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はてなキーワード: 原体験とは

2024-02-06

anond:20240206165754

歩きまくる旅が原体験からそう思ってるだけだと思う

2024-01-20

中島健人さんの卒業に無記名の意思表明をさせてくれ

中島健人Sexy Zone卒業ーーー

新年早々すでに今年(いやもはや人生?)いちばんの衝撃的な発表からしばらく経ちましたが、そろそろ自分気持ちを整理して生活していきたいので思ったことを全て書き記していたのですが、せっかくなので情報の海に流して偶然受け取られた方に読んで頂ければなと思い、公開します。

「30歳になる節目と共に、新しい道を選ぶことを決めましたが、」

30歳でこの先の自分をどうしたいかと、考えること、これは本当にごく自然なことではないだろうか、一昨年マリウスが22歳という多くの人が就活して勉強熱量を注いで世界の役に立ちたいと決断して飛び立ったように。それが私の1番初めに感じたことでした。

人間生きていれば時期や粒度は人によって異なるとはいえ、これを生きていきたい、あれをやりたいと立ち止まって考えたことは一度はあるはずで、それを年齢で区切る人もいれば、人生出来事軸で区切る、はたまた全く別の軸で区切る(場合によっては自分意思と反して区切らざるを得ない場合もある、例えば直近で起きたような天災などもそれに含まれるかもしれません)人もいる、その中で彼は30歳という年齢を区切り人生を考えたまで、そういうことなのだろうと。ケンティーしかケンティー人生責任は取れない=つまり全ての最終決断ケンティーしか下すことは出来ないので、今回の決断を受け止めることが私たちにできる唯一のことなのだと(受け入れるとはニュアンスが違うこと強調させてください)

Sexy Zoneのことを本格的に好きになる前から、彼はグループ広告塔として常にいちばん前を歩き続けてくれることで時には傷ついてしまうような茨の道をグループで歩いていけるような花道に変えていたし、他の事務所グループには出来るのになぜ出来ない?の世界不思議をいつも彼なりのアイデア解決してきたし(それでも出来ない/私たちやらせてあげられないことは沢山あったけれど)、やりたいことを口に出しながら自身を磨き続けて実際に夢を掴み取ってきた人であることは誰がどう見ても明らかなので、そんな人の一世一代とも言える決断を誰が止められようか、いや誰も止められない(もしかしたらメンバーだけは、、、止められたのかもしれない、どうだろうか、それは彼らのみぞ知る)

ただ、私はSexy Zone、たとえ今後名前が変わったとしても、というアイドルグループ中島健人がとても尊敬していて強く愛してしまたからこそ、その姿がこれからもう見られなくなってしまうのだと思うと、彼らの未来、具体的に言えば4月前後の彼らがそれぞれどう進み変わっていくのか、その新しい形を応援出来ると思えるのかどうか、を考えることよりも、本当にただただ悲しい気持ちけが頭と心をぐるぐると流れ続けて、ああ本当に悲しい、そしてなぜだか悔しい気持ちが混じってきて胸の中にいっぱいいっぱいに広がり、溺れて息が出来なくなりそうになるような感覚を持ちました、くるしい、くるしい、頑張って続きを書きます

公式として出ている媒体をもとに私個人が読み取った範囲+ケンティーアイドル芸能界に限らない人間普遍的だろうと思われることを材料に書かせて頂くと、この大切な決断きっかけはともかれ精神的な肉体的なもしくは外部的なものであれ、決してそこまで突発的なものではなく、様々な物事を積み重ねの上で下されたものなんだろうなあ、というのは伝わってきました、きっと前々から考えていたことが、何かしらのきっかけで現実味を帯びてきてそれを現実にするかどうか、たとえ発表のタイミング自体は突発的であったと感じたとしても、たとえ直近で言っていたことと多少文脈が噛み合わない部分があると感じたとしても、たとえどんなに素晴らしいパフォーマンスを直前まで見せてくれていたとしても。逆に全く察させずあんな素晴らしいドーム公演をやり遂げた彼らは本当に最高のアイドルです(皮肉にも)

繰り返しますが真実は彼らのみぞ知るので、これ以上の勝手憶測とそれらを書き綴ることも控えますが(理由はそれをやって彼らが意思を変える訳ではないので単純に無意味だと思うので)、少なくとも今まで広告塔をやっていたSexy Zoneというアイドルブランドを置いていくことは彼にとっても並大抵の決断ではなかったのは容易に想像が出来て、これまで同じように、グループから離れてソロ活動することを決めた同事務所の方を見れば、それがどれだけ逆にハンデとなりうるかも(ファンの方には失礼に当たってしまうことを事前にお詫びしますが、多くの方がお世辞にも成功しているとは言えないのではないでしょうか?)、厳しい芸能界を長くそれなりに賢く生き抜いてきた彼ならそれを分かっていないはずがなく、ただ彼自身の夢(今まで語ってくれたもののその先を含めて)という観点から天秤にかけた時に重かったのがソロ活動する、だったのかもしれません。

とはいえ中島健人がいるグループファンとしては本当に悲しくて、もう少し、もう少しを重ねて一緒に頑張りたかった、頑張らせてほしかった頑張ってほしかった、Sexy Zoneというアイドルグループエースである中島健人と共に。

そして、1オタクとしては純粋に今回の1件でケンティーが30歳という自分に課した期限のようなものを飛び越えてでもこのままグループを続けたいなと思えるほどの喜び(それはシンプル私たちメンタル的な愛が足りなかったのかもしれないし、数字それからもたさられるお仕事なのかもしれない)をファンである私たちが与えられなかったのかもしれないと本当に申し訳ない気持ちで、彼を含むSexy Zoneからもらってばかりだったのだなと思わされてしまったし、今のグループ活動状況でソロになった場合に何がどう変わるのかが私たちからはあまり見えてこないゆえ、グループでも良いのではと、どうしても思ってしまって、どうにか腹落ちしたい、これからじゃなくて今納得したい、足掻かせてほしいと、わがままになってしまっています(まだ公に出来ない大きなお仕事があるのかもしれない)(やっぱり3人にはしがみついてでも止めてほしかったでも必死に止めたかもしれない)(本当に彼は卒業するの?という現実味がいまだにない、夢みたい、信じたくないからかもしれないのですが)

それゆえ、彼らの未来に対する前向きな決断に、かもしれないかもしれないを並べてまくってこんなこと、って何だか後ろめたいような気持ちにもなってしまうし、彼らにいろいろな意味で甘えさせてもらっていた⇔私たちも甘やかしてしまっていたのかもしれないのかなあ、アイドルファンのギブアンドテイクのバランスが歪になっていたのかもしれない、ということにも気付かされて、また悲しいやら切ないやら、、、こんな複雑な感情たことがないのでいかに彼らの存在自分の中で大きかったのか、大きくなっていたのかをこんな形で知るなんて、、、

我ながら本当に話の枝葉分かれがすごいなと思いつつ、数字の話が出てきたのでここで少し触れると、

※この段落に関しては筆者である私の原体験が強く結びついている+他界隈について言及しますのでご興味のある方だけお読みいただき、適宜、次の段落まで飛ばしてください※

私は幼い頃からいわゆるオタクで、この数十年間その生き方を全うしてきました。

その中で何度か心が折れたことがあり、その原因は全て「数字」でした。

今や社会人としてビジネスにおける数字重要性は嫌でもいうほど理解しているつもりではあります(かつ私もエンタメ世界の端くれです)が、1人のオタクとして「数字」はその人生の中で大きな苦しみでした。特に学生時代、大好きなアイドルがいたのですが(過去形になっていますが今でも大好きです!)、ファンであれば売られているCDやグッズを全て買わないといけないような売られ方とそれを当然のように受け入れるファン雰囲気に圧倒され「全てを買うことが愛の証明なのか?」と苦しくなり一時離脱した時期があったり、また別の音楽コンテンツを好きになった時には封入されているイベントの先行チケットのためにCDDVD/Blu-rayを積みたくても生活のために積むことが出来ず無力さを感じる一方で周りのファンダム内で何十何百枚積む人が数多くいる状態に(本当に申し訳ないのですが)気持ち悪さを感じてしま担降りをしたりしてきました(このコンテンツについてはもう怖くて戻れません)今となっては、学生だったこともあり使えるお金が限られていたというのと好きなものに良い意味でも悪い意味でも一直線だったので本当に青かったなと思っています推し活は出来る範囲で、でも最大限が大事!ですよね!

Sexy Zoneが正直数字面で苦しい思いをしてきたことはファンであれば痛いほどに理解していることかと思いますが、私は、数字以上に、彼らが出演したテレビ番組で他の出演者から愛されたりパフォーマンスや立ち振る舞いを見た他のオタクの皆さんが褒めてくださったり、何よりライブで魅せてもらえるコンセプトセットリスト舞台美術、そしてパフォーマンスMCで綴られる言葉、それらが合算されて総合芸術として得られる唯一無二のエネルギー自分でも意味がわからないけれど、彼らを見ていると元気になれるんです。他にもっともっと沢山沢山あるのですが、そんな数字だけでは測れないエンタメの素晴らしさを私に教えてくれたのは間違いなく彼らSexy Zoneで、それを突き詰めれば、もしかしたら国民的の例に挙げられているSMAPと嵐のように皆が触れている媒体テレビ)が絞られていた平成時代から、この好きがかなり多様化しすぎたゆえにそもそも国民的になりづらい令和の今の時代でもこのSexy Zoneは本当の意味国民的になれるのではないか、そんなことを勝手に夢見てしまっていましたし、昨年のドーム公演を受けて勝手確信のようなものを持ってしまっていたのでした、

最後の公演になるとは思っていませんでしたが、ここまで思わされたということはきっと4人の気迫のようなものがあの公演には宿っていて本当に素晴らしかったということで、私はそれをいいように自分の中で捻じ曲げて受け取っていただけでした、

一昨年のマリ卒業はその過程(発表〜カウコン卒業…その後の彼と現Sexy Zoneの関わり方までも含めてもいいと思います)のていねいな描かれ方のおかげで本当に悲しくて寂しいことであったけど、多くの人が理解はせずとも受け留める状態まで引き上げた上で送り出すことが出来たし、オタクである贔屓目なしに本当に美しい巣立ちで、そして新しいグループのあり方をあの短くでも尊い時間証明してくれたのではないかと思っています

からこそ結論は同じであったとしても、今回既に発表された方法とまた別の違った形でこちらに伝えてもらえたかもしれない、これも甘えだとわかりつつ、どうして、、、とまた別の悲しさに押しつぶされそうになりますが、これも私たちには見えない理由意図が彼らの中には確実にあると、これまでの彼らの歩みを踏まえてそう思います

また今回の件について、オタクであるかに関わらず一般の方も含めて多くの方が「アイドルを辞める?!」と勘違いされていました(本人曰く、一人でもアイドル、咳をしても一人、ごめんなさい、後者は言ってません尾崎放哉

本人は発表翌日ドラマ宣伝のため、終日テレビ出演があり、その都度自身言葉で一人でもアイドルであることを強調していましたが、これは中島ケンティー健人=Sexy Zone =アイドル方程式が驚くほど人々の認知に刷り込まれていた、ということの証明であり、つまり合間のSexy Zone卒業すること=アイドルも辞める?!となってしまったということです。

一つだけ彼に問えるのであれば、この方程式を成り立たせてしまうくらいにはあなたSexyアイデンティティを構築し、確立した張本人であり、多くの人があなたのことをそのように認識していたんだよ、このことを分かった上でその決断に至ったのですか?と(こんなことは聞けたらいいですよね、聞けないんですけどね)

すみません、まだまだ書き綴ります

前半で彼が広告塔としてグループを率いてくれていたかを話しましたが、今回の卒業報告を受けて、端的にいうとグループ温度差を指摘する声が見受けられました。その時で思い出したことがあります

※この段落に関しても筆者である私の原体験が強く結びついているので以降はご興味のある方だけお読みいただき、次の段落まで飛ばしてください※

私は中学高校体育会系部活に入っていたのですが、ハッキリ言って学年の仲はそこまで仲良くありませんでした。部活を使って青春シンプルに楽しみたいから、部活を使って内申点を上げたいから、競技が好きだから、など目的モチベーションもかなりバラバラだったと思います、ただ部活の始まりの集合から終わりの挨拶までの間だけは不思議と全員が同じ方向を向いて部活に取り組み、大きな揉め事もなく(何ならどちらというと問題が起きそうになったら阻止していました、それは揉めた方が面倒だからでした)、最後まで全うすることが出来ました。

部活仕事人生)なので根底全然違うかもしれないのですが、この経験から私はグループが必ずしもずっと仲が良くて同じくらい意欲的で同じ目的で進まなければならない、とは思っておらず、逆にそんな状態存在しないな!と社会人になりますます実感したので、各々の得意分野で活躍しながら、グループとして集まった時にぎゅっとなり最大火力のパワーを出せるSexy Zoneの形がとても心地よく見えていました(だからこそ好きになったのかもしれませんね)

もちろん告知や発信はするに越したことはないです!が、グループの中で彼が一番それに長けていて楽しめる人物だったから、先陣を切ってやっていただけであり、他のメンバーも彼には出来ない部分でそれぞれの好きや得意を発揮していた認識だったので、もちろん、メディアの取り上げや世間的な認知差異は大きく出てしまったのですが、誰も何もやっていない、誰が良くて誰が良くない、なんてことは全くなかったと思うのです。彼らは外側から格差をつけられたことはあっても、内側ではずっと対等な人たちでした。

表に見えるようにやらないとダメなんですか?表で見えることをやれば偉いんですか?

一つ疑問なのはグループを去りソロ活動を決めた彼は事務所に残る、という選択しました。

私は逆に意外でした、本当に海外志向なのであれば現在事務所は昨年の一連の騒動を踏まえて世界的に見れば大きく傷がついた事務所と言えるからです。

実際に一連の騒動不安を感じた(これを明言している方もいればいない方もいますが)方は事務所を去ることを決め、新しい道を進み始め、その選択はもはやされてもおかしくない選択の一つとして存在するようになりました。

彼のいう、1人のアイドル俳優として成功したいの中に海外というフィールドは確実に含まれている中で、あえて事務所には残る選択を取ったのか、

と書きながら、最近インタビュー映画にまつわる番組海外ドラマへの出演などで海外志向なのでは?と思っていただけで、発表の中には「国内外」とあり、あくま国内海外いずれも守備範囲としてどちらかへの偏りはないのだろう、と思います、その中で事務所に残る決断を取ったことのリスクは今までの積み重ねがあったとしてもまだまだ残っている状態でのこの決断したこと、この重みを事務所よ、心の底からわかってあげてほしい、本当に大切にしてあげてほしい、彼を彼らを全てから守ってほしい、

さて、この簡単言葉にまとめられない思いに蓋をして、彼らの決断に対して今すぐに背中を押すと決める必要もなければ今持っている気持ちにすぐ整理がつける必要もないはずなので、彼らがまず掲げている3月末まで、少しずつ大丈夫だと思えるようになってきたら、その大好きなアイドルたちの姿を最後までしっかり目に焼き付けておこうしかないのが現状できる精一杯で、やっぱりどうやってもSexy Zoneがだいすきで、このままだいすきでいたいからこそ、今はまだ新曲すら聞くことも出来ていない心の状態ではありますが受け止められるよう、時に身を任せたいと思います

こんな長々と書き綴りましたが、

最後に、やっぱり、誰かに怒られてしまうかもしれませんが、1オタク本音ひとつをもう一つだけ書いてしまうと、





お騒がせセレブよろしく

「やっぱりSexy Zoneがいい!」

「やっぱりSexy Zoneにいてほしい!」

ってお互い言ってもいいんだよ!

まだ許す!許せる!間に合う!



最後最後で、こんなこと言ってごめんなさい、でもそれでも現段階の5人の姿が少なくとも私にとって最強で無敵のアイドルに見えていることは強調したいです。

でも私は一介のファンであり、彼らの人生に直接的に触れることが出来ません。その中で1番は5人が、それぞれが、少しでもしあわせになれること!だからこそ、そんな未来が来てほしいと、だからまず目の前の区切りまで、一旦祈り続けます

書き癖で、()や、が多く読みづらい部分もあったかと思いますが、ここまで読んでくださった方がもしいれば、私の話を聞いてくださってありがとうございました。

2024-01-19

anond:20240119203539

俺は中学生ときFカップおっぱい触らせてくれた一学年上の先輩を思って毎日20回シコってるが?

AV女優オナニーとか邪法の極みよな

純度の高いオナニー若い女との青春原体験によるところが大きいのだ

精進したまえ

2024-01-08

anond:20240108011401

卒業後に男の劣情の道具にされるなら、卒業写真なんて撮られたくないっていってたクラスメイトを思い出した。

俺にとっての、女性の生きづらさに触れた原体験

2023-12-08

追記

みなさん、情報提供ありがとう

本当にありがとう!!

「新・世界怪獣」だぁ

何が決め手って

第六話

魔神怪獣

リオのカーニバル

怪獣、リオにあらわる

壮烈!! 魔神怪獣

このリオのカーニバルでピガシャーーンって感じで電流走った

記憶自体は、この辺の書籍群の複合かも知れないけれど

「新・世界怪獣」は絶対に読んだと断言できる

すっきりした

nejipicoさん、マジ感謝です

追記ここまで】




から40年前に学校図書室で読んだ怪獣の本がすごい怖かったんだけど

調べてみてもピンとくる書籍がないんだよね

図鑑みたいなのじゃなくて、物語になってる絵本みたいな奴

もう朧気で「怖かった」という強烈な記憶しか残ってなくて

とにかく絶望的な話だったんだ

近代兵器全然効果がなくて

水爆でも倒せないで人々がただ殺されていく

ウルトラマンとか超越兵器とか存在しない、滅ぼされるだけの世界

あれがホラーオカルト系を好きになる原体験だった気がするんだけど

どんな本だったのかはわからない

二十歳のころ結構図書館を廻ったけど、見つからなかった

実際には存在しない記憶なのかもしれないし

存在しても今読んだら大したことないのだろうから読まない方がいいか結論付けて今に至るけれど

ゴジラ話題とかが盛り上がるたびにふっと思い出す

そんな記憶

2023-11-01

弱者男性自分失恋、あるいはミソジニー、あるいは女性恐怖症である事の原点

中学2年の時に同じクラス結構仲が良い女子が居た。

席替えで3回連続くらいで近い席になったか10休み給食の時は結構喋ってたし、

部活休みの時なんかに放課後一緒に遊びに行った事もあった。

気が合って、話しててすごく楽しかったし、自惚れかもしれないがその子楽しいと思っててくれたと思う。

俺はその女子の事が好きになった。


だけどその子は他クラスDQN寄りのイケメンが好きだって言ってて、

「面識あるの?」って聞いたら「出身小学校も違うし話した事無いけど」って言ってて。

なんかそれが凄いショックって言うか、結局顔かよみたいな。

俺はその子と一緒に居て楽しいから、仲が良いから、好きになったのに、

その女子にとっての価値判断基準って言うのは仲が良いとかそういうのじゃないんだなあって。

まあ、よくある話なんだと思うけど、中学の頃なんか自分の周りが世界の全てみたいなところがあったか結構衝撃的で、

結局こんなんじゃ生きててもしょうがなくない?みたいな思考になって、全てが怠くなって学校に行けなくなった。不登校になった。

それくらいショックで辛かった。

(ちなみに当時、自分担任教師と異常に折り合いが悪かったので、親とか学校への説明は「担任ダルいから行かない」で押し通した)


今思うとこれが人生初の失恋であり女性恐怖症でありミソジニー思考である原体験なのかなーと思う。

で、不登校でダラダラしてると、妙にポジティブな感じになって

「まあ、あいつはあんな感じだったけど、世の中ああいう冷たい女ばっかりじゃないだろうし、というかむしろあんドライな奴少数派だろうし、高校生になればきっと楽しくて気の合う彼女が出来るさ」

なんて考えて、中学3年になったタイミング学校に復帰し、その後高校浪人大学就職人生を進めたわけだが…。


だけど、大人になってからTwitter(現:X)なんかで、女性の「初対面で友達枠と恋人枠どちらに入れるか決まってて、友達枠の男から告白されると引く」とか、

恋愛対象外の友達の男から告白されるとぬいぐるみからペニスが生えてきたような衝撃を受ける」みたいな言説が盛んになされていて、

しろあの時のあの女子感覚って女性の中でのマジョリティだって気付いて女性恐怖症的なミソジニーが爆発しつつある。

女性にとって仲が良いとか一緒に居て楽しいとかそういうのはマジでどうでも良くて、結局顔とか金とかしか見てないんだなって。

その血も涙もない感性が本気で怖いし、資本主義優生思想に脳を焼かれ過ぎてる感覚が人として嫌気がさして、正直自分の中でミソジニー的な意識が芽生えている。


男はそんな事無いじゃん?

まあネットだと露悪的な書き込みの方がウケるから女は顔とパイオツが全てとか言ってるけどさ、

ブスでも仲が良ければ好きになるのが男だし、友達として一緒にゲームとかして遊んでその流れでセックスっていうのに憧れてる男は相当数いる。

自身もその後の人生で好きになった子って全員友達で、一緒に遊んだり話したりして楽しいなって思えた子だけで、

もちろんクラスや学年にはその子よりも顔面偏差値が高い、所謂「学年一の美人」なんかも居たわけだけど、

そういう美人でも友達じゃなかったら別に好きとかには全くならなかったな。


個人の話から外れて男全体の傾向で見ても、例えばアイドルなんかでも高嶺の花の韓国アイドルよりもAKBとかの方が人気なのは接触イベントコミュニケーションを重視した方が男に刺さるって理由だろうし、

握手会なんかで会話を重ねて「仲が良い」と男に思わせる事が男から好意と金を引き出せる証左になっている。

(無論、それを「仲が良い」と思うのは完全なる認知の誤認ではあるが)

最近人気のVtuberも要はゲームしながらダラダラと雑談をする「友達ムーブ」が男の性欲に一番刺さるから人気なのだろうと思う。


まあ男って日本だけで7000万人?とかいるわけだから、そりゃシビアな男も1000万人くらいは居るんかもしれんけど、

傾向的には男の方が情に弱いと思ってて、俺はその中でもかなりウェットな性格をしていると思うんだけど、

そういう俺から見たら女性って本当に冷血ドライで怖いし、性格とか仲のよさじゃなくてスペック容姿で全てを決める感じが本当に下劣だなって思う。

そういうのも俺が不細工からそう感じるだけで、イケメン側だったとしたらそんな事一切感じないんだろうが、

からといって「お前が不細工なのが悪い」なんて言われたら反発したくもなる。不細工何が悪いねん。悪いのは顔だけで全部決めとるお前やろが。

2023-09-13

anond:20230913111115

原体験を教えて欲しい

人口の半分を敵に回すほどお前に知り合いが多いわけがないし

2023-09-11

ギター買って、クロマチックとローポジションメジャーコードだけ毎日続けて3ヶ月くらい経った気がする。マジで全く何も弾けない。クロマチックとメジャーコードメジャースケールしか弾けない。

嘘。全くではない。

OMOIDE IN MY HEADリードギターの方?はイントロだけ弾ける。

深夜高速もイントロだけ弾ける。

Uフレットで星降る夜になったのコードも通しで覚えたけど、コードチェンジが遅すぎて話にならない。

リライト簡単って聞いてちょっと挑戦したけど一瞬で諦めた。

そんな感じで弾ける内に入るようなレパートリーはない。でも弾いてると気持ちは良い。他人が聴いててどうかは知らない。自分で録音してみて聴くのは楽しい自分大好きだから

つまみ食いはしてみるけど、コードチェンジが遅すぎたり前後フレーズミュートが難しすぎてハゲそうになったりですぐ投げる。

じゃあコードチェンジ練習をすれば良いし、ミュートの練習法を調べれば良いんだけどやらない。ついでにクロマチックとか他のコードも覚えて手癖でジャカジャカやれるようになりたいと思ってるけど、やらない。

毎日やろうやろうと思ってやらない。

でもこんな感じで一度フェードアウトしてギター売った前科があるので、今やってる基礎練習だけは毎日欠かさない。

今日は気まぐれにマルチプリセットリードなんちゃらみたいな音で弾いてみた。なんか20th century boyみたいな音だなって思った。

ふとEコード鳴らしてたら、コレ20th century boyそのものじゃんって気がついた。

こんな感じだっけと思ってジャカジャーンって鳴らしてたら、続くフレーズを小指が6弦で自然と探っていて、すぐに見つかった。

わずyoutubetabを調べて続きを弾きたくなった。ヘボいブリッジミュートでも気持ち良い。

なんかこういう原体験的なのを10年前にやってたら今頃いっぱしのギター小僧になってたかなとか思った。

2023-09-05

anond:20230903220801

初音ミク人形を親にねだるのではなく、自分で作ろうとしているので、それはそれでよい

俺はこの解釈

「買ってもらえない/買えないか自分で作った」を原体験に持っているクリエイターは少なくない

2023-08-27

anond:20230827182800

自分で書くのが面倒くさいか自分が見てきた景色感想とほぼ同じことを丁寧に書いてるリンク元拾っただけで、こう思うに至った原体験ネットじゃなくて実体験なんでな

多分誰しも似たような経験があるんだろう

ネットで真実しちゃう年頃だから他人もそうだと思い込んじゃったのかな?

2023-08-09

ラーメン発見伝すごい

読むのはたぶん3回目だが、やっぱり面白い。以前の2回は、マンガアプリ無料で1日一話ずつちまちま読んだが、今回はKindleで購入して一気読みした。いま朝の5時前だが後悔してない。

客を信用しないところからスタートする芹沢エピソードからスタートし、26巻の最後で、それでも自分と客の味覚を信じ切る主人公芹沢の信念が示される。

もちろん、単なるハッピーエンド大団円でと言うわけではなく、客商売の恐ろしさを警告する千葉一言差しまれることで、それまでの芹沢から発せられてきた数々の教訓がそれもまたやはりラーメンの道の真実であることが理解させられる。ラーメン経営を取り巻くさまざまな想いが、まるで、何回か本編でも取り上げられる、ラーメンスープの重層的な味わいのように感じさせられる。

ラーメンというもの自体定義についても、最終巻において、ラーメンの100年の歩みを紹介しつつ、主人公自身原体験とそこから進化帰結させているのがよい。

2023-08-06

アニメ版るろうに剣心の好きだった改変

京都編・奥義取得の回(調べたら第43話だった)

師匠の本気の九頭竜閃を前に死を覚悟する剣心

漫画版では今までに出会った人たちが見開きで描かれ、「俺はまだ死ねない」と奥義を放つのだが

アニメ版では「心太時代出会ったお姉さま方の言葉を思い出す。

親が死に、人買いに売られ、そこで出会った同じく売られた3人のお姉さま

その人買いが野盗に襲われ、師匠たまたま通りがかり助けたわけだが、剣心以外は死んでしまった。

お姉さま方(のひとり)が剣心をかばいながら言った言葉

あなたは生きることだけ考えて。あなたはまだ小さいから、私たちみたいに自分生き方を選ぶことはできないの。だからせめて、生き方をひとりで選ぶことができまで、生きなきゃだめなの。」

その言葉を思い出し、涙が溢れ、奥義を放つ。

剣心の「生きる意志」の原体験を見たような、一番印象に残ってるシーン。

そんなセリフ原作にはなく、補完として捉えてるが、たぶん監督アイディアで作者はノータッチだろう。

原作に追いつかないようにゆっくり放送してたあの時代から描けたんだろう。そのシーンめっちゃスローモーションだし。

個人的にこのシーンは原作を超えてるんじゃないかと思う。

  

  

作者は旧アニメに対してあまり良く思ってなかったようだけど、新アニメに対して満足してるんだろうか?

アニメ版はあまりいい評判を聞かないしセンスも感じない。キャラデザも丸っこいし2010年代の凡アニメみたいな印象、たぶん連載中の北海道編の画風に合わせてるんだろうけど。

原作最後まで作るんだろうが、フジテレビの「お手軽に稼ごう」ってのが透けて見えるっていうか、期待はしない。

引き合いに出されるダイの大冒険くらいの出来じゃなきゃ再アニメ化の意味ないんじゃないの?

ノイタミナのコンセプトって形骸化してるよね。OLにみてほしい だっけ?

他の放送枠より1話分少ないんだから、話数多い原作採用するなよ。約ネバ2期があんなことになったの私は許さないからな。

2023-07-29

東京に住んでいない俺がどこで文化享受しているか

これはいま、おれの中にひとつわりと明確な答えがあって、それは

"スーパーセンタートライアルに向かう途中の田んぼ道"

です

おれの住んでる田舎は、市の人口5万人とかなんで、かなりザコいんだけど、24時間営業スーパーセンタートライアルを抱えている

そんで俺はそっからチャリで5分程度のとこに住んでいる

そうすっと、夜10からでも、思い立ったらチャリに乗って、でけえスーパーで買い物ができるわけですよ

まずこれはひとつ文化資本と言って良い スーパー って博物館からさあ!

そんで、そこまで行く途中の道、これもまたいいわけ

中規模の川が近くにあるから、いまの季節、サワガニが地面を這い回っているんですよ

まず、玄関からチャリまで歩く過程で、スマホライトに照らされて、聞き取れるくらいデカ足音を立ててカニが逃げる、おれはウオっと思ってちょっとのけぞる、こういう体験が、よくわかんねえけど、ひとつ原体験となるわけだ まあおれがここに来たのは就職してからなんで、ゲンミツには原体験じゃねえけど、原体験に上乗せしてやってもいいと思ってる いい体験だ カニカルチャー

マルケス小説読んでると、すげーカニが出てくんだよ 夜になったらカニが海からワンサカやってくるんで、それをバケツに入れて海に追い返す、みたいな話がある

このくだりってマジックリアリズムなのか?と思うわけ そんなにカニいることってねえだろと思ってっから

しかし、身近にカニを感じるにあたって、ああ、その辺のショボい川からでもこんだけカニが出てくるんだったら、コロンビア海岸なんかだとマジでワラワラいてもおかしくねえのかな、と思いなおす

現実で積み上げた体験が、読書体験に深みを与えるわけですよ (逆もまた然りっすねえ!)

そうやってカニをやりすごしながら、川沿いの道、川沿いっつっても土手に隠されて川は見えねえんだけど、そこを漕いで行くわけよ

漕いで行こうとしたらさ、夜8時なのに案外明るくて、真上の空はすげえ晴れててさ、日が落ちて濃さを増し、藍色になった空をバックに、でけえ雲が連なってそびえているわけですよ

山脈」とか「大いなる」とか、そういう形容をしたい感じなわけ

これってヘタしたらエベレストより立派なんじゃねえか?とすら思う 実際、高度で見りゃいい勝負だと思います

おもわずチャリを路肩に停めて、ちょっと雲を眺めたりしている時間、あれは実際かなり文化的だと思う

夏はそういう、デケー雲とか日暮れどきの光の具合なんかが目を惹くんだけど、秋とか冬もまったく悪くなくて、なんせ涼しいし、星が綺麗なんだよなあ!

秋口に、完全に夏の格好してチャリ漕いでスーパーセンタートライアルに向かってたらさ、思ったより秋が深まっていて、まあ寒い寒い!って感じで、そのうち歯がガチガチなってきてさ、そんで田んぼ道だからチャリもガタガタしてさ、内からも外から振動しながら、ふと空を見ると、なんかマジでアホみたいに綺麗な星空が広がっていたりして、おいおいマジかよ、と思うわけですよ

ホント暗いんだよ田舎 絶対街灯もっとあったほうがいいだろ!って思うんだ

でも、やっぱその分、星が見えんだよなあ!

スーパーセンタートライアルに向かう道すがら、寒さに震えながら見上げる星空ほどイイものって、実際そんなに思いつかないっすよ

まり何が言いたいかっていうと、これはよくわからない

俺はかつて東京を憎んでた(キモいから!)けど、最近ガチでどうでもよくなってきていて、それはひとえに、田舎全然ええなあ!と思い始めたからだと思う

人のいねえ道で適当に腕振り回したりしながらチャリ漕いで、雲とか星とかを眺めて、そのあとスーパーセンタートライアルアイスとか75円のイカフライとかを買って、別に腹が減ってるわけでもねえけど、帰り道に開封して、食いながら帰る

これはまさに、俺の文化だと思っていますよ!

2023-07-24

宮崎駿終活君たちはどう生きるか

君たちはどう生きるか感想

具体的なネタバレはそれほど無いと思うが、作中のかわいいキャラクターのみ個体言及する。








一言で表すならば、眠りの浅い時に見た夢。


ナウシカラピュタトトロ魔女の宅急便紅の豚もののけ姫ハウルポニョ、そして風立ちぬといった宮崎駿歴代作品イメージボードブンブン振り回されて巡らされた。

宮崎駿終活を見た。



呆然とした。

映画が終わった時には、なるほどね、と口から漏れていた。何故広告を打たなかったのか、得心したからだ。むしろ広告が打てなかったと言う方が正しいのではないかと思う。



ストーリーが訳がわからんかったのは別にいいというか、この作品自体が夢みたいなもんだからどうでもいい。

まず引っかかったことの第一台詞回しが説明的だったのに結構ダメージを受けた。

映像だけで説明できているはずのシーンで重ねて行動の意図を口に出して「今この台詞言う必要あったか?」となったのが、覚えている限り少なくとも二回はあった。

今まで宮崎作品ではほとんど感じたことのないものだ。

他にも感情の流れの描写がなく、どうにも唐突に結果だけが放られる台詞が多かった。細田守彷彿とさせる台詞回し。辛かった……

私はキャラクターへの共感については特に必要性を感じない方なのだが、感情の流れだけはしっかり描いてほしいと思っている。その流れがブツブツ途切れていて、最後に繋げたい結論だけを口にさせていて、気持ちが悪かった。

それも意図的なのかもしれないが。




第二にショックだったのは、ワラワラがただ可愛いだけのゆるキャラだったこと。

駿の中にはもうマスコットになりうる「可愛くて、でも不思議な」キャラクターはいないんだなと痛感した。

安直でなんの捻りもない造形には、宮崎駿原体験自然の中にある生命伊吹を感じることができない。そこに「いる」必然性は描かれず、ただ丸く、かわいい、特徴の廃された「マスコットらしいマスコット」でしかない。

子供向けにフックとしてマスコットが要るだろうという「思いやり」もしくはジブリと言えばという商業要請から出されたキャラクターしか感じられなかった。

DNA螺旋なことは分かるが、それにしたって安直デザインには宮崎駿の興味・関心が感じられない。

まあそこは今の宮崎駿にとってはどうでも良かったのだろう。でもシンプルながら風変わりで、動物幼児の見せる原初感情愛嬌を細やかに描いたキャラクター達を愛していたので、個人的にショックが大きかった。



現在宮崎駿の中で鮮やかに表現されるのは、戦争であってファンタジーではないというのは今作を観て強く感じられた。

最も切実にこちらに訴えかけるのはやはり空襲のシーンであったし、街が燃え、人が炙られ彷徨うシーンだった。

主人公が自らを傷付け、結果二兎を得るが上手いこと加減できず割と深い傷になる小賢しさと迂闊さも少年らしく良かった。

背後に不穏さが漂う陰鬱現実こそが「今」の宮崎駿なのだろう。現代情勢から必然だろうとも思う。



私は宮崎駿の、普通エンターテインメントに乗りきらない切実で繊細なものを、エンターテインメントという砂糖をまぶして結実させ、本来ターゲット外の人までより広く世に送り出す手腕にこそ心酔していた。

風立ちぬ」なんかはその真骨頂で、あん純文学を大々的にお出ししてきたのは正気ではないと思いつつ狂喜乱舞したし、そこに込められた宮崎駿の諦念を目の当たりにし、これで創作活動を終いとするのは悲しすぎると涙した。庵野が棒すぎて頭に入らないから嫌と内容以外の部分で周りに否定されたのも悲しかった。



結果的に言うと「風立ちぬ」は宮崎駿終点とはなり得ず、私の望みは叶えられた。

君たちはどう生きるか」を鑑賞し、ここまでただ狼狽した心情を書いてきたが、今の宮崎駿に非常にショックを受けつつも、なんとなく心穏やかになった部分もある。

宮崎駿作品から既にひりついた表現への欲を感じなくなったのは、それはそれで救いであるとも思う。

そういう意味では、私にとっても「宮崎駿」への餞というか、終活になった。


どんなに作品の底に込めた意味があろうと、こちらに伝えようという意思が感じられない、というか作品を観ながら「伝えたかったもの」を考える余地がある、物語に没入できない時点で出来の悪い作品と考えているので、作品単体で言うと★1なのだが、監督宮崎駿ということを加味すると★3になってしまう。

君たちはどう生きるか」を宮崎駿ではなく、例えば米林宏昌あたりが作っていたら私は激怒し、オマージュ大義名分ジブリブランドを体良く利用して棄損するなと気炎吐き散らして暴れ回っていただろうが、宮崎駿ならばこれを作る権利がある。

それだけのものを今まで私たちに贈ってくれた。



そして、ここまでグチグチグダグダ書き連ねながらも、もし万が一にも次作があるなら絶対観に行ってしまうだろう。

観客なんて勝手なもんである


あと、米津好きだけど宮崎駿には合わなかった。ジブリにはもっと現代の売れ線とは関係のない歌と共にあってほしい。

2023-07-09

小中学生の頃に「可愛い」扱いされてた男性性癖歪む説

これガチ提唱したいんだけど、俺の体感だと女装男子とか男の娘とかそこら変の界隈にいる男性って8割ノンケだけど小中学生の頃に周囲から可愛いと言われて育った原体験によって性癖歪んでる奴ばっかりや

マジで未就学児以外の男児可愛いって言うのやめとけ

性癖歪むぞ

2023-06-24

おれは多摩が嫌い。家ばっかでつまんねーから

自然もなければ都会でもない。住むためだけのベッドタウン

立川八王子駅前は多少栄えてるけど、ちょっと歩けばウチの近くと似たような景色になる。ハリボテみたい。海もなければ多摩川も遠いし、デカ公園もない。昭和記念公園は金を取られる。

いくらかマシな駅前でも、遊ぶには金がかる場所ばっかりだ。高校生の頃、雑費込み5000円の小遣いじゃ大した事はできない。電車に乗って遠くに行く機会も中々ない。

昔一回嫌気が差し新宿まで出ようと決めた。大学入るまで電車通学したこと無かったから、知ってる「都会」が新宿くらいしかなかった。金がもったいないから行きは歩き。

国立から線路沿いに歩いて、三鷹辺りまでは似たようなつまんねー町並みが続いた。無機質なコンクリの高架と、その足元の人が入ってんだか入ってねーんだか分からんピカピカの商業施設。それを囲む家。時々森林。つまらん。

でもそこらを通り過ぎると個性が見えてくるようになる。まず駅前雰囲気画一的でない。でけえ掘っ立て小屋みたいな駅舎とツルツルのアスファルトの閑散としたロータリーみたいなワンパターンじゃない。駅の形がおもしれえ。

乱立する店も金はねえから利用はできないが、それでもプラプラ歩き回りながら眺めてるだけで楽しい

マック松屋、ビッカメルミネを眺めていても何も楽しくねえけど、ここは違う。見慣れない街への新鮮もあるだろうけど、それ以上の何かがある気がした。街に色があった。

中野で断念しちゃったけど、今でもアテもなくフラフラ歩き回るのがすきなおれの原体験だ。

大学多摩だった。おれはもう一生をここで過ごすのかもしれないと思った。このままでは魂が多摩色に濁ってしまう気がして、わざわざ都心バイト先を選んだ。初めて目白という地名を知った。往復1000円弱がタダになるのはデカい。

無駄一人暮らしして、最寄りが中央線から京王になってなんか新鮮だった。多摩内を南西に移る虚無の引っ越しだった。

中1までは本気で日本電車とは中央線北海道から九州まで繋がってるもんだと思ってた。乗り換えという行為意味が謎だった。

新宿での乗り換えで一旦駅を出て、覚えたてのタバコ一服するのが恒例だった。西口喫煙所モード学園ビルを眺めながら一息ついてると主人公にでもなった気がした。

目白ではバイトの休憩中に学習院侵入して一服するのが好きだった。キャンパスがおれのとこと違ってザ・大学って感じがした。附属の生徒が構内を歩き回っていた。おれの母校も小中高一貫校で、小学生学食でチョロチョロしてるのが嫌だったのを思い出した。

マックキャロットに行こう行こうと思っていて終ぞ行かずじまいになってしまった。今度行かないとな。

一回金なさすぎて目白から帰れなくなった。みどりの窓口がある池袋まで歩いて、Suicaを払い戻して現金を手にし事なきを得たのも思い出深い。

この頃から都心雰囲気に少し慣れ始めた。同時期から服装に気を遣い始めたのもこれと無関係じゃなかったかもしれない。

元々フラフラ歩き回るのが好きだし、そのステージ多摩からかに豪華になったのが嬉しくてたまらなかった。都心はすげえ。立川より立派な街並みが隣の駅まで歩いてもずっと続いてる。バイト代もあるからかっこ良くて履き心地の良い靴も買えるようになった。

バイト帰りに、当時流行りだしたサウナへ寄って一泊するのも好きだった。親の同意書も要らず外で泊まれるようになったのが嬉しかった。まあ以前も自分の字で書いて出してたけど。朝から風呂浴びて、さっぱりした身体上野錦糸町をふらつくのも新鮮な体験だった。

バルト9では深夜も映画が観られる事を知った。ゲーセンファミレスも夜は閉まってしま時代で、こんな場所があるのかと思った。夜を映画館で過ごすなんて、マンガ映画に出てくる不良少年みたいな体験で興奮した。

終電適当な駅に降りて、夜通し歩き回るのも好きだった。夜中の鵠沼海岸でボーッと波の音を聞いたり、誰もいない江ノ島を歩き回った事もあった。

おれは生まれも育ちも一応東京だけど、あの頃になって本当の意味上京を果たしたのかもしれない。

人はこうして人生を旅して、最後多摩に落ち着くのかもしれない。本人はそれで良くても、ガキはたまったもんじゃないけどね。

2023-06-03

anond:20230603064805

海外移住するのは女性の方が多い。海外適応する能力女性の方が高いようです

日本に帰ってくるのは男の方が多いようだけど、お前の話のソースは?バカから根拠原体験もなくて、ただ自分の信じたい妄想を話しただけか、やっぱり例に漏れず低知能な男って多いんだな!泣

https://www.asahi.com/articles/ASR1R5RGFR1MULFA02K.html

2023-05-28

anond:20230527223502

性欲がキモいのって自明なのかな……

女性性的に見るのがキモいって意見ブコメの方でも見た。

かに子どもの頃から、性欲を出すのはキモいキモい忌避されてたよ。

はいま30代後半の田舎育ちだけど、たぶん日本全国同じだと思う。

エロい女性に鼻の下を伸ばしたり、オナニー話題を出すと冷たい目で見られるし。

漫画とかフィクションでも三枚目の男キャラが下心丸出しにして女性キャラに殴られたりね。

でも、そもそも性欲って時代文化に関わらず絶対的キモいものなのかな?

中学生クラスで、野菜を採りに行ったことがある。

採れた野菜教室の後ろに並べて展示してあったんだ。

いくつかの野菜は妙な形をしていた——…ブサイク野菜だった。

自分野菜を採ったことない育ちの人らは知らないだろうね。

実は、スーパー店頭に並ぶのは厳選された美形だけ。

ゆがんだ野菜は傷んでなくても捨てられてしまうんだ。

で、その中にナイスバディな大根が紛れ込んでいたって話。

遠目に見るとボンキュッボン女性に見えなくはない大根

まあネットネタ写真ありがちな奴だね。

奇跡でもなんでもない単なる偶然の産物である大根の顔には、しかし、ペンでこう書かれていた。

クラス女子

登校してそれを見た女子たちは、キモいキモい、最っ低!! と口々にののしったんだ。

男子の中にさえも、キモいよな、と言い出すのもいたと俺は覚えてる。

早朝の教室光景は、幼い頃の俺の脳みそに、原体験として刻み込まれた。

性欲 = キモい と、認識した事件だったよ。

大人になった今でも、実はシックリきていない。

思い出すたびに、過去自分を守る立場クラスのみんなと戦いたい気持ちになる。

実在する弱い具体的な特定個人を追い詰めたわけでもないのにさー。

対象として女性を性欲で見ること自体の一体なにが悪いのさ?

…。

思い出って、忘れたつもりでも、ずっと燻ってたりするんだよな。

大人になってから上京して初めて出来た友だちと飲んでた夜。

割と唐突に思い出して、思い切って相談したら、親切にも彼は考えてくれたんだ。

犯人の自供ではなくネットの伝聞として紹介した話に、ひと回り歳下の男友だちは答えを出した。

「性欲自体キモいとかはないけど、性欲を出すのはキモい

だそうだ。

「性欲が存在してることを意識させちゃいけない」

「性欲は当然存在してるけど、存在を見せちゃいけないんですよ」

「性欲を表に出すのは自由ですけど、だったら表に出すのを許さないのも自由です」

我納得不出来

反論不出来

2023-05-11

食べるフェチ系の作品教えてくれ!!!

なんか今日おすすめゲームとか漫画教えてもらう増田が多くてずるいずるい!!私もやる!!

どうやら食事シーン萌えらしく、何かを食べている描写がある作品大好物なんです。

条件

特に良かったもの

ストライクまでは行かないがかなり好き(普通食べ物からだろうか?)

食べ物関係ないが雰囲気かなり近い

意外とイマイチだった(方向性は合っているが何かが惜しい)

この辺ってどう?面白い

リストアップしてて気づいたんだけど静かに「美味しいねぇ…」って吟味するようなのが好きなのかもしれない。

最近では「八日さんが舐める」という漫画の連載初期がもう上品さと下品さのバランスハチャメチャに良くて、熱いメールを送りつけたりもしてたんだけどどんどんよだれがグチャグチャ垂れたりヘソの垢を舐めとろうとしたり臭そうな女が出てきたりしてダメなっちゃった。悲しすぎる。

以上!とりあえずなんでも試してみたいので教えてくれ!!

2023-04-18

電車内でエリアマネジメントがどうの原体験がどうのって1秒も無言の時間がないぐらいペラペラ意識高い会話してるノーマスク若いヒューマンめっちゃ気持ち悪いな……

ガキがペラペラ気持ちよく意識高いこと言ってる嫌悪感+めちゃくちゃ喋るのにマスクしてない飛沫に対する嫌悪感+山手線って中野行く?とかい田舎者丸出しの発言による「田舎モンがそんな意識高いこと言ってたのかよ」という滑稽さ

色々考えたけど結局こう 自信満々で偉そうにペラペラ話し続けるやつが嫌いだなぁという個人の感想になるな

2023-03-26

逃避

小学生の頃のある日、昼休みに珍しくクラスのT君と喋っていたら掃除時間になった。私が教室に戻ろうとした折、彼は「そんなんサボっちゃえばいいんだよ」と言った。

それまで私の人生に「にげる」というコマンドはなかった。逃げて良いのはドラクエだけだった。掃除時間中、彼と一緒に校舎内を練り歩いた。真面目に掃除している友達を訪ねおちょくるT君を横で見ていた。

同じ班の女子生徒に見つかり、サボってんの?と呆れられはしたが、チクられはしなかったのだろう。その後お咎めはなく、世の中自分が思うより結構緩く回っているのかもしれないと思った。これがサボり原体験だった。

その後は逃げるという選択肢を大いに使った。

T君の誘いに流された時と違い、初めて自分意志で塾をサボった。サボりすぎてバレて殴られ、それでもめげずにサボった。時間潰しにチャリで10km離れたイオンまで乗り付けて、エヴァを1巻ずつ買うのが当時何よりの楽しみだった。

中高は担任がハズレで、ついぞ学校サボるという体験はできなかった。が、部活の気分じゃない日はサボって高尾山に登ったり、多摩川を延々と下ってみたりもした。春には桜が見える駅前マックコーヒー一杯で長々と入り浸った。

大学生になってからは、もうサボりまくった。

夜中の江ノ島を独り占めしたり、バルト9ミッドナイトショーへ行って、始発が来るまで中央公園感想を書き留めたり。魚がいるかも分からない多摩川で一晩中釣り竿を振り回したり。終電も過ぎて遠出が出来ない日は、聖蹟のゆうひの丘まで行き、多摩夜景を眺めながら物思いに耽った。静かな夜に動き回るのが好きだった。

から見れば取るに足らない思春期現実逃避だろう。でも私の青春はいつも逃避の中にあった。逃げた先で大切なものを見つけようとした。憂鬱な帰り道すらも現実を考える時間になった。必要時間だったと心から言える。

逃避という麻薬の如き選択肢を教えてくれたT君。育ての親や敬愛するバッハ差し置いて、私の人生に誰よりも影響を与えた人物かもしれない。

人生、機を見極めて逃げるべきタイミングもあろう。今までは少し逃げ過ぎたかもしれない。それも良かったが、青春も半ば終りかけた今や目の前の生活とも向き合わなければならない。世の中に蔓延バカたこから上手く逃げおおせながら生きたいものだ。

2023-03-25

思春期ナンバガゴイステ聴く陰気な少年マジでかっこいいと思ってるし、自分もそうありたかった。

実際の所は姉の影響やミーハー心で事変やサカナクションを聴いていた。最近はそれもまた等身大高校生といった感じで良いような気もしてきた。逆張りの申し子だったかそもそもオーケストラジャズばっかり聴いていてロックあんまりだったが……

夜の踊り子の焦らしは今でも高ぶるし、群青日和ギターソロは本当にかっこよくてクネクネせずにはいられない。

借り物の青春像ではなく、最大音量1812年を聴きながら高尾山に登ってみたり、閃光少女アウトロを何百回も繰り返しながら多摩川を延々下ってみたりした逃避行原体験に誠実でありたい。

スマホを置いて、久々にウォークマンと有線イヤホンだけ持って出かけてみようかな。

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