、そろそろだろうといった雰囲気が充満するとお開きとなり、その頃には既に先輩は泥酔していた。
半ば眠っているように頭を垂れ、目は瞑り、声をかけても返事はまばらでまともに歩けるのかすら怪しかった。
年配の先輩方がタクシーを呼ぶ中、増田が送ってやれよと声をかけられ、随分と世話になってただろ?と言われると断る理由もない。
分かりましたと二つ返事で答え、最初にきたタクシーを優先して使わせてもらえることになった。
俺は先輩に肩を貸し、歩けますか?と声をかけた。
先輩は空ろに目を開け、増田くん…?と言う。
俺は先輩に肩を貸し、右手は彼女の腰に当て、座敷の店だったので靴を履くのに手間取りながらもなんとか外に出た。
すぐ先にはタクシーが待ち構えており、俺たちの姿を確認すると後方のドアが開いた。
先輩を先に乗せて、まず「大丈夫ですか?」と聞いた。先輩は曖昧に頷き、うーん…と唸っている。
これは少し休憩した方がいいですね、と俺は独り言を口に出し、運転手にも聞こえるように言うと、それから行き先のホテル名を口にした。
運転手は分かりましたと義務的に返事をして、すぐに車を走らせ始めた。
十五分ほど走ると暖簾のように布の垂れた入り口を抜けて駐車場に入ると車は泊まり、左手の少し先には玄関がある。
俺は千円札を数札滑らせるように取り出すと差し出し、釣りはいいからと言ってタクシーから降りた。
先輩は眠っているように静かで、目を閉じ、俺の肩に頭を預けていた。
再び肩を貸すようにして歩き、ホテルに入るとエントランスでは喧しいBGMが流れ、酔いの最中に聞くと苛々した。
タッチパネルで二番目に高価な部屋を選ぶとレシートのようなものが吐き出され、フロントに行ってそれを見せるとスッと鍵が差し出された。相手の顔は見えない。
鍵を受けとると病人を担ぐようにゆっくりとエレベーターに向かい、乗ると三階を押した。
先輩はずっと項垂れていて、身体に力が入っていないように感じられた。
エレベーターから部屋までは幸い近く、部屋に入ると目の前には駐車場にある精算機のようなものがあり、少し驚きながらも靴を脱いで部屋に上がると中央にはダブルベッド。丁寧に先輩をそこまで運ぶと彼女は仰向けのままベッドに倒れ込んだ。
ここで休憩しましょう、と声をかけると先輩はベッドで仰向けになっているのが快いのか表情を緩ませ「うん」と言った。
皺になると駄目ですからジャケットは脱ぎましょう、と声をかけると先輩は「うん」と言ってそのままの姿勢で腕を滑らせ、上着を脱いだ。
俺はそれを預かり、ハンガーを見つけて部屋の隅にかけると、再びベッドに戻った。
俺は彼女の側に座り、じっとその姿を見つめていた。
次第に、その姿を見て滾った。
衝動は止められなかった。
俺は馬乗りするように彼女に覆い被さり、ゆっくりとボタンを一つずつ、外していった。
ベージュ色のブラが目の前に現れ、酔いも半ば覚め、次にスカートへと手を伸ばしていた。
留め具を外し、ファスナーを下ろすと驚くほどするすると脱げた。下もベージュ色の下着で、目にすると息を荒くしている自分に気がついた。
俺は努めて冷静に、やさしく彼女の膝を抱くと立たせ、少しずつ下着を脱がせていった。
やがて彼女の陰部が露になると俺は限界まで勃起していた。臍の下にキスをし、右手は彼女の花弁に触れていた。
ビクン、と先輩は身体をわななかせ、「増田くん…?」とうっすら目を開けた。
俺はなにも応えなかった。
少しずつ唇を降らせていき、蕾に到達すると愛でるような舌遣いで丁寧に撫でた。
先輩はアッ…と吐息を漏らし、少しずつ湿ってくる。お互いの呼吸は荒くなり、一度顔を上げて先輩の顔を見ると目をか細く開いて、顔は紅潮し、戸惑った表情をしていた。
右手はぬめり気を感じ、それは彼女の陰部に目を移すと姿勢を改めて、正常位の形で挿入した。
屹立した茎は何の抵抗もなく吸い込まれるように彼女の内へと入り、途端に押し寄せる快楽に俺は悶えた。
腰をゆっくり動かし、先輩は途切れ途切れにアッ、アッと喘いだ。
一度、ゆっくり、大きく腰を動かすと陰茎がニュルりと彼女から外れてしまい、そのタイミングで先輩はアアンッ!!と淫らな声を叫ぶように漏らすと、膣の側にあるシーツが茶色に汚れていた。彼女が僅かに脱糞してしまったことにそこで気がついた。
俺はそのとき、あまりにアブノーマルな光景を目にして、タガが外れてしまったのだと思う。
酔いのせいもあったと思う。
躊躇や遠慮を捨て、ベッドに膝立ちのまま先輩の胴を掴むと荒々しく引き寄せ、すぐに挿入し直した。
それから激しくピストン。彼女の喘ぎを石炭に、イクまで一心不乱に腰を振り続けた。
いよいよ果てそうになると流石に中で出すのはまずい、といった分別は理性の片隅に残っており、爆発間際の陰茎を抜くと彼女の股に射精した。
俺は力尽きたように身体を伸ばし、先輩と顔を合わせるように横になった。
先輩の顔を目の前で見た。
綺麗だった。
先輩は視線を天井の方に向けていて、それから俺に気づいたみたいに俺のことを見つめた。目と鼻の先には先輩の顔があって、その顔は笑っているでもなく、動揺しているようでもなかった。まるで目を開けて寝ているような、夢を見ているような顔をしていた。
それから俺は目を閉じ、気づいたら眠っていた。
翌日は昼前に起き、俺たちは最低限の会話のみで、昨晩のことには一切触れなかった。
順番にシャワーを浴び、タクシーを呼んで部屋を出ると、会話もなく廊下を歩き、俺は先輩の一歩後ろを歩き、社内に居るような雰囲気さえ感じられた。
ホテルを出るとタクシーに乗り、先輩は俺の存在を無視するみたいに行き先を真っ先に告げ、先輩のマンションの前に着くと俺に五千円を渡し、数秒俺のことをじっと見つめてきた。
その間ずっと無言で、無言のまま先輩はタクシーを降りた。
その後俺と先輩は社内でも疎遠となり、業務的な事柄以外で先輩が俺に話しかけてくることはなかった。
二ヶ月、先輩は会社を辞めた。
直接的な理由は聞いていない。
そしてこういった誰にも言えない経験というのは誰しもがひとつや二つ持っているものだと思っている。これはあくまでもフィクションで、でも本当に身勝手で自分勝手かもしれないが、それでも俺は今でも先輩には幸せでいてほしいと、本心からそう思っているんだ。
本好きはリアル書店で本を買うべきか?
まあ、本好きの人なら、「リアル書店で買うべきだ」って胸を張って言うんだろうけど。
便利で手軽な電子書籍やネットショッピングの時代に、わざわざリアル書店に行くのは、どうなのよ?確かに、紙の本には独特の匂いとか、ページをめくる感触とか、いろいろ情緒的な要素があるってのは認めるよ。でも、それってただの懐古主義じゃない?
「いや、リアル書店の雰囲気がいいんだ」「本との偶然の出会いが大事だ」とか、ロマンチストたちが言いそうだけど、現実を見ろよ。リアル書店での品揃えは限られてるし、欲しい本がないこともある。その点、ネットなら何でもすぐ手に入るし、サンプルやレビューも見放題。時間も節約できるから積読も減らせる。そんな時代に、わざわざ足を運んでまでリアル書店で買う必要があるのか?って疑問は、どうしても湧いてくるよね。
「でも、リアル書店がなくなったら文化が廃れる」とか言う声もあるだろう。それはわかるよ。文化的な拠点として書店が機能しているのは事実だし、独特の空間を提供している場所もある。でも、文化の保存ってのは、個々の本好きが肩に背負うべき義務じゃないんじゃない?書店が潰れたら困るなら、経営者がもっと工夫しろって話だろ。なぜ消費者が罪悪感を抱えながら「リアル書店で買うべきだ」って思わなきゃいけないのか。
結局、本好きがどこで本を買おうと、その本を大切に読むことが大事であって、リアル書店で買うかどうかなんて、ただの手段の違いでしかない。
まじでわかる。
人に親切にしたりありがとうって言われるとすごく嬉しいって気持ちから学生時代接客業のアルバイトしたけど
親切にするとあたしも!俺も!が湧いてくるから冷たく一律対応するしかなくなって嫌になるし
笑顔で愛想良くすると変なおっさんが好意と勘違いして寄ってきて防衛しなきゃって気を張るようになっちゃったし
席を譲りたい気持ちがあっても都心の電車常にジジババ子供が立ってるから譲り始めたらキリがないし(譲って欲しそうな人こそ山登り行った後みたいなアクティブシニアと遊園地帰りみたいな元気キッズばかりだし)
道を譲ったって会釈もなければなんなら肩にぶつかってくるやつとか多いし
自分の優しい気持ちがどんどんなくなっていくのを年齢が上がるほどに感じてる。
優しくして優しく返されると珍しすぎて感動するレベル。
ある人から聞いた話です。
品川駅21時43分発の急行。その人は金曜の夜いつもそれに乗って帰っていたらしいです。
それで、その日も駅前の大きな横断歩道で信号が変わるのを待っていたんです。
飲みに繰り出す会社員グループ、ホテルに向かう外国人、塾帰りの子どもたち。
対岸の歩道に見えるそういう人達の中に、一人だけ目立つ女がいたらしいんです。
ただ、具体的に何がおかしかったと言うのは難しく、
焦げ茶に染めたボブヘアや服装、肩に下げたブランド物のバッグそれぞれの、
微妙なシルエットや質感の組み合わせが、なにか絶妙にチグハグな印象を受けたとか。
その人はそう思うことにして、しかしなぜか引き寄せられる視線を前に向けるよう意識しながら、
一斉に動き出す人並みに合わせて、青に変わった横断歩道を渡り始めました。
「あの…増田さんですよね?」
その声を後ろに聞いたのは、ちょうど中央を過ぎたあたりでした。
ですが、カクテルパーティ効果というやつでしょうか、それが明らかに自分に向けて発せられた声であることは分かったそうです。
振り返るとそこにいたのは先程の女。
大体1mほど離れた位置で、向こうもこちらを見ています。満面の笑みで。
知り合いかと思って必死に思い出そうとしました。しかし全く覚えがありません。
むしろよく見るほどに肌の質感や服の皺に至るまで言い様のない気味悪さを感じ、とっさに目を背けてしまったんだそうです。
点滅する信号機に人並みから取り残されたことに気付き、慌てて横断歩道を渡り終えて振り返ると、女はさっきまで自分が立っていたあたりの人混みへ去っていったそうです。
…まあ話を聞くだけでは、ただの人間違いだったんじゃないの?って印象ですが、
その人が言うには人混みの中へ見えなくなっていく女の姿というのも、輪郭が揺らめいて人々や建物の中に溶けていくような…そんな奇妙な印象だったそうで、
もうその次からは早めに帰るか、逆に時間を潰して遅い電車に乗るかというくらい怖がっていたみたいです。
それでその後女を見かけることはなかったそうなのですが、問題はそこからでした。
休日スーパー銭湯へ行くためにバスに乗ったその人は、目的のバス停に着く直前に声をかけられました。
そう、「増田さんですよね?」と。
とっさに乗客を確認しようとしましたが、運転手から離れてくださーいとアナウンス。
バスが停まったのに扉の近くに立っていたためセンサーが作動していたのです。
慌てて立ち位置を直して降りると、バスはすぐに出ていてしまい、声の主は分からずじまいでした。
それだけではありません。
家電量販店の入口で、繁華街の往来で、帰省した地元の道の駅で、さらには旅行で行ったミュンヘンのナイトクラブで、
時にはハッキリと特定の人物から、時にはどこからともなく、「増田さんですよね?」と声をかけられたというのです。
しかし、姿が見えたその声の主追おうとしても、いつもすぐに人混みへと”溶け消えて”しまう…
その話を新宿の某メキシコ料理店のボックス席で聞かされた私はどう答えていいか分からず、
冗談めかして心療内科の受診を勧めましたが、苦笑いもしてくれなかったので、そそくさと仕事の話に入りました。
その日も喫茶店の入っているビルの入口で声を聞いたというその人は、
「ところで、あの、1ついいですか」
何かにすがるような声音でそう言ったその人の視線は、私ではなく、背後のドコモタワーでもなく、何処か別の場所へと向けられていたように思います。
自信なさげなその声を聞いて、なにか卑近な嫌悪感を覚えた私は、
「違いますけど…」
その人は一瞬面食らったような表情を見せましたが、すぐに調子を戻して別れの挨拶を交わしました。
地下街へと続く階段を下っていくその後ろ姿はどこか覇気がなく、しかしカーブを曲がって姿が見えなくなるまでハッキリと輪郭を保っていました。
特定を避けるためにわざとぼかして書いていた。後出しで申し訳ないが今回の事象の解像度を上げておく。
・筆者、既婚男性、独身女性は全員同い年。仕事上の上下関係も無い。
まんざらでもない態度だと感じたのは以下の点。
・肩に手を回したり、背中を触ったりボディタッチを耳元での会話を拒否しない。
・独身女性は別のグループの席に移動したりトイレに立ったりしていたが、結局既婚男性の隣に戻ってくる。
・既婚男性「酔ったので送ってくれ」独身女性「いや、送らないわよ」のやりとりが続いたが最終的に独身女性から「本当に酔ってるなら送ろうか?大丈夫?」という流れに
今回の独身女性にヘイト向けてるわけではない。私も同じ立場だったら似たような対応してたわって話。
追記ここまで
先日、タイトルの状況に出くわした。
既婚男性の方はボディタッチを積極的にするし、独身女性と話してる時の顔も近い。
そんで独身女性もまんざらでもなさそうな態度をとっていた。
悲しいかな私は嫉妬してしまった。女性側の立場で考えると、今回のような振る舞いをする既婚男性は女性の敵なはず。
それなのになぜ、独身女性は彼の行動を拒否せずに受け入れたのか。
口では今回の既婚男性の振る舞いをするような男を「最低だ」と言う割に、結局なびくのは強者男性ではないか。
そして彼ら既婚の男性になびいたところで長期的な幸福は得られないと思われる。
これは、強者男性が一人以上のパートナーを持っていることを示唆している。
女性は長期的な関係性を構築できない強者男性と交際するよりも、長期的な関係性を構築できる弱者男性に目を向けるべきではないか
じゃあ、私が恋愛弱者女性に目を向けているかと考えると、向けていないのだ。
ここから同じシチュエーションが私の身に起こったら、と考えた。
めちゃめちゃ美人な既婚女性が居て、なんか向こうからボディタッチ多めにしてきて楽しくおしゃべりしたとする。
そりゃボディタッチくらいは許すわな。
ということで嫉妬心は消えた。
ということで自由恋愛市場では今日も強者男性がハンティングしまくって、その結果男性嫌悪する女性が増えるのかも。
そんで強者男性の相手にもされない弱者女性を弱者男性は選ばない。逆も言えて弱者女性は弱者男性を選ばない。
こうやってどんどん男女の分断は進むし未婚率も上がるんだろうなぁと。
夏だ。プールだ。水着だ。諸君はスクール水着に思い出があるだろうか。筆者はなかった。学校の水泳でも競泳用水着、プライベートではサーフパンツを着る生活で、いわゆるスクール水着というものを着用したことはなかったし、習い事として水泳を習っていると泳ぐことに懸命で、よそ見をしている余裕などない。
さて。最近、学校指定のスクール水着が恥ずかしいとかそういう話がよく議論に上がっているのを見る。ジェンダーレス水着なるものが指定されるというニュースも見る。こうしたニュースが風物詩なのだろう。そしてインターネットでレスバが始まる。
基本的に男女はこうした場面では分かり合えない。水着の話でもトイレの話でも、性別によって見えている世界が違いすぎるのだ。こうした世界の違いに興味を持っている筆者は、現代の水着の何が問題で、共用水着が何を解決したのか気になった。ということで、大人サイズのスクール水着を着てみて現代人が抱える問題を観察してみようと考えた。ということで、簡単にレポートしようと思う。
そもそも知らなかったことなのだが、スクール水着というものは子供用だけでなく、メーカーから大人用の大きなサイズも発売されている。今回のような実験でコスプレ用のスクール水着を買うのは邪道である。本来は泳いで試したかったところもあるが、現代社会はまだ成人男性が女性用の水着を着てうろつくことを許容しないだろう。そこでいくつか購入して自宅でこっそり試着してみることにする。
またなるべく着用環境を整えるため、コスプレ用の女装用品を使って身体のラインを女性に近づけて着用してみることにした。
男性として、また女装した状態で、これらの水着を着用し、姿見でビジュアルを確認することに加え、準備運動に相当する運動で動きやすさを調べてみることとした。
用意した水着・道具
これが筆者が人生で初めて着用するスクール水着である。少し裾のあるタイプで、筆者の実体験から推定して、スイミングスクールはともかく、小学校高学年になってもビキニタイプを着用する学校は今時ないと考えてこの水着を選定した。わかりやすい海パンである。
初めて着用した感想としては、生地の薄さと伸縮性の高さに驚いた、ということ。密着した方が水の抵抗を抑えられ、水中でも脱げにくいので良いことだと思う。ダバダバした水着だと動き回っているうちに半ケツ状態に陥ってしまうことがあるのだが、今はそこまでは考えていないという状況だ。
ただこの密着が裏目に出ることもある。裏地付きとはいえ、ポジションが外見から丸見えになってしまう点だ。股間がやや膨らむのは正直なところ男子の宿命であって、思春期とはいえ諦めがつくものなのだが、ポジションが出るのはちょっと困る。メインターゲットであろう未発達の小学生なら悪目立ちすることはないと思うが、それでも高学年〜中学生になる頃には気になるのではないだろうか。スイムサポーターをを履いて改めて着用してみるとすっきりさせることができた。オプションではあるがマストアイテムであろう。
着替えのしやすさや動きやすさに関しては、ただのパンイチ状態なので特に問題はない。とても軽いという感想を持った。
成人男性である筆者が2着目に着用したスクール水着がこれである。Amazonという文明の利器がなければこのような経験をすることはなかっただろう。
下にシリコンパンツを履いて、下半身のラインを女性らしくして履いてみた。まず着用方法がとても難しい。セパレート式の水着についても、レディースの水着は上から被るのではなく下から履くように着用するのが正しい方法らしい。まず下半身を履くのだが上半身部分が嵩張ってうまく着用できない。そして下半身を履いたら胸当てをずり上げていき、最後に肩紐をつける。この肩紐を肩にあてるときに筆者の肩の関節が悲鳴を上げた。もしかすると筆者が成人男性だから苦労しているだけで、女性の肩が柔らかいのかもしれない。また胸の周りをきつく押さえつけるような構造になっていたので、おそらく尻は通せても肩を通すのが難しいのだろうと思ったが、筆者には胸がないのでこのあたりはよくわからなった。
今回はこのまま水に浸かるということは試していないが、こうした着用方法の特殊な水着は水に濡れてまとわりついたら脱ぐ時も大変かもしれないと思った。
さて、着用してみると、動きやすさについてはいうまでもない。腕にも脚にも何もついていないのだから何も支障が無いのである。そしてよく伸縮して筆者の膨らんだ腹にフィットし、まるでみかんネットに身を包んでいるような気分であった。
男性用と比較すると大きな水着だが、布面積に対してプライベートゾーンの細かいところでガードが乏しく、股間や胸元を安心できるところまでガードしているかというと不安を覚えるということなのだろう。日頃から体型を気にしている女子にとってはイレギュラーな格好に見えるのだろう。もはや半裸でやっている男子からは贅沢な悩みに見えるかもしれないが、日頃から体のラインを見せないように意識している人からすればショックが大きいのだろうし、泳ぎを優先した薄っぺらさからくる不安があるのだと思う。
いちおう、性転換パンツを履かずに男性としての身体でも着用してみると、裏地の当たるところが男性より狭いため、当然ながら何もガードしてくれずに股間が悪目立ちした。恐る恐る姿見を見たところ当然にも醜く、最近医者に注意された腹がぽっこり、その下で股間がもっこりと出たおっさんの体型が丸見えである。これなら正々堂々と腹をぶりんと出していた方がまだ恥ずかしくないのではと思ってしまった。布が多いはずなのに恥ずかしいのは何故だろう。隠しているからこそ、余計に恥ずかしいのだろうか。加えて筆者は脇毛が濃いのでこのあたりが猛烈に汚く見える。女性には脇毛がほとんどないイメージを持っているが、あれはそもそも脇毛が生えにくいのか常に剃っているのだろうか。
さらに股のクロッチの布の狭さに改めて驚く。男性の筆者でもハイレグ水着というのはなんとなく恥ずかしい格好であるという意識は持っているのだが、尻まで覆う普通のスクール水着でも薄さと狭さで守られていないように感じてしまう。脚の動きに制約がないので動きやすそうではあるのだが、これでは何かのはずみでズレて股の内側が見えてしまわないのかと不安になるのである。女子もこの中にサポーターを履いて体型を抑え込んだりしているだろうか。近年スパッツスタイルの水着が支持される理由がわかった。
そしてこれは余談だが、スクール水着を使った映像作品で、足の付け根にベージュ色の布が見え隠れしているものを見かける。あれは中に別のパンツを履いているのだと思っていたが、どうやらスクール水着の裏地らしい。なぜか裏地が縫い付けられておらず、着替えるときにぐるぐると巻きついて水着の外に飛び出してしまうのである。履いてみて初めてわかったこととして共有しておこう。
この水着は、サーフパンツと前開きのラッシュガードをボタンと暇で繋ぐことで捲れにくく構成された水着で、ゆとりを持たせて身体のラインが出にくいことを特徴としている。
まずは男性としてこれを着用してみる。少し大きめのサイズを注文したが、ボトムスに余裕があるのに対してトップスはやや窮屈な印象を受けた。
ボトムスはインナーパンツが内側にあり二重構造になっているのだが、裏地がクロッチにはついている一方、男性部にはついていない。少し心許ないというか、十分に大きいサイズの水着でないとやはりチンポジが浮き出てしまうと感じる。これもメンズ同様、スイムサポーターで防ぐことができたが、もうワンサイズ上げたものを購入してみることを検討した方が良いかもしれない。
トップスも着てみる。トップスの裾とボトムスの腰にボタンがあり、これをとめると固定できるのがユニークだ。生地は伸縮性があってやや薄く感じるが、ラッシュガードとしては十分な軽さを持っていると感じる。胸周りはパッドを入れるためか頑丈な作りになっているので、慣れない男性は違和感を覚えるかもしれない。しかし筆者はさきほど経験したばかりであり、どうやらこの胸の締め付け感はレディース水着では当たり前にあることのように感じ取れた。
こうして肌の露出は避ける水着を着用することができた。普通にシャツを羽織るのと同じなので、ボーボーの脇毛を見られることもない。ひとつひとつが安心感につながるのだな実感した。いっぽう胸と腹で裏地の厚みが違うため、胸まわりがかちっとしている一方、筆者の腹はぽっこりと出ていた。ここはカバーできない可能性が高い。
次に女装用シリコンパンツを履いたうえでボトムスを履き直してみる。先ほど気にした裏地は性器の位置に合うようになっている。シリコンパンツの構造上尻が大きくなるが、この体型でやっと水着の上下ともに良いサイズになったと思う。つまり逆三角形体型の男性の場合、セット買いはせず、トップスはボトムスより大きいものを発注する必要がある。
動きやすさについては、これまでの水着と同様に伸縮性に優れていて、薄いので水を溜め込むこともあまりないのだろう。サーフパンツの水の抵抗は未知数だが、トップスとボトムスを連結する3つの部品が半ケツを回避できるほど強力だとしたら、かなり期待できる。
ここまでのことを思うと、このサーフパンツやラッシュガードは、男女共用というよりも、男性も着用可能とブランディングされつつも構造的にはレディース向けに設計された水着なのかもしれない、という感想を抱いた。
メンズ水着としてはトップスがついた程度で、ほかにめくれを防止する機能などがあるくらいで、一特段の革新性はないが、一方レディースとして考えるとこの着替えのしやすさというのは革命的なものになるのではないか、と感じた。
今回は男・女・共用という視点からスクール水着について調べてみた。女子用の水着の着替えでの扱いづらさは実体験しないとわからないものがあると思った。そしてこのビジュアルは、男性が着ることを完全に想定していない、女性だけに作られたアイテムであることも体感した。ゆえに、性差を強く見せてしまう格好として思春期の女子から嫌われているのだろうという実態も学ぶことができた。
実は男女共用水着の商品紹介ページには、児童が水着に求める機能についてまとめたアンケートが掲載されている。これを見ると確かに「着替えがしやすい水着」という意見が第一位にきて、次に身体の悩みが並ぶ。たしかに女子用水着は着替えにくかった。思春期特有の悩みというよりも、単純に実用性についての意見が多く寄せられていることを実体験することができたと思う。
一方で、男女共用水着にも課題があると感じる。身体のラインが出にくい水着、恥ずかしくない水着を身につけること自体は否定しない。ただ、インナーまで含めて男女共用とすることには少し無理があるのではないかと思う。小学校低学年くらいであればあまり性差もないだろうが、いずれは体格に差が出てくる。せめてインナーは性差に合わせた形状にして選択できないだろうかと思った。自由度があるならば、男子は敢えて男女共用水着を選ぶのではなく、メンズのサーフパンツにラッシュガードを着用するのが最適解ではないかという感想を持った。
とはいえ売る側の事情もあるだろう。単に「身体のラインが出にくい水着を」と主張しても、保守的な学校組織で指定水着を変えさせるのは難しい。ジェンダーレスという話題のバズワードを使うことで普及を促す意図があったのではないか、とも推測した。実際、変えてみて効果が出ているというニュースが好意的に報道されているが、単にレディース水着のバリエーションというだけではここまで話題にはならなかっただろう。
しかしそれもこれも、男女の水着の機能的な違いから目を逸らしてビジュアルだけを論じてきたことが背景にあるのではないだろうか。今まで通りの水着で良いとか、あるいは目の保養だとか思っている男性陣も、一度女性用のスクール水着を着てみれば、新しい視点からものを見ることが出来るのではないだろうか。
本来はこうした水着を自由に選定できることこそジェンダーレスではないかとも感じるのだが、体格的に難しいことを受け入れることもまた必要なのかもしれない。
オタクとは違うが体臭きつい人はラーメンマジでわかる。でもそれもそもそも内臓の問題もありそう。健康診断も合わせてどうぞ。
んで本題だけどオキシ漬けってつけたあと暫くは保てるけど後々やっぱ匂い始める。何が大事ってやっぱり新しい服だと思う。定期的に買って、捨ててのサイクルが必要。
生乾き臭を失くすにはTシャツは速乾の素材に頼るのが良いと思う。ワークマンとかユニクロで良い。エアリズムとか通気性が高いやつはすぐ乾くから着用後にすぐ洗濯してすぐ乾かせば割と匂いは残りにくい。
分厚くて乾きにくい素材はかなり匂いが残る。
最悪ユニフォーム系の服で全部乗り切れ。
んでオタクは頭髪が結構臭う。正直坊主にするのが一番清潔だと思うな。アニサマとかは肩にフケとか乗ってるオタク見てオエッてなったりしてた。
なんのオタクか知らないけど1stライブのTシャツとかマジで臭いからもう捨てろ。写真にだけ残せ。
あとタオルはもう持ち歩くな、使うな。GATSBYの汗拭きシート使え。できるだけ無香料のやつな。冬ももちろん使えよ!汗拭きシート以外に除菌シートも持っとけ。多分お前のタオル全部臭いし。
大体不躾な本音をぶつけてくるのは男なんだが。
やれ、肩に何か付いてる
あのな、こっちだって言いたいこと山程あるんだよ。
それとも何か?こいつにならハッキリ言って良い奴だとでも思われてるんだろうか
そうなんよ。結局値段じゃなくて「自分に合ってる」と思えるやつに落ち着くんよ
やっすい布のリュック。ペロッとしてる。機能性は「軽い」ことだけ
重いもの入れたりするとタダの紐でしかない肩紐が肩に食い込む仕様
でもその気安さが良い
ズタ袋背負ってる感が良い
高めのリュックをいくつ買っても、結局notabagに戻ってくる謎
昨日届いたミステリーランチは使えると良いなあ(つーか、使いもしないバックルだらけでイライラする。全部クルクルしてベルクロテープで止める煩わしさよ)
なんか、やっぱりオスプレイにした方が良かったかなあ。背中へのフィット感が良さそうだし。安めだから後で買ってみるかな
という様に、どんどこバックパックが増えていく
好きなブランドでもあるフェールラーベンもpc緊急持ち出し用バックパックとして部屋の片隅に鎮座しているだけ
Able carryの13Lのやつ、もうちょっと薄っぺらければなあ。小さめなのに背負うと亀っぽくなるのが嫌なんだよ
結局どのバックパックもソレが原因で使わなくなる
水上と千賀はこんな会話を繰り返した。
「え? だって、遠投してんじゃん」
「いや、ピッチングと遠投は違うんで」
「しっかり腕を振れるってことじゃないの?」
「いや、マウンドに上がると……」
「もういいよ、投げなくて。たくさんピッチャーいるからさ。東浜でも岩嵜でも」
咎められた千賀が涙をこぼす日もあった。
厳しい言葉で自覚が芽生えたのか、2015年の千賀はウエスタン・リーグで16試合に登板して9勝2敗、防御率2.00の好成績を挙げた。
翌年から一軍のローテーションに定着し、7年連続2桁勝利を挙げ、メジャーリーグに挑戦した。