はてなキーワード: オイラーとは
昨日、友達の紹介で知り合った
コンピュータ専門学校のゲームクリエイターコースを卒業した男と
遊んだんだが、30過ぎてるのにゲームが趣味と聞いてドン引きした…
あとゲーム好きって言ってもオイラー角で回転行列を表現する方法とかも知らず、
キャラクターがどうとか声優がどうとかの話しかできずマジで気持ち悪かった…
小さい子供が鉄道とか車の名前を言うのを大人がやってるみたいだった…
思うに何で底辺や低学歴の男って『ゲーム』を好むようになるんだ?
安価な趣味や娯楽って言えば、消費するだけなら、文学や音楽、映画とかもそんなにお金がかからないよ
内容が難しいって言っても例えば、文学なら東野圭吾とか湊かなえとかならそんなに難しくないでしょうに
実際、女性の場合低学歴や底辺の場合でも、読書や音楽とか言ったまだ低俗でない娯楽、社会的に受け入れられてる趣味を嗜むのに
超ひも理論は、光子からクォークに至るまで、すべての粒子がゼロ次元の点ではなく1次元のひもであるという理論的枠組みのこと。
もし、あらゆる文脈で成り立つ超ひも理論のバージョンが発見されれば、宇宙の性質を記述するための単一の数学的モデルとして機能することになり、重力を説明できない物理学の標準モデルに取って代わる「万物の理論」となるとされる。
超ひも理論の全貌を理解するには、広範な勉強が必要だが、超ひも理論の主要な要素を知れば、その核となる概念の基本的な理解が得られるだろう。
1. 弦とブレーン
弦は一次元のフィラメントで、開いた弦と閉じた弦の2種類がある。
開放弦は両端がつながっておらず、閉鎖弦は閉じたループを形成する。
ブレーン(「膜」という言葉に由来する)はシート状の物体で、その両端に弦を取り付けることができる。
ブレーンは量子力学のルールに従って時空を移動することができる。
物理学者は、宇宙には3つの空間次元があると認めているが、超ひも理論家は、空間の追加次元を記述するモデルを主張している。
超ひも理論では、カラビ・ヤウ多様体と呼ばれる複雑な折りたたみ形状にしっかりと圧縮されているため、少なくとも6つの追加次元は検出されない。
3. 量子重力
弦理論は量子物理学と一般相対性理論を融合させようとしているため、量子重力理論である。
量子物理学は原子や素粒子のような宇宙で最も小さな物体を研究するが、一般相対性理論は通常、宇宙でよりスケールの大きな物体に焦点を当てる。
4. 超対称性
超弦理論としても知られる超対称性は、2種類の粒子、ボソンとフェルミオンの関係を記述する。
超対称弦理論では、ボソン(または力の粒子)は常にフェルミオン(または物質の粒子)と対になるものを持ち、逆もまた同様である。
超対称性の概念はまだ理論的なもので、科学者はまだこれらの粒子を見たことがない。
一部の物理学者は、ボソンとフェルミオンを生成するには、とてつもなく高いエネルギーレベルが必要だからだと推測している。
これらの粒子は、ビッグバンが起こる前の初期の宇宙に存在していたかもしれないが、その後、現在見られるような低エネルギーの粒子に分解されたのかもしれない。
大型ハドロン衝突型加速器(世界で最も高エネルギーの粒子衝突型加速器)は、ある時点でこの理論を支持するのに十分なエネルギーを発生させるかもしれないが、今のところ超対称性の証拠は見つかっていない。
5. 統一された力
弦理論家は、相互作用する弦を使って、自然界の4つの基本的な力(重力、電磁気力、強い核力、弱い核力)がどのように万物の統一理論を作り出しているかを説明できると考えている。
8月5日の花火大会で、 有働活動をしていた複数の警察官からすれば、そもそも、 戸田市や板橋区北部に、人類自体が存在していないなどとは考えないだろう
舟渡2丁目および 戸田市の一戸建てを巡回したことがあるが、普通に、花火大会のときは、庭に出て食事をしているし、 道路に座り込んでやきそばをたびる平成の若者もみられた
ただし、6月1日に、堤防からライトを照らしていた熊谷の感想からすれば、 花火大会以外の日にその辺をみても誰もいないことは周知であろう
7月26日にトラメガの音がうるさいので減収注意した、49歳のPB蓮根は、 オイラー法、ABC予想を解いてくれと言いながら舟渡2丁目を過ぎていった
ただし、志村本署は、平日の昼間は、 フロントに、 10年前からずっといるオヤジが交換台をやっている、夜間は別の者がしている、 右の方には、 あまねの妻がやっている
平日の昼間は、村田がはいずりまわっている姿が今でも確認され、
8月5日の花火大会のときに、 誘導活動に従事する警察官は、平日はいないし、当日に出て来る善良な板橋区民などというものもそれ以外の日には一切存在しない
その理由として、芸術は見るにたえないものを表してはならないという、偉そうな価値観の支配するものと考えられるが、いずれにしても
Shafarevich
宮地昌彦 実解析の分野で有名 鳥人間コンテスト 東京女子大学
ユークリッド 全ての数学のモデルとされる初等幾何学のルールを整備し、2000年間にわたる大量の問題を編み出す基礎を形成
10世紀、13世紀の数学者? (p-1)!は mod pで ー1であろうという定理か何かを予想していたが、証明は700年後となった
フェルマーの大定理の実質的な内容は、満足する整数が存在しないことが全てのnについて成立するというだけ。非常に珍しいしたまたま規模が大きいので骨董品とされながら350年間
解かれなかった。類似の問題で係数をつけたものがあるが、これはその係数を全部1にそろえられるという意味で価値がないから解けて当たり前だというのが数学界の通説。
ワイルズの証明は、オイラーが3のときに検討した、u^p+v^p+w^p=0 uvw≠0 などの初等分野で出尽くした定理を多数陳列して、次第に証明の完成に向かっており
非常に難解。
本質的には、有理数体、p進簡約群などの問題になるので、それは、(x/z)^p+(y/z)^p=1 だからであるが、モジュラー性は複素関数の理論で非常に深いことを大量に言わねばならない。
5ちゃんねるのVipperは、20年前に書かれた書籍によると、コリヴァギンフラッハ法というもっと完全無欠な技術があって、東大の教授はこれについては沈黙。
ABC予想は類似の様々な定理を証明するがそれ自体が証明できないからどうともならない。
平成14年に東大文Ⅰに入った人だと白根真理雄がいますがおそらく死んだ人なのでフェイスブックでも平成14年のコメントはないし、平成15年だと、永山悟は前期試験で落ちたので
だからコメントする者が誰もいないという状況。平成29年にぺちが理科一類に入ったんですけど面白味のないくだらない問題しかなかったのでコメントしない。
平成23年の理科の問題はかなりの難問が並んでいたんですが誰もコメントしないと。
それから昔は、数学0点、英語120点とまではいかなくても、 数学5点、 英語105点とかで入った人もいるので。しかしコメントは一切ない。
フェルマー予想は、x^n+2y^n=4z^nであると解けるのですがこの係数がついているのは明らかに幾何学的に無駄なので練習問題で本番の問題の体を成してないからでは
ないかと思うが。本番の問題になると、該当するものが存在しないというところに出てn≧3の全てのnで存在しないという完全性なものだから非常に難しい。
ペーターショルチェが解いたIMOの問題は、せいぜい、平面に凸多角形をもってきてそこに三角形を割り当てる発想をしてその面積を全部足したら多角形の2倍を下回る
ことがないという定理ですので。フェルマー予想は非常に不思議な内容でなおかつ、4のときでも複雑な議論になる。しかし4のときを解いておかないと、素数pだけでいいという
ことが言えない。また、素数pだけいいということになっても、余計に難しくなっただけ、赤チャートに書いている議論をすると、4のときは、初等的な議論と、無限降下法で存在しない
ことがいえるので、全く出来ないわけではない。しかし、3のときは同じように無限降下法を使っているが、オイラーの証明は、何が書いているのか分からない。だから全然だめなわけです。
ただし、4のときに存在しないことは初等的証明で非常に分かりやすくできるということを、赤チャートが既に例題っていうか、入試問題に出ていますので、4の場合は、ただし赤チャートという
本自体を誰も読んでいないからわかるわけがないと、あ、そうだ、延岡のブックオフに行ったら赤チャートは置いていない。私が赤チャートを買ったのは東京のブックオフです。その上のランクに
あフェルマーの大定理が何で解けないのかは先生によって諸説あるが、そもそもある不定方程式の解が存在しないことを支持する道具は、レブオービットの場合と複素曲面の場合で
存在する。知られているものはフェルマー自身が教科書に書き込んだ無限降下法というもの。
フェルマーの大定理っていうのは、貴重な情報が円の上にずらっとならんでいるという構造をしており、構造層のオイラー標数の2倍よりも小さい。
一般に素数の場合でいいと言われているが、素数の場合になるのではなく、三角形で照射した場合に、それだけでいいということで、もし、pと言うことになると、p進ホッジ構造と
有理数体を研究しないと、Z^pなど解明できないので非常に難しくなる。アンドレヴェイユは1998年に亡くなっていますが非常にけちだったので92歳まで生きた
アンドレヴェイユはフェルマー予想の先生だったが外貌として鼻が高い、ヴェイユは、この問題について、標高100ヤードの山にもとぼれない人がエベレストに登山できた話は聞いたことがない
というが、x^4+y^4=z^4の証明でも、複雑な議論になり、全然説明できる道具が見つからないので、全部の証明など不可能であろうという趣旨の話だと思う。
フェルマー予想の結論は数学の有能性と完全性の内容だが、証明の技術が発見されていない。本では、x^67+y^67=z^67などの非正則素数で証明できないという学術研究になっている。
正則素数だとできている。数論幾何的には貴重な情報がずらっと並んでいるという趣旨内容で非常に規模が大きいので大定理と評価されていると思う。
はいだから正方形の面積でピタゴラスは証明できるし類題はたくさんあるんですがそもそもそういうアイデアが必要な入試問題がないので語る気がしないんです
フェルマー予想は三枝洋一先生は違う手続きで折っていますが三枝先生の講義ヴィデオには興味がないんです
複素数を用いシムソンの定理の証明のヴィデオも興味がないんです、太った人が複素数を使ってだらだらしてるだけで面白くないんです
石井志保子先生のジェットスキームになると何言ってるか分からない
令和5年7月26日に志村警察から49歳のおっさんが出てきて、オイラー法って言ったんですが何言ってるか分からないしつまらなかった
49歳のおっさんが来たときはけっこう 私がいつも立っているところと、サイレントジェネレーターが置いてる場所の真ん中まで来たんです
オイラー法のおっさんの前も赤羽でけっこう、 本官が後ろに立っていたときとか、 ごつい男が3人で来た時もあったんですが最初、 ファイナルベントに偽装してました
数学的帰納法は完全無欠なもので最高の使用例があるが、無限降下法は完全無欠なものではない、背理法と帰納法の亜種で使用できる場合が限られているからじゃねえのか
数学的帰納法で解けたという問題はたくさん聞きますねえ、そうですよ、 え?あ? フェルマー?ああ、有名ですね、界隈では、はい
x^n+y^n=z^nでしょ 歪んだ奴は無限降下法で解けるんですけど、これは完全無欠だから、数学的帰納法でできるように見えて出来なかったんです
完全無欠だから難しいですよ、証明は。ええ、 x^n+2y^n=4z^n は落ち度があるから完全無欠じゃないから無限降下法でいけたんじゃないかと思いますが
x^3+y^3=z^3も 4のときも、無限降下法は使えますよ、ええ、 3のときは確か定理があったと思うんですが、あ? 定理には補題が6つついてます、イヤーその辺は難しくて分からない
ですね、昔はオイラーという人がいてそれでやったんです、申し訳ありませんが、うちではそこまで理解する能力がないんですよね、ええ、え?
4のときはけっこう簡単ですよ、3のときが難しいですよねえ、5以上では分かりません、すいませんが。 なんで完全無欠なのに証明が難しいかって?いやちょっと分からないですね
パスカルの定理も、変数変換も、関数がなめらかでー、実数全体にわたっているときは完全無欠なものですから、威力があるときもありますね
あ? 変数変換? 関数が連続で、なめらかで、x座標とy座標がどっちも、実数全体を動くときに使えるものですね、はい、うちではちょーっとよく分かりませんが、研究してみるといいと思いますよ
インターネットでそういう議論があんまりない?ああそうですねえ、 最近の高校生は誰も知らないというか、知らない人が多いんですよね、え、何それとか言われるんですよね
以前に増田で存在しないことに関する証明法は存在しないという見解が出たが、高等学校でも例外的に知られている無限降下法という考え方をとりあえず用意しておいて、
それが出てくるようなところまで議論を追い詰めれば、存在しないことの証明法はあったというのがフェルマーの4の場合である。この極めて初等的でエレガントな証明法が発見された
ためにこの分野での華々しい議論が陸続した。しかし、ディリクレやラメやルジャンドルがそれ以降にこの無限降下法を発動したかどうかに関する論文は存在しておらずオイラーが3の場合にした
議論は非常にアクロバティックなものでまだ一般には理解されていない。虚数単位√-1=i の補題6つつきの定理を発表し、無限降下法を発動するというもので幾何学でいうと相当に
難しいことをした観がある。4の場合は非常にシンプルであるため、赤チャートにも回答が掲示されている。しかし、3の場合は幾何学の類推からとてつもないサーカスのような解答になったため、
何が書いているのかにわかに信じがたい、逆に、なんで3のときにはこの回答しかないのか、更に、5,7,11,14の場合は更に難しくなり多くの初等整数論者がこのやり方での
証明を断念したという。サーカスのようなことを初等幾何学ですることがアレフガルトなのか、無限降下法の発動がバラモスなのかはまだ分かっていない。フェルマーの問題は結局、
(x/z)^p + (y/z)^p = 1 が存在しないことと同値とされ、背理法なども動員されたが、GCD=1で、しかも、素数がからんでいるとどうにもならないことは数学者なら一目瞭然だろう。
この表現は、既約表現と素数によって構成される楕円関数の不存在をいうことになるので、とてつもなく難しく、結果は、y=x(x^2-u^p)(x^2-v^p)が複素関数でモジュラーではないという難しい
定式化までいきついたが、そこから先を補完するものはさらに多くの教科書を書かないといけないし、何を出すべきか分からないとして絶望された。
フェルマー予想はコンピュータではそれが正解かどうか判定できない。存在しないことの定理なのでプログラミングを組んでも延々計算が続くだけでプログラミングでは証明できない、つまり
計算機では証明できないもののシンボルである。しかし、クンマーの理論が出てからは400万以下の自然数では存在しないことが言えるようになった。しかしそれでも計算機では到達できない
プログラミングでは解けない数学の問題として有名で、それにかかわらず、プログラミングでは解けないのになぜ人類には到達できるのか?ワイルズがやったやり方は幾何学を含めた全ての
学問を総動員したもので、その実質は、精神集中して自分で作り、出現させることの繰り返しであった。したがって非常に難しい作業であり、実質的にはおよそ200年がかりで到達したともいえる。
無限降下法は極めて使いやすい事例、つめり、赤チャートに載っているようにすぐに使えるような方程式の形をしているときには単純に使用できるが、どうやって使用していいか分からないような問題
になると何が書いているのか分からなくなってくる。x^4+y^4=z^4の場合は、x^2+y^2=z^2のピタゴラス数の結果を代入して、散々に追い詰めてから、無限降下法を用いて補完していりので、
技術的教養がないとおよそ理解不可能である。x^3+y^3=z^3の場合は、オイラーがやった複雑な証明法しかネットには掲載されておらない。無限降下法のばあい、基礎問題では簡単に発見
できるが、一見して使用できない場合は、発表があります、実はこういう感じで出てきます、という感じでやらないといけないので、技術的着想の発表ということになり非常に難解な観を呈してくる。
きもたとも戸田とも、くまがいとも、49歳(オイラー法)とも、誰とも河川敷では特に仲が悪いですね。くまがいというのは戸田が言っていた名前で昔は松重豊と呼ばれていた警官で
松本というのは32歳の警察官に激似のキチガイですが、そんの、最初は、体当たりしてきて、その後に検察官みたいな顔になるというか、松本というか、魔津本と読んだ方が、well-defined
だと思いますが、その、とにかく、自転車できて、それしか言わなくて帰っていくのが、魔津本なんですね。それで、そんの、頭は丸刈りで、自分の家で自分でバリカンでやっているとかいうのですね。
確かに私も、あの、捕まる前は自宅で、母親にバリカンでやってもらっていた時代がありましたがあれは平成22年頃の話で今はやってないというか、自宅じゃなくて1000円カットに行って
やればいいと思うのですが、それと戸田は警察署で生姜焼き弁当を食べたと言っていましたが、あすかきららが好きな美容お化け?が、生姜焼き弁当を食べることがあるのかどうか分からないし
にんかいが、山之内隆樹が、戸田の中に出てくるようにするときには、わたしがなぜか強制的に勇吉になるようになるわけでそういうのが分からないんですよね。それで私の夢の中に勇吉が25回くらい
出てきたのですが、わたしが小さいころに勇吉が嫌いだったはずなので、しかし、敬一が、出所後の私を見て、勇吉に似ているとかいって、それから勝手に勇吉になったわけですが
フェルマーの大体系で、n=4のときのフェルマーの証明がもっとも要点を得ていて、なおかつ、無限降下法という以後に一般的に知られる驚愕的な技術を編み出したと言われているので
フェルマーのしたn=4における仕事がもっとも多産であったと言われている。フェルマーは全部のnに対する証明は難しいと言われているが、4のときが構成されたため、4の倍数では全て
証明され、25%の自然数で証明されて多大な利益を獲得した。これに対して、オイラーのn=3における証明は、同じように無限降下法を用いているが非常に進捗のないものだった。
18世紀になると、クンマーが、理想数という独自の見地から61%の素数で証明を達成したが、本質的でなかった。特段に体系的な利益が得られなかったため、志村谷山は、複素関数
モジュラー性から迫ろうとしたところ、現代数学界に多大な進捗がみられ、コホモロジー理論など実りのある一般理論を多く生み出した。代数的サイクルやエタールコホモロジーなどについて
一般的な著作をものしたのは、今年で定年退官になる斎藤秀司教授である。他方で、初等研究は、n=4で行き詰まり、n=3.5の証明ではとりかかった各数学者の独自の領域にとどまり
何らの応用のある着想も出てこなかった。x^p+y^p=z^p以後、ソフィージェルマンは1つの定理を発表したが条件付きのもので以後なんらの進展もしていない。
戦後の東京社会ないし工場の研究状況であるが、昭和天皇は、共同研究による経済的効率性を優先して徹底してやったことから戦後30年の時代には様々な学問分野で生産の沃野
を獲得することができた。そのきっかけは、とにかく工場で共同知見で行えば一人でやるよりも多くの結果が出るだろうという考えで実際に戦後30年で日本国民の平均余命は40歳から70歳
80代まで一気に爆増した。昭和時代における数学の書物によくみられる表現として、そう考えるのは自然である、自明である、といったものである。昭和天皇は、哲学を徹底的に研究し
ABC予想が証明されると、フェルマーの定理は、n>6を証明しなくてもいいことになるから、残りはn=3,4,5 であるが、きれいに証明されているのはn=4だけで、n=3,5に関する
古典的な証明はあることはあるがきれいではないため、疑問なしとしない。この問題の場合、n=4の場合について、IMOに出してもおかしくない驚愕的な論法が得られたため、
これをきっかけに華々しい問題が陸続したが、n=3,5に関する、オイラーやルジャンドルの証明は有名ではなく、インターネットに公開もされないしまつである。
これだけ時間がかかっても、n=3,5,7などに関する天を衝くような証明が出てこないことはおかしく、世界中に天才に考えさせても、オイラーやルジャンドルがやった以上のエレガントな
証明が出てこない場合、生産性はないと思われる。いわゆる最高峰の証明が出たのは、n=4の場合だけで、それ以外では出ていない。
フェルマーの大定理の何が陥落しないのか?
THEOREM x^4+y^4=z^4 は存在しない。 フェルマーによりもっともきれいに証明された。その際に着想された無限降下法は数学界でも有名である。
THEOREM x^3+y^3=z^3 は存在しない。 文献がないので分からない。 フェルマーから50年~100年後にオイラーがやっているので、おそらく必要がないのではないか。
THEOREM x^5 x^7 x^9 x^14 証明がないとはいえないが、体系的にどんづまりになってそれ以上進まなかった。 きれいな着想が存在しない。
第一の定理を拡張すると何が言えるか。 そもそもそういうことを言っているのではない。 フェルマーの大定理は、 指数の素因数分解の性質から、きれいに、次のことが言える。
x^24+y^24=z^24 24=2*2*2*3 だから、要するに、 素数だけについて示せばよいことがきれいにいえる。この着想がきれいであることから、x^p+y^p=z^pであると信じられている。
対応する証明に華麗なものがあるかどうかの問題。 無限降下法は、天を衝くようなアイデアと言われている。しかし、 3の場合には、オイラーが純初等的にやったが、論文がない。
全てのものが陥落しないわけではない。 4の倍数についてはきれいに証明できるので、 全ての自然数nのうちで、 25%は証明済みということになる。
x^4+y^4=z^4の証明は、フェルマーが最もエレガントな方法でやっていると思うが、 n=3の証明は公開もされていないし滅茶苦茶でインターネットには記載がない。
フェルマーの証明は、平方数の定理を使うというのが少しきついが、 オイラーの証明は滅茶苦茶すぎる。
更に、x^2+y^2=z^2のときは、解があるが、自分でノートに書いて検討してみたが、これを表示するのは難しく諦めた。
多分自分で考えても分からないと思いますよ。互いに素で、x、yは入れ替えてもいいくらいのことしか条件がないからね。ノートに書いたときに分かるのは、3^2+4^2=5^2が該当する
というだけでお先真っ暗。何で分からないとかといっても、整数論をちゃんと教科書を使って体系的に勉強していないからだと思う。
大体、私はほとんどの分野を教科書をつかって体系的に勉強していない。須佐は理系だし、東京ぺちちの病院にいるからやったのかも知れないがそういうことに関しては口を割らないしね。
英語の略字を日本語に変換していちいち説明したらわかりにくすぎる。
「e」はネイピア数とは呼ばれるけど、じつは「Euler(オイラー)」のEだろ?
たしかに「e」はあちこちで使われるから、この分野ではネイピア数と呼びたいのはわかるんだけど、そこらへんちゃんと説明してないだろ。
「logarithmus」って、ラテン語の「logos(比率)」と「arithmos(数)」の造語なんだろ?どこが「対数」なんだ?
式中にlogと書いてあれば「ログ」「ロガリズム」とか読むしか無いんだからいちいち「対数」と呼ぶ必要ないだろ
「logarithmus naturalis」の略が「ln」なんだろ?日本語に翻訳したらたしかに自然対数だけど
そもそもここで言う「日本語で言う自然の定義はなんだよ」ってなるだろ。
e^(ln(x)) = x
ln(e^x) = x