はてなキーワード: 性コミとは
みたいなこと言う人って、議題の能力が中の上な同性と下位層の異性を比較してる気がするんだよね
偏差値55~65の同性と偏差値35~45の異性を比較してる感じ
男女、全体で見れば言うほど大差なくない?
男も割りと気が利くし、女も大して気が利かないし、男も感情豊かに笑ったりキレたりしてるし、女もエビデンス揃えて理詰めしたりする
しかしネット、リアル問わず、異性全体をまとめて見下す人によく出会うので原因を考察してみる
→男は気が利かない、けど細やかな男は神経質でキモい
→同性としての男or女、異性としての男or女として関わるしかない訳なので、同性と異性によって態度が違う人間の場合、評価が全く違ってしまう
女にだけ横柄な男、男にだけキレる女は同性に観測されない
トランスジェンダーとかだと性転換して気づくのかも
→初めに関わった異性で分かった気になって異性全体を断じている、まあ世界の全異性と出会うことなんて不可能なので「少ない」をどの程度とするかによるけど
出会った異性の人数が増えたところで、所属コミュニティのバイアスがかかっているので難しい
→親切にしても不機嫌そうな態度を取るため雑に扱われるようになる、冷静に話しても聞く耳を持たないためついにブチキレる、というように話者に不都合な事情が隠されている(または本人も気づいていない)という可能性
思い付いたのはこれくらいだけどどうでしょう?
真性コミュ障の人から見た「普通」評価が社会で求められるレベルの「普通」と言えるかどうかはさておき、
むしろ、なまじ一見して普通に見えちゃうことで結果的に社会で苦労してるって人が多いんじゃないかと思う。
過去にASDの人が部署に居たけど、学業成績も悪くないし面接ぐらいの短時間なら普通に振る舞えちゃうから、いざ入社して働き始めたら周りと足並み揃えるのが難しくて(同期に付いていけないとか、時には上司に叱責されたり)苦しい思いしてたって聞いたよ。
ついこないだ、発達障害のワークショップってやつに行ってきたんですよ
参加する前は正直、自分と同様に如何にも~ってタイプの人ばかりなのかと思っていたが実際に行ってみると全くそんな事はなく
それどころか明るく積極的で初対面の人ともハキハキ話している人が大半だったのでびっくりした
確かに中には少々オタクっぽかったり、ややコミュニケーションが不器用そうな人もいるにはいたけれど
少なくとも普通に受け答えは出来ていたし、挙動不審で全く話せないという人は皆無だった
で、そういう人達がみんな不注意型のADHDとかだったらまだ分かるんだけれど、自己申告によればASD(診断済)だという人が多かった
マジかよ……診断済みのASDの人でもこの程度なのか…と正直カルチャーショック。
本当に皆さんこれでもかというほど「普通」で「まとも」で、これが発達障害ならばこの世の9割は障害者になるだろうと思った
女性が多かったけれど中には男性もいたし、男女ともに結婚しているという人が多かった
世の中には理解のある彼くんだけじゃなく、理解のある彼女さんだってちゃんといるよ、男性の皆さん大丈夫だよ。
そして皆さん殆どは仕事もちゃんとしているようだったし、特に困ってもないんじゃ…?と思うことしきり。実際の発達障害者ってこんななんだ…思ってたのと全然違った。自分みたいなのは少数派。
正直真性コミュ障の自分は思い切り浮いていたと思うし、こんなに普通にスムーズにコミュニケーションが取れる人達でも発達障害の確定診断をされるものなのか~って思った
やっぱり今の発達障害の認定基準って物凄く下がって、もはや誰でも発達障害認定される状態になっていると考えて間違いないと思うよ
https://anond.hatelabo.jp/20220712110411
顔が悪いと恋愛や異性コミュニケーションで劣後するだけじゃないんよ。
同性も初対面でナメてくるんよ。同年齢でもいきなり上から目線、話したがらない、同じグループと思われるのを嫌がるとか。ビジネスでも社外社内双方で容姿で値踏みされて、最初低評価されることはかなりある。
自分で言うのもなんだが、俺は地味系不細工だが頭はキレキレ。格下扱いしてくるヤツらをトークで分からせるのは得意。でもカタルシスがあるのは最初だけ。今日も無駄なものを斬ってしまった。容姿が違えばこの無駄なエネルギーをSDGsに使えたのに。大きな社会損失。
モテてる芸人はそんなに不細工じゃない。非イケメン=不細工ではないですのよ。地味系はキツいよ。華がないと雰囲気作りでハンデだし、表情を豊かに作れる容姿はトーク力と直結している。
俺くらい飛び抜けてキレキレじゃないと地味系ブサイクは生きにくいよ。
ここ10年くらいの間自分が遊んでたコミュニティで、うん百人と関わってきたんだけど
その内の1人が自分と一緒に遊んだ時に、自分から文句を言われたらしく(記憶にない)
その事を最近思い出して、気に食わないからコミュニティから自分を追い出すために
そのコミュニティに自分のことを叩く流れを作るような発言をもう何か月もずっと投稿してる
自分が友達だと思ってるうちの一人ではあるんだろうけど誰だかもわからない
何を言われたかも表に出してこない
何もソースのない状態で憶測と悪意にまみれた言葉を見つけたり耳に入れるのがつらい
明らかに自分に対して悪意のある書き込みをしているのにラインを超える発言をしないから消せない
周りの人もへらへらして乗ってきて円形脱毛症が進行してきた
https://anond.hatelabo.jp/20210410152243
この話、概ね理解できるんだけど
じゃあ女性の地位向上問題や女性の生きやすさ問題とどこが違うのか、と考えると面白いと思う
資本というのは色んなものがあるらしいけど、生きやすさを構成する資本の中で、弱者男性=資本が少ない者に不足しているものは例えば人間関係のような、社会に要求してもしょうがないものが多いんだと思う
弱者女性が不足していたものって、お金や地位や権利のような、社会にアプローチして要求しやすいものが多いから社会的にも支援しやすかったと思う
弱者女性はまだ救いやすかったし(とか言うと怒られそうだけど)、女性が団結して勝ち取ることができたけど
現代の弱者男性は支援しづらいし、群れて主張してもキモいだけだし、自助努力でどうにかしづらい
そして堂々巡りになる
遅延性コミュ障ってなんぞ?
共感は要らないとは言ってない
だから返信しなくていいしこっちが見てるとも気付かれない空リプなどはおもしろかった
私にとっての「感想不要」=私へなんかしらの圧力(評価返し、返信、交流、今後の作品について)をかけるのをやめてくれということかな?と日記書いたりトラバブコメ読んでて思った
まあ勝手に相手の気持ちを考えすぎて義理とか義務感とか感じやす過ぎるんだと思う
相手がそんなこと求めてるかどうかなんて確認する術はないんだからおかしな話だけどなかなかやめらんないね
でもリアルの対人関係では割といい方向に働いてる性格特性ではあると思うから矯正するつもりもないけど
トラバブコメが付くとおもしろいのも空リプとかと似てて反応しようがしまいが自由なところかもね
はてなだと勝手に反応してみたいなと思ったところだけに言及することができるけど同人では厳しい。少なくとも私の現況では
気まぐれにやれる環境を構築できればTwitterとかでもそうすることもできるんだろうなあ
でもまだそこまでやれてないから、誰か1人に反応返しすることで感想を欲していると勘違いされたら困るって不安がある
「私の気持ち的負担にならない感想」なんて「空リプ感想」とか一言で表せるものではなくて、たとえ言語化したって私以外には完全には伝わらない。当たり前だけど
大体の感想に気持ち的負担を感じる要素が含まれていることを思えば一律欲しくない人だって思われてるのが一番楽だよね
「私こんなに繊細で、こうこうこういう内容で、こうこうこういう手段で送信された感想以外は受け付けないんです〜〜〜」なんて素振りを見せたらそれこそまともに人を気遣えるような人だけ遠ざけて、ヤバい奴らだけが私にヤバい感想を送ってくる未来が目に見えてる
だからこちらへの気遣いに関する要望って自分で言語化しちゃいけないんだと思う
なぜか雰囲気で察してくれる人って中にはいて、同人を通じて仲良くなれたのってそういう人ばかりだ
そういう人って不思議ではあったけど、多分非言語性コミュニケーションの上手な人なんだろうなと話してて思う
察してちゃんと言われる人の悪いところは「察して」って素振りがバレバレなところで、「察しても察さなくてもいいよ」って気持ちを出せるようにうまくやりたいなと思う
理想の上では、なので察してちゃんになってしまう危険性は多分に孕んでいるので気を付けたい
元増にも書いた内容の補足だけどこの辺が「感想不要」って書かない理由
色んな対応を割と長い創作歴の中で模索してきて、さらに色んなリスクを勝手に想像してそれ自体をストレスに感じてしまう性質がゆえに「そういう雰囲気を出す」のがベストという結論になってるだけ
こっちも似た雰囲気を出してる人と仲良くなりたいので、言語で表明するスタイルに変えてしまうと似た雰囲気を出してる人達の方から攻撃的と思われて来てもらいづらくなってしまう
非言語性コミュニケーションが苦手な人からすると困るのはわかるけどこっちも内心色々思うところはあれどスルーするので適当にやってほしい
こんなこと聞いて煽られているって思われると知ったとしたらどんな気持ち?
勿論特定個人とそれと似た人々を煽っているので、言外の意図を正しく読み取ってくれてありがとうございますという気持ち
まあ私が煽っている人が見たとしても、煽られてるとか思わずにただなぜかイライラしてTwitterでシャドーボクシングしてしまうだけな気もするけど
要は元増に書いた感想欲しくてしょうがないけど貰えない過激派のことです
私がTwitterに絵を投稿した後いつも通りエゴサをしていたら、過激派が空リプ感想、というか私個人と仲良くなりたそうな内容をチラチラチラチラ数ツイートに渡って書いていた
なかなかそういう人はいないので面白すぎてしばらく観察していたら、私がなんかツイートするたびに私信らしきものを飛ばしてきていた
初期の私信の内容は距離感がやばすぎて気持ち悪かったけどまあ好意的と取れるものだった
それを無視し続けていると、無視し続けていること自体が理由かどうかはよくわからないけど、私信が憎しみに変わっていった
私に無視されてるから私のことが憎くて仕方なくなってるんだとしたらおかしな話だよ
だって上述の「インターネット上で似た雰囲気を出してたので(即売会で話して)仲良くなった旧友たち」以外には誰にもリプしたりしてないのにどうしてフォロバやいいねRTなどをしてもらえると期待した?
そもそも作品のいいねRTは友達のツイートであってもしていない
勝手に義務感を持ちやすい性格を自覚しているのでTwitterに四六時中張り付いていいねRTマシーンと化さないために一律しないことにしているのだ
過激派は私の旧友のひとりもフォローしていて、たまたまリプをし合った直後に交流を羨ましがるツイート、RTしてもらえたらなあなどの発言をしていたので反応を期待されてたという理解をした
まあなぜ私がその友達と仲が良いのかなんて本人同士しか知らないし、旧友だってことすら大半の人にはわからないだろう
相手の中で多分好意っぽい感情だったのが憎しみっぽい何かに変わっていく過程を見るのは本当に面白かったので嫌だったとかストレスだったとかは特にない
相手が私の好きな人であればストレスだったんだろうけど私は相手のことをなんとなく嫌いで正直言うとどうしても見下す気持ちが湧いてしまうからむしろちょっと快感だしなあ
でも今もTwitter上で私に呪詛を吐き、嘘つきだとか世間に媚びすぎて無個性だとか負けないとか作品で見返してやるとかなんとか、頑張ってマウント取ろうとしてくる相手を煽り返したかった
私は「本当は感想が欲しくてしょうがないのに『感想?別にあってもなくてもどっちでもいいですけど?』みたいな態度をしている」わけではないので嘘つきではないし、世間に媚びているのではなくてたまたま私の大好きなものを世間も好きだったからその恩恵に肖って多少の反応を貰えているだけだし、無個性と言われりゃ無個性なのかもしれないけど過激派の言う個性は技術を磨かないための言い訳でしかないし、個性とは技術という基礎があってその上に成り立つものなのにそこをめんどくさがって、誰に向けてかたくさん言い訳をして個性とやらに執着しているような人に評価数で負けることもその人の作品を見直すこともない。勿論それを自覚して改善したとすれば別だけど
私の思う"ダサさ"のすべてを詰め込んだような人だよ
相手から言わせりゃ卑怯なんだろうけど私もこういう点では向こう見ずではないので、相手に毒マロを送ったり、ましてや本垢で直接でこういう意見を表明したりはしない
私は会話が苦手だった。
この数年間、いろいろな本を読んだり実践をしたりして、それなりに会話に対する苦手意識はなくなった。
自分が会話に対して苦手意識を持っている原因を分析し、対策を立てた。
①何を話したらいいかわからない
②いつ終わらせたらいいのかわからない
これから会話をしようというとき、一体何を話したらいいのかわからないから不安になる。
相手の話の中からキーワードを見つけ、さらに自分の頭の中からキーワードを連想する。
このキーワードは、自分の体験に関するものが多い。それに、体験談はその人固有のものだからそれだけで相手にとって興味を引くものである。
だから、何を話したらいいかと憂うより、ひたすらいろんな体験をすることによって引き出しを増やしていく方がいいと思う。(旅行なんかは汎用性が高い)
相手が最近フランスに行ったということを聞いて、何年も前に自分も行ったことをドンドン思い出すことができた。結果、会話は盛り上がった。
このように、自分の話のコンテンツは相手が話すコンテンツに依存している。始まってみなければどんな会話になるかはわからない。
だから、とにかく相手の言ってることをよく聞くことに集中すればいい。このような意識を持ってから、話題に困ることはほぼなくなった。
ここで私がぶち当たった壁は、会話の起点をどうするかというものだった。
連想するにしても、まずは起点が必要だ。0から1を生み出すのは大変だ。
ここで初めて、会話本でよくいわれる「共通点」が威力を発揮した。
これは大きく、共通する「属性」と、共通する「体験」に分かれる。
特に、共通体験は超強力だ。「いやーお疲れー。あの〜〜は大変だったねー」なんて始めてしまえば、後は連想ゲームのレールに乗っかる。
共通属性は、共通体験がないときに威力を発揮する。まず、それを見つけるための質問をする。見つかれば掘り下げていけばいい。
いわゆる「きどにたてかけし衣食住」だが、中身を覚えるのが面倒くさいし、実際の会話では瞬発力が要求されるので、思い出してる暇もない。
私は、「連想」と「共通点」の二つだけを意識して、とにかく相手の話を聞くに集中した。あまり細かく枠を決めても、かえって話題の発想を制限してしまうと思う。
私は、会話の終わらせ方がわからなくて、このタイプの会話が非常に苦手だった。そのせいで、なるべく人とすれ違わないようにしていた。こんな自分が大嫌いだった。
立食パーティーなんかでも同じだった。
ここは、あらかじめ会話を終わらせるポイントを明確にしておくことで克服した。
大きく分けて、自分の都合で終わらせる場合と、相手の都合で終わらせる場合がある。
自分の都合は、予定がある場合が一番いい。「あ、そろそろ戻らなきゃいけないんで」とか。これは時間という明確な基準があるのでやりやすい。
ない場合は・・・でっち上げる。しかし、私は嘘をつくのが苦手だったので、あまりしなかった。その後の予定が全くないというケースはほとんどなかったし。
相手の都合とは、正に相手に予定がある場合。相手から言ってくれることもあるし、自分が知っていれば「そろそろ戻らなくて大丈夫?」とか聞けばいい。
相手も会話を終わらせたいが、言い出せないというケースもある。会話が苦手なのは自分だけじゃない。この場合は、相手の仕草に注目していれば発見できる。そわそわしていたり、時計を見始めたら、「そろそろ行きますか」とか言って切り上げればいい。
ここでとても重要なのが、会話を「広げるか」否かの判断だ。
会話を広げてしまうと、終わらせるに終わらせられなくなってしまう。会話が広がっているところで強制終了すると、お互いに後味が悪い。
会話を終わらせるポイントに近づいていることを察知したら、話題をたたんで収束に向かわせなければならない。
この辺は、今話してる話題がなんなのか、を意識することで判断できる。
アメトーークの「立ちトーク」の回では、下に話題の流れのテロップが出る。会話中にあんなイメージで話題を追うのだ。
話題をたたむ方法は簡単で、広げなければいい。相手が返す必要のない球を投げればいい。
最後に、よく言われることだが、相手に興味を持って会話を楽しむことを特に意識した。
会話中にストレスばかり感じていると、連想が全くうまくいかないということが多かった。「早く終わらないかなー」なんて考えてたら、相手の話すことも頭には入ってこない。
会話が楽しければ、いつ終わるか不安になることもない。終わってほしくないとすら思う。
会話本を読んで表面的なテクニックだけを知っても、全く前に進んでいないと思う。
つまり、人間が好きな人であれば誰でも会話に対する苦手意識を克服できると思う。ここが、仮性コミュ障と真性コミュ障の違いだろう。
ロスジェネ(1972年~82年生まれ)系のメンヘラ男は、尊大で批判的で始終イライラと当たり散らしてる系と、対人関係を回避した結果として貧困や孤独に苛まれている系がいる。合併例もある。しかしあくまで「男性的な性格」だ。
さとり世代(1987年~97年生まれ)系のメンヘラ男は、女性化が著しいと感じる。特徴的なのは異性から見た性的価値の自己客体化。ロスジェネ男は「男は金を稼ぎ、女は体を売る」という旧来的な価値観で途中まで育っていながら、不況により突然放り出されてロールモデル不在の絶望を味わった世代だが、さとり男は最初から「男も稼げるとは限らない」という環境で育っている。稼げる男が勝ち組に限られてしまった今の時代、並~並以下の男たちはどうやって自分という人間の"需要"を確保するか?という難題を突き付けられた。その結果としての「対同性コミュ力偏重文化」と、「女性から見てオレの性的な価値ってどうよ?」という性的価値の自己客体化だ。コミュ力重視と性的価値の客体化は元々女性的な特徴であり、同年代女性も似たような価値観を維持していることから、さとり世代には「総女性化」が起きていると思われる。さとり男の見た目が「男の娘」になっているという話ではない。異性の求める姿に己を最適化し、自己主張の強い生き方を「ダサい」「イタい」とする潮流だ。大学生活板発祥の「まじめ系クズ」などの造語からも、「いわゆる女性的な依存心」を持つ若い男性の姿が透けて見える。
結果として若者の多いインターネットでは、典型的な女メンヘラのとるような行動を取ってしまうさとり世代の男が散見される事態となっている。ツイートを見ているだけでは、病んで不安定になっている若い女にしか見えないが、書いているのは男。そういう傾向があらわれだしている。彼らは女性化することで、男性的攻撃性・回避志向を持つロスジェネよりも仲間を作りやすいが、根本にある依存心と不安が彼らを内側から苦しめ続ける。