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はてなキーワード: バンバンとは

2018-10-18

増田は変わった

何気ないネタでも色んなコメントがついたりたまにバズったりしていたけど

ここ最近様子がおかしい。

以前ならコメントが付いていたような記事は軒並みスルーコメント1、2件に終わり、

試しにと思って

男が、女が などと主語をでかくした釣りタイトルをつけるとコメントバンバンくる。

なんか、思想ますます偏ってきてない?

普通のことを書きたい人はどんどん離れていって

ネット上で炎上しがちな案件けが注目され、叩かれ、バズる

はてブトップもひどいし。。

うーん。

見てる人の意識が変わったのか、客層がそもそも入れ替わってきてるのか。

2018-10-15

anond:20181015153143

戦後戦犯から公営競技をがっぷり掴んでるところからすごいよね あんCMバンバンうってるボートの元締めが戦時中のファジズム政治犯っていう

いろんな人と社交的に暮らすのって大変なんだなぁと思った

今は学生からほとんどガチぼっちでもそこそこ快適に暮らせてるけど

社会人になったらヤバいんだろうなーって思う

授業とか仕事とかで迷惑をかけるのは嫌だから予習復習宿題グループ課題はきっちり行うけど

プライベートでの世間話が全く思いつかないし自分の興味が無いネタ仕入れようとも思わない

たまたまむこうがアニメオタクとかだったら多少は弾むけどそうじゃなかったら何の話もできない

まぁむこうがオタクでもその場しのぎの会話はできるけど深い付き合いにはまずならない

twitterpixivもやってるけど全部ROM専交流は全くしない

リアルでもサークルとかの飲み会に本当に数少ない友達に誘われて参加しても、酒が飲めないから酔っぱらってはしゃいでいる周りを

「はしゃいでるなー」とただ見るだけ

輪に入ってはしゃいだことは一度もない

多分見た目は上の下くらいだし性格も害はないか小学校の時以降は(周りに恵まれたからか)いじめられたことは無い

電柱のような存在として扱ってくれててありがたい

でも社会人になったらそうはいかないんだろうな

特に女だから噂話の広がり方もえぐいんだろうな

数少ない友達からの子学部人間関係愚痴とか噂話を聞くたびにそう思う

あと、その子から「●はこういうはなししても絶対漏らさないから信用できるー♪」と言われるけど

それは決して私の性格が良くて真面目だからという一点のポジティブ理由じゃない

ただ単純に興味がないから一々それをまた人に話そうとか思わない

の子のことは好きだし大切に思ってるから”その子の”友人関係やら恋人関係は覚えてるけどそれ以外は忘れてしま

あとまた人に伝えられるほどそんな話を気軽にできる友人なんていない

人の噂話を聞く時間や他のグループで誰がどういう立ち位置にいるのかとか誰と誰が付き合ってるっぽいかを観察する時間があるんだったら

好きな芸人ラジオを聴きながらpixivで好きなジャンルの絵を見たり電子書籍漫画をひたすら読んでいたい

今は学生だし周りにも相当恵まれてるからこれでなんとか成り立ってるしヤバいと思ったことはほぼないけど

今になって少し焦ってきた

でもまぁ結局焦るだけ焦って結局全く努力しないで無駄精神削るだけなんだろうな

いつものことだな

学校だけとか会社だけとかの同僚やら上司やらとかかわるのは嫌だけど趣味友達バンバン作るっていうのが普通なんだろうけど

私は趣味友達を作ることも興味がない

多分根っからストーカー気質なのか信じられないくらいの自己中なんだと思う

あと、自分の中にもう一人の自分がいる感覚があるからそいつ無意識に話しかけることで満たされているんだと思う

こういうただ一人が好きなだけでも社会人になって周りと交流を持たなかったら

あいつ斜に構えてるwwかっこいいと思ってんのアレww」とか馬鹿にされるんだろうな

いや馬鹿にされるのは別にいい

ていうか今までだって馬鹿にされてるんだろうし馬鹿にすること自体全然かまわない

ただそれを私自身に感づかせないでほしいだけなんだ

私が認識していないことは私にとって存在しないんだから

でもまぁそんなわけにはいかないんだろうなーめんどくさい

人とかかわりを持つのがめんどくさい

趣味でも人とつながりたいと思えない

ひたすら漫画特撮アニメ小説ニコニコ動画youtubeを見ていたい

anond:20181015000015

オリンピックの時に大麻持ってきちゃった外国人バンバン強制送還されるところが見たい〜〜〜

あとそれで「我が国では合法なのにけしからん」みたいなどうでもいい外圧によって解禁を余儀なくされる未来が見たい====

2018-10-14

anond:20181014230437

増田の言う通りなんだけど

あえてブランド側を擁護すると定価とは別に評価額があって、月末とかに評価額って下がるんだよね。ファッションなんて流行りだから売れないものバンバン評価額下げて損失を先送りしないようにしてるって考えれば納得いくかも。

anond:20181014004852

昔の検索エンジンなら、自動学習して自動変換するくらいはやった

つか男向けは援助交際やら神待ちやらが隠語バンバンなので

使う場所が違うだけでやってること変わらんだろ

2018-10-13

anond:20181013125150

デブ眼鏡パンツインでロリコンで赤いものを見ると「シャア専用ですね」っていう

そんなオタクステレオタイプはいまだにバンバン使われるし許容されてる

それに比べてフェミはなんと器量の小さい

anond:20181013140220

他の動物を見ても、子ども自力で動けるようになったあとは、親からは離れる(そして、バンバン死ぬ)のが自然ということになる

?

サルを含む哺乳動物の群れでは、乳離した子が食ってけるようになるか性成熟まで母親を含むメスグループにいることはかなり一般化できるでしょ

単一家族場合キツネイノシシクマネコ)は基本母子家庭

オオカミ例外的に近所の兄ちゃんちゃんが面倒見てくれるが性成熟後も母親を含む群れに残る

まり基本的母親or母親グループだろ

anond:20181013134053

生後1ヶ月ぐらいまでは視覚とか聴覚などの感覚が未発達なので、一番近くにいる授乳女性乳首の周囲にある腺から出る匂いにひかれて母乳を飲む。これは人間本能として説明されるけど、そこから母親になつくかどうかは別の問題

女性側の母性本能も、生後1ヶ月ぐらいまではホルモン変調として執着心が強くなったりするそういう精神的な影響はある。それ以降は本人の生育歴とか持って生まれ性格によって個人差がある。

これはサルでも同じで、死んだり病気になった子どもをあっさり見捨てる母ザルもいるし、ミイラ化しても離さない母ザルもいる。

いずれにしても、人の本能として休まないといけない期間の休業については産休という形でケアされている。その後、本能関係ないフェイズになったあとも過剰に「育児母親役割」という思考停止が働いているのが問題。他の動物を見ても、子ども自力で動けるようになったあとは、親からは離れる(そして、バンバン死ぬ)のが自然ということになるし、生物的に自然子育てというもの動物に倣って考えると、成長した子どもが親と暮らしてるほうがよっぽど不自然ということになる。

いずれにしても、出産女性仕事することの両立という点においては、人間本能実質的ほとんど影響ない事柄だとみなして差し支えない。

2018-10-12

ここに200人の植松がいます

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sankei.com/affairs/news/181011/afr1810110023-n1.html


看護師が薬を飲ませてるってことは自力では薬を飲めない認知症か何かの患者可能性が高いわけだけど

そういう要介護者にツバを吐かれたらぶん殴っていいんだって

きっと知的障害の子供とかも問題行動したらバンバンぶん殴ってしつけるべきって考えてるんでしょうね

いやあはてなー人権意識の高さに驚かされます

Twitterしか発信できない奴らばっか

ギャンギャンうるさいフェミニストなんてほぼ全員Twitterしか発信できない奴らなんだから

いちいちリプライ合戦しないで過激発言バンバン通報しまくって

とっととアカウント凍結させればいい

通報者多ければ早く通るでしょ

2018-10-11

日本臨床心理学における査読論文価値

anond:20181009215657

心理学について書こうと思ったら、お一人書いてくださった方がいたので、そこで「特殊」とされていた臨床心理学について書きます

臨床心理学系の大学院博士号を取って、現在大学で臨床と研究をしています

論文事情を書こうと思ったら、背景にある臨床心理学事情になりました…。そして「日本の」と書いたのは、日本の固有の事情もあるためです。

はじめに

臨床心理学における研究は、おおよそ以下の3つに分けられます

 1:ブコメであったような、症例報告から始まってランダム対照試験まで行くという医学疫学的な研究

 2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究

 3:その他の調査研究ちょっと大雑把ですがゆるしてください、そして私のメインはここです)

少々雑な括りで、中間位置する方や例外もままいることを踏まえ、あくまでも概要を述べているということを踏まえたうえでお付き合いください。

論文事情

https://anond.hatelabo.jp/20181009215657 では心理学論文事情として以下の順序を挙げていらっしゃいました、

 査読付き英語論文>>>>査読日本論文>>査読なし日本論文(いわゆる紀要査読有り紀要も含む)

これは、1と3を自分研究領域にしている臨床心理学者にもほぼそのまま当てはまりますし、海外でも同様です。

そのため、競争が激しい業界院生さんだと、Predatory Journalに投稿しているケースも残念ながら見ます

特殊なのは、「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」を中心としている人たちです。

この方々の多く(全員ではありません)は、場合によっては「論文」というものを軽視すらしていますし、査読論文の数も非常に少ないです(大学に勤めている以上、建前で「論文書かないとね」と言ったりはしますが)。

これは分野外の人からはよく見えないため(もちろん業績調べればわかります)、中々ややこしい問題です。

私の観測範囲ですが、下手にこういう人たちが多い大学就職しようとしたり、あるいは就職してしまったりすると、論文業績が多い人はかえって冷めた目で見られたりすることすらあります

このような信じられない断絶が臨床心理学の中にあるので、業界からはわかりにくいのです。

ちなみに「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」の人たちの業績に対する意識は人文系に近く、私も完全にはよくわかりません。ただ少なくとも、英語査読論文を無条件でありがたがったりはしません。

しろ”深みのある”事例研究理論検討が尊ばれ、そうしたものに特化した特定学術雑誌論文や、あるいは書籍などを重視する印象です。

業界事情(長いです)

なぜ学問を行う場である筈の大学において、こんな断絶が起こるのでしょうか。

つの要因は単純に「世代」です(繰り返しますが大雑把な区切りです)。

世代によって何が違うかというと「臨床心理学に対する考え方」が違います

もっと具体的には「エビデンスを重視するか否か」の違いです。

エビデンスを重視しないなんてバカ?」と思う方も多いと思います

私も7割同意しますが、これにはこれで事情があります

先ほど書きましたが、2の人たちが重視するのは事例研究です。

https://anond.hatelabo.jp/20181009215657 には、「事例研究には物語以上の価値はないのでは」とありました。

「そう見えるのは仕方ないだろうな」と思う気持ちと「物語価値過小評価しすぎですよ」という両方の気持ちを抱きます

なぜかと言えば、「クライエントの人生」を理解しようとすれば、どうしても「物語」というフレーム必要になるからです。

古典的な臨床家(心理療法をやる人)は、クライエントの人生全体を見ます

クライエントが訴える問題(やる気が出ないとか、落ち込むとか)を全てと考えるのでなく、むしろ人生における氷山の一角と捉えます

そして、クライエントの人生をそのものを見つめ、その人がより良く人生を歩んでいけるよう、どうにかこうにか支援をしていくわけです。

(「大きなお世話」「思いあがるな」と思われる方もいるでしょうし、下手すると実際にクライエントにとっても大きなお世話になります

その人の知能や症状の程度、パーソナリティなどを数値化して客観的に捉えることは心理学の得意技ですが、それでその人の人生全ては捉え切れません。

人生というものを捉えようとした時、どうしても物語必要になります

もちろん、物語ですから完全に同じ事象再現されることはまずありません。そのため、厳密な「エビデンス」はそこから得ることはできません。

ですが、だからといって物語意味がないわけでもありません。

物語から自分は何も学んだ覚えはない」という人がいたら、それは物語意味がないのではなく、恐らくその人に学習能力がないためです。

物語を蓄積していくことで、我々は人間に対する理解をより深いものにしていくことができます

そのため、日本臨床心理学者は「エビデンスなんかいらない」というよりも、「物語を蓄積してくしか、やりようがない」と思っていた部分もあると思います

またもう少しフォローしますと、単に物語を乱立させるのでなく、蓄積された様々な「物語」を体系づける理論の構築自体は脈々と行われてきました。

それが、「2」の後ろ半分「それを踏まえた臨床論的研究」です。

フロイト精神分析なんかは、今でも理論精緻化され続けていて、それはそれで読むと非常に面白いですし、人間理解に大いに役立ちます

というわけで昔の臨床心理学は、多分に人文的というかアート的な学問領域でした。学んでみると非常に面白いのですが学問としての欠点もたくさんあります

最たる点が、多くの方が既に感じていらっしゃる通り、物語性を重視するあまり客観性エビデンスをあまりに軽んじてしまたことです。

 ◆

しか1990年代の後半頃でしょうか、「認知行動療法」と「エビデンス重視」の立場が、アメリカから日本へ本格的にやってきました。

心理療法の一つである認知行動療法エビデンスを非常に重視します。

例えば「うつ病」ならば、患者抑うつの程度を測定し、「認知行動療法を行うと抑うつの程度が有意に下がる!」みたいな研究バンバンやるわけです。

当時の学会の様子は今でも覚えていますエビデンス重視の方々は「それエビデンスあるんですか?」と、どこかの誰かのようなセリフを旧来の臨床心理学者に容赦なく投げつけ、大変気まずい空気を作り出していました。(別に悪いことではないですが)

残念ながら旧来の臨床心理学者はそれに真っ向から反論することができません。なぜなら、実際の所エビデンスは無いからです。

ただし、客観的エビデンスが求められる研究では、「客観的に扱える要素」しか扱うことができません。

そういう「客観性」では捉え切れない人間の心を探求していったのが、これまでの臨床心理学だったはずです。

ですから多くの人にとって、「エビデンス」というものが極めて底の浅いものに見えたという部分もあると思います

実際私もそう感じる部分はありました。確かにエビデンス大事だけど、余りに機械的人間の心を扱いすぎていないか?と。

それって、本当に臨床心理学が目指していたことだっけ?

とはいえ、旧来の臨床心理学者がその文学性に浸りすぎ、客観性過小評価していたのは間違いないと思います

エビデンスに対して「人生の深みをわかっていない」「客観性が全てではない」と言っても、インチキしか聞こえないでしょう。

要するに、物語偏重し、エビデンス全否定する姿勢は間違っていますが、エビデンス偏重し、物語全否定するのも同様におかしいと、私自身は思います

そういう微妙バランスというか面白さが臨床心理学の中にはありますし、どちらも人を支援する上では大事視点だと思います

 ◆


まぁその後は各学会大学内で、明に暗に色々な小競り合いがあって、現在は昔よりもだいぶ両者が折り合いつつある雰囲気です。

一つは、純粋な「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」の人たちが減ったという単純な理由です。大御所の多くが高齢化し、以前よりはだいぶ比率が少なくなりました。

逆に、認知行動療法がだいぶ浸透した結果、若い世代では認知行動療法が専門外でも、エビデンス重視の考えは馴染みのあるものになっています

また、認知行動療法の人たちも”表面的な”エビデンスが全てではないという姿勢の人が増えてきました。

また、個人的にすごく大事だと思うのが、実証重視の方々にとっては「物語」の代表に見えるであろう精神分析系の心理療法も、ちゃん効果確認されるようになってきたたことです。

これによって、「エビデンスが全てではない」と意地を張らなくても良くなってきたのだと思います

結局、エビデンス否定するのではなく、自らエビデンスを出すことで (とはいえ研究殆ど海外ですが)、問題は解消されつつあります学問としてこれはとてもよいことだと思います

 ◆

つい最近中室牧子さんとかによって、教育業界エビデンス視点を持ち込む動きがありますが、同じように、日本臨床心理学にもエビデンス視点を持ち込もうという動きが20年程前にあったのです。

エビデンスに対する考え方の違いは、人間理解に対する考え方の違いであり、それが論文業績に対する考え方の違いにもつながっていたという話です。

これを読んでみて、改めて「臨床心理学ってクソだな」と思った人もいるかもしれませんが、こういうゴタゴタも乗り越えつつ、少しずつ学問としてブラッシュアップされていっている臨床心理学が私は大好きです。

長くなってしまいました、すいません。

おまけ

長くなったついでで恐縮です。

https://anond.hatelabo.jp/20181011091532 「再現可能性が4割」の部分に

https://anond.hatelabo.jp/20181011091734 「びっくりするほど信用できない学問だな てか学問かそれ 」というコメントを見かけましたが、これ心理学だけの問題じゃないんですよ。

Natureが少し前にいろんな研究者に調査しましたが、理系領域だって再現性は決して高くありません。

https://www.nature.com/news/1-500-scientists-lift-the-lid-on-reproducibility-1.19970

しろ追試をちゃんとやって、どれが再現できるか否かをふるいにかけ、学問を発展させようとする態度こそが科学的だと私は思います

鍋に人参いれると…

めちゃくちゃ旨くなる

これを発見したのって多分俺が初めてやろなぁ…

甘み(砂糖みたいな甘みじゃなくて人参の甘み)が鍋の汁に滲み出して鍋の中がまるで甘みと旨味の宝石箱

特許とらないかバンバンやってみてくれていいで

いい音は人間定義たから聴かないとわからないよ。一回、こういう音がいい音なんだと覚えないとダメよ。

格付けの問題は、基本的にはみんな簡単に解けるよ。覚えたらね。

音が高い方が正解よ。高い音が綺麗に出てる方が正解。ビブラートとか響きとかは無視したほうがいい。演奏者は誤魔化そうとして、テクニックバンバン使って、高い音が出ないのを気にさせないようにしてるから

2018-10-10

かい音を立ててしま

うるさいのが嫌いだから所作とか体の動きにすごく気をつけてるんだけど、どっか見えてなくて結局でかい音を立ててしまう。

ドアとか壁にぶつかってしまったり、スプーン落としてしまったり、電話を手から滑らせたり、脚組み替えるときに机にぶつかったり、あげればキリがない。

隣のデスクの人は本当に静かで憧れる。後ろのデスクの人はマウス位置しょっちゅう直して机がバンバン鳴ってる。キーボードガチャガチャうるさい。ハッピーハッキングじゃないよ。

なんかコツがあるのかな。

CP超雑食腐女子キャラクターに対する愛の話

私は同人作家である漫画を描き始めてから数年だ。それとは別に仕事もしている。社会人である

もう成人してからいい年数が経っている。

腐女子になってからはもう20年くらい経過している。

私の描いているものクオリティは…簡単に言って、そのCPでは喜ばれるが、他のCPの人の興味をそそるほどではないというレベルのありふれた画力をしている。

筆の速さと話の傾向だけがちょっと特殊で、そこに数人のファンが付いていてくれたりしている。ありがたいことです。

自己紹介がくどいが、私はカップリング雑食超浮気者腐女子である

メインに好きなキャラクターが1人ないし2名いて、ABというカップリングがすごく好きである

が、ジャンルまるごと作品まるごと好きになることが殆どで、キャラクターがみんな好きなので他のカップリングも読むし描く。

受け攻め左右上下全年齢成人向関係なく。

他のカップリングを読むという人は少なくはないが実際描く人になってくると、そんなに多くはないだろうと思う。

いいと思った作品はいいと思って好きになってしまう。描きたくなってしまう。

もちろん、そのCPで主流になっているシチュエーション解釈が好みではないな…という場合はあるが。

いわゆる総攻め厨、総受け厨というわけでもない。BLGLHLもすべて混ぜた雑食であるジャンルすらある。

この嗜好で、何度衝突や摩擦、匿名の悪意を受けたかからない。

ツイッター空リプリプライをつけずにぼんやり特定人間に宛てて発言をすること)でも何度やめてほしいと言われたかからない。

あるジャンルでは固定(ABだけを好きであるということ)に擬態した経験もある。

自分に嘘をつけなくなりまた早い段階で他のCPに目移りしてすぐに化けの皮が剥がれてしまったのでもう二度としない。

一応、最低限ワードミュートしてもらえるようにCP名はきちんと表記するようにしている。

ここで、言葉で刺してくる人に

キャラクター愛を感じない」

カップリング愛を感じない」

作品愛を感じない」

などなどと言われることに興味が湧いて、今キーボードを叩いている。

受けと攻めが違うこと、カップリングが違うこと、作品内でキャラクター同士をコレでもかと結びつけることに『愛』を感じないのだそうだ。

私の腐女子人生には『愛』がない『愛』が足りていないらしい。

一人だけに言われたわけではないので、そう思う人が結構数いるのだということに驚きを覚える。

私の『愛』が『ない』と感じる創作姿勢は、例えば『ゲームをでゲーム二次創作をする』だとか『二次創作だけを見て二次創作をする』だとかだと思っていたので、感覚のズレに吃驚する。




CP愛とはなんだろうか。と考える。

どれだけ自分時間を割いたかなのか。

そのCPについて一日の中でどれだけの時間妄想しているかだろうか。

ニート社会人社畜では、妄想できる時間に差があるだろう。一日の時間で愛の量が決定できるかと言われたら、違うんじゃないかなと思う。

そのCP作品をいくつ生み出しているかだろうか。

筆が早い人もいれば遅い人もいるだろう。また創作にあてられる時間にも差があるだろう。ここでも愛の量が計測出来るかと言われたら違いそうだ。

じゃあパーセンテージで考えよう。

自由妄想したり、創作できる時間の何%をそのCPに割いているか

これじゃないか

きっと私を攻撃してくる人の多くは、高い比率でその一つのCP気持ちを傾けていて、

私はそこよりも数値が目に見えて劣っている(様々なCP気持ち分散している)から攻撃したい・攻撃してもいいだろうと思われているのだろう。




また前述した通り、自分は少し珍しい話作りをしている。

王道の展開や、テンプレ化した二次創作ネタ徹頭徹尾ハッピーな話ではない。

その部分でも、『愛』がないと思われているのかもしれない。

また自分は『グッズ』にあまり興味のある方ではない。

欲しいグッズがないわけではないが、特に欲しいと思ったものを1つか2つ手に入れられればそれで満足という人間だ。

そしてやはり、ジャンルごとキャラクターたちを好きになってしまう事が多いので、全員揃えると結構な額になってしまいお財布的にも家のスペース的にも厳しいみたいな状況になるのであまり買わない。

そこが、グッズを収集するタイプ(複数買いでお金貢ぐタイプ)の人間からは『愛』がないと思われる部分なのかもしれない。




と、ここまで書いて気持ちが悪いな。と思ってしまう。

人の『愛』の比率を計って、自分と比べる行為は、直接的にはCPには何の関係もなくないか。と思ってしまう。

自分が好きだったらそれでいいじゃないか

人の好きにまで干渉しないで欲しい。

私は私のキャパティの中でちゃんCPを好きでいる。

リバ(相手は変わらないがセックスの時に挿入の上下が変わること)のほうが『愛』がある/ないという話もよく持ち上がるがピンとこない。

ただの性的嗜好じゃないかと思ってしまう。




自分の『愛』をアピールしたい人が世の中には意外と多くて、驚く。




話が戻るが、私は雑食ではあるが一番最初に好きになるカップリングがどのジャンルでも必ず1つはある。

ABとする。

私は筆が早い。ジャンルないしABにハマった初期はABのネタバンバン投下する。

もちろんツイッターフォロワーはABが好きな人で埋まっていく。私もAB作品が見たくてABの描き手さんのフォローが増えていく。

そこで、あとえばCDだったりEBだったりFAだったりを描き出す。

人が減ったり増えたりする。該当のCPの描き手さんをフォローしたりする。

TLのAB固定に空リプを受けたり、ABファンから匿名メッセージが飛んでくる。

固定でいて欲しい。

他のカップリングはあまり趣味じゃない。

貴方には愛がないのか。

そのCP地雷です。

人の趣味にどうこうケチつけてくる前にフォローを外したり、ミュートしたり、ブロックしたりすればいいのに、それはしないらしい。

不思議だ。

あくまでそういう意見を送る人たちは私が固定になること、一つのものを好きでいること、比重を傾けることを暗に強要してくる。

不思議だ。

人間単純で、くり返しそういったチクチクとした攻撃を受けているとだんだん疲れてそのCPを描きたくなくなる。

そのCPは好きなのに、そこにいる人たちの『愛』のせいでやる気が削がれていく。

好きの気持ちや愛の気持ちを共有できている時はいい。でも重荷になったら疲れる。

気分を変えるために他に目を向ける。楽しい。でも他のCPの人には『○○さんは"一応"ABの人ですもんね』と言われてしまう。

暗に『本命じゃないんでしょ?わかってるよ』と釘を差される。

はは、と苦笑いすることしか出来ない。別にABは大好きだ。周囲の人間に砂かけしたいわけでもないからそこは否定しない。

けど別CPだってそのキャラ同士だって好きなのだ

二次元キャラクターないしCPの『好き』『愛』に他者から勝手に順列をつけられることに辟易している。

一つだけを好きでいること、一つに比重を大きめに取ること、一つだけを好きでいなければ許されないような空気が、しんどい

現実の伴侶の話でもないのに、そんな法律もないのに、『愛』の量を監視される空気が、確実にあるのだ。

結局、先日のイベントでも私はABの本を出した。この後のイベントでもABの本を出す予定だ。

けれども、それは私が『一番』ABが好きであるアピールをしたいわけではなく、

紙で厚い話を描くネタが今ABで浮かんでいるからと言うだけだ。

瞬間的にCBDAやBEやFGの熱が上がったらその本も机上に並ぶかもしれない。

その瞬間の私の中にAB『愛』はちゃんとある。消え去るわけではない。

あるけれど、それは一部の人間には『ちゃんとした』『愛』とは認められない。

それが苦しい。

というまとまりのない話。

自分が今の感情を整理したくて書いた。

私は悪意や解釈違いの人間に反発する屈強なメンタル持ちなわけでもないし、かといってそこで筆を折る程に繊細な人間ではないので、これからも今のジャンルに暫く居続けるだろう。

その居続けるという行為自体が、ABの『愛』を強要してくる一部の人にとっては目障りで仕方ないとしても。






勿論他のCP地雷(アレルギーを引き起こす)であるという単純な心理で、目に見える場所複数CPを扱う私を毛嫌いするということもあるかもしれない。

ここに該当する人たちは今回の『愛』の話とはズレるので割愛させていただく。

2018-10-09

anond:20181009180834

セクシャルハラスメント企業が防止策を講じなければならないと法律で定められているし

それに反すれば労基の指導が入り、悪質であれば賠償金沙汰になるわけだが

日本外国ほどそれが機能しないのは、裁判を異常に忌避する文化がある故で

法律違反の状況が続いても裁判する敷居が高すぎて泣き寝入りしている人が多いだけ

そういう文化が無い国だとバンバン訴えられて企業が敗訴しまくるから企業側も必死なわけだし

実際海外日系企業日本と同じ感覚海外セクハラ放置して訴えられまくってたりする

日本外国人が増えればいずれそうなるんだろうね

外国人はそんな日本文化なんか考慮しないからな

訴えられさえすれば、「セクハラ日本文化です」なんて法廷でも通じないからな

キズナアイ問題について考えたら出川哲郎の偉大さがわかった

ここ数日のはてな界隈を見ているとキズナアイの話で持ち切りだ。

エロい恰好からダメだとか、女性が聞き役に徹しているのはジェンダーロール固定化象徴だの喧々諤々である

しか自分にはキズナアイについて語れるほどの見識もないので自分の好きな「釣り」の分野で考察してみることにした。

釣りおっさん趣味代表格だ。それなのに釣り番組には可愛い女性が出てくる事が多い。

「いったいなぜだ?」

「三度の飯より釣りが好きな釣りキチどもは別に女の子が出てなくても見るはずだろ?」

「むしろ余計なシーンなんかない方が気が散らなくていいんじゃないか?」

自分は思っていた。

一方全く女の子が出てこない番組存在する。釣りの達人(フライフィッシングの杉坂研治とか)がひたすら釣るのをカメラが追うだけの番組だ。

何千何万という魚を釣り上げてきた達人の技を見るのは圧巻で、とても勉強になる。

しかし、そこに致命的な弱点を見つけてしまった。

その1。達人はリアクションが薄い。

何千男万と釣りあげてきた男は、狙ってない魚や小物が釣れたときは全く喜ばない。

一方、女の子場合は何を釣り上げても宝くじがあったったかのように飛び上がって喜ぶし、逃げられたらめっちゃ悔しがる。

テレビ的に絵にもなるし、なにより釣りを始めた頃の喜びをもう一度思い出させてくれるのだ。

その2。達人は疑問をはさまない。

例えば達人の釣り番組には専門用語バンバン使われる。

「この時期だとメイフライハッチが終わっているのでテレストリアルパターンで行ってみます

みたいな具合だ。知らない人には何のことかさっぱりだろう。釣りを始めてしばらくした人でも面食らうだろう。

一方女の子が出てくる番組では、「え?それは何ですか?どうしてそれで釣れるんですか?」と必ず質問してくれる。

女の子はここでは視聴者理解を深めるキーパーソンとしての役割果たしているのだ。

女の子は実にすごく重要役割果たしていることが分かるだろう。(もちろん達人の番組が万人受けを狙って作ってない事は百も承知だが)

しかし「なぜ女の子なのか?」という疑問がまだ残っている。

その問いに対する自分の答えはこうだ。

別に女の子でなくてもいい。出川哲郎ならOK。てかむしろ出川哲郎に出てほしい。」

理由簡単。彼なら先の2つの問題解決してくれるからだ。

出川哲郎なら何がつれてもすごく喜んでくれそうだし、釣り初心者が躓きそうな疑問や失敗をことごとく体験してくれそうだ(失礼?)。

表情やリアクションも大きくテレビ的にいい絵になるだろう。そして、ジェンダーロールの固定化という枠もぶち破ってくれる。

まさに時代が味方している。子供にも大人気。出川哲郎テレビに引っ張りだこな理由がようやくわかってしまった。

出川さん、時代は君のものだ!

2018-10-08

学術分野の世界共通語フランス語ドイツ語だった時代はもちろんあるし、今でも数学黄色い本だと基礎文献が平気でフランス語だったりするけどさあ

20世紀前半までのろくに民間航空すらなかったような時代と、グローバリゼーションが果てしなく進んでインターネット地球を覆ってる時代を比べるのはナンセンスでしょ

現に中国大学所属する中国人の研究グループarXiv英語論文バンバン投稿してるのは不都合な真実なんですかね

anond:20181008103608

こいつも後ろからバンバン撃っててワロタ 

最大の敵は馬鹿な味方っていうのの典型ですね

2018-10-05

anond:20181005011907

いや、マケレルとか絶対俺にはつくれねえし、

みんなキラキラ輝いてるし

プロジェクトリーダーでもバンバンコードかけるし

彼らは真の天才集団だよ。京都の誇り

東京地名くらいは知っている

テレビを見てれば東京地名バンバンでてくるから自然と憶えてしま

が、位置関係が分からない

新宿渋谷がどれくらい離れているか? 気軽に歩いて移動できる程度の距離か? と問われたらさっぱり分からない

もちろん地図を見れば分かるだろうし、今ならググれば大体の必要時間は分かるだろう

が、パッと感覚的に「いける!」「いやいや無理無理」というのは浮かばない

指折り数える程度だが東京に行った事はある

しか長期間滞在した訳ではないので、どこに行ってもやたら人が多いという印象でしかない

おそらく東京ももっと郊外の方にいけば大分印象も変わるのだろうが、そこまで足を伸ばす時間的余裕は無かった

結局俺にとっての東京は、テレビ中の人達が住んでるテレビの中の世界のままだ

その土地を知らず、そこに住む人を知らず、そこに流れる音や空気を知らない

そんな人間が、ただ地名だけを知っている事にどれくらい意味があるのだろう

千葉鉄道台風の影響で塩害と思われる被害があったようだ。

沖縄には、台風が良く通るが、今はモノレールだけだ。

停電バンバン起きるでしょう、沖縄って。この台風シーズン梅雨の時期はお天気が良くないから海で遊べない。

  

どうなるのかな。

2018-10-01

先のことなど考えず、その日暮らしが一番だ。

避妊ことなど考えず、子供が出来ても教育ことなど考えず、なるようになるさと生きればいい。

金がなければ借金し、国債バンバン発行し、返すことなど気にするな、いざとなったら踏み倒せ。

廃炉廃棄物も気にせずに、原発どんどん作りゃいい。

CO2も気にせずに、石油バンバン使えばいい。

未来のことは、未来の奴らに任せりゃいいのさ。

案外なんとかなるもんさ、どうにもならなきゃそれまでさ。

2018-09-30

anond:20180930192841

景気づけの意味(?)なのかバンバンがいらないような気がするんだよね。どうせ全てに付けるんなら、掛ける10(0一つ付ける)とかにすれば、計算が楽になる。

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