はてなキーワード: 副審とは
スペイン戦のVAR判定があいかわらず燻っているが、VAR判定の基本的な考え方が(当たり前だが)サッカーファン以外の層に浸透していないことが分かったので、ここで一筆書いておく。
以下5つ。
・得点かどうか
・PKかどうか
・退場かどうか
・人違いかどうか
・ほか、主審が確認できなかった重大な事象(主審が見えないところで選手を殴った、などが該当)
これがサッカーファンの間でも意外と浸透していない。主審が下した判定に対する「はっきりとした明白な間違い」を指摘するのがVARであるのだが、単純に白黒つけると解釈している人が多い。
世界的な統一基準なので日本サッカー協会の解説ページを読んでおくとよいだろう。https://www.jfa.jp/referee/news/00024523/
以下2つ。
(1)三笘のクロスの時点でボールが外に出たという判定を主審と副審が下していない
主審はゴールキックの笛を吹いてないし、副審もボールが外に出たと言う判定を下していない(下していたら旗をまっすぐ前に出すが、副審はそれをしていない)。つまりゴールまでインプレーだったと判定している。これが重要だった。
そのため、VARは「ボールが外に出ていた、という明白な証拠を探す」ことが今回の役割となる。結果、散々出ている画像の通り、外に出ているという明白な証拠は得られなかった。だから最終的にゴールが認められた。
ゴールは認められなかった可能性が高い。
この場合は「ボールがちょっとでも中に残っているか」を探すことになるが、今回のようなシーンで「はい、2mm弱入っているので明白な間違い」とは言いづらいだろう。それほど微妙な判定であったのだ。
このような、きわめて微妙な判定の場合は主審の判断がVARで覆ることは基本的にない。「はっきりとした明白な間違い」であることをVARも指摘できないからだ。
例外はオフサイドで、「オフサイドディレイ」という形で主審と副審が判断を避けることが認められている。この場合は1ミリでも出ているかどうかというファクトでVARが最終判断を下す。
VARは「はっきりとした明白な間違いを正す」のが役割であり、微妙な判定に白黒つけるものではない、ということは覚えておいた方が良い。逆に言えば微妙な判定については主審の裁量でどちらにでも転び、それを正すことは難しいというのがVARの問題点でもある。
バレーボール部だった中学時代、私は初心者でヒーヒー言いながら練習していたけど、あとから入ってきた後輩があろうことか全員小学生時代からやっていた経験者で、あっという間に、というかとっくに実力で抜かされていた。屈辱感はなかった。結局私は最上級生になっても玉拾いに勤しんでいたのだった。
玉拾いだからもちろんレギュラーメンバーになることはなく、練習試合でもウォーミングアップ以外は参加させてもらえなかった。ずっと立って見学をしているだけだった。また、審判をやるときも主審と副審は経験不足のため仕事を与えられず、永遠にラインズマンだった。練習試合中にすることといえば、ラインズマンか得点付けか見学くらいのものだった。見学するときは顧問の横に一列に並んで立ったままだが、私はいつも友達とたわいもないおしゃべりをして叱られていた。叱られてもしゃべっていた。たまに「ナイスキー」とか言うくらいで、それ以外にすることがなかった。
練習中の唯一の楽しみが、仲のいい友人や後輩とのおしゃべりだった。ほとんどがくだらないテレビやゲームの話だったが、たった一人不思議な後輩がいた。仮に杉浦としよう。杉浦は私とよく話をしていた。知識が豊富でどこか達観していた奴だった。今思えばただのRADWIMPS好きの厨二病なのだが。杉浦は私を「先輩」と呼ぶ以外には、私にだけ敬語を使わなかった。どこか私を下に見ていたようだった。ちなみにバレーボールに関しては奴も例に漏れず経験者で、私より実力は上であった。そのためか、私に対して啓蒙的な口調で話しかけていた。しかし、その話が私はとても好きだった。
私はとにかく練習が嫌いだった。毎日の部活動が憂鬱だった。たった1時間や2時間がとても厭だった。動きたくもなかった。準備運動をしてサーブ練習だかレシーブ練習だかやって、そのあとは玉拾いする毎日だった。とても退屈だった。今思えば大した運動もしていないが、それでもつらかった。ある時杉浦は私に言った。「君は一つの視点から物事を捉えすぎているんだ。もっと客観的に、多角的に物事を見られるようになれ。」正確には思い出せないが、その言葉を私は忘れることができない。なぜなら、それが私が体感した「啓蒙」の瞬間だったからだ。あの言葉にハッとさせられたのだ。
またある時言われた。「『万物の集約に返り咲きしは王の影』この言葉の意味がわかるかい?」私は練習中にぼーっと考えていた。考えども考えども答えは出なかった。それを見かねて杉浦は答えを私に教えてくれた。しかし私はその答えを覚えていない。その答えを理解することができなかったからだろう。「何かを忘れたとき いつも君がそばにいたけど 今回ばかりはそうじゃない これってまだ忘れてないってことなのかな 今、僕が覚えている全てのことと 僕と君にまつわる全てのこととの差は ゼロにはならないのかな」これもアイツが言ったことだが、これが自作なのか、引用なのかがわからない……
「生きていくことが罪になるなら、死んでいくことが罰になる。死んでいくことが罪になるなら、生きていくことが罰になる。さて、僕の罪名と刑法はどうなることやら。」これも。出典がどこなのかわからない。
まあそういう後輩がいて、今でも私の心に残っているということだ。ちょうど中2という多感な時期の出来事であったから、印象が強いのだろう。今どこで何をしているのかが気になるな。会って話でもしてみたい。
さて、中学時代の部活に話を戻そう。後輩よりも下手で要領の悪い私でも、一度だけ本番の試合に出させてもらったことがあった。それは、私のところに比べてとても弱いチームだったので、私のような2軍補欠を出させても勝てると監督が考えたのだった。
それは中3の夏、要するに最後の夏で、監督は記念のために私をコートに立たせてくれたのだ。試合の途中で交代して、サーブを数本打って、それで終わった。私が中学3年間嫌々バレーボールをやってきたすべてが、それだけだった。それを考えると、私が必死に耐えてきた3年間ってなんだったんだろうな。
数ある運動部の中でもなぜ私がバレーボール部を選んだかって、ただ仲の良かった友達が1人そこに行ったから。私はホイホイついていっただけ。あと、なんとなくラクそうだと思っていた。それだけだ。まあ中学卒業後にその友達はウェイになって地元のヤンキーとつるむようになったのだが。私と正反対で。
安易な気持ちで部活を選んでしまって、とても後悔した。実は、私は小1からずっといじめられていて、そんな私が中学の運動部に行くもんだからいじめの標的になるのは当然だった。いじめを受けて部活をやめようとは思ったことはあったが、踏ん切りがつかずそのままズルズルと最後まで続けてしまった。なんの成果も残せずに部活を引退した私を、両親は「部活は続けることに意義がある」と慰めてくれた。それはうれしかった。自分でもよく耐えたなと思う。私の我慢強さってここにも表れているのかもしれない。ただ、それ以上のものは得られなかった。
草スポーツとかならまだしも、これだけ技術が発達した現代において、主審、副審の主観だけでジャッジされるのは本当にクソ。誤審多すぎ。見ててモヤモヤする。
とくに審判の主観によって判断が変わるため、大袈裟なアピールを積極的にしてくるプレイヤー達がスポーツマンらしくない。
どう見てもおまえ故意にタックルしてきたヤツが「俺じゃないだろ」みたいなのとか、隠れて相手小突いたりとか、大袈裟に蹴られましたとか、当たってないのに負傷したフリするのとか、ほんと見苦しい。
そんなのビデオ判定いれたら一発やん。特アの連中とか身体能力クソなくせに点数稼ぎだけで勝とうとする根性がクソ。
サッカーにおいて、主審は「絶対だ」。でも僕はその絶対性を大きく見誤っていた。
以下は先日ちょっと話題になった「試合終了の笛のあと、それを覆した主審の決定」についての、高体連の判断。これは日本サッカー協会との相談の上での判断だから、JFAも同様の見解であると考えてもいいだろう。
試合の映像は、多摩大目黒高校のゴール前で帝京高校に与えられた間接FKが行われる前に、多摩大目黒高校の選手が前進し、規定の距離を守らなかった事実が確認できる一方、その後、多摩大目黒高校の攻撃に移った後、主審が試合を終了していることも確認できます。さらに、副審が多摩大目黒高校の反則について旗を上げていたことから、主審はそれを採用して試合終了の決定を覆し、帝京高校に再度間接FK を与えていることを見ることが出来ます。
現行の競技規則第5条・主審の決定によれば、「プレーを再開する前、または試合を終結する前であれば、主審は、その直前の決定が正しくないことに気付いたとき、または主審の裁量によって副審又は第4の審判員の助言を採用したときのみ、決定を変えることができる。」となっており、主審が試合を終結させた後に帝京高校に間接FK を与えたことは、競技規則を誤って適用したことに
なります。しかしながら、同時に同条前半には「プレーに関する事実についての主審の決定は、得点になったかどうか、また試合結果を含め、最終である。」と規定されていることから、その後の延長戦での判定や試合結果を含め、変更することは出来ません。
従いまして、東京高体連サッカー専門部としましては、平成23 年9 月18 日に行われました、多摩大目黒高校対帝京高校の試合結果を変更することは出来ないと判断することに至りました。
上の決定は、要するに「ルールに違反した主審の決定は、有効である。」ことを示している。
ルールに則れば、当該主審は試合終了の後に、決定を取り消すことはできない。だけど主審は「絶対」だから、その決定を取り消すことができる。
いったいなにが起こっているのだろう?
例えば、とてもバカな主審がいて、キーパーはどこでも手を使うことができると勘違いしていた。キーパーは試合終了間際のCKにあがっていって、何を考えたのか手でキャッチしてゴールに分投げた。主審はバカだったのでこれをゴールと判定した。ルールに則れば、手を使ってはいけない。これはファールである。でも主審は「絶対」なので、ゴールは有効である。主審がバカなことに気づいたキーパーは、自陣からボールをラグビーのように持って言ってゴールに入れる。主審はこれを認めることができる。ありえない想定だが、しかし、上の高体連の判断に則れば、これは有効な試合である。
今回の判断によれば、主審は試合が終わったあともそれを覆すことができる。ところで、主審はいつまで主審なのだろうか。フィールドから出た時?審判のユニフォームを脱いだ時?家に帰って奥さんと子どもに「ただいま」をいった時?試合の報告書を提出した時?分からないが、主審が主審であるかぎり試合は覆せる。もし彼がいまだ主審ならば、マラドーナのゴールを今から取り消して再試合をさせることだってできるのだ。バカバカしいが、しかし主審は絶対である。