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2018-11-20

【9】2018 晩秋広島博多別府

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anond:20181120113627





5日目



ほんとにひと玉でよかと?


リラックスできる」と「グッスリ眠れる」の間にはまだ少し超えなければいけない壁がある様で、4泊目の夜の睡眠は途切れ途切れだった。

携行している睡眠導入剤を使えばよく眠れるのだろうが、あまり連用はしたくない。

7時頃には完全に目が覚めてしまったので、洗濯をすることにした。

旅行では日を重ねるごとに使用済み下着や2回袖を通す服などが増えてくるし、なんとなく薄汚れてくる気がするので、気軽に洗濯ができるのは本当に有難い。

うっかり肌着も全て洗濯機に突っ込んでしまったが、素肌にシャツでも問題ないだろう、本来シャツとはそう着るように作られているものだ。


一先ず最寄り駅前モスバーガーで朝食をとった後、宿に戻って身支度を整える。

今日の行き先は太宰府天満宮

朝のワイドショーによると、今日福岡は時よりにわか雨が降るらしい。

折り畳み傘を持って宿を出た。


宿から天神の駅を経由し、博多まで歩くことにすると、行きすがら美術館発見した。

福岡アジア美術館

常設展は200円なので入ってみることにした。


タイ芸術家、キエン・イムスィリ作「音楽のリズム」など、普段触れることの少ない東・東南アジアの近現代美術は興味深い。

広島瀬戸内海洋交通要衝ではあったのだが、福岡場合は港が東シナ海に面しており、南に降れば上海台湾フィリピン、西を見れば壱岐対馬を挟んで韓国が目と鼻の先。

歴史的アジア諸国との繋がりは深いようだ。

そういえば博多の街では他の国の人より有意に多くの韓国人をよく見る。


美術館を出て博多の駅に着き、太宰府までの経路をチェックする。

行きすがら途中下車して、名物博多うどんで腹ごしらえをする事にした。

そう、博多ラーメンだけではないのだ。

竹下の駅を下車してやや歩くと、博多うどんの名店と紹介される「春月庵」が見えてきた。


河川敷脇の道路沿いに建つ店舗は外から見るとポツンとしているが、中に入ると30席ほどありそうな店内は満席に近い状態、みな賑やかにうどんを啜っていた。

博多うどん定番トッピングと言えばゴボ天らしい。

店員さんを呼んで、ゴボ天うどんとかしわおむすびを注文する。

と、「うどんのお代わりは自由です。ひと玉でよろしいですか?」と店員さんが念を押してくる。

いや、おむすびも食うんで、ひと玉で充分ですよ。

やがてそのおむすびに続いて、顔どころか頭蓋骨が丸ごと隠れそうな大椀に浮かんだ浮かんだうどんがやって来た。

食べてみた博多うどんは、麺の食感に特徴があり、程よいコシと柔らかな食感。強いコシと弾力信条讃岐うどんとは別モノだ。

ゴボ天も肉厚に切られているのに柔らかい

優しい美味しさで、讃岐うどんばかり溢れる東京にもこのうどんがあれば良いのにと思える味だった。

と、啜っていると、さっきとは別の店員さんが勘定伝票をめくって

「ご注文揃いました?うどんはひと玉で大丈夫ですか?」と再び念を押してくる。

いやいや、大丈夫、美味しいですし、満足してます

でも聞いてくる理由はすぐ分かった。

カウンターお客様、3玉でーす。」

耳を疑うような注文内容が何度も聞こえてくるのだ。

そう言えば広島ではスリムな人が多かったが、博多の街ではふくよかな人やがっしりした人をよく見みた。

福岡の人は本当によく食う。

こんだけ食えば、そりゃ大きくもなる筈だよ。


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2018-11-18

犯罪遺伝子存在するのか

遺伝子研究が盛んになっていた20世紀後半から、と言うか1990年代から2000年代前半、人間のことは、生物のことは遺伝子で全てわかるのではないかと言う機運があった。

そんな中で、良く出てきたのが「犯罪者遺伝子で決まる」「犯罪遺伝子」「殺人遺伝子」みたいなものが巷にあふれた。

論文でも「犯罪者有意に多い遺伝子」みたいなものが見つかったりする。

しかし、「犯罪者有意に多い遺伝子」が統計で見つかったとして、実はそれが本当に犯罪関係がある遺伝子かどうかは分からない。

遺伝子犯罪を導くのか、遺伝子要因と環境齟齬犯罪を導くのか、実際には分からいからだ。

 

例を挙げてみよう。

まず、貧乏犯罪引き起こしやすいのは良く知られているし、感覚的にも理解できることだろう。

その中で、例えば北国に住む一部の人に寒さに弱い遺伝子を持っている人の群が居るとする。

寒さに弱いためにまともに働けず貧乏になる。

貧乏になるため犯罪を犯しやすくなる。

ここで遺伝子統計を取れば、「寒さに弱い人達もつ遺伝子犯罪者有意に多い遺伝子」と言うことになるだろう。

それを見て「犯罪遺伝子存在する」と言えるだろうか。言えないだろう。

しかし、だからと言って、犯罪遺伝子存在しないとは言えない。

 

遺伝子は多様で複雑だが単純で、形質を作りはするが、精神を作りはしない。

精神は造りをしないが、形質自体殺人に関わることはある。

人間社会が形質、と言うか見た目に大きく依存して存在している以上、宿命から逃れられないように形質が殺人を引き起こすこともある。

どれだけ環境が代わろうが進化しようが、一部の遺伝子は絶えず不遇をかこち犯罪おかしていくだろう。

そう言う場合人間社会病理として犯罪遺伝子存在すると言える。

とは言え、それは社会病理であって、その遺伝子を持っていることで白眼視できるようなものではないのだが。

2018-11-12

現代社会的正義としての流行運動はもう起きる余地が非常に小さいのではないか

なぜならある正義運動が起きたとき、それが人為的ものならカウンターもまた同じく正義運動を始めるから

今までは、階級史観じゃないけれども数の有意論理によって正義が降りてきた

しかしどちらも大衆である現代ではその論理通用しない。つまり対等な人的関係では正義余地がない

逆にそれ以外の、例えば天災なんかは絶対悪となってそれにカウンターする絶対正義存在する

その絶対正義の中に人間意志が入っていくとその抽象度が下がり、絶対でなくなっていく

これらのことから現代における正義とは、

ケースバイケースに具体的方法を万人に理解説明させる受身的な問題解決装置であり

まりはなろう系主人公なのだ

2018-11-05

国連真実を指摘する記事が歪める福島真実

この記事

https://news.yahoo.co.jp/byline/ishidosatoru/20181104-00102874/

本論は啓蒙であるが、例示が正しくない。


まずは科学事実からということで、福島県放射能測定マップを見て欲しい。

http://fukushima-radioactivity.jp/pc/


2011年2018年マップを読めば

原発事故当時と比べて放射線量が高い地域は大幅に減少している

放射線量が高い地域もまだごく一部存在している

という2点が読み取れるだろう


リスクある原発の廃絶という目標」を言い訳にして前者を無視すること、あるいは「福島被災地域の復興という目標」を言い訳にして後者無視することはどちらも科学事実に反する間違った態度であると言わねばならない。


記事冒頭に挙げられた「年間20mSvを下回るがまだ線量の高い地域重要部分なのに記事では省略されている)に子供妊婦を帰還させるべきではないという国連特別報告者報告」と「被爆による疾患の増加は有意に見られず出生時異常の増加もないという予測を述べた原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)報告」は何ら矛盾するものではない。

石戸記者は前者は「被爆リスクは高い」後者は「被爆リスクは低い」だから矛盾すると雑な論理を展開しているが、前者と後者は同じ福島でも全然違う場所の話をしていると考えねばならない。

なぜなら後者放射能の高い地域から避難が(比較的)迅速に完了したことによる結果として健康被害がなかったという話であり、暗黙の前提として今後もわざわざ危険地域に入って過剰な放射線を浴びに行ったりはしないという考えによる予測であるからである。極端な例を考えれば、「福島安全になった」という雑な考えを持って事故の起きた原子炉建屋の中で長期間暮らしたりすれば当然健康被害が出ると考えられる。

国連を全て一緒くたにしはいけないという指摘をする記者が、福島という地域を雑に一括りにして「安全」という評価を下してしまうのはとても残念なことである福島市も公的避難は行われていないし、会津などにいたってはそもそも風評被害しかない。国連と同じで福島も一つではないのだ。当たり前のことなのだが自分のことになると見落としてしまうのはよくあることであるが。


さて、問題放射線量による安全危険の線引きが実際何が適切であるかということだろう。実のところ放射線量安全危険の線引きは専門家にも難しい。

一応こんな記事を探してきたから暇なら読んでくれ。

http://tomioka-radiation.jp/2016/09/30/1msv_and_20msv.html

放射線普段から人間が浴びているという科学事実やその線量は例示しつつ、20mSvがどうなのかの名言は避けてるね。

今回国は国際的避難基準を元に20mSvを帰還の基準にできると考えているようだが、避難基準と帰還の基準は別なのでは?というのは誰もが考えつく指摘である

いや20mSv以下なら避難しなくてよいのでは?と反論が見られるかもしれないが、事故の混乱の中で住民を残らず強制的避難させる基準が高めになることは何ら不思議なことではない(そもそも隣の村が強制的非難させられてるのに自分たちは対象でないからといってのんきに住み続けてあまつさえ自主的に逃げ出す人を非難するのもどうかという気もするので基準より多くの地域で実際に避難が起こることは想定内であるべきであった)。

さっきの記事を読んだ人なら航空機乗務員目標である年間5mSvより大きな値を設定するのはおかしい(基準航空産業を不当に圧迫していると主張するようなもの)ではないかと感じる人も多いと思う。


「年間20mSv安全だと専門家は主張している」なる主張に反証を一つ上げておく。2011年時東大の教授だった小佐古敏荘氏のことを思い出して欲しい。彼は子供たちに年間20mSvまでの被爆を許容するという政府方針に涙ながらに抗議し、政府役職を辞任したのである記憶力の低い国民たちは覚えてないかもしれないが(皮肉)、当時は大きなニュースだったはずだ。

結局のところ年間何mSvまでなら安全かは専門家でさえも正確には誰もわかっていないし、小佐古氏の主張が正しいとは限らない。しかし、放射線量がまだ多めである地域子供たちを帰還させるという「人によっては泣いて嫌がること」を実施しようとするのは、まさに人権問題だと思うし、特別報告者が人権委員会話題にしようとしたこと自体は(それをそのまま結論にするのは安直であるとしても)まさにやるべき仕事だったと思う。これは決して石戸記者の指摘する福島に対する差別偏見という全く別の人権課題相殺されるべきものではない。

結論としては、国連権威(そんなもの本来最初からないのだが、国連世界政府ではないし、そもそも政府だってそんなに信頼してはいけない)を利用する人を非難し、国連への誤解を解くという目的を果たしながら、福島の一部に残る放射能問題専門家意見権威としてとり上げた上に都合の良いように解釈して自分の望む結末に捻じ曲げるという非常に残念な記事であった。



余談1:国連人権委員会について

今回の記事を見て、国連人権委員会特別報告者など要らないと単純な反応をした者が多くいた。特別報告者の報告をそのまま権威付けに使おうとする一部の反原発派の姿勢問題であったと思うが、国連人権委員会あるいは特別報告者というのは第三者委員会のようなものとして必要とされていると思う。原子力の専門家集団ほとんどが発電所建築専門家であり原子力ムラ(実際そんな村は存在しないので不当な呼称であると思うが)と貶されることもある。実際福島以前の基準やらかしていたわけで、専門家というのも常に当てになる存在ではない。(特に右派には)人権委員会日本関連での事実誤認事件が気になっている人もいるだろうが、人権委員会廃止を唱えることはロシア中国北朝鮮安全保障委員会ですら問題になるレベル)における人権侵害問題を軽視することにもつながると考えるべきだろう。


余談2:実際どの地域避難者を帰還させるべきかという政治判断問題についての個人的意見

もう一度2018年福島県放射能測定マップを見て欲しい

http://fukushima-radioactivity.jp/pc/

年間20mSvは一時間あたりに治すと2.3μSvである地図オレンジ色の点に相当する(こう考えてもかなり高いし、こんなごく少数の点に人を戻していったい何をしたいのだろう)。地図を見ればもうほとんどの地域が水色から白なのである。せめて半分の10mSvか四分の一の5mSvに設定すべきではないだろうか。帰還の完了を焦らずに住民安心という福祉政治的にも重要視すべきだと考える。

2018-11-03

anond:20181103160106

児童への強制わいせつ及び強姦は、H24以降緩やかに伸びていると見えるが、傾向が有意にあると断定は出来ないこと

グラフの傾向は長期(つまりデータ数が多い)なモノの方が客観性および信頼性が高いこと

H25とH26の単年度比較はあまり意味ないこと

児童虐待防止法の制定とその改正がH16であることから、その後の相談検挙が増えている可能性が高いこと

突っ込みどころはこれくらいか

増田の本筋からズレた不義コメ > 相手の虚偽コメ

増田の勝ちだけど、たいして価値ないとも思う

あと「児童虐待の加害者の大半は母親」は好意的解釈して殺人に絞ると確かに母親等が8割超え

2018-10-31

悪影響というのは犯罪誘引したりですとかそのレベル有意ものを言っているわけです。

原理上は悪影響を及ぼさなものなどこの世界には何ひとつありませんが、そのレベルにまで議論を後退させるのは個人実存的な悩みの中にとどめておくべきです。

現実的に考えて社会全体としては捨象してよいだろうというところまでいちいち考えていては具体的で役に立つ施策を考える場所にたどり着くのがえらい遅くなります

その点私はというと若きウェルテルの悩みを読んで自殺しましたので古典から悪影響を受けたことはあると言ってよいでしょう。

しかし本当に自殺をすることを悪影響を受けたと言ってもよいのでしょうか。

社会的には悪影響といってもよのかもしれませんが個人自殺することについて他人かあらあれこれ言われる筋合いがあるというのでしょうか。

この古典文学から受けた影響を果たして悪影響と呼んでよいのでしょうか。

このように個人の話に深入りしていくと話が進まないわけです。

とりあえず多数の若者自殺をする社会というのはあまり好ましくないだろうというところからじゃあどう対策したらいいかと考えるのです。

ミクロマクロの話は分けて考えようということです。

anond:20181031163749

あん?横文字がわからない?

じゃあ標本数だよ。

君のその話はそれ自体なら貴重な体験談だけど

シングルマザーシングルファザー一般を語る材料にするなら統計学的標本として扱う。

んで統計的有意一般論を出すにはその標本数は少なすぎる。


…という説明で伝わるだろうか。

もっと柔らかく表現するなら、君の知り合いのシングルファザーたまたま働き者で、君の知り合いのシングルマザーたまたまクズだった、という可能性を排除出来ない

2018-10-29

anond:20181029172150

(流石に「DV否認する女性はよくいる」事すら知らないってのは…)

その比率日本外国有意差があるのですか?

そして、仮に有意差があるという統計があったとして、本件に適用できるのですか?

思考が雑すぎるんですよ、きみ

2018-10-21

創作物現実ジェンダーロールに与える影響を評価するある実験

id:yutoji2 氏とid:kashiwa_nakamoto 氏が,ジェンダー論を学んだフェミニストの社会学者が絶対に触れたがらない話 - Togetterで求められている実証分析の水準を高く見積もりすぎなようなので,簡単な例を示しておきたい.

女子生徒を300名ほど集め,ランダムにA,B,Cの3グループに分ける.

出演者理工系知識技能を役立てる動画を,出演者が男女で異なるバージョン複数作成する.例えば,PCR/電気泳動実験刺身勝手に食べた猫を特定するなどが考えられる.白衣クリーンキャップにより身だしなみの影響を排除し,出演者容姿/体格による影響を抑制するため,なるべく平凡な容姿/体格の出演者複数人用意する.

動画を見終わったら,理系文系大学のどちらに興味が沸くか回答させ,その結果を集計する.

ケース理系選択動画出演者/その性別の影響
1A=B>C性別関係なく模倣したがる
2A>B>C同性ならばより模倣したがる
3A>B=C同性のときのみ模倣したがる
4A>C>B同性を模倣し,異性の行為は避ける
5A=C>B異性の行為は避け,同性の行為からは影響されない
6B=C>A同性の行為は避け,異性の行為からは影響されない
7B>C>A異性を模倣し,同性の行為は避ける
8B>A=C異性のときのみ模倣したがる
9B>A>C異性ならばより模倣したがる
10A=B=Cない

等号は統計的仮説検定で有意な差ではないことを示し,不等号は有意な差であることを示す.出演者性別に関わらず、理系が嫌いになる可能性は無視した.

ごく短期的な効果しか見ていないので,実際の進路選択に影響するかは示せない.しかし,ごく短期的な効果もなければ,実際の進路選択にも影響しないであろう.

anond:20181021113403

有意差はないって書いてあるやん(鼻ほじ

anond:20181021112429

ソースをサッと出してくれることは評価する

48時間症状が続いている患者のいる家族対象として、マスク着用群とコントロール群に分け、マスク着用群では発症者が他の家族と同じ部屋や限られた空間(車の中など)にいる場合マスクを着用することを5日間実施しました。その結果、調査間中家族インフルエンザ様症状を示した割合は、マスク着用群は16.2%、コントロール群は15.8%で有意差はなく、マスク着用による感染予防効果は認められませんでした。

やっぱこういう系の話か

これって「電車で咳してるヤツがマスクしろ」という話と関係ないよね…

2018-10-19

統計的有意差はあるという印象です

結局印象でしかないじゃねーか

みたいなの他にある?

2018-10-17

はてなカス

オリンピックボランティアに8万人応募ってニュースに驚いているはてな民( ^ω^)・・・

日本全国には1憶人超の人達がいてはてなの毎ほってんとりのブクマ数は500とかだぞ。母数から見たらカスみたいなもの統計的にも有意な差などないぞ。

はてな世論なんて完璧に間違ってることは自覚しておくことにしよう。与党自民党オリンピックお祭りキズナアイはただただかわいい世論

はてなカス

2018-10-16

anond:20181016002757

有意な差のある5pすら知らずにデータを見てるやつがいて、ほんとびっくりする

社会に出て数学が役に立つかわからない

かいっている多くの人間は、数学理解しついないんだろうな

そもそも論理学すら理解してないし

理解してないやつが多いとそれが普通になって多数派になって、正しい主張が却下される

ガリレオ地動説を誤りとした異端審問を笑ってる場合じゃない

だが、そういう理解できてないやつでも安心して生きていける世の中を作ることが我々理解できている人間の使命だと思っている

2018-10-15

女性理系進学を自分で諦めている

科学や数学の分野において男女に成績の差があるのか、160万人の高校生のデータから判明したこととは? - GIGAZINE

この記事ブコメを見ても、どうしても女性理系に進まないのは阻害されているからだと考えたがる人がいるのが分かるけれど、別の資料を見れば、女子工学部物理数学系に進まないのは物理が苦手と感じる子が男子に比べて圧倒的に多い事が理由であることは分かる。

https://berd.benesse.jp/berd/center/open/report/shinrosentaku/2005/pdf/shinrosentaku05.pdf

p307 図4-2-4を見れば一目瞭然なのだが、女子理系に進んでも物理を履修しないし好きにはなってない。女子理系選択割合男子と比べて大きな差が存在しない一方で、女子の85%は物理が苦手か履修しない。更に、物理が好きだという女子ですらも過半数理工学部への進学を選択しない

理系選択理系学部を進学先に選んでも良い家庭環境を選んだ女子であっても、これほど有意に差が出る事の理由を、どこに求めるべきかというのは難しい話だろう。しかし、高校物理が苦手であれば、物理学科や数学科、工学部を進学先に選ぶことは考えにくい為に、結果として基礎科学部門における成果に男女格差はついてしまうし、エンジニアリング仕事選択する女性が少ない理由にはなる。高校物理が苦手であることは、幾何学微分積分直感的に捉える事が難しい事を示しているので、大学以降の数学絶望だろうし、女性基礎科学研究高収入エンジニアIT機械系を含む)に少ないのは必然に思える。そうした選択肢を取るには高い数学力が必要になる。(ただしWeb界隈だと、数学特に必要もないとか聞くしCSを専攻する事が高収入の近道でもないのかもしれない)


得手不得手の意識生来の適正だけでなく、環境要因もあり得るという見方は出来る。

「女子は文系、男子は理系」の意識はいつごろ生まれる? |ベネッセ教育情報サイト

図をみて貰えば分かるが、小学生時代には女子にも理系は向いてないという意識は強くないが、前述の資料p298 に記述がある様に、小中学生時代機械やモノづくりに対する関心に差は有意存在する。理系に進学した女子ですらも、男子に対して30%以上も少ない。この差が物理への関心の差に繋がっているという見方は出来るかもしれないが、小中学生時代のモノづくりの経験や関心の差は物理が苦手と感じる学生の男女差よりも大きい。同時に、幼少期の単純な関心が、物理が分からない理由になるのか?という疑問は強く残る。進路決定の理由と、物理理解できないというのは別の理由のはずだ。



結論的には、理工学部への進学率の低さは阻害されている事が要因ではなく、物理への苦手意識理由であるって事になるだろう。その苦手意識を、幼少期の原体験によるものと断言する事も難しいだろうが、物理を好きになる事を阻害されているとまで言うってのはもはや暴論だ。女性理工学へ進まない理由は、事実としては、物理が嫌いな人間は、物理工学を選ぶはずがないというシンプルものしかありませんね。少なくとも、差別・阻害されているか理系に進学できないのではなく自ら折れてるだけなのは言えただろう。

理系に興味があり理系進学を選択した女子ですらも大部分は物理が苦手であるという事実は、環境要因だけでなく、先天的な要因でそもそも無理なのではないか?と想像するには十分なものがあるが、それはまた別の話。

そう言えば、俺が大学行ってた時の物理学科は 1/42 で数学科は 0/40 だったな。生物化学は2:1程度の比率だったので、この差は何だと思ったもんだけど、物理嫌いが理由根底にあるならばしゃあないね

追記

「女は物理数学機械いじりに向いていない」という社会規範があって10代くらいだとそれを自己内面化やすいのが問題という話なのだけど、そこから説明しないとだめなのか……。

こうした意見を言う人が自分データを見てくれることはまずないと思うので、追加しておきます

環境要因がありながらも、高校時の男子理系選択割合は50.3% であるのにたいして、女子は41.2% であり、性差はさほどない事が伺えます女性科学に興味を持たない事はない。理系選択したうちで、物理を履修する学生は、男子では63.1%女子は41.9% となっています。この大きな差を環境的な要因であると言ったとしても、問題なのは、その先にあります理系に進み自らの意志物理を履修した学生のうち、物理が得意だと自認した学生男子割合が 54.6%と過半数を超えるのに比して、33.6% にすぎないのです。

自分理系に向いていると自覚し、積極的物理選択した女子の過半は物理挫折しています。本文中で言ったように物理が苦手であれば、その先を工学系で過ごすのはなかなか大変ですから進路として選ばれにくいのは当然です。これを環境要因とするのは無理があるでしょう。逆に考えると、理系選択する以前に、幾何が苦手で空間認識力が弱い、事を自覚している子が物理や、理系選択する事を避けている可能性すらあります環境要因を絶対視するのは無理があることが分かりますね。

政的指向と政的嗜好

性的嗜好(sexual preference)と性的指向(sexual orientation)はその意味が大きく重なる用語であるが、英語の含意から前者は自発的選択の結果得られた後天的性質[9][10][11]、後者生来不変である先天的性質として一般的区別される

(Wikipedia)

まれつき変えられないものに対してとやかく言うのは良くないらしい。

で、こんな研究がある。

https://www.psychologytoday.com/intl/blog/predisposed/201401/politics-and-eating-worms

英語サイトなので詳しくは読んでもらえればいいのだけど、

In every group tested we found that people with measurably greater biological responses to disgusting and threatening images are significantly more likely to adopt conservative positions on social and defense matters.

全ての実験において、不快で脅かされる画像に対して大きな生物学的な反応をしめした人々は、社会問題防衛問題について有意保守的であることが確認できた。

臆病な人々は保守的思想を好む傾向があるというのは、ある程度納得できる話だと思う。

ここで"臆病"という言葉には悪い意味をもたせていないということは断っておく。

臆病な人が生き残ることもあれば、新しいことを試す人が生き残ることもあるだろうから

ところで、新奇性追求や損害回避性は遺伝率が40%程度あるとされる。(『言ってはいけない橘玲 214p)

ということは、あなたリベラル思想を持っているのはあなたが賢いからでも学んでいるからでもなく、

たまたまそのような遺伝子を持って生まれたからなのかもしれない

誰かが保守的な考え方を持っているのは、愚かだからでも学んでいないからでもなく、

たまたまそのような遺伝子を持って生まれたからなのかもしれない

まれつき変えられないものに対してとやかく言うのは良くないという考え方を

政的指向と政的嗜好に適用できるかどうかはリベラルにとって踏み絵となるのではないだろうか。

2018-10-14

NTTデータ女子顔採用、気が強いから嫁にすると大変そう」

退職エントリ10年以上勤めたが、いまさらNTTを辞めました。https://aripy.net/diary/taisyoku-ntt/amp/

===

女子社員可愛い子が多い

これは個人的見解ですが、弊社は顔採用してます

文系出身女子社員は総じてレベルが高い傾向にあります。それを顔採用というのか、美人が備えるコミュニケーション能力評価されているのかは定かではありませんが、おそらく統計的有意差はある印象です。

その代わり、徐々に気が強くなる(または、もともと気が強い)ので嫁にすると大変そうです。

===

NTTに勤める社員(男)だが、社名を出して品性のないことを書くのはやめてもらいたい。

女性社員はお前の嫁候補として会社で働いているわけではない。

この人は女性社員を見て嫁にしたら、、と一々考えているのか。個人で考えるのは自由だがNTTデータの男の代表として恥ずかしい見解ネットで撒き散らすのはやめてもらいたい。

個人の印象でものを語っているくせに、何が統計的有意差なのか。

女性社員の気が強くて何が悪いのか。自らの意思を持って仕事に取り組んでいるということであろう。データ女性社員は全体的にしっかりしているので仕事がしやすい。

会社キャバクラか何かと誤解しているのではないか。本当に恥ずかしい。

その他の記述については、本人の主張が当てはまる部署もあるし、そうでない部署もあるという認識です。

2018-10-11

日本臨床心理学における査読論文価値

anond:20181009215657

心理学について書こうと思ったら、お一人書いてくださった方がいたので、そこで「特殊」とされていた臨床心理学について書きます

臨床心理学系の大学院博士号を取って、現在大学で臨床と研究をしています

論文事情を書こうと思ったら、背景にある臨床心理学事情になりました…。そして「日本の」と書いたのは、日本の固有の事情もあるためです。

はじめに

臨床心理学における研究は、おおよそ以下の3つに分けられます

 1:ブコメであったような、症例報告から始まってランダム対照試験まで行くという医学疫学的な研究

 2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究

 3:その他の調査研究ちょっと大雑把ですがゆるしてください、そして私のメインはここです)

少々雑な括りで、中間位置する方や例外もままいることを踏まえ、あくまでも概要を述べているということを踏まえたうえでお付き合いください。

論文事情

https://anond.hatelabo.jp/20181009215657 では心理学論文事情として以下の順序を挙げていらっしゃいました、

 査読付き英語論文>>>>査読日本論文>>査読なし日本論文(いわゆる紀要査読有り紀要も含む)

これは、1と3を自分研究領域にしている臨床心理学者にもほぼそのまま当てはまりますし、海外でも同様です。

そのため、競争が激しい業界院生さんだと、Predatory Journalに投稿しているケースも残念ながら見ます

特殊なのは、「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」を中心としている人たちです。

この方々の多く(全員ではありません)は、場合によっては「論文」というものを軽視すらしていますし、査読論文の数も非常に少ないです(大学に勤めている以上、建前で「論文書かないとね」と言ったりはしますが)。

これは分野外の人からはよく見えないため(もちろん業績調べればわかります)、中々ややこしい問題です。

私の観測範囲ですが、下手にこういう人たちが多い大学就職しようとしたり、あるいは就職してしまったりすると、論文業績が多い人はかえって冷めた目で見られたりすることすらあります

このような信じられない断絶が臨床心理学の中にあるので、業界からはわかりにくいのです。

ちなみに「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」の人たちの業績に対する意識は人文系に近く、私も完全にはよくわかりません。ただ少なくとも、英語査読論文を無条件でありがたがったりはしません。

しろ”深みのある”事例研究理論検討が尊ばれ、そうしたものに特化した特定学術雑誌論文や、あるいは書籍などを重視する印象です。

業界事情(長いです)

なぜ学問を行う場である筈の大学において、こんな断絶が起こるのでしょうか。

つの要因は単純に「世代」です(繰り返しますが大雑把な区切りです)。

世代によって何が違うかというと「臨床心理学に対する考え方」が違います

もっと具体的には「エビデンスを重視するか否か」の違いです。

エビデンスを重視しないなんてバカ?」と思う方も多いと思います

私も7割同意しますが、これにはこれで事情があります

先ほど書きましたが、2の人たちが重視するのは事例研究です。

https://anond.hatelabo.jp/20181009215657 には、「事例研究には物語以上の価値はないのでは」とありました。

「そう見えるのは仕方ないだろうな」と思う気持ちと「物語価値過小評価しすぎですよ」という両方の気持ちを抱きます

なぜかと言えば、「クライエントの人生」を理解しようとすれば、どうしても「物語」というフレーム必要になるからです。

古典的な臨床家(心理療法をやる人)は、クライエントの人生全体を見ます

クライエントが訴える問題(やる気が出ないとか、落ち込むとか)を全てと考えるのでなく、むしろ人生における氷山の一角と捉えます

そして、クライエントの人生をそのものを見つめ、その人がより良く人生を歩んでいけるよう、どうにかこうにか支援をしていくわけです。

(「大きなお世話」「思いあがるな」と思われる方もいるでしょうし、下手すると実際にクライエントにとっても大きなお世話になります

その人の知能や症状の程度、パーソナリティなどを数値化して客観的に捉えることは心理学の得意技ですが、それでその人の人生全ては捉え切れません。

人生というものを捉えようとした時、どうしても物語必要になります

もちろん、物語ですから完全に同じ事象再現されることはまずありません。そのため、厳密な「エビデンス」はそこから得ることはできません。

ですが、だからといって物語意味がないわけでもありません。

物語から自分は何も学んだ覚えはない」という人がいたら、それは物語意味がないのではなく、恐らくその人に学習能力がないためです。

物語を蓄積していくことで、我々は人間に対する理解をより深いものにしていくことができます

そのため、日本臨床心理学者は「エビデンスなんかいらない」というよりも、「物語を蓄積してくしか、やりようがない」と思っていた部分もあると思います

またもう少しフォローしますと、単に物語を乱立させるのでなく、蓄積された様々な「物語」を体系づける理論の構築自体は脈々と行われてきました。

それが、「2」の後ろ半分「それを踏まえた臨床論的研究」です。

フロイト精神分析なんかは、今でも理論精緻化され続けていて、それはそれで読むと非常に面白いですし、人間理解に大いに役立ちます

というわけで昔の臨床心理学は、多分に人文的というかアート的な学問領域でした。学んでみると非常に面白いのですが学問としての欠点もたくさんあります

最たる点が、多くの方が既に感じていらっしゃる通り、物語性を重視するあまり客観性エビデンスをあまりに軽んじてしまたことです。

 ◆

しか1990年代の後半頃でしょうか、「認知行動療法」と「エビデンス重視」の立場が、アメリカから日本へ本格的にやってきました。

心理療法の一つである認知行動療法エビデンスを非常に重視します。

例えば「うつ病」ならば、患者抑うつの程度を測定し、「認知行動療法を行うと抑うつの程度が有意に下がる!」みたいな研究バンバンやるわけです。

当時の学会の様子は今でも覚えていますエビデンス重視の方々は「それエビデンスあるんですか?」と、どこかの誰かのようなセリフを旧来の臨床心理学者に容赦なく投げつけ、大変気まずい空気を作り出していました。(別に悪いことではないですが)

残念ながら旧来の臨床心理学者はそれに真っ向から反論することができません。なぜなら、実際の所エビデンスは無いからです。

ただし、客観的エビデンスが求められる研究では、「客観的に扱える要素」しか扱うことができません。

そういう「客観性」では捉え切れない人間の心を探求していったのが、これまでの臨床心理学だったはずです。

ですから多くの人にとって、「エビデンス」というものが極めて底の浅いものに見えたという部分もあると思います

実際私もそう感じる部分はありました。確かにエビデンス大事だけど、余りに機械的人間の心を扱いすぎていないか?と。

それって、本当に臨床心理学が目指していたことだっけ?

とはいえ、旧来の臨床心理学者がその文学性に浸りすぎ、客観性過小評価していたのは間違いないと思います

エビデンスに対して「人生の深みをわかっていない」「客観性が全てではない」と言っても、インチキしか聞こえないでしょう。

要するに、物語偏重し、エビデンス全否定する姿勢は間違っていますが、エビデンス偏重し、物語全否定するのも同様におかしいと、私自身は思います

そういう微妙バランスというか面白さが臨床心理学の中にはありますし、どちらも人を支援する上では大事視点だと思います

 ◆


まぁその後は各学会大学内で、明に暗に色々な小競り合いがあって、現在は昔よりもだいぶ両者が折り合いつつある雰囲気です。

一つは、純粋な「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」の人たちが減ったという単純な理由です。大御所の多くが高齢化し、以前よりはだいぶ比率が少なくなりました。

逆に、認知行動療法がだいぶ浸透した結果、若い世代では認知行動療法が専門外でも、エビデンス重視の考えは馴染みのあるものになっています

また、認知行動療法の人たちも”表面的な”エビデンスが全てではないという姿勢の人が増えてきました。

また、個人的にすごく大事だと思うのが、実証重視の方々にとっては「物語」の代表に見えるであろう精神分析系の心理療法も、ちゃん効果確認されるようになってきたたことです。

これによって、「エビデンスが全てではない」と意地を張らなくても良くなってきたのだと思います

結局、エビデンス否定するのではなく、自らエビデンスを出すことで (とはいえ研究殆ど海外ですが)、問題は解消されつつあります学問としてこれはとてもよいことだと思います

 ◆

つい最近中室牧子さんとかによって、教育業界エビデンス視点を持ち込む動きがありますが、同じように、日本臨床心理学にもエビデンス視点を持ち込もうという動きが20年程前にあったのです。

エビデンスに対する考え方の違いは、人間理解に対する考え方の違いであり、それが論文業績に対する考え方の違いにもつながっていたという話です。

これを読んでみて、改めて「臨床心理学ってクソだな」と思った人もいるかもしれませんが、こういうゴタゴタも乗り越えつつ、少しずつ学問としてブラッシュアップされていっている臨床心理学が私は大好きです。

長くなってしまいました、すいません。

おまけ

長くなったついでで恐縮です。

https://anond.hatelabo.jp/20181011091532 「再現可能性が4割」の部分に

https://anond.hatelabo.jp/20181011091734 「びっくりするほど信用できない学問だな てか学問かそれ 」というコメントを見かけましたが、これ心理学だけの問題じゃないんですよ。

Natureが少し前にいろんな研究者に調査しましたが、理系領域だって再現性は決して高くありません。

https://www.nature.com/news/1-500-scientists-lift-the-lid-on-reproducibility-1.19970

しろ追試をちゃんとやって、どれが再現できるか否かをふるいにかけ、学問を発展させようとする態度こそが科学的だと私は思います

2018-10-08

anond:20181008220307

俺が無知なだけだったわすまん

https://ytranking.net/

まあ統計的有意に男が多そうだけどこういう文化合わなくて詳しく見られないから誰か数えて検定しといて

地球温暖化懐疑派息してる?

夏と冬の温度差が極端になって、春と秋が無くなっていく。

極端な気象現象が増えて台風竜巻豪雨、逆に豪雪被害が増える。

日本列島亜熱帯化して疫病が北上きたり、危険生物上陸してくる。

今年は地球温暖化によってこうなるって予測されていたことがどんどん現実になってきているよね。

夏は38度前後の暑さが何日も続いて人死にも出て大変だったけどこれからはこれが普通になってくだろうね。

実際1970年から地球の平均気温が1度上がっている。

地球温暖化気候帯が変化すると、その結果更に二酸化炭素を吸収する植物が枯れるからこれから加速度的に気温が上がっていくと予測されている。

それなのにはてなーフェミだのなんだのどうでもいいことで騒いでほんとに頭の中が平和だよな。

地球温暖化は嘘だとか言ってた人が黙るのはまあわかるけど、だれも地球温暖化のこと話題にしないのな。

1990年代後半の方がまだ話題になっていたのになんでだろうな。

目の前の現実から目をそらすってやつかな。

これからどうなるか一番現実的なシナリオは、地球環境が悪化して人間活動が大打撃を受けるとその結果経済活動が減るから二酸化炭素排出が減少して地球環境がだんだん回復してくる。

ってもので、これはリーマンショックで一部実証済み。

でもそれだと人が沢山死ぬしヤバすぎるからなんとかソフトランディングさせる方法を考えないといけない。

これが技術解決できる問題だったら、とっくに解決できているので現在の成長型経済構造を変えなければ解決できないだろうね。

それがどんな形になるかはわからないけどさ。

追記1

トラバ地球温暖化懐疑派がまさに沸いてるwww

地球温暖化っていうのは人間経済活動で発生した温室効果ガス二酸化炭素メタン等)で地球の気温が変化すると言う仮説で実際に二酸化炭素排出量と気温の上昇率のデータなんかがあるので「主流」になっている学説なんだけど

それに対して懐疑派っていうのは、地球の平均気温の変化のグラフの横軸をいじって、

「いや1万年単位では上昇してない」「氷河期の影響の方が大きいので人間活動有意な影響はない」っていうような説をだしていたわけだわ。

そういう一部の論文を持ってきて「地球温暖化の嘘!」とか「地球温暖化陰謀」とか言う本が流行ってたんだけど、

そういう地球温暖化懐疑派の論文の出してる研究予算石油産業から出てたりしてていろいろアレ。

まあ仕方がない面としては地球科学の時間感覚日常レベルとは全然違うというのはある。

人間の生きている時間軸と植生が気候の変化に順応していく時間軸、氷河期の周期とか全然違いすぎる。

全球凍結とか6億年前と22億年前の話だからな、そのレベル関係が無いっていうなら地球温暖化どころか人間なんて地球と何の関係も無いと言っても過言じゃねーよ笑

2018-10-07

オタク発達障害

明らかに有意関係があると思うんだけどなんで誰も調査を行わないんだろう

2018-10-02

anond:20181002074616

レスありがとう

うーむ、やっぱそう言われてしまうか。

 

素人ながらよく読み、考える。ADHDASD発達障害自閉症スペクトラムというワードに触れた時など(統失ちょっと違うっぽい)、

だいたい、器質由来・DNA由来・環境などの要素が複合的に原因として説明されるんだけど、最後はまだはっきりとはわからないと書かれている。

一方、病院に行けば薬は処方される。

 

統計的有意から、という理解はできる。

 

気になるのが、(精神対象だし)病気定義自体結構揺れやすく、定義が変われば統計の結果は大きく変わるということ。

(なんというか、社会デザインに利用されているのではないかという疑念がある。これ自体が若干、妄想っぽいが。。。)

現代精神医学の価値は認めつつ、そこら辺の限界を知りたい昨今です。

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