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はてなキーワード: 文学的とは

2020-05-31

キュー

 久しぶりにキウイを食べた。皮を剥いて食べやすいように切って…という作業は初めてやったから、そういう意味では初めて食べたとも言える。

 キウイという果物比較マイナーなほうだと思う。そりゃあもっとマイナーものはいくらでもあるし、10人に聞けば9人は絶対に知っているものマイナーだなんて!という感じもするのだが、イチゴとかブドウとかリンゴとかパイナップルとかが持っている華やかさのようなものキウイはどことなく欠いているような気がするのだ。そのあたりの点で俺はキウイがけっこう好きだ。

 キウイの表面には毛が生えていて、多分皮のまま食べたらヒドイことになるのだろうと予感させる。俺は幼少期に桃にかじりついて痛い目をみた記憶があるので毛のある果物必要以上に恐れているフシがあるが、それはそれとしてキウイの見た目は凶悪だと思う。小川洋子小説少女が山積みのキウイに次々かじりついて顔を果汁まみれにし、その汁がまるで涙のようだった云々というシーンがあってたいへん文学的だったが、その文学性より先に心をとらえたのはオイオキウイは剥いたほうがいいぜ…という思いだった。

 キウイキュウリは語感が似ているし、色も断面の雰囲気もなんとなく近い。だから子供の頃はイマイチ区別曖昧で、キュウリが育ったらキウイになるとか、あるいはその逆であるとか、そんなことを思っていたような気がする。頭の中にあった表記もたぶんキューイとかキュウイとかそんなものだったと思う。実際の発音もそんなものから仕方がないのかもしれない。

2020-05-13

プライベートコミュニケーションにおいて(知的)自信を与える

公的私信

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tl;dr

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前提

  • その場で個々人が「自信を与えられた」「自信を傷つけられた」と感じること自体相手によって尊重されなければならない。「あなたがそう感じるのが誤っているのだ」という考え方は、そこにどのくらいの誤解や無理解があるかに関わらず、表題文脈において無意味である

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「ある男がパートナーの女の(誤った)発言に対して毎回優しく肯定的に応じたのち、間違いを説明する」というカップルの在り方について、「優しく肯定が入る方が女性側の立場として自信が得られる」という考えについて。

基本的にこの構図がお互いの認識になること自体が mansplaining さがあって嫌なのだけど、それは表題文脈の下では脇に置いておいて、そこでの選択肢として、{肯定的/否定的}に応じ間違いの説明を{しない/する} という4通りにおいて、{肯定的, する} というのは確かに望ましい。まず、批判非難の違いが一般理解されにくいのは、批判否定的な口上は例えばその場が学問であるといった「場」があることで信頼が支えられていて初めて機能するので、それ以外の場で批判(正/偽)と非難(善/悪)が混同されることがあるのは、必ずしも混同する側が悪いわけではない(cf.SPEED今井絵理子議員の「批判なき政治発言)。その意味で、プライベートコミュニケーションにおいて、{肯定的/否定的}というのはニュートラルではなく、肯定的の方が心理的効果として望ましいといえる。また、毎回間違いの説明をすることは、毎回間違っているということに気づかされることになり自信を喪失しうるが、指摘しないままにパターナリスティックに傷つきやすにの配慮して放置することは相手反論したり、追加情報提示したりといったことを通して「相手の方が正しかった」という可能性に賭けないということであり、他者としての尊重に欠けるばかりか、相手の成長の機会をも奪うことになる。ただ、陰謀論的だったりオカルト的だったりといった特定バイアスを含む情報ばかり拾ってくることは、一朝一夕改善するものではない。そうならないためには相応の努力知識必要なのであって、場合によっては、ずっと同じ構図を繰り返しその構図がお互いの認識になるということが生じてしまうかもしれない。そのどうしようもないギャップを、他の側面で補うことで相互尊敬を維持できるならば、これは問題として前景化しないかも。でも、その切り分けをせずに、繰り返し続けている誤りについて、口上のオブラートごまかしたとしても、少なくともそれは知的自信の向上までにはつながらない。自信を支える相応の能力実践、もしくは基礎的な肯定感が必要である

ここで、「もしくは」になるのは、「自信」の性質に拠る。(上のような話をしておいてリテラシー低めの引用をするのは気が引けるが、読みやすさを重視して、参考: https://diamond.jp/articles/-/78423?page=4 )自信を得るのに能力や実績が有効ではあるが、能力や実績がなくても自信が得られないわけではない。生来自己肯定感などによってそれは変わる。逆に言えば、そこが低いと、小手先で何をしたところで、自信は低いままにもなる。病的であれば、薬によって脳内神経伝達物質バランス改善を図るということも視野に入れるべきであるしかし、そこまででないならば、「他の側面で補うことで相互尊敬を維持」という意味で「愛されている」という実感による基本的肯定感の向上などが有効でありうる。逆に言うと、自分を愛さな人間と一緒にいることは、自己肯定感の側面からかなり危ない行為であることに留意したほうがいい。ここで、愛も、条件付きの愛とそうでないものがあるが、条件を、性的ものや、ある1つの能力的なもののように一側面の条件に頼っていると、それは脆弱になる(というかそれは愛ではないと思うが)。条件付きであっても、それは、条件と等価以上に為されるものであることで(cf. 信頼と信用の関係、『信頼の構造』を想定しているけど、アドラーでもなんでも同じようなこと言ってる) 肯定感を支える愛になりうる。

少し話をもどして、プライベートコミュニケーションにおいてそもそも正しいことが必要かどうかというのも一考の余地はある。例えば、「今日は空が赤いねぇ、不吉な感じすらするねぇ」という言葉に対して、「空は予言能力はない」なんて返したら、その返しすらギャグである場合を除いて、「科学的に正しいこと」に重きを置きすぎていると言われてもしょうがないだろう。いつもいつも科学的な正しさを持ち込むべきではない。一方で、「〇〇という薬が効くそうだよ!」という言葉に対して、「それは××という危険性が指摘されていて安易に飲むべきではない」と応じることは、プライベートの場面であるとはいえ、いやむしろ、服薬するという最も実践的な場であるからこそ、科学的正しさが適切に活かされなければならない場面である政治的な発言については、例えば「#検察庁法改正案に抗議します」とだけ呟いた芸能人に対して「なんも分かってないだろ」といったクソリプが相次いだけれども(それ自体は具体的ではない発言に具体的ではない形で具体的発言のなさをなじっていて全くクソリプしかないと思う)、そこで立法の背景の正当性についてどう思うかと問うこと自体は(数の暴力を伴わなければ)議論を深めるために民主主義的には望ましいコミュニケーションである。それがTwitterのようなパブリックな場ではなく、プライベートコミュニケーションにおいても同じく妥当する。ただ、政治的な話をすることというのは、それ自体が嫌がられるし、議論となるともっとそうだ。特段の配慮必要でもある。学問的な話なら、それが宇宙人存在についてであってすら、正しさはむしろ娯楽のために重要である。それが(学問ではなく通俗的意味での)文学的な話ではないと相互了解があった上ではあるが。つまり、「タコ型の宇宙人って歩きにくくない?」から始まる会話は科学的正しさによって楽しもうという意思は見られないので、それはまるで漫才相方のように応じればよいのである。{正/偽}をコードとしない意外と多くの場面でも正しさというのは実用的にも楽しさの面でも重要なのであり、それが、「知的レベルが合っていないと楽しくない」というのがよく言われる原因でもある。もちろん、賢いなら相手に合わせることもできるのだが、それは冒頭の話に戻る。そのパターナリスティック対応は、相手尊重しているのですか、と。

2020-04-30

anond:20200430182248

他のレスでも言われてるけど、

「えっ法的には東京裁判で決着付いてるけど、まさかそれ否定するんですか?

残るは文学的意味しかないけど、それここで表現するのはちょっと難しいですねー」

てことだろう。

2020-04-15

今日から絶対面白いであろう「BEASTARS」を見ることにする。

漫画あんだけ売れてりゃ、もしアニメの造り手がヘボだとしても面白い筈だよな?

動きがディズニー

随分と文学的作品なんだね。

この先どうなるのか分からんけど。

2020-04-02

ギリギリ持ちこたえている

こういう文学的表現じゃなくて、何がどうなったら緊急事態宣言するのかを言いなさい

2020-03-25

ワニ1日目から読んでたけど

初日テレビ見てけらけら笑うだけのワニ→死まであと99日(デデーン

2日目は1年待ちの雲ぶとんを嬉々として注文するワニ→死まであと98日(デデーン

っていうブラックジョーク風味がわりと強かったから今の騒がれっぷりに困惑している。

なんか気づいたら感動もの的な受容をする人たちがゾゾゾッと増えてきて「あれ?これってそういうやつだっけ?」と戸惑う感じ。

でもまあ実際、ワニの交友関係恋愛模様が深掘りされるようになり、キャラクターに深みが出てから触れた読者にとってはブラックジョーク色よりもキャラクターへの愛着が強いコンテンツになっているだろうし、作者も作者で人間からスタイルは変わるだろうし、こういう解釈の食い違いは「途中からでも入りやすい」コンテンツにはよくある問題かもしれん。

実際自分もワニたちに日常系アニメキャラクターへのそれに近い愛着が湧いたし。

100日目はどこか不条理文学的な読後感があって結構良かった。これは漫画構造上1日ずつ日めくりカレンダーのように読んだ人にしか訪れないものだと思うので、完結してからのこのこやってきて「つまんないじゃん」とマウンティングする乗り遅れブクマカコメントは読む価値がない。ほんとお前らネット話題勝利宣言の道具にしか使わないよな。

いきものがかりコラボとかプレイリストとかも「う~んそっち方面か~」とはなったけど、自分の好みじゃないからってここぞとばかりに罵倒し始めるのもそろそろやめような。

話が逸れたけど、そういう「ブラックジョークから日常系への変容」という経緯を踏まえるとやっぱりグッズ等の即日展はいただけないな。

グッズ販売ポップアップショップコラボカフェその他を、生前から100日目の直前まで展開して「ワニくん安らかに…」的なお見送りムードを作った方がよかったんじゃないかな。

たぶん最初に触れたブラックジョーク路線に振り切ったまま100日目を迎えたら、死去直後のグッズ展開やポップアップショップもそういう文脈で(好悪はあれど)ある程度は受け入れられたのかもしれない、とも思った。



でもそうはならなかった。ならなかったんだよ、ロック。だから――この増田はここでお終いなんだ。

まあ俺らド素人は、アニマル連邦でも読んでなさいってこった。

2020-03-13

弟の自己肯定感を奪ってきた

anond:20200313103330

これをすまん……すまん……と思いながら読んでいた。増田は長女である

元増田姉御さんとは確実に別人なのだが、まるで自分に当てられたかのように深く突き刺さる。

他ならぬ私が、弟の自己肯定感を奪って生きてきた姉だからだ。

エピソードは色々あるが、ともかく「優秀なお姉ちゃん」として育ってきた。

中学までは成績はクラストップ、部活レギュラーだった。

一方、弟は中学最初テストで大きくしくじり、親にこっぴどくしかられる。

習い事は弟と共通して通ってきたものが多いが、

ピアノ子供教室首席まで登りつめた姉の傍ら、弟はすぐに放り出し、珠算水泳階級でも姉を上回ることはなかった。

同じ高校受験したが弟は落ちてしまった高校受験、などなど。

その度にこちらの意思とも関係なく、弟は姉と比較され続けた。

特に象徴的なエピソードがある。

弟が小学校低学年のとき自由研究として地域文学コンクール俳句を応募することにした。

ところが後に理系となる弟には文学的興味が全くなく、作業は難航。最終的に頼まれて私が9割考えたものを持っていくことに。

ところがその俳句が、なんとあろうことかコンクール入賞してしまったのだ!

私も同コンクール小説部門で受賞した為、兄弟受賞と囁かれ、共に授賞式にもいった。

このとき感情といったら、「やってしまった……」というほかない。

「元はといえばお前が自分で考えず人に頼んだりしたからだ」と非を責めることは出来る。

が、そういう問題ではない。私が弟の自己肯定感を奪ってしまったのだ。

弟はその後も自分のものでない功績で人に誉め続けられた。学校表彰され、成績表に書かれた。

本当は自分のものではないのに。

果たしてどんな気分だったろうか。




幸いなことに、弟はその後THE末っ子気質パリピコミュ強に進化した為、彼が深く思い詰めるようなことは起こっていない。

私が高校時代勉強より芸術に傾倒し、どうしても行きたい専攻が難関校になく低学歴で終わったこと、

弟と私の得意分野が芸術的な文系コミュ強な理系真逆であること、

弟もまた高校以降優等生になったこと、

親と確執を持ったのが自分の方であったこと、

など数々の状況に恵まれ、今でも週末一緒に遊べるような良好な兄弟仲でいられている。

だが、ふとした時に「増田の方が俺よりずっと優秀だからね」とか寂しそうな顔で言われると、つけた傷がまだ残っていることに気付かざるを得ないのだ。

君のが数学が出来て学歴も良くて友達も多いのに何言ってんだ。もっと自分のいいとこ見てろ。

2020-02-09

良い女と良いセックスをすることについて

 良い女と良いセックスをしたい。

 飯を食うとか、仕事するとか、俺のありとあらゆる行為理由コイツだ。

 良い女、とはどんな女だろうか。肩ぐらいまでのショートカットであるとか、屈むと2リットルペットボトルがぶら下がってるみたいになるタイプ巨乳であるとか、下着には自分なりのこだわりがありますだとか、色々あるけれど、とにかく一緒にいて楽しい女、のことを言う。

 良いセックス、というのはどんなセックスだろうか。良いセックスには良いストーリー必要だ。大阪道頓堀だとか京都河原町だとかにあるひっそりしたバーで偶然隣りに座った女と好きな小説の話で意気投合。そのうちお互いの悩みだとかを話し合い、今までの恋人の良かった所、悪かった所、両親の変な癖だとかをざっくばらんに話していくうち、向こうはどんどん機嫌がよくなって最後に「なんだか、すごい楽しいわあ。明日休みだし幸せー!」なんてすごい嬉しそうに満月のようににっこり笑った後、突然雲が掛かるみたいに妖しさを含み始め、そっと低いトーンで「この後どうする?」なんて囁かれ、そのままさっさと会計済ましてラブホホテルに行き、ぐっちょんぐっちょんになった後、始発に乗るために誰も居なくなった早朝の繁華街を二人で歩く、みたいなのが理想ストーリーである

 俺はそんな良い女との良いセックスを求め、マッチングアプリ登録した。何人かの女性と会い、実際にセックスまでした事もあったが、良い女との良いセックスなんてのは一切無かった。

 マッチングアプリ出会い簡単セックスできる女とは、つまらないセックスしかできなかった。こういう女には面白い共通点があって、会う前に「私ブスだけど良い?」とか「私太ってるけど大丈夫?」とかそんなことをご丁寧に確認してくる。当時俺はよくわからなかったからとりあえず会ってみたけど、本当につまらないセックスしかできない。これを読んだ男はよく覚えておくと良い。

 まず勘違いしないで欲しいけど、ブスでもデブでも良いセックスをする女は居る。つまらないセックスというのは、その最中に俺の身体が突然バイブか何かに変わったとしても、相手はそのまま喘ぎ続けているんじゃないだろうかと白けるようなセックスのことだ。ま、仮につまらないのが目に見えていてもセックス出来るならするけどさ。

 マッチングアプリに見切りをつけた俺は、次なる戦場として読書会を選んだ。細々と活動している小さな読書会だった。課題図書面白そうだし、なにより場所道頓堀の近くだったため、俺は良い女との文学的で良いセックスに想いを馳せながら読書会へと向かった。

読書会に参加した俺は、皆思い思いに感想を述べる女達の良さにグッときつつ、反省していた。読書会は非常に、本当に、心の底からしかった。それは純粋読書会を楽しんでいる参加者や、楽しい会にしようと努めている運営の方々のお陰であり、そんな中セックスどうこうなんて考えていたのが、本当に失礼だと思ったからだ。俺はクソだ。

 読書会が終わり、一人夜の道頓堀を歩く。俺も結局、セックス以外に自己確認手段がないつまらない男だ。 良い女は俺なんかとは遊ぼうだなんて思わないだろう。マッチングアプリをやっている良い女は俺のつまらなさを易々と察知したことだろう。良い女は良いセンスも兼ね備えているので敵わない。

 良い女と良いセックスをするには、当然だがなによりも自分が良い男でなくてはならない。どうしたら良い男になれるのだろう。だが、良い男になろうと思って何かする時点でクソみたいな男にしかなれないということだけはハッキリとわかる。結局は才能と運だと俺は思う。本当は運も才能に含まれるのだけど、才能だけっていうのはあんまりな気がしたからそこは分けた。

 俺も、マッチングアプリ蔓延るクソみたいな女も、才能と運が足りなかった。悲しいな。一杯飲もうぜ。なぁ、セックスしよう。いやいや、君は自分が思っている以上に可愛いって。特に目元とかキュートだ。こんなしょーもないメンタルのままじゃお互いダメだろうけど、最近なんか寂しいし、今日くらいはええやん?

 道頓堀の街は賑やだ。なんばへ向かう通りはラブホテルが何件も並んでいる。カップルが目の前でラブホテルへと入っていくのを何度も見た。彼らの何組かは今晩、良いセックスをするだろう。俺はせめて良いオナニーをしてやろうと心に決めた。

2020-01-20

君が好きだった

君のことが好きだったし、こうして距離が出来てしまった今も君のことばかり考えています。どうして、と君が問うたびに俺は誤魔化していたけれど、本当はわかっています。君がとてもクズで、それでいながらクズである自分を受け入れられず、自分が真っ当な人間であると思い込んでいることが許せなかったからです。

こんなことを言うと君が怒って俺のもとから去ってしまうだろうから言えませんでした。君には理解できないだろうけど、許せないから惹かれるということもあるのです。俺からたらこ感情はある種の文学的な趣さえあるのだけれど、君からしたら気持ち悪いでしょうね。

多分君は俺のほうがよっぽどクズだと言うでしょう。そこに意見を挟むつもりはありません。俺のほうがクズです。でも、あなた結構クズです。普通の人のクズ度が10で、俺が50だとしたら、君は30くらいじゃないかな。こんなこと君に言ったらきっと瞬間的にヒステリックに怒ったあと、黙りこくって、俺が何を問いかけても何も言わなくなるんでしょうね。目に浮かびます

そういうところがずっと許せませんでした。許せないから好きでした。いつか君に、君のしていることがいかに卑しく、悪逆で、人の心を踏みにじっているか伝えたかった。君が人並みの幸せを願うことすら烏滸がましいクズであると認めさせたかった。だから俺は君のことが好きでした。

でも俺は疲れちゃったみたいです。もう君のことをそうして傷つけるだけの元気はないみたい。きっと長く一緒に居すぎたのだと思います。君のことを好きになりすぎてしまいました。俺に甘える君の素振りも、俺を甘やかしてくれる君の薄汚い優しさも、君の心の弱さも、何もかも愛しくて、何もできなくなってしまいました。

から、いつか君がとても愛した俺じゃない誰かに、君が生まれるべきですらなかったクズであると突き付けられることを祈ります。もしそうなっても、死んだりしないで下さいね。出来れば俺に連絡して下さい。傷ついた君の心が壊れないように、俺が癒して、また少し壊して、そうして限界くるまで見守ってあげるから

2020-01-06

anond:20200106162016

男としてのジェンダー疲弊したこと文学的表現でしょ

"子宮の重み"ならシリアスにとらえられるのに金玉ωだと笑い話になってしま男性の悲しみ

2019-12-26

増田へお別れのお手紙

社内ニート生活数ヵ月、ついに配属の知らせが入った。

年明けから配属らしい。この虚無のような生活も年内限りとなる。

ニート生活中もいろいろ資格を取ったり勉強したりは一応ちゃんとしていたが、

常にそれと言うほどモチベーションは上がらず、合間にどうしてもネットサーフィンをしていた。

その中の一つが増田である

それまでも増田に書き込む事はあったが、数ヵ月に1回ぐらいだ。

何かどうしても吐き出したいが、SNS等非匿名で喋るのは何か気が引けるような事を書き残して去るという事だけだった。

いつまでもその動向を見守っていたり、トラバブコメを見返す事もなかった。

所謂SNSの「タイムライン」に当たるような増田トップページを眺めた事もなかった。

まりの暇さに、俺は増田トップページを眺めるようになった。

他人エントリーを見る事を覚えた。

次にトラバを付ける事を覚え、レスバする事も覚えた。

「横だけど」と個体性を主張する文化も覚え、それを逆手に個体人物関係をわざと偽る奴がいる事を知った。

敢えて自演したり馬鹿を演じて話を盛り上げようとする奴がいる事も分かってきた。

ほんの1ヵ月ぐらいの間だっただろうか。だんだん増田の事が分かってきた。

匿名であるSNSIDつきで実質半匿名ぐらいである5ちゃんの事も知っている。

増田面白さは個体識別されない事だ。

AさんとBさんが話しているように見えて、実は途中からAさんがCさんに変わっている事がある。

元増田意見に立てついて支離滅裂に暴れているDさんが、実は元増田本人という可能性がある。

5ちゃんIDがあり、IDなしや新規IDというものを見ながら個体識別できる。が、増田は完全にできない。

増田面白い。戦略の組み立て方が自在だ。言っちゃなんだがゲームのようだった。

その上内容はノンジャンルだ。頻出な話題はあるが、基本は何でもよい。

興味深い体験談や、釣りかもしれないが文学的面白文章が沢山あった。

来月頭に配属になる。配属先ではこのように、会社から増田をするような事はなくなるだろう。

そして今日仕事納めだ。今日最後だ。

増田を見る事を辞める訳では無いだろうが、常駐的な事はできない。また以前のように数ヵ月に一回吐き出しに来るだけになるだろう。

日常に戻るだけとはいえ、少し寂しい気持ちになっている。

ありがとう増田良いお年を

2019-12-15

anond:20191215135811

そこで不遇ということを表現するのに美醜の差を使っちゃったところが、ルッキズムの強化をしてしまったのではって話かも。

サヴァン症候群アヒルの子、とかならどうだろうか…

幼少期に文学的センス理解されえなかったアヒルの子、とか…?

2019-11-28

経験経験として話して、半分も伝わらないのは当たり前だろ!

人間言語化能力をどこまで過大評価しているのか(コレに尽きる)

3行で言いたいことを伝えろというのなら、増田タイトルと一つ上の行を読み直してくれと言いたい。

ある瞬間の経験はが他者に100%伝わることはない。

それは次の瞬間の自分に対してもだ。

日食べたご飯の内容を思い出して、味を舌の上に再現してもそれが100%にはならないだろう。

「フフン、俺はそういうの得意だから美味しさが120%再現されるぞ❥」と自慢したい人もいるだろうが、ある部分が120%になってしまっている時点でそれは精度的には100%の再現からは程遠いということを理解して欲しい。

かに伝えたいなら体系化して知識に変換すべきであり出来るなら定量化すべきである

逆を言えば、定量化できないようなもの相手に100%伝えることは絶対不可能だということだ。

そして、一見すれば知識として変換できたようなものでも、お互いの使う言葉定義などによりいくらでもズレが出る。

日本語の使い方は人によって全く違っていて、たとえば背の高い人という言葉を使った時にどれぐらいから背が高いと定義するのかは人によって結構な差が出てくる。

これが外人かになれば全く違ってくるわけで、生きた時代が違う人間価値観や肌感覚は時に同じ時代を生きる外国人なんか目じゃないぐらいに誤差が出てしまう。

それはまるで地獄のような、といった文学的しか表現しようのないものを持ち出すのなら、もはや意味が全く通じない可能性すら考慮しなければいけない。

知り合いにこんな人がいるんだがと言われても20%も伝わってこない

共通の知り合いであっても、お互いの認識するイメージにある程度のズレが生まれるのだからあったこともない人間を正確にイメージするのは不可能だ。

僕の知り合いのこの人が実際そうだったじゃん、つまりさ、分かるよね?はまずまともに通じないと思っていい。

多少は分かるかも知れないが、多少で止まる。

それ以上を求めるのなら、お互いが知っている人間を持ってこなければどうしようもない。

経験経験のまま語っておいて、それが通じると思ってはいけない。

話が伝わらないときその原因が相手にのみあるように想像していいのは貴方が神になってからすべきだ

もしも4行目が許されるなら、この言葉最後に伝えたかった。

2019-11-05

anond:20191102151637

ゲームが好きで一時期ゲーム会社にも入った私から意見

少し長くなるが議論を聞く余地がありそうな書きぶりだったのでよかったら読んでほしい。

私は高校生までこの方と同じような状況と考えだった。

時間無駄。何が楽しいのかわからない。

時間もやる連中の気が知れない。

映画が好き。

私の兄は子供の頃からゲームが大好きな人だった。兄弟お年玉を共有財産として使ってしまう人で、私が無欲だったのをいいことに私のお年玉自分お年玉と合算してゲームを買ってしまう人だった。

(いま思えば兄への不信感はこの時からまり以後数十年続いているのだけどそれはまた別の話)

自分はそれこそゲームなんてまるでなんの興味も関心もなかったし、シューティングゲームだのRPGだの、そういったゲームを兄が夢中になってやるのを、冷めた目で見ていた。

めしにやってみなよと言われていくつかやってみたものの、ぷよぷよはどうしても半魚人に勝てないし、星のカービィかわいいキャラクターの動きを見るのは楽しいが見てるとボタンがうまく押せないし、

ファイナルファンタジーお話があったので兄がプレイしているのを後ろで読むのは好きだったが戦闘レベル上げが始まるとくそ面白くなくて見なくなり、そうなるといつの間にかシナリオが進んでいて結局話についていけなかった。やるにはやるが面白いと思ったことがなく、ゲームクリアする達成感なんて得られたことはなかった。

とにかく、ゲーム男の子が好きなもの女子によさはわからない。そういう割りきりをしていた。

初めて自主的ゲームを買ったのは高校生の頃だった。新聞の一面広告

クーロンズゲートというゲームだった。主人公らしきサラリーマンの実写の顔部分がライターかなにかであぶってあり、焼けて穴が開いている。

写真の背景になっている香港特に九龍城塞のこともこのとき初めて知った。

何とも言えない一枚写真エキゾチックさに魅了された。

それまで自分は新しくてきれいな場所やモノが好きだった。おさがりのカバン勉強机は嫌いだったし小汚い祖母の家は嫌いだった。

建物も街も新しいほうがいい。

だけどそのゲームデザインは「臭くて異臭を放つグロテスクで暗く汚い街」を全面に見せていた。いわゆるデカダンスとかそういう美学と初めて会ったのがこのゲームだった。

汚い街でもゲームなら歩ける。

今思えば、サラリーマンの顔が焼け落ちていたのも主人公あくまプレイヤーといいたくてそう言ったデザインだったんだろう。実際ゲーム主人公の姿かたちの明言は一切なく、始終一人称視点で進むものだった。

ぞわぞわした気持ちで、気が付いたら予約購入していた。よくわからないもの高校生が一万円弱の出費(初回特装版)。どんな話なんだろう、これはどこだろう、とにかくこれが何なのか知りたかった。

どうやらこのゲームをするのにプレイステーションが必要しかった。

当時は人気商品でなかなか入荷しなかった。

ゲームソフトはその後たしかすぐ手元に届いた気がするが、プレステ本体を手に入れるのにはそれから半年前後かかった気がする。

この値段ですといわれたものを言い値で買うのは初めての経験だった。

本は中古屋で買っていたし、映画はなるべく安くなる日を選んでいた、バイトもしていない高校生が万単位のものポンポンと。今思えばケチの私が、異常だった。あれはなんだったんだろう?

今思えば妙な突き動かされ方だった。

実際初めてプレイしたゲームはいろいろ苦労したが、私はそのゲームを何とか一年半かけてクリアした。

世の中ではこのゲーム香港返還前にプレイし終わるのが目標みたいに騒がれていたが、コントローラーを握るのがほとんど始めてみたいな私には無理な相談だ。とにかく自分のペースでやった。

なぜこんなに時間がかかったのかというと、それは主に敵の出るダンジョンが怖かったからだ。

よくyoutubeホラーゲーム実況チャンネルが軒を連ねているが、見るのとやるのでは怖さが違う。自分でやりたくない人が実況動画を見るのだなと思った。

ひたすら人気のないダンジョンをたった一人だけで、進む怖さ。

しろ敵が出るとホッとした。私以外の生物がいる。

私はその時はゲームプレイしているわけではなく、そこに、本当に、自分風水師として香港を歩き回っていたように感じた。

クエストをこなすと人に感謝された。たまには、「余計なことを」と感謝されなかった。

高校生が実感したことのない大義任務と達成感がそこにあった。中毒になった。

新しい街に踏み込むと、探索にわくわくした。

やり始めて数時間は町並みに圧倒されつづけ、その後数時間は不気味なキャラクターたちのセリフに魅了され、シナリオが半分も進んだころには再びぞわぞわした得体の知れなさに震えた。

これはもしかしてマスターピースともいえるとんでもない名作を手にしたのではないか?という興奮だった。

実際には、世間評価は厳しく、「一部のマニアックもの好きな人カルト的人気を誇った」作品という扱いだったが。

あとから調べれば調べるほど、台詞や要素がすべてオカルト的、文学的歴史的な裏打ちがあり、ゲーム攻略本には荒俣宏が何ページもコメンタリーを載せていた。

最初に触れたゲームがこの作品でよかったと思っている。

今のゲーム業界で当たり前になっているオープンワールド自分自由散策できる世界)がはやるのはこういうことなんだろうと思う。

画面の向こうの世界へは肉体の隔たりがあるはずなのだが、脳は単純で勘違いをする、ここにいると。

昨今の現実区別のつかないグラフィックではなおの事だ。

ゲームクリアした後も、あの世界、あの自分立場や仲間たちが恋しくて香港に帰りたい」と何度か思った。

実際、啓徳空港が閉鎖するとニュースで聞いて、いてもたってもいられなくなり、初めてバイトをして、一人で旅行会社を見つけて香港へ行った。

写真を、フィルムで15本とって帰った。現像に出すと全部で三万はした。

なぜか初めていった海外、初めて行った香港は懐かしかった。

これでしばらくはホームシックにならずに済むかも、とすら思った。

高校生活は退屈で何にも覚えていないが、香港孤独活躍世界を守ったことは覚えている。

少なくとも、私は、ゲームは疑似体験のものの楽しさだと思っている。

ゲームメイカーが作った世界でもう一つの自分可能性を体験する。

風水師自分、どこかの国の王族である自分アンドロイド自分人間以外の何かである自分……。

PS4CMコピーが「できないことができるって最高だ」だったんだけど、これを見たときニヤリとしてしまった。

CMのなかで人間が空を飛んでいたからだ。

わかるわかる。そういうゲームをやった後って、夢の中でも飛び始めるんだよね。自分がね。

デトロイト」をすると、何度も人の命を自分が預かるシチュエーションに陥る。

選択肢を求められると、自分がどんな人間なのかを考えさせられる。そしてその結果を見ることができる……。

不思議なのはゲームと分かっていても、人を犠牲にしたり殺す選択肢を選ぶときは心が痛むことだ。

ファイナルファンタジー15」をしたときは突然できた「昔から友達」と、一緒にキャンプして初めて訪れる街を散策して、楽しかった。

CALL of DUTY4:MODERN WARFARE」でうまく敵を倒したとき上官から「beautiful!」と褒められて本気で照れてしまった。

本や映画あくま他人人生だ。

誰かの選択客観視して、共感したり、理解しようとしたりする。

ゲーム映画と違うとすれば、映画は途中で寝落ちしたとき、しょせん他人人生から目が覚めた時にすでに登場人物決断し、エンドロールが流れているが

ゲームは起きたときまだ問題は目の前にあり、「さあどうする」と選択を迫ってくることだ。

自分が一体どんな決断をしてどんな装備を選んで進んだかを、ほかの人と話したり、ほかの人のプレイ実況動画を見ることで比較して楽しむ遊びも残されている。

デトロイト」や今度発売される「デス・ストランディング」はCG技術の向上でほとんど実写と見まがうばかりだ。

一本の映画を見ている気分になるし、プレイするとうっかり自己体験混同しかけるほどだ。

デトロイトプレイしたときは私はしばらく現実に戻ってくるのに苦労した。

登場人物に実際の俳優モデルにされることもあるし、シナリオ映画脚本家が手掛けることも今では珍しくもない。

俳優にとっても映画ゲームの内容は変わらなくなってきているのかもしれない。

DEATH STRANDING』TGS2019 ノーカット プレイ映像9月14日ステージイベントより) https://youtu.be/D10J89jgZHc

シューティングRPGアクションその他のジャンルに関しては省かせてもらったが、

そちらが好きな方の意見も読みたいのでぜひ誰か書いてほしい。

モンスターハンターなどヒット作だと、会社で別部署の初対面の人と突然ゲーム仲間になれたこともある。

就業終わり応接室や居酒屋で同じゲームプレイする共有体験は本や映画以外ではスポーツしか思い浮かばない。

eスポーツというくらいだからスポーツに近いのかもしれない。

ちなみに、ゲームボケ防止になるという研究がある。

https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0187779

70歳を超えた父が最近どうも物忘れが激しいのでマインクラフトプレゼントした。

モノ作りが好きな父には、モンハン(狩り)より、木を切って家を作るようなゲームが好きだろうと踏んだからだ。

予測は大当たりで、父は寝食を忘れてはまってしまい、母が食事で読んでもなかなか来ないといって、ゲームを与えた私が変わりに怒られてしまった。

半年後に実家に戻ったら、父はゲームの中でそれはそれはでかい光輝くピラミッドを作っていて肝が冷えた。

自分の墓かよ。

2019-10-31

名前の読みを変えたら人生楽しくなった

なんで100点満点の女の子に生まれることができひんかったんやろな。

  

まれてこのかた自分は「歩幸(ほさき)」(仮名)だった。

自分は5歳ぐらいからこの名前が好きじゃなくて(なんだか女の子みたいで気持ち悪かった…)、中学生のころには周りの人間に下の名前をなるべく明かさないようになった。それは高校ときも同じで、一時期は一人称苗字だった。

大学に入って、一人暮らしを始めて、高校までの自分を少し断ち切ってネカマキャラがしたいなあと思って、通称名前をもじったあだ名にした。みんなから“やさきちゃん”と呼ばれる時、不思議本名で呼ばれるような嫌悪感は無くて、いつもと違う自分になれた気がして楽しかった。

それでも心の中にはみさきちゃんという手枷みたいなものが残っていて、自分ジェンダーを無理やり女の子のほうに引き寄せてくる。

嫌になって、実家母親相談した。20分笑われた挙句ビンタされ、「苗字を変えるのであれば親子の縁を切ります」と言われた。

(母親旧姓はびっくりするほどダサかった。だからイケ苗字父親結婚したんだと思う。ただ、その後父親発達障害が発覚しちゃって、最近話題チュートリアルみたく抵当を溜めて、めでたく離婚という運びになった。まあそれも10年前の話。でも、離婚すれば苗字旧姓に戻せるものを、しなかった。これアレですよね。苗字ロンダリングですよ。保険とか銀行かに改名手続をするのが面倒だったんだってさ。というわけで、自分父親苗字父親の付けた名前をを持つ女の子のまま生きることになった。母親自分(小生)のほさきという名前の響きが大好きだった。父親文学的センスは認めていたんだろうね。それを変えると相談されれば、母親普通にブチ切れるのも納得行くだろう。小生が、惰性で遺した苗字得体の知れない名前を持つ謎の女の子になってしまうのだから)

普通にしんどくて、今年の4月府中市役所に行って、「歩幸(ふゆき)」(仮名)になってきた。

これはライフハックなんだが、名前の読みは市役所に行けば気軽に変えられる。家庭裁判所なんか通さなくていいし、親に相談する必要も無いのだ。

ゆきくんになった時、自分はふゆきくんだ!もう親に縛られる必要は無い!と思って、メチャメチャ肩の荷がおりた。

部活の同期にも、学科先生にも、自分本名はふゆきだよと胸を張って紹介できる。オカマのやさきちゃんと素のふゆきくんという、自分好きな人格だけで生きていけるようになった。

  

半年以上が経って、今、ものすごく生きやすい。実家に帰ればほさきちゃんだ。でも、もう自分の心はふゆきくんだし、法的にもふゆきくんなので、安心の圧が全然違う。みんなには分からいかもしれないけれど、名前が変わるだけで、こんなにも心が落ち着くんだよ。そして楽しいあんなに愛するふりをしていた母親を裏切って暮らす毎日ものすごく楽しいよ。娘の名前に縛られて生きる親に施す親孝行?クソ食らえって感じだ。今は令和でしょ?今さら時代人間に何を追従するのよ。まあ、気が向いたら介護してやるよ。

あと、なんだか他者に対して寛容になった。周りの人間がやる迷惑なこと全部許せちゃうだって自分迷惑ボーイなんだから。やがて自分が生むであろう自分の娘が、どんなに自分信条反駁しても、きっと許せるだろうな。クソ左翼になって国会前でデモに向かうことがあったとしても、おにぎり作ってあげると思う。

名前変えて、人生最高やわ。もう二度とほさきちゃんには戻らないで生きるさかい。今宵もまた、作った名前で走り出す20の夜やで。

追記 誤字を直しました

2019-10-21

anond:20191021001108

それは暴力振るう男が異常者とみなされる存在文学的な読解の対象にならないだけで

女子供が人を殺せばみんなが一生懸命政治的主張を考えてくれるから成立するよ

2019-10-07

『々』の謎

人々はあるのに猿々も犬々も猫々も牛々も虫々も鳥々も魚々もない。人以外の生き物には使わないのかと思いきや、神々はある。どういうつもりなんだ。神と人が同等とでも言うのか。おこがましいとは思わないのか。

人の集まりについても意味不明だ。村々はわかる。でも町々となるとちょっと違和感がある。検索したら普通表現みたいだが違和感がある。まちまちという言葉が他にあるのも大きいか

そんでまちまちで調べていたら区々と書いてまちまちと読むらしい。市々と書いてもまちまちと読ませる例もあるらしい。けれども「くく」「しし」とは言わない。区々や市々は使わないという結論で良いだろう。

市区町村の次はもちろん県だ。県々、これは言わない。「あがたあがた」と読ませる例は文学的な修辞だろう。県の次は国。国々、これは当たり前に使う。国の次は…星か。星々、オーケーいいだろう。その次は宇宙宇宙々々、まあ言わない。多元宇宙論者は使ったりするのだろうか。

人関連で『々』が適用されるのは、村、町、国、星。適用されないのは、区、市、県、宇宙。よくわからない結論になった。

2019-09-14

思考言語化する練習

今時分が何を考えているのかを把握するためにはそれを言語化していくといいと聞いたので実行してみる

よくよく考えると私は基本的脳内独り言により思考制御しがちなのでもともと思考言語化されがちなのだ

それとは別に頭で別のことを映像イメージとして処理していることががあるのでそっちを書き出してみたいが

その場合前後に「複」とつけることで主たるイメージである言語化済みの思考区別して書き出せばいいのだろうか

  「複」実際今でも頭の隅では今日読んだ進撃の巨人イメージ走馬灯のように処理されていて今は訓練中の食事シーンがアニメ風に再生されている

「複」とつけるよりも二行段落下げの方が書きやすいし分かりやすいので次からそうしていきたい

  何故か延々とアルミンが芋とスープスプーンで食べ続けているビジョンが浮かび続けている今コレを書いているうちに霧散して脳が虚無になった

部屋の水道管を通る水の音が煩い

施工言語化してみようと考えた所であまり意味がない気がしてきた

一秒の描写には一秒以上の時間がかかると大昔に詩人が口にしていたと昔どこかの神話にかかれているのを読んだ気がするがそれは翻訳者適当に付け足した文学的エッセンスでもとの神話にはそんな台詞なかったのかも知れない

  部屋の水道管の中を通る水の音が非常に煩いためそれが映像として脳に流れ込んでくる

  上の部屋で人間足音がするのが非常に鬱陶しいが単なるラップ音の気もする

言語化するための思考がない

寝るか

正直寝ようとしてもなかなか寝付けないので困る

人間は寝ようとしてもすぐに眠りに落ちることが出来ず一〇分程度は現実と夢の間をさまようというがその時間が非常に面倒くさい

私は一時間半の倍数で寝たいので寝る前にはたとえば七時間45フン後に目覚ましをセットするのだが根付くのに30分かかるとそれが15フンズレてしまいそれが非常に気になる

それでそわそわしてなかなか眠れない

変換を意識すると思考が先に流れてしまうので変換が雑になってきている

脳波キーボードコントロールできるようになれば変換の成功率はあがるのだろうか

つかrた

ねう

2019-09-04

柳美里さんと週刊ポスト韓国なんて要らない」と表現の自由

表現の自由で人を傷つけてきた柳美里さんが、「表現の自由といえばどんな表現も許される」ことが間違いだと気づいてくれました。週刊ポストの見出しへの抗議です。

週刊ポスト』の「10人に一人は要治療 怒りを抑制できない 韓国人という病理」という見出しは、人種差別憎悪を煽るヘイトスピーチです。

柳美里さんは、時間は掛かっても人は変われることを示してくれました。

柳美里さんの一作目の小説 石に泳ぐ魚にかかわる訴訟の経緯

実在女性モデルとして、国籍出身大学、専攻、家族の経歴や職業をそのまま描写し、顔の腫瘍を陰惨な表現描写した小説石に泳ぐ魚をその女性に無断で雑誌に発表した。 その女性出版差し止めの願いを聞いていたのに、それを無視して単行本化した出版差し止め裁判で、柳美里さん側の敗訴が最高裁判所で確定するが、確定後、柳美里さんと新潮社は、単行本出版を強行した。そんな柳美里さんと新潮社の主張。

「石に泳ぐ魚」裁判経過報告

Aさん側の「『朴里花』の存在作品から完全に削除せよ」という要求は、作品根底から崩壊させるものであり、表現の自由からしても、了解することはできない。なぜなら、「石に泳ぐ魚」は、あくまでも文学作品であり、著者・柳美里氏が、現実存在する人物、状況等に想を得たとしても、作品自体は、柳美里氏の文学的感性によって抽象化されているかである
(略)
この小説文芸作品であり、一般読者が実在人物作品登場人物を同一視しながら読むことはない。この小説現実から想を得たにせよ、実在人物の行動や性格デフォルメされ、現実事実意味価値をことにするものとして表現されている小説主題は「困難に満ちた〈生〉をいかに生き抜くか」という人間にとって普遍的かつ重要ものであり、被告側が「朴里花」に贈った生の賛歌である表現の自由は、憲法の定める基本的人権の中で優越的地位を占める

プライバシーを暴いたうえで陰惨な表現をした相手に、止めてといわれても、それは生の賛歌だと言い訳する姿は、愛と勘違いして暴力をふるうDVと取られかねません。

週刊ポスト石に泳ぐ魚類似点

表現の自由からしても、了解することはできない。表現の自由は、憲法の定める基本的人権の中で優越的地位を占める。

週刊ポストには報道の自由がある。内容は、韓国精神健康医学会調査をもとにした、中央日報の記事に沿っていて、本当のことである

石に泳ぐ魚」は、あくまでも文学作品であり、著者・柳美里氏が、現実存在する人物、状況等に想を得たとしても、作品自体は、柳美里氏の文学的感性によって抽象化されている。この小説文芸作品であり、一般読者が実在人物作品登場人物を同一視しながら読むことはない。

週刊ポスト記事あくまでも事実をもとにした報道医学統計を基にしており、個別韓国人の疾患と同一視することはない。

柳美里さんによる統計の初歩的間違い

柳美里さんは、「10人に一人は要治療、(略)家族親族10人います10人のうち一人は、治療必要?」と尋ねていますが、初歩的な間違いが2つあります

1つは統計に対して一例で否定していることです。統計の初歩すら理解できていません。

もう一つは、確率1%のガチャを100回引けば当たるはずなのに、と同じ間違いです。

10人いるときに要治療になる人がいない確率は、それぞれが独立な時、(1-0.1)^10 = 0.3486... 約34% あります週刊ポスト記事が正しいときに、柳美里さんの家族親族場合が起きるのは、ままあります。(もし遺伝性疾患であれば、要治療の人は特定家系に偏るので、国内統計結果に対して、親族に要治療者がいない確率は、もっと高くなるでしょう。)

間違った理由非難することは、相手を不当に貶めるものなので、普通は慎みます常識のある人なら、すぐに訂正し、相手謝罪するでしょう。

柳美里さんのAさんへの謝罪は?

自由の名の下の表現であっても人を深く傷つける表現をしてはならない、と柳美里さんが気づいたことは、四半世紀と時間はかかりましたが、非常に素晴らしいことです。

人を傷つける表現という点で、週刊ポスト石に泳ぐ魚は同じです。週刊ポストはこの件について、すぐ配慮が欠けていたと謝罪しましたが、柳美里さんは、最高裁判決確定後ですら、表現の自由を盾にしてAさんを傷つけ続けました。柳美里さんが最低限の常識を持つ人ならば、新潮社とともに自らの過去反省し、彼女への深い謝罪を今後公にされるでしょう。

2019-07-25

左翼取引が下手

このやり取り読むだけでも

なんで自民仕事の出来る奴)が勝って左翼理念バカ)が負け続けるのかわかっちゃうな。


この左翼の方がやろうとしてるアクション

「分断するぞ、協力しないぞ、いいのか」っていうのは

一度は能力や協力実績を詰まないと機能しないのよ。

実績を見せた上で「今後ご協力させてもらうための対価はこれこれです」って条件提示になる。

そういう仕事したことある奴はそういう取引ちゃんと出来る。

自民党は土建とかそういう所からあがって来てる連中多いから、まさにそういう取引日常業務


左翼はどうしても自分の中正義理念が先に立つので、

理念としてお前を軽蔑するぞ、袂を分かつぞ、なんていうことを重大事項のように宣告してしまう。

そんなことが重大な話になるのは同じ理念を持った子供っぽいサークルの中だけの話で

仕事出来る大人からすれば「なんだそりゃ?」「だからどうしたw」になってしまう。

相手立場に立って現実的利益供与して、対価を受けて、仲良くやっていく、ということを原理的に苦手とするのが左翼

だって理念っていうのは最終的にはどこまでも自分の中の文学的感情に過ぎないから。


何かをなしたい人がまず左翼から手を切るのは賢明だし

左翼はそういう人達理念的な破門を言い渡して憎悪するぐらいしかアプローチ方法が無い。

オタク破門に何のショックも受けてくれないから何度も何度も破門を言い渡す醜態晒している。

anond:20190725100634

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