はてなキーワード: 左利きとは
の捕捉漏れ分
いきなりだが、俺はバイだ。といっても俺がそう思っているだけだが。
俺は今の特に気になる人はいないが、そういう人が見つかったとして、それが男性でも女性でも気にしないってことで、バイと思っている。(まぁ昔咥えたことはあるんだけど)
これぐらいでいいんじゃないかと思う。
そしてマイノリティの割合も10%程度らしい(統計局が調べてないから正しいかは知らんが)
さて、自分が左利きであることを相手に伝えるのを「カミングアウト」という人はあまりいないだろう。
そして知り合いが左利きであることを勝手の話すのを「アウティング」とも言わないだろう。(怒るやつもいそうだが)
俺はマイノリティもそんな感じになればいいと思っている。
「Tはこのグループの中で誰が好きなの?」
「あー、俺ゲイなんだよ〜」
「あ、そうなの、じゃあいっか」
こんな感じ、伝えることにも伝えられることも全く重いことではないカジュアルな世界。
そんな感じになったらいいなとカジュアルなバイの俺は思っている。
まぁ100年後もなってないだろうけど
そもそもあれ、右利き用を大小1個ずつと左利き用大1個、なんだよね
低学年と高学年がキャッチボールは危ないし
事実上高学年の右利きの子と左利きの子、って組み合わせでしか使えないと思う
まあ実際はちょっと触って遊んで終わりだろうね
犯人が女性であることが(ほぼ確実に)分かっている未解決事件,という結構珍しいかもしれない事件。事件について調べてみると,迷宮入りするような事件にはあまり感じられないものの,発生からもう24年になるがいまだ解決していない。
愛知県警のページ(名古屋市西区稲生町5丁目地内における主婦殺人事件)。
https://www.pref.aichi.jp/police/anzen/sousa/houshoukin/nishi/nishi-199911.html
Wikipediaにも記事があるけど,コンパクトにまとめすぎていて却って分かりづらいかも。
https://ameblo.jp/maeba28/theme-10101274847.html
・年齢は40~50歳位(当時)
・頭髪は肩までの長さの黒色で、パーマが伸びたような感じ
犯人は左利きの可能性が高い。被害者が首の右側を刺されており,目撃証言によると左手を負傷していると見られる=左手で凶器を振るっていたと思われる。※一応,警察発表では「左右どちらかの手に怪我をしていた」とされているが,まあ目撃情報も絶対ではないし(見間違いとか),前提条件を限定しすぎると情報提供の幅が狭まっちゃうからね。
出血量から判断して手の怪我は静脈を傷つけており,自然止血はしないだろうと言われていた。おそらく治っても傷跡が残るレベル。
「左手に大けがをした(跡がある)左利きのおばちゃん(なお血液型はB型)」ってそんなにありふれた存在ではないと思うので,犯人の近所の人とかはピンときてもおかしくないと思うのだが…。
犯人の血痕が道路に点々と残っており,逃走経路が途中まで明確に分かっているというのもこの事件の珍しい点である。
犯行現場からまっすぐ最短距離で稲生公園を目指すのではなく,少しだけ遠回りしながら向かっている点が,後述する土地勘の有無について見解が分かれる一因となっているようである。
個人的には,「逃走中に進もうとした方向に人影が見えたので,別の道に進んだ」みたいな単純な理由かもしれないので,あまり土地勘の参考にはならないような気がしている。
2件の目撃情報は服の色が違っているのだが,さすがに手を大怪我して歩いている中年女性がたまたま同地域同時間帯に2人もいる可能性はほぼないと思うので,どちらかが記憶違いであって目撃されたのは同一人物なのであろう。
なお,凶器は現場に残されておらず犯人が持ち去ったとみられるが,目撃情報では「右手で左手を押さえながら歩いている」姿が目撃されており,一方でカバンを持っていたとか背負っていたという情報はない。どうやって持ち帰ったのかという感じだが,腰にウェストポーチみたいなものを身に付けていたのかもしれない。
犯人が現場アパートから徒歩で逃走したことは間違いない(血痕や目撃情報から)。分かっていない点は,近所に住んでいる犯人が家まで徒歩で帰ったのか,あるいは遠方から車で来てどこかに駐車しており,そこまで歩いて車に乗ったのかという点である。
警察は稲生公園付近で車に乗って逃走したのではないかという見方らしい。おそらく近隣住民の捜査は重点的に行ったであろうから(他に糸口も少なかっただろうし),警察がそう言うならそうかもしれない。なお公園付近の道路は路上駐車も珍しくはないらしく,車を停めていても不審ではなさそうである。
しかし車で来ているなら,公園で手を洗った後に無駄に公園をウロウロしたりしないのでは?という気もする(しばらく公園付近にいたことが分かっているらしい)。ただ,公園から協力者に電話して迎えに来てもらったという可能性はあるか(そもそも協力者がいるのか全く不明だが。いるなら2人で襲撃した方が確実に殺害できるだろというツッコミはある)。
現場に残されていた乳酸菌飲料(ミルミル)について,犯人が持ち込んだ可能性が高いと言われているが,人を殺しに行くのにわざわざミルミル持っていくやつおるんか…?という気もしてしまう。よく分からない。たまたまポケットに入れっぱなしだったんか?
ちなみにミルミルを飲んだのは犯人だとされている。なんで分かるのかと思ったが,玄関に少量のミルミルを吐き出した痕跡があったとのことなので,そこから唾液でも採取できているのかもしれない。まあミルミルが元々被害者宅に置いてあったものだとしても,なんで人を殺した後に勝手に人んちのミルミル飲んどんねん…とはなるが。
当該ミルミルの販売エリアが西三河地区限定だったことで,犯人が遠方から来た説の後押しになっているかもしれないが,個人的には,ミルミルに惑わされたせいで捜査が暗礁に乗り上げたのでは?という疑念も持っている。さすがにそんな単純ではないとも思うけど。
捜査は行き詰っているように見えるので,よほどの新情報がないと解決するのは難しそうだが,犯人のDNAは押さえられているので,急転直下で逮捕される可能性はある。まだ逮捕されていないということは余罪がないのだと思われる(実際,動機が怨恨っぽい(逆恨みや人違いも含め)ので,余罪がない可能性は高い)。
犯人が生きていれば60~70代くらいであるが,死亡している可能性ももちろんある。その場合は解決される可能性は極めて低そうである。
「私はあなたとあなたの作品を信頼しています。だからこの表現には何も指摘を入れません」
そういう仕事をしてえよな。
本当にそれが校正者としての正しい姿勢だろうか。校正者は「間違いを正す」存在ではなく、「間違いの可能性がある部分を指摘する」だけの存在じゃなかろうか。
当該部分を直すかどうかは筆者が決める。デスクが決める。編集部が決める。その判断を校正者は担わない、自分はそう考えながら校正の仕事をしている。
元増田の投稿をうんうんと頷きながら読んだ。でもどうしてもここだけが気になった。
この間『プロフェッショナル 仕事の流儀』の大西寿男さんの回で、「(校正は)報われない仕事だ」と嘆くのを観た。正直、そう思う。
良いフィードバックなんてまずもらえない。間違いがあったときだけ一斉送信での連絡が届く。
指摘される=自分自身を否定される、ではないはずなのに、それを担う校正者は何かと悪者にされがちだ。
筆者や編集者にそう認識されていると感じることは少ないけれど、校正者も「良いものをつくりたい」という同じ目標を心にもっている。
先輩校正者から、校正段階の記事で、あるテニスプレイヤーの写真が反転していたことがあった、という話を聞いたことがある。
もともとその選手が左利きだという知識があって、写真を見て校正時に気がついたそうだ。
今ではスマートフォンの写真は左右反転になることも多いし、そんなことどうだっていいじゃないかと感じる人もいると思う。
それでも写真の反転は基本的には禁忌とされることだ。自分はその話を聞いたとき、夢のある仕事だ!と本当に感動した。
校正・校閲は、今日知ったこと、ずっと前に少し聞いただけのこと、何の役にも立たないと思っていたこと、それらのすべてが無駄にならない仕事だと思う。
わからないことでも「これって本当に正しいのかな?」と検索するだけでも違ってくる。
公式で「徒歩10分」の表記を見ても、GoogleMapできちんと確認する元増田は絶対に良い校正者だ。
自分もYouTubeで鳥の鳴き声を調べたり、何十年前のその日が本当に雨だったかどうかを気象庁のHPで調べたりしてる。
「冥福をお祈りする」との表記があれば、その故人が仏教を信仰していたかどうか、できる限り確かめたり……
まあこういうのは、校閲の“楽しい部分”なんだろうけどさ。あとのほとんどは元増田の言うように“シャーペンの先っぽで一字一字ゲラの文字をぷちぷち押さえたりするだけの仕事”だったりするけど。
とにかく、AIに取って代わられるその日が来るまで、このへんてこな仕事を楽しみたいよ。誰にも求められてないと感じる日があっても、意味のない仕事だと嘲笑されることがあっても、校正の仕事がこの世界にずっとあるといいな。
読むと頭が良くなると言ったが、まぁそんなのはどうでも良くて、おもしろい漫画列挙してみたよ。
道徳や人道、思いやりは人権ではない。福祉とはあくまで人道的な手段であって、人権を守ることではない。
人権とは「国家から自由であること」である。国家によって奪われてはいけないものが人権である。
「生存権を守らなければならない」とはどういうことか。
「人間が死なないよう、国家は人間を守護しなければならない」という意味ではない。「国家の仕組みによって死に追いやられる人間がいてはならない」という意味である。
福祉によって人命を救うことは、それ自体は生存権を守ることではない。単に、国家という共同体の本質が福祉なのである。国家のあらゆる行為は福祉を守るためにある。警察は福祉である。軍隊は福祉である。
福祉がないから問題なのではない。福祉は常に国家と共にある。国家とは福祉である。福祉が平等ではないから問題なのである。平等が破綻することがあれば、それは国家による依怙贔屓であり、それは構造上「国家によって生存権が脅かされた」と解釈できることになる。
「障害者は弱い存在なので、守護しなければならない」という意味ではない。「マイノリティとして虐げられてきた障害者が、国家によって奪われてきた権利を取り戻さなければならない」という意味である。
盲目の人間は盲目なりに、視力以外の四感を用いて周囲を把握することが出来る。もしも国家が盲目の人間だけで作り上げられていたならば、盲目の人間のために最適化された文明が発展していたであろう。
右利きの人間のために最適化された社会では、左利きの人間は障害者である。
「色弱」という言い方は正確ではない。彼らはマジョリティには区別できない色の違いを区別することが出来る。
人間は翼を持たない。鳥から見れば人間は障害者であろう。しかし、人間に翼は必要ではない。翼を持たない人間がマジョリティであり、翼を持たない人間のために文明を最適化してきたからである。
「異性愛者はあらゆる人間に対して異性愛の前提を押し付けるな。目の前の人間が同性愛である可能性を念頭に入れろ。」
みたいなの見るけど、
そう言ってる人は全員、目の前の人間が左利きの可能性を念頭に置いて行動してるんだよね?
いろんな場面で相手の右側に物を置いたりなんかしてないんだよね?
誰かとご飯食べる時はアレルギーがないか気を利かせて直接質問はせず、アレルギー物質もろの食事屋は選ばないようにしてるんだよね?
クッキーやパンのプレゼントなんてもってのほかで、相手が小麦アレルギーの可能性はしっかり考えてるんだよね?
あらゆるマイノリティはあらゆるマジョリティに散々な対応される世界が当たり前なのになんでセクシュアリティだけこんなに声がデケェの?
オレオレFCは14日、夏場に加入したMFヤゴ・リカルド、MF藤崎、FW植村の入団会見がオンラインで行われ、野河田彰信監督も参加した。ヤゴ・リカルド、藤崎は先週から、植村はこの日の練習からチームに合流した。ヤゴ・リカルドは左利きのドリブラーで、左サイドを主戦場とし、藤崎はボランチ、センターバックを中心に守備力が持ち味。植村は裏の抜け出しと抜群の得点感覚を武器にするストライカー。選手登録の関係で最短デビューは22日のアウェイFC東京戦(国立)となる見込み。なお、補強はこの3人で終了する見込みと明かした。
◇ ◇ ◇ ◇
3人が暫定4位と躍進するロイブル軍団を更に上に押し上げる。ヤゴ・リカルドは個人で打開し、左足を武器にゴール、アシスト、チャンスクリエートと得点に関わるプレーが持ち味。リカルドは日本行きに「迷いはなかった。レベルの高い日本でやれる事に誇りを感じます」と話し、即戦力として大きな期待を背負う。「個人としては苦しい試合展開だったり、結果を出して勝つ状況が必要になってくると思うので、貢献出来るように頑張りたいです」と力を込める。
一方、2年ぶりの復帰を果たした藤崎は「もう一度、このクラブでやれる事を嬉しく思います」。同じく復帰の植村も「戻ってきたんやなと感じました」。ボール奪取が持ち味の藤崎は、21年夏に加入した鉾浜FCではウィングバックも努めるなど、プレーの幅を広げ、得点力が持ち味の植村は勝田(かちだ)ヘルズゲートFCに加入した昨年は40試合で11得点と結果を出した。しかし、共に今季は監督のスタイルが代わり出場機会が減った。植村は「試合出場に飢えている。自分に求められるのはゴールですし、チームに貢献出来れば」。藤崎は「2年間の経験を生かして、自分の持ち味を出してチームに貢献したい」と、それぞれ意気込みを口にした。
野河田監督は補強の意図について「サイドは右は人材はいるんですけど、左は奈良田とジュシエしかいないので。ボランチも様々な選手を試したが層が薄かった。FWは現時点で森永(10得点)しか獲れてないんでね。もう少し、ノレジーや浅田らの刺激を与えようと。あとはオプションを増やしたい意図もある」と説明。更なる補強については「ないですね。もう十分や。メンバーはいるんで、若手もベテランも変わらず競争させながら、残り試合を戦いたい」と見据えた。
シーズンは後半戦に突入し、更なる上位進出を目指す上で負けられない戦いが続く。最短の出場は22日に新国立競技場で行われるFC東京戦。植村は「何かの縁やと思ってますし、僕は持ってると思います」と笑いながらも「節目節目で、この試合を落とせなかったというときに結果を残せれば、大きく自信がつくと思いますし、チームとしての価値も上がると思うので、そこにこだわりたい」。ロイブル軍団に勝利をもたらす存在になる。
○…オレオレFCは14日、16日のアウェイ・セレッソ大阪戦に向けて非公開で練習した。
前節・柏レイソル戦で同点ゴールを決めたDF岩田はオンライン会見に応じ「前節の反省を生かして戦いたい」と意気込みを口にした。柏戦後と翌日に、監督、コーチ、選手とミーティングを実施。言いたいことを言い合ったという。
C大阪は前回ホームでの試合は3ー2で勝利したが、「個の力は高いですし、(連敗していて)起死回生を誓って戦うと思う。インテンシティやクオリティ、トランジションで負けないようにしたい」と気を引き締めた。
右利き?左利き?指をたわめて緩めのグーにしてみなよ
3回目観てきたやで(入場者特典色紙はづっきーだった)。
私は正しく箸やえんぴつを持つことが出来ない。親指の付け根を使って持ってしまうのだ。持ち方がおかしいからほかの人と同じところにペンだこが出来たこともないし、食事をしているところをマナーにうるさい人に見られれば難癖を食らいそうな食べ方をしている。
という言説を耳にしたそうだ。
ペンと箸だけ、右手で使うよう教えられていた覚えがある。けれど、その教え方が悪かったのか、教わり方が悪かったのか、今日に至るまでわたしが正しく箸やペンを持てたことはない。時すでに遅く、使い方がおかしいと気づいたのは思春期にさしかかった中学生のときの食卓だったし、その頃にはこの持ち方が手に染み込んでいた。元々は左利きなのだから、十何年やってきたやり方をもう一度変えるほどの器用さは私にも私の右手にもなかったし、左手だって「だからって急に利き手を戻すなんてむりだぞ」と言っていた。畢竟、私に提示されたのは、両不利きの女として生きていく人生であった。
けれど、この利き手矯正を完全に行えなかったことは、私の人生に大いに関与しているように思えてしまうことがある。
よく言われる左右盲にはもちろんなったし、ナイフとフォークの使い方、水の注ぎ方、工具の使い方、スポーツの利き手利き足もこんがらがってしまう。特に、完全な左利きであれば、右利きの人に合わせる時は反転すればいいものを、中途半端に矯正されたものだから考えることが余計に多くなってしまう。
そしてなにより、右も左も中途半端で、それに気づいた時期も中途半端だったことは、「不器用」というレッテルを貼られる要因になったのでは無いかと思うのだ。
ペンや箸を上手く使えないということは、それらをベースにした作業も上手くできないし、そのイメージが自分や他人に刷り込まれれば、やはり性格だって変わっていってしまうものだ。
もしもあの時、矯正なんてせずに、あるいはしっかりと正しい矯正をされていれば、私の人生はかなり変わっていたのではないかと思う時がある。ていうか、「左利きは寿命が短い」のだって、こうやって無理やり合わせなくちゃいけないストレスからだろうし。良く取り上げられる電車の定期券や自販機を使う時だって、私は左手を使っているのだし、むしろ矯正でストレスが増している気さえする。
初めて授かった第一子を育てる上で、母も父も精一杯の教育をしてくれたと思うし、尊敬しているけれど、やっぱりあのとき無理に矯正なんてされてなかったら……と考えてしまう。生まれ持った特性を変えるってのはそれだけ大きなことだし、やるからにはちゃんとやるべきだよな〜…と思う。
同棲1年→結婚して半年ほどだが、同棲している頃からずっと嫁のご飯の食べ方が変で困っている。
例えば自分の場合、「メインのおかず」「白米」「汁物」と献立があった場合、おかず→白米→汁物→おかず→白米→汁物→・・・とループしながら少しずつ食べていく。いわゆる三角食べというやつ。
ただ嫁の場合、まずおかずを全て食べきる→白米を白米だけで食べきる→汁物を汁物だけ飲む、というような一皿ずつ制覇していくような食べ方をする。
あと、亜種として「ラーメンの上の具だけを先に食べてあとで麺を食べる」「とんかつとキャベツを並行で食べず、かつだけ食べてからキャベツだけ食べる」みたいなパターンもある。
(ただし丼ものやカレーなどは「これで一品の料理」という認識らしく、これらについては普通に一緒に食べる)
嫁と暮らすまでこういう食べ方をする人間を見たことがなかったので認識していなかったが、どうもこういう食べ方を「ばっかり食べ」というらしい。
おそらく用語として存在しているということは、嫁だけが特殊なのでなく世間にはこういう食べ方をする人間が少なからず存在し、問題視されているのだろう。
嫁本人は自分の食べ方が変わっているという自覚はなく、今まで指摘を受けたこともなかったので、直すつもりもないらしい。
むしろ「色々なものを口に入れると味が混ざる」「一つずつ食べるほうが皿の上げ下ろしが少なくて効率がいい」「米は米だけで味わうべき」という感じで、むしろこっちがおかしいような気持ちになってくる。
〝ばっかり食べ〟でググってみると「ばっかり食べは行儀が悪いから直すべき」という意見と「おかしくないから直す必要がない」という意見が半々で、頭ごなしに「おかしいから直せ」と言えるものでもないらしい。
世間で言う、子供の左利きを矯正するか個性として伸ばすかの議論に近い気がする。
困っているのは注意しても直さないとかではなく、そもそもこれが注意すべきことなのか、強制して直させるべきなのかという部分がわからないことだ。
自分は家が結構マナーにうるさく、橋渡しや刺し箸について結構注意を受けたことがあり、おそらく自分がばっかり食べをしていたらこれも注意して矯正されていたと思う。
ただ、今どきは自由でのびのびと個性を育てる多様性みたいな風潮もあり、自分が細かいことを気にする保守的な頭の固い人間みたいになるのが嫌で、無理に直せともいいづらい。
ただ個人的な気持ちとしては直してほしいという気持ちの方が強い。
うちは共働きなので、リモートワークの多い自分が家にいることが多く一人暮らしも長かったので、平日の料理はほぼ自分が全てやっている。
献立を考えるうえで「おかずは白米に合うように」「汁物はこってりした料理に合わせてさっぱりするように」という計算を働かせて考えているが、ばっかり食べだとこうした計算が完全に無駄になってしまうからだ。
なので「作る人の気持ちを考えてばっかり食べをやめてほしい」と言いたいところだが、これもまた作る側のエゴを食べる側に押し付ける料理人みたいでなにか強要しにくい。
それにやはり「育ちが悪い」「親にしつけられていない」という印象を持たれやすいリスクもあるが、本人はそれで困ったことがないと言ってるので、あくまで理論武装の域を出ていない感じがする。
あと悩ましいのが、今後もし子供ができて子供がばっかり食べをするようになったとき、これもまた直すべきか否かで自分が折れてしまいそうな気がする。そういう意味でも不安になってきた。
直させるべきか諦めるべきか、率直に意見が聞けるなら聞いてみたい。
最初あまり反応なかったから自分が気にし過ぎかと思ってたけど、朝起きたら結構反応来ててびっくりした。
それに将来子供を持つこと考えたら、子供もやっぱり他人ではなくて自分が責任を持つことになるし。
友達とか同僚がやっててもたぶん指摘するだけで済ますけど、嫁ってなるとそうもいかないなーと思う。
これが一番モヤッとしたんだけど、そもそも「作って出してる俺がコース料理として出してない」んだよね。
たしかにコース料理を三角食べしたらマナー違反だというのはわかるけど、それなら三角食べを前提として作って出した料理をばっかり食べするのもやっぱマナー違反ってことでいい気がした。
客の食べ方にこだわる店の気持ちがわかるようになってきたし、この辺は作って食べさせる当事者にならないとわかんないやつだと思う・・・。
これはそもそも俺の出す献立が、「野菜多めのスープ」とか「野菜多めのおかず」みたいな感じで作ってるから野菜単品の副菜みたいな枠が最初からないんだよね。
ただ野菜多めのスープを最初に手を付ける食べ方はそう考えたらアリだなって気がしてきた。
口内調味みたいな言葉があるのを初めて知ったんだけど、なんか知識が主婦みたいになってきたな・・・。
ガパオとかカレーみたいなおかずとご飯が一緒になってる料理とか、炊き込みご飯は普通にそのまま食べるので、理屈の上では抵抗ないと思う。
オムライスは卵とご飯一緒に食べるのに、オムレツとご飯で出したら一品ずつ食べるのってなんか気持ち的な部分だと思うんだよな。
ごめん、とんかつ↔キャベツを行ったり来たりしながら食べる食べ方の事が言いたかった。直した。
油分をリセットする目的でキャベツが付け合わせにしてあるのに、かつ全部食べたあとにキャベツ食っても意味がないって話がしたかった。
俺は一緒に口に入れてるけど、これについては別々で食べる方が主流だというのは理解している。
ただ、カツとキャベツが一緒に挟まってるタイプのカツサンドだったら一緒に口に入れても違和感ないのに、カツとキャベツだと一緒に入れるのがおかしいことになるの、やっぱりなんか意識の問題だよな・・・。
https://anond.hatelabo.jp/20230614131333
ひえー。すごい。食べ方一つでここまでプロファイリングできるとは。
他にも何人か指摘されてたけど、お察しの通りお互い別地方の出身地→都内で同居中です。
確かにはっきり「三角食いが正しい」と教わった記憶はないけど、言われてみれば無意識レベルで刷り込まれてたのかもしれない。
実は食べ方以外でも、同棲して自分では自覚してなかった県民性に気付かされることは今まであったので、これもその中の一つなのかも。
俺はおかずの塩分で米を食う前提で味付けしてるんだけど、嫁はおかずを食べ終わったあとで更に白米にふりかけをかけることはある。
そこまで頻繁じゃないし目くじら立ててないけど、一般論レベルだと否定される理由にはなるよなあ。
仕事終わってガパオ炒めてたら嫁が帰ってきたので「学校とかでおかずとご飯は交互に食べましょうみたいに教えられなかった?」って聞いてみた。
「言われたけど無意味だと思って従わなかった」って言われた・・・そうだった、こういうやつだった・・・・。
俺も白米だけ食うの無理なのですごいと思う。ていうかこれが一番のズレの原因なのかも。