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2024-10-01

高崎物語

高崎物語」は、高崎市を舞台にした複数短編映画シリーズですね。それぞれの作品物語は異なりますが、共通して高崎の街並みや人々の暮らし、そしてそこに息づく温かい人間模様が描かれています

これまでの作品について

現時点では、少なくとも2つの作品が公開されています

高崎物語 ー夏ー (2018年):

群馬交響楽団に影響を受けて音楽家を目指す音大生・裕を主人公に、ある夏の数日を描いた作品です。高崎の街並みや音楽が印象的な作品となっています

高崎物語 ー願ー:

珈琲店を営む小町のもとに、心待ちにしていたお客が東京からやってくるという物語です。人々の心の交流が温かく描かれています

シリーズの特徴

高崎愛が詰まっている:

作品とも、高崎の街並みや文化、人々の暮らしを丁寧に描き出し、高崎への愛が感じられます

短編映画オムニバス形式:

複数監督によって制作された短編映画が集まって一つの作品となっています。そのため、毎回異なる視点テーマ高崎が描かれるのが特徴です。

市民参加型:

高崎市民の協力のもと制作されている作品もあり、地域に根ざした映画となっています

高崎物語 ー夏ー」のあらすじ:

音大生・裕は、高崎の街で夏を過ごす中で、音楽自分自身について深く考えさせられます

高崎物語 ー願ー」のあらすじ:

珈琲店を営む小町と、東京から来たお客さんとの出会いが、二人の人生に新たな変化をもたらします。

映画を観るには

高崎コミュニティシネマ:

上映会などが開催されることがあります

映画祭:

高崎映画祭など、地元映画祭で上映されることもあります

動画配信サービス:

今後、配信される可能性もあります

高崎物語」は、高崎の街の魅力を再発見できる温かい映画シリーズです。ぜひ、機会があればご覧になってみてください。

高崎コミュニティシネマ: https://takasaki-comm.jp/comm/564/

高崎映画祭: http://takasakifilmfes.jp/2020/cinema/214/

2024-09-28

anond:20240927152219

ほらね。原因はアホなオッサン悪魔化して思考停止しちゃってるでしょ。

このことを言ってるの。わかる?

個人自由指向ってね、たとえば女性美大とか音大とか行きたがるでしょ?

イラストレーターとかネイリストとか保育士とか介護職とか目指しちゃうでしょ?

あいうのが、女性の平均賃金低下に加担しているのね。彼女らが女性差別(と言われているもの)を生み出しているの。

だってそういう職に就いちゃったら賃金は低いんだよ?

から女性差別(と言われているもの)をなくすには、アパレル店員になりたいとか言ってる女の頬を引っ叩いて、

投資銀行とか商社マンとか経営者とかコンサルを目指させないといけないの。個人自由指向なんかに任せちゃいけないの。

今度こそ、ほんとにわかった?

2024-09-18

anond:20240915095626

チャールダーシュ自由度が高く奏者がいくらでもアレンジできる曲で、実際余興として弾かれるケースが圧倒的に多い時点で本格的なクラシックじゃないので、それを以て奏者のクラシック演奏能力は測れない」

この話の後半の「奏者のクラシック演奏能力」ってところの解釈問題なんだろうね

音大出てクラシック界でやっていくいわゆるクラシックの人たち」にとっては伝統的な解釈の上に成り立つ曲のアナライズが超重要なんだと思う

慣習としてチャールダーシュ自由アレンジされる曲で、つまりクラシックの人たちが「クラシック演奏」のくびきから解き放たれて「音楽演奏」をしがちな曲ということだよね

から「のクラシック演奏能力は測れない」

2024-09-15

チャールダーシュ舐めんなって話

ネットで見かけた、「自称音大ヴァイオリン卒という人が言ってた話ではあるんだけど。

彼曰く

チャールダーシュ自由度が高く奏者がいくらでもアレンジできる曲で、実際余興として弾かれるケースが圧倒的に多い時点で本格的なクラシックじゃないので、それを以て奏者のクラシック演奏能力は測れない」

だそうだ。

いや、チャールダーシュロマ音楽リスペクトした作品であって、それはそれでどう弾くかは入念な考察必要なわけで、自由度が高いなんて解釈は雑もいいところ。

だいたい、それだったらジャンルを同じくするスペイン交響曲チゴイネルワイゼンだって、本格的なクラシックじゃないという話になるんじゃねーの?

と思ったら、その2つは難易度的な観点(チャールダーシュのほうが遥かに簡単かつ、上の2曲は音大受験レベルの難しさ)から、本格的クラシックなんだそうな。意味わかんねー。

とはいえ現実には、プロほどチャールダーシュを悪い意味で余興的なスタンスで弾くことが非常に多くて、そうやって弾かれたチャールダーシュは、残念ながらどれもこれもセンス的に微妙過ぎたり。

まあでも「それを以て奏者のクラシック演奏能力は測れない」んだったら、好き勝手に弾いていいってことなんでしょうね、どうにもがっかりですわ。

音大しかヴァイオリンとなると、それこそ音大入るまでに比喩でも誇張でもなく、文字通り「百万回さらってきた」人たち。

その時点で誰もがその場所に立てるものじゃないどころか、それを生き抜いてきただけでとんでもなく凄いと思う。

からあんまりそういう立ち位置の人をdisることはしたくないんだけど…それにしたってあまりレベルが低すぎないか???

アレか?音大クラシックを本格的かそうじゃないかを、曲の難易度だけで選別するのが教育なんですかね??実に芸術的で頭が下がりますね。

そんなんだったら音大なんて行かなくて良かったって心底思うし、悪いけど「音大なんか行くもんじゃない」って周りに言いふらすことにさせてもらうわ。

2024-09-11

外野目線による、某名門音大ヴァイオリン卒の演奏上の特徴みたいなもの

いうて東大物理だって色んな人がいる程度に、某名門音大ヴァイオリンと言ったって色んな人がいて当たり前。

加えて今回はn=5という、n=1に毛が生えた程度の話だ。

しかも「他の音大だって同じようなもんだよ」と言われそうな反面、自分が知る某名門音大卒の誰も彼もが共通する弾き方ということで、そこの学校校風なのか?と思い、筆を執った次第。

ちなみにこの5人は全員女性、うち2人が自分過去に習っていた先生である

ということで前置きはこれくらいにして、某名門音大ヴァイオリン卒の演奏者に共通して感じたこと、それも正直ネガティブに感じたことを挙げてみる。

けがない発音から出発している

前提として、ヴァイオリンは元々イタリア民族楽器だが、ヨーロッパに広まる過程で、ヴィオティというイタリア作曲家ヴァイオリン奏者が、フランストルテという職人に依頼して、弓だけ後付で改良したという経緯がある。

まり現在ヴァイオリンイタリア発祥かつ、弓だけフランス近代化された形で普及していると(だから今でもイタリア製のヴァイオリン本体と、フランス製の弓にプレミアが付く)。

このうち問題になるのが弓。フランス近代化される前の、元々のヴァイオリンの弓には何かと演奏上の制約が多く、一番のハンデは、腕の筋力で弓を弦に押し付けたが最後、弓が倒れてしま演奏できないことだ。

結果、ヴァイオリンには以下の奏法があり、奏者はこのどちらかを出発点にしている。

  1. いわゆる古典の奏法と言われる、弓の重さだけで弦を擦る方法アタックの後で音が緩やかに減衰する、いわば抜けのある発音
    本来ヴァイオリンらしい、自然かつ味のある響きが期待できる反面、ロマン派のような引っ張る旋律を奏でるには、歌う代わりに弾くくらいの、冷静かつ強い集中が必要
    なお近現代メカニカル旋律は明確に苦手。一方でガット弦の乾いた音には順応しやすい。
  2. 近代化された弓でなければ演奏できない、腕の筋力で圧をかけて弾く奏法。弓のストローク最初から最後まで均一な、いわば抜けのない発音
    たとえ手先だけの演奏であっても朗々とした音を奏でられる反面、ヴァイオリンらしいナチュラルな味わいや、古典的な魅力を表現するのが非常に難しい。
    現代メカニカル旋律は得意。ガット弦はギシギシかつ濁った音になりがちなので苦手。

で、これまで会った某名門音大の人らは全員2番目の弾き方。要は抜けのない音を出発点に、弾く音楽に合わせて音を抜こうと工夫する演奏

それでキレイかつ素敵な音になっていれば、あとはもう好みの問題なんだが、筆者を含む1番目の弾き方をデフォルトにしている人間からすると、「そこでそんなビブラートはかからなくね?」とか、違和感を感じる瞬間がそれなりにあったり。

それからロマン派や近現代のやたら難しい曲をめっちゃ上手に弾くのに、古典派の代表的作曲家であり、難易度的にはそこまで難しくないはずのモーツァルトを苦手とする人が多いのも大きな特徴。

しかしながら1番目の弾き方をデフォルトにしている人間は「モーツァルトをまともに弾けない人が、ロマン派以降のメンコンとかブルッフとか弾けるわけないじゃん」
と思っているので、この逆転現象を見るにつけ、「それ、ヴァイオリン弾けたことになるのか??」と疑問に感じることしきり。

いつでも音程だけは合い過ぎるほど合っている

基本的に、表現の細やかさと演奏の正確さは比例するのが普通なはず。つまり大味な表現だと音程も外れ気味で発音もあまりれいじゃなかったりする。

逆に言えば、音程なんて表現が細やかになっていけば勝手に合ってくる。このままじゃ繊細な表現を実現できない!→実現できるくらい音程が正確に合わなきゃ気が済まない!という感じで修正されるから

その一番素敵な例が、完全独学で名手レベルまでのし上がったギタリストだろう。彼らの表現に、義務感でやらされて正確さを獲得したような音は皆無だ。ハートに突き動かされて精緻を極めた音だけが、そこにある。

表現したいフレーズが完全に線になっていて、その線に然るべき音程の音がはめ込まれている感じ。

それに比べると、某名門音大卒の人たちの演奏はというと

「そんなにざっくりな表現で、そこまで音程が合うはずないんだけどな、どうなってんだ??」

違和感バリバリなのだ

なんでそんな、音程だけ全力で合わせたような音で弾くんだろう?というか、なんでそんな演奏問題ないと思うんだろう??

それよりは表現も正確さも拙いけど、ヴァイオリンが好きという気持ちが音にはみ出たような、一生懸命弾いている演奏のほうが自分は好きだったり。

というわけで

実はここまで書いた音大以外にも、弦の名門かつ指揮の名門と言われる音大がある。

そっちの音大では、上で書いた傾向を比較的持たない人が多いと言われる。

しかも草創期に在学していたOBOGが、常設ではないが世界的に評価されている、いわば祝祭オーケストラを結成したこともあるレベル

そこでコンミスを務め、海外教授をやっていた女流ヴァイオリニスト(故人)曰く

「〇〇先生(その音大創設者)に教わったことは、世界中のどこでも通用した」

この言葉は非常に重い。

まあ、自分が今更音大に行く可能性なんて、入るまでの大変さはもちろん卒業した後どうすんの?という問題も踏まえて万に一つもない。

しかし、もし今後音大に入れるチャンスが巡ってきたなら、どうせ入るならそこに入りたいなーと妄想するくらいには興味あったり。

2024-09-08

努力にまさるものクスリしかないわ(個人の感想です)

anond:20200315130251

ストラテラを服用するようになって4年半、気がついたら短期記憶の弱さは大きく改善されていたし、

おまけに弱腰ビビリな所もなくなり、ちょっとやそっとの注意や叱責も必要以上に凹まず…ということで、

あとはこのまま残りの人生もやっていくつもりだったが、今春諸事情により転院(もちろん円満に)した結果、

新しい主治医が3ヶ月目の問診で、インチュニブという薬を追加で服用してみないかと勧めてきた。

この3ヶ月診てきて、生活に支障が出るレベル衝動性があると見なされたようだ。

一番の問題点は「待つ」という選択肢が取れず、それが色々と人生に悪影響してそうであると。

それでお盆休みになったタイミングで飲み始めたのだが…これがかつてのストラテラを上回る効果を発揮してしまった。

列挙するとこんな感じ。


そして何より決定打だったのが、趣味で幼少から続けている楽器で、今取り組んでいる曲(一応、音大受験レベル)を

さらい始めた初期からずーっと注意され、それでも身につかなかったスキルが、突然体得できてしまたこと。

これはもう、落ち着いたまま静かに集中しないとできないことが、薬の効果でできるようになったとしか思えない。

最低処方の2mgでこれだけ物凄い変化なのだから、これから量を増やしたらどうなることやら。

本当に、冗談抜きで薬ってすげーというか、努力でどうにもならないことも可能になる現実言葉がない。

まあ、自分努力カバーできるほどは頭が良くないといえばそれまでなのかもしれない。

実際大昔測ったIQは112、一応お利口さんの仲間には入れてもらえるが、間違っても天才秀才ではないレベル

(大学駅弁クラス国立なら受かるとかそれくらい)

その意味で、こうした薬の副作用が強く出なかったのは運が良かったと思う。

もちろん、20年30年経って何かとんでもない問題が起きる可能性は否定できないが、そんなのどの薬も一緒だろう。

これは暴論かもしれないが、その分良い思いできたんだからそれでいいんじゃね?っていう。

とはいえ薬価が高いので自立支援前向きに検討しつつ、やっぱ薬しか勝たん!と思う今日このごろである

2024-09-04

anond:20240904083938

楽器保有ハードルの高低は楽器によるだろ。

チューバとか高卒まで吹奏楽してても持ってない人が大半では?(音大進学勢は知らん)

俺はトロンボーンだったが、それでも値段と置き場と吹く場所のなさを考えて購入はしなかったな。

吹奏楽部員のほとんどが高校限りで楽器辞める本当の理由

朝日新聞記事出してはてブトレンドになってたが、記事コメント的外れなので、卒業大学一般吹奏楽複数渡り歩いた増田が「大半が高校卒業後に辞めちゃう本当の理由」を解説しておくよ。

1.まず、「続けられる環境」はある

ほとんどの大学には吹奏楽部やオーケストラがあるし、大学の数以上に一般吹奏楽団があちこちにある。首都圏東京神奈川県千葉埼玉)には300以上の一般吹奏楽団が活動している。

これらの一般吹奏楽団は初心者お断り殆どだが、逆に言えば「元吹奏楽部で楽器保有」なら引く手数多なのだ楽器保有は若干ハードルがあるように見えるが、高卒まで続けるような管楽器部員殆どクリアしてる。(クリア出来ない部員は途中でいなくなる)

また一般吹奏楽団で吹奏楽コンクールに出るのは全体の3割くらいしかなく、7割はコンクールに出ずに年1の定期演奏会と数回の地元イベントに出る程度の団体が大半なので、「コンクールスポ根みたいなのが嫌だ」という人でも受け入れられる土壌はある。中には「地元強豪校の1軍OBOGまたは音大芸大在学または卒業」という厳しい入団条件があるところもあるが、レアな部類だ。

から環境がない」は誤りなのだ

2.高校で辞めちゃう真の理由

2つある。

高校生活の中で成功体験が得られず続ける意欲が無くなった

技術面で上達出来ず、吹奏楽コンクールメンバー(最大55名)に最後まで選ばれなかったとか、ずっと三軍メンバーで本番は野球応援定期演奏会アンコールしか吹かせてもらえなかったとか、トランペットだったけど3年間メロディは吹かせてもらえず、ずっとサポートパート万年3rdというスラングがある)だった…などというような人。

一見酷い扱いに見えるが、野球部に入ったけどずっと球拾いで試合は客席から応援団として参加、というのと同じと思えばよい。

(余談だが、甲子園アルプス席は「野球部の2軍以下」て「吹奏楽部の2軍以下」の集まりというケースが多い。それと「コンクールよりも甲子園優先はけしからん」という指摘は的外れ。何故なら彼女らはコンクールメンバー落選組だから。もちろん例外はある)

そういう部員は、高校卒業とともに部活ジャンルから離れる。吹奏楽でも野球でも。成功体験が得られずトラウマしかならなかった環境を忘れるために。

②嫌な人間関係ゼロクリアする

先述の一般吹奏楽団は、実は「何処かの学校のOBOGバンド母体orOBOGが多い」という特徴を有するところが大半だ。場合によっては指導者がその学校と掛け持ち指導のケースもある。

まり一般吹奏楽団に行くと、吹奏楽時代に会った嫌な先輩、同期、指導者と再会どころか、一緒になってしま可能性が高いのだ。

幸い「嫌な相手」がその楽団にいなくても、「嫌な相手」とつながりのある人が楽団に居る可能性が極めて高いし、コンクール吹奏楽連盟主催の合同演奏会などでその「嫌な相手」とばったり再会してしま可能性も高い。相手別に嫌な思いはあまりないので気軽に「今度飲みに行こう」とか言ってくるし誘っても来るが、こちらとしては吐き気しかしない。

なら高校在学中に辞めれば良かったのでは?と思うかもしれないが、学校という集団生活の中で途中退部してしまうと「負け犬」として学校カーストの下に追いやられるので、相当な覚悟が要る。

しか卒業してしまえば「もう楽器辞めました」となっても誰からも笑われないしカーストの下にも追いやられない。だから高校卒業と共にゼロクリアしてしまうのだ。

増田が言いたいのは「環境が無いから辞める、というのはただの建前」という1点だ。理由の建前と本音根本的に違うという意味では転職活動と似ていると思う。

追記

増田都市部の強豪校だけの話してるだろ」という的外れな指摘があるので補足するよ

成功体験がない」の説明を端折りすぎたのがよくなかった。具体的にはこういうのも含む

それは「コンクール地区予選(県大会の下)止まりかつダメ金すら経験がない弱小校」の部員大学一般楽団でこのレベルの元吹奏楽部員を見ることはかなり少ない。「私は弱小校でした〜」と言うような人でも、実はB部門支部大会(つまりB部門最上大会)まで経験あり、ってパターンばかりだ。

B部門(奏者30名以下)とは言っても実際は「A部門は上位大会に推薦される学校事実上固定状態からB部門に出てるが、部員は50名以上居るのでオーディションがある」ケースが少なくなく、十分「上澄み」の域に居ると言えるだろう。

ただし、本当の弱小校でも演奏会ソロもらってそれなりに出来た経験がある人だけはこの話に当てはまらない。演奏会成功体験になってるからだ。

それすら得られなかった「万年3rd」のような人は、大学進学とともに別ジャンルへ消えていく。

もちろん、成功体験が多分にあっても、高校卒業区切りとして楽器から離れる人が大多数だろうし、増田もそういう人をたくさん見てるが、「続けたかったが環境がないから辞めた」って人は多くは見ない。広義では人間関係環境の一つと言えるから、「環境がないから辞めた」の中には「人間関係に疲れて辞めた」が多分にいるのかも知れないし、捏造に定評がある朝日新聞のことだから人間関係」を「環境」に置き換えてるのかも知れない。

2024-09-02

anond:20240902233224

音大生の防音マンションはとり方が大袈裟すぎでしょ。

都市部家賃10万〜壁薄マンションとか住んだことある

無理やり2LDKにするからどの部屋行っても、自分の家から聞こえてきたのか?ってくらい音するし、ほぼ毎月誰かが騒音警告の紙を管理会社にお願いしてて世紀末かよって思うよ。

anond:20240902174805

自分が親になって知ったけど美大とか音大子供行かせるって自分がそういう芸術系仕事してるか、もしくは卒業して仕事みつからなくても大丈夫って言えるめっちゃ金持ち

2024-08-05

anond:20240804192616

ケンミンショーとか見たことないけど東北ウィーンってただの自称じゃないの

モーツァルトベートーヴェンのような偉大な音楽家がこの地で活躍したわけでないし

日本代表するようなコンサートホール楽団もなければ音大すらないし

他に取り立てて取り柄のない田舎義務教育レベル音楽に力入れてるだけで

ウィーンはさすがに厚かまし過ぎてウィーンに失礼なんじゃないの

自分音痴なんで福島県郡山市に対する好感度マイナスになったよ

2024-07-19

anond:20240719143400

アメリカ音大教師してる知人がいるんだけどそこらでゲーム音楽とか映画音楽とか勉強してる学生就職当時から比べるとめっちゃ増えたって聞くから日本が中心的な地域じゃなくなったって話な気がする

2024-06-25

アニメ響け! ユーフォニアムシリーズ感想(ネタバレあり)

正しさで殴りつけてくる麗奈めっちゃムカついてたので、(滝にフラれるとかして)コイツ1回ボコボコに心折られねーかなと思ってたら、自らの手で久美子をソリ落ちさせて死ぬほど凹むという、まさにそんな展開が飛んできたので麗奈を赦す気になれたの良かった(結論)。

 

色んな意味話題になったシリーズ第3期12話で久美子と滝は以下の会話をかわす。

久「先生にとって“理想の人”ってどういう人ですか」

滝「そうですね。正しい人でしょうか。本当の意味での正しさは、皆に平等ですから

滝「黄前さんは、どんな大人になりたいですか」

久「私は…。私も、そんな人になりたいです」

以下、アニメ響け! ユーフォニアムシリーズ感想を、物語提示した“正しさ”に沿って述べる。

 

正しさの暴力

正しさを他人押し付けとき、そこには暴力性が宿る。久美子と麗奈はむしろそれを行使してきた側で、実力が上だからという理由で3年生の中世古香織をソリから追い落としたことや、家庭の事情全国大会前に引退しようとしていた田中あすかを強引に引っ張り出したことは、まさにその典型だ。その時、久美子たちはまだ1年生で、責任を負わない立場から好き勝手やって良かったし、正しさで相手ねじ伏せることは快感を伴うので、作劇上それらはむしろ肯定的に扱われていた。ゆえに正しさの中に潜む暴力性はこれまで適切に隠蔽されていたのだが、3期になってブーメランとして返ってきたことで、その問題点が一気に噴出した。そして久美子と麗奈では反応が違った。

久美子は下級生を指導する過程で黄前相談所という二つ名を得るほど面倒見が良く、そして部長になったこともあって精神的に成熟し、融和的なスタンスを取るようになった。一方の麗奈はなんら変わることなく正しさの信奉者であった。ふたりとも「北宇治は実力至上主義」というイズムを共有していたし、強豪校から転校生である黒江真由が「(ソリを奪うことになるからオーディション辞退しようか?」と何度も何度も何度も本当にしつこく何度言ってきても久美子は「上手い人が吹くべき」というスタンスを一度も崩さなかった。

ただ、全国大会金賞を目指すべくオーディション大会ごとにしたことで緊張がずっと続いたことや、大幅に変わった編成への疑問、そして精神的支柱である久美子が本当にソリから陥落するに至って部の混乱はピークに達する。これに関しては仲の良い者の間でも意見が別れており、たとえば強豪校出身川島緑輝が「実力は同じなのだし、それだったら部が落ち着く方が」と久美子を支持する一方で、高校から吹奏楽を始めた加藤葉月は「それだとオーディションが成り立たない」という意見だった。葉月は本当に素人からスタートしており、3年生になってようやく大会メンバーに選ばれた。しかしだからオーディション肯定しているわけではなく、落ちていたとしてもおそらく同じことを言っただろう。彼女言葉は真っ直ぐで、積み重ねてきた努力に支えられていることは明白だった。一方の緑輝も、強豪校でやってきた経験から、おそらくは部の空気合奏に与える影響を理解しており、だから部がまとまることを重視していたのだと思われる。つまりどちらも「正しい」。しかしそうやって意見が分かれ、「正しさ」が衝突しあう只中で、久美子と麗奈袂を分かつ

久美子は、部の混乱を収めるには顧問の滝が編成の変更やオーディション結果に対する意図説明することでみんなが納得することだとしてその道を模索するが、しか麗奈は「そこに疑問を抱くと全てが崩れる。指導者の方針に従うのは大前提」と否定さらにはソリ落ちした直後の久美子に「自分努力不足を棚に上げて思い通りにならないってそんな言い訳文句が大半」という正論を浴びせ、「部長失格」の烙印を押す。

このシーンに対する感想を言わせてもらえれば、「安全地帯から正論ぶってんじゃねえよ麗奈ァアッッッ!」である。心底ムカついたね。

高坂麗奈サラブレッドトランペッターである。父がプロの奏者で、家に防音スタジオを作れる程度には裕福で、幼い頃から音楽指導も受けてきた。彼女学生離れした実力者で、当然のように大会メンバーはおろかソリストに選ばれる。環境けが彼女をそうしたとはもちろん言わない。それに見合うだけの努力をしてきたのだろう。だから彼女が「自分努力不足を棚に上げて指導者に楯突くなんて!」と言うのは“正しい”。目標全国大会金賞に設定したのは部員たちだし、それに向けて合奏を作り上げるという意味で滝の指導力に疑う余地はないのだから、従うのは当然。麗奈が言うことは常に“正しい”。そして久美子も視聴者も、その麗奈の“正しさ”に一度は与したはずである。“正しさ”でもって中世古香織を追い落とし、田中あすか大会に引きずり出し、劇的に描かれたそれらのシーンに感動してきたのだから。そこに潜む暴力性に気づこうともせず。だからいざその暴力性が自らに向けられたとき慌てふためくのは滑稽な話であるしか感情は偽れない。“正しさ”で殴りつけてくる麗奈はやっぱりムカつくのだ。そのムカつくという感情ベースにあることは認めつつ、その上で言いたい。正しさは万能薬じゃない、と。

麗奈の正しさは(構造的に)滝の影響を強く受けている。北宇治吹奏楽顧問の滝昇は若手ながら実力のある音楽指導者で、部員たちに「全国を目指す」か「楽しく過ごす部にする」かを選ばせた人物である。生徒の自主性を重んじると言えば聞こえはいいが、自分たちで選んだからには妥協を許さないという暴力性がそこにはある。確かに滝の指導力は本物で、北宇治はメキメキと実力をつけ、就任1年目にして全国大会進出するほどの成長を見せた。しかし実力が上がれば目標が上がる。目標が上がれば部員たちにより負荷が掛かる。そうして発生したのが関西大会直前に発生した部の混乱であり、滝にはそれを鎮める力もその気もなかった。それは合宿中のやり取りに現れている。

橋「上級生は耳にタコかもしれないけど、音を――」

滝「楽しむ、と書いて音楽、ですね」

橋「本当に分かってる?」

滝「(虚を突かれたような顔をした後)分かっていますよ」

場面としては関西大会直前の合宿で、部のピリピリした空気を感じ取った橋本(滝の音大時代からの友人で、北宇治の外部指導者)がジョークで和ませた後、軽く訓示しようとした時のことである橋本に言わせれば、音を楽しむことが音楽だと本当に分かっていれば、こんな空気放置しておくはずがない、といったところだろう。滝の、合奏を作り上げるという意味での実力は確かなのだろうが、その指導力が及ぶのは正しさが通用するところまでであり、それで解決できない問題にぶち当たったときは無力である。そして滝自身解決する気がない。ただの外部指導者に過ぎない橋本が一瞬にして感じ取った「ピリピリした空気」を滝はただの一度も解消しようとしなかったのだから。滝には解決する能力がなく、その気もない。滝に無理なのだからミニ滝にすぎない麗奈にはもっと無理である

そんな部のピリピリした空気を解消したのは久美子だった。思っていることを素直に打ち明け、解決したのだった。

「1年生も3年生も同じ土俵で競ってひとつ目標に向かえる宇治が好き」 「その北宇治で全国金を取りたい。でも届かなかった」 「何かを変える必要があって、だから大会ごとのオーディション形式にした」 「間違っていたとは思わないけど、でも戸惑わせたことも事実すみませんでした」と部長として謝ったあと、「納得できない人もいると思う。でも私は北宇治で全国金を取りたい」そう訴えた。「1年間みんなを見ていて思いました。こんなに練習してるのに上手くならないはずない。こんなに真剣に向き合ってるのに響かないはずない。北宇治なら出来る。私たちなら出来るはず」と。

この久美子の真剣な訴えが部員たちの心に響き、部は急速にひとつにまとまった。

さて、久美子は部長失格だっただろうか。その答えは言うまでもなく明らかで、失格なのは正しさを押し付けることしかできない顧問ドラムメジャーであろう。

このあと、久美子と麗奈は仲直りをするのだが、ハッキリ言って納得できるものでは到底なかった。久美子はあっさりと赦していたが、一視聴者としては、「ああ、麗奈を赦すことは絶対にできないな」と思った。物語としては、このあと黒江からソリを奪還し、全国大会金賞を取って大団円を迎えるだろうが、それはそれとして高坂麗奈というキャラクタを心底嫌いになったことだけは動かせないだろう、という結論に至り、そしてそうなるはずであった。

のだが、物語は急展開を迎える。

 

正々堂々と胸を張る、ということ

ここから原作改変としてすでに話題になっている、ユーフォニアムのソリ奏者を決める公開オーディションについて、私が受けた衝撃を述べる。ちなみに原作未読である

まず黒江真由というキャラについて。

久美子にとって憧れである田中あすかを思わせる銀のユーフォニアムを携えた強豪校から転校生で、実力は高い。つまり久美子を脅かすポジションを与えられたキャラなのだろう、ということはすぐに分かった。実際その通りの役回りで、「(私のせいで大会に出られなくなる人がでるからオーディション辞退しようか?」 「(ソリを奪うことになるからオーディション辞退しようか?」と本当にしつこいぐらい繰り返し久美子に訊ねるうっとうしいキャラでもあった。それはさておき実力は本物で、いち早く警戒感を露わにした麗奈は、当初「久美子の方が上手い」と言っていたのに、途中から「久美子の方が好き」とトーンダウン。さらにソリの練習に久美子を付き合わせて「私は全国も久美子と吹くつもりでいるから」と激励している。しか関西大会でソリの座から久美子は陥落する。その際、麗奈は「やっぱり…」という表情を見せるため、滝の求める音を出せるという点で、黒江は明らかに上だったと思われる。

ただこの段階でのソリ落ちは明らかにそういう流れであったし、物語的には全国大会でソリ奪還して金賞の方が盛り上がるため衝撃は全くなかった。物語がそのラインに乗ったことで、そうなることはもはや確定的に明らかだとさえ思った。

次にユーフォニアムソリオーディションについて。

関西大会は滝の一存で決まったが、全国大会は甲乙つけがたいとの判断で、部員投票による公開オーディションをすることが決まった。2年前、当時1年生だった麗奈と3年の中世古が競い合ったアレのリフレインであるしかし当時と違ったのは、奏者を幔幕で隠し、音だけで判断してもらうということ。奏者は視聴者にも隠されており、これには第四の壁みを感じた。つまり視聴者であるあなたたちも、音だけで判断してくださいね、という制作者たちの声が聞こえたのである

からじっくりと、真剣に聴いた。

音楽素養は0で、細かいことなんて何も分からないが、確かにつの音は違った。

1番目の奏者は音が小さく、2番目の奏者は大きく聞こえた。自分部員なら2番目に投票しようと思った。

投票シーンに移り、2番目の奏者には緑輝、塚本、奏の手が上がる。やはり2番目が久美子だったんだと確信した。同時に勝利確信した。しかし同票であるという。

滝「奇数のはずですが…」

麗「私が、まだです」

滝「そうでしたか。決まりましたか

ここで2年前のトランペットソリオーディションの回想が入る。「裏切らない?」 「もしも裏切ったら、殺していい」のやつである。そして――

麗「……1番です」

??????????????

???????????????????????????

え、ちょ、待って。2番が久美子やろ、1番????????????

滝「分かりました。では1番の方は、前へ」

黒江の脚が前に出て、麗奈の顔がくしゃりと歪む。久美子が目を伏せる。

マジかよなんだこれふざけんなよ。

客席からざわめきが広がり、部員たちの困惑した表情が映される。

また正しさの暴力かよ! 誰が得するんだよ、この展開!

困惑と怒りの感情でないまぜになったが、まっさきに動いた久美子の言葉に背筋が伸びた。

久「これが! 今の北宇治ベストメンバーです! ここにいる全員で決めた、言い逃れのできない最強メンバーです! これで全国へ行きましょう。そして、一致団結して! 必ず金を! 全国大会金賞を、取りましょう!」

3年間やってきたことがある意味で潰えた直後にこれを言える久美子は本当に立派だと思ったが、脱力した。訳が分からないと思った。

呆然としたまま画面を見続ける。

場面は進んで行き、久美子が麗奈を探している。しかし先に帰ったという。大吉山で待ってるというラインの画面が映され、登りきった先にいた麗奈背中で泣いていた。

それを見た瞬間、(上から申し訳ないが)「赦せる」と思った。麗奈は分かってて久美子に引導を渡したんだと理解し、麗奈に対する怒りが氷解した。

正しさは暴力性を孕む。しかしその正しさが自らに向かうときのみフェアネスになる。日本語に直すなら公正さだが、ここは敢えて“正々堂々”という言葉を使いたい。

麗奈黒江を選んだんじゃない。久美子より音楽を取ったんでもない。久美子との約束を果たしたのだ。

2年前。中世古香織をソリから追い落としたとき、そうけしかけたのは久美子だった。麗奈は「裏切らない?」と聞き、「もしも裏切ったら、殺していい」と久美子は答えた。ここで彼女が言いたかったのは、「自分音楽に正直であれ」ということだったろう。そういうセリフがあるわけじゃない。しかし含意は明らかなように思われる。迷いを振り切った麗奈は実力を発揮し、ソリの座につく。

麗奈はその時の同じように、正々堂々と、胸を張った。

たとえそれが自らの心臓に刃を突き立てるほど辛いことであっても。

久美子は音大に行かない。公式大会でソリを吹くチャンスは最後だろう。海外音大留学する麗奈からすれば、肩を並べて吹ける最後のチャンスでもある。

でもそれを分かった上で、どちらが久美子でどちらが黒江か分かった上で、久美子を切って捨て、そのかわりに約束を、果たしたのだ。

久美子は言った。「私は、それが何よりうれしい。それを誇らしいと思う自分に胸を張りたい」

もし仮に、麗奈が久美子との約束ではなく、久美子を選んでいたら。麗奈はもちろんのこと、久美子も胸を張れなかったはずだ。最後全国大会で一緒にソリを吹けたかもしれない。高校時代のいい思い出として残せたかもしれない。しかしあのときかわした約束裏切り、その時の自分たちを殺すことになる。だから“正しさ”に傷つくことが分かっていても、麗奈は己を曲げなかったし、久美子はそんな麗奈を誇りに思うと胸を張ったのだ。

原作改変で賛否両論の展開であるが、私にとってはアニメ響け! ユーフォニアム』が描いてきた物語の結末として、これ以上のものはないし、これ以外のものもないように思われる。私は私の感想が正しいとは思っていない。久美子と麗奈がソリを務める全国大会が見たかったし、今もまだ見たい。久美子がソリを吹けないなんて嘘だろう、とまだ思っている。だから原作改変に怒っている人たちを否定する気には一切なれない。それもまたひとつのあり方だと思う。でもだからこそ、正々堂々と胸を張る道を選んだ久美子と麗奈を、いち視聴者として誇りに思う。

 

余談。滝は「どちらも充分ソリが務まると考えています」と言って部員投票に委ねたが、ある意味で嘘だろうと思う。というのは久美子と黒江の音に明確な違いがあったからだ。どちらが上か下は分からない。でも違いがあった。久美子の音は大きく、黒江は小さかった。麗奈が選んだ今なら分かる。久美子のユーフォニアムは主張が強かった、ということなのだろう。あくまユーフォニアムは影だ。スポットライトがあたるべきはトランペットであって、黒江ユーフォニアムは影に徹することでペットを際立たせる演奏だった(黒江楽譜には「支える!」という書き込みが何度も現れる)。合奏で求められるのは、つまり滝が求める音を出せたのは黒江だった。

ではなぜ滝はソリオーディションを開いたのか。責任を投げたとは思わない。頑張ってきた久美子にチャンスを上げたとも思わない。本人が述べているように、久美子が部員からの信頼篤き部長であるがゆえに、部がまとまるにはそれが最善と考えたのだろう。

「私は、今の北宇治を高められるところまで高めたと、自負しています」。つまり本当に、久美子と黒江で大きな差はないのだ。どちらで臨んでも、金に届きうる。そのために必要なのはしろ部のまとまり。そういうことなんだろうと思う。

 

余談その2。12話の放送直後、シナリオライター原作改変を主導したのは自分だと告白していた。

https://x.com/oitan125/status/1804807383018795391

賛否両論になるのは間違いなかったから、その責任を一手に引き受ける、とそういうことだろう。アニメの中で、麗奈がやったのと同じ立ち回りである。これが正しい結末だと、原作を改変してまでそれを押し付けた。しかし同時にそれに納得のいかない視聴者からボコボコにされることを引き受けた。正々堂々と、胸を張ったのだ。いち視聴者として、制作スタッフ決断とそれを支持した原作者を誇りに思いたい。

 

余談その3。いろいろ台無しになるけど、それでも久美子がソリを吹く劇場版、待ってます

anond:20240624155310

アニメ久美子は自分が勝つ出来レース否定して、その結果の落選。「北宇治実力主義」ってドグマに殉ずる結果になったのはすごい面白いし、これ、真由、久美子、麗奈、他の部員も誰かが日和るとたどり着かない結末なんだよ。

1票差で麗奈の1票でソリが決まったということで、これは「北宇治実力主義」ではなくて「麗奈実力主義」と言うことになると思った。他の部員たちの判断は「互角」なんだから

追記でどっちが部長かわかってたと書いてるけど、それだと互角も嘘で「実力主義の北宇治」を否定することになるけどいいの?

ソリが吹けなかったことでバッドエンドみたいに言われてるけど、音大いかない久美子にとって、より誇るべき成果、目指すべきハッピーエンドって「麗奈とソリを吹いて思い出づくりをする」ではなく「北宇治メンバーを率いて全国大会で金賞を取る」だってことなんでしょ

からそう自分を納得させたと言うことなら分かるんだけど、最初からそれを目指していたというのは違うのでは。

だってそれならオーディションやらなくてよかったよね。それとも自分がソリを吹いた方が金賞を取れるという確信描写あった?

とりあえず誰も真由が選ばれたのを歓迎してない雰囲気でこれで金を取りましょうは茶番すぎた。

2024-06-24

anond:20240624111334

原作、最終オーディションで久美子が選ばれる理由全然なくて意味がわからないと思ってたから、アニメのほうがまだ納得感はあるな

純粋楽器を吹く力量は拮抗してて、真由のほうは合奏特化型(滝の解釈理解し全体のバランスを見て主張しすぎない演奏を目指す) 久美子の側は個人技量特化型(とにかく上手く吹く 麗奈と並び立てるような良い演奏を目指す)でしょ

ソリパートを単体で聞いたときに上手い・良い演奏しているのは久美子だとしても、指揮者として選びたいのは楽曲全体のバランスを崩さない真由で、関西で真由選んだのもそれが理由だし、わかってる部員はそれわかってる描写もある。

とはいえ、真由を選んだら全国大会を前に部の雰囲気空中分解するのは目に見えてたし、一方で久美子を選んでも選定基準のブレをどう言い訳するのかということになる。

原作で、久美子が関西大会での負けを覆せるような描写はなかった。その上で滝が久美子を選んだのは相当日和った判断に見えるし、その判断基準のブレは滝の経験値不足による迷いに起因していたということに回収されてた。

それで全国金取れたというのはそっちのほうがご都合主義って感じもする。部員の団結力が・・・とか?そしたら真由は噛ませ犬でしかないよね。かなりモヤモヤが残る話だったんだよ。

一方、アニメ世界の滝は、公開オーディションということにしたら人望ある部長投票する圧が自然に働いて久美子になると考えた。それなら全国勝つにしても負けるにしても納得感はあるよねと。

アニメ久美子は自分が勝つ出来レース否定して、その結果の落選。「北宇治実力主義」ってドグマに殉ずる結果になったのはすごい面白いし、これ、真由、久美子、麗奈、他の部員も誰かが日和るとたどり着かない結末なんだよ。

ソリが吹けなかったことでバッドエンドみたいに言われてるけど、音大いかない久美子にとって、より誇るべき成果、目指すべきハッピーエンドって「麗奈とソリを吹いて思い出づくりをする」ではなく「北宇治メンバーを率いて全国大会で金賞を取る」だってことなんでしょ

1期の一番最初に楽しく思い出づくりをするか全国で金取るかって選択をした、そこから完全に一貫してる。

原作者が書かなかった、書けなかった結末だと思うし、この結果に至ることを納得させるセリフ部員それぞれに言わせてるのは群像劇としてすごく良かったと思ったよ

追記

覆面オーディションどっちがどっちの音かわかってる部員が少数派みたいに言われてるけど、あれ全員わかってると思うよ

あのレベルの吹部でソロ・ソリパートがあるような楽器だったら、毎日毎日練習して音出してるんだし音色とか演奏のクセとか聞けばわかる

あくまで忌憚なく投票やすくするために覆面にしてるだけであって、その上でどっちを選ぶかってのはメンバーの考え方が出るなあとは思った

「力量が同じぐらいだったら最後だしずっと頑張ってきた久美子に吹かせてあげたい」って思ってる人と、「関西大会のソリがすごく良かったから全国もこれでいきたい」って思ってる人とで割れてる。

anond:20240624073353

京アニ、前々から大胆な原作改変をすることに定評があるところだけど、このレベルの改変をユーフォでやるのか……という衝撃がある。

ふざけんな、原作はお前らのオモチャじゃねえんだよクソが。

ワイは割と『リズと青い鳥』も許せてないところがあるんだけど、たとえば冒頭でひとりぼっちリズを指して希美先輩が「みぞれに似てる」っていうシーンがあって、ネット上では「傘木は無神経だな……」って扱いになってたけど、原作ぼっちみぞれリズに似てるって言ったのは久美子だし、希美も確かにみぞれリズに似てるとは言ったけど、

自由曲が『リズと青い鳥』に決まったときうちらに似てるなって思ってん。リズみぞれで、うちは青い鳥。一昨年にこの部活から出ていったうちと、残ったみぞれ。でも、みぞれはうちをずっと待ってた。だから、似てるなって思った」

(『北宇治高校吹奏楽部,波乱の第二楽章 後編』249頁)

であって、ひとりぼっちであることじゃなくて「その場に残った」ことをもって似てるって評価してるんだよね。もちろん内心ではみぞれのことをぼっちだと思ってるのかもしれないけど、少なくともそれを口に出したりはしていない。希美音大に行くの本気じゃないかもーとか口に出したのも、久美子の前でであって夏紀や優子の前じゃないんだよね。優子の前でそれを言うとかどんな無神経? って話になるけど、原作の傘木希美はそこまで無神経ではないので(そりゃ、確かに原作でも雑というか無神経な側面は垣間見せていたから、繊細か無神経かの二択だったら無神経寄りなんだけど、『リズ青』は無神経すぎんだろ)、二次創作とかで無神経な希美ネタを見る度に「傘木希美はそんな子じゃねえええええええ!!!!1!!」ってモンペ化しちゃってた。

っていうか、『リズと青い鳥』は久美子たちの本編と切り離して夏紀たち3年生(当時)組の物語にしてしまたことがまず間違いで、原作だと久美子がガッツリのぞみ問題に絡みに行って、夏紀たちには言えない本心を久美子の前で吐露するシーンがいくつかあるのに、それを全部4人組のあいだで済ませようとした結果として希美が割りを食う構図になっており、希美先輩のファンとしては「ふざけんな」以外の言葉が出てこないというか……

だいたい、劇場版クライマックス、大好きのハグをキメるあのシーンも、原作だとこれやぞ。

「私、希美のこと、大好き」

 一瞬、不自然沈黙あいた。強張る希美背中に、みぞれの指が食い込んでいる。希美? と、みぞれ不安げに顔を上げた。希美みぞれを見下ろしたまま、力なく笑った。

ありがとう……私も、みぞれオーボエ大好き」

 優しい動きで、希美みぞれの肩を押し戻す。みぞれは何も言わず、ただ黙ってうなずいた。……

(『北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章 後編』306–307頁)

どう見ても告白をきっぱり断るシーンですよね??? そこに才能の問題を入れて『アマデウス』的な展開にしたのは、単体の映画としては良くできた演出なんだけど問題はこれが原作付き作品であって単体の映画ではないという点で、まあそういう改変は百歩譲ってアリかもとしたところで、そのあとにnzmz匂わせをやってくるのはありえんわ。原作ときっちり振ってるんだから映画でも原作未読者にも振ったんだってわかるように描写せーや! 原作で成立しないカプを匂わせてんじゃねーよ! 原作で脈がないカプを無理やり発展させるとかは二次創作でやることであって公式がやってんじゃねーよ!

今回の真由の勝利とかありえん。そりゃ真由は気の毒だけども(あれだけ辞退という選択肢自分から提案してたのに無理やりオーディションに参加させられたわけで、彼女には「なに勝手なこと言ってんの?」と言う権利があろう)、原作の最重要な結果を改変するのはありえんでしょ。いやほんと原作を何だと思ってんだ。自社レーベルエスマ文庫では好きにやってりゃいいけど(だから俺は『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の原作改変には口を出す気はない。改変用素材にされるってわかってて応募したんだろ? ってなるので)、ああそういえば『氷菓』でも微妙な改変が……なんか腹が立ってきたな。メディアミックス原作の婢だろうが。

ともあれ、カルタゴ……じゃなかった、原作をないがしろにする者は滅ぶべきである唯一神又吉イエス地獄(ry

2024-06-15

港区ラジオを流すのをやめてほしい

金持ちの家に生まれ

音大に入って芸術活動やってます

みたいな連中ばかり出てくるラジオがあるんやけど

 

職場サウンド用に流してるんだよな

ベストヒットでもない微妙な曲作って

金持ちの生まれヘラヘラしてるやつらの話が

ずっと流れてくる

 

やめてほしい

2024-06-04

[]子供楽器(ピアノなど)を習わせる前に、そして、今習わせてる人へ。

お父さん、お母さんが楽器を弾けるなら、以下の文は、釈迦に説法、孔子論語ラフマニノフソナチネパガニーニにクロイツェル。(後ろの2つは聞けるものなら聞いてみたい。)

ガチ音大目指すとかそういうのじゃなく。子供楽器を習わせている一人の親として。自分趣味楽器が弾けるだけ。業界の人でもプロでもない。

子供ピアノとか弾けたらいいなとか、バイオリンっひけたらかっこいいなとか。そんな感じで子供(4歳くらいか小学生低学年まで)に楽器を習わせたいなと思っている親御さんへ。

習わせる覚悟は犬を飼うのと同じと思ってね。親が思う、「趣味程度で楽器が弾けるといいな」になるには、最低10年、だいたい15年くらいは習わないと、そうならないと思う。

犬と違って、途中で辞めることはできるけど。

子供が「ピアノやだー」っていってても、レッスンには毎週連れて行って、うちで弾き始めたら「うまくなったね」って言って、だらだら続けていれば、いずれ楽しく弾けるようにはなると思う。

自分の子供にはピアノを習わせてる。5年生(女)と2年生(男)だけど、一緒に習っているお友達だんだん辞めるようになってきた。

特に小学校低学年でかなりの割合の子が辞めちゃう。3~5年くらい習ってたことになるんだけど、それだとたぶん、この先は趣味でもピアノは弾けないと思う。楽譜も読めないと思う。

すごく勿体ない。その時間、別の習い事をしていればとさえ思う。辞める理由は、練習しなくなったとか、お金がかかるからとか。

発表会でもうちの子より上手に弾いてたのに、と思うと、本当に勿体ない。

楽しく自分のペースで弾けるようになるには、中学終わるくらいや高校生までかかると思う。そこまで続けば、しばらく休んでも再開できるし(手は動かなくなってるが)、楽譜もそこそこ読める。

いわゆる才能があって、小学生の間に、上手に弾けて楽譜も読める子は、たぶん辞めたくないっていうし、先生も引き留めるから大丈夫。この話の対象ではない。

子供楽器練習させるには親の協力も必要だ。鈍感力(できなくてあたりまえ。家ではほぼ騒音)と、共感力(できたときに褒めるだけ)、忍耐力(練習していないままでもレッスンには連れて行く。)が必要だ。

それに加えて、やっぱりお金。毎月最低1万円くらい×12ヶ月×12年。だいたい150万円くらい。楽器代や楽譜などの教材費は除いてそれくらいはかかる。

よく、ピアノ中古でも高いとか、バイオリンは買い換えが・・・、とかいうけど、長期にかかる月謝も高い。

塾や習い事が増えてきて、お金もかかるし取捨選択を迫られたときに、どうしても楽器は辞める方向になりがちだ。お金を出しているのが、楽器を弾かないお父さんだった場合特に

でもちょっとまってやって。ここで辞めたら無になる。ここは、投資で言う「コンコルド効果」をいい意味で考えよう。「ここまで払った投資無駄になる。きっと上向くはずだ。」

自分は4歳から高2までバイオリンを習ってた。親は楽器は弾けない。

中学生、高校生の時はほとんど練習せずに週Ⅰレッスンだけ行ってた。だから、同じ先生に習ってた同じくらいの年の子より数段下手。ソロで人に聞かせるレベルではない。

でもね、楽譜みながら、一応音は拾えるし(拾えたからといって弾けるとは限らないが)、楽器楽しい

妻は中学高校までピアノを習ってた。大学軽音楽部で知り合って結婚した。そのとき僕はバイオリンではなくウッドベース弾いてたけど。

子供楽器を習わせてるのは、ただ1つ、大人になって楽しみが増えるから。一人でも楽しいし、数人集まっても楽しい

雨の日も、年をとっても、楽器楽しいから

スポーツと違って、対戦相手もいらない上に、仲間がいればもっと楽しい。ケガもしないし、遭難もしない。超平和

自分たちのレベル適当に合わせるのは本当に楽しい

居酒屋喫茶店で、雑談してるような楽しさ。時間がすぐに無くなる。

別に人に聞かせる必要は無い。

https://anond.hatelabo.jp/20240604011244

子供楽器(ピアノなど)を習わせる前に、そして、今習わせてる人へ。

お父さん、お母さんが楽器を弾けるなら、以下の文は、釈迦に説法、孔子論語ラフマニノフソナチネパガニーニにクロイツェル。(後ろの2つは聞けるものなら聞いてみたい。)

ガチ音大目指すとかそういうのじゃなく。子供楽器を習わせている一人の親として。自分趣味楽器が弾けるだけ。業界の人でもプロでもない。

子供ピアノとか弾けたらいいなとか、バイオリンっひけたらかっこいいなとか。そんな感じで子供(4歳くらいか小学生低学年まで)に楽器を習わせたいなと思っている親御さんへ。

習わせる覚悟は犬を飼うのと同じと思ってね。親が思う、「趣味程度で楽器が弾けるといいな」になるには、最低10年、だいたい15年くらいは習わないと、そうならないと思う。

犬と違って、途中で辞めることはできるけど。

子供が「ピアノやだー」っていってても、レッスンには毎週連れて行って、うちで弾き始めたら「うまくなったね」って言って、だらだら続けていれば、いずれ楽しく弾けるようにはなると思う。

自分の子供にはピアノを習わせてる。5年生(女)と2年生(男)だけど、一緒に習っているお友達だんだん辞めるようになってきた。

特に小学校低学年でかなりの割合の子が辞めちゃう。3~5年くらい習ってたことになるんだけど、それだとたぶん、この先は趣味でもピアノは弾けないと思う。楽譜も読めないと思う。

すごく勿体ない。その時間、別の習い事をしていればとさえ思う。辞める理由は、練習しなくなったとか、お金がかかるからとか。

発表会でもうちの子より上手に弾いてたのに、と思うと、本当に勿体ない。

楽しく自分のペースで弾けるようになるには、中学終わるくらいや高校生までかかると思う。そこまで続けば、しばらく休んでも再開できるし(手は動かなくなってるが)、楽譜もそこそこ読める。

いわゆる才能があって、小学生の間に、上手に弾けて楽譜も読める子は、たぶん辞めたくないっていうし、先生も引き留めるから大丈夫。この話の対象ではない。

子供楽器練習させるには親の協力も必要だ。鈍感力(できなくてあたりまえ。家ではほぼ騒音)と、共感力(できたときに褒めるだけ)、忍耐力(練習していないままでもレッスンには連れて行く。)が必要だ。

それに加えて、やっぱりお金。毎月最低1万円くらい×12ヶ月×12年。だいたい150万円くらい。楽器代や楽譜などの教材費は除いてそれくらいはかかる。

よく、ピアノ中古でも高いとか、バイオリンは買い換えが・・・、とかいうけど、長期にかかる月謝も高い。

塾や習い事が増えてきて、お金もかかるし取捨選択を迫られたときに、どうしても楽器は辞める方向になりがちだ。お金を出しているのが、楽器を弾かないお父さんだった場合特に

でもちょっとまってやって。ここで辞めたら無になる。ここは、投資で言う「コンコルド効果」をいい意味で考えよう。「ここまで払った投資無駄になる。きっと上向くはずだ。」

自分は4歳から高2までバイオリンを習ってた。親は楽器は弾けない。

中学生、高校生の時はほとんど練習せずに週Ⅰレッスンだけ行ってた。だから、同じ先生に習ってた同じくらいの年の子より数段下手。ソロで人に聞かせるレベルではない。

でもね、楽譜みながら、一応音は拾えるし(拾えたからといって弾けるとは限らないが)、楽器楽しい

子供楽器を習わせてるのは、ただ1つ、大人になって楽しみが増えるから。一人でも楽しいし、数人集まっても楽しい

雨の日も、年をとっても、楽器楽しいから

スポーツと違って、対戦相手もいらない上に、仲間がいればもっと楽しい。ケガもしないし、遭難もしない。超平和

自分たちのレベル適当に合わせるのは本当に楽しい

居酒屋喫茶店で、雑談してるような楽しさ。時間がすぐに無くなる。

別に人に聞かせる必要は無い。

2024-06-02

anond:20240602122427

文学部出て底辺になった、に因果関係が認められるなら日本犠牲者は減らすべきだろう

他に潰しが利かないことで有名なのは音大だが、あれは文学部より金持ち道楽色が強い上に入試特殊フィルターになってるからまあ問題ないだろう海外出稼ぎ同然に出ていって向こうで成功するパターンもよくありそうだしな

2024-05-21

男尊女卑とか女尊男卑とか世の中いろいろ言われてるけど男も女もみんな怖いんだけど

声がデカくて物音大きい男とか 眉毛吊り上がってハキハキ喋る女とか 怖いよ

なんか全員の気に触ることをしでかして、嫌われて怒られて責められる気がする

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