はてなキーワード: 簡素とは
仕事と家庭で忙しすぎて今や世間一般的に「化粧しました」顔に一瞬でなるように簡素化した。
※ちなみに私は脂性肌
基本は4工程
②眉毛
⇒デパコス行ったのえらい!ちゃんとベースも使ってるのえらい!
私は面倒くさすぎてベース+ファンデを色付きBBクリームにしてる。
ファシオのがいい感じ。適当に顔に散らかして使い捨てスポンジで伸ばしてる。
もしニキビとか気になるようだったら、お粉の前にちゃちゃっとコンシーラーでぼかす。
(ほぼやらない)
⇒眉尻をはっきり書くだけで「化粧顔」になれるのでオヌヌメ
地眉毛が薄いので、ペンシルでがりがりっとテンプレ眉毛を書く。パウダーなんて面倒くさいものは使わぬ。
眉毛のテンプレは、眉山は鼻と口角の延長線…など一応ルールがあるのでようつべとかで「眉毛 書き方」でぐぐってくれ
ちなみに隙間を埋めるのは間違ってないが、先に全体の形がまずあってるか確認してくれい
⇒クリーム系のアイシャドウだと塗りすぎになりにくいから楽だよ。
インテグラのクリームアイシャドウ(ブラウン)がいい感じ。安いし。
特に男性は、目の上がキラキラしてる=化粧 と思ってる節があるぜ。
アイラインは目尻だけ書くのが一応流行ってるけど、とりあえず今はやらなくていいよ。
マスカラはお湯で落ちるタイプだときれいさっぱりなくなるから楽だよ
まつ毛黒くなるだけで化粧してる感がかなり出るのでしたほうがよさげ。
個人的にはまつエクもまつパもお勧めしない、あれは目をごしごしこすらないお嬢様がやるもの
⇒いろいろあるけど、こまめに塗りなおすの面倒くさいし自分は色付きリップ派。
いい傾向じゃないけど「化粧顔」だと、接客がまともになったり親切にしてもらえたりする率がUPするので、
https://anond.hatelabo.jp/20240220182530
cinefuk
この人とか本当に読解力が無いってことを自覚したほうがいい。
悪口で言ってるんじゃなくて本当に無い。
まともな読解力のある人なら元増田の文ぐらいなら一目パッとでニュアンスを掴む。
あこれは文章力についての自説を開陳して「ボクすごい」と言うための文だなと。
暇空は自分語りのダシに使われてるだけ。最初と最後にしか出てこない。
どうせ文読めない奴だらけのはてなブックマークで何故殊更cinefukさんのコメントを問題にするかといえば、
はてブに多いタイプは「全体を読むのを放棄して部分の単語だけ拾って内容を想像してコメントする」って連中だから。
(これは冗談じゃなくて、こういう感じでコメントしてる奴が何割かいる。)
でもそういう奴ですら今回のcinefukさんみたいな読解ミスはしない。
cinefukさん本当にすごい。
「短い文でも通して読めずに部分読みする奴」ですら元増田の文読んで暇空ヨイショだとは思わない。
何故かと言うと元増田の文は部分で読んでも冒頭だけ読んでもあんまり暇空褒めてないから。
全体的に良くも悪くも平易な口語体で書かれており、自伝・エッセイの文章としては平凡というか平均レベル。
少なくとも「他人に読ませる」事を意識した文章ではあったので読んでいて文字で目が滑るとかげんなりする、等といった事は無かった。
開幕でこれだぜ?
これがあのXで暇空さん暇空さん言ってるちいかわみてえな心酔フレンズの感想に見えるのか?
この点は素直に感心した。
ここを見て「褒め称えてる」と受け取ったのか?
どう読んだって書き手は自分のことを暇空より大分上だと思ってるぜ?
この「素直に感心」はそういうアレだぜ?
よっぽど部分的に読んだって「筆者が褒め称えたいのは暇空ではなく自分」なのは伝わってくる文だから
脳メモリ激ヨワ型の部分読み文盲でもこの文の文意は間違い辛いわけ。
なのに「暇空賞賛文だ」と読み間違えるcinefukさんはマジでどこを読んでコメントしてるの?
全体も読んでねえ、部分も読んでねえ、でもタイトルしか読んでないわけでもねえ、
これはもう読解力が無いって言うより、「読む」って行為をどういう風に遂行してるのか隣で観察したいレベル。
cinefukさんの「読む」が尻でスマホの画面撫でる行為であっても驚かねえよ。
iinalabkojocho
「読ませる文章」について手を変え品を変え表現し、さらに書き手と読み手を貶めたりしておられる。
なんか元増田をうまく罵倒しようとしてるけどまず日本語がおかしい。
「そう言う方が読ませる文章に書いておられるのは」
まさに元増田が論外扱いしている「てにをはすら破綻する奴」になってるので俺もこれは論外だと思う。
こういうのも自分がマジで国語の成績低い系だってことを受け止めて欲しい。
この出来は悪口抜きにどうかと思う。
おられるおられるだの高度な諧謔だのたぶん使い慣れてもいない言い回しをやってるけど
そういうこと頑張る前にてにをは頑張れ〇〇〇って言いたくなるじゃん。
加点出来るポイントがない。
なんで上位コメなんだこれ。
agricola
本人が書いて直接出しておると思われるアレコレを読む限りひょん尊師の文章力は甚だ疑わしいのだから、
この人は当て擦りの為の文章で(呆とか(嘲笑とか書くんだよな。
俺は呆れてるぞとか嘲ってるぞとか、それは文中で表現しなきゃダメだろ。
そこで(呆とか(嘲笑とか常態的に書くならお前には日本語要らないってことだろ。
そんなら最初から無駄なこと書かんと「呆!」とか「我嘲笑!」とか漢文で済ませてりゃ同内容で省エネになるし
もうちょっといろどりが欲しければ絵文字やスタンプで会話してろと言う話になる。
(トー横とかに転がってる学校あんま行ってない子はそれに近い方法でテキストやりとりしている)
文章力に強いコンプレックスあって補助輪的にやってることならつつくのも可哀想だなと思ってたが
この話題に堂々参戦してるってことはお前はあの間抜けそのものの表現スタイルに引け目はないってことなのか?
文末にいちいち漢字で意図を補う作文法、俺はこの人と淫夢厨以外で見た事が無い。
淫夢厨はバカっぽさの表現のためにわざとああやって書いている。
それでまた元増田も酷い。
暇空アンチは暇空の語彙や言い回しが幼稚だとかそういうことについてバカにしてるのか?
別に界隈をウォッチしてるわけでもないがあまりそうは思えない。
要するに元増田は自分の言いたいことに暇空を無理矢理溶接して読みにくい文になっている。
だから暇空を全部取ろう。(全部取っても文意も元増田が表現したかったことも全く損なわれないから笑えるぞ)
所謂「文章力」「読ませる文章」というものは決して難しい単語や専門用語、小難しい言い回しや難解なレトリックを使えば良いというものでは無い。
簡素な事柄を専門用語やレトリックを駆使して400字~800字長の文章にする事は可能ではあるが、それは「読ませる文章」では無い。
そのうえでひでー文章だ。
大したこと言ってないのに異様に読みにくい。
要らん飾り削ろう。
「文章は言いたいことが伝わればそれでよい、 難しい単語や書き方を使う必要はない。」
使いこなせない言い回しや要らんリフレインで独りよがりしてるのはお前じゃねーか。
iinalabkojochoとなんも変わらん。というかもっと酷い。
お前や!
お前や!
お前が!?
「読みにくい文の特徴」が全部当人に当てはまってて釣りを疑うレベルだが
自己評価が実態から離陸してるところと言い無駄に文を膨らませて得意がるところと言い三沢文也さんに似ている。
ただフェアネスの為に言うと、仕事の文章とそれ以外の文章は結構違う。
元増田が仕事の決まったパターンの中ではきちっとした文章書けてる可能性はないことない。
それで「俺は文章力ある」という自負を育てたのかもしれない。
だが仕事のパターンから離れて自由なスタイルで書くのは別の能力だから、殆どの人はこんな風にレベル1になる。
元増田は自己顕示欲や自己評価や自分語り欲が少しわんぱくなだけで
文章力自体は普通の人より劣ってるほどではないし、平均よりちょい上ぐらいはあるかもしれない。
張り切って書いたからひでー文になったのであって、要するに仕事以外で書き慣れてない。
「はい自由に作文してネットで読まれる文章書いてくださーい」ってやったら
なんでかというと暇空はなんだかんだ大量に書いてるから。
それに比べて元増田は書き慣れてないのがアリアリとわかるし、殆どのブクマカもたぶん変わらない。
暇空は気に入らないネットフェミニストの人物鑑定みたいなのも大量に書いてた。
あれだってそんなに簡単じゃない。読みやすく人を馬鹿にするのは簡単じゃない。
どっちも当人の深いとこから出た動機や表現したいことがあって、
俺はあの意欲や文量だけでどれぐらい頑張ったかわかる。
それは才能だと思う。
そういう経験がない人はその時点で暇空と対等に口きく水準じゃないし、
実際に作文コンクールしても勝てない。
どんなくっだらねー文でも誹謗中傷でも
暇空と同じぐらいは書いた奴が勝負になる。
またcinefukさんがなんて言い出すかわからないからまとめを書くと、
暇空の文章力は高い!素晴らしい!つってるんじゃなくて
おめーら暇空下に見るほどの能力ないだろって話をしている。
文章力なんてことに意見言うほどの自信がはてなーのどこから湧いてるのか見当つかん。
「暇空のネトゲ戦記あとがきの文がヤバい」という増田もあったが
あれは文章力どうこうより何か精神的にキマった状態の文章だと思う。
義務教育で身に着くのは学校で出るパターンの文の読み書きだけで、
あまりに狭いのでそのままだと何も読めない何も書けない。
パターンから離れたものを自主的に読む習慣が無い人間は読む能力ないし、
パターンから離れたものを自主的に書く趣味が無い人間は書く能力ない。
フラゲした。
内容について書くとキモいのが寄って来そうなので、以下は文章力についてのみの感想と個人的な雑感。
全体的に良くも悪くも平易な口語体で書かれており、自伝・エッセイの文章としては平凡というか平均レベル。
少なくとも「他人に読ませる」事を意識した文章ではあったので、読んでいて文字で目が滑るとかげんなりする、等といった事は無かった。
素人エッセイだと、数ページ読んだだけで頭痛くなる悪文な本も珍しくは無いので、この点は素直に感心した。
さて、著者の文章力について何かと批判するアンチ側の人間は少なく無いが、所謂「文章力」「読ませる文章」というものは
決して難しい単語や専門用語、小難しい言い回しや難解なレトリックを使えば良いというものでは無い。
簡素な事柄を専門用語やレトリックを駆使して400字~800字長の文章にする事は可能ではあるが、それは「読ませる文章」では無い。
記述者の言いたい事を相手に伝える事が出来れば良いだけで、洒落た私小説やラノベじゃあるまいし、細部に拘っても意味が無い。
やたら難しい言い回しをした長い「だけ」の文章は、増田や仕事でもたまーに見かける。
ネット小説だと割と見かけるのでげんなりする。
下手に単語や言い回しだけを覚えた、自称文章力が高い人間が陥りがちな罠。
新人や若手がそういった文章をお客さんの前に出したり、プレゼンで使おうとしては、注意して改善して貰っている。
優秀な人間だと大学等で文章添削されて鍛えられているのか、こちらが一々教え無くても「読ませる文章」を書いてくれる。
いわゆる文章力が低い文章というのは、なにも「てにをは」が破綻している・時系列や起承転結が滅茶苦茶などの乱文だけでは無い。
基本的に「他者に読ませる」という事をまるで意識していない文章は、いわゆる文章力が低い文章にあたる。
自分の言いたい事をバーッと垂れ流しているだけの文章は、読んでいる方としては興味がある題材でも無い限り、文字通り「目が滑る」。
専門用語や小難し言い回しを多用した、難解な「だけ」の文章、只管悪意を羅列したネット荒らしの書き込み等が
目が滑って読む気がしないのは、「文章力」の低さを理論的で無くとも感覚的に理解するからである。
恐らく仕事先でも「こいつの文章読みづらいな…言いたい事は何なの?」などと思われており、
そういった人間に限って「文章を読む」力も無いので、他者の文章に的外れなケチをつける「ウザくてキモい人」になっている事だろう。
そういった意味でも「ネトゲ戦記」は、少なくとも人に「読ませる文章」というのを意識していた、と読んで感じた。
家族が読みたがっているので、一通り回し読みした後はメル◯リに回すとするかな。
※基本的に買った紙の本はよっぽどの名著で無い限り、読了した後はメル◯リかブ◯クオフに売っています
<追記>
どの条文かというと、「当該行為に付随して」というところと「軽微利用に限る」の部分。
社内向けに流布するネタバレサイトみたいになってるので普通にだめかと。
https://www.pressnet.or.jp/statement/20220215.pdf
Q6 言語の情報処理によって、記事の要約・抜粋といった加工は技術的に可能だが、そうしたものを外部に提供できるのか。
A 記事の抜粋については、Q4・Q5 で示した範囲・分量を超えた利用はできません。また、最近、人工知能(AI)技術の進展で、記事を自動で要約したり簡素化したりするプログラムがあるようですが、要約された記事によって、報道の目的や意図がゆがんだり、正確性が損なわれたりする可能性があり、これらを外部提供するなどの場合は必ず、事前に著作権者(各新聞社の知財担当窓口など)に相談してください。
ここで呼ばれているQ4とは
可能とされるのは、「必要と認められる限度」でかつ、結果表示に「付随して」「軽微なもの」といった要件をすべて満たす場合とされています。新聞記事の場合には、「新聞名」「日付」「見出し」「ごく短い本文一部表示(スニペット)」「サムネイル写真」が該当する想定です。
ただし、参考資料②(16 ページ)で紹介されているように、見出し等を表示させること自体を目的とするサービスについては、「別途不法行為による保護が図られる途がある」という意見が
Q5には
それだけで利用者の情報ニーズや視聴の欲求を充足し、オリジナルの著作物の市場に悪影響が及ぶような場合は、目的から外れます。サムネイル・スニペット表示が、新聞記事の代替とならない限度を保つこと
とある。
その記事は検索エンジン的に、元記事を読むように誘導するものではなくて
と言う手順になっている。要約・翻訳して投稿するところがメインで、軽微利用に限るための処理は入ってない。
47の5は過大解釈されがちだけど、ちゃんと基準があって、文化庁の解説などには結構明確化されていて
https://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/hokaisei/h30_hokaisei/
https://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/hokaisei/h30_hokaisei/pdf/r1406693_17.pdf
元増田と同世代で、同じくサブカルチャーを通してネトウヨを脱した。
あの時代はネットのそこかしこで半島を揶揄する“悪質かつ愉快”なコンテンツが溢れていた。それらに日常的にアクセスする無知な消防厨房が嫌韓思想に染まるのは自然な成り行きといえるだろう。
ファビョーンと暴れるニダーのイメージは、悪徳反日国家韓国・北朝鮮へのヘイト感情に違和感なく移行した。
今の若い子は00年代のネットの空気に憧れていると聞くが、あの時代は数多のネット発カルチャーの黎明期であると同時に信じがたいデマとヘイトに溢れた暗黒期でもある。Xで「〇〇人は劣等民族」などとほざいている悲しきおっさん達はひどいインターネットの負の遺産なのだ。
私も元増田と同じように、成長に伴って最低限のリテラシーを獲得し、信じていた愚劣な半島像がほぼデマか誇張だと理解した。
しかし後遺症は残った。江南スタイルの流行は内心怖いなと思っていたし、凶悪犯罪者が逮捕されれば「コイツもしかして」と一瞬悪い想像がはたらいた。
後遺症改善のきっかけは韓国の縦読みマンガだった。2012年ごろ、まだLINEマンガもピッコマもcomicoもない時代。
ガラケーでケータイまんが王国に親しんでいた私は、買いたてのスマホでも漫画が読みたくてApp Storeで LINEマンガの前身のさらに前身であるアプリをインストールした。韓国産でも読めれば何でもいいだろうと。
アプリのUIはとても簡素だった。広告は小さいバナーだけで鬱陶しいポップアップもない。
NAVER WEBTOONの人気作が訳され、作品ごとに割り当てられた曜日に更新される。コメント欄はなく、星で5段階評価をつける以外に作品にリアクションするすべはない。課金要素は皆無。チケット制ですらなく1話から無料で遡って読み放題だった。どのように収益化していたのか未だにわからない。
はっきり言って読み始めて間もなくはほとんどの漫画がつまらなかった。あの頃の韓国漫画は今ほどシュッとしておらず、大半が芋っぽかった。
絵柄がダサイ、つまらないと思いながらも通学時間の暇潰しに毎日毎日読んだ。慣れてくるとじょじょに面白く感じるようになった。
すると不思議なことに、次第に韓国社会に息づく個人の生活を感じるようになったのだ。特にエッセイ漫画の影響が大きかったように思う。日々の些細なことに一喜一憂するその様子は、言語やいくらかの文化の違いを除けば日本人と何も変わらない。
日本と同じで、韓国にも国民の総意なぞ存在しないという至極当たり前のことに気づいた瞬間、自分の中で未知の生き物だった韓国人が完全に同じ人間になった。
また、日本漫画への親しみの強さを感じたのも理由のひとつだ。話の中に差し挟まれるコナンやスラムダンクのパロディの向こうには、日本の全てを憎んでいて日の丸を燃やして喜ぶモンスターのような韓国人はいなかった。
彼もただの人間だった。
1999年あたりの世紀末連載だったのかなと思ったら94年連載開始だった
ヨー連載つづけられたな
今なら自粛とかされてそう
んで1999年世紀末に完結、と
今読むとSSRIとかただの抗うつ薬のパロやんwwwって感じで軽く読める・理解できてしまう経験を経てしまったのが悲しい
アシスタントのおかげとはいえ、災害を手書きってめちゃくちゃ大変そうなのによく週刊連載してたなあ
憧子であこってよむの、咲の売春ちゃんしかいないと思ってたけどこっちもこの漢字だったのか
あとなんでトウコじゃなくてあこなんかなって思ったけどあこがれる、って訓読みからきてんのかと今更
いわゆる二次元萌えとは違うんだけどからだのらいんがすごくエロい
ちいさこべえとか東京かいどうとかだとセリフ少な目背景も簡素で、独特の間で読ませる感じになってるけど、
まだこんときはめっちゃマンガの中でしゃべったり説明してんなーってのも感じた
映画の評判ぼろくそだったよなーって思ったら昨今ちらほらホッテントリでもみかける飯田譲二が監督してたんかよwww
ホッテントリにあがってた人のインタビューで全然でてこんかった気がするわ
くらいまではまともに読んでたけど、そのあとはざーっと読んじゃったなー
あこがキャーキャーうるさい
作者の意欲に溢れた伝説的な傑作がいくつも存在し、人々はその熱意に熱狂したものだ。
インディーズゲーム開発というものが一般化していく内に、本当に熱意がある人間はインディーズに行った。
フリーゲームという空間は「ユーザーにカネを払わせるだけの覚悟」のない人間のたまり場となっていった。
有名作品のパロディやギャグ頼みのADVばかりが増え続け、フリゲ界隈に集うプレイヤーもそれを求めるものだらけだ。
悲しい。
若き才能の煌めきを感じられる場所は失われた。
本当に才能がある人間は若くしてインディーズゲームの開発に着手し、20歳前後でそのゲームを発表して一躍スターダムを駆け上がるのである。
川に橋がかかれば渡守が失業するようにだ。
確かにそれでいいのだと思う。
今年、RPGアツマールが終了したというニュースを知っている人間はこの世界の何百人に一人だ?
最近はもうフリーゲームが話題になっても10分で終わるような一発ギャグしか受けない。
画期的なアイディアはそれなりのサイズのゲームとして組み上げられ、使い古されたアイディアと有名キャラクターの融合はMODで再現すればいい。
もう誰も必要としてない。
失われた時代だ。
確かに今でも往年のフリーゲームみたいな作品はSTEAMで500円なり2000円なり出せば買える。
簡素なグラフィックの数時間で終わるADVがいくらでも売っている。
でもなんだろうな、人に薦めるときの気軽さが違うんだよな。
「無料なんだからやってみろよ!俺は超面白かったから!」と言えないんだ。
たとえ100円だろうと有料だとな。
最近のフリーゲームで『未来都市の氾濫』が面白かったんだが、コイツは無料なのでぜひやってみて欲しい。
有料にするには見てくれがシンプルすぎて、でも間違いなくこういうアイディアのゲームがこの時代に存在していいはずのゲームだ。
でもまだ全てが終わったわけじゃない。
今もまだそこに残っている。
「フリーゲームという究極のインディーズだけが持つ味わい深さ」が。
むしろ、変に「商業でも行けそうなゲーム」が消えていってより先鋭化したのかも知れないな。
いい時代なんだと思う。
anond:20240106154341 を書いた増田です
https://www.customs.go.jp/kaigairyoko/20240125.html
前回俺が指摘したVisit Japan Webの課題と、今回改善された点を列挙する。
上の⭕❌だけ見ると変わってねーじゃん!となってしまうが、税関の言い分では
入国審査顔認証ゲートの前に共同キオスクを設置し、そこでVJWアカウントと顔写真を登録することで入国審査顔認証ゲートをウォークスルーできるのが改善ポイントとのこと。
また資料上では税関申告の手続きが不要であるかのように書かれているが実際の使用感は不明だ。
過去の俺の主張は「そもそもVJWアカウント作らせるのやめろよ。パスポートでぜんぶやれよ」なので、個人的な希望からはギャップがある(入国審査の方を簡素化するっておかしくね?)が、改善の方向で進んでいるのはいいと思う。
実際の使用感を試した人は教えてくれるとうれしい。
物凄く前向きに言うなら、「自分なりの文体を確立することに成功しすぎてしまっている」という状態に陥ってる。
自分流のパターンをこれ以上成長させられない壁に閉じ込められているような感覚。
何をどう書こうとしても同じようになってしまう。
ふと自分の書いた増田を「ブクマつきまってくんじゃん~~~」と読み直しているときに、ふと気づいてしまったわけだな。
「俺どれ書いても何書いても大体同じような文章じゃね?」ってことに。
まず軽口っぽい言い回しと「」の多様が特徴としてあるようなのでこれを封印すればいいのだろうが、そうすると急に文章力が下がるらしい。
小学生が書いたような極めて簡素でカタコト的な言い回しばかりになる。
そもそもの原因は俺のインプットがインターネットの軽口文化中心だからであり、これを解決したいならある程度硬い文章を読みまくれば良いわけだが、現代にはそういう文章が不足している。
ビジネス書だろうが学習書だろうが、「こういう新設がマチャチューチェッチュで証明されたっぽいのを知っていますか?」「猫さんありがとう!これなら僕にも出来そうだよ。とお猿さんは言いました」みたいなのばっかじゃねーかよぉおぉぉぉぉ。
当然のように小説なんて基本的には口語調でもうなんか地の文は登場人物の独白も同然の状態がスタンダードじゃねえか?
論文でさえもなんかちょっと語りかけてくるような言い方するじゃん?
俺は、文語調が、読みてえ!って主張してんだよ!
"24/1/28 「生成AIの『学習』は学術用語だ」ということをそろそろちゃんと説明した方がいい"
https://saize-lw.hatenablog.com/entry/2024/01/28/210053
いまだにこのレベルの内容がバズってるのを見ると少し辟易させられるが
考えてみると、ちゃんと技術を理解してる人間すらこのレベルのことしか書けないのは
対話の場がなくお互いの言葉尻をとらえてる状況が悪いと思うので少し整理して書こうと思う。
・著作権をめぐる法理が日々変化しつつあることが理解されていない
という二重の難しさにある。
単に概念的に難しいというだけではなく、日本においては法制度の実装レベルですでに混乱が生じている。
とくに生成AIと著作権を語るにあたっては「フェアユースという発想に賛同するか否か」という観点が必要不可欠なのだが
一足飛びに機械学習だけ著作権法30条の4によってフェアユース的発想が導入されているという
非常に奇妙な状況になっている。
フェアユースとは何か、というのは非常に難しい。
「一定程度の公正さがあれば具体的な類型を列挙しなくても著作権を制限できるという考え」
とでも要約できるが、これだけでは意味不明だろう。
英国にフェアディーリングというものがあるが、こっちの「公正さ」はわかりやすい。
「非営利かつ研究や教育目的、批評、報道などの場合は著作権は制限される」ということ。
たとえばこれがなければ公営の学校や図書館は莫大な支払いに追われ成立しえない以上
「公正さ」のために著作権を制限してよいという発想はわかりやすく
近代以降の文明国でこれを否定するような法理はまず存在しえないだろう。
フェアディーリングそのものではないが、EUの情報社会指令第5条なども同じように
「公正さは基本的に非営利や少なくとも公益目的、かつ具体的にあらかじめ列挙される」という発想である。
「営利でも、今までに判例がなくても、抽象的な議論で公正さを主張できれば新しく著作権を制限できるケースを創れる」
ただし、元の著作権者の利益を「不当に」害さない範囲で。何が不当か?それはよくわからんので最高裁まで争いましょう。
一見すると無茶にも思えるが、現代人の多くはこの法理の恩恵を受け、著作権を制限することで利益を得る側だ。
フェアディーリングの発想だけでは、検索エンジンのサジェスト機能すら著作権的にアウトということになる。
それを「フェア」にしたのは、米国著作権法に組み込まれたフェアユースの発想なのだ。
サジェスト機能だけでなく、情報技術を用いた新サービスが興るたびに多くの裁判が発生している。
ただし問題点は、それがフェアユースだと認められたとしても、EUの法理で「いや、この機能は著作権的にアウトだ、金払え」ということも現時点ですら可能であるということだ。というか実際にそういう判決はそれなりの頻度で発生している。
だってフェアユースはあくまで米国を含む一部の国でしか確立していないのだから。
しかし、現実問題として、それなりに有用なwebサービスを立ち上げようと思えば、まずフェアユース的発想に頼らざるを得ないだろう。
そこでいわれている「引用」は基本的に紙媒体で実名の人物が著作で相互引用する低速で静的な状況を想定しており
インターネットでアルゴリズムやボットを含む様々なエージェントが高速で動的に情報をやり取りする状況は考慮外だ。
もちろん、法の運用上はそれらに解釈を加え、少しずつ判例を積み重ね、法的に許される状態を少しずつ拡張していくわけだが
その結果が「サジェストは権利侵害です」となるのと、「フェアユースなので許可」となるのとでは、新サービス市場の発展速度が圧倒的に違う。
これらは基本的に著作権侵害であるが、訴訟を起こす利益などが小さすぎるため放置されているに過ぎない。
しかし例えば、訴訟が大幅に簡素化・自動化され、二次創作やミームが不可能となる社会を人々は望むだろうか?
究極的には、「どちらを選びたいか」という話になってくる。
もちろん、自分でどちらかを選びたいからと言って、それが自分の国の法理として実装できるかというと、大抵はそれは別問題だ。
フェアユースの発想を頑として認めない米国民がいたとして、如何なロビー活動の天才でも、死ぬまでに合衆国法典第17編第107条を改正するにこぎつけるのはまず不可能だろう。
逆に欧州の新進気鋭の政治家がEUの現状を憂い情報社会指令第5条を全面撤廃・改正してフェアユース的発想を導入できるだろうか?
全政治生命を賭したとしても、やはり死ぬまでにやり遂げるのは無理だろう。
すでに著作権法30条の4が存在しているというのがそれを端的に示している。
しかもそれほど政治的な紛争もなくぬるっと成立した、としか言いようがない成立過程である。
これは「元の著作物に表現された思想又は感情の享受」以外なら、営利目的でも無許可で機械学習を行っていいとするものだ。
ただしここにはやはり「フェアさ」は必要で、その条件は「元の著作権者の利益を不当に害さない」という抽象的なものだ。
現時点では確固たる判例はないので、大型の訴訟が起きてから決まることになるのだろう。
前述したとおり、日本の著作権法にはもともとフェアユースの発想はない。
それにもかかわらずいきなりこれがぬるっと成立するというのは、ある意味特殊な日本の政治状況、法体系の面白さというほかない。
ぬるっと成立した以上、ぬるっと撤廃されることだってありうるのだ。
ともかく、日本においてはいろいろロビー活動の余地、法改正の可能性、政治闘争で結果が変わる余地が多分に残されている。
だが以下は整理しておくべきだろう。
・フェアユース的発想を認めたとして、生成AIの利用はどのような具体的なケースでどうフェア・アンフェアなのか?
これは非常に難しい問いだと思う。私が答えるなら
(1)
フェアユースは認める。そもそもインターネット時代にそれ以前の著作権法を解釈と判例でそのまま運用する発想は無茶。
二次著作物の利用や検索エンジンなどのwebサービスを「基本はアウトだが、訴訟コストが支払えないから事実上セーフ」という現状はいびつすぎるのはもちろんのこと、訴訟コストが簡素化されてそれらが制限される状況が公正とも思えない。
(2)
生成AIにおいて元著作物と生成物の市場での利用形態が完全に競合する場合はフェアユースを認めたとしても「不公正」といえる。そもそもフェアユースはあくまで「新しい市場の開拓」という米国的な大義名分があって初めて成立する。
イラストを売っている販売元と同じようなプラットフォームで再販売するような場合は市場拡大していないし不公正だろう。
逆にそうではないケース、元データの市場と新データの市場がバッティングしない場合にはフェアユース的発想で公正とされると思う。
というあたりになるだろうか。
結論から言うと、日本は兵器調達政策の失敗により防災能力が半減しました。
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かつて日本にはRF-4Eという偵察機が存在していました(2020年全廃)
兵器の代わりに撮影装置(偵察ポッド)を搭載し、マッハ2で飛行しながら地上を網羅するように撮影します。
その膨大な観測データを501戦術偵察飛行隊に持ち帰り、専門教育を受けた士官が情報分析します。
過去の震災でもこの両輪は大いに機能し、地上の自衛隊や警察・消防そして政府の舵取りに寄与しました。
しかしこのRF-4E、素体導入から40年、設計で言えば60年のお年寄りなので引退することに。
グローバルホーク(無人偵察機)とF-35に後を託し2020年に退役します(F-15ではないことに注目)
後任のグローバルホーク(以下RQ-4B)が到着し、新たな偵察航空隊が2022年に組織されます。
空白の期間はどうされてたんですか?
RQ-4Bは速度がマッハ0.5以下とRF-4Eに比べて遅く、写真撮影システムも簡素です。
アメリカ軍では既に時代遅れの扱いで2022年に半数以上が退役、2027年までに全廃を予定しています。
世界で最初にF-35を墜落させたのは日本(2018年)なので、ニュースで存在を知った人もいるでしょう。
さてこのF-35、偵察ポッドが積めません(2024年1月現在)
2027年更新完了予定のブロック4※導入まで載せられないのです。
※現在の航空機は飛ばすだけでもコンピュータ制御が必要で、リアルタイムで動かすためのコードを更新し続けています。
(余談ですが墜落の多かった737MAXは制御状態でないと飛行できず、異常時に定位置に戻したらそのまま墜落しました。2機:対策済み)
日本の安全保障戦略(2023年12月に閣議決定)でも偵察の部分は空白です。
(正確には昔はこんな装備があって、こんな部隊が居ましたって報告だけ載ってる。さみしいね)
ところでRF-4Eに積んでいた偵察ポッド、実は今でも使われています。
戦闘機に積むにはシビアなのですが、ヘリコプターにぶら下げればギリギリ使えると判明し、今回も飛行しています。
しかしRF-4Eに比べて速度は1/8以下です。機能的な代替には至っていません。
そして採取したデータを分析していた501飛行隊ももうありません。
データを集める速度も、それを分析する能力も著しく低下しました。
アメリカで退役の進みつつあるグローバルホーク、そして作戦能力が十分にあるとは言えない現行F-35。
その他様々な兵器を日本はアメリカから購入しました。そしてその結果、日本の作戦能力は大きく損じています。
能登半島での対応の遅れはただただ情報収集能力の低下により発生したと言っても過言ではないでしょう。
全域の情報を速やかに収集し、必要なところに必要なリソースを送り込む。そうしたストラテジックな采配はしばらく行えそうにありません。
刻一刻と変化する状況を観測すための目が無いのですから、いくら護衛艦やオスプレイがあろうが戦場の霧に無策で突っ込むことになります。
つい先ほどよりこちらも雪が降り始め、車の運転にも気を付ける季節になってまいりました。
先日はメールを頂戴いたしまして誠にありがとうございます。
メールの中身を確認させていただきましたところ、一言で完結することが判明いたしたところでございますが、
大変お忙しい中ご丁寧な文章で送付いただきまして感謝に堪えません。
今後はお体をご自愛いただき、簡素な文書で送付いただければ幸いでございます。
さて、本年も残すところもあとわずかではございますが、変わらずご愛顧いただければと願っております。
また、来年におかれましても本年にもまして良好な関係を続けていただければと考えているところでございます。
ますお
こういうことだな
ここ数日、どうにも空気が乾いてきて、目・のど・鼻などが辛いので、観念して加湿器を使うことにしました。
ところが、その肝心の加湿器たるや、電源ケーブルだけどこを探しても見あたりません。
機械は電流を流さねば動かないので、これではどうしようもありません。
そこで、とりあえずの応急処置として、アナログ式の加湿器を作りました。
作り方は非常に簡素です。
(1)ペットボトルに水を入れる。
(3)タオルのうちペットボトルの外側にある部分を扇形に広げる。※クリップなどでとめる。
しばらく時間が経って、湿度が上がったか否かはわかりませんが、多少のどの痛みが引いてきたような『気がします』。
実際にはあまり湿度に変化がなかったとしても、プラシーボでも乾きのつらさが楽になってるなら作った甲斐がありますね。
2つ、3つと同じ物を作って並べてみたら、体感できるレベルで効果があるのかもしれません。
シナリオ演出や選択肢の小ネタが事前に聞いてた印象よりだいぶポケモンパロで笑った
戦闘システムはポケモンとは違い本編のを簡素化した感じだけどなかなか巧妙な作りだな
ポケモン収集と思いきや強力なパッシブスキルを提供するチップの差し替えが肝
常設化されるイベだからだいぶ凝っててゲーム的にも遊びの幅が広いってのはいいね
普段のホヨバは低年齢向けかってほど楽勝な知育ゲーをイベにするのがお決まりだから
ゴリ押しじゃきつい感じは新鮮だった
じっくりあれこれ考える時間の余裕がなかったからボビーさんの推奨チームで行ったわ
手動向きだけど手数が倍々で増えていくからこれはこれで無双できて楽しい
実際の競技ゲームだったら召喚された味方には連動しませんって調整が
絶対入るくらい強すぎるやつで草
anond:20231027235037 の続き。
友達の紹介は、友達に自己開示して紹介をお願いするのが気恥ずかしかった。
でも自分のスペックだと、顔以外は、アプリでもあまり高望みさえしなければある程度戦えるんじゃないかな…?という気が若干していたので、とりあえずアプリからはじめてみることにした。
アプリはペアーズとOmiaiを併用。どちらも3ヶ月コースで入会。
どっちのアプリが特に悪いとかないし、どっちでも出会えたけど、Omiaiの方が若干真剣味があって、悪く言うと地味目な人が多いように思った。
アプリの作り自体はあまり変わらないが、細かい部分の使い勝手でペアーズの方が好き。
ペアーズの方が
・プロフィール文を長く載せられる
・「いいね返し」でこちらのいいねも増えるので「いいね集め」がゲームみたいで楽しい。
最後の理由は迷走するので絶対正しくないのだが、楽しいものは楽しいんだからしょうがない。
プロフィールを文字数上限までたくさん書き込んで、情報量増やしていくことにした。
自己開示が大事だと思うし、それをキッカケに話題がつながることも多いと思うから。
でも自分の場合、文章読むの面倒くさがる性格の人とは、付き合っても上手く行かないだろう、という割り切りもあった。
反対に自分の側からも、プロフィールが簡素すぎる女性にイイネはあまりしなかった。逆に、きっちりプロフィール作り込んでる人には、好みの対象外でも、ちょっと面白半分でイイネしてた。ちゃんとプロフィールを作り込んでる人であれば、きっと自分のプロフィールも読んでくれるだろうな、と思うし。「自分を語れる」というのは大切なことだと思っていた。
実際それで話が盛り上がって、楽しくやりとりしてた相手は何人かいた。
写真もたくさん載せたほうだと思う。
5枚目以後〜会話のきっかけになりそうな好きだった旅行先とか食べ物とか。
色んな人の書き込みとか参考にして、戦略的に並べたつもりだったが、会った人曰く、自分から見えてる表示順と、女性から見えてる表示順が違うのではないかという話もあり、どこまでうまく行っていたかは謎。(その辺りは未検証)
感想だから別に反論とかもいらんのかなと思ったんだけど、ていうか反論ある?とかクソダサって感じだけどなんかブコメいっぱいもらえそうだし!
https://anond.hatelabo.jp/20231024235209
宮崎映画は人並み程度には見てきたけど、あらためて自分なりに評価するとどうかなってのを書いてみる。
熱心なファンじゃないので見たことないやつも結構あるし、千と千尋以降はnot for meなのであくまでも増田の一意見としてみてくれるといいんじゃないカナ!
反論は別にいらんけど、いろんな短評が出てきたら面白いから読みたいカナ!
ストーリーはちゃんとあるんだけど、全体的にシリアスすぎる。シリアスな中の静・動でストーリーが進んでいくので子供の頃は静のところで飽きた。そしてストーリーが全体的に難しい。大人にはよい映画だと思うが子供向けではないな。ちなみにストーリーは独創的だし十分名作だと思います。
特筆すべきはどこで停止しても構図が完璧なところ。あれはまじですごいと思う。宮崎駿はレイアウトの天才らしいけど、ナウシカが一番絵作りという意味では自由だしうまかったのでは。ふるさはあるが音楽は悪くない
ストーリーは貴種流離譚の系譜にあり、演出も悪くない。ナウシカに比べれば静・動の静のところがかなり明るい・コミカルになっているので冒険活劇としてかなり良くなっていると思う。静かつシリアスな場面はやはり子供に飽きられると思うが(暗いし)ナウシカに比べると全年齢向けになったのでは。あとラピュタは背景画がほんとうにいいよね。レイアウトもちょっとどうしたレベルでよいし、音楽もいい
原作があるのでストーリーがかなりちゃんとまとまってる。主人公の成長譚として堅実な作りかと。ただストーリー全体でみるとキキがしんどい状況に置かれてる時間が長めな感じがする(ただしシリアスなところをコミカルに演出したりして緩和している)のと、キキというキャラクター造形が現代人の価値観とは相容れないので、現代で見るとちょっと厳しいものがあるかもしれない。背景画・レイアウトともにすばらしく、宮崎駿の全盛期はここでは、という感じ。音楽もよかった
ストーリーは惚れた女を取り合って喧嘩するというだけ。あってないようなものだけど、とにかく飛んでればかっこいい、危機がおとずれれば手に汗握るって感じで頭空っぽにして見られる娯楽映画の傑作。飛行機の機内上映用だったって話だけど、たしかに機内って結構忙しい(食いたくない飯出されたり飲みたくない飲み物出されたり電気消されたりつけられたり)ので、映画館で見るより集中力ない感じで見ることを考えて作られたのか?というかんじ。絵もきれいだし絵の中のものの動きに重さがあるので多分アニメーションとしてもすごく良い。音楽も好き。
ストーリーは二部制で一部が異郷訪問譚、二部がお母さんも妹もいなくなっちゃったどうしようからの全解決という構成になっているが、なんとなく予定してそうなったのではなく行き当たりばったりでたまたまうまく行った感がある(配分が良くない)。これくらいからストーリーの刈り込みをちゃんとやらなくなったのでは。
キャラクター造形はキャッチーで良いと思うし、メイちゃんのキャラ作りは新鮮でよかったのでは。一部はあくまでもコミカル、二部はシリアスが多めなので、ちょっと温度差で風邪ひきそうだが、一部で味方につけた小さなお友達はがんばえーって応援してくれそう。背景画はほんとうにすばらしい。音楽良いよね
原作があるとはいえ前半はオーソドックスな恋愛もの、後半両思いになってからは主人公の成長譚に分断されており、ストーリーのバランスは良くない。あと前半で地道に積み重ねてきた日常の演出が後半になってバロンが破壊し尽くすのがいただけない。
ストーリーは貴種流離譚と父殺しのかけあわせで前半はきちんと進行しているが、後半のたたみ方が雑なせいでテーマが露出しすぎてる。演出のちからでなんとか一つの話としてまとまった、という感じ。背景画は言うまでもなくすばらしいし、冒頭のタタリ神との戦いも非常に良いのだが、後半になると画が窮屈に感じられたりレイアウトがちょっと?と思えたりする。宮崎駿の衰えを感じる。音楽にすごみがある。
ストーリーとしては異郷訪問譚+主人公の成長譚なのだが、演出にあまりに時間をかけすぎ、ストーリーがおざなりになっているため非常にバランスが悪い。割と取ってつけたエピソードも多いし、思いついたエピソードを適当に配置して、なんとか繋げた、みたいな映画。レイアウト力が明らかに落ちている。
ストーリーより演出を優先した映画なのでストーリーの刈り込みがきちんと行われず、結果よくわからん映画になってしまっている。現代の映画は情報過多気味のほうが好まれるのでそれに合わせようとしたのかもしれないが、完全に失敗している。レイアウトもちょっとなぁ…となる
ストーリーがとても単純になり、ぽにょそーすけすきーだけになった。ストーリーに合わせて絵も簡略化されたが、簡略化されたことによりたっぷりとした演出に違和感がなくなり逆にバランスが良くなった。嫌いではないがもう少し推敲しても良かったのではとも思う
以降は見てません。
あと全体的に気になるのが、作画の都合上とはいえ服簡素すぎん…?基本無地の貫頭衣かな?みたいな衣装かつ色がダサい。ナウシカの頃はまだ細かくデザインされてたが、ラピュタ以降は紅の豚以外基本貫頭衣かそれに類似する簡素な衣服のイメージがある。コクリコとか風立ちぬは柄ものも着てるっぽいけど…
ジブリはモノローグを入れないので、某刃映画みたいに敵倒すまで何キロ走んねん!みたいなことにはならないが、そのせいでアニメしか見てない層にはわかりにくいと思われそう(一般的な映画と比較すると違和感ない)。たぶんストーリーを考えるのが苦手なんだと思うけど、千と千尋以後はストーリーから逃げて細かな演出に固執(むしろ演出メイン)していて、映画としての質は下がっているのでは(アニメーションとしての質は上がっているかもしれないがアニメ評論家ではないので知らん)。