はてなキーワード: 疑念とは
趣旨は上の通り。
自分がオタクだと自認するようになってからこっち、10年以上にわたって、オタク差別けしからんと言い続けてきた。
ここ数年、なんとなくそれに違和感を感じることが多くなってきたけれど、それでもやっぱり言い続けてきた。でも今回はっきりわかった。
オタク差別批判とか、ただの害悪でしかない。もうやめたほうがいい。
差別というのは、権力構造に根差すものであるという話をだいぶ前にツイッターで見た。
つまらない約束事のように映ったけれど、まじめに考えるとこれを踏まえないから、差別を相対化して見せては矮小化や言葉遊びにふけるような態度が出てくるのである。日本人ヘイトだの専用車両は男性差別だの在日韓国人による逆差別だの、差別者以外にとってはおもしろくもおかしくもない大喜利パズルでここ何年かでいったいどれだけ無駄な足止めにいそしんでいたというのか。ちゃんとベースを踏まえてこそ、くだらない袋小路にはまらないで済む。これはちゃんと物理を学んでいない人がブルーバックスくらいだけに目を通しただけで「矛盾」を発見し、相間さんと化すときに似ている。
今まで自分が存在していると思っていたオタク差別は、多分差別ではない。それは、いじめであり、パワハラであり、DVである。
そう視点を変えた方が、いろんなものが整合性をもって見える。中学校時代よくいじめにあっていた同級生は、オタクじゃなかった。正確に言うとオタク「も」いた。
でもそれは、そいつと俺が割と仲が良いから知っていた話で、きっかけは別のところにあった。運動音痴だから足手まといだという扱いだったり、成績がよくて生意気だという扱いだったり、DQN憧れの男の子の彼女だからだったりした。
もちろんきっかけが「オタクだから」というケースもあるんだろう。でも、それはこういったきっかけのワンオブゼムでしかない。それを、民族差別や女性差別と並べるのは、視野が広い人間ではなくただの雑な人間だ。
「差別じゃない」というのは、多分そういうことなのだ。そして、差別じゃないから批判の対象にする必要はないという話では、たぶんない。別の枠組で批判すればいい。
なのにもかかわらず、熱心にじゃああれは差別じゃないんだーという大喜利ばかりをしているツイートばかりが「オタク」から流れてくる。いや、どうしてもそこのところをわかりたくないのかもしれない。
わかりたくないのか、わかろうとしないのか、本当にわからないのか、どれなんだ。
いろいろ、「オタク差別の事例」というのが流れてきた。前なら、そうだそうだと怒りをぶちあげたであろうものがたくさんある。でもそれはどれもこれも、オタク差別の事例ではない。
そういうものを引いて行って、ある程度確実にあったんじゃないかと思えるのは、「マスコミを通じたもの」だと思う。特にバラエティやニュースを通したもの。
それで思い出すのだけど、俺の中高時代はあんまりオタクがいいとか悪いとかいう意識を持つことじたいあまりなかった。今思えば自分の机でいつも小説を読んでいて、たまたまホームページの話になったとき「私も持ってる」と言ったのでURLは?と何の気なしに尋ねたらそれはちょっと……みたいに返してきた女の子なんかはオタクだったんだろう。自分だって漫画は好きだったしオタクだったはずだ、今にして思えば。
じゃあ、そこにどうやってオタクキモイみたいな「偏見」の存在を知らされたかっつーと、漫画だったりインターネットだったり、そして「オタク自身の言説」からなんだよね。
だって、バラエティ番組なんて中二病まっさかり(高校になっても中二だったので)でほとんど見てなかったし。ニュースといってもこの手の話ってだいたいワイドショーである。やってる時間は学校にいるんだから見るわけがない。
金田一少年の事件簿には、小太りですぐキレ気味になる、「オタク」が登場した事件があった。こち亀で、美少女フィギュアを専門とする「色白でアニメ好き」なオタクが登場して、硬派フィギュアマニアのつもりな両津が逃げ出すという展開が「オチ」として機能していた回があった。名探偵コナンのホームズフリークの回は……さすがにこの文脈で語るものではないか(でも動機の酷さは「オタクなんてそんなもんだろう」という共通認識が背後にあるような気がする。知らんけど)。
テキストサイトが一世を風靡していたころ、オタクやオタクに向けられたコンテンツは叩かれる「べき」もの扱いだった。非オタク向けの、スポーツとかファッションを語るページに迷い込んだら叩かれたという話ではない。漫画の感想サイトや、漫画やゲームをメインで扱う日記サイトでの話である。
何を言っているか分からない人もいるかもしれない。例えば、ラブひなやいちご100%やBLACK CATは、軟弱な頭の弱いオタクのためのコンテンツであり、あんなものにゲヘゲヘゆってるオタクマジキモイ。ホイッスルやミスフルやテニスの王子様は腐狙いコンテンツであり、あんなものに(ry そういう話である。この範囲は結構広くて、らんま1/2やH2ぐらいでもオタク向け扱いされることがあった(もちろん、当時これらが連載されてたわけではない。あれってオタ向けの駄作だったよね―みたいな扱い)。
もちろん彼らが持ち上げるコンテンツというのもあったのだが、この文脈で実例を挙げるの風評被害でしかないので避ける。俺の好きな作家や作品も混じるし。
テキストサイトだけではなく、2ch(当時)もそんな感じだった。少年漫画板とかそのへんをよく覗いていたのだが、まあ当該作品のスレは愛読者が集まるのでそうでもないこともあるのだが(そうであることもある)、総合系スレでのオタクコンテンツ叩きはかなり強固だったし、漫画とか関係ないジャンルの板だとなおさらだった。
そういうものにどっぷりつか……もとい接しているうちにオタクというのは叩かれるべき存在であるのだなというぼんやりとしたイメージが自分のなかで出来てきた。これにもう一つ後押しするように影響したのが、自分はオタクだと称する人が、迷惑行為や触法行為のようなものを自慢しながら、「ホラ俺たちオタクだからさ」みたいに語っている文章に接する機会があったのも、ああそういう人がオタクなんだなと認識させられた。
ちょっと話はずれるけれど、当時は、オタクとマニアの違いなんていう言い方があって、オタクはそういう迷惑なものを抱えた側の人間やハマりすぎて社会に順応できなくなっている人間、というような線の引き方もあった。
これは、あくまで俺の話である。だから、他の人がどう偏見を植え付けられたかは、また別の話があるかもしれない。でも、オタク差別を煽ったものとして、「漫画」「インターネット」「オタク自身」という声を、この話でオタク差別に怒っている人の口から出てくるのを見ないのだ。
ここで挙げたのは、知る人ぞ知るみたいなのじゃなく、だれもが知る有名漫画、リドミで上位常連の大手サイト、オタク文化人として今でも名前を出せば通じる、みたいなのばかりを念頭においている(まあ当時のインターネット文化がそもそも、知る人ぞ知るなものでしたけど)。みんな、俺とは違う漫画やインターネットを見ていたんだろうか。ワイドショーやバラエティばかりを見ていた「オタク」がそんなにたくさんいたんだろうか。
本当に不思議なのだ。あそこでこんなオタクへの偏見に満ちた報道があったんですよっ!というようなツイートは大量に流れてくるのに。
これが本当に、ここ数年で疑念として大きくなった末に、今回愛想がつきた一番のポイントなんだけど。
オタクが差別を受ける構造が、あったとする。それは、ネットで語られているほどは大きくないかもしれないけれど。
それで、今、オタクってなんなんですか、と。特にネット上では、強者、抑圧する側、差別を行使する側の「集団」として機能してませんか、と。
腐女子叩きは昔からあったけれど、女叩き、中韓叩き、などは当たり前のように横行している。時々流れてくる、弱者の権利をなんとかして奪ってやろう、人権思想じたいを矮小化してやろう、という意気に満ち満ちたツイッター漫画は誰によって大量RTされているのだろう。俺のところにはだいたいオタクさん経由で回ってくるんだけど。
趣味、という切り口でみても、オタク文化を愛好する人が自分たちと関係のない趣味なら平気でdisる光景というのはそんなにたぐいまれだっただろうか。インスタ蠅なるイラストが回ってきたことがある。そもそもインスタに投稿するのが趣味になっているような女性を叩くようなツイートが回ってきたことがある。鉄オタは「池沼」「ガイジ」であるなんて言い方もある(「」内は原文の表記を尊重)。ゴルフや車などを老害の趣味だとバカにしていたりもする。そうそう、スイーツ(笑)なる言い回しはいったいどこのどういう人によって流行したんだろうか。「リア充爆発しろ」というフレーズに何げなく込められた、自分と関係ない集団への軽視に、どれだけの人が気づいてたんだろか(だって「爆発しろ」だよ。あの連中、有明に15万人集まったタイミングで奴等爆発四散しねえかなーって非オタな人が言ってそれがそっちの界隈で大好評を博したら、インターネットな皆さんの間でどういう反応が起こるか考えてみたらいい)。
そんなオタクばかりじゃないというのは分かる。というか俺がこういう文章を書いてる時点で分かれ。でも、個の話じゃないのだ。集団としての性質の話である。あれだけ、全共闘や学生運動について冷笑ぶって叩く人が追いのに、そこに気づかないってどうかと思う。あとリア充爆発しろは使ってましたすいません。
それに、そういったところで、こんなふうにちゃんと抵抗して、こんなふうに批判して、中から自浄する動きを作りました、このコンテンツからは離れましたと胸を張って言える事例、どれだけあるんですかね?俺が、ノットオールオタクと言い続けたところで、結局「自分を批判の対象から外してくださいあいつらは関係ない」と逃亡する以外に何の役回りも果たせなかったから、言っているのだ。この記事は違うよなあ~こういう作風は好きじゃないなあ~こういう物言いはよくないよなあ~と個別の案件に不満ごちてみせ、自分は違うと思う、もっというなら思ってみただけで、肝心なところからは目をそらしていたんじゃないか? そう思うんである。
逆に、そこに自覚的になったんだろうな、と思える人も何人か知っている。そういう人は、結局C.R.A.C.やツイフェミのようなところに接近し、そのやり方すべてに同意はしないまでも、見解や思想に共感するようになっていく人がほとんどだ。おそらく今回「オタク差別」に怒っている人は、この人たちを敵であり、オタク仲間と認識していないと思う。
つまり、オタク文化の加害者としての側面を見ないふりするか、オタクに勘定してもらえなくなるか、二つに一つということだ。
C.R.A.C.の野間氏は個人的には大嫌いだし、たぶん単にオタクが嫌いなんだとは思う。でも今回ツイートの応酬を見ていて、残念ながら主張にそれなりに同意せざるを得なかったのは、こういう背景について理解できてしまったからだ。そこで突然くっちゃべられる「オタク差別」。真面目に反差別を考えている人にとっては(多分そこは真面目なんだと思う。この人)、筆算の横棒がミニ定規で引かれていないから×、レベルの見当違い感があったんではないか。野間氏の真意など知らないけれど。
そういえばその昔、本田透の「電波男」に感銘を受けながら読み進めていて、後半のほうで腐女子やフェミニストについてはずいぶん切り捨てたような言及の仕方なのに疑問を持ったことがあった。いや、フェミニストがオタクを差別している、という文脈で批判してるなら理解できるんだけど、そうじゃなかったから。権利意識を持つ女性自体が許せなさそうだった。その後「電波大戦」で喪女についての話題が出たとき、対談相手の竹熊氏がわりと真面目に実態について話したりしているのに、「困ったモンですね」で終えているのを見て、クジャクヤママユを盗み出した同級生を見る眼つきになったのを覚えている。だってそこで語られてる喪女、本田氏が救済しようとしてやまない喪男と違わないのに。
そのあとしばらくは新刊も買って真面目に読んでたの、それもどうよって話だけど。
10年くらい前に、俺たちの麻生なるムーブメントがあった。別に政治家を持ち上げること自体は好きにすればいいんだけど、そこでは当人が積み上げた迷言失言差別発言をすべからく許容し、批判したマスコミへの叩きが横行していた。正直、あの政治家のどこがいいのかさっぱり分からなかった。
当時はオタク系個人ニュースが全盛期。そういったサイトの管理人は、麻生氏を擁護するまとめブログエントリを紹介しては、叩かれていて困ったものですねぇ、正論なのに、というようなコメントをこぞってつけていた。オタク気質の知り合いなども、熱心に自ブログで擁護していた。
あれから10年たった今も、麻生氏は差別発言や侮蔑発言を繰り返している。あれを見ていて思うのは、この人は息を吸うようにハラスメントをする人なんだな、ということだ。それは、昔も同じだった。だから、どこがいいのかさっぱり分からなかったのだな、と腑に落ちたのだが、同時に当時持ち上げていた人たちにとっては、「だから良かった」んだろうかしら、とぼんやりと邪推してしまう。
今回オタク差別について怒っているツイッター主の中に、表現規制反対などをめぐっての発言をしばしばしているアカウントがいくつかいる。いずれもその界隈ではそれなりに大物だと思う。そして、俺のチェックしている反対派がぼんくら揃いなのかもしれないけれど、ヘイトスピーチの言論の自由を唱え、ポリコレで何も言えなくなることを憂い、自分に関係ないところでの言論の自由に興味がないかむしろ規制されることを望み、性差別についての提起が出てくるとそれについて考えるより先に提起者の揚げ足を取って袋叩きにするような人たちが勢ぞろいである。さすがに全部きれいに当てはまる人は少数だけれど。そんな反差別運動(別にあの界隈に限らず、そういう発想自体)が大嫌いな人たちが、当然のように主張しだすオタク差別批判、いったいなんなのか。ただ、差別社会の中で特権階級になりたいだけじゃないのか。
そういえば、これはある程度年配のオタクということになるけれど、昔(主に90年代くらい)のバラエティはこんなにおおらかだったのに、今はポリコレがうるさいせいでつまらなくなった、というような声が時々ある。なぜか、そういうつぶやきをしている人が「昔はオタクをバカにする表現に寛容でよかったなあ」と語っている声を聴かない。今回オタク差別が話題になって、バラエティなどでのオタクの扱われ方という話はけっこう出てきているのに、いない。どこへ行ったんだろう。
オタクと差別、という組み合わせでオタク文化っぽいものを思い返してみると、そんな案件ばかりが、思い出されてくるのだ。
反差別のために立ち上がったオタク、というのはそれなりの数知っている。そういう人はオタクかそうじゃないかを越えたところのつながりで、反差別をやっている。でも、オタク差別けしからん以外の「反差別」がオタク文化の中心的な動きとしてあったところを、見たことがない。差別を煽り、偏見を煽り、強者に諂い(自分たち以外の)弱者を嘲笑する、そんな動きならいくつも思い浮かぶのだけど。
あ、一つ思い出した。(反差別とは少し離れるかもだけど)フリーチベット、フリー東トルキスタン。
残念ながら、反中のダシ以上のものであった記憶はないけど。ああいうの、真面目なチベットや東トルキスタンにおける人権運動家に失礼だったんじゃないか。
こんな「オタク差別批判」に大真面目に同意したところで、反差別には一ミリもつながらなさそう、むしろ後退させる役割しか果たせなさそうである。メディアを通した差別はもうかなり減ってるといわれるし、それ以外のものはオタク差別というくくりより別のくくりで論じた方が有意義でより広い被害を論ずることができるようだ。となるとオタク差別なるものに拘る理由はない。
もしかしたら、こんなことは本田透の2冊目の著書におかしさを感じた時点で、たどり着かなければならなかったのかもしれないけれど。
30代前半、男、既婚、都内在住。精液検査を受けてきたので、その一部始終を余すところなく書いてみたい。誰かの参考になれば嬉しい。
訪ねたのは男性不妊の専門クリニックで、インターネットで事前に予約済み。受付へ行くと、20代と思しき女性職員ふたり組が迎えてくれた。名前を告げると、本人確認できる書類を求められ、代わりに問診票と番号札を渡される。以降は基本的に番号で呼ばれる。
待合室には夫婦ひと組、女性ひとりが座っていた。壁の外周に向かうように椅子が並べられており、お互いの顔は基本的に見えない。プライバシーの面は全体的によく配慮されていると感じた。
さて、問診票である。これは軽いアンケート用紙に近い。既婚か未婚か、子作りを初めてからの期間はどれくらいか、不妊治療に対して抵抗感はあるか、などなど。記入をためらうような項目はまずない。さっと記入し、受付に提出。
記入から5分も待たないうちに、奥の方から職員の男性が現れ、番号で呼ばれた。個室に連れて行かれる。部屋の扉には「採精室2」とあった。30年以上生きていて初めて見ることばだ。
部屋は薄暗い。リクライニングソファ、ティッシュ、ウェットティッシュ、ゴミ箱、そしてDVDプレーヤーとテレビがある。あ、もちろんヘッドフォンも。自分は入ったことはないけれど、ビデオ個室ってこんな感じなのだろうか。
男性職員は、薄いプラスチックのカップを取り出しながら言った。「今からマスターベーションして、全精液をカップの中に入れてください」。
まずは、シールにフルネームと禁欲期間を書き、それをカップに貼ることから始まる。検査結果に取り違えが生じないためだろう。ただし、このシールの粘着力が極めて弱く、カップの丸みに負けてしまい、今にも剥がれそうなのが気にかかった。
さて、出すものを出さねばならない。職員の男性は、去り際に「いくつかDVDもありますので、どうぞご利用ください」と言っていた。見ると、DVDが10枚ほどある。標準的な趣味に近い品揃えだった。傾向で言えば、眉毛が細いギャル系のものが多かったかもしれない。
また、一冊だけエロ本があった。一糸まとわなかったり、スク水をまとったりする女性たちの写真が掲載されていた。むかし河原の土手に捨てられていたタイプのやつだ。実用性はほとんどないように見受けられたし、全体的に本にしわが寄っていて、あまり触りたくなかった。
ここで耳よりの情報だが、採精室にはwifiが飛んでいる。このクリニックが用意したものかどうかはわからない。とにかくカギのないwifiが飛んでいる。言うまでもないことだが、スマホとwifiがあればなんでもできる。
このとき、クリアファイルに閉じられ、壁に掛けられた注意書きが目に留まった。20分程度しても部屋から出てこない場合、この日の採精は諦めてもらい、後日の再検査をお願いする、とのこと。
自分は設備観察などをしていたし、あまりに早く部屋を出るのもどうかと思ったので(このあたりの気持ちは女性には分からないかもしれないが、そういうものだ)、ゆったりと構えていたところがあった。時計を見ると、すでに10分近くが経とうとしている。焦った。
とはいえ、いざ採精しようとすればすぐにできるのも男というものだ。ティッシュ及びウェットティッシュで入念に掃除をし、個室にカップを置きっぱなしにしたまま、部屋を出れば終わりである。
待合室に戻ったら、受付の女性に「終わりました」と告げればよい。それ以上の言葉はいらない。すると、受付が職員の男性に完了の電話連絡をし、プラカップを回収した職員が、検査にかかるおおよその時間を受付に告げ、それが自分に伝えられる。
検査結果がわかるまでは、だいたい1時間だという(後日郵送もできるらしい)。しばし外出して、近くのドトールでコーヒーを飲みながら待っていた。
そもそもなぜ精液検査を受けたかというと、もちろん子どもを希望したからである。子作りを始めてからまだ3か月強だが(このあたりは妻と見解の相違がある)、思うような結果が出なかったため、いっちょ受けてみるかという気持ちになった(妊娠に備えて婦人科に通う妻からの示唆もあった)。
自分は、「何かが分かる」という体験自体が純粋に好きな人間である。そもそも、たとえ種無しだったとしても、自らの男性性というか、存在意義が揺らぐとは微塵も考えていなかった。
はたして、結果は、無精子症であった。射出された精液のなかに、精子が一匹もいなかったのである。
無精子症は100人に1人の割合で現れるという。そのほとんどが無自覚であり、自分もそのような疑念を抱いたことがなかった。顕微鏡で自分の精液を観察する趣味はなかったし(どうやらそういう御仁もいるらしい)、まあ「正常」なのだろうと考えていた。3か月強の頑張りで子どもができないのだってたまたま(偶然)で、ごく普通のことだと考えていた。ひとことで言えば、精液は出るのにそこに精子はいない、という想像力は持てなかった。
もういちど検査しないことにはわからない、とドクターは言う。次回はエコーや触診をともなう詳しい検査になる。ただし、通常ならば数千万や数億のオーダーで観察される精子がゼロだったのだから、これはもはや体調だの検査上の誤りだのといった可能性はないだろう。
その日は、友人の結婚式の二次会に参加する予定だった。精液検査からパーティーへと向かう人間はなかなかいないだろう。検査結果が無精子症ならなおさらである。しかも、新郎新婦はいわゆるデキ婚だ。なんたる巡り合わせだろう!
この日、もともとは終電帰宅も辞さない構えだったが、精子がゼロという結果が出た以上、いち早く妻に伝えねばならない。帰宅して上記のように説明したところ、妻は「オケーコ」と言った。オーケーという意味だ。妻はどんな言葉も語尾を伸ばして「コ」をつけるイルな言語センスをもっているのだが、こうしたシリアスな状況下でも口にするのだなと強く印象に残った。
さて、どうしたものだろうか。
今回の結果を知り、自分は多少のショックを受けた。だが、なぜショックを受けているのかが分からなかった。もちろん子どもができない可能性が示唆されたことは残念だし、妻には本当に申し訳ないなと思う。しかし、無精子症であっても各種不妊治療による妊娠は可能だし、子どもができないならできないで、妻と二人で生きていくのも十分にありだと思っている。妻も、もともとそういう考えの持ち主であった。だから、挙児の可能性が低くなったことは、ショックの根本原因とは言えないと思う。
では、この違和感はどこから来るのだろう。一日考えてわかった。自分ではにわかに信じがたいし、認めたくないのだが、やはり「男性性が傷つけられたことに対して」と考えざるを得ないのだ。常日頃から「男らしさ」などは馬鹿馬鹿しいと考えているのだが、生物学的に子孫を残せない(かもしれない)可能性が示されると、ナイーブにも傷ついてしまったのだ!
つまり自分は、メタ的に「ショックを受けている自分」を知覚して、ショックを受けているのだった。これは、はてブの構造に極めて近いなと思った。そこで、長らくはてな村に籍を置く一員として、なにか村人たちに還元しなくてはと考え、こうして初めて増田を書いている。
すっかり話がずれてしまったが、精液検査は10,000円前後で可能だ。後で知ったことだが、一般的に夫は精液検査に極めて消極的で、妻がどうにか説得して来院するケースが多数派らしい。また、検査を受けるにしても、自宅で採取した精液を密封容器に詰め、妻にクリニックへと持っていかせるケース(!)が多いとのこと。
無精子症っぽい自分が言うのもなんだが、それってあまりに男らしくないっしょ。はてな民諸兄におかれましては、当記事で心理的不安を払拭し、然るべき時が来たら自ら率先して精液検査を受けてねという話でした。
衆参問わず、予算委員会に限らず、集中審議は往復方式ですから、答弁時間も時計が進みます。
そういう視点で安倍さんの答弁とみてください。ひどい時間稼ぎを見た。
決裁文書読んでないけどハンコ押しました宣言した課長が、ガースーに説明に行ったけど、中身読んでないから、昭恵案件であることは知らなかったということを「まぁそういうこともある」というだけでなく、自分も全部読まないままハンコを押すことがあると述べてしまう俺たちの麻生。この人ここまでもうろくしてたかしら・・・。お前何言ってんのって思ったよ・・・。
「他の電力会社の原発に投資する金があるなら、賠償を払え!廃炉に回せ!料金下げろ!」
「総理の秘書官などは、総理に相談も報告もなく、総理の意向だとか周りにいうような人たちがいるんですか」
「あのー私の秘書官がですね、勝手に総理の意向だと、これは総理の意向とは何かということでもあります。いわば私が基本方針として示したものについては、例えば議長として基本方針を示したもの、あるいは様々な会議で私が議長として決定したこと、そうしたことについては、これはいわばまさに、私が議長として決定したこととして、そういう意味においてしっかりと進めていく、(そんなの当たり前だろ)、・・・・すいません今ちょっと私説明してるので、質問に対して、誠意を持って・・・・(枝野:早く答弁してください)、今ちょっとずっとヤジが・・・(枝野:自民党もヤジってますよ、たくさん、そっちに言ってください。)・・・・(枝野:自民党もヤジってますよ。自分の時だけヤジを責めるのやめてください)・・・(野党理事:総理に答弁させてください)(河村:ご静粛に、今答弁してますから)・・・枝野さんいいですか、はい。あのお答えをいたしますが、つまり基本的な方針を総理大臣として決定をするわけでございます。そういった会議で決定をした事項に関してはまさに総理の判断として、リーダーシップをとって進めていくのは、政府一丸となって進めていくのは当然のことで、あろうと、思います。私が意図していないこと、あるいは私的なことについて総理の意向だと、私の秘書官が振り回すというのはありえないとこのように考えております。」
「前段の8割の話は当たり前の話で、そんなこと聞いてません。最後のところだけ答えてくれればいいんです。総理の意向かどうかわからないことを勝手に秘書官がいうということはない。それでは、愛媛県、の文書は、どっかの誰かが嘘をついたということですか。」
「あの、いわば、愛媛県、の文書についてはですね(答弁書を読み始める)私としては、えー県の文書についてコメントする立場にはないわけで、ございますが、(議場:はぁー?)えー(ここからコピペ。)私は部下を信頼して仕事をやっているわけでありまして、えー総理秘書官在任中もそうでありましたが、柳瀬元秘書官の発言は、私は元上司として信頼をしております。その上で、愛媛県が作成した文書について国としてコメントする立場にはございません。えー昨年もですね獣医学部の新設をめぐる、これは省庁間、県と国ということではなくて、省庁間に置いて、やり取りが言った言わないと水掛け論に陥り、まぁこれが国民的な、議論を招く、大きな要因となったわけでございまして、そのため本年3月に特区の基本方針を変更し、第三者の加わらない、省庁間の調整プロセスについても、当事者が合意した議事録、の作成など、運用改善を行ったところであります。えー県の文書管理についてコメントする立場にはございませんが、政府としては今後とも国民の疑念を招くことがないよう、正確性を確保するための努力をしてまいりたいと考えております。」
「ご自身で言っていただきましたから、昨年は、えー文部科学省の文書の中に、官邸の最高レベルが言ってること、と今回も登場する内閣府の藤原豊氏の発言がありました。官房長官、最初怪文書のようなものと言いましたね。怪文書のようなものだったんですか」
菅
「当初、私最初に見たときには手元も何もなかったものですから。そのように私は発言をしました」(答えてないねー)
「だから結論は怪文書のようなものだったんですか。文部科学省のちゃんとして文書だったんじゃないですか」
菅
「いや、だって、示されたものについて出所を書いてないんですよ?どこが書いたか、書いてない文書でありましたから、私はそのように申し上げたんです。で、結果として、文科省の中にあったということです。」
「文部省(おっさんだね、愛しい)の中に、官邸の最高レベルが言っていること、という発言が記録されていたんですよ。それだけでも、藤原さんが勝手に言ったのか文部科学省が勝手に書いたのか。二つに一つなわけです。今回は、愛媛県の文書の中に、柳瀬、当時の秘書官が、本件は首相案件と言ったと、する文書がある。内閣府の藤原審議官の公式ヒアリングを受ける形で進めていただきたい、という記述もある。別の機関の文書に、それぞれに、総理、あるいはその周辺がこの期間にコミットしていたことを示す、文書が残っていたんですよ。これ、じゃあ、愛媛県の担当者が、聞いてもないこと書いてるんじゃないですか。じゃなければ柳瀬さんが嘘ついてるか。どっちかしかないんですよ、違いますか、総理」
「あのー先ほど申し上げましたようにですね、愛媛県が作成した文書について、国としてコメントする立場にないわけでございます。そしてその前に、内閣府と文科省についての文書で、言った言わないがあったわけです。そこでですね、かっこづきで発言を引用する場合には、本人に確かめてですね、その上で残しておく、これがまさに議事録というもの、でございます。つまり、いわば、当事者が合意した議事録の作成など、運用の改善を行っているところであります。改めて、県の文書管理についてコメントする立場にはございませんが、政府としては今後とも、国民の疑念を招くことのないように、文書の正確性を確保するための努力を行っている考えであります。」(国と会議する機会のあるみなさーん、音声データ消したらまずいことになる可能性がありますよー)
「聞いたことに答えていただいておりません。論理的に、柳瀬さんが嘘をついているか、愛媛県の担当者が聞いてもいないことを書いたか、二つに一つじゃないですかと聞いてるんです」
「これは、今お答えをしたようにですね、愛媛県の、えー、が作成した(紙を読む)文書の評価について、国としてコメントすることは、(議場騒然、野党理事委員長席へ)できないわけでございまして、他方ですね、(河村:枝野さんが、枝野さんが)私は部下を信頼しているわけでございまして、えー総理秘書官在任中もそうでありmしたガー、柳瀬秘書官の発言を私は信頼をしているところでございます。昨年もですね獣医学部の新設をめぐる、これは省庁間、県と国ということではなくて、省庁間に置いて、やり取りが言った言わないと水掛け論に陥り、まぁこれが国民的な、議論を招く、大きな要因となったわけでございまして、そのため本年3月に特区の基本方針を変更し、第三者の加わらない、省庁間の調整プロセスについても、当事者が合意した議事録、の作成など、運用改善を行ったところであります。えー県の文書管理についてコメントする立場にはございませんが、政府としては今後とも国民の疑念を招くことがないよう、正確性を確保するための努力をしてまいりたいと考えております。(野党理事が抗議する中、同じ答弁書を読み上げる根性、ちょっとすごい)」
「枝野くん、枝野くん、質疑を続けてください。質疑者は質疑を続けてください。総理は質疑をしましたから。噛み合ってないかは外の人がいうことじゃありません、質疑者がやってください(委員長職務放棄)
「委員長、あるいは国民のみなさん、(略)官邸で柳瀬秘書官にあったという愛媛県と、あってないという柳瀬さんのどっちかが嘘ついてるに決まってるでしょ。どっちか一つに決まってるでしょ、委員長どう思うんですか。答えてください」
「私が答弁することではありません。安倍(」
「4月2日の件についてはですね、昨年7月閉会中審査においてすでに、柳瀬秘書官から答弁があった通り、でございます。昨日の報道についても、柳瀬秘書官自身が、そうした発言をすることはありえないとコメントを出している通りでございます。そもそも、そもそもこれまでもなんども、繰り返し述べてきた通り、国家戦略特区のプロセスは、ワーキンググループや特区諮問会議といった(枝野:余計なこと言わない!)、民間の有識者が特区諮問会議を経て、決定されたもの、であります。えーその上で、今回の改革プロセスを主導した、八田座長含め、民間有識者の方々は、口を揃えて、一点の曇りもないと、繰り返し、述べており、関与はなかったことは、明らか、であります。当時の山本大臣もですね、特区担当の自分が、陣頭指揮をとって、全て判断しており、官邸は関係ないと答弁をしている通りであります、松野文部科学大臣も、官邸に対して、国家戦略特区に関して、なんら指示がなかったと明確に答弁をしているところ、であります(読み上げ終わり)。今までのプロセスとの関係において、申し上げている通り、でありまして、その点から、私は部下である、柳瀬ーえー当時の秘書官について、信頼をしているということで、ございます。」(野党理事はずっと時計を止める要求をしている)
「おかしいでしょ、委員長、今事実上、柳瀬さんは本当のことをいっていると、愛媛県は嘘の文書を作ったと言ってるわけですよ。委員長、国民の皆さんも、これほとんどの皆さんが、すでに総理が嘘つきだとわかってらっしゃると思いますが、愛媛県が嘘ついてるのか、柳瀬さんが嘘ついてるのか、柳瀬さんはこれまで参考人ですから、証人として、柳瀬さんを証人として呼び、そして愛媛県の担当者を証人として呼び、二人並べてここで話聞くしかないじゃないですか、委員長。」
「委員長、あなたの認識を聞いてるんですよ、委員長、あなたどう思うんですか、今の裁きおかしいですよ。聞いてもないことを長々と答えさせて、聞いたこと答えさせないで、時計も止めないで、あなたはどういう認識なんですか」
「私の、私が答弁することじゃありません。理事会で協議します」(職権で開けちゃうし、参考人も委員長職権で呼べちゃうって昨年決めちゃいましたからねー。)
玉木
「安倍総理大臣が、加計学園の獣医学部の創設について初めて知ったのは、昨年の1月20日ですか。」
「そもそもですね、繰り返し申し上げておりますが、国家戦略特区のプロセスは、ワーキンググループや特区諮問会議といった、民間の有識者が主導する特区諮問会議を経て、決定されたもの、であります。えーその上で、今回の改革プロセスを主導した、八田座長含め、民間有識者の方々は、口を揃えて、一点の曇りもないと、繰り返し、述べており、関与はなかったことは、明らか、であります。また当時の山本大臣もですね、特区担当の自分が、陣頭指揮をとって、全て判断しており、官邸は関係ないと答弁をしている通りでありまして、前川前事務次官も含めて、私の指示があったという人は一人もいないわけでございまして、私が関与していないことは明らかでありまして、私がいつ知ったかということは、今までに答弁した通りであります。」
玉木
「いつですか」
「えーこれはですね、繰り返し、答弁をしてきた通りでありまして、国家戦略特区の制度が誕生をし、平成27年11月から私が議長を務める国家戦略特区諮問会議において、今治市の特区指定に向けた議論が進むなかで、まず私は今治市が獣医学部を新設する要望があることをしったわけであります。最終的には昨年1月に公募を行い、事業者から公募があったわけで、その後、分科会でのオープンな議論を経て、その後、1月20日に諮問会議が開かれ、その際私は加計学園の計画について承認したわけでございます。」
玉木
「答えてない」
「明確に答弁してますよ。後ろのヤジがうるさいから聞こえなかったんじゃないかと思いますよ。丁寧に(さっきの繰り返し)承認したわけでごじゃます」
「承認は違うだろ」
ごめん、もう疲れたから要約するけど、玉木さんは、構造改革特区の時には知ってたんじゃないかと聞いてるんですよね。計画について知った、と答弁してるんですけど、獣医学部の新設の意思を知ったのはいつかと聞かれて、前はそれも17年1月だと言ってたんだけど、今回は何回聞いても答えないから訝しんでるわけ。
そんで、ゴーストライターの佐伯耕三秘書官と思しき人が、「シンプルに言ってんだろ」みたいな感じのヤジを飛ばして、玉木が怒るわけだけど、安倍の「ヤジではない」とかいう時の情けない顔よ。ゴーストライターの書いたコピペ以外はしゃべるなというお達しが出てるんだと思うけどね。ゴーストライター退場させられたら困るよねー。質問とズレてようが、ひたすら5つくらいの答弁書の中から一番マシそうなのを選んで読み上げるだけ。
自民党の安倍派議員は、本当に親分をフォローする気があるのか?
当人はフォローしているつもりでも、結果を見ればうまくフォローできていない。
西田、おめーはダメだ!(もっと全方位に目配せして、慎重に発言しろ!)
おまえの発言を聞いた国民はどう思うか?それで疑念が薄まるか?より一層不満を刺激するのか?
自民党の西田昌司議員の質問に対し、太田氏は事実関係を認めたうえで謝罪した。
これに対し、西田氏は「耳を疑うようなこと」とあきれた表情を見せ、こう声を張り上げた。「ばかか、本当に!」
続けて、西田氏が「印象操作するような答弁をすること自体、あり得ないんだよ」と語気を強める。
太田氏が「申し訳ありませんとしか申し上げようがない」と再び頭を下げると、西田氏は「自分たちの都合のいいように情報は出すけれども、都合の悪いのは覆い隠してしまう」と批判したうえで、財務省の責任をこう強調した。
「一番の原因はこの役人のあり方なんです。組織の論理ではなくて国民目線に立った仕事をちゃんとやる。そういうことを総理から訓示を与えてしっかり指導していく必要がある」
事前の想定問答集が充実していれば、いかなる変化球にも対応できたはずだ。
安倍を支援するシンクタンクは、他の自民党議員も失言しないようにしっかりとフォローしなければならない。
阪神とかヤクルトとか、セリーグの一部の球団の応援では「くたばれ読売」というコールが使われている。もちろん公式の応援歌の歌詞に載っているわけではなくて、あくまでファンが自発的に言っていることだ。
一家揃って阪神ファンの家庭に生まれた自分は、幼い頃から球場に試合を見に行っていたのでくたばれ読売コールをすることに全く違和感を感じない。「常勝球団の巨人への羨みとリスペクトを込めて言ってるんや」という、2ちゃんねるの阪神ファンが自己弁護に使うような理屈を信じ切っていた。
けれど昨日はてブに上がっていた↓の記事を見て少し疑念が膨らんだ。くたばれ読売に傷つく誰か、眉をひそめる誰かがいるんだろうと気づいた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180403-00000009-jct-soci
さすがに、「くたばれ読売」は「原爆落ちろ、カープ」と並列に語られるほどの問題じゃあないんじゃないかと思うんだけど、生粋の阪神ファンとして育った自分の曇った眼ではこの良し悪しを判定できない。過激な言葉を使って相手を煽ること、その行為を応援の一種だと言い張ることは、褒められるべきではないような気もする。どうなんだろうか。今度球場に行ったら、いつもは声を張り上げて言っていたあのコールに参加するのをやめようかな。
阪神とかヤクルトとか、セリーグの一部の球団の応援では「くたばれ読売」というコールが使われている。もちろん公式の応援歌の歌詞に載っているわけではなくて、あくまでファンが自発的に言っていることだ。
一家揃って阪神ファンの家庭に生まれた自分は、幼い頃から球場に試合を見に行っていたのでくたばれ読売コールをすることに全く違和感を感じない。「常勝球団の巨人への羨みとリスペクトを込めて言ってるんや」という、2ちゃんねるの阪神ファンが自己弁護に使うような理屈を信じ切っていた。
けれど昨日はてブに上がっていた↓の記事を見て少し疑念が膨らんだ。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180403-00000009-jct-soci
さすがに、「くたばれ読売」は「原爆落ちろ、カープ」と並列に語られるほどの問題じゃあないんじゃないかと思うんだけど、生粋の阪神ファンとして育った自分の曇った眼ではこの良し悪しを判定できない。過激な言葉を使って相手を煽ること、その行為を応援の一種だと言い張ることは、褒められるべきではないような気もする。どうなんだろうか。今度球場に行ったら、いつもは声を張り上げて言っていたあのコールに参加するのをやめようかな。
他のSNSで吐き出してもどうにもならない思いがあるのでここに全部置いていきたいと思う。
私の推しは役者としても1人の人間としても素晴らしい人であると思う。声がよく、歌が上手く、優しくて、努力家で、いつもえくぼのある素敵な笑顔で頑張っている。
最近では役の幅も広がってきていて、アイドルからおじさんから探偵から様々な役を演じている。
最初は声に惹かれてラジオを聞き始めたが、そこで彼は自らの性癖や妄想などを赤裸々に語っていた。最初は驚いたが、いわゆる「残念なイケメン(ここでは顔ではなく内面や役者として、という意味でのイケメン。でも顔もいい)」的な扱いをされていると知り、大好きになった。
飼い猫を溺愛していること、他の声優さんたちとモテたい談義をした話、束縛が大好きだという話、股間を踏まれたいとイベントで叫んだこと…
そんなことを知っていたので結婚はまだかな、本当にこの人結婚できるのか…?とさえ思っていた。そして少し先の未来に結婚が決まったときにはちゃんとお祝いしたいとも思っていた。
そして2日前、彼のブログで結婚が発表された。家で1人だった私は思わず驚きから叫んでしまった。後から涙が止まらなくなった。鍵垢でいろいろ叫んだりこの趣味を理解してくれる友人からLINEが来たりもした。
まだ2日しか経っていないからなのかもしれないが、未だに信じられない自分、ただただ2人を祝福したい自分、そして嫉妬・疑念といえばいいのかわからないネガティブな感情を持つ自分がいる。
もともと最近の私がガチ恋に近かったのに加え、ちょうど参戦した単独ライブの円盤を手にした時期であったのでデレ期が訪れていた。
彼女になりたい、結婚したいなんてことはあり得なさすぎて考えたことはなかった。それでもステージで歌って踊って慣れない楽器も弾く頑張っている推しが大好きだった。今も好きな気持ちは変わっていない、と思う。
彼は人との繋がりを大事にする人だと思っているし、もちろんファンを大事にする人だとも思う。だから今までついてきたしこれからも推し続けたいと思う。
頭ではわかっていてもいつから付き合っていたんだろう、その間私たちより彼女を大事に思っていたんだろうか、私が好きだった「残念なイケメン」は結局ただのキャラ付けだったんだろうか…など、とにかくありとあらゆる妄想の類が頭を四六時中駆け巡っている。
推しの写真を見るたび、演じたキャラを見るたび、推しが歌った歌を聴くたびに嫁の存在がちらついてしまう。それがどうしても我慢ならない。私は最高の推しと演じたキャラだけを見ていたかった。
推しの大事な人なのだからそんな人を傷つけたら推しが悲しむ。それだけは避けたい。わかっていても頭の中で売名じゃね?とか私は何やってたんだろうとか囁いてくる私がいる。そいつが私の中にいること自体が許せなくて苦しい。でも消すこともできない。頼むから失せてくれ。
外国人がよく日本の技術とか日本人の民度の高さをべた褒めするけど
口を開くたびに日本すごいと発言する人って、そんなにいるとは思えないんだよね。
特に口パクと日本語音声がまるで合っていないときとか、疑念が深まる。
でも、いくら何でも他人の発言を捏造することまでも「演出」ですまされるとは思えないから
やっぱり部分的には本当なのかなーとも思うんだ。
最大の疑念が生じました。
佐川証人は[なぜ書き換えたのか]という事実に関しては「刑事訴追の恐れがある」と証言拒否。
が、安倍総理と夫人と官邸からの関与については「ない」と断言。
政治家の関与そのものが[なぜ書き換えたのか]との刑事訴追の対象そのものなのに、だ。
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※すごく長いただの愚痴
TL警備は当たり前、食事休憩もボーッとTLを眺めて終わることがほとんど。休みの日なんてこれ幸いと一日中ツイッターしながらゲームしたり。
1日に何時間ツイッターをしているのか考えたことはないけれど、暇さえあればツイッターを見ていたように思うし、ツイッターのない人生は考えられなかった。
そんな私が、受験でも就職でも転職でもないのに、ツイッターを離れている。
理由は色々あるが、一番大きいのがこれだ。
ツイッターは素性を隠して利用している人が多い(そうでない人もたくさんいるが、今回は匿名性が問題になっているので除外する)。
それゆえなのか、なんとなく、昔から強い言葉を使う風潮があったように思う。
所謂『クソリプ』と呼ばれる、的外れだったり非常識だったりするリプライを送る人もいる。
声が大きい人に左右されがち、日本人あるあるだ。だからなのか、過激な発言をする人ほど信者だとかアンチだとかが集まって、大きなコミュニティを形成したりする。
だから、見ていて辛いものは、ブロックなりミュートなりして、自衛すれば良いと思っていた。
そうやって、何年も何年もツイッターを続けてきた。楽しかった。
あれ?
と思い始めたのは今年の冬。
新規のフォロワーも増えて、それなりに仲良くワイワイやっていた頃のことだ。
「×××無理なんだよね」
ふと、仲の良かったフォロワーAが呟いた。
ドキリとした。
私はそれが好きだった。
たぶん、Aは何も知らずに呟いたのだと思う。
けれど、それからずっとその言葉が頭をぐるぐるして、苦しくなってフォローを外した。
仲が良かったから、Aの地雷について呟かない別のアカウントは切らずに残しておいた。
また別の日。
Aと仲の良いBの呟きが目にとまった。
「××ほんと無理。焼きたい」
以降、つらつらとその理由が続く。
私、それ、好きです。
BはAとも、私が仲良くしていた他フォロワーとも仲が良かったので、その日は見なかったフリでスルーした。
後日、Bの更に過激なツイートを見て、怖くなってミュートした。
AやBは元からキツめの発言をしていたが、ツイッターに生息する我々にありがちなキツさだったため、あまり気にしてこなかった。
けれど、それが
という疑念に繋がると、
何だか一気に怖くなった。
この人たちは、こんな風に、こんな簡単に、誰かの『好き』を貶せるんだ。
全世界のあらゆる人が見ている、ツイッターという場所で、鍵もかけずに、誰かを傷つける暴言を平気で垂れ流している。
その事実に寒気がした。
私は自分にその矛先が向いたから、やっと「マズくないか?」と気がついただけで、この世界に長らく浸っていたのだから、私もまた誰かを傷つけていたに違いなかった。
AもBも、所謂『裏垢』を持っている。
ツイッター歴が長いと、無数のアカウントから裏垢を特定できるという、無駄な技能が備わってくる。
勿論、私は招待されていない。
共通のフォロワーが多いので、空リプなどで度々AやBの名前が上がるたび、チラッとホームに飛んだりしてはダメージを食らった。
AやBが過激な発言をするたび、仲の良かった他のフォロワーも便乗するように同意したりして、場はどんどん苛烈になっていった。
あるとき、Bが決定的な発言をした。過激すぎて、気分を害する人が出るといけないので伏せておく。
このあたりで限界がきた。
それが、自分がそれなりに打ち解けていると思っていた人だったから、恐ろしかったのかもしれない。
仲の良かった優しい人が、好きなものを好きと言っていいのだと言ってくれた人が、平気で暴言を吐いている。
それが耐えられなかった。
「あなたのことじゃない」
私が「私はその条件に該当します」と伝えると、彼らは口を揃えてそう言った。
それを判断するのは私だ。
それが、『ツイートする』ということだ。
「あなたのことじゃない」
と言うのは、その発言が人を傷つけるとわかっているからこその弁明ではないのか?
それって、なんだかすごく無責任だ。
何かを好きで、何かを嫌いな誰かだ。
『主張をする』のと、『誰彼構わず傷つけてよい』のは違う。
最近、これを履き違えている人があまりに多すぎるように思えてならない。
もちろん、私を含めてだ。
ツイッターは便利だと思う。
だからこそ、その恐ろしさをいつも忘れたくない。
『見たくないものを見なくてもよい』のは画期的だ。精神衛生上も良い。
けれど、それは、裏を返せば『自分に都合の良いことしか見えなくなる』ということだ。
趣味なのだから、そんな難しく考えるな、と言われるかもしれない。
けれど、趣味で人を傷つけていい道理も、趣味で傷つけられていい道理もないと、私は思う。
心の整理のために書き始めたものの、なんだかよくわからなくなってしまった。語彙力も説明力もない。しかも読んでいてまったく面白くない。ブーメランもいいところだと思う。ここまで読んでくださったあなたには土下座しかできない。申し訳ない。
きっと今日も、みんなは楽しくワイワイしているのだろう。
そういえば、桜が咲いてきたと聞いたので、明日はお花見をしようと家族と約束している。
【追記】
たくさんの反応ありがとうございます。個別に反応できないのがもどかしいです。
ただ、何やら誤解を招いているようなので、そこだけ訂正を。
ツイッターに思ったことを吐き出すことや、自分と異なる意見の存在を否定するつもりはまったくありません。自分と全く同じ物の考え方をしている人間なんてものは、この世に一人もいないわけですから。
だから、ふつうに嫌いだと言われても「へえ、そっか」と思うだけです。そうではないから、私はツイッターから離れました。詳しく書くと特定されてしまうため省きましたが、ありとあらゆるバリエーションの知的な皮を被った罵倒を想像してください。あとそこに女特有のハブグループとかの陰湿さをガンガンにプラスしていってください。たぶん、その十倍くらい酷かったです。そんな感じです。
私が言いたかったことは、マウントを取って勝手な優越感に浸ったり、安易に人を傷つけるようなことを言ったり、「わからない」という言い訳だとか、「あいつは悪いやつだから何をしてもいい」とかいうものがまかり通ってしまう現状が、好きな人たちがそうなるのを見ているのが、ただひたすら悲しく、疲れたということです。
これはツイッターに限ったことではありません。ただ、リアルで私の顔を見て同じことを言う人は殆どいません。心の中では思っている、もしくはそれこそツイッターで吐き出したり、こういう場所で心無いことを言ったりするのでしょう。
それが、回り回って、私の知らない誰かを傷つけているのだろうな、と私は思っただけです。
そして、そういうコミュニティに居続けた自分も、きっとそうなっている筈なのです。
なんだか、話していたらとてもスッキリしてきました。自分の考えがまとまった感じです。
聞いていただいた皆さん、ありがとうございました。ここを見ることは恐らくもうないと思いますが、皆さんにたくさんの幸せが訪れますように。
ただ、私がモテの条件としてわかりやすさを提示したのは、それこそ、感情が言語的表現に向いてないからなんだ。
私たちが私たちの感情を表現するのは、他者にしめすためだけでなく、自分自身を納得させるためでもあるわけで、そうなれば、わかりやすさというのは、愛の表現のしやすさ、あるいは納得のしやすさというのにもつながる。
だから、ルッキズムや、差別による愛の肯定と否定というものがあると私は考えていて、そういったものを無視して恋愛できるというのも実のところ、自由だの輝いているだの、あるいは夢があるだのというわかりやすさに依存しているのではないかと思っている。もちろん、これが後付けならなんら問題ないのだ。しかし、いざ恋愛やジェンダーを語るというタイミングでは、これを前倒しにして語らなければならない。そうすると、清潔感だったり誠実さだったりの便利ワードに頼らざるを得ない。
非モテへの助言が、常に的を得ないのはこのせいだし、さらには便利ワードを使い一辺倒に言語化することで、自身の感情さえも捻じ曲げてしまう危険性がある。もっといってしまえば、非モテへの助言が疲れるのはこのせいで、いったん納得した愛を再定義しなければいけないからだ。
でも、しかし、だとすれば余計に私たちは、これを言語化していくべきなのだが、どうも愛はずいぶんと歪んでしまったようで、非モテに愛が体現されるようになるまで、愛をたたき直すのは時間がかかる。しかし、誠実さはどうだろうか。清潔感はルッキズムに根差したもので、外見によって愛を得られない人々にとっては厳しい現実を見せるだけだが、誠実さは違う。
たとえ精神病であっても、単に性格が悪いのだとしても、誠実さを示すことはできる。誠実さは実に便利な言葉で、他人を思い行動するというただそれだけで、誠実と表現できる。疑念があり信用を得なければならないとはしたものの、誠実そのものは実はかなりシンプルであり、ツーカーで行える、分かりやすい概念だからだ。
私は、競争社会から脱して共生社会へと向かおうとする流れを信じたいし、それが私的領域にあっても評価される、性愛の対象になるという言葉をとても信じたい。それが男尊女卑やあるいは経済格差によるルサンチマンによるものだとしても応援したい。
だからこそ、例えばジェンダーを語る際に提示される誠実さというものについて語っていき、その実態が何かを考えていくべきだと思っている。内省という言葉を使ったのは私の政治的な意味があるのだ。私は、「誠実さによる性愛を信じているし、そう語ったあなたはモテるに足りうる誠実さを示すことができますよね」「そして、それが誠実さでない場合に、あなたのルサンチマンによって、モテる定義をやっぱり外見であったり、金であったりというのに引き戻すことなく、私の言う誠実が違ったのだ、と内省できますよね」という脅しである。
実際のところ、私は一般的な意味合いで誠実であるよう心がけているが、同時にとんでもない卑怯者だ。レトリック死刑令ができたのなら私はすぐに市中引き回しだ。だけれども、繰り返しになるが、誠実さによる性愛も誠実さ自身も信じている。苦しい。混乱している。
だから、利己的な言い方をすれば、人類でもなく、男性でもなく、非モテでもなく、ただただ私を救うためだけに、モテる誠実さの解像度を上げてほしい。像が見えた瞬間、私は嗤うかもしれない、あるいは信じた私を喜ぶのかもしれない。少なくとも今、目の前にある靄は晴れていくだろうから、私は少し前に進めるし、少し先のことも見えてくるはずなのだ。卑怯にも、あの手この手で、私利私欲を満たそうとする私を許してほしい。これを読んでいる人の気を楽にさせる為に言うが、私はモテない。こんな人間がモテるはずがない。それどころか、私の本性を見抜いたと報告してくるような変わり者は少ししかいない。友人が少ないということである。当然恋人がいた期間もほとんどない。その恋人だって、私の論を証明するのと、私の“性的趣向”を実証してやるためにやった実験であって、実験は成功したが、そのような誠実さに欠けた遊びの後始末は悲惨だった。ご想像にお任せする。
それでも私は誠実さを信じたいし、私のような人間でなくても、多くの人が誠実さを信じたいのだと信じている。みじめだが、実際そうなんだ。
両足の間に足がもう一本生えた醜い獣。男女お構いなしの性欲の塊。
この大元の増田に貼ってあったリンクに鏡のたとえ話が出てくる。自分が何の属性を負っているか、というのが鏡に見えるのだそうだ。女性であれば女性、黒人女性であれば黒人女性。男性には一人の人にしか見えないそうだ。私には鬼が見える。やせこけた鬼がそこにいる。人に良くすればよくなると、信じ込んでいる惨めな異形がそこにいる。
私は私の思う誠実さを示してくれたあなたに告白する。そんなこと重いよと思うかもしれない、自己憐憫に浸るなというかもしれない。けれど、私の誠実さというのはこれなのだ。この短時間のうちについたくだらない嘘を明かし、惨めな姿をさらし、伝わりにくい方法で真実を要求する。それが今のところの(歪んでいるのは承知の上だが)、私の誠実さなんだ。
うんそれは良くわかる。
その疑念があるからこそ、誠実さや優しさで好きになりましたというのが嘘なんじゃないかとか思ってしまうよね。あるいは都合よくコントロールするつもりじゃないかとかね。どちらとも悲しいし怖いし、軽んじられているように思ってしまうよね。
これ以上誠実さを求めるのかってなっちゃうよね。
でも、だからこそ、誠実さを求めるなら誠実に対応しなければならない。
誠実さに対する信用を得ることになるし、誠実さがなんとなくの具体性を帯びてくるかもしれない。
その誠実さがなんなのかわかった結果、実はうそんこだったとしても、
そこから内省し切り替えるのか、それとも見えづらくなったものの、まだそこにあるジェンダーロールを解体していくのか、
ともかくとして、前進はできるはず。
今の誠実って言葉は生まれも育ちも違う相手にとってあまりに抽象的すぎるし、言葉の使われ方としても意図があるのではという誤解を生じさせる使い方になっている。
また、相手に信用してもらうよう頑張ったり、あるいは、誠実さをもって対話するならば、お互いに理解できるかもしれないし、より良い社会になるかもしれない。
誠実さをもてばモテるなんて私は書かないよ。
そこは保証できないし、相手の言動の報酬として自分の気持ちを提供するなんてアホらいし。
結局モテるモテないなんて実際は、わかりやすく評価しやすいのかどうかがみたいなもので、あとは合う合わないなんだから数打ちゃって奴だと思ってる。
あんまりにもざっくりに言ってしまえば、ちゃんと知り合ってからの恋愛なぞ、トロフィーとしての優秀さと、あとは情なんだ。みんなサンクコスト気にするくらいなんだもの。
随分ととぼけちゃってたけど、実の所はそんなもんだとおもってる。
誠実さもわかりやすくて評価しやすいでしょ?でも、同じように金や背丈もわかりやすくて評価しやすいでしょ。多分そんなもん。誠実さは金や、背丈と同じ列にいるのだと思う。
そんなもんだとは思えども、ルサンチマンを抱えた女性達が増えてきたというのなら
そして、そういったトロフィーとは別の基準として誠実さというのが現れたというなら。
私はそれを信じてみようと思うし、それこそ誠実さを持って対話したいと思うのだが、どうなんでしょうかそこのところ。
どうでもいいだとか先回りして勝手な像を作りあげるだとかでなくて、誠実さにかけてみてほしいけれど。
さて、わたすは誠実と何回いったでしょうか?
http://psychodoc.eek.jp/abare/precox.html
端的に言えば「熟練した精神科医のみが感じうる、統合失調症患者特有の違和感」であり
その定義を信じるならば、一般人が他人に対して覚える違和感ではない。
だって熟達の精神科医が辛うじて感じ取れるようなシグナルを、訓練も受けていない一般人が感じ取るなんて矛盾しているから。
しかも最新の米国精神医学基準であるDSMでは極めて否定的に取り扱われているとなると
「誤った過去の概念を一般人が感じ取っている」事になるから、ますます有り得ない事になる。
ところが、2chを中心に、アスペルガー症候群や自閉症スペクトラム当事者の間で、
自分たちが社会から阻害される理由を「自分にプレコックス感があるから」と
定義する人たちが増え出した。多分2010年代に本格化してきている。
http://hattatu-matome.ldblog.jp/archives/45974551.html
http://hattatu-matome.ldblog.jp/archives/46654297.html
面接官が「熟練の精神科医」な訳ないだろ?おかしいじゃないか。
ただ、全くの荒唐無稽とも思われない要素もある。
それは「統合失調症と誤診された自閉症スペクトラム患者」の存在だ。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscap/58/1/58_60/_pdf
「自閉症スペクトラムが統合失調症に近似するような病態を見せるのであれば類似した違和感を相手に与えるのでは?」
という疑念を彼ら当事者に植え付け、「やっぱり『プレコックス感』があるから避けられるんだ」と
コミュニケーション上の失敗を自らのスティグマとして過剰に内面化している自閉症スペクトラム当事者が観測されている。
結論から言うと、精神医学界から、そろそろ真面目に「自閉症スペクトラムの生き辛さと『プレコックス感』を統合するのは間違いです」と
自分用のメモであるが、経緯が分かってない人が多すぎるのでここに記しておく。
・三浦に3連敗
・連盟に不正疑惑記事を書かれると大変な事になると話を持ち込む(ただし自分がリーク元である)
・あいつを降ろさなければ竜王戦に出ないで大変な事にしてやると連盟を強要(論理が逆転)
・秘密会議に羽生を呼びつけなんとか言質をとりつけその後の根拠とする
「過去に三浦九段と対戦した5人前後の棋士から、調査依頼があった」→渡辺と久保だけ
「休養を三浦が言い出した」→「竜王戦は開催されなくなった。それを承知してくれるか」と島が発言したため
「離席は2時間40分(青野)」→自分の手番でと喧伝されたが実際には相手の手番も含む、休憩を除いた全対局時間(10時間31分)の中のそれ
→一棋士に過ぎない渡辺にその権限はない。権限がないことをした以上、強い責任が生じる
→証拠もなしに、三浦に棋士として最大の侮辱を与えた。昔であれば切腹ものの屈辱。
これは絶対にやってはならないこと。渡辺に切腹しろとは言わないが、自主的に引退ぐらいはすべき案件
→この事件は渡辺がいなければ発生しなかったことになる。この点で除名相当
7月26日 久保が三浦と対戦、30分の離席(実際は6.3.3分)
8月8日 連盟が長時間の離席を控える旨の通知書を全棋士に送る。
10月3日 A級戦 三浦に敗北。渡辺は「三浦の研究手に嵌められて負けた」と発言、感想戦もそこそこに帰宅
10月4日 テレビ(?)で見ていた黒幕※に「三浦のカンニング疑惑」を教えられる。
10月4日-8日?のどこか 文春記者、情報を掴んだと10/20発売の文春に記述
10月 5日 渡辺提案で竜王戦の金属探知機導入が決定 (サンスポ)
10月 5日 12月14日より、電子機器は対局前にロッカーに預ける、対局中は外出禁止、等の規定を施行の旨公表
10月 7日 三浦とは対戦したくないと、島専務理事にねじこむ (電話連絡)
10月 8日 渡辺は文春記者に、「これが最後の将棋になるかも」メール送付 (週刊文春12/28)
10月10日 秘密会議 千田を連れて、羽生や谷川にカンニング疑惑を説明
10月12日 三浦、挑戦権を剥奪される (判断主体は理事会or常務会)
10月12日 連盟 処分発表 、渡辺ブログで「大変な事態、詳細は各種報道に任せて、ここでは省略。」
10月14日 竜王戦 前夜祭
10月15、16日 竜王戦第一局 、天竜寺にて80年ぶりに開催(青野理事の功績大)
10月20日 週刊文春に、渡辺の独占告白が行われ、三浦の疑惑が大々的に報道される
12月?日 竜王戦防衛直後、第三者委員会報告の前に、渡辺「告発した事は後悔していない。」旨発言(週刊文春12/28)
※10月4日、渡辺にチクった黒幕は、報道関係者(朝日新聞)、棋士(週刊文春)の二説あり
12月10日頃 上州将棋祭り2017(2017年1月3日、4日)ポスターから三浦の写真削除
12月27日 三浦会見:「竜王戦は中止になりました」・上州将棋祭りの三浦降板は連盟の一方的措置(三浦)
12月27日 日本将棋連盟(以下連盟)会見:休業は三浦側から言い出した、強要はしていないと反論するも「中止になりました」云々には言及なし
12月28日 連盟ウェブサイトに上州将棋祭りの三浦降板は連盟の都合によるものと公示
1月3日 上州将棋祭りに三浦が特別出演(あいさつのみ)、記者会見
1月7日 王将戦開幕前日、「対局者※の意向もあって金属探知機の検査は見送られた」(毎日) ※郷田と久保
1月17日 第三者委報告概要ドラフト版が連盟ウェブサイト上に発見され、公開版との異同が指摘される
1月17日 竜王就位式で渡辺明竜王が事件についてコメント、謝罪・陳謝等と報道される
将棋ファンの皆様方にご迷惑をおかけしました。申し訳なく思います」
1月18日 谷川、連盟会長辞任会見(新理事選出まで留任)あわせて
三浦の復帰戦は2月13日竜王戦対羽生戦と公表、ただし三浦側からは諾否についてコメントなし
1月19日 連盟理事会、谷川・島の退任承認と2月6日の臨時総会招集を決定
1月20日 連盟の新動画配信サービス告知される(2月1日A級順位戦―三浦は不戦扱い―からサービス開始)
1月23日 月例報告会、理事総解任請求書提出も臨時総会議題とするかは理事会預かり(スポニチ)
1月25日 理事補選立候補(定数2)締め切り、佐藤康、井上が立候補
1月29日 羽生理恵ツイッターで夫の秘密会議出席経緯やメールの真意を発信
2月2日 谷川入院、病名不明、棋王戦第1局前夜祭(4日)、臨時棋士総会・理事会(6日)は欠席の見通し
「渡辺竜王が島常務を脅して三浦九段を失格にするように動いたというのは報告会で島常務から聞いた話」
https://pbs.twimg.com/media/Cv_VWvvUkAAmTAt?format=jpg&;;name=large
・明らかに事実を歪曲してでも不正に持って行こうとしている意図が当初告発に見られ、それについての三浦九段の反論を封殺していること(検証データの恣意的な選別、一致率の対象手の妥当性など)
・連盟が渡辺主導での処分後、もう調査しないと主張しクロでの幕引きを図ったこと
http://shogiweblog.net/archives/565
・三浦をこき下ろしまくった文春記事を渡辺がブログでわざわざ追認していること
「週刊文春に掲載された記事内容は、個人的にはおおむね間違っていないように思います」
http://blog.goo.ne.jp/kishi-akira/e/1f691f8dcad02d9173e57e1699717db7
【結論】
もし渡辺が不正かどうか調査だけしてほしいと思い告発したのならば、完全に上記内容と矛盾する。
本当にしっかり調査して、将棋界のため出来るなら白であってほしい立場の人間が取る態度とは正反対の行動ばかりである。
全てにおいて、とにかく三浦を黒認定してさっさと幕引きしたいという意図つまり悪意しか感じない。
第9条
会員が次のいずれかに該当するに至ったときは、総会の決議によって当該会員を除名することができる。
(1)本連盟の名誉を毀損し、又は本連盟の目的に反する行為をしたとき
タイトル戦での詰み逃し率
渡辺 0.0%(82戦)
森内 2.9%(105戦)
羽生 2.8%(536戦)
NHK杯での詰み逃し率
渡辺 14.8%(27戦)
森内 12.5%(32戦)
谷川 7.3%(55戦)
中原 6.7%(60戦)
加藤 7.4%(5戦)
大山 13.9%(72戦)
成型CFRPにしたい上流のほうから来ました。苦労をかけてすまないねえ。
それはそれで難しいのか
一般的にSUSの方が難しい・一般的に薄い方がスプリングバック・ゴーが出やすい・一般的に圧力が低い方が安定しない
まさに北海(臨界工場)の専用ラインとは比較にはならない。巨大な油圧4000t機なんて普通の薄板加工ラインにあるわけがないので当然だけど。
https://anond.hatelabo.jp/20180301221340
出てこないはずだと思う
同意。出てくる現場が想像付かない。生産管理/生産技術からも出るはずがない。もし本当だとしたらかなり深刻だろう。
「削っちゃえば良いんじゃねー」
無いと信じたい。どちらかというと気になるのは軸バネ座が全面肉盛してあったことで、合わせるときに*なぜか*ビードの周りも平面出ししたんじゃ。いや苦しいなこれ。
ただ、軸バネ座の肉盛の方が先だったんじゃないかという疑念が断面写真のき裂進展具合からするとぬぐえない。腑に落ちないのは確か。
はじめたよ!
やっぱり出てきた、こういう中途半端が書くのは本当にやめてほしいと思ってたのに。こんなの設計の責任にするなんてバカげてるよ。
http://temcee.hatenablog.com/entry/N700_incident
このホメオパシーレベルの頓珍漢記事を崇め奉るはてな民って本当にどうしようもないよな。
板厚0.4mmのSUS304を高さ4mmのR曲げにして、先端のバラつきが0.3程度になる
t0.4のSUSってヒョロガリのキモオタがワンパンしただけで台無しになるような薄さなんだけど、そんな折り紙レベルの話と今回の話は全く違うことだと気付いてほしい。
それはそれで難しいのかどうかプレスについてきちんと学んでない俺には分からないが、今回のプレス品t8とは明らかに性質が違うものなのは誰にだって分かるだろ?
ブコメにはちゃんと御存知の人間がいたからどうしようもあったわ。
全くその通り。このモナカ合わせは在来線でも新幹線でも実績のある工法だし、プレスをやってるのも本当に専門のプレス屋であって、その辺のブレーキいじってるだけのオヤジとは違う。
http://www.hokkai.co.jp/products/train/
業界にいるなら誰でも知ってるくらいのプレス屋なんだけどなあ。
でも製造に無理を押し付けても、作れないものは作れないんですよね。作業指示をしていても、それが現実離れしているものであれば現場の人を苦しめるだけです
現実に作ってるんだよ。知らないかもしれないけど、これが作れないというなら新幹線どころか在来線だって走ってないんだよ。知らないで適当な事かいてんじゃねーよ。それ作ってる奴らが製造が悪いって報告書出してるのに、何も知らない奴が外から勝手に設計のせいにしてるの見ると、製造側の人間として顔が赤くなる。
設計がおかしい時は確かにある。ちゃんと精度が出てない部材が納入される時だってある。客先要望で仕様変更が入ることは全く珍しいことじゃない。初めて作ったならJRからの数十数百の指摘もあると思う。
でもそれ、そのままで作ったら終わりだろ?
「調整作業」ってのは削ってやるんじゃないんだよ
なんでこんなバカの記事がホッテントリになるのにも関わらず、俺が書いた増田は誰も読まないんだろうか。誰か理由を教えてくれないか?書き方に何かコツでもあるのか?
https://anond.hatelabo.jp/20180301221340
素人にも3行で分かるようにまとめておく
・8mmの鋼材を4.7mmまで削り込んで疑問を持たない奴の溶接は鉄骨だろうが鉄道車両だろうが自動車だろうが殺人行為
・公差はこの分野では一般的なものだし、それをクリアできる特別な外注先が存在するので設計自体には問題ない
・報告通りではあまりにも杜撰な話なので川崎重工の報告には疑問を持っているけど、嘘だったら本当に終わりなのでどうだかな
https://anond.hatelabo.jp/20180304061503
ただ、軸バネ座の肉盛の方が先だったんじゃないかという疑念が断面写真のき裂進展具合からするとぬぐえない。腑に落ちないのは確か。
そっちだと余計に理由が分からんからなあ。そんな作業考えたこともなかったわ。想像を絶するほど杜撰だから信じたくないだけなのかもしれない。
あと豊川ではないよ。
東京と地方の話題になると東京の納税額が多い事を理由に、地方に発言権は無いという論調の人がちょくちょくいる
しかし、利便性の面から本社が東京にあるだけで、利益は全国各地で商売を頑張った結果という会社も多いと思う
大企業であればあるほど地方の各支社、支店と、その地域の従業員の労力で得られた利益も多いはずだ
地方の人間から見ると人、物、金を集約している東京が、税収、納税額の面で突出するのは当たり前の事の様に見える
全国規模の大企業も多くは本社を東京に置いているのだから尚更だ
それで納税額が他県と変わらないなどという事があり得るだろうか?
そして、あれほど色んなものを集約している割には、その突出度合いが小さいのではないか? とも思う
もしかして集約し過ぎてかえって効率が悪くなっているのではないか? という疑念も湧いてくる