はてなキーワード: 優生とは
中国が一人っ子政策を取ったため、男児選好が進んだ、なぜ男児選好かというと、儒教的価値観のもと、お家を継いでくれる男児がほしいから、と言われているが、なんとなくしっくりこなかった。
どうも真の原因は一人っ子政策というより、社会主義から資本主義を取り入れたことと、技術革新にあるらしい。
今、技術革新が進み、何かと淘汰が進む世の中に変わりつつあると感じている。
資本主義の価値観のもと、優生主義が強くなりそうでお先暗いなぁという気持ちになってしまった
以下長々と語る
中国の一人っ子政策は1978年から2015年まで行われたのだが、時代や地域により規制のばらつきがあったようである。
1978年から1984年ごろの中国農村では、二人まで産んでよい、さらに三人でもそれほど厳しい罰則がなかったようで、その結果、産まれた子どもの数は二人から三人の間でほとんど変わらなかった。にもかかわらず、性比の上昇がみられたのである。
※2
長く一人っ子政策を推進してきた中国の出生時性比が次第に不均衡化して男児選好傾向が顕著になったのは1978 年の改革開放以降のことであり、1980年代半ば以降に経済成長と相関して急上昇してきたことは印象的である(p.212:図 5-5)
※1
上記の引用は一人っ子政策があったものの、事実上産児抑制が緩かったため、ほとんど意味をなしてなかったにも関わらず、男児選好が進んでいた、経済成長とともに男児選好が激しくなっていったらしいことを示している。
そもそも改革開放ってなんやねん、ということなんだが、下記のことを指すらしい。
1980年代以降、改革開放が進むにつれて、農村部の基本的生産方式は、それまでの「人民公社」から「家庭請負制」に変わった。「家庭請負制」の下では、農業用地の権利が「集団」に属する「所有権」と農家に属する「使用権」に当たる「請負経営権」に分けられた(「二権分離」)
※5
本源的蓄積過程の継続のため、儒教の「五服」、 「三従」のような父系中心の家族倫理の内容が新 たな形で改革開放以降の土地制度改革において明 文化・制度化されたことを筆者は「農嫁女化」と
名付けた。
※3
実証の結果によれば、土地改革が始まった郡では、第一子が女の子であると、第二子の性比が有意に上昇した。このような効果は、一人っ子政策の前後ではみられない。土地改革による出生率への影響はみられなかった。性比の上昇のうち、半分ほどは土地改革の効果といえるという。また、母親の教育水準が高いほど子どもの性比が高くなることも分かった。
※2
資本主義市場経済自体はジェンダー中立的なシステムである、という信念 はフェミニストも含めて意外に広く浸透しているが、本書が論じる中国の事 例はそうした信念に対する明確な反証と言えるだろう。
資本主義システムの 成立要件のひとつである土地の商品化が夫を筆頭とする「戸」つまり家父長家族の強化によって女性の権利を収奪しながら進行してきたことが示されているからである。
生産手段を奪われた「農嫁女」がサービス労働者や家事労働者として都会にでていくという現象もまた、あまりにも「古典的」な展開である。
※1
土地改革がなぜ性比の上昇につながったのか、断言はできないが、いくつかの可能性を検証している。その結果、もっともらしいメカニズムは、農家の所得の向上だという。この時代、超音波技術の普及が農村では遅れており、中絶コストは決して低くなかったため、男の子のみを選択して産みたいとしてもそのすべがなかった。
ところが、所得の向上によって、比較的余裕がでてきた家計は、わざわざコストを負担して都市に出向き、男の子を選別して産むことが可能となった、というわけである。
土地改革によって、男性の労働力がより重宝されるようになったなど、直感的にもありえそうな他の理由は、検証の結果ことごとく否定されている。
※2
人民公社から、土地開放に伴う家父長制の強化により、女性の労働者としての価値が下がり、土地を守るシステムになった
+
豊かになった農村女性が超音波技術を用いて不要な女の子を堕胎する
という話で、要は生存競争が激しくなったから足手纏いの女の子は捨てたい、それを可能にしたテクノロジーが出来たので、女の子の間引きが進んだよ、という経済合理性に基づいて行動しましたよ、という話である。
おまけに、中国の女性労働参加率は教育の加熱化と市場化の影響を受け、1990→2018年の間で10%以上激減しており※4、正直言って、家族を守るという観点だけに立てば、個人の選択は割と正解だったというのが残酷である。
これなら人民公社があれば良かったんじゃないか?となるが、解体された理由は、「働いても働かなくても同じ」という悪平等主義による労働意欲の低下により国が荒れた部分であり、あれ、これって現代の高福祉国家にも通じる部分あるよね、となってしまった
なんというか時代って繰り返すのねと思う
でも、今後は北欧が失敗してるのを諸外国が見ているので、高福祉国家に戻しましょう、にはならないと思うんだよな
そうなると、資本主義を出産の分野にも取り入れたような、技術を利用して生産性が高い人だけ残しましょう、胎児の間に生産性が低い人は取り除けますよ、という優勢主義が促進されるのが自然なのかなと思う
今だって貧乏人や病弱なら子を残さない方がいいって価値観は強まってるしね
今後福祉制度も脆弱化していくと思われるので、デザイナーベビー、クローンで自分たちが働けなくなった時の保険として、優秀そうな子を育てるようになるのかなぁと思うが、なかなかお先は暗そうである。
調べながら書いたので、間違ってる部分などあったら教えてほしい
引用文献
※1
新刊紹介●『現代中国の高度成長とジェンダー』123 ― 農嫁女問題の分析を中心に』(東方書店 2022 年 7 月) 伊田久美子
https://www.jstage.jst.go.jp/article/wsj/30/0/30_123/_pdf/-char/ja
※2
第59回 いるはずの女性がいない――中国の土地改革の影響 牧野百恵
https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Column/ISQ000002/ISQ000002_059.html
※3
https://researchmap.jp/yajiao-li/misc/46528819/attachment_file.pdf
※4
女性の労働参加を更に促進、シニアの労働参加は次なる課題(中国)
https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=67335?pno=2&site=nli#anka1
※5
https://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/200415kaikaku.html
ジェンダー平等の観点でも日本を牽引するアメリカが、大きな決断をしました。
確かに、国民の大多数が止むに止まれず苦渋の選択を取ってしまった。
失言もロクに咎められないまま認められる構図は、グロテスクだったと思う。
巷では、フェミニズムにウンザリしてたとか、ポリコレが三下り半を下されたとか言われてるけど。
それでも正しさを下りないでほしい。
まさに価値観のアップデートと言われてたように、いまの人々の思想は歴史の積み重ねがあったから。
様々な紆余曲折を経て、ブラッシュアップされた果てに、今がある。
そのたび議論が巻き起こったけれど、はっきりした結論の出ないままにウヤムヤになって。
だけど、多様性が人類の生存戦略として優生主義に勝るという点は、より鮮明に像を結んでるとおもう。
母親たち、女性たちを生きやすくすることこそ、皆んなの未来に繋がっていくのだから。
弱者男性増田さんも、「男らしくない自分が選ばれないのはおかしい」「世間が間違ってる」と思うなら、それを貫いて。
きっと誰かの生きやすさに繋がるはず。
おもろいな
うちの両親は弱者という程ではないけど子供を育てる能力はあんまりなかったと思う。それは色々な事情によって両親自身がその両親にちゃんと育てられるという経験をしてこれなかったから。
そんで俺はそこそこのエリートサラリーマンコースで有名企業に在籍して長いんだけど、周りの話を聞くとうちみたいな家庭の出身者はほぼいなくてもっとまともに育てられてきた人ばかりなんだよね。やっぱり子供を育てる能力ってあるんだなって思うよ(金の問題ではなく)。
なお俺の実家の中では俺だけ例外なので、同じ両親に同じように育てられた他の兄弟は全員Fラン大を出ることもできずエリートサラリーマン()とは似ても似つかない仕上がりになっている。別にそれが悪いわけじゃないけど、経済的・キャリア的には相当厳しいので今後大変なことになっていくだろうと思う。
昔からさ
だから、昔は家とか親の都合で決めてた結婚を、AIとかマッチングによって決めちゃえばいいだけだよな
先進的でかっこいいじゃん
嫌なら別れてまたすぐ次の相手見つければいい
※追記
おもろいな
そして、子供が減ってもっと弱者の海外の底辺層輸入してきて、バンバン国内で犯罪されてるんだから
子供を育てることの責任が国や社会、地域そしてあらゆる大人にある事を無視して、弱者は自己責任と嘯く優生主義者
強者からだってどうしょうもないやつなんていくらでも生まれてるし、お前らみたいな優生主義者もその一人だろうが
生まれてくる権利がないって言うなら、まずお前らが死んでみせろよって話
頭が悪いから自分が自滅の理屈を話してること分からないんだろうな
おもろー
思うに郵政省には、保険不正利用による優生的ステルス迫害虐殺があったと思う
郵政省時代のかんぽ生命は現金で満期保険金受取りができたので、ここ経由でまとまった現金をやりとりすることができた(子供に生命保険を掛ければ割が良く、受取人本人確認などなかった時代)
自民の敵は迫害虐殺しとけ!という状態なら米軍駐留も安心というわけだ
土地バブル崩壊とオウム麻原が現れたあたりで統一教会はメディアから消え、内閣もころころ変わったように見えたが、郵政省の現金払いをどうするの問題もあったからではないか(規制案に当省や保険・司法団体から妨害が入っていたのではないか)
結局、保険・郵政省・司法団体は、郵政省は尻尾切り、隠蔽係として金融庁を設立することで合意し、橋本龍太郎が省庁改革、小泉純一郎が司法改革をやった
それで大蔵省は財務省になり、金融担当大臣には竹中平蔵がつき(2002-2004)、その後の中川昭一(2008-2009)、仙谷由人(2010)、松下忠洋(2012)は早世し、安倍菅内閣ではずっと麻生太郎が担当した(2012-2020)
増田がめいろまの優生思想を肯定しているわけではないのはわかるが、
日本の選手が強くなったり、最近の子達が美形でダンスや勉強もうまいというの、あれ日本で80年代以後は見合いが激減したのが原因かもな。能力がない、金がない、不細工は結婚できなくなって、優秀な人間だけが自然選別で結婚して子供を産むようになった。多分これ結構あたってると思うんだよ
ある快挙を無理やり優生学的な原因で説明しようとするのはモロに優生思想でしょ。例えば日本のスポーツ選手が強くなり、オリンピックで優れた成績を残せるようになったのにお見合いの激減など効いているはずもない。はてな民からしたらめいろまなんか真に受けるなよといいそうだが、最近こういうなんでもお手軽に優生学的な理由を求めようとする人間が増えている気がするので真面目に反論しておく。
これはズバリ森喜朗のおかげ…もといtotoのおかげである。森喜朗もJリーグも好きではないが、今日の国際大会での日本勢の活躍の一因は間違いなくこのスポーツ予算にある。
https://www.asahi.com/articles/DA3S14462004.html
totoの売上からは"毎年"200億くらいの予算がスポーツ振興に安定的に投下されるようになっている。メジャースポーツからしたら大した額に見えないかもしれないが、これにより従来個人の趣味の域を出ずスポンサーもつかなかったマイナースポーツへも強化予算が割り振られるようになった。パリオリンピックでの躍進目覚ましいフェンシングの分析をしたものが以下のツイートである。
Sato Josuke (Jose Sato)
@soccer_kozou013
いつの頃からかは不明なのですが、味の素トレーニングセンターに作られた広い練習場で定期的に候補選手の強化合宿が開かれていたり、学生の選手で将来有望だとみなされた選手のトレセンが頻繁に行われています。太田雄貴さんの活躍によりそれにさらに拍車がかかった印象です。
一昔前なら、フェンシングのようなマイナースポーツ(失敬)の国立トレーニングセンターなど想像もできなかっただろう。ちなみにスケボーも2017年からJOCに加盟しているのでそれなりの予算が出されていると思う(たぶん)。
https://honkawa2.sakura.ne.jp/images/3980a.gif
こんな感じになっており、言うまでもなく90年代からの増加は女性選手のおかげであることは明らか。日本の男女平等は完全には程遠いが、宗教や経済的理由により女性がまともにスポーツをできない国はまだまだ多く、それらの国々に比べればまだマシであるおかげと言える。
80年代からお見合いが減ったといえ、今のスポーツ選手はその世代の子供にあたり、たかだか1世代しか経過していない。そのような少ない世代での効果などたかがしれている。さらにお見合いがなくなった80年代の価値観で言えば、男性の魅力は経済力という時代なのでスポーツ能力とは全く関係がない。スポーツができてモテるのはせいぜい中学生までくらいのものだろう。
品種改良をしようとするのなら優れた形質を持つもの同士を交配し、さらにその子孫もその形質で選抜しつつ交配を繰り返さなければならない。たかだか1世代経済力で選抜したところでスポーツ能力など上がりようもないのだ。(「最近の東大生は選抜されているから美男美女が増えた」というのも同レベルの寝言だろう)
人の意見に毀誉褒貶があるのは当然なので、反論したいわけではないですが、誤解は解いておきたいので追記します。
これはその通りで私の言葉足らずでした。ああいうのは優生思想そのものではなく、優生信仰とか優生信者とか優生陰謀論とかそういうのが正しいですね。
これもそのとおりです。増田は別に遺伝要素や環境が引き継がれる要素まで否定するつもりはないです。優生学にも科学的な要素はあると思っています。ただそんなにね、1,2世代ゆるふわな身体能力と関連性の薄いセレクションしたくらいで身体能力上がるわけ無いだろ!安直に優生思想で説明するな!遺伝学なめるな!と言いたかっただけです。
理論的には、特定集団を隔離して交配と選択を繰り返せば一定の形質をもった新たな品種を生み出せる、というのは育種学的に見れば当然の話だし、あるいは大集団でゆるい選択を長いあいだ続けることによって平均値を緩やかに変えていく、みたいな可能性はあり得ます。例えば木村資生博士はこの後者の可能性を提案しています。
という問題があって、具体的には2番めの点については木村先生はほぼ自明に賢いものを優遇しようと提案されていますが、目下の少子化で消滅がほぼ確定しつつある日本を見ると賢い人間よりマイルドヤンキーみたいな方が優れた形質なのでは無いかという気もします。家畜の場合「肉が多い方が良い」「産卵個数が多い」など具体的に目標を決めることができますが、人間の場合望ましい形質というのはそんなに簡単には決められないでしょう。(ただ木村先生の活躍された時代は少子化ではなく人口爆発が懸念されていた時代である、ということは背景にあります)
3点目もこれに関連していて、例えば「外見が優れている」価値観の中身などはすぐに変わり得るということです。平安美人は今の美人とかけ離れている…などと持ち出さなくても、イケメンの定義でも昭和と令和では全然違うという現実があります。石原裕次郎や高倉健は今の時代では顔の濃いおっさんフェイスだし、今風の顎が細く中性的なK-POPアイドル的容貌は昭和の時代では気持ち悪いカマホモ野郎扱いでしょう。高々30年(=1.5世代)程度あれば人の価値観はあっさり変わってしまうものなのです。
結局の所「優生学」にも科学的な部分はあるがその部分は「育種学」と呼ばれるものであり、このあたりの関係は「脳科学」と「脳神経学」みたいなものではないかと思っています。
子供の面倒見る暇はないくせに不倫する暇はある男か〜最低だね。
せっかくホワイトに勤められるくらいの能力がある人は、年収はどうあれ同じくらいホワイトな会社に勤めてる人と結婚した方がいいんだろうね。
なんだろうね、こういう話を読んでるとどんどん自分が優生主義者に傾いていくような気がしている。
能力のない人間が大事にされず、逆に能力のない人間も他人を大事にしない社会なら、もう自分含めて能力のない人間は安楽屠殺してくれた方が良くね? 無能な人間がいる意味ある?みたいなさ。
能力はないし年収も低い夫婦だけど子供もそれなりに育ってるし幸せにやってます! って希望のある話がたくさん読みたいし、そういう社会だったら良かったよ。
反出生主義を名乗る人の中でも派閥があって、そのうち反出生主義のことをマトモに理解できてるのって本当にごく一部だと思ってる。
まずは優生主義を唱える人。Xとかみてると、反出生主義名乗ってる半分がこれ。
これは100%反出生主義を誤解している。「アタマが悪いやつがガキを生むな」「ブサイクがガキを生むな」など、不幸の再生産であることは理解してても条件があれば出生を許容してる。出生を許容する時点で反出生主義ではなく、単なる優生主義。優生主義と反出生主義は全く相容れない主義である。反出生主義は優生主義「ではない」。
不幸の再生産、望まない生を与えられる結果を忌避しているのは共通しているが、「ガキを生むな」「オス・メスガキを生むな」「オス・メスと番になるな」という呪いばかりで、言動は子供・男・女が嫌いという全く関係ない話。これに関しては反出生主義と併発しててもおかしくはないが、観測上、偏りはあっても人間全体が嫌いじゃないと不幸の再生産を忌み嫌う反出生主義まで行かない。子供嫌いなんてたまに「分別が付くまで公共の場に出すな」みたいなことを言ってて、出生とは何一つ関係がない。反出生主義は、既に生まれている生に対しては全く関係がない。これらも単に「子供・男・女嫌い」とくくられる人々。既に生まれている生に対してあれこれ言う主義「ではない」。
じゃあ反出生主義とはなんぞや、って話になると簡単で、望まない誕生を忌み嫌う主義ですよ。生まれることに関しては同意がとれないんだから人を生むのは人権侵害。
優生主義やウンタラ嫌いと決定的に違うところは、「生を受けた人間の権利」にフォーカスが行ってるか行ってないか。簡単でしょ。
これに対して、「同意が取れないものに対してどう同意を取れというのか」みたいな、わたしはすっごくあたまがわるいです!!って自己紹介する人がたまに居るんだけど、まあ薬でも盛ってレイプしてるような人なんでしょうね。同意取れないなら同意はとれません。人産みor人産ませの顔をしろ。
全てリベラリズム(ポリティカルコレクトネス)の立場から判断しているという点で、一貫性がある意見だと思うけどな。
リベラリズムから見ると、同性婚と夫婦別姓は法律を改正してでも認めることが望ましく、祝福すべき結婚。
またリベラリズムから見ると、年の差婚(特に男性が年長、女性が年少)は法律を改正してでも規制すべき、忌まわしい結婚ということになる。
それ以外では近親婚。
近親婚は法律が規制しているままで良くて、リベラリズムでは認めるべきでない結婚。
ただし、いくら当事者の意思決定能力が制限されるといっても、知的障害者の成人、特に出産と育児も自ら希望している女性の結婚はリベラリズムも祝福するよ。
インセル、ただの弱者男性の類かと思ったら、ポリコレ指定受けられるガチ目の社会的弱者だったのか
https://home.kingsoft.jp/news/amusing/nazology/134954.html?from=rss_list_nazology
しかし、アメリカのテキサス大学心理学科のウィリアム・コステロ氏ら研究チームが最近行った研究により、インセルとして自分を認識している男性は、精神的に多くの問題を抱えており、恋愛相手に対する理想も一般の男性よりも低いことがわかりました。
そして調査の結果、インセルのグループは精神的に非常に問題を抱えていること、認知に歪みがあること、被害者意識が強いこと、自閉症スペクトラム障害(ASD)の発生率が高いこと、恋愛のスキルが低いこと、デートに対して不安を感じていることが明らかになりました。
また、世界的に見た自閉症スペクトラム障害(ASD)の有病率は0.62%なのに対し、インセルの人々の中では、18~30%と非常に高いこともわかりました。
女性が社会的弱者ということで、今まではうまくインセルを批判してきた
しかしインセルのかなりの割合が障害者となると、女性よりも更に弱い可能性があり、下手したら批判する市民運動の方が優生扱いされそうだ