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はてなキーワード: 純化とは

2021-05-15

anond:20210514181211

普段から同類とツルんで思想純化させてるんかなぁ。

思想ごた混ぜ状態で数か月同居させる実験とかしてみたい。

2021-03-15

anond:20210315130423

ではなぜか。

単に女性にとって情報量が足りないから、「得体の知れない存在」ということなんじゃないか

誰しも情報がないものに対しては、行動を予測できないので不安を感じる。

外国人がいない地域外国人とか)

では情報量を増やすにはどうするか。

LGBTがこの数十年で認知が上がってきたように、「非モテの辛さの認知」を上げるしかないのではないか

映画ジョーカー」はインセルスポットを当てたようで「障害」の要素も強めに入ってて非モテ一般化しにくい感じだったけど、ジョーカー非モテ純化版とかが出てくる素地はあるんじゃないか

古いけど「電車男」みたいなハッピーエンディングではなく、辛さに焦点を当てることで広まってほしい。

2021-03-05

anond:20210305110828

当時ただの逆張りファッションとして女叩きしてたような奴は彼女出来たらさっさと心を改めて普通に結婚して行って

やべえ奴ばかり残ったか純化してよりねじくれたのかも

2021-03-04

エヴァは25年の月日に潰された

1月22日、娘の前でエヴァ一挙放送の「破」を見ていた。

エヴァについて色々質問してくる娘に答える。昔流行ったアニメであること。今も作られ続けていて、今度ようやく完結すること。画面の中で動くキャラ名前兵器のこと。あれこれと説明していく私の横で、娘は一言こう言った。

面白い?」

私は答えられなかった。あらためて新劇場版を前にして、序を見ても、破を見ても、浮かんでくるのは「懐かしい」「キャラかわいい」という感想だけで、「やっぱり面白いな」という感覚が私の中になかったのだ。1995年テレビ版と2007年の序を観た時には確実に心にあったものが、今はすっかり抜け落ちていた。

一体私は、あのアニメの何を楽しんでいたのだろうか?

1995年当時、エヴァ社会的にヒットした理由は「新奇性」なのだと思っている。暗い世界観、謎に満ちたストーリーコンプレックスを抱えたキャラクター、迫力の戦闘シーン、人間ドラマ、そして何より「空気感」。

後世に残る大ヒットをかまし作品は、往々にしてその時代の空気感を反映している。エヴァというものは今までに無かったもので、そこに震災やらオウムやら世紀末やらといった「世相」が絡まっていた。1995年に生きた人間しか分かり得ない何かがあって、でもそれは2021年からは振り返れない何かであって、その熱量が本物だったから、エヴァ時代を超えるアニメになったのだと思う。

当時小学生だった私は、エヴァの裏にある複雑なストーリー理解していなかったが、「何か凄い」という感覚だけは頭の中にずっと走っていた。それは私よりずっとずっと大人の人も同じ感覚だったのだろう。「〇〇みたいなアニメ」という枠で語れない、それが新世紀エヴァンゲリオンであった。

新奇性がそこにあった。時代先駆者となれたからこそ、25年も続くアニメリーズが作られ続けたのだ。

しかし、今は違う。エヴァンゲリオンフォロワーは世の中に多く溢れかえり、設定も、キャラクターも、その後に続くフォロワー達の中に埋もれていった。アニメ表現自由になるにつれて、「エヴァっぽさ」は1995年という文脈から独立して一人歩きを始め、当時の世の中を取り巻いていた空気は、25年の歳月の中で霧散していた。

スペースオペラ金字塔を打ち立てたスターウォーズが、新三部作で散々な評価を受けたように、またオープンワールドの先駆けたるシェンムーが、20年の時を経てリリースされた3で大ゴケしたように、時代先駆者は、往々にしてその後のフォロワーから突き上げあい自分立ち位置時代性を見誤る。オリジナルからブラッシュアップを得たフォロワー達は、技術進歩と数の恩恵を受け、先駆者時代遅れへと追いやっていく。

それでも、先駆者は死なない。死ぬのは2番手以降の粗製品だ。一番乗りにはブランドと、話題性と、そして神話があるのだ。

その神話エヴァにおいては非常に重かった。定期的(と言えるか微妙な間隔)に公式から供給がある。あのころファンは存命で、まだ強い熱量を持っている。そして何より、エヴァはまだ完結していないのだ。

しかし、序からでさえ14年経った。もう時代遅れなのではないだろうか。2021年空気感を捉え、エヴァを完結へと導くには、あまりに長すぎる時が経ってしまったのではないだろうか。私は一挙放送でそう感じてしまったのだ。

それは私が大人になったからなのかもしれない。色々な作品を観てきたうちに、珍しさも目新しさも感じなくなり、エヴァのものへの興奮が薄れてきたからかもしれない。

隣に座っていた娘におそるおそる聞いて見た。「エヴァ面白いと思う?」

「うん、面白いよ、きれいですごいし」

私が子どもときに抱いた感想と同じであった。娘は娘で、エヴァを「なんかすごい」ものだと思っている。

子ども面白さに敏感だ。面白いものを前にしているときは、外から分かるぐらいはっきりと目がキラキラする。しかし、画面の前に座っていた娘の目は、Youtubeを見ているいつものときとあまり変わらなかった。

娘は派手なシーンでよく「すごい」と言う。それは恐らくアクション映画を観る感覚であり、一瞬一瞬のパーツの面白さを味わっているのだろう。TwitterTikTok動画のようなインスタント面白さが、ハイテンポで繰り返される、その状態をすごいと表しているのだと思う。

「〇〇とどっちが面白い?」口にしかけた言葉はすんでのところで飲み込んだ。

Twitter散見された感想も、ほとんどはキャラクターへの感情だけであり、ストーリーや、世界観や、その他色んな「エヴァらしさ」に触れている人はあまりいなかった。ハッシュタグを追って見ても、あのころを懐かしむ意見ばかりで、新たにエヴァ世界に参入してきた人は見かけなかった。

もう、そこには「新奇性」は無いのだ。世界観も、メカニックも、専門用語の羅列によるバトルシーンも。何なら綾波アスカといったキャラクターすら、無数のフォロワー達によって「よくあるもの」となっていた。新世から20年経ち、時代エヴァを完全に置き去りにしていた。

でも、エヴァはまだ死んでいない。新劇場版4部作、中でもアニメと大きく異なる3、4作品目、ここにまだエヴァが残されている。エヴァらしさのほとんどは時代によって風化したが、まだ、一番大きなものが残っており、ファンもそれを強く求めていた。

そして、その期待を受けて出来上がったのが他ならぬ「エヴァQ」であったのだ。

私は、エヴァQは残された「エヴァらしさ」を極限まで追求した結果生まれものだと思っている。その純化した素材は、考えられる限り最悪の料理を作り出したわけだが。

その「エヴァらしさ」とは何か?それは「意味不明さ」である

何も描かれていない背景の下でぐりぐり動くメカ声優と口調以外に面影のないキャラクター、そして「難解」というよりも「支離滅裂」なストーリー最先端だったアニメ表現は当たり前のものとなり、1995年空気感どころか、2012年当時の空気感すら作れていなかった。

エヴァとは何か?メカか、キャラか、ストーリーか?

制作者が出した答えは「意味不明さ」であった。

Qを観て、私は思ってしまった。目の前で繰り広げられる群像劇の一つひとつが、キャラクターの心情を深掘りするのではなく、制作者の考えたオ○ニーを少年少女に代弁させているだけのような気がしてしまったのだ。ただただ意味の無いセリフが飛ぶ奇妙な寸劇を眺めて、言い知れぬ不快感を覚えてしまったのだ。17年の集大成が結局ただのキャラ萌えであり、もうエヴァはとっくに時代に耐えられないのだと、そう感じてしまったのだ。

だけど、エヴァがどこかに向かって逸れていくのは、きっと仕方がないことだ。エンディングをぶん投げてから25年、今さらシンジ君がサードインパクトを止めて世界を救いました」では、ファンが許さない。時代が進むにつれエヴァは古くなっていき、それに反比例するようにハードルは上がっていく。

もう一度エヴァが築き上げたものを再構築し、あの熱狂を甦らせようと、制作者はエヴァらしさを突き詰め続けた。ただ、その先に、未来が無かっただけなのだ


一体私は、このアニメの何を楽しんでいたのだろうか?


3月8日、いよいよ新劇場版最終作が公開される。私も娘を連れずに観に行くつもりだ。

しかし、正直きちんと完結するとは思えない。毎週更新され続けたテレビアニメ版ですらまとめきれなかったのだ。たった4作で綺麗に締められるわけがない。

ただもし完結することがあったなら、ファンがかける言葉はきっと、「面白かった」や「つまらなかった」よりも、「完結おめでとう、お疲れ様なのだと思う。それはまるで野球選手引退試合のように、時代と戦い続けた者を称え、時代に敗れた者を見送る、そんな言葉がたくさん注がれるのだと、私は強く思っている。

2020-12-31

逆に表現の自由戦士ってなぜ、何でもかんでも「エロ」が関わってないと気が済まないん?

そんなにシコりたいならPIXIVなりpornhubなりsankakuなりexhentaiなり

いろいろタダで高品質エロ見れるモン沢山あるじゃん

ストーリー」を見にいってるはずの映画ドラマアニメで見る必要あるか?

プレイ感」を楽しむゲームとかスポーツ必要か?

 

これさぁ、君らがポリコレに関して、異なる属性の人々に対して普段念仏のように唱えてる

棲み分けって概念のものだよね?

棲み分けた結果、エロPIXIV純化して、脚本術は映画とかで純化してwinwinなわけじゃん

 

例えばゲームだったらさ、俺は女キャラの乳揺れの物理に拘るくらいなら

グラフィックを少しでも奇麗にしてくれた方がよほどうれしいが

2020-08-23

[]楠永玉秀の謀略

 梟雄、楠永玉秀には押さえがたい野心があった。武威ノ本第3位の勢力である居戸家で家臣の筆頭人になる、いや惣領である小鯨白姫すら超えて下克上を成し遂げることだ。

 そのために彼が愛用した道具は、讒言である

 居戸領内には全光寺と呼ばれる宗教団体が深く根を張っていた。

 信徒もんぺ姿で自分たち統一し、家臣を深く崇める居戸家の外交にまで口を出してきた。この武威戦国時代において勢力拡大に外交は欠かせない。多少問題のある相手でも、それを呑んで資源を交換するのも武略である

 だがしかし、極端に純化された全光寺教徒は居戸家の外交戦略に異を唱え、一揆を起こした。

 これにあわてて彼らを諫めようとした居戸家の家老馬場阿茶局政治に疎い傾奇者ゆえ口を滑らせ「もんぺ姿の狂信者」と言い放ってしまった。失言騒擾は拡大した。その裏には、もんぺ姿に扮していそいそと全光寺に潜入する楠永玉秀の暗躍があったという。

 たまら馬場阿茶局隠居余儀なくされた。

 また楠永玉秀は家中でも讒言を行い家臣を2名ほど隠居させた疑いが後世もたれている。

 居戸家の力を削いだ楠永玉秀は次いで、他の家臣の茶会の翌日、能舞台の前日に、辻説法を行い、涙ながらに自分が居戸家に尽くしながら不遇の扱いを受けており、まったく報われないことを訴えた。

 領主への不信が蓄積し、全光寺勢力意気軒昂だったところに、これは効果覿面であり、領民はたちまち真っ二つに割れた。武威ノ本各地で家政の失敗があいついでいた時流もあった。楠永玉秀は南蛮商人カルロス・某に情報を握らせ、舶来品と同時に風説を流布させた。

 ここで、かねてより楠永玉秀への疑惑を強めていた桜桃みやこ、虫愛軽路、古田三目の居戸三人衆が決起、楠永玉秀と合戦に及び、宗教施設でもあった居戸家の本拠は激しく炎上した。爆発的な上昇気流に火の粉は高く舞い上がり、他家を恐れ慄かせた

 楠永玉秀は得意の変装をもちいて一揆の中に何食わぬ顔で潜り込み、主家への不満を煽ることで多くの領民を味方につけた。そして内乱に荒廃する居戸家を尻目に家臣の一人を誘って出奔民衆判官贔屓と以前の人脈を活かして勢力を急速に拡大していった。

 彼の誤算は居戸家が内乱の勢いのまま滅びず、騒乱の記憶が失われなかったことであろう。滅んだ居戸家を吸収する梟雄の目論見は頓挫した。

 これは居戸家の家臣、鈴木神楽が連日にわたる鉄砲の三段撃ちで前線を支え、意気消沈していた他の家臣が復帰するまで戦線を支えていたことが大きい。

 滅びなかった旧主家に対して楠永玉秀は初心の讒言を忘れず、ついでに新しく関わりをもった他の家中へも讒言を市中に振りまいた。自画自賛を交えながら。

 ここに一人の剣聖が登場する。目にも留まらぬ二連続抜刀術を得意とする彼は楠永の行状を疑い、仲間と共に調査を繰り返していた。

 ある日、楠永を訪れた剣聖は得意の抜刀術披露することになり、古着を着せられた巻き藁相手に抜いた。

「……ふぅ!」

 抜刀の二撃が着物を十字に切り裂き、トドメの突きが古着背中を突き抜けた。その切っ先には何やら札がついていた。

呉服屋帳面屋お得意様 楠永玉秀殿 納入先土倉住所○○○ ○○○ ○○○ ○○○」

「ややっ!こ、これは……!?」

 その土倉は繰り返し扇動讒言を行う者が変装の服を着て出てくることで仲間内に注目されていた土倉であった。無数にある土倉の住所が偶然一致することは考えがたい。少なくとも楠永家中の者が謀略に関わっていることは確実であった。

 剣聖は「であえであえ!」する楠永玉秀の前から血路を切り開き、市中に証拠の品を晒した。自らのしたことの大きさに改めて震えながら。

 楠永玉秀は謀略への関わりを否定したものの、その理路は整然とせず、急速に求心力を失っていった。

 逼塞を余儀なくされた彼は、しかし、まだ諦めていなかった。

こんなこともあろうかと東の幌生家とはよしみを通じておる。今度は飛ぶ鳥を落とす勢いの幌生家と結ぶことで成り上がってくれるわ!

 楠永玉秀がその後、幌生家をも裏切り、壷に火薬を詰めて自爆するのは、また別の話である

この増田フィクションです。実在仮想人物団体などとは一切関係ありません。

2020-07-26

自己肯定根拠は無いほうが良いのか?

anond:20200726170112

これ書いてから

anond:20200725210204

これを読んだ。キツすぎる。

自分が拠り所にしてた「私は有能だから私は凄い」がさらに良い形になっていたのに、最近はなぜか希死念慮おばけに取り憑かれてたんだけど、なんとなく理由が見えた。純化のしすぎだ。

「できないじゃなくてやらない、やってない」「だから私は何でも出来る有能」で、切り捨てちゃいけないところまでいつの間にか切っていたかもしれない。私が私であるために~なんて自分探しの旅に出たがるようなゆるふわワード言いたくないけど、そんな感じの、WindowsでいうところのCortanaを切り捨てていたのかもしれない。

どう考えても、私が有能じゃなかったら私は私がもっと嫌いだっただろうし、希死念慮も今どころじゃなかっただろう。根拠のない自己肯定なんてしたことがない。出来ないことリストに「根拠のない自己肯定」が入った。切り捨てるか?どうすりゃいいんだ?

2020-07-06

エクストリーム東京都知事選挙2020 結果

https://anond.hatelabo.jp/20200612200441

総評

選挙本戦は事前の予想通り、小池百合子圧勝で終わる。この選挙は「ハズレしかないガチャ」「ジョーカーしかないババ抜き」「罰ゲーム」と散々の言われようで、天候の悪さとコロナ禍ということもあり投票率も5%近く前回から下がる凡戦となった。

エクストリーム競技小野泰輔が得票率9.99%という絶妙ポイントにより優勝。高田@桜井@誠が準優勝となった。

正直なところもう少し立花善戦するかと思ったのだが、N国の他の候補と合わせても高田@桜井に遠く及ばなかった。N国の政治ハックの旅もこれで終わりな感じがする。

高田・S・誠は前回から6万票も伸ばしており供託金こそ戻らなかったものの、東京がかなり危険な状況にあることがわかる。幸福実現党やN国が地方議会議席を取り始めている状況を見れば、彼の日本第一党がどこかの区議会都議会議席をとってもおかしくない状況に思われる。古谷経衡Yahooニュースに書いていたが、ネトウヨ内ゲバによる分離により純化した過激派高田誠に投票したものと思われる

小野泰輔は供託金没収になったとはいえ61万票獲得し、3位の山本太郎とは4万票の僅差で次の国政選挙への地ならしはできたと言える。参院選ならば東京選挙最後の1枠(音喜多ポジション)、衆院選なら東京1区から重複立候補で、比例復活も見込めるだろう(東京1区は自民党旧民主党の接戦区で、両陣営から票を奪えれば比例復活の公算も大きい)。ただし東京を含む南関東で、日本維新の会政治的影響力を持つレベル勢力に成長するかどうかは微妙なところである

エクストリーム競技とは関係ないところでは、東京都内でも地区によって宇都宮山本小野の得票率に微妙な差があるところだが、これは別の記事に書く

追記

休みに急いで書いたので誤字脱字は御免。

続編「宇都宮健児・山本太郎小野泰輔の相関関係東京地方問題

実は小野泰輔が宇都宮健児に勝っている地域があった

https://anond.hatelabo.jp/20200706194824

anond:20200706135641

KKOおじさんの「でもキモくてかねのないおじさんは~」っていうしょぼい増田ミーム純化して進化勝手勘違いしたアホの言葉遊び

2020-05-08

anond:20200508000540

左派の人たちは残った気がするな

左派の人たちが純化されて新たな形になった気がする

そしてそのニオイが臭い臭いと言ってネトウヨが集まりネトウヨの臭さに左派が集まる

そういう集合知

2020-04-14

anond:20200413195445

はっきり言えば、いまは内輪固めの段階。そもそも次の総選挙、いつか分かる?

それまで純化主義で身内を固めてどっか取れる選挙適当示威行動を取る。そこまで野党第一党を維持する(これは簡単)。

次に総選挙までひたすら与党攻撃支持率を下げて解散に追い込む。アベさえいなければ選挙は勝てる。

総選挙になったら、雑魚野党第一党に従うべき。それが民主主義

空白区を総獲りして(共産にはちょろっと餌をやってもいい)、連合候補を立てて圧勝

参院の数が足りないけど、そこは"解散"にでも持っていけばいい。手はいくらでもある。

2020-04-01

者らはヒンドゥー教アーリア人起原の要素を再評価し、タントリズム密教)の影響をうけたヒンドゥー教純化しようという試みのなかで[89]埋もれていたヴェーダの要素を強調した。たとえばヴィヴェーカーナンダは、たとえそれが古代のリシ(聖仙)たちに明かされたものでない

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2020-02-15

ポリコレフェミが暴れるほど野党は勝てなくなる

リベラル野党ポリコレフェミに加担する→ポリコレフェミが大暴れをする→オタク層が離れる→ポリコレフェミが大暴れする→一般層や浮動層、主力であった女性票野党離れを起こす→ポリコレフェミが大暴れをする→穏健派支持層が離れる→ポリコレフェミが大暴れをする→まだまともな思考であったフェミ層が離れる→そして野党支持層の先鋭化がより進む

ポリコレフェミが暴れる毎に票が減るまさに悪循環の構図。

それに伴い支持層ポリコレフェミ被れに純化していく悪夢しか言えない状況を招いているのが今。

それと今の野党やその支持者に対して切れて嫌悪しているのって実の所与党支持者よりも嫌がらせを食らった元野党支持者や浮動票の方が多いんだよね。

普通に裏切り嫌がらせ受けている分単なる与党支持者よりも恨みが深いからね。

何もオタクだけじゃないよ、リベラル嫌悪しているのは。

寧ろ与党支持者からすれば、勝手に自滅している分万々歳と言った感じでしょ。

投票率が落ちて与党の得票率も良いわけではないのに勝てないのはそういう事。

フェミポリコレを称したリベラル支持者とやらが暴れ続ける限り野党に勝ち目はないのは事実

れいわなら勝てるとかあいつら夢見過ぎだよ。

そもそも消費税選挙でも勝てないのは前回でとっくに証明したわけ。

それに一般人はおろか元支持層すら界隈そのもの自体毛嫌いしているのだから

そりゃ反差別平等と称して、実際は何でも気に入らないモノを規制しにかかり、逆差別を行っているのだから一般から嫌われるのも必然だよ。

2019-12-24

M-1グランプリ2019決勝感想

わりとみんな言ってるけど、今大会キーワードは「人を傷つけない漫才」「ツッコミ時代」。

以下、気になったコンビをいくつかピックアップ

ニューヨーク

トップバッターの不利よりも、彼ら本来の毒のあるセンスキャラが今大会に向いていなかった。毒のあるキャラコントだと役柄の設定ということにできるが、漫才だとそのまま本人の人柄に見えてしまう。本人たちもそれを意識したようで、M-1向けに普段よりもソフトに好かれやすネタを調整した結果、持ち味がさらにぶれてしまった。

そもそも例のニコ生事件以来あまり良い印象は持っていなかったが、今回の審査員コメントのところでも同じ過ちをしているように見えた。それは「今の時間主役は誰か?」をわからずに番組を壊してしまうということだ。審査員がしゃべっているとき視聴者は少しでもたくさん審査員評価解説を聞きたいと思っている。今大会でこれまでよりもその時間を多くとったのは成功していると思う。この時間漫才師は脇役で、むしろ一言もしゃべらなくても良いくらいなのにニューヨーク自分たちプロレス評価解説時間を大きくロスさせてしまった。最初の「最悪やー」は特に悪くないが、その後すぐに松本の話に戻すべきだった。結局あの時間松本が言いたかたことの半分くらいしか聞けなかったのではないか

和牛

普段和牛に比べると少し落ちる評価が多いが、今年のネタは彼らなりの「人を傷つけない漫才であるところが自分はとても好きだった。通常は水田サイコパス風の男に川西の演じる女性やお年寄りキャラが振り回されるネタが多く、川西感情移入すると少し心が痛む。今回は不動産屋と客という関係性で川西が明確な弱者ではない。また前半水田に振り回されるのはいつも通りなのだが、最後物件川西狂気が発動してむしろ上回って痛快だった。

見取り図

フット後藤南キャン山里らによって急激に高度に昇華されたワードセンスによる「たとえツッコミ」。それをさら純化させてツッコミでさえない「たとえ」を軸にしたネタになっている。「あおり運転の申し子」は最高。

ナイツ塙に鼻を触る手の動きを指摘されていたけど、そういえばアメトーーク!ツッコミ芸人が選ぶ、このツッコミがすごい!!」で博多華丸が手の動きにムダが多いのは駄目と言っていて塙も同意していたのを思い出した。

インディアンス

インディアンスにとって不幸な偶然であるが、先月10年ぶりにアンタッチャブルテレビ漫才披露したのは地味に効いている気がする。当時と変わらないかそれ以上のザキヤマのパワフルな動きが目に焼き付いていると、それと同系統の田渕のボケが若干見劣りしてしまった部分もあると思う。

ぺこぱ

キャラが定まらず迷走した結果、ひとつ方向性を見つけたのではなくて、迷走したまま洗練されてしまった感じがすばらしい。今大会「人を傷つけない漫才」「ツッコミ時代」の代表格。NON STYLE井上の正解はこれだったんじゃないかとも思わせる。「ノリつっこまない」と評されていたが、詳しく見ると長いツッコミフレーズの前半でセオリー通りの厳しいツッコミをやりかけて、後半で急激に優しさにハンドルを切る構成になっている。面白く、新しいだけでなく、松本がよく言う「緊張と緩和」をツッコミの1センテンスの中に詰め込んでいるのがテクニカル

かまいたち

1本目は山内狂気に見てる方がちょっと引くいつものかまいたち、2本目は少しソフトになった屁理屈漫才。好みはあるだろうが自分は2本目が今まで見た中で最も完成度が高い完璧漫才に見えた。

ミルクボーイ

会場での最高評価のわりにネット上の感想ではまったく受け付けない人もいるミルクボーイ大人から子供まで誰もがわかる「人を傷つけない漫才」というところに目が行きがちだが、かなりテクニカルでもある。ボケ、展開、オチはあえて全然面白くない作りなので、そこを重視する人には好まれないのだろう。ツッコミワードセンスと声のトーンのみで笑いを作り、それを何度も重ねていく競技のようなストイックネタである。それだけにツッコミフレーズや間は完璧に磨き抜かれている。ひとりごっつやIPPONグランプリなどストイックボケ企画を生み出してきた松本がもしツッコミだったらこういうスタイルの笑いの実験をやっていたかもしれないと思った。

そういう点でミルクボーイもまた「ツッコミ時代」の象徴的なコンビだった。笑いはほとんどとらないが正確にトスを上げつづけるボケ?側も高い技術必要なのは言うまでもない。

2019-12-02

サムライ8のレビュー

 実際のところ、ジャンプ本誌で連載が始まった時点ではこの漫画を読む気にはなれなかった。

 既にAmazon上のレビューに書いてある通りである物語の中で語られる様々な専門用語世界観に対する長大説明、作者のエゴ、長年看板作家として一線を張り続けてきたプライド裏目に出ている――などなど、実際にここまで既存レビューが指摘していたかはともかく、本誌連載当初の時点での僕自身評価も、これらのレビュアー意見とそう変わるものではなかった。読みにくく、物語は柔らかさを主張しているようでその台詞回しは硬質で、目がところどころでセリフに行き詰まる――

 でも、何故なのかこうも思えたのである。「連載話を一週間ごとにバラバラに読むのではなく、コミックスの形でしっかり腰を据えて読むことができるのであれば、これはひょっとすれば面白い作品に映る可能性を秘めているのではなかろうか」と。そして、実際にようやくコミックスを手に取りこの作品を読んだ時点での感想を述べさせてもらうならば、その予感は正しかったのである

 物語星間飛行どころか銀河航行ですら可能となった近未来であり、一部の人々は生身の身体を捨て自身サイボーグ処置を施し強かに生きている。そんな世界において、自身に巨大な生命維持装置を直結させ、無数のチューブ接続していなければ生きられない少年ハチマルが主人公である。もちろん、この作品タイトル黒澤明監督による『七人の侍』の文字りとなっている。

 極めて脆弱身体を持ちつつも、幼い頃から身体虚弱さのために熱中することとなった)全没入型VRゲームによって鍛えられた勝負勘と、反射神経は余人を凌駕する(アニメ作品オーバーマンキングゲイナー』のエピソード彷彿とさせる)主人公にとって、この「サイボーグを是とする世界」は極めて相性が良く、やがて彼は類稀なる自身戦闘センスを開花させていく。

 ここでポイントとなるのは『三身一体』のキーワードである。本編において、「ロッカーボール」と呼ばれるエネルギー体によって自己改造を施したサイボーグ戦士のことを「侍」と呼ぶのであるが、この侍は単独では秘め持った力を十全に発揮することができないのである。ここでポイントとなるのが先程言及した『三身一体(勿論、これはキリスト教における神学概念である三位一体」をアレンジしたキーワードである)』という言葉で、侍は単独ではなく、追従型の動物を象った戦闘補助パートナーであるキーホルダー」と、侍の力の源であるロッカーボール」に対する強い探知力を持った「姫」の両者と共にあることで、初めて「三身一体」となり力を発揮できる、といった物語構造が示されているのだ。

「姫」は戦闘能力を持たないため、必ず侍と対になって守護される必要があり、そのために侍は自身の心を極限まで純化させ、「姫」を護衛する必要があるのである。この「純化」のプロセス少年漫画媒体にうってつけで、いわば虚仮の一念によって主人公は「強がり」を純然たる「強さ」へと純化していくのである。この辺りに少年漫画誌に長年連載を続けていた岸本氏のストーリー構築術の妙があると思わされる。

長くなったが、この作品に向けられたネットの悪評の多くは、これをコミックスという媒体で腰を据えて読むことによって引っくり返ること請け合いである最近では某レンタルショップにおけるレンタルサービスもあることだし、是非ともコミックス媒体において、諸氏にはこの漫画に対する改めての評価を行ってほしいと思う。

2019-07-23

20歳の私が、選挙れいわに投票した理由

https://anond.hatelabo.jp/20190723004058

n番煎じ。

正直自分でも家族投票に行けと言ってくれる環境は恵まれていると思う。れいわの話はあまりしない。

1.消費増税反対

消費増税すれば景気が落ち込むのは理解できる

これだけは言えるのはせめて就活が終わるまで増税は待ってほしい。個人的利益だけど人生に関わる。

から今回は自民党投票するわけにはいかなかった。

2.年金はどうでもよくない

年金廃止急進派。社会保障の一本化の議論に誰か踏み込んでくれよ。

同じく年金を受け取る番は回ってこないと聞いて育ってきた。負担してからやっぱあなたに回す分はありませんじゃ困るからいっそ負担する前に崩壊させてくれとさえ思う。一人当たり年金負担は増え続けるし財政支出ほとんどは社会保障だって中学生でも知ってるのに誰もこの議論しないの。野党もこの話題与党批判してもどうにもできないってわかってるんだろうな。

年金やばいよの報告書真正から受け止めて議論しなきゃいけなかったのに握りつぶした自民党には票はあげない。

あとで言及するけど共産党にもあげない。

3.まとめブログの影響

中学生のころは首相が購読してることでおなじみの保守速報とか、あとは大艦巨砲主義とか好きだった。

ミリタリー好きだし日本すごいも読んだし韓国やばいの話でスカッしたこともあった。中学生って染まりやすい。

ただ思考が侵される(政治的意味ではない)ってのは感じていたので高校生のころにまとめサイト全部読まなくなった。

4.民主党イメージが悪い

これはまとめブログの影響。よくよく考えたら人から聞いたレベル(それもまとめサイト)の根拠しか持ってなかったからこれはおかしいなと思ってこれは言わなくなった。それまでそもそも想像上の野党しか知らなかったかも。

野党のことも知らねばと枝野さんの演説とか聞いたらこの人には政治任せてもいいかもなと思った。

ただうちの選挙区の元民主党北朝鮮との友好がアピールポイントみたいだったからどうでもいいなと思って衆院選では自民候補に投げた。

5.共産党

大学の目の前で年金の拡充を主張してたけど絶望的にセンスないなと思った。少なくとも今回と次くらいまでは投票しないと思う。シルバー民主主義反対。

9条とか平和とか基地とか叫ぶのやめて労働者の為の党に純化すればいいと思うのだけど支持者層は圧倒的高齢者らしい。どんまい

共産党看板を他のに変えることもできないし敬遠されるしで一種呪いだと思う。

6.維新もない

橋下さんならまだしもまともな議員いるの?って知識しか持ってなかった。ごめん。

7.れい

山本太郎カリスマあなた幸せにするんだのスローガンに惹かれた。

自己肯定感いか人間価値がどうとかい社会になってほしくない。

つっこまれても淀みなく返答できるところとか重度障害者かいセンシティブすぎる話題を扱ってるのに失敗しないところとかは芯がしっかりしているんだろうなという判断材料になった。過去の悪評とかは聞いた話しか知らなかったので考慮しないことにした。

しかに彼はポピュリストだろうけどポピュリズムは彼の価値をx0にするわけではないと思う。もし彼が危険政治家になりそうだったらその時に私が自分判断するだろう。

この人は私を代表してくれるんだって感じたか投票した。多分有権者のひとりとしてこういう政治家を待っていたんだっていう意見表明に一票を使えたのはどうせ変わらないの精神を考え直させてくれた。

まさか保守速報読者が極左投票する日が来るとはね。

多分れいわの未来はさほど明るくない。常に勝ち続けなければならないが勝ってもゴールは遠い一方で一回の失敗が命取りになる。山本太郎1人のカリスマで回しているというのはそういうことだ。

多分次の選挙では立憲の票を食いまくって結果与党勝利ってなるだろうけどそれでも構わないとすら思う。それほどに政治を動かしにきた彼を評価してる。

7.1 N国

ギャグじゃん。選挙戦略は非常に上手いしおもしろいか話題性もあって政治の中で役割は果たした方だと思う。ここは叩いても正直どうしようもない無敵の政党。むしろ学ぶことは多いと思う。

8と9 社民

前回の衆院選、だーーーーーれも子育て少子化問題若者支援話題出してなかったか比較的マシだった社民に比例票いれた。どうせ政権取れないでしょっていう安心感がある。

その割には支持者の8割が高齢者らしい。不憫。というかそれはそれでなにかを間違ってるような気がする。出口調査社民共産に入れましたは言いづらいのかな。

10.公明

公明なしには自民与党はいられないだろうに立ち場弱すぎないかとは思う。

東京選挙区ガチンコ対決はいいろんな意味おもしろい試み(票読み、話題性、創価との関係を周知させる)だと思ったけど学会話題には興味なかったか適当な立憲に入れた。

野原さんに票が流れた気配もないし意味わからん強さだなって思う。

11.結びに

今回れいわを選んだのはきっと私の年齢ゆえだろうなと分析した。けどちゃんと考えて選んだので

池田信夫が言ってた、「愉快犯」に私は当てはまる。トランプが勝ったらおもしろいなって思ってたら大統領なっちゃったEU離脱することになったらおもしろいなと思ってたら今イギリスでは大変なことになってるらしい。投票権ないけど。

自分で言うのもなんだけどゆるやかな現状絶望からくるこういう動きをナチスと対比して馬鹿にしてないで真面目に受け止めるべきなんじゃないかな。(っていう意味ちょっと一票に込めた)

1%の「愉快犯」が政治を変える http://agora-web.jp/archives/2040488.html

2019-07-22

anond:20190722171159

それはまだ「偶像崇拝」の段階だよ。ガチ恋ではない。思いをもっと純化させよう。神に名前をつけてはいけないよ。

2019-07-20

新左翼科学哲学好きな人に『三体』を全力でオススメする

おい、そこのお前!あさま山荘事件が大好きすぎてカップヌードル食う度に機動隊気持ちになっているお前!なおかつ伊勢×戸田戸田×伊勢かで議論したい相手がいないお前!お前だ!お前に向かって俺は今書いてる!

『三体』だ!『三体』を買って読め!せめてKindle無料サンプルは落とせ!BGMRHYMESTERのThe X-Day無限リピートだ!

よし、Kindle無料サンプルは読んだか?読んでないよな。面倒くさいもんな。あんくらいWeb上で読めるようにしといてほしいよな。まあいい、せめてSpotifyRHYMESTERのThe X-Dayリピート状態にして以下の文章を読め!

『三体』は最高だ!一般的なあらすじは「文革物理学者の父を失った娘が云々」などとぬかしているが、無料サンプルで読めるその描写が最高であることはまったく紹介されていない。引用するぞ。

 シュプレヒコールがおさまるのを待って壇上に立つ男の紅衛兵の片方が批判対象をふりかえって言った。

「葉哲泰、おまえは力学専門家だ。自分がどれほど大きな合力に抵抗しているか、わかっているだろう。そうやって頑なな態度をとり続ければ、命を落とすだけだぞ! きょうは、前回の大会のつづきだ。くだらない話はもういい。次の質問に真面目に答えろ。六二年度から六五年度の基礎科目に、おまえは独断相対性理論を入れたな?」

相対性理論物理学古典理論だ。基礎科目でとりあげないわけにはいかないだろう」と葉哲泰。

「嘘をつけ!」そばにいた女の紅衛兵のひとりが荒々しい声で叫んだ。「アインシュタイン反動的学術権威だ。欲が深く、倫理に欠ける。アメリカ帝国主義のために原子爆弾をつくった男だ! 革命を起こす科学を築くためには、相対性理論代表される資産階級理論の黒旗(反動象徴)を打倒しなければならない!」

(中略)

「葉哲泰、これは言い逃れできないはずよ! あなたは何度も学生反動的コペンハーゲン解釈を撒き散らした!」

「それが実験結果もっとも符合する解釈であることは厳然たる事実だ」これだけ厳しい攻撃さらされても、葉哲泰の口調は落ち着き払っていた。紹琳はそれに驚き、畏れを抱いた。

「この解釈は、外部の観察者によって波動関数の収縮が引き起こされるというもの。これもまた、反動的唯心論の表れであって、その中でも、じっさいもっと厚顔無恥表現よ!」

思想実験を導くべきか、それとも実験思想を導くべきか?」葉哲泰がたずねた。突然の反撃に、批判者たちは一瞬、言葉をなくした。

「正しいマルクス主義思想科学実験を導くのが当然だ!」男の紅衛兵のひとりが言った。

「それは、正しい思想が天から降ってきたと言うに等しい。真理は実験によって見出されるという原理否定し、マルクス主義思想がどのようにして自然界を理解するかという原則に反している」

 紹琳とふたり大学生紅衛兵は、無言で同意するほかなかった。中学生労働者出身紅衛兵とは違って、彼らは論理否定することができなかった。しかし、附属中学の若き闘士たち四人は、反動分子を確実に攻め落とすための革命手段を実行した。

最高かよ!!! 時はあさま山荘事件の数年前だが、アカの本場中国でも似たようなどうしようもないことが起こっていたのだ!引用最後の部分で作者がたくみカメラワークを用いて批判者側の「論理の欠如」を指摘しているのがまた光り輝いている。そうなのだ。この手の議論には論理というものがまったく存在しない。あるのは連想ゲームだけなのだ(「物理学者のお前は自分がどれほど大きな合力に~」「アインシュタイン核兵器帝国主義=敵」)。あさま山荘事件でもそうであった。無色のリップクリームを塗ったことと、彼女が死ななければならないということの間にまったく論理的な関係存在しない(そもそも何かと誰かが死ぬということの間に論理関係が成り立ちうるのかという問題は置いておくとして)。そこにあるのは、「革命」や「自己批判」といったマジックワードを挟んだアクロバティックな地滑り連想ゲームだけである

しかし、しかである。われわれはそうした連想ゲームに時として身を委ねてしまう。どころかしばしば喜んでその中に身を投じさえする。あさま山荘の彼らが目指した「革命戦士」という存在にどうしてもワクワクしてしまうのは、そこからこれまでわれわれが目にした「革命」や「戦士」についての輝かしい言説やビジュアルがまさしく連想ゲーム的に引きずり出される快感にわれわれが抗えないかである

ベネディクト・アンダーソン国民国家を『想像の共同体』と呼んだ」と言われるとき、たいていアンダーソンが主張したかたことは無視されている。アンダーソンはこうも書いている。「国民国家は『想像の共同体であるからこそ強いのだ」と。どういうことか。例えばご近所たちは想像の共同体ではない。そこに想像力が働く余地はないからだ。近くてよく見えるがゆえに嫌いなところがよく見えてしまう。しか国民国家想像の共同体であるから、そうしたデメリット回避することができる。逆の意味で、人類もまた想像の共同体ではない。そこにもまた想像力は働かない。あまりに大きな対象であるがゆえに、想像することができないかである(それを想像できるように「地球市民」とかいろいろなレトリックが開発されては頓挫した歴史があるわけだ)。つまり国民国家想像するのに小さすぎも大きすぎもしないがゆえに、人間の持つ最も偉大な能力想像力創造力を刺激する存在であるがゆえに、これほど大きな存在になり得たのだ。世界大戦を二度経験して、戦後エコやらなんちゃらがあってメイクアメリカグレートアゲインな今、人類人類想像力対象にすべきであると誰も[誰?]がわかっているはずであるが、そうした方法は未だ見つかっていない。めっちゃナウい想像力を持ってそうなイスラム国ですら国を名乗る時代である

そうした状況にある人類に対して、「地球市民」としての自覚想像力を持たせるために一番手っ取り早い方法は、宇宙人に攻めてきてもらうことである映画インディペンデンス・デイ』があれだけ面白いのは、その「俺たち感」を徹底して純粋ものとして描けているからだ(もちろん「俺たち」と書いたようにそこから女性排除されているのだが、それもまた「俺たち」の盛り上がりを純化させるように働いている)。しかし、この方法には大きな問題がある。それはわれわれの知る限り宇宙人が当分の間攻めてきそうにないという点である。したがって二番目の方法が取られることになる。それが科学教育である。ひとりの神様とか王様の下で人類みんなが仲良くするのは無理だとわかったので、次は科学様の下で人類全員集合しましょう、というわけだ。まあ、承知のようにこの方法にもいろいろ問題はあるのだが、他に良さそうな方法もないので多くの人々からのんべんだらりと支持されているといってよい。

科学の持つ大きな問題として真っ先に挙げられるのが、それが神様よりも信頼可能か?というものだ。科学教の信者はそうだとなんの疑問も持たずに答え、異教徒たちはおらが村の神様の方が偉いと主張する。そこを調停するのが科学哲学者の役割ひとつであったが、どっちつかずとして双方の陣営から攻撃されるため調停役に名乗りを上げる科学哲学者はほぼ絶滅している。

(注:ネタバレ防止のため人名固有名アルファベットに置換している)

「Aくん、きみは仕事範囲を逸脱しかけている」Bが首を振りながら言った。「研究理論的なものだけに絞るべきだ。こんなに手間をかける必要が本当にあるのか?」

「Bさん、この実験は、大きな発見につながる可能性があるんです」とAは懇願した。「実験絶対必要です、とにかく、一回だけやらせてください。おねがいします」

「B、一度だけやらせてみたらどうかな?」Cが言った。「オペレーションはそれほど大きな手間でもなさそうだし。送信後、エコーが帰ってくるのに要する時間は――」

「十分、十五分だろう」Bが言った。

「だったらXシステム送信モードから受信モードに切り替える時間もちょうどある」

 Bがまた首を振った。「技術的にもオペレーション的にも造作ないことはわかっている。しかし、C、きみはどうも……、この手のことには鈍感みたいだな。赤い太陽に向かって超強力な電波送信するんだぞ。こういう実験政治的にどう解釈されるか、考えてみたことは?」

AとCは、どちらも茫然としたが、Bの反対理由荒唐無稽だとは思わなかった。逆に、自分たちがその可能性を考えもしなかったことにぞっとしたのである

 この時代、すべてのもの政治的意味を見出す風潮は、不合理なレベルまで達していた。紅衛兵は、隊列を組んで歩く際は左折のみ許され、右折は禁止された。信号機は、赤が進めで、青が止まれでなければならないと提案されたこともある(周恩来首相却下されたが)。

(中略)

そういう風潮に鑑み、これまでAが研究報告を提出する際は、Bが必ず綿密な査読を行っていた。とくに、太陽に関する記述は、専門用語であっても、くりかえし吟味し、政治的危険がないように修正した。たとえば、“太陽黒点”という言葉使用が禁じられた。太陽に向かって強力な電波送信するという実験については、もちろん、千通りのポジティブ解釈可能だが、たったひとつネガティブ解釈がなされるだけで、関係者全員が政治的な災難に見舞われるにじゅうぶんだった。Bが実験要請を拒絶する理由は、たしか反駁のしようがなかった。

イアン・ハッキングがイヤンと言いそうなくらいむき出しの「科学社会的構成である!ここでも論理連想ゲームに膝を屈している。このことを中国特殊ものだと考えるのは科学教の信者である。似たようなことはどこの国でも多かれ少なかれ起こっている(また国家がくくりとして出てきてしまった!)。STAP細胞論理を飛び越えればどんなものまでが「発見」されてしまうるか、という好例であろう。それでも科学教の信者は言うだろう。「STAP細胞は誤りであることがわかった!これこそが科学勝利ではないか!」と。残念ながら科学はそんな単純なものではない。たとえばケプラー理論はそれ以前の理論よりシンプルでもなければ正確でもなかった。そのあたりのことはスティーブン・ワインバーグ『科学の発見』に詳しく書いてある。「それでもわれわれは今はケプラー理論が正しいということを知っている!これが科学進歩だ!」という主張は残念ながらワインバーグとは仲良くなれるが歴史学者から異端扱いされるだろう。このワインバーグの本は、「ノーベル賞物理学者科学歴史について論じたら歴史学者から攻撃を食らった」というそれじたいSFガジェットとして出てきそうなシロモノなのだが、けしてトンデモ本でなくワインバーグ確信犯的にその地雷を踏んでいる。非常に面白い本なので『三体』を読んだあとにはぜひこの本を読んでほしい。『三体』に出てくる宇宙物理学理解の助けにもなるし。

話がそれた。『三体』である。まあ、歴史学者から異端扱いされようが科学者は科学者でやっているのである。……本当に?「科学をする」とはどういうことか説明できるひとは今のところ地球上に存在しない。どころか説明できるひとが今後現れる可能性もまた科学哲学者によってほとんど否定されていると言ってよい。では科学者は何をやっているのか?われわれのような皮肉屋に言わせれば「教義精緻化とその確認作業」とでも言い捨てられるだろうが、『三体』はそこに真摯に向き合っている。どころか、その先までをも作品の中に織り込んでいる。ネタバレになるので詳しくは話せないが、科学を「打倒する」ことを本気で考えてみた人はいるだろうか?いないだろう。『三体』はそれを本気で考えている。誰がなんのためにそんなことをし、さらにそれに抗うには何をするべきかを描いている。そしてその描き方がまた最高なのである。作中、ある「組織」が出てくるのだが、それがまたなんとも、「アカい」のである。もちろんそれは最初引用で出てきたような無知蒙昧なアカさではない。連想ゲームではなく論理によって貫かれた「アカさ」というものがあるとしたら、こういうものだろうという迫力がある。

作中にこういうセリフがある。「中国では、どんなにすばらしい超越的な思想もぽとりと地に落ちてしまう。現実という重力場が強すぎるんだ」と。これはおそらく作者の嘆きでもあろう。その重力場から逃れるために、作者はこれを書いたのだと思う。中国現実の重みは、隣にいるわれわれも知るところだろう。この作品は、その中国現実の重みを、実に力強く脱出していると思う。それがこの文章で伝わったかどうかは甚だ心もとないが、一人でも多くの、未だ北田暁大先生Twitterの件に心の整理がつけられていない人々が、『三体』を手にとってくれるよう望む。

2019-06-22

anond:20190622015445

左に純化してしまったせいで、赤い老人という特定の少数派の利益を代弁している党に成り下がってしまった

かなしい

2019-06-12

anond:20190612210750

あの党の場合そもそも純化というか先鋭化したのが始まりであり存在意義だしな

かにあの時点での理屈のつけ方とかわいそうアピールだけは本当にお上手だった

けど逆に言えば小さくまとまって小さく勝つのが精一杯で、政権交代なんか当分望めなくなったということでもある

もちろん今小沢が絵描いてるような路線にも戻れない

かと思いきや懐かしの面々はしれっと受け入れてるので、結局彼らがどうしたいのかわからない

anond:20190612205838

無党派層が離れてしまうならただの純化路線やんけという話に・・・たぶん立民はそれでいいと思ってそうだし、だからもう何も期待しないのだけど

2019-04-15

火ノ丸相撲高校相撲編まで」(が良かった)と言われる理由

・・・自分なりに考えてみた。

※だらだら書いたので恐ろしく長い。

あくまで「自分の周りでの評価」の話でこれは決して一般論でない。面白さの感じ方は人それぞれということも重々承知している。ごくごく個人的見解だと思ってもらえれば。

推敲もせず勢いにまかせて書いたので、多少ふざけている部分もあるし、すぐ脱線するし、色々な意味で所々間違っているかもしれないし文章も順序も何もかもめちゃくちゃだけどおおよその意味は通じると思うので堪忍してほしい。

小学生大学生あたりまでは欠かさずジャンプを買い続けてきたオッサンなのでいわゆるWJお約束アンケート事情等は踏まえている。

前置き

WJをずっと読み続けている友人が数人いるのだが、誰も火ノ丸相撲を読んでいない。読んでいない理由、ほぼ全員が口を揃えてこう言う。

大相撲からついていけなくなった」「高校相撲の時は面白くて毎週読んでいた」「ごちゃごちゃしてわかりづらくなり読むのをやめた」系統理由

自分原作連載時の初期の方だけは本誌で読んでいて元々相撲好きというのもあり、珍しい題材なのに巧みに関心を引く、驚くほど絵が上手くて話も面白漫画始まったなという印象だった。

そしてアニメをみているうちに改めてもう一度通しで原作ちゃんと読み直したくなったクチなので、彼らの評価を確かめるべく単行本最新刊まで読み進めた結果、なるほどそうか・・・と腑に落ちた。

火ノ丸相撲といえば・・・知名度のわりに本当に単行本が売れていない、アニメ化されても伸びない、掲載はいつもだいたい後ろの方。(これらはしばしば公式でも自虐ネタに使われているようだ) このような状況でありながら打ち切り危機を免れてきたのは、根強いタニマチ(後援者、ファン)の後押し、国技を題材とした作品である社会的評価少年誌作品とは思えない画力構成力、質の高さ、純粋作品としての魅力が高かったからに他ならない。

本題

大相撲編がイマイチ理由の一つとして「異様なほどの性急さ」が挙げられる。これはWJ連載であるりある程度しかたないことかもしれんが・・・

本来であれば、

A★→B→C→D★→E→F→G★ (★は物語の進行上外せない重要な話とする)

と進むべきところが、

★以外のエピソードをすっとばして読者を置いてけぼりにしている感がすごい。 つまりWJ特有事情で話を早くすすめたいがために最低限描かなければ成立しない部分しか描かせてもらっていない印象をうけるのだ。この流れは非常にまずい。なぜならばかつて打ち切られた作品で幾度も幾度も目にしてきた流れだからだ。

高校相撲編ではここらへんが比較的丁寧に描かれていたので余計に異様さが際立つ。

なお、この「すっとばし」はキャラクターにも多大な悪影響を与えている。

一人目は主人公火ノ丸。高校時代までの彼はどこか浮世離れしたつかみどころのないキャラクターでまさに相撲の申し子、ある種神聖視された存在だった。ところが大相撲編では詳細は省くが色々な意味で「人間」にまで「落ちて」しまった。神の化身(横綱)になろうとする者がそこから遠ざかってどうするんだ!?と首を傾げざるを得なかった。(もちろん無垢であること=神性というのが単なる概念にすぎないのは百も承知として)

極論ではあるが、親方に薦められるままにお見合い女性と所帯を持つ方がよほど彼らしかった気がする。それほど色恋には淡白なのが火ノ丸だと思っていた。

彼は一見他人にも自分にも関心があるように見えて実はかなり希薄に思える。かといって他者から本物の好意を向けられれば真摯に応える度量は持ち合わせている。相手によほどの理由がない限り彼は好意に応えようと努力するだろう。とかく恋愛経験値が低い者は猛烈な「押し」には弱いものだ。誰が主人公の心を射止めるかというのは少年漫画面白さの一要素でもある。そういう意味ではあの咲や景子ですらヒロインになりうる一種ワイルドカード的な魅力が無自覚の神性を有していた頃の火ノ丸にはあったように感じる。

さらに言えば、主人公を射止めたヒロイン(レイナ)のキャラが強く立っているにも関わらず、動機付けの弱さ、たまたま近くにいた異性、半ば成り行きのような、描写不十分でさほどの必然性がないように見えたことがとても残念で引っかかるのだ。

いささか潮火ノ丸というキャラクター幻想を抱きすぎた感はあるが、少年期の彼の印象はどうしても強いのだ。

二人目はヒロイン枠のレイナライバルらしいライバル千鶴子くらいのものだったので、これはまぁ順当ともいえるが(ちなみに自分1話での火ノ丸との運命的な出会いからずっと彼をひたむきに愛していた千鶴子推しであった…)、あまりにも性急に距離が急接近したのにはさすがに困惑しかなかった。彼らが後々恋愛関係になることは容易に予想できたし特に異存はない。ただあのような相思相愛関係?に至るまでのプロセスがあまりにお粗末すぎるのでは?何なら高校相撲編のレイナが火ノ丸の相撲魅せられていく名前のつけられないあの純化された感情を抱いた付かず離れずの関係性をもっと見ていたかった・・・

三人目はチヒロ。主人公国宝を脅かすほどの屈指の人気キャラでありながら夢を追うために渡米し実質的な退場となった時は「なんて潔いんだ!!」と感動したものだ。しかし彼は帰ってきた。それは別に良い。問題は特段なんの経緯も語られることなくいきなり彼がシングルファーザーとなっていたことだ。読者は大困惑しかない。あきらかに悪い意味でのサプライズといえる。

他にも数人いるが特に際立って目立つのはこの三人だろう。

実際この漫画きっかけで相撲に興味を持った子供もいると思うが、高校相撲編はともかく自分の子小学生以下なら大相撲編は読ませたいとは思わない。高校相撲編に関しては各種教育関連機関業界団体等(?)からの推薦も十分受けられそうな内容だと思っていただけに遺憾だ。

安易なお色気(下ネタ)、ギャグ、過度な恋愛要素に逃げる作品は総じてレベルが低い。(余談だがお笑いに関しても同様だ)そんなものに頼らなくても十分面白ものこそ本物の面白さなのだ。

火ノ丸相撲は今時珍しく「硬派」な漫画だと思っていたから(大相撲編での品格の落ち方、別方向への舵の切り方に)結構ショックを受けたとは友人の弁。

硬派イメージが強かったのは、高校相撲編までは極力セクシャル描写が避けられてきたからだと思う。

痴漢被害表現

1話満員電車で堀千鶴子痴漢被害に遭うシーンがあるが、彼女はあまりのおぞましさに心底怯えた表情をしている。一見流してしまいそうだが賞賛すべき点がある。痴漢という最低の犯罪行為を決して性的な興奮材料にしていないことだ。他作品には被害女性の顔を紅潮させたり目を潤ませたりといった不適切表現が見受けられるが、火ノ丸相撲はそのようなけしからん作品とは一線を画していた。

②景子の性癖

彼女は優秀な観察眼を持つ記者であることは言うまでもないが、若い男性(とりわけ少年)の裸体や尻に向ける欲望が度を超えておりセクハラまがいの行為が目につく。女性男性であるから流されがちだが本来はあってはならないことだ。ギャグとして笑い飛ばすにはどぎつすぎるし、もはやそういう時流でもない。

レイプ未遂

これは本当に驚いた。①であのような配慮を見せた作者とこれを書いたのは同一人物なのかと目を疑ったほどだ。事のあらましは、意気消沈して部屋に引きこもる火ノ丸をレイナがドアを蹴破り強引に拉致し車でラブホテルへ連れていき、彼の合意を得ないまま性行為を迫るという驚くべきものだ(結果未遂に終わったが)。

たとえ交際していても合意を得ない場合性交渉レイプである。これも女性男性から見過ごしがちだが、この立場を火ノ丸が女性レイナ男性だったとしたらどうだろうか・・・笑えねえよとなるはずだ。さらに悪いことに「成人が飲酒した状態未成年性交強制する」構図なのだ。これはオチウこわぁいどころの騒ぎではない!マジでどうしたんだ川田先生!いよいよウェンカムイに取り憑かれたか?(??)

主人公の魅力度が落ちた作品はその人気も下降の一途をたどるのはいうまでもない。高校相撲編での火ノ丸は他を寄せ付けない魅力があった。あの輝ける国宝たちの中にあってもだ。大相撲編になってからあきらかに精細を欠いている。主人公陣営(メインサイド)の話よりも童子切草薙大包平三日月等の敵陣営の話の方に興味を引きつけられるほどに。むしろそちら側メインの話を読みたくなるというのは相当問題に思える。

火ノ丸はまごうことな平成終盤生まれ平成の子だ。しかし彼の中に古き良き?昭和スポ根漫画主人公を見ていたのは自分だけではないはずだ。

不幸(両親を若くして亡くしており裕福ではない環境)、逆境(あまりにも小柄な体躯)、自己実現能力(自らを厳しく律し、徹底的に稽古で肉体を痛めつける)、黒電話携帯を持たない、機械音痴時代がかった物言い兄貴肌、相撲のことしか頭にない、私生活が見えないなどいかにも昭和ヒーロー感(?)満載である

潮火ノ丸の中に矢吹丈のような壮絶な最期を遂げる姿を夢見ていたのかもしれない・・・モブも言っていた「鬼丸ハッピーエンドが見えない」。決してハピエンが悪いわけじゃないしそちらの方が良いに決まってる・・・が、いかにもな予定調和エンドだけは勘弁してほしい。

ハピエンではなくとも「あしたのジョー」は不朽の名作だ。主人公最期勝利し真っ白に燃え尽きて生死すらどうなったかからないなんてこれ以上ハートが震えて痺れるラストがあるだろうか?ヒーローが完全に浄化され何者にも貶められない最上級存在になった瞬間だと思う。

取組を殺し合い、命のやり取りとまで作中で表現しているならそれくらいの危うさがあってもいい。昨今の少年誌では厳しいかもしれんが。

第1部を第2部以降がクオリティで上回る作品はほぼない。あってもごくまれである。(ちなみに続編が悉く期待外れだった作品としては東〇喰〇等が挙げられる。続編の一報を聞いた時は飛び上がるほどうれしかったものだが、完成度の高い前作とどうしても比べてしまい、しだいに期待は失望へとかわっていった。)少なくとも火ノ丸相撲に限ってはそうはなるまいと思っていたのだが・・・

WJの数多くの縛りや規制大人の事情に阻まれ駄作になるくらいならいっそしかるべき媒体アプリ、あるいはヤンジャンなど)に移籍してのびのび描いてほしい。青年誌の方が表現の幅が広がるだろうし。もし角界の諸問題(暴力八百長パワハラモラハラセクハラ等)の闇の部分に切り込んだりする気があるのならばなおさらだ。

高校相撲編のような神々しいまでの輝きを取り戻すことはもうないのかもしれない。それでも自分火ノ丸相撲という稀有作品に魅せられた一読者して、最終話まで見届けたいと思う。

総括

長々とかいてきてアレだが、要約すると

『あまり余計なことにページ数を割かずに相撲をじっくり見せてほしい。タイトルにおこがましくも相撲を冠してるんだからそれに恥じない内容にしてくれ!相撲で堂々と勝負せんかい!』

・・・だろうか。

2019-03-29

一言で言えば「それな」で済む話

https://anond.hatelabo.jp/20190328015628

リファレンスのやり方あってるかわからないけどいいか

この人が本物かどうかと聞かれたら、私は多分本物だろうと答える。多少フェイクは入れてるだろうけど。

なぜなら、少し似ているからだ。私と。

まあうちは普通サラリーマン家庭なので、ブランドの話はよく分からないし、小学校公立だし、大学は家から通える国立にしたけれど。でも、同じように御三家と呼ばれる女子校を出たものとして、その屈折した感情はある程度自分のものとして理解できる。彼女と同じ学校かは分からないが、多少の校風の違いはあろうとも御三家か、同偏差値帯の私立中の生徒の傾向は大まかに同じと言って良いと思う。彼彼女らを私立中に出荷するための生産拠点は等しくSAPIX日能研等の大手中学受験塾だからだ。大手中学受験塾は大体3年間で2,300万円かかる。それぐらいの学費を払え、かつ子供学習サポート出来る家庭というのはおおよそ似通ったものになるのは想像に難くない。と、いうか大体似ていた。レアケースがあることも否定はしないけど。

私は医学部志望では無かったのでその辺の事情には明るくないが、医学部を目指す子はやはり親が医者のケースが圧倒的に多かったように思う。そして、医者になるという目的があるからか、中学の頃から鉄やSEGに通って着実に受験に備えていた子が多かった。これは素直に尊敬してた。まあそれと同時に、塾で医系数学とかの授業を取ったりする過程で、この人の周りが更に私立中高一貫医学部志望医者家庭へと純化されていってたんじゃないかなとは思う。

それはさておき、単純に私が少し似ているなと思った部分についてつらつら書きたい。

まずバイトについて。この部分でひょっとしたら他校かなとも思った。周りにバイトをする高校生は誰も居なかったのは同じだが、そもそも高校生バイトをするという概念現実感を伴っていなかったので、バイト禁止だったかどうかも分からない。禁止じゃ無かったとしても多分そんなに歓迎されなかっただろう。親も親でバイトするぐらいなら塾に行ってくれた方がいいと考えている人の方が多いのは確実だ。

次に、暗黙のルールについて。確かに即物的なというか、実際の生活に関わる色々な数字は、同じ学校の生徒であるという点で=にされて不可視化されていたと思う。でも認知されていなかった訳でもなくて、ベールに覆われたように大まかに認識していたが、敢えて可視化しようとしなかっただけだろう。これは学校の態度の影響もあるかもしれない。私の知る限りでは、御三家には一斉に模試を受けて学校偏差値管理したり、成績を壁に貼りだしたりして、生徒同士の差を意識させる学校は無かった筈。加えて、これはこれで問題だと思うが、うちの学校では少なくない教師受験だとか偏差値だとかをまるでハリポタの「ヴォルデモート卿」と同じような、ゾッとする単語として捉えていた。

最後自己認識世間一般との差について。これは同じような環境で成長した人達と接していると、気付かないし、別に気付かなくても生きていける。でも、自分と違った環境で育った他者と接する時に切実な問題として浮かび上がってくる。私も、世間ではエリートコースと呼ばれるだろう経歴にはなったが、別に自分のことは頭が良いとは思ってない。小学校の頃も塾では一番上のクラスの下の方で、中高では結局真ん中より上の成績を取れなかった。ずっと自分より上を見上げるばかりだった。

から大学地方出身の「まっすぐ」育って来たんだろうなぁと感じられる子の万能感には相容れないものを感じる。万能感は自分人生で真っ先に失われたものの1つだからかな。

あと、自己認識がどうであれ周りからは期待されちゃったりするからそのギャップが正直キツいというのはあるんじゃない。

まあ長文並び立てたけど単純にそれなと思っただけ。最初共感した所だけ書いて去ろうと思ったけど思うところがあり過ぎて長くなってしまった。多分元記事の人はちゃんガス抜きできる人だからしっかりとした医者になれると思うよ。

広いインターネットで似たようなこと思っている人がいたのが嬉しかったけど、ひょっとしたら狭い世間の知り合いかもね。

2019-02-16

お前らが言いたいのは「初心者に優しくしろ」じゃないだろ?

正しくは「ヘタクソに優しくしろ」だろ?

ああそうだろうな、お前らは期間だけ長いけど実力はウンコから

いつまでたっても中途半端ランク上級者にnoobバカにされるから

から初心者ダシにして言うんだろ、「お前らがそうやってひどい言葉使ったりエンジョイ勢追い出したり威張り散らすから新規がつかない」って

別にいいが?ザコはいなくていい、新規もつかなくていい、その方が"質"が保たれ、より高度な作品へと純化していく

からお前らにも消えてもらいたいし、初心者エイジョイも追い出してんだよ

noooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooob:)

2019-01-12

ブギーポップは口笛を吹かない」あるいは「木村明雄の消失

アニメブギーポップは笑わない」1〜3話および原作ライトノベルブギーポップは笑わない』の内容に触れています

TVアニメブギーポップは笑わない」が放送中だ。ほぼ20年前にスタートしたラノベ原作であり、アニメ自体は二作目だが、原作の内容に沿ったアニメ化は今回が初めてとなる。

さて、そんなアニメブギーポップの「ブギーポップは笑わない」(原作シリーズ一作目)編が、最新の第三話で完結となった。平均的なラノベアニメ化としては、原作1巻を3話で消化というのは、極端に速いペースというわけでもない。それでも、もともとが5話で構成された原作を3話に再構成する上で、大小さまざまな省略・変更が発生することは避けられなかった。

そのうち、特に目についた二つの変更点について、思うところを少し書いてみる。

「君と星空を」&木村明雄

上で述べたように、原作ブギーポップは笑わない』は5つのエピソード構成された物語となっている。一話にそれぞれ主人公視点人物)が設定されており、一つの事件複数人間の目から見ることで立体的な世界が立ち上がってくる、といったような、今となっては(当時でも?)さほど珍しくはない仕掛けだ。

原作構成及び各話の主人公はこうなっている。

ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム


これがアニメでは、

ねこういう形に変換されている。話数単位で大雑把に見れば、各パートの分量はともかく原作の流れを大枠では引き継いだ構成と言えるだろう。

ただひとつ原作第四話がその主人公存在ごと抜け落ちている点を除いて。

原作第四話は、木村明雄という男子高校卒業後(事件から二年後)に、当時「失踪」した紙木城直子と過ごした日々のことを回想する、という内容になっている。

木村は、紙木城の交際相手の一人(アニメでははっきりと描かれないが原作の紙木城は木村田中を含めて複数の男と付き合っている)であり、事件にはあくま彼女を通して間接的にしか関与していない。紙木城から保護したエコーズについての話も聞くことになるが、何かのたとえ話だとばかり思っていた。

紙木城の失踪後、色々あったもの普通高校卒業普通大学生として普通生活していた彼の元に一通の手紙が届くことで高校時代記憶が蘇り……という、1話竹田と同じかそれ以上に青春小説的な色合いが濃く、いわゆる「一般人」の目線から見た章となっている。

アニメ化にあたって、章はともかく仮にも原作主人公の一人を丸ごとカットするのはあまり乱暴に思えるが、ここには一応それなりに納得できる理由がある。

第一に、事件の真の姿あるいはその存在すら知らないまま全てが終わってしまっていた、という木村明雄の立場は、程度の違いこそあれ竹田啓司(一話)や末真和子(二話)と重複している。一人一人に見える現実には限りがあるというテーマを示すためには、この二話だけで既に必要最低限のノルマは達成していると言えなくもない。

第二に、竹田と末真は以後の巻でも登場している(末真は準レギュラーに近い)が、二人と違って木村明雄は今のところ少なくともブギーポップシリーズ内では再登場しておらず、カットしても今後の展開に特に影響がない。

第三。エコーズの素性に関する情報は、原作では第四話で木村が紙木城から話を聞くという形で最初に明かされる。物語の本筋との関係においては四話の存在価値と言ってもよい部分だが、アニメでは2話後半、紙木城と凪の会話でほぼ同じ内容が補完されている。これは、原作でもそのようなやり取りがあったと事件後に凪の口から語られていたものであり(木村自分にだけ話してくれたと思い込んでいたが)、オリジナル展開というより変則的原作再現に近い。木村カットしてもそういう軽度の改変で済む部分なのだ

驚くべきことに原作『笑わない』には、凪と紙木城が親友であるという情報こそあるが、二人が直接会話するシーンは存在しない。にもかかわらず、読者にはちゃん彼女らが親友同士に感じられていたというのは小説マジックというほかないが、ともあれ、今アニメで凪と紙木城の会話が追加されたこ自体ファンにとって喜ばしくさえある。

これらの理由から、『笑わない』をTVアニメ3話分に収めるために章と主人公をどうしても一つ削らなければならないとすれば、やはり第四話と木村妥当ということになるだろう。アニメスタッフ判断は間違っていない。

間違ってはいないのだが。

口笛

原作において、ブギーポップというキャラクターはいくつかの記号によって構成されている(もちろんその全てが記号還元され得るというわけではない)

都市伝説死神世界の敵の敵、黒い帽子と黒いマントと黒いルージュ、ワイヤー、そして口笛。

ブギーポップは、常にというわけではないが誰かの前に姿を現す時、特に世界の敵と向かい合う瞬間には、なぜか「ニュルンベルクのマイスタージンガー第一幕への前奏曲を口笛で吹きながら登場する、ということになっている。

過去メディア展開でも、多くの場合はこの口笛が再現されてきた。

実写映画はあらすじの時点で「口笛を吹く死神」と紹介されているし、旧アニメファントム)ではブギーポップ登場時の口笛はもちろん、次回予告のBGMとしてオリジナルアレンジマイスタージンガーが毎回使われ、最終回ではテルミンバージョン???)すら流れるという充実ぶり。

メインの使用キャラクターではなくサポートキャラとしての出演に過ぎない、格闘ゲーム電撃文庫 FIGHTING CLIMAX」でさえ、ブギーポップはやはり口笛を吹いて登場している(実際にプレイしているわけではないので又聞きだが、そのせいで攻撃判定の発生が遅いとかなんとか)

このように、「マイスタージンガー」「口笛」はこれまで原作の内外で、ブギーポップというキャラクター作品象徴する、代名詞と言ってもいい扱いをされてきた。

原作『笑わない』では、ブギーポップは二度口笛を吹いている。一度目は、一話の竹田屋上で会話をしている時。

第一話 浪漫の騎士 4 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

ブギーポップが口笛を吹き始めた。明るく、アップテンポな曲で、しかも呼吸に緩急があってすっごく上手だったが、しかし口笛なので、やっぱりそれはどこか寂しげだった。

 そして、藤花は口笛が吹けないことを思い出した。

うまいんだな。なんて曲だい?」

「〝ニュルンベルクのマイスタージンガー第一幕への前奏曲さ」

「なんだいそれ」

ワーグナーって大昔のやかましロマンチストがつくった、一番派手な曲だよ」

二度目は五話終盤、早乙女を失って荒れ狂うマンティコアに追われる新刻の前に姿を現す時。

第五話 ハートブレイカー 4 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

 恐怖のあまり、私はついにおかしくなった、と思った。

 幻聴が聞こえだしたのだ。

 現実にはあり得ないほど不自然な曲が、目の前の並木の植え込みから聞こえてきたのだ。

 それは口笛であった。

 しかも、口笛にはまるで似合わない曲、ワーグナーの〝ニュルンベルクのマイスタージンガーなのだった。

いずれも、古くからの読者には印象深いシーンだろう。

しかし、今アニメの「笑わない」編ではこれらの口笛演奏存在しない。ブギーポップは、一度も口笛を吹かなかったのだ。

これも木村同様に尺の都合なのだろうか?

マイスタージンガーといえば、あの、ふぁーふぁーふぁふぁーという力強いイントロが印象的な曲だ。口笛でいうと、ぴーひょーろろーとなる。最低限この、ぴーひょーろろーさえ吹いてくれれば、少なくとも原作読者には「あの口笛」だと一発で分かるし、初見視聴者にも、ブギーポップというのは口笛を吹くキャラらしいということだけはなんとなく伝わっていただろう。

前回のアニメや電撃FC使用された口笛バージョンマイスタージンガーで、ぴーひょーろろーの部分の所要時間確認してみると、せいぜい2〜3秒というところだった。2、3秒。もちろん1秒24コマで動くアニメ世界での2、3秒は、日常的な感覚のそれよりも遥かに長い時間ではあるのだろう。だが本当に、今回のアニメ「笑わない」編は、ぴーひょーろろーを挿入するだけの余裕が一切存在しないほどに緊密な内容だったのだろうか。

どうしても時間が足りないなら、いっそセリフを喋りながら同時に口笛を吹かせてもよかったのではないかブギーポップというのは、そのぐらいの物理法則を超えた無茶も読者視聴者笑って許してもらえるような、良くも悪くも異質なキャラだったはずなのだが。口笛のためにそこまで冒険するほどの価値はない、と判断されたのか。

これが、今回のアニメではブギーポップは口笛を吹かない存在として設定されているということなのか、それともあくまで「笑わない」編だけの変更なのかはまだ分からない。次回からの「VSイマジネーター」編ではしれっとぴーひょろ吹き始めたりする可能性もある。しかし仮にそうなるとしても、「笑わない」で口笛を吹かなかったという事実は、もはや取り返しがつかないのだ。

原作未読者の中には、口笛が無いとなにか物語の展開に支障が出るのか?という疑問を持った人もいるかもしれない。たしかに、どうしても口笛が無ければ成立しないという場面は、原作にもほとんどない。もちろん口笛自体に、特殊振動波か何かで敵の脳に直接揺さぶりをかける、などという実用的な効果存在するわけもない。はっきり言ってしまえば、口笛は基本的雰囲気づくりの賑やかしでしかないということになる。

その意味では、削る必要はないが削ったところでどうということはない要素だったのだ、とも言える。

言えるのだが。

昔語り+α

ここで唐突に昔の話をする。

ブギーポップがちょうど一度目のアニメ化や実写映画化をしていた頃のこと。とある個人サイトにて、「実写映画になるっていうから読んでみたけど単なる化け物退治の話だった」というような『笑わない』の感想を見かけた。当時の自分シリーズ純粋ファンだったので、そのあまりにも大雑把なまとめ方に、大雑把にまとめてんじゃねーわよ!と素朴に憤慨したものだ。

しかし、今にして思えばあの感想示唆である複数視点による眩惑を取り払った一本の話として『笑わない』の本筋だけを眺めてみれば、それはたしかに「単なる化け物退治」の話でしかないのだ。

では、自分を含めた多くの読者に『笑わない』を「単なる化け物退治」ではないと感じさせた、「本筋」以外の部分とはなんだったのか。それは、自分の進路について語る竹田とそれを半ば無責任肯定してくれるブギーポップであり、

第一話 浪漫の騎士 4 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

「へえ、君は受験しないのかい

「うん。親父の知り合いでデザイン事務所をやってる人がいて、ずっとバイトしてたんだけど、その人が〝おまえは見込みがある。センスを感じる〟とか褒めてくれてさ、大学なんか行かずに俺のところに来いって言うんで」

「すごいじゃないか親方に見込まれ職人ってヤツだな」

“対決”を望んで走る末真であり、

第二話 炎の魔女、帰る 3 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

(そうよ──中途半端はもううんざりよ!)

 霧間凪はほんとうに魔女なのかも知れない。でも、それこそ望むところだった。

「No One Lives Forever」を口ずさむ早乙女であり、

第三話 世に永遠に生くる者なし 5 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

「……誰も、誰も、誰も、誰も、誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も………」

新刻の意志の強さを賞賛するブギーポップであり、

第五話 ハートブレイカー 4 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

しかし、新刻敬──君の意志の強さは見事だ。君のような人がいるから、世界はかろうじてマシなレベルを保っている。世界に代わって感謝するよ」

そして、木村であり口笛であり、そういった一見取るに足りない枝葉こそが作品の印象を形成していたのではないか

枝葉とは言うものの、ひたすら枝と葉を切り落として純化していった先にあるのは、ただ一本の幹だけがまっすぐ天を突く寒々しい樹の姿だ。口笛や木村が本筋に不必要だというなら、ブギーポップあんな格好をしている必要別にない。『笑わない』のプロトタイプとなる作品には早乙女存在していなかったともいうし、この巻に限って言えばブギーポップだって無くても成立しそうな内容だ(シリーズ全体で見てもブギーポップ世界設定の中で異物として浮き続けていている)。必要不要物差し物語を測れば究極的には、そもそもアニメ化する“必要”とは……?原作が書かれる“必要”はあったのか……?という不毛なところにまで踏み込みかねない。

ブギーポップというシリーズは、ことに『笑わない』は、この「剪定」の影響を大きく受けやす作品であるように思う。本筋に関わらない細部が、作品本質とは思いがけなく深く結びついてるかもしれない、という面倒くささがある。アニメ側にとっては、原作の味を再現するためにどこを切ってどこを残すべきなのか、という判断が非常に難しい題材だったのではないか

いや、ブギーポップに限らずどんな作品であっても、ファンアニメ化や映画化などのメディア展開のたびに、アレがないと○○本来の良さが失われてしまう!と感じてはいるのだろうけど。

まとめ

木村明雄の省略に関しては、大きな変更ではあるし非常に残念ではあるが、三話という尺を考えれば致し方ない(そもそも『笑わない』を三話でというタイト過ぎる構成の是非はともかく)

口笛に関しては、小さい部分かもしれないが逆にそんな小さいところを敢えて削る意味が分からないし、監督でもシリーズ構成でもプロデューサーでもいいので早めに誰かに何らかの説明をしてもらいたい。

ということになる。

原作から変えること自体は、いい。メディアの違いに加えて、予算時間など様々な制約もある以上、どうしたって変えざるを得ないところは出てくるだろう。だが、その変更に意図というか大げさに言うと「思想」があまり感じられないのはちょっと困る。原作から変えてまで実現したかたこととは何なのか。

前回のアニメ、「ブギーポップは笑わない Boogiepop Phantom」は、初アニメ化にもかかわらず『笑わない』のオリジナル後日談という暴挙とすら言える内容となっており、それだけにとどまらず「霧間凪一人称が『オレ』じゃない」など、原作からの変更点がいくつか存在した。当然、原作ファンから評価も当時はあまり良くないものが多かった。

しかし、ファントムというアニメからは、これが作りたい、こうした方が面白いはずだ、という意志は強く感じられた。原作からの変更点自体に納得できるかどうかはともかく、そういう姿勢を打ち出されればこちらも、へぇ……あなた達はこういう画面も話も異常に暗いアニメがカッコイイと思ってるんだ?「オレ」女はリアルじゃないって?へーえええええ……?と正面から受けて立つことができるというものだ(こめかみに血管浮き上がらせつつ)

今のところ、今回のアニメブギーポップは、原作読者の目から見ても決して悪い出来ではない。悪くはないのだが、どうも、どこに芯があるのか分かりにくいアニメ化となっているように見える。

公式が「アクションファンタジー」と銘打っているということは、「笑わない」編では終盤に集中して存在する程度だったアクション部分が徐々に増えていく、これからエピソードが本番ということなのかもしれない。たしかに、最初に公開されたPVでもアクション描写はひときわ光っていた。

次の4話からは、原作では上下巻の大がかりなエピソード「VSイマジネーター」編が始まる。そこでは、このアニメと思いきりVSできることを願っている。

追記

”『笑わない』のプロトタイプとなる作品には早乙女が存在していなかったともいうし” へえ  それどこ情報? - maturiのコメント / はてなブックマーク

”『笑わない』のプロトタイプとなる作品には早乙女存在していなかったともいうし” へえ  それどこ情報

電子版『笑わない』新規書き下ろし「後書き」。プロト版のタイトルは、「エコーズ──人喰いの谺」だって

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