はてなキーワード: 堕胎とは
発達障害者は職場から家庭まで全てにおいて害悪で、上司を鬱にし、配偶者をカサンドラのような精神疾患に追い込むカスであるから
他の感染症同様、有病者を隔離し、場合によっては⚫︎⚫︎⚫︎すべきであろうし
無論有病者には不妊手術を行い生殖能力を剥奪することが、(おそらく育児など到底できない障害者である)父母自身のため、(障害者に育てられる障害者という二重苦を負う)子のためである
というのは、健常なるマジョリティ様の慈悲に満ちた十全に正しいお考えであられるでしょうし
わたくしめ障害者におきましても、健常者様のお考えを追認したいところでありますが
このクソのようにくだらない虫けら以下の命を持って問いたいのは
社会から隔離し、断種すべき存在なのではないかということでございます
IQ105にも満たないであろう彼等ーーーー高卒、専門卒、Fラン大卒の馬鹿どもも
やはり重度の学習障害を持つのではないかと、わたくしは思うのです
幸いにも発達に障害を持たずに生まれてきたものの、貧困というには恵まれた生まれであるものの
特別荒れているわけでもない中学校に在籍していたにもかかわらず、定期テストレベルの高校受験でカスのような点数を取り
これと言った目標も目的もなく、パティシエ科だかイラストレーション科だかに進学してみたりだとか
何故だか大学進学を目指して、そのくせ進学実績もろくにない普通科に進学したりするような
彼らの行動は非合理で、彼らの頭は絶望的に悪く
彼らに国民主権など持たせましても、ポピュリズムに絡め取られるばかりで
しまいには暴露系YouTuberとやらを当選させたりするのでしょうし
彼等の知的レベルに合わせたものーーー自己啓発本やらくだらないTV番組やら馬鹿馬鹿しいソシャゲやらーーーが巷に溢れることが
世の中のーーー健常者の皆様のためになっているのかは
物知らずのわたくしには、どこで線を引くべきかわかりかねますが
ここで敢えて進言させていただきますには
まず隗より始めよ、に倣いまして
ひとまずは愚かなわたくしめ
偏差値60IQ110
を含めこれより下のものどもは皆⚫︎⚫︎しにすべきだろうと思うのです
わたくしの実感としましても
わたくしの知能レベルでは大学の専門の授業の半分は理解できませんし、高校もセンター6割だかでやはり高校の授業も6割しか理解できていないということで
こうした愚かな人間の存在は健常者様にとっては驚くべきことでありましょうが
わたくしのほうにおきましても、
発達の障害を持たずして県内一の馬鹿高のパティシエ科にいき、現在はスーパーのレジ打ちをしておりますKさんには驚かされるばかりで
やはり私が⚫︎ぬべき人間であると同様、Kさんも⚫︎ぬべきではないのか
そう問いたいのでございます
レイプにしたって男のガキがおばさんに犯されるのと、女のガキがおっさんに犯されるのが同じだと言えるか? 胸張って言えるか? 俺の目を見て言えるか? お天道様に誓って言えるか?
いや内容は違うが前者も別ベクトルで恐ろしいが…。
特に妊娠の継続・中絶は女性が自分で決める固有の人権にも関わらず、それが加害者側に回った時の恐ろしさよ。
被害者男児との間に授かった子を加害者女性が出産しようとすれば、裁判所だろうが被害者男児本人だろうが「罰として堕胎しなさい」とは命令できないんよ。
女性に対する堕胎の強制は、たとえ相手が性的暴行の被告だったとしてもこの上ない人権侵害だから。
例えば、親元を離れホームステイとかに行った男児が、ステイ先の主婦にいたずらされて、その主婦が出産を強行しようとするような事件が起きた時、誰も主婦の行動を止めることはできない。
かくして加害者女性が出産を強行すれば、被害者男児にとってはなすすべもないまま、被害を受けた上に加害者との間の(偽物の)愛の結晶もこの世に誕生させられて、その結晶を抹殺できないばかりか逆に養育費まで払わされるというこの世の地獄に突き落とされる。
子作りは個人の「子を持ちたい」という願望への依存だけでは、必要十分ではない。→人間が生まれる源である、共同体の維持、持続性には個々人で子作りの負担を分担しようとしないと維持できない。結果的に、今より格段に貧しかった先祖の苦労で生存できているのに、自分の代になれば、辛ければ後世を残すという責務はなくて良いのか?子作り育児の困難をいかに取り除こうとするのではなく、絶対に負担がある子作りの困難をいかに受け入れられるようにするかが肝心。子作りの「位置付け」を、苦労で諦めてしまう「個人の意思や願望でもうけるもの」から、個人、および共同体の持続性に必要不可欠なものと位置付け、税のように広く必ず「共同体で負担すべきもので個々人が協力すべきもの」へ。現代人の自由と人権を守って、貧しければ子供を作らずに少子化でどんどん日本人が減少し、移民主体の国に置き換わっていくか、個人が貧しくても子育ての負担を受け入れて生き残るか、突きつけられる究極の2択ーー。いや、子を持ちたい人を支援すれば、子供を欲しがる人の意思だけで、増えていくハズ←増えませんでした(確定事実・少しでも出生率が改善しているわけでもないので、量が不足していると考えるより、方向性が間違っていると考えるべき)。
【出生率低下の原因】
・現代は昔と比べて出生の要素が減少した(子作りを個人の意思でコントロールできるようになった)。
→出生率が高かった時代の子が生まれてくる要素は①「子を持ちたい願望」に加え②「農業の労働力や後継男子が生まれるまで子を作ろうとした(インセンティブがあった)」③「道楽としての性欲」④「避妊、堕胎がなかった」←そもそも出生率が高かった昔も親の子供を持ちたい希望だけで、人口が維持、拡大できたわけではない。つまり、本意でないのに作っていた群もいて、その結果、人口が維持拡大できた。いわば、不本意でない出生が人口維持や増加を支えていた。もちろん苦労もあり、苦労と出生数はトレードオフの関係だった。
→しかし現在の日本(他の先進国も)は①子を持ちたい願望だけの「一本足打法」になった
→子供が生まれる要素が減り、これだけでは出生率2以上には足りない。もともと、子供を持ちたい願望のある世帯だけでは、出生率2に足りない。
・個々人にとって結婚や子作りに消極的な主な理由は経済や環境があげられるが、人間社会にとっては少子化になったのは願望や愛情をそそぐ満足感を得るためのものになった(子供の位置付けが生産材→消費財へ)
・原因は子作りや結婚の経済や環境的な障壁ではなく、障壁に感じるかどうか。
→それは、結婚や子作りが個人主義の台頭でほぼほぼやるべきものから、個人の裁量の対象になり、個人の志向
に依存することになり、(例・ペットは狩りができなくなったのは、ペットに聞けば狩りは難しい事を原因に上げるが、本当の原因は人間に飼いならされてしまったから)
・理想の子供の数の平均は2.5人程度だが、これは貧しければ簡単に諦める人も含まれる「熱量」が全く考慮されていない数値。資本主義という制度上、必然的に存在する貧しい層の存在に対し、「賃金を上げられれば」など、無責任で実現できないタラレバを唱えても時間の浪費と共に少子化が進行するだけ。
・したがって、いくら育児支援をしても、子を欲しがる人の数が足りないので効果が出ない。アンケートでも、金銭面や環境面だけではなく、自分の時間が潰れるのが嫌だからという回答多数。
・先進国ほど少子化、豊かになるほど少子化 ←エンゲル係数は下がり、全自動洗濯機など家電は便利になり、家事負担も減り、保育所の整備は進み、待機児童も減り、育児休暇率も上がり、男性の育児参加も進んでいるのに、出生率は低下。結局、子作りや育児の負担がある限り、また別の何かに不満や負担を感じてしまう←不満や負担の問題解決ではなく、どのみち解消できない不満や負担を受け入れることが重要。
・個人が自分にとって最適な行動(コストや負担を避けるために子供を作らない)をするほど、出生率は低迷する
・過去と比べた場合の出生率低下の原因=1970年代前半まで既婚率97%、貧乏人でもほぼ結婚して子供を作っていた。「個人主義の台頭による子づくりの優先順位の低下」(経済や環境で諦める対象になった。子作りにおける世代間扶助より自己実現を優先)経済や環境は原因ではなく結果。
・昔「みんな必ず、大変でも子供は作りましょうね」→現在「子作りは各々の自由ですよ〜」→当然、経済的、環境的に大変な人は子作りを避けるようになる
・逆にいうと、子作り圧力などにより、先代が結果として自己の利益を犠牲(昔の方がエンゲル係数が高かった→昔は今より無理して子供を育てていた)にした結果、現代人が存在できる。
・社会のレールは「子作りと仕事の両立」ではなく、実際には「完全に仕事を優先」(新卒一括採用の掟)してしまっている
・教育費が高い問題→子供の数が少ないから、教育費に金をかけられる→金をかけるから金がかかるになる。
・負担を回避しようとする(無理=その間に少子化がどんどん進行してしまう)のではなく、いかに負担を受け入れてもらうか。出生を子育て世代の願望による産物ではなく、生物学的な道理、摂理に根ざしたものにすべき(人口維持に必要な数を目標にすべき)。→手順や方法ではなく、結果(出生率)に拘る。ターゲット戦略型にする
・子作りは楽ではなく、元々大変なもの→問題なく少子化が解決できる「魔法の聖杯」を探し続ける時間が長いほど少子化は進行してしまう。
・移民政策では、出生率低下により減り続ける日本人の少子化問題は解決しない。→単純に減り続ける日本人の代わりに移民と置き換わるだけで、共存が続くわけではない。X字のように、時間の経過とともに、人種構成が移民と置き換わるだけ。日本人がいなくなっても日本列島に移民がいれば解決ではない。
・少子化対策は質より量を目指す。数字ありきが正解。←質を保ちつつ、量を目指してきたが、結局失敗した(量が競争により質を向上させる面も)。
・出生の機序と誤解
→子供が欲しいから作る人が大半だが、全てではない。←ここがポイント。完結出生児数が2ならば、100%の人が結婚しないと少子化確定(そんなの無理)。
・そもそも、全ての人が最初から結婚し、子供を望んでいるわけではない。←生物学的にも子供は本能や希望だけではなく、元から全ての要素ではない。←あくまで授かって生まれた子供に愛情が芽生えるのであって、愛情が最初からあって作ろうとするのではない(本来は順序が逆)。
・労働ややりがいではなく、出生率を優先すべき。持続性が生命の大前提。それが担保された延長線上に個人のやりたいことや夢がある←人間は目先の報酬を優先してしまう
・子作りは生物学的原理なのに、個人の価値観の対象としてとらえらてしまっている。→生物は自己の価値観に合致しているから子供を作るわけではなく、あくまで本能。人間は生物額的本能が退化してしまった可能性がある。
・共同体の持続性は、個々人の負担で達成される。(個人の利益と相反)共同体というプールがあるから、人間が存在できる。一代(今の自分自身)の人間の利益を最大化すると共同体の持続性が毀損され、やがて人間は少子化によりどんどん存在できなくなる。
・選択肢が多いほど不幸になる「選択のパラドックス」江戸時代の農村は結婚相手が限られていた
・「出生率向上の目標」は子育て環境の満足度や子作りの納得感を上げることではなく、出生率の数値を上げること。子育て世代の満足感の向上への努力は出生率向上に繋がっていない。納得感、満足感ではなく、出生率の数字向上を重要視する(少子化は感情やモラルや倫理観ではなく、「数」で決まる現実を受け入れる)
・子供を増やすことによる副作用より、まずは頭数が重要。無理に増やすと、問題も増えるといって対策を打たなければ、プラマイゼロではなく、出生率低迷の長期化による出生数減はどんどん進行する。
・無理やり増やそうとするデメリットより、少子化のデメリットの方がはるかに大きい(子供を無理に増やすことの問題が増えても社会は持続できるが、少子化は時間の経過で物理的に絶滅する・例=癌と一緒。痛みがなく治る方法を探しているうちに、どんどんガンが進行して取り返しがつかなくなる。
→痛みがない方法はあるかもしれないが、見つからない段階ならさっさと痛みを堪えて切除するしかない)。現状は、「賃金を上げよう。環境を改善しよう」と雀の涙の給付と無責任な念仏を唱えるだけ
・子作りは自由だから逆に責任が生まれ、責任回避の動機から減ってしまう。
子供を作る方法自体は、性交渉であり、実は簡単。動物の繁殖もやることは分かっているため、簡単。ただ、現代社会で性交渉の機会を増やすことは非常に難しい。また、人間で難しいのは人権があるという点。逆に言えば、出生率が改善しにくい原因は子育て世代の人権保護を「優先」する為と言える。さらに逆に言えば、かつての子育て世代は周囲のプレッシャーなど窮屈な思いをして、自己実現や生活水準を我慢した結果とも言える。10割、自分の為に生きるのではなく、3割は次世代の為に負担を受け入れるという考え方の共有が重要。
・子作り(親世代が子世代を作って育てる=「世代間扶助」)の重要性を教え、その価値観を社会と共有する
→親や先祖による世代間扶助(子作り負担)の結果、現代人が存在できるという仕組みを、しっかり社会で共有する(自由や人権を主張できるのも、親や先祖の子作り負担の結果、出生できたから)←この因果関係をしっかり理解する。
→子を持つことを、子育て世代の「幸福の実現手段の一つ」から、社会的に共同体にとって「絶対に必要不可欠な原理」に変える。←子育て世代の子どもを作ることへの責任感の向上があり、社会からの協力も得られやすくなる。
→子作りを義務的に考えれば、必然的に教育競争は弱まる。現在は自由意志だから結婚も子育ても競争になる。(生物学的に必要不可欠な要素は競争ではなく、分配の方が結果的にうまくいく)義務的になれば、無茶な競争意識から解放され、育ってくれればとりあえずOKとなる。実は義務である方が責任がなく子ができた後は精神的にはかるかに楽。自由意志だから責任が伴う。
↓↓
・社会的に解決困難な課題、個人にとって避けたい行動を導くにはルールを作り、負担を社会全体で分担するのがセオリー。つまりルールを作ることが解決策。出生率が高かった時代も事実上、ルールとして意識されていた。
①ルール化と政府による積極的な子作り推奨・子作りの「社会的な位置付け」の変更←子育て世代の希望者だけ子供を作るのではなく、皆で分担して作る→結婚し子供を作る人が増えれば、相手も見つけやすくなる。
(個人として避けたい負担でも全体にとって必要不可欠な行動はルール化するのが古今からのセオリー、例えば税金は貧困者も負担する。国によっては徴兵制もある(こちらは国を守るために命を投げ出せと言ってる)
子作り子育て世代になれば、子供を作りましょう(もちろん健康に問題がある人は除く)
・子作りのタスク化(個人の願望の産物だと、モチベーションや環境に左右されてて必要な出生率を確保できない)
(政府は期待、支援するだけではなく、能動的に子作りを「要請し、積極的に推奨」する。あらゆる生物に共通する、共同体が持続するための『世代間扶助の原則(負担があるから持続する)』を説明すれば多くの人は理解できるはず)
・個人の「幸福の手段」の一つとして子作りを位置付けるから、幸福でないなら子供を作らないという行動になってしまう(幸福の手段という位置付けだから、基本「勝手に自助努力でやれ」になる)。大前提として子作りを「幸せの実現手段」ではなく、「個人の存在の源でもある共同体の持続性に不可欠な存在」と定義する。そうすれば子育て世代は子作りに対する責任感が生まれ、政府も会社も社会も負担を受け入れて協力的になるはず。
②有利不利で動機付ける
・実質的な「子なし税」の導入
人間は得をするための行動より、損を避ける行動を重要視する(「損失回避」=プロスペクト理論)例えば45歳以上で子供がいなければ、所得の10%を課税される→早めに結婚でもして子供を作ろうとなる。また、子なし税は応分負担の原則からいっても、共同体の構成や成立、持続性において必要不可欠である子供を作らないのに、福祉だけ享受するのは不公平という理屈もある
・多額の給付金(財源は一般会計とは別枠の「子供国債方式」で持続性を担保→時の政権の介入を防ぐ。不正受給を防ぐために日本国籍限定)
一生の納税額は少なくとも3000万円。1000万円配っても十分、ペイできる。
財源節約には、最初の動機を高める第1子と子供を増やすための第3子以降を手厚くする。親のパチンコ代のために無責任に生まれても、生まれてこないよりもはるかにマシ。
良いこだけ産まれてくればいい、という都合のいい解決策は存在しないことを良い加減、学習しましょう。現代人が存在できているのも、元々は祖先の労働力欲しさや性欲など打算の結果でもありす。もともと「子を持ちたい親の気持ち」だけで子孫たる現代人が存在しているわけではない。
・誰でも使える認可保育園や学童保育の24時間営業(バカ親に育児放棄されるより100倍マシ、育児負担感は大幅軽減、効果的な幼児教育もやればいい)
繰り返すが、人権や個人の自由などを一部、我慢して、仮に自身の環境が悪くても、後世を残すことに対する負担をしないと、共同体の持続性が損なわれ、やがて個人も少子化により、存在できなくなる。いわゆる移民政策を導入しても、減っていく日本人の傾向は変わらず、日本人が滅んで移民に取って代わられるだけで、日本人の持続性を担保できる政策ではない。
美人は目に止まるので誘惑が多い。
学生時代はヤンキーから狙われ、意志が弱いと断り切れずに付き合い、妊娠→堕胎→風俗というコースに堕ちがち。
社会人になれば、より多くのサイコパスから狙われ、性犯罪被害者になりがち。
ブスにはない苦労が美人にはあることも知っておいた方が良い?
https://anond.hatelabo.jp/20230826004627
私(平均的女)にやたらと絡んでくる超美人がいる。
最初は不思議だった。美人ってだいたい美人同士でつるんでるのに、彼女は自分より10段階くらい顔面レベルが下の私にめちゃくちゃぐいぐいくる。
最初私はなんか利用されるのかな、自分を見下して遊びたいのだろうか、と疑って誘われても5回に4回は理由をつけて断ったりLINEの返信をかなり遅くしたりしていた。それでもしつこくぐいぐいくる。
根負けして遊びに行ったり仕事以外でも夜電話したりするようになった。
顔さえ良ければすべてうまくいく、みたいな考えが昔より強まってきた気がする世の中。実際、見た目の価値は昔より上がっている実感がある。
そんな中、彼女は自分に浴びせられる好意的な視線や行動にとめどなく晒されてきた。
それは不美人にとっては羨ましい限りだが、実はそうではないらしい。
うまく説明できないのだけど、こう、自分が光りすぎていて他人の顔色がうまく見えないというか。だから不安になってしまい、自分を愛してくれる人を疑ってしまい、自分を好きじゃなさそうな人や自分を雑に扱ってくる人を好きになってしまうんだろうなと思った。
自分の見た目を利用して成り上がれる人もたくさんいる中、こういう美人もいるんだなと。
要は、彼女は誰にでも愛され慕われるという孤独を抱えていたんだなあと。不美人には想像ができなかったので新たな気づきだった。みんな知ってたのかもしれないけど。
だから彼女に媚びない私を彼女は気に入ったんだろう。何回も会ったりずっと話したりしてもベタ褒めしたり嫉妬したりしないから楽なんだろう。
媚びないというより美人を前にしても褒め言葉が口から出てこないコミュ障なだけだし、自分の人生にたいして期待してないから人とも比べないだけだなのだけど。
何より、私が彼女のことを別に好きじゃないのに気付いているからこそ私のことが好きなんだろうな、と気付いて切なくなった。彼女は自分のことを好きな人を好きになれないんだろう。
なんか女性活動家の人が「つわりって避けられないものだと漠然と思ってたので、先進国では普通に薬が処方されてると初めて知った時は驚いた」と書いていてバズっているらしいけれど、日本でも薬が処方されることを久々に思い出した。
うちの妻がひどい悪阻になって、栄養失調のために入院したんだが、その時は栄養剤のほかに吐き気止めの点滴を受けてた。
吐き気止めの点滴が聞いて病院食が多少食べられるようになったころ、食べられるなら食べてもいいという話だったので、カットフルーツを持って行って一緒に食べてたな。
ちなみに、吐き気止めが効かずに栄養失調が継続する場合、堕胎が必要になることもあると説明を受けていたらしい。
退院後も吐き気止めの錠剤を飲んで、あっさり目のものを食べて、無事出産までこぎつけた。
妊娠前に喜んで飲んでいたみかんジュースはつわりで吐いたトラウマからか全く飲めなくなったっぽいけれどね。
比較的女性への人権意識がある場所に住んでいたというだけなのかもしれないが、日本でも吐き気止めくらい処方されますよって話。
...産院勤務をしていたはずの実母の母乳信仰が強烈だったので、田舎だとそういう非科学的で前時代的な女性の取り扱いをするのかもしれないけどね。
曰く、その産院では人工乳は禁止されていたらしいが、そういうことするとおっぱいの出が悪いお母さんの子供が栄養失調になると思うんだけどな。